東京地方裁判所 平成10年(ワ)18860号 判決 1998年12月08日
原告
破産者株式会社
K
破産管財人弁護士
宮田眞
原告
光信産業株式会社
右代表者代表取締役
杉山勲
右訴訟代理人弁護士
高山征治郎
同
石井逸郎
同
亀井美智子
同
楠啓太郎
同
中島章智
同
宮本督
同
高島秀行
同
吉田朋
主文
一 被告は原告に対し、金五〇万五三一一円及びこれに対する平成一〇年五月一九日から支払済みに至るまで年六分の割合による金員を支払え。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
三 この判決は仮に執行することができる。
事実及び理由
第一 請求
主文同旨
第二 事案の概要
本件は、破産者株式会社K(以下「破産会社」という。)の破産管財人である原告が被告に対し、破産会社を売手、被告を買手とする売買に基づく売掛代金の支払を請求したのに対し、被告が、破産会社との間には、売手が倒産した場合には買手が売買契約を解除できる旨の合意があり、右約定に基づいて契約を解除した旨主張して、代金支払義務の存否を争っているという事案である。
第三 争点
売手が倒産した場合には買手は売買契約を解除できる旨の約定がある場合において、買手は、破産した売手の破産管財人に対して右約定に基づく契約の解除を主張することができるか。
第四 前提となる事実
本件において以下の事実は当事者間に争いがない。
破産会社が自動車のアクセサリー等の自動車用品の販売等を業とする株式会社であること、破産会社は、買手である被告との取引に当たり、売手が倒産した場合には買手はそれまで締結した売買契約を解除できる旨を確認する内容の「取引口座開設申請書」と称する書面を被告に提出していたこと(以下において右の約定を「本件解除特約」という。)、破産会社は、平成一〇年三月九日、東京地方裁判所において破産宣告を受け、原告が破産会社の破産管財人に選任されたこと、原告が被告に対して、一週間以内に売掛金を支払うよう催告する旨の内容証明郵便を発出した同年五月八日の時点で、破産会社が被告に対して有していた売掛債権の額は金五〇万五三一一円であったこと、右内容証明郵便は同月一一日に被告に到達したこと、本事件が当裁判所に移送される前の簡易裁判所における同年七月一七日の口頭弁論期日において、被告が原告に対し、本件解除特約に基づいて破産会社との契約を解除する旨の意思表示をしたこと。
したがって、被告が本件解除特約に基づく契約の解除を原告に対して主張できない場合には、原告は被告に対し、金五〇万五三一一円の売掛債権を有するとともに、これに対する、弁済期後である平成一〇年五月一九日から支払済みまで商事法定利率である年六分の割合による遅延損害金の支払を求めることができる。
他方、被告が解除を主張できる場合には、売掛債権の基礎となる売買契約が効力を失うことになるから、代金債務は消滅し、原告は被告に対し何ら請求権を有しないことになる。
なお、念のために付言しておくと、本件で問題となっているのは、破産会社と被告との間の継続的な商品供給の合意を将来にわたって失効させるという意味での契約解除ではなく、既に売手である破産会社が引渡しを終えた商品について、その売買契約を遡って失効させるという意味での解除である。
第五 当事者の主張
一 原告の主張
買手である被告に本件解除特約に基づく約定解除権を認めることは、破産制度における債権者平等の原則に反するのみならず、破産法が破産管財人に与えた解除権(破産法第五九条)を無意味にしてしまうから、被告は右約定解除をもって破産管財人である原告に対抗できない。
二 被告の主張
解除がなされた結果、破産会社は売掛債権を失うことになるが、これに代えて、解除の対象となった商品が被告から返還されることになるから、破産会社の資産に変動はなく、したがって、債権者平等の原則に反しない。
自動車のアクセサリー等の販売業界において、倒産等の事態が生じたメーカーの商品は、その信用性を失い、各販売店にて返品などの扱いを受けるおそれが極めて強く、したがって、解除特約を予め設けておく経済的な合理性が強く認められる。
本件解除特約には、他に公序良俗違反など、合意を無効とすべき理由はないから、私的自治の原則に照らし、解除特約は有効である。
第六 当裁判所の判断
一 まず、本件解除特約の目的について検討すると、被告代表者作成の陳述書(乙第三号証)によれば、本件取引の対象商品である自動車用アクセサリーの販売業界においては、ある商品のメーカーが倒産し、その情報が業界に伝播した場合には、その商品は最早売れなくなってしまう、との事情の存することが認められるのであって、右陳述書及び弁論の全趣旨によれば、本件解除特約は、被告の主張するとおり、右のような場合を想定して、買手が、手持ちの商品あるいは転売先から返品されてきた商品について生じた値崩れにより負担することになった損失を、販売者の側に転嫁させることを目的として締結されたものと認めることができる。
しかしながら、解除の対象となる個々の取引についてみると、当該商品ないし取引には契約を無効とすべき瑕疵や原因はない。また、供給者が倒産したという事情は、契約の締結が終了し、しかも売手による商品の引渡が完了した後に発生した事情であるから、これに基づく危険は原則として買手が負担すべきである。さらにいえば、たとえ売手に何らかの責任があり、これにより買手に損害賠償請求権が発生したとしても、それは、売買契約とは別個に請求権が発生したというに過ぎず、売買契約自体の効力を否定すべき理由にはならない。
つまり、売買契約自体には、これを解消すべき実質的な理由は何ら存しないのであるから、本件解除特約は、売買契約の解消それ自体を企図したものというより、売手の代金支払請求権と買手の代金支払債務をともに消滅させることで、買手から売手への実質的な財の移転を果たすことをその主眼としたものと解するのが相当である。
したがって、本件解除特約は、形式こそ従前の売買契約の合意解除という方式がとられているものの、その実質は、売手が倒産し、その結果買手の手元にある商品が値崩れを起こした、あるいは転売先から返品されてきたという場合を想定し、これによって買手に生ずる経済的損失を、売手の責任により被告にもたらされた損害と捉えた上で、買手の賠償請求権と売手の代金請求権とを相殺し、もって、売手の代金債権という財産を引き当てに、買手の損害賠償請求権を担保しようとしたもの、と考えるべきである。
二 もっとも、約定の実質と法形式の間に齟齬があっても、その実質において約定に合理性があり、これに関する当事者の期待が法的に保護されるべきものであれば、当該約定を無効とすべき理由はない。本件解除特約についていえば、前記のとおり、本件特約は、買手の損害賠償請求権を、売手の売買代金債権を引き当てに担保する趣旨と解されるから、買手に損害賠償請求権の発生する相当の蓋然性があり、しかも、これを右のような方法で担保することに合理性があれば、本件解除特約の効力を否定すべき理由はないというべきである。
そこで、このような観点から本件解除特約を検討すると、破産会社が被告に差し入れた取引口座開設申請書(乙第一号証)によれば、破産会社は被告に対して商品を継続的に供給する旨を約していたことが窺われるから、破産会社の倒産によって被告の手元にある商品に値崩れが生じた場合に、これによる損失を、破産会社が約定に違反したことで被告に与えた損害と捉える余地がないわけではない。
しかしながら、継続的な商品の供給停止を破産会社の約定違反とする見方は、個々の取引ではなく、継続的な商品の供給全体を一個の契約と捉える見方を前提とするところ、売手が破産した場合には、破産管財人は、双方未履行の双務契約について、契約関係を存続させるか解除するかを選択する権限を有する(破産法第五九条)のであるから、商品の供給停止が、形式的には約定に違反したことになるとしても、被告に損害賠償請求権を発生せしめるほど違法なものとする考え方には、にわかに賛同することはできない。
さらにいえば、商品の値崩れという現象は、被告代表者の陳述書における供述に照らしても、商品の供給停止それ自体によって引き起こされるというよりも、売手が倒産したとの情報が業界に伝播し、この結果、商品に対する消費者の信用が失われることで引き起こされるものと考えられるから、被告の損害賠償請求の根拠を突き詰めていくと、結局は、売手の倒産という事実自体を責任原因として損害賠償を請求するに等しいというべきである。そうなると今度は、倒産それ自体が不法行為ないし債務不履行の責任原因を構成するのかどうかという点が問題となるが、この点については、過失の捉え方や違法性などの点について具体的に検討を要すべき問題と思われ、倒産が常に責任原因を構成するとまで考えることはできない。
また、本件解除特約は、被告の損害賠償請求権の額が、商品の売買価格と、破産会社の倒産による値崩れ後の価格との差額に相当することを前提とするものと解されるが、破産会社に帰責性があり、その結果被告に損害が生じたとしても、被告に認められるべき損害賠償請求権の額は、商品の市場価格や破産会社の責任の程度など、多様な要素を検討した上ではじめて確定し得るものといえる。したがって、右の損害賠償請求権は、本件解除特約の締結時においては、その具体的な額のみならず、権利が発生するかどうかすら不分明な、極めて不確定なものとして存在しているに過ぎない。
つまり、本件解除特約によって被告に担保されるべき権利は、これを独立した請求権として訴求する場合には、事実問題についても法律問題についても、具体的な事例ごとに相応の主張立証をしなければ実現できない性質のものといわざるを得ないのであり、このような被担保利益の不確定さに照らすと、本件解除特約による被告の利益にどの程度の合理性が認められるのか、疑問の残るところというべきである(しかも、主張立証に関する負担という観点から本件解除特約をみると、右特約は、本来であれば被告が負担しなければならない右の負担を、当事者間の合意によってすべて免れさせるという機能を有するばかりか、特約が有効とされた場合には、破産管財人は、債権の存否や額を争う機会すら与えられぬまま、いわばノーチェックで被告の債権を認め、しかも、破産財団に属する売掛債権をもって優先的に被告の右債権を弁済しなければならないことになる。前記のとおり、被告の損害賠償請求権が認められる蓋然性が必ずしも高いとはいい難いことを併せ考慮すると、この点は、本件解除特約が内包する、看過し得ない手続上の問題点というべきである。)。
三 また、被告の損害賠償請求権発生の時期という観点から検討すると、損害とされる商品の値崩れという現象は、前記のとおり、商品の供給停止によって生ずるというよりも、供給者の倒産という事態によって引き起こされるものと考えられるから、被告の損害は、破産宣告後あるいは破産宣告の前後にまたがって発生する蓋然性が高い。
このうち、破産宣告後に生じた損害に関する請求権については、いかに責任原因である倒産という事態が破産宣告前に生じているとしても、右請求権を破産宣告前の原因に基づいて生じたもの(同法第一五条)と解することは困難であり、右請求権は、いわゆる劣後的破産債権(同法第四六条)に属するものと解するのが相当である。そして、劣後的破産債権を自働債権とする相殺は本来許されない(同法一〇二条)から、この場合、本件解除特約は、本来であれば破産法上許されない相殺を、当事者間の合意をもって可能にしようとするもの、ということになる。
また、破産宣告の前あるいはその前後にまたがって生じた損害についてみても、破産宣告を受けるには倒産状態を経由することは不可避であることや、破産宣告の時期と損害発生の時期とは特に関連性を有しているわけではないことなどの事情を考慮すると、破産宣告との先後で債権の位置づけを変えることに合理性ないし実質的理由は乏しいといわざるを得ない。むしろ、一企業の倒産は、いずれの取引先に対してであれ、多かれ少なかれ、有形無形の迷惑を及ぼすものといえるから、倒産を不法行為ないし債務不履行の責任原因と認め、これによる具体的な損害が破産宣告前に発生していたとしても、これに基づく損害賠償請求権に、他の通常の破産債権と同様の保護を与えることが債権者の実質的平等にかなうとは考え難いのであって、破産宣告の前に損害が発生した場合を想定したとしても、倒産を理由とする損害賠償請求権については、これを劣後的破産債権に該当するものと考えるのが相当である。したがって、結局この場合にも、本件解除特約は、本来であれば破産法上許されない相殺を、当事者間の合意をもって可能にしようとするものとの評価を免れない、ということになる(しかも、本件解除特約は、損害が破産宣告の前後いずれに生じたかに関わらず、被告の損害賠償請求権が破産債権に該当することを前提に、これを担保するものであるから、本件解除特約が有効とされた場合には、損害がどの段階で顕現したか、被告の請求権が通常の破産債権か劣後的破産債権かといった問題を議論する機会自体が与えられないことになる。したがって、本件解除特約は、この点についても、先に損害賠償請求権の存否について述べたのと同様の手続上の問題点を有しているといえる。)。
四 さらに、本件解除特約は、双務契約である売買契約を買手側の判断で一方的に解除し得るという内容の特約であるから、売手と買手の双方が債務を履行していない段階を想定すると、その判断により契約の維持か解除かを選択し得る破産管財人の解除権(破産法第五九条)と抵触し、右権限を無意味にするものであることは明らかである。
五 以上の検討に鑑みると、本件解除特約の実質的内容は、破産法上は本来許されない相殺を当事者間の合意によって達成しようとするものであるから、破産手続における債権者の平等に反するものと評価せざるを得ない。
しかも、右特約によって保護されるべき被告の利益は、破産会社の倒産を原因とする損害賠償請求権の担保であり、右請求権に前記のような問題点があることなどを考慮すると、被告の右利益に、他の破産債権者の負担において保護すべきほどの合理性があるとは認め難く、したがって、約定による担保設定という観点からも、本件解除特約を正当化することはできない。
また、右に述べたとおり、本件解除特約が破産管財人の解除権と抵触することは明らかである。
以上の理由により、本件解除特約は、破産手続きにおける債権者平等の原則に反し、破産管財人の正当な権限を浸食するものとして、破産手続においては、その効力を認めることはできない。したがって、被告は右特約に基づく契約の解除を破産管財人である原告に対して主張することはできない。
第七 結語
以上より、原告の請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第六一条を、仮執行宣言について同法第二五九条第一項を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官石井俊和)