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東京地方裁判所 平成10年(ワ)19262号 判決

原告 甲山A子

右訴訟代理人弁護士 伊藤恵子

被告 甲山B夫

右訴訟代理人弁護士 宇田川和也

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、別紙物件目録一記載の建物及び同目録二記載の建物の駐車場部分を明け渡し、かつ平成一〇年八月三〇日から明渡済みまで一か月九〇万円の割合による金員を支払え。

2  被告は、原告に対し、金一〇〇〇万円及びこれに対する平成一〇年八月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  被告は、原告に対し、金一六〇〇万円及びこれに対する平成二年四月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

4  被告は、原告に対し、金四四四万五〇〇〇円及びこれに対する平成一一年一月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

5  訴訟費用は、被告の負担とする。

6  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は、原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  使用貸借契約

原告は、平成二年九月、被告(原告の長男)に対し、被告が原告の扶養介護をし(以下「本件負担一」という。)、かつ原告の財産管理をする(以下「本件負担二」という。)ことを負担として(以下併せて「本件各負担」という。)、無償にて別紙物件目録一記載の建物(原告が夫甲山C雄(以下「C雄」という。昭和五九年一〇月九日死亡)の遺産分割により取得したもの。以下「本件建物一」という。)のうちの住居部分(以下「被告住居部分」という。)を被告一家を原告と同居させる形で貸し渡した。

また、被告は、昭和五八年四月から、本件建物一の一画にあるC雄の公認会計士事務所(以下「本件事務所」といい、本件事務所のある一画を「本件事務所部分」という。)の仕事を手伝い、本件事務所部分を公認会計士事務所として使用していたところ、原告は、昭和五九年一〇月九日、C雄の死亡により本件建物一を相続した以降、被告に対し、本件事務所部分も本件各負担付で無償にて貸し渡した。

さらに、原告は、平成二年九月以降、被告に対し、別紙物件目録二記載の建物(以下「本件建物二」といい、本件建物一と併せて「本件各建物」という。)の駐車場部分(以下「本件駐車場部分」という。)も、被告の車の駐車場として本件各負担付で無償で貸し渡した(以上の三つの使用貸借契約を総称して「本件使用貸借契約」といい、その目的物である本件建物一(本件住居部分と本件事務所部分からなる。)と本件駐車場とを併せて「本件各使用部分」という。)。

2  本件負担一の不履行

(一) 被告及び妻の甲山D美(以下「D美」という。)は、原告が直腸癌手術により人工肛門を持ち、特に平成五年一月には胃癌手術をしているのに、原告のため必要な食事管理を十分しなかった。このため、原告は、体調を崩すことが多かったが、これに耐えてきた。

(二) 被告は、平成八年一〇月に行われたC雄の一三回忌の法事について、原告の長女甲山E代(以下「E代」という。)が出席できなくてもよいという対応をとった。そして、被告は、右法事の後原告に対し「原告を親とも思っていない。自分の母親は小宮のおばさんだと思っている。娘の育て方が悪い。」などと言い、以後原告に冷たく当たるようになった。

(三) 平成八年一〇月ころから、本件建物一の階下の押入の荷物が大量に原告の居住部分のうち仏間に持ち込まれ、原告の居住空間は狭められ、物置状態になっていった。平成九年ころからは、原告の金庫の内部がいじられたり、物がなくなったり、原告のしまっていた場所から物が移されたりしているようになった。そのため、原告は、不安感を抱いていた。

平成九年一二月の大掃除の際、原告の居住部分だけは掃除してくれず、ねずみ駆除の失敗から、屋根裏、納戸にねずみが住みつき、原告の部屋にその被害が発生した。しかし、被告がねずみ駆除の措置をしてくれないために、原告は孫たちに清掃してもらった。

(四) 原告が前記(三)のような状態を不審に思って物を探していると、D美は回りの者に対し、原告が惚けたようだと言い、被告も、原告が精神的におかしいなどというようになった。被告は、妹のE代や乙川F江(原告の二女。以下「F江」という。)には一切原告が惚けたというような話はせず、周りの人間や他人、遠縁の者に原告が惚けたと言いふらすようになった。原告は、自分が狂ったのではないかという強迫観念に襲われ、ノイローゼ状態となった。

しかし、原告は、実際は惚けているのではなく、強度のストレスで落ち込んでいたのにすぎない。

(五) 原告は、本件建物一にいたたまれない状態となり、平成一〇年三月二五日家を出て(以下「本件家出」という。)、E代の家に身を寄せた。その後、原告は、親戚を介して話合いをしようとしたが、被告は、これを拒否し、原告が同年六月三日に本件建物一に入ろうとすると、被告は、「家に入るな。」、「荷物をすべて持って出て行け。」と罵詈雑言を浴びせた。また、被告は、原告が同年七月一二日に夏の衣類を取りに行ったときにも、原告とは顔を合わせたくないと在宅せず、かつ、原告の居室以外には台所にも入れないようにすべて施錠し、二度と来るなと伝えてきた。

3  本件負担二の不履行

(一) 被告は、原告に対し、平成九年度の所得税申告については全く報告もせず、平成一〇年三月から管理している家賃収入・給料から毎月定額で原告に手渡していた二三万円の金員も支払わなくなった。

(二) 被告は、後記7及び9のとおり、原告の財産管理上、不当利得金一六〇〇万円、使途不明金一三〇〇万九〇〇〇円を発生させている。

4  解除

原告は、被告に対し、平成一〇年八月二九日到達した本件訴状でもって、本件各負担の不履行を理由に、本件使用貸借契約を解除する旨の意思表示をなした(以下「本件解除」という。)。

5  相当賃料額

本件建物一の相当賃料額は一か月八五万円、本件建物二の相当賃料額は一か月五万円である。

6  不法行為

被告は、前記2の暴言や親を親とも思わない対応により、原告を精神的に深く傷付けるとともに、さらに自宅に帰って安寧平穏な生活を送ることができない精神的苦痛を味わせた。被告の右行為は不法行為を構成するところ、原告の精神的苦痛に対する慰謝料は一〇〇〇万円が相当である。

7  受任者としての金銭消費の責任

(一) 委任契約

原告は、長男であり公認会計士である被告に対し、昭和五八年一月ころ、原告の財産管理を委任した(以下「本件委任契約」という。)。

(二) 借地権購入

被告は、昭和五八年一一月三〇日ころ、被告の名義にて代金四〇〇〇万円位で、東京都新宿区a町一番地三所在の宅地六一・四八平方メートル(以下「a町の土地」という。)の借地権を購入した(以下「a町の借地権」という。)。

(三) 建物建築その一

被告は、昭和六〇年七月、a町の土地上に原告名義にて建築代金四九〇五万四八〇四円で、家屋番号一番三の八、鉄骨造陸屋根五階建、共同住宅・事務所(以下「a町の建物」という。)を建築した(以下「本件建築一」という。)。

(四) 建物建築その二

被告は、昭和六〇年七月二九日、東京都新宿区b町三丁目七番五所在の土地(以下「b町の土地」という。)の上に原告名義にて建築代金一億〇四九四万一〇五三円で、家屋番号七番五、鉄骨造ステンレス鋼板葺五階建、共同住宅・事務所・車庫(以下「b町の建物」といい、a町の建物と併せて「本件各賃貸建物」という。)を建築した(以下「本件建築二」といい、本件建築一と併せて「本件各建築」という。)

(五) 原告名義の借入

被告は、a町の借地権購入、本件各建築の費用を捻出するためとして銀行借入をし、その後東京三菱銀行の原告名義の左記の借入に名義変更をし、借入の当初から原告の資産によって借入金の返済を継続している。

(1)  平成元年五月三一日 一億円(以下「本件借入一」という。)

(2)  平成二年四月二六日 一億一〇〇〇万円(以下「本件借入二」といい、本件借入一と併せて「本件各借入」という。)

(六) 金銭費消

本件各借入合計二億一〇〇〇万円のうち、前記(二)ないし(四)の原告の支出した費用は合計一億九三九九万五八五七円であり、その差額一六〇〇万四一四三円は原告のため使われておらず、被告が原告の承諾を得ずに費消した。

8  本件委任契約の解除と預かり敷金の存在

(一) 原告は、平成一〇年一二月末をもって、本件委任契約を解除した。

(二) 被告は、現在、本件各賃貸建物に関し、別紙「預かり敷金一覧」のとおり、合計四四四万五〇〇〇円を預かっている。

9  使途不明金(不当利得)の存在

(一) a町の借入分のうち、余分な借入分(支払利息を含む。)

被告は、本件建築一に関する借入につき、請負契約締結よりも半年も前に借入をし、余分な借入、利息の総額は五五六万八五八一円となっている。被告は、右金員を不当に利得し、原告に同額の損失を与えた。

(二) 昭和六〇年から平成元年までの本件各賃貸建物の家賃管理上の不明金

平成元年四月二四日以前の三菱銀行の預金通帳がないため、確定申告書所得税青色申告決算書にある収益から算出した、あるべき平成元年一二月末日現在の原告の預金は二二六八万四〇〇〇円であるのに対し、実際の預金残高は九六七万五〇〇〇円しかなく、一三〇〇万九〇〇〇円不足しており、被告は右金員を利得し、原告に同額の損失を与えた。

10  まとめ

よって、<1>原告は、被告に対し、使用貸借契約の解除に基づき、本件各使用部分の明渡と右明渡済みまで賃料相当額一か月九〇万円を求め、<2>不法行為に基づく損害賠償請求として、一〇〇〇万円及びこれに対する不法行為の後である平成一〇年八月三〇日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求め、<3>受任者に対する受取物の引渡請求として一六〇〇万円及びこれに対する右金銭を費消した日の後である平成二年四月二七日(本件借入二の翌日)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求め、<4>委任契約の終了に基づく原状回復として、預かり敷金四四四万五〇〇〇円及びこれに対する委任契約解除の日の翌日である平成一一年一月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否及び反論

1  請求原因1の第一段の事実中、被告一家が被告居住部分に原告と同居していた事実は認め、その余の事実は否認する。

本件建物一の使用は、実質的には賃貸借契約である。すなわち、被告は、原告に対し毎月一〇万円を、被告が経営する本件事務所の給料の名目で支払っており、また、本件建物一の敷地(以下「本件土地一」という。)の所有権の共有持分一〇分の八は被告の所有であるが、被告は、原告から同土地の地代を受領していない。

被告一家の本件建物一での同居は、原告の希望でなされたものであって、本件各負担が付くはずはない。なお、被告は、事実上、原告の財産の一部を管理してきた事実はあるが、これは、被告が長男の果たすべき義務として、母親のために好意によりなしてきたものであり、同居についての負担となるようなものではない。

同第二段の事実中、被告がC雄を手伝い、本件事務所部分を公認会計士事務所として使用していた事実は認め、その余の事実は否認する。

同第三段の事実中、原告が本件駐車場部分を無償で使用している事実は認める。原告は、本件建物二を伊古奈観光株式会社に賃貸しており、毎月一三万円の賃料を交付されている。被告は、右会社の好意により、本件建物二を無償で使用させてもらっているにすぎない。

C雄の遺産分割協議においては、本件建物一を原告が取得することになったが、被告が本件事務所部分において本件事務所を継続していくことが当然の前提であり、原告も当然了承していた。したがって、むしろ、本件建物一を原告の単独取得することにつき、被告が引き続き本件建物一を本件事務所の経営のために無償使用できることが黙示の条件となっていた。

2  同2(一)の事実は否認する。D美は、原告のため皆と違う特別な食事を作り、かつ、皆とは異なる原告の食事時間に合わせてこれを用意して、その健康に配慮してきた。

同2(二)の事実中、被告が法事の後、「娘の育て方が悪かった。」との趣旨を原告に話した事実は認め、その余の事実は否認する。C雄の一三回忌の法事の日時と出席者は原告の意思に基づいて決めたものである。そして、被告は、原告に対し、法事に関する相談の内容をその都度E代に報告するよう促し、話した事実を確認してきた。本件家出までは、原告と被告一家との関係は、ごく円満に推移していた。

同2(三)の事実は否認する。平成九年ころから、原告が第二文記載のようなことを話していたことは事実であり、このような話の後には、その事実がないことを被告や被告の事務所の職員が確認している。

同2(四)の事実中、被告がE代とF江に対して原告が惚けたとの話をしなかったことは認め、その余の事実は否認する。

同2(五)の事実中、本件家出の事実は認め、その余の事実は否認する。本件家出は、原告がいつもと変わらず、E代方に遊びに行ったまま、帰宅しなかったというものである。

3  同3(一)の事実は否認する。平成九年度の所得税の確定申告については、本件事務所の職員である丙谷G郎(以下「丙谷」という。)がすべてを原告に説明し、原告の了解を取り付けたうえで申告している。また、被告は、毎月、原告に対し本件事務所の給料の名目で二三万円を渡していたが、原告が同事務所から給料を受領すべき実体はなく、これには伊古奈観光開発株式会社から支払われる賃料一三万円が含まれている。なお、被告は、本件家出の後の毎月二三万円の支払については、丁沢H介(以下「丁沢」という。)を介して原告に対し従来どおり直接手渡したい旨伝えたが、取りに来ないので、現在被告が保管している。

同3(二)の事実は否認する。

4  同5及び6は争う。

5  同7(一)の事実は否認する。被告は、事実上、原告の財産の一部の管理を行っていたにすぎない。

同7(二)の事実は認める。ただし、a町の借地権は、被告が自己資金により取得したものを原告に同額で譲渡したものであり、名義だけ変更したものではない。

同7(三)の事実は認める。

同7(四)の事実中、本件建築一がなされたことは認める。本件各借入から実際に出捐した金額は、建築契約金(請負代金)四八三〇万円、追加工事代金七八万円、支払利息四三万九七八二円の合計四九五一万九七八二円(A)であって、原告が主張する建築代金四九〇五万四八〇四円は、Aから既存建物解体料金四六万四九七八円を控除した、減価償却の基準となる当初価額である。また、本件各借入から支出されたものは、<1>宗参寺(地主)に対する借地権譲渡承諾料一五〇万円、<2>有限会社林物産に対する借地権譲渡媒介手数料一〇〇万円、<3>上棟式費用一九万〇一五〇円、<4>表示及び保存登記手続費用(登録免許税)五三万円、<5>保険料三万六〇〇〇円、<6>手数料四五万円(有限会社林物産に支払った本件各賃貸建物の入居者斡旋の媒介手数料である。便宜上、b町の建物の分をa町の建物の分に合算して計上している。)、<7>建物完成までの借入金支払利息七三四万一〇四五円、以上合計一一〇四万七一九五円(C)である。

同7(五)の事実中、本件建築二がなされたことは認める。本件借入二から実際に出捐した金額は、建築契約金(請負代金)九五〇〇万円、設計料四七五万円、支払利息四二八万一六一〇円、近隣対策費二七五万円の合計一億〇六七八万一六一〇円(B)であって、原告が主張する建築代金四九〇五万四八〇四円は、Bから既存建物解体料金一八四万〇四六七円を控除した、減価償却の基準となる当初価額(ただし正確には一億〇四九四万一一四三円)である。また、本件各借入から支出されたものは、<1>表示及び保存登記手続費用(登録免許税を含む。)二八万二三〇〇円と<2>建物完成後の借入金支払利息三六五万五八一九円の合計三九三万八一一九円(D)である。

同7(六)は争う。以上のとおり、本件各建築のために出捐された金額は、前記AないしDに借地権代金四〇〇〇万円を加えた二億一一二八万六七〇六円となり、本件各借入を一二八万六七〇六円上回っている(不足分については、被告が一部立て替えた。)。

6  同8(一)は争う。

同8(二)は争う。本件各賃貸建物の賃料収入では、平成八年以降は被告からの借入がなければ、両建物の維持、管理費用をすべて賄うに足りなくなったため、預かり敷金をもって維持、管理費用の支払に充て、それでも足りない部分は、被告からの借入金で賄った。費用が足りなくなった主な理由は、<1>平成二年四月二六日に本件借入二の保証料二一五万六九八二円を支払ったこと、<2>同年一〇月二二日にb町の建物にE代一家が居住するための改築費用七〇〇万円を支払ったこと、<3>平成四年から毎年、原告の指示によりE代の夫Johnの二〇〇〇万円の借入金の分割弁済金の肩代りをしていることによるものである。そして、被告は、預かり敷金及び賃料収入を預金した帝都信用金庫牛込柳町支店と三菱銀行池袋支店の預金通帳を原告に引渡した(取引印は、もとから原告が所持している。)ことにより、預かり敷金の引渡しはすべて完了している。

7  同9(一)は争う。原告が主張する五五六万八五八一円は、余分ではなく、同金額に見合うものは、原告名義の帝都信用金庫の普通預金の昭和六〇年一一月二八日の残高五九三万五八五五円に含まれている。

同9(二)も争う。まず、原告は、昭和六二年一一月二〇日、三菱銀行池袋支店から三〇〇万円を借り入れ、全額を株式会社ラムセス(以下「ラムセス」という。)に貸し付けた。右貸付金は、ラムセスから返済されずに、原告の家賃収入が入金される三菱銀行の普通預金から弁済された(ただし、実際の返済は、返済計画表のとおりにはできず、毎月の返済は、右返済計画表の金額よりは少なかった。)。また、原告は、原告の家賃収入が入金される三菱銀行の普通預金から一〇〇〇万円を引き出し、MMC定期預金としていたが、原告は、MMC定期預金を解約し、ラムセスの借入金の弁済に充当した(正確には、ラムセスが直接には借入ができなかったので、被告がラムセスのために三菱銀行池袋支店から借り入れ、ラムセスに転貸していた借入金の一部として前記解約分で同銀行に弁済された。)。被告は、原告の承諾を得て右手続を行った。

第三証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  請求原因1について

1  請求原因一の第一段の事実中、被告一家が被告居住部分に原告と同居していた事実、被告がC雄を手伝い、本件事務所部分を公認会計士事務所として使用していた事実、原告が本件建物二を無償で使用している事実は、争いがない。

2  前記1の争いがない事実に加えて、証拠(甲一、二、甲一一・甲二七(各一部)、甲三二の一、二、乙三〇(一部)、乙三四、証人F江、同D美、原告・被告各本人)によれば、以下の事実が認められる。

C雄は、長年、本件建物を自宅兼本件事務所として公認会計士業務を行っていたが、昭和五八年二月病気で倒れた。そのため、当時独立して公認会計士事務所を構えていた被告は、本件事務所に勤務税理士として入り、業務を手伝うようになった。C雄は、昭和五九年一〇月九日死亡し、同人亡き後の本件事務所の運営については、原告と親族の有志(丁沢I作、戊野J平)が話し合った結果、長男の被告が跡を継ぐことになり、被告もこれを了承し、以後は本件建物のうち本件事務所部分を使用して、本件事務所を経営していくことになった。なお、被告は、当時は、仕事場と住居が一緒にするのを好まず、自宅から本件建物一に通勤していた。

また、C雄の遺産分割については、被告が主導して協議した結果、C雄・原告夫婦が建て、子である被告、E代及びF江がそれぞれ成長し独立するまで住んでいた甲山家の生活の基盤である本件建物一については、原告の立場を尊重して単独取得とし、ただその敷地の方は、被告が本件事務所の跡を継いで経営していくことになっていたことから、持分割合を被告が一〇分の八、原告が一〇分の二とする共有とし、同様に本件建物二についても原告の単独取得とし、その敷地については持分割合を被告が一〇分の八、原告が一〇分の二とする共有とした(遺産分割協議書の調印は、昭和六〇年四月九日(乙三四)で、以下「本件遺産分割」という。)。そして、原告は、既に昭和五八年一月ころから、公認会計士である長男の被告に対し、自分の財産管理をしてもらっていたが、被告は、長男として本件事務所の跡を継ぎ、かつ本件遺産分割を主導したことに引き続いて、昭和六〇年ころからは本格的に原告と相談しながら、本件各賃貸建物を建築し、そのうち本件遺産分割においてF江への遺産配分が少なかった点を配慮し、将来の相続に備えて、a町の建物の名義を被告から原告の名義に変更したり、不動産業者も使いながら本件各賃貸建物の管理(賃料や敷金の収受、保守等を含む。)を行ったり、C雄が生前始めていたラムセス(E代が代表者)の負債整理を担当したりするなどして、原告の財産管理も原告から任されて行うようになっていた。

ところで、C雄死亡当時は、E代一家が本件建物一の二階部分に居住して本件建物一で原告と同居していたところ、平成二年ころには、原告がE代の夫Johnと一緒に生活をするのを嫌ったり、平日本件事務所で仕事中、E代の関係者が本件建物一を訪れ、本件建物一内の部屋を利用するのが迷惑になったりしたため、原告と被告が相談のうえ、E代に対し本件建物一を出るよう要請し、E代一家は、まもなく本件建物一を退去した。

その後、本件建物一に一人で残された原告に対し、D美が食事の世話に行ったり、被告がときどき泊まったりしているうち、原告が被告一家と同居を望むようになり、被告の方も、わざわざ自宅から本件事務所まで通勤しなくてもすみ、都合が良いことから、被告家族(被告、D美、長男)は、平成二年一〇月から本件建物一に移り、本件建物一のうち被告住居部分で原告と同居するようになった。右同居を始めるにあたって、原告(大正二年○月○日生)は、本来身の回りのことは十分自分できる状態にあり、また、原告と被告、D美が改めて話し合うようなことは格別なかったものの、自然に食事はD美が原告の分も一緒に作って、被告家族と一緒にするようになり、その他、掃除、洗濯、買い物等の家事についても、D美が原告の分も含めて世話をし、原告も、自分でできることは自分でしながら、これを受け容れていた。また、被告は、従前は原告の扶養として原告に対し生活費等を渡すことはしていなかったのに対し、同居を始めてからは、食費、光熱費等の生活費はすべて被告が負担するとともに、本件事務所を無償で使用していることを含め、母親である原告に対する心遣いとして、当初は毎月二〇万円を、まもなく税務署から高すぎると指摘された後は毎月一〇万円を、本件事務所の給料の名目で原告に渡すようになった。そして、このような生活関係によって、原告と被告家族との同居生活は円満に継続された。なお、原告は、被告に対し、本件土地一についての被告持分一〇分の八に対応する使用料は支払っていない。

また、原告は、被告から原告と同居を始めた際、本件建物二のうち本件駐車場部分を駐車場として利用させて欲しいと頼まれたので、これを承諾し、無償で本件駐車場部分の使用を認めた。その後、原告は、被告から依頼されて、本件建物二のその余の部分を伊古奈観光株式会社に賃貸するようになり、被告は、毎月、同社からの賃料一三万円と前記一〇万円とを合わせた合計二三万円を原告に渡すようにしていた。なお、原告は、被告に対し、本件建物二についても、本件土地二の被告持分一〇分の八に対応する使用料を支払っていない。

以上のとおり認められ、証拠(甲一一、二七、乙三〇)中、右認定に反する部分は採用しない。

3  前記2の認定事実によれば、原告が、被告に対し本件建物一の敷地の被告持分一〇分の八に対応する使用料は支払っていないことや、被告が、本件建物一のうち被告住居部分に移って原告と同居するようになった平成二年一〇月ころから、毎月一〇万円を原告に交付していたことが認められる。しかしながら、本件全証拠によっても、原告、被告のいずれも、被告が本件各使用部分を使用することと、原告が本件各土地の被告持分一〇分の八に対応する使用料を支払っていないこととを対価関係として認識していたことは認められないし、月額一〇万円の交付も、前記2で認定したとおり、被告は、これを本件事務所の無償使用を含め母親である原告に対する心遣いとして渡していたことにかんがみると、その趣旨は同居することになった子から親に対する小遣いのようなものであって、右金員についても、原告と被告間で被告が本件各使用部分を使用することの対価とみていたとまでは認められない。したがって、本件各使用部分の利用関係については、これを実質的に賃貸借契約と評価することはできず、原告が長男の被告に対し本件各使用部分の無償での使用を認めた使用貸借契約(=本件使用貸借契約。その始期は被告住居部分と本件駐車場部分については平成二年一〇月、本件事務所部分については昭和五九年一〇月九日のC雄の相続開始後まもなくのころに、被告が本件事務所の跡を継いだときである。)と認めるのが相当である。

そして、被告が本件建物一のうち被告住居部分に同居する前までは原告のための生活費を負担していなかったのに対し、同居開始後は、格別明示的に取決めをしたわけではなかったものの、被告が自ら食費、光熱費等の生活費を負担する(前記一〇万円の小遣いの交付も含む。)とともに、被告の妻D美が原告の身の回りの世話をし、夫婦で原告の生活の面倒を看ることによって、円満に同居生活関係が保れていたという事実関係にかんがみると、平成二年一〇月以降、被告が本件各使用部分を無償で使用するにあたっては、被告が原告の扶養介護をすることを負担とするとの黙示的な合意がなされたものと認めるのが合理的である。一方、原告の財産管理については、C雄の死亡により、被告が長男として本件事務所の跡を継いだり、本件遺産分割を主導したりしていく中で、原告と相談しながら本件各建築を行い、本件各賃貸建物の賃貸を開始したり、ラムセスの負債整理をしたりするなどして、原告の財産管理を任されて行うようになっていたことは、前記2で認定したとおりであって、このような親族における被告の地位ないし立場や原告の財産管理を始めた時期、さらには右財産管理の内容が原告との同居とは必然的に結び付かないものであったことに照らして考えると、被告は、C雄の跡を継いだ長男としての責任から、原告の財産管理を任されて行っていたものとみるのが妥当であって、原告と被告との間で、右財産管理につき黙示的にも、当初の昭和六〇年ころの時点で、本件事務所の経営者として本件事務所部分の使用をすることに伴う負担としたり、あるいは被告住居部分と本件駐車場部分の無償使用を始めた平成二年一〇月ころの時点で改めて、右無償使用に伴う負担に含めたりする合意がなされたものと評価することはいずれも困難であるといわざるを得ない。

したがって、本件使用貸借契約は、被告が原告の扶養介護をする負担(=本件負担一)の付いたものと認めることができ、請求原因1の事実は右限度で認められる。

二  請求原因2について

1  本件負担一の不履行の有無についての認定事実

証拠(甲三、四、甲五(一部)、甲一〇、甲一一・甲一三・甲二六ないし甲二九(各一部)、甲三〇、乙一、三、乙三〇(一部)、乙三一、三三、乙三五の一ないし一六、証人E代・同F江・同丁沢・同丙谷(各一部)、証人D美、原告・被告各本人(各一部))によれば、以下の事実が認められる。

(一)  原告は、昭和五八年に直腸癌手術により人工肛門を造設していたが、さらに平成五年に胃癌手術をした後は、下痢、便秘、胃もたれ、悪心等の症伏があり、食生活には特に気を配る必要があった。D美は、右胃癌手術後は、原告が一度に多く食べることができなかったので、少量で品数を多く作るよう心がけるようにしていた。中でも朝食は、原告が午前九時三〇分から一一時ころまでかけてゆっくり食べるので、主食(お粥かパン)と副菜(味噌汁、卵料理、簡単な煮物、生野菜、漬け物、焼き海苔、干物等)のほか、前記胃癌手術の後は、E代から教わった野菜スープ(無農薬野菜を使用)を付けるようにしており、これに対し昼食は簡単なものであったが、午後にはおやつも出し、夕食には寿司、刺身、魚の唐揚げやフライ、焼き魚、カレーやシチュー類等栄養の摂れるものを作っていて、特に冬場は、原告のため寄せ鍋をあつらえるなどしていた。また、原告自身も、自分の健康には気を付け、便秘等にならないように努力していたものの、人工肛門を付けているため、二、三日便秘が続くことも頻繁にあり、そうなると、からだ全体がだるくなったり、食欲がなくなったり、吐いたりするので、D美が早い目にかかりつけの己原医師に点滴を依頼していた。ただ、D美は、活動的な性格で外出することも多く、食事の用意ができないこともあり、そのような場合、原告は、E代のもとで食事を摂っていた。

そのほか、D美は、原告が原告の部屋(二階の八畳間)のベッドの横に足温器を置いて使っていたので、その水を替える際に、下のカーペットを外して布団を風に当てるとともに、部屋の中や前の廊下、階段等に掃除機をかけるなどして、定期的に原告のため掃除をしていた。なお、本件建物一では、ネズミの駆除は定期的に行っており、大掃除は、事務所の職員が中心となって本件事務所部分についてすることになっていた。洗濯については、D美が被告家族のものと原告のものをまとめて洗濯機をかけた後二階に運び、原告が自発的に干すのを引き受けて二階に干した後、乾いたら取り込んでたたみ、個別に重ねて置いておくというように分担していた。

また、D美は、よく原告を連れて買い物や散歩に出ており、原告は、平成九年夏ころまでは杖をついて出掛けていたが、それ以後は杖をつくと痛がって散歩が不自由になってきたため、D美が、ボランティア協会から車椅子を借りてきて、車椅子を押して散歩や買い物に外出していた。通院に関しては、E代やF江も付添を分担して援助してもらっていた(循環器系など)が、D美は、順天堂医院第二外科への通院(二週間に一回)や己原医師のもとでの点滴に付き添い、また、薬だけの場合は、D美が一人で順天堂医院や己原医師のところへ薬をもらいに通っていた。

(二)  被告は、本件事務所で行う恒例の行事(新年会、確定申告終了の打ち上げ、花見、忘年会等)の際には、必ず原告の席を作って原告を招いており、また、顧問先から接待を受けるときなども、必ず原告を連れて行っていた。

被告は、平成八年一〇月、C雄の一三回忌の法要を主宰して執り行った。その際、被告は、原告に相談しながら、原告の姉が出席できるよう日程を調整して決め、原告に対し、E代とF江にも連絡するように依頼していた。これに対し、E代が、日時が合わないと申し入れてきたため、被告は、日を改めるかどうか原告に相談したところ、原告が、自分が説得すると言ったため、原告に任せることにしていた。なお、F江も、そのころ被告宛に法要の日程を勝手に決めたとして、これを非難する電話を掛けてきていた。原告は、E代を再三説得したにもかかわらず聞き入れられず、D美もE代方に赴き、出席するよう頼みに行ったものの日時を勝手に決めたとして拒否されたため、被告は最終的に原告の意向を確認したうえで、予定どおりの日で法要を行うことにした。被告は、法要後の「おときの席」の場所として手配したホテル内のレストランに原告も同行し、原告の意見どおり席順等を決めていた。ところが、E代が、法要の前日の夜遅くになって、本件事務所の従業員で親戚の丙谷宛に法要に出席しようと思うとの電話をしてきたため、丙谷が、法要を明日に控えた時点で、ホテルでの「おときの席」を増やすことは不可能と考えて、もうE代の席はないと返事したところ、E代は、当日法要にも出席しなかった。被告は、一三回忌の約一週間後、今回の法要に対するE代、F江の対応の仕方に関して、「親の言うことを聞かないような娘になったのは、親の育て方にも問題がある。」と原告を非難したが、その際被告が子供のときから自分の子供のようにかわいがってくれた原告の姉である小宮のおばを引き合いに出しながら、「おふくろのことは親とも何とも思っていない。」、「自分が母親と思っているのは小宮のおばさんだ。」などとも言った。

右一三回忌の法要を境にして、被告夫婦とE代、E代、F江とは行き来がなくなって疎遠となり、E代、F江は、原告とときどき本件建物一の外で会うことはあったものの、本件建物一での生活全般については、被告夫婦に完全に委ねる状態になった。なお、右法要の前後を通じて、被告夫婦の原告に対する接し方は基本的には変わらず、法要の後に特に冷たくあるいは粗略になるということはなかった。

(三)  原告は、平成九年八月ころ、気分が悪くなったので、順天堂医院の循環器系で検査したところ、心臓の弁が閉まりにくくなって、そこに腫瘤ができているものと考えられる旨の診断を受け、その治療として薬を処方されたが、それ以後、朝食後心臓の動悸が激しいので、休まないと体を動かせないといった状態になった。それとともに、原告は、平成九年夏ころから、身の回りの物がなくなったといっては探し回るといった言動をすることが次第に多くなっていった。

すなわち、原告は、同年の盆ころ、原告の腕時計を紛失し、何か月か後にD美が、原告の部屋の南側の窓の下にあるプレハブの倉庫の屋根の上に落ちているのを見つけて原告に渡したところ、原告はお礼を述べていた。また、原告は、同年七月ころ、茶封筒に入れて置いた郵便局の満期になった定期貯金(一二〇万円)が長らく見つからなかったところ、それが一〇月ころに鴨居の上で見つかったり、一二月には指輪が無くなったと言って騒いだりしたほか、税務申告のために取っておいた簡易保険の領収書(D美の指摘でベッドの枕元の引き出しから出てきた。)、通院の前の晩にバッグに入れて準備した診察券や保険証、積立貯金の通帳と判等も、原告が置いたと自分で考える場所には見当たらなくなり、探し回った挙げ句、原告の思いも寄らなかった場所から出てきたり、気が付いたD美が持ってきてくれたりしていた。

また、平成一〇年一月ころには、原告は、自分が心臓の薬を入れておくため毎日開け閉めする台所の引き出しに、いずれも古くなった保険関係、封筒、写真等の書類が毎日入れてあり、しかもそれが毎日異なった物に変わるとして、一度D美に対し、右引き出しを触らないよう申し入れたが、D美がこれを否定すると、その後一時間くらいして考え直して謝罪していた。

ところが、同年二月に入ると、原告がまた数回同じようなことを言うようになり、D美は困惑した。なお、ちょうどそのころは、平成九年五月ころ以降原告宅に頻繁に立ち寄って原告の話し相手役を務めていた親戚の女性(戊野K子)が就職したため、原告方に来れなくなったという事情もあった。また、原告は、同年二月から三月にかけて、居間で物を探し回っていることが頻繁になり、特にそれが午前三時等深夜に及ぶことも多くなった。そのほかたとえば、原告は、マッサージの帰りにE代方の前で車を降りた際に反対方向に歩いてみたり、E代の部屋の場所が分からなくて戻ってきたり、夕方五時ころに朝の五時ころと勘違いしてパジャマを着て寝ていたり、病院に行く日時を間違えて準備してみたり、金庫の鍵をかけ忘れた、誰かに金庫の中をいじられかき回されたなどと言いながら、金庫の中に書類を押し込んでいたりなどしていた。なお、D美や本件事務所の職員は、原告が物がなくなったと訴えて探しをし始めた際には、原告と一緒に探したり、見つかれば届けたりするなどして、その都度対応していた。その一方で、原告は、被告に対し、最近頭がおかしいなどと自ら告げることもしていたため、被告は、原告に軽い老人性のぼけ症状が出てきたものと受け止めていた。

さらに、原告は、同年三月一六日には、本件事務所で行う確定申告の打ち上げのための準備中、煮物の盛付けを手伝っていたとき、ニンジンを一つ一つ皿に並べていたため、それを見たD美や丙谷らは、原告の様子がいよいよおかしいと感じた。D美は、それまで原告の状態につき、本件事務所に勤務する親戚の丙谷や庚崎らには適宜打ち明けて相談していたが、三月二三日には、原告とも親しくしていた原告の姉(蒲田のおばさん)に電話で、原告が病院に行く日付を間違えたり、金を取られたと訴えたりするなど、典型的な老人性痴呆の症状が出て、様子がおかしく困っている旨原告の状態を告げて相談し、都合が付いたら遊びに立ち寄って欲しい旨依頼していた。

(四)  原告は、三月二一日の夕刻、E代方に電話し、応対に出た前記戊野K子に対し、金庫の中の金がなくなっているなどと訴えたため、E代の指示を受けた戊野K子が本件建物一に赴き、金庫の中にあった現金と原告の実印をE代方に持ち帰った。さらに、原告は、同月二四日午後九時ころ、F江に対し電話で来て欲しい旨依頼した。かねてから近頃原告の状態がおかしいとE代から聞いていたF江は、E代の長男と一緒に本件建物一(当時被告は留守中)の原告の部屋にかけつけたところ、原告は、自分の居室や金庫の中が被告夫婦によっていじられているとして、それを探し回るなどした結果茫然自失の状態にあるように見受けられた。そこで、F江らは、原告の心配事を緩和するべく、原告の部屋の金庫内のすべての物、及び部屋の中にあった書類等を持ち出し、原告を伴って午後一〇時すぎころ本件建物一を出て、E代宅で食事をした後、E代が送り届けて午後一一時半ころ原告を帰宅させた。

原告は、翌二五日の朝、D美の腕を引っ張って自分の部屋に連れて行き、昨晩の書類等を持ち出した後、古い領収書類が散らばっている状態を指して、誰がこのような状態にしたのかなどと問い質した。そして、原告が、物が無くなったと騒いでE代に電話をかけたため、E代は、丙谷に対し、二階に上がって見てやって欲しい旨電話を入れた。丙谷が二階の原告の部屋を訪ねると、原告は、物が無くなった、金庫が荒らされているなどと盛んに訴えるので、丙谷が宥めていると、午前一一時ころには、E代の長男が原告の様子を見に来た。原告は、まもなく本件事務所に顔を出して、「みんな働いているのに悪いね。ちょっと遊びに行って来るから。」と告げて、E代の長男と一緒にE代宅に赴いた(=本件家出)。原告は、夕食をE代宅で食べた後、自宅へ帰ると申し出たが、E代は、原告が現状では寝不足も重なり、心身ともに衰弱しているようであり、E代の長男が帰宅につき強く反対したこともあって、取りあえず、E代宅に泊まらせることにした。一方、D美は、同日は、もともと原告と一緒に己原医師のところへ薬をもらいに行く予定になっていたところ、朝になって原告から行って来て欲しい旨依頼されたため、一人で己原医師のもとへ赴き、最近の原告の症状を話したのに対し、同医師から、血行の良くなる薬を処方してもらってきていた。

E代は、同日午後、丙谷に電話をし、寝ている間に部屋をいじって、原告の頭を混乱させようとしている、散歩に連れていってわざと疲れさせて、殺そうとしている、気違い扱いしている、原告の頭は何でもない、嫁に頭をおかしくさせらているなどと抗議を申し入れた。被告は、同日夜、E代の右申入れを伝える丙谷からの連絡により、問題が起こっていると判断して、D美とも相談のうえ、知り合いの寅葉医師に電話で事情を話し、市川病院精神科の癸井医師を紹介してもらった。そして、被告は、翌日は自分が静岡に出張予定であったため、D美に対し翌朝癸井医師のところへ相談に行くよう指示した。そこで、D美は、翌二六日の午前中に癸井医師を訪ねて、原告の既往症(前記のような心臓の疾患も含む。)のほか、最近原告に痴呆の症状が出ている旨話したところ、同医師から、老人性の多発性脳梗塞ではないかと意見を述べられ、治療しないでおくと、惚けてしまうかもしれないので、早い目に周りの者が理解したうえで治療をした方がよい旨助言を受けた。

被告は、右助言を聞いて、親戚の丁沢に電話し、原告が惚けて困っている、医者に見せたところ、アルツハイマーではないから、早く治療をすれば今の進行を食い止められるから、そのようにしたい、ついては、原告がE代宅に行ってしまったので、E代に早く医者に見せるよう丁沢から話して欲しい旨申し入れた。他方、E代は、三月二七日、予約していた順天堂医院循環器内科に原告を同行し診察を受けさせたところ、強度のストレスによるノイローゼ状態にあり、惚けではないと言われていた。

その後、被告は、丁沢が十分にE代やF江に被告の意見を伝えられていないようであったため、丑木医師にも相談したうえで、四月一八日付けで、E代及びF江宛に、理解が遅ければ遅いほど原告の症状は進行してしまうので、一日も早く丑木医師を訪ね、適切な処置をするよう警告する手紙(甲三)をしたためた。右手紙を受け取ったE代とF江は、右手紙の内容に加えて、本件家出前後に被告夫婦が原告の症状につき相談した前記医師や本件事務所の従業員、親戚の者らからの情報からして、被告夫婦が原告を惚け老人扱いにしていたものと受け止めて、非常に憤りを覚えた。このような中で、原告も、本件家出直後は、家を出た理由が自分でもよくわからない状態であったが、E代宅で生活するようになってからは、右のように被告夫婦の原告に対する対処方法につき義憤を感じているE代やF江を通して、それまでの本件建物一での被告夫婦との同居生活につき、いろいろな意見を言われるとともに、自分でもそれまでのことを振り返ってみた。その結果、まもなく原告は、今までは、被告夫婦を信用して、被告夫婦に言いたいことがあっても我慢していたのであるから、自分が惚けているということなら、注意してくれればよかったのに、被告夫婦に裏からいろいろな嫌がらせをされるとともに、惚けた、惚けたと言いふらされていたものと思い込むようになり、もはや被告夫婦とは同居できないという気持ちを持つようになった。そこで、E代やF江は、丁沢を通して五月一八日ころには被告に対し、被告が家を出て、本件建物一でE代一家が原告と一緒に住むこととともに、C雄の相続のときの被告の取り分が多いから戻すようになどという条件を提示して話し合いを申し入れた。これに対し、被告は、原告本人のみ帰るのであれば承諾する、また、それ相応のことをしてくれれば出てもよいなどと対応して、話合いはできなかった。なお、その後、被告は、六月三日に原告がE代の長男に伴われて、本件建物一に荷物を取りに来た際、右長男に向かって、家に入るななどと申し向けた。また、被告は、原告が同年七月一二日に夏の衣類を取りに来たときには、本件事務所部分の部屋に施錠して留守にしていた。

以上のとおり認められ、証拠(甲一一、一三、二六ないし二九、乙三〇、証人E代、同F江、同丁沢、同丙谷、原告・被告各本人)中、右認定に反する部分は採用しない。

2  判断

まず、原告が本件負担一不履行の事実として指摘する具体的事実につき検討すると、請求原因2(一)については、前記1の認定事実によれば、被告夫婦、特にD美が原告のための食事管理を十分しなかったとはいえず、むしろ、D美は、手術後食事管理が必要な原告に対し、原告に合うように食事を工夫するよう努力していたほか、被告夫婦は、同居開始後本件家出までの間、概ね原告の生活全般にわたってよく面倒を看ており、特にD美は、病後の介護が必要な高齢の姑の原告に対し、嫁としてそれなりに努力して原告に接していたものと評価することができる。原告が主張する「体調を崩すことが多かった。」というのも、前記1で認定したように、主として、二回にわたる癌の手術後に必然的に起こる体調不良や、平成九年八月に心臓疾患の症状が現れてから後の原告の健康状態に起因するものとみるのが妥当であって、現に、原告も本件家出まで格別食事等のことでD美に格別不服を述べたこともなかったこと(甲一一、原告本人、証人D美)に照らしても、原告が体調を崩すことが多かった原因が、D美が作った食事等にあったものと認めることはできない。

同(二)については、たしかに、被告が原告に対しそのような発言をした事実は認められ、その言葉だけを捉えればいささか穏当でないものであるけれども、これは、一三回忌の法要の件で、E代がとった対応につき、E代との交渉役を務めていた母親の原告に対し、非難の言葉を浴びせた際に、幼小よりかわいがってくれたおばを引き合いに出しながら原告を責める気持ちから出たものと解され、本件全証拠によっても、その後被告自身が原告に対し、その言葉どおりことさら原告に対し、親を親とも思わない態度を継続したり、冷たく当たったりしたといった事実も認められない。

同(三)については、前記1で認定したように、平成九年夏ころから、原告が心臓疾患等も加わって体調を崩すとともに、高齢の老人によくあるいわゆる物忘れの症状が次第に高じていったことが窺われ、原告が主張する物がなくなったり、移されたりという事態は、ひとえに原告の右症状が発現したものであって、特に平成一〇年一月以降は、原告が物を置いた場所を思い出せず、深夜まで物を探し回るなどする行動が続き、寝不足が重なったため、前記の体調不良と相俟って、原告自身心身ともに疲弊していた状況に陥っていたものと認めることができる。

同(四)については、前記1の認定事実によれば、D美は、原告が物探しを頻繁にするようになったことに対し、その都度一緒に探すなどの対応をしていたが、原告を惚けた者として冷たくあるいは粗略に扱うようなことはなかったことが窺われる、また、D美が、本件事務所の従業員や身内の者のうちごく親しい者若干名に対し、原告に物忘れの症状が頻発するようになった事実を打ち明けて相談することも何度かあった程度であって、決して周りの者に言いふらすようなことはなかったことは、前記1で認定したとおりである。介護をしている高齢者に物忘れの症状が頻発するような事態に直面した家族の者が、対応に苦慮して、医師のほか、身近な者に相談するのは無理もない面があり、特に一三回忌の法要以降、被告夫婦とE代、F江との関係が疎遠になっていた前記のような状況の下では、当時原告のそばで日々面倒を看ていて、原告の健康状態を最も知り得る立場にあった被告夫婦が、敢えてE代やF江には相談することなく、心当たりの医師やその他の身近な者のみに事態を告げて対処しようとしたことはやむを得ない措置であって、被告夫婦が同居の親族として課せられた扶養義務を尽くさなかったものということはできない。ただ、原告が本件家出後、心身ともに落ち着きを取り戻していること(証人E代、同F江、原告本人)に比べて、現時点で被告夫婦の対処の仕方を振り返ってみた場合には、平成九年夏以降、原告に物忘れの症状が出始めてから、被告夫婦が家族ぐるみで、より暖かく親身になって原告の状況を把握し、より密接に話し相手を務めるなどして日々接していれば、本件家出当時における原告の心身の健康状態もいささか違っていたかもしれず、この点、被告夫婦の配慮につき、より改善すべき点が全くなかったとはいえないけれども、これをもって、ただちに本件負担一の不完全履行と評価することはできないというべきである。

同(五)については、前記1で認定したとおり、本件家出自体は、本件建物一にいたたまれなくなったからであるとは認められず、むしろ、当日は原告自身は帰宅するつもりであったのに、E代の意向に従い、E代方にとどまっている中で、先に収集した情報により、一三回忌の法要の件以降快く思っていなかった被告夫婦が原告を惚け老人扱いにしているものとして義憤を抱いたE代やF江の意見も聞きながら、これまでのことを振り返っていろいろ解釈するうちに、原告も、これまで被告夫婦が自分を惚け扱いにするなどして陥れようとしていたものと思い込むようになり、もはや被告夫婦がいる原告宅へは帰宅しないとの決意を固めてしまったことが窺われる。

以上によれば、本件家出当時において原告が心身とも相当不安定な状態であったことや、現在原告自身が被告夫婦の介護を受ける前提での帰宅を拒絶していることは、誠に不幸で痛ましい限りであるけれども、現在も本件家出の状態が継続していることにつき、原告と被告夫婦の当事者間の問題以外の外部的な要因が影響していることは、本件審理を通じて否定できないところであって、本件家出までの同居生活、あるいは本件家出後の対応について、被告夫婦において原告が主張するような本件負担一の不履行(不完全履行を含む。)があったものと評価することはできないといわざるを得ない。

三  請求原因3について

1  本件使用貸借契約に本件負担二が付いているものと認められないことは、前記一3で判断したとおりであるが、原告の主張には、原告が請求原因3で主張するような本件負担二の不履行があることにより、使用貸借契約関係の基礎となる原告・被告間の人的な信頼関係が破壊されているとして、これを解除原因の一つとする趣旨も含まれているものとも解し得るので、原告が指摘する具体的事実の有無についても検討しておくこととする。

2  請求原因3(一)については、証拠(甲一一、乙一)及び弁論の全趣旨によれば、原告の所得税の確定申告に関しては、事務処理を担当していた丙谷が毎年原告に対し直接説明し、印鑑を押してもらっていたところ、平成九年度の確定申告についても、丙谷が原告に対し説明していたが、申告期限間際になっても、医療費控除のための領収書が見つからず再発行してもらったことや、当時原告が不安定な状況に陥っていたことなどから、最終的な手続としては、丙谷が事務所にあった印鑑を押して申告書を提出したことが認められる。また、証拠(乙三一、被告本人)によれば、被告は、毎月二三万円の支払については、丁沢を介して原告に対し従来どおり直接手渡したい旨伝えたが、原告が取りに来ないので、現在被告が保管していることが認められる。

また、同(二)の事実が認められないことは、後に判断するとおりである。

したがって、被告につき、財産管理面においても、原告・被告間の信頼関係を破壊するような行為があったものと認めることはできないというべきである。

四  請求原因4の事実は、当裁判所に顕著である。

前記二、三によれば、本件使用貸借契約において被告に解除原因は認められないから、本件解除を有効と認めることはできない。

五  請求原因6について

前記二1で認定したように、被告は、C雄の一三回忌の法要の後、原告に対し「親の言うことを聞かないような娘になったのは、親の育て方にも問題がある。」と非難したほか、「おふくろのことは親とも何とも思っていない。」、「自分が母親と思っているのは小宮のおばさんだ。」などと発言したことが認められる。しかし、右発言は、法要の日取りを巡ってE代との間で交渉役を務めた原告に対し、その交渉が功を奏さなかったことについて、母親としての原告の責任を問題とした際に、原告を責める気持ちから出た言葉であって、その言葉自体だけを捉えると、原告を少なからず傷付けるものであるけれども、右発言に至る経緯や発言がなされた前記のような具体的状況を斟酌すると、原告に対する違法な権利侵害として不法行為を構成するとまでは評価できないし、原告に対し慰謝料をもって償うべき精神的苦痛を被らせたものと認めることもできないといわざるを得ない。

六  請求原因7について

1  前記二2で認定した事実によれば、請求原因7(一)の事実(=本件委任契約)が認められる。

2  同7(二)及び(三)の事実(ただし、証拠(甲二二の一、二、被告本人)によれば、a町の借地権は、被告が自己資金により取得したものを原告に同額で譲渡したものであり、名義だけ変更したものではない。)、並びに7(四)及び(五)の事実中、本件各建築がなされた事実は、争いがない。

そして、証拠(乙四、一一、一四ないし二六)及び弁論の全趣旨によれば、a町の建物につき本件借入一から実際に出捐した右建物建築にかかる金員は、建築契約金(請負代金)四八三〇万円、追加工事代金七八万円、支払利息四三万九七八二円の合計四九五一万九七八二円((1) )である(なお、原告が主張する建築代金四九〇五万四八〇四円は、右(1) から既存建物解体料金四六万四九七八円を控除した、減価償却の基準となる当初価額である。)こと、また、本件借入一から支出したその他の費用としては、<1>借地権購入代金四〇〇〇万円、<2>宗参寺(地主)に対する借地権譲渡承諾料一五〇万円、<3>有限会社林物産に対する借地権譲渡媒介手数料一〇〇万円、<4>建物完成までの支払利息のうち借地権分七三四万一〇四五円(建物着工から完成までの按分は、借地権八三パーセント、建物一七パーセントによって配分)と建物分(右一七パーセント分)四三万九七八二円の合計七七八万〇八二七円、<5>表示及び保存登記手続費用(登録免許税)五三万円、<6>上棟式費用一九万〇一五〇円、<7>保険料三万六〇〇〇円、<8>手数料四五万円(有限会社林物産に支払った本件各賃貸建物の入居者斡旋の媒介手数料(便宜上、b町の建物の分も含む。))、以上合計五一四八万六九七七円((2) )であったこと、次に、b町の建物につき本件借入二から実際に出捐した右建物建築にかかる金員は、建築契約金(請負代金)九五〇〇万円、設計料四七五万円、六階追加工事代金一一一万六〇〇〇円、支払利息三一六万五六一〇円、近隣対策費二七五万円の合計一億〇六七八万一六一〇円((3) )であった(原告が主張する建築代金四九〇五万四八〇四円は、(3) から既存建物解体料金一八四万〇四六七円を控除した、減価償却の基準となる当初価額(正確には一億〇四九四万一一四三円)である。)こと、また、本件借入二から支出されたその他の費用は、<1>表示及び保存登記手続費用(登録免許税を含む。)二八万二三〇〇円と<2>建物完成後の借入金支払利息三六五万五八一九円の合計三九三万八一一九円((4) )であったことが認められる。右事実によると、本件各建築のために出捐された金額は、前記(1) ないし(4) の合計金額である二億一一七二万六四八八円となり、本件各借入を一七二万六四八八円上回っていることが認められる。

そうすると、被告が原告に対し、本件各借入に関し受任者の受取物引渡義務として支払うべき金員は存在しないというべきである。

七  請求原因8について

1  証拠(甲三一)及び弁論の全趣旨によれば、請求原因8(一)の事実が認められる。

2  証拠(甲三一、乙四)及び弁論の全趣旨によれば、平成一〇年末時点(=本件委任契約解除の時点)で、本件各賃貸建物の賃借人から差し入れられていた敷金は、別紙「預かり敷金一覧」のとおり合計四四四万五〇〇〇円であったことが認められる。

さらに、証拠(甲一五、一九、乙四ないし九、三六、三七)によれば、被告は、本件各賃貸建物にかかる賃借人からの賃料収入と敷金については、すべて帝都信用金庫牛込柳町支店(有限会社セイワ扱いのもの)と三菱銀行池袋支店(右以外のもの)の原告名義の普通預金ないし定期預金口座に入金して管理し、その中から経費その他の支払をしていたものであるところ、右各預金残高の推移、支払財源(本件各賃貸建物にかかる所得金額と減価償却費の合計金額)及び返済額(被告が原告のため支出した金額)は、概ね別紙「本件各賃貸建物の収支状況」記載のとおりであること、これによれば、平成二年末の時点で、同年四月に原告の本件借入二の保証料二一五万六九八二円を支出し、同年一〇月には原告の指示で、b町の建物にE代一家が住むための改装費として七〇〇万円を支出したため、すでに原告の預金残高は預かり敷金の合計金額より少なくなっていたこと、さらに、平成四年以降は、原告の指示によりJohnの二〇〇〇万円の借金の分割返済の代位弁済を、平成五年以降は本件借入二の一億一〇〇〇万円の分割返済を、いずれも右預金によって行うことになったため、同別紙のとおり、平成二年、五年、六年、八年、九年と、いずれも返済額が支払財源を上回り、賃料収入だけでは支払が賄えず、原告の預金残高は預かり敷金の合計金額より少なくなったこと、その後、被告は、預かり敷金及び賃料収入を預金した帝都信用金庫牛込柳町支店の原告名義の預金通帳については、平成一〇年六月に一旦同金庫に返却し、原告が再発行を受ける形で引き渡し、また、三菱銀行池袋支店の原告名義の預金通帳については、同年一二月末に原告に引き渡していた(なお、取引印は、もともと原告が所持していた。)ことが認められる。

右事実によると、被告は、原告に対し、本件各賃貸建物にかかる預かり敷金の引渡しをなしており、原告の被告に対する委任契約終了に基づく預かり敷金の返還請求は理由がないというべきである。

八  請求原因9について

1  証拠(甲三六、三七、乙一四、三六)によれば、被告がa町の建物につき請負契約を締結したのは昭和六〇年四月二二日であるのに対し、その半年以上前の昭和五九年九月四日にすでに帝都信用金庫から右建物の建築資金の借入をしていた事実が認められるけれども、さらに、証拠(乙三六、被告本人)によれば、一般に融資を受けて賃貸マンションを建築をするようなときは、賃借人の入居が遅れる場合に備えて、建物完成後一年間程度の利息支払に見合う分まで借り入れておくこともしばしば行われていること、加えて、被告は、a町の建物の敷地の借地権の購入ができた時点で、すぐに建物建築に着工できることを見込んで、右借入をしたところ、その後思いがけず近隣の反対にあって、その交渉に手間取ったり、当初依頼した業者による設計図の作成が遅延したりして、請負契約の締結が半年以上遅延するに至ったものであること、なお、原告が余分の借入、利息と主張する五五六万八五八一円に見合うものは、原告名義の帝都信用金庫の普通預金の昭和六〇年一一月二八日の残高五九三万五八五五円に含まれていたことが認められる。右事実によると、被告が建物請負契約の締結の半年以上前に建築資金の借入をしたことに関して、その間の借入ないし利息相当分について、被告が利得する反面、原告に対し損失を与えたものと評価することはできない。

2  証拠(乙三六、三八ないし四二、被告本人)及び弁論の全趣旨によれば、E代が代表者を務めていたラムセスは、平成元年九月二九日付で解散したが、解散時の負債の内容は、別紙「ラムセス負債内容」のとおりであったこと、被告は、そのころ、原告やE代からラムセスの負債の清算を任され、当時E代が所有していた土地を売却した代金三億二〇〇〇万円で、別紙「ラムセスの負債処理状況」記載のとおりの支払を行うとともに、右土地の借地権者に対する解決金八五〇〇万円も銀行から融資を受けて支払った(内訳は昭和六三年五月三〇日帝都信用金庫から一五〇〇万円借り入れて支払い、平成元年一月二〇日四二五〇万円を三菱銀行から被告名義で七〇〇〇万円を借り入れた中から支払い、同年三月二七日五〇万円を同銀行から借り入れて支払った。)こと、その結果、ラムセスの負債のうち、<1>「甲山A子(原告)借入金」四三〇万〇二七四円と<2>「三菱銀行借入金」四七一三万五〇〇〇円、同利息三七五万一四八四円が未精算分として残ったこと、右<1>のうちの三〇〇万円は、ラムセス名義では信用力がなく借入ができなかったため、被告が原告の了解を得て、昭和六二年一一月二〇日に三菱銀行から原告名義でラムセスのため三〇〇万円の借入をし、これをラムセスに転貸していたものであるところ、右借入金の分割返済が、原告の賃料収入が入金される三菱銀行の預金口座から全額返済された(なお、毎月の返済額が返済予定表(乙四〇)より少なかったことは、被告が自認しているところ、平成元年四月より前の預金通帳がないので、具体的な引落日や引落金額は明らかでないものの、返済額が少なかったことにより、平成元年四月より前の時点で原告が期限の利益を喪失し、残額が一括して右預金口座から引き落とされたのではないかと推認される。)こと、次に、<2>は、同じくラムセス名義では借入ができなかったため、被告が三菱銀行池袋支店から当座貸越、証書貸付及び手形貸付により借入をしてラムセスに転貸していたものであるところ、そのうち四〇〇〇万円については、平成元年六月一四日、被告のゴルフ会員権売却代金の中から振替により返済に充当し、それで足りない一〇〇〇万円分については、当時、原告が前記三菱銀行の普通預金から一〇〇〇万円のMMC定期預金にしていたものを解約して、右借入金の返済に充当したことが認められる。右事実によると、原告が指摘する三菱銀行の預金残高の不足分中一三〇〇万円をもって、被告がこれを利得し、原告が損失を被った使途不明金と認めることはできないというべきである。

九  むすび

よって、原告の請求はいずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法六一条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 徳岡由美子)

別紙<省略>

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