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東京地方裁判所 平成10年(ワ)20051号 判決

原告 A

原告 B

原告 C

右三名訴訟代理人弁護士 小川休衛

同 吉岡毅

同 岡本聡治

被告 学校法人東京女子醫科大学

右代表者理事 吉岡博光

右訴訟代理人弁護士 松井宣

同 小川修

同 松井るり子

同 関口佳織

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告らに対し、それぞれ金七〇〇万円及び内金六〇〇万円に対する平成九年六月九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一  本件は、亡D(以下「D」という。)が被告の設置する東京女子医科大学病院(以下「本件病院」という。)に入院中に外出して自殺したことに関し、Dの妻であった原告A(以下「原告A」という。)、Dの子原告B(以下「原告B」という。)及び原告C(以下「原告C」という。)が、担当医師であった氏家由里(以下「氏家」という。)らが過失によってDを外出させて自殺に至らしめた等と主張して、被告に対し、不法行為(民法七一五条)に基づき、慰謝料等の損害賠償を請求した事案である。

二  争いのない前提となる事実等(証拠により容易に認定できる事実は証拠を記載した。)

1  当事者

(一) 原告A(昭和一〇年一月五日生)は、昭和三四年二月一八日、D(昭和四年一二月一二日生)と婚姻し、同人との間に、長女原告B(昭和三四年六月二五日生)及び二女原告C(昭和三九年二月一日生)をもうけ、主婦として家事をしながら二人の娘を養育してきたが、平成九年五月九日に離婚した(甲第一号証の一ないし三、第四号証)。

Dは、旧制高校卒業後、電気会社に就職し、その後冷房設置会社を設立して独立したが、昭和四六年ころ、右会社をダイキン工業株式会社(以下「ダイキン工業」という。)に譲渡し、昭和五六年ころ、知人とスーパーを経営したが、約一年で倒産した。その後、Dは、ダイキン工業の修理請負をする有限会社を設立し、主として冷暖房機器等の販売及び冷暖房等の管工事等を自営業として営んできた。

平成九年二月にDが本件病院に入院したときは、原告A及び原告Cは、Dとともに右原告らの肩書住所地において暮らし、原告Bは、夫と息子とともに東京都内において暮らしていた(乙第二号証)。

(二) 被告は、学校及び研究所を有する学校法人であり、被告肩書住所地に本件病院を設置している。

氏家は、平成五年三月に東京女子医科大学を卒業し、同年四月医師国家試験に合格後、同大学の大学院(精神医学教室)に進学し、本件病院において臨床研修等を積み、平成八年一二月から本件病院の男子閉鎖病棟専属医となり、平成九年三月に大学院修了後も引き続き同病棟に勤務していた(乙第三号証)。

2  Dの過去の病歴等

(一) Dは、昭和五七年ころ、知人と始めた会社が倒産したことから、うつ病となり自殺未遂をしたが、その後は、新たに始めた会社が順調に業績を上げたため、うつ病は軽快し、以後約一五年間はうつ病は発症しなかった(甲第四号証)。

(二) Dは、平成七年五月ころ、自宅駐車場に駐車中の自動車内でフロンガスにより自殺未遂をし、都立大久保病院脳外科で約一か月間、一酸化炭素中毒の入院治療を受けた。

(三) Dは、平成八年一一月ころからうつ病が発症し、会社も休みがちになり、食欲減退、体重減少、不眠、飲酒癖の状態が継続した。

同年暮れころには一時良好に向かったものの、平成九年一月ころには悪化し、食欲がなく、外出もほとんどしなくなり、家族の薦めもあって、近所のクリニックに通院して治療を受けるようになった。そして、少しずつ仕事に行ったり、近所に住む原告Bの子を保育園に送り迎えするなどしていた(甲第四号証)。

(四) Dは、平成九年二月一〇日午後八時三〇分ころ、東京都練馬区豊玉付近の路上において、自動車内でフロンガスによる自殺を企図し、同区富士見台所在の病院に収容されたが、病状が軽いということで翌日帰宅した。

3  Dの本件病院入院に至る経緯

(一) Dは、平成九年二月二五日、東京都新宿区内において、自動車内で排気ガスによる自殺を企図したが、発見され、本件病院の救命救急センターの集中治療室(ICU)に収容された。

(二) 本件病院の精神科医師らは、Dの自殺念慮が強く危険な状態であったと判断し、翌二月二六日及び二七日の二日間にわたり、D及び本件病院に赴いた原告Aに対し、Dの病状を説明した上、救命救急センターの集中治療室から精神科に転科して入院治療することを勧めた。原告Aも、同医師らに対し、Dの従来の生活状態、過去の病歴等を詳細に説明した。D及び原告Aは、当初は帰宅を希望したが、結局、本件病院精神科に入院することを了承し、男子閉鎖病棟(三階)に任意入院した。

(三) 本件病院精神科の閉鎖病棟は、本件病院の他の病棟とは独立しており、玄関には施錠があり、医師の許可がなければ患者は自由に出入りできないようになっている。

(四) Dの担当医は、当時大学院在学中で本件病院男子閉鎖病棟専属医であった氏家となった。

4  Dの入院後の経過

(一) Dは、入院当初、男子閉鎖病棟の一人部屋に入り、外出禁止とされたが、平成九年三月一三日に二人部屋に移り、同月三一日から四月二日まで二泊三日で自宅外泊をし、同月五日からは大部屋に移った。

(二) 原告Aと原告Bは、Dが入院した当初は頻繁に面会に来たが、五月以降は、来院の回数が減った。

(三) 同年五月二九日、原告Aは、本件病院に来院し、氏家に対し、五月九日にDとの離婚届を出したことを伝えた。また、翌々日から予定されていた外泊は、原告Aの都合により中止となった。

(四) 同年六月八日午前一〇時ころ、Dは、氏家の外出許可のもと、同日(午前一〇時から午後七時まで矢板方に外出する旨を所定のノートに記載して、本件病院を外出した(以下「本件外出」という。)が、右外出は、事前に原告Aには知らされていなかった。

(五) Dは、同日午前一一時ころ、一旦自宅に帰宅した後、再び自宅を出て、同日の夜、自動車の中に排気ガスを引き込んで自殺した(以下「本件自殺」という。)。

三  争点

1  過失

2  損害額

四  争点に対する当事者の主張

1  過失

(一) 原告らの主張

(1)  Dは、氏家及び本件病院の看護婦(以下「看護婦」という。)らの作成にかかるDに関する病状記録から明らかなとおり、本件病院に入院していた当時、自殺念慮が極めて強く、氏家及び看護婦らに対し、自殺の決意をたびたび語り、その自殺場所を自宅近くにある会社の駐車場で決行することをほのめかしている。よって、氏家は、外出を許可したらDが自殺することを予見できたのであるから、Dを外出させてはならない義務があった。しかしながら、真実は、原告AとDの離婚は、債権者からの追及を免れるための偽装離婚であり、また、Dと原告らは決して不仲ではなく、原告AのDに対する言動も、微妙な夫婦間のやりとりであり、表面的には捉えられず、Dと原告らとの家族関係が本件自殺の原因ではなく、Dは、早く家族のもとに帰りたいとの希望を持っていたが、なかなか退院できず人間として生きる甲斐がないと深く思い詰め、それが重なって本件自殺に至ったものである(この症状はうつ病の症状である。)。それにもかかわらず、氏家は、一般社会人としても医師としても経験が浅かったため、Dの希死念慮は原告Aらに原因があるものと軽信し、Dを長時間外出させても大丈夫であると誤信し、Dに本件外出をさせたものであり、過失がある。

(2)  原告Aは、氏家に対し、Dを外出させるときは自分が迎えに行くから単独では外出させないでもらいたい旨及び六月はうつ病患者の自殺が多く、原告A自身も喘息でDの介護、面倒を見ることができないので帰宅させないでもらいたい旨を強く要望、懇請し、氏家はこれを承諾したので、その旨の約束ないし契約が原告Aとの間に成立した。また、原告Aは、本件外出の二日前に本件病院に行く予定であったが、体調不良の理由でこれを取りやめる旨を本件病院に通知し、母の看護のため家を不在にするかも知れない旨も通知していた。よって、氏家は、右約束ないし契約により、原告Aに対する事前の連絡なしにDを外出させてはならない義務があったにもかかわらず、これに反し、原告Aに対して事前に連絡をせずDに本件外出をさせた過失がある。

なお、氏家は、原告Aに対し、平成九年六月上旬ころ、病院外への外出は前日の午後三時までに病院にその旨の申し出がなければ許可をせず、氏家と原告Aが外泊に同意し、かつDの家族がDを迎えに来たときに限り外泊の許可をする旨を話していた。原告らは、本件外出以前に一時間以内の外出許可があったことは聞いておらず、本件外出は、九時間にも及ぶ長時間のものであるので、外泊の際の厳しい許可条件が準用されるべきである。

(3)  Dは、当時、薬を服用していたが、看護婦は、本件外出時、Dに当日の昼に服用させるべき薬を持たせなかった。よって、本件病院の医師、看護婦その他の職員(以下「本件病院側」という。)は、Dに薬を持たせる義務があったにもかかわらず、これに反し、Dに薬を持たせずに本件外出をさせた過失がある。

(4)  Dは、外出時、過剰な身の回り品を持ち出している。よって、本件病院側は、Dが自殺するおそれがあることに気付く義務があったにもかかわらず、これに反し、無関心にDに本件外出をさせた過失がある。

(5)  原告Aは、Dが自宅からいなくなった後、何度も本件病院に電話(以下「本件電話」という。)をして、Dがいなくなったことを告げ、行く先その他について思い当たることがないかを尋ね、早急に氏家に連絡する等して対策をとるように要望したので、本件病院側には、早急にDの自殺を防ぐ対策をとるべき義務があった。それにもかかわらず、本件病院側は、速やかに警察に連絡をせず、夜になって牛込警察署に捜索を依頼したのみであり、それ以外は、何ら対策をとらなかったものであり、過失がある。

(6)  Dは、本件病院側に対し、何度も自殺をほのめかし、その自殺場所を自宅近くの会社の駐車場とする旨を話しており、原告らがこれを知っていれば、原告らが右駐車場に駆けつけ自殺を未然に防止できたはずである。よって、本件病院側は、右事実をうち明けられた都度、それ以後本件外出までの間、本件外出時、又は本件外出後に原告Aが本件病院に対してDが行方不明になった旨を告げて行き先その他について思い当たることがないかを尋ねた本件電話の際、右事実を原告らに対して告げるべき義務があったにもかかわらず、これに反し、原告らに告げなかった過失がある。

(7)  本件外出は長時間の外出であるにもかかわらず、氏家はその行き先の住所や連絡先等を把握しておらず、本件病院側はDの行き先の追跡調査等をしていなかった。本件病院側は、本件外出の目的がDが矢板と相談するためであることを知っていたのであるから、原告Aからの本件電話に対してその旨を伝えていたならば、原告らが矢板にDの心境を尋ね、自殺場所を早く発見でき、自殺を未然に防止し得たかもしれないのである。したがって、本件病院側は、右行き先等の把握、調査等をすべき義務があったにもかかわらず、これに反し、Dの自殺阻止の可能性を失わせた過失がある。

(8)  右(1) 及び(2) の氏家の不手際による過失、右(3) ないし(7) の本件病院側の医療体制ないしは自殺防止策等の過失により、また、これらの過失が重なって、Dが本件自殺に至ったものである。

(9)  よって、被告は、原告らに対し、民法七一五条により、原告らの後記損害を賠償する義務を負う。

(二) 被告の主張

(1)  うつ病の治療においては、自殺の防止を図ることが必要であることはいうまでもないが、精神症状を改善し、社会的復帰を促進するためには、開放的処遇に移行することが避けられない。

どのような病状の程度でどの程度の開放的処遇を行うかを決定することは、医師が、そのときの医療水準上要求される医学的知識に基づき、かつ、患者の病状の変化の的確な観察に即して、治療効果と危険とを比較しつつ判断すべきものであるとともに、処遇が個々の患者の精神状態の多様性に応じたものでなければならず、かつ、病状の診断が、検査データ等の客観的資料によって得るものではなく、医師による患者の表情や挙止動作の観察と対話の内容に依拠する部分が大きいものであるだけに、右の決定に当たっては、医師の裁量的判断に委ねられる範囲が広いものといわざるを得ない。

したがって、医師が患者の病状を注意深く観察し、自殺念慮が軽減し、開放的処遇によって改善を期待しうるものと判断して治療方法を選択した場合に、この判断に医学上不合理な点が認められないときは、たとえ医師の見込みに反して不幸な結果を招いたとしても、そのことゆえに医師の過失を問うことはできないものと解すべきである。

(2)  氏家は、Dに対し、信頼関係が確立したと判断された後、十分な注意を重ねて、段階的に外出条件を緩和し、社会復帰に向けて開放処遇を行っている。氏家は、Dに対し、平成九年五月一九日、退院に向けて更に開放的処遇をすることが適当と判断し、単独院外外出一時間を許可した。右外出許可後、Dは、同月一九日、二〇日、二二日、二六日、二七日、二九日、三〇日、三一日、六月二日、五日、七日に右単独院外外出をしているが、いずれも、約束どおり一時間以内に帰院し、問題行動は全く認められず、氏家及び看護婦との意思の疎通もあり、五月二七日には氏家に対し、自殺に対する否定的な意見を述べた。五月下旬ころからは、退院後の生活環境と家族関係の調整が課題となり、病院外での生活に向けて更に開放的に処遇していくことが必要であったところ、Dは、氏家に対し、自ら退院後に向けて友人である矢板と相談したい旨の意欲を示し、六月七日、矢板宅に外出してゆっくり相談したい旨申し出た。氏家は、それまでの単独外出での外出実績も積んできたことも考慮し、Dと面談の上、本件外出を許可した。その際、本件外出を原告Aに知らせると横やりが入るとのDの希望により、氏家は、本件外出を事前に原告Aに知らせなかった。本件外出許可以降翌日の本件外出までの間、Dの状態は平穏で落ち着いており、本件外出当日も何ら不審な言動はなかった。本件外出後にDが自宅に立ち寄った際にも、家族も自殺の危険を予測し得なかったほどである。よって、氏家は、外出中に自殺する危険性があることを事前に予測することは不可能であり、本件外出を許可してDを外出させたことに何らの過失はない。

(3)  本件病院側と原告Aとの間に、平成九年六月中は事前の連絡なしに単独でDを帰宅させない約束ないし契約などなかった。氏家は、同月ころ、原告Aの都合により、自宅での外泊を許可しなかったに過ぎない。

氏家が、原告Aに対し、面談を予定して来院を指示していたが、原告Aがこれに応じなかったこと、同年五月以降、Dから希望の出ていた一時帰宅による自宅での一泊について、原告Aが不在になるので受け入れ不能との連絡があり、氏家が許可しなかったことはそれぞれあったが、病院から自宅への帰途に原告Aが同行するということではない。

(4)  看護婦が、本件外出の際、Dに対し薬剤を渡し忘れたことと本件自殺との間には、因果関係はない。

(5)  Dは、本件外出の際、ボストンバッグを持ち出し、看護婦からの荷物は何かとの問いかけに対し、洗濯物である旨答えている。これは、自殺企図を予見させるものではなく、本件病院側にバッグの中身を点検すべき義務はない。

(6)  Dは、本件外出後、家族である原告らの居住する自宅に立ち寄ったのであり、この時期以降は、Dの自傷の可能性を回避するための配慮は、保護義務者である原告らがその責任を負担すべきである。また、原告らが牛込警察署にDの捜索願を申し出たという六月八日午後三時五〇分ころ以降は、Dの捜索は警察に委ねられた。

Dが本件自殺をした場所は、原告らの方に土地勘があったはずである。本件病院側は、本件外出後の原告Aからの本件電話に対し、帰院予定時刻の午後七時まで様子を見る旨看護婦において返答し、午後七時が経過した後は、当直医において本件病院保安課を通じて一一〇番通報により牛込警察署に連絡するとの対応をしており、何ら落ち度はない。

(7)  本件病院側が、原告Aからの本件電話に対し、外出目的が矢板との相談であることを伝えたとしても、原告らが矢板にDの心境を尋ねてDの自殺を回避することが可能であったという蓋然性はない。

医師は、患者の病状につき守秘義務を負担しており、家族に対しても、治療上正当な理由がない限り、この義務は解除されない。特に、精神疾患の患者と医師との間の高度な信頼関係を前提に治療行為が行われる精神科の臨床においては、患者は、家族にも告げられない心の秘密や苦悩を医師や看護婦に話すことにより治療が進められていくものである。うつ病患者の発する自殺場所に関する言葉を患者の家族に報告するか否かは、医師の裁量の範囲に属するというべきである。本件において、原告Aの言動から、軽々にDの自殺念慮にかかわる言葉を原告らに告げることは、かえって治療の効果を損なうことは明らかであった。よって、Dに差し迫って明白な自殺の危険性が認められなかったのであるから、本件病院側には、Dが四月ころ家の近くの会社の駐車場で自殺することをほのめかしたことを原告らに報告すべき義務はなく、これを原告らに報告しなかったことに何ら落ち度はない。また、Dは、本件自殺をする際、自動車で移動していたのであるから、本件病院側がDの右発言を原告らに告げなかったこととDの自殺が防止できなかったこととの間には因果関係はない。

(8)  よって、氏家を含む本件病院側には、原告ら主張のいずれの過失もなく、被告は賠償義務を負わない。

2  損害

(一) 原告らの主張

(1)  原告らとDは、長年一緒に仲良く暮らしてきたものであり、原告Aは、平成九年五月九日に戸籍上離婚をしているが、右離婚は、Dの債権者から、原告A所有の不動産を処分してDの債務を支払うように求められることを避けるための形式的なものであり、しばらくの後には再び復縁する約束をしていたものであり、親戚も知人も原告Aを妻と考えていた。よって、原告らは、Dが自殺せずにうつ病が治れば、Dとともに楽しく有意義に人生を送れるはずであった。

しかしながら、Dの本件自殺により、原告らは、Dが自殺を遂げた駐車場を見たり、そのそばを通ったりする度に苦しい気持ちになる。また、他人に自殺のことを知られたくないために極力隠しているが、既に知られてしまった他人からは、家族が冷たく思いやりのない接し方をしたために自殺したのだと疑われるのではないかと考え、大変な精神的苦痛を被っている。

さらに、本件病院側は、Dが行方不明となり、原告らがDの行き先その他を必死になって尋ねても、適切な対応をしてくれず、Dの死に対しても原告らに冷たい態度をとり、原告らの精神的損害は増加した。

(2)  原告らは、右のごとく、極めて大きな精神的、物質的損害を被り、原告Aはこのために入院したほどであり、この損害は原告一人当たり八〇〇万円をもって慰謝されるべきものであるところ、本訴ではその内金である一人当たり六〇〇万円の支払を求める。

(3)  原告らの代理人に支払う弁護士費用は、原告一人当たり一〇〇万円が相当である。

(二) 被告の主張

原告らの右主張はいずれも争う。

第三争点に対する判断

一  前記第二の二の争いのない前提となる事実等に加え、甲第一号証の一ないし三、第三ないし第五号証、第六号証の一及び二、第七ないし第九号証、乙第一ないし第五号証、証人氏家の証言、原告A及び原告Cの各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、Dの本件病院における診療経過等について、次の事実が認められる(時期はすべて平成九年である。)。

1  Dは、二月二五日夕刻、自動車内での排気ガスによる自殺企図により、本件病院の救命救急センターの集中治療室に収容された。

2  二月二六日、本件病院の精神科医師らは、Dに対する診察により、Dの自殺念慮が強く危険な状態であると判断し、D及び原告Aに対し、Dの病状を説明した上、救命救急センターの集中治療室から精神科に転科して入院治療することを説得した。原告Aは、右医師らに対し、Dの従来の生活状態、過去の病歴等を詳細に説明し、話し合ったが、結論は出なかった。

3(一)  二月二七日、本件病院の精神科医師らは、帰宅を希望するD及び原告Aに対し、前日に引き続き、Dの病状について説明し、入院治療を勧めたところ、D及び原告Aは、本件病院の精神科に入院することを決め、Dは、二七日午後二時四〇分ころ、本件病院の男子閉鎖病棟(三階)の一人部屋に入院し、担当医の氏家による治療を受け始めた。同病棟は、他の病棟とは独立し、玄関には施錠があり、医師の許可がなければ患者は自由に出入りできないようになっていた。

(二)  同日、氏家は、D及び原告Aから、夫婦仲、家族関係、生活歴、今回の自殺企図の原因、過去の自殺企図歴等を詳細に聞き取った結果、Dについて、抑うつ気分、興味関心の低下、食欲低下、睡眠障害、易疲労、自責的、自殺企図を認め、Dをうつ病と診断した。

(三)  また、同日、Dの友人でありDが信頼を置いていた矢板が本件病院を訪れ、本件病院側の許可を受けてDを見舞った。

4  氏家は、二月末ころ、Dに対する面談や入院生活の行動観察、原告らから聞いた過去の病歴等から、Dはかなり強い自殺念慮を持っていると評価し、Dに対し、このころ、抗不安薬(レキソタン)の投与を開始し、併せて精神療法(環境整備)による治療を施行した。

このころから三月一〇日までの間、Dは、男子閉鎖病棟からの外出は禁止されており、面会は家族に限られていた。二日に一回程度の割合で、原告らのうちのいずれかがDの見舞いに本件病院を訪れた。

5(一)  三月一一日、氏家は、Dに対し、外気を吸わせるため、同日以降、男子閉鎖病棟の屋上を本件病院の職員と同伴で三〇分間散歩することを許可し、Dは、同日のほか、三月一三日、一四日、一七日、一九日及び二一日に、屋上散歩をしている。

(二)  また、三月一一日、Dは、夫婦関係について前向きに考え、仕事への意欲も見せ、一旦は退院を希望したが、その後再び落胆し、自責的な発言が増加し、表情も冴えず、口調も重くなった。そのため、氏家は、Dに対し、同月一三日ころから、抗うつ効果のある脳代謝改善薬(セレポート)の投与を開始した。

なお、同月一三日、Dは、一人部屋から二人部屋に移動し、同月一七日及び二一日には、原告BがDを見舞いに訪れた。

6(一)  三月二五日、氏家は、本件病院の敷地内において、職員又は原告Bとの同伴で三〇分間散歩することを許可し、Dは、三月二八日、原告Bの同伴で、院内散歩をしたほか、同月二七日、二八日、二九日及び四月七日、前同様の屋上散歩をした。

(二)  Dは、散歩の時以外は、日中ほとんど部屋で読書をするような状態が続いており、氏家は、Dに対し、三月二五日ころから、抗うつ薬(デジレル)の投与を開始した。

(三)  Dは、原告Aの送り迎えにより、三月三一日から二泊三日の自宅外泊をし、四月二日午後五時に帰院した。

(四)  Dは、四月五日、二人部屋から大部屋に移動した。

7(一)  四月八日、氏家は、Dのうつ状態が改善してきたと判断し、本件病院の敷地内を同伴者なしで三〇分間、又は本件病院の敷地外に原告Bとの同伴で一時間の散歩をすることを許可した。そして、Dは、その後五月二日までの間、ほぼ毎日、本件病院の屋上又は本件病院内を同伴者なしで散歩した。

(二)  四月八日、一一日、二五日には原告Bが、一八日には原告B又は原告CがDの見舞いに訪れた。

(三)  四月一四日、Dは、氏家に対し、希死念慮が全然ないことはない旨を話し、四月二四日には、氏家及び看護婦に対し、ややアピール的な希死念慮を見せた。

(四)  四月二〇日、Dは、看護婦に対し、今度は絶対に自殺を成功する場所を決めており、それは自宅の近くにある会社の駐車場であり、そのことを誰にも言わないでほしい旨を話し、看護婦は、その旨をD用の看護記録(以下「看護記録」という。)に記載した。

8(一)  五月二日、氏家は、Dのうつ状態が改善してきたと判断し、本件病院内外での一時間の散歩を、原告B以外の家族との同伴でも許可し、Dは、同月一八日までの間、ほぼ毎日、屋上又は院内を同伴者なしで散歩した。

(二)  また、五月二日、原告Aが本件病院を訪れ、氏家に対し、Dが自宅には帰りたくなく、死にたいと言っている旨などを伝えた。

(三)  五月九日、Dは、看護婦に対し、今度こそ自殺を成功してやる旨を話して自殺念慮をほのめかし、看護婦は、その旨を看護記録に記載した。また、同日、原告AとDは、離婚届を出して協議離婚をした。

(四)  五月一〇日、看護婦は、Dの言動から、同人の希死念慮の訴えはアピール的であり、希死念慮よりも他のことに目がむき始めていると評価し、その旨を看護記録に記載した。

(五)  Dは、入院当初から五月上旬ころまでの間、入眠のため、追加眠剤(レンドルミン又はユーロジン)の投与をしばしば受けていたが、五月一一日以降は、ほとんど追加眠剤を飲まずに睡眠が確保されるようになった。看護婦は、希死念慮は続いているが入眠に影響はなく、他の患者への過干渉へと問題がすり替わっていると判断し、その旨を看護記録に記載した。

(六)  五月一二日、原告Aは、氏家に対し、電話で、Dに希死念慮の発言がある旨を伝えた。Dは、看護婦に対しては希死念慮の訴えはせず、氏家に対して外泊の希望を伝えていたが、氏家は、外泊を許可しなかった。

(七)  五月一六日、Dは、氏家に対し、妻がいなくなることは考えたことがなく、自分がいなくなることばかり考える旨を話した。また、同日、原告Aが本件病院を訪れ、氏家に対し、Dは仕事が行き詰まったり思い通りにならないと死にたくなる旨を話し、看護婦に対し、Dが時々変なことを言う旨を話した。

(八)  五月一七日、Dは、看護婦に対し、働くことは好きだから立ち直るきっかけがあれば死は考えない旨を話す一方、今度は絶対に自殺を成功させる場所を決めている旨を話して希死念慮をほのめかしており、看護婦は、その旨を看護記録に記載した。

9(一)  五月一九日、氏家は、Dが生きることに前向きな姿勢を見せ、病棟生活において自殺を臭わせる言動が減少したと判断して、本件病院内を同伴者なしで三〇分間、本件病院外を同伴者なしで一時間、それぞれ散歩することを許可し、Dは、同日のほか、五月二〇日、二二日、二六日、二七日、二九日、三〇日、三一日、六月二日、五日、七日に、右院外散歩を同伴者なしで行い、いずれも、事故もなく一時間以内に本件病院に戻った。

(二)  また、五月一九日には、Dは、前日よりも看護婦によく話しかけるようになった。看護婦は、右Dの変化について、外出拡大が嬉しいようであるが、睡眠への影響や翌日以降の外出時間の使い方は引き続いて観察が必要である旨判断し、その旨を看護記録に記載した。

(三)  五月二三日、原告Aは、本件病院を訪れる予定であったが、喘息発作がひどく、来られなくなった。

(四)  五月二四日、Dは、看護婦に対し、ポックリいっちゃえば一番いい旨を話して希死念慮を見せるが、看護婦は、Dに特に落ち込んだ様子もないため、右希死念慮はアピール的なものである旨判断し、その旨を看護記録に記載した。

(五)  五月二七日、Dは、氏家に対し、一時間単独外出の許可が出たので自殺しようと思えばいくらでもできたが、氏家らを裏切ることはできないのでしなかった旨を話し、自殺に対する否定的な意見を述べた。

(六)  五月二九日、原告Aは、本件病院を訪れ、氏家に対し、うつ病について解説したテレビ番組によると、躁うつ病の人は六月に病状が重くなるらしい旨を話した上、Dが自分の借金を消したいために離婚を希望していたので五月九日に協議離婚をしたことを初めて話し、原告Aとしては、Dが今の状態のままでは一緒に暮らすつもりはなく、氏家の許す限りDを本件病院においてほしい旨を話した。さらに、このころ、原告Aは、氏家に対し、毎年六月の梅雨時は喘息で苦しみ、体調が悪い旨を話していた。

(七)  五月三〇日、Dは、氏家から離婚について質問されると、離婚はどうということはない旨述べた。Dは、翌三一日から自宅に外泊する予定であったが、原告Aの体調が悪いため、外泊は中止となった。

(八)  五月三一日、Dは、看護婦に対し、急に外泊が中止になったことに対する不満を述べたが、原告Aとの面会があっても以前とは異なり気分変動は小さくなった。看護婦は、Dの生活自体は変わりなく、他の患者への干渉は変わらずあり、外泊が中止になったことに関しての訴えはないが、表情は硬く、他に目が向けられていることを考えても、引き続き見守ることが大切である旨判断し、その旨を看護記録に記載した。

10(一)  六月一日、看護婦は、Dの中に不安があるかもしれず、今後のDの心境の変化につき観察が必要である旨判断し、その旨を看護記録に記載した。同日夕方、Dの友人の矢板が、本件病院を訪れてDと面会し、Dから離婚のことを聞くと、矢板は、退院後の住居のことで助力するし、何でも相談に乗る旨を話した。Dは、矢板の面会を励みに感じ、表情は良いが、それ以外はほとんど自床で過ごしていた。

(二)  六月二日、Dは、氏家に対し、今後の夫婦問題に関して、妻次第で別居にするか家庭内離婚にするかを考え、別居する場合は友人に協力してもらうつもりである旨を話した。氏家は、Dが他力本願になっていると感じ、Dに対し、自分自身はどうしたいのかを少し考えるように話した。

(三)  六月二日から五日まで、Dは、日中、穏やかで表情がよく、他の患者や身体症状への訴えはなく、他の患者とトランプ等をしたり読書をしたりして過ごした。

(四)  六月四日夜、Dは、入眠のため、久しぶりに追加眠剤(ユーロジン)の投与を受けた。

(五)  六月五日、Dは、看護婦に対し、希死念慮の訴えはしなかったが、表情は硬かった。

11(一)  六月六日、Dは、氏家に対し、原告Aとはもう一緒には住めないので別居の方向で考えている旨を話し、氏家は、Dが他力本願であると感じた。原告Aは、同日、本件病院を訪れる予定であったが、夕方、氏家に対し、電話で、具合が悪くなって来院できない旨、また、原告Aの母の具合も悪くなり、四、五日実家に帰る旨を話した。氏家は、原告Aに対し、右電話で、今の問題は夫婦関係のことなので来週には来院するように話した。Dは、原告Aの右来院中止にはそれはど落ち込んではいない様子であり、希死念慮の訴えはなく、氏家に対し、友人と今後のことを相談するための外出を希望した。看護婦は、Dには他の患者に対する批判があり、他の患者とのトラブルにまで発展する可能性もあるため、引き続き様子を見ていくことが必要である旨判断し、その旨を看護記録に記載した。

(二)  六月七日、氏家は、Dに対し、今後のことを友人である矢板と相談するという外出の目的を確かめた上、外出時間を守ること、途中で不安になったら本件病院に連絡すること、友人宅で飲酒しないことを約束させ、翌日午前から午後七時までの単独外出(本件外出)を許可し、その旨をカルテ及び看護婦への指示票に記載した。このときのDの表情及び対応は、平素と変わりがなかった。氏家及び看護婦は、右矢板の住所や連絡先を把握していなかったが、特にDに尋ねることはしなかった。氏家は、本件外出の許可を原告らには知らせなかったが、それは、Dと原告Aは離婚しており、離婚の目的がDの借金のためでもあったが、原告Aは、その時点ではDと同居する意思はない旨を氏家に対して表明し、Dも氏家に対し、退院後は原告Aとは別居する方向で考えている旨を話したからであった。看護婦は、今のところDから希死念慮は聞かれないが、希死念慮や他の患者への干渉が目立ってくる可能性があるため、観察が必要である旨判断し、その旨を看護記録に記載した。Dは、看護婦に対し、翌日の本件外出時、洗濯物を家に置いてくるかも知れない旨を話し、看護婦は、その旨を看護記録に記載した。

12(一)  六月八日の朝の投薬時、Dは、看護婦に対し、本日外出する旨を自分から話すなど、緊張感や硬さはなく、穏やかな表情であった。Dは、看護婦に対し、家ともう一か所行く旨を話した。看護婦は、Dに対し、本件病院の内線の電話番号を書いた紙を渡し、心配していることが何かあったら連絡してほしい旨を伝えた。

(二)  本件外出時、Dは、大きめの旅行かばんを持っており、看護婦からその中身を聞かれると、家に持って帰って洗濯する洗濯物である旨答えた。また、本件外出時、Dは、友人との食事代として五〇〇〇円を出金して持参した。

(三)  同日午前一〇時ころ、Dは、午前一〇時から午後七時まで矢板方に外出する旨を所定のノートに記載し、担当者のチェックを受けた上で、外出した。

(四)  看護婦は、Dに対し、昼に飲む抗うつ薬等の数種類の薬(セレポート、レキソタン、ムコスタ、ロキソニン等)を渡し忘れたが、その後、Dから本件病院に対する連絡はなかった。看護婦は、Dに希死念慮の訴えや表情の硬さ等は見られないが、初めての長時間外出であることや薬を渡し忘れたことを考慮すると、外出後の様子を観察していく必要があり、帰院時間も要注意であり、また、Dが薬を持参していないことを本件病院に連絡しないのは病識の薄さにつながるものかもしれない旨判断し、その旨を看護記録に記載した。

(五)  Dは、病院を出た後、矢板宅ではなく自宅に向かい、午前一一時ころ、自宅に到着した。このとき、自宅には、原告A、原告Bとその子供及び原告Cがいた。原告らは、事前に本件病院から連絡がなかったため、なぜ突然帰ってきたのだろうかと不思議に思った。Dは、外出の許可が出た旨だけを言って、部屋着に着替え、原告らと一緒に昼食をとり、テレビを見始めた。

(六)  午後一時過ぎころ、原告らは、Dにすぐ戻ることを告げた上、Dを一人家に残して、原告Bの子供を連れて約二〇分程度、近所に買い物に出掛けた。Dは、その間に、部屋着を着替え、自宅の自動車を運転して家からいなくなった。右自動車の鍵は二個とも自宅のピアノの中に隠してあったが、Dは、これとは異なる予備の鍵を使っていた。

(七)  原告らは、帰宅したときDがいないことに気が付いた。最初はすぐに戻ってくるだろうと安心していたが、Dがなかなか帰ってこないので、原告らは次第に不安になった。午後四時ころ、Dは、自宅に電話し、電話に出た原告Cに対し、これまで原告らにいろいろ迷惑かけた旨を謝るとともに、死ぬほかないが居場所は言えない旨を話して自殺をほのめかした。そのとき自宅にいた原告A及び原告Cは、Dが自殺をするつもりであると思い、驚くと同時に不安に思った。

(八)  原告Aは、この前後から夜にかけて、本件病院に何回か電話をし(本件電話)、閉鎖病棟の看護婦や当直医に対し、DがいなくなったことやDから自殺をほのめかす電話があったこと等を告げ、Dの帰宅理由は何か、外出を許可したのは誰か、家族に知らせなかった理由は何か、外出先の心当たりはないか等を尋ね、早急に警察に捜索願を出すこと及び氏家に連絡して善処してもらうことを要望した。また、この間、原告Aは何度か警察に電話をして相談をし、原告Cは自転車で家の近所を一時間以上探した。

(九)  本件病院は、帰院予定の午後七時までは警察への捜索届けは原告らに任せて様子を見るという方針で対処したが、午後七時を過ぎてもDが本件病院に戻らないので、同夜、保安課を通じて牛込警察署にDの捜索を依頼し、自宅にいた氏家にもその旨連絡した。

(一〇)  Dは、午後九時ころ、同人が一〇年来仕事で通っていたダイキン工業の練馬サービスステーション近くのダイキン工業下請用の中村駐車場(練馬区豊玉北四丁目四番付近所在)内に自動車を停車させ、車中に排気ガスを引き込んで自殺をした。

以上の事実が認められ、甲第四、第七、第八号証の各陳述書、原告A及び原告Cの各供述のうち、右認定に反する部分は、採用することができない。

二  次に、乙第三、第五号証、証人氏家の証言及び弁論の全趣旨によれば、うつ病の特質とその治療等について、次の事実が認められ、他にこれを左右するに足りる証拠はない。

1  精神科の国際的診断分類であるICD―10(国際疾病分類第一〇改訂―精神及び行動の障害―臨床記述と診断ガイドライン)によれば、うつ病の症状の基準として、特に、抑うつ気分、興味と喜びの喪失、活力の減退による易疲労感の増大や活動性の減少に悩まされることを認め、その他、<1>集中力と注意力の減退、<2>自己評価と自信の低下、<3>罪責感と無価値感、<4>将来に対する希望のない悲観的な見方、<5>自傷あるいは自殺の観念や行為、<6>睡眠障害、<7>食欲不振、のうち少なくとも四つを認めた場合、うつ病(重症)と診断され、また、DSM―IV(精神疾患の診断と分類の手引第四版)によれば、<1>抑うつ気分、<2>興味、喜びの著しい減退、<3>体重減少あるいは増加、食欲減退あるいは増加、<4>不眠又は睡眠過多、<5>精神運動性の焦燥又は制止、<6>易疲労性又は気力の減退、<7>無価値感、罪責感、<8>思考力や集中力の減退又は決断困難、<9>死についての反復思考、反復的な自殺念慮、自殺企図、のうち五つが同じ二週間のうちに存在し、病前の機能からの変化を起こしている場合、うつ病と診断される。

2  うつ病の治療の基本は、休養と薬物療法、精神療法であり、治療に当たっての医師の一般的注意としては、<1>正確な診断を行うこと、<2>できるだけ早く休息をとらせ、患者の負担を軽減させること、<3>医師は患者に病気であることを確認してあげること、<4>治療の見通しを患者にはっきりと具体的に話すこと、<5>患者医師間の信頼関係を確立し、自殺しないよう約束させること、<6>重要な問題の決定は病気が治るまで延期させること、<7>薬物療法に関する説明をすること、<8>経過に一進一退のあることを説明すること、が指摘されている。

3  また、うつ病患者は、一般に自殺念慮が強く、うつ病患者の約一五パーセントが自殺するといわれ、自殺の危険因子として、<1>時期的には、発病初期及び回復期のもの、<2>症状としては、絶望感、自責感、焦燥感の強いもの、不眠が持続しているもの、攻撃性、衝動性の強いもの、最近の喪失体験があるもの、身体的健康がすぐれないもの、<3>過去に自殺企図の既往があるもの、具体的、詳細な自殺計画を持つもの、<4>環境的には、社会的援助や指示を家族、近隣、コミュニティーから得られないもの、<5>アルコール症を伴うもの、<6>病歴が非定型的なもの、が危険性が高いといわれている。

4  そのため、うつ病に対する治療としては、自殺防止のため、患者の行動を拘束し監視下に置くという閉鎖的処遇をとることは重要な要素となり、諸条件を総合して自殺の可能性が高いと判断される場合には、閉鎖的な処遇を前提とする治療が必要となる。

しかしながら、自殺の可能性を恐れるあまり、長期にわたって閉鎖的処遇を続けることは、病状の回復に弊害があり、社会復帰という治療の最終目的に合致しないのみならず、自らの意思で入院を求めた患者との関係では、任意入院という法的枠組みを逸脱することになる。そのため、うつ病患者の治療は、一方で自殺の危険を念頭に置きつつも、他方で、医師等が日々患者と面談し、患者の表情や挙止動作の観察や対話を通じて把握した病状を踏まえて、抗うつ薬等の投与による薬物治療のほか、対話を中心とする精神療法を実施し、社会復帰後の生活環境の調整に協力しつつ、精神症状の改善に応じて開放的処遇に移行していくことが基本的前提となる。

三  以上の事実をもとに、争点1(過失)について検討する。

1  右二に認定のうつ病の特質及び治療の方法に鑑みれば、うつ病の治療に際し、どのような病状の程度でどの程度の開放的処遇を行うかの決定は、診療行為の核心に属することであって、医師が、その当時の医療水準上要求される医学的知識に基づき、かつ、患者の病状の変化の的確な観察に即して、治療効果と危険とを比較しつつ判断すべきものであるとともに、処遇が個々の患者の精神状態の多様性に応じたものでなければならず、かつ、病状の診断が、検査データ等の客観的資料によって得るものではなく、医師による患者の表情や挙止動作の観察と対話の内容に依拠する部分が大きいものであるから、右の決定に当たっては、医師の裁量的判断に委ねられる範囲が相当程度広いものといわざるを得ない。したがって、医師が患者の病状を注意深く観察し、自殺念慮が軽減し、開放的処遇によって改善を期待しうるものと判断して治療方法を選択した場合に、その判断に医学上不合理な点が認められないときは、たとえ医師の見込みに反して不幸な結果が発生したとしても、医師に過失があったものということはできないというべきである。

2  そこで、本件で、氏家が開放的処遇を進め、平成九年六月八日に本件外出を許可した判断に医学上の不合理な点が認められるか否かを検討するに、前記一の認定事実によれば、氏家が本件外出の許可をするに至った経緯としては、次のとおりということができる(時期はすべて平成九年である。)。

(一) 氏家は、入院当初、Dを、男子閉鎖病棟の一人部屋に収容して外出禁止としたが、その後、まず同伴者を伴う男子閉鎖病棟の屋上ないし本件病院の敷地内の三〇分間の散歩を段階的に許可し、四月八日以降は、本件病院敷地内の同伴者なしでの三〇分間の散歩及び原告Bらとの同伴での院外外出を含む一時間の散歩を許可し、さらに、五月一九日には、本件病院内の同伴者なしでの三〇分間の散歩に加え、本件病院外の同伴者なしでの一時間の散歩を許可し、Dは、これらの許可に基づき散歩をしていたが、この間、Dに不審な行動は認められず、特に、五月一九日、二〇日、二二日、二六日、二七日、二九日、三〇日、三一日、六月二日、五日、七日の単独院外散歩においては、いずれも事故もなく一時間以内に本件病院に戻っていた。

(二) この間、Dは、五月一一日以降、それ以前とは異なりほとんど追加眠剤を飲まずに睡眠が確保されるようになったほか、五月中旬ころからは、希死念慮が減り始め、次第にアピール的なものに変わりつつあり、他のことに目が向きはじめたことが観察され、五月二七日には、氏家に対し、一時間単独外出許可が出たので自殺しようと思えばいくらでもできたが、氏家らを裏切ることはできないのでしなかった旨を話し、自殺に対する否定的な意見を述べ、六月ころには、特に看護婦に対しては希死念慮の訴えを出さなくなり、他の患者とトランプ等をして過ごすようになり、他に目が向いており、六月八日の本件外出まで、希死念慮をほのめかす言動はなく、看護婦とも日常的な会話や外出にまつわる意思疎通もスムーズに行われていた。

(三) 他方、Dは、五月九日に原告Aと協議離婚をしていたが、その後、原告Aは、Dと同居する意思はない旨を氏家に対して表明し、Dも氏家に対し、退院後は原告Aとは別居する方向でも考えている旨を話していた。また、Dは、退院後の生活環境と家族関係の調整が課題となり、病院外での生活に向けた開放的処遇が必要となっていたところ、Dの友人で、入院当初にもDの見舞いに訪れたことのある矢板が、六月一日に来院してDを見舞い、Dに対し、退院後の住居のことで助力するし、何でも相談に乗る旨を話し、Dも、その旨を看護婦に対して報告し、氏家に対しても、六月二日、原告Aと別居する場合には友人に協力してもらうつもりである旨を述べ、六月六日には、友人と今後のことを相談するための外出を希望するなど、退院後の生活に対する意欲を示していた。

(四) そのため、氏家は、Dに対し、右外出目的を確かめた上、外出時間を守ること、途中で不安になったら本件病院に連絡すること、友人宅で飲酒しないことを約束させた上で本件外出を許可したが、このときのDの表情及び対応は、平素と変わりがなく、また、六月八日の本件外出の当日においても、朝の投薬時、Dは、看護婦に対し、本日外出する旨を自分から話すなど、緊張感や硬さはなく、穏やかな表情であり、看護婦は、Dに対し、本件病院の内線の電話番号を書いた紙を渡し、心配していることが何かあったら連絡してほしい旨を伝えた。

3(一)  以上のとおり、氏家は、Dの処遇について、最初は同伴者を伴う散歩のみを許可し、ついで本件病院内の単独散歩の許可、そして本件病院外への単独外出許可と、Dの症状、許可された散歩の実績等を観察し、その治療上の効果を確かめながら段階的に開放処遇を進めており、この間、Dは、五月二七日に自殺に対して否定的な発言をし、六月ころにはほとんど希死念慮を訴えなくなっているなど症状の改善が認められ、それまでの処遇の開放化を見直すべき事情はなく、むしろ、本件外出の理由は、退院後の生活のために、何度かDの見舞いに訪れ、Dと信頼関係があったと認められる友人に会うためというものであって、Dの社会復帰ないし治療目的に沿うものであり、その許可の内容も、それまでに実施されてきた段階的な開放処遇の実績及びDの症状に鑑みれば格別不合理なものということはできないし、本件外出の許可をするに当たっても、氏家は、前日である六月七日にDと面談し、外出目的を確かめた上、外出時間を守ること等適切な指示をしてこれらのことを約束させており、また、このときのDの表情及び対応が平素と変わりがないことを確認しているのであるから、本件外出許可の判断に医学上不合理な点はなく、また、自殺の具体的予見可能性もないものであって、氏家のした本件外出の許可に過失があったものということはできない。

(二)なお、看護婦は、六月に入ってからも、今後、Dの心境がどのように変化しているか、また、他の患者とトラブルにならないかどうかについて、引き続き観察が必要である旨判断し、その旨を看護日誌に記載しているが、この判断及び記載は、その時点で希死念慮の訴えがないとした上で、将来の希死念慮の可能性及び他の患者とのトラブルの可能性について注意する必要があるという内容であり、今後の看護及び治療に対する一般的な注意以上のものではなく、これをもって氏家に本件自殺について具体的な予見可能性があったということはできない。

4(一)  原告らは、原告Aは、氏家との間で、Dを単独で外出ないし帰宅させないことを約束ないし契約したと主張し、甲第四、第七、第八号証の各陳述書、原告A及び原告Cの各供述にはこれに沿う部分もあるが、右の各証拠は、乙第二、第三号証及び原告Aから退院させないでほしい旨の希望はあったが外出させないでほしい旨の希望まではなかった旨の証人氏家の証言等に照らすと、直ちには採用することはできず、他にこれを認めるに足りる的確な証拠はない。

(二)  なお、仮に右原告ら主張のとおりの約束等があったとしても、前記判示のとおり、本件外出のような開放的処遇は、うつ病に対する一般的な治療方法であり、医師において開放処遇を行うか否かを判断する際、家族の受け入れ態勢は一つの考慮要素となりうるとしても、それがすべてではなく、他の諸要因も考慮して、医師の判断においてするものである。本件においては、前記一に認定のとおり、五月以降原告Aの来院回数が減り、五月二九日に、原告AとDの離婚が氏家にも明らかになり、その後、予定されていたDの自宅への外泊(五月三一日)や原告Aの来訪(六月六日)が、いずれも原告Aの都合により直前に中止になる一方、氏家は、Dに対し、今後の生活について考えてもらい、Dは、友人と今後のことを相談したい旨を話しており、Dは友人の矢板に対して信頼を置いていた。そして、家族又はそれに変わる何らかの受け入れ態勢が不可欠ともいえる退院や、それらが強く要求される外泊とは異なり、本件外出のように宿泊を伴わない外出は、患者が現実に直面して自殺に傾く機会は少なく、自殺の危険性は相対的に低いものといえ、家族の受け入れ態勢が必ずしも不可欠であるとはいえないというべきである。したがって、かかる状況の中で、氏家が、宿泊を伴わない本件外出について家族の受け入れ態勢がなくても外出を許可すると判断したことに、医学上不合理な点は認められず、氏家に過失があるということはできない。

5(一)  原告らは、本件外出時に、看護婦がDに薬を持たせるべきところ、これを怠った過失がある旨主張し、前記一の認定事実によれば、原告ら主張のとおり、看護婦は、本件外出に際し、Dに対し、昼に飲むべき抗うつ薬等の数種類の薬を渡し忘れていたと認めることができる。

(二)  しかしながら、右薬を飲まないことが、Dに対しいかなる身体的、心理的な影響を与えたかは本件証拠上明らかではなく、また、このことが本件自殺と相当因果関係があると認めるに足りる証拠もない。

6(一)  原告らは、Dは本件外出時に過剰な身の回り品を持ち出しているので、本件病院側は自殺を予見できたのであるから、過失がある旨主張する。

(二)  しかしながら、前記一の認定事実によれば、Dは、本件外出の前日である六月七日、看護婦に対し、翌日の本件外出時に洗濯物を家に置いてくるかも知れない旨を伝えてあった上、本件外出時の看護婦からの質問に対し、かばんの中身は家に持って帰って洗濯する洗濯物である旨答えており、矢板に会う前に自宅に寄ることは、本件外出を原告らに連絡していなかったことを考慮しても不自然とはいえず、洗濯物を持ち帰ることから直ちに本件病院側に本件自殺を予見する可能性があったものとはいえず、本件病院側に過失があるものということはできない。

7(一)  原告らは、原告らの主張(5) ないし(7) のとおり、本件病院側はDの自殺を防ぐ対策を十分にとらなかった過失がある旨主張する。

(二)  前記一の認定事実によれば、四月二〇日、Dは、看護婦に対し、自殺をする場所として会社の駐車場を考えている旨を話し、看護婦はその旨を看護記録に記載しており、本件病院側の対処方法として、少なくともDから自殺をほのめかす電話があった旨の原告Aからの本件電話の際、右のような具体的な訴えがあったことを原告らに知らせることも可能であったということができる。

しかしながら、本件の場合、たとえ本件病院側が右記載を原告らに対して知らせていたとしても、Dが、本件自殺をするに際し、長時間継続的に右場所にいたとは限らない上、原告らがその場所を知ったとしても必ずしも自殺を防ぐことができた蓋然性があったとはいえず、被告に、本件電話の前後を問わず、Dが自殺する場所として会社の駐車場を考えたことがある旨を告げる義務があったとまではいえない。

(三)  また、前記一の認定事実によれば、氏家及び看護婦は、本件外出の行き先として予定されていた矢板の住所も連絡先も把握していなかったことが認められる。この点、自殺の可能性がないとはいえないうつ病患者を外出させる際、たとえ具体的に自殺企図の兆しがなかったとしても、その外出先が自宅など病院側が連絡先を把握している場所以外の所であり、外出に当たっての同伴者もいない場合、その行き先の連絡先すら把握しないで外出させるのが適切な措置といえるかどうかについては問題がある。しかしながら、前記二の認定事実によれば、氏家及び看護婦が矢板の連絡先等を把握していなかったことが、必ずしも医学上不合理とまではいうことはできず、また、右の把握をしていなかったことと本件自殺との間に相当因果関係を認めるに足りる証拠もない。

(四)  さらに、前記一の認定事実に照らし、他に本件電話後の本件病院側の対応に、本件自殺と相当因果関係があると認められる過失があるということはできないし、原告らの精神的損害の増加を招いた過失があるということもできない。

8  また、以上の判旨によれば、氏家ないし本件病院側の過失(不手際、医療体制及び自殺防止策の不徹底さ)が重なって、Dが本件自殺に至った旨の原告らの主張も採用できない。

9  したがって、原告らの過失についての各主張は、いずれも理由がない。

四  以上によれば、原告らの請求は、その余の点について判断するまでもなくいずれも理由がないから棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小泉博嗣 裁判官 齋藤憲次 裁判官 上原卓也)

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