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東京地方裁判所 平成元年(ワ)7482号 判決 1992年9月22日

甲事件原告・乙事件被告

有馬靖

乙事件被告

有馬朝子

右両名訴訟代理人弁護士

市来八郎

佃俊彦

甲事件被告・乙事件原告

高橋章子

甲事件被告・乙事件原告

中尾昤子

右両名訴訟代理人弁護士

吉良敬三郎

瀬戸正二

主文

一  甲事件原告(以下「原告」という。)の請求をいずれも棄却する。

二  乙事件原告ら(以下「被告ら」という。)の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、甲事件乙事件ともに、これを二分し、その一を原告の負担とし、その余を被告らの負担とする。

事実及び理由

第一請求

一甲事件

甲事件被告高橋章子(以下「被告高橋」という。)は、別紙物件目録(一)記載四の土地(以下「A土地」という。)につき、同中尾昤子(以下「被告中尾」という。)は、同目録記載五の土地(以下「B土地」という。)につき、それぞれ原告に対し、真正な登記名義の回復を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

二乙事件

1  被告高橋に対し、乙事件被告有馬朝子(以下「朝子」という。また、原告とともに「原告ら」と呼ぶこともある。)は別紙物件目録(二)記載二の建物(以下「本件建物」という。)のうちA土地上にある部分を収去して、同有馬靖(原告)は右建物部分から退去して、A土地を明け渡せ。

2  被告中尾に対し、朝子は、本件建物のうちB土地上にある部分を収去して、原告は右建物部分から退去して、B土地を明け渡せ。

第二事案の概要

一当事者間に争いのない事実

1  原告及び被告らの父である亡有馬桂(以下「桂」という。)は、別紙物件目録(一)記載一の土地(以下「旧借地」という。)を岩井安治(以下「岩井」という。)から賃借し(以下、この借地権を「本件借地権」という。)、右土地上に別紙物件目録(二)記載一の建物(以下「旧建物」という。)を所有していた。

2  右土地のうち別紙物件目録(一)記載二の土地(ただし、昭和六三年九月五日分筆前の土地314.12平方メートル。以下「本件土地」という。)について、昭和五四年三月三日、同月二日交換を原因として岩井から桂名義に所有権移転登記が経由され、原告は、本件土地上に本件建物を建築し、同年八月二一日本件建物につき原告と朝子の持分を各二分の一とする所有権保存登記がされた。

3  桂は昭和五八年一〇月四日五反田公証役場において公正証書遺言(以下「本件遺言」という。)をした。その内容は、本件土地を公道に面し南北に細長い短冊状に四分割し、西側から順にそれぞれ相続人である原告、野並史子(以下「史子」という。)、被告高橋及び同中尾に相続させるというものである。

4  桂は昭和六二年一二月一五日死亡し、被告らは、本件遺言に基づいて、本件土地を別紙物件目録(一)記載二ないし五の土地に分筆の上、それぞれにつき相続を原因とする所有権移転登記を経た。

5  現在、朝子が本件建物を所有し、原告らがこれに居住している。

二原告らの主張

1  原告は、昭和五三年九月ころ桂から本件借地権の贈与を受け、同五四年二月一七日岩井との間で、本件借地権と本件土地の所有権とを交換する旨の契約を締結した。

2  そうでないとしても、原告は、同五四年二月一七日桂との間で、同人が取得した本件土地の所有権を原告に贈与する旨の合意をし、本件土地の引渡しを受けた。

3  よって、原告は、被告らに対し、本件土地の所有権に基づき、A、B土地につき前記相続を原因とする所有権移転登記の抹消に代わる所有権移転登記手続を求める(甲事件)。

三被告らの主張

1  前項1、2の事実はいずれも否認する。

2  仮に、原告が贈与により本件土地の所有権を取得したとしても、桂は右贈与の後である昭和五八年一〇月本件土地を四分割し、原告、史子及び被告らにそれぞれ相続させる旨の本件遺言をしたから、原告は対抗要件を具備しない限り本件土地の所有権の取得をもって被告らに対抗できない。

3  本件遺言により、被告高橋はA土地の、同中尾はB土地の所有権をそれぞれ取得した。

4  よって、被告らは、右各土地の所有権に基づき、朝子に対し右各土地上の本件建物部分の収去土地明渡しを、原告に対し右各土地上の本件建物部分からの退去土地明渡しをそれぞれ求める(乙事件)。

四争点

本件の中心的な争点は、(1)桂から原告への本件借地権ないし本件土地所有権の贈与が認められるか否か、(2)本件遺言により、相続開始後本件土地につき直ちに分割的な所有権移転の効果が生じるものと解されるか否かである。

なお、被告らは、甲事件につき、書面によらない贈与の取消し及び遺留分減殺の意思表示を、原告らは、乙事件につき、本件土地の使用貸借をそれぞれ予備的に主張している。

第三争点に対する判断

一争点1(贈与契約の有無)について

1  証拠(別に掲げるものの外、<書証番号略>、原告、被告高橋、同中尾)によれば、次の事実が認められる。

(一) 原告らと桂(明治二五年五月二三日生)及びその妻有馬たづ(明治三三年六月二四日生。以下「たづ」という。)は、昭和二六年ころから旧建物において同居生活を始めた。同居後間もなく桂は水産関係の会社を経営するようになったが、生活は楽ではなく原告から月六〇〇〇円の援助を受けていた。

(二) 桂は、昭和三二年ころ、会社代表者として経営していたまる八株式会社の倒産により同社を退職した後は職に就くことがなく、原告からの援助と旧建物の一部を他人に賃貸して得た家賃収入とで生活していた。原告は、NHK職員として大阪に勤務した同二九年から三五年、津に勤務した同四〇年から四二年、宇都宮及び高松に勤務した同四六年から五一年までの期間を除き、旧建物で桂夫婦と同居していた。また、桂が岩井から賃借していた旧借地の地代も同三八年ころから桂に代わり原告が支払うようになった。

(三) 原告は、昭和五二年ころ桂から老朽化した旧建物を建て替えるように要請され、どうせ建物を新築するのなら借地ではなく自己所有の土地の上に建てたいと考え、同年夏ころから桂の代理人として、岩井との間で借地権と土地所有権との等価交換の交渉を始めた。交渉は難航したが、翌五三年の初めころには底地一〇〇坪と借地権返還五〇坪の交換比率で交換するとの一応の合意に達した。原告は、そのころ株式会社第一住研(以下「第一住研」という。)に建物新築工事を依頼することとし、同社の営業担当者と具体的な話を進める一方、桂、史子及び被告らから、本件借地権と旧建物に関する一切の権限を原告に委任する旨の「委任状」と題する書面(<書証番号略>)を受け取った。

(四) 原告は昭和五三年一〇月二〇日付けで第一住研との間で建物の建築工事請負契約を締結した。工事費用は合計で約一八〇〇万円であり、右費用は原告らの自己資金のほか、原告の住宅金融公庫等からの借入れにより賄われた。なお、右借入れ申込みの際、同金庫に差し入れられた同年九月二〇日付け「住宅建築に関する地主の承諾書」と題する岩井作成名義の書面の借地人欄には原告の署名捺印が存在する(<書証番号略>)。

(五) 桂と岩井は昭和五四年二月一七日付けで借地権と土地所有権との等価交換契約を締結した。右契約の交換比率は、岩井の要請により最終的に底地九五坪と借地権返還五五坪の割合になった(<書証番号略>)。そして、原告らは同年三月初め旧建物を取り壊し、本件建物の建築工事を始めたが、本件建物が完成するまで桂夫婦は被告高橋方で生活していた。

(六) 本件建物は同年八月末に完成し、原告らは桂夫婦と再び同居するようになった。

桂は同年九月一五日付けで原告に本件土地を与える旨の「遺言書」と題する書面を作成したが、この書面が作成される前に、原告は下書きの原稿を桂に示してこのとおりに作成するように要求し、右書面はほぼ右原稿のとおりに作成された(<書証番号略>)。なお、原告は、その以前にも、旧建物と旧借地を原告に与える旨の遺言書の下書きを桂に示し、桂が右のような内容の遺言書を作成することを要求していた(<書証番号略>)。

(七) 原告は、昭和五六年四月一〇日付けで朝子に対し、本件建物の原告の持分二分の一全部の贈与を原因とする持分移転登記手続をしたが、この事実を桂には隠していた(<書証番号略>)。

桂は同年八月二六日付けで原告らに本件土地を無償貸与する旨の「念書」と題する書面を作成した。この書面の本文は原告が書いたもので、桂は押印をしたのみであった(<書証番号略>)。

なお、昭和五五年度からの本件土地の固定資産税・都市計画税の支払は原告が行っている(<書証番号略>)。

(八) 原告らと桂夫婦の関係は必ずしも良好とは言い難く、桂は次第に原告夫婦に対し不満を抱くようになった。桂夫婦が十分な扶養を受けていないと感じた被告らと史子は、しばしば桂夫婦を訪ねて食事等の世話をしていた。たづは昭和五七年一月一日死亡し、桂は同年三月ころから被告らからそれぞれ毎月数万円の援助を受けるようになった(<書証番号略>)。

(九) 桂が昭和五八年一〇月四日五反田公証役場において本件遺言をした当時、同人は本件建物に居住し、自宅から五反田駅の待ち合わせ場所まで一人で来た。

桂は、死亡する少し前ころ被告中尾に対し「靖があのような者になったことは全く残念だ。」と原告への強い不満を述べていた。また、桂は、原告らが本件建物を当初原告と朝子の共有名義に登記したことも自分に無断でしたことであるとして、原告らに対する不信感を募らせていた(<書証番号略>)。

2(一) 以上認定の事実によれば、昭和五二年ころ桂が原告に旧建物の建て替えを要請した時点では、桂は本件土地上に原告名義の建物を建てることを許容していたものと推認することができ、また岩井との等価交換の交渉は主として原告が行ったこと、原告が同五五年度以降の本件土地の固定資産税・都市計画税を支払っていることは前示認定のとおりである。

しかし、他方、原告主張の桂から原告への本件借地権又は本件土地所有権の贈与の意思表示があったことを証する書面は何一つ存在しない。なるほど、贈与契約は書面の存在を必要とするものではない。しかし、本件のように贈与者のほとんど唯一の財産というべき本件借地権又は本件土地の所有権を四人の子の一人に贈与する場合には、受贈者としては、その後の紛争を予防する意味でも、何らかの書面を作成しておいてもらいたいと考えるのが自然であり、贈与者の贈与の意思が明確であるなら、端的にその事実を表示する書面を書いてもらうことは何ら困難なことではない。それが前示1(三)の「委任状」や同(六)の「遺言書」のような書面しか存在しないということは、贈与契約の成立に疑念を抱かせるに足る事実である。

右の点に関して、原告は右「遺言書」(<書証番号略>)こそが桂の贈与の意思を確認したものである旨主張するが、前示認定のような書面の形式・内容、作成の経過及び作成された時期に照らして、右書面をもって桂の生前贈与の意思を表示したものと認めることはできない。

(二) さらに、贈与の意思を表示した書面の不存在に加えて、昭和五四年二月に岩井と等価交換契約を締結した後、原告名義に所有権移転登記をすることに別段の支障(贈与に伴う当然の税負担をもって支障ということはできない。)は認められないにもかかわらず、実際には桂名義に登記されていること、原告らは同五六年八月の段階で桂から本件土地の無償貸与の「念書」(<書証番号略>)を取り付けていることに照らして考えると、前記(一)認定の事実から原告主張の桂から原告への本件借地権又は本件土地所有権の贈与の事実を推認することはできず、他に右贈与の事実を認めるに足りる的確な証拠はない(本件土地の固定資産税・都市計画税を原告が支払っていたことも、本件土地を無償使用していたことの見返りと考えることができ、親子の間ではこの程度の負担は何ら不自然なことではない。)。

なお、原告は、「住宅建築に関する地主の承諾書」(<書証番号略>)の借地人欄に原告の署名捺印が存在する事実をもって岩井が桂から原告への本件借地権の譲渡を承諾したものである旨主張する。しかし、右書面は原告が本件建物の建築資金の借入れのため住宅金融公庫に差し入れたものであり、借入申込人の資格が土地所有者、借地権者に限られているため、便宜上原告の氏名を記載したものとみるのが自然であって、右の記載から直ちに贈与の事実を推認することはできない。

3  以上によれば、原告の請求(甲事件)は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がない。

二争点2(本件遺言の解釈)について

1 前示一1に認定の事実の外、証拠(<書証番号略>、原告、被告高橋、同中尾)によれば、次の事実を認めることができる。

本件遺言当時から本件土地上には朝子所有の本件建物が存在し、その位置は、別紙図面のとおり、史子や被告らに相続させる旨遺言された各土地部分にまたがっていた。しかし、桂は、本件遺言中で本件建物のために本件土地に設定した使用借権をどうするかについてはなんら触れていないし、その生前、原告らはもちろん被告らに対しても、本件遺言を現実に執行する際の本件建物の取扱いにつき、明確な意思を表示したことはなかった。

2  なお、昭和六二年一一月一八日付け「家は立退き命令……」と記載されている書面(<書証番号略>)によると、桂は本件建物を収去させた後本件土地を売却する意思を有していたようにもうかがわれるが、右書面は、桂が死亡する約一か月前に被告中尾が病院で桂の言葉を聞き書きし、これに桂が署名したというもので、桂の真意を表すものか疑問がある上、この書面においては、桂死亡後は史子及び被告らの姉妹三人が本件土地の売却人となり、右三人で代金を分けるとしているのであるから、本件遺言の内容に抵触することが明らかであり、これをもって桂が本件遺言時に本件建物の収去を意図していたとは認められない。

3 ところで、一般的には、特定の遺産を特定の相続人に「相続させる」趣旨の遺言は、当該遺産を当該相続人をして単独で相続により承継させようとする趣旨のものと解するのが合理的であり、このような遺言にあっては、遺産の一部である当該遺産を当該相続人に帰属させる遺産の一部の分割がされたのと同様の遺産の承継関係を生ぜしめるものであって、当該遺言において相続による承継を当該相続人の受諾の意思表示にかからせたなどの特段の事情のない限り、何らの行為を要せずして、被相続人の死亡の時(遺言の効力の生じた時)に直ちに当該遺産が当該相続人に相続により承継されるものと解すべきである(最高裁第二小法廷平成三年四月一九日判決、民集四五巻四号四七七頁参照)。

しかし、本件においては、本件遺言は、本件建物が存在する本件土地を短冊状に四つに分け、西側から年長順にそれぞれを四人の子に「相続させる」というものであって、本件建物の敷地使用権の処置については何らの意思表示もなく、少なくとも原告が本件建物を建築することについては桂の承諾があったのであるから、本件土地を右のように四分割すると、本件建物の処置をめぐり原告らと被告ら及び史子との間で紛争が生じることは、本件遺言当時既に高度の蓋然性をもって予測できる状況にあったところ、自分の子らの間に紛争を生ぜしめるような遺言の効果をあえて欲して遺言したものと解することは不合理というべきである。そうすると、本件遺言は、遺言の効力発生時に直ちに本件土地につき遺産分割がされたのと同様の遺産の承継関係を生じさせるものではなく、本件土地を四人の子が平等に分けてほしいという遺言者の意思を十分汲み入れた遺産分割の協議又は審判をまって遺産の承継関係を生じさせる趣旨のものと解するのが相当である。

4  以上の次第であるから、本件遺言により被告高橋がA土地の、同中尾がB土地の所有権をそれぞれ単独で取得したことを前提とする被告らの請求(乙事件)は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。

(裁判長裁判官石川善則 裁判官春日通良 裁判官和久田道雄)

別紙物件目録(一)(二)<省略>

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