札幌高等裁判所 昭和61年(く)7号 決定 1987年4月24日
少年 T・Y(昭44.4.6生)
主文
本件抗告を棄却する。
理由
本件抗告の趣意は、附添人弁護士○○提出の抗告申立書に記載されたとおりであるから、これを引用する。
所論は、原決定がした処分は著しく不当であると主張するものである。
そこで記録を調査して検討すると、本件は、少年の、(一)昭和60年9月から同年11月までの間の原動機付き自転車の運転にかかる反則金不納付事件6件(免許証不携帯、指定場所一時不停止、定員外乗車)、(二)昭和61年8月18日における共同危険行為等の禁止違反及び(三)同年9月22日における自動二輪車の無免許運転の事案であるところ、少年は、中学2年生ころから不良交遊などが始まつたが、中学3年生であつた昭和59年7月、父母が別居(同年9月離婚)して以来、監護力の乏しい母のもとで素行が乱れ、中学卒業後、職業を転転とし、定時制高校も3か月で中退し、原動機付自転車を購入して遊び廻るようになり、本件非行(一)に及んだほか、昭和61年2月ころ、暴力団傘下の暴走族に加入し、そのグループのいわゆる特攻隊長となり、無為徒食中、同年4月1日から同年5月17日までの間に、暴走族の勢威を示して現金を喝取しようとした恐喝未遂、自動二輪車の無免許運転、免許停止中の原動機付き自転車の運転、暴力団から脱退を勧めた友人に対し、暴走族仲間と共に犯した暴力行為等処罰に関する法律違反、右暴走族仲間と共謀の上函館市内の路上で、被害者の顔面を手拳で殴打する等の暴行を加えて金品を奪取した強盗致傷の各非行により、少年鑑別所に送致された上、同年7月、保護観察処分となつたこと、その後前記暴走族グループを脱退し、沖合運搬船に船員として乗り組んだが、僅か1航海(約2週間)で離職し、前記処分から2か月も経たないうちに、自重自戒することなく、本件非行(二)を犯し、同非行につき警察の取調べを受けながら、同非行から約1か月後に更に本件非行(三)に及んだこと、本件非行(二)は、函館市内の3つの暴走族のグループが集つた上、改造した自動二輪車約15台を爆音をとどろかせながら、途中交差点の赤色灯火信号を無視した上、蛇行運転をしたりして、函館市内の国道、道道などの主要な道路を約23.8キロメートルにわたつて走行し、交通法規に従い進行中の他車の走行を妨害するなどの暴走行為を敢行したものであり、走行経路中に警察署前が含まれるなど、法秩序無視の著しい態様のものであつて、少年は、当日共犯少年の運転する自動二輪車の後部座席に同乗しただけであるが、暴走族に加入している中学時代の友人から誘われるまま極めて安易に本件非行(二)に加わつていること、本件非行(三)は、先輩から借り受けていた自動二輪車に女友達を同乗させて食事をしに行く途中犯したものであるが、少年は、自動二輪車の運転免許は一度も取得したことがないのに、自動二輪車を保有した上、前示のとおり、昭和61年4月に無免許運転をして検挙され、他の非行と合わせて、前記保護処分を受けたにもかかわらず、その後も無免許運転を繰返し、本件非行(三)に及んだものであり、その非行経過、生活態度は芳しくないことに加えて、少年は、能力的には比較的良いものを持つているが、弱志、雷同的性向が顕著であり、状況に流され、目先の快楽を追い求める構えが根強く、社会規範の内面化が稀薄であること等に徴すると、前件の保護観察処分にもかかわらず、その非行傾向は改善されるに至つていないといわざるをえない。
他方少年の母のこれまでの放任がちな監護態度に徴すると少年を引取つて監護・指導したい旨強く希望するも、十分かつ適切な監護養育は期待しがたく、少年の父は、少年の非行の原因は、自分たちの離婚にあると責任を自覚し、今回、所論のとおり、復縁を考え、少年のための勤め先を確保するなど、それなりの努力の跡はうかがわれるものの、直ちに少年と同居して強力な指導力を発揮するなどのことは期待しがたいことなどを総合して考慮すると、少年の要保護性の程度は、在宅保護の限界を越えているものというべく、少年を中等少年院に送致した原決定の処分が著しく重過ぎて不当であるとはいえない(なお、原決定は、非行事実第5、第6において、運転免許証不携帯の故意犯を認定しているところ、記録によれば、過失犯と認めるのが相当であるが、これらの事実の誤認は、原決定に影響を及ぼすとはいえない。原判示非行事実第1については、司法警察員から過失犯として送致されているが、記録によれば、少年は免許証を携帯していないことを知つて原動機付き自転車を運転したことが認定できるから、原決定の故意犯の認定は相当である。)。論旨は理由がない。
(もつとも、少年は、前件保護処分後、当時所属していた暴走族から離脱したこと、本件非行(二)についてみると、少年は、参加を誘われた共犯者の所属する暴走族に密接なかかわりを持つていたような事実はうかがわれず、同非行はたまたま遊びに行つた先の友人から誘われて加わつたものであつて、自ら自動車を運転したものではなく、又事前の計画に参画していたわけでもないこと等に徴し、非行関与の程度は必ずしも深いとはいえないこと、本件非行(三)を犯した後は、曲がりなりにも就業していた時期があるほか、生活態度が著しく乱れているとか非行性が更に一層深化した形跡は証拠上うかがわれないこと、少年の前記性格、能力、前件非行と今回の非行の罪質、態様の軽重その他所論指摘の保護体制整備に向けての両親の意欲などを参酌すると、少年院収容の期間は短期間で足りるものと思料される。)
よつて、本件抗告は理由がないから、少年法33条1項後段、少年審判規則50条によりこれを棄却することとし、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 水谷富茂人 裁判官 平良木登規男 肥留間健一)
〔参考1〕 処遇勧告書
処遇勧告書
昭和62年4月24日
札幌高等裁判所第三部
裁判長裁判官 水谷富茂人
裁判官 平良木登規男
裁判官 肥留間健一
北海少年院長殿
少年 T・Y
昭和44年4月6日生
右少年に対する当庁昭和62年(く)第7号保護処分決定に対する抗告事件(原審函館家庭裁判所昭和60年少第01919号、第01920号、第01970号、第01971号、昭和61年少第025号、第0157号、第01859号、昭和62年少第0115号道路交通法違反保護事件)につき、当裁判所は、昭和62年4月24日抗告を棄却する旨の決定をいたしましたが、その理由中において示したとおり、少年に対しては一般短期処遇を実施するのが相当であると判断いたしましたので、その旨勧告いたします。
〔参考2〕 抗告申立書
抗告申立書
函館市○○町××番×号
少年 T・Y
昭和44年4月6日生れ
前同所
右保護者T・E子
函館市○○町×丁目×番×号
右付添人弁護士○○
右少年の函館家庭裁判所昭和61年(少)第01859号道路交通法違反保護事件について原裁判所が昭和62年3月2日なした決定は不服であるので抗告を申立する。
昭和62年3月13日
右付添人弁護士○○
札幌高等裁判所御中
申立の趣旨
原裁判所が昭和62年3月2日なした保護処分決定を取り消す。との裁判を求める。
申立の理由
一 原決定は、少年の保護処分として「少年院送致1年間」との決定をなしたが、右は下記に述べる通り処分が重きに過ぎて著しく不当と思料される。
二 本件保護処分の対象となった事実は
「少年は、昭和61年8月18日暴走族「○○」の準構成員として、少年事件送致書記載の通りの暴走行為(道路交通法違反)をなした」というにある。
然し乍ら、少年は当初から本件暴走行為に参画して中心的役割を担っていたというものではなく、たまたま本件当日中学校時代の友人であったA宅へ遊びに行ったところ、同人宅に他の暴走族仲間から電話で「走る」という連絡が入り、少年は右Aから誘われ「折角遊びに来たのに、1人でいてもしょうがない」と考え、安易に右Aに同行することになったものであり、しかも少年は本件暴走行為を企画したメンバーらの謀議には全く加わることもなかったばかりでなく、自らは単車を運転せずに右A運転の単車の後ろに同乗していたに過ぎないものなのである。
以上の通り、少年の本件事件に対する関りかたは、これに参加した他の少年に比して極めて希薄であり、保護決定に当ってはこの点が第1に考慮されなければならない。
仮りに、少年が前事件により保護観察中であったとしても、少年の本件に関ったその程度は上記の通りであり、その悪性の程度からしても長期に亘る少年院送致が相当とは到底考えられないものである。
右は本件の送致に当った検察官の処遇意見において「保護観察中審判不開始・不処分相当」とされていることからも明らかである。
三 暴走族との関り
少年は本件直前である昭和61年7月10日、これ以上こうした人間とのつながりを継続していけば自分が暴力団になってしまうとの賢明な判断にもとづき、自らの意思でこれまで所属して来た暴走族「○×」を脱退し、その後は何れの暴走族にも所属することなく、又これらの者達との付き合いも断って来ていた。
送致書は、少年は暴走族「○○」の準構成員であるとするが、右判断はなんらの根拠もなく、少年は本件行為時にはいずれの暴走族のグループにも所属していなかったものである。
四 監護・監督の体制
確かに、少年は同年7月2日恐喝などの事件により保護観察処分に付せられていたが、前処分時には母親自身も鑑別所から出所させることのみに汲々としていて必ずしもその後の少年の処遇について深く考えずにいたものであり、処分後の監督も決して十分とは言えない状態にあった。
然し乍ら、今般の事件発生以降は、別居中の父親Yも何度も少年と面接し、少年の監督が母親任せになっていたのを深く反省し、今後は自らが具体的監督者の立場で行動しなければならないことを自覚し、少年との何度かの面接を通して父子の信頼関係を回復させ、少年自身も父親に今後の更生を堅く誓っていたのである。
そもそも、少年の両親の離婚は必ずしも双方の愛情の欠如によるものではなく、父親の事業の失敗による経済的な理由によるものであって、本件事件後は両親共に相協力して少年の更生のために努力して来たし、今後も可能な限り早期に復縁して、少年の更生のための環境づくりを真剣に考えており、これまでの母親のみの不十分な監督とは全く異なった体制を取り得るのである。
五 就業について
更に、この間の父親の努力により、父親の以前の取引先であり現在も個人的な付合いをしているB(建築業)において、少年のこれまでの事情を十分に知った上で、少年が出所した後は自己の下で稼働させ、少年の更生のために厳しく監督することを誓っており、又少年も父親との面接において父親の右提案を積極的に受けとめこれに従うことを望んでいる。
六 少年の悪性及びこれへの監督
少年は、調査官調書及び両親の上申書にある通り、もともとは心の優しい気の弱い少年であった。中学時代まで体が弱かったこともあって母親には甘やかされて育ったが、それでも野球部などのクラブ活動に専念したりしており、一定の努力を惜しまない側面も有している(右は、昭和61年3月の○○高校受験の努力にも現れている)。
然し乍ら、少年が思春期を迎えた中学校3年生の夏、父親の事業の失敗・離婚・別居などの不幸が重なったのに加え、少年は母親の単独監護の下に置かれることになり、このことによる父親からの精神的解放から、友人関係が悪化し、徐々に安易な生活に惰して行き、その友人関係から暴走族仲間に入ることとなった。
然し乍ら、少年は元来は、自発的悪性の強い人間ではなく、本件行為にも見られる通り、付和雷同型の非行少年でしかなかった。
この様な少年が更生の道を早期に歩むためには、今後は悪友との付合いを断ち、真面目な仕事に専念し、確実な監督者の下におくことである。
かかる事情を考慮すれば、少年の保護の体制は、本件事件による逮捕・鑑別所拘束及び本件保護処分決定までを契機として、両親自身の少年の監護・監督へ向けてこれまでの姿勢・体制に対する反省は著しく、且つ少年の勤務先も決定するなどその保護の体制は相当程度に強化され、長期に亘る少年院送致の必要性は著しく減少していると思料される。
少年の少年院送致直後に母親へ宛られた手紙には、同人の更生の意欲が強く伺われ、自主的・自覚的人間へと成長して行ける芽は十分であり、本件行為の悪性の程度、今後の監督の体制と合せ考えれば、原決定は著しく不当であり、直ちに取消されるべきである。
尚、本件抗告理由に付加するものとして、以下の書類を添付する。
添付書類
一 父親T・Yの上申書 1通
二 母親T・E子の上申書 1通
三 勤務先予定のBの上申書 1通
四 少年から母親E子にあてられた書簡(昭和62年3月6日付) 1通
以上
〔参考3〕 原審(函館家 昭60(少)01919号、01920号、01970号、01971号、昭61(少)025号、0157号、01859号、昭62(少)0115号、昭62.3.2決定)<省略>