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札幌高等裁判所 昭和54年(く)27号 決定 1979年10月30日

少年 S・S(昭三八・三・二〇生)

主文

原決定を取り消す。

本件を釧路家庭裁判所に差し戻す。

理由

本件抗告申立の趣意は、少年及び保護者S・Rが提出した各抗告申立書に記載されたとおりであるから、これらを引用する。

所論にかんがみ、少年保護事件記録及び少年調査記録を精査して検討すると、少年は、中学三年生当時すでに窃盗(車上狙いや自動車盗)の非行を反覆し、これについては、中学校卒業後の昭和五三年四月と八月にいずれも審判不開始決定で終わり、昭和五四年一月に、一六歳の少年を脅して現金五〇〇円を恐喝する非行を働き、同年六月七日、不処分決定を受けた者であるところ、その直後の同年七月末に本件の共犯少年Aとともに暴力組織に加入し、それ以来、時々露店の手伝いをするほかは無為徒食の生活を送り、同年八月ころから右Aらと暴走族グループを結成し、メンバーを集めて遊びまわるといつた怠惰な生活を続けるうちに、小遣銭欲しさに原決定摘示の非行に及んだものであること、少年は、自己中心的で、思考も幼稚かつ短絡的であつて、内省力に乏しく、周囲の悪友に影響されやすい傾向があるうえ、少年が暴力組織から絶縁することについては、少年も保護者も、これを希求してはいたが、原決定当時においては、それをやり遂げる決意も方策も不十分であつたこと、原決定当時まで保護者の監護意欲が不十分であつたこと及び少年の勤労意欲が乏しかつたこと、その他原決定が少年の要保護性に関して摘示する諸事情を総合すると、原裁判所が、少年に対し中等少年院送致の保護処分を選択したについては、一応これを首肯し得ないではない。

しかしながら、前記各記録及び当審における事実取調べの結果によれば、原決定後、少年の父は、少年に対する監督、監護の不徹底さと、保護者の配慮不足が今日の事態をもたらしたものであることを深刻に反省し、少年に対する保護、監督環境の整備、ことに暴力組職から少年を離脱させることが喫緊事であることを痛感し、昭和五四年九月三〇日、群馬県太田市において群馬県少年警察協助員(警察の少年補導等の活動に関し、警察の委嘱を受けて必要な協力をする者)をしている親戚のK及び同人の紹介を得て知つた同県警察少年協助員で、かつ、宇都宮家庭裁判所等の補導委託先となつているLに会い、少年の更生について相談をしたところ、Lは、少年を自己の手許に受け容れ、かつ少年に労働の機会を提供しつつ少年の更生に協力するとまで約束してくれ、かくて少年の父はLの助言に添い、同人や前記K(同人の住居地とL方の距離は、一〇キロメートルで、容易に往来することができる。)の協力を仰ぎながら、少年に対し必要な保護を与えていく決意を抱くに至つたこと、他方、少年は、原決定摘示の非行事実で身柄を拘束されて以来、これまでの自己の行動がいかに軽率であつたか及び暴力組織への参加がいかに無意味なものであるかについて反省していたが、原決定を受けたことを契機として更に反省の度を深め、真面目に働くことが自己の更生のための第一の条件であると考えるようになり、父の説得を受け容れ、前記Lの許で労働に従事しつつ更生の途を歩む気持になつていること、少年は、知能指数も悪くなく、その精神及び身体に異常が認められず、非行傾向も必ずしも根深いものではなく、暴力組織に加わつたのも、ヤクザの外見上のかつこ良さにひかれたことと友人との同調が主な原因で、かかる組織への傾斜も左程強くなく、かつ保護処分を受けたのが今回が初めてであり、生活環境の整備によつて社会生活の中でなお更生の可能性が高いことが認められるから、以上の諸事情を合わせ考慮すると、少年を中等少年院(一般短期)に送致することとした原決定の処分は、結局重過ぎて著しく不当であると判断される。論旨は理由がある。

よつて、少年法三三条二項、少年審判規則五〇条により、原決定を取り消し、本件を釧路家庭裁判所に差し戻すこととし、主文のとおり決定をする。

(裁判長裁判官 藤原昇治 裁判官 日比幹夫 雛形要松)

〔参考一〕 抗告申立書(少年)

抗告の趣旨

私とA君がこの少年院に送られてきたのは不とうに思います。

その理由は、私とA君のほかにもう一人共犯者でB君とゆう人がいたわけですが、彼だけが保護観察で家に帰つたわけです。B君も私と同じ○○家とゆうヤクザに入つており、又彼は、つい最近もオートバイの無免許運転で交通事故などをおこしてつかまつたりそのほかにも何度かけいさつざたをおこしており、裁判所のほうにも何度かいつており私と同じ状きようだつたのですが、彼だけが、保護観察とゆう処分をうけたわけです。

これは、どうしてもなつとくがいきません。

抗告申立書(法定代理人親権者父)

抗告の趣旨

今の度、私の子供が恐喝に依り月形少年院へ送致となりました事は今親として考えまするに第一に親の無責任、放任、第二にヤクザとの交流、第三に就職先の未決定、第四に交友関係此の四点にあると思います。今迄私達は親として子供に対する態度は放任主義で積極的ではありませんでした。

九月一日に子供が恐喝で逮捕された時、警察の方にヤクザに加入していると聞き一瞬目の前が真つ暗になる様な気持でした。

九月二十六日裁判所での審判の時も其の時の気持が持続され正直に申し上げて今の状態では鑑別所を出所して来ても又すぐ元のヤクザの仲間と一諸になつてしまう様な気が致しました。

其の為に就職先も決めぬまま審判に出席した訳でした。此の席で裁判官から親が積極的に仕事を探し監督するならば少年院送りにならずに済んだとお叱りを受けました。親の無責任で子供を少年院送りにしました事は親として深く深く反省している次第です。少しでも早く就職先を見付け様と思い色々考えた末に群馬県におります私の妻の姉が嫁いで居ります義兄に相談をしようと思い九月二十九日私と妻と二人で群馬県太田市○○町××-××の義兄Kに会いに行つてまいりました。

義兄は太田市で○○店を経営しており太田市の少年警察協助員を十年以上やつております。義兄の紹介で同じく少年警察協助員の群馬県新田郡○○町大字○××-××にお住いのL様にお会い致しまして色々とお話をお聞き致しました所「私の所では其の様な少年が多勢見え皆さん真面目に更生されている」と云ふ事でした。

事業所の名称は「○○○」

仕事はプレス加工と家畜の飼育(馬二〇頭位)又は農作業で自分で好きな道を選べます。

プレス加工は女の人が三人ばかりいて軽労働でした。

働いている方々は皆明るい感じでした。

従業員数は二十七名で全員が共同生活をし環境も桑畠に囲まれて閑静で町から離れた所にありL様御夫妻もほがらかで気さくで皆さんに慕われている様に見受けられました。此の様な環境に子供を置くならば悪友ともヤクザとも手を切る事が出来ると思います。義兄も車で二十分位の所ですから、いつも来て指導監督してくださると引受けて下さいました。

L様御夫妻も少年院へ入れて置くより少しでも早く自分の所へ連れて来る方が良いと積極的におつしやり、もし子供が出所出来る様なら身許引受人として月形少年院迄子供を引取りに行つても良いと迄おつしやつて下さいました。

私も親として義兄、L様とも良く連絡を取り子供を良い方へ指導していきます。

親の身勝手とお思いでしようが何卒今一度審判をして下さる様に抗告致します。

添付書類(編略)

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