東京地方裁判所 平成元年(ワ)5663号 判決 1998年9月11日
原告 スタミカーボン・ビー・ベー
右代表者 ウエー・イエー・フアン・アツセルト
同 ウエー・セー・エル・ホーヘストラテン
右訴訟代理人弁護士 品川澄雄
右訴訟復代理人弁護士 中島和雄
右補佐人弁理士 中村至
被告 三井化学株式会社
右代表者代表取締役 佐藤彰夫
右訴訟代理人弁護士 花岡巖
同 黒田英文
右訴訟復代理人弁護士 新保克芳
右補佐人弁理士 小田島平吉
同 江角洋治
同 大島正孝
同 平井保
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
一 被告は、別紙物件目録記載の物件を製造し、販売し、販売のために宣伝、広告をしてはならない。
二 被告は、所有する前項の物件を廃棄せよ。
三 被告は、原告に対し、金一億二〇〇〇万円及びこれに対する平成八年一二月三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、原告が、被告に対し、後記一1記載の特許権に基づき、被告による別紙物件目録記載の製品(以下「被告製品」という。)の製造、販売が原告の右特許権を侵害するものであるとして、被告製品の製造、販売、販売のための宣伝・広告の差止め及び被告製品の廃棄を求めるとともに、不当利得返還請求権に基づき、右特許の出願公告の日である平成元年二月一五日から平成六年一二月までの間に被告製品の製造、販売によって被告が得た利得七五億五一六〇万円の内金一億二〇〇〇万円及びこれに対する右不当利得の後である平成八年一二月三日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。
一 争いのない事実
1 原告の特許権
原告は、次の特許権(以下「本件特許権」といい、特許請求の範囲第1項記載の発明を「本件発明」という。)を有する。
(一) 特許番号 第一六〇一一七一号
(二) 発明の名称 ポリエチレン延伸フィラメント
(三) 登録年月日 平成三年一月三一日
(四) 出願年月日 昭和五五年二月七日
(五) 出願番号 特願昭五九-一六八七三八号
(六) 優先権主張 国名 オランダ国
出願年月日 一九七九年(昭和五四年)二月八日
(六) 出願公告年月日 平成元年二月一五日
(七) 出願公告番号 特公昭六四-八七三二号
(八) 特許請求の範囲 本判決添附の特許公報(以下「本件公報」という。)の該当欄第1項記載のとおり
2 構成要件の分説
本件発明の構成要件は、次のとおりに分説される。
(一) 次の製法により得られうること
(1) 濃度一~三〇重量%の、重量平均分子量六〇万以上のポリエチレンの溶液を紡糸して溶液状態のフィラメントを得、
(2) 該溶液フィラメントを冷却することによってゲルフィラメントとし、
(3) 得られたゲルフィラメントを延伸比が少なくとも一一以上において延伸すること
(二) 次の物性を備えたポリエチレン延伸フィラメントであること
(1) 引張強度 少なくとも一・三二Gpa
(2) 弾性率 少なくとも二三・九Gpa
3 被告の行為
(一) 被告は、昭和六〇年四月以降、被告製品を製造、販売している。
(二) 被告製品は、本件発明の構成要件(二)を充足する。
4 専用実施権の設定
原告は、東洋紡績株式会社及び日本ダイニーマ株式会社に対し、本件特許権につき、次の約定で専用実施権を設定し、平成四年六月二二日登録を了した。
(一) 地域 日本国
(二) 期間 本件特許権存続期間満了の日まで
(三) 対価の額 四〇〇万米ドル及び実施料率三%
二 争点
1 被告製品が本件発明の構成要件(一)を充足するか(構成要件(一)の「得られうる」の解釈)。
2 専用実施権を設定した特許権者が差止請求権を有するか。
3 被告製品が本件特許権を侵害する場合、原告が被告に返還請求しうる不当利得の額
三 争点に関する当事者の主張
1 争点1(構成要件(一)の解釈、充足性)について
(一) 原告の主張
(1) 本件発明の構成要件(一)における「得られうる」とは、構成要件(一)(1) ないし(3) 記載の製法(以下「構成要件(一)の製法」という。)によって製造することができることを意味するものであり、構成要件(一)の製法によって製造されることを要することを意味するものではない。
(2) 重量平均分子量、引張強度、弾性率において被告製品と同様の物性を有するポリエチレン延伸フィラメントが構成要件(一)の製法によって得られたという実験報告(甲第一七号証、甲第二〇号証)に照らし、被告製品についても構成要件(一)の製法によって製造することができるというべきであるから、被告製品が実際にいかなる製法によって製造されているかに関わりなく、被告製品は本件発明の構成要件(一)を充足する。
(二) 被告の主張
(1) 以下に述べるような本件特許の優先権主張日前の公知物質の存在及び本件特許の出願の経緯によると、本件発明の構成要件(一)における「得られうる」とは、本件発明の対象物を構成要件(一)の製法によって製造されたものに限定する趣旨と解すべきである。
<1> 本件特許の優先権主張日前の公知物質
ア 本件特許の優先権主張日前に出願公開され、公知となった特開昭五二-一五五二二一号の特許発明(乙第一号証)の実施例Vには、重量平均分子量一五〇万のポリエチレンのフィラメントで、引張強度二・八九Gpa、弾性率約一〇〇Gpaのものが開示されているところ、右物質は、重量平均分子量、引張強度、弾性率において本件発明の対象物と同様の物性を有するポリエチレン延伸フィラメントである。
イ 本件特許の優先権主張日前に出願公開され、公知となった特開昭五二-七四六八二号の特許発明(乙第二号証)の実施例1には、重量平均分子量八〇万のポリエチレンを延伸して弾性率三六Gpaの繊維を得たことが開示されているところ、追試の結果(乙第三号証の一及び二、乙第一一号証)によると、弾性率が三六Gpaである重量平均分子量八〇万のポリエチレン延伸物の引張強度は、一・三二Gpaを超えることが確認された。したがって、右特許発明の実施例1で開示されている物質は、重量平均分子量、引張強度、弾性率において本件発明の対象物と同様の物性を有するポリエチレン延伸フィラメントである。
ウ 本件発明の特許請求の範囲で、わざわざ製法が記載されているのは、右のような公知技術との対比の必要から加えられたものであり、本件発明のポリエチレン延伸フィラメントを分子量、引張強度、弾性率だけでは新規なものとして表現できないからである。したがって、構成要件(一)の製法の記載は、「当該製法によって得られたもの」という限定を行ったものである。
<2> 本件特許の出願の経緯
ア 本件特許の出願当初の明細書(乙第二〇号証)の特許請求の範囲の記載は、「濃度一~三〇重量%のポリエチレン溶液を紡糸して溶液状態のフィラメントをえ、該溶液フィラメントを冷却することによってゲルフィラメントとし、得られたゲルフィラメントを延伸比が少なくとも一〇以上において延伸することにより得られる少なくとも一・二Gpaの引張強度を有するポリエチレン延伸フィラメント」というものであって、明らかに本件発明の製法で製造したものに限定されており、別の方法で製造したものを含むと解釈できる余地はなかった。
イ 本件特許の出願に対し、昭和六一年一〇月二四日付けで拒絶理由通知(乙第二四号証)がなされ、その中で「本願発明は特許法第二九条第一項第三号および同法第二九条第二項の規定により特許を受けることはできない」との拒絶理由が示されたのに対し、出願人である原告は、昭和六二年六月八日付け意見書(乙第二五号証)において、「本願発明はポリエチレン溶液を紡糸-固化して得られたゲルフイラメントを高倍率で延伸して得られる高強力ポリエチレンフイラメントに関するものであり、明細書の記載より明らかな如く、分子量が数一〇〇万にも及ぶ極めて高い分子量のポリエチレンを用いている点、および特にゲルフイラメントが相当量の溶媒を保持したままの状態で延伸を開始して一段にて高延伸を行っている点に大きな特徴があります。」と主張しており、右主張によると、本件発明の対象物が方法自体に特徴がある特定の製造条件で製造されたものであることを出願人である原告自身が出願過程において明白に表明していた。
ウ 本件特許の出願に対し、昭和六三年六月一四日付けで拒絶理由通知(乙第二一号証)がなされ、その中で「特許請求の範囲には、発明の詳細な説明に記載されている発明の必須の構成要件のみが記載されているものとは認められない(原料ポリエチレン、特徴とする延伸条件およびフィラメントの特性を明確にする必要がある)。」との拒絶理由が示されており、特許庁の判断においても、本件発明の対象物がその特徴とする延伸条件で製造されたものに限定されることが当然の前提となっている。
エ 原告は、本件特許の出願から、製法限定のない「高分子ポリエチレン延伸フィラメント」について分割出願をしたが、これに対して、昭和六三年三月一六日付けで拒絶理由通知(乙二九号証の二)がなされ、その中で「特許請求の範囲では高強度および高弾性率であるというポリエチレンフィラメントの所望条件を限定しているにすぎず、本発明の目的(所望条件のフィラメント)を達成するための技術的条件、すなわち特定の製造条件が明確になっていない。」、「本願発明の技術的条件は特定の製造条件にあるものと認められ、該製造条件は前記原出願および原出願で特定しているものと同一であるから、本願発明は原出願と実質的に同一と認める。よって出願日は遡及しない。」との拒絶理由が示されており、特許庁においても、本件発明において目的物を得るための特定の製造条件が不可欠の要件であると判断している。
オ 本件発明に関する特許異議の決定(甲第一五号証)において、特許庁は、「特許請求の範囲によれば、この出願の発明に係るポリエチレン延伸フィラメントの物性(引張強度、弾性率)が規定され、そのフィラメントを得るための製造条件(原料、紡糸条件、延伸条件)が規定されており、係る発明を十分特定しているものと認められる。・・・「得られうる」の語は、該製造条件によって得られるフィラメントのうち、上記特性を満足するものに限定されることをさしている」との判断をしており、本件発明の対象物が特許請求の範囲記載の特定の製造条件によって得られたものに限定されることを当然の前提としている。
(2) 他方、被告製品の製造方法は、原料ポリエチレンとパラフィンワックスを混合し、押出機によって溶融混練して紡糸し、得られたフィラメントを延伸するものであるから、「溶液紡糸」ではなく、また、右フィラメントは固相と固相からなっていて固相と溶媒から成る「ゲルフィラメント」ではない。したがって、被告製品の製造方法は、構成要件(一)の製法とは明らかに異なる。
(3) よって、被告製品は、本件発明の構成要件(一)を充足しないから、その技術的範囲に属しない。
(三) 原告の反論
(1) 被告が本件発明の優先権主張日前の公知物質として主張する特開昭五二-一五五二二一号の特許発明の実施例Vに示された物質は、以下の理由により、ポリエチレンの「延伸フィラメント」に当たらないから、本件発明の対象物と同様の物性を有する物質とはいえない。
<1> 繊維加工の分野において「延伸」とは、紡糸された繊維に機械力を加えて繊維軸方向に引き延ばす操作を指すところ、特開昭五二-一五五二二一号の特許発明の実施例Vでは、あらかじめ用意されたポリエチレンの種結晶を容器内のポリエチレン溶液に接触させ、種結晶の影響によって種結晶の先端に結晶化して次第に生長する繊維状のポリエチレンを結晶の生長速度にほぼ等しい極めて緩慢な速度で容器内から外に巻き取るという操作によって繊維状物を得ているにすぎず、「延伸」の操作が施されていない。
<2> 特開昭五二-一五五二二一号の特許発明の実施例Vに示された物質は、巻き取りを続けると断面積が次第に減少してやせ細り、遂には破断するに至る物であり、実質的に均一な断面積を有する「繊維」とはいえないから、フィラメント(長繊維)に当たらない。
(2) 被告が本件発明の優先権主張日前の公知物質として主張する特開昭五二-七四六八二号の特許発明の実施例1に示された物質は、以下の理由により、本件発明の対象物と同様の物性を有する物質とはいえない。
<1> 特開昭五二-七四六八二号の特許発明の実施例1には、引張強度について何らの記載もないから、この点において、本件発明の対象物と同様の物性を持つとは認められない。
<2> 特開昭五二-七四六八二号の特許発明の実施例1に関する追試として被告が行った実験(乙第三号証の一、乙第一一号証)は、追試というに値しないものであるから、その結果に基づく被告の主張は失当である。
<3> 特開昭五二-七四六八二号の特許発明の実施例1で示された物質は、圧縮成形によって得られたポリエチレンのシートから、縦一センチメートル、横〇・二センチメートルのダンベル状のごく小さい切片を切取った上、その縦方向の両端を引張試験機で引っ張って引伸して製造される物であるが、かかる短冊様の物はフィラメント(連続した極めて長い繊維)とはいえない。
(3) 以上のとおり、被告が主張する公知物質はいずれも、重量平均分子量、引張強度、弾性率において本件発明の対象物と同様の物性を有するポリエチレン延伸フィラメントとはいえないから、それを前提とする被告の主張は失当である。
2 争点2(専用実施権を設定した特許権者による差止請求の可否)について
(一) 原告の主張
特許権者が専用実施権を設定する関係は、あたかも所有者が所有物を第三者に使用収益せしめる場合の関係に等しく、あくまでも制限的権利の設定にほかならないから、所有者が物上請求権を失わないのと同様に、専用実施権を設定した特許権者も差止請求権を失わない。
(二) 被告の主張
所有権においては、例えば特定の有体物を第三者が不法占有した場合、その有体物自体の変更、滅失、毀損の危険があるから、その有体物を賃貸していても、所有者が不法占有者に物権的請求権を行使できるのは当然である。しかも、特定の有体物を賃貸している場合にその有体物の使用が第三者によって妨害されれば、賃借人の使用ができなくなるから、所有者はその妨害を進んで排除しないと賃借人に使用収益させる義務を履行できないことになる。
一方、特許権は、観念的な存在であるから、特許権侵害があっても特許権そのものの内容に変更の生ずる危険は全くないし、実施権を有する者が実施できることに変わりはなく、特許権者には侵害を進んで排除する義務もないから、専用実施権者と離れて特許権者単独での差止請求権の行使を認める必要はない。
したがって、専用実施権を設定した特許権者は差止請求権を行使できない。
3 争点3(不当利得の額)について
(一) 原告の主張
(1) 被告は、本件発明の出願公告の日である平成元年二月一五日から平成六年一二月までの間に、一三四八・五トンを下らない量の被告製品を製造し、これをキロ当たり八〇〇〇円を上回る価額で販売し、合計七五億五一六〇万円の利益(販売利益率七〇パーセント)を得た。
(2) 被告が得た右利益は、法律上の原因なくして原告の特許発明から受けた利得であり、原告は、被告の右行為によって同額の損失を受けたから、不当利得返還請求権に基づき、被告に対し、右金額の内金一億二〇〇〇万円の返還を求める権利を有する。
(二) 被告の認否
(1) は否認し、(2) は争う。
第三争点に対する判断
一 争点1(構成要件(一)の解釈、充足性)について
1 被告主張の公知物質について
(一) 被告は、重量平均分子量、引張強度、弾性率において本件発明の対象物と同様の物性を有するポリエチレン延伸フィラメントが本件特許の優先権主張日前に公知であったことをその主張の根拠としており、他方、原告はこれを争っているところ、右の点は、構成要件(一)の製法規定の意義を解釈する上で重要な点であるので、まずこの点につき検討する。
(二) 特開昭五二-一五五二二一号の特許発明の実施例Vの物質について
(1) 乙第一号証によると、本件発明の優先権主張日の前である昭和五二年一二月二三日に、繊維状重合体結晶の連続製造方法及びその装置に関する特許発明が特開昭五二-一五五二二一号として出願公開されているところ、その実施例Vには、「実施例Iに記載した方法で、p-キシレン中ホスタレンGURの一%溶液から一一九・五℃でフィラメントを製造した。ヤング率は、一〇・二×一〇〇〇kg/mm、引張強さは、二九・五kg/mmそして破断伸びは、わずか三・六%であった。」と記載されていることが認められる。そして、弁論の全趣旨によると、右記載中の「ホスタレンGUR」は、重量平均分子量一五〇万のポリエチレンであること、「ヤング率」は「弾性率」と同義であり、その値一〇・二×一〇〇〇kg/mmは弾性率約一〇〇Gpaに相当すること、引張強さの値二九・五kg/mmは二・八九Gpaに相当することが認められる(右の点は、原告も明らかに争っていない。)。
したがって、特開昭五二-一五五二二一号の実施例Vで開示され、本件発明の優先権主張日前に公知となっている物質(以下「公知物質1」という。)は、ポリエチレンの重量平均分子量、弾性率、引張強度の各物性に関して、本件発明の対象となる範囲に含まれるものといえる。
(2) 原告は、公知物質1の製造にはポリエチレンを「延伸」する操作がないので、公知物質1は本件発明の対象物である「ポリエチレン延伸フィラメント」に当たらない旨主張するので、この点につき検討する。
<1> 高分子技術の分野において、一般に「延伸」とは、「材料を引き伸ばすこと」(朝倉書店「高分子辞典」七四ページ)、「分子配向を制御する目的で固体状態で行われる塑性的伸張操作」(朝倉書店「新版高分子辞典」四四ページ)を意味するものとされているところ、本件発明の特許請求の範囲における「延伸」についても、右のような一般的意味と異なる意味で用いられていると解すべき特段の根拠は認められないから、同様の意味に理解すべきである。
この点原告は、繊維加工の分野において「延伸」というためには、対象物を引き延ばす操作の前に、「紡糸」すなわち「溶剤に溶かした高分子溶液又は加熱溶融した高分子流体を紡糸口金に設けられた細い孔を通して押し出して繊維とする操作」がなされなければならない旨主張するが、右のように限定的に解すべき根拠を証拠上認めることはできないから、原告の主張は採用できない。
<2> 他方、乙第一号証によると、特開昭五二-一五五二二一号で開示されている公知物質1の製造方法は、別紙図一に示すようなローターを内包する容器中にポリエチレン溶液を入れ、ローターを回転させて溶液の流れを作った上で、右容器に連通する管を通して繊維状のポリエチレンの種結晶を挿入してローターに接触させることによりローター表面に沿って結晶化し、生長する繊維状のポリエチレンを右生長速度にほぼ等しい速度で前記の管を通して外部に巻き取るという方法であることが認められるところ、右ローターの回転速度は、ローター表面に沿って結晶化し、生長する繊維状ポリエチレンの生長速度(すなわち巻き取り速度)の少なくとも二倍とされている(乙第一号証一二一ページ左下欄)のであるから、右ローター表面に沿って結晶化して巻き取られるポリエチレンには、生長速度を上回る速度でのローターの回転によって、巻き取り方向とは反対方向に引き伸ばされる作用が働くものと考えられる。そして、右のような引き伸ばされる作用は、前記<1>のように定義付けられる「延伸」にほかならないというべきである。
<3> また、この点に関しては、特開昭五二-一五五二二一号のポリエチレン繊維の製造方法である表面生長法において、「ローターの表面に付着するポリエチレンゲルの延伸を必然的に伴う」との考察が、右方法の発明者の一人であるペニングス等によって示されていること(乙第一二号証)、被告の研究員である八木和雄が高弾性率・高強度ポリエチレンの調整法について解説した論文によると、ペニングス等による表面結晶生長法で出された高弾性率・高強度化のポイントの一つが、「ローターの高速回転で発生するコエット流れ下のずり応力により分子が延伸され、配列していること」であったとされていること(甲第一一号証の二・三七ページ左欄下から八行目以降)が認められる。
<4> 以上によると、公知物質1は、その製造過程において、「延伸」の操作を施されているものというべきであり、原告の前記主張は理由がない。
(3) さらに、甲第二一号証の一ないし三によると、「フィラメント」は、「連続した極めて長い繊維」を意味するものと認められるところ、原告は、公知物質1は、その製造方法からみて実質的に均一な断面積を有するものではないから、「繊維」とはいえず、したがって、フィラメントではない旨主張するので、この点につき検討する。
<1> 甲第一二号証及び甲第二〇号証によると、特開昭五二-一五五二二一号の方法である表面生長法によってポリエチレン糸を製造したところ、時間の経過に従って生成されるポリエチレン糸の断面積が減少するという実験結果が得られたことが認められる。そして、右のような結果は、前記(2) <2>記載のような表面生長法によるポリエチレン糸の製造を一定の条件下で実施する限り、結晶化されたポリエチレンの巻き取りにより溶液中のポリエチレン濃度が次第に低下することによって、当然に生じる結果と考えられる。
<2> しかしながら、特開昭五二-一五五二二一号の明細書の発明の詳細な説明の中では、生成されるフィラメントの太さが、巻取速度(乙第一号証一二一ページ右上欄一〇行目ないし一六行目)、ポリエチレン溶液の濃度(乙第一号証一二一ページ右下欄一〇行目ないし一二行目)、ローター速度(乙第一号証一二三ページ左上欄二〇行目ないし右上欄五行目、左下欄一二行目ないし一三行目、一二四ページ第二図)の各条件によって変化することが示されており、また、同明細書の特許請求の範囲及び発明の詳細な説明の中では、同特許発明の方法によって製造される物が「フィラメント」として繰り返し表現されている上、実施例Vの説明においても「実施例Iに記載した方法で、・・・フィラメントを製造した。」と記載されている。これらの記載からすれば、特開昭五二-一五五二二一号の方法においては、前記<1>のような実用上不都合な結果が生じないように、右巻取速度等の条件を適宜調整することにより断面積の均一なフィラメントを製造することができることが当然の前提とされているものと認められ、現に、乙第三〇号証、第三一号証及び弁論の全趣旨によると、被告が実験したところ、特開昭五二-一五五二二一号の方法によって断面積が実質的に均一な繊維が得られたことが認められる。
<3> したがって、特開昭五二-一五五二二一号の特許発明においては、断面積が実質的に均一となるポリエチレンフィラメントの製造方法が開示されているものというべきであり、その実施例の一つである公知物質1についても、断面積が実質的に均一なフィラメント(長繊維)として開示されているものと認められる。
(4) 以上のとおり、公知物質1は、本件特許の優先権主張日前に公知であった物質であり、重量平均分子量、引張強度、弾性率の各物性において本件発明の対象となる範囲に含まれるポリエチレン延伸フィラメントである。
(三) 以上によると、被告が公知物質として主張するその余の物質について検討するまでもなく、本件発明は、特許請求の範囲に示された原料となるポリエチレンの重量平均分子量、ポリエチレン延伸フィラメントであること並びに特許請求の範囲に示された右フィラメントの引張強度及び弾性率のみでは新規性を有しないものであり、したがって、構成要件(一)の製法を特許請求の範囲に規定することによって初めて新規な発明として特許性が認められたものというべきであるから、構成要件(一)は、特許の対象となる物を限定し、特定する要素として理解しなければならない。
2 構成要件(一)における「得られうる」の解釈について
本件発明の構成要件(一)について、前記1(三)のような理解を前提とした上で、同要件における「得られうる」の趣旨をどのように解すべきかについて検討する。
(一) 原告の主張(前記第二の三1(一)(1) )の当否
本件発明は、物の発明であるから、物として特定していなければならないところ、構成要件(一)は、右のとおり、その物を特定する要素である。したがって、原告が主張するように「構成要件(一)の製法によって製造することができるものであれば、他の製法で製造されたものであっても、本件発明の技術的範囲に含まれる」と解するためには、ある物が構成要件(一)の製法によって製造することができるものであれば、他の製法で製造されたものであっても、常に同一の物ができることが認められなければならず、そうでなければ、構成要件(一)によって物が特定されたということはできない。そして、ここでいう同一の物かどうかは、本件発明の特許請求の範囲に示された原料となるポリエチレンの重量平均分子量、断面積が実質的に均一なポリエチレン延伸フィラメントであること、特許請求の範囲に示された右フィラメントの引張強度及び弾性率というような、本件特許の優先権主張日前に公知であった構造又は特性によって判別されるものでないことは、既に判示したところから明らかであるところ、それ以外の点から、構成要件(一)の製法によって製造することができるものであれば、他の製法で製造されたものであっても、同一の物ができることを認めるに足りる証拠はない。よって、原告の右主張を採用することはできない。
(二) 構成要件(一)の製法規定の意義
前記のとおり、本件発明において、構成要件(一)は、その製造方法によって特許の対象となる物を特定するための要件として理解すべきであるが、一般に、特許請求の範囲が製造方法によって特定された物であっても、対象とされる物が特許を受けることができる物である場合には、特許の対象を、当該製造方法によって製造された物に限定して解釈する必然性はなく、これと製造方法は異なるが物としては同一であるものも含まれると解することができる。
また、本件発明の特許請求の範囲は、「得られうる」という文言であるから、文言から、本件特許の対象が、構成要件(一)の製法によって製造された物に限定されるということはできない。
さらに、<1>乙第二〇号証によると、本件特許の出願当初の明細書の特許請求の範囲の記載は、「濃度一~三〇重量%のポリエチレン溶液を紡糸して溶液状態のフィラメントをえ、該溶液フィラメントを冷却することによってゲルフィラメントとし、得られたゲルフィラメントを延伸比が少なくとも一〇以上において延伸することにより得られる少なくとも一・二Gpaの引張強度を有するポリエチレン延伸フィラメント」というものであったことが認められるが、ここで用いられている「得られる」という文言から直ちに本件特許の対象が構成要件(一)の製法で製造したものに限定されていたということはできないこと、<2>乙第二四号証及び第二五号証によると、本件特許の出願に対し、昭和六一年一〇月二四日付けで拒絶理由通知がなされ、これに対して、出願人である原告は、昭和六二年六月八日付け意見書において、「本願発明はポリエチレン溶液を紡糸-固化して得られたゲルフィラメントを高倍率で延伸して得られる高強力ポリエチレンフイラメントに関するものであり、明細書の記載より明らかな如く、分子量が数一〇〇万にも及ぶ極めて高い分子量のポリエチレンを用いている点、および特にゲルフイラメントが相当量の溶媒を保持したままの状態で延伸を開始して一段にて高延伸を行っている点に大きな特徴があります。」、「異なる製法によって発現されたフィラメントの力学的特性が現に大きく異なっているのは必然ではないかと思料します。」と主張していることが認められるが、右主張によっても、原告が、本件特許の対象が構成要件(一)の製法で製造したものに限定されることを表明していたとまで認めることはできないこと、<3>その他、本件特許出願の経緯において、原告が、本件特許の対象が構成要件(一)の製法で製造したものに限定されることを表明したことを認めるに足りる事実は認められないことからすると、本件特許の対象が、構成要件(一)の製法によって製造された物のみに限定され、これと製造方法は異なるが物としては同一であるものを含まないことが、出願人たる原告の意図として表明されていたものと認めることはできない。
そうすると、構成要件(一)は、その製造方法で製造されること自体を要求する趣旨の要件ではなく、右製造方法によって製造された物と、物としての同一性があることを要求する趣旨の要件と解すべきである。そして、そのような解釈は、明細書における特許請求の範囲の記載要領として、高分子物質の発明につき、「高分子物質は、特定されて記載されていなければならない。高分子物質を特定するにあたっては、その物質の構造を表わす要件によって特定することを原則とする。この要件としては次のようなものが挙げられる。
(イ) 繰返し単位、(ロ) 分子量、(ハ) 配列状態(ホモ、ブロック、グラフト、頭尾結合等)、(ニ) 部分的特徴(分岐度、置換基、二重結合、架橋度、末端基等)、(ホ) 立体特異性(立体規則性)
上記構造を表す要件だけでは十分特定できないときは、更に次のような要件を加えて特定できる場合に限り、これら要件を加えて特定することができる。ただし、これらの要件は定量的に表現すべきものである。
(イ) 結晶性、粘度、二次転移点、密度
(ロ) 引張り強度、伸張度、弾性率、硬度、衝撃強度
(ハ) 透明度、屈折率
また、構造を表す要件及び上記要件によっても十分特定できないときは、更に製造方法を加えることによって特定できる場合に限り、特定手段の一部として製造方法を示してもよい。ただし、製造方法のみによる特定は認めない。」と定めている特許庁の「物質特許制度及び多項制に関する運用基準(昭和五〇年一〇月)」の趣旨とも合致するものといえる(東京高裁平成九年七月一七日判決・判例時報一六二八号一〇一ページ参照)。
3 構成要件(一)の充足性について
(一) 構成要件(一)について前記2(二)のような解釈を前提とすれば、被告製品が構成要件(一)を充足すると認められるためには、被告製品が、構成要件(一)の製法によって特定される物と、物としての同一性があることが認められる必要があり、そのためには、<1>被告製品が構成要件(一)の製法によって現に製造されている事実が認められるか、又は、<2>構成要件(一)の製法によって特定される物の構造若しくは特性が明らかにされた上で、被告製品が右と同一の構造若しくは特性を有することが認められる必要がある。そして、ここでいう構造又は特性とは、本件発明の特許請求の範囲に示された原料となるポリエチレンの重量平均分子量、断面積が実質的に均一なポリエチレン延伸フィラメントであること、特許請求の範囲に示された右フィラメントの引張強度及び弾性率というような、本件特許の優先権主張日前に公知であった構造又は特性でないことは、既に判示したところから明らかである。
(二) <1>について
被告は、前記第二の三1(二)(2) のとおり、構成要件(一)の製法とは異なる被告製品の製造方法を主張するのに対して、原告は、被告製品の製造方法に関して何ら具体的な主張、立証をしていないから、被告製品が構成要件(一)の製法で製造されている事実については、これを認めることができない。
(三) <2>について
被告製品が構成要件(一)の製法によって特定される物の構造又は特性と同一の構造又は特性を有するか否かについては、右判断の前提となる「構成要件(一)の製法によって特定される物の構造又は特性」の具体的内容が、原告の主張において何ら明らかにされておらず、また、本件明細書の記載その他の関係各証拠を総合しても明らかではない(本件発明においては、特許出願の際、物の構造や特性のみによって物を特定することができなかったからこそ、補充的な物の特定手段である製造方法が特許請求の範囲に加えられたと考えられることからすると、右の点を明らかにすることは実際上困難であると考えられる。)。
したがって、本件においては、必然的に、被告製品が「構成要件(一)の製法によって特定される物の構造又は特性」を有することを認めることはできない。
(四) 以上によると、被告製品は、本件発明の構成要件(一)を充足するとは認められないから、その技術的範囲に属するとはいえない。
二 結論
よって、被告製品の製造、販売が本件特許権を侵害することを前提とする原告の本訴請求は、その余の争点につき判断するまでもなくいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六一条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 森義之 裁判官 榎戸道也 裁判官 大西勝滋)
別紙図一<省略>
物件目録
左に示す特性を有し、単位長さ当たりの繊維重量が実質的に均一なポリエチレン延伸フィラメント(被告が高性能繊維材料テクミロンなる商品名で製造販売しているもの)
(1) 重量平均分子量 約七〇万乃至八〇万
(2) 引張強度 約二・〇乃至三・二GPa
(3) 弾性率 約七〇乃至九五GPa
特許公報<省略>