東京地方裁判所 平成10年(ワ)1705号 判決 2002年3月29日
原告
栁下孝夫
訴訟代理人弁護士
金井克仁
同
穂積剛
被告
全国信用不動産株式会社
代表者代表取締役
近藤敏雄
訴訟代理人弁護士
秋山昭八
第1事件訴訟復代理人兼第2事件訴訟代理人弁護士
泉義孝
主文
1 被告は,原告に対し,金961万1756円及び内金200万0896円に対する平成10年2月19日から,内金761万0860円に対する平成13年11月20日から,各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告のその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用はこれを2分し,その1を原告の負担とし,その余は被告の負担とする。
4 本判決は,第1項に限り仮に執行することができる。
事実及び理由
第1請求
被告は,原告に対し,金1869万6848円及び内金397万8912円に対する平成10年2月19日から,内金1471万7936円に対する平成13年11月20日から,各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2事案の概要
本件は,被告の従業員であった原告が,被告に在籍した当時満55歳に到達した際に,変更された就業規則に基づいてその給与等が低減されたが,この就業規則の変更は無効であるとして,被告に対し,本来得られるべきであった給与等と実際に受領した給与等の差額の支払を請求する事案である。
1 前提となる事実(当事者間に争いがないか,証拠によって容易に認められる事実。証拠番号等はかっこ内に摘示する。)
(1) 当事者等
被告は,昭和35年8月16日に設立された株式会社であり,信用金庫の事業用不動産の取得等を主たる業務とする。被告は,肩書地に本店を,全国に11の支店を有しており,平成13年10月末日現在その資本金は5000万円,役員を除いた従業員数は19名である。
原告は,昭和39年4月に被告に入社し,平成14年1月1日に満60歳に達し,被告を定年により退職した。
(2) 就業規則等の変更
被告は,平成5年3月31日,就業規則等を改定し,55歳到達者の処遇について定め,これを同年4月1日から実施した(以下「本件就業規則等変更」という。)。
すなわち,改定前の就業規則30条では,「社員の給与に関しては,別に定める給与規程及び退職給与規程による。」とし,これに対応する給与規程2条では,給与の種類として(ア)基本給,(イ)諸手当,(ウ)賞与金,(エ)休職給に分類され,(ア)には,本俸,特別手当,役職手当が含まれる旨定められており,さらに,同16条では,本俸について「別表(1)の基本給表の(本俸)に基づいて定める。」旨定められていた。本件就業規則等変更においては,別表部分にこの別表(1)を存置させたまま,55歳到達者の給与に関する別表(1)の2「55歳到達者の給与表(本俸)」を付け加えるという改定方法が採られた(別表(1)及び同(1)の2の具体的な記載は,別紙1<72頁に掲載>のとおり。それぞれ以下単に「別表(1)」及び「別表(1)の2」という。)。
(3) 原告の処遇等
ア 満55歳到達等
原告は,平成9年1月1日に満55歳に到達した。被告は,同月14日,原告に対し,55歳以降の給与を別表(1)の2のランクC・クラス3に位置付けて,同年2月からこれに応じた給与を支給する旨通告した。
イ 月例給与について
原告の同年1月分までの月例給与は51万0758円(その内訳は,本俸26万6500円(別表(1)「基本給表」の4級282号俸),特別手当22万3258円(同「基本給表」の4級の特別手当の17万1800円に昇給等の調整がされて加算された額),扶養手当1万円,住宅手当6000円及び食事手当5000円である。)であったが,上記アの通告の内容に従い,同年2月分の月例給与は34万4850円となった。その内訳は,本俸は32万3850円(別表(1)の2「55歳到達者の給与表(本俸)」のランクC・クラス3)と増額になったが,特別手当の支給がなくなったというものであった。同年3月分以降平成13年10月分までについても,その月例給与は終始同じく34万4850円であった(別紙2<73頁に掲載>「55歳到達後」欄記載のとおり)。
なお,被告においては,平成9年2月から平成13年10月までの間,55歳未満の従業員に対しては毎年4月に定期昇給(以下「定昇」という。)が行われたが,原告に対してはこれが行われなかった。
ウ 賞与について
平成9年夏期賞与は,55歳到達者以外の従業員に対しては,本俸,特別手当,役職手当及び扶養手当の合計額(以下「賞与基礎額」という。)に2.73を乗じた金額が支給されたが,55歳到達者である原告に対しては,55歳到達者であることを理由にこの乗率が1.4とされ,さらに人事考課査定を理由にここから0.05を減じられ,結局乗率1.35として算出されて,45万0698円が支給された(賞与基礎額は33万3850円)。
同年年末賞与は,55歳到達者以外の従業員に対しては,賞与基礎額に3.25を乗じた金額が支給されたが,原告に対しては,上記1.4から人事考課査定により0.06を減じた乗率1.34として算出されて,44万7359円が支給された。
平成10年ないし平成13年の各夏期の各賞与は,55歳到達者以外の従業員に対して2.73をその乗率として支給され,平成10年ないし平成12年の各年末の各賞与は,同じく55歳到達者以外の従業員に対して3.20をその乗率として支給された。一方,原告に対しては,平成10年夏期及び年末の各賞与は,上記同様1.34を乗率とする44万7359円が支給され,平成11年夏期及び年末,平成12年夏期及び年末並びに平成13年夏期の各賞与は,いずれも46万4052円(33万3850円に,各年年間の乗率2.78を乗じたものの半額)が支給された(以上の原告に対する支給状況につき,別紙2「55歳到達後」欄各「臨給」のとおり)。
(<証拠略>)
(4) 給与規程の定め
本件に関連する給与規程の定めは,上記(2)のほか,次のとおりである。
4条(計算期間) 給与の計算期間は,毎月1日から末日までとする。(以下略)
5条(支給時期及び場所) 給与は毎月15日に当社の事務所において支給する。
20条(昇給資格者) 昇給資格者は,その昇給期にすでに6カ月以上勤続在籍している55才(ママ)未満の者とする。ただし,6カ月未満の者でも勤務成績の良好な者はこの限りではない。
22条(特別手当の支給) 前節に定めのない給与を支給する必要が生じたときは特別手当を支給する。
2 特別手当を支給するにあたっては,別表(1)の基本給表の(特別手当)に基づいて社長が支給額を定める。
40条(賞与金の支給) 社員に対して毎年6月,12月の2回賞与金を支給することができる。
41条(賞与金の算定) 賞与金の額は,収益状況を勘案のうえ,社員の勤務成績に応じて算定する。
42条(賞与の保留) 懲戒処分を受けた者または著しく不都合のあった者に対しては,賞与金を減額または支給しないことがある。
2 争点
本件就業規則等変更の有効性
3 当事者の主張
(原告の主張・請求原因)
原告が55歳に到達した後である平成9年2月分から平成13年10月分までの間(以下「本件請求期間」という。)の月例給与及び賞与について,本件就業規則等変更を理由として減額がされたが,本件就業規則等変更は無効であるから,原告は被告に対し,原告に本来得られるべき月例給与及び賞与との差額を請求することができる。
本件請求期間中での本来得られるべき月例給与及び賞与の額は,別紙2の「従来どおり」欄記載のとおりである。なお,同欄において,各年4月の「月例給」はいずれもその前月から1000円増額されているが,これは,定昇を理由とするものであり,本件就業規則等変更がなければ本来少なくとも1000円は増額となったとの趣旨である。また,同欄の「臨給」については,上記第2の1(3)ウ記載の55歳到達者以外の従業員に対する支給率を原告に当てはめて算出した金額との趣旨である。
よって,原告は被告に対し,<1>平成9年2月から平成10年1月までの月例給与及び賞与の差額給与として,別紙2(1)「差額計」欄の金額の内金397万8912円及び<2>平成10年2月から平成13年10月までの月例給与及び賞与として,別紙2(2)「差額計」欄の合計金1471万7936円,並びに遅延損害金として,<3><1>に対する最終支払期日の後(第1事件訴状送達の日の翌日)である平成10年2月19日から,<4><2>に対する最終支払期日の後(第2事件訴状送達の日の翌日)である平成13年11月20日から,各支払済みまで民法所定の年5分の割合による金員の支払を求める。
(被告の主張)
(1) 本件就業規則等変更の必要性
被告において就業規則等の変更(本件就業規則等変更)が検討された平成5年以降,被告では,経常利益,営業収益ともに相当の割合で減少し,その維持・上昇を図る必要があると考えられており,したがって,人件費をできるだけ削減する必要性があった。また,我が国社会における高齢化の進展に伴い,40歳以上の中高年齢従業員の増加が見込まれ,人件費の増加も重大な問題となっていたが,被告においても,本件就業規則等変更により新制度が施行された当時において,人件費の削減,とりわけ55歳時年度以降の高齢者の人件費を削減する必要性があった。
したがって,平成5年の本件就業規則等変更は,被告にとって高度の経営上の必要性があった。
(2) 本件就業規則等変更により被る55歳時年度以降の従業員の不利益の程度
ア 1年平均の本給額(平均年収)は,54歳時年度の本給額を100とした場合,本件就業規則等変更により68となる。しかし,60歳定年が導入されなければ55歳時年度以降は雇用の維持がなくなり,以後給与所得は0となるのであって,60歳定年制の導入により55歳以降の給与所得が従前に比較して減少したとしても,その分大幅に代償されているといわなければならない。
被告が60歳定年を導入したのは,後記(4)アのとおり,原告主張の昭和50年7月1日ではなく,昭和58年8月1日であり,また,被告は,同年3月10日付けをもって,55歳以降の待遇等については,本人の能力及び健康状態等により社長が決定する旨決定し,平成5年4月1日付けをもってこれを規定化したのであるから,本件就業規則等変更における基盤は,定年延長による雇用の維持をその代償措置とするという点にあるということができる。被告が,これに先立つ平成5年1月13日及び同年3月31日に,従業員に対し,就業規則等の変更内容について詳細に説明したことにも照らせば,本件就業規則等変更は定年制の延長と一体となった措置ではないなどとする原告の主張は失当である。
イ 原告は,本件就業規則等変更において,従前の特別手当が廃止された結果著しい不利益が生じた旨主張するが,別表(1)の2の本俸中には,54歳までの本俸(初号俸)と特別手当の合計分が組み込まれているのであるから,原告の指摘は当たらない。
(3) その他,本件就業規則等変更の合理性
本件就業規則等変更後の規則等は,被告の関連業界である多くの信用金庫が55歳到達者に対する不利益変更をしている例(<証拠略>)に沿うものであり,格別不合理なものではない。
(4) 個別の争点について
ア 60歳定年制の導入時期
被告は,昭和58年3月10日付けをもって,55歳以降の待遇等については本人の能力及び健康状態等により社長が決定する旨決定し(乙5),これを盛り込んだ昭和58年8月1日付けの就業規則(乙4の3)を労働基準監督署(以下「労基署」という。)に届け出て,さらに,平成5年4月1日付けをもってこれを規定化したのである(乙6の3)から,60歳定年制が導入されたのは昭和58年8月1日である。
乙第8号証の2によれば,昭和50年6月24日,総務課長であった岡本謙二(以下「岡本」という。)が就業規則の一部改正について同年7月1日付け施行の稟議書を起案したが,当時の柏木社長は昭和51年4月1日施行の意見を付して差し戻していることが認められる。昭和50年当時,中央機関及び信用金庫業界ではいまだ60歳定年を導入していない時期であり,そのような時期に60歳定年制を導入する特別の理由もなく,当面該当者もいない時期に60歳定年を導入する必要もないため,上記稟議書に係る改正は保留になったことが認められるのである。
乙第8号証の1の就業規則(案)は,岡本総務課長がほしいままに朱字で50条(停年)の55歳を60歳と記載しこれを配布して,一部従業員に出回ったものにすぎず,もとよりこれを労基署に対して届け出た事実もない。
なお,原告は,その本人尋問において,この当時総務係長であったのに乙第8号証の2を見たことがない旨供述するが,これは,同号証が保留になって係長であった原告に指示がなかったためであり,上記の点を裏付けるものである。
被告においては,就業規則の改正のような事項の決裁に当たっては,決裁議事録に,伺番号,摘要(就業規則の改正等),決裁日が記載され,受領印が押され,これに基づき,担当部門がその手順を処理するというルールとなっている。乙第4号証の1(昭和58年8月1日定年制導入)及び乙第36号証においては,明確に伺番号,摘要,決裁日等が記載されているが,乙第8号証の2(昭和50年7月1日定年制導入)については,一切その記載がない。このことに徴しても,昭和50年7月1日定年制導入の就業規則改正が保留されたことは明らかである。
乙第24号証の1によれば,従前就業規則の改正(<証拠略>)について取締役会において決議をしていることが認められるが,原告主張に係る昭和50年7月1日の60歳定年制導入については,その直前である昭和50年5月27日(<証拠略>)及び直後である同年10月29日(<証拠略>)に,取締役会において一切の決議がないことが認められ,したがって,このことからも,昭和50年7月の60歳定年制について就業規則の改正がなかったことが明らかである。就業規則の改正は取締役会の決議事項ではなかった等とする岡本陳述書(<証拠略>)の陳述記述は,上記に照らし虚偽である。
以上のとおり,昭和50年7月1日の就業規則改正は被告が正式に決定したものではなく,60歳定年の導入は昭和58年8月1日であることが明らかである。
イ 55歳以降の処遇の効力について
上記のとおり,60歳定年導入に伴い55歳以降の処遇については本人の能力及び健康状態等により社長が決定する旨定められた結果,岡本,浅島博(以下「浅島」という。)らの定昇が基準より50ないし60パーセント低減し,そのベースアップについても40ないし50パーセント低減したが(<証拠略>),証人植草昭(以下「植草」という。)はこのことを知っていた旨証言する。そして,乙第27号証のとおり,原告もこのことを承知していたことが認められること,平成5年1月13日に開催された新制度導入についての社員説明会において,原告自身が,給与の低減は給与規程を改正せず規定の運用で可能である旨発言している(<証拠略>)ことも併せ考えれば,これらのことについて知らなかった旨の原告本人の供述は措信できない。
したがって,60歳定年制導入の際,55歳以降の従業員の労働条件について「従前のまま」あるいは「55歳までの従業員と同額」等と決定した事実は一切ない。また,昭和58年8月1日の給与減額に関する基準が具体的でないからといって,そのことから直ちに55歳以降の処遇について従前どおりの処遇とすることにはならないことはいうまでもない。
かえって,被告は,昭和58年8月1日60歳定年制を導入するに当たり,同年3月10日,満55歳以降の待遇について,従前の労働条件とは異なり,「本人の能力および健康状態等により社長が決定する」旨の基準を決定し,55歳に到達する者の処遇について給与低減を前提とする基準を決定し示達したが,その後平成5年4月1日に至りこれを具体化し,別表(1)の2を改正し従業員全員に示達したこと,すなわち,昭和58年8月1日に60歳定年制を導入した際,55歳到達者の労働条件の低減措置について当初は裁量的基準を定められ,後にそのことが周知されていたことが認められ,全従業員に対し法的拘束力を有するに至ったというべきである。昭和58及び昭和59年度中に55歳に到達する岡本,浅島の処遇については,以上に述べたとおり裁量的に対応することとし,両名が当時本部長職として中心的地位を占めていたのである。したがって,岡本,浅島を除くその他の一般従業員についても,両名に対する処遇と同様の処遇がされる運用が慣習化していたなどといった事実は一切ない。
60歳定年制が導入された昭和58年当時,多くの企業において60歳定年制導入と同時に55歳以降の労働条件が低減することとされていたから,被告の従業員間においても同様の認識が一般的であったということができる。55歳以後も従前どおりの処遇で勤務し続けることに「合理的な期待」があったなどとする原告の主張は,およそ社会の実態と掛け離れた空論である。しかも,証人岡本は,同人が稟議書(乙5)の作成に直接関与し,これに基づく被告の決定事項を従業員に対して示達したことを認めているのであるから,原告の上記主張は失当である。
ウ 原告の具体的処遇
被告は,原告に55歳以降の処遇に係る定めが適用となる1か月前(平成9年1月14日)に,原告に対し,4級はランクCに当たり,クラスは普通の3となる旨説明した。また,賞与については,乙第32号証のとおり従業員に対し毎回通知していたから,従業員全員がこれを承知していた。
なお,原告は従前役席者として7級に格付けされていたが,身体上の不自由があることから自ら役席離脱を希望したため,役席でない従業員の最高級として4級の282号俸に格付けて,従前の本俸を低下させない措置を執ったが,今次改正による別表(1)の2に移行するに際し,ランクCのクラス3(勤務成績,能力,健康状態を考慮した中間クラス)に格付けしたものである。
エ 被告の経営状況等について
被告における経営状況悪化と合理化案について,原告は被告の経常利益の低下は役員報酬の増加によるなどと主張する。しかし,営業収入は,平成6年に27億円あったところが,平成7年には22億円となり,約5億円の収入減となっているから,これにより経常利益が減少したことは明らかであり,原告の上記主張は全く理由がない。その後も営業収入は減少しており,その原因が規制緩和による不動産業務の減少と低金利による保険業務の減少にあることも明らかである。
被告は,かかる状況を見通した上で,従業員数を,平成4年度末の23名から平成12年度末の18名へと減少させ,本社においても,平成5年の10名から平成13年の7名へと減少させた。また,平成12年には京都支店を,平成13年には高松支店を廃止するなどのリストラに努め,他方本件就業規則等変更により,ようやく経常黒字となり会社の信用を維持しているところである。
原告は,被告の特別積立金が総額7億円に達している以上,本件就業規則等変更は不要であるなどと主張する。しかし,積立金の取崩しについては株主総会の決議を要し,人件費の補てんを理由とする積立金の取崩しについて株主の承認を得ることは不可能である上,積立金を取り崩して赤字を補てんすることは,取引先の信用を失い営業上重大な支障を生ずる恐れがある。したがって,積立金があることを理由に本件就業規則等変更が必要性を欠き違法とされる理由は全くない。
オ 給与規定等検討委員会について
原告は,給与規定等検討委員会の存在について被告が承知していた旨主張するが,実際には,被告はこのことを承知しておらず,同委員会は一部従業員によるものである。このことは,浅島総務課長がメンバーに入っていないこと,グラフ作成者である植草は,その根拠となるデータの入手について明確な証言ができなかったこと,植草は総務課長を外れて6年を(ママ)経っていたこと,植草自身,同委員会は2,3回やって流れ解散したにすぎないなどと証言していること,同委員会の検討結果が被告に対して一切報告されていなかったこと等によっても裏付けられる。
カ プロパー社員に対する不利益処遇について
原告は,会計の変更による混乱をプロパー社員のせいにして始末書を書かせるなど,被告がプロパー社員に対して不利益取扱いをしている旨主張するが,始末書を提出したのは,本部長である神谷茂雄(以下「神谷」という。),総務課長である滝沢兼光(以下「滝沢」という。),共同調整課長である田荷金次郎(以下「田荷」という。),共同調整係長である木村詔次(以下「木村」という。)であり,原告がいうプロパー社員は木村のみであるから,原告の主張は失当である。また,平成6年2月に田荷共同調整課長が一般職に降職となっているが,同人はプロパー社員ではないから,この件で降格人事があったとの原告の指摘も失当である。
木村共同調整係長が係長待遇になった(平成5年10月8日)ことについては,同人が(証拠略)のとおりの不手際を重ねた結果であり,もとよりプロパー社員であるが故ではない。
キ 原告の課長職辞退について
原告は難聴を理由に自ら課長職を辞退したい旨願い出たものであって,被告が辞退を強制したなどの事実は一切ない。被告は,原告から平成4年8月13日付け診断書(<証拠略>)が提出された後,同月26日滝沢総務課長が医師に面談して確認するなど,慎重を期して対応し,むしろ調査役への就任等を提案したが,原告が自ら身体が大事である旨主張してこの提案を拒絶した。
なお,被告は,原告に対し,本俸は現行の水準とし,特別手当は4級,年収は900万円余で木村係長を上回り,4級の岡林と比しても200万円余高く,世間相場から見ても高い水準であると説明し,これに対する原告の了承も得たため,平成4年9月3日,原告に対して辞令(<証拠略>)を交付したものである。
ク 団交拒否について
単組との団体交渉は21回行っているが,単組から,本件就業規則等変更については一度も議題にされることはなかった。
また,上部団体との交渉は,被告は,その交渉事項が,ATMの管理など特段上部団体特有のものではないことから,二重交渉を理由に交渉を拒否したのであって,不当労働行為と非難される筋合いはない。
(5) 被告の主張のまとめ
以上のほか,近時の厳しい経済環境及び雇用情勢,新制度下における55歳時年度以降の従業員の給与水準,原告及び木村を除くその余の従業員全員が新制度に反対していない経緯等の諸事情を考慮すれば,本件においては,被告が本件就業規則等の変更を行うについて高度の経営上の必要性が認められ,かつ,変更後の就業規則等そのものに格別不合理な点はなく,その不利益を労働者に法的に受忍させることを許容することができる法的規範性を是認することができ,結局本件就業規則等変更が高度の必要性に基づいた合理的な内容のものであるということができるから,同変更に同意しない原告に対し,その有効性を主張することができるというべきである。
なお,月例給与のうちの特別手当が55歳到達者に対して支給されないのは,本件就業規則等変更により,55歳到達者の給与についてはそれ以外の者の給与についての給与体系と全く異なるものとして,特別手当を本俸に吸収し,その分本俸を大幅に増額したのであるから,55歳到達者に特別手当が支給されないのは当然である。
賞与支給額については,平成5年12月以降の通達により従業員に周知しており,原告もこの点について十分理解していたのであるから,55歳到達者に対する賞与減額の不当性をいう原告の主張は失当である。賞与の支給に当たって不当な人事考課がされた旨の原告の主張は争う。
(原告の反論等)
(1) 原告の処遇(労働条件の切下げ)
ア 本件就業規則等変更により切り下げられた原告の労働条件の具体的内容は,原告が55歳に到達したことを理由に,<1>従前原告に支給されていた特別手当を支給せず,<2>賞与を大幅に減額するという方法により,従前の給与を3割ないし4割も減額するというものである。
イ すなわち,<1>については,原告が55歳になり,「55歳到達者の待遇」制度が適用された直後の平成9年1月14日,被告の取締役畑俊夫(以下「畑」という。)に呼び出され,突如「来月の月給から別表(1)の2のCに当てはめて支給する。」と言い渡された。これに対し原告は「具体的にいくらになるのか」と質問したが,畑取締役の回答は「自分で規定をみてくれ」というものにすぎなかった。その後の同年2月分給与から,上記1(3)イのとおり,原告は大幅に給与を減額され,著しい損害を被った。別紙2のとおり,平成9年2月分から平成10年1月分までの給与は毎月16万5908円も減額となったのであり,これは月額の手取りとしては約18万円に相当する。
ウ また,<2>については,被告の給与規程40条は,「社員に対して毎年6月,12月の2回賞与金を支給することができる」と定めているところが,被告は就業規則及び給与規程などに何一つ根拠がないにもかかわらず,55歳到達者に対する賞与の支給月数を一方的に削減する措置を行い,これを原告の退職まで継続した。
平成6年及び平成7年には夏期賞与3.0か月,冬期賞与3.45か月の年間6.45か月が支給基準とされ,平成8年には夏期賞与2.73か月,冬期賞与3.25か月の年間5.98か月が支給基準とされており,原告が55歳に到達した平成9年も,夏期賞与が2.73か月,冬期賞与が3.25か月の年間5.98か月であり,翌平成10年から平成13年においては,冬期賞与が3.20か月に減額されているので,年間最低でも5.93か月が基準支給額として一貫して支払われてきている。ところが原告に対して支払われたのは,上記1(3)ウの程度にすぎず,しかも,被告は,乙第32号証の書面(賞与支給に関する通達)だけを根拠にしているのである。
賞与の水準について,最低でも年間5.93か月が支給されることについて労使間の合意があったものということができるから,就業規則にも給与規程にも何らの根拠もなく行われた55歳到達者に対する賞与支給月数の削減は,上記支給水準に照らして一方的に不利益に変更されたものである。
エ 上記のような仕組にある「55歳到達者の待遇」制度により,原告は在任中の給与だけでも2000万円以上の損害を被った。しかも,退職金が78万円減じられ,将来の年金額についても,原告が平均余命まで生存するとして,合計400万円という大きな不利益を被っている。さらには,雇用保険の受給差額も多額に上ることは明らかである。
本件の「労働条件の切下げ」により原告が被る損害額は,これらだけを計算しても,実に2500万円もの膨大な金額となる。
原告は従前,毎月額面51万円ほどの給与を受領していたところが,55歳に到達した途端に,手取りが18万円という信じ難い減額をされた。経験を積み業務に精通している原告に対する給与が,大卒直後の新入社員と同レベルにされたのであって,余りにも非常識な不利益取扱いである。
(2) 本件就業規則等変更の不透明さ
ア 本件就業規則等変更については,どのように制度・給与が変更されるかという点及び給与額等が,被告の就業規則や給与規程の文言上からは全く不明確である。
イ すなわち,まず第1に,同変更は,従来の給与規程の別表(1)「基本給表」に新たに「別表(1)の2「55歳到達者の給与表(本俸)」(ママ)が付け加えられただけであり,55歳になった原告が具体的に給与及び賞与額がどのように変更(減額)するかが,改定自体からは全く不明である。しかも,制度の中心である特別手当が支給されなくなるということすら,直接の定めがない。唯一,昇給がなくなることだけが給与規程(乙1)の次の規程から判明できるだけである。
また,被告の本部長から支店長あての平成5年3月31日付け「「給与規程」及び「社員退職給与規程」について」と題する文書(乙6の3)でも,「55歳到達者の待遇」制度については次のような記載があるだけで,昇給しないこと以外の内容,特に給与がどうなるか等は全く不明確であった。
「イ 55才(ママ)以降の待遇について規定化した。
(イ) 「都度本人の能力および健康状態により社長が決定する」とした通達を規定化した。
(ロ) 昇給資格者は五五才(ママ)以上の者を対象外とした。
(ハ) 55才(ママ)以降の給与を定め規定化した。」
このことは,そもそも本件就業規則の改定が果たして「就業規則の不利益変更」と評価することができるのか否かについて重大な疑問を生じさせる。本件就業規則等変更は「就業規則の不利益変更」が問題となる以前に,労働条件明示の原則に反しているということができる。
ウ 第2に,給与の減額の有無及び減額される額も不明である。本件就業規則等変更自体は平成5年4月に行われたものであるにもかかわらず,原告は自分がどのような給与になるのかもわからず,具体的にそれを知ったのは,原告自身が現実に減額された平成9年2月になってからであった。
(3) 55歳以降の処遇に関する被告の主張について
ア 被告は,「55歳到達者の待遇」制度について,60歳への定年延長後の「55歳到達者の待遇」は定めていなかったところ,その待遇を定めたのが本件就業規則等変更であり,これは従前の制度を不利益に変更したものではなく,新たに55歳到達者の待遇を定めたものであり,就業規則の不利益変更には該当しない旨主張する。
イ しかし,昭和50年の定年延長をした際の就業規則(甲1の2)50条に「社員の停年は満60才(ママ)とする」として,これ以外に,「給与低減を前提」(ママ)するとか,「55歳以降の給与は白紙」とか,「本人の能力および健康状態等により社長が決定する」など何らの規定もされなかった。従前と異なる取り扱いをするのであれば,そうした旨を明記することが普通である。そうした記載が明記されない場合は,常識的に考えれば,これまでどおりと考えるべきであるから,60歳定年制度が導入された際に,55歳以降の従業員の労働条件は,「従前どおり」と決められたのである。このことは,その後昭和58年に55歳になった岡本,昭和59年に55歳になった浅島の2名が,給与が減額することなく55歳以降も処遇されたことからも明らかである(被告はこの点について,岡本及び浅島の両名は特に会社に貢献したから給与減額まではしなかったと主張しているが,具体的に何がどのように評価されたのかまるで明らかではなく,これら両名についてそのように判断されたことを示す証拠も何一つ存在しない。会社に貢献したという点では原告も同様であって,いずれにせよ被告主張は成り立ち得ない。)。
ウ こうした2名の55歳以降の社員のケースの外にも,昭和60年から63年にかけての給与等に関して次のとおりの労使交渉等があり,その中で昭和63年に被告から「55歳以降の処遇基準」の改定が提案された事実及び当時の被告の従業員が55歳以降もこれまでどおりの労働条件であると認識していたとの事実があり,こうした事実は,55歳以降の処遇が「従前のまま」と「決定」されたことを明白に物語る。
(ア) 昭和61年3月,いきなり賞与の支給月数が0.6ヶ月分減額されたことを契機に,本社従業員らが団結して「要望書」(<証拠略>)を提出する事件が起きた。そして,それが当時の柏木社長の知るところとなり,同年4月18日,原告を含む3課長(原告共同調製課長,植草業務保険課長,浅島総務課長)が柏木社長と会い,このときに社長によって「今後労働条件を変動する場合には従業員の了解を得る」との約束がされるに至った。そして,その直後の昭和62年3月には,それまで期末手当として3月に支払われてきた賞与を廃止し,これを夏期および冬期の賞与に上乗せして支払うという会社案について,従業員らの承認を求めることが行われるようになった。
(イ) 次に,被告は,昭和63年4月,労働条件について,これを全国信用金庫連合会(現信金中央金庫。被告はこの事実上の子会社である。以下「全信連」という。)に準じて行うことを計画した。労働条件の変更に関しては従業員らの了解を得るとの上記の慣行があったことから,当時の常務であった榎本修(以下「榎本」という。)は,この方針を部課長会議で報告した。給与等を全信連に準じた方向で改定することとされ,具体的には,退職給与規程,55歳以降の処遇基準,人事考課基準,昇進・昇給等資格基準等の給与規程の改定が目的とされた。すなわち,全信連からの天下りである榎本常務は,退職金を頭打ちにして,55歳以降の社員の給与を抑え,人事考課でボーナスを減額することを,全信連の基準に合わせたいとして発案したのであった。
これを受けた浅島総務課長は,同年4月6日,従業員らに対し,この計画について検討するよう指示し,その後,後記給与規定等検討委員会の場で,「55歳以降の処遇基準」等の改定を社員に正式に提案してきた。
(ウ) これを受け,各課の課長及び課員が1名ずつ選任され,給与規定等検討委員会が組織された。浅島は,総務課長という会社側の立場にあったため,会社とのパイプ役として同委員会に参加していない。同委員会では,全信連に準じた制度にするとしても,全信連の実態が分からなかったことから,全信連の給与制度については浅島課長がこれを入手してくるものとし,被告の制度については植草課長が資料を収集してくることとなった。このような資料に従って作成されたのが甲第9号証のグラフであり,このグラフにより,被告の給与は,全信連の給与体系と比較しても低い水準にあることが明らかとなった。そして,被告の給与を表すグラフは,全信連の給与を表すグラフと異なり,55歳以降も給与が上昇していくことを表している。決して,給与の上昇がとどまったり,下がったり,あるいは不明とはされていない。
これを見れば,当時の従業員らの認識が,55歳到達後も給与の減額などはなく,「従前どおり」に定昇もされ賞与も支給されるとのものであったことが明確となる。
また,同委員会として,被告の場合は55歳以降の給与も定年までは従前どおりの水準であるのに対して,全信連の場合は55歳以降の社員は給与がダウンすることを知ったため,もし被告の提案どおり55歳到達者に対する処遇を全信連と同様に切り下げるというのであれば,55歳までの給与は全信連と同レベルにしてもらい,バックペイも支払われなければ割に合わないとの結論となり,同委員会の意見を代表して,原告が浅島課長にその旨を伝えた。このとき原告は,議論の内容を確かに榎本常務に伝えたことを浅島課長に確認しているから,被告がこの事実を知らないはずがない。
これに対し,被告は,従前の給与規程等のまま昇等級・定昇を決定するだけにして,退職給与規程,55歳以降の処遇基準の給与規程の改定については事実上撤回し,これにより,従前どおりに55歳到達者に対しても給与が支給され,定昇もされ賞与も通常どおり支給されるとの方針が継続されることとなったのである。
(エ) 以上のとおり,特に被告による「55歳以降の処遇基準」等の改定提案(昭和63年)の議論の中で,被告及びその従業員はともに,被告における55歳以降の社員の給与は60歳の定年までは従前どおりの水準であったことを前提にし,そのことを共通の認識としていた。こうした事実は,55歳定年制を延長して60歳定年制度を導入した際,55歳以降の社員の労働条件を「従前のまま」と決定したことを如実に証明する。
エ 被告は,乙第5号証の稟議書及び乙第9号証の柏木社長メモに「満55才(ママ)以降の待遇等については,本人の能力および健康状態等により社長が決定する」との記載があることをもって,55歳到達者の処遇については未確定の状態であったと主張する。
しかし,昭和55年あるいは昭和56年の時点で,被告の常務であった山澤明は,植草に対し,55歳到達者についても従前と同様に定昇がされ,賞与も同様の支給率で支給されることを前提とした話をしていたこと,能力および健康状態によって被告の社長が決めていたとしても,その運用は著しい能力の低下や健康状態の悪化がない場合には,従前どおりの給与を支払うとの方針でされ,これが慣習となっていたこと(原告についていえば,55歳に到達したことによって能力や健康状態の悪化はなく,従前どおりの業務を担当していたのであるから,同様の待遇が当然に保証されるべきであった。),被告が根拠とする稟議書および柏木社長メモは,従業員に対して周知徹底されておらず,就業規則にも一切規定がないのであって,これは労働契約の内容とならず,そもそも根拠とすること自体が不当であること,平成9年7月9日に行われた団体交渉において,原告が「その稟議書を見せていただけないか。」と述べたのに対し,畑取締役が「見せられない。」と回答しており,同年9月12日の団体交渉においても,原告が「そういうことであれば,その時点で社員に発表してほしかった。その内部稟議書をぜひ見たいものだ。」と質問し,畑が「見せられない。常識として,稟議はあくまでも秘密対応のものだ。」と答えており,その開示を被告が拒否していること,以上からすれば,被告の主張は失当である。
オ 仮に万が一,60歳定年制導入当時(昭和50年)において,55歳以降の労働者の処遇に関する定めが取り決められていなかったとしても,上記の経緯からすれば,少なくとも55歳以降の労働条件については従前どおりだと解するのが労使間の共通認識となっていた。少なくとも,従業員の側にはそのように期待する合理的な理由があった。
(4) 60歳定年制の導入時期について
ア 被告は,60歳定年制が導入されたのは昭和50年ではなく,昭和58年である旨主張する。
しかし,原告が甲第1号証の2の就業規則を,木村が甲第43号証の2の就業規則を,それぞれ所持していること,証人小澤美智子も,入社した昭和51年1月当初から60歳定年制が導入されていた旨証言していること,昭和50年の就業規則改定以来,平成7年の就業規則改定に至るまで,就業規則の改定経過としては,社内的にも昭和50年7月の就業規則改定が明記されていること,昭和50年の就業規則改定の次に従業員に配布された,昭和58年8月1日改定の就業規則(甲1の3,同43の3)の付則条項にも,昭和50年7月1日の就業規則改定において第50条(停年)の項が改正されたことが明記されているが,昭和58年に停年の項が改定された旨は記載されていないこと,被告の主張自体,60歳定年制導入は昭和50年であると述べた後に,これを昭和58年である旨に変更して,混乱を来していること,以上の事情等からして,上記主張は失当である。
イ 被告は,乙第8号証の2の稟議書に係る改正は保留された旨主張するが,稟議書とはそれ自体決定事項であって,仮に昭和51年4月1日から施行されると変更になったとしても,その際に改めて稟議書を起こして決裁するなどということはあり得ず,本件においても保留となったということはできないこと,従業員に対しては昭和50年7月1日の段階で手書き修正の就業規則が配布されて60歳定年が導入され,その後昭和51年になって清書された就業規則が改めて配布されたと理解することも可能であること,乙第5号証の稟議書(昭和58年3月10日付け)及び乙第9号証の柏木社長のメモにおいても,「職員の定年については,従来通り満60才(ママ)とする」,「職員の定年については従来通り満60歳とすること」と記載され,昭和58年3月の時点ですでに60歳定年制が導入されていたことが明記されていることからして,上記主張は失当である。
ウ 被告は,上記乙第8号証の1の就業規則は岡本が無断で配布したものである旨主張するが,岡本自身がこれを否定している上,岡本がこのような背信行為を行わなければならない理由がないこと,従業員10人程度にすぎない被告本社において,このような背信行為を行ってその事実が露呈しないはずがないこと,このような就業規則を作成するためには,社内の人間を使って印刷を指示しなければならず,これは岡本が勝手にできるようなことではないこと等からして,被告の上記主張は失当である。
エ 被告は,昭和50年7月1日付けの就業規則は労基署に対して届け出られていない旨主張し,確かにこの就業規則が労基署に届け出られた事実は見当たらない。しかし,就業規則とは,本来使用者と労働者との労働契約の内容をなすものであり,それは原則として労使間の合意によって定められるものであり,法定の要件に達しない労働者しかいない使用者に対しては届出義務も課されていない。したがって,現実に就業規則が配布されそれに従って労使間のルールが定められていた以上は,労基署への届出の有無を問わず,当該就業規則改定が効力を生じているものというべきである。
なお,被告が主張する昭和58年8月1日就業規則は,付則部分の活字の字体や大きさがまばらであるなど,その記載が明らかに不自然であり貼り合わせて作ったものと思われる。
オ 被告は,就業規則改定には取締役会の決議が必要であるのに,取締役会において昭和50年の就業規則改定が決定された事実がない旨主張する。
しかし,そもそも就業規則の改定は,取締役会の決議事項ではなく社長の専権事項とされていた。また,本部長制の導入に係る記載が「業務運営規定」に記載されて,同規定は実際に昭和50年7月1日から施行されており,昭和50年7月1日改正の就業規則2条において,それ以前の「処務規定」から上記「業務運営規定」と改定されていることと完全に符合する。
以上の事情等からすれば,上記主張は失当である。
(5) 本件就業規則等変更の合理性について
ア 就業規則の不利益変更に関する最高裁の判例の考え方等からすれば,55歳到達者の待遇制度による不利益変更の合理性の判断は,変更の業務上の(高度の)必要性,代償措置・見返りの有無及び不利益の程度を中心に判断し,その他に,同業他杜との比較,労働組合との交渉の経過等を考慮して判断する必要がある。
イ 本件不利益変更の合理性の判断に関して,被告の主張する「変更の業務上の(高度の)必要性」としての「会社の業績悪化」が単なる口実にすぎないことは,被告の業務が,各信用金庫の事業用不動産を取得するなど,信用金庫及び親会社といえる全信連を相手とする事業で一定していること,被告の売上げは減少傾向ではあるものの,経常利益も出ていること,被告は,当期利益の大半を特別積立金として毎年積み増し,その額は7億円にも達していることからして明らかである。
ウ 変更の業務上の(高度の)必要性として,定年延長による人件費の増加を防ぐためであるとする被告の主張も口実にすぎないことは,被告における人件費の増加は全く立証されていないこと,被告では,天下り社員ではないいわゆる「プロパー社員」が減少している一方,増加しているのは全信連からの中高年者の天下りのみであること,被告は定年延長による人件費の増加を防ぐために制度を導入したと主張しておきながら,55歳到達者の待遇制度を昭和59年に対象者が出現した時には導入・適用せず,到達者が毎年出現するようになった平成6年以降に導入・適用したなどと,不自然な主張をしていることからして,明らかである。
エ 被告が,本件不利益変更の合理性に関し,都内信用金庫業界での「定年延長前処遇変更」制度を根拠とする点も,次の点からして単なる口実にすぎない。
(ア) 被告が本件不利益変更を行った真の動機・理由は,被告の親会社である全信連をまねただけのことであった。このことは,平成5年1月13日(本件制度を導入について職員に通告した日)に,被告が導入の理由について「今後は当社も全信連に準じて行う。」と言ったことからも明らかである。
(イ) 被告は,信用金庫業界では加齢化が一般産業の2倍で進行していることなどを原因に,定年年齢前の一定期間の処遇を引き下げていることを引き合いに出すが,被告へ天下りした者の大半が全信連からの50代以降の人であるから,信用金庫業界の加齢化と被告の問題とは関係がない。
(6) 本件就業規則等変更の代償措置について
ア 本件就業規則等変更の代償措置に関して,被告は昭和58年に導入された60歳定年延長を主張する。しかし,前記(4)のとおり,60歳定年延長が被告に導入された時期は昭和50年6月であるから,18年もの昔に被告に導入された60歳定年延長が,本件就業規則等変更の代償措置であると考えるというのは非常識極まるものである。
この点,被告は,60歳定年延長が導入された昭和50年7月当時は55歳到達者の出現はしばらく先であったこと(ママ)ため,55歳到達者の勤務条件については,該当者が出現した時点で検討することとして先送りとされてきたと主張するが,昭和50年当時においては,当時の社会における「定年延長の動向」から,単純に被告会社でも60歳定年制が規定されたにすぎないのであって,定年延長と引換えに勤務条件を見直すなどというのは,当時そのような意見はもちろん計画すらもなかった。このほか,上記「先送り」の事実を裏付けるものが,被告の就業規則にはもとより,被告の提出した証拠にもなく,かつ,昭和50年の就業規則変更当時において,「55歳到達者の勤務条件の問題」なるものが社内で検討された痕跡は何も見つかっていないことによっても明らかである。
被告は,上記のとおり「該当者が出現した時点で検討する」と主張しておきながら,55歳到達者が実際に出た昭和59年には本件就業規則等変更をせず,平成5年になってようやく導入した。本格的に55歳到達者が出ようとした時期であろうと,二人が出たにすぎない時期であろうと,「該当者が出現した時点で検討する」と主張する限りは,昭和59年に導入すべきである。したがって,合理的に解釈すれば,被告の主張は口実にすぎない。
なお,仮に被告が,60歳定年制導入とともに55歳到達者の勤務条件を不利益に変更することを当初から予定していたのであれば,当然そのことを原告を含む労働者らに対し周知徹底させておくべきところ,被告は,昭和50年当時,こうした説明等を一切行っていないのであるから,被告会社の上記主張は,労働者に対しての周知義務を全く尽くしておらず,主張として成立し得ない。
イ 被告は,昭和58年に55歳到達者が1人出現した際に,その低減措置について,具体的な基準を設けることなく「満55歳以降の待遇等については本人の能力及び健康状態等により社長が決定する」との社内規準を定めた旨主張する。しかし,従業員はだれもこのことを知らないのに,それを18年も経った平成5年になって,いきなり持ち出してくるなどというのは,労働者の合理的期待と予測可能性を一方的に奪う違法不当な措置である。また,仮にそのような「社内規準」が存在していたとしても,就業規則や労使協定に基づくものでない「社内規準」に何ら法的拘束力のないことは労働基準法上当然であるから,上記主張は合理性を説明できるものではない。
確かに,過去55歳に到達した従業員について,その年次昇給額が抑えられていた事実はあるようである。しかし,これは単に「昇給額」が抑えられていただけであって,今回の原告に対する措置のように,給与が年収で4割から5割も減額されたというような事態とは質的に全く異なり,原告より前の55歳到達者については,原告とは異なりこのような措置は執られなかった。
(7) 信用金庫の状況について
被告は,本件就業規則等変更の合理性の根拠として,信用金庫業界に同様の制度が導入されていることを挙げるが,被告の主張はこじつけであり,次のとおり合理性の判断基準とはなり得ない。
すなわち,「都内信用金庫・定年延長前処遇変更実施例」と題する表(乙3)は,本件で問題となっている定年延長と定年前処遇の低減措置との関連性が全く不明である。例えば,興産信用金庫では60歳定年制がいつ導入されのか,また,その際に55歳から何らかの定年前処遇の低減措置が導入されたか否か,本件のように10年以上経過してから定年前処遇の低減措置が導入されたのか否かが全く不明である。かえって,原告らの調査結果によると,定年延長とほぼ時期を同じくして一定の定年前処遇の低減措置が導入された信用金庫は,東部信用信用(ママ)金庫等ごくまれである。しかも,同表に記載されている各信用金庫の定年前処遇の低減措置の内容は非常に不正確である。
また,定年制延長と同時期に一定の定年前処遇の低減措置が導入された信用金庫でも,今ではその大半は,給料を減額する点について,減額を廃止したり減給額を少なくする等,制度を見直しているのであって,被告は,その主張している定年前処遇の低減措置について,この点を全く無視している。
そもそも,上記のとおり,被告が本件就業規則等変更を実施した理由は別にあり,信用金庫業界云々は口実にすぎない。
(8) 制定理由及び内容の説明について
本件就業規則等変更の経緯において,被告は,原告をはじめとする従業員対(ママ)して,導入の理由はもちろん,どのような制度になるのかの説明もしなかった。特に,給与が減額となることについては明言していない。
すなわち,平成5年1月13日,会社は本社の社員を集めて突然「今後は当社も全信連に準じて行う。」と言って,55歳に到達した従業員の以後の給与を変更する旨を通告した。なお,この通告に際し会社は社員に対して資料等は一切配付せず,ただ口頭で通告したのみであった。しかも給与が減額になることも明らかにされなかった。その結果,原告はじめ従業員は,何がどのように変更になるかについては全く分からなかった。
また,同年3月31日には,被告は一方的に就業規則を変更決定した旨の支店長あての「通達文書」のコピーを従業員に配付し,給与規程の新・旧の対照表を使用して,簡単に給与体系について通告した。この時点でも,被告からは給与の減額について全く説明はなかった。
なお,仮に原告が,先に55歳に達した人の事例からみて何らかの給与減額があることを予想していたとしても,どのくらい減額されるかは「移行する給与のランク」自体が不明で,全く不明確であった。
(9) 就業規則の周知徹底等について
被告は,団体交渉の場で本件組合から本件就業規則等変更に係る届出の有無を追及された結果,ようやくその届出をしてこれを遅らせた。しかも,従業員に対する周知徹底もしていなかった。
(10) 55歳以降の従業員の労働条件に関する共通認識について
仮に万が一,60歳定年制導入当時(昭和50年7月)において,55歳以降の労働者の処遇に関する定めが取り決められていなかったとしても,上記の経緯から,少なくとも55歳以降の労働条件については従前どおりだと解するのが,労使間の共通認識であった。このような認識が労働者側に明確に存在していた以上,55歳以降も従前の労働条件において60歳まで勤務し続けることができることについて,労働者には合理的な期待があったものと解される。そして,これは法的に保護されなくてはならないとするのが判例の確立した見解である。
すなわち,本件では,60歳定年制が導入された昭和50年から今回の就業規則変更に至る平成5年まで,実に18年もの歳月が経過している上,その間に55歳到達者が2名も現れ,そのいずれもが,定昇額が若干抑えられた可能性があるだけで給与が切り下げられるようなことは全くなかった。しかも,被告においては,平成9年12月末時点で,役員及び支店長を除けば従業員数はたったの20名しかおらず,全従業員のうち1割に当たる従業員について,55歳以降の処遇は従前どおりの運用が既に行われてきたのである。さらに,上記の給与規定等検討委員会等において作成されたグラフ及び被告の「改正の提案」にみられるように,被告では,55歳以降も従前どおりの処遇がなされるという点について共通した認識が存在していた。そうであれば,本件においても,原告をはじめとする従業員らが,55歳に到達して以降も給与を切り下げられることなく,従前どおりの処遇において勤務し続けることについて,「合理的な期待」が存したものと解すべきである。
そうすると,上記で検討したとおり,本件就業規則等変更には,その必要性すら存在しておらず,その合理性などみじんも認められず,この実質的不利益を原告ら従業員に受忍させることは絶対に許されない。
(11) 原告の被告に対する貢献と不利益処遇等について
ア 原告は昭和39年に被告に就職して以来,被告において実直に勤務を続けてきた。特に,昭和40年代ころには,被告が取引する不動産の登録免許税の税率を1000分の50から1000分の25にまで引き下げさせる交渉を当局との間で成功させ,これによって各信用金庫が被告を利用するメリットを増大させた。また,原告は,被告の取り扱う傷害保険の普及に貢献したし,共同調製販売の基礎を確立させるなど,被告会社に対して多大なる貢献をした。
原告は,必要なときには堂々と正論を述べることのできるけうな人材であった。そのため,榎本に対する「要望書」事件のときも従業員らの代表として行動し,また,榎本の指示により被告会社が違法行為を行うおそれがあったときも,榎本と大声でやり合ってこれをやめさせた。
しかし,このように貢献してきた原告に対する被告の仕打ちは非常に不当なものであった。
原告は,昭和62年4月ごろ,被告の業務のために柏木社長に同伴して飛行機による国内出張に行った際,機内の気圧がおかしくなったことを契機に,耳が異常な状態に陥った。被告社内の実力者であった岡本が定年退職した後は,原告に対する不当な攻撃が開始された。すなわち,平成4年に神谷が全信連から天下ってきてからは,神谷は原告に対し,原告の耳が悪いことを理由に課長職を辞退するよう執拗に迫るようになった。原告は当時,耳の治療のため通院していて多少の負い目があったことなどから,神谷の度重なる要求に逆らえず,課長職辞退について同意させられてしまった。原告は,神谷から,課長職を降りるにしても調査役や推進役という肩書にするという話は聞いたが,給与に関する話は一切されなかったため,課長職として受領していた役職手当はなくなっても,本俸や調整手当が削減されるとは皆目考えていなかった。ところが,被告は,原告が同意書を提出した後に原告の通う病院を無断で訪れ,業務に支障があるかのごとく言わせようとし,原告を呼びだして,調査役等の話はすべて撤回し,給与は7等級から4等級に格下げする旨一方的に通知して,実際にも原告の給料を切り下げた。
以上のとおり,原告は,課長職辞退の件でだまされ,さらに,本件就業規則等変更により上記のとおり手取額18万円という事態になってしまったため,原告の生活は困窮を極めた。
イ 被告では,本件就業規則等変更は主に被告に当初より入社して長年勤めあげた勤続の長い平の職員に適用され,全信連等からの天下りないし出向者を中心とした管理者には適用されないなど,不公正・不公平に適用されるものである。被告は,本件不利益変更を統一的・画一的に適用をしていないのである。
すなわち,平成6年に変更後の就業規則が適用された田荷は,被告で初めてその対象とされた職員であり,原告とは異なり全信連からの天下りではあったが,55歳到達前に一般職に降格されていて,「平社員」であった。平成7年に適用された稲葉博子(名古屋支店)は,被告の「プロパー社員」であった。なお,同年に変更後の就業規則が適用された従業員として他に滝沢兼光がいるが,同人は全信連からの天下り職員で適用後一般職となっていて,唯一と言ってよい例外的人事である。平成8年に適用されたとする神谷は全信連からの天下り社員であり,55歳当時本部長であったにもかかわらず役職は解かれなかった。平成9年に適用された原告と植草はともに被告の「プロパー社員」であった。その後も,平成11年にて適用の中井敏靖(全信連の天下り)を除いて,同年の古川早苗,平成12年の木村詔次及び中家靖子は全員が「プロパー社員」である。
ウ 被告の55歳到達者は,原告のようなプロパー社員と50歳前後に全信連等から天下ってきた部課長の二種類に区分されている。しかし,上記のとおり,仮に人件費の高騰を問題にするのであれば,被告は50歳前後に全信連からの天下り社員を減らせばよい。しかし,こうした努力等を全く行わないで,被告は,長年にわたって被告に勤務して会社に多大な貢献をしてきた勤続の長い「プロパー社員」の原告の給料を大幅に減額し,しかも,恣意的に減額すら行ったのである。こうした処遇は著しく社会的正義に反することは明らかである。
第3当裁判所の判断
1 事実認定
第2の1記載の事実,当事者間に争いのない事実,後掲各証拠及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる(当事者間に争いのないこと及び証拠番号等はかっこ内に摘示する。ただし,第2の1記載の事実であることの摘示は割愛する。)。
(1) 本件就業規則等変更
被告は,本件就業規則等変更を平成5年4月1日から実施したが,その変更の概要は,給与のうち本俸が別表(1)によって定められるとしていたところを,55歳到達者の給与に関する別表(1)の2「55歳到達者の給与表(本俸)」を付け加えたというものであった。別表(1)には,各級別に特別手当の額が記載されている(ただし,給与規程22条2項においては,「特別手当を支給するにあたっては,別表(1)の基本給表の(特別手当)に基づいて社長が支給額を決定する。」旨規定されている。)が,変更された給与規程上,別表(1)の2の適用がある場合に特別手当の支給があるか否か,その額はいくらになるのかについての明示的な記載及び基準設定はない。
(<証拠略>)
(2) 原告の処遇等
ア 月例給与に関するもの
原告は,平成9年1月1日に満55歳に到達したことを理由に,同年2月分の給与から,別表(1)の2のランクC・クラス3に位置付けて算出した額を支給されることとなった。すなわち,原告の同年1月分までの月例給与は51万0758円(その内訳は,本俸26万6500円(別表(1)「基本給表」4級282号俸),特別手当22万3258円(同「基本給表」の4級の特別手当の17万1800円に昇給等の調整がされて加算された額),扶養手当1万円,住宅手当6000円及び食事手当5000円である。)であったが,同年2月分からは34万4850円(その内訳は,本俸32万3850円(別表(1)の2「55歳到達者の給与表(本俸)」のランクC・クラス3)に,上記扶養手当,住宅手当及び食事手当を加えた額。特別手当の支給はなくなった。)となった。
また,被告においては,本件請求期間中,55歳未満の従業員に対しては毎年4月に定昇が行われたが,原告に対してはこれが行われなかった。
イ 賞与に関する原告の処遇等
平成9年夏期賞与は,55歳到達者以外の従業員に対しては,賞与基礎額に2.73を乗じた金額が支給されたが,55歳到達者である原告に対しては,55歳到達者であることを理由にこの乗率が1.4とされ,さらに人事考課査定を理由にここから0.05を減じられ,結局乗率1.35として算出されて,45万0698円が支給された(賞与基礎額は33万3850円)。
同年年末賞与は,55歳到達者以外の従業員に対しては,賞与基礎額に3.25を乗じた金額が支給されたが,原告に対しては,上記1.4から人事考課査定により0.06を減じた乗率1.34として算出されて,44万7359円が支給された。
平成10年ないし平成13年の各夏期の各賞与は,55歳到達者以外の従業員に対して2.73をその乗率として支給され,平成10年ないし平成12年の各年末の各賞与は,同じく55歳到達者以外の従業員に対して3.20をその乗率として支給された。一方,原告に対しては,平成10年夏期及び年末の各賞与は,上記同様1.34を乗率とする44万7359円が支給され,平成11年夏期及び年末,平成12年夏期及び年末並びに平成13年夏期の各賞与は,いずれも46万4052円(33万3850円に,各年年間の乗率2.78を乗じたものの半額)が支給された(以上の原告に対する支給状況につき,別紙2「55歳到達後」欄各「臨給」のとおり)。
(3) 原告以外の55歳到達者に対する処遇
被告において,原告以外で55歳に到達した者として,昭和58年3月11日に到達した岡本と,昭和59年2月14日に到達した浅島とがいる。
このうち,岡本は,55歳到達前の年収は1192万1100円であったところ,到達後の年収は,56歳までは1245万3200円(到達前(前年)の年収から53万2100円増加),57歳までは1291万2075円(前年の年収から45万8875円増加),58歳までは1251万8610円(同じく39万3465円減少),59歳までは1340万4205円(同じく88万5595円増加),60歳までは1344万3103円(同じく3万8898円増加)となっていた。
また,浅島は,55歳到達前の年収973万8000円であったところ,到達後の年収は,56歳までは1010万1740円(到達前(前年)の年収から36万3740円増加),57歳までは960万1982円(前年から49万9758円減少),58歳までは1028万7699円(同じく68万5717円増加),59歳までは1040万6533円(同じく11万8834円増加),60歳までは1065万1768円(同じく24万5235円増加)となっていた。
岡本の58歳時及び浅島の57歳時にそれぞれ前年に比して年収が減少しているのは,同年に全職員の賞与支給率が下がったためである。
ただし,上記両名の55歳到達後の定昇額は,55歳到達直前の級と同じ級に位置付けられている55歳に到達していない従業員の定昇額に比べ50ないし60パーセント程度に抑えられ,同じくベースアップについても,40ないし50パーセント程度に抑えられた。
(争いのない事実,<証拠・人証略>)
(4) 定年制に関する就業規則の改定経過等
ア 被告においては,現在60歳定年制が導入されている。
イ 被告では,昭和50年ころ,従業員に対して,その時点の就業規則(活字文字によるもの)に手書きで朱書して,訂正部分を明らかにした文書を配布した。上記訂正部分の主要な点は,社員の定義に関する条項(就業規則における社員とは,「処務規程第6条第1項及び第2項に規定する者」としていたのを,「業務運営規程第6条に規定する者」と変更すること),定年に関する条項(社員の定年時期を55歳から60歳に変更すること)にあった。
その後,上記朱書部分を活字化した就業規則が一部の従業員に配布された。
ただし,これらの就業規則の変更に関し,労基署への届出は行われなかった。
ウ その後,昭和58年ころ,定年に関する条項等上記朱書されたものと同じ文面の就業規則が,変更部分のみ抜粋した形で従業員に対して配布されたが,当該変更後の就業規則には,改正時期として,昭和48年4月24日の後には昭和58年8月1日と記載されていた。
この就業規則は,昭和58年8月26日付けで労基署へ届け出られた。
(<証拠・人証略>)
(5) 本件就業規則等変更に関する説明会の状況等
ア 平成5年1月13日,当時被告の本部長であった神谷は,原告を含む本社従業員を集めた上で,同日午後5時40分ころから1時間程度にわたり,人事給与制度等の変更内容について説明した。その説明内容は,従前被告は全信連の給与体系を参考にしてきているが,全信連において能力主義的人事制度が導入されたことに沿い,被告においても,定昇,ベースアップ及び賞与について職務遂行能力,業績貢献度を反映させること,55歳到達者の給与につき,社長がその都度決定するとの従前の取扱いを規定化すること等であった。神谷は,55歳到達者の給与に関する従前の取扱いとは,到達者の給与は到達前の給与から減額になるとの内容であるとの認識を有していたが,上記説明を聞いた当時の従業員は,55歳到達者の給与が減額になるなどといった認識を有していなかった。
なお,この説明の際,原告は,「給与規程を改正するのか,現行規程の運用によっても可能ではないか。」といった趣旨の発言をした。
支店従業員に対する同様の説明会は,同月29日に行われた。
イ 同年3月31日,神谷は再び全従業員を集めた上で,午後5時15分ころから1時間30分程度にわたり,給与規程の改正内容等について説明した。具体的には,給与支払方法や一部の手当の廃止及び導入等のほか,55歳到達者の処遇について,昇給資格対象からは除き,また,その給与を別紙1の(2)のとおり規定化したなどといった内容を,現行規定と改正規定との対照表を配付した上で説明した。この説明の結果,原告を含めた従業員らは,55歳到達者については給与等の低減措置が執られることを認識した。また,神谷は55歳到達前の等級(別紙(1)における位置付け)と別紙(1)の2のランクとの関係について,2級の者はBランクに,以下3級から8級までの者はそれぞれCないしGランクに位置付けられることが認識できる方法で説明した。
なお,この説明の際,原告は,「これは提案か決定か。」といった趣旨の質問をし,これに対し神谷が,被告の決定である旨答えた。
(<証拠・人証略>,弁論の全趣旨。原告は,3月31日の説明会においても,給与の減額及び55歳到達後のランク付けに関する説明はなかった旨主張し,これに沿う証拠(証人植草昭,原告本人)もあるが,反対証拠(<証拠略>,証人神谷茂雄)に照らし採用できない。)
(6) 給与規定等検討委員会
ア 被告は,昭和63年3月ころ,従業員の労働条件の変更を企図したが,当時労働条件の変更に関しては従業員らの了解を得るとの慣行があったことから,常務であった榎本が部課長会議において報告した。その報告内容は,給与等を全信連に準じた方向で改定すること,具体的には,退職給与規程,55歳以降の処遇基準及び人事考課基準を改定することにあった。
総務課長であった浅島は,これを受けて,同年4月6日,従業員らに対し,この計画について検討するよう指示し,また,その後,被告は従業員に対し,上記事項の改定を正式に提案した。
イ これを受け,各課の課長(ただし,浅島を除く。)及び課員が1名ずつ選任され,給与規定等検討委員会が組織された。浅島がこれに参加しなかったのは,同人が総務課長という会社側の立場にあり,被告とのパイプ役となる必要があったためであった。
同委員会では,全信連に準じた制度にするとしても,全信連の実態が分からなかったことから,全信連の給与制度については浅島がこれを入手してくるものとし,被告の制度については植草が資料を収集してくることとなった。そして,以上によって収集した資料により,全信連においては55歳到達者は給与が減額されることが明らかとなった。
ウ 同委員会としては,被告が全信連と同様に55歳到達者の給与を減額するといった内容の改定をするのであれば,55歳までの給与を全信連と同レベルにしないと均衡が保たれないとの意見をまとめた。
なお,被告は,同委員会の上記意見を聴取した後,アの改定案を実行するなどといった措置を執らなかった。
(<証拠・人証略>)
(7) 被告の経営状況等
ア 信用金庫においては,従前,自己資本のうち事業用不動産等の設備投資を60パーセント以下とするとの規制がされており(この比率を以下「固定比率」という。),この固定比率60パーセントを下回るに至っていない信用金庫にとっては事業用不動産を取得することもままならないことになるため,事業用不動産等を当面他の企業に所有させる必要がある。このような必要から,信用金庫の事業用不動産の取得等を業務内容とする被告の営業が成り立つ。
しかし,近時この固定比率規制が緩和された上,信用金庫も自己資本を充実させたため,被告において信用金庫の事業用不動産を取得するという業務は年々減少をみせた。
具体的には,平成4年には約13億円ほどあった不動産収入が,平成6年には10億円を下回り,平成8年には約4億円,さらに,平成11年には約2億円にまで減少した。
イ 以上のほか,被告は信用金庫の定期預金と連動した交通傷害保険の取扱いを業務としているが,これは定期預金の金利で保険料を支払うという商品であったため,金利が低下するに従って商品メリットが失われ,その取扱いによる収入も減少した。
具体的には,平成4年には約2億円ほどあった保険料収入が,平成6年には約1億8500万円,平成9年には約1億6000万円,平成11年には約1億3000万円にまで減少した。
ウ 以上の点その他の営業悪化に伴い,被告の経常利益は,平成4年は約1億1000万円であり,平成5年には約1億2500万円となっていたものの,平成7年には約8000万円,平成10年には約4000万円,平成11年には約3000万円にまで減少した。
なお,以上の経常利益の計上には,本件就業規則等変更による人件費減少施策が反映されているが,この施策が実施されなければ,経常利益は平成7年には約7000万円,平成10年には約2000万円となり,さらに,平成11年には1000万円を下回るに至っていたものと試算することができる。
(<証拠・人証略>)
(8) 被告の関連する信用金庫の給与措置の傾向等
ア 被告は,信用金庫の事業用不動産の取得等を主たる業務とするため,信用金庫との関連が深いところ,全国の信用金庫においては,昭和63年ころにおいて,その一部で既に定年到達前の給与を低減する措置が執られており,平成3年10月時点では次のような措置が執られていた。
すなわち,全国433金庫(以下本項において「全金庫」という。)中,約80パーセントの金庫が60歳(ないしは61歳以上)定年制を導入していた。また,178金庫(全金庫の約41パーセント)は定年前処遇を切り下げる制度を実施しており(なお,この切下げ時期は55歳前後に設定されている金庫が多い。),うち年収に変更があるのが113金庫であり,さらにこの113金庫のうち,切下げ時期前年度年収に対する割合が70パーセント台が40金庫,60パーセント台が29金庫,80パーセント台が19金庫となっていた。定昇についても,141金庫において一般職員と異なる取扱いをしており(なお,この取扱い変更の時期も55歳前後に設定されている金庫が多い。),うち97金庫においては原則として定昇を行わず,32金庫においては原則として定昇を抑制するなどとされていた。
イ 同様に,平成4年10月の時点では,次のような措置が執られていた。
全国427金庫(以下本項において「全金庫」という。)中,約85パーセントの金庫が60歳(ないしは61歳以上)定年制を導入していた。また,211金庫(全金庫の約49パーセント)は定年前処遇を切り下げる制度を実施しており(なお,この切下げ時期は55歳程度に設定されている金庫が多い。),うち年収に変更があるのが129金庫であり,さらにこの129金庫のうち,切下げ時期前年度年収に対する割合が70パーセント台が42金庫,80パーセント台が30金庫,60パーセント台が26金庫となっていた。定昇についても,162金庫において一般職員と異なる取扱いをしており(なお,この取扱い変更の時期も55歳程度に設定されている金庫が多い。),うち102金庫においては原則として定昇を行わず,44金庫においては原則として定昇を抑制するなどとされていた。
ウ なお,平成3年における調査により判明した東京都内の21信用金庫の定年前処遇変更の実施状況によれば,21金庫全部において60歳定年制が導入されており,しかも,定年前の処遇によりいずれも年収に変化があり,切下げ時期前年度年収に対する割合は,70パーセントとするのが6金庫,80パーセント以上とするのが7金庫となっていた。また,定昇については,9金庫でこれを行わず,6金庫でこれを抑制する措置を執っていた。
(<証拠略>原告は,乙第3号証(「都内信用金庫・定年前処遇変更実施例」)の記載の正確性に疑問がある旨主張し,これに沿う証拠(証人高橋潔)もあるが,同書面は社団法人全国信用金庫協会による調査の結果であることに照らし,同証人の証言をもってその正確性を覆すには足りず,同主張は採用できない。)
2 上記事実認定に関する被告の主張等について
(1) 60歳定年制導入の時期について(1(4)関係)
ア 被告は,被告において60歳定年制が導入されたのは昭和58年8月1日である旨主張する。
確かに,上記1(4)のとおり,被告が,定年が60歳である旨の記載がされた就業規則を初めて労基署に届け出たのは,昭和58年8月26日付けであり,その就業規則上の最終改正日は昭和58年8月1日付けである(この就業規則を以下「本件届出就業規則」という。)。また,本件で提出されている就業規則(<証拠略>)には,昭和58年8月1日(ないしは昭和50年7月1日)の直近の改正時期として,昭和48年3月1日及び同年4月24日と記載されており,この両日の改正については労基署に届け出られている(<証拠略>)。
しかし,実際にはそれ以前から社内的には就業規則の変更等が行われていたのに,使用者が当該変更後の就業規則の労基署に対する届出義務(労働基準法89条)をり践していないという場合,使用者が当該届出をり践した時期がその変更時期である旨自己に有利に主張できるというのは相当ではないというべきである。そうすると,本件においても,上記就業規則の届出が昭和58年8月1日付けであることは,遅くとも同日までには60歳定年制が導入されたことの根拠とはなるものの,それ以上に,同日より前に変更がされていないことの根拠となるとまでいうことは困難である。
イ 次に,上記1(3)記載のとおり,岡本は昭和58年3月11日に55歳に到達したが,同日以降も被告に在籍していること,岡本について,同人が55歳で定年を迎えた後被告に再就職したとか,特別に雇用を継続したなどといった措置が講じられた事実が認められないことからすれば,同年8月1日から60歳定年制が導入された旨の被告の上記主張はまずもって疑義が生ずる(<証拠略>(被告の常務であった山澤明の陳述書)には,被告の主張に沿う部分があるが,その陳述内容は推測の域を出ず,採用するには至らない。)。
そして,上記1(4)記載のとおり,昭和50年ころ60歳定年制を導入した就業規則が配布されたこと,上記1(4)イ記載の「業務運営規程」は,昭和50年7月1日から施行されていること(<証拠略>),複数の時期の就業規則にも「改正昭和50年7月1日」との文言が記載されていること(<証拠略>)にも照らせば,昭和50年7月1日に60歳定年制が導入されたものと推認される。上記1(4)記載のとおり,この導入に関する労基署への届出は行われなかったが,このことがこの判断を左右しないことは上記アのとおりであり,乙第8号証の1の就業規則(案)を岡本がほしいままに配布した旨の被告の主張を裏付けるに足りる証拠はない。「職員の定年については従来通り満60歳とすること」との社長指示書である乙第9号証が昭和58年3月ころに出され,「満55歳以降の待遇等については,本人の能力及び健康により社長が決定する。」とする稟議書である乙第5号証が,岡本が55歳に到達する前日である昭和58年3月10日に決裁されている(<証拠・人証略>)ものの,上記社長指示書中の「従前通り」との文言に照らせば,この事実は被告の上記主張の裏付けとならないというほかはない。
ウ 被告は,昭和50年6月24日付け稟議書(<証拠略>)において,昭和50年7月1日付けでの60歳定年制導入の伺いがされたことに関し,(ア)社長がこれを差し戻していること,(イ)このころ総務係長であった原告が,その本人尋問において,上記稟議書を見たことがない旨供述していること,(ウ)同稟議書には,決裁議事録に記録するところの決裁番号の記載がないこと,(エ)同日時点での取締役の決議が存在しないことを根拠に,昭和50年ころの60歳定年制導入の動きは保留された旨主張し,これに沿う証拠(<証拠略>)もある。
確かに,証拠(<証拠・人証略>)によれば,昭和50年6月24日ころに上記稟議書を起案したのは岡本であること,同稟議書の内容は,当時の就業規則に手書きで朱書した文書(上記1(4)記載のものと同様のもの)を添付した上で,この朱書部分のとおり就業規則を改正(改定)することの可否について伺いを立てるという点にあったこと,同稟議書の記載は,稟議文の「ご決裁の上は昭和50年7月1日から施行して差し支えありませんか」という文面につき,「50年7月1日」の部分に取消線が引かれ,その上に「51年4月1日」の手書文字が記載されていることが認められる。
しかし,上記取消線及び手書文字が当時の柏木社長によって記載されたものであることを認めるに足りる証拠はなく,他に,同稟議書の内容が同社長によって差し戻されたことを認めるに足りる証拠はない。
なお,本件届出就業規則(<証拠略>)には,改正年月日として昭和50年7月1日が記載されていないが,そのことのみで昭和50年7月1日付けの改定がされていないとまではいい難く(例えば,被告がその届出に当たり,労基署に届け出ていない改正内容を労基署に明らかにすると手続が煩瑣になると考え,これを避けるために,同日改正の事実を伏せたなどの可能性もある。なお,乙第4号証の3の73条(付則)5項の,昭和58年8月1日からの施行内容に関する文字が,一部他の部分と字体を異にしており,上記可能性を裏付けるということもできる。),昭和50年7月1日付けの改定があったとの上記認定を左右するとまではいえない。
以上からすれば,(ア)については,これをもって60歳定年制導入が保留されたことの根拠として採用することはできない。
次に,(イ)については,総務係長であれば決定された稟議事項をすべて認識することを認めるに足りる証拠はなく,採用できない。
(ウ)については,決裁番号が被告における決裁議事録に記録されるとしても,稟議書にその決裁番号の記載がないことにより,その稟議書に係る稟議事項が保留等の扱いとなったことを意味することになるとの事実を認めるに足りる証拠はないから,やはりこれをもって上記の根拠とすることはできない。
(エ)については,昭和50年7月1日付けの改正に関して取締役会での決議を経たことを認めるに足りる証拠はない一方,証拠(<証拠略>)によれば,昭和48年4月24日に開催された被告の取締役会においては,就業規則の改定に関し同会における決議を経ていることが認められる。しかし,このことから直ちに,被告においてあらゆる就業規則の改定に当たり取締役会の決議を経ることとされていたとまで認めるには至らず,かえって,これに反する証拠(<証拠・人証略>)があること,本件就業規則等変更に当たっては,取締役会の決議を経ていないこと(<証拠・人証略>),昭和50年当時と平成5年当時とで,被告において就業規則改正の手続を異にしていたことを認めるに足りる証拠はないことにも照らし,(エ)も上記の根拠とすることはできない。
以上に反する上記証拠(<証拠略>)は採用できず,他に,被告の上記主張を根拠付けるに足りる証拠はないから,同主張は採用できない。
エ 以上のほか,上記1(4)に摘示した証拠に照らせば,60歳定年制導入時期が昭和50年7月1日であると認めるのが相当であり,これに反する上記アの被告の主張は採用できない。
(2) 55歳到達者の給与が減額になることについての原告及び被告従業員の認識について(上記1(5)関係)
ア 被告は,原告及び被告の従業員は,上記1(5)ア記載の平成5年1月13日の時点で,既に55歳到達者の給与が切り下げられることを認識していた旨主張する。
しかし,仮に上記時点で被告においてそのような給与の切下げについて決定されていたとしても,そのことが平成5年1月13日より前に従業員らに周知された事実を認めるに足りる証拠はない。この点,被告は,昭和58年3月10日付けの稟議書(<証拠略>)により,「満55歳以降の待遇等については,本人の能力及び健康により社長が決定する。」と定められた旨主張するが,同稟議書に基づく決定内容が同日ころに被告の従業員に対して周知されたことを認めるに足りる証拠はない(岡本の陳述書(<証拠略>)中及び証人岡本謙二の証言中にも,岡本がこれを従業員に示達したとする部分はない。)から,ここでの判断に関しては当を得ず,採用できない。また,被告は,岡本,浅島の55歳到達後の処遇により,従業員らは給与切下げについて認識していた旨主張するが,上記1(3)のとおり,両名の55歳到達後の給与額が切り下げられていること自体,これを認めることはできないから,採用できない(両名の55歳到達後の定昇,ベースアップ分が55歳未満の従業員に比して低く抑えられたことは,上記1(3)記載のとおりであり,証人植草昭は,岡本から,定昇が下がった旨聞いたことがある旨証言する。しかし,同じく上記1(3)記載のとおり,上記両名の給与額が前年比の年収単位ではそれぞれ一度しか下がっておらず,下がった一度についても相応の理由があることに照らすと,上記の点は両名の給与切下げを認めるに足りる事情であるということはできない。)。
また,上記1(6)記載の事実によれば,昭和63年3月ころに設置された給与規定等検討委員会においては,被告の給与体系は55歳到達後の給与も特段減額されるものではないとの認識をもとに議論がされたことが認められ,これを覆すに足りる証拠はない。
イ 以上のとおり,55歳到達後の給与切下げが平成5年1月13日より前に従業員らに周知された事実を認めることができないことのほか,同日の説明会で神谷が説明した「55歳到達者の給与は社長がその都度決定する」という文言のみによっては,給与切下げを意味するとまで認めることは困難であること(証人神谷茂雄は,この説明と社会の状況を総合すれば,当時の従業員には,上記文言が給与の切下げを意味することが分かったはずである旨証言するが,これを裏付けるに足りる証拠はなく,採用できない。)からすれば,上記1(7)アのとおり,上記平成5年1月13日に神谷から「55歳到達者の給与につき,社長がその都度決定するとの従前の取扱いを規定化する」旨の説明があったものの,これを聞いた従業員の側が,55歳到達後の給与が減額になるなどといった認識を有していなかったと認めるのが相当である。
なお,同箇所記載のとおり,原告は同日の説明の場において,神谷に対し,「給与規程を改正するのか,現行規程の運用によっても可能ではないか。」といった趣旨の発言をしているが,これがどの改正項目に関する発言であるかについて不明である上,この発言があったからといって,原告が55歳到達後の給与の減額を了承し,あるいは少なくともこれを承知した上での発言であると認めるには足りない。
3 月例給与部分に関する変更の有効性について
(1) 本件就業規則等変更による不利益性について
ア 上記第2の1(3)イ及び1(2)アのとおり,原告は,55歳に到達した後,本俸は増額となったものの,特別手当が支給されず,定昇もなくなったため,月々支給される給与額は,平成9年1月分と同年2月分,とを比較しても,約68パーセントに当たるという程度に減少し,同年3月分以降もこの傾向は引き続いた。これは,1(1)の本件就業規則等変更による就業規則(給与規程)を適用した結果であり,原告は同変更によって経済的不利益を被る立場となったということができ,したがって,同変更は55歳到達者に対する就業規則の一方的な不利益変更であるということができる(なお,給与規程の昇給に関する条項(20条)をみると,定昇対象者は55歳未満の者に限っているから,定昇についてもやはり就業規則の不利益変更の問題に当たるというべきである。)。
イ 被告は,本件就業規則等変更は,定年延長による雇用の維持と一体となった措置であり,同変更による不利益はない旨主張する。
しかし,この主張は,60歳定年制が導入されたのが昭和58年8月1日であること及び55歳以降の処遇(給与の低減)の決定も同年3月10日付けをもってされたこと,以上の両事実を前提とするものであるが,被告において60歳定年制が導入されたのが昭和50年7月1日であることは上記1(4)及び2(1)イのとおりであり,55歳以降の給与の低減措置について昭和58年3月10日の時点で従業員らに周知されていたと認めることができないことは上記1(5)及び2(2)アのとおりであるから,同主張はその前提事実を欠くというほかはない。昭和58年当時,多くの企業において,60歳定年制導入と同時に55歳以降の給与の低減措置が執られていたとの実態があったとしても,この判断を左右しないというべきである。被告は,昭和58年8月1日に定年延長をした際,55歳到達者の給与の低減措置について当初は裁量的に定められ,その後本件就業規則等変更によって初めて給与切下げの内容が具体化され,全従業員に対して法的拘束力を有するに至った旨主張するが,本件就業規則等変更前に55歳到達者の給与の低減措置について裁量的に定められていたことを認めるに足りる証拠はない。
そして,昭和50年7月1日に定年延長の措置が執られ,平成5年4月1日に55歳以降の給与の低減措置が実施された(上記1(3)及び2(2)ア記載の事実からすれば,平成5年以前に既に55歳以降の給与の低減措置が実施されたということはできないというべきである。)との事実を前提とする以上,定年延長と55歳以降の給与の低減措置との間に代償関係があると認めることは困難であり,他にこれを認めるべき特段の証拠もない。
よって,被告の上記主張は採用できない。
ウ 被告は,特別手当については,55歳到達者に関しては本俸に吸収され,その分本俸が増額となるのであって,55歳到達者に特別手当を支給しないことは何ら不利益には当たらない旨主張する。
しかし,上記1(1)で認定したとおり,変更された給与規程上,別表(1)の2の適用がある場合に特別手当の支給があるか否か,その額はいくらになるのかについての明示的な記載及び基準設定はない上,かえって,別表(1)の2の表題は「55歳到達者の給与表(本俸)」となっていて,別表(1)の本俸部分のみについての修正であると読み取ることも十分可能な記載となっていること,他に,被告から,55歳到達者について特別手当が本俸に吸収される旨の説明があったことを認めるに足りる証拠はないことに照らせば,被告の上記主張は採用できない。
エ なお,証人畑俊夫は,55歳到達前の原告の本俸は,別紙(1)の7級に位置付けられていたが,原告の職位からして本来は4級に位置付けられるべきであって,優遇的に7級としていたにすぎない,55歳到達に際し,本来の4級として扱い,別紙(1)の2のCランクに位置付けた,そのため,55歳到達に際し原告の月例給与額の下げ幅が大きくなった旨証言する。しかし,原告が55歳到達前において4級282号俸に位置付けられていたことは,当事者間に争いがなく,同証人の証言についても,4級者に7級相当の金額を支給していたと理解することが可能であるから,4級の原告が55歳到達の結果Cランクに位置付けられ,上記の不利益を受けたと評価するのが相当である。同証人の証言は,アの認定・判断を左右しないというべきである。
(2) 変更の合理性について
ア 一般に,就業規則の作成及び変更によって,既得の権利を奪い,労働者に不利益な労働条件を一方的に課することは,原則として許されないと解されるが,労働条件の集合的処理,特にその統一的かつ画一的な決定を建前とする就業規則の性質からいって,当該規則条項が合理的なものである限り,個々の労働者において,これに同意しないことを理由として,その適用を拒否することは許されないというべきである。ここでいう当該条項が合理的なものであるとは,当該就業規則の作成又は変更が,その必要性及び内容の両面からみて,それによって労働者が被ることになる不利益の程度を考慮しても,なお当該労使関係における当該条項の法的規範性を是認できるだけの合理性を有するものであることをいい,特に,給与,退職金という労働者にとって重要な権利,労働条件に関し実質的な不利益を及ぼす就業規則の作成又は変更については,当該条項が,そのような不利益を労働者に受忍させることを許容できるだけの高度の必要性に基づいた合理的な内容のものである場合において,その効力を生ずるものというべきである。
本件においても,本件就業規則等変更が,月例給与の減少という不利益を原告に受忍させることを許容できるだけの高度の必要性に基づいた合理的な内容のものであるということができるかどうかを検討する必要がある。そして,この合理性の判断要素として本件においてあらわれている事情としては,本件就業規則等変更による不利益性の程度のほか,被告の経営状態等,代償措置の有無,従業員の側との交渉の経緯,同種事項に関する我が国社会における一般的状況等が挙げられる。以下これらについて検討する。
イ 被告の経営状況等(変更の必要性)について
(ア) 上記1(7)記載の事実によれば,被告の営業実績は,本件就業規則等変更が行われた平成5年当時,売上げ,経常利益の観点からして,有意な下落をみせていたわけではないが,被告の置かれている経営環境に照らせば,今後これが下落することがほぼ確実な状況にあったこと,実際にも同年より後営業実績は下落の一途をたどっており,本件就業規則等変更により人件費の削減を図っていなければ,被告の経営状況はより深刻な事態となっていたと試算することができることが認められる。以上のほか,証拠(<証拠・人証略>)によれば,被告は,平成6年から55歳到達者がほぼ毎年現れるという人員構成にあったことが認められることにもかんがみれば,平成5年当時,経営を維持するための方策として人件費の削減が重要な要素となっており,かつ,削減の対象となる人件費として,55歳到達後の給与等の部分を選定するのが不相当とはいえない状況にあったと認めることができる。
原告は,特別積立金が毎年積み増しされ,その額が7億円に達している以上,被告が業績を悪化させているということはできない旨主張する。確かに,証拠(<証拠・人証略>)によれば,被告は,特別積立金として,平成4年度は1億8400万円,平成5年度は3億0400万円,平成6年度は3億6400万円,平成7年度は4億3400万円,平成8年度は5億1400万円,平成9年度は5億7400万円,平成10年度は6億1400万円,平成11年度は6億3000万円,平成12年度は6億8000万円をそれぞれ計上していることが認められるが,このことによって人件費の削減の必要性が否定されるとまではいうことができず,同主張は採用できない。
原告は,被告は全信連から比較的高齢の者を従業員等として受け入れている旨主張するが,そうであるとしても,そのことで被告における人件費削減の必要性が否定されるとまではいえず,採用できない。
その他,上記認定,判断に反する原告の主張は採用できない。
(イ) しかし,本件就業規則等変更においては,労働者の給与を低減するという措置が講じられ,そのような変更に当たっては高度の必要性を要することは,上記アのとおりであること,経営状況改善のための他の執り得る措置がなく,又は,これがあるとしてもその実施が困難であることについて,これを認めるに足りる証拠はない(主張もない。)こと,上記のとおり本件就業規則等変更後特別積立金が順調に増額されていて,本件就業規則等変更の時点において,少なくとも,被告が倒産の危機に瀕しているという状況にはなかったこと,しかも,上記(1)記載のとおり,本件においては,減額の程度は相当大きいこと(従前の月例給与額に比して約68パーセントに当たること)に照らせば,結局のところ,本件就業規則等変更の時点において,そのような高度の必要性までは,これを認めることは困難であるというほかはない。
ウ 代償措置について
被告は,定年延長が本件就業規則等変更の代償措置に当たる旨主張するが,そのような代償関係を認めることができないことは,(1)イ記載のとおりである。他に,本件就業規則等変更による原告の被った不利益に対する代償措置の存在を認めるに足りる証拠はないから,同主張は採用できない。
エ 従業員の側との交渉の経緯について
上記1(5)ア記載の事実及び2(2)の説示によれば,被告は平成5年1月13日(及び同月29日),人事給与制度等の変更に関し,全従業員に対する説明会を実施しているが,この説明会の被告側からの説明を聞いた当時の従業員が,55歳到達者の給与が減額になるなどといった認識をするには至らなかったことが認められる。このことは,同年3月31日の説明会の場において,原告が神谷の説明に対し,「これは提案が,決定か。」と質問して,55歳到達者の処遇変更についていまだ提案すらされていないとの認識を有した上での発言をしたことからしても明らかである。また,そもそも,同説明会が,従業員(原告)に不利益を受忍させるに資する意味での労使間の利益調整を図る目的にあったということはできない(証人神谷茂雄もこれを認めているところである。)。
一方,上記1(5)イのとおり,被告は同年3月31日にも同様の説明会を実施し,そこでは,現行規定と改正規定との対照表を示すなどした上で,55歳到達者の給与について具体的な説明をしたということができる。しかし,これが労使間の利益調整を図る目的にあったということができないのは上記同様であり,このことは,同日が本件就業規則等変更の前日であることからすれば尚更である。
以上の各説明会のほかに,本件就業規則等変更に関し,被告が原告その他の従業員との間で交渉等を行ったことを認めるに足りる証拠はない。
なお,被告は,原告及び木村以外の従業員は本件就業規則等変更に反対していない旨主張するが,仮にそうであるとしても,労使間の利益が調整された結果であることを認めるに足りる証拠はない。
オ 我が国社会における一般的状況等
上記1(8)のとおり,平成5年当時,信用金庫業界において,相当数の金庫が定年前処遇の低減措置を講じている状況にあった。また,同業界のみならず,当時多くの企業において,定年延長の措置と定年前処遇の低減措置とが一体となって執られていたということができる。
しかし,本件においては,上記のとおり,定年延長の措置と55歳以降の給与の低減措置とが一体となって執られたこと自体が認められないのであって,そうである以上,本件就業規則等変更の合理性の判断において,上記のような一般的状況を考慮することは相当ではないというべきである。
カ 本件就業規則等変更の合理性に関するまとめ
以上イないしオにかんがみれば,上記アの観点に照らし,本件就業規則等変更に合理性があったと認めることはできない。
(3) 以上の次第であって,月例給与部分に関する本件就業規則等変更は無効であるから,本訴請求中,月例給与の差額分(別紙2の「月例a-b」欄の合計961万1756円及びこれに対する遅延損害金)の支払を求める点は理由がある。
4 賞与について
原告の賞与が,55歳到達後に,55歳未満の従業員に比べて低い支給率(乗率)で算定されたことは,上記第2の1(3)ウ記載のとおりである。
しかし,被告の就業規則(具体的には給与規程)上は,「賞与金の額は,収益状況を勘案のうえ,社員の勤務成績に応じて算定する。」とのみ定められていて(給与規程41条。なお,証拠(<証拠略>)及び弁論の全趣旨によれば,この規定が本件就業規則等変更の前後を通じ変更されていないことが認められる。このように,原告の賞与の減額が就業規則の不利益変更の問題ではないことは明らかである。),少なくとも建前上は従業員によって賞与支給額を異にすることが許されない定めとはなっていない(すなわち,労働者が使用者に対し,就業規則上の定めに従って具体的な賞与金を請求できるような定めとはなっていない。)ことが認められ,これを覆すに足りる証拠はない。他に,55歳到達者にも55歳未満の従業員と同じ支給率で賞与が支給されることとなっていたことを認めるに足りる証拠はない。上記1(3)に,証拠(<人証略>)及び弁論の全趣旨を併せ考えれば,岡本及び浅島が,55歳到達後も55歳未満の従業員と同じ支給率で賞与の支給を受けていたことが認められるが,上記給与規程41条に基づく支給であったと解するのは十分可能であるから,この事実は上記判断を左右しないし,賞与に関し,原告ら「プロパー社員」のみ不利益に取り扱われたことを認めるに足りる証拠はない。
以上からすれば,原告について55歳未満の従業員と異なる扱いをすることが直ちに不当であるとはいえない。しかも,上記1(7)及び3(2)イ記載の事実によれば,平成5年以降被告は人件費削減を図るべき状況にあり,かつ,その削減対象として55歳到達者の賞与を選定したことが不相当であるということはできないことが認められる。仮に原告が過去被告に対して貢献したとの事実があったとしても,これを左右しないというほかはない。
なお,平成9年夏期賞与と同年年末賞与については,人事考課査定による減額部分があるが(第2の1(3)ウ),この人事考課査定が不当であることを認めるに足りる証拠はない。
以上からすれば,本訴請求中,賞与(臨給)の差額分を請求する部分は理由がない。
5 結論
以上の次第であって,主文のとおり判決する。
(裁判官 吉崎佳弥)
別紙1 別表(1)基本給表 7.4.1
<省略>
別表(1)の2 55歳到達者の給与表(本俸)
・ランクおよびクラスの決定は,勤務成績,能力,健康状態等を考慮し行う。
<省略>
別紙2 差額賃金目録(抄―「従来どおり」の「月例給a」に変化のある月および「臨給」欄を抄掲)
柳下 平成9年1月1日55歳到達
(1) 提出済
<省略>
(2) 今回提出分
<省略>