東京地方裁判所 平成元年(ワ)5391号 判決 1991年5月27日
原告 金井宏樹
金井信子
金井啓子
金井茂子
岸本晧洋
右五名訴訟代理人弁護士 矢島邦茂
被告 有限会社代志田商工
右代表者代表取締役 吉田孝志
右訴訟代理人弁護士 服部正敬
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告は、原告金井宏樹に対し別紙物件目録一記載の株券を、原告金井信子に対し別紙物件目録二記載の株券を、原告金井啓子に対し別紙物件目録三記載の株券を、原告金井茂子に対し別紙物件目録四記載の株券を、原告岸本晧洋に対し別紙物件目録五記載の株券を、それぞれ引き渡せ。
第二事案の概要
一 原告金井宏樹(以下「原告宏樹」という。)は、昭和五三年一二月、被告の前身である有限会社吉田製作所から金二五〇万円を利息及び期限の定めなく借り受け、その担保として別紙物件目録記載の各株券(以下「本件株券」という。)を引き渡した。そして昭和六三年八月五日、原告らは被告に対し、右金二五〇万円を提供し、その後、更に同金額を供託して本件株券の引渡しを求めたのに、被告がこれに応じないとして、本件株券の引渡しを請求する。
なお、原告らは予備的に、被告主張のように株券の売買であったとしても、同時に同金額の再売買の予約がされており、予約完結権を行使することにより、同金額の売買契約が成立したとして売買契約に基づき本件株券の引渡しを求め、また、仮に再売買の予約も認められないとすれば、本件株券の売買は錯誤により無効であるとして、所有権に基づき本件株券の返還を求める。
二 被告の主張
本件株券は、いずれも吉田製作所の代表者であった吉田叶(以下「亡叶」という。)の出資により、同人が取得しており、原告らの名義になっていたとしても、単なる名義株であり、実質的には原告らの所有ではなかった。また、仮に実質的にも原告らに帰属していたとしても、昭和五三年一二月二〇日、売買により、被告は、原告らからその所有権を取得しているのであるから、本件株券を返還する義務はなく、予備的主張はいずれも争う。
三 争いのない事実
1 原告宏樹と亡叶は、株式会社カネシン(以下「カネシン」という。)を資本金七〇〇万円として設立することにし、原告宏樹側と亡叶側とで一株金五〇〇円として、それぞれ七〇〇〇株ずつ引き受けることとし、次のような株式引受人及び引受株数とし、左記原告岸本、新村某を除く七人を発起人として、カネシンを発足させた(ただし原告らが名義のみであったのか、実質的にも負担をしたのかは争いがある。)。
一 原告宏樹側 合計 七〇〇〇株
1 原告宏樹 二〇〇〇株
2 同金井信子 一〇〇〇株
3 同金井啓子 一〇〇〇株
4 同金井茂子 一〇〇〇株
5 同岸本晧洋 二〇〇〇株
二 亡叶側 合計 七〇〇〇株
1 亡叶 四〇〇〇株
2 荻厚次 一〇〇〇株
3 吉田澄子 一〇〇〇株
4 新村某 一〇〇〇株
2 カネシンは、設立後、亡叶を代表取締役、原告宏樹を専務取締役として業績を拡大してきたが、昭和六三年七月二一日亡叶が死亡し、その子である吉田孝志が代表取締役となったが、原告宏樹と対立するに至り、同年九月二日原告宏樹は、専務取締役を辞任し、カネシンに勤務していた原告金井信子(以下「原告信子」という。)、原告金井啓子(以下「原告啓子」という。)も退職した。
3 被告は、もと有限会社吉田製作所の名称であったが、昭和六一年七月二五日に有限会社ワイエス商工に、同年八月二九日に現在の名称にそれぞれ変更し、同年九月一日に肩書住所地に本店を移転した。
四 本件の争点
1 カネシン設立に際し、原告らが実際にも支出し実質的にも本件株券を取得していたか。
2 原告宏樹が被告から借り入れた金二五〇万円の譲渡担保として原告らは被告に本件株券を引き渡したのか、それとも原告らから被告に対し売却されたものか。
3 仮に売買であったとしても同金額による再売買の予約がされていたか。
4 仮に売買であったとしても錯誤により無効であるか。
第三当裁判所の判断
一 本件の経緯について
原告宏樹、同啓子及び被告代表者各本人尋問の結果並びに括孤内の各書証によれば、以下の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。
原告宏樹は、昭和三八年ころから金井製作所の名称で建築金物の製造販売業を営み、昭和四六年社名をカネシン金井製作所に改め、株式会社として経営していたが、昭和五三年三月に取引先の手形が不渡りとなり、総額一四〇〇万円の売掛金の被害が出たため、同原告の母と親交のあった亡叶から約金七〇〇万円を借り受け、不渡手形を買い戻した。更に昭和五三年五月一〇日、同人に対する債務の返済等のため、亡叶の紹介により、大生信用組合から運転資金の名目で金一二〇〇万円をカネシン金井製作所を借主として借入れ、原告宏樹と亡叶は、右借入れについて連帯保証人となった(甲第二号証)。右金額は、二五パーセント程度が拘束預金となることや立ち直りまでに運転資金が必要であることなどから亡叶と同組合との話合いで決定された。亡叶が連帯保証人となるに当たり、原告宏樹は同人に土地家屋の権利証を担保として交付した。その後、同年六月からカネシン金井製作所は右借入金を毎月二〇万円ずつ返済していた(甲第六号証の一、二、同九号証の一、二)。他方、同年八月ころ、原告宏樹と亡叶との間でカネシン金井製作所で作成した製品を販売する会社としてカネシンを設立する話が出され、基本的には両者の共同経営とし、その出資割合は同額とすること、社長は亡叶の社員である荻厚次とすることなどが話し合われた。原告宏樹は、大手の取引先の紹介者である原告岸本にも加わるよう話をし、同人が一〇〇万円程度出資することになったので、原告宏樹も一〇〇万円を出資し、また、共にカネシン金井製作所で仕事をしてきた原告信子、同啓子、同金井茂子(以下「原告茂子」という。)も出資を希望したので、この三名についてはその金額を各五〇万円として、結局、原告宏樹側が合計三五〇万円を出資することになり、亡叶側も同金額を準備することにして、出資金総額は金七〇〇万円となった。そして同年九月五日、亡叶、原告宏樹、亡叶の社員荻厚次、亡叶の妻吉田澄子、原告信子、同啓子、同茂子の七名を発起人として、発起人総会を開き(甲第二号証)、同月一二日、定款を作成し、翌一三日公正証書とし(同三号証)、同月二八日設立登記をした(同一号証)。原告らは、その出資金をねん出するため、同月二〇日、カネシン金井製作所が中の郷信用組合から金二五〇万円を借り受けることにし、翌二一日、これを同会社の当座預金に振替え、これを引き出して出資金に充てた(同五号証の一ないし三)。原告岸本は、亡叶との共同経営を嫌い、実際には出資しないことになった。同年一二月ころ、亡叶は原告宏樹に対し、カネシン金井製作所とカネシンの両方を経営することは困難であるから、カネシン金井製作所を閉鎖して製作は下請けに任せ、これを販売するカネシンの経営に専念するよう要求し、原告宏樹はこれに応じた。また、これに伴い、前記の大生信用組合からの借入金を早く返済することが必要となったが、当時未返済元本は、金一〇六〇万円であり、大生信用組合からの借入れの際設定した定期預金を解約すれば金三〇〇万円を返済できることから、残額の金七六〇万円を工面することが必要であったので、カネシン金井製作所のカネシンに対する売却代金五〇〇万円と亡叶の経営する被告からの金二五〇万円で支払うこととし、同年一二月二九日に大生信用組合に対し、これに一〇万円を加えた金七六〇万円を一括返済し、翌年一月五日前記定期預金を解約して残りの金三〇〇万円を完済した(甲第六号証の一)。原告宏樹は右被告から金二五〇万円を受け取るに当たり、被告から本件株券の交付を求められたが、原告宏樹は共同出資の形を崩したくなかったので、被告に対し、カネシンののれん(営業権)の買取りを求めたところ、被告は価値がないので買えないとして拒絶した。そのため原告らはやむを得ず株券を被告に交付することにした。被告に交付する株券の内訳については、当初はっきりした話はなかったが、当時のカネシン金井製作所の元帳に基づいて原告啓子が作成した書類(同六号証の三)によれば、原告宏樹分が一〇〇万円、原告信子、同啓子、同茂子分が各五〇万円とされているのに対し、他方、同年一二月二〇日付けで、原告宏樹、同信子、同啓子、同茂子、同岸本の株式各一〇〇〇株を被告に、同岸本の株式の残り一〇〇〇株を原告宏樹に、それぞれ譲渡する旨の譲渡承認請求書(乙第二、第三、第五ないし第七号証)及び代表取締役亡叶としてカネシンの株式譲渡承認書(甲第七号証の一ないし五)が作成されている。右譲渡承認請求書は名義を借りていた原告岸本以外は原告らの実印であり、原告啓子の印は、原告信子に預けていたものである。また、右当時代表取締役は荻厚次であり、亡叶は、昭和五四年三月二六日に代表取締役に就任している(甲第八号証の二)。被告からカネシン金井製作所に交付された金二五〇万円については利息や期限についての話はなく、その金員の性質について何らの書面も作成されなかった。ところで、原告啓子、同信子は、昭和五三年一一月、カネシン金井製作所を閉鎖してから後は、新会社のカネシンで勤務するようになり、原告信子は社長室で執務し、経理関係は原告啓子が担当していたのであるが、原告啓子又は原告信子は、株式配当に関する書類の作成に関与しており、その中には株主が四名であることが記載されている文書(甲第八ないし第一三号証の各一)もあった。また、株式譲渡承認請求書(乙第六号証)の金井啓子の印影は同原告が原告信子に預けていた印の印影であり、前記書類(乙第八号証ないし第一三号証の各一)は原告啓子の作成名義になっているが、同原告の字ではなく、原告信子の字と推測される。その後、更にカネシン金井製作所の清算のため、前同様亡叶が連帯保証人となり、三菱銀行から借入れをし、その返済をするのに昭和五六年の夏ころまでかかった。亡叶が預かっていた権利証は昭和六一年ころ原告らに返還された。昭和六三年七月に亡叶が亡くなり、その子である吉田孝志(以下「孝志」という。)が被告代表者となった。孝志は、亡叶の遺言では社長となってカネシンを経営するよう要請されていたのであるが、まだ経験が浅いことから、原告宏樹の方が適任であると考え、同原告に対し、カネシンの社長になるよう求めたのに対し、原告宏樹は、カネシンの株を少なくとも半分は取得したいという話を出した。これに対し孝志からは、原告宏樹は現在二〇〇〇株持っているので、半分にするには更に五〇〇〇株が必要であり、一株の評価額が一万円前後であるから五〇〇〇万円前後の金額になる旨の話が出され、その後、原告宏樹と孝志との間で何回か話合われたが、最終的に昭和六三年八月の終わりころに孝志は株券の譲渡を断わるに至り、同年九月二日、原告宏樹は、カネシンを辞めた。その間、原告宏樹から孝志に対し、本件株券が金二五〇万円の担保であるとの話は出なかった。
二 本件株券の帰属について
以上の事実によれば、カネシン設立当時、原告らの財政状態は良くなかったとは言えるものの、本件株券については、原告岸本を除くその余の原告らは現実に出資していたものと認められる。なお、原告本人尋問の結果によれば、原告岸本の分については、原告信子が都合したというのであるが、何らの書証もなく、同原告が特にこれを負担する資力を持っていたとの証拠もなく、必ずしも信用できるものではないが、しかし、少なくとも、その後、被告が金二五〇万円の交付の際に名義を自己に書き換えた株券は同金額に対応するものであり、原告岸本の株の半分が同時に原告宏樹に譲渡されたこと、その結果、原告宏樹は、なお二〇〇〇株の株式を保有し続けることになったが、これについては亡叶は原告宏樹に対しその引渡しを求めていないことなどを併せ考えると、原告岸本の出資金も原告側で負担したものと推認すべきであり、これを覆すに足りる証拠はない。したがって、本件株券は、いずれも当初は原告らに帰属していたものというべきである。
三 本件株券の交付は、売買か譲渡担保かについて
前記認定の事実によれば、被告は、原告らに金二五〇万円を交付するに当たり、利息、損害金、返済期限など通常被告のような金融業者が金銭を貸すに当たって付すべき事柄についてなんらの取り決めも行っておらず、その半面、原告らから被告に対し、ちょうど金二五〇万円に相当する本件株券が譲渡されており、強い対価性が認められること、また、譲渡担保の場合、貸金の返済を確保するために譲渡が行われるのであるが、その後亡叶が亡くなるまでの約一〇年間、被告から原告らに対し、金二五〇万円の返還を求めたことも原告らから被告に対し、金二五〇万円を提供若しくは供託して、株券の返還を求めたこともないのであり、譲渡担保であるとの認識を有していたとすればとられていたであろうと推測される行為に原告らも被告も及んではいないこと、また、亡叶が亡くなってから原告らから被告の現在の代表者である孝志に対し株券の交付を求めた際にも、本件株券が譲渡担保であるとの話は出ていなかったこと、そのほか前記認定の経緯を総合考慮すると、本件株券は原告らから被告に対し金二五〇万円で売買されたものと認めるのが相当であり、右認定を覆すに足りる証拠は認められない。
四 再売買の予約について
次に原告らは、仮に売買であるとしても、原告らと被告との間で、期限の定めなく、原告らが被告から金二五〇万円で本件株券を買い受ける旨の再売買の予約がされており、おそくとも昭和六三年八月までに予約完結権行使の意思表示をしたから株券の引渡しを求めることができると主張し、原告宏樹の本人尋問の結果によれば、亡叶は、カネシン金井製作所の清算が済み、金二五〇万円を返せば本件株券を返すと言っていたこと、その後、原告宏樹は株券を返還するよう亡叶に求めていたが、亡叶は、そのうち戻す旨を答えるだけで金二五〇万円で本件株券を原告らに返還する旨の書面を作成することはしなかったこと、その後も原告宏樹は亡叶にそのことを数度に亙り求めていることなど原告らの主張に沿う事実も窺われるのであるが、他方、前記認定の事実によれば、本件売買から約一〇年間、原告らにおいて金二五〇万円を準備することが可能であったにも関わらず、原告らが亡叶に対し、金二五〇万円を提供して株券の返還を求めたことはなく、同人の死後孝志に対しても、亡叶と合意があった旨は述べておらず、むしろ、現在時の評価額での取引を考えていたと推測されるのであり、また、数度に亙り亡叶に株券の引渡しを求めていたことを考えると、亡叶が真実本件株券を原告らに引き渡す意思があるのか、いつ幾らくらいなら引き渡すのかなどについて曖昧な返答をしていたことが推測され、これらの事実に、通常、再売買の予約をするのは、期限を定め、利息相当分を上乗せすることにより、実質担保の機能を果たさせることに意義があり、当初の売買代金額で期限の定めなく一方に予約完結権を与える再売買の予約をするということは異例のことであり、このような再売買の予約の存在を認定するには、これを合理的に説明できるような特段の事情が必要であると解されるところ、これを認めるに足りる証拠は見当たらず、そのほか前記認定の諸事情を総合すると、原告らと亡叶との間で本件株券について当初から再売買の予約が成立していた事実を認めることはできないと言わねばならない。
五 錯誤による無効について
原告らは、被告から金二五〇万円を受領するに際し、亡叶の何れは株券を返還する旨の言葉を信じ、返してくれると考えて本件株券を被告に交付したもので、将来本件株券の返還を受け得ないものであったとすれば株券を譲渡する意思表示をしなかったものであり、そのことは亡叶も知っていたのであるから、錯誤により無効であると主張するのであるが、前記認定の事実によれば、亡叶が原告宏樹に対し、将来株券を返してもよいという趣旨の話をしていたことは推測されるものの、数年経過し、株価がどのように変動していても、金二五〇万円の提供があれば、いつでもこれを返還する旨を表示したとまでは認めることができず、原告自身も株券の返還が重要なことであれば、亡叶が生きている間に、いつでも金二五〇万円を提供し、その返還を求めることができたのであるから、当然これを求めるのが通常と考えられるのであるが、そうした事実は認められないのであり、また、前記4で認定したように、一〇年経過後であっても当初の金二五〇万円を提供さえすれば、本件株券を返還する旨を表示するということは通常考えられず、現に企業を経営する原告らにおいて、これを信じるということも一般には考えられないのであり(実際、原告宏樹が孝志に株券の交付を求めた際、当初の金二五〇万円では無理であろうと考えたのは企業人として当然の判断であったと思われる。)、そうした諸事情を総合考慮すると、亡叶が原告らに対し、将来原告宏樹が社長になるとか、株券はいずれ返すとか、原告らに株券返還の期待を抱かせるような言動をしていたことは事実としても、これをもって動機の錯誤であり、要素の錯誤として無効であるとまでいうことはできないと言わねばならない。
六 結論
以上によれば、原告らの請求はいずれも理由がないから、これを棄却する
(裁判官 大塚正之)