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東京地方裁判所 平成元年(刑わ)2928号 判決 1992年3月27日

主文

被告人を禁錮一年六か月に処する。

未決勾留日数中三〇日を刑に算入する。

この裁判確定の日から三年間刑の執行を猶予する。

理由

【犯罪事実】

被告人は、平成元年一〇月二七日午前一一時二〇分ころ、業務として大型貨物自動車(ダンプカー)を運転し、東京都板橋区富士見町二四番六号先の信号機により交通整理の行われている通称常盤台一丁目交差点を中野方面から西新井方面に向かい直進して通過する際、先行車両が渋滞していたため、その交差点の出口の横断歩道上にまたがって一時停止したのち、発進して進行した。このような場合、被告人は、発進するに当たって、自車の直近を横断する歩行者の有無・動静を確認すべき業務上の注意義務があった。

ところが、被告人は、この注意義務を怠り、横断歩行者の有無・動静を確認することなく発進して進行したため、折から青色信号に従い左方から右方に向かって自車の直前を横断歩行していた志田マツ(当時七七歳)に気付かず、自車の前部を志田に衝突させて路上に転倒させた上、そのまま轢過した。その結果、志田は、脳、肺等を損壊する傷害を負い、即死した。

【証拠】<省略>

【争点に対する判断】

弁護人は、被告人が運転する車両が、被害者に衝突して、被害者を転倒させたことはなく、仮にそうであったとしても、被害者を轢過したことはないと主張するが、当裁判所は、その主張を採用しなかった。その理由は以下に説明するとおりである。

一  本件事故の状況

関係各証拠によると、以下の事実を認めることができる。

1  本件事故は、環状七号線の通称常盤台一丁目交差点の西新井方面出口に設けられた横断歩道付近において起きたものであり、その付近の環状七号線は片側二車線であった。

2  被害者は、本件事故により、脳、肺等が損壊して即死し、横断歩道から西新井寄りの車道上の歩道寄り車線上に、頭部を中野方面に向けてうつぶせの状態で倒れていた。

3  付近の車道には、被害者の脳漿が歩道方向に向けて飛び散っていた。また、轢過車両のタイヤに付着した脳漿が路面に印象されてできたタイヤの周期痕が、被害者の位置から西新井方向に向けて、歩道寄りの車線から中央分離帯寄りの車線に進路変更したようについていた。

二 本件事故に関する目撃証言

1  塩屋証言の要旨

証人塩屋は、本件事故を目撃した状況について、次のとおり証言している。

(一) 午前一一時二〇分ころ、普通乗用自動車を運転して、常盤台一丁目交差点を前野町方面から西新井方面に左折して環状七号線に出た。

環状七号線の西新井方面へ走行する車両は渋滞していたため、大型ダンプカーが、交差点の西新井方面出口の歩道寄り車線において、横断歩道をまたぐ恰好で停止していたので、その外側を回って左折し、そのダンプカーを追い越して中央分離帯寄り車線に入った。

(二) 交差点から、しばらく進行して停止したところ、後方から叫び声が聞こえたので、ルームミラーを見ると、そのダンプカーがゆっくり進行しており、その前を左から右に横断していた被害者が、そのダンプカーのフロントバンパーの中央からやや運転席寄りの部分に押されて、両手を肩の上あたりに広げて、体を左側に捩じるようにして、頭を西新井方面に向けて倒れ、車体の下に引き込まれていくところであった。

驚いて、ルームミラーを動かすなどして、そのダンプカーの車両番号を見たところ、「群馬一一」「四五九」というのが確認できたが、その間にある平仮名記号は確認できなかった。

(三) その後、そのダンプカーは、中央分離帯寄り車線に進路変更し、バス停付近で私の車両の後ろにつき、私の車両が双葉町交差点を右折するため停止したとき、直進して追い越していった。

(四) そのダンプカーは、飾りをつけ、前部及び荷台の枠が濃い緑色であり、フロントバンパーが、ごつごつしていかめしく、角張った白っぽいステンレスのような感じであって、後輪がダブルタイヤであり、後部のナンバープレートは左側についていた。その特徴は被告人車両と一致する。

2 塩屋証言の信用性

塩屋は、事故当日のうちに、自分の知人複数にその目撃状況を打ち明け、さらにその三日後、自ら警察に出頭して、記憶が鮮明なうちに車両番号を含めて事実関係を供述しているのであって、その証言は、被告人車両割り出し以前に定着した記憶に基づいてなされたものであり、本件事故を目撃した状況、加害車両の車両番号、特徴を確認した経過について、具体的、詳細で、自然かつ迫真性に富んでいる。

また、写真撮影報告書(<書証番号略>)によると、塩屋が供述するところに従って、塩屋の位置から大型ダンプカーの目撃状況を再現した結果は、その証言するところと符号していることが認められる。

これらの事情及び後に述べる諸点、とくに加害車両の割り出し経過に照らすと、塩屋証言は、加害車両の車両番号の点を含めて十分に信用することができる。

弁護人は、塩屋証言が信用できない根拠として、以下の二点を挙げている。

(一) 塩屋と職場を同じくする証人赤坂は、事故当日の夕刻、塩屋から事故の目撃状況を聞いたが、その加害車両である大型ダンプカーの車両番号について、塩屋は、練馬ナンバーか群馬ナンバーかで、三桁の数字のうち四と九があったことははっきりしているけれども、その中間の数字はわからないと述べていた旨証言しており、当初記憶があいまいであった塩屋が、その後、その車両番号について明確な供述をするに至ったことには、大きな疑問がある。

(二) 塩屋は、法廷において、ルームミラーに写った被害者が押し倒される場面を図示する際に、左右を取り違えた図面を作成している。

しかしながら、次のとおり、これらの事情は、塩屋証言の信用性に疑いを抱かせるに足りるものではない。

(一) 赤坂は、塩屋から聞いた内容を十分に記憶しているわけではなく、これを正確に再現することはできない旨証言している。また、塩屋は、赤坂に話したときとは、興奮した状態のもとで述べたから、中間の番号五については、はっきりしたことを言っていないかもしれない。しかし、その後さらに落ち着いて思い出したところ、具体的な記憶が明確になったと証言している。

事故直後興奮した状態のもとで気楽に述べた内容に比べて、その後、真剣に記憶を喚起して供述する段階で、より具体的な供述が可能になることは、十分にあり得ることであり、赤坂の証言によって、塩屋証言の信用性に疑問が生じるとはいえない。

(二) 塩屋が法廷において作成した図面は、その証言内容と左右を異にしているが、現実に起こった場面を鏡に写った場面として再現する場合に、左右を取り違えることはよくあることであって、そのことによって、塩屋証言の信用性に疑いは生じない。

3  成田証言の要旨

証人成田は、本件事故後、大型ダンプカーが走行しているところを目撃した状況について、次のとおり証言している。

(一) 常盤台一丁目交差点近くの環状七号線沿いの牛丼店で働いていたところ、午前一一時二〇分ころ、客から事故を知らされて外を見ると、大型ダンプカーが西新井方面に向けてゆっくり走行し、歩道寄り車線から中央分離帯寄り車線に進路変更するのが見え、その後方の路上に老婆が頭を中野方面に向けて倒れていた。そのダンプカーと倒れた老婆の間には車両は存在しなかった。

(二) そのダンプカーは、進路変更してから、渋滞車両の最後尾で停止した。その後続車は常盤台一丁目交差点の中野方面入口で停止していたので、そのダンプカーの後方の信号機は赤色を表示していたと思う。

そのダンプカーは、緑色であり、積載量が一〇トン前後のもので、荷台が高く、後ろが土砂が乾いたように白っぽくなっていたので、土砂を運んでいるように見えた。

(三) 事故だと思って、直ちに一一〇番通報しようとしたが、環状七号線の事故現場に面したところにある「サンチェーン」の店長が、急いで店内に入るのが見えたので、一一〇番通報するものと思い、通報するのは差し控えた。

4 成田証言の評価

成田証言は、本件事故後の客観的な事実関係に符号したものである上、その内容も具体的かつ自然であって、十分に信用することができる。成田証言の目撃状況に照らすと、成田が目撃したのは、本件事故直後の状況であり、成田が証言する大型ダンプカーは、その特徴、走行の態様、経路が塩屋証言の大型ダンプカーのそれと一致している。したがって、成田が証言する大型ダンプカーは塩屋証言の大型ダンプカーにほかならないと認められる。

三 加害車両の特定経過の合理性

以上によると、本件事故は塩屋、成田が目撃した大型ダンプカーによってひき起こされたものであるところ、以下のように、この大型ダンプカーは、本件当時被告人が運転していたダンプカーであると認められる。

1  証人水上(第八回公判)、証人新谷、証人藤岡の各証言、捜査報告書(<書証番号略>)、ゼラチン紙(<書証番号略>)によると、捜査段階において、被害者の体や着衣に残っていたタイヤ痕、現場道路に残っていた轢過タイヤの周期痕から、加害車両のタイヤを特定するべく努めたところ、被害者の体や着衣に残されたタイヤ痕は、現場道路のタイヤ周期痕と同一のもの一種類しかなく、このタイヤ痕に合致するタイヤは、バス、トラックなどの相当大型の車両に使用されているブリジストンのG五八七ZかG五八七BZ以外にないと判明したことが認められる。

2  さらに、証人合原の証言によれば、捜査段階において、加害車両の特徴、すなわち、塩屋が供述する車両番号の車両、塩屋及び成田が供述するような、緑色で前面が角張ったように改造された積載量一〇トン程度の大型ダンプカー、ブリヂストンのG五八七ZかG五八七BZのタイヤを装着した車両、本件当時現場を走行した車両を条件にして、これに該当する車両の割り出し捜査(この割出しに当たっては、念のため、群馬ナンバーのみならず、練馬ナンバーの車両も対照し、四五九の番号のみならず、最初が四で最後が九の車両すべてを対象にしている)をしたところ、これに合致するものとして被告人の運転する車両が特定されたことが認められる。

3  また、証人中堀の証言、清水由弘の検察官調書、捜査報告書(<書証番号略>)、被告人の公判供述によると、被告人は、本件当日午前一一時過ぎころ、練馬区氷川台の「河島コンクリート工業」において積荷の砂利を降ろしたのち、運転手仲間の中堀のダンプカーに続いて同所を出発し、途中で買い物をする中堀を追い越し、板橋中央陸橋を左折して環状七号線に出て、西新井方面に進行し、常盤台一丁目交差点を通過したが、後ろから進行してきた中堀は、本件事故によって被害者が路上に倒れているのを見ながら、常盤台一丁目交差点を通過していることが認められ、被告人は、本件事故に極めて接着した時間に、本件現場を走行していたと認められる。

4  なお、証人合原の証言によると、被告人は、捜査段階において、被告人車両の直後に緑色の一〇トン程度の産業廃棄物専用車のようなダンプで運転席屋根付近に「明和」か「朋和」という文字の電光掲示板が付いた車両が走行しており、その後その車両は被告人車を追い抜いていったとして、本件加害車両はそのダンプカーではないかと思うと供述したことから、その弁解を確認するため、電話帳等を基に、関東近辺の会社について、「明和」及び「朋和」の文字がついている会社八四社を全部洗い出した上、その会社に本件加害車両の特徴に合致する車両が存在するかどうかを捜査したが、これに該当する特徴を備えた車両は存在しないことを確認していることが認められる。

5  以上のとおり、捜査段階において、加害車両を被告人運転車両と特定した過程は、極めて念入りになされたものであって、合理的であり、信用性が高い。

6  なお、証人成田は、法廷において、本件当時被告人が運転していた車両の写真を示されて、その目撃車両との同一性を正確には断言できない旨証言しているが、成田は、反対車線側の牛丼屋店内から、短時間目撃したにすぎず、その後相当期間を経過して証言するに際して、明確に同一性を断言できないことは、むしろ自然であって、そのことをもって、被告人運転車両が本件加害車両でないとはいえない。

四 被告人車両の轢過痕の不存在

弁護人は、被告人車両が被害者を轢過したのであれば、被告人車両のタイヤ、車両底部に被害者の脳漿、血痕等が付着していたはずであるところ、本件事故後の被告人車両の見分において、その付着が全く認められなかったのであるから、被告人車両は被害者を轢過していないと主張するので、その点について検討を加える。

1  被害者の脳漿が飛び散った方向、現場道路に残っていた轢過タイヤの周期痕の状況からすると、被害者は、加害車両の右側車両のタイヤによって頭部を轢過され、脳漿が加害車両の車低部を通って、中央分離帯とは反対側の歩道に向かって飛び散ったものと認められる。

また、証人江守の証言、同人の鑑定書(<書証番号略>)と本件事故現場における脳漿の飛散状況に照らすと、本件事故当時、被害者の脳漿はかなり強い勢いで飛び散っているものの、脳漿が飛び散る瞬間にはタイヤがおおいかぶさっていたことなどから、被害者の血液や脳漿は放物線を描いて高く飛んだことはなく、路面に沿って、横方向の低いところに向かって飛び散っていると認められる。

したがって、加害車両の車両底部に血痕や脳漿が付着していた可能性は乏しいが、被害者の頭部を轢過し、脳を挫滅させた右側車両のタイヤのほか、その反対側にある左側車輪のタイヤの下部側面には血痕や脳漿が付着していた可能性が大きいものと認められる。

2  一方、証人合原の証言、被告人の公判供述、鑑定書(<書証番号略>)によると、本件事故後の捜査において、被告人車両が加害車両である疑いが濃厚になったため、捜査官は、平成元年一一月一日及び同月三日、被告人が本件当時運転していた車両を見分したが、その車両に血痕、脳漿等の付着が見られなかったことが認められる。

3  そこで、捜査官は、被告人車両に血痕、脳漿等が付着していなかったことを踏まえ、車両のタイヤにいったん付着した脳漿が、その後の走行によって落ちていく状況を見分するための実験を行っている。

証人藤岡及び証人水上(第一〇回公判)の各証言、捜査報告書(<書証番号略>)によると、その実験の方法及び結果は、次のとおりのものである。

(一) 実験は、普通乗用自動車に、牛脳を轢過させ、さらに牛脳をタイヤの側面部になすりつけて付着させた上、これを走行させ、その途中、被告人車両が雨のなかを走行していることを踏まえて、タイヤにバケツの水を掛けるなどして行ったものであり、その結果、約四三〇キロメートル走行した時点で、タイヤの接地面及び側面部のいずれからも試薬による血液反応が現れなくなっている。

(二) この実験は、弁護人が指摘するように、乗用車を使って行われたものであるため、加害車両と比較して、タイヤの溝の形状、同一走行距離におけるタイヤの回転数などの条件に差異があることに加え、タイヤにバケツの水を掛けたことの妥当性、血液反応をみるために使用した試薬の適切さなど、実験方法にも疑問がないわけではなく、その結果は直ちに本件にあてはまるものではないが、加害車両に付着した血痕、脳漿等が、その後の走行によって消滅する可能性について一応の目安を示す限度において、参考になるものである。

4  この実験結果を参考にしつつ、実況見分調書(<書証番号略>)、捜査報告書(<書証番号略>)、「被疑車両の各気象台管内通過一覧表」と題する書面、その他の証拠によって、本件事故から平成元年一一月一日に捜査官が被告人車両を見分するまでの間における被告人車両の走行状態をみると、被告人車両は、砂利、軽石等を運搬するため、途中、川砂採取場、砂利置場等の悪路において砂利、川砂、軽石を積載走行するなどして、約七五〇キロメートルを走行しており、その間一〇月三一日と一一月一日の両日には雨のなかを走行している形跡が認められるのであり、この間に被告人車両のタイヤに付着した血痕、脳漿等が落ちて消滅する余地は十分にあったというべきである。

5  以上の事実に照らすならば、被告人車両の車底部には被害者の血痕、脳漿等が付着した可能性は乏しく、また、そのタイヤに付着したであろう血痕、脳漿等は、走行するうちに落ちて消滅した可能性は十分にあったといわなければならない。したがって、一一月一日の見分当時、被告人車両の車底部や、タイヤに血痕、脳漿等の付着が認められなかったことは、被告人車両が加害車両であることの認定を疑わせるに足りる事由とはならない。

五  被害者の轢過態様

弁護人は、塩屋証言によると、被害者は、両手を肩の上あたりに広げて、体を左側に捩じるようにして、頭を西新井方面に向けて倒れ、車体の下に引き込まれていったと認められるところ、事故後、被害者は、頭を中野方向に向け、うつぶせの状態で倒れていたのであって、仮に、被告人車両が被害者を押し倒したとしても、その時の被害者の体勢と事故後の被害者の体勢は、明らかに異なるのであるから、被害者を轢過したのは被告人車両ではないと主張するので、その点について検討を加える。

1  証人新谷、証人藤岡、証人石山、証人江守の各証言、捜査報告書(<書証番号略>)、江守作成の鑑定書(<書証番号略>)によると、被害者の身体や着衣上のタイヤ痕の印象のされ方、脳漿の飛び散り方、被害者の死体の状況、現場道路に残っていた轢過タイヤの周期痕から、被害者は、一台の車両によって轢過されており、二軸のダブルタイヤのうち右前内側及び右後内側のタイヤによって、順次二度にわたり頭部から轢過されたと推認されるところ、江守の証言及びその作成にかかる鑑定書によれば、通常、頭部がタイヤで轢過された場合、一般に一回の轢過では頭蓋骨が骨折するだけであり、二回目の轢過ではじめて脳が挫滅し、脳漿が飛び散るというのである。

2  このような事実を前提にして、被害者が、頭を西新井に向けながら倒れたにもかかわらず、その後、頭を中野方面に向けた状態で、その頭部から轢過されたメカニズムについて、江守証言及びその作成にかかる鑑定書(<書証番号略>)は、被害者は、頭を車両の進行方向に向けて倒れたのち、車両の進行によって、被害者のスカート等が、車両底部の突起物に引っ掛かり、その身体が上から見て右回転し、数メートル移動して頭が車両の進行方向と逆向きになり、被害者がその様な体位でうつ伏せに転倒しているとき、右側前後輪内側及び右側後後輪内側のタイヤで頭部から足に向かって轢過されたと説明している。

3  この鑑定結果は、次のような事実によって裏付けられている。

(一) 捜査報告書(<書証番号略>)、スカート(<書証番号略>)によると、被害者が身に着けていたスカートの前面右側に破れた跡があり、被害者の背中側にずれ、まくり上げられていたことが認められるのであって、被害者のスカート等が、車両底部の突起物に引っ掛かったことを物語っている。

(二) 捜査報告書(<書証番号略>)によって認められる被告人車両の構造からみても、車両の進行方向に頭を向けて倒れた被害者が、車両底部で身体を回転させて、頭が車両の進行方向と逆向きになったとき、後輪二軸のダブルタイヤのうち右前後輪内側及び右後後輪内側のタイヤで頭部から轢過することが可能である。

4  これに対して、弁護人は、被告人車両の底部には、被害者のスカートが引っ掛かる突起物はなく、また被害者のスカート等が引っ掛かった痕跡も残っていなかったことを挙げて、江守鑑定が信用できないと主張する。

(一) 被害者のスカート等が被告人車両の底部の突起物に引っ掛かった状況について、証人江守は、その突起物を特定することはできないが、車両の底部に入り込んだ人間は、静止していることはなく、もがいたり、はい出ようとするなどの動作をするのが一般的であり、そのような動作の過程で、被害者のスカートが車両底部の突出した部分に引っ掛かったものと考えられると証言している。

塩屋証言によると、被害者は、体を左側に捩じるようにして倒れたというのであるから、本件において、被害者が徐行する車両の底部において、もがき、はい出ようとするなどの動作をしたことは十分に考えられ、さらに、捜査報告書(<書証番号略>)によると、被告人車両の底部には、車軸、マフラー、パイプ、タンクなどの装置が備えつけられていることが認められるのであるから、被害者がこのような動作をしたときに、それらの装置にスカート等が引っ掛かり、被害者の身体を回転させたことも十分に考えられるのであって、江守による鑑定結果に合理性がないということはできない。

(二) また、証人江守は、被害者のスカートが車両底部の突起物に引っ掛かった場合には、そこの周辺に、その気になって見れば分かる程の払拭痕が残る旨証言しているところ、被告人車両の車底部にそのような痕跡が存在していたことを認めるに足りる証拠はない。

しかしながら、すでに四4において認定したような本件事故後の被告人車両の走行状態、とりわけ、砂利、軽石等を運搬するため、川砂採取場、砂利置場等において砂利、川砂、軽石を積載走行するなどしていることからすると、本件事故に際して、スカート等が車両底部に引っ掛かってできた痕跡が、その後被告人車両が走行する過程において、泥、砂等がかかるなどして消滅したことは十分に考えられるところであって、この点からも、江守による鑑定結果に合理性がないということはできない。

六 後続車による轢過の可能性

1  弁護人の主張によると、被告人車両は、被害者を押し倒したとしても、轢過していないというのであるから、被害者を轢過した車両は、被告人車両の後続車であるということになるが、すでに検討したように十分に信用できる塩屋証言、成田証言によると、被告人の後続車には、被害者を轢過したような車両はなかったものと認められる。

(一) 塩屋証言によると、塩屋が目撃した大型ダンプカー、すなわち被告人車両は、被害者を転倒させて自車の下部に巻き込んだ後、事故現場付近で渋滞車両の最後尾に停止しており、その後続車として常盤台一丁目交差点の中野方面出口で赤信号により停止していた最前列の車両は、二車線とも乗用車であったのであり、また、常盤台一丁目交差点を右折、左折して環状七号線に進入してくる車両は、普通車ばかりで、加害車両のような大型トラックはなかったと認められる。

(二) 成田証言によると、成田が目撃した大型ダンプカー、すなわち被告人車両は、その後方の常盤台一丁目交差点の西新井方面に走行する車線の信号機が赤色を表示していたとき、歩道寄りの車線から中央分離帯寄りの車線に進路変更しながら進行してきて、中央分離帯寄りの車線のバス停よりも西新井寄りのところに最後尾で停止し、その後方では被害者が頭を中野方面に向けて倒れており、その間に別の車両は存在せず、その後、常盤台一丁目交差点の信号機が青色表示に変わり、中野方面から自動車が進行してきたが、いずれも、倒れている被害者を避けていたと認められる。

これらの証言によると、本件事故当時、被告人車両の後続車が被害者を轢過したというような状況はなかったといわなければならない。

2  被告人は、本件当時板橋中央陸橋から環状七号線に出た際、運転席の上に「明和」の電光掲示板があるダンプカーを先頭に緑色のダンプカーが三台停車しており、その前に入って、常盤台一丁目交差点を通過して、片側三車線になるまで、終始車線変更することなく、環状七号線の歩道寄り車線を走行し、その直後を緑色のトラック三台が走行してきたのであり、片側三車線になったところで、この三台のダンプカーが被告人車両を左側から追い越していったと供述し、その後続ダンプカーによる轢過の可能性を指摘する。しかし、三4で述べたとおり、「明和」ないし「朋和」の表示がなされている可能性のある車両についての割り出し捜査の結果によれば、その中に本件加害車両の特徴に合致するものは存在しなかったことが認められるのみならず、本件事故現場である常盤台一丁目交差点通過時の状況として、被告人が供述する右のような被告人車両の走行経路や後続車の状況は、塩屋証言、成田証言の両証言から一致して認定できるところと明らかに異なるものであって、この点に関する被告人の供述は信用できない。

七 本件事故に関する被告人の認識

弁護人は、被害者を轢過したのが被告人の車両であったとすれば、被告人はそのことに気付いていたはずであるところ、被告人は、事故当日の運転においてそのような異常を何ら感じておらず、自分自身が本件事故と何の関係もないと信じていたことは、その後の被告人の行動からも明らかであると主張する。

確かに、証人近藤正美、証人時田幸子、証人時田広子の各証言、被告人の公判供述によると、被告人は、本件事故後も普段と変わりなく仕事を続けており、捜査官が塩屋の申告によって被告人車両を割り出し、被告人に対し、本件事故について嫌疑を向けてからも、当初の段階においては、自己の無実を信じて行動しており、その後、捜査官から、被告人車両に人血の付着が発見された旨を告げられて動揺し、自分の気付かないうちに轢過したのかもしれないとの気持ちになり、いったんは捜査官にその旨の供述をしたものの、その後、間もなく、人血付着の事実が虚偽であったことが判明し、その後は、自己に対する嫌疑を晴らすべく、チラシを配って本件事故の目撃者を探す一方、気付かないままに轢過したということがあり得るかどうかを確認するため、自己車両で折った座布団を踏んでみて、その感触を確認するなどしていることが認められる。これらの状況や、被告人の公判供述の態度等に照らすと、本件事故当時、被告人は自己の車両で被害者を轢過したことに気付いておらず、事故後もそのような事実はなかったと認識している形跡もうかがわれる。

しかしながら、証人江守の証言によると、一〇トントラックの後輪タイヤで身体の頭部を轢過した場合、車体後部が相当に持ち上がるが、低速走行の場合にはそれを運転者が感じることもあれば、感じないこともあるというのであり、被告人車両は、極めて低速で進行しながら、駆動力のある車輪で、被害者を轢過していることを考えると、被告人車両が被害者を轢過したことについて、被告人が明確に気付いていなかった可能性も十分にあり得るところであって、そのことをもって被告人車両が轢過車両でなかったということはできない。

【法令の適用】

一  罰条

(行為時) 平成三年法律第三一号による改正前の刑法二一一条前段、同罰金等臨時措置法三条一項一号

(裁判時) 右改正後の刑法二一一条前段

刑法六条、一〇条により軽い行為時法の刑による。

二  刑種の選択 禁錮刑選択

三  未決勾留日数の算入 刑法二一条

四  刑の執行猶予 刑法二五条一項

五  訴訟費用の処理 刑事訴訟法一八一条一項ただし書

【量刑の理由】

一  本件は、大型ダンプカーを運転していた被告人が、渋滞の最後尾について、横断歩道をまたいで一時停止したのち、発進する際にして、横断歩行者の有無、動静に注意しなかった過失により、青信号に従って自車の直前を横断歩行中の被害者を轢過し、死亡させたという事案である。

1  被害者は、被告人車両によって全身を轢過され、頭蓋骨を押しつぶされて即死するに至ったのであり、路上に被害者の無残な姿が残され、その周囲に脳漿が飛び散っていたなど、事故現場は凄惨を極めていた。本件事故は、誠に重大な結果を招いている。

被害者は、青色信号にしたがって横断歩行中に、突如一命を奪い去られ、その死を看取る者もなく絶命したのであって、その無念さ、残された遺族の心痛には、察するに余りがある。

2  被告人は、停止した横断歩道上において発進するに際して、横断歩行者用の信号機が青色を表示しており、横断している歩行者がいることが十分に考えられた状況のもとで、その確認を怠ったために本件事故を引き起こしているのであり、その過失は決して小さいとはいえない。

二  他方において、被告人には以下のように、有利に考慮すべき事情がある。

1  被告人車両は、運転席からフロントガラスを通して前方を見た場合に、死角となる部分が比較的広く、本件事故に際しても、被害者が、渋滞している先行車に後続して横断歩道をまたぐ形で一時停車している被告人車両の直前を横断してきたため、被害者の姿が、その死角に入っていたものと認められる。被害者は、渋滞する先行車に接続して横断歩道をまたぐ形で停止していた被告人車の発進を予想せずに、その死角内の直前を横断歩行中のところ、たまたま先行車が移動を開始したことから、被告人もこれに続いて被害者に気付かないまま、とっさに徐行発進したため、老齢の被害者はこれを避けきれずに衝突転倒するに至ったものである。このような状況は、通常生起する横断歩道上の事故の場合に比して、被告人の過失の程度を軽減するものといわなければならない。

2  被告人車両については、強制保険のほか、人身事故について八〇〇〇万円を限度とする任意保険が掛けられており、被告人が本件事故の加害者であると確定した段階では、これらの保険に基づき、被害者、その遺族の被った損害の殆どが確実に賠償されるものと考えられる。

3  また、被告人は、これまでに前科がなく、自動車運転手として真面目に働いており、妻子とともに健全な家庭を築いている。

4  なお、争点に対する判断において検討したように、被告人は、本件事故を引き起こしたことに気付いていなかった形跡がうかがわれるのであって、被告人が、本件事故について、公判において自己の刑事責任を争い、これまで被害者との示談に努めてこなかったことには、十分理由があるというべきであり、そのことについて被告人を非難することはできない。

三  本件事故が招いた結果は誠に重大であり、被告人の過失の程度も軽視することはできないが、右のごとき事情を総合して考慮すると、被告人に対し、主文のとおりの刑に処した上、その刑の執行を猶予するのが相当であると認められる。

(求刑 禁錮一年六月)

(裁判長裁判官渡邊忠嗣 裁判官山口雅髙 裁判官髙瀬順久)

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