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東京地方裁判所 平成元年(ワ)13487号 判決 1994年6月09日

原告

松本久吾

被告

宮本和哉

主文

一  被告は原告に対し、四〇二万七六一五円及びこれに対する平成元年一〇月二二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その四を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告は原告に対し一九四三万七三五〇円及びこれに対する平成元年一〇月二二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、原告の運転する普通乗用自動車(横浜五六や六七七三号、以下「原告車」という。)が被告の運転する普通乗用自動車(練馬五二そ七六六四号、以下「被告車」という。)に追突された事故(以下「本件事故」という。)に関し、原告が、被告車の運行供用者である被告に対し、自賠法三条に基づき損害賠償を請求した事案である。

一  争いのない事実

1  本件事故の発生

昭和六二年七月三日午後七時二〇分ころ、東京都目黒区東が丘二丁目一四番六号先路上において、被告車が左折のため停車していた原告車に追突した。

2  損害の発生

原告は、本件事故により頸部捻挫の傷害を負つたため、昭和六二年七月一七日から昭和六三年一月一八日までの間(実通院日数三八日)、帖佐医院に通院した。

3  被告の責任原因

被告は、被告車を運転していたのであるから、被告車の運行供用者に当たる。

二  争点

本件事故と原告の症状との間の因果関係及び損害額である。

1  原告

(一) 本件事故と原告の症状との間の因果関係

原告は、本件事故により、頸部捻挫のほか、外直筋麻痺、複視等の傷害を負い、前記帖佐医院で通院治療を受けたほか、原眼科医院に昭和六二年八月一三日から同年九月一五日までの間(実通院日数一八日)、帝京大学医学部附属溝口医院(以下「帝京大学病院」という。)に同年九月二一日から昭和六三年六月一日までの間(実通院日数二三日)、各通院した。

なお、複視等の視覚障害は、頸部捻挫により頸部交感神経に損傷を受けることによつて、視力障害等の症状が出現したものである(バレ・リユー型)。

(二) 損害額

原告は、本件事故により、次の損害を被つた。

(1) 治療費 二万一八一〇円

(2) 通院交通費 七四〇〇円

原眼科医院通院中の自宅から病院までの一八回分の交通費(一回一六〇円)及び帝京大学病院通院中の自宅から病院までの二三回分の交通費(一回二〇〇円)である。

(3) 眼鏡購入代金 一〇万七〇〇〇円

(4) 逸失利益 一二九〇万一一四〇円

原告の前記外直筋麻痺及び複視は、後遺障害別等級表の第一一級一号に該当する。原告は、昭和六一年度、年間七〇〇万円の給与所得を得ていたが、本件後遺障害により労働能力の二〇パーセントを喪失した。原告は、本件事故当時六〇歳であり、昭和六二年簡易生命表によると平均余命が二四年であるから、その二分の一である一二年が就労可能年数であり、これに対応する新ホフマン係数は九・二一五一である。

(5) 慰謝料合計 四四〇万円

通院慰謝料が一〇〇万円、後遺障害慰謝料が三四〇万円である。

(6) 弁護士費用 二〇〇万円

2  被告

(一) 本件事故と原告の症状との間の因果関係

原告の主張する傷病名のうち頸部捻挫を除くもの及び原告の主張する通院のうち帖佐病院への通院を除くものについては、本件事故との因果関係を争う。

原告が帖佐病院へ通院を開始したのは、昭和六二年七月一七日であり、頸椎捻挫の急性期も終わろうとする時期であつて、頸部捻挫の発生さえ疑問があるし、仮に頸部捻挫が発生したとしても、事故から通院を開始するまでの間放置可能であつたということからすると、極めて軽症であつた。

原告の目に異常が現れたのは受傷から二〇日後の昭和六二年七月二三日ころであり、医学的には受傷後相当の期間を経て発症するということは考え難いし、外傷によつて腫れ又は内出血が両眼球の筋肉に分布している神経に同時に発生したとは考え難いことからしても、本件事故との因果関係を肯定することは全く困難である。

(二) 損害額について

後遺障害等に基づく損害は争い、その余は知らない。

第三争点に対する判断

一  本件事故と原告の症状との間の因果関係

1  本件事故の態様、原告の治療経過等

証拠(甲一ないし一一、一九、乙一、二、四ないし六、一五、証人河本道次、原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められ、甲二四、二五の部分中、右認定に副わない部分及び右認定に反する原告本人の供述部分は措信できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(一) 原告(大正一五年一〇月六日生)は、昭和六二年七月三日午後七時二〇分ころ、原告車を運転し、太陽教育スポーツセンター手前の交差点で信号待ちのため停止した後、青信号に従つて進行し、右交差点のすぐ先にある右スポーツセンターに左折進入しようとして停止した際、本件事故現場において、同じく青信号で発進した被告車が原告車の右後部に追突した。本件事故により、原告車の右後部が損傷し、その修理費用として、四五万円を要するとの見積もりがなされた(乙一五によれば、原告は、同年八月二四日、修理費用三八万円で示談しているが、これは原告車の残存価値が修理費用を下回つていたためであると認める。)。他方、被告車は、左前部のバンパーが曲損し、ヘツドライトの部分が損傷した。

原告は、本件事故後、右スポーツセンターで一時間前後水泳をし、その帰りに、被告と一緒にいた警察官から身体の異常について質問を受けたが、これに対し、「今のところ何もない。」と答えた。そのため、右警察官は、本件事故を人身事故扱いとはしなかつた。原告は、原告車の走行に支障がなかつたため、右スポーツセンターから自分で原告車を運転して帰宅した。原告は、本件事故の翌日、被告宅に電話をし、被告の母親に対し、「今のところ体は何ともありません。」と言つた。

(二) 原告は、本件事故後、同年七月一七日に帖佐医院を受診し、その初診時において、同医院の帖佐博医師(以下「帖佐医師」という。)に対し、本件事故直後には、項・頸部の辺りに重い感じがあつたものの、意に介しなかつたところ、四、五日過ぎてから、嘔気がし、項・頸部等の重い感じ、頸部・肩痛、頭重感が増強したが、四肢のしびれ等の感覚異常はなかつたと述べ、現在の自覚症状として、左肩・頸部筋肉痛、頭痛、頭重感及び強度の肩こりがあり、特に左頸・肩筋肉の硬直感があると訴えた。原告は、同日、帖佐医師から頸部捻挫で向後約二か月位の加療を要するとの診断を受けた。その後、原告は、同月二三日ころ、目の異常を感じ、電車に乗つていて急にめまい及び冷感が生じたり、冷汗が出たため、同月二四日、帖佐医院で再診を受け、帖佐医師から安定剤内服薬の投与を受けた。

(三) 原告は、昭和六二年八月一三日から同年九月一五日までの間(通院実日数一八日)、原眼科医院に通院し、同医院の原マスヨ医師から外直筋麻痺との診断を受けたが、同医院における治療によつては、目の症状が軽快しなかつたため、同医師の紹介により、同月二一日、帝京大学病院を受診した。原告は、同病院において、自覚症状として複視を訴えた。同病院の視力検査では、裸眼で右が一・〇、左が一・二、矯正視力で右が一・五、左が一・二との各検査結果であつた。また、同病院で受けた複像検査のうち、昭和六二年九月二一日の検査では、はつきりした異常がなく、一回、三度ほどの複視が出ているが、それ以外は上下一度程度の複視であつて、これといつた異常がなかつた。原告は、同病院の古谷和正医師によつて、昭和六三年一月二一日、遠視性乱視、開散麻痺及び頭蓋内病変の疑いと診断され、同年七月一九日、同病院の小日向政彦医師(以下「小日向医師」という。)によつて、傷病名として開散麻痺、他覚症状及び検査結果として間歇性外斜視であると診断された。

(四) 原告は、昭和六二年七月二四日から帖佐医院へ通院していなかつたが、同年一〇月一二日再び同医院を受診し、右肩・頸の筋肉痛、右前腕・側胸部の違和感及び右第一ないし第三指の感覚鈍麻があり、新聞を長く読んだり、計算機を使うと強直すると訴えた。原告は、その後、同医院で投薬、マイクロウエーブ温熱療法、牽引療法及び鍼治療を受け、同年一一月三〇日には、頸・肩の重い感じと筋肉痛のみを訴える程度にまで症状が軽快し、昭和六三年一月一八日に帖佐医師によつて治癒したとの診断を受けた。

(五) 原告は、前記帝京大学病院での受診後、昭和六三年六月一日までの間(通院実日数二三日)、同病院へ通院し、その間、古谷医師により、同年三月三日、症状が固定したとの診断を受けた(同日までの同病院への通院実日数は一七日である)。

(六) 原告は、同病院への通院により目の症状が軽快したため、その後、目の症状に関して通院しなかつたが、平成二年三月一〇日、精査を希望して東邦大学医学部附属大森病院(以下「東邦大学病院」という。)を受診した。原告は、右初診時において、東邦大学医学部眼科教授である河本道次医師(以下「河本医師」という。)に対し、手足のしびれがあり、本件事故後である昭和六二年七月二三日より複視が出現し、目の前に黒いものがチラチラと見えるようになつたと訴えた。同病院における視力検査では、原告の視力は、右目が、裸眼で一・〇が一部見え、矯正視力で一・二の状態であり、乱視に関しては、レンズの度がプラス一・〇ジオプトリー、角度が一六五度であつた。また、左目が、裸眼で一・〇が一部見え、矯正視力で一・二の状態であり、プラス〇・五〇ジオプトリーの遠視があり、乱視に関しては、レンズの度がプラス一・〇ジオプトリー、角度が一八〇度であつた。また、同病院における複像検査等の結果では、<1>両眼及び単眼ともに遠見のときは複視があり、遠方のものが二重に見えるが、近見では複視がなく、乱視用の眼鏡の装着により単眼の複視は消失し、<2>複像検査では、原告の複視の症状として、真中、上下左右、及び斜め左右の九方向全部につき、同じ幅で平等に出ており(この検査では、単眼複視があることにより、両眼で見て二つに見えるという結果は出ない。)、<3>正常値が、内側に寄せるのが四度で、それから〇を通つて、外側に二〇度程度まで動くものであるところ、原告の場合、融像幅が内側五度から外側へ一一度であり、内側はほぼ正常であるが、外側へ向ける作用が障害されていた。また、原告には、同病院の脳外科におけるCT検査では異常がなく、神経内科では、視神経を除いて、神経学的には体全体の神経に全く異常がないとされているほか、糖尿病、高血圧及びアレルギーはなく、白内障がわずかに認められるものの、ほとんどないという状態であつた。しかし、同病院ではMRI検査はなされなかつた。なお、平成二年六月の東邦大学病院耳鼻科の山本昌彦医師の診察によれば、原告には明らかな眼振所見は認められないが、症状としては動揺視と思われるとされている。しかし、動揺視は、耳の奥の平衡感覚を司る前庭神経に炎症等の異常があることにより、めまい等が起こるものであるが、複視とは関係がない。

河本医師は、東邦大学病院における右諸検査結果等を総合し、原告の症状が両眼複視であり、これが炎症その他体全体の神経の異常によつて発生したとは考え難く、右症状につき、原告の視力が良好であることからして視覚伝導路には異常がないが、眼球を動かす筋肉に分布している動眼神経の働きに異常があると判断し、眼筋麻痺の一つである開散麻痺と診断した。

同医師が診断したところ、通常、眼筋麻痺又は神経障害がある場合、約半年間様子をみて、少しでも改善する傾向があれば、改善の見込があるが、原告の診療経過及び本件事故による受傷からかなりの日時が経過していることからして、現状から原告の複視が改善する可能性は少ないとの結論に達した。

(七) 原告は、同じ仕事を継続してできないし、拡大鏡を使用して新聞を読むが、長時間読むことができないけれど、長い時間でなければゆつくりと文字を書くことができ、当裁判所に証拠として提出された陳述書(甲二四、二五)を手書き混じりで、パソコンかワープロで作成している。また、原告は、車を運転していて、信号を見間違つたり、一瞬、歩行者が視界から消えて見えなくなつたことがあるため、なるべく運転をしないようにしているが、近いところへは車を運転して行つている。さらに、原告は、本件事故当時勤務していた株式会社白磁社(以下「白磁社」という。)において、平成元年三月ないし四月ころに取締役を辞任したが、その後も顧問として週五日間にわたり午前一〇時三〇分から午後四時三〇分まで社員の技術指導に従事している。

2  前記争いのない事実及び右認定事実によれば、本件事故と原告との症状との間の因果関係については、以下のように考えることができる。

本件事故の態様として、原告車の修理費用として四五万円を要するとの見積もりがなされており、右見積額からみて、衝突の衝撃は決して軽微なものであつたとはいえないこと、原告は、本件事故により頸椎捻挫の傷害を受け、昭和六二年七月一七日、帖佐医師から今後約二か月程度の加療を要するとの診断を受け、昭和六三年一月一八日に同医師から治癒したとの診断を受けるまで、約六か月間(実通院日数三八日)にわたり帖佐医院において通院加療を受けていることからして、本件事故により原告の頸部に加わつた外力が軽微なものではなかつたと推認できる。

また、<1>原告は、本件事故の約二〇日後である昭和六二年七月二三日ころから目の異常を訴え、帝京大学病院及び東邦大学病院を受診したところ、いずれの病院においても、前記複像検査等の結果に基づいて開散麻痺による両眼複視の症状があると診断され、昭和六三年三月三日、帝京大学病院の小日向医師から症状固定の診断を受け、河本医師の診察によれば、現状から原告の複視が改善する可能性は少ないとされていること、<2>原告には、両眼及び単眼複視が認められたが、単眼複視、乱視用の眼鏡の装着により消失しており、乱視のための複視であつて、本件事故による眼筋麻痺とは関係がないこと、<3>前記複像検査等の結果によれば、原告には、遠見では複視があるが、近見では複視がないとされ、原告の複視の症状として、真中、上下左右及び斜め左右の九方向全部につき、同じ幅で平等に出ているところ、標準眼科学第二版(乙八)によれば、開散麻痺の症状としては、複視を訴えるが、遠見のときのみ複視を訴え、近見では複視はないか非常に軽いものであるとされていること、証人河本道次(以下「証人河本」という。)によれば、原告の複視の右症状は、輻輳麻痺又は開散麻痺の特徴として現れるものであることなどを総合すると、原告には、眼筋麻痺の一形態である開散麻痺による両眼複視の障害があるものと認められる。

そして、証人河本によれば、眼筋麻痺の原因は、眼球運動の共働運動を司る動眼神経の中枢があると考えられている脳幹部の障害など動眼神経が脳の動眼神経核から眼球に至るまでの動眼神経路が障害を受けることであるとされている。

ところで、脳幹部又は右動眼神経伝達路の障害の原因として考えられるものは、頭部打撲等の外傷による衝撃又は出血・浮腫による圧迫、頸椎捻挫、炎症等の疾患などであるが(乙七)、そのうち、まず、<1>外傷による衝撃を原因とする直接的な脳幹部の障害に関しては、軽い打撲によつては脳幹部に障害を受けるとは考え難いところ(乙一四、証人河本)、前示のとおり、原告が本件事故直後にスポーツセンターにおいて約一時間も水泳を続けていたこと、原告が、本件事故現場に臨場した警察官及び本件事故の翌日に電話した被告の母親に対し、頭を打つた旨言つていないこと、原告が、帖佐医院の初診時において、項・頸部の辺りに重い感じがあつたが、意に介しなかつたところ、四・五日過ぎてから嘔気がしたなどと訴えていること、帖佐医院における診断書等には本件事故による頭部打撲を窺わせる記載が一切なく、原告車のフロントガラスの破損など原告が脳幹部に障害を受けるほどの強度の打撲を頭部に受けたとの事実を窺わせる証拠がないことからして、外傷による直接的な脳幹部の障害を受けたとは認め難いし、<2>外傷による出血・浮腫を原因とする動眼神経伝達経路の障害に関しては、出血・浮腫が事故による打撲の直後に発生し、出血は、その量にもよるが、通常、二、三週間、遅くとも一か月程度でほとんど吸収されるとともに、浮腫もいずれ収まるとみられるところ(乙一四、証人河本)、原告が目の異常を訴えたのが本件事故から約二〇日を経過したころであること、他にMRI検査の結果等、原告の頭部に出血又は浮腫が生じていたことを伺わせる証拠がないことからして、外傷による出血・浮腫を原因とする動眼神経経路の障害を受けたとも認め難いといわざるを得ない。

そこで、次に、複視の原因と考えられる頸椎捻挫について検討すると、その症状分類の一つであるバレ・リユー症候群は、頸部の外傷による出血・浮腫による交感神経の直接的な圧迫又は椎骨動脈の循環不全に伴う交感神経系の刺激状態又は過緊張状態により発現するとされ、その具体的症状として、頭痛、頭重、嘔気、めまい、耳鳴り、難聴等が現れるほか、眼症状として、動眼神経核障害又は頸部交感神経刺激症状、すなわち調節衰弱、輻輳障害、近見障害、眼精疲労、近視化、近視性乱視などが起こり、眼科的な自覚症状としては複視等が顕れるとされ、右眼症状は、受傷直後に発生することは少なく、受傷後二週間ないし三か月経過してから出現する例が比較的多いとされているところ(甲二〇、二一、二九)、前示のとおり、<1>原告が、頸椎捻挫の傷害を受け、その頸部に加わつた外力が軽微であつたとはいえないこと、<2>原告には、本件事故から約二〇日を経過したころ、頭痛、頭重、嘔気、めまいなどの症状が現れるとともに、目の異常が発生し、これが開散麻痺による複視であると認められたこと、<3>前記諸検査結果によれば、原告には、視神経を除いて、神経学的には体全体の神経に全く異常がないとされ、脳幹部等の炎症の存在を伺わせる証拠がないことを総合すると、原告の開散麻痺による複視の症状は、本件事故による頸椎捻挫の症状分類のうちのバレ・リユー症候群の発現によるものであると認めるのが相当であつて、原告に後遺障害として残存した複視の症状と本件事故との間には相当因果関係があるというべきである。

なお、原告には間歇性外斜視が存在するが、松崎浩の鑑定書(乙一六)によれば、これは加齢的に顕在化するものでもあり、原告の年齢等からして、これと本件事故との間の相当因果関係を認め難いところ、証人河本によれば、眼筋麻痺は、斜視と外見上は同じであるが、斜視によつては、複視が発現せず、物が二つに見えることもないため、斜視とは異なり、外斜視と眼筋麻痺の一形態である開散麻痺とは全く関係がないとされているから、右外斜視の存在は、原告の複視の症状と本件事故との相当因果関係に関する右判断を左右しないものというべきである。

二  損害額

1  治療費 二万一八一〇円

甲二、五、六、九、一五の1ないし19によれば、原告が昭和六二年七月一七日から昭和六三年一月一八日までの間の帖佐医院、昭和六二年八月一三日から同年九月一五日までの間の原眼科医院、及び同年九月二一日から昭和六三年二月一八日までの間の帝京大学病院への通院において、少なくとも治療費として二万一八一〇円を支払つたことが認められ、前認定のとおり、原告が複視について症状固定の診断を受けたのは、同年三月三日であることからすると、右治療費は本件事故と相当因果関係がある損害と認めるのが相当である。

2  眼鏡購入代金 〇円

甲一一ないし一四、一七、一八によれば、原告が昭和六二年一一月四日、昭和六三年二月一四日及び同年五月二六日に乱視用の眼鏡又はレンズを購入していることが認められるが、前認定のとおり、原告の両眼複視は乱視用の眼鏡を装着しても消失せず、乱視用の眼鏡をかけると消失する単眼複視は本件事故による眼筋麻痺とは関係がないから、右眼鏡購入代金は本件事故と相当因果関係がない。

3  通院交通費 〇円

前認定のとおり、原告は目の症状の治療のため、実際に、原眼科医院に一八日、帝京大学病院には開散麻痺が症状固定と診断されるまで一七日各通院したことが認められるが、通院するのにどのような交通機関を利用したのか、そして通院交通費としていくらを要したのか立証がなく、認められない。

4  後遺障害による逸失利益 一九五万五八〇五円

前認定の諸検査等の結果に現れた本件後遺障害の内容・程度、原告の就労・生活状態のほか、原告には間歇性外斜視もあり、これによる労働能力の喪失も否定できないことを総合すると、原告は、本件事故と相当因果関係がある両眼複視の後遺障害により、その労働能力の五パーセントを喪失したと認めるのが相当である。そして、甲一六によれば、原告は、本件事故当時、白磁社の営業部長として、同社から年収七〇〇万円の給与の支給を受けていたことが認められ、前認定のとおり、原告は、右後遺障害固定時の昭和六三年三月三日当時、満六二歳の男子で、昭和六三年簡易生命表による平均余命が一八・二二年であることは当裁判所に顕著な事実であるから、本件事故がなければ、右平均余命の約二分の一である九年間就労可能であつたものと認めるのが相当である。しかし、原告の職業、年齢等に照らして考えると、原告の逸失利益は、満六七歳までの五年間は右年収額を基礎として算定すべきであるが、その後の四年間は賃金センサス昭和六三年第一巻第一表による産業計男子労働者学歴計六五歳以上の平均年収三一七万一〇〇〇円を基礎として算定するのが相当であると思料されるから、右金額を基礎に、ライプニツツ方式により年五分の割合による中間利息を控除して、原告の逸失利益の現価を計算すると、次の算式のとおり一九五万五八〇五円となる。

(計算式) {七〇〇万円×四・三二九四+三一七万一〇〇〇円×(七・一〇七八-四・三二九四)}×〇・〇五=一九五万五八〇五円

5  慰謝料 一七〇万円

前認定のとおり、原告が本件事故により、頸椎捻挫の傷害を被り、両眼複視の後遺障害が残存したことにより精神的苦痛を被つたことが認められるところ、本件傷害及び後遺障害の程度、通院期間など本件に顕れた一切の事情を考慮すると、本件事故により原告が被つた精神的苦痛に対する慰謝料は、通院分八〇万円、後遺障害分九〇万円の合計一七〇万円と認めるのが相当である。

そうすると、原告の損害合計額は、三六七万七六一五円となる。

6  弁護士費用 三五万円

原告は、中野寛一郎弁護士に本件訴訟の提起と追行を委任し、同人死亡後は弁護士である原告訴訟代理人にその追行を委任し、その費用及び報酬の支払いを約束したことが認められるところ(弁論の全趣旨)、本件訴訟の難易度、認容額、審理の経過、その他本件において認められる諸般の事情に鑑みると、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用は、三五万円と認めるのが相当である。

三  結論

以上によれば、原告の被告に対する請求は、前記損害合計額に右弁護士費用を加えた四〇二万七六一五円及びこれに対する本件不法行為の後である本訴状送達の日の翌日である平成元年一〇月二二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを正当として認容し、その余は理由がないので失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 南敏文 大工強 湯川浩昭)

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