札幌高等裁判所函館支部 昭和27年(う)88号 判決 1952年10月13日
控訴人 被告人 川内八郎
弁護人 熊谷正治
検察官 後藤範之関与
主文
原判決を破棄する。
本件を函館地方裁判所に差戻す。
理由
弁護人熊谷正治の控訴趣意は末尾添付の控訴趣意書記載のとおりである。
控訴趣意第一点(訴因追加の違法)について、
本件起訴状記載の公訴事実は、被告人は昭和二十六年三月頃渡辺貞美から現金九万円を預り保管中、茅部郡臼尻村においてその頃之を着服横領したというのであり、原審はその審理の経過において、被告人は昭和二十六年三月四日頃大竹一雄、辻芳夫の両名から渡辺貞美とともに鰊油を製造又は集荷の上ドラム罐入四十本を引渡すことの依託を受けその事務処理のため金二十万円を受領しながら、自己の利益を図る目的でその任務に背き、そのうちの九万円を自己の借財等に振向け着服し、右両名に財産上の損害を加えたものであると訴因の予備的追加を許し右予備的訴因につき有罪の判決を言渡したものであるところ、弁護人は右訴因の予備的追加は起訴状記載の本件被害者は渡辺貞美とあるのに追加された訴因での被害者は大竹一雄辻芳夫の両名であり、起訴状記載の公訴事実は横領であるのに追加の訴因は右両名から依託を受けた事務処理の任務に背いて自己の利益を図る目的でその受取つた金員を消費したというのであるから右は本件公訴事実の同一性(訴因の同一性とあるも公訴事実の同一性の書き誤りと解する)を欠き刑事訴訟法第三百十二条の規定に違反し無効であると主張する。
訴因の追加が公訴事実の同一性を欠く場合は不適法であることは言うを俟たないところであるが、追加される訴因が公訴事実とその基盤を同うし公訴の範囲に属するものと認められる場合はその同一性があるものと解せられる。本件起訴状に記載された公訴事実の訴因における被害者は渡辺貞美であり、予備的追加の訴因における被害者は大竹一雄及び辻芳夫の両名であつてその被害者を異にするけれども、被告人がその保管にかかる他人の現金九万円を擅に着服流用した事実に変りはなく、またその保管が大竹及び辻の依託により鰊油の製造又は集荷の事務処理のために預つたものであるとすれば、その保管金を擅に自己に着服流用した所為が一面背任の性質を有すべく、唯被告人の右保管金九万円を着服流用した所為が横領を構成すればその背任は横領に帰一し、別に背任を構成しないだけのことである。しからば検察官の請求する右背任の訴因もまた本件公訴の範囲に属するものと解するのが妥当である。従つて本件における予備的訴因の追加は刑事訴訟法第三百十二条に違反するとは謂われない。論旨は理由がない。
控訴趣意第二、三、四(事実誤認乃至理由不備)点について。
原判決はその認定した事実摘示の前段において、被告人は渡辺貞美と共に、大竹一雄、辻芳夫の両名に対し、昭和二十六年三月十五日から同年五月二十日迄の間に渡辺が搾取する鰊油ドラム罐入四十本以上を売渡す契約を結び、大竹及び辻は右買受の保証金として被告人及び渡辺に金二十万円を貸付け渡辺はこれを以て鰊油製造又は買付の資金に使用し、鰊油が出荷されたときはこれを売買代金の一部に充当する、出荷不能の場合は被告人等の借入金として大竹及び辻に返済するという定めで大竹及び辻は被告人に右金二十万円を交付したといい、その後段において、被告人は大竹及び辻から右契約に基き、同人等のために渡辺と共に鰊油の製造又は集荷の上ドラム罐入四十本以上を引渡すという事務の依託を受け、その事務を処理するために金二十万円の交付を受け、その任務に背き、そのうち九万円を自己の借財の弁済に充当し、以て大竹及辻に対し同額の財産上の損害を加えたものであるというているが、右摘示の事実をその挙示する証拠に照合せて見ると、被告人は渡辺貞美と共に昭和二十六年三月四日頃、大竹一雄及び辻芳夫に対し、原判示期間に渡辺が搾油する鰊油ドラム罐入四十本以上を売渡すことを確約し、よつて大竹及び辻が被告人の監督する渡辺の右操業資金として金二十万円を被告人及び渡辺に貸渡し、被告人及び渡辺において右契約による鰊油を大竹等に出荷したときは、右金をその代金に充当する、その出荷不能の場合は右借入金を大竹等に返還することとして、被告人が辻の手を経て大竹から右金二十万円の交付を受け、判示金員を自己の借金の弁済の用に供した事実は容易に認められるが、被告人が渡辺と共に原判示鰊油を製造又は集荷して大竹等に引渡す事務の依託を受け、原判示委任信託の関係を破り背任を構成する事実は認められない。従つて原判示事実に対し刑法第二百四十七条を適用して被告人を処断した原判決は理由にくいちがいがあるから、この点を指摘する論旨には理由があり、原判決は破棄を免がれない。
前叙被告人の所為につき弁護人は背任も横領も構成しない無罪のものであると主張する。しかし記録並に原審で取調べた証拠を審査すると、被告人は渡辺貞美と共同で大竹一雄及び辻芳夫に対して売渡すことを約した鰊油は、渡辺の鰊刺網漁業計画に基き茅部郡臼尻村で搾油する鰊油であり、被告人等がほかから買集めるものを目的としたものでないことは原審で取調べた証拠特に同人等の間で作成された契約書、司法警察官作成の大竹一雄の供述調書、原審公判調書における渡辺貞美の供述記載、検察事務官作成の渡辺貞美の供述調書の記載に明かであり、被告人は渡辺と同村に居住し、渡辺とよく知合の仲であることは原審公判調書の渡辺の供述記載に明かになつているから、渡辺の操業施設、その搾油能力等については、特別の事情のない限り被告人において知つていたものと推測されるであろうし、渡辺の検察事務官に対する供述調書には渡辺がその操業の準備がないのに漁業計画書を偽り大竹等を騙して本件二十万円を出金させたものである旨の記載があり、原審公判調書には渡辺が五万円あればその操業ができると前以て被告人に相談をかけていた旨の渡辺並に被告人の供述記載があるところから見ると、被告人が渡辺と共同の鰊油搾油の事業資金として(被告人の原審における供述)大竹等に本件二十万円を出金させるに至つた次第には被告人の意思がはたらいた点は見逃せない。しかるに被告人は大竹等から交付を受けた二十万円のうち五万円を渡辺に渡しただけで、右交付を受けた傍らから、うち五万円を自己の借金に振向け、一万円を飲み代に費し、その余は全部自己の借金の支払に流用したことは原審で取調べた証拠の上に明かである。しかも原審における被告人の供述記載によると被告人は大竹等から右金の交付を受けた直後渡辺の計画というのは嘘であつたことを知つたといいながらも、大竹等に対する鰊油売渡の履行につき何らの手も打たなかつたと自供している。これらの諸点を綜合すると被告人が大竹等に鰊油四十本以上を売渡すと称して大竹等を欺き本件金二十万円を交付せしめてこれを騙取したものと見られる点が濃厚である。よつて原審はその審理の経過において適宜の措置をとりその審理を尽すべきであつた。しからば原判決には訴訟手続に法令の違反がありその違反は判決に影響を及ぼすことは明かであるから、この点においても原判決は破棄を免れないものである。
以上により弁護人のその余の論旨に対する判断を省き刑事訴訟法第三百九十七条を適用して原判決を破棄し同法第四百条本文に従つて本件を函館地方裁判所に差戻すこととして主文の通り判決する。
(裁判長判事 原和雄 判事 小坂長四郎 判事 佐藤竹三郎)
弁護人熊谷正治の控訴趣意
一、本件背任罪に対する昭和二十七年四月四日附予備的追加申立は、刑事訴訟法第三百十二条の規定に反し訴因の同一性のない追加であるから無効である。何となれば本件起訴状提起の横領罪についての被害者は渡辺貞美であるが、本件追加申立後の背任罪の被害者は大竹一雄、辻芳夫である。亦内容事実も前者は渡辺貞美所有の金員を消費し、後者は大竹一雄、辻芳夫より依託を受けた事務の処理範囲を超えて受取つた金員を消費したことであるから自ら内容を異にする。
二、本件は背任罪は成立しない。被告人と渡辺貞美とは共同して魚油の売主、被害者大竹一雄、辻芳夫は共同買主(記録四二丁契約書)で互に独立の営業者である。それ故被告人等は被害者等の雇人や補助機関ですらない。被告人等は被害者等の為めに処理すべき事務も任務も考えられない。被告人等は単に魚油を渡す義務と代金を受取る権利を内容とする典型的の売買契約を締結したに過ぎない。本件金員は右契約の代金の前渡金である。その交付を受けた金員を如何に使用するも買主の自由である。一般商慣習上何等怪しまないばかりか代金の授受の時は品物引渡の前後を問わない。
原判決認定事実は結局『……にしん油四〇本(ドラム罐入り)以上引渡すという事務の依託を受け、その事務を処理するため「保証金名義で二〇〇、〇〇〇円の交付を受けたことになるのであるが、その任務にそむき……自己の利益をはかる目的をもつて右「保証金」のうち金九〇、〇〇〇円を自己の借財の弁済に充当し……同額の財産上の損害を加えた』とある。右引渡すという事務の依託とあるは、売買契約の内容である財産権移転の義務と同趣旨である。従つて被害者の事務の範囲でない。亦右金員は被害者の所有であるか、将被告人の所有であるかぼかしている。前者であるなら横領罪の範ちゆうに属し、後者であるなら犯罪成立しない。尚自己の借財の弁済に充当したとあるが、充当した瞬間犯罪成立したことになる。金員費消したと異文同義である。同額の財産上の損害を加えたとは、犯罪成立した後の結果を指すので犯罪構成要件のらち外である。仮りに本件背任罪として論議する。被告人が本件金員使用の際、被害者等に損害を加うる意思も認識もなかつたのである。桃井某から充分資金を得る目当があつた(記録一四六丁裏面七行以下一四八丁裏面三行目以下調書)。少しも事業経営に困ることはないと考えていた。単に結果的に不可能となつた迄である。本件金員は被告人等に於いて自由に使用し得ることを予想している。契約書(記録四二丁)に依れば魚油の履行できないときは元利金を返すように決めている反面から見ても明かである。封金のように特定されたものでないから、被告人等の使用は自由である筈だ。然かも被告人はその返還不能を予想した訳でもなく、返還の意思がないでもなかつたから、被告人を無理矢理に犯罪の枠内に押込めようとする原判決の態度は公平でない。現に被告人は覚書(大竹一雄供述書記録三一丁裏面十三行目一六項以下同人証人尋問調書六八丁表面三行目以下)のように返済しつつある。
三、本件は横領罪も成立しない。被告人と渡辺貞美との両名は共同事業者である。両名が売主の立場で大竹一雄、辻芳夫等から魚油代金の前渡金として受取つた金員である。それ故右金員は被告人と渡辺貞美共同の金員であつて、渡辺個人の金員でない。契約証で明かである(記録四二丁)。不履行の場合共同返還の責任さえある。本件起訴状のように被告人が渡辺個人の金員を消費横領したなどは事実に合致しない。
四、同一事案に対し共同者渡辺貞美は詐欺罪の確定判決あり、その後被告人に対し本件背任罪を以て擬律することは矛盾である。既に渡辺貞美が二十万円詐取したとき犯罪成立する。以後右金員は賍品の性質を帯びる。それと被害者との関係に於いて、賍物罪以外の新なる犯罪を成立せしめることは正当でない。
五、原判決の罰条に第五四条第一項前段とあるは罰金等臨時措置法の条文として掲げているが、それは明かに違法である。その誤りは刑の量定に影響することが大きい。
以上の各事由で原判決を破棄し無罪の判決を言渡されたい。