東京地方裁判所 平成元年(特わ)361号 判決 1990年10月09日
主文
被告人を懲役二年に処する。
この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。
被告人から金二二七〇万円を追徴する。
訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
(認定事実)
第一被告人らの経歴等
一 日本電信電話株式会社関係
1 被告人は、昭和九年三月九州帝国大学工学部造船科を卒業し、株式会社播磨造船所、ナショナル・バルク・キャリアーズ社を経て、昭和三五年九月再び右播磨造船所(同年一二月合併により石川島播磨重工業株式会社に商号変更)に入社し、常務取締役船舶事業部長、代表取締役副社長、代表取締役社長を歴任し、昭和五四年六月相談役に退いた後の昭和五六年一月日本電信電話公社(以下「電電公社」という。)総裁に任命され、同公社の民営化に伴い、昭和六〇年四月一日日本電信電話株式会社(以下「NTT」という。)の初代代表取締役社長に就任し、昭和六三年六月二九日同社代表取締役会長となったが、同年一二月一四日その職を辞した者である。
被告人は、右のとおり、昭和六〇年四月一日から昭和六三年六月二八日まで、NTT代表取締役社長の地位にあり、その間、同社を代表し、取締役会の決議に基づいて同社の業務を総理し、同社社員を指揮監督するなど、同社の業務全般を統括する権限を有していた。また、NTTの常務会は、会長、社長、副社長及び常務取締役をもって構成し、会社経営の基本的戦略を確立して、その円滑な遂行を図ることを目的とし、事業の基本方針その他経営に関する重要事項について協議を行う機関であるが、被告人は、その職務の執行に当たり、常務会の補佐を受けていた。
2 村田幸藏(以下「村田」という。)は、昭和三九年ころ、前記石川島播磨重工業代表取締役副社長であった被告人の秘書となり、被告人が電電公社総裁、NTT代表取締役社長、同社代表取締役会長となった後も、引き続き被告人の秘書の地位にあり、昭和六三年一一月五日辞職するまでの約二四年間にわたり、終始被告人の秘書を務めていた者で、その間、被告人のスケジュールの調整管理等の秘書業務のほか、被告人の私的な金銭出納の管理にも当たっていた者である。
3 NTTは、昭和六〇年四月一日、日本電信電話株式会社法に基づき設立され、電電公社の権利義務一切を承継し、その発行済株式総数の三分の一以上を政府が保有する特殊会社であり、資本金七八〇〇億円、東京都千代田区内幸町一丁目一番六号に本店を置き、国内電気通信事業の経営等を目的とし、第一種電気通信事業者として電話サービス、専用回線サービスなど各種電気通信サービスの提供を行う株式会社である。また、NTTは、同法に基づき、その事業を営むに当たり、適正かつ効率的な経営に配意し、電話サービスの公平かつ安定的な提供を確保し、電気通信技術に関する研究及びその成果の普及を通じて我が国の電気通信の創意ある向上発展に寄与するなどの責務が課せられており、こうした職務の公共性から、同法には、同社の取締役等がその職務に関してわいろを収受等した場合について、公務員に準じた罰則が設けられている。
二 株式会社リクルート関係
1 江副浩正(以下「江副」という。)は、株式会社リクルート(昭和三八年八月設立、昭和五九年三月までの商号が「株式会社日本リクルートセンター」。以下「リクルート社」という。)を始め、株式会社リクルートコスモス(昭和四四年六月設立、昭和六〇年三月までの商号が「環境開発株式会社」。以下「リクルートコスモス」という。)、ファーストファイナンス株式会社(昭和五二年四月設立。以下「ファーストファイナンス」という。)等の関連企業を次々と設立し、その各代表取締役として、広告取次業、就職情報誌等の発行事業を手初めに、広く情報産業、不動産業等へと社業を飛躍的に拡大させ、いわゆるリクルートグループ全体を名実ともに支配し、同グループの業務全般を統括していた者であり、昭和六一年九月当時、リクルート社代表取締役社長及びリクルートコスモス代表取締役会長の地位にあった。
2 小林宏(以下「小林」という。)は、昭和三九年五月リクルート社に入社し、昭和五八年七月以降、リクルートコスモスの経理部長、財務部長を歴任した後、昭和六〇年七月から昭和六二年九月まで、ファーストファイナンス代表取締役社長を務めていた者である。
3 リクルート社は、前記リクルートグループの中核をなす企業であり、資本金二四億七〇〇〇万円、東京都中央区銀座八丁目四番一七号に本店を置き、広告事業、各種情報誌の出版事業のほか、後記回線リセール事業やRCS事業等の新規事業にも積極的に進出している株式会社である。
リクルートコスモスは、昭和四九年二月、当時休眠状態にあった株式会社リクルート映画社について、江副が目的を不動産の売買、賃貸、仲介、管理等に、商号を環境開発株式会社にそれぞれ変更して再出発させた株式会社であり、ファーストファイナンスは、当初はリクルートコスモスの販売するマンションの購入者に融資することを主たる業務とし、その後リクルートコスモスの取引先等に対する一般の融資をも行うに至った株式会社であって、いずれもリクルート社の傘下にある関連企業である。
第二本件の前提又は背景となる事情
一 リクルート社の回線リセール事業及び同事業へのNTT及び被告人の関与
1 電気通信事業は、従来、電電公社により独占的かつ一元的運営がなされていたが、昭和五九年一二月二五日、電気通信事業法、日本電信電話株式会社法等のいわゆる電気通信改革三法が成立して、昭和六〇年四月一日から電電公社の民営化と電気通信事業の自由化とが実現し、以後、電気通信事業者は、電気通信回線設備を設置して電気通信サービスを提供する第一種電気通信事業者と、同設備を持たずに電気通信サービスを提供する第二種電気通信事業者とに区分されることになった。
リクルート社は、こうした電気通信事業の由由化を前に、この分野における新規事業を検討していたが、同年三月ころ、第二種電気通信事業者として、第一種電気通信事業者であるNTTから高速デジタル回線の提供を受け、これを小分けして第三者に再販売することにより電気通信サービスを提供する事業(以下「回線リセール事業」という。)に進出することを企図し、同年四月一八日、一般第二種電気通信事業の届出を行った。
リクルート社の当初の事業計画は、社内通信用にNTTから提供を受ける高速デジタル回線のうち自社が利用しない余剰分を第三者に再販売し、経費削減を図るという小規模なものであった(同年七月三日ころ、最初の顧客に対するサービス提供開始。)ところが、NTTから提供を受ける大容量の高速デジタル回線を小容量に小分けすれば、NTTよりも安く専用回線サービスを提供できることから、リクルート社は、江副の指示に基づき、同年七月上旬ころ、本格的に回線リセール事業に進出することを決めた。
同社は、同事業を成功させるには、競業他者が参入してくる前に迅速に事業を展開することにより、早急に圧倒的なシェアを獲得する必要があるとの考えから、全国的規模による同事業の展開・推進に向けて、社内体制の整備・拡充を図るとともに、極めて積極的な営業活動を実施し、江副も、同年九月開催の全社部課長会等において、「全社を挙げて回線リセール事業に取り組み推進する。」などと社員を叱咤激励し、その後も、回線リセール事業及び後記RCS事業に社運を賭けるとの姿勢を示し続けた。
また、これと併行して、同社は、NTTに対し、全国の主要都市を結ぶ通信ネットワーク構築のため、多数の高速デジタル回線の専用契約の申込みを行い、その早期開通を要請したほか、NTTの後記R-NWプロジェクトの担当者らと度々打合せ会を開いて、同事業の展開に伴う種々の問題の検討を進めていった。
2 リクルート社の回線リセール事業のこのように大規模な展開には、全国の主要都市ごとに設けるアクセスポイント(拠点ビル)、同社がNTTから提供を受ける大容量の高速デジタル回線をアクセスポイントに設置した時分割多重化装置(高速回線を低速回線に分割し、低速回線を高速回線に合一する機能を有する電気通信機器。以下「TDM」という。)を使用し小分けして顧客に提供する回線(以下「リセール回線」という。)、更にアクセスポイントから顧客までの間をデジタル信号のまま又は変復調装置(デジタル信号をアナログ信号に、アナログ信号をデジタル信号に変換する機能を有する電気通信機器。以下「MODEM」という。)を使用しアナログ信号に変換して伝送するいわゆるアクセス回線を早急に確保することが必要であった。
また、全国のアクセスポイントに設置するTDM、MODEM等の電気通信機器を保守する体制を全国規模で確立する必要があったが、リクルート社は、これら機器の購入先である日本ダイレックス株式会社から、同社の事務所及び人員の規模の点から対応できないとして、これら機器の全面的な保守受託を断られて苦慮していた。さらに、リクルート社は、電気通信事業にはそれまで全く実績がなく、これに必要な人材も技術力もノウハウもほぼ皆無の状態にあったため、回線リセール事業を本格的に推進するには、NTTによる全面的な支援と協力が必要であった。
そのため、江副は、自ら又は同事業担当役員の位田尚隆(以下「位田」という。)らを介して、NTT側に、高速デジタル回線及びアクセス回線の早期開通の実現を促すとともに、アクセスポイント確保のための全国規模でのNTT通信局舎の貸与、NTTによるリクルート社のTDM、MODEM等電気通信機器の保守の全面的受託、電気通信技術者の派遣等を提案するなどして、リクルート社の回線リセール事業に対する支援と協力を要請した。
3 NTT企業通信システム事業部(電電公社時代の企業通信システムサービス本部、昭和六二年一月以降は企業通信システム事業本部。以下「企通」という。)は、大口顧客に対する複合通信システムの営業等を担当し、電電公社時代から、リクルート社に新型ビル電話等のシステム商品を売り込み、同社との間に新規事業についての研究会を設けるなどして、NTTのリクルート社への窓口となっていた部署であるが、昭和六〇年七月上旬ころ、リクルート社の位田らからの要請を受けて、同月中旬ころ、主要幹線の早期開通、通信局舎の貸与、TDM、MODEM等電気通信機器の保守体制の確立など、リクルート社の全国的な通信ネットワーク構築の設計・建設・保守等に関する種々の問題を解決するために、同事業部流通サービスシステム部長伊東悠治(以下「伊東」という。)を責任者とするリクルートネットワークプロジェクトチーム(R-NWプロジェクト)を設置し、これを通じてリクルート社担当者と協議を重ね、NTT内部の関係部署に働き掛けるなどして、同事業部長の式場英(以下「式場」という。)を中心に、終始リクルート社の回線リセール事業に全面的に協力する姿勢をとり続けた。
これに対し、NTTの地域事業本部である東京総支社等の全国の各総支社は、リクルート社の回線リセール事業がNTTによる専用回線の販売と競合して顧客を奪い合う関係にあることを嫌い、あるいは、リクルート社の需要予測が不十分であり、無駄な設備投資になることを危惧するなどして、リクルート社への協力に消極的な態度を示した。また、NTTの通信局舎を管理する各総支社や通信網事業本部準備室(同年一一月以降のネットワーク事業本部)、TDM、MODEM等電気通信機器の保守受託業務に携わる電話企画本部準備室(同年一一月以降の電話企画本部。以下「電話企画本部」という。)等の各所管部署も、他の民間企業に通信局舎を貸与したり、外国製品について保守を受託した先例がなく、そのルールも確立していないことなどを理由に、消極的な姿勢が目立った。
4 被告人は、かねてより、我が国の電気通信事業の発展のためには、NTT以外の第一種及び第二種電気通信事業者を育成して自由競争状態を実現する必要があり、NTTの社長としても、そうした方向に誘導すべきであると考えており、また、江副については、世の中の動きに合わせて企業化を図る発想の良さと感覚の鋭さを高く評価していた。そのため、被告人は、同年八月、式場から、リクルート社の回線リセール事業及びこれに対する企通の前記のような姿勢について報告を受けてこれを了承した。また、被告人は、同月ころ江副と面談した際、「あなた達が回線を売ってくれれば、内部の刺激にもなるし、高速デジタル網の市場も広がるので、どんどんやって下さい。」などと激励し、更に、NTTの常務会等の社内の会合において、役員や幹部職員らに対し、電気通信事業全体の発展のためには第二種電気通信事業者を育てる必要があり、第二種電気通信事業者に対してもNTTの顧客として積極的に対応しなければならないなどと説諭して、企通の立場を支持する姿勢をとった。
このように被告人の支持を受けて、式場は、企通事業部長として、同年九月一日、リクルート社代表取締役社長である江副との間に、通信ネットワーク構築に関するコンサルティング契約を締結して、東京総支社等の関係部署に通知し、更に、同月一九日、企業通信システム関係部署の担当者を召集して、企通主催の全国会議を開催し、リクルート社の回線リセール事業に支援・協力するため、各総支社における回線等の設備計画の見直し、通信局舎の貸与等について前向きの検討を要請した。
ところが、NTT内部においては、リクルート社のTDM、MODEM等電気通信機器の保守の受託や同社に対する通信局舎の貸与について、依然として消極的意見が根強かった。そこで、式場は、当時のNTTの懸案事項であった日米貿易摩擦に関連する国際調達問題に着目して、リクルート社が導入する米国製のTDM、MODEM等電気通信機器をNTT経由で調達し、これらをNTTで仕様化してリクルート社に販売すれば、NTTの国際調達額の拡大に寄与できることを強調し、その代わり、右電気通信機器の保守をNTTがリクルート社から受託する方式を採用することにより、打開を図ろうとして、同年九月ころ、リクルート社の了解を得るとともに、自ら又は伊東を介して、電話企画本部に協力を要請した。また、被告人も、同年一〇月上旬ころ、NTTの国際調達、研究開発、施設関係等担当の常務取締役山口開生(以下「山口」という。)に対し、「新しいことをまず後ろ向きに考えるのではだめだ。NTTで開発した物しか使わないというような発想でもだめだ。新規参入の事業者にもどんどん協力して、新しい事業についても積極的に考えていかなければだめだ。」などと話し、式場の右方針を支持した。
5 その後、山口を委員長とするNTT技術委員会は、企通からの申請に基づき、同年一〇月一七日、リクルート社がNTT経由で購入する米国製のTDM、MODEM等電気通信機器のNTT仕様化を決定し、その際、電話企画本部が中心となり、こうした電気通信機器の保守受託及び通信局舎の貸与に関する一般的な基準を策定することも併せて決定した。これを受けて、通信ネットワーク構築に関する建設・保守及び通信局舎の貸与についての各プロジェクトチームが編成され、同年一一月二二日までに検討結果がまとめられ、山口に報告された。
そして、同年一二月二七日開催の常務会に、右検討結果に基づく上程案が提出された。
その内容は、保守受託問題については、回線の末端から末端までの品質保障はしないことを前提に、NTT仕様の機器(いわゆる売り切り端末)に限り保守を受託し、かつ、NTT専用回線を再販売する事業者に対しても積極的に回線を販売することとし、また、通信局舎の貸与問題については、NTTの業務等に支障がないなど条件が適えば、他の企業に対しても積極的かつ公平に貸付けを行い、かつ、その権限を総支社長を含む各事業本部長に下ろすというものであったが、いずれも被告人を含む全員一致の賛成により了承された。また、右常務会の席上、被告人は、新しい形態の保守受託契約に積極的に取り組む必要があるとの観点から、保守の対象をNTT仕様の機器に限定しない方向による再検討を指示した。
6 リクルート社の回線リセール事業に対する以上のような上層部の意向を受けて、NTTは、各総支社を含めてこれに対し協力する方向で次第にまとまっていった。たとえば、各総支社は、リクルート社専用の高速デジタル回線の早期開通に向けて、例外的措置として、同社のアクセスポイントが未確定の段階で回線の専用契約申込みを受け付けたり、あるいは、主要幹線について同社の開通希望日に合わせた暫定開通を行うなどした。その結果、NTTは、昭和六一年三月までに、リクルート社に対し、東京・大阪、東京・名古屋、東京・札幌、東京・仙台、東京・京都、東京・福岡の各区間に高速デジタル回線の提供を行い、これによって、リクルート社は、全国規模の通信ネットワークを構築し、回線リセール事業を全国的に展開させることが可能となった。
また、NTTは、昭和六〇年一〇月以降、リクルート社に対する技術的指導及びコンサルティングのために、技術系職員を順次同社に派遣し又は再就職させた。通信局舎の貸与についても、リクルート社側の希望には遠く及ばないものの、昭和六一年五月までに四カ所の通信局舎が候補に上がり、契約交渉が進められた結果、昭和六二年一月までにそれぞれ賃貸借契約が締結された。そして、昭和六一年三月一八日には、NTT代表取締役社長である被告人とリクルート社代表取締役社長である江副との間に、リクルート社が回線リセール事業に使用するためNTT経由で導入する米国製のTDM、MODEM等電気通信機器に関する売買基本契約及び保守契約が締結された。
一方、第一種電気通信事業に新たに参入する第二電電グループが、同年四月に回線利用料金を発表し、同年一〇月には電気通信サービスの提供を開始するのを前にして、リクルート社では、同年一〇月までをシェアを決定する重要な時期ととらえ、江副の指示の下、特に大口顧客の獲得を狙い積極的な営業活動を展開したが、その一環として、NTTの信用力を利用するため、NTT職員との同行営業を実施し、あるいはNTT職員を講師とする顧客向けのセミナーを開催した。式場も、これに応じて、同年五月、前記電気通信機器の売買基本契約等の周知徹底及びリクルート社の通信ネットワーク構築に対する意思統一を図り、その後の作業を円滑に推進するために、各総支社の担当者を集めて企通主催の全国会議を開催したほか、同年夏ころには、リクルート社に対する支援・協力体制を強化するために、企通内に「R-VAN推進室」を設置し、また、そのころ、同行営業にも自ら参加し、あるいは企通所属の職員を参加させ、リクルート社主催の右セミナーで講演するなどして、同社に対する積極的な支援と協力を続けた。
7 こうした中、同年六月ころ、回線リセール事業に使用していた高速デジタル回線に、一時的に電気信号が途絶える瞬断事故が多発したことから、被告人は、同月下旬ころ、江副から直接に善処方を要請され、当時のネットワーク事業本部長であった岩崎昇三にその対応を指示した。その後、同人の後任の宮津純一郎が、同年七月初めに、リクルート社等の顧客に謝罪に回るとともに、瞬断事故の原因となった無線区間の有線伝送路への収容等の対策を打ち出した。また、そのころ、NTT高度通信サービス事業本部専用回線事業部長戸田晃二名義で、リクルート社の位田宛に、右対策を記載した謝罪文書が交付された。
さらに、被告人は、同年半ばころ、江副から、リクルート社がNTTの電話通話料収入を減少させる可能性のある従量型広域内線電話サービス(WATTS)に進出することについて了解を求められてこれに応諾するとともに、企通の担当者に対し、リクルート社の要望に応えて積極的に進めるように指示した。
二 リクルート社のRCS事業及び同事業へのNTT及び被告人の関与
1 リクルート社は、江副の指示に基づき、昭和六〇年三月ころ、新規事業としてコンピューターの時間貸し事業(以下「RCS事業」という。)への進出を決め、同社が保有する汎用コンピユーターに機器を付加してその機能を向上させ、あるいは汎用コンピューターを新たに発注するなどした上、同年八月ころ、RCS事業に使用するための超高性能のスーパーコンピューターの選定作業を始めた。その結果、米国クレイ・リサーチ社製スーパーコンピューター(以下「クレイ社製スーパーコンピューター」という。)X-MPシリーズと富士通株式会社(以下「富士通」という。)製スーパーコンピューターVP-四〇〇とが検討対象として残ったが、クレイ社製スーパーコンピューターは技術的に高度過ぎて、コンピューターに対する技術力が極めて乏しいリクルート社の手には負えないとする同社の現場の意見が通り、同年九月初旬ころ、富士通製スーパーコンピューターが選定された。しかし、江副、位田らリクルート社の幹部役員は、世界一の高性能機種と定評のあるクレイ社製スーパーコンピューターに対してなお魅力を感じていた。
一方、クレイ社製スーパーコンピューターの日本における販売元である日本クレイ株式会社のジム・オーティス社長及び河田紘一営業部長は、リクルート社の選考結果を知り、同年九月一〇日ころ、かねて取引のあったNTT技術企画本部国際調達室長加田五千雄に対し、同コンピューターの導入をリクルート社に働きかけてほしい旨依頼した。同人から右経緯を聞いた式場は、直ちに江副に連絡をとり、同コンピューターの導入について再考を促すとともに、リクルート社がNTT経由で同コンピューターを導入した場合には、NTTの技術的支援を受けられる旨説明した。
江副は、RCS事業を推進するに当たり、リクルート社の技術力の乏しさが大きな障害となっていることを承知していたが、折から日米貿易摩擦問題で対米調達額の増加に腐心していたNTTを経由して、リクルート社がクレイ社製スーパーコンピューターを導入することにより、NTTに対しビジネス上の貸しを作るとともに、NTTから技術的支援等一層の協力が得られるのなら、富士通製スーパーコンピューターのほかに、一旦選定から除外したクレイ社製スーパーコンピューターを併せて導入してもよいと考え、そのころ、山口に会って、NTTによる同コンピューターの調達及び技術的支援を要請した。これに対し、山口は、前向きの検討を約束した。
江副は、次いで、被告人にも会い、同コンピューターをNTTを通じて導入する旨挨拶したところ、被告人は、NTTによる同コンピューターの調達が日米貿易摩擦の解消に資するものと考え、「うちの方でできるだけのことは手助けさせてもらう。」などとこれに応じ、リクルート社のRCS事業に対するNTT側の協力姿勢を明らかにした。
2 その後、リクルート社用のクレイ社製スーパーコンピューターに関する技術的支援については、コンピューターによるオンラインシステムの構築等の業務を行っていたNTTデータ通信本部(同年一一月以降のデータ通信事業本部)が担当することになった。同本部は、リクルート社から、同コンピューターに関するシステムの設計・建設等の受託のほか、その設置場所としてNTT通信局舎の貸与などの要請を受けて、リクルート社及びNTTの関係部署との調整を行った後、同コンピューターの調達を担当する技術企画本部国際調達室とともに、リクルート社用のクレイ社製スーパーコンピューターをNTT経由で調達するとともに、リクルート社からの右要請についても応じる旨の案を策定し、常務会に上程したところ、被告人も出席した昭和六一年四月九日開催の常務会において、右上程案が全員一致で承認された。
この常務会決定を受けて、前記国際調達室は、同年五月二七日、米国クレイ・リサーチ社との間に、同社製スーパーコンピューターX-MP二一六の売買契約を締結した。また、長谷川壽彦(以下「長谷川」という。)が同年六月二六日に本部長に就任したデータ通信事業本部は、同年八月ころ、リクルート社への貸与が決まったNTT横浜西ビルに同コンピューターを設置する建設工事などに着手し、更に、本件犯行のあった同年九月当時には、同年一二月ころまでに、同コンピューターの所有権をリクルート社に移転するほか、同本部とリクルート社との間に、ハードウェア設計建設委託契約、ハードウェア用電源設備の設計委託契約、同保守契約、NTT横浜西ビルの賃貸借契約等の所定の契約を締結することが予定されていた。
三 江副による店頭登録前のリクルートコスモス株式の譲渡
1 リクルートコスモスの株式店頭登録の経緯
(一) リクルートコスモスは、前記のとおり、不動産の売買賃貸等を営業目的とするリクルート社の関連会社であるが、江副は、不動産業が多額の資金を要するため、株式を公開して、資本市場から低利、安定的な資金を調達し、同時に企業イメージの向上を図ろうと考え、昭和五九年夏ころから、東京証券取引所第二部への上場等による同社株式の公開を企図し、社内に上場準備室を発足させた。
そして、同社は、同年一一月、大和證券株式会社(以下「大和證券」という。)に株式公開に関する事務幹事証券会社を依頼し、同社及び東洋信託銀行株式会社の協力と指導の下、株式公開に際しての社団法人日本証券業協会(以下「日本証券業協会」という。)の審査に備えて、内部管理体制の整備に取り組むとともに、株主数の増加を図ろうとして、昭和六〇年二月及び同年四月の二回にわたって、第三者割当増資(一株二五〇〇円)を行い、金融機関、取引会社のほか、江副と親交の深い新倉基成が経営する新倉計量器株式会社(以下「新倉計量器」という。)に八万株、同じく菅原茂世が経営する株式会社ドゥ・ベストに八万株、同ビッグウェイ株式会社に一二万株、同じく飯田亮が実質上経営するエターナルフォーチュン株式会社に二〇万株、同じく畑崎廣敏が経営する株式会社ワールドサービスに二〇万株をそれぞれ引き受けてもらった(右四社を以下「ドゥ・ベスト等」と総称する。)。
ところが、リクルートコスモスは、同年夏ころまで、社内の管理体制の整備が進まず、業績も振るわなかったため、東京証券取引所第二部への上場を断念して、日本証券業協会に店頭売買名柄として登録するいわゆる店頭登録の方法により株式を公開することとし、準備作業を続けた結果、社内体制の整備も進み、業績も好転して、昭和六一年春ころには、店頭登録実現の目処が立つようになった。
(二) リクルートコスモスは、同年二月二四日開催の取締役会で、同社株式の店頭登録予定日を同年一〇月下旬にすることなどを内容とする株式店頭公開スケジュールを、同年五月一九日開催の取締役会で、主幹事証券会社を大和證券、副幹事証券会社を野村證券株式会社ほか二社にすることなどをそれぞれ決定し、同年八月初旬ころ、正式に大和證券に対し店頭登録申請を依頼し、同月一九日開催の取締役会で、株式公開の方法として創業者である江副が所有する株式を分売すること、分売株式数を二八○万株とすることなどを正式決定した。これを受けて、同年九月三日、大和證券等の四幹事証券会社は連名で、日本証券業協会に店頭売買登録名柄登録申請書を提出した。
なお、株式の分売とは、株式が店頭登録されて売買が開始される当日、当該株式発行会社の創業者等が分売人となり、その所有している株式を証券会社を通じて行う売り委託に対し証券会社が受けた買い注文の結果により一種の入札の形で株式を分譲する株式の公開方法である。また、初値となる分売価格は、日本証券業協会の指導により、業界が同一又は類似しているか業態・業績が類似している類似会社の株価から所定の算式に基づき算出する類似会社比準方式で算出された最低分売価格とその三〇パーセント増しに当たる最高分売価格の範囲内で決定される。
(三) リクルートコスモスの株式(以下「リクルートコスモス株」という。)の公開後の価格は、大和證券担当者及び前記上場準備室が中心となって検討を行ったが、不動産株の市況が全般に好調で、しかも、リクルートコスモスのマンション分譲等の業績が急速に伸び、同年四月期の決算の結果も良かったことから、同年六月ころには、一株当たり四、五〇〇〇円、同年八月上旬ころには、最低でも一株当たり四〇〇〇円位にはなるものと予想されていた。そして、同年九月一六日、江副を始めとするリクルート社及びリクルートコスモスの最高幹部及び大和證券の担当者が出席した打合せ会において、類似会社として、マンション販売戸数で業界第一位の大京観光株式会社と総合不動産業で業界第一位の三井不動産株式会社の二社にしたいとする江副の意向に従って、右二社を類似会社とする方針が定まり、その際、大和證券の担当者が右二社の当時の株価に基づき試算したところ、最低分売価格が四一六二円、最高分売価格が五四一〇円と算定された。
その後、リクルートコスモスは、同年一〇月一三日開催の取締役会で、右二社を類似会社とする類似会社比準方式により、同社株式の公開価格である最低分売価格を四〇六〇円、最高分売価格を五二七〇円と最終決定し、翌一四日、大和證券等の四幹事証券会社が連名で、日本証券業協会宛に、分売価格を右各価格とし、分売予定日を同月三〇日とすることなどを内容とする株式分売申告書を提出し、同協会は、そのころ、リクルートコスモス株の店頭登録を承認した。
(四) リクルートコスモス株は、同年一〇月三〇日、店頭登録されて分売が実施されたが、分売株式数二八〇万株に対し、これを大幅に上回る数の買付申込みがあり、分売株式の全部について一株五二七〇円の初値で約定が成立した。また、翌三一日からリクルートコスモス株の公開取引が開始されたが、その株価は、昭和六二年九月八日に安値が五二五〇円となるまで、高値、安値ともに終始右初値を超えて推移した。
なお、昭和五九年一月以降昭和六〇年八月までに店頭登録された株式は、三四名柄あり、そのうち分売により公開された六名柄は、いずれも初値が最高分売価格と一致し、かつ、登録後の株価が三か月以上右初値を上回って推移しており、また、増資を伴う売出又は売出・公募により公開された二八名柄についても、すべて初値が類似会社比準方式により算定された公開価格を上回り、その後もそのほとんどが一か月以上にわたり右公開価格を上回って推移していた。このように、店頭登録株式が一般に人気を呼び、店頭登録後の株価が高い水準で始まって、その後も相当期間右分売又は公開価格を上回って推移することは、広く知られており、被告人や江副も十分認識していた。
2 江副によるリクルートコスモス株の譲渡状況
(一) 江副は、昭和六一年八月中旬ころ、愛社精神を鼓舞し、幹部職員としての自覚を持たせるため、リクルートコスモスの役職員に対しリクルートコスモス株を予想される公開後の価格より安く取得させることを企て、更に、同月下旬ころには、リクルートグループと仕事上の関係があり、又は江副と個人的親交のあった社外の者などにも、江副個人やリクルートグループへの日ごろの親交ないし支援・協力に対する謝礼、及び将来にわたる変わらぬ親交ないし支援・協力等の依頼の趣旨を込めて、同株式を同様に低廉な価格で譲渡することを思い立った。
そこで、江副は、同年四月に実施し第三者割当増資の取受先のうち、その経営者が江副と親交のあった新倉計量器及びドゥ・ベスト等からリクルートコスモス株を買い受けた上、店頭登録に先立って特別利害関係人が株集めすることを禁止した日本証券業協会業務委員会内規に違反することを免れるため、右株式を右五社名義で直接リクルートコスモスの役職員や江副らの選んだ社外の者に譲渡することにした。そして、右買受け及び譲渡の価格について、税務上低廉譲渡という問題が生じないように、類似会社比準方式により説明の付く最低の価格である一株三〇〇〇円と決定し、同年九月中旬ころまでに、自ら交渉して右五社の経営者らの了解を得た上、同月三〇日付けをもって、新倉計量器の関連会社で前記第三者割当株引受後に同社及び株式会社ヤクルトからリクルートコスモス株の譲渡を受けた株式会社三起(以下「三起」という。)から一六万株、ドゥ・ベスト等から計五四万株の合計七〇万株を買い受けることになった。
(二) 他方、江副は、同月下旬ころまでに、自ら社外の譲渡先の多くを人選したが、NTT関係では、企通事業部長としてリクルート社の回線リセール事業及びRCS事業を終始積極的に支援し協力してきた式場、同年六月二五日までは取締役東京総支社長としてリセール回線の建設・保守を担当して早期開通等に相応に協力し、その後は、取締役データ通信事業本部長としてRCS事業のNTT側の窓口となっていた長谷川、そして、NTTの代表取締役社長としてリクルート社の右各事業に理解を示し、これに対する支援と協力の姿勢を示していた被告人の三名を選んだ。
これら社外の者に対しては、江副が自ら、又はリクルート社の社長室長間宮舜二郎、同次長小野敏廣、同社の関連会社であるファーストファイナンス代表取締役社長小林らを介して、リクルートコスモス株の譲渡話しを持ち掛け、「株価は店頭登録後に確実に値上がりする。」、「うまくいけば、公開時には五〇〇〇円位になる。」、「すぐに売ってもらってもよい。」、「資金はファーストファイナンスで都合させてもらう。」などと説明し、同月三〇日付けで、右七〇万株のうち四〇万株をいずれも一株三〇〇〇円で譲渡した。
なお、江副は、小林に指示して、社外の譲受人が希望すれば、ファーストファイナンスから、譲受けに係る未公開段階のリクルートコスモス株を担保に、貸付期限を一年、金利を年七パーセントとし、担保としての株券引渡しを受ける前に株式譲受価格の満額を融資するとともに、その株式についての売付手続をも代行するという破格の条件で、譲受資金を融資させた。
第三罪となるべき事実等
一 犯行に至る経緯
1 江副は、店頭登録後にはリクルートコスモス株の価格が一株三〇〇〇円を確実に上回ることが見込まれ、江副らと特別の関係にない者が同株式を右価格で入手することが極めて困難であることを十分に認識しながら、被告人に対する尊敬の気持ちとともに、被告人が、NTT代表取締役社長として、リクルート社が将来の社運を賭けようとしていた回線リセール事業及びRCS事業に理解と協力の姿勢を取り続けていたことに感謝し、将来にわたって同様の支援と協力を期待する気持ちから、リクルートコスモス株の社外の譲渡先の一人として被告人を選び、昭和六一年九月上旬ころ、NTT本社に電話して、被告人に対し、「今度、リクルートコスモス株を公開するので、引き受けてもらいたい。」旨申し入れた。ところが、被告人が、「そういう話は村田にしてほしい。」旨応えたため、江副は、更に電話で被告人の秘書である村田に対し、「今度リクルートコスモス株を店頭登録するので、眞藤社長と相談して一万株を引き受けていただきたい。使いの者をやるので、詳しいことはその者から聞いてほしい。」旨連絡した後、ファーストファイナンス代表取締役社長の小林に対し、右経緯を話した上、村田に会って、被告人にリクルートコスモス株一万株を一株三〇〇〇円でファーストファイナンスの融資付きで譲渡する手続をとるように指示した。
2 小林は、そのころ、リクルート社が推進している回線リセール事業やRCS事業について、同社とNTTとの間に種々の取引があり、それについてNTT代表取締役社長である被告人から理解と協力を得ていたことのほか、前記のような本件株式の性格やその譲渡の趣旨も十分に承知していたが、右指示を受けて間もなくNTT本社に赴き、村田に対し、「先に江副から話したリクルートコスモス株一万株を一株三〇〇〇円で眞藤社長に引き受けてもらいたい。購入代金合計三〇〇〇万円は、リクルート社の関連会社であるファーストファイナンスで全額融資するから、同株式を担保に入れて、利息だけ払ってもらえばよい。同株式は、この一〇月末に店頭登録する予定になっており、登録後はもちろん値上がりするはずだ。店頭登録後は値が付いたら売却してもよい。売却手続も私どもの方に任せてもらいたい。」旨申し入れた。
3 村田が返答を留保して被告人に右小林の話しを報告したところ、被告人は、村田に対し「判った。」と答えて、江副からリクルートコスモス株一万株をファーストファイナンスからの融資付きで譲り受け、同株式を店頭登録後に売却することを承諾したが、その際、右売却益をNTTの正規の手続では出金できない政治資金等の諸出費に充てようと考え、「危ないぞ。裏金だぞ。」、「そういう話しなら、儲けは自分のポケットに入れるわけにはいかないから裏に回してくれ。」と指示した。村田は、江副が社長を務めるリクルート社の回線リセール事業等に関して同社とNTTとが密接な関係にあること及び前記のような本件株式の性格やその譲渡の趣旨を承知しながら、被告人の意向を察知して、自己名義で右株式を譲り受ける手続をとることにし、被告人もこれを了承した。
4 江副及び小林は、江副が三起から買い受けるリクルートコスモス株のうち一万株を被告人に譲渡すること、被告人が江副に支払うべき株式の代金三〇〇〇万円は、ファーストファイナンスがその株券を担保に村田名義で貸し付け、これをファーストファイナンスから三起に直接払い込むことなどを決め、そのころ、小林と村田との間で、村田名義による株式売買契約、金銭消費貸借契約等の所要の手続が進められた。その結果、同年九月三〇日、ファーストファイナンスが右株券を担保に三〇〇〇万円を村田名義で貸し付け、同金額が株式会社三菱銀行神田支店にある三起の当座預金口座に振込入金され、そのころ、右株券が三起からファーストファイナンスに引き渡された。
なお、江副は、小林から報告を受けて、被告人に対する譲渡手続が村田名義でなされたことを了承した。
二 罪となるべき事実
被告人は、前記のとおり、昭和六〇年四月一日から昭和六三年六月二八日まで、NTTの代表取締役社長の職にあり、取締役会の決議に基づいて、同社を代表し、同社社員を指揮監督して国内電気通信事業等の同社の業務全般を統括する職務に従事していた者であるが、その秘書である村田と共謀の上、昭和六一年九月上旬ころから、東京都千代田区内幸町一丁目一番六号所在のNTT本社等において、村田がファーストファイナンス代表取締役社長の小林との間で前記所要の手続を進めた結果、同月三〇日、リクルート社代表取締役社長の江副及び右小林から、リクルート社が全国的規模で回線リセール事業を展開するにあたり、NTTから提供を受ける高速デジタル回線等で構築する通信ネットワークの設計、建設、保守等について支援と協力を受けたこと及びリクルート社が営むRCS事業に使用するクレイ社製スーパーコンピューターの調達やこれを組み込んだシステム構築の設計、建設等についても支援と協力を受けたことに対する謝礼、並びに将釆も同様の支援と協力を受けたい趣旨の下に供与されるものであることを知りながら、同年一〇月三〇日に日本証券業協会に店頭売買株式として店頭登録されることが予定されており、店頭登録後にはその価格が一株当たり三〇〇〇円を確実に上回ることが見込まれ、江副らと特別の関係にない者が右価格で入手することが極めて困難であるリクルートコスモス株を、右登録後に見込まれる価格よりも明らかに低い一株当たり三〇〇〇円で一万株譲り受けて取得し、もって自己の前記職務に関しわいろを収受したものである。
(証拠の標目)<省略>
(事実認定上の争点に対する判断)
第一本件株式譲渡と被告人の職務行為との対価性(わいろ性)
一 被告人の職務行為について
1 「好意ある取り計らい」について
被告人及び弁護人らは、検察官が被告人のリクルート社に対する「好意ある取り計らい」と主張する行為は、いずれも被告人がNTTの代表取締役社長としてなすべき当然の営業活動に当たる行為であり、被告人は非難されるベき不当な行為としての「好意ある取り計らい」を行ったことはない旨主張する。
ところで、NTTの役職員がその職務に関しわいろを収受した場合には、当該役職員の職務行為の適法・違法ないし当・不当にかかわりなく、NTTの役職員の職務の公正さに対する社会的信頼を損なうものであって、日本電信電話株式会社法上の贈収賄の罪においてわいろの対象となる職務行為は、刑法上の贈収賄罪におけると同様、それ自体必ずしも違法又は不当なものである必要はなく、正当な職務行為に対して謝礼を収受したときにも、収賄の罪が成立するものと解される。したがって、わいろ性の認定においては、職務行為が違法ないし不当であることは必要でなく、それが贈賄者にとり利益をもたらすものであることが認定できれば足りるというべきであるから、以下、この観点から検討を進めることとする。
2 回線リセール事業及びRCS事業に対するNTTの支援と協力の重要性
前認定事実に、関係各証拠を総合すると、以下の事実が認められる。
(一) リクルート社は、昭和六〇年春ころ、電気通信事業の由由化に伴う新規事業として回線リセール事業及びRCS事業(以下「I&N事業」と総称する。)への参入を決定し、同年七月ころから、江副の指揮の下、これらの事業に社運を賭けるなどと社員を叱咤激励しながら、全社を上げてI&N事業の拡大発展に積極的に取り組んでいった。その結果、同社は、I&N事業に関し、昭和六一年には八○億円余りの売上原価(同社全体の約一一・六パーセント)をかけて二九億円余りの売上(同じく約二・一パーセント)を上げ、更に、昭和六二年には三二三億円余りの売上原価(同じく約三八・九パーセント)をかけて一四一億円余りの売上(同じく約七・七パーセント)を上げるなどして、I&N事業は、同社にとり極めて重要な地位を占めるに至った。
(二) このうち回線リセール事業は、NTTから提供を受ける高速デジタル回線を単に小分けして販売するもので、第二種電気通信事業として最も低次元の事業形態であり、しかも、リクルート社が販売するリセール回線の料金をNTTが直接販売する専用回線の料金よりも低く設定することにより成り立つものであるから、NTTの料金設定により事業の帰趨が左右されるという非常に不安定な要素を持っていた。したがって、同事業を成功させるには、競業他者に先駆けて迅速に事業を展開することにより、早急に圧倒的なシェアを獲得して、その後のより高度な電気通信事業への発展に備える必要があり、そのためには、リクルート社の希望に沿った高速デジタル回線及びアクセス回線の早期開通、アクセスポイントの確保、同社がアクセスポイントに設置するTDM、MODEM等電気通信機器の保守管理体制の確立、電気通信事業に精通した人材の確保、システム構築の設計、建設、保守等に関する専門技術的なコンサルティングなどが必要であった。そして、それまで電気通信事業には全く実績がなく、これに必要な人材も技術力もノウハウもほとんどないリクルート社がこれを実現するには、当時唯一の第一種電気通信事業者であり、かつ、電気通信事業に関して我が国で随一の実績を有していたNTTの支援と協力が不可決であった。
一方、NTTは、被告人ら上層部の意向を受けて、第二種電気通信事業者を育成するとともに、NTTとしての新規事業を開拓する意図から、リクルート社の全国的規模での通信ネットワーク作りに尽力し、同社の希望に近い形での高速デジタル回線の開通を行い、また、リクルート社がNTT経由で導入した米国製電気通信機器の保守を引き受け、更に、同社に技術系職員を派遣するなど、リクルート社の回線リセール事業に支援と協力を行い、その結果、リクルート社は、昭和六一年三月までに、同事業を全国的に展開することが可能となった。
(三) RCS事業についても、リクルート社は、昭和六〇年八月ころ、同事業用にスーパーコンピューターの導入をもくろんだが、江副ら同社最高幹部が魅力を感じていた当時世界一の高性能を誇るクレイ社製スーパーコンピューターを導入するには、同コンピューターを組み込んだシステム構築の設計、建設、保守及び運用、同コンピューターの設置環境の整備、顧客とのネットワーク作り、更には同コンピューターを使いこなすソフトウェアの開発能力などが必要とされ、同社の乏しい技術力では到底対応できなかった。
そのため、リクルート社は、一旦は、同コンピューターの導入を断念し、国産のスーパーコンピューターの導入を決定したが、クレイ社製スーパーコンピューターを導入した実績を持ち、コンピューターや電気通信についての技術力も高いと目されていたNTTから支援と協力の約束を取り付けられたことにより、同コンピューターの導入に踏み切った。そして、同コンピューター導入後は、NTT及びその関連会社がシステム構築の設計、建設、保守及び運用のほか、同コンピューターを設置するための通信局舎の貸与、顧客との回線の確保などに尽力し、こうしたNTTの全面的協力を受けて、リクルート社のRCS事業が進められた。
以上のとおり、リクルート社におけるI&N事業の推進には、NTTによる支援と協力が必要とされ、NTTのこうした支援と協力に基づき、同事業が大規模かつ本格的に展開されたものと認められる。
3 回線リセール事業に関する被告人の職務行為
リクルート社の回線リセール事業に関して、被告人は、前認定のとおり、その職務に関し次のような行為を行ったことが認められる。
(一) 昭和六〇年八月、企通の事業部長であった式場から、リクルート社の全国的な通信ネットワークの構築に伴う問題の解決に当たるR-NWプロジェクトを設置するなど、リクルート社の回線リセール事業に対して協力しようとする企通の取組姿勢について報告を受け、これを了承した。また、同月ころ、江副と面談した際には、回線リセール事業を推進するよう江副を激励した。さらに、その後のNTT常務会等の社内の会合においても、NTTの役員や幹部職員らに対し、第二種電気通信事業者を育てる必要があり、NTTの顧客として積極的に対応しなければならないなどと説諭して、企通の立場を支持する姿勢をとった。
(二) 同年一〇月上旬ころ、NTTの国際調達問題等担当の常務取締役である山口に対し、リクルート社が回線リセール事業に使用するために導入する米国製のTDM、MODEM等電気通信機器をNTT経由で調達し、NTT仕様としてリクルート社に販売し、その保守をNTTがリクルート社から受託する方針について了承を与えた。また、同年一二月二七日開催の常務会では、リクルート社から要請のあった右電気通信機器の保守受託問題及び通信局舎の貸与問題について、回線の末端から末端までの品質保証をしないことを前提に、NTT仕様の機器に限って保守を受託し、かつ、NTT専用回線の再販売業者に対しても積極的に回線を販売すること、通信局舎の貸与もNTTの業務等に支障がないなど条件が適えば前向きに対応することを内容とする常務会決定に賛成するとともに、その席上、保守の対象をNTT仕様の機器に限定しない方向での再検討を指示した。
(三) 昭和六一年六月下旬ころ、江副から、高速デジタル回線の瞬断事故に対する善処方を要請され、当時のネットワーク事業本部長に対応を指示した。また、同年半ばころ、江副から、リクルート社がNTTの電話通話料収入を減少させる可能性のある従量型広域内線電話サービスに進出することの了解を求められてこれに応諾した。
被告人は、かねてより、電気通信事業の発展のためには、NTT以外の第一種及び第二種電気通信事業者を育成して競争状態を作り出さなければならず、NTTもそれに協力しなければならないとの信念を持っており、以上の各職務行為は、いずれも、こうした被告人の信念に基づくものであって、それ自体何ら違法又は不当とすべき点は認められない。しかしながら、これらの行為は、いずれも、社運を賭け全社をあげて早期に全国的規模で回線リセール事業を展開しようとするリクルート社に対し支援・協力する方向で行われており、こうした被告人の意向も反映して、異論の少なくなかったNTT内部がリクルート社に対し支援・協力する方向でまとまっていき、その結果、同社の回線リセール事業がほぼ当初の計画に近い形で推進できたことも認められるのであって、被告人の右各職務行為が、いずれもリクルート社にとって利益をもたらすものであったことは明らかである。
4 RCS事業に関する被告人の職務行為
リクルート社のRCS事業に関して、被告人は、前認定のとおり、昭和六〇年九月中旬ころ、江副から、RCS事業に使用するクレイ社製スーパーコンピューターをNTTを通じて導入する旨の挨拶を受けた際、「うちの方でできるだけのことは手助けさせてもらう。」などと答えて、リクルート社のRCS事業に対する協力姿勢を明らかにしたことが認められる。
なお、この点に関して、弁護人らは、
(一) 江副の当公判廷における供述等を根拠として、同人は、クレイ社製スーパーコンピューターの導入に特に熱意を持っていたわけでなく、対米貿易摩擦の解消、国際調達の実績増を迫られて、昭和六〇年九月中旬には米国で国際調達に関するセミナーを開催することになっていたNTTの窮状を考慮し、これに協力しようとして導入したに過ぎず、これについて被告人に謝礼をすべき立場にはなかった旨、
(二) 山口の検察官に対する供述調書等に基づき、クレイ社製スーパーコンピューター導入に関する山口・江副会談は、山口・オーティス会談のあった同月一三日の前日である同月一二日の常務会終了後の午後に行われたもので、江副は山口との会談後に被告人と会っており、しかも、被告人は同日夕刻に成田を発ち同年一〇月二日まで米国に出張していたのであるから、江副が被告人に面談したのは、検察官主張のように昭和六〇年九月中旬ではなく、被告人が右米国出張から帰国した後の同年一〇月以降である旨、更に、同コンピューターの調達及びこれに伴うリクルート社に対する技術的支援の実施については、NTTの国際調達問題担当の常務取締役である山口がすべてその権限に基づき判断し決定したものであり、被告人はこれには全く関与していない旨
それぞれ主張する。
しかしながら、
(一) 位田の検察官に対する供述調書中には、江副、位田らのリクルート社幹部が以前からクレイ社製スーパーコンピューターに魅力を感じており、NTTの支援と協力が約束されたことから導入上の支障がなくなり、その導入を決定したとの部分がある。しかも、前認定事実に関係各証拠を総合すると、江副は、かねてよりRCS事業が将来有望な事業であると信じていたが、同事業用のスーパーコンピューターの機種選定に当たり、同年九月初旬ころ、リクルート社の技術力の乏しさを理由とする現場の意見を入れて、一旦は国産のスーパーコンピューターの導入を決めたこと、ところが、その数日後、式場から、NTTによる技術的支援を前提として、一台約二〇億円のクレイ社製スーパーコンピューター導入の打診を受けるや、直ちにこれに応じていること、その後、昭和六一年一二月に納入された同コンピューターの稼働率が五〇パーセント程度にとどまっていたにもかかわらず、昭和六二年二月には、NTTに対し、二台目の同社製スーパーコンピューター導入の引き合いを出していること、リクルート社では、スーパーコンピューターの導入が、企業イメージの向上につながり、理工系学生の採用に有益であると考えられていたことが認められ、これら事情は、江副の同コンピューター導入に対する並々ならぬ熱意を優に推認させるに足りるものであり、これに反する江副の捜査段階及び当公判廷における供述は信用できない。
したがって、江副は、クレイ社製スーパーコンピューターの導入について並々ならぬ熱意を抱きながら、リクルート社の技術力の乏しさから、一旦はその導入を断念したものの、NTTから技術的支援を受けられることが決まり、その結果、同コンピューターを導入することが可能となったのであるから、被告人に対し、その謝礼としてわいろを供与すべき動機があったものというべきである。
(二) 江副と被告人との会談時期に関する弁護人らの主張は、山口・オーティス会談の前日に山口・江副会談があったことを前提としており、山口・江副会談の時期が一日ずれれば、その前提を失うものであるが、両会談の時期に関する山口の前記供述調書中の供述自体「江副と会った翌日かそのころにオーティスに会った。」とあいまいであり、その根拠は弱いといわなければならない。しかも、山口は、同じ調書の中で、江副・山口会談の後「あまり間のない間に」江副・被告人の会談があったと供述しているほか、江副も、捜査段階では明確に、公判段階でもあいまいながら、破告人の渡米の前に被告人と会った旨供述していることからすると、江副は、山口と会った直後に被告人と会ったと認めるのが相当であり、したがって、江副がクレイ社製スーパーコンピューターの導入に関して被告人に会ったのは、山口に会った直後の同年九月一〇日前後というべきである。
また、確かに、弁護人ら主張のとおり、関係各証拠によれば、同コンピューターの調達及びリクルート社に対する技術的支援について直接に担当して決断したのは、山口であったものと認められる。しかしながら、右会談において、山口は江副に対し前向きの検討を約束したにとどまり、リクルート社側との合意にまで達していないことは証拠上明らかである。しかも、このような事業は、NTTにとっても全く新しい形態のものであり、前認定のとおり、この件については、昭和六一年四月に常務会に上程され、その議を経て契約が締結されていることをも考慮すると、被告人が江副に技術的支援を約束したことは、NTTによるリクルート社のRCS事業に対する支援と協力を保証し、かつ、NTT内部においてもその方針を確定するものというべきであって、被告人は、その限度において、同コンピューターの調達及びこれに伴うリクルート社に対する技術的支援の実施に関与したものと認めることができる。
よって、弁護人らの前記各主張はいずれも理由がなく採用しない。
そして、右の職務行為も、当時NTTの懸案事項となっていた日米貿易摩擦の解消に資するとの観点からなされたものと認められ、違法又は不当とすべき点は見当らない。しかしながら、被告人がNTTの最高首脳としてリクルート社に対しスーパーコンピューターに関する技術的支援を約束したことは、国際調達担当の常務取締役である山口が江副に前向きの検討を約束したこととともに、NTTによるリクルート社のRCS事業に対する支援と協力を保証し、かつ、社内的にもその方針を確定するものであって、その結果、リクルート社は、NTTの全面的協力の下に、クレイ社製スーパーコンピューターを導入することができたというべきである。したがって、右の職務行為も、リクルート社にとって利益をもたらすものであったということができる。
二 江副が被告人に本件株式を譲渡した趣旨について
弁護人らは、本件株式の譲渡について、株式の新規公開のお祝い及び経営者同士の付き合いとしてなされたものであり、被告人の職務行為との対価性、すなわち、わいろ性はなかった旨主張する。
1 しかしながら、前認定事実に、関係各証拠を総合すると、以下の事実が認められる。
(一) 江副は、被告人が前記のとおりリクルート社のI&N事業に理解を示して支援と協力姿勢をとっていたことのほか、、被告人の言動がNTT内に多大の影響を及ぼすことを、直接又は企通等を介して見聞きし、十分認識していた。
(二) 江副は、右事情を十分に認識しながら、本件犯行の前後を問わず、NTTの協力を要する新たな事業展開を行う場合や事故等によりNTT側の緊急措置を求める必要がある場合などには、その都度被告人と面談して、直接被告人に対し、その理解を求め、支援と協力を要請し、あるいは善処方を要望するなど、その影響力の行使を求めてきた。
(三) 江副は、リクルートコスモス株を譲渡する社外の者を人選した際、NTT関係者からは、被告人、長谷川及び式場の三名を選んだが、このうち被告人は、NTT代表取締役社長としてリクルート社のI&N事業に理解を示しこれに対し支援と協力の姿勢を示してきた者、長谷川は、東京総支社長としてリクルート社のリセール回線の建設・保守を担当して早期開通等に相応に尽力し、あるいは、データ通信事業本部長としてRCS事業のNTT側の窓口となっていた者、式場は、企通事業部長としてリクルート社のI&N事業を終始積極的に支援し協力してきた者であって、いずれもリクルート社のI&N事業についてNTTの代表又は窓口としてこれに理解を示しあるいは支援ないし協力してきた者である。
そして、江副は、リクルート社にとって極めて重要な地位を占めるに至ったI&N事業の推進には、こうしたNTT側の支援と協力が必要であり、NTTのこうした支援と協力を前提に、同事業が大規模かつ本格的に展開できたことを熟知していた。
(四) 本件株式は、予定された店頭登録後にはその価格が本件譲渡価格を確実に上回ることが見込まれ、江副らと特別の関係にない者が本件譲渡価格で入手することが極めて困難なものであったが、江副は、被告人らに対し、右株式を右登録後に見込まれる価格よりも明らかに低い価格で譲渡したものであり、しかも、店頭登録後に売却することを認め、株式購入代金についてもリクルート社の関連会社から破格の条件による融資を付け、更に融資手続から株式売却手続まで江副側で代行するなどしたため、本件株式の譲渡は、店頭登録後の売却代金から譲渡価格、売却手数料及び融資に伴う金利を控除した残額を現金として贈与するのと実質的に同様の性格を有していた。
(五) 江副は、被告人をリクルート社主催の会合に講師として招いたり、被告人を囲む若手財界人の会に出席したり、各種パーティ等で同席することはあったものの、被告人との個人的な交際は全くなかった。
以上のとおり、リクルート社にとって極めて重要な地位を占めるに至ったI&N事業の推進には、NTTの支援と協力が必要であったこと、江副は、被告人がリクルート社の同事業の推進に利益をもたらす前認定の種々の職務行為を行ったことを知りつつ、同社が同事業に関し新たな事業展開を行う場合やNTT側に緊急措置を求める必要がある場合には、その都度、被告人に面談してその影響力の行使を求めてきたこと、江副は、リクルートコスモス株の店頭登録に際して、NTTの役職員の中から、リクルート社のI&N事業に対しNTTの代表又は窓口としてこれに理解を示しあるいは支援と協力をしてきた被告人ら三名を人選し、これに対し、実質的に現金贈与に近い本件株式譲渡を行ったこと、しかも、江副と被告人との間には、個人的な交際がなかったことが認められる。したがって、本件株式譲渡は、前判示のとおり、リクルート社のI&N事業について支援と協力を受けたことに対する謝礼、及び将来も同様の支援と協力を受けたいとの趣旨に基づくものであると認めるのが相当である。
2 なお、本件株式譲渡の趣旨について、江副は、捜査段階では、被告人に対する尊敬の念のほか、「胸の内に、回線リセール業を中心として、NTTから色々面倒をみて貰っていましたので、そうした仕事のことが無かったといえば嘘になります。」と記載のある供述調書(検察官に対する平成元年三月二〇日付け供述調書。以下「三月二〇日付け調書」という。)に署名指印しているが、当公判廷では、そのわいろ性を否定し、右調書の記載内容は、事実に反し、かつ、江副の供述にも基づかない検察官の作文であって、右調書に署名指印したのは、取調担当検察官から「特捜を敵に回すな。敵に回すと牙をむくぞ。徹底的にやるぞ。」、「リクルートの位田社長を逮捕する。リクルートコスモスの池田友之も逮捕する。次々に逮捕者を出していくぞ。そうすればリクルートも潰れるだろう。」、「言うとおりにしないと、判決まで君はここ(拘置所)を出れないよ。」などと強く迫られたためである旨供述する。
しかしながら、前認定の事実関係の下では、リクルート社とNTTとの取引とは無関係に本件株式譲渡が行われたとする江副の当公判廷における供述内容は、極めて不自然であるのに対し、捜査段階における前記調書の記載内容は自然かつ合理的というべきである。
また、右調書中の本件株式譲渡の趣旨に関する記載は、最初に被告人に対する尊敬の念を挙げ、次に前記部分があり、最後に「面倒というのは、勿論、ビジネスという意味であり、特別に何かをして貰ったという意味ではありません。」と面倒の意味について特に限定する部分が続いており、こうした記載の順序及び内容に照らすと、右調書の作成に当たっては、江副の意思が十分反映していることが窺われる。
しかも、江副の任意の供述内容が記載されていることを同人自身も認めている同人の在宅段階での検察官に対する平成元年一月一四日付け供述調書(以下「一月一四日付け調書」という。)中には、リクルート社の回線リセール事業に関し、昭和六〇年夏ころ、「NTTが面倒を見てくれるのか、眞藤社長に会って話を聞いてみたいと思い、会った。」とか、スーパーコンピューターの購入に関し、同年八月から一〇月ころまでの間に被告人と会った際、被告人が「『NTTは全面的に面倒見るよ。心配ないよ。』と言って」くれたなどと、リクルート社がNTTから仕事上面倒を見てもらうことに対する江副の期待感及びこれに関する被告人の言動が明記されているほか、本件株式譲渡の趣旨に関しても、「人生五〇才を過ぎると仕事と個人的付き合いと区別しにくく、いわく言い難いものがある」と記載されており、その意味するところは、三月二〇日付け調書中の前記部分と基本的には軌を一にするものというべきである。
したがって、本件株式譲渡のわいろ性を認めた三月二〇日付け調書中の前記部分は検察官の作文であり、本件株式譲渡にわいろ性はなかったとする当公判廷での江副の供述は、前認定の事実関係からみて極めて不自然であり、かつ、前記各調書の記載内容に照らしても、到底採用できない。これに対し、三月二〇日付け調書中のわいろ性を認めた前記部分は、前認定の事実関係からしても自然かつ合理的なものであり、しかも、同調書中の他の部分に照らしても、江副の任意の供述に基づき作成されたものと認められ、その信用性は高いものと認めるのが相当である。
よって、本件株式譲渡のわいろ性を否定する弁護人らの前記主張は理由がなく採用しない。
第二被告人におけるわいろ性の認識
弁護人らは、被告人には本件株式譲渡のわいろ性の認識がなく、これを認めた捜査段階における自白調書は、被告人が検察官から理詰めの追及にあい、しかも、被告人が検察官の意に沿わない供述をすると、長年秘書を務めてくれた村田も起訴され、NTTの他の職員にも更に迷惑をかけるおそれもあったため、やむなく署名したものであり、信用性がない旨主張する。
しかしながら、前認定の事実関係、とりわけ被告人が自ら代表取締役社長を務めるNTTと前記のような取引上の密接な関係にあるリクルート社の代表取締役である江副から、実質上現金贈与に近い形で本件株式の譲渡がなされたことに照らすと、被告人としては、江副の前認定の意図が容易に推察できたものというべきである。しかも、被告人も、当公判廷において、「普通の株式公開に伴うお祝いの株の引受け話しと違うな、金額が大きすぎるし、面倒見が良すぎると感じた。」、「村田から江副の使者が『すぐお売りになっても良い。』と言っていると聞き、株式公開に伴うお祝いの株とはちょっと違うという感じを受けた。」、「株式公開に伴うお祝いとして譲渡される株式の数は通常一〇〇〇株ないし二〇〇〇株程度であり、お祝いの趣旨による株式の譲渡といえども、もともと取引関係の拡大といった御利益を期待して譲渡されるものであって、そうであるからこそ自分が公務員である電電公社総裁に就任後は、本件株式を除き、取引先などから株式公開に伴うお祝いとしての株式譲渡の話しが持ち込まれることはなかった。」との趣旨の供述をしており、これらは、通常の株式公開に伴うお祝いの株式引受けにおいても、取引に関する支援と協力に対する謝礼、及び将来も同様の支援と協力を受けたいとの趣旨を含むものであり、本件株式譲渡は、その趣旨が鮮明であったことを認めたものと評価することができる。
その上、被告人が事実に反する供述調書に署名せざるを得なくなるような無理な取調べがあったことを窺わせる証拠は全くなく、また、被告人の捜査段階における供述調書中のわいろ性の認識を認める部分(検察官に対する平成元年三月一四日付け、同月一七日付け及び同月二五日付け各供述調書)は、いずれも被告人の認識内容を詳細かつ生々しく表現しており、被告人の当公判延における前記供述とも基本的に符合するものというべきである。
なお、この点に関して、弁護人らは、本件株式譲受けを承諾した時点では、株数のほか、融資が付くなど本件株式譲渡の特異な形態の説明を受けておらず、通常の新規公開株式の引受話しとのみ認識していたから、わいろ性の認識を欠いていた旨主張し、被告人も、当公判廷において、右主張に沿う供述をしている。ところが、後に判示するとおり、本件犯罪は、本件株式が被告人に移転した昭和六一年九月三〇日に既遂に達して成立するものであるところ、村田の検察官に対する平成元年三月二五日付け供述調書中には、村田が、小林から本件株式譲受けの詳細について説明を受けた直後、譲受手続に先立ち、被告人に「引き受けてもらいたい株は一万株で三〇〇〇万円になるが、相手の方で代金全額に融資まで付けてくれるそうです。」、「店頭登録後は売却してもらって結構だということです。」などと説明したところ、被告人が、「判った。しかし、そういう話しなら儲けは俺のポケットに入れるわけにはいかんから、裏に回してくれ。」と答えた旨の供述記載部分がある。そして、右村田供述は、捜査段階及び当公判廷とも記憶があいまいな被告人の供述に比較して信用性が高いものというべきところ、右村田供述によれば、被告人が本件犯罪が成立する前から、本件株式譲渡の詳細を承知し、かつ、その趣旨が後ろ暗いものであると認識していたことが認められるから、右村田供述に抵触する被告人の当公判廷における供述は採用しない。
以上のとおり、本件株式譲渡のわいろ性に対する被告人の認識は、前認定の外形的事実から十分推認できるほか、被告人の前記自白調書の信用性も高いというべきであり、更に、村田に対する前記発言内容に照らしても、被告人は本件株式を譲り受けるに当たりそのわいろ性を十分認識していたものと認めるのが相当であって、弁護人らの前記主張も理由がなく採用しない。
(法令の適用)
被告人の判示所為は刑法六〇条(六五条一項)、日本電信電話株式会社法一八条一項前段に該当するので、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役二年に処し、情状により刑法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予することとし、被告人が判示犯行により収受したわいろは、前判示のとおり、株式の店頭登録に先立つ株式の譲渡に際し、店頭登録時にはその価格が確実に譲渡価格を上回ると見込まれ、一般には右譲渡価格で入手することが極めて困難な株式を右譲渡価格で取得できる利益であって、その性質上没収することができないものであるから、日本電信電話株式会社法一九条後段により、本件株式が被告人に譲渡された昭和六一年九月三〇日時点における本件株式の価格金五二七〇万円から本件株式の取得対価金三〇〇〇万円を控除した残金二二七〇万円を被告人から追徴することとし、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により全部被告人に負担させることとする。
(法律上の主張に対する判断)
一 日本電信電話株式会社法上の収賄の罪の成否
弁護人らは、NTT役職員によるわいろの収受は、立法者によって、その違法性がさほど大きなものとは考えられておらず、特にNTT代表取締役社長の場合には、供与される利益と職務行為との結び付きが極めて弱くあいまいであることが通例であるから、請託を受けた場合その他利益と職務行為との対価関係が明確である場合のほかは、これを処罰の対象としないのが立法者の意思と解すべきであり、本件では、請託の事実も、被告人がリクルート社に対し殊更便宜を供与したことを窺わせる証拠もないから、日本電信電話株式会社法上の収賄の罪の適用はない旨主張する。
しかしながら、同法の解釈についての弁護人らの右主張は、法律の明文の規定に反する弁護人ら独自の見解であって到底採用することができない。しかも、本件においては、前判示のとおり、被告人の職務行為と江副による利益供与との対価関係が明確であり、その違法性を否定すべき事情も認められないから、本件において同法における収賄の罪が成立することは明らかである。
二 追徴の価額について
弁護人らは、本件追徴の価額について、
(一) 本件わいろの授受行為は、被告人の代理人村田と江副の代理人小林との間で本件株式の譲渡手続が行われた昭和六一年九月上旬には完了しており、その後の株式の権利移転に至る事務手続の進行や代金払込みは情を知らない第三者により行われたものであるから、本件わいろの価額算定の基準時は、右授受行為の行われた同月上旬とすべきである旨、
(二) 追徴価額算定の基礎となるべき本件株式の価格は、一時的かつ人為的に形成される店頭登録直後の価格ではなく、リクルートコスモスと業態・業績ともに近似している大京観光株式会社(現在の商号「株式会社大京」)を類似会社として類似会社比準方式により算定した一株三四五六円とすべきであり、仮に、店頭登録直後の価格を基準とするにしても、本件株式授受当時一般に予測された店頭登録直後の価格一株四〇〇〇円を上回ることはない旨、
(三) 本件わいろの価額算定においては、本件株式の価格から、その取得対価三〇〇〇万円のほか、証券会社による株式売却の手数料及び店頭登録日までのファーストファイナンスからの借入金三〇〇〇万円に対する利息を控除すべき旨
それぞれ主張する。
しかしながら、
(一) 本件わいろとしての前記利益は、本件株式の譲渡に伴って生じるものであり、本件わいろの授受も、本件株式の譲渡、すなわち、本件株式に対する権利が江副から被告人に移転した昭和六一年九月三〇日をもって成立したというべきであるから、本件わいろの価額も、被告人が右利益を現に取得したと認められる同日現在において算定するのが相当である。
(二) また、本件わいろの価額算定においては、本件株式のわいろの授受当時の価格、すなわち、未公開段階における価格を算定する必要があるところ、本件のように、わいろの授受後程なく公開されて客観的な市場価格が形成された未公開株式の価格については、弁護人らの主張のように、わいろの授受当時における予測価格や類似会社の株価からの比準価格によるのは相当ではなく、現実に形成された市場価格に基づき推計するのが相当である。そして、既に認定したとおり、店頭登録後におけるリクルートコスモス株の価格は、店頭登録日の分売において一株五二七〇円の最高分売価格の初値を付けた後、昭和六二年九月八日に一株五二五〇円の安値を付けるまで、右初値を下回ることはなかったことが認められ、しかも、本件わいろの授受時点である昭和六一年九月三〇日から店頭登録日である同年一〇月三〇日までの間に、経済情勢、株価市況、同社の業績等、同社株式の価格に影響を及ぼすベき事情に変動があったことを窺わせる証拠はないから、本件わいろの授受時点における本件株式の価格は、一株五二七〇円を下ることはなかったものと認めるのが相当である。
(三) さらに、被告人が本件株式売却の手数料として大和證券に対して負担した金員及び前記借入金の利息としてファーストファイナンスに対して負担した金員は、いずれも被告人が本件わいろを収受するのに必要不可欠の費用とは認められないから、本件わいろの価額算定においてこれを控除するのは相当でない。
したがって、弁護人らの前記主張はいずれも理由がなく、本件わいろの価額は、本件わいろの授受時点における本件株式の価格から被告人における本件株式の取得対価を控除した二二七〇万円と認めるのが相当である。
さらに、弁護人らは、わいろの価額は犯罪事実の一部を構成し、かつ、これに基づいて追徴という刑罰を科せられるのであるから、わいろの価額についても行為者の認識を要するとし、被告人には、この点についての明確な認識はなく、未必的にもせいぜい五〇〇万円ないし六〇〇万円の認識しかなかったから、追徴の価額もその範囲内にとどめるべき旨主張するが、日本電信電話株式会社法上の収賄の罪における犯罪行為の客体は、わいろ、すなわち、本件では、前判示のとおり、店頭登録に先立つ株式の譲渡に際し、店頭登録時にはその価格が確実に譲渡価格を上回ると見込まれ、一般には右譲渡価格で入手することが極めて困難な株式を右譲渡価格で取得できる利益であって、その価額自体は、犯罪構成要件に該当する事実ではないから、右犯罪における故意としては、右のようなわいろの内容に対する認識があれば足り、その価額の認識までは要しないものと解すべきである。したがって、弁護人らの右主張はその前提を誤ったものといわざるを得ず、採用することができない。
(量刑の理由)
NTTは、国内電気通信事業を経営することを目的とし、従業員数約二八万人を擁する我が国最大の株式会社であり、その前身である電電公社と同様に、国民に対し、電気通信サービスの確実かつ安定的な提供を行い、利用の公平を確保し、通信の秘密を保護するなど、公共的使命を有するだけでなく、公社としての独占的体制を放棄し、民営化して由由競争の原理を導入したことにより、我が国の電気通信の創意ある向上発展に寄与し、高度化・多様化した国民のニーズに応え、ひいては公共の福祉の増進に資するよう努めることが期待される企業である。そして、被告人は、本件犯行当時、NTTの代表取締役社長として、これを代表し、かつ、その業務全般を総理する地位にあり、多数の役職員を指導し、その模範となって職務を行うことにより、その公共的使命を果たし、かつ、電気通信事業を活力ある発展に導いて、国民の負託に応えるべき職責を担っていた者である。ところが、本件は、そのような要職にあった被告人がその職務に関しわいろを収受したという事案であって、NTTの役職員の職務の公正さに対する国民の信頼を大きく傷つけるとともに、民営化後のNTTの活動だけではなく、我が国の電気通信事業全般の発展にも少なからぬ障害をもたらしたことは想像に難くない。しかも、被告人のように、社会の指導的地位にあり声望も高かった者が、その地位に基づいて、二二七〇万円もの高額かつ不法の利益を安易に享受するなど、金銭感覚が麻痺し違法精神にも欠ける実態が明らかとなることにより、国民の社会全般に対する不信感を醸成させ、違法意識の弛緩を招きかねないなど、本件が社会に及ぼした悪影響も極めて大きいものがある。
その上、被告人は、リクルート社と直接の関係がない村田秘書の名義で本件リクルートコスモス株を譲り受けるなど、その犯行態様は巧妙であり、しかも、事件発覚後の記者会見ではその関与を否定し、逮捕後も、当初は、村田秘書から事後に報告を受けるまで知らなかったなどと自己の責任の回避に終始し、当公判廷においても、民間企業の経営者として取引会社や証券会社から株に絡む便宜を種々受けてきた経験を根拠に、本件犯行はその軽率さに拠るものと述べるなど、自己の犯した罪の重大さに対する認識が必ずしも十分とは認められず、更に、得た不法の利益のうち九〇〇万円について、村田秘書が被告人の私的口座に振込入金することを容認するなど、犯行後の情状も決して芳しいものではない。こうしたNTTの公共的な使命、被告人の社会的地位、本件犯行の社会に及ぼした影響、犯行後の言動・態度等を併せ考慮すると、被告人の刑事責任はまことに重大であるといわなければならない。
他方、本件犯行は、江副が敢行した同人の知人やリクルート社の取引先等に対するリクルートコスモスの未公開株の大掛かりなばらまき的譲渡の一部で、すべて江副の発意と指示に基づき実行されたものであり、江副側からの一方的な働き掛けに基づくわいろ収受という意味において、被告人の関与は受動的と評価できる。また、被告人は、民営化後のNTTの社長として、同社を民間企業へ移行させるため極めて多忙な時期にあり、そうした中、突然舞い込んだ本件株式の譲渡話しを経営者間の付き合いと安易に応諾したものであって、自己の地位に対する自覚を欠き、金銭感覚が麻痺しているとの謗りは免れないものの、長い間の民間企業における経験から、違法性の認識にやや乏しかった点については酌むべき余地もある。さらに、被告人は、自由競争による我が国の電気通信事業全体の発展を祈念し、その信念に基づき、種々の困難な状況のある中で、長期的展望に立ってNTTの改革を断行し、かつ、将来にわたる指針を示し、その一環として、第二種電気通信事業者の育成・支援の方針を打ち出し、実行したものであって、本件犯行の前後を問わず、被告人の職務行為に特段違法不当とみなすべき点は認められない。しかも、被告人は、収受したわいろを現金化した後、その一部を政治資金等の会社の用途に使うべくNTT秘書室長の預金口座に入金させ、残金は自己の預金口座に入金することを容認したものの、これも被告人が電電公社ないしNTTのために従前支出してきた資金を補填する趣旨のものであり、必ずしも個人的な用途に費消したとはいえない。その他、本件がマスコミ等に大きく取り上げられ、社会的に強い非難を浴び、NTT代表取締役会長を始めすべての役職を辞任し、更に、七八歳の高齢で二〇日余り身柄を拘束されるなど、既に相応の社会的制裁を受けていること、被告人が現在八○歳と高齢であること、当公判廷において反省の情を示していること、被告人が長年にわたり実業界等で果たした功績も大なるものがあると認められることなど、被告人にとり有利に斟酌すべき情状も数多くあり、以上の諸事情を総合考慮すると、被告人については、主文に掲げた刑に処した上、その刑の執行を猶予するのが相当である。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 豊田健 裁判官 中谷雄二郎 裁判官 上山雅也)