札幌高等裁判所 昭和59年(う)68号 判決 1984年8月23日
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役二年に処する。
原審における未決勾留日数中二五〇日を右刑に算入する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人佐藤允及び被告人提出の各控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これらを引用する。
弁護人の控訴趣意第一点第一及び被告人の控訴趣意中原判決が強姦未遂を認めたことについて事実誤認をいう点について
各所論は、要するに、原判決は罪となるべき事実第一において、被告人がA子に対して強制わいせつの行為をしているうちに劣情を催し、強姦未遂の行為に及んだ旨認定しているが、被告人が強姦未遂の行為にまで及んだ事実はなく、強制わいせつ罪が成立するにすぎず、原判決には事実の誤認がある、というのである。
そこで検討すると、記録に現われた関係各証拠及び当審における事実取調べの結果を総合すると、被告人は十数年前から慢性アルコール中毒に罹患し、妻と離婚し、本件当時、札幌市○区○○○○の市営住宅で生活保護を受けて一人暮しをしていたこと、昭和五七年一二月二八日午前九時ころ、被告人は自宅前で除雪をしていたところ、同じ市営住宅に住む小学生A子(当時一〇歳)及び同B子(当時七歳)が通りかかつたので、同児らを自宅に誘い入れてわいせつ行為等に及ぼうと考え、「チョコレートを買つてあげる」などと言つて、両児を被告人方一階居間に連れこんだこと、そうしたうえで、両児に対して、女性の陰部を露骨に撮影した写真などが掲載されているポルノ雑誌を見せ、「この写真と同じことをして遊ぼう」などと告げ、まず、A子のズボン、パンツ等を脱がせてカーペット敷きの床の上に仰向けに寝かせて、手指で同児の陰部をもてあそぶなどしたこと、次いでB子に対しても、ズボン、パンツ等を脱がせて、同様に寝かせ、同児の陰部を舌で数回なめるなどしてもてあそび、もつて、両児がいずれも一三歳未満であることを知りながら、両児に対してわいせつの行為をしたことを認めるに十分であるが、更に進んで、被告人がA子に対して、右わいせつ行為に引き続いて、姦淫の意思をもつて、自分の陰茎を同児の陰部に押しあてこれをそう入しようと試みるなどの強姦未遂行為に及んだという事実は、本件に現われたすべての証拠をもってしても確認するに足りない。その理由を詳述すると、以下のとおりである。
(一) 記録を調査すると、右強姦未遂の点に関する積極証拠としては、被告人の司法警察員に対する昭和五八年二月二三日付供述調書(但し、四枚綴りのもの)、同じく検察官に対する同年六月八日付、同月一三日付各供述調書、A子の司法警察員に対する同年二月二三日付供述調書、同じく検察官に対する同年五月一六日付供述調書中の、右に副う趣旨の各供述記載があるだけである。
このうち、被告人の右供述調書三通は、強姦未遂の犯行の自認ないし自白を内容とするものであり(以下、これらを単に「自白調書」という。)、(イ) 司法警察員に対する自白調書には、前記認定のように、A子を下半身裸にして寝かせ、手指で同児の陰部をなで回しているうちに劣情を催したので、自分のズボンのチャックを下げて陰茎を出し、これを「同児の陰部のところに二回くらい押しつけ」、これをそう入できるものならそう入しようと思つたが、「当然、相手は子供で、入れるのは無理であつたので、あきらめ」た、そのうちに同児が泣き出したので、自分もズボンのチャックを閉じたとの趣旨の、強姦未遂の犯行を自認する簡単な供述記載があり、(ロ) また、検察官に対する前掲各自白調書にも、右わいせつ行為をしているうちに、劣情を催し、姦淫したくなり、ズボンのチャックを下げて陰茎を出し、これを何回が同児の陰部に押しつけたが、「入らなかつた」のであきらめた、そのとき同児が泣き出したので、「隣りに聞こえたら困るから、泣くんでない」と言つたとの趣旨の、強姦未遂の犯行を自白する簡単な供述記載がある。(ハ) 更に、A子の前掲司法警察員に対する供述調書には、被告人から前記のわいせつ行為を受けたことを述べた後、これに引き続き、「被告人が、ズボンのチャックをおろして、陰茎を出して、私の陰部におしつけてきた」、「何回も何回も押しつけてきたので、痛くて痛くて、泣きました」、「そうしたら、被告人は、『隣りに聞こえるから、静かにしなさい』と言うので、泣くのを止めたら、被告人はまた、陰茎を私の陰部に押しつけてきた」、「被告人は長く押しつけてきて、私は陰部が痛いので、しくしく泣いていたが、そのうちに被告人は止めた」との趣旨の供述記載があり、(ニ) また、同児の検察官に対する供述調書にも、これとほぼ同趣旨の簡略な供述記載がある。
そこで、被告人の右各自白調書の信用性について検討すると、各供述調書ともその記載内容は、簡単なもので具体性に乏しく、ことに、各供述調書を通じ、「陰部に陰茎を押しつけた」とか、「そう入することができなかつた」とか、「当然、相手は子供なので、そう入することは無理であつたので、あきらめた」などと述べているが、体格のはるかに異なる同児に対し、被告人が具体的にどのような体位、姿勢、方法で右の行為に及んだか、また実際にどのような感触を得たことにより姦淫が無理であると考えたのか、更に右行為に及んだ際の被告人の心理状況などについて、的確で真実性に富む描写を欠いていること、更に警察官に対する自認内容と検察官に対する自白内容との間に微妙な供述の食い違いがあることなどに照らすと、被告人の右各自白調書の信用性は到底高度なものとは言い難い。しかし、これらの自白内容とA子の供述内容とは大綱において符合していること(もつとも、行為の回数、時間については、相当な食い違いがある。)、A子の供述内容は、同人の年齢等を勘案すると、相当に具体的であり、それ自体として特に不自然、不合理な点がないことなどを考慮すると、以上の各証拠により、原判示のとおり、被告人がA子に対して前記わいせつの行為に及び、これに引き続き、姦淫の意思をもつて、陰茎を同児の陰部に押しあてるなどしてそう入を試みたが、そう入することができなかつたとの強姦未遂の事実を一応認定しうるように思われる。
(二) しかしながら、更に詳細に検討すると、右のように認めるについては、次のような疑問がある。
(1) A子の司法警察員に対する同年二月二〇日付供述調書、A子の父母の捜査官に対する各供述調書、右両名の告訴状二通及び当審証人A子の母の供述等によると、A子が被告人から本件いたずらをされたことは、即日同児の母親の知るところとなつたが、母親においてその際同児に対して右いたずらの内容を聞きただしたところ、同児は、単に被告人から指で陰部を触られたという、わいせつ行為の被害を述べただけであつたこと、「なお、母親において同児の下着類を調べたり、また同児に医師の診察を受けさせたりしたことはない。)、また、A子が本件について警察官から初めて事情聴取を受けたのは、事件から約二か月を経た昭和五八年二月二〇日であるが、その際作成された同児の供述調書には、被告人から受けた行為が具体的に記載されており、とくに事実の経過を一部省略して述べたとか又は殊更被告人をかばい立てして述べたというような形跡は窺われないが、そこで述べられていることは、「被告人から、ズボン、パンツ等を下げられて、座布団を枕にして寝かせられたうえ、被告人が指につばをつけて私の陰部を沢山もによもによと触つた、私は痛かつたので泣いたら、それでも、陰部を触りながら、『隣りに聞こえるから、静かにしなさい」と言つていた、そして私(に対するいたずら)を止めて、被告人はB子に対して、全部ズボンを脱ぎなさいと言つた、(後略)」という趣旨のものであり、その際、被告人から陰茎を陰部に押しつけられたというようなことはもとより、被告人がズボンのチャックを下げたとか、被告人の陰茎が見えたというようなことは一切述べていないこと、更に、同児の母親の証言によると、同人が当審法廷に証人として出頭する直前、あらためて同児に対し事件についての真相を尋ねたところ、この際にも、同児は、被告人から単に指で陰部をさわられただけであり、陰茎を陰部に押しつけられたりしたことはなかつたとの趣旨を答えたことが認められる。このように、強姦未遂被害の点に関するA子の供述が甚だ一貫しないものであることにかんがみると、A子の前掲司法警察員に対する同月二三日付供述調書及び検察官に対する同年五月一六日付供述調書中、被告人から強姦未遂の被害を受けたとの各供述記載部分の信用性について疑問なしとしない。
(2) 次に、B子の司法警察員に対する同年一月一九日供述調書及び検察官に対する同年五月一六日付供述調書にも、当時の状況に関する同児の供述として、同児が、A子とともに被告人方に誘い入れられた後、ポルノ雑誌をみせられ、被告人から「これと同じことをしよう」と言われた、「私は、おしつこがしたくなつたので、便所に行つて部屋に戻つたら、A子が窓のところに寝ており、ズボン、パンツを脱いでいて、被告人は、A子の陰部をいじつていた、A子は、エーン、エーンと泣いていた、被告人は、『隣りに聞こえたら困るから、泣くんでない』と言つて、(今度は)私のズボンとパンツを脱がせて、私を寝かせた、被告人は、私の陰部を四回ペロペロとなめた、私はびつくりして泣いた」との趣旨の記載があり、その全記載をみても、やはり、事実の経過の一部をかくして述べているような形跡は窺われないが、これをみても、被告人がA子に対して強姦未遂の犯行に及んだことを窺わせる供述記載はない。もつとも、同児は、被告人がA子に対していたずらを始める直前ころ、小便に行くため一時席を外しており、そのため、被告人のA子に対する犯行の全ぼうを目撃する機会がなかつたものであるが、しかし、席を外したといつても僅かな時間であつたと思われるし、しかも、同児が小便から戻つた時点では、まだ被告人がA子に対してわいせつ行為を続けていたというのであるから、真実、A子及び被告人の前掲供述調書中で述べられているように、被告人が先ずわいせつ行為をし、これに引き続いて強姦未遂の行為に及んだというのであるならば(被告人が強姦未遂行為を終えた後、更に再びA子に対してわいせつ行為をしたというような供述は存在しない。)、B子においても、右姦淫行為の全部又は一部を目撃しえたと思われるが、そのようなことは述べていない。もちろん、B子は当時七歳であり、姦淫行為についての知識を欠き、そのため姦淫行為の一部を目撃しても、それが同児の記憶に保持されるほどの印象を残すに至らなかつたことも考えられるが、少なくとも、被告人が姦淫を行うためズボンのチャックを外し性器を露出するなどの異様な姿態を示していたならば、B子の右供述中にもその情景の一端が現われていそうに思われるが、そのような情景も全く述べられていない。このことに照らしても、被告人がA子に対して強姦未遂行為に及んだという前掲各証拠の信用性については、疑問を抱かざるをえない。
(3) 被告人は、前記のとおり捜査官に対しては、強制わいせつ及び強姦未遂のいずれについても自白している。しかし、原審公判においては、強制わいせつの点については自白を維持しながら、強姦未遂の点については相当強い態度で否認している。当審公判においては、強制わいせつの点についてもあいまいな供述に変化しているが、強姦未遂の点について、やはり強くこれを否認している。このような供述の経過に加えて、前記指摘のとおり、被告人の強姦未遂に関する各自白内容が具体性に乏しく、かつ真実性に富む描写を欠いていることなど考慮すると、強姦未遂に関する被告人の捜査官に対する自認又は自白の信用性については疑問をさしはさまざるをえない。
もつとも、右自白の動機について被告人の弁解するところは必ずしも納得しうるものではない。被告人の原審公判供述によると、警察官から「色々しつこく質問されたので、『面倒くさい』と思つて、嘘の自白をした」との趣旨を述べ、また、検察官の取調べについて、「否認したら、検察官から、『ああ、こういうことだから、連れて行け』と言われたので、(その後の取調べで)嘘の自白をした」という趣旨の弁解をしているだけである(なお、被告人が逮捕されたのは昭和五八年六月三日検察庁においてである。)。通常の被疑者の心理を標準にして考えると、警察官又は検察官から右のような程度の取調べを受け又は取扱いを受けただけで、犯してもいない強姦未遂の犯行をたやすく自白するということは理解し難い。しかし、本件記録全体から窺われる被告人の性格特徴、とくに慢性アルコール中毒に罹患していて精神的に無力化し、短気で興奮しやすく、すぐ投げやりの態度になりやすい性格の持ち主であることを考えると、右の程度の取調べ又は取扱いを受けただけで、「面倒くさく」なり、又は迎合して虚偽を含む自白をするということは、決してありえないことではなく、むしろ十分ありうることであろうと思われる。被告人の強姦未遂を自白した供述部分の信用性については疑問がある。そして、A子の強姦未遂の被害を述べる前掲各供述調書が、いずれも被告人の右自白調書の作成日付以降のものであることを考えると、A子の右各供述調書中の強姦未遂の被害を述べる供述部分も、被告人の虚偽自白を基にして行われた捜査官の誘導的な事情聴取の所産にすぎないとの疑いを払拭することができない(なお、同児の母の証言によると、同児はすぐ泣きやすい子供のようであるが、このような年齢、性格の女児の供述が誘導に屈しやすいことについては多言を要しないであろう。)。
(4) 被告人は、原審及び当審公判において、強姦未遂を犯していないことの説明として、自分の長女がA子と同年齢であり、最近まで一緒に生活していたので、このような年少の女児に対して姦淫を行いうるものでないことは十分知つていたし、実際、A子に対し姦淫しようとまで考えたことはない、そのような性欲を満たすつもりであれば、金銭を持たなかつたわけでないから売春婦を相手にしたであろうなどと述べているが、この弁解はそれなりに具体性があり、あながち信用できないものではない。
以上の諸点を総合すると、被告人がA子に対して強姦未遂の行為に及んだとの疑いがないわけではないが、これを認定するについては合理的な疑いをさしはさむべき余地があり、結局その証明は十分とはいえない。そうすると、同児に対する関係では、訴因の範囲内で強制わいせつの罪を認めるに止めるべきものであり、強姦未遂罪を認めた原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認があるといわなければならない。
なお、原判決は、右強姦未遂罪のほか、B子に対する強制わいせつ罪を認め、右両罪を刑法四五条前段の併合罪として処断しているのであるから、原判決は全部破棄すべきものである。論旨は理由がある。
弁護人の控訴趣意第一点第二及び被告人の控訴趣意中原判決が心神耗弱を認めなかつたことの事実誤認をいう点について
各所論は、要するに、被告人は本件各犯行当時心神耗弱の状態にあつたのに、原判決が完全責任能力を認めたのは不当であり、原判決には事実の誤認がある、というのである。
そこで検討すると、原審が取り調べた関係証拠、とくに医師長野俊光作成の簡易精神鑑定書、医師石橋幹雄作成の精神鑑定書、太田耕平の検察官に対する供述調書及び原審証人太田耕平の供述によれば、被告人は、十数年前から慢性アルコール中毒症などで多数回にわたつて入院したことがあり、その後も精神病院に通院してアルコール中毒症の投薬治療を受けていたが、昭和五〇年秋以降は、アルコール精神病と診断されたことはないこと、また、昭和四四年ころ、けいれん発作のため精神病院に入院したことがあり、その後も抗けいれん剤の投薬治療を受けたことがあるが、最近においては、てんかん性異常脳波の出現はないと診断されていたこと、更に被告人には主として生来的な性格の偏りが認められるが、その程度が特に顕著であるとはいえないことなどが認められ、このことに加え、証拠上明らかな本件各犯行の態様、各犯行についての被告人の供述内容等を総合すると、被告人は、本件各犯行当時、清明な意識のもとに四囲の状況や自己の行動の意味を十分認識しつつ各犯行を行つたことが明らかであり、是非善悪を判断し又はこれに従つて行動する能力が著しく減弱し心神耗弱の状態にあつたなどとは認められない。したがつて、原判決が心神耗弱の主張を排斥したのは正当であり、この点に関する原判決に各所論指摘の事実誤認その他のかしはない。論旨は理由がない。
以上の次第で、原判決は全部破棄を免れないから、弁護人及び被告人の各控訴趣意中その余の各論旨についての判断を省略し、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により、更に次のとおり自判する。
(罪となるべき事実)
被告人は、わいせつな行為をしようと企て、昭和五七年一二月二八日午前九時三〇分ころ、当時の被告人の住居であつた札幌市○区○○○○××番地市営住宅F○○棟○号○階六畳の居間において、いずれも一三歳に満たない者であることを知りながら、
第一 A子(昭和四七年一一月八日生)に対し、同女のズボン、パソティーを脱がせて床の上に仰向けに寝かせ、同女の陰部を手指でなで回すなどして、もてあそび、
第二 引き続き、B子(昭和五〇年六月一七日生)に対し、同女のズボソ、パンティーを脱がせて床の上に仰向けに寝かせ、同女の陰部を舌でなめるなどして、もてあそび、
もつて、いずれも一三歳未満の婦女に対し、わいせつの行為をしたものである。
(証拠の標目)<省略>
(法令の適用)
被告人の判示所為は、いずれも、刑法一七六条後段に該当するところ、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により、犯情の重い判示第一の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で、被告人を懲役二年に処し、同法二一条を適用して原審における未決勾留日数中二五〇日を右刑に算入し、原審及び当審における訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項但書を適用して被告人に負担させないこととする。
(量刑の事情)
本件は、被告人が甘言を用いて近隣の一三歳未満の女子小学生二人を自宅内に誘いこんで、いわゆるポルノ雑誌を見せたうえ両児の性器を種々もてあそぶなどのわいせつ行為に及んだ事案であつて、純真無垢な少女らに消し去り難い精神的汚辱感、屈辱感等を与え、その各両親に対して精神的衝撃を与えたものであり、しかも、被告人には種々の前科があり、遵法精神も希薄であると認められ、再犯のおそれなしとしないことなどを考慮すると、被告人の刑責は軽視し難く、他方、被告人なりに反省していること、その他各控訴趣意中で指摘された被告人に有利な諸事情を参酌し、主文のとおり量刑する。
(渡部保夫 横田安弘 肥留間健一)