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東京地方裁判所 平成10年(ワ)18983号 判決

原告 A

右訴訟代理人弁護士 弘中惇一郎

同 喜田村洋一

同 飯田正剛

同 坂井眞

同 加城千波

被告 C

右訴訟代理人弁護士 新美隆

同 虎頭昭夫

同 藤田正人

同 保田行雄

主文

一  被告は、原告に対し、二〇〇万円及びこれに対する平成一〇年八月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告に対し、別紙謝罪文目録1記載の謝罪文を作成し交付せよ。

三  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用はこれを一〇分し、その九を原告の、その余を被告の負担とする。

五  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

一  被告は、原告に対し、三〇〇〇万円及びこれに対する平成一〇年八月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告に対し、別紙謝罪文目録2記載の謝罪文を作成し交付せよ。

第二事案の概要

本件は、被告が、東大全学職員連絡会議(以下「東大職連」という)名義で「A戒告教授は血友病患者1800人『殺人政策』の責任を取れ!」、「A氏ユナム社からワイロ受け取り発覚」などと記載し、原告の顔写真を載せた立て看板を、東京都文京区本郷七丁目三番一号所在の東京大学(以下「東大」という)本郷キャンパス構内に掲示したことにより、原告の名誉及び名誉感情が毀損されたとして、原告が、被告に対し不法行為に基づき、損害賠償及び謝罪文の作成、交付を求めた事案である。

一  前提事実(証拠等によって認定した事実は末尾に当該証拠等を掲記する)

1  当事者

(一) 原告は、昭和五七年八月二七日から昭和五九年七月一五日まで厚生省薬務局生物製剤課長(以下「生物製剤課長」という)の職にあり、その後、東大医学部健康科学看護学科保健管理学教室教授(以下「東大医学部教授」という)を勤め、平成一〇年三月に東大を定年退官したものである。

原告が生物製剤課長の職に従事していた際に後天性免疫不全症候群(以下「エイズ」という)の問題が発生し、原告は「後天性免疫不全症候群の実態把握に関する研究班」(以下「エイズ研究班」という)を組織するなどした。

(二) 被告は、東大分子細胞生物学研究所(以下「東大分生研」という)の文部教官(助手)であり、東大職連に所属し、本件立て看板では東大職連の連絡先となっている。

2  薬害エイズ問題の発生

(一) 昭和五七年七月以降、アメリカ合衆国(以下「米国」という)で、エイズの臨床症状を示す症例が発生していることが公衆衛生局、国立防疫センター等の米国政府機関の調査によって明らかになった。

(二) 昭和五七年暮れ、原告は、訴外村上省三から、米国で数百人のエイズ患者が出ているとの報告及び資料を受け取った。

(三) 昭和五八年初頭以降、エイズから血友病患者を守るための方策に関する勧告が米国政府機関から相次いで出されており、エイズに関する主管課の生物製剤課の課長であった原告はこのころからエイズと血友病に関する情報を収集していた。

(四) 昭和五八年六月一三日、第一回エイズ研究班の会合が開催された。

(五) 昭和五八年七月五日、血友病患者がエイズと思われる症状で死亡した。

(六) 平成七年一〇月六日、薬害エイズ問題に関連して、血友病患者が製薬会社と国に対して損害賠償を求めた裁判において、東京地方裁判所民事第一五部は、「和解勧告にあたっての所見」(以下「東京地裁の所見」という)を訴訟関係者に示した。

(七) 平成八年二月ころから薬害エイズ問題がマスコミで大きく取り上げられるようになった。

(八) 平成八年三月、当時の菅直人厚生大臣が血友病患者に謝罪し、国及び血液製剤メーカーは和解に応じた。

同年八月二九日、エイズ研究班の班長を務めていた、医師安部英が、同年一〇月四日に原告の後任の生物製剤課長であった松村明仁が、いずれも業務上過失致死罪の疑いで逮捕され、その後同罪で起訴された。

3  東大職連名義での立て看板の設置

(一) 東大本郷キャンパス正門前(以下「東大正門前」という)への立て看板の掲出

(1)  東大正門前には平成九年一〇月ころから、縦約三・四メートル、横約一・六メートルの大きさで、その一番上の部分に赤字で「A戒告教授は血友病患者1800人『殺人政策』の責任を取れ!」と記載され、そのすぐ下に原告の顔写真が掲載された立て看板が設置されていた(以下「立て看板1」という)。

(2)  更に東大正門前には平成八年一一月ころには、縦約三・四メートル、横約一・六メートルの大きさで、赤字で「A氏は薬害エイズ死者400名に対し責任を取れ!」、「A氏米社からワイロ受け取り発覚」等と記載された立て看板が設置されていた(以下「立て看板2」という)。

(二) 東大本郷キャンパス赤門前(以下「東大赤門前」という)への立て看板の掲出

(1)  東大赤門前には、平成九年一〇月ころから平成一〇年三月ころまで、縦約二メートル、横約四メートルの大きさで、その一番上の部分に大きな字で、「A『殺人政策・ワイロ』教授」と記載され、そのすぐ下に原告の顔写真が掲載された立て看板が設置されていた(以下「立て看板3」という)。

また同看板の左上部分には「A氏、懲戒処分・戒告」という大見出しの下に「・・・保険会社からワイロを受け取っていたA氏に懲戒処分・戒告・・」との記載がされており、「A氏の一連のワイロ体質」という小見出しの下に「A氏は厚生省から東大へと、氏なりに一貫した姿勢をとっている。企業利益に奉仕し最優先させる金まみれワイロ体質は、東大に来て急に身につけたものではあるまい。」、「A氏は東大医学部教官としての『立場』をしっかりと利用し、ユナム社の労災保険に重要な位置を占める『医者』の紹介にも心を砕いている。企業の利益と立場に対する『配慮』と『読みの深さ』は驚くばかりである。」等と記載されたビラが貼り付けられていた。

また、同看板の左下部分には「『殺人政策』を選択・執行したA戒告教授」、「A氏は『殺人政策』の責任を取れ!」との見出しのもとに、「A氏は自ら繰返し語っているように、厚生省生物製剤課長として82年の・・・極めて早い時期に非加熱血液製剤によるエイズ感染の危険性を十分承知していた。しかし、氏は終始一貫して、非加熱製剤の使用を推進した。」、「A氏は、エイズ汚染製剤が輸入された事実をあえて公表せず、輸入禁止措置もとらなかった。」、「A氏は血液製剤の危険性を熟知し、死に至る病・エイズの感染を防ぐ方法があったにもかかわらず、当の血友病患者には危険性を一切知らせず囲い込んで、1800人以上もの血友病患者を死に至らしめる道をあえて選択し執行したのだ。」と記載されたビラが貼り付けられていた。

(2)  東大赤門前には遅くとも平成八年一一月ころから、縦約二メートル、横約一メートルの大きさで、赤と黒が混ざった文字で、「厚生省から出向中のA医教授は死者400名に謝罪し責任を取れ」等と記載された立て看板が設置されていた(以下「立て看板4」という)。

(3)  東大赤門前には遅くとも平成八年一一月ころから、赤字で「厚生省出向教授A氏は薬害エイズ死者430名に謝罪し責任を取れ!」と、また黒字で「A氏ユナム社からワイロ受け取り発覚」等と記載された立て看板が設置されていた(以下「立て看板5」という)。

(三) 東大医学部一号館前路上の立て看板の掲出

東大医学部一号館前路上には、遅くとも平成九年一〇月ころから平成一〇年三月ころまで、縦約二メートル、横約四メートルの大きさで、立て看板3と同一内容の記載がされ、立て看板3と同一の内容のビラ及び原告の顔写真が掲載された立て看板が設置されていた(以下「立て看板6」という)(甲六、弁論の全趣旨)。

(四) 東大医学部附属病院前歩道上での立て看板の掲出

東大医学部附属病院から東大医学部図書館に至る歩道上には、遅くとも平成八年一一月ころから、縦約二メートル、横約一メートルの大きさで、赤と黒が混ざった文字で、「A【出向教授】は薬害エイズ死者400/2000に責任を取れ」、「A氏が米ユナム社よりワイロ」等と記載された立て看板が設置されていた(以下「立て看板7」という)。

(五) 東大理学部五号館前での立て看板の掲出

東大理学部五号館前路上傍には、遅くとも平成八年一一月ころから、赤と黒が混ざった文字で、「厚生省出向教授A氏は薬害エイズ死者400名に謝罪し責任を取れ」と記載され、また、「A氏とその配下の人々の醜い薬害エイズワイロ隠し」との見出しのもと、「松村氏に先だって薬害エイズへと国の施策方針を導いたA氏は」であるとか「米国系保険会社から『ワイロ』を収受していたことが明らかとなった」等と記載され、かつ、「A氏は300万円の『ワイロ』を受け取っていた」との見出しや原告の顔写真が掲載されたビラが貼り付けられた立て看板が設置されていた(以下「立て看板8」という)。

(六) 東大法文二号館前での立て看板の掲出

東大法文二号館前には、遅くとも平成八年一一月ころから、縦約二メートル、横約四メートルの大きさで、赤と黒が混ざった文字で、「A出向医教授は薬害エイズ死者400名に責任を取れ!」、「A氏米社からワイロ受け取り発覚!」等と記載された立て看板が設置されていた(以下「立て看板9」という)。

(七) 東大法文一号館前での立て看板の掲出

東大法文一号館前には、遅くとも平成八年一一月ころから、「A・医学部教授の薬害エイズ・ワイロ隠しに抗議する」等と記載された立て看板が設置されていた(以下「立て看板10」という)。

4  本件各立て看板は、原告が東大を退官後の現在は、いずれも撤去されている。

二  争点

1  東大職連名義での本件立て看板掲出により被告個人が責任を負うか。

(原告の主張)

(一) 東大職連はおよそ独立の団体として必要な要件を備えておらず、本件各立て看板は、いずれも被告が東大職連の名義を使って作成し掲出し続けたものであるから本件各立て看板の掲出による原告への名誉毀損に関して被告は責任を負う。

(二) また、少なくとも本件各立て看板の作成に被告が関与したことは被告も争っていないのであるから、本件各立て看板掲出により被告が責任を負うことは明らかである。

(被告の主張)

本件各立て看板の掲出は、権利能力なき社団である東大職連によって実行されたもので、個々の構成員の行為は法的評価の対象とならず、被告個人は不法行為責任を負わない。

2  本件各立て看板が原告の名誉を毀損しかつ名誉感情を侵害したか。

(原告の主張)

(一) 薬害エイズ関連

(1)  本件立て看板1ないし9については、薬害エイズ問題に関して、「謝罪」と「責任」を取ることを要求する文面を掲げ、<1>原告が生物製剤課長時代に誤った政策を採用した結果として薬害エイズ事件が発生したとの事実を摘示し、<2>さらに、うち立て看板1、3、5については、「殺人政策」という文言を用いて、原告が、血友病患者に対して殺人政策をとったとの事実を摘示している。

(2)  右<1>及び<2>の摘示事実は、薬害エイズ事件に関して、原告が生物製剤課長として結果を予見し、又は少なくとも予見し得たにもかかわらず、血友病患者に大量の死者を出す政策を実行したというものであり、明らかに原告の名誉を毀損するものである。

(二) ワイロ関連

本件立て看板3、5、7ないし10については、ワイロ問題に関して、「ワイロ」といった文言を用いて、<3>原告がユナム・ジャパン傷害保険株式会社(以下「ユナム社」という)より賄賂を収受したとの事実を摘示している。これは原告がユナム社から職務に関連して違法な金銭を収受したというものであり、明らかに原告の名誉を毀損するものである。

(三) 立て看板全体について

原告の大きな顔写真を載せた立て看板(本件立て看板1、3、6、8)が、原告の当時の職場であった大学に掲出されたことにより、原告の名誉は毀損され、名誉感情も侵害された。

本件各立て看板が原告に対する名誉毀損及び名誉感情の侵害に当たるかについては、本件各立て看板の個別文言自体の違法性のみならず本件各立て看板掲出行為全体の違法性を評価して判断すべきである。

(被告の主張)

(一) 薬害エイズ問題について

(1)  本件各立て看板及びビラの内容は、原告が薬害エイズ被害の発生について責任を有し、被害者に謝罪し責任を取るべきであるという意見ないし論評の表明である。

これは、事実を摘示するものではないから事実の摘示という名誉毀損の要件を欠き、本件各立て看板の掲出は名誉毀損には当たらない。

(2)  「殺人政策」という見出しは、薬害エイズ被害に対する厚生省の対応が後手後手になった結果、被害が拡大して多くの死者を出すことになり、その意味では血友病患者を見殺しにしたと評価されてもやむを得ないことを表現しようとしたものである。立て看板の見出しは本文の内容やそれが掲出された社会的状況の中で総合的に判断されるべきであり、本件立て看板を見た一般人は殺人政策という言葉を厚生省の対応の遅れを表現したものと受け取るのは明らかである。

(二) ワイロ問題について

「ワイロ」という文言は、東大の倫理綱領に反する不正な金員という意味で使用したのであって、職務に関して公務員が収受する違法な報酬という意味で使用したのではない。

(三) 立て看板全体について

本件各立て看板は、前記(一)及び(二)のとおり、個別的にも、名誉毀損にはならないが、全体としても、本件各立て看板の内容は新聞などで報道された、いわば公知の事実になっていたことをまとめたものにすぎない。したがって、本件各立て看板掲出以前に原告の社会的名誉及び名誉感情は既に侵害されていたのであるから、被告には不法行為は成立しない。

また、本件各立て看板に掲載された原告の顔写真についても既に報道されていたものを使用したにすぎず、顔写真を公開しても名誉感情を侵害することにはならない。

3  被告の行為について名誉毀損の成立阻却事由は存在するか。すなわち、被告の行為が公共性及び公益目的を有し、かつ、立て看板記載の内容が真実であると言えるか。また、本件各立て看板の主要な内容を真実と信じるについて相当な理由があったか。

(被告の主張)

(一) 薬害エイズに関する本件各立て看板の記載内容について

本件各立て看板の内容のうち、原告が名誉毀損として指摘する点は、原告は薬害エイズ被害の発生について責任があり、被害者(死者を含む)に謝罪し責任を取るべきであることにまとめることができるが、これらは意見ないし論評の表明であり、以下のとおり、名誉毀損の成立阻却事由が存在する。

(1)  真実性の立証対象

真実性の立証対象は、原告に薬害エイズ被害の発生について責任があり、被害者(死者を含む)に謝罪し責任を取るべきであるとの論評の前提としている事実のうち重要な部分である。

(2)  真実性について

被告は、本件各立て看板の作成にあたって、薬害エイズに関連する損害賠償請求事件を担当した東京地裁の所見、公開資料、調査報告書、厚生大臣発言、新聞記事等の報道を資料として使用している。

薬害エイズ問題では、損害賠償請求訴訟が進行して関係者の証人尋問などが行われるなど公にされた資料証言に基づく報道が多く、報道内容についての信頼性は高い。

東京地裁の所見は、原告を含む多くの証人尋問等の証拠調べを経た上での裁判所の公式見解であり、公開資料にはエイズ研究班設置当時の資料が、調査報告書には原告の回答が、含まれており、また、厚生大臣発言は厚生省責任者としての発言であり、その証拠価値はいずれも極めて高く、前提としている事実が主要な点において真実であることの証明があったといえる。

(3)  相当性について

仮に真実であるとの証明があったといえないとしても、被告は、前記(2) の高度の信用性を有する各資料をもとに、前提事実につき真実と信じたのであって、本件各立て看板の内容が真実であると信じるにつき相当な理由がある。

(4)  本件各立て看板は、生物製剤課長としての原告の政策判断の誤りを指摘し、原告に対し、被害者に謝罪するとともに責任をとることを求めているのであり、論評の域を逸脱した人身攻撃は全くない。

(二) ユナム社からのワイロ受領に関する本件各立て看板の記載内容について

(1)  真実性(及び相当性)の立証対象について

ワイロとは前記のとおり、違法な金員であるから、その真実性の対象は、金員の授受と違法性である。

(2)  真実性について

東大職連は、ユナム社に対して直接問い合わせを行い、原告に合計三〇〇万円を支払ったこと等を内容とする回答を得た。また、東大は、平成八年一二月二〇日、原告のユナム社からの金銭の授受に関し、原告が民間保険会社で違法な兼業を行っていたことは、国家公務員の服務規律に著しく違背するものであるとして、原告に対し、処分を行った旨の総長談話を発表した。

以上のとおり、原告がユナム社からワイロを受け取っていたことが東大当局に発覚した事実及び東大当局が右ワイロ受領事件に関する調査委員会を設置したとの事実は真実である。

(3)  相当性について

仮に原告がユナム社から収受した金銭が刑法にいうところの賄賂には当たらないとしても、被告は、原告がユナム社から国家公務員の服務規律に反する金銭を収受したことを確認した上で、本件各立て看板を掲出した。したがって、被告には、本件各立て看板の記載内容が真実であると信じるにつき相当な理由がある。

(原告の主張)

(一) 薬害エイズに関する本件各立て看板の記載内容について

本件各立て看板記載の内容は真実ではない。また、被告は、合理的かつ確実な資料、根拠なくして、本件各立て看板記載の内容が真実だと信じたものであり、そのように信じたことについて相当な理由を認める余地はない。

(1)  真実性の立証対象

被告が真実であると立証すべき対象は、本件各立て看板の具体的記述、すなわち原告が薬害エイズ事件について責任を負うこと及び原告が殺人政策を実行したことである。

(2)  東京地裁の所見の内容と本件各立て看板記載の内容は同一ではない。東京地裁の所見は、原告が「殺人政策」を実行したこと及び原告個人の責任については一切触れていない。

東京地裁の所見は、損害賠償請求事件手続において、当該訴訟当事者に和解を勧めるための説得手段として示されたものでしかない。

(3)  原告は、早い時期からエイズ問題に関して危機感を持ち、エイズ研究班を組織するなどして迅速、的確な行政的対応を図ろうとした。

(二) ユナム社からのワイロ受領に関する本件各立て看板の記載内容について

(1)  真実性の対象

真実性の対象は、金銭の授受と職務関連性である。

(2)  真実性について

被告が名誉毀損の成立阻却事由である真実性の抗弁として指摘しているのは、原告がユナム社からコンサルティング報酬名目で金銭を受領した事実にすぎず、真実性の立証の対象が異なっている。

(3)  相当性について

原告がユナム社に対して一定のアドバイスをしたこと及びそれに関連して若干の謝礼を受け取ったことは事実であるが、この謝礼は職務との関連性をもたないから賄賂には当たらない。

4  原告の被った損害額及び損害回復のために相当な措置は何か。

(原告の主張)

(一) 被告による本件各立て看板の執拗な掲出により、原告は名誉を著しく毀損され、かつ名誉感情を著しく侵害された。その結果、原告は筆舌に尽くし難い精神的苦痛を被った。右精神的苦痛を慰謝するに足りる金額は、本件各立て看板の掲出内容の誹謗中傷程度が極めて強いものであること、掲出期間が長期にわたること、掲出場所が多数であること、掲出手続が東大における手続を繰り返し破って行われたものであること等の諸般の事情を考慮すれば三〇〇〇万円を下らない。

(二) また、被告の行為によって、原告の社会的評価は金銭賠償のみでは回復できないほど著しく低下しており、原告の被った精神的苦痛を慰謝するには、損害賠償のみでは不十分であり、民法七二三条所定の「適当なる処分」として、被告は、原告に対し、別紙謝罪文目録2記載の謝罪文を作成し交付する義務がある。

(被告の主張)

争う。

第三争点に対する判断

一  争点1(本件各立て看板掲出についての被告個人の責任の有無)について

1  被告は、争点1について、本件各立て看板の掲出行為は、権利能力なき社団である東大職連によって実行されたもので、個々の構成員の行為は法的評価の対象とならず、したがって、構成員の一人に過ぎない被告個人は不法行為責任を負わないと主張するので、この点について判断する。

この点について、当裁判所は、以下のように考えるのが相当であると判断した。すなわち、権利能力なき社団の行為であるということから直ちに個々の構成員の行為が法的評価の対象とはならないということはできず、個々の構成員に加功の程度、態様について全く決定権限がないなど当該行為が高度に組織化された集団的団体行為と評価しうる場合にはじめて個々の構成員の行為は法的評価の対象とはならないが、それ以外の場合には、個々の構成員の行為も法的評価の対象になると解するのが相当である。

2  これを、本件についてみるに、前提事実及び証拠(乙六九、八一の1、八二ないし九八、一二四、被告本人)並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

(一) 東大職連は、一九七四年に東大の職員の生活と権利を守ることを目的として結成された。

(二) 東大職連には代表者は存在せず、現在、東大当局に対する連絡窓口は被告が務めている。

(三) 東大職連では、その時々の問題に関心を持った人が事務局として集まり、集団で方針を討議して決定する。本件各立て看板の掲出について、被告は事務局として参加した。

(四) 本件各立て看板に貼り付けられたビラには東大職連の連絡先として、被告の勤務する東大分生研の五五三号室及び被告の携帯電話の番号(〇三〇-五七七-四八四四)が明記されていた。

(五) ユナム社への質問状、原告への公開質問書は被告個人の名義で行われた。

3  以上によれば、東大職連は、その時々の問題に関心を持った人が事務局として集まり活動するところ、被告は、本件各立て看板の掲出につき事務局を構成し、また、東大職連の連絡先として自ら主体となっていること等を考慮すると、本件各立て看板の掲出は高度に組織化された集団的団体行為と評価できず、本件各立て看板の掲出に当たっては、その記載内容等につき、被告個人にも決定権限があったと推認するのが相当である。

4  そうだとすると、本件各立て看板の記載内容が原告の名誉を毀損する場合には、被告個人も責任を負うということになる。

二  争点2(被告の本件各立て看板掲出行為の名誉毀損性)について

1  本件各立て看板の具体的記載内容は前提事実3(一)ないし(七)に摘示したとおりである。具体的な記載内容は各立て看板ごとに若干異なるものの、名誉毀損との関係で問題となるのは次の四点である。すなわち、第一点目は、原告には薬害エイズ事件の発生及び結果に対して重大な責任が存在し、エイズ被害者に謝罪すべきであるとの記載であり(立て看板2、4、5、7、8、9、10)、第二点目は、原告が血友病患者に対し、殺人政策を選択、執行したとの記載内容であり(立て看板1、3【ビラを含む】、6【ビラを含む】)、第三点目は、原告がユナム社よりワイロを収受したとの記載内容であり(立て看板2、3【ビラを含む】、4、5、6【ビラを含む】、7、8、9、10)、第四点目は、立て看板に原告の顔写真を掲載した点(立て看板1、3、6、8)である(以下特段の断りがない限り立て看板の内容には貼り付けられたビラの内容も含むこととする)。

そこで、以下四点について、右記載内容が、原告の社会的評価を低下させる内容になっているか否かについて順次判断していくことにするが、判断に当たっては、本件各立て看板を実際に見る一般人がどのような印象を受けるかという観点から判断することとする。

2  原告には薬害エイズ事件の発生及び結果に対して重大な責任が存在し、エイズ被害者に謝罪すべきである旨の内容の名誉毀損性

(一) 本件記載内容は、エイズ問題が日本で問題となった当時、厚生省での主管課の生物製剤課長の職務に従事し、行政としての政策を選択、実行したのは原告であるとの前提事実のもとで、原告は、職務の執行について、薬害エイズ被害者に対して責任を有するとの評価を加えるもので、原告の行為が客観的にそうであったかを確定するものではなく、前提となる原告の行為に対して行われた被告の評価であるから、「論評」の範ちゅうに含まれると解するべきである。

(二) しかし、意見ないし論評の表明であれは、事実を摘示するものではないから名誉毀損は成立しないとすることはできず、問題とされる表現が、人の品性、徳行、名声、信用等の人格的価値について社会から受ける客観的評価を低下させるものであれば、これが事実を摘示するものであるか、又は意見ないし論評を表明するものであるかを問わず、名誉毀損は成立するものと解するのが相当である。

(三) これを、本件についてみるに、本件記載内容は、医師であり、保健管理学の専門家である原告が、生物製剤課長時代に、不適切な政策の実行により薬害エイズ事件を発生させたとの印象を一般人に与えるもので、原告の人格及び業績に対する評価を低下させるものと認められる。したがって、当該記載内容は原告の名誉を毀損するものと認められ、右判断を左右するに足りる証拠は存在しない。

3  殺人政策との記載の名誉毀損性

(一) 本件記載内容(「殺人政策」の責任を取れ等)を見た一般人は、原告が、血友病患者に対して、非加熱製剤の使用を継続すれはエイズに感染する危険性が高いにもかかわらず、それもやむを得ないという状況で、これを放置し、その結果として、多数の血友病患者を死亡させる結果となる政策をとったとの印象を受けると解するのが自然である。したがって、本件記載内容は、原告の社会的評価を低下させると認められる。

(二) これに対して、被告は、「殺人政策」という見出しは、薬害エイズ被害に対する原告を含めた厚生省の対応が遅れたために被害が拡大して多くの死者を出すことになり、その意味で被害者を見殺しにしたと評価できるということを表現したにすぎないと主張するが、殺人政策という表現から直ちにそのような意図を一般人が読み取ることができるとは解されない。よって、この点の被告の主張は採用することができない。

(三) また、被告は、見出しがその性質上、大げさになることもやむを得ない旨主張する。

確かに、本件で問題とされている立て看板のような表現媒体の場合、簡略かつ端的に内容を表示して通行人の注意を喚起しなければ自らが表現しようとする情報が伝達できないという性格を有しており、その表現媒体としての性質上、見出し等の表現が誇張されることはある程度やむを得ないところがある。

しかし、本件では、被告は、センセーショナルな「殺人政策」という見出しを用いて、原告の社会的評価を低下させることを一般人に印象づけており、原告に対する名誉毀損性は著しいというべきである。したがって、「殺人政策」という見出しは、表現の自由の保障の範囲内として許容される限度を超えているというべきであり、この点の被告の主張には理由がない。

(四) 以上よれば、本件記載内容(「殺人政策」の責任を取れ等)は、原告の名誉を毀損するものと認められ、右判断を左右するに足りる証拠はない。

4  原告がユナム社からワイロを受領したとの内容の名誉毀損性

本件記載内容(原告がユナム社からワイロを受領した)を読んだ一般人は、原告が米国の会社から職務に関連して違法な金銭を受領したとの印象を持つものと認められる。したがって、本件記載内容は、原告の名誉を毀損するものと認められ、右判断を左右するに足りる証拠は存在しない。

5  原告の顔写真掲載の名誉ないし名誉感情毀損性について

(一) 本件立て看板1、3、6、8への原告の顔写真の掲載は、それ自体は事実の摘示であるとも論評であるともいえず、これをもって名誉毀損に当たるとはいえない。

(二) しかし、何人も自分の好まない所に自らの顔写真を公表されないという利益を有していると認められるのであって、このことは、掲載された顔写真が以前に公開されたものであるか否かは問わないというべきである。したがって、以前公表されたことがある顔写真についても公表の場所及び態様によっては、対象者の名誉感情を侵害する場合があるといわざるをえない。

(三) これを本件についてみてみるに、被告は、原告の顔写真を、前記2ないし4で認定したとおり、原告の名誉を毀損する文言とともに不特定多数人が見ることのでき、かつ原告が教鞭をとる東大キャンパス内に掲示しており、このような被告の行為は、原告の名誉感情を著しく毀損すると評価することができる。

(四) 以上によれば、立て看板1、3、6、8への原告の顔写真掲載行為は、原告の名誉感情を毀損していると認められ、右判断を左右するに足りる証拠は存在しない。

6  小括

以上によれば、被告は、本件各立て看板を掲出することにより、原告の名誉を毀損し、かつ名誉感情を侵害したと認められ、この点に関する原告の主張はいずれも理由がある。

三  争点3(名誉毀損の成立阻却要件の有無)について

1  前記二のとおり、被告の本件各立て看板掲出行為は、いずれも原告の名誉を毀損するといえる。しかし、本件各立て看板によって摘示した事実が、真実であるか、また、真実でないとしてもその主要な部分について真実と信じるについて相当な理由が存在するか、あるいは、論評の前提とした事実の主要な部分が真実であるか、また、真実でないとしてもその主要な部分について真実と信じるについて相当な理由が存在すれは名誉毀損は成立しないところ、被告は、本件には、そのような名誉毀損の成立阻却事由が存在すると主張する。そこで、以下、エイズ被害者に謝罪し責任を取れとの記載部分、殺人政策との記載部分、ワイロ受領との記載部分の三点に分けて検討することとする。

2  エイズ被害者に謝罪し責任を取れとの記載内容に対する名誉毀損の成立阻却要件の有無について

(一) 真実性について

(1)  前記2(三)のとおり、本件記載内容(原告はエイズ被害者に謝罪し責任を取れ等)は、一般人に生物製剤課の課長であった原告が、不適切な政策の実行(非加熱製剤の使用中止の施策をとらなかったこと)により、薬害エイズを発生させたとの印象を与える。そうだとすると、問題は、原告が、生物製剤課の課長であったときに不適切な政策を実行したということが真実か否かという点が問題になってくる。

(2)  これを本件について見るに、前記前提事実及び証拠(甲一六、一八、二一の1、2、二二、乙九、二二、二三、二四、六六、原告本人)によれば、以下の事実が認められる。

<1> 昭和五七年七月以降、米国政府機関の調査によって、米国において他に基礎疾患がなく、麻薬常用等の既往もない血友病患者にエイズと呼ばれる臨床症状を示す症例が発生していることが明らかになっていた。

原告も、昭和五七年一二月一七日ころ、村上省三から、米国で数百人のエイズ患者が出ているとの報告及び資料の送付を受けた。

<2> NHFは、昭和五八年五月一一日、ヘモフィリアニュースノートで、血友病の患者のエイズ発症率は極めて低いので、患者や治療者に不安を与えたり治療の変更をしないで、非加熱製剤あるいはクリオの使用を継続するように勧告した。

<3> トラベノール社は、昭和五八年六月二日、エイズの疑いがある供血者から採取された血漿を原料とする製剤につき自主回収の措置を採った。

<4> 原告は、昭和五八年当時、エイズと血友病の情報の収集に努めており、エイズの危険性を評価し、その上で血友病の治療方法を審議するため、原告が事務局となってエイズ研究班を組織した。

エイズ研究班は、安部英医師を班長として、昭和五八年六月一三日第一回会合が開催され、この会合において、原告は、トラベノール社が製剤を一部回収した事実を報告するとともに、当面の問題として、血漿の輸入をするかしないかに関連して、日本にエイズ患者がいるのかいないのか、対策が必要かどうかということと、国が安全であるとして許可している薬をどうするかということがあり、この結論を研究班で出して欲しい旨要望した。

<5> 昭和五八年六月二九日、世界血友病連盟の年次総会が、ストックホルムで開催され、現時点では、非加熱製剤を使用している治療方法の変更はせず、現在の治療を継続すべきであること、治療方法はリスクとベネフィットの比較で正しく決定すべきであることが決議がされた。

<6> エイズ研究班第二回会合が、昭和五八年七月一八日に開催され、第一回会合後に主だった医療施設に対して実施された、エイズ患者の有無に関する調査について、指摘された三例のうち帝京大学の患者一名が検討の対象となったが、エイズ患者とは認定されなかった。ここでは、原告は、エイズ対策として加熱血液製剤を国内における臨床試験等の手続を省略して緊急輸入しても良い旨の提案を行った。

<7> 昭和五八年八月ころ、スピラ博士により、帝京大学の事例が米国ではエイズに当たるとの診断された。

<8> 第三回エイズ研究班の会合が、昭和五八年八月一九日に開催され、血液製剤小委員会の設置が決定された。

その後、第一回血液製剤小委員会が昭和五八年九月一四日に開催された。原告は、右小委員会で、血友病治療を実際に担当している血友病専門医から、「全血」、「血漿」、「クリオ」、「非加熱製剤」と血液製剤が変化してきたことは、血友病治療における進歩であり、止血効果や副作用の危険において格段の進歩をもたらした非加熱製剤が用いられている治療の状況からすれば、血液製剤の使用を中止し、クリオに戻ることはできない旨教授された。

<9> 昭和五八年一一月一〇日、厚生省は、加熱製剤の治験に関する説明会を開き、加熱製剤の治験に関する厚生省の意向及び必要性について説明した。

<10> 昭和五九年二月以降、日本で加熱製剤の治験が開始された。

<11> 昭和五九年七月一五日、原告は、生物製剤課長を辞職し、東大医学部教授に就任した。

<12> 昭和六〇年三月二二日、第一回エイズ調査検討委員会はエイズ患者の認定を行い、血友病患者一四三名中四七名につき抗体陽性反応が出たことを報告した。

<13> 昭和六〇年五月三〇日、第二回エイズ調査検討委員会は、日本で三名の血友病患者のエイズを認定した。

(3)  以上の事実によれば、血友病治療に関してエイズが問題とされてきた昭和五八年ころから昭和五九年当時、原告は、生物製剤課長として厚生省における血液関連問題を扱う実務上の責任者であったこと、原告は昭和五七年暮れころにはエイズの危険性を認識し、エイズ研究班を組織するなど積極的に対応を取ろうとしたこと、昭和五八年ころにはエイズの原因が血漿または血液製剤を介して伝播されるウイルスであるとの疑いを強めていたこと、他方、当時日本におけるエイズ患者の認定がされなかったこと、当時血友病の専門家の間では非加熱製剤の使用継続を求める意見が多数を占めていたこと、原告自身、非加熱製剤やクリオの使用経験がなく、血友病の専門家ではなかったことから、原告も右専門家から非加熱製剤の使用継続を教授されて同様の認識を持ったこと、右各事情から、非加熱製剤の輸入を継続する中で加熱製剤の治験を進める方法を採ったことを認めることができる。

そうであれば、原告が、生物製剤課の課長に在職当時、非加熱製剤の使用中止の施策を採らなかったことをもって、右施策が不適切な施策であったとまではいうことができず、したがって、真実性の証明は、いまだ十分ということができず、この点の被告の主張は採用することができない。

(二) 相当性について

(1)  次に、エイズ被害者に謝罪し責任を取れとの旨の記載をするについて、被告に真実と信ずべき相当な理由があるかを検討する。この検討に当たっては、右記載内容の立て看板が設置されたのが平成八年一一月ころであることから、その当時、被告において、原告と薬害エイズとの関係について、どのような知識を有し、どのような認識のもとに右記載内容の立て看板を設置するに至ったかということに留意すべきである。そして、この点につき、被告は、東京地裁の所見、調査報告書、厚生大臣発言、新聞報道等を根拠に、原告がエイズ被害者に謝罪し責任を取るべきであると信じるにつき相当な理由があったと主張するので、以下、この点について判断する。

(2)  前記前提事実及び証拠(甲二二、乙八ないし一三、一四の1ないし4、一六ないし二〇、二二、二六ないし六六)によれば以下の事実が認められる。

<1> 東京地裁の所見について

東京地方裁判所民事第一五部は、平成七年一〇月六日、同部に係属中の薬害エイズ訴訟において、和解に当たっての所見を示し、翌一〇月七日、新聞紙上に所見の要旨が掲載され、同月一五日には、インターネットを通じて所見の全文が閲覧できる状態となった。

東京地裁の所見には、次のような記載がある。

ア 生物製剤課の課長であった原告は、昭和五八年初めころからエイズと血友病に関する情報の収集に努めており、アメリカにおいて血友病患者にエイズが発症しているという実情を知っていた。昭和五八年六、七月にはエイズの疑いがある供血者から採取された血漿を原料とする製剤につき製剤会社が自主回収したとの報告により、原告は、そのころには、エイズの原因が血漿又は血液製剤を介して伝播されるウィルスであるとの疑いを強めていた。昭和五八年八月当時には、血友病患者のエイズに関する限り、血液又は血液製剤を介して伝播されるウイルスによるものとみるのが科学者の常識的見解になりつつあったというべきである。

イ 厚生大臣は、右のような状況の下においては、血液製剤を介して伝播されるウイルスにより国内の血友病患者がエイズに罹患する危険があることを認識し得たというべきであり、米国由来の原料血漿による非加熱製剤の販売の一時停止などの措置をとることが期待されたというべきである。

ウ しかるに、当時の厚生省当局は、血液製剤を介し伝播されるウイルスにより国内の血友病患者がエイズに罹患する危険性やエイズの重篤性についての認識が十分でなく、対策の遅れが我が国における血友病患者のエイズ感染という悲惨な被害拡大につながったことは否定しがたいところというべきである。

<2> 新聞報道について

平成八年三月二九日の朝日新聞(夕刊)は、「エイズ問題で厚生省は一九八三年には危機意識を持ちながら八四、八五年も無策だった。八三年にエイズ研究班を組織したA・元生物製剤課長は様々な情報を持ちながら、患者に被害を及ぼさないためにどうするかの視点がなかった。情報を組み合わせて危機に対応する感覚が同省には欠如していたといわざるをえない」と原告の薬害エイズに対する対応を批判した。更に、平成八年四月一九日には、「A氏めぐる3つのナゼ」(朝日新聞朝刊)、「原告の疑惑一向に晴れず・・・」(毎日新聞夕刊)と題する記事、同年五月一七日には、芦沢正見元国立公衆衛生院理論疫学室長が、外資系メーカーがHIV(エイズウィルス)混入の疑いがある製剤を出荷停止にしたことを、A氏が研究班に報告しなかったことを「全く不自然、報告されていれば当然結論は変わった」などと批判した記事(日本経済新聞朝刊)などが相次いで掲載され、原告の生物製剤課長時代の対応が厳しく批判された。

<3> 菅厚生大臣の発言等について

ア 厚生大臣であった菅直人は、平成八年五月三一日、行政の対応の遅れでエイズの被害が拡大したとして、厚生事務次官ら一四名を減給処分とし、次いで、同年六月二五日には、原告の後任の生物製剤課長であった松村明仁(処分時保健医療局長)に対し、薬害エイズ発生の責任を問い、国家公務員法上の減給処分(一か月一〇分の一)とした。

イ 菅厚生大臣は、平成八年六月一七日の参議院厚生委員会で、昭和五八年の段階でトラベノール社がエイズ症状の患者の血液が混入したとして、輸入非加熱製剤を自主回収したという情報を原告は入手していたのに、これをエイズ研究班等他の機関に知らせなかったことが不自然であるとして批判した。

ウ 平成八年一一月八日の毎日新聞で、菅厚生大臣は、薬害エイズ問題に関連し、原告を処分するよう指示したが、官僚側の抵抗や原告は既に厚生省を退職しており、訓告処分にすることができない等の事情があり、実現しなかったとの報道がされた。同記事は、松村元課長を処分し、A元課長を処分しないという官僚の説明は理解できないとの菅厚生大臣の談話を載せている。

エ 菅厚生大臣は、平成八年一一月三〇日号の週刊誌「週刊現代」誌上において、原告について、「’83年、HIVに汚染された危険な非加熱製剤を輸入し続けることにした生物製剤課長のAさん・・・(中略)の方針が適切でなかったことは明らかです。」、「適切な対応ができなかったという行政責任があると思っている。」と述べている。

<4> 血友病患者のエイズ罹患について

我が国における血友病患者の非加熱製剤におけるエイズ感染者は、約一八〇〇名とも二〇〇〇名ともいわれており、発症者の数は、年を追って増え、平成六年一二月現在で確認された発症者が四八五名、そのうち死亡者が三一六名と甚大な被害が出ている。

(3)  右認定事実によれば、本件各立て看板(2、4、5、7ないし10)が設置された平成八年一一月ころまでに、東京地裁の所見、各社新聞報道、菅厚生大臣の発言等により、非加熱製剤によるエイズ感染の認識を有しながら、右対策を講じなかった原告の責任が厳しく追及されており、ことに、厚生省のトップである大臣自らが、原告を含む厚生省全体の責任を肯定している本件にあっては、平成八年一一月当時、被告において、原告が、薬害エイズ発症に責任があり、患者に謝罪すべきであると信じることには相当な理由があったというべきである。よって、この点の被告の主張には理由がある。

なお、付言するに、平成八年一一月ころ設置された各立て看板に名誉毀損成立阻却事由が存在する以上、その後設置された同様の内容の立て看板(1、3、6)についても、成立阻却事由が存在することはいうまでもないところである。

3  殺人政策との記載内容に対する名誉毀損の成立阻却要件の有無について

原告が殺人政策を選択し、執行したとの事実が真実であると認められるためには、原告が、エイズ被害の発生を認識して、被害者が死亡することを表象、認容していたにもかかわらず、エイズに関する厚生省としての政策を実行したとの事実が存在する必要がある。

しかし、本件全証拠を検討するも、原告において、血友病患者がエイズに感染する危険性があるにもかかわらず、それもやむを得ないとして、これを放置したとまでの事実があったと認めるに足りる証拠はなく、また、被告において、右事実が真実であると信じるにつき相当な理由があったと認めるに足りる証拠もない。

確かに、前記認定のとおり、血友病患者のエイズ被害の実態は悲惨なものである。しかし、だからといって、原告の行為をもって、殺人政策の執行ということは、やはり行き過ぎといわざるを得ず、これを正当化する事由が存在しない本件にあっては、原告に対する名誉毀損が成立するというべきである。

4  原告がユナム社からワイロを受領したとの記載内容に対する名誉毀損の成立阻却要件の有無について

(一) 「ワイロ」の意義

被告は、本件立て看板のワイロの文言につき、東大の倫理綱領に反する不正な金員という意味で使用したと主張する。しかし、当該文言の名誉毀損性を判断するに際しては、それを見た一般人がどのような印象を受けるかという見地から判断すべきであり、ワイロという文言を見た一般人は職務に関して公務員が収受する違法な報酬との印象を受けると考えるのが自然である。

加えて、本件立て看板3、6及ぴ証拠(甲二四)によれば、当時収賄罪で起訴されていた岡光序治元厚生省事務次官との対比で、「便宜供与」といった表現も交えて金員授受をワイロと断じて非難していることが認められ、被告が、原告の金銭受領を、単純に倫理綱領に違反する行為と考えていたものでないことも明らかである。

したがって、本件各立て看板に記載されているワイロを受領したとの文言の名誉毀損成立阻却事由を考えるに当たっても、原告が職務に関連して違法な報酬を収受したという事実につき真実といえるかないしは真実と信じるにつき相当な理由があるかを検討するのが相当である。

(二) 真実性について

(1)  以上の観点から、まず、真実性について見てみるに、当事者間に争いのない事実及び証拠(甲二五、乙六九、原告本人)並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

<1> ユナム社の本社医長は、平成五年末から、平成六年三月ころまでにかけて三回程度、原告から、日本の医療システム、社会保障、社会保険制度などについて講義を受けた。そこで、ユナム社は、平成六年四月、原告に対し、右謝礼として、一〇〇万円を支払った。

<2> ユナム社は、日本の保険業務のわかる医師を採用するに当たって、原告から、適当な人材であるか否かのアドバイスを受け、また、松村明仁労働基準局安全衛生部長を紹介してもらった。ユナム社は、平成六年七月から平成七年四月までの間、原告に対し、右謝礼として、毎月二〇万円を支払った。

<3> 原告とユナム社との間には継続的な労務提供契約はなく、ユナム社が税務署に提出した支払帳書には、右支払について、コンサルティング報酬と記載されていた。

(2)  以上によれば、原告が東京大学医学部健康科学・看護学科保健管理学教室教授として、自己の職務に関連して違法な金銭を受け取ったとは評価できず、他に前記金銭受領をもって賄賂の収受と評価するに足りる証拠はない。よって、原告が賄賂を収受した旨の本件各立て看板記載内容は真実とは認められず、この点の被告の主張には理由がない。

(三)相当性について

(1)  次に、真実と信ずべき相当な理由があるか否かについてみてみるに、証拠(乙六八ないし七六)及び弁論の全趣旨によれば次の事実が認められる。

<1> 新聞各社は、平成八年七月六日から一六日にかけて、原告が、ユナム社から謝礼として、平成六年四月から合計三〇〇万円を受領しており、これが国家公務員法に抵触するおそれがあると報じた。また、平成八年一〇月三〇日の読売新聞夕刊は、原告が、ユナム社から受領した金銭の問題について、東大に調査委員会が設置され、同委員会では、原告の右行為が、兼職を制限する国家公務員法や東大倫理綱領に抵触するかどうかを調べ、問題がある場合には、必要な処分を決めるとの報道をした。

<2> 被告は、自らユナム社に対して、質問書を送付して原告との間での金銭の授受等について確認したところ、平成八年一〇月一八日、ユナム社から回答を得た。右回答内容は、概ね前記(二)(1) の<1>ないし<3>で認定した事実が記載されており、職務に関連して収受した金員の記載はなかった。

<3> 東大の調査委員会は、調査の結果、原告のユナム社からの金銭受領は、兼業を禁止した国家公務員の服務規律に違反するとして、平成八年一二月二〇日に、原告を戒告処分とした。右処分の内容は、平成八年一二月二〇日に、東大総長談話として発表され、翌日の新聞にも報道された。

<4> 原告のユナム社からの金銭受領問題は、前記<3>で一応の解決を見、この問題につき、原告が、収賄罪に当たるとして逮捕、勾留された事実はない。

(2)  以上によれば、原告とユナム社との間で金銭の授受があったこと及び当該金銭の授受が国家公務員法に違反するとの事実は認められるものの、右事実だけでは、当該金銭の授受をもって、「ワイロ」の授受と評価することは困難である。したがって、本件においては、被告には、原告が、職務に関連して違法な報酬を収受したと信じるにつき相当な理由があったとはいえず、この点の被告の主張には理由がない。

5  小括

以上によれば、本件各立て看板のうち、原告が殺人政策を選択し、実行した旨及び原告がワイロを受け取った旨の内容の記載については名誉毀損の成立阻却事由は認められないものの、原告はエイズ被害者に謝罪し責任を取れとの内容の記載については名誉毀損の成立阻却事由が認められるということになる。

四  争点4(原告の損害額及び損害回復のために相当な措置内容)について

1  損害額について

被告は、本件各立て看板の掲出を二年以上の長期にわたって多数の場所で行っていること、本件各立て看板の掲出内容は、「殺人政策」などと原告に対する誹謗中傷の程度が強いものであることなどその他本件に顕れた一切の事情を考慮すれば、原告が本件各立て看板掲出行為によって被った精神的損害は二〇〇万円と評価するのが相当である。

2  謝罪文の作成、交付について

前記前提事実、証拠(甲一六、原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、被告の本件各立て看板掲出行為により、原告の社会的評価は金銭賠償のみでは回復できないほど著しく低下したと認められる。よって、原告が被った精神的苦痛を慰謝するには、被告が原告に対し、別紙謝罪文目録1記載の謝罪文を作成、交付する必要があると認められる。

よって、原告の被告に対する謝罪文の請求は、別紙謝罪文目録1記載の限度で理由がある。

第四結論

以上のとおり、原告の被告に対する請求は、被告に対して二〇〇万円の支払を求め、別紙謝罪文目録1記載の謝罪文の作成、交付を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却することとする。なお、謝罪文の作成、交付についての仮執行宣言については、本件事案の性質上相当でないので付さないこととする。

(裁判長裁判官 難波孝一 裁判官 足立正佳 裁判官 富澤賢一郎)

別紙謝罪文目録1、2<省略>

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