東京地方裁判所 平成10年(ワ)13504号 判決
原告 山田政範
右訴訟代理人弁護士 斎藤勝
被告 株式会社竹中道路
右代表者代表取締役 新諭吉
右訴訟代理人弁護士 池部敬三郎
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
一 被告は、原告に対し、八〇〇〇万円を支払え。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
三 仮執行宣言
第二事案の概要
一 事案の要旨
本件は、被告が設置した現場工事事務所及び宿舎を使用して被告の下請工事に従事していた原告が、右宿舎で常時飲用していた井戸水が原因でギランバレー症候群に罹患し、入院治療を余儀なくされたうえ、神経系統の後遺障害により終身就労不能になったとし、右井戸の清掃を行わなかった被告には、労務提供の物的、人的環境の危険を防止すべき安全配慮義務違反があったと主張し、被告に対し、請負契約の債務不履行に基づく損害賠償として、治療費、逸失利益、慰謝料等の合計一億四三五五万二四二五円の内金八〇〇〇万円の支払を求めた事案である。
二 前提となる事実
1 原告は、土木建築工事の請負等を業とする有限会社山田工業所(以下「山田工業所」という。)の代表取締役であり、被告は、土木建築工事の請負等を業とする株式会社である。
2 被告は、昭和五八年一一月一日、千葉県柏市正蓮寺字内山四〇六番地所在の農地六六〇平方メートルを借り受け、同地上に千葉工事事務所棟(以下「本件事務所棟」という。)及び労務宿泊棟(以下「本件宿泊棟」という。)を建設した(以下、あわせて「本件建物」という。)。その際、被告は、隣地の石油スタンドの井戸水を供給してもらうこととし(以下「本件井戸水」という。)、敷地内に設置した受水槽を通じて本件建物に水道管で配水するよう設備を整えた(乙六)。
3 被告は、平成二年三月ころ、山田工業所に舗装工事を下請発注し、同年五月ころから、原告の両親である山田政一、山田かな江を含む山田工業所の作業員が本件宿泊棟において宿泊するようになった。なお、被告は、同年一〇月四日、山田工業所との間で工事請負基本契約を締結し、平成三年一一月ころ、本件宿泊棟を山田工業所専用に無償で貸与した。原告は、他の作業員らとともに本件建物を使用し、滞在時には本件井戸水を飲用していた。また、本件事務所棟では被告の従業員も常時勤務しており、同様に本件井戸水を飲用していた(乙一六、一七)。
4 原告は、平成四年一月二五日、感冒様症状と口唇のしびれ感、講音障害等を訴えて田中農協病院を受診し、同病院の紹介で東京慈恵会医科大学附属柏病院(以下「柏病院」という。)を受診した結果、ギランバレー症候群(医師推定)と診断され、同月二九日から同年三月三日まで入院治療を受けた(甲三)。
原告は、さらに、平成五年一一月二五日に東京慈恵会医科大学附属第三病院で経鼻的下垂体腺腫摘出手術を受け、その前後に入院治療を受けた(甲六)。
5 千葉県柏保健所は、平成四年三月一六日及び同年五月二八日にそれぞれ本件井戸水の水質検査を行ったところ、一回目は異常なしであり、二回目では鉄と色度が水質基準に不適合であったが、その他の水質基準には適合していた。
三 争点
1 原告の罹患と本件井戸水との間の因果関係の有無
(一) 原告の主張
(1) 原告は、平成二年一〇月四日から平成七年五月まで、山田工業所の作業員らとともに本件宿泊棟に居住して、被告の下請工事に従事した。
(2) 原告は、本件宿泊棟に設置された配水設備を利用して、本件井戸水を常時飲用していたため、平成四年一月二四日、喉の痛みや、口から赤黒色のぬるぬるした異物が出てくる等の身体の異常を感じ、翌二五日には、唇、両手、両足が麻痺し、言語障害の症状が出た。そこで、原告は、同日、田中農協病院を受診し、同月二九日、柏病院に入院した。
(3) 原告は、柏病院において、同年二月二一日、血液検査を担当した医師から、「血液が汚れている。普通の汚れと違う。いろいろな酵素が高い。水道の水を飲んでいると、水道の消毒の反応が出るはずだが、全く出ない。」と言われ、本件井戸水を飲んだことを話したところ、右医師は、原告に対して、保健所に本件井戸水の検査を依頼して、その結果書と牛乳瓶一本の井戸水を持参することを指示し、原告の病気は九五パーセント程度本件井戸水が原因であると説明した。
(4) 以上のとおり、原告の病気は本件井戸水が原因であることは、柏病院の医師も推測していたが、被告が井戸を清掃してしまったため、本件井戸水の検査によってこれを明らかにすることができなくなってしまった。柏病院の医師は、右清掃がなされたことの報告を受け、原告に対し、農薬散布の時期に、再度、本件井戸水の検査を保健所に依頼するように指示しており、右医師は、ギランバレー症候群の原因の一つである農薬が、本件井戸水に混入しているか否かを検査することを意図していたものである。
また、右井戸は、何年も清掃されていなかったため、右清掃がなされたときには、底にヘドロが溜まっていた。さらに、本件井戸水を飲用していた原告の両親や従業員も、原告と同様の神経障害から原告と同じ薬を服用するようになった。
(5) 以上の事情からすると、原告の病気の原因は、本件井戸水であったものであり、原告の病気と本件井戸水との間に因果関係がある。
(二) 被告の反論
(1) 本件井戸水は、昭和五八年当時、前記受水槽から除鉄、減菌装置を通過して本件建物に水道管で配水されるようになっていたが、昭和六二年二月、受水槽を一・五トンの容量のものに交換するとともに、除鉄、減菌、ろ過装置を新たに設置した。
本件井戸水は、被告の従業員も飲料水として利用しており、特に昭和六二年から平成二年一月までの間、本件事務所棟に三名の宿泊者がおり、同人らは、本件井戸水を常時飲用していた。その他、来客や、前記石油スタンドの関係者も含めると多数の利用者がいるが、原告以外に、本件井戸水が原因で罹患したと称する者は存在しない。
(2) したがって、原告の罹患と本件井戸水との間に因果関係は存在しない。
2 被告の安全配慮義務違反の有無
3 損害の有無、損害額
第三当裁判所の判断
一 争点1について
1 原告の主張に沿う証拠として、原告本人尋問の結果及び原告の陳述書(甲一〇)がある。これらは、「原告は、平成二年に被告の下請工事に従事するようになった時期以降、週末を除き、月曜日から金曜日まで本件建物に宿泊し、本件井戸水を飲料水として利用していた。原告が本件症状により初めて病院を受診する前日の午後四時ころに本件井戸水を事務所一階の流しで飲んだところ、ぬるぬるしたものが口の中に残った。柏病院の検査担当医師が、原告の罹患の原因は九五パーセント井戸水であるから、被告に断って保健所に検査してもらってその結果を持ってくるようにと原告に指示し、その後、一回目の水質検査の前に被告が受水槽を清掃したことを聞き、被告の対応を怒って、農薬散布の時期にもう一度保健所の井戸水検査を受けるよう原告に指示した。」というものである。
2 しかしながら、原告本人尋問の結果及び原告の陳述書は、次のとおり、不自然、不合理な内容や相矛盾する内容を含んでおり、これを信用することはできないものといわざるを得ない。
すなわち、第一に、原告は、その本人尋問において、医師との間で病気の原因について話をした後に、見舞いに来た被告の社員から聞いて、初めて本件建物の水が水道水ではなく井戸水であることを知ったというなど、原告が本件井戸水のことを知った経緯や医師との会話で本件井戸水が取り上げられたという状況について、相互に矛盾する内容の供述をしている。
第二に、<1>医師が、原告が供述するように本件井戸水が原因であると推測したならば、直ちに本件井戸水の提出を原告の家族に求めるなどして成分を検査し、検査結果が明らかになるまで原告の家族等が本件井戸水を使用しないよう忠告するなどの対応をとるのが通常と考えられるが、本件ではそのような対応がとられたと認めるに足りる証拠はなく、むしろ、前記第二、二、5のとおり、実際に水質検査が行われたのは原告が退院した後であるし、<2>医師が、一回目の検査結果を待たずに、被告が受水槽を清掃したと聞いただけで怒るほど、本件井戸水が原告の症状の原因であると疑っていたならば、数か月先の再検査を勧めてその間漫然と放置するとは考えられず、これらの点は極めて不自然である。
第三に、原告自身、医師から本件井戸水が原因であると聞いたというなら、まだ本件建物を利用している原告の親族や作業員に対して本件井戸水の使用をやめるよう注意するのが自然であるが、原告がそのような対応をした形跡はなく、この点においても不合理というほかない。
さらに、甲三によれば、柏病院の医師芝田貴裕作成の入院証明書(診断書)には、原告の「ギランバレー症候群(医師推定)」の原因は「不詳」と記載されているだけで、本件井戸水が原因であることを窺わせる記載はないことが認められ、その他、本件井戸水の検査を指示した旨を記載した診療録等の客観的証拠は何ら存在しないのである。
3 次に、原告の両親と兄及び山田工業所の元社員一名の計四名が本件井戸水を飲用して原告と同様の症状が出たという内容の同人ら作成の報告書(甲七の一ないし四)がある。
しかし、唯一原告の親族ではない元社員は、単に「手足のしびれがあって薬を塗った」というだけで、そのような症状が出た時期、程度等何ら具体的な記載がない(甲七の四)し、他の三名は原告の親族であって、第三者と比較して類型的に証拠価値が高いものとはみられないものである上、「病院で診察を受けた」旨の記載はあるが、病名や原因は不明とされており(甲七の一ないし三)、いずれも本件井戸水との関連を認めることは困難である。かえって、前記第二、二、2及び3で認定したとおり、本件井戸水は昭和五八年以降利用されており、本件に至るまで、原告とその親族以外にも、山田製作所や被告の関係者が本件建物で本件井戸水を飲用していたのであるが、それにもかかわらず、何らかの健康被害が発生したことは全く窺われないことからすると、本件井戸水が原因で健康を害したとの右各報告書の記載は信用することができず、他に右事実を認めるに足る証拠はない。
4 したがって、ギランバレー症候群は農薬等が原因とされていること等本件で原告が主張する全ての点を考慮しても、原告の罹患と本件井戸水との因果関係を認めるには足りない。
5 なお、保健所による本件井戸水の水質検査の結果、原告の罹患につながるような異常は認められなかったことについて、原告は、原告の母から本件井戸水の水質検査を行いたいとの申入れを受けた被告が、平成四年三月一六日の一回目の採取の前に受水槽を清掃して証拠隠滅を図ったとして、因果関係の医学的証明が十分でないとしても、その証明の可能性を意図的に奪った被告は、原告の罹患の責任を信義則上免れないと主張し、被告も水質検査の前に受水槽を清掃したことは認めている。しかしながら、本件において、受水槽を清掃したことをもって原告主張のような証拠隠滅の意図があったと評価するに足りる事情は認めることができないから、原告の主張は前提を欠くものであって、採用することができない。
二 結論
以上のように、原告の罹患と本件井戸水との因果関係を認めることができないのであるから、右因果関係の存在を前提とする原告の本訴請求は、争点2及び3につき判断するまでもなく理由がないことが明らかである。よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 加藤新太郎 裁判官 片山憲一 裁判官 澤田久文)