東京地方裁判所 平成10年(ワ)1803号 判決
原告 大村啓子
右訴訟代理人弁護士 小松雅彦
小林容子
被告 日興證券株式会社
右代表者代表取締役 金子昌資
被告 菅野剛男
右両名訴訟代理人弁護士 渡部喬一
小林好則
仲村晋一
松尾憲治
主文
一 被告らは、原告に対し、連帯して金三三七九万円及びこれに対する、被告日興證券株式会社については平成一〇年四月七日から、被告菅野剛男については同月五日から、それぞれ支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを一〇分し、その三を被告らの、その余を原告の負担とする。
四 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
被告らは、原告に対し、連帯して金一億一六四〇万五〇〇〇円及び内金九八八九万円に対する被告日興證券株式会社については平成一〇年四月七日から、被告菅野剛男については同月五日から、内金一七五一万五〇〇〇円に対する平成一二年一月一二日から、それぞれ支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
一 事案の要旨
本件は、証券会社の顧客であつた原告が、担当者の勧めによって購入した株式について、右担当者が原告による株式の売却指示に違反してこれを売却せず、かえって、今後は株価が上昇する旨の断定的判断を提供して右株式の売却を不当に阻止したなどと主張して、売却指示価格と値下がりした現在の株価(具体的には、平成一二年一月七日現在の株価の終値)との差額分につき、証券会社及び右担当者個人に対し、債務不履行ないし不法行為に基づく損害賠償を求めるとともに、請求額のうち訴訟提起時に請求した損害については、各訴状送達の日の翌日である前記記載の各日から、その後請求を拡張したこれを超える損害については、請求拡張に係る準備書面送達の日の翌日である平成一二年一月一二日から、それぞれ支払済みまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。
二 前提となる事実(争いのない事実)
1 当事者
被告日興証券株式会社(以下「被告会社」という。)は、証券業を営む株式会社であり、被告菅野剛男(以下「被告菅野」という。)は、平成四年三月以降、本件で問題となる原告との株式取引の当時まで、被告会社立川支店(以下、「被告支店」という。)の支店長を勤めていた。
原告は、昭和四年一一月二三日生の女性であり、長年個人病院の事務長として勤務した経験を有し、本件の取引の行われた平成七年八月当時、六五歳であった。なお、原告と被告菅野とは従姉弟の関係にある。
2 原告と被告会社との取引の開始
原告は、被告菅野との前記関係が縁で、平成四年六月二二日に、被告支店に取引口座を開設し、被告菅野を介して、被告会社との間で、株式の現物売買の委託取引を開始した。その取引の内容は、別表一「口座取引状況表」記載のとおりである。
3 持田製薬の株式の取引について
取引の過程で、原告は、平成四年八月二八日、被告会社を介して、持田製薬の株式(以下「持田製薬株」という。)を、単価三四三〇円で一万三〇〇〇株、同三四九〇円で三〇〇〇株、合計一万六〇〇〇株購入した(手数料を含む購入代金は、合計五五四五万七五三六円である。)。
原告は、平成七年七月一〇日、この持田製薬株一万六〇〇〇株を単価一四三〇円で一万株、一四二〇円で二〇〇〇株、一四一〇円で四〇〇〇株、合計二二七八万円で売却し(手数料、譲渡益税等控除後の売却代金は、二二二九万九四〇四円である。)、更に、同月一七日、同株七〇〇〇株(無償交付により取得したもの)を、単価一三五〇円、合計九四五万円で売却した(手数料等控除後の売却代金は、九二四万六一四一円である。)。
4 サカイオーベックスの株式の取引について
(一) 原告は、サカイオーベックス株合計一五万五〇〇〇株を、次のとおり購入した。
購入日 単価 株数
(1) 平成七年七月一〇日 五二四円 三〇〇〇株
五二五円 一〇〇〇株
五二八円 一万六〇〇〇株
五二九円 一万七〇〇〇株
五三〇円 三〇〇〇株
(売買代金は、手数料を含め合計二一二七万八八八〇円である。前記3記載の七月一〇日の持田製薬株の売却代金がこの売買代金に充てられた。)
(2) 同月一七日 六一〇円 一万〇〇〇〇株
六一五円 五〇〇〇株
(売買代金は、手数料を含め合計九二五万四〇二六円である。前記3記載の七月一七日の持田製薬株の売却代金がこの売買代金に充てられた。)
(3) 同年八月一六日 七〇九円 七万〇〇〇〇株
(売買代金は、手数料を含め合計四九九〇万九二四五円である。同日売却した沖電気工業株の売却代金が売買代金に充てられた。)
(4) 同月一七日 七一九円 三万〇〇〇〇株
(売買代金は、手数料を含め合計二一七二万三四九七円である。売買代金は、原告が別途調達した。)
(二) サカイオーベックス株の株価は、原告が最初に購入した同年七月一〇日頃は、五〇〇円台の前半であったが、七月一七日頃には、五〇〇円台の後半から六〇〇円台の前半となり、八月一六日、一七日頃は、六〇〇円台の後半から七〇〇円台の前半と急激に上昇の傾向となり、八月二二日に一時九〇〇円まで上昇した。しかし、その後の株価は下落し、平成八年三月二五日の終値は、六三〇円、本件提訴直前である平成九年一二月一一日の終値は、一二〇円となった。
サカイオーベックス株の株価は、その後も低迷し、平成一二年一月七日現在の株価の終値は、九七円である(同株の平成八年三月二九日までの株価等の動きは、別表二[サカイオーベックス株価]記載のとおりである。)。
(三) 被告会社は、原告の求めに応じ、平成八年三月二五日、原告が購入し被告会社が保管していたサカイオーベックス株一五万五〇〇〇株の株券を原告に引き渡し、その後、原告は、現在まで右株券を保有し続けている。
三 争点及び当事者の主張
1 争点1(被告らに、原告との証券取引に関し、債務不履行ないしは不法行為があったといえるか。)
(一) 原告の主張
原告は、被告会社の従業員であり履行補助者である被告菅野を担当者として被告会社との証券取引を行ったものであり、原告との証券取引に関する被告菅野の以下の行為により、原告に損害を被らせた。したがって、被告らには、債務不履行(被告会社につき受託者としての善管注意義務違反)ないしは不法行為責任(被告会社につき民法七一五条、被告菅野につき民法七〇九条)がある。
(1) 売却注文の不執行
ア 平成七年八月二二日の指値八四八円での売却注文の不執行
原告は、同日、被告菅野に対し、原告の保有するサカイオーベックス株を全て単価八四八円で売却するよう注文したが、被告菅野は、次のとおり、右の注文を執行しなかった。
すなわち、原告は、同日午前九時一五分頃、被告菅野に電話し、原告の保有する右サカイオーベックス株一五万五〇〇〇株の全てを、単価八四八円(この八四八円という株価は、取引手数料及び税金を控除しても、持田製薬株の取引による原告の損失を取り戻すことができる金額であり、原告は、他の証券会社の担当者に相談してこの指値を決定した。)で売却するよう注文した。
しかし、被告菅野は、「そんな馬鹿な安い金額では売れません。私の計画では、八七〇円で五万株、九〇〇円で五万株、九五〇円で五万五千株と競り上がって売りますから。」と答え、更に原告が売却を求めると、「このサカイオーベックスに関しては、私が手がけている確かな情報を得ながらやっているので御損をおかけするようなことは絶対にありません。八七〇円から売りに出すのが良いですね。」などといい、原告の申出を聞かず、結局、同日中、右注文を執行しなかった。
イ 平成七年八月二三日以降同月末までにおける売却注文の不執行等
前日の注文不執行のことを知った原告は、翌二三日午前、息子の大村吉博(以下「吉博」という。)及び同居していた親しい友人の小林コウ(以下「小林」という。)とともに被告支店に出向き、被告菅野に対し、前日の売却注文を執行しなかったことについて苦情を述べた。
その際、原告が当日のサカイオーベックス株の株価を尋ねたところ、被告支店の従業員から七九〇円程度であるとの回答があったので、原告は、その価格で直ちに売却するよう指示した。しかし、被告菅野は、「サカイオーベックスは初めからいっているとおり、確かな情報を得てやっているので、そんな安い値段では売れません。もう一度持ち返し一〇〇〇円以上つくから、今売るわけにはいきません。」と回答し、その売却指示に従うことを拒絶した。
原告は、翌二四日、被告支店に電話し、応対に出た従業員の齋藤竜彦(以下「齋藤」という。)に対し、右株式を当時の株価である八〇〇円前後でいいから売却するよう指示したが、齋藤は、支店長を信じて下さい、また上がりますから、支店長を信じて待ってください、との趣旨を繰り返すのみで、その売却指示を執行しなかった。齋藤がこのような対応をしたのは、上司である被告菅野から、原告からの売注文があっても売却しないよう命ぜられていたからである。
その後も、同年八月末にかけて、毎日のように、原告自身、あるいはその代理としての小林や知人の菊川洋子が、日に何度も被告支店に電話を架け、サカイオーベックス株をいくらでもいいから売って下さいと、その売却を依頼したが、被告菅野をはじめとする被告支店の従業員は、これに応じなかった。
(2) サカイオーベックス株の処分についての断定的判断の提供
そもそも、サカイオーベックス株の取得自体、被告菅野の絶対値上がりするとの断定的判断を信じてされたものであるが、被告菅野及びその他の被告支店の従業員は、その後も、原告との電話連絡が続いた平成九年一二月頃まで、原告に対し、次のとおり、根拠もなく同株が値上がりする旨の断定的判断を提供した。
ア 被告菅野は、前記のとおり、同年八月二二日午前九時一五分頃、原告からサカイオーベックス株を八四八円で売却するよう求められたが、「そんな安い値段では売れない、これは競り上がって売ります。」と回答し、更に、同日午前九時五〇分ころ、原告が被告菅野に電話して、再度同様の指示をしたところ、被告菅野は「冗談じゃない、じき一〇〇〇円に付くという株なのに、そんな安い値段では売れない。私は確かな情報を得てやっているので、私に任せて安心していればいいのです。」と、断定的判断を提供した。
イ 被告菅野は、平成七年九月、原告と電話した際にも、「来週には上がります。ご期待下さい、確かなところより情報を得てやっていますので、じき持ち返しもう一度一〇〇〇円に付くので心配はいりません。大村さんは素人、私は三〇年のプロなのですから心配しないで私に任せておけばいいのです。今もその確かなところに行って情報を得てきたばかりですので、ご心配はいりません。」、「サカイオーベックスは持田の損を取り返すために私がお勧めして買って頂いたのですから、最後まで私が面倒をみさせていただきます。」と断定的にいい、その後も、「確かなところから情報が入り、必ず持ち返しますからご心配は無用です。」と繰り返した。
ウ 平成八年一月一〇日前後には、サカイオーベックス株の株価が七五〇円まで上昇したが、被告菅野は、原告の意を体して電話してきた小林に対し、「確かな情報が今入っています。じきご期待に添えます。今しばらくのご辛抱です。大村さんにお伝え下さい。」と述べ、また、株価が七四〇円まで上昇した同月二五日にも、「良い線に行っています。今しばらくのご辛抱です。確かな情報を得ながらやっているので私のいうとおりになってきましたでしょう。ここ一番我慢して私に任せていて下さい。大村さんに伝えて下さい。」と説明して、同株の売却を思いとどまるよう、原告に伝えさせた。
エ 平成八年二月、被告菅野が被告支店から転出したので、原告は、後任の担当者である土門課長に、「菅野がまだ値が上がるといっていたにもかかわらず、サカイオーベックス株は値下がりしてしまって、どうしたらよいか困っている。」と相談したところ、土門は、「大村さんには大変ご迷惑をおかけしたので、今後サカイオーベックスについては私が責任を持って連絡させていただきます。」といい、その後は、原告にしばしば電話を架けてきて、「必ず上がります。今しばらくの辛抱です。」などと説明した。その際、原告は、土門に対し、「菅野さんと同じようなことをおっしゃるけど、菅野さんと連絡を取り合っているの。」と聞いたところ、土門は、「私は別のところから情報を得ています。必ずご期待に添うよう上がりますから、ここ一番我慢して下さい。売ることは考えないで下さい。」と回答した。
平成八年五月初め頃、株価が六八〇円くらいまで上昇してきたときも、土門は、原告に対し、「上げ幅が大きいし、出来高が多くなってきました。情報どおりになってきましたからご安心下さい。今後はご期待に添えると思いますので今しばらくのご辛抱です。」と述べた。
オ 平成八年八月頃、土門が、転勤すると伝えてきたので、原告は、同年九月六日に、小林と共に被告菅野の勤務先を訪問し、これまでの責任をとって今後連絡をするよう求めたところ、被告菅野は、「土門が転勤になったので、今度は私が連絡をしなければと思っていました。持田の損を取り戻そうと思ってお勧めした株がこのようになってしまい、本当に申し訳ありませんでした。確かな情報が今も入っていて、連絡を取り合っています。まだ終わっていません。」と述べ、毎週原告に連絡をすることを確約した。
被告菅野は、その後、週に一度程度原告に電話をし、その時々の市場の状況を説明し、平成九年一二月頃まで、「今も確かなところから情報をとっています。もう少し待てばサカイオーベックス株は必ず上がります。もう少しの辛抱です。」などと、終始楽観的な情報を断定的に伝え続けた。
(二) 被告らの主張
原告の主張は、争う。
被告らには、原告との証券取引に関し、債務不履行ないし不法行為責任はない。
(1) 注文不執行について
ア 平成七年八月二二日の注文について
原告は、同日、被告菅野に対し、サカイオーベックス株を八四八円で売却するよう注文指示した事実はない。
原告は、次のとおり、同日、八七〇円での売却を注文し、被告会社において、同額での売却の執行を試みたが、売買は成立しなかったものである。
すなわち、原告は、同日の前場中、被告菅野にサカイオーベックス株の値動きの状況を問い合わせてきた。その時点での同株は、九〇〇円の高値を付けた後、八七〇円で証券取引所の商い整理のため一時売買をストップする(笛を吹く)状態であった。被告菅野がこのような値動きを伝えたところ、原告は、「どのように売っていったらよいか。」と質問してきた。そこで、被告菅野は、原告に対し、この日のサカイオーベックス株のように値動きが大きいときは、一度に全株を売ってしまった後、更に値上がりすることがある旨を説明し、売りに出す場合には、いま笛を吹いている八七〇円でまず五万株を売りに出し、更に値上がりしたときは、例えば九〇〇円で五万株、九五〇円で残りの株と、売り上がっていくことにしてはどうかと提案したところ、原告はこれを了解し、未だ取引停止中であった午前一〇時から同一〇時三〇分の間に、被告菅野に対し、五万株を指値八七〇円で売りに出すよう指示した。
そこで、被告菅野は、部下の齋藤にその旨指示し、齋藤は、直ちにこの注文を執行したが、売買は、結局成立しなかった。
被告菅野と齋藤は、同日、原告にその旨報告したが、原告からは、八七〇円で売れなかったことについての苦情はあったものの、八四八円の指値で売りに出さなかったことを非難する発言は一切なかった。
被告菅野が、原告側から、同日八四八円の指値をしていたとの苦情を初めて聞いたのは、平成八年六月になってからであり、原告らは、その頃になって、そのようなことを主張し始めたに過ぎない。
イ 同月二三日以降の注文不執行について
a 同月二三日、原告は、吉博及び小林と共に被告支店を訪ねてきたが、その際、原告は、サカイオーベックス株が原告の指値である八七〇円で売却できなかったことを残念がってはいたが、被告菅野や齋藤の説明に納得し、当面は、同株を売却せずに保有しておくことで了解していた。もとより、原告らから八四八円で売却注文を出したのに執行しなかったとして非難を受けたことはない。
また、この日に、原告から当日の株価での売却を改めて指示されたことはない。
b 翌二四日以降、被告菅野は、原告に対し、サカイオーベックス株の値動きについて毎日報告し、また、原告からもしばしば電話が架かってきたが、この間、原告は、被告菅野の助言に従い、株価の戻りを期待して様子をみるということで了解しており、被告菅野や齋藤に対し、「現在の値段で売ってくれ。」とか、「八〇〇円で売ってくれ。」というような売却指示をしたことはない。
なお、被告菅野は、齋藤に対し、サカイオーベックス株の売買の提案やアドバイスは被告菅野自身が行い、できる限り同人が原告と連絡を取る旨伝えていたが、原告からの売却指示に従ってはならないなどと命じたことはない。
(2) サカイオーベックス株の処分についての断定的判断の提供について
被告菅野らは、その後も原告に対し、証券外務員として、自分なりのサカイオーベックス株に対する見通しや相場観を説明したことはあり、その際に、「もう少し持っていた方がよいのではないですか。」とか、「相場の様子をもう少し見てからにしてはどうですか。」といった助言をしたことはあるが、原告主張のような断定的判断を提供したことはない。
2 争点2(原告の被った損害額について)
(一) 原告の主張
原告は、被告菅野に対し、前記のとおり、平成七年八月二二日、サカイオーベックス株一五万五〇〇〇株を単価八四八円で売却するよう指示したものであるところ、被告菅野が右の指示に従って誠実に売却を実行すれば、当日、右価格で右株式の売買が成立したものである。
しかし、被告菅野らは、原告の指示を執行せず、その後も前記のとおり、原告の売却指示を拒絶し、あるいは、原告に誤った断定的判断を提供して、これに従わざるを得なかった原告をして、適時における売却の機会を失わせた。
同株の平成一二年一月七日の終値は、単価九七円であるから、原告が指示した八四八円と右九七円の一株当たりの差額七五一円に株数一五万五〇〇〇株を乗じた一億一六四〇万五〇〇〇円が、被告らの債務不履行あるいは不法行為により原告に生じた損害である。
(二) 被告の主張
損害に関する原告の主張を争う。
(1) 被告会社が、原告から、平成七年八月二二日に、同株につき八四八円での売り注文を受けた事実は存しないし、その後も、原告から売却の指示がされたことはない。
(2) 仮に、右事実が認められたとしても、原告は、平成七年九月以降は、サカイオーベックス株を自らの判断でいつでも自由にその時々の時価で売却することが可能であったものであって、適宜の売却により、その後の市場価額の低下による損害の発生を回避することができたにもかかわらず、自己の判断でこれを保有し続けたのである。この当時のサカイオーベックス株の株価は、原告の取得価格を上回る六〇〇円台後半であり、適時の売却により利益をあげることが可能であった。
特に、原告は、平成八年三月二五日に、被告会社から同株の株券の返却(出庫)を受け、これを自己の手許に保持するに至っていたのであるから、遅くとも、その時点以降は、被告会社の意向とは関係なく、自由な判断で処分することが可能な状態になっていた。
したがって、平成七年九月以降、遅くとも平成八年三月二五日以降の株価値下がりによる損失は、原告が適当な時期に同株を売却しなかったことに起因するものであって、原告主張のような被告菅野及び被告会社の行為との間に相当因果関係があるということはできない。
第三争点に対する判断
一 事実関係
前記争いのない事実のほか、甲一号証ないし六号証、七号証の一ないし二一、八号証ないし一二号証、一四号証、一九号証、二三号証の一ないし一五五、二五号証、乙一号証ないし四号証、証人大村吉博、同齋藤竜彦の各証言、原告及び被告菅野剛男各本人の供述に弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認めることができる。
1 原告は、昭和四年一一月二三日生まれ(平成七年八月当時は六五歳)の女性である。
原告は、長年にわたり個人病院の事務長として勤務してきたものであるが、平成四年頃、院長から、それまで同人に預託していた現金の返還に代えて、鹿島建設株や明治乳業株など上場会社数社の株券の交付を受け、右株券の換金のために、平成四年六月頃、原告の従兄弟である被告菅野に連絡を取ったことを契機に、被告菅野を介して、同月二二日以降、被告支店に取引口座を開設し、株式の現物売買の委託取引をするようになった。
原告は、この株式取引による利益金をもって、原告の老後の生活や福祉関係のヴォランティア活動のための資金に充てる希望を有していた。
そして、この頃、原告のほか、原告と同居していた息子の義博や友人の小林も、被告菅野の勧誘により、被告支店に取引口座を開設した。
2 原告は、病院に出入りしていた持田製薬の担当者から、同社は内容の良い会社であると聞いたことからその株式の購入を考え、平成四年八月二八日、被告菅野を介して、前記のとおり持田製薬株一万六〇〇〇株を購入した。
その購入当時、持田製薬株の株価は、三四〇〇円台であったが、その後下落し、二、三週間経過した頃三二〇〇円程度となったので、原告は、被告菅野に売却について相談したが、もう少し様子を見たらどうかとのアドバイスを受けてこれに従い、同株を保有し続けることにした。しかし、その後も持田製薬の株価は下落し、平成八年七月ころは一四〇〇円台までに落ちていた。この間、原告は、被告菅野を介し、平成六年八月初めまでは、前記のとおり(別表一参照)株式や転換社債の売買を行い、金貯蓄や投資信託も手掛けていたが、その大半は、被告菅野の勧誘によるものであった。これらの取引に必要な資金は、それまで原告が保有した株式を売却した代金が充てられたほか、原告が別途入金したものもある。
この間の取引に関し、原告は、平成五年五月に購入したスズキ株二万株の平成六年一月の売却や同年六月ないし八月の沖電気株六万六〇〇〇株の購入時における原告の意向を十分に考慮しない被告菅野の強引なやり方に不満を有しており、その後、平成六年八月中旬から平成七年七月上旬まで、原告と被告会社との取引はなかった。
3 サカイオーベックス株の取得
(一) 被告菅野は、平成七年七月一〇日、原告に電話を架け、持田製薬株につき生じている損失(前記の買受価格とその頃の株価との差を考慮すると二四〇〇万円程度となる。)を取り戻すには、サカイオーベックス株を購入するしかないとして、サカイオーベックス株の購入を強く勧誘した。サカイオーベックス社は、東洋レーヨンの関連会社で、中国に進出して新しい事業展開が見込まれるということで、当時注目されていた会社である。
すなわち、被告菅野は、原告に対し、サカイオーベックス株については確かな情報が入っているので、持田製薬株の償いをしようと思ってお勧めしている、一週間か一〇日で一〇〇〇円の値が付くという確かな情報を得ている、私は証券マンとして一度大きな商いをしたいと思っていたのがこの株であり、命がけでやるので、絶対ご損はかけないので、私を信用して欲しい、この株でなければ、持田の損は取り返せない、などと熱心に説明に当たった。
原告は、かつて持田製薬株の売却の機会を逸したことや沖電気株の購入のいきさつを持出して疑問を呈したが、被告菅野が、このチャンスを逃すと二度と持田製薬株の損失の回復はできないなどといって、なおも繰り返し勧誘するので、この際、当時一四〇〇円台にまで下落していた持田製薬株の損失を取り返せるのであればと考えて、持田製薬株を売却してサカイオーベックス株を購入することを承諾した。
(二) そこで、原告は、同日、被告会社を介し、前記のとおり、持田製薬株一万六〇〇〇株を売却し、手数料等を差し引いて二二二九万九四〇四円の売却代金を取得し、右代金でサカイオーベックス株を、単価五二四円で三〇〇〇株、同五二五円で一〇〇〇株、同五二八円で一万六〇〇〇株、同五二九円で一万七〇〇〇株、同五三〇円で三〇〇〇株、合計四万株購入した。
なお、同日のサカイオーベックス株の株価は、始値五二三円、高値五四五円、安値五〇六円、終値五〇八円であり、出来高は、一一三万五〇〇〇株であった。
(三) 更に原告は、同月一七日、被告菅野の勧誘に応じ、持田製薬の無償配当株七〇〇〇株についても、これを売却してその代金でサカイオーベックス株を購入することを承諾し、同株七〇〇〇株を単価一三五〇円で売却し、手数料を差し引いて九二四万六一四一円の売却代金を取得し、右代金で、サカイオーベックス株を、単価六一〇円で一万株、同六一五円で五〇〇〇株購入した。
なお、同日のサカイオーベックス株の株価は、始値六一五円、高値六二四円、安値五九八円、終値六一九円であり、出来高は、八四万六〇〇〇株であった。
(四) 原告は、同年八月一六日、被告菅野の示唆に従い、以前購入していた沖電気株六万六〇〇〇株を単価八三〇円で売却して手数料等を差し引いて五三七七万六一〇八円の売却代金を取得し、これをもって、サカイオーベックス株七万株を単価七〇九円で購入した。
なお、同日のサカイオーベックス株の株価は、始値六六四円、高値七一八円、安値六五九円、終値七〇五円であり、出来高は、八五五万四〇〇〇株であった。
(五) このとき、被告菅野は、銀行で借りてでも更に二〇〇〇万円ほど調達して同株の買増しをすることを勧めたところ、原告は、一旦は断ったものの、結局これに応じ、翌日の八月一七日、保証小切手で二六二六万九七七一円を被告支店に持参し、同日、同株三万株を単価七一九円で購入した。
なお、同日のサカイオーベックス株の株価は、始値七一五円、高値七二七円、安値六九五円、終値六九五円であり、出来高は、三一三万八〇〇〇株であった。
原告は、このとき、購入したサカイオーベックスの株が合計一五万五〇〇〇株になったと聞いて心配になり、まさか仕手の株ではないでしょうねと尋ねたところ、被告菅野はこれを否定した。
(六) 原告は、サカイオーベックス株を早く売却しないと大変なことになるかもしれないと考え、その後、被告菅野に架電して、状況を確認しようとしたが、被告菅野は、このサカイオーベックス株は、確かな情報を得てやっているので心配はいらない、情報は自分一人にしか入らない、他の人は知らないので話さないように、などと応答したので、原告は、一層不安になり、他の証券会社などに電話でサカイオーベックス株のことを問い合わせたところ、サカイオーベックス株は仕手で怖いから、もし持っているならば、早めに全部手放したほうが良いとの助言を得た。
4 同年八月二一日の状況
(一) 八月二一日午後三時過ぎ、被告菅野は、原告に電話を架け、サカイオーベックス株について、当日の終値は八四二円であった旨、同株の出来高が非常に多いことを告げ、「明日は八七〇円を念頭に入れて市況をみていて下さい。」と説明した。
なお、同日のサカイオーベックス株の株価は、始値七七二円、高値八四二円、安値七六八円、終値八四二円であり、出来高は、一一五〇万六〇〇〇株であった。
(二) このころ、原告も、独自に情報を仕入れ、サカイオーベックス株がいわゆる仕手筋の株であり、価格が急騰することもある反面、暴落の危険もあるとの認識を持った。そこで、原告は、翌二二日朝に同株を全て売却することにし、当時情報を得ていた知人と相談の上、税金及び売却手数料を差し引いても持田製薬株での損失を取り戻せるよう、単価八四八円を売却価格と決定した。
5 同月二二日の状況
(一) 同月二二日午前九時一五分頃、原告は、被告菅野に電話し、原告の保有するサカイオーベックス株一五万五〇〇〇株を全て、指値八四八円で売却するよう注文した。
しかし、被告菅野は、「そんな安い値段では売れません。これは競り上がって売ります。」と答え、競り上がるとはどういう意味かと尋ねた原告に対し、「順々に値をつり上げて売る。」「八七〇円で五万株、九〇〇円で五万株、九五〇円で五万五千株というように売り上がってゆきます。まず八七〇円から売りに出しますから良いですね。」と回答し、原告が直ちに八四八円で売却するよう重ねて求めると、被告菅野は、多忙を理由に一方的に電話を切った。
(二) 同日九時四〇分ころ、この事態を心配していた吉博は、勤務先から原告に電話を架けて、サカイオーベックス株の売却が完了したか確認し、原告が、被告菅野とのやり取りを説明したところ、八四八円で売却するよう直ちに指示すべき旨の助言をした。
これを受けて、原告は、午前九時五〇分頃、再度、被告菅野に電話を架け、八四八円で全株式を一度に売却するよう要求した。しかし、被告菅野は、「じき一〇〇〇円につくという株なのに、そんな安い値段では売れない。私は確かな情報を得てやっているので、私に任せて安心していればいいのです。」といって、売却注文に応じない態度を示した。
この電話の途中で、サカイオーベックス株については、株価が一時九〇〇円を付け、また、その数分後である午前九時五九分、同株の注文が錯綜したため東京証券取引所での売買が一時中止されたが(いわゆる笛を吹く状態)、被告菅野は、「今九〇〇円に付いた。」、「今八七〇円で笛を吹いている。笛を吹くということは、これからどんどん上がることだから、そんな安い値段では売れない。」と説明し、なお、売却要求に応じなかった。なおも、原告が繰り返し売却を求めると、被告は、「はい、分かりました。私はこれから出掛けるので、ほかの者は手がけていないから、齋藤にも、他の者にも電話をしないで下さい。」と回答し、小林が、原告に代わって、再度八四八円での売却を念押ししたが、被告菅野は、同様の説明を繰り返した。
(三) この日のサカイオーベックス株の株価は、午前九時に前日の終値と同じ八四二円で寄り付き、午前九時六分から同三七分まで一時取引が停止された後に急上昇し、午前九時五五分には九〇〇円の高値を付けたが、その直後売り注文が殺到し、午前九時五九分に八八〇円での取引を最後に、再度取引が一時停止された。右取引停止中の午前一〇時には八八〇円、同一〇時一〇分には八七〇円、同一〇時二七分には八六〇円の、それぞれ売り気配値段が示され、午前一〇時二九分に取引が再開されてからは八五五円から八六三円での取引が続いた後、同一〇時三三分頃から更に値を下げた後、前場終わり(午前一一時)の直前五分ほどで二〇円以上値を上げ、結局前場終値は八五三円であった。
(四) 被告菅野は、齋藤に対して、原告保有のサカイオーベックス株につき、八八〇円で五万株の売り注文を指示し、齋藤は、東京証券取引所の昼休みである午後〇時二〇分頃、同額の売り注文を提出したが、後場においては、右売買は、結局成立しなかった。
(五) 原告は、被告菅野の指示に従い、暫くは被告菅野からの電話を待っていたが、連絡がなかったため、午後三時頃、被告支店に電話を架け、応答した齋藤に、売却できたかどうか確認したところ、齋藤は、八七〇円で売りに出したが、売買は成立しなかった旨回答した。
6 同月二三日の状況
(一) 翌二三日午前、原告は、吉博及び小林を伴って、被告支店の被告菅野を訪問した。吉博は、原告の話を聞いて、原告らのみでは心許ないと判断し、同日は会社に出勤することを取りやめて、わざわざ原告らに同行したものである。
被告支店では、原告ら三名に対し、被告菅野と斎藤が同席して話合いが持たれた。原告は、被告菅野に対し、前日の売買注文の不執行を非難するとともに、原告保有のサカイオーベックス株全部を直ちに売却するよう求め、その時点での株価を尋ねたところ、店内にいた他の従業員から、七九〇円台である旨の回答があったので、原告は、即座に、「その金額でいいから全部一度に売って下さい。」と申し入れた。
しかし、被告菅野は、「じき持ち直し、一〇〇〇円以上に付く株ですから、そんなに安い値段で売るわけにはいきません。初めからいっているように、確かな情報を得てやっているので、私を信用して任せておけばいいのです。今も情報が入ったばかりです。これから本社に出掛けますから、吉博さんも心配しないで会社に帰りなさい。」と言って、この注文に応じなかった。
被告菅野が、所用のためと称して、原告らとの応対を途中で打ち切ったため、原告らは、残された齋藤に、重ねて時価での売却を、申し入れたが、齋藤は「支店長は確かな情報を得てやっているので、絶対ご心配はいりません。安心して任せておいて下さい。」といって、やはり、売り注文には応じなかった。
(二) そこで、原告らは、やむなく一旦帰宅したが、その後被告支店に電話し、応対した斎藤に対し、再度、サカイオーベックス株の即時全部の売却を求めたが、斎藤は、被告菅野を信じていればいい、話だけは全部被告菅野に伝える旨返答したのみで、売却の注文には応じなかった。
なお、同日のサカイオーベックス株の株価は、始値七九一円、高値八一六円、安値七五〇円、終値七八五円であり、出来高は、五九七万四〇〇〇株であった。
7 同月中の状況
(一) 翌同月二四日以降同月末にかけて、原告は、小林及び菊川洋子と共に、数回にわたり、被告支店に電話し、応対した齋藤に対し、サカイオーベックス株の売却を依頼したが、齋藤は、従来どおり、支店長に伝えておく旨述べるだけで、株の売却には応じなかった。
齋藤は、同月末をもって、異動により被告支店を離任した。
(二) なお、同月中のサカイオーベックス株の株価の動きは、以下のとおりである。
始値 高値 安値 終値
八月二四日 七九一円 八一六円 七五〇円 七八五円
二五日 八〇五円 八〇五円 七六九円 七九五円
二八日 七五〇円 八二二円 七四七円 八二二円
二九日 八三二円 八三五円 七七七円 七七七円
三〇日 七八〇円 八〇〇円 七七一円 七八六円
8 同年九月以降の状況
(一) 同年九月中旬頃、原告が、被告菅野に対し、注文不執行の件を非難したところ、被告菅野が、一五万五〇〇〇株位の端金で文句をいうなどと反論したため、原告は、被告会社の苦情係に申入れをした。
右苦情係への申し入れ後も、原告から売却不執行につき責められる度に、被告菅野は、原告に対し「じきに上がります、ご期待下さい。確かな情報を得てやっているので、私を信用して待っていて下さい。」などと、回答していた。
なお、平成七年九月以降は、原告は、被告会社に対し、サカイオーベックス株の売却注文を出していない。
(二) 同年一〇月頃、菊川が、被告菅野に対して、原告が生活に困っている旨苦情を述べたのに対し、被告菅野は、そんなに苦しいなら、五〇〇円、六〇〇円台で買った分で少し儲かっている分を売ったらどうか、と売却を示唆するような返答をしたが、同時に「月末には持ち返し、色よいご返事ができます。もう少しの辛抱です。」とも付け加え、直ちに売却しない方が得をする旨の情報も提供した。
このころから、被告菅野の電話には、原告は直接出なくなり、原告と同居していた小林や菊川が代わりに対応するようになった。
(三) 平成八年に入ると、それまで一株七〇〇円前後だったサカイオーベックス株の株価が一月五日ころから上昇し、同月一〇日には最高値で七六五円を付けた。
この頃、被告菅野は、原告方に電話し、応答した小林に対し、「確かな情報が今入っています。じきご期待に添えます。今しばらくのご辛抱です。大村さんにお伝え下さい。」と述べ、原告にその旨伝えさせた。
その後、一旦は同株の株価が下がったものの、同月二五日に、終値で前日より六〇円高い七四〇円を付けた。この時も、被告菅野は、原告方に電話し、小林に対し、「良い線にいっています。今しばらくのご辛抱です。確かな情報を得ながらやっているので私のいうとおりになってきましたでしょう。ここ一番我慢して私に任せていて下さい。大村さんにお伝え下さい。」と説明した。
しかし、同株は、翌日、最高値で七七六円を付けた後、次第に値が下がってしまった。
(四) 被告菅野は、平成八年二月、人事異動によって、被告支店から、被告会社の関連会社である日興企業株式会社(以下「日興企業」という。)に出向となり、そのころから、原告は、被告支店の土門課長を窓口として、サカイオーベックス株の状況等について連絡をとるようになった。
原告は、この頃、土門課長に対し、サカイオーベックス株の株券の交付を求めたところ、土門課長はこれに応じ、同年三月二五日、サカイオーベックス株一五万五〇〇〇株全部の株券が原告に引き渡された。
なお、同日のサカイオーベックス株の終値は六三〇円であった。
右株券返還後も、暫くの間は、土門課長から原告に対し、サカイオーベックス株について株価の動きや今後の見通し等について、電話で連絡されていた。
(五) 吉博と小林は、平成八年六月一八日、日興企業に赴き、被告菅野に対し、本件取引について、前年八月二二日の八四八円の売却注文に応じなかったのか、釈明を求めたことがある。このとき、被告菅野は、同日原告から電話があったとき、丁度笛を吹いていたので、八七〇円で五万株を売りに出したが売れなかった旨答え、更に株価が上がると見込んだ自らの判断の誤りを謝罪した上で、今も確かな情報が入っており、必ずご期待に添えると思う、もう少しご辛抱下さい、と従前どおりの説明を加えた。
(六) 原告は、同年八月末頃、土門課長から、転勤のため立川支店を離れる旨の通知を受けた。このため、原告と小林は、九月六日頃、被告菅野の勤務先を再度訪問して、今後は、被告菅野が、原告に対し、一週間に一度程度、サカイオーベックス株についての情報を入れる旨約束させた。
その後は、原告が肩書地に転居する同年一一月頃まで及び転居後に原告から被告菅野に連絡を入れた平成九年三月頃から同年一二月頃までの間、おおむね週一回程度、被告菅野から原告に対し電話があり、サカイオーベックス株の株価動向、今後の見通しなどを伝えていたが、その際、被告菅野は、それまでの客観的状況を伝えるとともに、依然として「もうじき上がります。」などと楽観的観測を伝えていた。
なお、右の電話のやりとりのなかで、原告の追及に対し、被告菅野は、原告の指示に反し、サカイオーベックス株を八四八円で売却しなかったことについての責任を認めるかのような発言があったことが窺われる。これらの会話の一部は、原告により録音された(その反訳書が、甲七号証の一ないし二一である。)。
(七) 原告は、前記のとおり、サカイオーベックス株の株券の返還を受けた後、これを他の証券会社に預け、同社の保護預りとしていたが、現在に至るまで同株を売却することなく保有し続けている。同株の平成一二年一月七日における東京証券取引所の終値は、九七円である。
二 以上の事実関係を前提として、争点1の被告らの債務不履行ないし不法行為の成否について判断する。
1 争点1の(一)の(1) のア(平成七年八月二二日の売却注文の不執行)について
(一) 前記一の5において認定したところによると、原告が、平成七年八月二二日の午前九時一五分頃及び午前九時五〇分頃の二度にわたり、被告菅野に対し、原告保有のサカイオーベックス株一五万五〇〇〇株を指値八四八円で売却するよう注文をしたにもかかわらず、被告菅野は、前記のように言を構えて、右注文を執行しなかったものである。
(二) これに対して、被告らは、前記のとおり、当日、原告からは、八四八円ではなく八七〇円で売却する旨の注文があったので、被告菅野の指示を受けた齋藤において、単価八七〇円で売りに出したが、結局、売買は成立しなかったと主張し、乙三号証及び証人齋藤竜彦の証言にも、右主張に沿う部分がある(被告菅野の供述にも一部、右主張に沿う部分がある)。
しかし、被告らは、当初、原告から電話があった時刻を、同日前場の立会の終わる午前一一時前後であったと主張しており、乙二号証及び被告菅野本人尋問の結果もこれに沿うものであるところ、その後、甲一六号証が提出され、サカイオーベックス株の取引が一時中止されていた時刻が午前九時五九分から同一〇時二九分までであったことが明らかにされると、主張を先のように変更したものであること(なお、被告菅野は、同期日における本人尋問の途中で甲一六号証を示されても供述を変更していない)、また、被告らは、同日、原告からの依頼を受けて、直ちに八七〇円で五万株の売り注文を出したが、結局売れなかった旨主張するところ、前記認定のとおり、右取引停止中の同株の株価は、売り気配のまま徐々に下がっており、八七〇円ないし八八〇円での取引成立は期待し難い状況にあったものであって、このことは被告菅野としては確実に知りうる状況にあったものと推認されること、更に、齋藤が作成したという株式売伝票(甲八号証)には、当日の午後一二時二〇分に、指値八八〇円での売り注文がされた旨の記載があり、これについて、被告らは、取引に用いるコンピュータのディスプレイから転記する際に誤記したものであると主張するところ、法律上作成が要求されている重要な書面において、顧客からの注文について最も重要な記載事項である受注時刻及び指値のいずれも誤って記載されるとは想定しがたいこと(なお、一二時二〇分の受注時刻は、変更前の被告らの主張にむしろ沿うものである。)、加えて、それまで原告の株式取引について、直接被告菅野に会って交渉するようなことがなかった息子の吉博が、翌二三日午前中に、わざわざ勤務を休んでまで原告に同行して、被告菅野に苦情を申し入れていることは、前日よほど尋常でない事態が発生したとしなければ平仄が合わないこと(被告らが主張するような事実関係であったとすると、吉博が何故に勤務を休んでまで同行する必要があったのか説明が困難である。)等の事実に照らすと、前記のとおり認定判断するのが相当であって、これに反し、被告らの主張に沿う乙二、三号証、証人齋藤竜彦及び被告菅野の各供述を採用することはできないものというべきである。他に右認定事実を覆すに足りる証拠はない。
(三) もっとも、原告がサカイオーベックス株の売却価格として指値した一株八四八円の算定の経緯及びその根拠については、これに関する原告の説明が十分とはいえず、本件の審理を通じても必ずしも明らかとはなってはいない。
しかしながら、この八四八円という数値は、思いつきで出てくる数字ではなく、何らかの算定の根拠があることが推認されるところ、持田製薬株については、前記のとおり、平成七年七月一〇日及び同一七日に売却したことによって、二三八六万一九九一円の実損(手数料、譲渡益税等控除後の売却代金から手数料を含む購入代金を控除した差額)が出ているところ、これにサカイオーベックス株一五万五〇〇〇株の手数料を含む購入代金一億〇二一六万五六四八円を加えると、合計一億二六〇二万七六三九円になり、これをサカイオーベックス株の一株当たりに換算すると、約八一三円になり、これに手数料、譲渡益税等の上乗せ分を三五円と見積もって八四八円という数字を算出したという原告主張の根拠については、一応の合理性があるということもできるし、前日(八月二一日)のサカイオーベックス株の終値が八四二円であったことを考慮すると、この数値は、取引の成立し得る現実的な数字とみることができるから、右の金額で指値することには、それなりの合理性があるといえる。そして、この数値が原告のいうように他の証券会社の者に電話で問い合わせただけで簡単に回答が得られるものとは考えにくいが、これまでの原告の取引の実績からみて、原告が被告菅野以外の専門的知識を保有する相談相手を有していたと推認することは困難でないから、その者の助言を得て、右の数値を算出したとしても不思議ではない。
2 争点1の(一)の(1) のイ(八月二三日以降の売却注文の不執行)について
(一) 八月二三日の売却注文の有無
(1) 前記一の6において認定したところによると、原告は、同月二三日午前、吉博及び小林を同道して被告支店に至り、被告菅野に対し、前日の注文不執行を非難し、当日の取引価格で直ちにサカイオーベックス株全部を売却するよう要求したが、被告菅野は、この注文に応じず、その後も、原告が齋藤に対し、重ねて時価での売却を求めたが、齋藤もこの売り注文には応じなかったものである。
(2) これに対し、被告は、同日、原告は、吉博及び小林と共に被告支店を訪ねてきたものの、前日の取引が成立しなかったことを残念がっていただけで、被告菅野や齋藤の説明に納得して、サカイオーベックス株を売却せず当面保有しておくことで了解していた旨主張し、乙二号証及び被告菅野供述にもこれに沿う部分がある。
しかし、先に説示したように、吉博がわざわざ会社の勤務を休んでまで原告に同行しているにしては、被告らの主張する状況は、余りに平穏に過ぎるのであって、緊迫した何らかの交渉があったと推測するのがむしろ自然であること、前記のとおり、被告菅野の供述の信用性には疑問があることなどに照らすと、前記のとおり認定できるものというべきであって、被告らの右主張に沿う乙二号証及び被告菅野供述を採用することはできない。
(二) 八月二四日以降の売却注文の有無
前記一の7において認定したとおり、八月二四日から同月末にかけて、原告は、数回にわたり、被告支店に電話をし、応対した齋藤にサカイオーベックス株の売却を依頼したが、齋藤は、支店長に伝えておく旨述べるだけで、株の売却には応じなかったものであり、この認定判断を左右するに足りる的確な証拠はない。
3 争点1の(一)の(2) (サカイオーベックス株の処分についての断定的判断の提供について)
(一) 前記一の8において認定したところによれば、被告菅野は、平成七年九月以降も原告に対し、原告から売却注文不執行につき非難される度にサカイオーベックス株の今後の見通しについて「じきに上がります。ご期待下さい。確かな情報を得てやっているので、私を信用して下さい。」などと回答しており、このような発言は、基本的には被告会社が原告に対し株券を返却した後も続いていたものである。
(二) しかしながら、平成七年九月以降に被告菅野がした前記情報提供行為についてみると、一見断定的な感はあるが、その内容は非常に抽象的なものにとどまっており、株価が上昇するとの判断も、その直前に株価が再上昇していた局面で、その上昇がなお続く旨述べたものであって、実際には、その直後に株価が反転していることからみても、原告から株価低下を非難されての言い逃れとして述べたものに過ぎないものというべきであって、殊更に原告を害しようとの意図があったとまでは認められない反面、原告としても、それまで四年間にわたり継続的に株式取引を行っており、一般的に株価が予測困難であることを認識し、更に、平成八年九月以降、原告は被告菅野の行動を信用できないことを現実の株価の動向からみて実感していたものであり、それ故にこそ、株券の返還を求めていたものと推認できること等の事情に照らすと、平成七年九月以降、被告菅野が原告に対してした右の情報提供行為が、その実質からみて、社会通念上許容された限度を超えて原告に影響を及ぼすものであり、違法性を有すると評価することは相当でないものというべきである。
しかも、平成八年三月二五日の右株券の返還後においては、原告は被告会社の意見にとらわれることなく自由に処分することが可能になっているところ、原告は、同株券を他の証券会社の保護預りとしており、同社からも情報の提供は受けられるのであって、このような状況下で、なお被告菅野の情報に左右されるということ自体、原告の行動としては矛盾したものであり、これらの事実経過に照らせば、原告としては、むしろ、被告菅野の情報を利用しつつも、自らの判断でサカイオーベックス株を保有し続けたものとみるのが相当というべきである。
そうすると、平成七年九月以降の、被告菅野らによる前記の各情報提供行為については、不法行為を構成するものということはできない。
4 被告らの責任原因について
以上によると、被告菅野には、被告会社の担当者(履行補助者)として、争点1の(一)の(2) の断定的判断の提供による違法行為があったということはできないが、争点1の(一)の(1) の各注文不執行については、受託義務違反に当たる行為があったものというべきところ、これは被告会社としての債務不履行行為であると同時に被告菅野自身としても不法行為に該当する行為ということができる。
したがって、被告会社は、右の注文の不執行について、証券取引委託契約上の義務の債務不履行に基づく損害賠償責任(民法四一五条)を負うとともに被告菅野の不法行為についての使用者責任(民法七一五条)をも負うものというべきである。
また、被告菅野は、個人として、不法行為に基づく損害賠償責任(民法七〇九条)を免れない。
三 争点2(原告の被った損害)について
1 前記のとおり、原告は、平成七年八月二二日に、被告会社の担当者である被告菅野に、サカイオーベックス株一五万五〇〇〇株を単価八四八円で売却するよう注文したが、被告菅野がこれを執行しなかったため、右価格による売買が成立しなかったものであるが、前記事実関係の下においては、被告菅野が右注文を執行していれば、右価格による売買が全株につき成立したものと推認することができる。
2 その後の平成七年八月から原告がサカイオーベックス株の株券の引渡しを受けた平成八年三月二五日までの間の原告と被告会社(被告菅野外の担当者)との折衝状況は、前記認定のとおりである。
被告らは、原告は、右の期間中、自らの判断で、いつでも自由に買受価格を上回るその時々の時価でサカイオーベックス株を売却することが可能であり、損害の発生を回避することができたと主張するが、右の期間、株券は被告会社が保管していたものであり、しかも、被告菅野をはじめとする担当者が、その都度原告に対し、株価値上がりの期待を持たせるような情報を提供していたこと前記のとおりである以上、この間、被告の助言に従って売却を思いとどまっていた原告の行動を非難することは、信義則上許されないものというべきである。
3 ところで、原告は、平成八年三月二五日に、被告会社からサカイオーベックス株の株券全部の返却を受けたものであるところ、同日のサカイオーベックス株の終値が、六三〇円であったことは前記のとおりである。
そして、原告は、右のとおり、株券の返却を受けたことにより、現実においても同株を自己の責任において管理することになり、自由に処分することが可能になったものであって、もはや被告菅野らの行為による影響は社会通念上遮断されるものと解するのが相当というべきであるから、平成八年三月二五日以降の同株の値下がりによる損失は、原告が適当な時期に売却しなかったことに起因するものであって、被告菅野による前記売却注文の不執行との間には、相当因果関係があるということはできないものというべきである。
4 これに対し、原告は、株券返還後においても、被告菅野からの断定的判断が提供されたことにより、原告のサカイオーベックス株売却の機会が失われたから、その後の株価値下がりによる損失も損害賠償の対象となると主張する。
しかしながら、被告菅野らの情報提供をもって断定的判断の提供ということのできないことは前記のとおりである上、被告菅野らの言を信用できないが故に、被告会社に対し株券の返還を求め、現にその返還を受けた原告が、その後においても被告菅野の情報を信用することは、社会通念に照らし不合理な行動というべきである。したがって、原告が、平成八年三月二五日、被告会社からサカイオーベックス株の株券の交付を受けた以上、その後も引き続き同株を処分せずに保有し続けたのは、原告の自由な判断によるものというほかはない。
5 以上の認定判断によると、被告らが賠償の責任を負うべき損害額は、原告が売却注文を出した価格である八四八円と原告が株券の返還を受けた時点における株価である六三〇円との差額である一株当たりの単価二一八円に、原告の保有していた株数一五万五〇〇〇株を乗じたて得た三三七九万円となる。
第四結論
以上によれば、原告の請求は、被告らに対する前記各責任原因に基づく損害賠償として、被告ら連帯して三三七九万円及びこれに対する訴状送達の翌日ないし不法行為の日の後である、被告会社については平成一〇年四月七日から、被告菅野については同月五日から、各支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で、それぞれ理由があるから認容し、その余は理由がないので棄却し、訴訟費用の負担については民訴法六一条、六四条を、仮執行宣言については同法二五九条を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 土谷裕子 裁判官 新崎長俊 裁判長裁判官 田中壯太は、転補につき、署名押印することができない。裁判官 土谷裕子)
別表<省略>