東京地方裁判所 平成10年(タ)363号 判決
原告 A
右訴訟代理人弁護士 西林慶一
被告 Bこと C
右訴訟代理人弁護士 山枡幸文
主文
一 D(本籍・佐賀県鳥栖市古賀町六〇八番地の一、明治一九年一一月二〇日生、昭和四三年一二月二五日死亡)と被告との間に母子関係が存在しないことを確認する。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の負担とし、その余は被告の負担とする。
事実及び理由
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 Eと被告との間に父子関係がないことを確認する。
2 主文第一項と同旨
3 訴訟費用は被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二事案の概要
一 前提となる事実
1 原告(昭和五年七月二五日生)は、戸籍上、E(明治一五年二月八日生、昭和一〇年一〇月四日死亡、以下「E」という。)及びD(明治一九年一一月二〇日生、昭和四三年一二月二五日死亡、以下「D」という。)の長女とされている(甲五ないし七)。
2 被告(昭和一〇年二月二〇日生)は、戸籍上、E及びDの二女とされ、右出生届は、同年三月二日に、Eからされている(甲六)。
3 また、昭和一四年六月一二日に、被告がF(明治四四年三月三〇日生、昭和四七年九月一三日死亡、以下「F」という。)及びその夫のGの養子となる縁組届出がされている(甲八、一〇、一二)。なお、Fは、Eの兄H(以下「H」という。)とその妻Iの五女であって、原告とFとは、戸籍上、従姉妹どうしとなる(甲六、九、一一、一二)。
4 Fは、昭和一三年六月六日にGと婚姻したが、昭和一〇年二月二〇日当時は、戸籍上は独身であった(甲一一)。また、FとGとの間には、J(昭和一三年二月一〇日生)とK(昭和一五年九月一六日生)という二人の子がもうけられている(甲一一)。
5 被告は、昭和三一年に米国人と婚姻し、渡米したが、その後離婚し、英国に渡った後、カナダで再婚し、現在はカナダに居住している(甲八、乙一)。
二 争点
1 親子関係の存否
(一) 原告の主張
被告は、Fが、婚姻外の関係から、昭和一〇年ころに出産した子であり、実父は不明である。したがって、被告とE及びDとの間に、親子関係はない。
(二) 被告の主張
(1) 被告は、EとDの実子である。
(2) 鑑定の結果は、原告と被告との間に、両親を同じくする姉妹関係がないというにすぎず、原告と被告とのいずれがEないしDと親子関係がないことになるのかは、不明である。
鑑定の結果は、両親を同じくする姉妹の関係か、被告が原告の従姉妹の子であるという関係か、いずれかであるとすれば、後者の可能性が高いという消極的な認定方法を採っているが、両親の一方を同じくする姉妹など、他の可能性もあるのであって、右のいずれかであるとの前提に立つ鑑定は、その前提において誤っている。
しかも、姉妹関係(二親等)か従姉妹の子(五親等)かという微妙な判定を行う鑑定には、戸籍の推定力を覆すだけの一般的な信頼度はない。
2 養子縁組成立の有無
(一) 被告の主張
万一、被告がEとDとの間の実子でなかったとしても、少なくとも養親子関係の成立を認めるのが合理的である。
(二) 原告の主張
養子とする意図で、他人の子を嫡出子として出生届を提出しても、養子縁組が成立したものとは認められない上、本件の場合は、E、Dが実際に被告を養育したり、親子としての付合いをした事実はない。
3 権利濫用(禁反言の法理違反)の有無
(一) 被告の主張
原告は、<1>「養母の墓を移すのに印鑑がいる。」などと申し向けて、被告を欺き、Dの遺産である不動産の登記名義を原告に移転しようとしたことがあったこと、<2>被告に対し、遺産を放棄してほしいと泣きついたり、遺産分割協議の申入れをしたり、具体的に、不動産を売却して代金を折半する方法を提案しておきながら、本件訴訟を提起したことからすると、原告の行為は、禁反言の法理に違反する。
また、原告、被告の親兄弟が皆亡くなってから、六〇年以上も前のことを詮索し、姉妹関係を否認してまで、親の財産を独り占めしようとする原告の行為は、権利の濫用である。
(二) 原告の主張
原告が被告を欺いて移転登記をしようとしたことなどない。また、法的手続による解決を図る前に、話合いで解決しようとすることは通常みられることであり、それが決裂した場合に訴訟による解決を求めたからといって、権利の濫用になるものではない。
被告は、何ら権利を有さないにもかかわらず、戸籍の記載を奇貨として、経済的給付を要求しているものである。
公文書に事実と異なる記載がされていても、訂正される必要が生じるまでは放置さることはしばしばあることで、その必要が生じた時点で法的措置を採ったからといって、権利濫用となるものではない。
第三争点に対する判断
一 争点1(親子関係の存否)について
1 まず、証拠(甲一ないし一二、乙一、原告本人、被告本人)によれば、以下の事実が認められる。
(一) 被告が出生した昭和一〇年当時、X家の本家に該当するHと分家に該当するEとは、佐賀県三養基郡田代村(現在の佐賀県鳥栖市)において、隣どうしで居住していた。
(二) 被告は、Hの五女Fが未婚のまま出産した子であると近所の者に認識されており、父親は不明であると思われていたが、戸籍上は、昭和一〇年二月二〇日に、Eが、同人とDとの間の二女として届出をしている。なお、Eは、同年一〇月四日に死亡した。
(三) 被告は、Fが、福岡県戸畑市(現在の北九州市戸畑区)のGのもとに嫁いだ際、Fに連れられて戸畑市に転居した(FとGとの婚姻届は昭和一三年六月六日に行われているが、FとGとの間の子であるJが出生したのが昭和一三年二月一〇日であるから、FとGとは、右の婚姻届よりも早い時期の昭和一二年ころには結婚生活に入っていたものと考えられ、被告がFに連れられて戸畑市に転居したのも、昭和一二年ころであると推測される。)。そして、その後、昭和一四年六月一二日に、被告がF及びGの養子となる縁組届出が養父母とDによって行われている。
(四) 他方、原告は、昭和五年七月二五日の出生時以後、E及びDのもとで成長し(ただし、五歳の時にEが死亡している。)、その兄三名が戦死したことが判明した昭和二四年ころには、Dから、戸籍上、妹とされている被告の存在を知らされた。しかし、原告は、被告と生活を共にすることがないまま、昭和二五年四月二〇日にL(昭和二年一二月一〇日生)と婚姻し、婚姻後もDとは同居していたが、Dも被告とは生活を共にすることがないまま、昭和四三年に死亡した。
(五) また、被告は、その間の昭和三一年に米国人と婚姻して出国し、以後米国、英国を経た後、カナダで長年生活している。
2 なお、被告は、本人尋問において、被告が七、八歳のころ(昭和一七、一八年ころ)、分家の兄弟がみんな戦争で死亡し、Dから、「今はA姉さんとあなただから、何かがあれば二人で相談するように」と言われたという趣旨の供述をしているが、原告本人は、右1(四)のとおり、兄三人が死亡したことが判明したのは、昭和二四年であるとの供述をしており、当時原告は既に一九歳になっていたことを考慮すると、原告の記憶のほうが明確であると考えられ、これに照らして、被告の右供述は直ちに信用することができない。そして、ほかに、右1の認定を左右するに足る証拠はない。
3 次に、鑑定の結果によれば、原告と被告との間に第一度の血縁関係(両親を共通とする姉妹の関係)が存在しない可能性が高く、被告が原告の従姉妹の子である可能性が高いことが認められる。
右の鑑定は、医師が採取した原告及び被告の血液を資料として、鑑定人がDNAフィンガープリント法(DNA中に存在するミニサテライトを調べ、当事者間に遺伝的な矛盾が存在するかどうかを検査する方法)を用いて検査(マルチローカスプローブと呼ばれる試薬を用いる検査方法とシングルローカスプローブと呼ばれる試薬を用いる検査方法を併用)を行ったところ、マルチローカスプローブによる検査により、第一度の血縁関係が存在するとの仮定を否定する場合に、約〇・〇〇〇三二四パーセントの誤りが生じるにすぎないが、第四度の血縁関係(従姉妹の子の間のような関係)を否定する場合には約一八・九パーセントの誤りが生じるとの結果が得られたこと、シングルローカスプローブによる検査によっても、第一度の関係が存在することを積極的に支持する結果は得られなかったことを理由とするものである。
一般に、DNAフィンガープリント法は、近時、主として法医学の分野において科学的鑑定方法として急速に発展し、血縁関係を肯定ないし排除することができる確率が高い方法であるとの評価を確立させつつあるDNA分析による血縁関係判定法の代表的な方法の一つであるから(当裁判所に顕著な事実)、このDNA分析の方法による生物学的な血縁関係判定の結果は、十分に信用性があるというべきで、かつ、本件において、その具体的な鑑定の過程に不合理な点を認めることはできない。
4 そこで、前記1の事実関係に、右の鑑定の結果を考慮すると、以下のとおり、被告とDとの間に母子関係はなく、被告はFの子であると認めることができる。
(一) すなわち、まず、右3の鑑定の結果によると、原告と被告との間に両親を同じくする姉妹の関係が存在しない可能性が高い(この関係を否定しても、約〇・〇〇〇三二四パーセントの誤りが生じるにすぎない。)。そして、原告と被告のどちらもが、戸籍上、E及びDの子であるとされていることからすると、原告と被告のどちらかが、E又はDの子ではない可能性が高いというべきである(なお、鑑定の結果からいえることは、原告と被告とが両親を共通にしない可能性が高いというにすぎず、原告又は被告のどちらかが、E又はDのどちらか一方との親子関係を否定されれば、右の鑑定の結果には矛盾しないこととなる。)。
(二) そして、被告が昭和一〇年に出生した後、昭和一二年ころには、Fに連れられて転居し(前記1(三))、幼少のころからDやEとは生活を共にしていないこと、昭和一四年には、F及びGとの養子縁組届が提出されていること(前記1(三))が認められるのに対し、原告は、戸籍上の父母E及びDと共に生活していたこと(前記1(四))を考慮すると、原告と被告とを比較した場合、原告よりも、被告のほうが、E又はDの子ではない可能性が高いといわなければならない。
(三) そして、さらに、右(二)に掲げた事実関係に、前記3の鑑定の結果と前記1(二)で認定した近所の者の認識をも考慮すると、被告とFとの間に母子関係が存在し、Dと被告との間には母子関係が存在しない可能性が高いというべきである。
(四) 他方、被告とEとの間には、戸籍の事実上の推定力を覆して、父子関係が認められないとするだけの証拠はない。
(五) 以上の検討によれば、被告とDの間に母子関係はなく、被告はFの子であると認められ、他方、被告とEとの間の父子関係を否定するだけの証拠はない。
二 争点2(養子縁組成立の有無)について
被告の主張は、独自の見解であって、被告とDとの間に養親子関係の成立を認めることはできない(最高裁昭和五〇年四月八日第三小法廷判決・民集二九巻四号四〇一ページ参照)。
三 争点3(権利濫用(禁反言の法理違反)の有無)について
1 証拠(甲四、九、乙一、二の1、2、三の1、2、四ないし六、原告本人、被告本人)によれば、以下の事実が認められる。
(一) Dは、昭和四二年一二月に、所有していた田を売り、別の田を買ったが、D死亡後の昭和五〇年ころに、原告と鳥栖市との間で、その田の一部について交換契約を締結した。ところが、その後、昭和六〇年ころに、その旨の登記手続を行おうとしたところ、戸籍上、被告がDの子とされていることが問題となった。
(二) そこで、原告の夫Lらは、昭和六二年ころから、被告に対し、土地の所有権移転登記手続に協力してくれるように要請し、Lはカナダの被告のもとを訪問したが、交渉は進展しなかった。その後、昭和六三年には、原告側から被告に対し、一〇〇万円程度の金銭を支払うとの提案をしたが、被告からの回答はなかった。
(三) 平成六年には、原告側から、被告に対し、Dの遺産に関して、五〇〇万円を支払うという提案をし、原告の子石井渇志が、五〇〇万円を持参して被告方を訪問したり、あるいは、平成七年には、石井渇志から、被告に対し、土地の売却代金を折半する案なども提示されたが、結局、話合いによる解決はできなかった。
2 なお、被告は、Lから、Zの墓を移すのに被告の印鑑が必要であるという趣旨の手紙が来た旨の供述をし、同旨を陳述書(乙一)に記載しているが、右の手紙が、Lが被告を欺くために出されたものであると認めるに足る証拠はない。
3 そして、右1の事実によれば、原告側においては、本件訴訟提起までに、被告との間で、話合いによる解決をするために、被告をDの相続人として扱う態度を示していたとも考えられる。
4 しかし、他方で、原告の承認のもと、原告名義でLが作成した昭和六三年の手紙(乙二の2)には、「此の事は承知の事と思う姉妹では有りません、が現在の戸籍謄本は姉妹になって居ります」との指摘もしている。そのため、原告側が被告に対し一定の金銭を支払う旨の提案をしたのは、戸籍上被告がDの子とされているため、登記手続に協力をしてもらう必要上行ったものにすぎず、被告について真にDの子であると認めた上での行動であったとは解し難い。
5 したがって、訴訟前の話合いによる解決ができなかった場合に、やむなく本件訴訟を提起したからといって、原告の本件訴訟の提起が権利濫用(禁反言の法理違反)になるということはできない。
四 結論
以上によれば、原告の請求のうち、Dと被告との間に母子関係がないことの確認を求める部分は理由があるから、その限度で認容し、その余の請求は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法六一条、六四条本文を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 都築政則)