東京北簡易裁判所 昭和63年(ハ)390号 判決 1989年11月28日
主文
一 被告は原告に対し、金七二万五八九二円及びこれに対する昭和六三年一一月六日から支払ずみに至るまで年六分の割合による金員を支払え。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告に対し、金七二万五八九二円及びこれに対する昭和六三年一一月六日から支払ずみに至るまで年六分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行の宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 原告は、一般事務用印刷物の製本を業とする者である。
2 原告は、昭和六〇年初めころ被告との間で、被告の注文に応じて各種事務用印刷物の製本をする旨の請負契約を締結した。
3 原告は、被告の注文に応じて各種事務用印刷物の製本をし、その都度製本した印刷物を被告に引き渡した。
4 原告の被告に対する請負代金残債権は、金七二万五八九二円である。
5 よって、原告は被告に対し、右請負代金残債権金七二万五八九二円及び本訴状送達の日の翌日である昭和六三年一一月六日から支払ずみに至るまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する答弁
1 請求原因事実はすべて認める。
三 抗弁
1 (消滅時効)
原告主張の債権は時効により消滅している。すなわち、原告の請負代金債権は、民法第一七三条二号にいう「居職人及ヒ製造人ノ仕事ニ関スル債権」に該当するため、その債権は二年間を以て時効により消滅するものである。
ところで、原・被告間の各種事務用印刷物の製本請負契約は、毎月二〇日までの納品について同月末日現金または小切手による取立払い(原告が被告へ取りにくる。)であった。そして本件請負代金は、昭和六〇年一〇月三一日に納品された分(金五一五〇円)が最終であって、この分の支払期日は遅くとも同年一一月末日とされているが、原告は本裁判により請求するまで全く請求もせず今日に至ったものである。
従って、原告の本件請負代金は、前記日時から昭和六二年一一月末日をもって二年が経過した。
被告は、本件訴訟において、右消滅時効を援用する。
2 (相殺)
(一) 原告代表者は、昭和五八年一月三一日、被告代表者に対し、「(原告が)信用金庫から住宅ローン(金額二〇〇〇万円)を借りることになっているが、その保証人として予定している(原告代表者の)実兄の印鑑証明等の書類が間に合わないので、書類が着く数日の間だけ保証人になってくれないか。」と懇願され保証人となったがこれには、原告代表者が被告代表者を騙す意図があったもので被告代表者は右言を真に受けて連帯保証人の判を押したものである。
(二) 更に原告代表者は被告代表者に対し、被告代表者が前項の保証人となる条件として、被告代表者に自己の所有不動産に抵当権(金額二〇〇〇万円)を設定することになっていたが、これを実行しなかったこと、及び原告が倒産したことによって前記信用金庫からの支払督促により多大の業務上損害及び精神的損害を被り、これがため被告代表者は極度の心労から入院までする肝機能不全等の疾患に陥ったものである。そして原告代表者が被告代表者に対し、今日まで一言の詫びもせずに過ごしたことに対し憤りを感じているものである。よって被告代表者は原告に対し、慰謝料として少なくとも金一〇〇万円の損害を被ったものであるから、これを理由に本訴において対等額にて相殺する旨の意思表示をする。
四 抗弁に対する認否
1 抗弁1の事実のうち、本件請負契約が毎月二〇日までの納品についてその代金についてその月の末日払いであったこと、本件請負代金は昭和六〇年一〇月三一日に納品された分(金五一五〇円)が最後であることは認めるが、その余の主張事実についてはすべて争う。
2 抗弁2の(一)の事実のうち、被告代表者石野康治が、原告代表者鈴木光夫の荒川信用金庫に対する債務の保証人になった事実は認め、その余は否認する。
抗弁2の(二)の事実はすべて否認乃至不知。
五 再抗弁
1 被告代表者石野康治は、昭和六〇年二月二二日、原告代表者鈴木光夫から、原告代表者鈴木光夫の荒川信用金庫に対する債務を被告乃至石野康治が連帯保証した件で、被告及び石野康治に迷惑を掛けない旨を記載した念書を交付させた。
さらに、右同日ころ、被告は原告との間で、原告被告間の請負代金債権(今後発生するものも含む。)の弁済期を、被告乃至石野の前記連帯保証債務が消滅した時に変更する旨の合意をした。
2 原告代表者は、昭和六三年二月二二日、荒川信用金庫に対する債務を完済し、同日、被告乃至石野の前記連帯保証債務も消滅した。
以上の次第で、仮に、本件請負代金債権が二年の短期消滅時効にかかるとしても、いまだ時効期間は満了していない。
六 再抗弁に対する認否
1 再抗弁1の事実のうち念書交付の事実は認めるが弁済期変更合意の事実は争う。
2 再抗弁2の事実は争う。
第三 証拠<省略>
理由
一 請求原因について
請求原因事実については、すべて当事者間に争いがない。
二 抗弁1(消滅時効)について
1 抗弁1の事実のうち本件請負契約が毎月二〇日までの納品について、その月の末日払いであったこと、本件請負代金は、昭和六〇年一〇月三一日に納品された分(金五一五〇円)が最後であることについては当事者間に争いがない。
2 被告は、本件請負代金債権は民法第一七三条二号にいう「居職人及ヒ製造人ノ仕事ニ関スル債権」に該当するので、二年間これを行わざるにより消滅すると主張するので、原告と被告間で本件取引があった昭和六〇年一〇月末ころの原告の業態について原告の経営規模の拡大縮小の経過の中で検討することとする。
<証拠>を総合すると、
(1) 原告は、伝票・納品書パンフレット等の事務用品の印刷物を製本(裁断したものをとじる作業以下同じ)をする有限会社であり、一方被告は、銀行関係や役所関係(都庁・各区役所・特に荒川区役所関係を一番多く扱った。)の伝票・封筒・パンフレット・リーフレットの印刷納入を業とする株式会社であり、被告と原告との取引は、昭和三〇年代から始まって三〇年余続いて来たもので、被告は、製本部門の下請を一手に原告に出していた。
(2) 原告代表者(鈴木光夫個人を指す場合もあるが煩雑をさける為便宜原告代表者として表示する以下同じ。)は、昭和三四年四月一日、荒川区西尾久一丁目で妻と二人で前記の如き印刷物製本業を個人営業で開始したが、その後有限会社組織にし、その営業規模の発展縮小(事実上の倒産)に対応して現在に至る迄三度工場兼住居を移転した。すなわち、昭和四八年ころ前記西尾久一丁目から最初に同じ荒川区内の西尾久五丁目に移転し、経営規模は、従業員六名を雇用し、コンピューター付き裁断機、伝票等を綴る針金綴機、伝票等にミシン目を入れるスリッターミシン等七台の機械を設置し、月平均二五〇万円位の売上げがあった。それから一〇年後昭和五八年ころ、同区西尾久七丁目に二度目の移転をしたが、そこでは工場の床面積は約八〇坪となり、前記のような製本機械を更に増設整備して一五台を数えるに至り、従業員も一〇名に増員して、一か月の平均の売上げは、三五〇万円ないし四〇〇万円となった。そして昭和六〇年の本件取引当時の原告の営業内容はおおむね同じ状態で維持されていた。ところで、原告は、第一度目の同区西尾久五丁目移転の際の工場兼居宅購入に際しては第一相互銀行から資金を借入れ、第二度目の西尾久七丁目進出に際してはやはり移転先の工場兼居宅の購入資金を荒川信用金庫から借入れた。原告は(1)で説示したように被告の製本部門の下請会社としてこのように事業を拡張して来たが、被告との関係は、昭和三〇年代、被告代表者(石野康治個人を指す場合もあるが煩雑をさける為便宜被告代表者として表示する。)の父親が被告の社長であった時代から三〇年余の間続いて来ていたもので、被告代表者は、父の時代から引続いて親会社という立場で常日頃原告並びに原告代表者の面倒を見て来ていた。そして被告代表者は原告代表者が前記第一相互銀行及び荒川信用金庫から前記借入れをする際の保証人となった。
右荒川信用金庫から原告代表者の借入れは、昭和五八年一月三一日付の金二〇〇〇万円であったが、昭和六〇年二月末ころから返済が行き詰り、原告の資金繰りがうまく行かず事実上の倒産状態に陥ったうえ七丁目の工場兼住宅を暴力団が乗取りにかかるというようなことが重なって、結局、昭和六三年になって、同じ荒川区西尾久七丁目内の四七番七号に第三度目の移転をせざるを得なかった。右移転で原告の経営規模はずっと縮小し、前の工場で使っていた機械類については、その所有権を喪い、従業員は原告代表者と妻、息子の外はパート一人、内職二人を雇って営業を行っている。
以上の各事実が認められる。被告代表者尋問の結果中右認定に反する供述部分は前掲各証拠と対比し採用することができず、外に右認定を左右するに足りる証拠はない。
してみると、前記請負契約に基づく、昭和六〇年初めから同年一〇月末ころまでに為された本件取引当時の原告の営業状態を目して、民法第一七三条二号にいう「居職人及ヒ製造人」としての仕事をしたものと断定することは困難である。すなわち右法条の居職人とは、自分の仕事場で他人のために仕事をするものであり、製造人は、手工業的、家内工業的小規模経営を為す者を指し、いわゆる手職で生計を立てる職人、製造人のことをいうのであって、前記認定のように相当高度の技術を駆使し、近代工業的機械設備とそれ相応の従業員を擁していた当時の原告のごときものは、右法条の適用を受けないと解するのが相当であるから、被告主張の時効援用権には理由がないものと判断する。
三 抗弁2(相殺)について
1 抗弁2の(一)の事実のうち被告代表者石野康治が原告代表者鈴木光夫の荒川信用金庫に対する債務の保証人になった事実は当事者間に争いがない。
2 被告代表者は、右債務の保証人になった経緯について、「原告代表者が荒川信用金庫から住宅ローン(金額二〇〇〇万円)を借りることになっているが、その保証人として予定している(原告代表者の)実兄の印鑑証明等の書類が間に合わないので、書類が着く数日の間だけ保証人になってくれないか。」と懇願され、保証人になったが、これは原告代表者に被告代表者を騙す意図があったもので被告代表者は右言を真に受けて連帯保証人の判を押してしまい、ひいては抗弁2の(二)記載のような損害を被ってしまったと主張する。
しかし、原告代表者尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば、
債権者荒川信用金庫は、金融機関として原告に融資するについては前記二の2の(1)(2)中で説示したような原告・被告間の長年にわたる業務提携関係は当然熟知していたことが推認され、同金庫が原告代表者に対して「保証人は近場にいないか。」と人的担保として明確に評価し得る被告代表者が連帯保証することがよりベターだと示唆したものと解される。ところで、連帯保証契約は、債権者と連帯保証人間の特約によって成立し得るべきものであるところ、昭和五八年一月三一日、被告方において、荒川信用金庫の担当者と被告代表者間で前記連帯保証契約が、被告代表者の意思に基づいて有効に締結されたものと認めることができる。それ故、原告代表者が荒川信用金庫の意向を汲んで、常日頃から親会社として何かと経済的に面倒を見て貰っている被告代表者に保証人を依頼する旨伝え、その結果右契約が締結されたもので、その過程において原告代表者の実兄の保証人となるか否かの話が出たとしても、それは単なる縁由にすぎず荒川信用金庫の意中は被告代表者が保証人となることを強く望んでいたので前記事実をもって原告代表者が詭計をめぐらして被告代表者を意図的に騙したとして、原告代表者の故意過失を認めてその責に帰せしむることはできない。従って被告の右主張に沿う被告代表者の供述部分はにわかに措信できない。他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
3 進んで抗弁2の(二)の事実について判断する。
(一) 「原告代表者が被告代表者に対し被告代表者が前記保証人となる条件として、被告代表者に自己の所有不動産に抵当権(金額二〇〇〇万円)を設定すること」を約したとの被告の主張については本件全証拠によってもこれを認めることはできない。
(二) <証拠>を総合すると、
被告代表者は、荒川区内(五丁目三九番六号)の池田外科の医師池田金彌に依って昭和六〇年一月一一日の初診で肝機能不全診断を受け、検査の結果入院、肝臓保護の諸治療を行うこととなり、第一回目は、同年二月一三日から同年一〇月三一日まで入院し、昭和六〇年一二月一六日交通事故により受傷し、更に前記の肝機能不全に右受傷による疼痛不眠等が重なって、昭和六一年四月一〇日から昭和六二年八月二九日まで第二回目の入退院を繰返していた。右交通事故による受傷により頚椎後従靱帯骨化症で、国から難病の指定を受け現在も通院加療中である。
以上の事実が認められ、右事実を左右する証拠はない。
ところで、被告代表者は、右疾患に陥った原因は<1>原告代表者が、被告代表者が前記連帯保証人になる条件として被告代表者に自己の所有不動産に抵当権(金額二〇〇〇万円)を設定することになっていたがこれを実行しなかったこと、<2>原告が倒産したことによって荒川信用金庫から支払督促により多大の業務上の損害及び精神的損害を被ったためと主張するので以下検討する。
右<1>の事実についてこれを認める証拠のないことは前項3の(一)で説示したとおりである。<2>の原告が事実上倒産した時期があったことは、二の2の(2)の中で説示したとおりであって、そのころ、被告代表者が荒川信用金庫から、同金庫が原告代表者に昭和五八年一月三一日付で貸付けた金二〇〇〇万円の残金一九〇四万八一三六円の返済につき連帯保証人として主債務者である原告代表者を督励かたがたその解決を追られていたことは認められるが(乙第五号証)、同金庫からの右支払督促により、被告が多大の業務上の損害を受けたと認定するに足りる証拠はなく、被告代表者の第一回目の入院の時期が右荒川信用金庫からの支払催告の時期とたまたま重なったこと、それが被告代表者の精神的負担を相乗的に重くしたことが推認できるが、一方原告代表者は、被告代表者が既に入院していた昭和六〇年二月二二日ころ被告代表者に対し「家族連帯で協力して債務の返済に当り貴殿にご迷惑をかけない」旨の念書を差入れ被告代表者の心労を少しでも軽減することに努めており(昭和六三年二月二二日荒川信用金庫に対する前記債務は完済したことが認められる。)、被告代表者が入院に至った原因は「過労と心労、不眠」として医師の診断書が出されているものの具体的決め手となるものはなく被告が主張するような事実をもって被告が肝機能不全等の疾患に陥った原因と直ちに結びつける因果関係を証明するに足りる証拠はない。
右認定に反する被告代表者の供述部分は採用しない。
して見れば、被告代表者が、原告代表者の荒川信用金庫につき連帯保証した経緯は三の2で説示したとおりであり、被告代表者が右連帯保証した後に発生した、被告が主張する抗弁2の(二)の被告代表者の疾患については、原告代表者として予測し得ないものであったから原告代表者にその故意過失の責を問えないと解するが相当である。
以上のとおりであるから被告の抗弁1、2はすべて理由がないから採用することができない。
四 結論
よって、その余の判断をするまでもなく原告の本訴請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用し仮執行宣言の申立については相当でないから却下することとし主文のとおり判決する。
(裁判官 永井茂二)