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東京地方裁判所 平成元年(行ウ)228号 判決 1992年3月10日

原告 神蔵立

被告 町田税務署長

代理人 伴義聖、若狭勝、神谷宏行 ほか二名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告が昭和六二年三月一〇日付でした原告の昭和五八年分所得税の更正(ただし、裁決により一部取り消された後のもの)のうち総所得金額を七七一万六一五六円、分離課税の長期譲渡所得金額を七五四万円として計算した額を超える部分及び過少申告加算税賦課決定(ただし、裁決により一部取り消された後のもの)を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  原告の昭和五八年分所得税について、原告がした確定申告、被告がした更正及び過少申告加算税賦課決定並びに原告がした不服申立て及びこれに対する応答の経緯は別表第一記載のとおりである(以下、右更正のうち別表第一記載の裁決により一部取り消された後のものを「本件更正」と、右過少申告加算税賦課決定のうち右裁決により一部取り消された後のものを「本件賦課決定」という。)。

2  原告は、本件更正のうち、総所得金額を七七一万六一五六円、分離課税の長期譲渡所得金額を七五四万円として計算した額を超える部分及び本件賦課決定につき不服であるから、その取消しを求める。

二  請求の原因に対する認否

請求の原因1は認める。

三  抗弁

1  原告の昭和五八年分所得税に係る総所得金額及び分離課税の長期譲渡所得金額は次のとおりである。

(一) 総所得金額

(1) 事業所得の金額 四四四万五五〇六円

(2) 給与所得の金額 一八三万三八〇〇円

(3) 一時所得の金額 一四三万六八五〇円

(4) 合計 七七一万六一五六円

(二) 分離課税の長期譲渡所得

(1) 原告が町田市金井町所在の山林(一五〇平方メートル)をスギタランド株式会社に譲渡したことに係る長期譲渡所得金額 七五四万円

(2) 原告が別表第二の順号1ないし12及び13-1記載の各土地(面積合計一万〇三二〇平方メートル、以下「本件各土地」という。)を昭和五八年一二月二七日に神蔵多代子、石井正、石川平、原嶋健二、原嶋映夫及び原嶋章治(以下神蔵多代子を「多代子」と、また、多代子を含む右六名を「多代子ら六名」という。)に譲渡したことに係る長期譲渡所得金額 三億二〇三四万八七四三円

(3) 合計 三億二七八八万八七四三円

2  右各金額のうち争いのある右1の(二)の(2)の金額の算出根拠は次のとおりである。

(一) 原告が本件各土地を多代子ら六名に譲渡した経緯

(1) 神蔵佐(昭和一六年七月一五日死亡、以下「佐」という。)、石井正、原嶋多鶴江(昭和三二年四月二八日死亡)、石川平、原告及び多代子は、いずれも神蔵寿佐(昭和四八年七月二三日死亡、以下「寿佐」という。)の子であり、原嶋健二、原嶋映夫及び原嶋章治の三名は、原嶋多鶴江の子である。

佐は、昭和一三年一一月一五日に朝倉美代(昭和四五年五月一二日死亡、以下「美代」という。)と婚姻し、昭和一四年四月一日その間に神蔵康男(昭和二五年三月一九日死亡、以下「康男」という。)が出生したが、昭和一五年一一月一〇日に離婚した。美代は、佐との離婚後、昭和二〇年四月九日朝倉誠二と婚姻し、その間に朝倉照雄及び立川夕美子をもうけて、昭和四五年五月一二日死亡した(以上の各身分関係については、別表第三参照)。

(2) 寿佐は、大正年代から神蔵家の戸主であったが、その頃から昭和初年にかけて、当時、同人の第一順位の法定推定家督相続人であった佐の所有とする意思をもって、本件各土地を含む別表第二記載の各土地(面積合計二万〇〇〇一平方メートル、以下「本件取得土地」という。)を買い受け、佐名義の所有権登記をした。そのため、本件取得土地は、佐の所有となったが、その後その所有権は、昭和一六年七月一五日佐が死亡したことにより康男に、昭和二五年三月一九日康男が死亡したことにより美代に、昭和四五年五月一二日美代が死亡したことより朝倉誠二、朝倉照雄及び立川夕美子(以下、右三名を「朝倉ら三名」という。)に、順次相続により移転した。もっとも、本件取得土地の所有権登記は佐の名義のままであった。

(3) 寿佐は、本件取得土地を買い受けて以降、神蔵家の家長として、右土地を含む佐の所有名義の土地を自己の所有名義の土地と共に一括して管理しており、このことは、佐や、更に康男の死亡後においても同様であった。美代は、昭和二四年頃、本件取得土地と同様に康男が佐から相続した佐所有名義の土地を大石芳太郎に売り渡すに当たって、寿佐からその承諾を求められた際、何ら異議を述べず、また、その頃、右同様康男が佐から相続した佐所有名義の土地が建設省用地として買収されることになった際にも、その手続一切を寿佐に任せ、これについても何ら異議を述べず、更に、康男の死亡後も、美代自身の死亡に至るまで、本件取得土地について所有者としての権利を主張したことはなかった。

そうすると、寿佐は、本件取得土地につき、その買受け以降、引き続き神蔵家の家長としてその管理処分の権限を有し、美代は、これが康男の所有となった後、あるいは自己所有となった後も、その管理処分の権限を寿佐に委ね、その所有者である未成年の康男の母として有する権利、あるいは自身が所有者として有する権利を事実上放棄していたものである。

(4) 寿佐は、康男の死亡した後、原告を神蔵家の承継者と考え、その所有土地のうち自己名義の所有権登記のある土地(約五万〇二〇〇平方メートル、以下「A土地」という。)を原告に贈与して、昭和二七年から昭和三四年にかけて贈与を原因とする所有権移転登記をし、更に、本件取得土地についても、その管理処分権限に基づいて、これを遅くとも昭和三五年五月一二日までに原告に贈与した(もっとも、当時、本件取得土地は栗の栽培管理に供され、現況が農地であったので、右贈与当時の農地調整法の規定により、右贈与には農業委員会の承認を要し、承認を得ていない右贈与は所有権移転の効果が生じなかった。)。

右贈与により、原告は本件取得土地に対する占有を承継し、以後、所有の意思をもって平穏公然に占有を継続し、かつ、原告には本件取得土地がその所有に帰したと信ずるにつき過失がなかったから、右の自主占有を開始した時から一〇年の経過により、遅くとも昭和四五年五月一二日までに本件取得土地について原告の取得時効が完成した。そして、原告は、朝倉ら三名を被告として提起した土地所有権移転登記手続請求事件(東京地方裁判所八王子支部昭和四五年(ワ)第八八九号事件)の訴状(昭和四五年一〇月九日に朝倉ら三名に送達)で右取得時効の援用をし、本件取得土地の所有権を取得した。

なお、右事件は、その係属中に多代子が当事者参加し(同裁判所支部昭和四九年(ワ)第八一七号共有持分権確認及び共有持分移転登記手続請求事件)、昭和五五年五月二六日に第一審判決が言い渡されたが、右判決においては、原告が本件取得土地を時効により取得したものと認められ、朝倉ら三名に対し、本件取得土地につき原告に対し時効取得を原因とする所有権移転登記手続をすることが命じられた。右判決に対しては多代子が控訴し(東京高等裁判所昭和五五年(ネ)第一三九八号事件)、また、朝倉ら三名が附帯控訴をしたが、昭和五八年一二月二七日に多代子の控訴取下げにより、右第一審判決が確定した(以下、右東京地方裁判所八王子支部昭和四五年(ワ)第八八九号・昭和四九年(ワ)第八一七号事件及び東京高等裁判所昭和五五年(ネ)第一三九八号事件を併せて「対朝倉訴訟」という。)。

(5) 他方、多代子ら六名は、寿佐の遺産相続に関し、寿佐が生前原告に贈与した財産について、原告に対する遺留分減殺請求等の訴えを提起したが(東京地方裁判所八王子支部昭和四九年(ワ)第一一八四号遺留分減殺請求事件・昭和五〇年(ワ)第二四〇号土地共有持分移転登記手続等請求事件)、その控訴審(東京高等裁判所昭和五七年(ネ)第二〇七一号事件、以下、第一審の右東京地方裁判所八王子支部昭和四九年(ワ)第一一八四号・昭和五〇年(ワ)第二四〇号事件と併せて「相続争い訴訟」という。)において、昭和五八年一二月二七日に、原告が寿佐の遺産に対する多代子ら六名の遺留分減殺請求権の一部に代え、本件各土地につき、昭和五八年一二月二七日代物弁済契約を原因として、多代子、石井正及び石川平に対しては各四分の一宛の、原嶋健二、原嶋映夫及び原嶋章治に対しては各一二分の一宛の各共有持分移転登記手続をし、同日本件各土地を多代子ら六名に引き渡すこと等を内容とする訴訟上の和解(以下「本件和解」という。)が成立した。

したがって、原告は、同日、本件各土地を代物弁済によって多代子ら六名に譲渡したものである。

(二) 本件各土地の譲渡に係る分離課税の長期譲渡所得金額

(1) 収入金額

本件各土地の譲渡に係る収入金額は、昭和五八年一二月二七日現在の本件各土地の価額と考えられるところ、多代子ら六名は、昭和五九年一一月一二日に本件各土地を含む面積合計一万三四六四平方メートルの土地を他に売却しているので、右売却価額を基にして、昭和五八年一二月二七日現在の本件各土地の価額を算出すると、次のとおり四億五四六三万一〇六七円となる。

<1> 右売却価額 一平方メートル当たり四万五三七五円

<2> 本件各土地の面積合計 一万〇三二〇平方メートル

<3> 近隣土地の売買実例及び地価公示価格を基に算出した昭和五八年一二月から昭和五九年一一月までの地価上昇率 三パーセント

<4> 昭和五八年一二月二七年現在の本件各土地の価額(収入金額) 四億五四六三万一〇六七円

(算式) 45,375×10,320÷1.03=454,631,067

(2) 取得費

原告は、昭和四五年一〇月九日に取得時効を援用して本件取得土地の所有権を取得しているところ、土地の取得時効による利得は、所得税法上対価性のない一時的な所得であるから、一時所得(同法三四条一項)として所得税を負担すべきであり、その収入金額は時効を援用したときの本件取得土地の価額である(同法三六条一項、二項)。そうすると、原告が時効を援用した時までの本件取得土地の値上り益は、原告の一時所得の金額の計算上収入金額として既に課税の対象とされたことになるから、原告が本件取得土地を時効取得した後にその一部である本件各土地を譲渡した場合の、原告に対する譲渡所得の課税は、右時効取得後の値上り益に対して行われることになる。したがって、本件各土地の譲渡に係る分離課税の長期譲渡所得金額の計算上、取得費となる金額は、原告が取得時効を援用した昭和四五年一〇月九日の本件各土地の価額によることになる。

そして、右(1)のとおり、多代子ら六名は、昭和五九年一一月一二日に本件各土地を含む面積合計一万三四六四平方メートルの土地を他に売却しているので、右売却価額を基にして、昭和四五年一〇月九日現在の本件各土地の価額を算出すると、次のとおり一億三四〇九万二七〇四円となる。

<1> 右売却価額 一平方メートル当たり四万五三七五円

<2> 本件各土地の面積合計 一万〇三二〇平方メートル

<3> 財団法人日本不動産研究所調べ「土地価格推移指数表」(以下「土地価格推移指数表」という。)を基に別表第四の2の(一)のとおり算出した六大都市を除く市街地(住宅地)の昭和四五年一〇月九日の市街地価格指数 一五二六

<4> 土地価格推移指数表を基に別表第四の2の(二)のとおり算出した六大都市を除く市街地(住宅地)の昭和五九年一一月一二日の市街地価格指数 五三二九

<5> 昭和四五年一〇月九日現在の本件各土地の価額(取得費) 一億三四〇九万二七〇四円

(算式) (45,375×10,320)×(1526÷5329)=134,092,704

(3) 譲渡費用

<1> 本件各土地を多代子ら六名に譲渡する際に支出した本件各土地の一部の測量費用

<2> 多代子ら六名に対し本件各土地の所有権移転登記をするに当たって、原告が負担した登録免許税 二万八八〇〇円

<3> 合計 一八万九六二〇円

(4) 本件各土地の譲渡に係る分離課税の長期譲渡所得金額は、右(1)の<4>の収入金額四億五四六三万一〇六七円から、右(2)の<5>の取得費一億三四〇九万二七〇四円及び右(3)の<3>の譲渡費用合計一八万九六二〇円を控除した三億二〇三四万八七四三円である。

3  本件更正に係る原告の総所得金額は右1の(一)の総所得金額と同額であり、また、本件更正に係る原告の分離課税の長期譲渡所得金額は同(二)の(3)の長期譲渡所得金額の範囲内であるから、本件更正は適法である。

4  本件更正により原告が新たに納付すべき所得税額は一億〇九三一万円(国税通則法一一八条三項により一万円未満の端数切捨て)であるから、同法六五条一項(昭和五九年法律第五号による改正前のもの)により、右金額に一〇〇分の五の割合を乗じて得た過少申告加算税の額五四六万五五〇〇円を賦課した本件賦課決定は適法である。

四  抗弁に対する認否

1(一)  抗弁1の(一)は認める。

(二)(1)  同(二)の(1)は認める。

(2) 同(2)及び同(3)は争う。

2(一)(1) 同2の(一)の(1)は認める。

(2) 同(2)のうち、寿佐は大正年代から神蔵家の戸主であり、佐がその第一順位の法定推定家督相続人であったこと、寿佐がその頃から昭和初年にかけて本件取得土地を買い受け、佐名義の所有権登記をしたこと、右登記は佐の死亡後も同人の名義のままであったことは認め、その余は否認する。

(3) 同(3)は認める。

(4) 同(4)のうち、寿佐が康男の死亡後は原告を神蔵家の承継者と考えたこと、A土地について昭和二七年から昭和三四年にかけて原告に対し贈与を原因とする所有権移転登記をしたこと、本件取得土地が栗の栽培管理に供されていたこと、原告が対朝倉訴訟の訴状で本件所得土地の取得時効を援用し、右訴状が昭和四五年一〇月九日に朝倉ら三名に送達されたこと、対朝倉訴訟につき、多代子が当事者参加し、主張の第一審判決がされ、右判決が主張の経過で確定したことは認める。本件取得土地の現況が農地であったので、農地調整法の規定により、贈与に農業委員会の承認を要し、承認を得ていない贈与は所有権移転の効果が生じなかったことは不知。その余は否認する。

(5) 同(5)のうち、原告が昭和五八年一二月二七日に本件各土地を代物弁済によって多代子ら六名に譲渡したことは否認し、その余は認める。

(二)(1)  同(二)の(1)のうち、<2>は認める。<1>及び<3>は不知。その余は争う。

(2) 同(2)のうち、<1>は不知、<2>は認める。その余は争う。

(3) 同(3)のうち、<1>及び<2>は認める。ただし、譲渡費用はこれに止まらない。

3  同3及び4は争う。

五  原告の主張

1  本件和解成立についての事情

(一) 寿佐は、本件取得土地を神蔵家の家産の一部として自己の資金をもって買い入れたものであり、これを佐の所有名義とするについて寿佐と佐との間には何ら取引行為がされたことはなく、買入れ後の右土地の管理も寿佐が行っていた。したがって、本件取得土地は寿佐の所有するものであり、ただ佐が将来神蔵家の家督を承継することを想定して佐名義の所有権登記をしたに過ぎない。

(二) 原告は戦前から神蔵家の家業である農業を助けながら教員として勤務し、その収入により寿佐所有土地の確保に尽力した。そのため、寿佐は戦後原告を神蔵家の承継人と定め、本件取得土地及びA土地を原告に譲渡(売買ないし原告の寄与分に対する補償の実質を有する。)して、A土地については昭和二七年から昭和三四年にかけて順次贈与を原因として原告に所有権移転登記をした。本件取得土地については所有権登記が佐名義となっていたため、原告への所有権移転登記ができず、佐名義のままとなっていたが、寿佐ないし原告が神蔵家の家産の一部として占有管理していた。

(三) ところが、昭和四八年七月二三日に寿佐が死亡すると、多代子ら六名がA土地を遺留分算定の基礎となる財産とし、原告を被告として相続争い訴訟を提起した。そして、昭和五七年七月二六日原告に対し、多代子ら六名の遺留分としてA土地のうち約二万四二〇〇平方メートルの土地につき同人らに共有持分移転登記をした上、三六三万五九三四円を支払うよう命ずる第一審判決がなされたので、原告が控訴した。

(四) ところで、相続争い訴訟において、多代子ら六名が本件取得土地を遺留分算定の基礎となる財産に加えなかったのは、その訴え提起当時、対朝倉訴訟の第一審が係属中で、本件取得土地の帰属が未確定の状態にあったためであるが、相続争い訴訟において、多代子ら六名は、本件取得土地が寿佐の所有に属していた旨あるいは本件取得土地を時効取得したのは寿佐である旨を主張し、また、石井正及び石川平は、当事者本人尋問において、本件取得土地の一部である栗林を占有管理していたのは寿佐である旨を供述していた。

そして、相続争い訴訟の控訴審においては、和解の交渉が進められたが、その過程で本件取得土地も寿佐の所有であった(ないしこれを時効取得したのは寿佐であった)から、本件取得土地も寿佐の遺産を構成し、遺留分算定の基礎となる財産として遺産分割の対象となるという点で裁判所及び当事者間の意見が一致した。本件和解は、A土地のうち約一万三五〇〇平方メートル、本件取得土地のうち一万〇三二〇平方メートル(本件各土地)及び本件取得土地のうちの別表第二の順号14の土地の一部(現状崖下部分約一八〇平方メートル、以下「崖下土地」という。)につき多代子ら六名に対する共有持分移転登記を行うとの内容となっているが、本件各土地を多代子ら六名に帰属させる合意が成立したことについては、右のように本件取得土地も寿佐の遺産を構成するとの前提で、多代子ら六名の要望により、これを多代子ら六名に取得させることとしたものである。

(五) もっとも、本件和解の和解条項は、本件各土地が控訴人(本件原告)の所有であるとした上で、原告から多代子ら六名への本件各土地の共有持分権の移転をもって、多代子ら六名の一部を遺産に対する遺留分減殺請求権に代えるものとし、かつ、その共有持分移転登記の登記原因を代物弁済としている。

しかし、右のような和解条項により本件和解が成立したのは次のような事情によるものである。

相続争い訴訟を早期に解決するためには、まず、朝倉ら三名に対する関係で、本件取得土地が神蔵側(寿佐又は原告)の所有であることを明確にする必要があった。ところで、対朝倉訴訟の第一審判決は、本件取得土地につき、原告の時効取得を原因として朝倉ら三名に対し所有権移転登記手続をすることを求める原告の請求(予備的請求)を認容し、多代子の参加請求を棄却したものであり、この判決に対して多代子が控訴したが、朝倉ら三名は、附帯控訴をしたに過ぎなかった。したがって、原告及び多代子ら六名は、朝倉ら三名に対する関係で、本件取得土地を神蔵側に帰属させる最も簡便かつ迅速な方法として、多代子が右控訴を取り下げ、対朝倉訴訟の第一審判決を確定させて、一旦原告が本件取得土地につき時効取得を登記原因とする所有権移転登記をすることにしたが、そのようにすると、登記簿上は、本件取得土地は原告が取得時効によって所有権を取得したことになり、また、本件取得土地は相続争い訴訟において遺留分算定の基礎となる財産とされていなかったし、本件取得土地の登記簿上、寿佐が所有名義人であったことはないから、原告から多代子ら六名に対し本件各土地の共有持分移転登記をするに当たって、遺留分減殺を登記原因とすることができなかった。そこで、相続争い訴訟の控訴審の裁判所並びに原告及び多代子ら六名は、便法として、本件各土地が原告の所有であることにした上、登記原因を代物弁済として多代子ら六名に対する共有持分移転登記をすることにしたものである。

したがって、本件和解の和解条項中に前記のような表現があるからといって、原告及び多代子ら六名が、本件各土地が原告の所有であるとの合意をしたわけではないし、原告と多代子ら六名との間に代物弁済契約があったわけでもない。

(六) なお、原告及び多代子ら六名が本件取得土地を寿佐の遺産の一部を構成するものとして本件和解をしたことは、以下のとおり、本件和解により、多代子ら六名に所有権が帰属することとされた土地と原告に残された土地との価額を比較することによっても明らかとなる。

すなわち、多代子ら六名に所有権が帰属するとされた土地は、A土地のうち約一万三五〇〇平方メートル及び本件取得土地のうち一万〇五〇〇平方メートル(本件各土地及び崖下土地)の合計約二万四〇〇〇平方メートルであり、原告に残された土地は、A土地のうち約三万六七〇〇平方メートル及び本件取得土地のうち約九五〇〇平方メートルの合計約四万六二〇〇平方メートルであるところ、多代子ら六名に所有権が帰属するとされた土地はいずれも立地条件に恵まれており、本件和解当時の時価は三・三平方メートル当たり約一四万円と評価されていたから、その総額は約一〇億一八〇〇万円となるのに対し、原告に残された土地の本件和解当時の時価は平均すると三・三平方メートル当たり約一二万円と評価されていた。

そうすると、本件取得土地が寿佐の遺産に含まれるものとすれば、多代子ら六名は本件和解により寿佐の遺産のうちの約三七・七パーセントを取得したことになる。

(算式) 1,018,000,000÷(140,000×24,000÷3.3+120,000×46,200÷3.3)=0.377

仮に、本件取得土地が寿佐の遺産に含まれないとすれば、多代子ら六名は本件和解により寿佐の遺産のうちの約五三・三パーセントを取得したことになる。

(算式) 1,018,000,000÷(140,000×13,500÷3.3+120,000×36,700÷3.3)=0.533

他方、多代子ら六名の遺留分の合計は一〇分の四であり、これと右各計算結果とを照らし合せれば、本件和解は本件取得土地が寿佐の遺産の一部を構成することを前提としてなされたものであることが明らかである。なお、本件和解においては、原告が多代子ら六名の強く希望していた本件各土地を含む土地を同人らに帰属させるとの条件を認める代り、多代子ら六名は本件取得土地を含む寿佐の遺産の管理・保全に対する原告の寄与を認めて、右のように多代子ら六名の取得土地が本来の遺留分割合よりも少なめになるよう決定されたのである。

2  遺留分減殺(主位的主張)

右1のとおり、本件和解において、原告及び多代子ら六名は、多代子ら六名の遺留分減殺請求権の行使に伴い、寿佐の遺産の一部である本件各土地を多代子ら六名に取得させる合意をしたものであって、代物弁済により本件各土地の譲渡をしたものではない。

3  固定資産の交換の場合の譲渡所得の特例の類推摘要(予備的主張一)

右1の(三)及び(四)のとおり、相続争い訴訟の第一審判決は、原告に対し、多代子ら六名の遺留分としてA土地のうち約二万四二〇〇平方メートルの土地につき同人らに共有持分移転登記をした上、三六三万五九三四円を支払うよう命ずるものであったが、本件和解は、原告が多代子ら六名に対し、A土地のうち約一万三五〇〇平方メートル、本件各土地及び崖下土地を譲渡することを内容とするものである。

多代子ら六名は、相続争い訴訟の第一審判決によって直ちにA土地のうち約二万四二〇〇平方メートルの土地の所有権を取得したものではないから、厳密には、本件和解によって、多代子ら六名の所有土地と原告所有土地とを交換したものということはできない。しかしながら、右1の本件和解の成立の経緯及び本件取得土地の取得の経緯に鑑みれば、原告と多代子ら六名とが、本件和解において、実質的に、本件各土地及び崖下土地とA土地のうち約一万〇七〇〇平方メートルの土地(二万四二〇〇平方メートルから一万三五〇〇平方メートルを差し引いたもの)とを交換したものとして、本件和解による原告から多代子ら六名への本件各土地の譲渡につき、所得税法五八条の規定(固定資産の交換の場合の譲渡所得の特例)の類推適用をすることが同条の立法趣旨に合致するというべきである。そして、原告は、本件各土地及び崖下土地を一年以上所有していたとともに、右A土地のうち約一万〇七〇〇平方メートルの土地を本件各土地及び崖下土地の本件和解の直前の用途と同一の用途に供しており、更に、本件各土地及び崖下土地の価額と右A土地のうちの約一万〇七〇〇平方メートルの土地の価額とはほぼ同一である。

したがって、原告に本件各土地の譲渡による譲渡所得は生じなかったことになる。

4  本件各土地の取得時期について(予備的主張二)

右1の(三)ないし(五)及び抗弁2の(一)の(4)のとおり、相続争い訴訟の控訴審における和解交渉の段階に至って、当事者間に本件取得土地も寿佐の遺産の一部を構成するとの共通の認識が生じたこと、本件各土地を含む本件取得土地の帰属をめぐっては、原告、朝倉ら三名及び多代子の間に昭和四五年から昭和五八年まで対朝倉訴訟が係属し、多代子がその控訴を取り下げたことにより初めて、原告は本件取得土地の登記を経由してその処分権を行使することが可能となったことに鑑みれば、原告が本件取得土地を確定的に取得したのは、対朝倉訴訟の訴状において時効を援用したときではなく、多代子がその控訴を取り下げた同年一二月二七日であり、その日に原告に本件取得土地の時効取得に係る一時所得が発生したものと解するのが合理的である。

そうすると本件各土地の譲渡に係る収入金額及び取得費はいずれも昭和五八年一二月二七日当時の本件各土地の価額となるから、原告に右譲渡に伴う譲渡所得は発生しない。

なお、原告は、昭和五八年分所得税について期限内申告をしているから、その法定納期限である昭和五九年三月一五日から三年が経過した現在において、原告に本件取得土地の時効取得に伴う一時取得が生じたものとして更正を受けることはない。

5  本件各土地の譲渡時期について(予備的主張三)

遺産分割の効力は相続開始時に遡って生ずるものであるところ、右1の(四)のとおり、本件和解においては、寿佐の全相続人に当たる相続争い訴訟の当事者間に本件取得土地が寿佐の遺産の一部を構成するとの了解があったから、右各当事者は、原告から多代子ら六名に対する本件各土地の譲渡は寿佐の相続の開始時である昭和四八年七月二三日にあったとして、そのことを本件和解において確認したものと解するのが、右各当事者にとって最も公平であり、その合理的意思に合致する。

すなわち、原告から多代子ら六名に対する本件各土地の所有権の移転時期の問題は、結局は、本件取得土地を時効取得した昭和四五年から本件和解の成立した昭和五八年までの間の本件各土地の値上り益に対する課税を原告と多代子ら六名との間でどのように分担するのが関係当事者間において最も公平かという問題に帰着するから、右当事者間に本件取得土地が寿佐の遺産の一部を構成するとの了解があった以上、寿佐の相続開始時に本件各土地の所有権が移転したと考えることが合理的である。

6  本件各土地の譲渡に係る取得費及び収入金額

被告は、本件各土地の譲渡に係る取得費(原告が本件取得土地の取得時効を援用した昭和四五年一〇月九日当時の本件各土地の価額)の計算に当たり、土地価格推移指数表の住宅地としての市街地価格指数を用いて時点修正を施しているが、昭和四五年当時は、本件各土地及びその周辺の土地は山林ないし田畑として利用されており、将来、商業地、住宅地又は工業地のいずれを目的として開発されるかは定かではなかった。したがって、土地価格推移指数表の全用途平均の価格指数によって時点修正をするのが合理的である。

また、右のように、本件各土地の譲渡に係る取得費の計算に当たり、土地価格推移指数表の市街地価格指数を用いて時点修正を施すのであれば、右譲渡に係る収入金額(本件和解のなされた昭和五八年一二月二七日当時の本件各土地の価額)を算出するに当たっても右市街地価格指数(なお、昭和五八年当時は本件各土地の周辺では住宅地としての開発が進んでいたから、住宅地としての価格指数)を用いて時点修正するのが合理的である。

7  譲渡費用

原告は、本件和解によって多代子ら六名に対し、A土地のうち約一万三五〇〇平方メートル、本件各土地(面積一万〇三二〇平方メートル)及び崖下土地(面積約一八〇平方メートル、)を譲渡するために、別表第五記載のとおり、弁護士費用、測量費用、登記費用等として合計二六一二万五六七〇円を支払った。

したがって、右金額を本件各土地の面積の右各譲渡土地の面積合計に対する割合によって按分した一一二三万四〇三八円は、本件各土地の取得費又は譲渡費用として収入金額から控除されるべきである。

(算式) 26,125,670×(10,320÷(13,500+10,320+180))=11,234,038

8  過少申告についての正当な理由

右1のとおり、本件各土地の所有権が多代子ら六名に移転するまでには複雑な経過があり、この間に、本件各土地を含む本件取得土地の所有権の帰属をめぐる裁判所及び関係当事者の認識には変遷があつた。また、原告は、本件和解に際して、担当裁判官に、本件各土地を多代子ら六名に移転するについて、税法上不利益に取り扱われることの有無を尋ねたところ、本件各土地が寿佐の遺産の一部を構成することを前提として本件和解を成立させるのであるから、原告が不利益に取り扱われることはないと思うとの説明を得た。

このような事情の下で、原告が昭和五八年分所得税の確定申告をするに当たって、本件各土地は寿佐の遺産の一部として多代子ら六名へ所有権の移転をするのであるから譲渡所得が発生する余地はないと考えたとしても無理からぬところであり、したがって、原告が本件各土地の譲渡に伴う譲渡所得の発生を税額の計算の基礎としないで右確定申告をしたことにつき、国税通則法六五条二項(昭和五九年法律第五〇号による改正前のもの)の正当な理由がある。

六  原告の主張に対する被告の認否

1(一)  原告の主張1の(一)は否認する。

(二)  同(二)のうち、寿佐が原告を神蔵家の承継人と定め、本件取得土地を原告に譲渡したこと、A土地につき昭和二七年から昭和三四年にかけて順次贈与を原因として原告に所有権移転登記がされたこと、本件取得土地の所有権登記が佐名義となっていたことは認める。右譲渡が売買ないし原告の寄与分に対する補償の実質を有すること、右譲渡後に寿佐が本件取得土地を占有管理していたことは否認する。その余は不知。

(三)  同(三)は認める。

(四)  同(四)のうち、相続争い訴訟において、多代子ら六名が本件取得土地を遺留分算定の基礎となる財産としなかったこと、その訴え提起当時、対朝倉訴訟の第一審が係属中であったこと、右訴訟において、石井正及び石川平が、寿佐が栗林を管理していた旨の供述をしたこと、本件和解が、A土地のうち約一万三五〇〇平方メートル、本件各土地及び崖下土地につき多代子ら六名に対する共有持分移転登記を行うとの内容となっていることは認める。相続争い訴訟の訴え提起当時、本件取得土地の帰属が未確定の状態にあったこと、相続争い訴訟の控訴審の和解交渉で、本件取得土地も寿佐が所有していて、その遺産を構成し、遺留分算定の基礎となる財産として遺産分割の対象となるという点で裁判所及び当事者間の意見が一致したこと、本件和解において、本件取得土地も寿佐の遺産を構成するとの前提で、多代子ら六名の要望により、これを多代子ら六名に取得させることとしたものであることは否認する。その余は不知。

(五)  同(五)のうち、本件和解の和解条項が、本件各土地が控訴人(本件原告)の所有であるとした上で、原告から多代子ら六名への本件各土地の共有持分権の移転について、多代子ら六名の遺留分減殺請求権に代えるものとし、かつ、その共有持分移転登記の登記原因を代物弁済としていること、対朝倉訴訟の第一審判決に対し、多代子が控訴をし、朝倉ら三名が附帯控訴をしたこと、多代子が右控訴を取下げ、対朝倉訴訟の第一審判決が確定したこと、本件取得土地が相続争い訴訟において遺留分算定の基礎となる財産とされていなかったし、本件取得土地の登記簿上、寿佐が所有名義人であったことはなかったことは認める、その余は否認する。

(六)  同(六)のうち、本件和解において多代子ら六名に帰属することとなった土地の範囲が主張のとおりであること及び多代子ら六名の遺留分の合計が一〇分の四であることは認め、その余は争う。

2  同2は否認する。

3  同3のうち、相続争いの訴訟の第一審判決が、原告に対し多代子ら六名の遺留分としてA土地のうち約二万四二〇〇平方メートルの土地つき同人らに共有持分移転登記をした上、三六三万五九三四円を支払うよう命ずるものであったこと、本件和解が、原告が多代子ら六名に対し、A土地のうち約一万三五〇〇平方メートル、本件各土地及び崖下土地を譲渡することを内容とするものであることは認める。その余は否認する。

4  同4のうち、本件各土地を含む本件取得土地の帰属をめぐって原告、朝倉ら三名及び多代子の間に昭和四五年から昭和五八年まで対朝倉訴訟が係属していたこと、多代子が同年一二月二七日に対朝倉訴訟の控訴を取り下げたこと、原告が昭和五八年分所得税について期限内申告をしたことは認める。その余は否認する。

5  同5ないし8は否認する。

七  被告の主張

1  原告は、本件取得土地を時効取得したのは寿佐である旨主張するが、寿佐は、本件取得土地を原告に贈与した後は、所有の意思を持ってこれを占有しているとはいえないのであるから、たとえ、本件取得土地の一部で栗の栽培に従事したことがあったとしても、その所有権を時効取得することはあり得ない。

2  原告は、原告と多代子ら六名との間で、本件取得土地が寿佐の所有であった(あるいはこれを時効取得したのは寿佐であった)とすることで意見が一致し、これが寿佐の遺産の一部を構成することを前提として本件和解が成立した旨主張する。

しかし、本件和解の和解条項上、主張のような意見の一致があったという形跡はない。のみならず、抗弁2の(一)の(4)のとおり、原告が時効の援用をしたことによって本件取得土地を時効取得した以上、たとえ、本件和解の過程で各当事者間に主張のような意見の一致があったとしても、そのことによって、本件取得土地が寿佐の遺産となるものではないから、原告の主張はそもそも失当である。

3  原告は、本件和解によって多代子ら六名が取得した土地の価額が三・三平方メートル当たり一四万円であり、原告に残された土地の価額が三・三平方メートル当たり一二万円であるとし、これを前提として、本件和解は本件取得土地が寿佐の遺産に含まれるものとしてなされたと主張する。

しかし、本件和解によって多代子ら六名が取得した土地と原告に残された土地とは地続きあるいは近隣に所在し、その間に三・三平方メートル当たり二万円もの価格差はない。

また、本件取得土地を遺留分算定の基礎となる財産に含めないでなされた相続争い訴訟の第一審判決が、多代子ら六名の遺留分減殺請求に基づいて同人らに帰属させることを原告に命じた土地の面積は約二万四二七五平方メートルに相当する(多代子ら六名の共有とすべきことを命じた土地の面積二万三七七七平方メートル及び原告と多代子ら六名との共有とすべきことを命じた土地の面積三七五二平方メートル中の多代子ら六名の共有持分割合に相当する面積四九八平方メートルの合計)のに対し、本件和解によって、多代子ら六名が取得することとなった土地の面積は二万四〇五〇平方メートルであるから、右判決による場合と比べ約二二五平方メートル減少している。更に、右判決は、寿佐の死亡前に原告が他に譲渡した土地に係る価額弁償として、原告に対し多代子ら六名に三六三万五九三四円の支払を命じているが、本件和解にはかかる金員の支払の合意はない。

のみならず、相続争い訴訟の第一審においては、昭和四八年度の固定資産評価額に基づいて土地の価額を算定することにつき原告と多代子ら六名との間に争いがなく、判決もこれに従っているので、以下、同様に昭和四八年度の固定資産評価額に基づき関係各土地の価額を算定すると、相続争い訴訟において遺留分算定の基礎とされたA土地の価額の合計は一億四二二五万〇三三五円、多代子ら六名の遺留分の合計である一〇分の四に相当する額は五六九〇万〇一三四円であり、右判決が多代子ら六名に取得させることとした土地の価額は四〇四〇万八七〇九円であるところ、本件和解により多代子ら六名の取得した土地の価額は一一五万七四九六円を上回ることはない。

そうすると、本件和解において多代子ら六名の取得した土地は、原告に残された土地よりも価格の安いものが大部分を占めていたものということができるから、三・三平方メートル当たりの単価が逆に二万円高いということはあり得ない、また、本件和解において、本件取得土地を遺留分算定の基礎となる土地に含めたとすれば、多代子ら六名は、面積または価額において相続争い訴訟の第一審判決により取得した土地を超える土地を取得して然るべきであるのに、実際に取得した土地の面積及び価額は右判決による場合に比べて減少しているのであるから、原告が、本件取得土地も寿佐の遺産を構成するとする多代子ら六名の主張を容れて本件和解をしたとも認められない。

4  原告は本件和解による原告から多代子ら六名への本件各土地の譲渡につき、所得税法五八条の規定を類推適用することが同条の立法趣旨に合致する旨主張する。

しかし、同条の規定は一定の要件に適合する交換について資産の値上り益に対する課税を繰り延べる譲渡所得課税の特例規定であるから、その適用は厳格にされなければならず、また、その意味で、確定申告書に右規定の適用を受ける旨その他大蔵省令で定める事項の記載がある場合に限り、右規定を適用するとされている(同条三項)。しかるに、多代子ら六名は相続争い訴訟の第一審判決によってその取得すべきものとされた土地の所有権を確定的に取得したものではないから、本件和解による土地の譲渡が同条に該当する交換には当たらないのみならず、原告は、昭和五八年分の所得税の確定申告に当たって、本件和解による土地の譲渡を交換であるとはしていないし、したがってまた、確定申告書に同条の適用を受ける旨その他大蔵省令で定める事項の記載をしてはいないから、この点からしても、同条の適用を受けることはできない。

5  原告は、本件取得土地を確定的に取得したのは、対朝倉訴訟の訴状において時効を援用したときではなく、多代子がその控訴を取り下げた昭和五八年一二月二七日であり、その日に原告に本件取得土地の時効取得に係る一時所得が発生したものと解するのが合理的であるとして、本件各土地の譲渡に係る取得費は同日当時の本件各土地の価額となる旨主張する。

しかし、一般に物の取得に係る経済的利益に着目して所得税を課する場合、その収入の計上時期は、必ずしも私法上の所有権の取得時期に拘束されず、その経済的実態から見て収入すべき金額を具体的に認識し得る状態になったといえる最も妥当な時期をその収入の計上時期とすべきものであるが、取得時効は資産を所有の意思をもって一〇年間又は二〇年間占有したことによりその所有権を取得するものであり、資産の占有者の時効利益を受ける意思はその援用によって初めて明らかになるのであるから、右援用の時期をもって時効取得に係る一時所得の収入の計上時期とすることが最も合理的であるということができる。時効により資産を取得するについては、必ずしも訴訟によることが必要であるわけではないから、原告主張の時期を一般に妥当する時効取得に係る一時所得の収入計上時期とすることはできない。

なお、時効の援用の時期に一時所得が課された後、時効取得について訴訟で争われ、結果的に時効取得が認められなかったときは、納税者は更正の請求をすることにより、減額更正を求めることができるのであるから、右のように解したとしても納税者に不利益を強いることにはならない

したがって、本件取得土地の時効取得に係る一時所得の収入金額の計上時期を原告が時効を援用した昭和四五年八月と認定し(ただし、原告は、実際には右一時所得に係る所得税を課されてはいない。)、本件各土地の譲渡に係る譲渡所得の額の計算上、右時効援用時の本件各土地の価額を取得価額としたことは合理的である。

更に、原告主張のように、昭和五八年一二月二七日に本件取得土地の時効取得に伴う一時所得が発生したものとすれば、原告の昭和五八年分の所得税について、本件各土地の譲渡に伴う長期分離譲渡所得は発生しないが、以下のとおり、右一時所得を含めて計算した納付すべき税額は少なくとも三億一二五九万九七〇〇円となって、本件更正をはるかに上回ることになる。

すなわち、本件取得土地の時効取得に伴う一時所得に係る収入金額は、多代子ら六名が昭和五九年一一月一二日に本件各土地を含む土地を他に売却した際の一平方メートル当たりの価額四万五三七五円に本件取得土地の面積二万〇〇〇一平方メートルを乗じて得た金額から、昭和五八年一二月二七日より昭和五九年一一月一二日までの間の地価上昇率三パーセント分を控除した八億八一一一万二〇一四円であり、取得費を二五九二万五六七〇円(原告主張の別表第五の費用のうち番号6を除いた金額の合計)と仮定したとしても、右一時所得の金額は、八億五五一八万六三四四円となる。したがって、所得税法二二条二項二号の課税標準となる一時所得(抗弁1の(一)の(3)の金額を併せて算出した金額)は四億二九〇三万〇〇二二円となり、これに基づいて納付すべき税額を算出すると三億一二五九万六七〇〇円となる。

そうすると、原告の前記主張はそれ自体失当である。

6  原告は、遺産分割の効力は相続開始時に遡って生ずるものであるところ、本件和解においては、寿佐の全相続人に当たる相続争い訴訟の当事者間に本件取得土地が寿佐の遺産の一部を構成するとの了解があったから、右各当事者は本件和解において原告から多代子ら六名に対する本件各土地の譲渡は寿佐の相続の開始時である昭和四八年七月二三日にあったものと確認したと解するのが、右各当事者にとって最も公平であり、その合理的意思に合致するとして、多代子ら六名に対する本件各土地の譲渡に伴う譲渡所得は、同年に生じたものである旨主張する。

しかし、本件取得土地が寿佐の遺産を構成するものではなく、したがって、多代子ら六名に対する本件各土地の譲渡が遺産分割に当たらないことは、右1ないし3のとおりである。

また、譲渡所得に対する課税は、資産が所有者の支配を離れて他に移転する機会を捉らえて、当該資産の値上り益に対する課税を行うものであるところ、本件各土地が原告から多代子ら六名に移転されることが確定したのは、本件和解の成立した五八年一二月二七日であり、それ以前においては、多代子ら六名の遺留分減殺請求に対していかなる財産の移転があるかさえ確定していなかったのであるから、譲渡所得が生ずる余地はない。

7  原告は、昭和四五年当時、本件各土地及びその周辺の土地は山林ないし田畑として利用されており、将来、商業地、住宅地又は工業地のいずれを目的として開発されるかは定かではなかったから、本件各土地の譲渡に係る取得費の計算に当たっては土地価格推移指数表の全用途平均の価格指数によって時点修正をするのが合理的であると主張する。

しかし、本件各土地は、いずれも昭和五六年に町田市都市計画区域内の第一種住居専用地域に指定された区域内に存在するから、土地価格推移指数表のうち住宅地としての市街地価格指数を基にその昭和四五年当時の価格を算定することがより合理的というべきである。

のみならず、社団法人東京都宅地建物取引業協会(以下「宅建業協会」という。)発行の地価評価図昭和四三年度版によると、昭和四二年一二月当時の本件各土地付近の地価は、三・三平方メートル当たり、一万八〇〇〇円程度であったことが認められるところ、昭和四五年一月一日から昭和四六年一月一日までの小田急線沿線における標準地の公示価格の対前年比上昇率は二二パーセントであり、昭和四三年から昭和四五年頃においても同様の上昇率で推移していたものと推認できるから、昭和四五年当時の本件各土地周辺の地価は三・三平方メートル当たり約三万三〇〇〇円程度となり(18,000×1.22×1.22×1.22=32,685)、この価格を基礎として昭和四五年当時の本件各土地の価額を算定すると一億三二〇〇万円となる(33,000×13,200÷3.3=132,000,000)。被告が本訴で主張する本件各土地の取得価額は右価額を超えるのであるから、過少でないことは明らかである。

また、原告は、本件各土地の譲渡に係る取得費の計算に当たり、土地価格推移指数表の市街地価格指数を用いて時点修正を施すのであれば、右譲渡に係る収入金額(本件和解のなされた昭和五八年一二月二七日当時の本件各土地の価額)を算出するに当たっても右市街地価格指数表を用いて時点修正するのが合理的であると主張する。

しかし、被告は本件各土地の昭和五八年一二月当時の価額を算定するに当たり、本件各土地の近隣土地の売買実例及び地価公示価格を基にした地価上昇率を用いているのであり、これが全国的な平均値である土地価格推移指数表の市街値価格指数を用いて算定する方法に比べ、より合理的であることは明らかである。

のみならず、昭和六〇年地価公示によれば、東京圏の住宅地及び宅地見込地の昭和五九年一月一日から昭和六〇年一月一日までの地価変動率は、それぞれ一・四パーセント及び一・七パーセントであり、東京圏の住宅地のうち小田急線方面の昭和五九年一月一日から昭和六〇年一月一日までの地価変動率は二・三パーセントであって、いずれも被告の主張する三パーセントを下回っている。また、宅建業協会発行の東京都地価図の昭和五九年度版及び昭和六〇年度版を比較すると、本件各土地の近隣地域の地価は、昭和五九年三月一日と昭和六〇年三月一日とで、概ね同額で推定している。したがって、本件各土地の地価上昇率を三パーセントとして算定した譲渡収入金額が過大でないことは明らかである。

8  原告は、多代子ら六名に対し、A土地のうち約一万三五〇〇平方メートル並びに本件各土地及び崖下土地を譲渡するために、別表第五記載の弁護士費用、測量費用、登記費用等として合計二六一二万五六七〇円を支払ったから、右金額を本件各土地の面積の右各譲渡土地の面積合計に対する割合によって按分した一一二三万四〇三八円が本件各土地の取得費又は譲渡費用として収入金額から控除されるべきであると主張する。

しかし、原告主張の右費用のうち、原告が本件各土地を多代子ら六名に譲渡するために支出したと認められる本件各土地の一部の測量費用一六万〇八二〇円を除く費用は、以下のとおり、本件各土地の譲渡費用に当たらない。

(一) 別表第五の番号1、2、8、9の各費用について

右各費用の支払は、原告の各弁護士に対する仮払的性質を有するもので、確定した費用の支払とは認められない。仮に、右支払のうち、同表の番号1、2、8の各費用について、その後精算が行われ、原告の出捐額が確定したとしても、(二)又は(三)のとおり、費用性を認めることはできない。

(二) 同表の番号1、5、7及び34の各費用について

右各費用は対朝倉訴訟に係る弁護士費用又は鑑定費用と認められる。ところで、所得税の課税上、時効取得については、時効の援用時にその経済的利益に対して一時所得の課税原因が発生したとするものであり、一般に一時所得の金額の計算上、総収入金額から控除できる費用(収入を得るために支出した金額)は、当該収入を生じた行為をするため、又はその収入を生じた原因の発生に伴い直接要した金額とされているから(所得税法三四条二項)、時効取得による一時所得の金額の計算上、総収入金額から控除できる費用は原則として時効の援用の意思表示を相手方へ明らかにするために要した費用のみである。対朝倉訴訟に係る弁護士費用等は、時効の援用により取得した本件各土地に対する所有権侵害を排除するための費用、すなわち本件各土地の保全ないし維持に係る費用であり、一時所得の金額の計算上、総収入金額から控除することはできない。

また、仮に、右各費用の中に、相続争い訴訟に係る本件和解に関するものが含まれているとしても、それは、相続争い訴訟及び対朝倉訴訟を含め、多代子ら六名との一連の紛争の解決による一定の利益が原告にもたられさたことに対して支払われたものというべきであり、本件和解により本件各土地を多代子ら六名に引き渡すため直接要した費用であるとは認められない。

(三) 同表の番号2、8、9、10、11、12、13、15、17、18及び25の各費用について

右各費用は、相続争い訴訟に係る弁護士費用と認められるところ、相続争い訴訟は本件土地の時効取得とは直接かかわりのないことは明らかであり、本件各土地を取得するために要した費用とは認められない。また、仮に右費用のうちに相続争い訴訟に係る本件和解に関するものが含まれているとしても、右(二)のとおり、本件和解により本件各土地を多代子ら六名に引き渡すため直接要した費用であるとは認められない。

(四) 同表の番号3、4、6及び16の各費用について

右各費用は、対朝倉訴訟に係る弁護士費用と相続争い訴訟に係る弁護士費用とが混在しているものと認められるところ、右(二)及び(三)のとおり、いずれも本件各土地の取得又は本件和解により本件各土地を多代子ら六名に引き渡すため直接要した費用であるとは認められない。

(五) 同表の番号14、19、20、21、22、23、24及び26の各費用について

原告は、相続争い訴訟又は対朝倉訴訟の外に、中島晧、高山泰正及び二瓶修らの弁護士を代理人として、多代子との間で多数の訴訟を行っているところ、右各費用が相続争い訴訟又は対朝倉訴訟を含め、右のいずれの訴訟に係る弁護士費用であるかが明らかではない。仮に、右費用中に相続争い訴訟又は対朝倉訴訟の弁護士費用が含まれているものとしても、右(二)又は(三)のとおり、本件各土地の取得又は本件和解により本件各土地を多代子ら六名に引き渡すため直接要した費用であるとは認められない。

(六) 同表の番号27の費用について

右費用の計算は具体的な根拠がない。仮に、右費用中に相続争い訴訟又は対朝倉訴訟に関連して支払われたものが含まれているものとしても、右(二)又は(三)のとおり、本件各土地の取得又は本件和解により本件各土地を多代子ら六名に引き渡すため直接要した費用であるとは認められない。

(七) 同表の番号28ないし31の各費用について

右各費用のうち、本件各土地を多代子ら六名に譲渡する際に支出した本件各土地の一部の測量費用一六万〇八二〇円を除く部分は、本件和解により本件各土地を多代子ら六名に引き渡すため直接要した費用であるとは認められない。

(八) 同表の番号35の費用について

原告の所有する栗林の草刈りは例年第三者に依頼し役務の対価を支払っておこなってきたものであるから、仮に右費用を支払った事実があるとしても、栗林の維持管理費というべきであって、本件和解により本件各土地を多代子ら六名に引き渡すため直接要した費用であるとは認められない。

(九) 同表の番号32及び33の各費用について

右各費用は、原告が訴訟のための費用を調達するために本件各土地以外の土地に抵当権を設定したことに伴う費用と認められるところ、右(二)のとおり、訴訟に要した費用が本件各土地の取得又は本件和解により本件各土地を多代子ら六名に引き渡すため直接要した費用であるとは認められないから、その調達費用についても同様である。

9  原告は、昭和五八年分所得税の確定申告をするに当たって、本件各土地は寿佐の遺産の一部として多代子ら六名へ所有権の移転をするのであるから譲渡所得が発生する余地はないと考えたとしても無理からぬところであり、原告が本件各土地の譲渡に伴う譲渡所得の発生を税額の計算の基礎としないで右確定申告をしたことにつき正当な理由がある旨主張する。

しかし、原告主張に係る過少申告をした理由は要するに税法等の不知又は誤解があったというに過ぎないところ、過少申告が納税者の税法等の不知又は誤解に基づく場合は、昭和五九年法律第五号による改正前の国税通則法六五条二項の「正当な理由がある場合」に当たらないというべきであるから、右主張は理由がない。

八  被告の主張に対する原告の認否

被告の主張1ないし9は争う。

第三証拠<略>

理由

一  請求の原因1の事実並びに抗弁1の(一)及び同(二)の(1)の各事実は当事者間に争いがない。

二  被告は、原告が本件各土地を代物弁済により多代子ら六名に譲渡したとして、右譲渡に係る分離課税の長期譲渡所得が生ずる旨主張するので、右主張について検討する。

1  抗弁2の(一)の(1)の事実及び同(2)のうち、寿佐が大正年代から神蔵家の戸主であり、佐がその第一順位の法定推定家督相続人であったこと、寿佐がその頃から昭和初年にかけて本件取得土地を買い受け佐名義の所有権登記をしたこと、右登記は佐の死亡後も同人の名義のままであったことは当事者間に争いがない。

ところで、右のように、本件取得土地は寿佐が買い受けたものであるが、その所有権登記を佐の名義としたことに照せば、寿佐は、本件取得土地を佐の所有とする意思で買い受けたものと推認することができる(<証拠略>の寿佐の供述中これに反する部分は後記とおり採用しない。)。もっとも、右の争いのない事実と<証拠略>によれば、本件取得土地は、その買受け当時神蔵家の戸主であった寿佐が先代から家督相続をした土地に概ね隣接する位置に所在し、寿佐は、その家督相続を受けた土地とともに本件取得土地を神蔵家のいわば家産としてその家督相続人に伝える意図を有していたことが認められるが、右の争いのない事実及び右各証拠によれば、佐は寿佐の長男であり、その第一順位の法定推定家督相続人であって、寿佐は、佐が将来家督相続をして神蔵家の家産を承継するものと考えていたことも認められるから、寿佐が本件取得土地を神蔵家の家産の一部とする意図を有していたことと、本件取得土地を佐の所有として一旦はその特有財産(昭和二二年法律第二二二号による改正前の民放七四八条一項)としたこととが必ずしも矛盾するとはいえず、右土地を名義だけ佐の名義とした旨の<証拠略>中の寿佐の供述も、その限り採用し難い。

この点に関し、<証拠略>の準備書面中には、本件各土地について寿佐が、使用、収益、処分権を保有していた以上、その所有権は寿佐に留保されており、佐に属していなかったと認めるべきであるとの記載がある。しかし、本件は、税務対策等のため、名義のみを子供のものにしておいたというような事案とは異なり、父が家督相続人となるべき子に、あらかじめ家産となる土地を属させておこうとしたものであって、その限り、真意で子に所有権を設定したものとみることができる(その子が家督を継ぐまでの間、当該土地の使用収益は、父が戸主としてこれを行ったとしても、その間にこれを処分することは、考えられておらず、その子が家督を継げば、何らの行為を要せず当然にその使用収益も、子が行うこととなるのであり、そのような意味で、当初から子に所有権が帰属していたとみることに妨げはない。)。本件において、寿佐が作成した<証拠略>が、どこまで佐の真意を伝えているものであるかはともかくとして、前記事実関係と右の記載とを勘案すれば、佐としても、本件各土地がそのような趣旨で家産として自己の所有となっていることは承知しており、父が戸主として、佐が家督を相続するまでその代理人としてこれを維持管理することに異議はなかったし、その所有権を、神蔵家の家督を継承する者へ譲渡するのであれば、これにも何ら異議はなく、寿佐がそのような趣旨で佐を代理して推定家督相続人にその所有権を譲渡することをあらかじめ黙示的に承諾していたものとみるべきである。佐を相続した康男は、佐の包括承継人として、本件各土地の所有権とともに、右のような寿佐との法律関係をもそのまま承継したこととなる。

そのようにみることができるとすれば、前記準備書面における指摘は適切ではないこととなる。

そうすると、本件取得土地は、昭和一六年七月一五日に佐が死亡したことにより康男が遺産相続し(昭和二二年法律第二二二号による改正前の民法九九四条以下)、昭和二五年三月一九日に康男が死亡したことにより美代が相続し、更に、昭和四五年五月一二日に美代が死亡したことにより朝倉ら三名が相続して、その所有権を取得したものというべきである。

2  抗弁2の(一)の(3)の事実及び同(4)のうち、寿佐が康男の死亡後は原告を神蔵家の承継者と考えたこと、A土地について昭和二七年から昭和三四年にかけて原告に対し贈与を原因とする所有権移転登記をしたことは当事者間に争いがないところ、右事実に、右1で認定した事実並びに<証拠略>を総合すると、寿佐は、本件取得土地を買い受けて以降、これが康男の所有となり、更に美代の所有となった後も、これを含む佐の所有名義の土地を自己所有名義の土地と共に神蔵家の家産として一括して管理しており、また、美代も昭和二三年一月一日現行民法の施行により、康男の親権者となった後において、本件取得土地が事実上神蔵家の家産であり、これが家督相続人に承継されるべきことを承認している前記の佐の地位を承継した者の親権者ないしこれを自ら承継したものとして、右土地に対する康男又は自己の所有権を主張せず、寿佐は、佐が生存していた頃と同様に、その管理を行っていたものであること、寿佐は、当初は長男の佐を、佐の死亡後はその子である康男を神蔵家の承継者と考え、二男石井正は昭和一四頃に、三男石川平は昭和一九年にそれぞれ他家の養子とし、四男である原告についてはゆくゆくは分家をさせる積りでいたところ、昭和二五年に康男が急死し、当時戦地から復員し、同居して教員をしていた原告が神蔵家に残った唯一の男子となったので、原告を神蔵家の承継者と定め、昭和二七年から昭和三四年にかけて、A土地を順次原告に贈与してその旨の所有権移転登記をし、更に、本件取得土地についても、前記のとおりの佐の地位を相続した美代の黙示による推定的承諾に基づいて美代の代理人として遅くとも昭和三五年五月一二日までに原告にこれを贈与したことが認められる。

なお、原告は、A土地及び本件取得土地は、寿佐から原告に対し、実質上売買又は寄与分に対する補償として譲渡された旨主張し、<証拠略>には、原告の出征中から復員後まで、原告の教員としての俸給が神蔵家の家計に入れられて、当時の神蔵家の財政的窮状を救い、財産が保全されたことにより、昭和二三年頃、寿佐が原告の右出捐の対価として所有土地を原告に譲渡することを約したが、その所有権移転登記の原因を売買とすることは税務署の認めるところとならず、贈与とするよう指導を受けたので、A土地については贈与を原因とする所有権移転登記がなされた旨、右主張に沿う供述記載がある。しかしながら、右供述記載は、これを裏付ける的確な証拠がないのみならず、<証拠略>の寿佐の供述記載並びに<証拠略>記載の原告の主張と符合しないし、<証拠略>の原告自身の供述記載とも齟齬する点があり、直ちにこれを措信することはできない。

3  もっとも、抗弁2の(一)の(4)のうち、本件取得土地が栗の栽培管理に供されていたことは当事者間に争いがなく、右事実によれば、本件取得土地は昭和二七年法律第二三〇号による廃止前の農地調整法(昭和一三年法律第七号、ただし、昭和二六年法律第二二二号による改正後のもの。以下同じ。)二条一項又は農地法二条一項にいう農地であったものと認められるところ、弁論の全趣旨によれば、原告及び寿佐は、本件取得土地の譲渡に当たり、農地調整法四条に基づく農地委員会の承認又は農地法三条に基づく農業委員会の許可を得ていなかったことが認められるから、本件取得土地については、美代を代理した寿佐から原告への贈与の意思表示により直ちに所有権移転の効果が生ずるものではないといわざるを得ない。

しかしながら、右争いのない事実に<証拠略>を総合すれば、寿佐は右贈与の前から昭和四七年頃まで、本件取得土地において、主に雇人を使って栗の栽培管理をしており、原告が教員として勤務する傍らこれを手伝っていたことが認められる。(<証拠略>中右認定に反する部分は措信し難い。)。右事実によれば、本件取得土地については、右贈与前から昭和四七年頃まで寿佐が直接占有していたものと認められるが、右2のとおり、寿佐は昭和二七年頃から昭和三四年頃までの間に本件取得土地を美代の代理人として原告に贈与したのであるから、而後の寿佐の占有は、原告の占有代理人としてのものであり、したがって、原告は、右贈与時以後、本件取得土地を所有の意思をもって間接占有していたものというべきところ、右2で認定した事情に照して、原告が本件取得土地が自己の所有に帰したと信ずるにつき過失はなかったものと認められるから、遅くとも、昭和四四年頃までには本件取得土地について原告の取得時効が完成したものということができる。

そして、抗弁2の(一)の(4)のうち、原告が対朝倉訴訟の訴状で本件取得土地の取得時効を援用し、右訴状が昭和四五年一〇月九日に朝倉ら三名に送達されたことは当事者間に争いがないから、原告は、同日、本件取得土地の所有権を取得したものと認められる。

4  抗弁2の(一)の(4)のうち、対朝倉訴訟につき多代子が当事者参加したこと、昭和五五年五月二六日に原告が本件取得土地を時効取得したことを認め、朝倉ら三名に対し、本件取得土地につき原告に対し時効取得を原因とする所有権移転登記手続をすることを命じた第一審判決が言い渡されたこと、右判決に対して多代子が控訴し、朝倉ら三名が附帯控訴をしたが、昭和五八年一二月二七日に多代子の控訴取下げにより右第一審判決が確定したこと、同(5)のうち、多代子ら六名が相続争い訴訟を提起し、その控訴審において、昭和五八年一二月二七日に、原告が寿佐の遺産の一部に対する多代子ら六名の遺留分減殺請求権に代え、本件各土地につき昭和五八年一二月二七日代物弁済契約を原因として、多代子、石井正及び石川平に対しては各四分の一宛の、原嶋健二、原嶋映夫及び原嶋章治に対しては各一二分の一宛の各共有持分移転登記手続をし、同日本件各土地を多代子ら六名に引き渡す旨の本件和解が成立したこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

そうすると、原告は、昭和五八年一二月二七日に本件和解により本件取得土地のうちの本件各土地を代物弁済により多代子ら六名に譲渡したものと認められる。

5(一)  原告の主張1の(四)のうち、本件和解がA土地のうち約一万三五〇〇平方メートル、本件各土地及び崖下土地につき多代子ら六名に対する共有持分移転登記を行うとの内容になっていることは当事者間に争いがないところ、原告は、(1) 相続争い訴訟の控訴審における本件和解に至るまでの交渉の過程で、本件取得土地を所有していたのは原告ではなく寿佐であって、本件取得土地も寿佐の遺産を構成し、遺留分算定の基礎となる財産として遺産分割の対象となるという点で裁判所及び当事者間の意見が一致し、その前提の下に、多代子ら六名の遺留分減殺請求権の行使に伴い、本件各土地を多代子ら六名に取得させる合意をしたものであって、原告が代物弁済により本件各土地を多代子ら六名に譲渡したものではなく、本件和解の和解条項は、朝倉ら三名に対する関係で本件取得土地を神蔵側に帰属させる最も簡便かつ迅速な方法として、多代子が対朝倉訴訟の控訴を取り下げ対朝倉訴訟の第一審判決を確定させて、一旦原告が本件取得土地につき時効取得を登記原因とする所有権移転登記をすることにしたために、便法として、本件各土地が原告の所有であることにした上、登記原因を代物弁済として多代子ら六名に対する共有持分移転登記をすることにしたに過ぎない旨主張し、更に、右主張の根拠として、(2) 本件和解により多代子ら六名に所有権が帰属するとされた土地(A土地のうち約一万三五〇〇平方メートル及び本件取得土地のうち一万〇五〇〇平方メートル(本件各土地及び崖下土地)の合計約二万四〇〇〇平方メートル)の本件和解当時の時価が三・三平方メートル当たり約一四万円であるのに対し、原告に残された土地(A土地のうち約三万六七〇〇平方メートル及び本件取得土地のうち約九五〇〇平方メートルの合計約四万六二〇〇平方メートル)の本件和解当時の時価が平均すると三・三平方メートル当たり約一二万円であるから、本件和解により、多代子ら六名は寿佐の遺産のうちの約三七・七パーセントを取得したことになるところ、これは、本件和解において、原告が多代子ら六名の強く希望する本件各土地を含む土地を同人らに帰属させることを認める代り、多代子ら六名は本件取得土地を含む寿佐の遺産の管理・保全に対する原告の寄与を認めて、多代子ら六名の取得土地を本来の遺留分割合の合計である一〇分の四よりも少なめになるよう決定されたものである旨主張する。

(二)(1)  原告本人尋問の結果中には右(一)の(1)の主張に沿う供述部分があるほか、<証拠略>中にも右主張に沿う部分がある。しかし、右はいずれも原告本人または原告代理人の供述ないし供述記載であって、これを裏付ける的確な証拠がない限り直ちに措信し難いので、以下、この点について検討する。

(2) <証拠略>によれば、本件和解に至る交渉の過程で担当裁判官から示された和解条項素案は、その一項において「控訴人及び被控訴人らは、被控訴人らによる本訴遺留分減殺請求後の亡神蔵寿佐の遺産につき、次項から第七項までのように合意する(or協議分割したことを確認する。)。」とした上で、その四項1において「控訴人は、被控訴人に対し、右第二、三項による分割の調整のため、別紙第二物件目録記載の土地(現在、和解外朝倉所有名義)について、同人との間で所有権が控訴人に帰属することを確認させた上、これを被控訴人らに譲渡する。」としていることが認められる。

しかしながら、右和解条項素案四項1の「別紙第二物件目録記載の土地」が本件各土地を意味するものとしても、右のとおり同項では、朝倉ら三名との間でその所有権が控訴人(原告)に帰属することを確定するものとしていること、その被控訴人ら(多代子ら六名)に対する譲渡が分割の調整のために行なわれるものとしていることのほか、<証拠略>によれば、右和解条項素案では、遺留分算定の基礎となった土地(A土地)については、原告又は多代子ら六名が「取得する」との文言を使用している(二、三項)のに対し、右のとおり本件各土地については原告が多代子ら六名に「譲渡する」との文言を使用していること、右和解条項素案中に本件各土地を含む本件取得土地が寿佐の遺産に含まれるものとする趣旨の条項や本件取得土地のうち本件各土地を除くその余の部分を原告が取得するものとする趣旨の条項は存在しないことが認められ、これらの事実と協議分割には、その内容として代償金ないし代償財産の交付があればこれをも含めるのが一般であることを併せ考えると、右和解条項素案の一項に括弧書きで「or協議分割したことを確認する。」との文言があるからといって、右和解条項素案が、本件取得土地が寿佐の遺産を構成しこれを含めて遺産分割をするとの前提で作成されたものとは認め難い。

(3) 原告は、相続争い訴訟の控訴審において、多代子ら六名が次のような主張をしたとする。すなわち、寿佐が、本件取得土地を佐名義としたのは虚偽仮装のものであって、その所有権は寿佐に帰属していたこと、あるいは、寿佐が、昭和四五・六年頃まで本件取得土地を管理処分していた(所有の意思をもって占有していた)こと、これらの主張を多代子ら六名がし、これを原告も受け入れて和解を成立させたと主張する。しかし、これらの主張は、相互に矛盾するものであり、前者であれば、対朝倉訴訟における第一審判決の認定するとおりの寿佐から原告への贈与の事実が確定されれば、本件取得土地は遺留分減殺の対象となることとなるが、後者であれば、寿佐が時効取得した後に寿佐がこれを原告に贈与したなどという事実は全く現れていないから、寿佐の死亡当時本件取得土地は相続財産であったことになり、多代子ら六名は、相続分に基づいてその分割を原告に求めることができる筋合いになる。したがって、寿佐と本件取得土地との関係が、右のいずれであったのか確定することは、本件の和解の当事者にとって相当に利害関係のある事項であったといい得る。ところが、右控訴審における和解手続において、このようなことが話し合われた形跡は全くないし、原告もそのようなことが検討の対象となったことがあったかどうかにさえ触れていない。そうすると、真実は、このような事項が和解に際し、真剣に話し合われたことはなかったのではないかと推認されるのである。

(4)ア 右(一)の争いのない事実に、<証拠略>を併せ考えると、a 多代子ら六名は本件和解によってA土地のうち別表第六記載の各土地、本件各土地及び崖下土地を取得したこと、b 多代子ら六名は、昭和五九年一一月一二日本件各土地並びにA土地のうち同表の順号5ないし8及び18の各土地を一平方メートル当たり四万五三七五円で、また、同日A土地のうち同表の順号1ないし3の各土地を右同額でそれぞれ株式会社千歳商会に売り渡したこと(ただし、昭和五九年一〇月二九日石井正が死亡したことにより、右各売買契約は同人の持分についてはその相続人により行われた。)、c 更に多代子ら六名は、昭和六〇年二月二六日A土地のうち同表の順号14の土地を、またその頃同表の順号15ないし17の各土地をそれぞれ株式会社千歳商会に売り渡した(石井正の持分についてその相続人により売買契約が行われたことは右bと同様である。なお、右各土地の売買価格を明らかにする証拠はない。)ことを認めることができる。

そうすると、多代子ら六名が本件和解により取得した各土地のうち、同表の順号1ないし3、5ないし8及び18の各土地並びに本件各土地(面積合計一万七六〇三平方メートル)の昭和五九年一一月一二日当時の平均価額が一平方メートル当たり四万五三七五円(三・三平方メートル当たり一四万九七三八円)であったことが推認され、また後記三の1の(一)のとおり、本件各土地及びその周辺地域の昭和五八年一二月から昭和五九年一一月までの地価上昇率は概ね三パーセントを上回らない程度と認められるから、本件和解当時の右各土地の平均価額は三・三平方メートル当たり一四万五三七六円程度であったものと推認される。

(算式) 149,738÷1.03=145,376

しかしながら、多代子ら六名が本件和解により取得した各土地のうちその余の各土地(A土地のうち同表の順号4及び9ないし17の各土地並びに崖下土地、面積合計六四四七平方メートル)の本件和解当時の価額を明らかにする証拠はない。のみならず、<証拠略>によれば、同表の順号1ないし3、5ないし8及び18の各土地並びに本件各土地は、右bの売渡後いずれも宅地造成され、現在そのかなりの部分に住宅が建設されていること、これに対し、同表の順号9ないし17の各土地(面積合計六一九一平方メートル)は一団の急傾斜地であって、そのうち一八六九平方メートルは傾斜地を造成してマンションの敷地とされているが、その余は現在まで何らの利用もされていないこと、崖下土地も傾斜地であって現在まで何らの利用もされていないことを認めることができ、右各事実によれば、A土地のうち別表第六の順号4及び9ないし17の各土地並びに崖下土地の価額は、同表の順号1ないし3、5ないし8及び18の各土地並びに本件各土地の価額を相当程度下回るものと推認される。

そうすると、同表の順号1ないし3、5ないし8及び18の各土地並びに本件各土地の本件和解当時の平均価額が三・三平方メートル当たり一四万円を超えるからといって、多代子ら六名が本件和解により取得した土地全体の本件和解当時の平均価額が三・三平方メートル当たり一四万円であるものと直ちに認めることはできない。

イ <証拠略>によれば、本件和解により多代子ら六名が取得した土地のうち別表第六の順号5ないし8及び18の各土地並びに本件各土地の北西側は、現在幅員六メートルの道路を隔てて小田急電鉄株式会社の開発した大規模な宅地造成地に接していることが認められるところ、原告本人は、本件和解当時、小田急電鉄株式会社による右宅地造成地の買収が既に完了し、右道路の設置も公表されていたことから、右の多代子ら六名が取得した土地の価額は、本件和解により原告に残された土地の価額を上回っていた旨供述する。

しかし、右アで認定した事実に、<証拠略>を総合すれば、同表の順号5ないし8及び18の各土地並びに本件各土地は、右アのとおり多代子ら六名がこれを売り渡した後、宅地造成がされたが、右各土地は北西向きの斜面であって、その造成には、多代子ら六名の売渡価格六億一〇九二万九〇〇〇円に匹敵する六億一一九七万六〇〇〇円の工事費用を要したこと、これに対し、本件和解により原告に残された土地は、面積約四万六二〇〇平方メートルの一団の土地で、その一部分が幅員六メートルの道路に接しているほかは幅員一・八メートル余の道路に接し、あるいは右道路が内部を通っているのみであるが、全体が小高い丘状をなしていて、その大部分は南東向きの斜面であり、また、稜線付近には平坦地もあることが認められる。

右事実によれば、同表の順号5ないし8及び18の各土地並びに本件各土地が幅員六メートルの道路や右道路を隔てて小田急電鉄株式会社の開発した大規模宅地造成地に接し、本件和解により原告に残された土地のほとんどはそのような幅員を有する道路には接していないとしても、その他の条件を勘案すれば、本件和解により原告に残された土地が、宅地開発に適するかどうかという点で同表の順号5ないし8及び18の各土地並びに本件各土地に劣るものとはいえず、したがって、本件和解当時、同表の順号5ないし8及び18の各土地並びに本件各土地の価額が本件和解により原告に残された土地の価額を上回っていた旨の前記原告本人の供述を直ちに措信することはできない(なお、本件和解により多代子ら六名の取得した土地のうち、右各土地を除くその余の各土地の価額が右各土地を上回るものでないことは右アのとおりである。)。

他に、本件和解により原告に残された土地の本件和解当時の価額が三・三平方メートル当たり一二万円であることを認めるに足りる証拠はない。

ウ そうすると、本件和解により多代子ら六名に所有権が帰属するとされた土地の本件和解当時の時価が三・三平方メートル当たり約一四万円であり、原告に残された土地の本件和解当時の時価が平均すると三・三平方メートル当たり約一二万円であることを前提として、本件和解により、多代子ら六名が寿佐の遺産のうちの約三七・七パーセントを取得したことになるとの原告の主張は、その前提を欠くこととなって、失当といわざるを得ない。

(5) 他に、右(一)の(1)の原告主張に沿う原告本人の供述並びに甲第六号証の一、二及び甲第七号証の二ないし四の各供述記載を裏付けるに足りる的確な証拠はないから、右供述及び各供述記載を直ちに措信することはできない。

(三)  のみならず、取得時効により本件取得土地の所有権を取得したのが原告であることは右3のとおりであるから、仮に、相続争い訴訟の控訴審において、本件取得土地を所有していたのは原告ではなく寿佐であって、本件取得土地も寿佐の遺産を構成し、遺留分算定の基礎となる財産として遺産分割の対象となるという点で各当事者の意見が一致し、その前提の下に本件和解がなされたものとしても、そのことによって、本件各土地が寿佐の遺産を構成するものとなることはあり得ないものというべきである。

そうすると、本件和解において、原告及び多代子ら六名は、多代子ら六名の遺留分減殺請求権の行使に伴い、寿佐の遺産の一部である本件各土地を多代子ら六名に取得させる合意をしたものであって、代物弁済により本件各土地の譲渡をしたものではないとする原告の主張はいずれにせよ失当である。

6  右1ないし5によれば、原告は、昭和四五年一〇月九日に取得時効の援用をしたことにより本件取得土地の所有権を取得し、昭和五八年一二月二七日本件和解により本件取得土地のうちの本件各土地を代物弁済により多代子ら六名に譲渡したものと認められるから、右譲渡に係る分離課税の長期譲渡所得が生じたものである。

7  相続争い訴訟の第一審判決が、原告に対し多代子ら六名の遺留分としてA土地のうち約二万四二〇〇平方メートルの土地につき共有持分移転登記をした上、三六三万五九三四円を支払うよう命ずるものであったこと、本件和解が、原告が多代子ら六名に対し、A土地のうち約一万三五〇〇平方メートル、本件各土地及び崖下土地を譲渡することを内容とするものであることは当事者間に争いがないところ、原告は、本件和解の成立の経緯及び本件取得土地の取得の経緯に鑑みれば、原告と多代子ら六名とが、本件和解において、実質的に、本件各土地及び崖下土地とA土地のうち約一万〇七〇〇平方メートルの土地(相続争い訴訟の第一審判決によって多代子ら六名が取得するとされた二万四二〇〇平方メートルから本件和解により多代子ら六名が取得した一万三五〇〇平方メートルを差し引いたもの)とを交換したものとして、本件和解による原告から多代子ら六名への本件各土地の譲渡につき、所得税法五八条の規定(固定資産の交換の場合の譲渡所得の特例)の類推適用をすべきである旨主張する。

しかしながら、右の譲渡所得の特例は、一年以上有していた土地その他の固定資産を他の者が一年以上有していた土地その他の固定資産と交換し、その交換により取得した資産をその交換により譲渡した固定資産の譲渡直前の用途と同一の用途に供した場合は、譲渡所得の規定の適用については当該譲渡資産の譲渡がなかったものとみなされるというものであり(所得税法五八条一項)、その適用を受けるためには、交換時における取得資産の価額と譲渡資産の価額との差額がこれらの価額のうちいずれか多額の一方の一〇〇分の二〇に相当する金額を超えないことを要し(同条二項)、かつ、原則として確定申告書にその適用を受ける旨及び大蔵省令で定める事項の記載があることを要する(同条三項)とされている。右規定に鑑みれば、右特例は、同一種類で近似した価額の固定資産を交換し、これによる取得資産を譲渡資産の交換直前の用途と同一の用途に供した場合には、同一の資産を継続して保有していると同視できるので、納税者が右特例の適用を受けることを明確にした場合に限り、本来は交換によってその譲渡資産が他に移転する機会に行うべきその値上り益に対する課税を繰り延べる趣旨のものと解される。

しかるところ、右4のとおり、原告は、本件和解により、寿佐の遺産の一部に対する多代子ら六名の遺留分減殺請求権に代えて、本件各土地を多代子ら六名に譲渡したものであり、これに伴って取得資産に相当するような資産を取得した事実が存在しない。原告は、相続争い訴訟の第一審判決で多代子ら六名の遺留分として共有持分移転登記をすることを命じられたA土地のうち約二万四二〇〇平方メートルの土地のうち、本件和解により多代子ら六名が取得した一万三五〇〇平方メートルを除いたものがこれに当たるとするが、右第一審判決がこれに対する原告の控訴によって確定しなかった以上、これによって、右約二万四二〇〇平方メートルの土地の所有権が多代子ら六名に帰属するものではなく、かつ、その控訴審において本件和解が成立したのであるから、原告が取得資産に当たると主張する土地は終始原告の所有に属していたものというべきであって、これが取得資産に相当するような資産に当たるとすることはできない。そうすると、本件和解による本件各土地の譲渡につき所得税法五八条の規定を類推適用する余地はないものというべく、原告の右主張は失当である。

三  次に、本件各土地の譲渡に係る分離課税の長期譲渡所得金額について検討する。

1(一)  収入金額

本件各土地(面積一万〇三二〇平方メートル)の譲渡に係る収入金額は、昭和五八年一二月二七日現在の本件各土地の価額に相当する金額と解すべきところ、右二の5の(二)の(4)のアのとおり、昭和五九年一一月一二日当時の本件各土地の平均価額は一平方メートル当たり四万五三七五円であったと認められる。そして<証拠略>によれば、国土庁土地鑑定委員会による昭和六〇年の地価公示では、東京圏の住宅地及び宅地見込地の昭和五九年一月一日から昭和六〇年一月一日までの地価変動率はそれぞれ一・七パーセント及び一・四パーセントの上昇と、また、東京圏の住宅地のうち小田急線沿線方面の地価変動率は二・三パーセントの上昇とされていることが認められ(なお、町田市が東京圏に属し小田急線の沿線にあることは公知の事実である。)、右事実と弁論の全趣旨とを併せ考えれば、本件各土地及びその周辺地域の昭和五八年一二月から昭和五九年一一月までの間の地価上昇率は概ね三パーセントを上回らない程度であるものと認めることができる。

そうすると、本件各土地の譲渡に係る収入金額は、抗弁2の(二)の(1)の被告の計算のとおり、四億五四六三万一〇六七円となる。

(二)  取得費

土地の時効取得による利得は、所得税法上、一時所得として所得税の課税の対象となり、その場合の収入金額は、当該土地の所有権取得時期である時効援用時の当該土地の価額であると解すべきである(同法三六条一項、二項)。そうすると、当該土地の時効援用時までの値上り益は、右一時所得に係る収入金額として所得税の課税の対象とされることになるから、時効取得した土地を譲渡した場合のその譲渡所得に対する課税は右時効援用時以降の当該土地の値上り益に対して行われることになり、したがって、右譲渡所得の計算上、その取得費の額は、右一時所得に係る収入金額すなわち時効援用時の当該土地の価額によるべきこととなる。

そこで、原告が本件各土地を含む本件取得土地の取得時効を援用した昭和四五年一〇月九日当時の本件各土地の価額について検討する。

右二の5の(二)の(4)のアのとおり、昭和五九年一一月一二日当時の本件各土地の平均価額は一平方メートル当たり四万五三七五円であったと認められる。そして、弁論の全趣旨によれば、土地価格推移指数表による六大都市を除く市街地(住宅地)の昭和三〇年三月末日を一〇〇とする価格指数は、昭和四五年九月末日が一五二〇、昭和四六年三月末日が一六三八、昭和五九年九月末日が五三一四、昭和六〇年三月末日が五三七七であることが認められるから、これを基礎に算出した六大都市を除く市街地(住宅地)の昭和四五年一〇月九日現在及び昭和五九年一一月一二日現在の各価格指数は、別表第四の2の(一)及び(二)の計算のとおり、それぞれ一五二六及び五三二九となる。

そうすると、昭和五九年一一月一二日当時の本件各土地の価額は、抗弁2の(二)の(2)の被告の計算のとおり、一億三四〇九万二七〇四円であったものと認めることができる。

(三)譲渡費用

抗弁2の(二)の(3)の本件各土地を多代子ら六名に譲渡する際に支出した本件各土地の一部の測量費用一六万〇八二〇円及び多代子ら六名に対し本件各土地の所有権移転登記をするに当たって原告が負担した登録免許税二万八八〇〇円がいずれも本件各土地の多代子ら六名に対する譲渡に伴う譲渡費用となることについては、当事者間に争いがない。

2  原告は、相続争い訴訟の控訴審における和解交渉の段階で当事者間に本件取得土地が寿佐の遺産の一部を構成するとの共通の認識が生じたこと、本件各土地を含む本件取得土地の帰属をめぐって、原告、朝倉ら三名及び多代子の間に昭和四五年から昭和五八年まで対朝倉訴訟が係属し、同年一二月二七日に多代子がその控訴を取り下げたことにより、原告は初めて本件取得土地の登記を経由し、その処分権を事実上行使することが可能となったことに鑑みて、同日、原告が本件取得土地を確定的に取得し、その時効取得に係る一時所得が発生したものと解するのが合理的であると主張し、かかる主張を前提として、本件各土地の譲渡に係る収入金額及び取得費はいずれも昭和五八年一二月二七日当時の本件各土地の価額であるから原告に右譲渡に伴う譲渡所得は発生しない旨主張する。

しかし、相続争い訴訟の当事者間で本件取得土地が寿佐の遺産の一部を構成するとの共通の認識が生じたという主張の認め難いことは右二の5の(二)のとおりである。また、取得時効は、所有の意思をもって資産を一〇年間又は二〇年間占有し、時効の援用をすることにより当該資産の所有権を取得するものであるから、実体法上右援用時にその所有権を取得するものであるのみならず、右援用によって占有者が当該資産につき時効利益を享受する意思が明らかとなり、かつ、時効取得に伴う一時所得に係る収入金額を具体的に計算することが可能となるものであるから、所得税法上、右援用時に一時所得に係る収入金額が発生するものと解すべきである。時効取得の効果をめぐって関係当事者間に訴訟が係属し又は占有者が当該時効取得資産の所有権登記を経ていないことは、必ずしも援用に伴う右の効果を妨げるものではないし、仮に、訴訟の結果により申告、更正等に係る課税標準等又は税額等の計算の基礎とされた事実が否定されたような場合には、納税者は、更正の請求により対処すべきこととされている(国税通則法二三条二項)ことに鑑みて、訴訟が係属しあるいは所有権登記を経ていないからといって、時効取得に伴う一時所得の発生がないものということはできない。

そうすると、原告の右主張はその前提を欠くものであって、失当である。

3  また、原告は、遺産分割の効力は相続開始時に遡って生ずるものであるところ、本件和解においては、寿佐の全相続人に当たる相続争い訴訟の当事者間に本件取得土地が寿佐の遺産の一部を構成するとの了解があったから、時効取得時である昭和四五年から本件和解成立時である昭和五八年までの間の本件各土地の値上り益に対する課税の分担の問題に帰着する本件各土地の所有権移転時期は寿佐の相続開始時である昭和四八年七月二三日であったとして、右当事者がそのことを本件和解において確認したものと解するのが、右各当事者にとって最も公平であり、その合理的意思に合致する旨主張する。

しかしながら、相続争い訴訟の当事者間で本件取得土地が寿佐の遺産の一部を構成するとの了解があったという主張の認め難いことは右二の5の(二)のとおりであるし、また、本件和解において、右の当事者間に本件各土地の所有権移転時期は寿佐の相続開始時とする確認がされたとの事実を認めるに足りる証拠もない。

仮に、本件和解において右の当事者間に右のような確認がされたとしても、原告が右二の4のとおり昭和五八年一二月二七日の本件和解によって本件各土地を多代子ら六名に譲渡する以前に、本件各土地の所有権が原告から同人らに移転する原因となるべき事実が存在したことを認めるに足りる証拠はないから、単に当事者間で所有権移転時期を遡らせる合意をしたというに過ぎず、譲渡行為そのものは本件和解時に行われたと見るほかはないところ、譲渡所得に対する課税は、資産が所有者の支配を離れて他に移転する機会を捉らえて、当該資産の値上り益に対して行われるものであるから、右のような合意があったことのみをもって、所得税法上、譲渡所得に係る譲渡時期が左右されるいわれはない。

そうすると、原告の右主張も失当である。

4  原告は、昭和四五年当時は本件各土地及びその周辺の土地は山林ないし田畑として利用されており、将来、商業地、住宅地又は工業地のいずれを目的として開発されるかは定かではなかったから、本件各土地の譲渡に係る取得費(原告が本件取得土地の取得時効を援用した昭和四五年一〇月九日当時の本件各土地の価額)の計算の当たり、土地価格推移指数表の住宅地としての市街地価格指数ではなく全用途平均の市街地価格指数を用いて時点修正を施すことが合理的である旨、また、本件各土地の譲渡に係る取得費の計算に当たり、土地価格推移指数表の市街地価格指数を用いて時点修正を施すのであれば、右譲渡に係る収入金額(本件和解のなされた昭和五八年一二月二七日当時の本件各土地の価額)を算出するに当たっても右市街地価格指数を用いて時点修正するのが合理的である旨主張する。

しかし、仮に、昭和四五年当時本件各土地及びその周辺の土地が、山林ないし田畑として利用されていたとしても、本件各土地並びにその周辺土地である別表第六の順号1ないし3、5ないし8及び18の各土地は昭和五九年一一月一二日に多代子ら六名から他に譲渡された後いずれも宅地造成されていることは右二の5の(二)の(4)のアのとおりであり、また、弁論の全趣旨によれば、本件各土地は、いずれも昭和五六年に町田市都市計画区域内の第一種住居専用地域に指定された区域内に存在することが認められるから、昭和四五年当時の本件各土地の価額の計算に当たり、本件各土地が将来住宅地として開発される適性を有していたものとして、右1の(二)のとおり、土地価格推移指数表の住宅地としての市街地価格指数を用いて時点修正をすることが必ずしも不合理とはいえない。

また、右1の(一)のとおり、昭和五八年一二月二七日当時の本件各土地の価額は、国土庁土地鑑定委員会による昭和六〇年の地価公示の東京圏の住宅地及び宅地見込地の昭和五九年一月一日から昭和六〇年一月一日までの地価変動率並びに東京圏の住宅地のうち小田急線沿線方面の地下変動率等を用い、弁論の全趣旨を参酌して時点修正して求めたものであるところ、かかる手法が、六大都市を除く市街地の全国的な平均値である土地価格推移指数表の市街地価格指数を用いて時点修正をする手法に比べ不合理であるとすることはできない。

したがって、原告の右主張も失当である。

5(一)  原告は、多代子ら六名に対し、A土地のうち約一万三五〇〇平方メートル並びに本件各土地及び崖下土地を譲渡するために、別表第五記載の弁護士費用、測量費用、登記費用等として合計二六一二万五六七〇円を支払ったから、右金額を本件各土地の面積の右各譲渡土地の面積合計に対する割合によって按分した一一二三万四〇三八円が本件各土地の取得費又は譲渡費用として収入金額から控除されるべきであると主張する。

(二)  しかして、<証拠略>によれば、原告は、対朝倉訴訟又は相続争い訴訟に関し、その訴訟費用又は弁護士費用等として別表第五の番号1ないし26の各費用を支出したことが認められる。

しかしながら、上叙のとおり、対朝倉訴訟は原告が時効取得した本件取得土地について朝倉ら三名からその所有権移転登記を受けるために提起したものであり、また、相続争い訴訟は、寿佐の遺産(そのうちには本件取得土地は含まれない。)につき原告以外の相続人である多代子ら六名が提起した遺留分減殺等の訴えであって、その控訴審における訴訟上の和解により原告が多代子ら六名の寿佐の遺産の一部に対する遺留分減殺請求権に代えて本件取得土地のうち本件各土地を代物弁済により譲渡したものである。

しかるところ、一時所得の金額の計算において収入金額から控除し得る費用は、その収入を生じた行為をするため、又はその収入を生じた原因の発生に伴い直接要したものに限られるから(所得税法三四条二項)、対朝倉訴訟に関連した弁護士費用その他の費用は、本件取得土地の時効取得に伴う一時所得の金額の計算において収入金額から控除される費用には当たらず、したがって、本件取得土地の一部である本件各土地の譲渡に伴う譲渡所得の金額を算出するに当たっても、その取得費に含まれるものでもない。また、本件各土地を含む本件取得土地は相続争い訴訟の対象とはされておらず、ただ、右訴訟の解決のために、本件和解において、多代子ら六名の寿佐の遺産の一部に対する遺留分減殺請求権に代えて訴訟外の権利関係である本件各土地が代物弁済に供されたというに過ぎないから、原告が右訴訟に関連して支出した弁護士費用その他の費用が本件各土地を譲渡するために直接要した費用となるものではない。

(三)  別表第五の番号27の費用については、これが本件各土地の譲渡に伴う譲渡費用となることを認めるに足りる具体的な事情が何ら主張されておらず、また、右のような事情を認めるに足りる証拠もない(もっとも、原告本人尋問の結果中には、原告が対朝倉訴訟及び相続争い訴訟に関連する弁護士費用としての交通費や証人の日当等として総額一四〇万ないし一五〇万円程度の費用を支出した旨の供述があるところ、仮にかかる弁護士費用ないし訴訟費用が主張の費用のうちに含まれるものとすれば、右(二)のとおり、右各費用を本件各土地の譲渡に伴う譲渡費用に当たるとすることはできない。また、<証拠略>によれば、原告は、<1>本件各土地の一部を含む本件取得土地の一部につき朝倉照雄を代位して同人の所有権登記名義人表示更正登記申請をした際に登録免許税として一万一〇〇〇円を、<2>本件取得土地につき立川夕美子を代位して同人の所有権登記名義人表示更正登記申請をした際に登録免許税として二万五〇〇〇円を、<3>本件取得土地につき朝倉ら三名から原告に対する持分全部移転登記申請をした際に登録免許税として二二四万六〇〇〇円を、<4>本件各土地につき原告から多代子ら六名に対する所有権移転登記申請をした際に登録免許税として二万八八〇〇円を、<5>東京地方裁判所八王子支部書記官が本件各土地を含む本件取得土地の一部につき仮処分登記の抹消登記の嘱託をした際にその登録免許税一万五〇〇〇円をそれぞれ負担したことが認められるところ、かかる登記申請又は嘱託に際しての登録免許税が主張の費用のうちに含まれるものすれば、右<4>を除いては、いずれも対朝倉訴訟の第一審判決に基づいて本件取得土地につき原告に所有権移転登記をするための登記申請費用又は嘱託費用であることが明らかであって、本件各土地の譲渡に伴う譲渡費用に当たるとすることはできないし、右<4>の登記申請費用は右1の(三)のうちの登録免許税二万八八〇〇円と同一であることが明らかである。)。

しかして、譲渡所得に係る譲渡費用の存否及び額についての立証責任は被告(課税庁)にあるものと解されるが、その支出に係る具体的な事情は一般に原告(納税者)が知悉している事柄であって、被告としては原告の指摘なしにこれを把握することが不可能ないし困難であることが多いから、原告が被告の主張額を超えて譲渡費用の支出を主張するのであれば、原告としてはその主張額が譲渡費用に当たるとする右の具体的な事情を指摘することを要するというべきであり、かかる指摘がなく、あるいはそれが不十分であるときは、原告にこれを指摘させるまでもない場合又は原告にこれを指摘させることが酷であるような特段の事情があれば格別、そうでない限り、原告主張額はこれを存在しないものとして扱うほかはないというべきである。

したがって、原告の主張する右の費用を本件各土地の譲渡に伴う譲渡費用に当たるとすることはできない。

(四)  別表第五の番号28ないし31の各費用については、これが本件各土地の譲渡に伴う譲渡費用となることを認めるに足りる具体的な事情が何ら主張されておらず、また、右のような事情を認めるに足りる証拠もない(なお、<証拠略>によれば、本件和解において、原告が、<1>A土地のうち東京都町田市金井町字一五号一六六二番(一〇三八平方メートル)、<2>本件取得土地のうち同所一六五九番(三七六平方メートル)、<3>本件取得土地のうち同所一六二六番(二六七平方メートル)の各土地のそれぞれ一部を分筆した上、多代子ら六名に取得させ、あるいは同人らに代物弁済として譲渡する旨並びに右各分筆登記に伴い有限会社北村建築設計事務所に依頼した測量に関する費用については原告と多代子ら六名とで折半負担する旨の合意がなされたこと。右のうち<2>の土地の分筆によって多代子ら六名に譲渡された土地は本件各土地の一部(別表第二の順号13-1の土地)であることがそれぞれ認められる。仮に主張の費用が右の本件和解に基づく分筆のための測量費用であるとすれば、主張の費用のうち<2>の土地の分筆に係る部分は本件各土地の譲渡費用に当たるものと解すべきであるが、その部分は右<1>ないし<3>の各土地の面積で按分した一〇万五七九九円を超えないものと解せられ、かつ、右1の(三)の本件各土地の一部の測量費用一六万〇八二〇円中に含まれることが明らかである。)。

したがって、右(三)と同様、原告の主張する右の費用を本件各土地の譲渡に伴う譲渡費用に当たるとすることはできない。

(五)  <証拠略>によれば、原告は、対朝倉訴訟及び相続争い訴訟の費用を調達するために、A土地の一部に抵当権を設定するに要した費用として、別表第五の番号32及び33の各費用を支出したことが認められるが、右(二)のとおり、対朝倉訴訟及び相続争い訴訟に関連する訴訟費用を本件各土地の譲渡に伴う譲渡費用に当たるとすることはできないから、その調達のための右抵当権設定費用を本件各土地の譲渡に伴う譲渡費用に当たるとすることもできない。

(六)  別表第五の番号34の費用については、これが本件各土地の譲渡に伴う譲渡費用となることを認めるに足りる具体的な事情が何ら主張されておらず、また、右のような事情を認めるに足りる証拠もない。

したがって、右(三)と同様、原告の主張する右の費用を本件各土地の譲渡に伴う譲渡費用に当たるとすることはできない。

(七)  <証拠略>によれば、原告は昭和五五年八月三一日に草刈り費用として二万七〇〇〇円を支出したことが認められ、また、原告本人尋問の結果中には、右草刈りが測量のために行われた旨供述する部分があるが、仮に右供述のとおり右草刈りが測量のために行われたとしても、その測量が本件各土地の譲渡のために行われたものであることを認めるに足りる証拠はない(のみならず、右の草刈りはその費用を支出した昭和五五年八月三一日前後に行われたものと推認されるところ、<証拠略>によれば、右の時期においては、対朝倉訴訟は控訴審の審理が開始された直後であり、相続争い訴訟は未だ第一審に係属中であるから、右の測量が本件各土地の譲渡のために行われたものであるとは考え難い。)。

他に、右費用の支出が本件各土地の譲渡に伴う譲渡費用となることを認めるに足りる具体的な事情は何ら主張されておらず、また、右のような事情を認めるに足りる証拠もない。

したがって、右(三)と同様、原告の主張する右の費用を本件各土地の譲渡に伴う譲渡費用に当たるとすることはできない。

6  右1ないし5によれば、本件各土地の譲渡に係る分離課税の長期譲渡所得金額は、右1の(一)の金額から同(二)及び同(三)の各金額を控除した三億二〇三四万八七四三円であると認めることができる。

四  右一の当事者間に争いのない事実及び右三の6によれば、原告の昭和五八年分所得税に係る総所得金額は七七一万六一五六円、分離課税の長期譲渡所得金額は三億二七八八万八七四三円であるところ、本件更正に係る総所得金額は右と同額であり、また本件更正に係る分離課税の長期譲渡所得金額は、右金額の範囲内であるから本件更正は適法である。

五1  右四のとおり、本件更正は適法であるところ、原告は、本件各土地の所有権が多代子ら六名に移転するまでには複雑な経過があり、本件各土地を含む本件取得土地の所有権の帰属をめぐる裁判所及び関係当事者の認識には変遷があったし、また、原告は、本件和解に際して、担当裁判官に、本件各土地を多代子ら六名に移転するについて、税法上不利益に取り扱われることの有無を尋ねたところ、本件各土地が寿佐の遺産の一部を構成することを前提として本件和解を成立させるのであるから、原告が不利益に取り扱われることはないと思うとの説明を受けたのである。このような事情の下では、原告が昭和五八年分所得税の確定申告をするに当たって、本件各土地は寿佐の遺産の一部として多代子ら六名へ所有権の移転をするのであるから譲渡所得が発生する余地はないと考えたとしても無理からぬところであり、原告が本件各土地の譲渡に伴う譲渡所得の発生を税額の計算の基礎としないで右確定申告をしたことにつき、国税通則法六五条二項(昭和五九年法律第五〇号による改正前のもの)の正当な理由がある旨主張する。

しかしながら、本件各土地を含む本件取得土地の所有権の帰属をめぐる裁判所及び関係当事者の認識には変遷があったとの主張の認め難いことは右二の5の(二)のとおりであり、したがって、また、<証拠略>のうちの、本件和解の担当裁判官が、本件各土地の寿佐の遺産の一部を構成することを前提として本件和解を成立させるのであるから、原告が税法上不利益に取り扱われることはないと思うと述べた旨の供述又は供述記載も直ちに措信し難い。

のみならず、右二の4の事実及び<証拠略>によれば、本件各土地の多代子ら六名に対する所有権の移転が代物弁済であることは、原告を当事者とする本件和解の和解条項から明瞭に看取されるところであって、原告としては、これが譲渡所得税の課税対象となる可能性を考慮して、相続争い訴訟の代理人の意見を聞くのみではなく、所轄税務官署の担当部局に問い合わせるなり、税務の専門的知識を有する公正な第三者の意見を求めるなりして慎重な調査を尽くすべきであったというべきところ、原告がかかる調査を尽くしたことを認めるに足りる証拠はない。

そうすると、原告が本件各土地の譲渡に伴う譲渡所得の発生を税額の計算の基礎としないで右確定申告をしたことにつき、国税通則法六五条二項(昭和五九年法律第五〇号による改正前のもの)の正当な理由があるものとすることはできず、原告の右主張は失当である。

2  本件更正により原告が新たに納付すべき所得税額は一億〇九三一万円(国税通則法一一八条三項により一万円未満の端数切捨て)であるから、同法六五条一項(昭和五九年法律第五号による改正前のもの)により、右金額に一〇〇分の五の割合を乗じて得た過少申告加算税の額五四六万五五〇〇円を賦課した本件賦課決定は適法である。

六  よって、原告の請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 中込秀樹 石原直樹 長屋文裕)

別表第一ないし第六<略>

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