大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

札幌高等裁判所 昭和54年(ネ)94号 判決 1980年12月17日

控訴人

斎藤健次

被控訴人

秋村文夫

右訴訟代理人

能登要

田中敏滋

主文

原判決を次のとおり変更する。

被控訴人から控訴人に対する札幌法務局所属公証人鈴木久学作成昭和五一年第六〇三〇号建物賃貸借契約公正証書(第二二条を除く。)に基づく強制執行は、第八条表示の損害金のうち一四八万二八〇四円の支払いを求めるものを除き、これを許さない。

控訴人のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は、第一、二審を通じこれを三分し、その二を控訴人の、その余を被控訴人の各負担とする。

事実《省略》

理由

一請求原因一の事実<編注・債務名義としての公正証書の存在>は当事者間に争いがなく、抗弁一の1及び2の事実<編注・本件旧契約及び新契約の締結>は、控訴人において明らかにこれを争わないので、これを自白したものとみなす。

二昭和五二年九月一三日、被控訴人から控訴人に対し、本件建物の賃貸借を解除する旨の意思表示がなされたことは当事者間に争いがない。そこで、右意思表示により本件新契約解除の効果が生じたか否かにつき判断する。

<証拠>を総合すれば、

1  控訴人は、本件旧契約の当時から賃料等の支払いを遅滞することが多く、昭和五一年一一月二五日現在、その未払賃料等は六三万七〇四二円に及んでいたところ、前記のとおり、本件新契約の締結に当たり右延滞賃料等を一〇回に分割して支払うこと及び右分割金又は賃料、共用部分管理費の支払いを一〇日以上遅滞したときは被控訴人において本件新契約を解除できる旨特約したにもかかわらず、その後も、被控訴人から度重なる督促を受けながら、右各支払いを滞ることが多かつた。

2  そこで被控訴人は、昭和五二年四月二六日控訴人に到達した内容証明郵便をもつて、未払賃料等の支払いを催告するとともに七日以内にその支払いのないときは本件新契約を解除する旨の意思表示をして、同年五月一三日、右により本件新契約は既に解除されている旨主張して、札幌地方裁判所に、控訴人に対し本件建物の明渡しを求める訴えを提起するに至つた。

3  右訴え提起当時、控訴人は、同年四月二五日に同年三月分の賃料、共用部分管理費を支払つたのを最後に同年四月分以降の賃料、共用部分管理費及び同年三月末支払分以降の延滞賃料分割金の各支払いを滞つていたものであるところ、その後はなんらの支払いもなさず、同年七月一九日、被控訴人の訴訟代理人から未払い分を早急に支払うよう催告されたにもかかわらず、ようやく同年九月七日に至り、同年四月分の賃料、共用部分管理費を支払つたにすぎなかつた。

4  ここに至り、被控訴人は、以上の控訴人の度重なる債務不履行は、被控訴人と控訴人との間の信頼関係を破壊する背信行為であるとして、同年九月一三日の口頭弁論期日において、前記解除の意思表示に及んだものである。

5  控訴人は、その後、同年九月二八日に同年五月ないし九月分の賃料、共用部分管理費及び同年三月末ないし九月末支払分の延滞賃料分割金を、同年一〇月二五日に同月分の賃料、共用部分管理費及び同年一〇月末支払分の延滞賃料分割金をそれぞれ弁済供託したが、右以後は現在に至るまでなんらの支払いをしていない。

以上の事実が認められ、<る。>

以上の事実によれば、右九月一三日の解除の意思表示がなされた時点において、控訴人が支払いを怠つていた債務は一〇二万七八五〇円(昭和五二年五月ないし九月分の賃料、共用部分管理費及び同年三月ないし八月支払分の延滞賃料分割金)もの多額に及んでいたばかりか、従前からの催告及び支払いの経緯に鑑み、被控訴人において控訴人が早期に右債務不履行を解消したうえ誠実に以後の支払いを継続することに対する合理的な期待を持ち得ない状態に達していたものであつて、控訴人の債務不履行の結果、当事者間の信頼関係が破壊されるに至つていたものと認めることができるから、本件新契約は、昭和五二年九月一三日、右解除の意思表示により終了したものというべきである。その後、右5のとおりの弁済供託が現になされたこと及び敷金として一四七万七五〇〇円が交付されていたとの当事者間に争いのない事実は右認定、判断を左右するものではない。

三そこで、右による本件新契約の終了後、被控訴人が控訴人に対して有する請求権が本件公正証書に表示されているか否かにつき検討する。

1  本件公正証書の前記第八条の記載が、控訴人は被控訴人に対し本件新契約終了後本件建物明渡済みに至るまで一か月一〇万七五八〇円の割合による賃料相当損害金を既経過の占有期間に応じて直ちに支払う趣旨であることは、その文言上明らかであるところ、控訴人において本件建物の明渡しをなさずにその占有を継続する限り、被控訴人が右第八条の記載に対応する請求権を取得することは多言を要しない。

2  被控訴人は、本件新契約の終了後も、控訴人が本件建物の占有を継続する限り、控訴人に対し共用部分管理費の請求権を取得する旨主張する。

しかしながら、賃貸人が賃借人に対し、約定の賃料のほかに別途共用部分管理費を請求し得るのは、当該賃貸借契約に付随する特約に基づくものというべきであり、本件新契約においては、本件公正証書の前記第一四条の記載がこの特約に該当するところ、賃貸人は右特約に基づき共用部分管理費の請求権を取得するとともに、賃借人に対し善良な管理者の注意をもつて共用部分を管理する債務を負担するものである。しかして、基本たる賃貸借契約が解除により終了した場合には、賃貸人は、これに付随した右特約に基づき共用部分を管理する債務を免れるとともに、右特約に基づく請求権を取得するに由なくなるものと解すべきものである。

賃貸人が、一棟の建物の内部を数個に区画のうえそれぞれを別個に賃貸して、各賃借人から共用部分管理費を徴収する一方、賃貸人が共用部分の管理をその計算において行う場合、うち一人の賃借人につき賃貸借契約が終了して、賃貸人が右賃借人に対する関係で共用部分を管理する債務を免れたからといつて、共用部分全体の管理はなお賃貸人の負担で行うほかないのであるから、右に要する費用が直ちに減じるものでないことは、容易に推察できるところである。それにもかかわらず、右賃借人が賃貸借契約の終了にもかかわらずなお従前の賃借区画の占有を継続するときは、右占有者は、賃貸人の負担による管理の結果を不当に利得する者として、ないしは、占有権限消滅後の不法占有を継続することにより賃貸人としては本来他に賃貸する等して管理の対価を回収し得た権利を侵害する不法行為者として、賃貸人に対し右利得を返還し又は損害を賠償すべきものと解することができ、一般には、特段の反証のない限り、右債務の額は従前の約定による共同部分管理費と同額と推定するのが相当と思料される。また、かかる場合を考慮して、賃貸借契約終了後明渡しまでの間の共用部分管理費の負担の処理につき、当事者間で予め合意しておくことが可能であることは当然である。

ところで、本件公正証書の前記第一四条の記載は、あくまで毎月の賃料と同時に支払うべき請求権を表示したものと解するほかはなく、これは賃貸借契約の存続を前提としてこれに付随した特約に基づく共用部分管理費の請求権にほかならないところ、右記載をもつて、右に述べた不当利得又は不法行為に基づく請求権を表示したものとはとうてい解し得ないことは勿論、右記載が賃貸借契約終了後の共用部分管理費の負担につき予めなした合意の趣旨を含むものとは、前記第八条の記載と対比しても、とうてい認め難いものというほかはない。

以上によれば、被控訴人が右述の不当利得、不法行為又は事前の合意に基づく請求権を有するか否かにつき判断するまでもなく、被控訴人は本件新契約が昭和五二年九月一三日解除により終了して以後の分としては、本件公正証書の第一四条に表示された請求権をなんら有しないものというべきである。

四本件新契約が前示のとおり昭和五二年九月一三日解除によつて終了して以後、昭和五三年一〇月四日までの間、控訴人において本件建物を占有していたことは、控訴人の明らかに争わないところであるから、これを自白したものとみなす。また、被控訴人が右同日配電盤を封鎖して本件建物への電力の供給を断ち、その結果、それまで控訴人において本件建物で営業してきたスナック店の営業を継続することが不可能となつたことは当事者に争いがない。しかして、<証拠>によれば、右同日以降も控訴人は被控訴人に対して本件建物を明渡すことなく、本件建物内に右スナック店の営業の用に供してきた造作、有体動産を設置又は収納したまま、なお正当な賃借人であると主張して、本件建物の占有を昭和五五年二月一五日まで継続したことが認められ、右認定に反する証拠はないところ、前記本件建物明渡訴訟の仮執行宣言付第二審判決に基づいて、被控訴人が右同日控訴人に対し本件建物明渡しの強制執行をしてその明渡しを得たことは当事者間に争いがない。

五<証拠>によれば、本件公正証書に表示された被控訴人から控訴人に対する強制執行の基礎となり得る請求権は、第二二条の請求権を除けば、第三条の賃料請求権、第八条の賃料相当損害金請求権及び第一四条の共用部分管理費請求権のみであることが明らかであるところ、被控訴人が控訴人から昭和五二年一〇月分までの賃料、賃料相当損害金、共用部分管理費を既に受領していることは被控訴人の自認するところであり、以上の認定、説示によれば、被控訴人は控訴人に対し、本件公正証書(第二二条を除く。)に基づき、なお昭和五二年一一月一日から昭和五五年二月一五日までの間の第八条記載の賃料相当損害金二九六万〇三〇四円から前記敷金一四七万七五〇〇円を差し引いた残額一四八万二八〇四円につき強制執行をなし得るものというべきであるが、その余の部分について強制執行をなすことは許されないことになる。控訴人は、右賃料相当損害金についても強制執行をなすことは許されない旨るる主張するが、次のとおり、いずれも失当であつて採用できない。

1  被控訴人と控訴人との間に本件建物の明渡しを求める訴訟がなお係属中であることは当事者間に争いがないけれども、かかる事由が存するからといつて、これがなんら本件公正証書に基づく強制執行をなすことの妨げとなるものでないことは当然である。控訴人の請求の原因二の1の主張は、主張自体失当であつて採用できない。

2  控訴人は、昭和五三年一〇月四日の被控訴人が本件建物への電力の供給を断つた時点で、控訴人が被控訴人に対し本件建物の明渡しを完了したものとみるべきである旨主張する。しかしながら、前認定のとおり、控訴人は右時点以降も賃借権者であることを主張して本件建物の占有を継続していたものであり、本件全証拠によるも、控訴人が賃貸借契約の終了したことを認めて被控訴人に対し本件建物を返還することを申し出でる等した形跡すら認められず、また、被控訴人が本件建物への電力の供給を断つて控訴人の営業を不能ならしめるに至つたからといつて、これが控訴人の占有を妨害したものと評され得るものであるにしても、控訴人の占有を侵奪したものとはとうてい認められない。してみれば、控訴人の右主張も理由がないことは明らかである。

3  控訴人は、昭和五三年一〇月四日以降は、控訴人の本件建物の使用収益が妨害されていたから、控訴人にこれを使用収益させることに対応して発生すべき被控訴人の賃料相当損害金請求権は発生しない旨主張する。しかしながら、賃料相当損害金が目的物件を使用収益させることに対応して発生する旨の主張は、独自の見解であつて、とうてい採用の限りではない。賃貸人は、賃貸借契約の終了後は、従前の賃借人に対し、なんら目的物件を使用収益させる債務を負担するものではなく、直ちにその返還を受ける権利を有するところ、右返還を受け得ないことによつて生ずる損害を賠償するものが賃料相当損害金なのであるから、これは、賃貸借契約終了後も従前の賃借人が目的物件の占有を継続してこれを賃貸人に返還しない以上、その間右賃借人においてこれを使用収益し得たか否かにかかわりなく発生するものである。しかして、前認定のとおり、控訴人は昭和五三年一〇月四日以降も本件建物を返還することなく占有していたのであるから、控訴人の右主張も失当であつて採用の限りでない。

4  控訴人は、本件公正証書に基づく執行を許すことは公序良俗に違反する旨主張する。控訴人において敷金を交付し、あるいは強制執行停止に伴う保証金を供託しているからといつて、これが本件公正証書に基づく右損害金の執行をなんら違法ならしめるものでないことは明らかであり、被控訴人が仮りに控訴人主張のとおり控訴人に対し営業妨害による損害賠償義務を負うものであるとしても、このことはなんら控訴人の賃料相当損害金の支払義務に消長を来たすものではなく、これを支払うことを自ら怠つておきながら、その支払いを求める強制執行が公序良俗に違反するのは失当というほかはない。その他本件全証拠によるも、本件公正証書に基づく強制執行が公序良俗に違反することになると目するに足りる事実を認めることはできず、控訴人の右主張も理由がない。

5  控訴人は、被控訴人が本件建物明渡訴訟の仮執行宣言付第二審判決に基く本件建物明渡しの強制執行をしたから、本件公正証書の執行力は消滅した旨主張する。しかしながら、右強制執行がなされたからといつて、これにより前記損害金に関する本件公正証書の執行力が消滅する理由はなんら存せず、控訴人の右主張も失当というほかない。右強制執行の結果、被控訴人において本件建物の明渡しを得たのであるから、その以後の分としては、被控訴人において賃料相当損害金請求額を取得するに由なくなるものであるに過ぎない。

6  控訴人は、更に、営業妨害による損害賠償請求権をもつて本件公正証書表示の請求権と対当額で相殺する旨主張する。しかしながら、<証拠>によれば、控訴人の主張する右損害賠償請求権は、本訴において右相殺の意思表示がなされたことが記録上明らかな昭和五三年一一月一三日当時、既に控訴人と被控訴人との間の札幌地方裁判所昭和五三年(ワ)第一七五一号事件において訴求されていたものであり、右訴訟はなお同裁判所に係属していることが明らかであつて、このように別訴において訴求中の債権を本訴において自働債権として相殺の用に供することは、民事訴訟法二三一条の趣旨を類推して許されないものというべきである。のみならず、本件口頭弁論に現われた全証拠によつても、控訴人主張の損害は認められない。したがつて、控訴人の右主張も採用の限りでない。

六以上のとおりであるから、本件公正証書(第二二条を除く。)に基づく強制執行の排除を求める控訴人の請求は、第八条記載の賃料相当損害金のうち一四八万二八〇四円の支払いを求める執行の排除を求める部分を除き理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却すべきものである。

よつて、これと異なる原判決を右のとおり変更することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条、九二条を適用して、主文のとおり判決する。

(輪湖公寛 矢崎秀一 八田秀夫)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例