東京地方裁判所 平成元年(ワ)10514号 判決 1991年9月26日
原告
越川隆
右訴訟代理人弁護士
下林秀人
同
勝山勝弘
被告
新堂正幸
被告
三井海上火災保険株式会社
右代表者代表取締役
松方康
被告両名訴訟代理人弁護士
児玉康夫
主文
一 被告新堂正幸は、原告に対し、金一一四三万二八九一円及びこれに対する昭和六二年六月三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告新堂正幸に対するその余の請求を棄却する。
三 被告三井海上火災保険株式会社は、原告に対し、被告新堂正幸に対する本判決が確定したときは、金一一四三万二八九一円及びこれに対する右確定の日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
四 被告三井海上火災保険株式会社に対する第一次的請求及びその余の第二次的請求を棄却する。
五 訴訟費用は、六分し、その一を被告らの負担とし、その余を原告の負担とする。
六 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告新堂正幸は、原告に対し、金七六四二万三〇八四円及びこれに対する昭和六二年六月三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 (被告三井海上火災保険株式会社に対する第一次的請求)
被告三井海上火災保険株式会社は、原告に対し、金七六四二万三〇八四円及びこれに対する昭和六二年六月三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(被告三井海上火災保険株式会社に対する第二次的請求)
被告三井海上火災保険株式会社は、原告に対し、被告新堂正幸に対する右1の判決が確定したときは、金七六四二万三〇八四円及びこれに対する右確定の日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は、被告らの負担とする。
4 仮執行の宣言
二 請求の趣旨に対する答弁(被告ら)
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は、原告の負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 本件事故の発生
(一) 昭和六二年六月二日午後五時ころ、東京都北区浮間二丁目一八番七号所在の株式会社赤羽ゴルフ場経営のゴルフ場(以下「本件ゴルフ場」という。)の最終一八番ホール(パー4)へ原告、被告新堂正幸(以下「被告新堂」という。)、訴外柳沼功(以下「柳沼」という。)及び訴外豊岡公輔(以下「豊岡」という。)の四名のパーティが回って来、原告の第三打次いで柳沼が打った第三打がそれぞれ同ホールのグリーンに乗った。
(二) そこで、原告は自分のボールの落下地点(別紙見取図のM点)をマークした上、グリーン外の南側エッジで同ホールのピン(同見取図のP点)から約九メートル離れた同見取図のK点に立って、被告新堂と豊岡のプレーを見ていたところ、被告新堂は、ピンから西方約二五メートル離れた同見取図のS点(この地点は、同ホールのグリーンから西方に約一〇数メートル離れたガードバンカーの西外側のラフ上に位置する。)からグリーンへのアプローチショットを試み、一回クラブ(ピッチングウエッジ)で地面を叩いて空振りをしたので、原告は、向きを変え、ピンから南南東へ約一六メートル位離れた同見取図のT点(この地点は、グリーンの南側数メートル外れたラフ上に位置する。)からアプローチショットをするためにアドレスを始めた豊岡の方向に原告の視線を転じた後、被告新堂は、こうした豊岡及び原告の動静をよく見ないまま、先に空振りしたアプローチショットを再開し、力一杯ピッチングウエッジを振ってボールを打ったため、その打球が低いライナーの予想外の高速度で飛ぶ打球となるとともに方向違いの打球となって、原告の方に飛び、被告新堂の発した「アッ」という声を聞き瞬間的に振り向いた原告のサングラスの左側ガラス面及び原告の左眼を直撃し、割れたガラスの破片が原告の左眼球に突き刺さる負傷事故(以下「本件事故」という。)が発生し、これにより、原告は、その後約六か月間手術及び入院を伴う治療を受けたものの、外傷性無虹彩症等の後遺障害(以下「本件後遺障害」という。)が固定し、ほとんど失明の状態となった。
2 責任原因
被告新堂は、アプローチショットをする際、自己の打つ方向で、かつ、わずか約二五メートル余り先の距離の、その打球が充分届く範囲内に原告らが立っていたのであり、また、自らが比較的経験の浅いゴルフ初心者であってミスショットをする可能性が少なくなかったのみならず、そのアプローチショットがラフの中のボールをバンカー越えにピッチショットすべきことが求められるという相当高度の技術を要するものであり、そのために初心者であるほどに緊張を伴いやすく、その結果思わぬミスショットをして近くにいる原告らに対し危険な飛球を打ちつける可能性が少なくなかったのであるから、その危険の及ぶ範囲内にいる原告らが被告新堂のショットを注視し、かつ、そのショットによる打球がもたらす危険を避けることができる状態にあることを確認してそのアプローチショットをするべき注意義務があるのにこれを怠り、原告が豊岡の方を見て被告新堂のアプローチショットを見ていないのに気付かないまま漫然とそのアプローチショットをした過失により、原告に本件後遺障害を負わせた。
3 損害
原告は、本件事故により、次に掲げる損害(合計金七六四二万三〇八四円)を被った。
(一) 積極損害 次に掲げるものの小計金五五万三四二〇円
(1) 入院雑費 金六万三〇〇〇円
(2) 器具・薬品費 金一七万七〇〇〇円
(3) 通院交通費 金四万七〇〇〇円
(4) 診断書依頼費用 金二万五〇〇〇円
(5) 医師に対する謝礼等 金二三万五六〇〇円
(6) 通院中の雑費 金五三二〇円
(二) 消極損害 次に掲げるものの小計金七〇八六万九六六四円
(1) 休業損害・逸失利益 金六二三六万九六六四円
原告が本件事故当時五二歳であり、事故前六か月間の平均月収が金四七万三三一五円(①)であり、本件事故によりほとんど失明の状態で全く稼働できず無収入でありその労働能力喪失率が一〇〇パーセント(②)であり、右の年令五二歳から六七歳までの一五年間に対応する新ホフマン係数は10.981(③)であるから、中間利息を控除して現在価額を算出すると、休業損害と逸失利益は、次の計算式により求めることができ、金六二三六万九六六四円となる。
47万3315円(①)×12(か月)×100/100(②)×10.981(③)=6236万9664円
(2) 慰謝料 金八五〇万円
(三) 弁護士費用 金五〇〇万円
4 被告会社によるてん補責任
(一) 賠償責任保険
(1) 株式会社赤羽ゴルフ場は、被告三井海上火災保険株式会社(旧商号大正海上火災保険株式会社。以下「被告会社」という。)との間で、本件ゴルフ場の入場者を被保険者とし、被保険者が本件ゴルフ場においてゴルフの練習、競技又は指導中に生じた偶然の事故のために他人の生命若しくは身体を害し又は財物を滅失、毀損若しくは汚損したことによって生じた法律上の損害賠償責任を負うことにより被る損害をてん補することを内容とするゴルファー賠償責任保険契約(以下「本件賠償責任保険契約」という。)を締結していた。
(2) 被告新堂は、本件賠償責任保険契約による保険の被保険者であった。
(二) 被告新堂の無資力
被告新堂は、本件事故当時、寿司屋の店員であったが、その後住所・職業を転々と変えており、見るべき資産もなく、本件損害賠償金を自前で支払う資力が全くない。
(三) 債権者代位権
被告新堂は、本件賠償責任保険契約に基づく被告会社に対する損害てん補請求権を行使しないので、原告は、被告新堂に対する前記損害賠償請求権に基づき、被告新堂に代わって、被告新堂の被告会社に対する右損害てん補請求権を行使する。
(四) 将来の給付の訴えの必要性(被告会社に対する第二次的請求)
被告新堂の被告会社に対する右損害てん補請求権が、仮に本件事故の発生後直ちに発生してこれを行使することができないものであるとしても、被告新堂と原告との間において被告新堂が負担する損害が確定したときにはその内容が確定してこれを行使することができるものというべきであり、そして、被告新堂が前記のように無資力であり、かつ、被告会社が本件のように原告に対して右損害てん補の責任又はそのてん補の義務の履行を争っている場合には、原告が被告新堂に対して本件損害賠償金の請求をする本件訴訟手続内であれば原告が被告会社に対しあらかじめその請求をする必要があるものとして右の損害てん補請求権を代位行使することができるものというべきである。
二 請求原因に対する認否(被告ら)
1 請求原因1、(一)は認め、同1の(二)のうち、原告が自分の打球の落下地点をマークしたこと、被告新堂がガードバンカーの西外側のラフ上からグリーンへのアプローチショットのためピッチングウェッジを振ったこと、その打球が低いライナーの予想外の高速度で飛ぶ打球となって原告の方向に飛び、原告のサングラスの左側ガラス面及び原告の左眼に当たり、割れたガラスの破片が原告の左眼球に突き刺さる本件事故が発生したことは認め、原告がグリーンの南側エッジに立っていたこと、被告新堂が豊岡及び原告の動静をよく見ないままアプローチショットをしたこと及び被告新堂が力一杯ピッチングウエッジを振ったことは否認し、その余は知らない。
原告は、自分のボールがグリーンに乗ったのを確認した後、グリーン上に留まったまま当該プレーに使っていないボールを二、三個取り出してグリーン上に置き、パターの練習のようなことをしており、被告新堂が別紙見取図の点からアプローチショットをする際「いきますよ」と二回声を掛けて警告したが原告が同見取図の点(ピンから西方に約一メートル離れたグリーン上の地点)辺りに立ったまま「はいよ」と答えるだけでその態度を改めず、被告新堂が強い調子で「いきますよ」と三度目の警告をしたところ、原告は被告新堂の方を向いて顔と手で合図したので、被告新堂は、原告がグリーンの外へ出るものと信じてアプローチショットをしたものであり、被告新堂の打球は、それにもかかわらずグリーン上に佇立していた原告に当たったのである。
2 同2のうち、原告が被告新堂の打球が充分届く近い距離の地点に立っていたこと、また、被告新堂が比較的経験の浅いゴルフ初心者であったこと、そのアプローチショットがラフの中のボールをバンカー越えにピッチショットすべきことが求められるという相当高度の技術を要するものであり、そのために初心者であるほどに緊張を伴いやすく、その結果思わぬミスショットをする可能性が少なくなかったことは認めるが、その余は否認する。
3 同3は、否認し、又は争う。原告は、本件事故前も本件事故後も、越川電設有限の代表取締役の地位にあり、かつ、同社の一〇〇パーセント出資者であって、原告の収入の実質は、その役員報酬であるところ、本件事故後も同社の経営は順調であってその営業実績がむしろ向上しているのであり、原告には、本件事故によりその収入も所得も減少していないから、原告には、本件事故による休業損害及び逸失利益が生じていない。
4 同4の(一)は認め、同4の(二)は否認し、同4の(三)は争う。
被告新堂には、本件賠償責任保険が付保されており、その保険金額(限度額)は、金一億円であって、原告の本件請求金額を上回っているので、万一被告新堂が原告に対して損害賠償債務を負ったとしても、被告新堂は優にその弁済をすることができるから、被告新堂は、無資力とはいえない。
三 被告らの主張
1 原告のルール違反
原告は、被告新堂がアプローチショットをしようとする際に原告に対し「いきますよ」と三回にわたり警告したところ、これを了解し、被告新堂に対し顔と手で合図をしておきながら、同伴プレーヤーの前方に出ないというゴルフの基本的マナーに違反してグリーン上に留まった結果、被告新堂の打球を受けたものであり、本件事故は原告の過失による事故というべきである。
2 原告の過失
仮に、同伴プレーヤーのアプローチショットの際に先にグリーンオンした他の同伴プレーヤーがそのグリーン上又はグリーンエッジに佇立することが許されるとしても、アプローチショットを含めゴルフのショットにおいて打球の方向、速度、距離等を完全にコントロールしながら打つことは不可能であるから、その佇立者は、アプローチショットをするプレーヤーの動作及びその打球を注視し、危険な打球が飛来してもこれを避けることができる態勢で佇立すべきであるところ、原告は、被告新堂のアプローチショットの前方グリーン上で被告新堂の警告を受けたにもかかわらず佇立し続け、かつ、被告新堂のアプローチショットの動作及びその打球を注視していさえすればその打球が自己に当たるのを避けることができたのに別紙見取図のT点辺りにいた豊岡に対してアプローチショットについてのアドバイスをしながらその方向にのみ視線をやり、何ら被告新堂の打撃動作もその打球も全く見ていなかったため、本件事故が発生したものであって、この結果発生は、原告の過失によるものというべきであるから、被告新堂には過失がない。
4 危険受忍の法理
ゴルフ競技のようなスポーツに参加する者は、競技の過程において被害に遇う場合があるとしても、その加害者において故意若しくは重大な過失があり、又は、その被害の原因たる競技行為について当該競技のルールや作法(マナー)に反するところがあるときを除き、その競技中において通常予測し得るような危険は、これを受忍することを同意しているものというべきであるところ、被告新堂の本件アプローチショットによって生じた危険な打球については、極めて一般的に生じ得るものであり、通常予測し得る危険に当たるから、被告新堂の本件行為は、その違法性がない。
5 過失相殺
仮に、被告新堂に過失があり、その行為に違法性があるとしても、本件事故は、原告が被告新堂の打撃動作もその打球も全く見ておらず、見ていさえすれば本件事故を避けることができたという原告の過失がその主要な原因になっており、被告新堂の過失はこれに比較して極めて小さいものというべきであるから、本件事故による損害賠償の額の算定については、九割の過失相殺をするべきである。
6 履行期の未到来
本件賠償責任保険契約において被保険者が保険金を請求することができるのは、被保険者が法律上の損害賠償責任を負担することによって被る損害が確定した場合、すなわち被告新堂が右損害賠償責任を争っている本件においては原告の被告新堂に対する勝訴判決が確定した場合であり、それに至る前には、本件賠償責任保険の保険金請求権はその履行期が到来していない。
四 被告らの主張に対する認否
1 被告らの主張1は、否認する。
2 同2のうち、原告が豊岡に対してアプローチショットのアドバイスをしたことは認めるが、そのとき原告が立っていた位置を含めその余は、否認する。
3 同3は、否認し、又は争う。
4 同4は、争う。
5 同5及び6は、争う。
第三 証拠関係<略>
理由
一まず、本件事故の発生状況について判断する。
1 請求原因1、(一)(本件当日、原、被告を含む四名のパーティが本件ゴルフ場の最終一八番ホールへ回って来、原告の第三打次いで柳沼が打った第三打がそれぞれ同ホールのグリーンに乗ったこと)の事実並びに同1、(二)のうち、原告が自分の打球の落下地点をマークしたこと、被告新堂がガードバンカーの西外側のラフ上からグリーンへのアプローチショットのためピッチングウェッジを振ったこと及びその打球が低いライナーの予想外の高速度で飛ぶ打球となって原告の方向に飛び、原告のサングラスの左側ガラス面及び原告の左眼を直撃し、割れたガラスの破片が原告の左眼球に突き刺さる本件事故が発生したことの各事実は、当事者間に争いがない。
2 右の当事者間に争いのない事実に、<証拠略>並びに弁論の全趣旨を合わせると、次の事実を認めることができる。
(一) 原告の第三打が最終一八番ホール上の別紙見取図のM点辺りにオンし、続いて柳沼の第三打も同見取図y点辺りにオンし、原告続いて柳沼がグリーン上に来た。
(二) 柳沼の第三打に続いて豊岡が第三打を打ち、その打球は、グリーンをオーバーして、別紙見取図のT点辺りに落下した。これに前後してプレーした被告新堂の第四打目の打球が、同見取図の点のさらに西方数メートルの個所にその当時設けられていたネット近くに落ち、その地点からは、クラブを振ることができなかったため、被告新堂は、グリーン辺りへ歩いてきた豊岡のアドバイスを受け、そのネット近くでいわゆるドロップをして被告新堂の次の打球地点を同見取図の点に定めた。このころ豊岡はT点辺りに移動した。
(三) 被告新堂及び豊岡が(二)のような行動をしている間に原告は、グリーン上をK点辺りまで進み、また、ピンの方に戻って、M点辺りにマークをした上、ピンの東方数メートルのところにプレー使用球以外の二、三個のボールを練習用に播くように置き、パターの練習の素振りなどをしていた。
(四) 四名の各打球地点のうち被告新堂のそれがもっともグリーンに遠かったので、被告新堂が前記点からアプローチショットを打つ順番となった。点からはグリーンの方向に登り勾配のラフが数メートル続き、この後にバンカーがあり、続いてグリーン周りのラフがありこの東にやや小高いグリーンが設けられており、被告新堂は、ピッチングウエッジでピッチショットしようとしたが、原告がピン近くの点辺りのグリーン上でパターの練習のような行動をしていたので、被告新堂は、原告に対し「いきますよ」と一、二度声を掛けた。しかし、原告は聞こえた素振りも見せないで右の行動を続けたので、被告新堂は、少し強い口調で「いきますよ」と三度目の声を掛けたところ、原告は、被告新堂と顔が合い、手を挙げて、「はいよ」と応えた。
(五) 被告新堂は、原告がグリーン上から外へ出るものと思い込んで、原告がなおグリーン上に留まっているのに気付かないまま、点のボールに対してアドレスし、前記のクラブを振ったところ、クラブは、ボールの手前の芝生を強く抉ったのみの結果となり、いわゆるダフってしまい、被告新堂は、アドレスをいったん止め、立ち上がる姿勢となった。
(六) 原告は、被告新堂が右のようにダフったのを見て被告新堂が一回打順を待つものと考え、豊岡の方を見たところ、豊岡も前記のT点辺りからアプローチショットのためアドレスに入ろうとしているのが見えたので、原告は、同見取図のK点の方向に近づき、豊岡に対し、「クラブをもっと短く持ってボールの近くに寄って、柔らかく、軽く打つ」ように構え方を交えながらアドバイスをし、その後ピン近くへ戻った。豊岡がそのアドバイスに従って、アプローチショットをし、その打球がグリーンにオンした。
(七) 原告が右のアドバイスをし、ピン近くに戻ろうとしたが、これらの行動を見ないまま、被告新堂は、前記のダフった動揺を静めながらゆっくりアプローチショットのアドレスを再開し、一〇秒以上の長めの間合いを置いた後力一杯クラブを振ったところ、打球は低いライナーの予想外の高速度で飛ぶ打球となり、ピンの近く約二メートル辺りのところに立っていた原告の方向に飛び、この打球を見た柳沼が「強いッ」と声を発し、同時に、被告新堂が「アッ」と声を上げたが、これに振り向いた原告のサングラスの左側ガラス面及び原告左眼を右打球が直撃し、割れたガラスがその左眼球に突き刺さり、原告が負傷する本件事故が発生した。
(八) 原告は、打球が当たったその場で手で顔を覆ってうずくまり、グリーン上に駆け寄った柳沼と豊岡がグリーンエッジの方へ原告を連れていき、腰を下ろさせた上、左眼から出血している原告にタオルを渡し、すぐに病院へ向かうべく被告新堂が原告をクラブハウスの方に連れていった。柳沼らがグリーン上のガラス破片や原告の練習球を拾って後片付けをした。
豊岡証言のうち、「豊岡がアプローチショットをしていない」旨の右認定に副わない供述部分は、豊岡が被告新堂の打順を追い越したことを言い繕おうとする疑いがある上、原告が豊岡にアプローチショットについての具体的なアドバイスした事実とも符節が合わず、信用することができない。また、原告本人尋問の結果中、「被告が「いきますよ」の声を掛けたことがなく、原告がこれに手を挙げて応えたことがなく、かつ、原告が終始K点辺りのグリーンエッジに立っていた」旨の供述部分は、<証拠略>等から認められる(1)原告がグリーン上でプレー使用球以外のボールを練習用に播くように置いてパターの練習の素振りをした事実、(2)打球が当たった原告を診るべく柳沼、豊岡そして被告新堂がグリーンへ駆け上がっており、また、ガラス破片をグリーン上で拾っている事実等に照らし、信用することが出来ない。他方、被告新堂の本人尋問の結果中「被告新堂が「いきますよ」と原告に声をかける前に、原告が豊岡にアプローチショットのアドバイスをし、かつ、豊岡がそのショットをしてグリーンオンした」旨の供述部分も、豊岡が被告新堂がアドレスするよりも先にそのショットをするに至った経緯について不自然さが残り、信用しがたい。
二右一、2の認定事実に基づいて、被告新堂の責任について検討する。
1 前記認定のとおり、被告新堂がアプローチショットをしようとした別紙見取図の点とピン(同見取図のP点)との距離は約三〇メートルにすぎず、原告はP点の近く約一、二メートルのところに立っていたのであるが、かかる原告の立つ地点が被告新堂の打球が充分届く範囲内にあった事実は、当事者間に争いがない。
また、点は、前記一、2、(四)に認定したようなラフ上に位置しており、弁論の全趣旨によれば、そのラフの中のボールをバンカー越えにピッチショットするには相当高度の技術を要し、したがって、そのショットをこなすには初心者であるほどに緊張を伴いやすく、その結果思わぬミスショットを生ずる可能性があったことが認められるところ、被告新堂が比較的経験の浅いゴルフ初心者であったことは当事者間に争いがなく、また、<証拠略>によれば、被告新堂は、本件当時、ハーフラウンド大体七〇位のスコアで回る技量であり、かつ、本件当日も本件ゴルフ場をインのスタートであったがその最初の一〇番ホール以降各ホールともパースコアをほぼ二ないし三打オーバーし、最終一八番ホールの第四打が前記認定のとおりネット近くに落ちたのも打球の方向がその意に反して相当曲がったためという程度の技量であったことが認められる。
これらの事実によれば、被告新堂が前記点からアプローチショットをしようとすれば、予想外のミスショットをして近くにいる原告らに対し危険な飛球を打ちつける可能性が少なくなかったのであるから、被告新堂としては、その危険の及ぶ範囲内にいる原告らが被告新堂のショットを注視し、かつ、そのショットによる打球がもたらす危険を充分避けることができる状態にあることを確認してそのアプローチショットをするべき注意義務があったものといわなければならない。
ところが、前記認定のとおり、被告新堂は、原告に対し、「いきますよ」と声を掛け、原告が手を挙げて応えたが、原告が引き続きグリーン上に留まっていたばかりか、被告新堂がいったんダフった後には原告が別方向の豊岡の方に向いて被告新堂の動作を全然見ていない状態にあるのに、被告新堂は、原告が右のように手を挙げたことにより原告がグリーン上から外へ出て、被告新堂の打球を避けるように行動するものと速断して、爾後何ら原告の状態を確認しないで、右のようにダフったり、アドレスを再開したり、かつ、長めの間合いを取ったりしながら結局「いきますよ」で始めたアプローチショットを最後まで行ったのであるから、被告新堂の行動には、右判示の注意義務に違反した過失があるものといわざる得ない。
2 被告らは、第一に、原告が被告新堂に対し顔と手で合図をしておきながら、同伴プレーヤーの前方に出ないというゴルフの基本的マナーに違反してグリーン上に留まった結果被告新堂の打球を受けたものであり、本件事故は原告の過失による事故というべきであると主張する。
しかしながら、同伴プレーヤーの前方に出ないということがゴルフの基本的マナーであるとしても、グリーン周りのアプローチショットの段階ともなれば、ホール毎の各プレーヤーの打球地点によってその「前方」と目すべき範囲が必ずしも一律厳密には定まらないのみならず、ゴルフのマナー違反が直ちに法律上の過失を構成するものとも解されないから、被告の右主張は、そのまま採用することはできない。
被告らは、第二に、原告が被告新堂のアプローチショットの前方グリーン上で被告新堂からの警告を受けたにもかかわらず佇立し続け、かつ、被告新堂のアプローチショットの動作及びその打球を注視していさえすればその打球が自己に当たるのを避けることができたのに別方向にいた豊岡に対してアプローチショットについてのアドバイスをしながらその方向にのみ視線をやり、何ら被告新堂の打撃動作もその打球も全く見ていなかったため、本件事故が発生したものであって、この結果発生は、原告の過失によるものというべきであるから、被告新堂には過失がない旨主張する。
なるほど、原告が被告新堂の動作を見続け、そのアプローチショットの打球を見ていれば本件事故を避けることができたことは、原告がその本人尋問において認めているところであり、かつ、被告新堂から「いきますよ」の声を掛けられていたこともあったのであるから、原告において被告新堂の打球の飛来を予測すべきであったということもでき、このことは後記のとおり大幅の過失相殺の事由と考えるのが相当であるが、しかしながら、前記認定のような幾重もの理由から自己の打球がミスショットとなる可能性のあった被告新堂としては、ただ「いきますよ」の声を掛けさえすればその後はその声を掛けられた原告らの同伴プレーヤーにそのミスショットによる危険の回避を全て押しつけるということは、その危険を自ら生ぜしめるという立場に鑑み、また、衡平の見地からも、許されないものといわなければならない。被告新堂としては、原告らが被告新堂によるミスショットによる危険を避け得る状態にあることを確認してプレーをすべき注意義務をすべて免れることはできず、原告らに対し単に「いきますよ」の声を掛けることによってこの注意義務が消滅するものとはいえない。被告らの前記主張も、採用できない。
第三に、被告らは、被告新堂の本件アプローチショットによって生じた危険な打球については、ゴルフ競技において極めて一般的に生じ得るものであり、通常予測し得る危険に当たるので、同伴プレーヤーである原告はこれを受忍することを同意しているものとして、被告新堂の本件行為は、その違法性がない旨の主張する。
しかしながら、ゴルフのスイング、打球等が通常もたらすべき危険の中には故意又は重大な過失には至らない程度の通常の注意を払うことによってそれを回避することができるものが少なからず存在するものと考えられるのであって、このような危険もこれを生じさせるプレーヤーにおいて何ら回避する必要がなく専ら被害者にこれを受忍させるべきものとする被告らの所論については、当裁判所は、ほかの根拠を付加するまでもなく、採用できないものといわざるを得ない。
3 被告新堂の前記1に認定した過失により本件事故が生じたことは前記一、2の認定事実により明らかであり、<証拠略>によれば、本件事故により原告は左眼球打撲症、左眼球内異物、左眼強膜破裂、左眼角膜穿孔創及び挫傷、左眼ブドウ膜脱出、左外傷性ブドウ膜炎、左外傷性網膜硝子体出血、外傷性無虹彩症等の傷害を受け、六三日間の入院及びその後三七日間の通院を経、左眼角膜白斑、外傷性無虹彩症で、裸眼としての視力0.02程度の本件後遺障害が固定したことが認められ、これらの傷害及び本件後遺障害も被告新堂の前記過失によって生じた結果であることが明らかである。
三そこで、原告の損害について判断する。
1 入院雑費等の積極損害
<証拠略>によれば、本件事故により負傷した原告が二か月余の期間入院し、及び退院後に六か月以上通院して診療を受けるのに、入院雑費、器具・薬品費、通院交通費、診断書依頼費用、医師に対する謝礼等、通院中の雑費等として合計金五五万三四二〇円の出捐を余儀なくされ、積極損害として右と同額の損害を被ったことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
2 逸失利益
<証拠略>並びに弁論の全趣旨によれば、原告は、昭和四五年ころ同族個人会社である越川電設有限会社を設立して現在までその代表取締役であり、その経営及び管理のみならず、その目的の電気工事についての受注、設計、施工を自ら行うことによりその収入を得てきたところ、本件事故の前年の昭和六一年度には、右会社から給料賞与として金三七三万一二八〇円の支払を受け、金六万三七〇〇円の所得税を源泉徴収されたことが認められる。
昭和六一年賃金センサスによれば、全職種を通じた五〇歳から五四歳までの年齢層の男子労働者の年収額は、およそ金五三六万円であり、この数値をも考慮すると、原告は、本件事故前には、少なくとも一年間に前記の金三七三万一二八〇円程度の収入があったものというべきである。
本件事故前には原告の左眼の視力が1.2であったことが原告本人尋問の結果により認められるところ、本件事故により原告は、前記認定のとおり本件後遺障害が固定したのであって、この後遺障害は、後遺障害等級の第八級の障害に該当し、その労働能力喪失率は、四五パーセントと認められるので、原告の逸失利益は、一年当たり前記三七三万一二八〇円に0.45を乗じた金額と評価するのが相当であり、原告が本件事故当時五二歳であり、右の年齢から六七歳までの一五年間に対応するライプニッツ係数が10.380であるから、これにより中間利息を控除して現在価額を算出すると、原告の逸失利益は、次の計算式により、金一七四二万八八〇八円となる。
373万1280円×0.45×10.380
=1742万8808円
3 慰謝料
原告が本件事故により負傷し、前記認定のとおり入院及び通院により診療を受けなければならなかったことによる精神的苦痛に対する慰謝料は、その傷害の部位、程度、入院通院の期間等諸般の事情を考慮すると、金一五〇万円が相当であり、また本件後遺障害による精神的苦痛に対する慰謝料は、その障害の内容、程度その他諸般の事情を考慮すると金六六〇万円が相当である。
4 過失相殺
前記認定のとおり、原告は、被告新堂のアプローチショットの前方グリーン上で被告新堂から「いきますよ」の警告を受けたにもかかわらずそのグリーン上に留まり、かつ、被告新堂のアプローチショットの動作及びその打球を注視していさえすればその打球が自己に当たるのを避けることができたのにもかかわらず、別方向にいた豊岡がアドレスを始めたのを見てそのアプローチショットについて、求められもしないのに、かつ、ゴルフのマナー上も好ましくないのにアドバイスを与え始めてそのことに心を奪われ、以後被告新堂の打撃動作もその打球も全く見ていなかったのである。
しかも、被告新堂のゴルフの技量が前記認定のようなゴルフの初心者程度のものであることは、前記認定のような被告新堂の本件当日の一〇番ホール以降におけるプレーぶりからも、それから原告本人尋問の結果により認められるハンディ七という原告の高いゴルフ技量からも、原告にとって明らかであったのみならず、被告新堂がトライしようとしているアプローチショットがバンカー外側の登り勾配のラフからのバンカー越えのピッチショットという相当高度の技術を要するものであることも右のような高い技量の原告には容易に理解できたものと認められるのであり、このような事情も考慮すると、原告は、単に後方からアプローチしてくる同伴プレーヤーのプレーを見るべきというにとどまらず、特に自己の留まっている場所に鑑み、被告新堂によるミスショットとこれによる危険な打球の飛来とを予測し、これを避けるために被告新堂の打撃動作とその打球を重々注視すべきであったといわなければならない。
しかるに、原告は、前記認定のとおり、被告新堂が一回ダフってアドレスから立ち上がったのを見て、軽々に被告新堂が打順を先に譲ったものと速断し、前記のように他に心を奪われ右の注視を怠ったものであって、原告のこうした落度は本件事故の発生につき過半の寄与をしているものというべきであり、したがって、損害額算定について斟酌すべき原告の過失割合は六割とするのが相当である。
そうすると、原告の損害は、前記1から3までの合計額二六〇八万二二二八円の四割の金一〇四三万二八九一円(円未満切捨て)となる。
5 弁護士費用
原告が本件訴訟の提起、遂行を弁護士である原告訴訟代理人に委任していることは本件記録上明らかであり、本件事案の難易、請求額、認容額その他本件に現れた一切の事情を考慮すると、損害として請求し得る弁護士費用の額は金一〇〇万円とするのが相当である。
四そうすると、被告新堂は、原告に対し、不法行為に基づく損害賠償として金一一四三万二八九一円及びこれに対する不法行為の後である昭和六二年六月三日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があるといわなければならない。
五次に被告会社に対する請求について判断する。
1 請求原因4、(一)(株式会社赤羽ゴルフ場と被告会社との間に本件賠償責任保険契約が締結されていたこと及び被告新堂がその契約による保険の被保険者であること)の事実は、当事者間に争いがない。
2 <証拠略>によれば、被告新堂は、青森県出身の寿司職人であり、昭和六〇年九月ころ上京してそのころから本件事故当時まで東京都豊島区内のアパートに居住しながら寿司店で働いていたものであるが、土地建物の不動産、相当額の動産、見るべき有価証券又は預貯金等の資産を全く有しておらず、本件事故後平成元年四月ころ以降出身地に帰って同じ寿司職人として現在まで働いているものの、その間特に資産を生じていないことが認められ、これらの事実によれば、被告新堂は、資力を有しないものというべきである。
3 被告らは、本件賠償責任保険契約において被保険者が保険金を請求することができるのは、被保険者が法律上の損害賠償責任を負担することによって被る損害が確定した場合、すなわち被告新堂が右損害賠償責任を争っている本件においては原告の被告新堂に対する勝訴判決が確定した場合であり、それに至る前には、本件賠償責任保険の保険金請求権はその履行期が到来していない旨主張するので、これについてまず、検討する。
<証拠略>によれば、本件賠償責任保険契約に係る賠償責任保険普通約款において、被保険者が本件賠償責任保険契約によって損害(被保険者が法律上の損害賠償責任を負担することによって被る損害をいう。以下この項において同じ。)のてん補を受けることができるのは損害が確定した場合でなければならない旨が定められている(第一九条)ことが認められる。
これによれば、被保険者である被告新堂が原告に対する損害賠償責任を争っている本件においては、被告らが主張するとおり、原告の被告新堂に対する勝訴判決が確定する前には、被告新堂は、本件賠償責任保険契約によって損害のてん補を受けることができないものというべきであり、したがって、原告が債権者代位権に基づいてであれ、現在の請求として被告新堂の被告会社に対する右てん補の請求権を行使することも、右勝訴判決の確定前には、許されない筋合いである。
したがって、原告の被告会社に対する第一次請求は、右の意味において、失当といわざるを得ない。
4 しかしながら、<証拠略>により認められる前記賠償責任保険普通約款の関係諸規定及びこれに基づく本件賠償責任保険契約の性質に鑑みると、右約款に基づく被保険者の損害てん補の請求権すなわち保険金請求権は、保険事故の発生と同時に被保険者と損害賠償請求権者との間の損害賠償額の確定を停止条件とする債権として発生し、被保険者が負担する損害賠償額が確定したときに右条件が成就して右保険金請求権の内容が確定し、同時にこれを行使することができることになるものと解するのが相当である。そして、損害賠償請求権者が、同一訴訟手続で、被保険者に対する損害賠償請求と被保険者の保険者たる保険会社に対する保険金請求権の代位行使による請求とを併せて訴求し、同一の裁判所において併合審判されている場合には、被保険者が負担する損害賠償額が確定するというまさにそのことによって右停止条件が成就することになるのであるから、裁判所は、損害賠償請求権者の被保険者に対する損害賠償請求を認容するとともに、認容する右損害賠償額に基づき損害賠償請求権者の保険会社に対する前記の代位行使による請求は、あらかじめその請求をする必要のある場合として、これを認容することができるものと解するのが相当である。
そうしてみると、本件では、被告新堂が前記のように無資力であり、かつ、被告会社が原告に対して損害てん補の責任又はそのてん補の義務の履行を争っており、そのため原告が被告新堂に対する請求と併せて被告新堂の被告会社に対する損害のてん補請求権を代位行使しているのであるから、原告が被告新堂に対する本件損害賠償金の請求を認容する判決が確定することを条件として被告会社に対し右賠償金と同額の金員の支払を求める本件第二次請求は、将来の給付の請求としてその必要を認めることができるものであると同時に、被告新堂に対する請求についての認容賠償額と同額の金員及びこれに対する右判決確定の日の翌日から支払済みまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において、正当なものといわなければならない。
六以上の次第で、原告の被告新堂に対する本訴請求は、前記認定の限度内で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、原告の被告会社に対する第一次的請求は、理由がないからこれを棄却し、原告の被告会社に対する第二次的請求は、右判示の限度内で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条本文及び第九三条第一項本文を、仮執行の宣言につき同法第一九六条第一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官雛形要松)
別紙見取図<省略>