大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成元年(ワ)10931号 判決 1993年1月28日

主文

一  被告は、原告金銀宣に対し、金八〇三万六三二九円及び内金七〇三万六三二九円に対する昭和六二年一一月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を、原告趙恩芝に対し、金七〇三万六三二九円及びこれに対する昭和六二年一一月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を、原告趙容煕に対し、金一四〇万円及びこれに対する昭和六二年一一月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを三分し、その一を被告の負担とし、その余を原告らの負担とする。

四  この判決は、原告らの勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

理由

第一  請求

被告は、原告金銀宣に対し、金二五九三万六二〇〇円及び内金二二九三万六二〇〇円に対する昭和六二年一一月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を、原告趙恩芝に対し、金二二九三万六二〇〇円及びこれに対する昭和六二年一一月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を、原告趙容煕に対し、金五〇〇万円及びこれに対する昭和六二年一一月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

第二  事案の概要

一  争いのない事実及び証拠上明らかな事実

1  本件事故の発生

昭和六二年一一月六日午後八時四〇分ころ、埼玉県和光市新倉一丁目二番先路上において、被告の運転する普通乗用自動車(練馬五八た二九五三、以下「加害車両」という。)が歩行者である趙興遠(以下「興遠」という。)に衝突し(以下「本件事故」という。)、興遠は同月一〇日に死亡した。

2  原告らと興遠との身分関係等

原告金銀宣、原告趙恩芝及び原告趙容煕は、それぞれ、興遠の妻、子(女)及び父であり、原告金銀宣及び原告趙恩芝は、本件事故によつて興遠が被告に対して取得した損害賠償請求権を、韓国民法に従つて各二分の一宛相続する。(甲四の一ないし一四、五の一、弁論の全趣旨)。

二  争点

被告は、本件事故による損害額を争うとともに、本件事故の発生については興遠にも落度があるから過失相殺すべきであると主張する。

第三  争点に対する判断

一  本件事故の態様

証拠(甲一、乙一ないし三、七ないし一〇、一二、一五、一九、二〇、三一の一ないし一六、三二の一ないし一六、被告本人)によれば、次の事実が認められる。

1  本件事故現場は、埼玉県和光市新倉一丁目二番先道路上であり、右道路(以下「本件道路」という。)は、東武東上線の和光市駅南口にある歩道橋及び右線路部分の下をくぐり抜け、国道二五四号線方面から東京都板橋区方面に通ずる片側各一車線の道路であり、右くぐり抜け部分は一旦下がつて上がる急な坂であるが、同部分の先は見通しの良い直線道路であり、車道幅員は、加害車両の進行車線は約三.〇メートル、対向車線は約三.四メートルであつて、道路西側(加害車両進行車線側)には幅約〇.八メートルの路側帯があり、道路東側には約一.〇メートルの歩道が設けられ、ガードレールによつて車道と区分されている。本件事故現場付近の道路はアスファルト舗装の平坦な路面で、本件事故当時路面は乾燥しており、最高速度時速三〇キロメートル、追越しのための右側部分はみ出し禁止の各交通規制がなされており、本件事故現場(加害車両と被害者の衝突地点)から国道二五四号線方面に約三〇メートルの地点と、板橋区方面に約四〇メートルの地点には、それぞれ信号機の設置されている交差点があり、横断歩道が設置されていた。

また、本件事故現場は、東武東上線和光市駅の北方約六〇メートルに位置し、周囲には、畑、駐車場が散在するものの、和光市駅に近いことから、車両及び歩行者等の通行の極めて多い状況であり、また、本件事故当時、夜間ではあるが、街灯も設置されており暗くはなかつた。

2  被告は、昭和六二年一一月六日午後八時四〇分ころ、加害車両を前照灯を下向きにして運転し、国道二五四号線方面から板橋区方面に向かい、前記歩道橋等の下をくぐり抜け、本件道路を時速約四〇キロメートルで進行していたが、道路左側を走行していた自転車を追い抜くため、同自転車に注目しつつ、前方の注視を怠つて、中央線寄りに寄り本件事故現場にさしかかつたところ、渋滞していた反対車線の最後尾の車両(ワゴン車)の後から、前方の道路を右から左に小走りで横断しようとした興遠を前方約一二.二メートルの地点に認め、急制動の措置を講じたものの、間に合わず、加害車両の左前部及びフロントガラスに衝突させたうえ、本件道路上に転倒させた。

3  興遠は、本件事故のため、頭蓋底骨折、脳挫傷、顔面挫創、頭骨骨折、腓骨骨折等の傷害を負い、事故後すぐに日本大学医学部附属板橋病院で昭和六二年一一月一〇日までの間(五日間)入院治療を受けたが、同日午後零時四〇分、外傷性頭蓋内損傷のため死亡した。

二  被告の過失及び興遠の過失割合

右一の認定事実によれば、被告は、加害車両を運転し、夜間人通りも多く対向車線の渋滞していた本件事故現場を走行していたのであるから、対向車線の車両の陰から本件道路を横断する者がいるかもしれないことを予測し、安全な速度を保つて前方ないし左右を十分確認して走行する義務があつたのに、これを怠り、横断歩行者等がないものと軽信し、漫然と制限速度を約一〇キロメートル超える時速約四〇キロメートルで進行した過失があるというべきである。

しかし、他方、本件道路を横断していた興遠にも、本件事故現場付近には信号機のある横断歩道が設置されているにもかかわらず渋滞中の車両の後方(陰)から本件道路を横断した点で過失があつたというべきであり、本件事故発生に対する興遠の過失割合は三〇パーセントと認めるのが相当である。

三  損害

1  医療関係費 合計一三八万六八八〇円

本件事故による治療費として一三八万一八八〇円を要したことは当事者間に争いがなく、前記一3の認定事実によれば、興遠は本件事故のため五日間入院したところ、その入院期間中に諸雑費を必要とすることは明らかで、入院一日当たり一〇〇〇円、五日分の合計五〇〇〇円を入院雑費として認めるのが相当である。なお、その他の医療関係費(請求額二八万六五七八円)については、これを認めるに足りる的確な証拠はない。

2  逸失利益 四一五〇万六九一九円

(一) 証拠(甲七の一・二、八、九の一・二、一〇の一ないし五、一二の一ないし一七、一五ないし一八、乙二七ないし三〇)ないし弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(1) 興遠(一九六〇年九月一〇日生)は、一九八三年二月、ソウル大学獣医学科を卒業し、同年四月一日大韓民国における獣医師の免許を得た後、一九八五年二月、ソウル大学大学院において獣医学修士号を取得し、その間の一九八四年八月一日からは、大韓民国国立保健院(安全性研究部生物測定課所属)の保健研究士に任命され、同国立保健院に勤務し、本件事故日である一九八七年(昭和六二年)一一月六日には、同年一〇月三一日から翌二月一日までの三か月間の予定で、東京大学農学部において電子顕微鏡技法の研究をするため、日本に研修滞在中であつた。

(2) 大韓民国においては、大学ないし大学院卒業後に政府の指定する特定の国家機関に一定期間勤務した場合には、特例補充役として兵籍には編入されるものの、具体的な兵役義務は免除される制度があるところ、前記国立保健院は右特定国家機関に指定されており、興遠は、一九八五年四月一九日、大韓民国の兵役法四四条により特例補充役に編入され、一九九〇年四月一九日までの五年間右国立保健院に勤務すれば、それ以後は兵役義務を免除されることになつていた。

(3) 興遠の本件事故当時(一九八七年)の国立保健院における収入(本俸)は、月額二〇万五五〇〇ウォン(賞与は年四か月分であり、年収は三二八万八〇〇〇ウォン)であつたが、大韓民国ソウル市周辺において獣医師を開業した場合、その月額は少なくとも二五〇万ウォン(年収三〇〇〇万ウォン)はあり、特例補充役として特定の国家機関に努めた後兵役が免除される人のうちの相当数は、その後民間企業に就職したり個人で開業しており、興遠は、生前、妻である原告金銀宣に対してのみならず、ソウル大学の指導教官であつた李栄純教授や同大学の友人であり、本件事故当時興遠と同居していた李完揆に対し、兵役免除後はソウル市内又はその近郊で獣医師を開業したい旨話していた。

(二) 右(1)ないし(3)の認定事実によれば、興遠は、本件事故当時、国立保健院に勤務していたものの、兵役義務を免れる一九九〇年四月一九日まで勤務を続けた後は、ソウル市内又はその近郊で獣医師を開業する高度の蓋然性があると推認される。

したがつて、興遠の逸失利益は、次の算式のとおり、本件事故当時から一九九〇年までの三年間については、少なくとも国立保健院の年収(本俸)である三二八万八〇〇〇ウォン(五一万四五七二円。換算率は、乙三三により、一九九二年八月二六日現在の東京銀行における売値レートである一ウォンを〇.一五六五円とした。以下、同じ換算率を使用する。)を、その後満六七歳までの三七年間については、開業獣医師の年収である三〇〇〇万ウォン(四六九万五〇〇〇円)を基礎として、生活費控除を興遠の家族構成及び獣医師を開業するための資金調達等の事情を考慮して四割とし、ライプニッツ方式によつて年五分の割合による中間利息を控除した興遠死亡時における現価を算定した額の合計である四一五〇万六九一九円(一円未満切捨て)とするのが相当である。

51万4572円×(1-0.4)×2.723=84万0707円(一円未満切捨て)

469万5000円×(1-0.4)×(17.159-2.723)=4066万6212円

84万0707円+4066万6212円=4150万6919円

(三) 逸失利益の算定に関し、原告金銀宣及び原告趙恩芝は、本件事故は日本において発生した事故であるから、その基礎とする収入額は我が国の昭和六二年賃金センサス第一巻第一表の産業計・企業規模計・学歴計・男子労働者の全年齢平均の賃金額である四四二万五八〇〇円とすべきである旨主張する。しかし、前記認定のとおり、興遠は日本における研修後大韓民国に帰国する予定であり、また将来日本において就業する高度の蓋然性を認めるに足りる証拠もないのであるから、我が国における賃金実態の調査に基づいた賃金センサスを基礎として逸失利益を算定する合理的な理由はない。

他方、被告は、興遠の逸失利益について、一九八八年の韓国労働省発表の職種別賃金実態調査報告書(乙第一六号証)に記載されている獣医師の年収七七二万四四三八ウォン(約一二〇万八八七四円)を基礎とすべきであると主張するが、乙第二七号証の大韓民国大韓獣医師会会長鄭昌国の供述記載によれば、乙第一六号証の調査報告は一般開業獣医師の賃金実態を正確に反映しているとはいえないことがうかがわれ、他にこれを認めるに足りる的確な証拠はないので被告の右主張も採用することはできない。

3  葬儀費用 一〇〇万円

本件事故の葬儀費用として一〇〇万円が相当であることは当事者間に争いがない。

4  慰謝料 興遠の分 一三〇〇万円

原告趙容煕の分 二〇〇万円

本件事故の態様・結果、本件事故における興遠の年齢、興遠と原告らとの身分関係、その他本件訴訟の審理に顕れた一切の事情を考慮すると、興遠が受けた精神的苦痛を慰謝するための慰謝料としては、一三〇〇万円が相当であり、原告趙容煕の固有の精神的苦痛を慰謝するための慰謝料としては、二〇〇万円が相当である。

四  過失相殺等

前記二のとおり、興遠の本件事故発生に対する過失は三〇パーセントと認められるから、これを斟酌し、前記損害(興遠の被つた分は合計五六八九万三七九九円であり、原告趙容煕の固有の慰謝料は二〇〇万円である。)から三〇パーセントを減額すると、損害残額は、興遠の被つた分については三九八二万五六五九円(一円未満切捨て)となり、原告趙容煕については一四〇万円となるところ、乙第二一、二二号証及び弁論の全趣旨によれば、興遠の遺体処置費及び大韓民国への空輸費の合計七五万三〇〇〇円については加害車両に付されていた任意保険会社から支払われていることが認められ、これらは葬儀費用に充当されると考えるのが相当であり、また自賠責保険からの既払金が二五〇〇万円であることは当事者間に争いがないから、合計二五七五万三〇〇〇円を前記興遠の損害分から控除すると、その損害残額は一四〇七万二六五九円となる。

五  弁護士費用 一〇〇万円

弁論の全趣旨によれば、原告金銀宣が本件について原告代理人に委任したことが認められるところ、本件事件の内容、認容額、審理の経過等に鑑みると、本件事故と相当因果関係のある損害として同原告が被告に賠償を求められる弁護士費用は、一〇〇万円とするのが相当である。

第四  よつて、被告は、原告金銀宣に対し、前記一四〇七万二六五九円の二分の一である七〇三万六三二九円(一円未満切捨て)と右弁護士費用一〇〇万円の合計八〇三万六三二九円及び右七〇三万六三二九円に対する興遠の死亡した日である昭和六二年一一月一〇日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金を、原告趙恩芝に対し、同じく七〇三万六三二九円及びこれに対する右同日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金を、原告趙容煕に対し、一四〇万円及びこれに対する右同日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金を、それれぞれ支払う義務がある。

(裁判長裁判官 小川英明 裁判官 小泉博嗣 裁判官 見米 正)

《当事者》

原告 金 銀宣 <ほか二名>

右原告ら訴訟代理人弁護士 長戸路政行

被告 黒沢紀吉

右訴訟代理人弁護士 鈴木 諭

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例