東京地方裁判所 平成10年(ワ)29204号 判決 2001年3月22日
別紙当事者目録記載のとおり。
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第一請求
一 被告は、別紙当事者目録中の番号一番から一六二二番までの各原告らに対し、それぞれ別紙請求一覧表の「原告番号」に対応する「請求額」欄記載の各金員及びこれに対する平成一〇年八月五日(訴状送達の日の翌日)から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え(平成一〇年(ワ)第一六三三四号事件の請求)。
二 被告は、別紙当事者目録中の番号一六三三番から一七二〇番までの各原告らに対し、それぞれ別紙請求一覧表の「原告番号」に対応する「請求額」欄記載の各金員及びこれに対する平成一一年二月一〇日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え(平成一〇年(ワ)第二九二〇四号損害賠償請求事件の請求)。
第二事案の概要
一 本件の概要と訴訟物
本件は、被告の前身である住宅・都市整備公団(公団という。)が販売する分譲住宅(単に分譲住宅という。)を購入した原告らが、公団において、その後、同一団地に属する分譲住宅を値下げして販売したことに関連して、おおむね下記の請求を掲げて損害の賠償又は利得の返還を求めた事案である。各請求は選択的併合の関係にある。
記
(1) 不法行為に基づく損害賠償請求(請求1という。)
原告らとの関係で、公団は、建設費用、利子必要額、分譲事務費、貸倒れ等引当金及び公租公課を加えた金額である原価に大幅な金額を上乗せして分譲住宅の譲渡対価を決定し、分譲住宅を販売したものであって、その行為は、住宅・都市整備公団法(昭和五六年法律第四八号。公団法という。)や同法施行規則(昭和五六年九月二八日建設省令第一二号。規則という。)一二条一項が定める原価主義に違反して原告らとの関係でも義務違反となり、不法行為(民法七〇九条)を構成する。
仮に、その原価に基づく譲渡対価の決定には裁量に基づく幅があるとしても、合理的な制約を受けるのであって、公団の譲渡対価の決定は、この範囲を逸脱して違法である。
被告が賠償すべき損害は、原告ら購入に係る分譲住宅の譲渡対価と値下げ後の同等物件の譲渡対価との差額、慰謝料及び弁護士費用である(その合計金額は、別紙請求一覧表の「請求額」欄記載のとおり。)。
(2) 不当利得返還請求(請求2という。)
原価主義を定めた規則一二条一項は、同条項に違反する譲渡契約を強く禁止する趣旨を含むものであり、同条項に従って定まる譲渡対価の金額を超過して締結された譲渡契約は、売買代金のうち超過金額について一部無効であるから、被告は、不当利得(民法七〇三条、七〇四条)としてその超過額を返還する義務があり、また、悪意の受益者として損害賠償義務を負う。
被告の不当利得額は、原告ら購入に係る分譲住宅の譲渡対価と値下げ後の同等物件の譲渡対価との差額であり、併せて被告は慰謝料及び弁護士費用を賠償すべきである(その合計金額は、上記(1)に同じ。)。
(3) 契約責任に基づく清算金請求(請求3という。)
公団には、同一団地に属する分譲住宅の譲受人間に不公平を生じさせないように価格を決定すべき義務があり(これを原告らは同一団地、同一価格体系の原則という。)、もしこれと異なる譲渡対価で分譲住宅を販売するときは、新たな価格体系に従って従前の譲渡対価を清算すべき信義則上の付随義務がある。
ところが、公団は、平成九年八月、平成一〇年二月又は同年三月、原告らが属する公団団地の未分譲物件の譲渡対価を大幅に値下げして販売しておきながら、何らの清算を行わないが、これは債務不履行(民法四一五条)に該当する。
その損害は、原告ら購入に係る分譲住宅の譲渡対価と値下げ後の同等物件の譲渡対価との差額、慰謝料及び弁護士費用である(その合計金額は、上記(1)に同じ。)。
(4) 信義則上の付随義務違反に基づく損害賠償請求―その1(請求4という。)
公団は、原告らに対し、少なくとも各譲渡契約を締結した日の翌日から五年間は分譲住宅の財産的価値を維持すべき義務があって、原告らの分譲住宅の財産的価値を減少せしめる行為をしてはならず、これを行うときにはその価値の減少を補てんすべき信義則上の付随義務を負う。
しかるに、公団は、値下げ販売をして原告らの分譲住宅の財産的価値を減少せしめたにもかかわらず、この補てんを行わず、これは債務不履行(民法四一五条)又は不法行為(同法七〇九条)を構成する。
その損害は、原告ら購入に係る分譲住宅の値下げ販売直前の時価(評価額)と値下げ直後の時価との差額、慰謝料及び弁護士費用である(その合計金額は、上記(1)に同じ。)。
(5) 信義則上の付随義務違反に基づく損害賠償請求―その2(請求5という。ただし、別紙請求一覧表の「契約年月日」欄記載の契約日が平成八年四月以降又は同年一二月三日以降の日である原告らの請求である。)
公団は、平成八年四月以降又は同年一二月三日以降は、信義則上、公団住宅の売れ残りの実態を公表し、値下げ販売の可能性を明らかにして販売すべき義務があったにもかかわらず、これを秘匿して原告らに対して分譲住宅を販売し、もって、右義務に違反したことが債務不履行(民法四一五条)又は不法行為(民法七〇九条)を構成する。
損害は、原告ら購入に係る分譲住宅の値下げ販売直前の時価(評価額)と値下げ直後の時価との差額、慰謝料及び弁護士費用である(その合計金額は、上記(1)に同じ。)。
二 当事者間に争いのない事実及び確実な書証により明らかに認められる事実(証拠の摘示のない事実は、当事者間に争いがない。)
(1) 被告の前身である住宅・都市整備公団は、公団法によって設立された公法人である。公団は、住宅事情の改善を特に必要とする大都市地域その他の地域において健康で文化的な生活を営むに足りる良好な居住性能及び居住環境を有する集団住宅等の供給を行うこと等により、国民生活の安定と福祉の増進に寄与することを目的とするものであり(公団法一条)、これまで多数の住宅を建設し、販売してきた。
(2) 公団法は、二九条において住宅の建設、住宅の譲渡など公団が行うべき業務を定め、三〇条一項において、住宅の建設や譲渡などの業務については、「他の法令により定められた基準がある場合においてその基準に従うほか、建設省令で定める基準に従って行わなければならない。」と規定する。
同規定を受けて、規則一二条一項は、譲渡対価の決定について、その譲渡の対価は、分譲住宅の建設(分譲住宅の取得を含む。)に要する費用(建設費用という。)に、当該費用のうち借入に係る部分に係る利子の支払に必要な額(利子必要額という。)、分譲事務費、貸倒れ等による損失を補てんするための引当金の額(貸倒れ等引当金という。)及び公租公課を加えた額を基準として、公団が定めると規定する。
また、規則一九条一項は、公団が分譲住宅の譲渡契約に定めるべき事項を規定し、その一つに、譲渡の対価の支払が完了するまでの間(譲渡契約の成立の日から五年以内に当該支払を完了した場合にあっては、当該譲渡契約成立の日から五年間)は、抵当権その他の権利を設定し、又は移転しようとするときは、あらかじめ公団の承認を受けるべき旨を定める。同規定を受けて、原告らとの間の分譲住宅譲渡契約書一二条には、同旨の約定が設けられている。
(3) 原告らは、公団との間で分譲住宅譲渡契約(単に売買契約ということもある。)を締結して、公団から、別紙請求一覧表記載の分譲住宅を、同請求一覧表「契約年月日」欄記載の日に、同一覧表「売買代金」欄記載の売買代金で購入した者である(ただし、原告番号三八九番の足立千枝子については、夫である足立昭二が契約者であったが、同人が死亡したため、相続により分譲住宅の所有権を取得した。)。
(4) 公団の分譲住宅の売れ残りは、平成五年度から発生していた。
平成八年一〇月末の時点での政府統計資料(「最近一〇年間に完成した住宅の空き家率」と題する資料)によれば、公団の分譲住宅の売れ残り率は平成六年度に一六・八パーセント、平成七年度は二〇・五パーセントに達しており、平成五年度から平成七年一〇月末までに販売された分譲住宅合計一万七二四四戸のうち、一八五一戸(一〇・七パーセント)が売れ残った。
平成九年二月一二日の衆議院予算委員会において、上記統計資料の数字には、完成直前で工事を中断した物件は含まれておらず、このような物件は、全国に三一一〇戸存在していることが明らかにされ、これを加えれば、平成五年度から平成七年一〇月末までに販売された分譲住宅合計一万七二四四戸のうち、四九六一戸(二八パーセント)が売れ残った。
(5) 平成八年六月に放映されたNHK制作の「クローズアップ現代」というテレビ番組で、当時の公団副総裁は、分譲住宅の譲渡価格について、いったん決めた以上は、値下げは非常に難しいと思う旨の発言をした。
(6) 平成九年七月二九日、当時の建設大臣は、閣議後の記者会見で、公団総裁に対し、分譲住宅の価格の引下げを含めて販売の努力をするよう指示した。
(7) 公団は、建設大臣の上記指示に基づき、原告らが分譲住宅を購入した本件各団地についても、平成九年八月以降、値下げ販売を実施した。すなわち、浦安マリナイースト21潮音の街、多摩ニュータウン南大沢学園五番街、港北ニュータウンビュープラザセンター北及び千葉ニュータウンアバンドーネ原5番街を除くその余の団地内に存在する売れ残りの分譲住宅については平成九年八月一日に、浦安マリナイースト21潮音の街については平成一〇年二月に、多摩ニュータウン南大沢学園五番街、港北ニュータウンビュープラザセンター北、千葉ニュータウンアバンドーネ原5番街についてはいずれも同年三月に、公団は、それぞれ値下げ販売を開始した。
値下げ率は、団地によって異なるが、おおむね一六・四パーセントから二九・八パーセントであった。
(8) 公団は、都市基盤整備公団法により、平成一一年一〇月一日をもって解散し、同時に被告が設立され、被告は、公団の一切の権利義務を承継した(都市基盤整備公団法附則六条一項、一条、平成一一年政令第二五五号都市基盤整備公団法の一部の施行期日を定める政令。なお、公団法は都市基盤整備公団法により廃止された。)。
三 争点及び争点に関する当事者の主張
(1) 争点1―請求1の関係について
公団は、分譲住宅を購入する者との関係において、原告らが主張する原価に基づいて譲渡対価を決定すべき法的義務を負担していたか、否か。
ア 原告らの主張
(ア) 原価に基づく譲渡対価決定義務の内容とその効果
公団は、分譲住宅の譲渡対価を、原価、すなわち、規則一二条一項に定められた建設費用に、利子必要額、分譲事務費、貸倒れ等引当金及び公租公課を加えて算定された額(これを原価という。)を基準として決定すべき義務を負い、原価以外の要素を考慮して分譲住宅の譲渡対価を決定してはならない。
そして、上記義務は、分譲住宅の譲渡対価という住宅の売買契約における最も中心的な契約条件であり、かつ、公団が一方的に決定するものであって、住宅購入希望者たる国民の生活に大きく影響するという重要な事項の決定に関する義務であるから、その義務違反は、公団の分譲住宅の購入者との関係で不法行為における違法性を構成し、あるいは、当該売買契約の一部無効等の法的効果をもたらすものである。
(イ) 原価に基づく譲渡対価決定義務の根拠
上記義務の根拠としては、次の諸点を指摘できる。
a 公団法に基づく基準
公団の存立目的は、公団法一条が定める。すなわち、公団は、住宅事情の改善を特に必要とする地域において、健康で文化的な生活を営むに足りる良好な居住性能及び居住環境を有する集団住宅等の大規模な供給を行うこと等によって、国民生活の安定と福祉の増進に寄与することを目的としている。そして、その目的を達成するため、公団は、公団法二九条に列挙された住宅の建設、譲渡等の業務を行うことが求められており、その業務については、公団法三〇条一項により、他の法令により定められた基準がある場合においてその基準に従うほか、建設省令で定める基準に従って行わなければならないことが要求されている。
すなわち、公団は、公団法所定の目的を達成するために同法所定の業務を遂行しなければならず、その業務の遂行に当たっては、他の法令で定められた基準がある場合のほかは、建設省令で定められた基準に従う義務を負っている。
公団法三〇条一項を受けて、規則一二条一項及び一三条は、公団の分譲住宅の譲渡対価の決定基準を定めているところ、同規定以外には分譲住宅の譲渡対価の決定方法や決定基準等の定めはない。
したがって、公団が分譲住宅の譲渡対価を決定する基準は、規則一二条一項、一三条に定められた基準のみであり、被告は、この基準に従ってのみ、分譲住宅の譲渡対価を決定しなければならない。
b 規則一二条一項、二項の文言
規則一二条一項は、分譲住宅の譲渡対価について、「分譲住宅の建設に要する費用」に、「当該費用のうち借入れに係る部分に係る利子の支払に必要な額」、「分譲事務費」、「貸倒れ等による損失を補てんするための引当金の額」及び「公租公課を加えた額」を基準とすべきことを要求している。
上記のとおり、規則一二条一項は、各項目を具体的に列挙した上、例示列挙を示す「等」などの文言を用いていない。したがって、規則一二条一項に列挙された項目は限定列挙と解される。
また、規則一二条二項は、同条一項で原価の算定要素とされる「分譲事務費」及び「引当金の額」の算出方法について、公団が独自に定めることを許さず、当初の設定についても、その後の変更についても、建設大臣の承認を得ることを求めているが、これは、それらの費目の基準について建設大臣の承認を要求することにより、公団が原価からかけはなれた譲渡対価を定めることを防止する趣旨である。
上記のとおり、規則一二条一項は、原価の算定方法を厳格に規制しているのであるから、同条の「…の額を基準として、公団が定める」との規定は、公団に、原価以外の要素ないし要請を考慮して譲渡対価を決定することを許さない趣旨であると解すべきである。
以上のとおり、規則一二条一項の「額を基準として」との文言は、まさに、原価をもって譲渡対価を定めることを公団に義務づけた規定なのである。
c 規則一二条一項の「基準として」の意味について
規則一二条一項は「基準として」という文言を用いているが、これは原価以外の要素を考慮することを許容した趣旨ではない。同文言が定められたのは、原価項目を算定する際に必然的に伴う計算上の理由によるものである。
すなわち、分譲住宅の譲渡対価の決定は、当然のことながら、分譲開始よりも前の時点で行っておく必要がある。ところが、実際の原価に基づく計算を行うには相当の期間を要するし、その時点までに計算が不可能な原価項目もあるため、分譲開始に備えて、あらかじめすべての原価項目について実際の原価に基づく計算をしておくことは不可能である。そのため、規則一二条一項に限定列挙された各原価項目について、実際の原価計算によってではなく、予定原価としての計算に基づき譲渡対価を定めざるを得ない。
「基準として」の文言は、上記のとおり、原価計算上の事情を考慮した文言にすぎない。
d 規則一二条一項と一三条との関係
規則一三条は、「公団は、物価その他経済事情の変動等に伴い必要があると認めるときは、前条の規定にかかわらず、建設大臣の承認を得て、譲渡の対価を変更し、又は譲渡の対価を別に定めることができる。」と規定している。
同規定は、公団が規則一二条一項による原価に基づく譲渡対価決定方法(基準)と異なる譲渡対価の決定を行うことを、その必要性がある場合に、例外的に、建設大臣の承認を条件に許容しているものである。被告が主張するように、規則一二条一項が分譲住宅の譲渡対価の決定に際して、同項中に列挙された原価項目以外の経済事情の変動等を考慮することを許容しているものと解すれば、その後の譲渡対価の変更についても、建設大臣の承認を要せず、物価その他の経済事情の変動等を考慮して公団の判断で譲渡対価の変更をすることができるはずである。しかし、これでは、規則一三条は無用の規定となり、同条が「建設大臣の承認」を要求した理由が失われてしまう。
要するに、規則一二条一項は、同項が列挙する原価項目に基づき譲渡対価を決定すべき原則を定めた規定であり、これに対し、規則一三条は、「物価その他の経済事情の変動等に伴い必要があると認めるとき」及び「建設大臣の承認」という二つの要件のもとに、規則一二条一項の例外を定めたものである。
e 他の法令との比較
公団は、利潤追求を究極の目的とする私企業によって形成される市場原理だけに委ねていては達成されない「住宅事情の改善」を目指し、「国民生活の安定と福祉の増進」を目的として設立された公的団体である。
公団の分譲住宅の譲渡対価決定に関する規則一二条一項の規定は、公共サービスを提供する各種事業のサービスの対価(料金)に関する法令の定めとの比較においても、まさに原価のみを基準とすべきことを要求している規定であると解される。
すなわち、他の公共料金の規定であるガス事業法一七条二項一号、電気事業法一九条二項一号、鉄道事業法一六条二項一号、石油パイプライン事業法二〇条二項一号等では、例えば「料金が能率的な経営の下における適正な原価に適正な利潤を加えたものであること」(ガス事業法一七条二項一号)といったように、原価以外の「適正な利潤」の確保をなし得るように対価を決定すべきことが明文をもって規定されているのに対し、規則一二条一項は、原価項目を規定するのみであるから、原価以外の他の要素等を考慮することを許さない趣旨と解される。
f 他の根拠
次の事実も、原価主義を支える根拠となる。
(a) 公団は、公団法一条の目的を達成するために、営利を追求することなく、適正かつ公平に業務遂行をすることが義務づけられており、そのために、業務範囲の制限、従うべき業務遂行の基準、建設大臣の監督など厳格な法律上の規制を受ける。
管理委員会が組織され(公団法八条、一〇条一項)、予算、事業計画及び資金計画並びに決算について議決を行い(同法九条)、公団の業務範囲は限定され(同法二九条)、その財務・会計についても、毎事業年度、予算、事業計画及び資金計画(予算等という。)並びに財産目録、貸借対照表及び損益計算書(財務諸表という。)を作成し、予算については当該事業年度の開始前に建設大臣の許可を受け、財務諸表については、建設大臣の承認を得なければならない(同法五〇条一項、五二条一項)。また、公団は、住宅・都市整備に関する事項について建設大臣の監督に服し(同法六二条一項、六六条一号)、業務に応じて運輸大臣の監督にも服する(同法六二条一項、六六条二号、三号)といった規制はその一例である。
このような公共的目的を有する公団が分譲住宅の譲渡によって利益を上げることは法律上全く予定されていない。
(b) 公団における譲渡対価決定の実務
公団は、規則一二条一項に基づき譲渡対価を決定するため、少なくとも、分譲住宅について原価を算定しているはずであり、現に、被告も公団が予定原価計算を行っていること自体は認めていて、公団の分譲住宅の譲渡の対価は規則一二条及び一三条に基づいて定める必要性があることも認めている。
そして、予定原価計算については、公団の会計実施細則上、原価計算に恣意性が入ることを極力防止するために、非常に厳格に規定されているはずである。
このような会計実務がとられていること自体も原価に基づき譲渡対価を決定すべき義務が公団にあることを前提とするものである。
(c) 原告らが置かれた立場と原価主義の公知性
公団が分譲住宅の譲渡対価として決定した価格については、交渉によって変更する余地は全くなく、しかも、その譲渡価格は、原価に基づくものであって、利益を上乗せしたものではないとの一般的な認識があった。原告らは、公団が分譲する住宅である以上、譲渡価格に利益が上乗せされているはずはないと信頼していた。このような信頼がある以上、公団はこの信頼を裏切ることのないように、原価を基準として利益を上乗せすることなく、譲渡対価を決定すべきであった。
g 公団の前身である日本住宅公団が原価主義を自認していたこと
公団の前身である日本住宅公団は、衆議院及び参議院の各建設委員会において、賃貸住宅の当初家賃の決定について原価に基づき決定していることを認めてきた。
当初家賃の決定に関する規則の規定(規則四条)と、分譲住宅の譲渡対価の決定に関する規則の規定(規則一二条)とは、ともに原価項目を列挙した上で、「…の額を基準として…定める。」と規定している。また、その決定された金額を変更又は別に定める必要がある場合には、いずれも建設大臣の承認を得ることが必要とされており、家賃ないし譲渡対価の決定について、原価を基準とするという点で、全く同様の定めをしている。したがって、その趣旨も全く同様に解すべきである。
しかるところ、昭和五三年一月二四日の衆議院建設委員会や同年二月九日の参議院建設委員会において、当時の日本住宅公団総裁、同理事、建設省住宅局長らは、賃貸住宅の当初家賃の決定は、原価に基づき算定されなければならず、かつ、その原則を維持してきたことを認めており、個別原価主義に基づく家賃を変更する場合には、規則が要求する要件(家賃不均衡の是正等の存在と建設大臣の承認)を満たして初めてその家賃を変更することができるという立場をとっていた。
h 総務庁行政監察局の勧告
総務庁行政監察局は、昭和六三年一〇月から平成元年三月までの公団の業務内容をチェックした。そして、譲渡対価算定上の原価費目のうち、建設事務費率について、公団の算定は実際に必要な経費との乖離が生じているとして、建設事務費の見直しが必要であるとの勧告を出している。すなわち、総務庁行政監察局も、公団による分譲住宅の譲渡対価は、厳密に原価に基づくことを要求しているのである。この要求は、公団法の目的に基づき、原価に基づく価格設定をしなければならないことを当然の前提としている。
i 公団法五四条について
公団法五四条は、公団に利益が生じた場合の会計処理を規定している。しかし、同条をもっては、規則一二条一項が原価に基づく譲渡対価決定義務を定めたものではないとする根拠とはならない。
すなわち、公団法は、同法三一条で、公団が「事業に投資(融資を含む。)をすることができる」と定め、同法五八条が、公団が「国債その他建設大臣の指定する金融機関への預金又は郵便貯金」、「信託会社又は信託業務を行う銀行への金銭信託」をなし得ることを定めるなど、公団に利益を生ずることを認めている。
また、既に指摘したとおり、分譲住宅の場合でも、実際の原価と完全に一致した譲渡対価を定めることは不可能であるから、当然のことながら、実際の原価と譲渡対価とが一円まで一致することはありえず、利益ないし損失が発生することは不可避である。
公団法五四条は、上記のとおり、公団に利益ないし損失が生じうることを前提として、その処理方法を規定したものにすぎないのであって、公団に分譲住宅の譲渡によって利益追求を行うことを要求ないし許容したものではない。
(ウ) 分譲住宅の譲渡対価決定の際に考慮できる要素と限界
仮に、一歩譲って、規則一二条が、譲渡対価を決定する際、民間分譲住宅を中心とした市場の動向を加味した分譲住宅相互間のバランスをも一要素として考慮することを許容しているとしても、そこにはおのずから制約や限定があると解される。
分譲住宅の譲渡対価の決定は、営利目的の民間分譲住宅販売業者が分譲を行う場合と異なり、あくまで公団法一条の公益目的を達成するために行われるものである(公団法二九条)。たとい、譲渡対価の決定に際し、「民間分譲住宅を中心とする市場の動向」を考慮することが許されるとしても、それは、あくまで公団法一条の目的を達成するためという制約が課された合理的な範囲内で許容されているにすぎないのであって、譲渡対価が合理的な範囲内の価格であるか否かが厳格に問われなければならない。
その根拠としては、以下の点を指摘できる。
すなわち、規則一二条一項が原価を「基準」として譲渡対価を定めることを明記しているが、これは、あくまで原価を主体として分譲住宅の価格を定めることを意味し、市場動向を無制限に考慮できないことを示している。
また、原価項目については、特に規則一二条二項において、分譲事務費及び引当金の額について、その算出方法は建設大臣の承認を得て行うものと定めているが、これは、公団の譲渡対価決定過程における恣意的な判断を防止する趣旨である。もし、原価以外の要素を自由に考慮できるとなれば、同規定の趣旨は没却されてしまう。
さらに、規則一三条は、「物価その他の経済情勢の変動等」があるときは、建設大臣の許可を得てはじめて原価を基準とする価格設定以外の別の価格をとることを認めているものであるが、これも譲渡対価の決定が公団の恣意的判断に左右される危険をチェックするためである。そこで、経済事情の変動等も存在せず、建設大臣の承認も得ない場合に、原価以外の要素を大きく考慮して価格設定を行うことは、規則一三条を空文化してしまうに等しい。
原価に基づく価格設定に裁量の「はば」があるにしても、そのことだけで公団に義務違反がなかったということにはならず、その「はば」に裁量権限の踰越ないし濫用がなかったか否かを、価格設定が公団法の目的と合理的関連があるか否か(その金額の上乗せが、原価が基準であることの意味を失わせるものではないかどうか。)、比例原則に適合しているか否か(上乗せされた金額が、考慮された市場動向に相応した適切な金額であるかどうか。)、平等原則に合致しているか否か(その金額の上乗せによって、将来、購入者間の平等が確保されると判断し得る状況であったかどうか。)、他事考慮はないか否か(原価及び市場動向以外のほかの要因、要素が考慮されたことはないかどうか。)、事実誤認はないか否か(その判断の前提となる事実認定は正しかったかどうか。)といった視点から慎重に吟味しなければならない。
ことに、公団法一条、二九条の目的との関係で、「はば」は謙抑的に考えなければならず、原価に加算して決定された譲渡対価の金額が近隣の市場価格と同じ程度の水準に至っている場合は、その譲渡価格による分譲は、「住宅事情の改善」に役立つものとは考えられず、良質低廉な住宅の供給により「国民生活の安全と福祉の増進」に寄与するという法の目的にも悖る。まして、近隣市場価額を超えるような高額な譲渡対価が設定された場合は、それが公団法一条の目的に反することが一見して明らかになる。
(エ) 公団の違法行為
しかるに、公団は、原価を基準とすれば、その売買代金は、別紙請求一覧表「売買代金」欄記載の金額には到底達しないにもかかわらず、原価に大幅な金額を上乗せして譲渡対価を決定し、その譲渡価格(代金)をもって原告らに本件分譲住宅を販売した。
仮に、前記のとおり、譲渡対価の決定において民間分譲住宅を中心とした市場の動向を加味した分譲住宅相互間のバランスをも一要素として考慮に入れることが許されるとしても、公団が設定した譲渡対価は、公団法が許容する「はば」の設定につき、その権限を踰越ないし濫用したものであって、違法な価格設定である。その理由は次のとおりである。
公団は、原価を積算した価格に、その二割ないし三割相当の金額を上乗せして本件分譲住宅を原告らに販売した。原価の二割ないし三割もの金額を「市場の動向等を加味する」との名目で、公団が自由に加算して価格決定することが許されるのならば、規則一二条一項が原価費目を掲げ、それを基準として価格設定すべき義務を定めたことの意味は失われる。
また、原告らが本件分譲住宅の譲渡を受けた時期は、既にバブル経済の崩壊から久しく、民間分譲住宅の分譲価格は横ばいないし緩やかな低落傾向にあった。ところが、公団は、市場の動向とは正反対に分譲価格を上昇させ続けた経過がある。すなわち、公団は、その時点における市場の実際の動きには比例せず、逆に、それと正反対の価格設定を行っているのであって、その判断には比例原則違反がある。
公団が原告らに販売した際の譲渡価格は高額であったために、多数の売れ残り住宅が発生し、のちに公団は値下げ販売をせざるを得なくなった。そのために多大な価格格差が生じて、不平等を生じさせる結果となった。これは当初の価格設定が平等原則に違反したものであったからにほかならないし、公団が事実誤認を犯し、バブル経済の崩壊及びバブル経済崩壊後における需給関係の緩みを認識しないまま誤った判断に基づいて譲渡対価の決定を行った結果といわなければならない。
公団の譲渡対価決定において、下降傾向にある民間市場動向に逆行する価格設定が行われたのは、下降傾向にある民間市場動向に歯止めを掛けるという政策的配慮の結果と推論せざるを得ず、そうだとすれば、これは他事考慮である。
そして、本件分譲住宅の譲渡対価は、その時点での近隣市場価格を超える高額の価格が設定されたものといわざるを得ず、公団法二九条、一条が定める「第一条の目的を達成するため」の分譲業務の範囲を、社会通念上、著しく逸脱したものである。
イ 被告の主張
(ア) 公団は、独立行政法人であり、規則(一二条、一三条)は、その業務運営を監督するための行政命令(行政規則)であって、原告らをはじめとする国民の権利義務を定める法規命令ではないから、公団業務が規則に適合しているか否かは司法審査の対象とはならない。
すなわち、公団法三〇条一項を受けて規定された規則一二条、一三条等の規定は、公団が建設大臣の業務監督に服するとの意味での行政機関内部における義務を定めたものであり、原告らの権利義務とは関わりのない行政規則である。同規定は、公団に対し、分譲住宅の譲渡対価の決定に関して購入者に対する義務を課したものではない。
(イ) 公団住宅を原告らに販売する関係はいわゆる管理関係であり、実定法上特殊な法的規律が認められない限り、民法等の私法的規律の適用がある。公団の分譲住宅の販売について、実定法上特殊な法的規律は存在しないから、公団住宅を原告らに販売する法律関係については全面的に民法等の私法的規律が適用される。
原告らと公団との分譲住宅の販売に関する法律関係は、上記のとおり私法的規律が適用される私法上の取引関係にすぎないのであるから、原告らが公団の分譲住宅について、譲渡対価たる販売価格の提示を受け、その価格に基づいて自由な意思で売買契約を締結したものである以上、後日になって、その価格が不当であるとして、成立した契約の効力やこれに基づく売買代金の支払の効力を問題とする余地はない。
(ウ) 公団といえども、民間分譲住宅を中心とする市場で分譲住宅を供給していくという事業の性格上、いわゆる原価を基準としつつ、民間分譲住宅を中心とした市場の動向並びにそれを加味した分譲住宅相互間のバランスをも一要素として考慮に入れ、譲渡対価を決定せざるを得ない。規則一二条一項の文言自体からしても、譲渡対価がいわゆる原価に拘束されることを定めたものとは解されない。すなわち、規則一二条一項にいう「基準として」の文言は、言葉の通常の意味からしても、「ものごとの基礎となる標準」又は「比較して考えるためのよりどころ」といった意味であって、同規定は、「譲渡の対価は、…を加えた額を標準として幅のある中で、公団が決定する。」ことを意味するものである。そうである以上、その幅の中で、民間分譲住宅を中心とした市場の動向を加味した分譲住宅相互間のバランスを譲渡対価決定の一要素として考慮に入れることまでを否定する趣旨ではない。
原告らの規則一二条一項に係る主張は、「…を加えた額を基準として、公団が定める」との同条の文言を、「…を加えた額とする」と同義であると強弁するに等しいものであって、文言の解釈からも失当である。
(エ) 原告らは、規則一二条一項と規則一三条との関係について、原価以外の事情を考慮して譲渡対価を決定できるのであれば、規則一三条は不要であると主張する。しかし、規則一三条は、規則一二条一項の原価を基準として決定した価格を変更する場合及び原価を基準として決定し得る範囲と異なる譲渡対価を決定する場合に建設大臣の承認を必要とすることを規定したものであって、原告らの主張は失当である。
(オ) 公団がいわゆる原価を上回る譲渡対価を決定することによって、原価との差額が発生するものであり、公団法五四条も、公団がこれを利益として取得し得ることを前提としている。
(カ) 原告らは、自らの主張を裏付けるものとして、ガス事業法等の公共料金に関する法令が、原価以外の適正な利潤を確保し得るよう対価を設定すべきことを明文で規定しているのに対し、規則一二条一項では、原価項目を規定するのみであるから、同規則は原価以外の他の要素等を考慮することを許さない趣旨と解されると主張するが、失当である。
各種の公共事業法が「適正な利潤」について定めている趣旨は、それらの民間事業者がその規定を根拠として利潤を追求することが公認されるという意味ではない。事業の性格(独占事業であること)から、民間事業者に自由に利潤追求を認めると需要者に不利益を与えるおそれがあるため、その「利潤」が「適正」なものでなければならないことを規定したものである。しかるに、公団が行う分譲事業は、独占事業ではなく、利潤追求といった性格を有していないから、そのような形で規制していないというだけであって、各種事業法の規定内容は、原告らの主張の根拠とならない。
(2) 争点2―請求2の関係について
規則一二条一項は、原価を超える譲渡対価による分譲住宅の売買契約を無効とする効力を有するものか、否か。
ア 原告らの主張
(ア) 原価主義の規定
公団が利益追求を目的とすることなく住宅等を供給するという法の趣旨・目的に従い、規則一二条一項が設けられている。
このような規定が置かれたのは、公団が利益追求を目的とすることなく、国民に対し、良好な居住性能及び居住環境を有する集団住宅及び宅地等を供給することを目的として特に公団法により設立されたためである。そのため、利益追及を目的とする私企業とは全く異なる譲渡対価決定方法が定められているのである。したがって、規則一二条一項は、住宅等の供給を受ける国民の利益のために存在するものといえる。
そして、これを受けて、住宅・都市整備公団会計実施細則は、第七編原価計算(二六五条ないし三二九条)において、予定原価計算と実際原価計算のそれぞれについて計算時期、計算単位、計算内訳及び各原価要素の計算等、原価計算に関する事項について極めて詳細にわたる規定を置いている。このような詳細な規定が置かれていることは、公団における原価計算が極めて重要なものとして位置づけられていることを示している。さらに規則一三条が存在するが、この規定は、物価その他経済事情の変動等に伴う変更の必要があり、かつ建設大臣の承認を経なければ原価主義に基づく譲渡対価を変更できないことを定める。譲渡対価の変更に関するこのような重大な制約を定めていることは、まさに規則一二条一項が定める原価主義により譲渡対価の決定が行われるべきことを示すものである。
(イ) 契約の一部無効
上記のとおり、規則一二条一項は、同条項に違反する契約を強く禁止する趣旨を含むものであり、同条項に従って定まる譲渡対価の金額を超過する売買代金をもって締結された売買契約は、売買代金のうち超過金額について無効(一部無効)である。
もし、規則一二条一項に従って定まる譲渡対価の金額を超過する売買代金をもって締結された売買契約をそのまま全部有効としたのでは、法が定めた厳格な規制は全くの形骸と化し、公団の設立目的(公団法一条)やその目的を実現するために組織、会計、監督等のシステムを構築した公団法自体を無にすることとなる。
したがって、原告らと公団との間で締結された本件各売買契約は、その売買代金のうち規則一二条一項によって定まる価格(譲渡対価)を超過する金額の部分について一部無効であり、その限度で公団は売買代金を取得すべき法律上の原因を欠く。その超過額は、別紙請求一覧表「損害金」欄記載の各金員である。
イ 被告の主張
既に指摘したとおり、公団住宅を原告らに販売する関係はいわゆる管理関係であり、実定法上特殊な法的規律が認められない限り、民法等の私法的規律の適用があるところ、公団住宅の販売についての実定法上特殊な法的規律は存在しないから、公団住宅を原告らに販売する法律関係については、全面的に民法等の私法的規律が適用される。
原告らと公団との分譲住宅の販売に関する法律関係は、私法的規律が適用される私法上の取引関係にすぎないのであるから、原告らが公団の分譲住宅について、譲渡対価の提示を受け、その価格に基づいて自由な意思で売買契約を締結したものである以上、後日になって、その価格が不当であるとして、成立した契約の効力やこれに基づく売買代金の支払の効力を問題とする余地はない。
(3) 争点3―請求3の関係について
公団は、同一団地内の分譲住宅の購入者に対し、各購入者の譲渡価格に格差を生じさせないよう、同一価格体系に基づいて譲渡対価を設定すべき義務を負うか、否か。また、価格格差を生じさせる価格設定をした場合は、その価格格差を是正する義務を負うか、否か。
ア 原告らの主張
(ア) 公団が負担する義務
公団は、同一団地内の各分譲住宅の購入者に対し、譲渡価格において格差を生じさせないように同一価格体系に基づいて譲渡対価を設定すべき義務を負う。また、価格格差を生じさせる価格設定をした場合は、その価格格差を是正する義務、すなわち価格格差を清算する義務を負う。
右義務は、信義則上認められる分譲住宅譲渡契約の付随義務である。
(イ) 同一団地、同一価格体系の原則
分譲住宅の譲受人は公募されなければならない(規則一五条一項)。また、公募に応じて譲受けの申込みをした者の申込戸数が、分譲住宅の戸数を超えるときは、「公正な方法により選考」して、当該分譲住宅の譲受人を決定しなければならない(規則一七条)。このように、公団法及び規則は、分譲住宅の譲受人の間で、万が一にも不公平が生ずることのないように、厳格に、公正な方法で分譲住宅を分譲しなければならないと規定する。これは、大都市地域等における健康で文化的な生活を営むに足りる良好な居住性能及び居住環境を有する集団住宅等を供給するといった公益目的を担った公団の当然の義務を規定したものである。
もちろん、同じ公団団地内の中の各分譲住宅(各住戸)の価格は同一ではない。しかし、それは、それぞれの床面積、階数、方位(住宅の向き)などの諸条件を勘案した上で、各分譲住宅間に不公平が生じないよう、各公団団地ごとの価格体系が設定されている結果である。つまり、このような諸条件を勘案した上で、各分譲住宅間に不公平が生じないように譲渡価格が設定されるが、これは、同じ公団団地の中では、同一の価格体系によって個別の分譲住宅の譲渡対価が決定されることを意味する。これを同一団地、同一価格体系の原則という。もしも、同じ公団住宅の中であるにもかかわらず、各分譲住宅ごとに、まちまちの価格体系が設定されたならば、分譲住宅の購入者間に混乱と不公平が生ずることになる。しかし、それは、譲受人の間に不公平が生ずることのないよう「公正な方法により選考」して、個別の分譲住宅の譲受人を決定しなければならないとした公団法及び規則の趣旨に明らかに悖る事態であり、絶対に許されない。
(ウ) 同一団地、同一価格体系の原則を守るべき義務の根拠
一般原則としての公平の原則のほかに、次の各事実からして、特に譲受人間の公平が強く要請されるのであって、その結果、同一団地、同一価格体系の原則は、分譲住宅の分譲契約を締結する際に、信義則に基づいて公団が負うべき義務となっている。
まず、高度の公共性を有する公団は、同一団地内の各分譲住宅の譲受人を厳格に公平に扱う義務を負う。そのためには、各分譲住宅の価格体系が同一であることが必須の条件となる。そこで、公団は、譲受人間に不公平を生じさせないように、同一の価格体系によって各譲受人の分譲住宅の譲渡対価を設定する義務を負う。
先に指摘したとおり、公団法及び規則は、譲受人の間に不公平が生ずることがないよう、厳格に、公正な方法で選考して各分譲住宅の譲受人を決定する義務を公団に負わせている。同一団地内であるにもかかわらず、分譲住宅ごとに適用される価格体系に大きな差があり、その結果、譲受人間に明らかな不公平が生じるような分譲は、同義務に違反しているといわなければならない。
また、各譲受人は、公団のもつ高度の公共性を期待し、信頼して各分譲住宅の購入を行った。すなわち、原告らは、公募の時期によって譲渡人の間に不公平が生ずることはない、換言すれば公募の時期を違えても、同一団地内である限り、各分譲住宅の価格体系に差異が生じないと信じたからこそ各分譲住宅を購入した。
そして、公団の説明担当者も、必ず判で押したように、今回の公募であっても、次回の公募であっても、同一の団地内の譲受人間に不公平が生ずることは絶対にない、公団が値下げ販売をすることはないと説明し、そのことを強調してきた。また、各譲受人が、個別に公団の担当者に対して、その点の説明を求めたケースもあったが、その場合も、公団担当者は、必ず、同じ趣旨の説明をして、値下げはしない、応募の時期によって譲受人間に不公平が生ずることはないと公言してきた。平成八年六月放映のNHK番組「クローズアップ現代」の中でも、当時の公団副総裁は、値下げをすることが非常に難しい旨の説明をしていたものである。
分譲住宅譲渡契約書では、各公団団地に現実に居住しない者、換言すれば、単に投資目的で不動産を取得しようとする者を現実に排除している。このことからすれば、公団住宅の譲受人は、すべてコミュニティの居住者である。そして、健全なコミュニティの発展は、居住者間に極端な不公平が存在しないことによって初めて可能となる。居住者間の公平は、各居住者が分譲住宅の譲受人となる段階での公平が基礎となる。その公平は、各分譲住宅の譲渡対価が同一の価格体系によって決定されることによってはじめて担保される。
また、公団団地の中には、特定の分譲住宅ではなく、同一棟内の数戸ないし十数戸のブロックごとに、どの住居が当たるか分からない方法で購入の応募をさせたものがあり、この場合は、各ブロック内の分譲住宅の譲受人間に不公平を生じさせないことが当然の前提となっていた。換言すれば、各ブロック内の各分譲住宅について同一の価格体系が適用されて各分譲住宅の譲渡対価が決まるのは当然の前提であったし、ブロック間でも不公平が生じてはならないこともまた当然であった。結局のところ、同一の団地内においては、同一の価格体系によって各分譲住宅の譲渡対価が決定されることが前提となっていたのである。
さらに、集団住宅としての各分譲住宅は、等質の構造をもち、等質の価値を有する。各住居ごとに、面積や諸条件を勘案した合理的な範囲を超えて譲渡価格に極端な差異が生ずることは許されない。各分譲住宅が等質の構造であり、そのコストの圧倒的部分が専有部分それ自体ではなく、敷地と共用部分に存在する以上、同一の価格体系に従って譲渡対価が設定されるべきなのである。
公団の分譲住宅の分譲は、すべて公団というひとつの法人によって行われる。同一の法人格が敷地取得から、建設、分譲に至るまで、すべての過程を自ら行うのであるから、公団において各分譲住宅について、同一の価格体系を設定することは可能であるし、そうすることが当然視されている。
上記の各事実から、公団は、原告らとの本件各分譲住宅譲渡契約の締結に際して、信義則に基づく付随義務として、同一団地内の各分譲住宅の譲渡対価を同一価格体系に基づいて設定し、同一団地の各譲受人の譲受価格に不公平が生じることのないように各分譲住宅の譲渡対価を設定すべき義務を負うのである。
(エ) 公団に生ずる清算義務
分譲住宅の譲渡契約の締結に際して、同一団地の各譲受人の譲受価格に不公平が生じることのないよう各分譲住宅の譲渡対価を設定すべき付随義務は、複数の価格体系による不公平が生じた場合には、その不公平を是正すべく清算を行う義務をその内実とする。
居住のための分譲住宅の購入は、通常一般人にとっては生涯最大の買物であり、人生設計の一部である。価格体系の違いによって生ずる価格格差が、通常一般人の年収相当額に近く、あるいはこれを超えている場合は、社会通念上、単に公募の時期の違いというだけでは説明し得ない不公平があるといわなければならない。
しかも、本件の原告らの場合は、分譲住宅譲渡契約の締結から平成九年八月(又は平成一〇年二月、三月)のいっせい値下げで異なる価格体系による公募がなされるまで、最も長い者でもせいぜい約四年程度であり、最も短い者は、契約締結からわずか一か月後に、価格体系の違いによる価格格差に遭遇している。
この間、別々の価格体系を設定せざるを得ないような経済事情の変動は存在しない。公団において値下げによる異なる価格体系を設定せざるを得なくなったのは、あくまでも公団が分譲住宅を原告らに販売した時点での譲渡対価の設定があまりにも高額すぎたためである。
公団が数次にわたる公募を行い、原告らが購入した際の価格体系が高額すぎたものと認めて、後の公募の際に新たな価格体系を適用して譲渡対価を設定し、その結果、原告らと他の新たな譲受人との間に明らかな不公平が生じている。したがって、公団は、その明らかな不公平を是正するために、後の公募の際の価格体系に従って、先の価格体系を是正し、原告らが購入した分譲住宅の譲渡対価との差額を清算すべき義務を負うのである。
しかるに、被告は、清算義務を履行しない。
イ 被告の主張
(ア) 原告らが主張する同一団地、同一価格体系の設定義務の具体的内容自体が判然としない上、「公平の原則」といった抽象的条理から「価格格差是正義務」という法的効果を伴う前記義務が根拠づけられるとの論理構成自体が失当である。分譲住宅の購入に当たって提示された購入条件を承諾して契約を締結したものである以上、提示された購入条件が公平であったか否かによって締結された譲渡契約の法律上の効果が遡って左右される余地のないことは明らかである。
(イ) 物の価格というものは、需要と供給の関係から決定されるものであるから、物件が売れ残るという需要の減少に伴い、価格を低下せしめてこれを販売することは分譲業者の当然の行動である。また、公団といえども、民間分譲住宅を中心とする市場の中で分譲住宅を供給していくという事業の性格上、売れ残りの分譲住宅をそのまま放置することなく需給関係に合わせて販売していくことは公団の責務である。値下げ販売は制度上も公団法や規則一三条において是認されている正当な業務である。そうである以上、公団が売れ残りの分譲住宅を値下げして販売したことが違法とされるものでないことは当然である。
(4) 争点4―請求4の関係について
公団は、原告らに対し、少なくとも本件各売買契約を締結した日の翌日から五年間は、分譲住宅の財産的価値を維持すべき義務があって、原告らの分譲住宅の財産的価値を減少せしめる行為をしてはならず、これを行うときには、その減少を補てんすべき信義則上の付随義務を負うか、否か。
ア 原告らの主張
(ア) 公団が負担する付随義務の内容
公団は、原告らに対し、少なくとも本件各売買契約を締結した日の翌日から五年間は、分譲住宅の財産的価値を維持すべき義務を負い、原告らの分譲住宅の財産的価値を減少せしめる行為をしてはならず、これを行うときには、その減少を補てんすべき信義則上の付随義務を負う。
その理由は、次のとおりである。
(イ) 付随義務の発生根拠
a 売買契約に一般的に伴う義務
売買契約において、売主には、一般的に目的物の本来的給付義務を履行した後に、当該目的物を買主から奪ったり、又はそれを無価値にしたり、給付利益に損害を与えたりする行為を一切してはならないという信義則上の義務がある。
殊に、本件原告らと公団との関係のように、分譲住宅の売買時における一回限りの関係にとどまらず、分譲住宅の管理についての指導・助言、一定期間内に生じた瑕疵の補修、団地管理組合及び譲受人に対する住宅の住まい方、共用施設等の修繕計画等の指導等を通じて、売買契約後も継続的な契約関係が続く場合には、売主に対し右のような信義則上の義務を課する必要性が強くなる。
b 本件売買契約に固有の事情
(a) 公団に対する信頼
原告らは、公団から提示された分譲価格が一定期間減額されることがないと信頼していた。原告らの右の信頼は、次のような公団に由来する事情に基づいている。
まず、公団は、公共的な目的をもって設立された法人であるが、原告らは、公団を国に準ずる公的な組織として、民間業者よりも強く信頼を寄せていた。また、原告らは、分譲住宅の譲渡対価の決定には原価主義という法令の規制が及び、公団がこの規制に反して譲渡対価を決定することはないし、できないものと信頼していた。
そして、公団は、本件各売買契約締結当時、組織的に「値下げはしない。」「値下げはできない。」と繰り返し公言してきた。原告らの信頼する公団が「値下げはしない、できない。」ことを組織の基本方針とし、対外的に繰り返し説明する以上、原告らがこれを信ずるのは当然であった。まして、原告らが本件分譲住宅を購入した平成五年以降の時期は、バブル経済が破綻し、民間分譲住宅の販売価格が下落傾向にあり、原告らは物件購入後における値下げ販売について不安を抱いていた。このような時期に公団職員らは、原告らを含む購入者に対し、「値下げはしない、できない。」と断定的な説明を一貫して行っていたため、なお一層、原告らは、公団に対する信頼を強固にした。信義則に由来する禁反言からも、公団が自己の行為に矛盾した態度をとることは許されない。
(b) 関係者間の公平の理念ないし公団の優越的地位
原告らと公団は、契約当事者として対等な関係にはなく、公団には次のとおり優越的地位が認められるから、公団が本件分譲住宅販売後に値下げ販売を行うと、原告ら既購入者に対し、一方的に不公平な結果を及ぼすことになる。
① 公団の価格支配力
原告らが購入した分譲住宅は、一般に広大な団地内に存在するから、近隣には、原告ら又は公団が保有する分譲住宅以外に類似建物(マンション)は存在しない。したがって、公団は、本件各団地の価格を一方的に決定し、価格維持を行える支配力又は地位を有している。つまり、本件各団地の価格は市況により上下するものではなく、公団の設定価格によって一方的に決定されるものである。
公団には本件各団地の分譲価格について強い支配力があり、公団の一存で売れ残り分譲住宅の値下げ販売を行うことにより、既購入者である原告らの分譲住宅の財産的価値を一方的に低下せしめる程多大な影響力を有している。そうであるからこそ、原告らと値下げ販売後の購入者との間に不公平な結果が生じないよう配慮することが公団に求められる。
② 譲渡制限規定の存在
公団が一方的に定める譲渡制限規定は、不動産価格の上昇の局面において購入者の投機的行為を防止するという合理性を有していたが、下落の局面においては機能的に原告らが売却によって値下がりリスクを回避する手段を一方的に奪うものとなっている。そこで、公団が値下げ販売を行うとその価格支配力により原告らの購入した分譲住宅の資産価値を下落させることになるから、譲渡制限規定をそのまま適用して原告らのリスクの回避手段を奪いながら、公団が一方的に値下げ販売をすることは、値下げ販売後の物件購入者を含めた関係者間において信義公平に反する結果をもたらすことになる。
(c) 公団の帰責性
三大都市圏の宅地地価の動向が平成二年度をピークにその後は下落の一途をたどっていることに伴い、民間住宅の譲渡価格は同年度ないし翌年度をピークにその後は低下傾向にあった。それにもかかわらず、公団の分譲住宅の価格は、平成六年度まで上昇を続け、その後も平成二年度並み又はそれ以上の価格設定となっている。しかし、本件各売買契約締結時から値下げ販売が行われた時期までの間には、分譲価格を変更すべき特別な経済事情の変動等はなかった。
したがって、公団が本件各売買契約締結後に分譲価格を大幅に変更し値下げ販売をせざるを得なくなったのは、経済事情の変動等によるものではなく、公団の設定した当初の分譲価格が経済事情を無視した異常に高額なものであったからにほかならない。売れ残り分譲住宅が大量に発生したのもこのためである。
公団は、民間では不動産価格が下落傾向にあり、値下げ販売が行われている状況を認識していたこと、公団の募集に対応する応募が減少傾向にあり、売れ残り住戸数が増加傾向にあったことなどから、後には、当初設定した分譲価格を維持することができず、値下げ販売をせざるを得なくなることを十分予想しうる状況にあった。しかるに、公団は、本件各売買契約時において、敢えて異常に高額な分譲価格を設定し、そのため値下げ販売をせざるを得なくなったのであるから、その帰責性は大きい。
イ 被告の主張
(ア) 公団には、原告らが主張するがごとき信義則上の義務はない。
(イ) 原告らが取得した分譲住宅の需給関係、したがってその時価(相場)が付近の住宅地及び類似の地域の住宅等の相場の影響を受けることは否定できないこと、近隣に公団の分譲住宅以外には類似物件は存在しないとしても、売れ残りの分譲住宅が生じたのは不動産市況の変動に起因するものであること、公団の分譲住宅といえども、我が国の経済変動を離れてその不動産流通相場が形成されるものではないことはいずれも明白であるから、「原告らの購入した分譲住宅は、その資産価値が公団の価格設定に大きく左右される特殊な物件であり、市場の原理によって決定されるとは言い切れない」旨の原告らの主張は失当である。
(ウ) そして、公団住宅といえども、民間分譲住宅を中心とする市場の中で供給されるものである以上、市場の動向次第では、当初価格のまま販売を続けた場合、販売が事実上困難となり、公団の事業目的を達成できなくなることがあるのであって、公団の分譲住宅が「広大な団地内に存する」からといって、原告らの主張のごとく、「公団が本件団地内の価格を一方的に決定し、価格維持を行える支配力又は地位を有している」との主張は机上の空論である。
公団の値下げ販売によって分譲住宅の資産価値が低下したのではなく、不動産市況の低迷を受けて、売り出し可能な価格(すなわち時価ないし相場価格)が既に下落していたにすぎない。
市場性のある不動産の価格は、需要と供給の関係から決定されるものであるから、物件が売れ残るという需要の減少に伴い、価格を低下せしめてこれを販売することは、販売事業者として当然の行動である。公団住宅といえども、民間分譲住宅を中心とする市場の中で供給してゆくという公団事業の性格上、売れ残りの住宅をそのまま放置することなく、市場相場に合わせて販売していくことは、公団の責務であり、制度上も公団法や規則一三条において是認されている業務であって、そのことが公団の性格と相容れないというものではない。
(エ) また、原告らは、「原告らに分譲した住宅と同種の売れ残り住宅を公団が値下げ販売したのは、当初の分譲価格が異常に高額であったからである」と主張し、公団の帰責性を問題とする。
しかし、原告らは、いずれも公団が提示した売買代金を支払って公団の分譲住宅を購入する旨の意思表示をなしたものであること、物件の価格は需給関係で決まるから、売れ残り物件を値下げ販売するのは、販売事業者として当然の行動であることの二点にかんがみると、原告らが「当初の分譲価格が異常に高額であった」などと述べて公団の「帰責性」を云々することは法的に無意味である。
(オ) 原告らは譲渡制限規定の存在をもって、「値下がりリスクを回避する手段を一方的に奪うもの」と主張し、これが原告ら主張の信義則上の付随義務の根拠となるがごとき主張をしている。しかし、譲渡制限規定の趣旨は、公団の設立趣旨からも明らかなとおり、自ら居住するために購入する者に対して分譲住宅を販売するために設けられたものであって、原告らも譲渡制限規定を承諾して、居住目的のために購入したものである。
かような購入者にとっては、経済事情の変動によって購入した住宅の時価が下落したとしても、自ら居住するという目的(利益)は何ら損なわれない。譲渡制限規定の存在は、値下げ販売の是非や信義則上の義務の存否に影響を及ぼす事項ではない。
(5) 争点5―請求5の関係について
公団には、平成八年四月以降、仮にそうでないとしても、遅くとも同年一二月三日以降は、信義則上、値下げの可能性を明らかにして分譲住宅を販売すべき法的義務があったといえるか、否か。
ア 原告らの主張
(ア) 契約締結のための交渉を開始し契約準備段階に入った者の間では、一般市民間におけるのと異なる信義則の支配する緊密な関係に立つのであるから、契約締結段階においては、相互に相手方の人格、財産を害しない信義則上の義務を負うのであり、これに違反して相手方に損害を及ぼした当事者は、不法行為又は債務不履行に基づく損害賠償責任を負う。
(イ) 公団における分譲住宅の売れ残りは、平成六年度には既に一六・八パーセント、平成七年度には二〇・五パーセントに達していた。
そして、公団は、遅くとも平成八年四月以降は、本来の現状有姿販売(実際のモデルルームについて、修理費相当額を一時金に充当する方法)の枠を超えて、本来はモデルルームではない部屋をモデルルームとして使用したことにして、内装・設備の汚損等についての公団の補修責任を免除するとともに、購入者が公団から一定の金額を受領する旨の合意をなし、その一定金額を一時金に充当するという方法で実質的な値引き販売を実施してきた。
公団が、遅くとも平成八年度以降において、本来の現状有姿販売の枠を超えて右のような「現状有姿販売」を行っていた事実は、公団が平成一〇年九月付けで作成した「現状有姿販売について」と題する文書において、現状有姿販売の件数が、平成五年度には〇件、平成六年度には一六件、平成七年度には四六件であったものが、平成八年度においては六五二件と極端に増加していることからも明らかである。
(ウ) 公団は、遅くとも平成八年四月には、上記のような現状有姿販売を開始している。このことからすれば、公団は、遅くとも平成八年四月の時点において、規則一三条所定の方法による値下げ販売を行うべき必要性を認識していたものである。
したがって、公団は、平成八年四月以降は、信義則上、値下げの可能性を明らかにして販売すべき義務があったにもかかわらず、値下げ販売をする可能性を秘匿して原告らに対して分譲住宅を販売し、もって同義務に違反したものである。その販売行為は、信義則違反の不法行為又は債務不履行を構成し、これによって、原告らは、別紙請求一覧表の「損害金」欄記載の損害を被っているのである。
(エ) また、平成九年一二月三日の衆議院建設委員会において、当時の公団理事は、「価額の見直しをしなければならないかというような具体的な意味での認識をし出したのは、この一年ぐらいというふうにお考えいただきたいと思います。」と発言している。「この一年ぐらい」というのが、同発言の一年前を指しているとすれば、平成八年一二月三日には、公団は、規則一三条所定の方法による値下げ販売を行うべき必要性を認識していたものである。したがって、仮に、平成八年四月以降、信義則上、値下げの可能性を明らかにして販売すべき義務が公団になかったとしても、公団は、遅くとも同年一二月三日以降は、信義則上、値下げの可能性を明らかにして販売すべき義務があった。それにもかかわらず、公団は、値下げ販売をする可能性を秘匿して原告らに対して分譲住宅を販売し、もって同義務に違反したものである。その販売行為は、信義則違反の不法行為又は債務不履行行為を構成し、これによって原告らは、別紙請求一覧表の「損害金」欄記載の損害を被ったものである。
イ 被告の主張
(ア) 公団において値下げ販売の可能性を明らかにして販売すべき法的義務があるとの原告らの主張は争う。
(イ) 不動産販売事業においては、当初価格で完売していない状況にあっても、直ちに値下げをすることなく、できるだけ多くのものを当初価格で販売するよう努力することは当然である。当初価格で完売していない状況だからといって「値下げ販売の可能性がある。」とか「値下げの可能性を客観的に予見可能であった。」と言い得るものではない。そして、そのような状況において何時までに当初価格での販売を行うかは事業者が判断すべき事柄であって、事業者において「売れ残りの実態を公表し、値下げの可能性があることを明らかにして販売すべき義務」がある旨の原告の主張は独自の見解であって是認できない。
一般論として、商品販売においては、売れ残れば値下げの可能性のあることは市場原理からいって当然であり、他方、そのような可能性があっても、販売事業者は、可能な限り、当初価格で販売しようとするものである。その場合、値下げの可能性を表明すれば、当初価格での販売に支障が生ずることは自明であるから、事業者として売れ残りの事実や値下げの可能性があり得るとしても、ことさらそのことを明らかにすることなく、当初価格により販売の努力をすることは経験からしても明らかである。
(ウ) また、原告らは、平成八年四月には公団が現状有姿販売を開始したことを理由に、その時点以後は、「公団には値下げの可能性を明らかにして販売すべき義務があった」と主張するが、失当である。
そもそも現状有姿販売とは、昭和六一年度からモデルルームとして使用した住宅を対象として実施してきたもので、この制度は、モデルルームとして使用した住宅を譲渡する場合には、内装や設備の損傷、汚れ等があればこれを完全に修復して譲受人に引き渡すことを基本としつつ、譲受人が希望すれば、損傷、汚れ等があるまま、つまり現状有姿のまま譲受人に引き渡すことを条件として、当該住宅の補修費等相当額を一時金に充当するものである。このような性格をもった現状有姿販売を値下げの可能性と関連させて主張することは適切ではない。
仮に、現状有姿販売には販売促進策といった面があったとしても、値下げをする以前に段階的にいかなる販売促進策をどのように実施するかについて、また、何時までにそれを実施するかについては事業者の裁量に委ねられている。その各段階において販売促進に努力している以上、値下げを行うか否かは未定のことであり、かつ又、そのような方法で販売促進に努力している以上、値下げの可能性を外部に表明しないのは当然であり、そのことを非難される筋合いのものではない。
(エ) さらに、原告らは、公団の理事が平成九年一二月三日の衆議院建設委員会においてなした発言をとらえて、公団は、遅くとも平成八年一二月三日以降、信義則上、値下げの可能性を明らかにして販売すべき義務があったと主張するが、是認できない。
そもそも、上記理事の答弁自体、「分譲マンションが下がり続ける、これをきちっとはっきり認識したのはいつですか。」との質問に対するものであり、その答弁は「価格の見直しをしなければならないかというような具体的な結果につながるような意味での認識をし出したのは、この一年ぐらいというふうにお考えいただきたいと思います。」というものである。その答弁の意味は、値下げに至るまでの前提となった不動産市況の変化を「認識し出した」ということである。そのような市況の変化を認識したからといって、これをもって実際に値下げをする必要性を具体的に認識したり予見したということはできず、その「認識」の内容も、値下げを行うことやその実施時期を具体的に決定したことを意味するものでもない。
(オ) 要するに、不動産販売事業においては、仮に値下げの可能性を一選択肢として「認識」し始めたとしても、なお、当初価格のままで、できるだけ多くのものを販売するよう努力するのは通常のことであり、このような状況下で事業者が「値下げ販売の可能性」について表明する義務はなく、かかる表明をしなかったからといって法律上違法とされる余地はない。
(6) 争点6―請求1ないし5の関係について
原告らに発生した損害ないし公団の不当利得の額
ア 原告らの主張
原告らは、公団の不法行為又は債務不履行によって、下記の損害を被った。請求2に係る公団の不当利得額も同額である。
記
(ア) 財産的損害又は利得
各原告らについて、別紙請求一覧表「損害金」欄記載の金額。
なお、上記損害額(損害又は利得)は、論理的には、各請求との関係で次の手法によって求められるものである。
a 請求1との関係 原告らに対する譲渡価格と値下げ後の同等物件の譲渡価格との差額
b 請求2との関係 同上
c 請求3との関係 同上
d 請求4との関係 値下げ販売直前の分譲住宅の時価(評価額)と直後のそれとの差額
e 請求5との関係 同上
(イ) 慰謝料
各原告らについて、別紙請求一覧表「慰謝料」欄記載の金額
(ウ) 弁護士費用
各原告らについて、別紙請求一覧表「弁護士費用」欄記載の金額
イ 被告の主張
原告らの損害に関する主張はすべて争う。
四 証拠関係《省略》
第三当裁判所の判断
一 争点1について
(1) 問題の所在と結論
公団は、住宅事情の改善を特に必要とする地域において、健康で文化的な生活を営むに足りる良好な居住性能及び居住環境を有する集団住宅等の大規模な供給を行うこと等によって、国民生活の安定と福祉の増進に寄与することを目的としている(公団法一条)。そして、その目的を達成するため、公団法二九条に列挙された住宅の建設、譲渡等の業務を行うことが求められており、その業務については、公団法三〇条一項により、他の法令により定められた基準がある場合においてその基準に従うほか、建設省令で定める基準に従って行わなければならないことが要求されている。
公団法三〇条一項を受けて、規則一二条一項及び一三条が公団の分譲住宅の譲渡対価の決定基準を定めているところ、同規定以外には分譲住宅の譲渡対価の決定方法・決定基準等を定めた規定はない。そして、規則一二条一項は、分譲住宅の譲渡対価について、「分譲住宅の建設に要する費用」に、「当該費用のうち借入れに係る部分に係る利子の支払に必要な額」、「分譲事務費」、「貸倒れ等による損失を補てんするための引当金の額」及び「公租公課を加えた額」を基準として、公団が定めることを要求している。
以上のことは、公団法及び規則の規定自体から明らかなところである。
原告らは、規則一二条一項の規定を最大の根拠として、公団は同項が規定する費目を加算して算定された額(原価)を基準として分譲住宅の譲渡対価を決定すべき義務を負うところ、同義務は、分譲住宅の譲渡対価(売買代金)という住宅の売買契約の最も中心的な契約条件であり、かつ、公団が一方的に決定するものであって、住宅購入希望者たる国民の生活に大きく影響するという重要な事項の決定に関する義務であるから、その義務は、個別の分譲住宅購入者との間でも公団が遵守すべき義務となり、その義務違反は、当該購入者との関係で不法行為における違法性を構成し、あるいは、当該売買契約の一部無効等の法的効果をもたらすものであると主張している(この主張を、「原告らが主張する原価主義」という。)。
これに対し、被告は、規則一二条一項又は一三条は、独立行政法人である公団の運営を監督するための行政命令(行政法規)であって、公団が建設大臣の業務監督に服するという意味で行政機関内部における義務を定めたものではあるが、各規定は、国民の権利義務を定めた規定ではなく、分譲住宅の譲渡対価の決定に関して、個別の購入者に対する公団の義務を定めたものではないと主張している。
そこで、まずもって解明されるべき問題点は、分譲住宅の譲渡対価の決定基準について規定する規則一二条一項が、原告らが主張するように、個別の分譲住宅購入者との関係において、公団に法的義務を課した規定と解することができるか否かという点である。
結論からいえば、当裁判所は、次に述べる理由から、上記各規定は、公団が、公団法一条に定める目的を達成するために、分譲業務を円滑に実施する際に従うべき内部基準を定めた規定であって、個々の購入者の権利義務関係を直接規律する規定ではないと解さざるを得ず、したがってまた、仮に、同規定に反する事態が生じたからといって、そのことをもって直ちに、公団に不法行為が成立したり、分譲住宅に係る個々の売買契約が無効(一部無効)となるといった法的効果をもたらすものではないと解する。
(2) 問題検討の基本的方向
規則のある規定が、国民の権利義務を直接規律する法的効力を有するか否かは、当該規則の目的・趣旨及び当該規則が公団の業務を通じて保護しようとしている利益の内容等を、公団法の体系、規則の規定方法、分譲住宅の譲渡の法的性質なども総合して検討すべきである。そして、規則の当該規定が、適正に譲渡対価を決定することを公団に要請し、もって、公団法一条所定の目的の実現を図るという政策的観点から規定されたものなのか、それとも、それにとどまらず、個々の分譲住宅購入者の個別の利益ないし権利をも具体的に保護する趣旨を含むものかによって、規則が国民の権利義務を直接規律する性質を有するか否かが決せられるものというべきである。
(3) 判断の根拠
ア 公団は、公団法一条所定の国の行政需要を充足するために国家行政組織から独立して設立された行政組織であって、いわゆる独立行政法人に該当すると解される。独立行政法人は、現代の増大する複雑多様な社会的・経済的な行政需要に対処し、これを独立採算制の下で合理的・能率的に処理するため、特別の法律の根拠に基づいて国から独立し、国から特殊の存立目的を与えられた特殊の組織体であり、国の特別の監督のもとに、その存立目的たる特定の公共的事業を行う公の法人である。そして、公団は、形式的には、国から独立した別個の法人としての形態を備えているが、実質的には、国が行うべき公共的事業を代行する機関であって、建設大臣の下部組織を構成し、広い意味で国家行政組織の一環をなすものである。当然のことながら、公団は、建設大臣の特別の監督に服する(公団法五〇条、五二条、六二条、六三条、六六条)。
公団法は、公団の行政組織体としての根拠規定であり、第一章では、目的(一条)、法人格(二条)及び資本金(四条)等について規定し、第二章及び第三章では管理委員会や役員及び職員の構成を規定し、第四章では公団が行うべき業務を、第六章では財務関係の基本的準則を、第七章では公団の行うべき業務に係る主務大臣(建設大臣)の監督について、それぞれ定めている。存立目的を定める一条は、「健康で文化的な生活を営むに足りる良好な居住性能及び居住環境を有する集団住宅等の大規模な供給を行うこと等により、国民生活の安定と福祉の増進に寄与する。」という表現からも明らかなとおり、公団が行うべき社会政策的施策の概要を明示しているとはいえ、その規定自体、個々の国民の具体的な権利義務について触れるものではない。公団法のその他の規定をみても、公団法は、先にもみたとおり、公団の組織や公団が遂行すべき業務、業務の遂行方法、業務の監督といった専ら公団の組織・運営に係る事項を規定しており、分譲住宅の購入者などの個別の国民の権利義務に関わる具体的な規定を置いていない。
イ ところで、公団法三〇条は、「公団は、住宅の建設、賃貸…譲渡…を行う場合においては、建設省令で定める基準に従って行わなければならない」旨を規定し、同規定を受けて、建設省令たる規則が制定されていることは明らかであり、公団が公法人として建設大臣の監督に服すべきものであること及び規則が公団法の上記規定を受けて制定されたものであることを考慮すると、規則は、公団が業務を適切に行うための基準ないし準則を定めたものであるというべきであり、このことは規則一条の規定からも明らかである。
ここで、規則の内容について概観するに、分譲住宅の販売に限ってみれば、第二章で公団が住宅の建設を行うときの基準を、第四章で公団が譲渡する住宅の譲渡対価の決定及び変更の方法(規則一二条、一三条)、譲受人の募集方法(規則一五条)、譲受人の資格(規則一六条)、譲受人の決定方法(規則一八条)及び譲渡契約に定めるべき事項(規則一九条)等をそれぞれ定めているものであるが、これらの規定も、その文言からも明らかなとおり、専ら分譲住宅の建築・分譲という公団法所定の業務遂行の具体的な方法を定めるための規定ということができる。そして、規則第四章の各規定をみても、個々の国民の具体的な権利義務に着目した規定は何ひとつ存在しない。
すなわち、規則一二条一項は、分譲住宅の売買代金(譲渡対価)について、「公団が譲渡する住宅の譲渡の対価は、分譲住宅の建設(分譲住宅の取得を含む。)に要する費用に、当該費用のうち借入れに係る部分に係る利子の支払に必要な額、分譲事務費、貸倒れ等による損失を補てんするための引当金の額及び公租公課を加えた額を基準として、公団が定める。」と規定するのであるが、公団がその基準によって分譲住宅の売買代金を定めたとしても、同規定から直ちに、公団と分譲住宅の購入者との間の権利義務関係が創設されるわけではない。分譲住宅の購入者がその売買代金によって当該分譲住宅を購入する旨の意思表示(売買契約締結の申込み)をし、公団がこれに対する承諾の意思表示をすることにより、購入者と公団との売買契約が成立して初めて、公団と購入者との権利義務の関係が生ずるのであって、上記の譲渡対価決定の基準は、かかる意味でも公団内部における譲渡価格の算出基準を定めたものというべきである。
また、仮に、規則一二条一項が国民の権利義務を規律する法的効果をもつものだとすれば、規則一二条一項の規定からして、分譲住宅の価格(譲渡対価)算定根拠が一義的に明らかになる必要があるし、価格算定に必要な各費目の内訳等について、分譲住宅の購入希望者が情報の開示を求める手続や、公団が決定した価格が不当な場合には、これに不服申立てをする等の是正を求める手続についての規定があってしかるべきである。しかるに、「基準として、公団が定める」という表現からも明らかなとおり、規則一二条一項の規定によっては、分譲住宅の譲渡対価が一義的に定まる関係にはないし、分譲住宅の購入希望者が情報の開示を求める手続や、決定された譲渡対価に対し、国民の側にその是正を求める手続が規則に規定されているわけでもなく、情報開示を求める権利や不服申立権を付与する規定もないのである。
さらに、規則第四章は、譲受人の資格(一六条)や譲受人の決定方法(一七条)、譲渡契約の内容(一九条)等について定めるものの、譲受人の資格の認定や譲受人の決定に対し、不服がある場合の不服申立てについても何ら定めるところはないのであって、規則一九条に至っては、当然のこととはいえ、分譲住宅の購入者との間で分譲住宅の譲渡契約が締結されることを前提に、売主となる公団に対し、譲渡契約の締結に際し、契約内容とすべき事項を具体的に指示しているのである。
以上によれば、規則の各規定の内容、体裁を総合しても、規則は、一二条一項を含め、公団が行うべき業務遂行のための基準を示し、その適正・円滑な実施を図るという趣旨・目的から定められた規定であり、個々の国民の権利義務を直接規律する規定ではない。
ウ ここで、公団が行う分譲住宅の譲渡関係についてみると、分譲住宅の譲渡関係は、分譲住宅という不動産を、公団が提示する代金額によって買受けを申し出る分譲住宅購入希望者と、その金額で分譲住宅を売り渡すことを承諾する公団との意思表示の合致によって成立する私法上の売買契約である。分譲住宅の譲渡に関し、規則が、前記のとおり、譲受人の資格及び決定方法を定めているのも、公団の公共的性格にかんがみ、公団として譲受人の決定を行う場合の手続の公正を期するためのものである。また、規則一二条一項、一三条が、譲渡対価の決定・変更について定めるのも、公団の公共性に由来するものであって、これらの規定があるからといって、分譲住宅の譲渡関係が私法上の売買関係と異なる特別の法的性質を有するものと解することはできない。その法律関係を規律するのは民法である。
したがって、売買契約における本質的要素である売買代金についても、公団が提示する売買代金額は規則一二条一項、一三条によって定まるものとはいえ、公団と分譲住宅購入希望者との間の個々の法律関係は、その売買代金額で分譲住宅の購入を申し込む購入希望者と、これを承諾する公団との意思の合致という事実によって初めて成立するものである。そして、当事者は、意思の合致によって成立した売買契約によって相互に拘束される関係に立つのであって、規則一二条一項、一三条の規定によって相互に拘束されることになるわけではない。各規定は、分譲住宅の売買契約の一方当事者である公団が譲渡対価をいくらと定めるかという意思決定の内部基準を定めたものであると解すべきことになる。
エ 以上に検討したとおり、公団法は、同法一条所定の政策目的を達成するため、独立行政法人としての公団の組織及びその運営方法を定めた組織規定であって、そこには個別の国民の権利義務に関わる規定が設けられていないこと、また、公団法三〇条を受けて規定された規則第四章の規定についても、譲渡対価の決定や譲受人の資格及びその決定方法に関して不服申立等の救済規定もないこと、公団と個別の国民との間の分譲住宅の売買は、私法上の売買契約であって、双方の意思の合致によって成立する売買契約によって、初めて売買代金等の契約の諸条件が整えられ、個別の権利義務関係が生ずるのであって、規則の定めが直ちに個別の国民の権利義務を規定する効果を発生させるわけではないことといった事情を総合すれば、規則第四章の各規定は、分譲住宅の売買契約の一方当事者である公団の意思決定の方法及び手続を定めたものであり、したがって、規則一二条一項は、個々の国民の権利を保護することを目的として規定されたものではないといわざるを得ない。
規則一二条一項は、公団が公法人として分譲業務を行う際、譲渡対価の決定について、適切な価格で譲渡対価を決定し、居住性能及び居住環境に優れた分譲住宅を供給するという公益目的を達成するという観点から、公団が守るべき基準を示す規定であることは原告らの指摘するとおりだとしても(この点は被告も争わない。)、同条が、さらに進んで、個々の分譲住宅の買主との関係で、公団が守るべき法的義務を公団に課した規定であるとまでは解することはできないのである。
したがって、論理的には、仮に公団が規則一二条一項に違反して譲渡対価を決定した事実があったと仮定しても、売買契約の相手方当事者である原告らとの関係で、契約当事者としての義務違反を観念することはできず、違法な権利侵害行為があるとはいえないし、双方の合意によって成立した売買契約の効力になんらの影響を及ぼすものではないと解される。
オ このように解した場合、はたして、いかなる手段をもって、公団が決定する譲渡対価が適正であるかどうかについて、これを監督するのかという問題がひとつの課題として残る。この監督は、価格が高すぎれば分譲住宅の買受希望者が分譲住宅の購入申込を控えるという市場原理を通じて行われるのであり、あるいは、主務大臣である建設大臣の監督を通じて、公団が価格の見直しを検討するということによって価格の適正化を図ることが予定されているというべきであり、規則一三条も、この価格の是正を容認しているものである。
(4) 原告らの主張について
ア 原告らは、①公団法三〇条一項を受けて規定された規則一二条一項及び一三条が公団の分譲住宅の譲渡対価の決定基準を定めているところ、同規定以外には、分譲住宅の譲渡対価を決定する基準の定めはないこと、②規則一二条一項は、同条二項や一三条との関係においても、そこに限定列挙された原価項目をもって譲渡対価を定めることを公団に義務づけた規定であること、③他の公共料金を規定する法律であるガス事業法、電気事業法等の規定は、原価以外に適正な利潤を確保できることを明示しているにもかかわらず、規則一二条一項では、原価項目のみを規定するだけであるから、価格決定において原価以外は考慮できないこと、④原価主義は公知であり、原告らも原価によって分譲住宅の対価が決定されるものと信頼していたことなど、様々の根拠を掲げた上、規則一二条一項は、個々の分譲住宅購入者との関係においても、公団に原価以外の要素を考慮して分譲住宅の譲渡対価を決定してはならない義務を課したものであると主張している。
イ しかし、規則一二条一項が公団の売買代金の決定という意思決定過程を規律する基準であるからといって、そこから、ただちに、個別の住宅購入者との関係においても、公団が遵守すべき法的義務を定めているということにはならない。同項がそのような法的効果を有するか否かは、既に検討したとおり、規定の趣旨、目的、それが公団の業務を通じて保護しようとしている利益の内容等を、公団法の体系、規則の規定方法、分譲住宅の譲渡の法的性質などを総合して判断すべき事柄である。そして、規則一二条一項は、公団に同項所定の基準に従って譲渡対価を決定すべきことを要請しているものの、その趣旨・目的は、譲渡対価を適正に決定することを通じて公団法一条所定の公益目的を実現することにあり、それ以上に、個別の分譲住宅購入者の個別の権利を保護することを目的とした規定であると解釈できないのであるから、原告らの上記主張は採用することができない。
ウ 原告らは、売買代金が売買契約における最も中心的な契約条件であり、公団が一方的に定めるものであって、その価格は、購入者たる国民の生活に大きく影響することも自らの主張を支える根拠の一つと考えているようである。
確かに、公団の分譲住宅の販売にあっては、分譲住宅の譲渡対価は公団が一方的に定めるもので、分譲住宅の価格が売買契約の中心的な契約条件であることは原告らの指摘するとおりである。しかし、分譲住宅の購入希望者は、公団が提示する売買代金が納得できないものであれば、公団から分譲住宅を購入しなければよいのであって、他の適当な民間分譲住宅販売業者から納得し得る価格、その他の条件の分譲住宅を購入することも十分可能である。したがって、公団が規則一二条一項に従って譲渡対価を定めたからといって、直ちに国民の権利や生活に直接の影響を与えるものでないことは明らかである。
エ また、原告らは、公団の公益性、厳格な監督体制、原価主義の公知性も自らの主張を支える根拠としているが、公団の公益性や厳格な監督体制といった事実があるからといって、そこから直ちに、規則一二条一項の法的性質が定まるわけではない。
そして、原価主義の公知性として原告らが主張する点は、要するに、原告らは、譲渡対価は原価に基づいて決定されるものと一般に認識されており、原告らもそのように信頼していたことを指すものと解されるが、だからといって、そこから、原告らが主張する原価主義の定義が導かれるものではない。原告らが主張する原価主義が認められるか否かは、規則一二条一項という明文の規定の解釈問題に帰着するのである。
ちなみに、公団の分譲住宅であれ、民間分譲住宅販売業者の分譲住宅であれ、いわゆるマンションの購入を希望する者は、当該マンションの立地条件、周辺環境、マンションの規模、構造、間取り、諸設備の程度などの諸般の状況について、現地に赴き、モデルルームを見分するなどして調査し、売主から提示された値段との関係で、その物件が手頃な物件として購入に値するか否かを自己の責任で判断し、購入の当否を検討しているものと思われる。その際、その分譲住宅の建設資金がいくらかかり、販売事務費がいくらであったかなど、規則一二条一項が定める原価項目の額の総額がいくらになるかについてさしたる関心を有していないのが通例である。
現に証拠によれば、原告らは、売主である公団への信頼感のほか、公団マンションが阪神・淡路大震災でそれほど大きな被害を受けなかったということから、その堅牢さに着目し、あるいは、民間分譲住宅との比較において、立地条件、広さなどが優れていること、居住環境に優れた立地に分譲住宅があること、または、公団物件が大規模な開発により、間取り、交通の便、分譲価格条件などに相対的に優れていることといった点に注目して公団の分譲住宅の購入を決めていることが認められるのである。
(5) 規則一二条一項の文言の意味について
以上に述べたことから、規則一二条一項の文言解釈をするまでもなく、原告らの不法行為に基づく請求は理由がないこととなるが、その解釈について原告らと被告が大きく対立しているので念のために言及する。
規則一二条一項は、公団が同項記載の原価項目を加算した額をもって譲渡対価を決定することを要求するものではなく、原価を基礎とし、民間分譲住宅の販売状況などの需給の変化や物価その他の経済事情の変動等も一要素として考慮しながら、譲渡対価を決定することを許容する規定であると解する。その理由は次のとおりである。
まず、規則一二条一項の文言自体、これらの原価項目を「加算した額をもって譲渡対価を定める。」と規定しているわけではなく、あくまで「加えた額を基準として、公団が定める。」と規定しているのであって、規定の表現自体、公団に一定の裁量を許容している。
公団の分譲業務の性質をみても、分譲住宅の販売は公団だけが行うものではない。民間の分譲住宅販売業者と競合関係にある中において、公団といえども、原価を基準としつつ、民間の分譲住宅を中心とした市場の動向や分譲住宅相互間のバランスを考慮しつつ、ある程度柔軟に譲渡対価を決定できなければ、効率的に分譲住宅の販売を行うことができない。
規則二二条は、分譲宅地に関する規定ではあるが、同条一項は、分譲宅地(居住又は営利を目的としない業務の用に供するもの)の譲渡対価を原価項目を基準として公団が定める旨の規則一二条一項と同旨の規定を置きながら、この場合において、公団は物価その他経済事情の変動等に伴い必要があると認めるときは、所要の調整を加えることができると規定している。規則一二条一項も、規則二二条一項が定めるような一定の調整を行うことを否定する趣旨ではないと解される。
もっとも、原告らは、規則一二条一項が分譲住宅の譲渡対価の決定に際して、原価項目以外の経済事情の変動等を考慮することを許容していると解すれば、その後の譲渡対価の変更についても、建設大臣の承認を要せず、物価その他の経済事情の変動等を考慮して公団の判断で譲渡対価の変更をすることができることとなり、これでは規則一三条は無用の規定になると主張する。
しかし、規則一三条は、物価その他の経済事情の変動等を考慮して、原価を基準に決定された譲渡対価を変更する必要や、原価を基準として決定し得る範囲の譲渡対価と異なる譲渡対価の決定方法を選択する必要がある場合に、建設大臣の承認が必要であることを明示しているにすぎない。規則一三条があるからといって、規則一二条一項が、原価以外の要素を加味して譲渡対価を決定することを禁じていると解釈することはできない。
そして、公団法五四条一項は、「…利益が生じたときは、…積立金として整理しなければならない。」と規定して、利益を公団内部に留保すべきことを正面から是認ないし予定している。また、同条三項は、積立金として整理した額を控除してなお残余があるときは、「その残余の額を国庫及び公団に出資した地方公共団体に納付しなければならない。」と規定している。これらの規定は、公団の事業の結果として利益が生ずることを当然の前提とする規定である。もとより、公団は、私企業ではないから利潤追求を目的とするものではなく、生じた利益はいずれ国民全体のものとして公共目的のために利用されるのであるが、公団法は公団が利益を得ること自体を禁じていないのである。そして、この利益が生ずる場面としては、なにも原告らが主張する事業投資(公団法三一条)や「預金又は郵便貯金」「金銭信託」(同法五八条)などによる余裕金の運用に限られないことは、公団法六一条を根拠として定められた「住宅・都市整備公団の財務及び会計に関する省令」で、分譲価格調整準備金を設け、原価と譲渡価格との差額がプラスになる場合には積み立て、マイナスになる場合には取り崩すことにより、全体として収支相償う経営を行っていることからも明らかなのである。
(6) まとめ
以上によれば、規則一二条一項は、原告らが主張する原価主義を定めた規定と解することはできず、他に原告らが主張する原価主義を肯定できる事情もないから、原告らの請求1は、その余の点について検討するまでもなく理由がない。
二 争点2について
(1) 原告らは、規則一二条一項は、同条項に違反する契約を強く禁止する趣旨を含むものであり、同条項に従って定まる譲渡対価の金額を超過して締結された売買契約は、売買代金のうち超過金額について無効(一部無効)であると主張して、不当利得の返還請求をしている。
(2) しかし、争点1で検討したとおり、規則一二条一項は、あくまで分譲住宅の売主である公団が、その業務を行うにあたって守るべき基準を定めた規定であって、建設大臣の監督に服する関係での義務を定めたものとはいえ、分譲住宅購入者との間の個々の権利関係を律する規定ではないことは明らかである。
公団と個々の分譲住宅購入者との契約関係は、私法上の売買契約によって規律されるから、仮に、規則一二条一項に反する価格設定がなされたとしても、そのことから、直ちに同条項に違反する価格部分について売買契約が一部無効となるわけではない。
(3) したがって、原告らの不当利得返還請求権に基づく請求(請求2)は、その余の点について検討するまでもなく理由がない。
三 争点3について
(1) 原告らは、公団は、信義則に基づく付随義務として、同一団地内の各分譲住宅の譲渡対価を同一価格体系に基づいて設定し、同一団地内の各譲受人の譲受対価に不公平が生ずることのないように各分譲住宅の譲渡対価を設定すべき義務を負い、値下げ販売に伴い、複数の価格体系による不公平が生じた場合には、その不公平を是正すべく清算を行う義務があると主張している。そして、その根拠として、公平の原則のほか、①公共性を有する公団は、分譲住宅の譲受人を厳格に公平に扱う義務を負い、そのためには、各分譲住宅の価格体系が同一であることが必須の条件であること、また、②原告らは、公募の時期によって譲受人間に不公平は生ずることがないと信じて分譲住宅を購入し、公団担当者も値下げ販売をすることはないと説明したことなどを主張しているので検討する。
(2) 原告らが取得した分譲住宅はいわゆるマンション(集合住宅)であって、多数の区分所有権の集合体であるから、同一時期に販売される分譲住宅については、各分譲住宅部分の専有面積、位置、階数、間取りなどの諸条件に応じて、分譲住宅のタイプ別、階層別に分譲価格が定まっているのが通例である。そして、《証拠省略》によれば、同時期に分譲される分譲住宅に関しては、それぞれの広さ、所在階層と位置関係、間取り、設備等に応じて価格設定がなされたものと推認される。
また、分譲時期が異なった場合においても、先行して分譲住宅を取得した購入者と、同一タイプの分譲住宅を後行して取得した者との間に不公平感(値下げの場合は、先行取得者に不満が残り、値上げ販売をした場合は、後行取得者に不満が生ずる。)が生ずることを防ぐ意味で、理想を言えば、同一タイプの分譲住宅は、とりわけその分譲時期に大きな隔たりがない場合は、可能な限り同一の価格で分譲されることが望ましいことはいうまでもない。
(3) しかし、分譲住宅を含む不動産の価格は、需要と供給の関係を含む経済事情により決定されるものである。公団といえども、民間分譲住宅を中心とする市場の中で分譲住宅を供給していくのであって、当初の価格設定で分譲住宅が売れ残り、購入希望者が現れない場合に、これを放置することは許されない。
このような観点から、規則一三条は、規則一二条一項に基づき譲渡対価を決定して分譲住宅を販売した後に、物価その他経済事情の変動等に伴い必要があると認めるときは、建設大臣の承認を得て、一度決定した譲渡対価を変更し、あるいは、そもそも譲渡対価を規則一二条一項の算定方法とは別の方法で定めることができる旨を明記しているのである。
すなわち、規則一三条は、公団が物価その他の経済事情の変動等を考慮して、先行して販売に供したものの、売れ残った分譲住宅について、建設大臣の承認を得て、その価格を変更(値下げ)し、あるいは、規則一二条一項とは異なる算定方法によってその譲渡対価を定めて販売することを許容しているのである。規則一三条は、当然のことながら、公団が、同一団地においても、分譲時期が異なれば、同一タイプの分譲住宅について異なる分譲価格の設定ができることを許容していることになる。
しかも、このように、同一団地の同一タイプの分譲住宅であっても、分譲時期が異なれば分譲価格が異なる事態が発生することを規則が許容しながら、公団法及び規則のその他の規定をみても、値下げ販売があった場合に、先行して当該分譲住宅と同一タイプの分譲住宅を購入した者に対し、差額を清算するなどの措置を行うべきことを要請する規定は存在しない。
(4) 以上の検討からすれば、そもそも原告らが主張する「同一団地、同一価格体系の原則」という主張自体、公団法及び規則の規定と整合しない独自の主張といわざるを得ず、採用の限りではない。
公団が分譲する分譲住宅といえども、その譲渡関係は先に指摘したように私法上の売買契約である。売買価格は公団が提示したものであるが、原告らが買主としてその価格を承諾して分譲住宅を購入したことは争いようのない事実である。
そして、一般に、分譲住宅を含む不動産の価格は、物価その他の経済事情の変動等を背景に変化する需要と供給との関係で定まるものであって、不動産市況の変化によってその譲渡対価も変動することは自明の理である。《証拠省略》によっても、民間分譲住宅の一戸当たりの譲渡価格及び一平方メートル当たりの譲渡価格がともに平成二年度をピークとして、以後下落に転じ、公団の分譲住宅の一戸当たりの譲渡対価及び一平方メートル当たりの譲渡対価もともに平成六年度のピークを境に下落していることが認められるのである。
このように資産価値が変動する分譲住宅を、どの時点で、いくらで購入するかは、購入者が自由な意思に基づき決定するものである。そして、分譲住宅購入後、不動産市況の好転等に伴い、購入価格にふさわしい資産価値を維持できるか、はたまた市況の悪化に伴い、その資産価値が下落し、購入価格との乖離が進むのかについても、購入者がそのリスクを負うこともまた自明の理なのである。
(5) 原告らは、公団が公募の時期によって価格体系に差異を生じさせないと信じたからこそ公団の分譲住宅を購入したこと、公団担当者も公団が値下げ販売をすることはないと説明し、平成八年六月放送のNHK番組「クローズアップ現代」の中で、当時の公団副総裁が値下げすることが非常に難しい旨の説明をしたことを指摘し、これが同一団地、同一価格体系の原則を守るべき義務を公団に課す一つの根拠であるかのような主張もしている。
《証拠省略》によれば、公団職員が、原告らの一部の者に対し、分譲住宅の譲渡対価について「公団の仕組みとして値下げはできない。」、「価格の値引きは行わない。」、「公団は将来も値下げはできない」といった趣旨の説明をしたこともあったことが認められ、また、原告らが主張するとおりの発言をNHKの番組で当時の公団副総裁がなしたことは当事者間に争いがない。
しかし、公団法及び規則一三条自体、制度として分譲住宅を値下げして販売することを許容していることを考慮すると、公団職員や公団副総裁の前記の発言は、あくまで、制度として値下げ販売を実施することができることを念頭に置きつつも、当時の状況では値下げ販売を実施することを考えていないという見通しないし見解を述べたものであって、売れ残りの分譲住宅が多数出て従前の譲渡価格では購入希望者が現れないといった事態に至った場合でも、値下げ販売しないことを保証する趣旨の発言と認めることはできない。
そして、民間分譲住宅の譲渡価格が平成二年度以降下がっていることは前記認定のとおりであり、かかる不動産市況について認識していたであろう原告らにおいて、右のような発言があったからといって、ひとり公団のみが、分譲住宅が売れ残り、そのままでは購入希望者が現われないという事態に至った場合にまで、一切値下げ販売をしないですまされると信じたとまでは認め難いのである。
以上によれば、原告らが指摘する公団副総裁や公団職員の説明をもって、原告ら主張の「同一団地、同一価格体系の原則」を支えることもできないというべきである。
(6) また、原告らは、公団住宅の譲受人がすべて団地の居住者であり、健全なコミュニティを発達させるためには、居住者間に極端な不平等が生じないことが前提となり、そのためには譲受人となる時点での公平が基礎となるとして、分譲住宅の対価は同一体系に基づかなければならないとも主張する。
確かに先に指摘したとおり、公募時期が異なる購入者間で同一タイプの分譲住宅の取得価格に差異が生じた場合、相互に不公平感が生まれることは否めない。しかし、このことと、マンションの管理運営を適正に実施し、健全なコミュニティを育てることができるか否かは直ちに結びつくものではない。不動産の資産価値ないし譲渡価格が不動産市況によって左右されるものであることを、世の常として一定の諦観をもって受け入れることができれば、後に区分所有者として加わった者との円満な関係を構築することはさして困難ではない。むしろ、マンションの管理運営を適正に行うといった観点からは、同一団地内に売れ残りの分譲住宅が長期にわたって多数存在していることの方が余程深刻な問題なのであって(例えば、甲ロO第一号証は右の問題点を指摘する。)、値下げ販売をしてでも、早期にその解消を目指さなければならない必要性があるともいえるのである。
いずれにしても、民間の分譲マンションにおいては、購入時期により取得価格が異なるという格差が生じているものがあると推認されるし、公団の分譲住宅であっても、規則一九条一項ないし六項所定の期間経過後に、これを他人に売却する場合においては、市場原理により形成され、当事者間で合意された譲渡価格により売買されるのであって、各居住者間の取得価格に格差が生じることは不可避ともいえるのである。原告らの上記主張は採用することができない。
(7) 以上の検討によれば、原告らの主張する同一団地、同一価格体系を維持すべき義務を観念することができず、その主張は失当である。
なお、原告らは、公団が設定した当初の分譲価格が高すぎたとも主張する。確かに、後記六で指摘するとおり、公団の設定した分譲価格については、市況の変動を十分考慮できなかったが故に強気に設定されていたという疑いが払拭できないものもある。しかし、仮にそういった事実があったからといって、原告らは当該分譲価格を自らの判断で受け容れたものであるから、合意に基づき締結された譲渡契約の法律上の効果に何らの影響を及ぼすものではない。
四 争点4について
(1) 原告らは、公団は、原告らに対し、少なくとも本件各売買契約を締結した日の翌日から五年間は、分譲住宅の財産的価値を維持すべきであって、原告らの分譲住宅の財産的価値を減少せしめる行為をしてはならず、これを行うときには、その減少を補てんすべき信義則上の付随義務を負うと主張する。そして、その根拠として、おおむね、①売買契約に一般的に伴う信義則上の義務に加え、②原告らは公団から提示された分譲価格が一定期間減額されることがないと信頼し、公団担当者も「値下げをしない、できない。」と説明をしていたこと、③公団の分譲住宅はその価格が市況により上下するものではなく、公団の設定価格によって一方的に決定され、値下げ販売を行うと、分譲住宅の財産的価値を一方的に低下させるほど多大な影響力を有していること、④譲渡制限規定は、結果として五年間は値下がりリスクを回避する手段を一方的に奪うものであるから、譲渡制度規定をそのまま適用して、被告が一方的に値下げ販売を行うことは、値下げ販売後の分譲住宅購入者を含めた関係者間において信義公平に反することなどを主張している。原告らが主張する財産的価値を維持すべき義務とは、結局のところ、値下げ販売をしないことをその内容とするもののようである。
(2) 一般論として、売買契約の当事者が、目的物の本来的給付義務を履行した後において、当該目的物を買主から奪ったり、それを無価値にしたりする行為をしてはならないことは原告らの主張するとおりである。しかし、目的物の価格が市況の状況により変動することが予定されている市場性のある商品の売買について、特定の売買契約終了後に、同種同等の商品をその売買代金以下の代金で売買することのないように配慮すべき法的義務が売主にあるとは解されない。
蓋し、そのような市場性のある商品の売買代金は、そもそも需要と供給とのバランスから決定される時価と離れて決定されるものではないし、たとい、売主において、当初の売買代金額を維持して、他者に対する売買を継続したとしても、当初の買主の取得した商品の財産的価値が維持されるわけでもないからである。つまり、当該商品の市況が悪化すれば、当該商品の財産的価値は、価格設定のいかんにかかわらず客観的に下落する関係にある。いわば、市場性のある商品については、売買後は、売主がこの財産的価値を維持することは客観的には不可能なのである。
(3) そして、公団の分譲住宅の価値も、民間の分譲住宅の価値が市況により変動を受けるのと同様、変動するものである。すなわち、近隣に公団の分譲住宅以外に類似物件が存在しないとしても、その時価は付近の住宅地及び類似の地域の住宅等の相場の影響を受けるものであって、公団の分譲住宅といえども、我が国の経済変動を離れてその不動産流通相場が形成されるわけではない。
したがって、市場性のある公団の分譲住宅という不動産の売買においても、売買契約終了後に、同種同等の分譲住宅を当初の売買代金以下の代金で売買してはならないといった法的義務が公団にあると解することはできない。
分譲住宅の資産価値は、公団が値下げ販売をする、しないといった事情とは関係なく、客観的には、不動産市況の状況によって変動するのであって、不動産市況が低迷すれば、時価ないし相場価格は、その設定された譲渡価格にもかかわらず低下し、それに伴い、売り出し可能な価格も下落するという関係にあるのである。
(4) 原告らは、原告らの購入した分譲住宅は、その資産価値が被告の価格設定に大きく左右される特殊な物件であり、市場の原理によって決定されるとは言い切れないと主張する。
しかしながら、その主張を支える具体的な事実を認めるに足りる証拠は一切ない。かえって、《証拠省略》によれば、民間分譲住宅とはその価格変動のピーク時に差異があるにしても、公団の分譲住宅の価格も、民間の分譲住宅のように、そのときどきの供給と需要関係に基づき変動していることが認められる。そして、公団住宅といえども、市場の動向次第では、当初価格のまま販売を続けた場合、販売が事実上困難となり、公団の事業目的を達成できなくなる虞があるといえよう。ちなみに、民間分譲住宅の価格変動と公団の分譲住宅のそれとの間に差異がある一因としては、公団の分譲事業は、一般的に大規模な団地を、計画的に、かつ、かなり長期の期間にわたって建築し、分譲するといった性格を有することから、市況の変化に対する対応という観点ではやや柔軟性に欠け、結果として不動産市況の大きな変化に速やかに対処し難いといった理由を指摘できる。
したがって、公団が団地内の分譲住宅の価格を一方的に決定し、価格維持を行える支配力又は地位を有しているとの原告らの主張は、非現実な主張であって採用の限りではない。
(5) また、原告らは、公団担当者の「値下げ販売をしない」という言葉を信頼して分譲住宅を購入したことを根拠として、信義則(禁反言)を理由に原告らが主張する義務の発生を基礎づけようともしている。
しかし、前記認定のとおり、公団副総裁の発言を含め、公団担当者の発言は、あくまで、制度として値下げ販売が実施できることを念頭に置きつつも、当時の状況では値下げ販売を実施することを考えていないという見通しないし見解を述べたものにすぎないのであって、仮に原告らがその発言を信頼した結果、本件各分譲住宅を購入したものであるとしても、そのことから原告ら主張の義務の発生を根拠づけることはできない。
(6) さらに、原告らは、本件各分譲住宅譲渡契約に五年間の譲渡制限規定があることを根拠の一つとしても主張している。
しかし、分譲住宅に係る譲渡制限規定(規則一九条一項に基づき分譲住宅譲渡契約書に記載される。)は、もっぱら、公団法一条の目的、すなわち住宅事情の改善を必要とする地域において、現実に居住するための住宅を欲している者のために良好な居住性能と居住環境を有する集団住宅の供給を行う目的を実現するためにある。すなわち、一定期間の譲渡を制限し、その期間、現実に当該分譲住宅に居住する意思を有する者に限って住宅を供給することにより、公団法一条の所期の目的を充足するとともに、分譲住宅が投機の対象になることを防止することにあるのであって、それ自体合理性を有する規定である。そして、同規定は、そもそも分譲住宅の財産的価値の維持ないしリスクの分散といった側面に着目して規定されたものではない。
原告らは、各自の生活の本拠として分譲住宅に居住することを選択し、分譲住宅譲渡契約書に記載された譲渡制限条項を承諾して売買契約を締結しているのであるし、経済事情の変動いかんにかかわらず、その居住利益は何ら損なわれていないのであるから、譲渡制限規定は、値下げ販売の是非や原告ら主張の信義則上の義務の存否に何らの影響を及ぼすものではない。
(7) 以上のとおり、原告らの主張をもってしては、公団に本件各売買契約の付随義務として、五年間分譲住宅の財産的価値を維持すべき義務自体を認めることができないから、その余の点について検討するまでもなく、請求4も理由がない。
五 争点5について
(1) 原告らは、契約締結のための交渉を開始して契約準備段階に入った者の間では、一般市民間におけるのと異なる信義則の支配する緊密な関係に立つのであるから、契約締結段階においては、相互に相手方の人格、財産を害しない信義則上の義務を負うのであり、これに違反して相手方に損害を及ぼした当事者は、不法行為又は債務不履行に基づく損害賠償責任を負うことを指摘した上、公団が値下げ販売の可能性を認識し得た平成八年四月以降、遅くとも同年一二月三日以降の時点では、信義則上、公団は、値下げ販売の可能性を明らかにして販売すべき法的義務があったと主張するので検討する。
(2) 《証拠省略》に争いのない事実を併せれば、次の事実が認められる。
ア 公団は、昭和六一年度から平成九年七月まで、いわゆる分譲住宅の「現状有姿販売」を実施してきた。この「現状有姿販売」とは、モデルルームとして使用した住宅を譲渡する場合は、内装や設備等の損傷、汚れ等があれば、これを完全に修復して譲受人に引き渡すことを基本としているが、譲受人が希望する場合は、現状有姿のままで譲受人に引き渡すことを条件として、修復費等相当額を一時金に充当することができるとするものである。(争いがない。)
イ この現状有姿販売の件数は、昭和六二年度に一三一八件とピークを迎えたものの、昭和六三年度には八件と著しく減少し、平成元年度から平成五年度までは全くないか、わずかに一件(平成四年度)あるのみであった。
しかし、平成六年度から次第に増加に転じ、平成八年度は、未入居戸数二一一五戸のうち実に六五二戸が現状有姿販売の形態をとった。
ウ 一方、公団の分譲住宅の売れ残り率は平成六年度に一六・八パーセント、平成七年度は二〇・五パーセントに達しており、平成五年度から平成七年一〇月末までに販売された分譲住宅合計一万七二四四戸のうち、一八五一戸(一〇・七パーセント)が売れ残った。
上記の数字には、完成直前で工事を中断した物件は含まれておらず、このような物件は、全国に三一一〇戸存在しており、これを加えれば、平成五年度から平成七年一〇月末までに販売された分譲住宅合計一万七二四四戸のうち、四九六一戸(二八パーセント)が売れ残った。(前記第二の二の(4))
エ また、平成九年六月下旬には、多摩ニュータウンの公団の分譲住宅において、本来モデルルームに限って適用される「現状有姿販売」がモデルルーム以外の売れ残り住宅にまで制度が転用されている事実があるとの新聞報道がなされたことがあった。
オ 平成九年一二月三日の衆議院建設委員会において、当時の公団理事が参考人として出席し、委員の「分譲マンションが下がり続ける、これをきちんとはっきり認識したのはいつですか。」との質問に対し、「価格の見直しをしなければならないかというような具体的な結果につながるような意味での認識をし出したのは、この一年ぐらいというふうにお考えいただきたい。」と述べている。
(3) 原告らは、公団の分譲住宅が平成七年当時は多数売れ残っていたことに加え、平成八年度には現状有姿販売が未入居戸数の実に三分の一に達したことや、平成九年一二月三日の衆議院建設委員会における当時の公団理事の発言内容を前提に、平成八年四月以降、又は同年一二月三日以降、公団は、原告らに対し、値下げ販売の可能性を明らかにして分譲住宅を販売すべき信義則上の義務があると主張している。
しかしながら、一般論として、契約締結段階においては、相互に相手方の人格、財産を害しない信義則上の義務を負うことを肯定できる場合があることはそのとおりであるとしても、売れ残りの分譲住宅が生じ、売主側において分譲住宅の市況が下がって値下げ販売も手段の一つとして検討しなければならないことを認識しはじめたといった事実のみからでは、直ちに、売主に値下げの可能性を明らかにして販売すべき信義則上の義務があるとすることはできない。
蓋し、被告が主張するように、一般論として、価格が市況に左右される商品の販売においては、商品が売れ残れば、値下げの可能性のあることは市場原理からいって当然である。他方、そのような可能性があっても、販売事業者は、可能な限り、当初の価格で販売しようとするものであり、その場合、値下げの可能性を表明すれば、当初の価格での販売が困難となることは自明である。したがって、販売事業者としては、売れ残りの事実や値下げの可能性があり得るとしても、ことさらそのことを明らかにすることなく、当初の価格により販売の努力をするのは当然のことであり、民間分譲住宅販売業者と市場が競合する公団も、このような事業活動を行うことは当然であり、そのこと自体が法的に非難されるいわれはない。
契約締結交渉を経て契約締結に至った当事者間において、その交渉過程で、一方当事者に原告らが主張するような信義則上の義務を具体的に観念できるのは、その当事者の交渉過程における相手方当事者に対する虚偽の説明や誤った説明等の積極的働きかけを通じて、相手方が誤解や錯誤に陥った場合に、相手方が誤解や錯誤に陥っていることを知りながら、これを解消させるための行為をすることなく、むしろ、相手方が誤解や錯誤に陥っていることを積極的に利用して、契約締結に至らせるなど、交渉過程において生じた信頼関係を裏切り、信義に悖る行為又は不作為があったと評価できるときに限られるものというべきである。そして、公団の分譲住宅が近い将来値下げ販売がなされるかどうかの問題である場合においては、既に説示したとおり、公団の分譲住宅の価格も物価その他の経済事情の変動を背景とする需要と供給との関係で定まるものであって、不動産市況の変化によってその価格が変動することは自明であること、公団が行う分譲住宅の譲渡も私法上の売買契約により律せられるものであり、購入者は自らの自由な意思決定により、譲渡対価を承諾して資産価値が変動する分譲住宅を購入するものであること、売れ残りの事実や将来における値下げ販売の可能性があり得るとしても、公団が当初の譲渡対価をもって販売の努力をすることが当然であると考えられること等を考慮すると、公団に信義則上の義務を具体的に観念することができるのは極めて例外的な場合に限られるものというべきところ、原告らは、信義則上の義務の発生を基礎づける具体的な事実を何ら主張していないし、本件において認められる事実関係を前提としても、公団に信義則上の義務を具体的に観念することは、到底できないものといわざるを得ない。
(4) したがって、原告らの主張を前提としては、そもそも、公団には値下げ販売の可能性を明らかにして販売すべき信義則上の義務があったということはできないから、請求5も理由がない。
六 まとめ
分譲住宅の購入には多額の資金を必要とし、多くの者は長年にわたる住宅ローンを組んで売買代金を支払うのであって、まさに一生に一度の買物といった性質を有する。本件では、前記認定のとおり、民間分譲住宅の分譲価格が平成二年度をピークとして低下しているのに、公団のそれは平成六年度にピークを迎えていることや、平成七年度、平成八年度とも多数の売れ残り分譲住宅を抱え、原告らが購入した分譲住宅が属する団地でも、多数の未分譲住宅が生じた結果、平成九年八月には平均二割前後の値下げをせざるを得なかったといった事実を考慮すると、公団の分譲住宅の価格設定は、市況の変動を十分考慮できなかったが故に強気に設定されていたという疑いが払拭できないところではあるし、市場の変動に応じて機敏に対処するといった柔軟性に欠けていたとの誹りを免れないと考えられる。その結果、売れ残りの分譲住宅を抱えた団地では、その管理運営に支障が生じ、期待を裏切られた原告らがいたであろうこと、また、当初の売買契約からわずか数か月で値下げ販売に直面した原告らも少なからぬ数に達していることが認められ、これらの原告が不満感や不公平感を抱くのも無理からぬ事態である。これらの事態の発生を考慮すると、結果論ではあるが、本件原告らの多くに対する公団の分譲住宅の販売手法は、殊に契約時から多くの時を経ずして値下げ販売を経験させられた原告らとの関係では、完全無欠なものであったということはできない。
しかしながら、多額の購入資金を要する分譲住宅の売買も、他の市場性を有する商品と同じように、その価格が市況の変動によって左右されるのは資本主義経済にあっては普遍の理である。繰り返しになるが、いつ、どのような価格で、いかなる物件を購入するかは、購入者の自由な判断に基づくものである。したがって、また、その購入した分譲住宅の財産的価値が、その後、市況の変化等によって変動を受け、利益を享受するのも、はたまた不利益を被るのも、購入者の責に帰すべきことがらなのである。この理は公団の分譲住宅であっても異なるものではないのであって、原告らの本訴各請求によっては、公団の値下げ販売に伴う法的責任を問うことはできないといわざるを得ないのである。
七 結論
以上の認定及び判断の結果によれば、原告らの各請求は争点6について検討するまでもなく、いずれも理由がないから棄却することとして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 渡邉等 裁判官 中山孝雄 三浦隆昭)
<以下省略>