東京地方裁判所 平成10年(行ウ)130号 判決 2001年3月15日
原告 リー・フェン・アンドレアこと奚一康
被告 法務大臣 ほか1名
代理人 大圖明、住川洋英、鮫島俊治 ほか10名
主文
一 被告法務大臣が平成一〇年四月一四日付けで原告に対してした出入国管理及び難民認定法四九条一項に基づく原告の異議申出は理由がない旨の裁決を取り消す。
二 被告東京入国管理局主任審査官が平成一〇年五月七日付けで原告に対してした退去強制令書発付処分を取り消す。
三 訴訟費用は被告らの負担とする。
事実及び理由
第一請求
主文同旨
第二事案の概要
本件は、被告法務大臣から、出入国管理及び難民認定法(以下「法」という。)四九条一項に基づく異議申出は理由がない旨の裁決を受け、被告東京入国管理局主任審査官(以下「被告主任審査官」という。)から、退去強制令書の発付処分を受けた原告が、在留特別許可を認めなかった右裁決には、被告法務大臣が裁量権の範囲を逸脱又は濫用した違法があり、右裁決を前提としてされた退去強制令書の発付処分も違法であると主張して、右裁決及び処分の各取消しを求めている事案である。
一 前提となる事実(<証拠略>により認められる。)
1 原告の経歴及び家族状況
(一) 原告は、昭和五四年(一九七九年)一一月一日、中華人民共和国(以下「中国」という。)上海市において、中国人の父の奚立達(以下「父奚」という。)と中国人の母の馮秀麟(Feng Xiu Lin 以下「母馮」という。)との間に出生し、中国国籍を取得するとともに、奚一康(Xi Yi Kang)と名付けられた。(<証拠略>)
(二) 母馮は、昭和六三年(一九八八年)九月一四日、中国当局から旅券の発給を受けるとともに、平成元年(一九八九年)八月二一日、在北京ボリヴィア共和国(以下「ボリヴィア」という。)大使館において、観光査証の発給を受け、同年九月二日、サンタ・クルス国際空港からボリヴィアに入国した。(<証拠略>)
(三) 母馮は、平成元年(一九八九年)一二月七日、在ボリヴィア日本大使館サンタ・クルス出張駐在官事務所(以下「サンタ・クルス出張駐在官事務所」という。)において本邦の通過査証を取得し、平成二年(一九九〇年)二月三日、ボリヴィアを出国して、同月五日、新東京国際空港に到着し、東京入国管理局(以下「東京入管」という。)成田支局入国審査官から、平成元年法律第七九号による改正前の法四条一項一六号、平成二年法務省令第一五号による改正前の出入国管理及び難民認定法施行規則二条一項三号に規定する在留資格、在留期間三日とする上陸許可を受けて本邦に上陸したが、その後、在留資格変更許可又は在留期間更新許可を受けることなく、右在留期限である同月八日を超えて不法残留した。
また、母馮は、東京都内でホテルのシーツ交換等の仕事を得て稼働し始め、同年一一月ごろ、東京都豊島区長崎五丁目三一番三六号岡野荘(以下「岡野荘」という。)で居住を開始した。(争いがない事実)
(四) 原告は、平成二年(一九九〇年)二月一九日、上海市公安局から、奚一康名義の旅券の発給を受け、同年九月二二日、右旅券を所持して、父奚と共に、上海からボリヴィアに向けて出国した。(<証拠略>)
(五) 父奚は、同年一〇月、ボリヴィアのサンタ・クルス在住の台湾系実業家である袁有道から、台湾当局発給に係る李清波(Lee, Ching-po)名義の旅券を入手した。(<証拠略>)
(六) 原告は、同年一一月一四日、ボリヴィア政府サンタ・クルス出入国管理局から名義人をリー・フェン・アンドレア(Lee Feng Andrea)、生年月日を昭和五六年(一九八一年)一一月一一日、出生地をサンタ・クルス州ワルネス郡オキナワ地区とそれぞれ記載された旅券(有効期限、平成九年(一九九七年)一一月一四日)の発給を受けた。
右旅券は、父奚が袁有道を通して不正な方法で入手した出生証明書及び身分証明書を使用することによって、発給を受けたものである。
しかし、ボリヴィアにおいては、右出生証明書及び身分証明書は、不正な方法で取得したものであっても、当局によって取り消されない限り真正なものとされており、これらにより取得した前記旅券も有効なものとされるから、原告は、有効なボリヴィアの旅券を所持することにより、ボリヴィア国籍を取得し、中国国籍法九条に基づき、中国国籍を喪失したものである。(<証拠略>)
(七) 原告は、平成二年(一九九〇年)一一月二二日、サンタ・クルス出張駐在官事務所において、本邦の通過査証を取得した。(<証拠略>)
2 原告及び家族の入国及び在留状況
(一) 原告は、平成二年一一月二六日、新東京国際空港に到着し、父奚と共に、東京入管成田支局入国審査官から、平成元年法律第七九号による改正前の法四条一項四号に規定する在留資格、在留期間一五日とする上陸許可を受けて本邦に上陸した。(<証拠略>)
(二) 原告及び父奚は、入国後、岡野荘において母馮と同居を開始した。
そして、父奚は、同年一二月一一日、東京都豊島区長に対し、岡野荘二号を居住地として父奚及び原告の外国人登録を申請し、同日に原告について、平成三年一月七日に父奚について、それぞれ外国人登録証明書の交付を受けた。(争いがない事実)
(三) 原告は、本邦上陸後、在留資格変更許可又は在留期間更新許可を受けることなく、右在留期限である平成二年一二月一一日を超えて、不法残留した。(争いがない事実)
(四) 原告は、平成四年秋ころ、東京都豊島区立千早小学校五年に編入し、平成六年三月に同校を卒業した後、同年四月に同区立千早中学校に入学した。(争いがない事実)
(五) 原告は、平成七年八月ころ、父奚及び母馮と共に、東京都豊島区南長崎四丁目四八番二号西青桐荘(以下「西青桐荘」という。)二〇三号室に転居した。(<証拠略>)
(六) 原告は、平成八年八月初めごろ、児童福祉法三三条に基づく一時保護を受け、同月二六日、東京都立の児童福祉施設(養護施設)である東京都小山児童学園への入所を措置されるとともに、東京都東久留米市立東久留米中学校に転校した。(<証拠略>)
(七) 原告は、平成九年三月、右東久留米中学校を卒業し、同年四月、石神井服飾専門学校に入学した。(争いがない事実)
(八) 母馮は、同年七月七日、李清波名義で、東京都豊島区長崎四丁目七番一四号姥貝荘二〇二号を賃借した。(<証拠略>)
(九) 原告は、同年一〇月二四日、在東京ボリヴィア名誉総領事館から、新たにリー・フェン・アンドレア名義の旅券(有効期限、平成一四年(二〇〇二年)一〇月二四日)の発給を受けた。(<証拠略>)
3 原告の退去強制手続について
(一) 原告は、平成八年八月二三日、東京都児童相談センター児童福祉司畑下美由紀に付き添われて東京入管に出頭し、不法残留の事実を申告するとともに引き続き本邦に在留したい旨申し出たので、東京入管入国警備官は、同日、違反調査を開始した。(争いがない事実)
(二) 東京入管入国警備官は、平成一〇年三月一六日、東京入管主任審査官に対し、原告について法二四条四号ロ(不法残留)に該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして収容令書の発付を請求し、同月一七日、収容令書の発付を受け、同月一八日、東京入管において、原告に対し、右収容令書を執行した。
東京入管主任審査官は、同日、原告に対し、仮放免を許可した。(争いがない事実)
(三) 東京入管入国警備官は、同月一八日、原告を法二四条四号ロ該当容疑者として東京入管入国審査官に引き渡し、東京入管入国審査官は、同日、原告について違反審査をした結果、原告が法二四条四号ロに該当する旨認定し、原告にこれを通知したところ、原告は、同日、口頭審理を請求した。(争いがない事実)
(四) 東京入管特別審理官は、同年四月二日、原告について口頭審理を実施した結果、前記認定に誤りのない旨判定し、原告にこれを通知したところ、原告は、同日、法務大臣に異議の申出をした。(争いがない事実)
(五) 被告法務大臣は、同月一四日、右異議の申出は理由がない旨の裁決をし(以下「本件裁決」という。)、本件裁決の通知を受けた被告主任審査官は、同年五月七日、原告に本件裁決を告知するとともに、送還先をボリヴィアとする退去強制令書を発付した(以下「本件処分」という。)。(<証拠略>)
4 母馮の退去強制手続
(一) 東京入管入国警備官は、平成一〇年三月三日、母馮について法二四条四号ロに該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして、東京入管主任審査官から発付を受けた収容令書に基づいて、母馮を東京入管収容場に収容し、同月五日、母馮を東京入管入国審査官に引き渡した。(<証拠略>)
(二) 東京入管入国審査官は、同月一一日、母馮が法二四条四号ロに該当する旨認定したところ、母馮は、右認定に服して口頭審理の請求を放棄したので、東京入管主任審査官は、同日、母馮に退去強制令書を発付し、東京入管入国警備官は、同日、右退去強制令書を執行して母馮を引き続き東京入管収容場に収容した。(<証拠略>)
(三) 母馮は、東京入管収容中、数回にわたって面会に来た原告に対し、一緒に中国に帰るよう説得したが、原告はこれに応じなかった。(争いがない事実)
(四) 東京入管入国警備官は、同年四月一七日、母馮を中国上海に向けて送還した。(<証拠略>)
5 父奚の退去強制手続
(一) 父奚は、平成一一年一二月八日、東京入管入国審査官から法二四条一号(不法入国)に該当する旨の認定を受け、右認定に服して口頭審理の請求を放棄したことから、東京入管主任審査官は、同日、父奚に対し、退去強制令書を発付した。(<証拠略>)
(二) 東京入管入国警備官は、平成一二年一月一八日、右退去強制令書を執行して、父奚を中国上海に向けて送還した。(<証拠略>)
二 当事者双方の主張
(原告の主張)
1 在留特別許可に関する被告法務大臣の裁量
在留特別許可に関する被告法務大臣の裁量は、広範であるが、無制限のものではない。
また、市民的及び政治的権利に関する国際規約(以下「B規約」という。)四〇条四項に基づく国際人権自由権規約委員会の一般的性格を有する意見(以下「一般的意見」という。)は、B規約の有権的解釈であるところ、一般的意見一五は、「規約は、外国人が締約国の領域に入り又はそこで居住する権利を認めていない。領域内に誰を受け入れるかは原則として当該国家が決める事項である。しかし、例えば、差別の禁止、非人道的取扱の禁止、家族生活の尊重について考慮する場合など、ある状況のもとにおいては、入国又は居住に関しても外国人が規約の保護を受ける場合があり得る。」としており、右のとおりB規約の保護を受けるべき場合に、それを否定する運用をすることは許されない。
そして、出入国管理基本計画(平成一二年法務省告示第一一九号)によれば、「法務大臣は、この在留特別許可の判断に当たっては、個々の事案ごとに在留を希望する理由、その外国人の家族状況、生活状況、素行その他の事情を、その外国人に対する人道的な配慮の必要性と他の不法滞在者に及ぼす影響とを含めて総合的に考慮し、基本的に、その外国人と我が国社会のつながりが深く、その外国人を退去強制することが、人道的な観点等から問題が大きいと認められる場合に在留を特別に許可している。」というのであるから、右基本計画は、被告法務大臣の裁量権の逸脱又は濫用の有無を判断するときの一つの基準とされるべきである。
2 原告をボリヴィアに送還することが極めて非人道的な結果を招来すること
原告がボリヴィアに送還された場合には、日本語と単語程度の中国語しかできず、資産等も特にない原告が、他国に出国できるはずはなく、また、中国が、原告を簡単に入国させるとも考えられない。そのため、原告は、そのままボリヴィアにとどまらざるを得ないが、ボリヴィアに身寄りも知り合いもいない原告は、まともに生活することはできないであろう。
原告は、法律上ボリヴィア国籍を有するものの、本来、ボリヴィア国籍を取得できる立場になかったものであり、その上、原告は、自分の意思でボリヴィア国籍を取得したものではなく、父奚が勝手に行ったことである。原告をボリヴィアに送還することは、数箇月程度住んだ以外には縁もゆかりもない地に原告を遺棄するに等しいというべきである。
また、袁有道なる人物が存在するか疑わしく、仮に原告のボリヴィア在留当時に存在したとしても、袁有道が現在も生存してパン屋を経営しているかどうかも不明であり、かつ、一〇年以上前のことを覚えていて、原告を援助してくれるか不明であるし、原告の中国語の語学力が簡単な単語などに限られる会話程度であるから、袁有道に自己の立場やボリヴィアに送還された経緯等について説明することは困難である。
そして、サンタ・クルス市に中国人居住者数が二〇〇〇人いても、それらの者が当然に原告を助けてくれることは期待できない。
しかも、貧しい国にあっては孤児院があってもほとんど賄い切れないのが実情であり、このことは、多数のストリート・チルドレンの存在から明らかである。
さらに、原告と母馮との手紙のやりとりは、最低限のものであり、通常の親子関係のようなものではなかったこと、母馮は、原告の中学生のころ、家にいることがほとんどなく、最低限の金銭(月額八万円程度)を郵便局に預ける方法で原告に交付するにすぎず、原告はその中から約六万円の家賃を支払い、残りで生活していたこと、他方、父奚は、二、三箇月はざらに家を空けており、父奚が原告に金銭を交付することはなく、今後も原告の面倒を見る能力はないと明言していること、現在、原告の両親の援助など皆無であることからすると、このような両親が、ボリヴィアに送還された後の原告を援助することは考えられないことである。
そうすると、原告は、ボリヴィアに送還されても、ストリート・チルドレン又は乞食でもしない限り、生計を立てることは極めて困難であり、また、ボリヴィアの言語であるスペイン語の読み書きや日常会話もできないのであるから、乞食もできずに性的奴隷となる現実的危険性が高い。
以上のとおり、原告をボリヴィアに送還することは、人道上許し難い悲惨な結果を招くこととなる。
3 原告と我が国社会とのつながりの密接性
原告は、入国以来、我が国で小学校、中学校、専門学校(二年まで)の教育を受けてきただけにとどまらず、多くの日本人の友人、知人を得ている。
また、原告は、日常の言葉だけではなく、ものの考え方、発想の仕方、生活習慣全体が、我が国の文化、習慣の下で育てられ、人格形成において重要な時期を、日本語による教育を受け、日本文化の中で成長してきたものであり、今更、他国の言葉や習慣によって育ち、生き直すことはできない。
原告は、この間、、不法残留以外に刑法、民法に触れるような違法行為を行っていないし、右不法残留も、原告が望んだことではなく、両親と一緒にいた原告としては、他に選択の余地はなかったのである。
4 原告が虚偽の事実を申告していないこと
(一) 原告は、自分の記憶のとおりに、一九八一年一一月一一日にボリヴィアで出生したリー・フェン・アンドレアであると供述を行ってきたものである。原告は、両親から、そのように言われ続けてきたため、右記憶が形成され、意識として固定化されていったものであるから、原告は自己の供述が虚偽であるとの認識はない。
(二) 原告は、父奚が数年の間に何度かは短期的に一時帰宅した際に顔を合わせたことはあったのであろうが、養育拒否(ネグレクト)された被虐待児である原告にとっては、両親と正常な親子のような精神的な結合もなく、ほんの偶々に顔を合わせたことがあったとしても、それが原告にとっては何ら関心の対象ではなく、記憶に留めることもないため、忘却していただけのことであり、殊更に記憶に反した虚偽の申立てをしていたものではない。
原告は、宗教活動に没頭してほとんど自宅に寄りつかない父奚と数箇月も家を空けて時折しか帰宅しない母馮との子として、喧嘩口論の絶えず、子に関心を払わない父母の下で乳幼児期を過ごし、親の都合で外国を転々とさせられたうえ、名前や生年月日をその都度適当に変えられ、親との信頼関係の上に自己のアイデンティティを確立すべき重要な時期にそれがかなえられなかったものである。このような生育歴を持つ原告は、児童虐待の一つの典型的類型である「ネグレクト」を受けた子どもであり、その結果、安定した養育環境の下で人々が獲得するはずの記憶等にも様々な障害が存在しているものであることを見逃してはならないところ、原告は、解離性健忘(重要な個人的出来事、通常はその人にとってトラウマとなったりストレスとなった出来事が思い出せなくなり、その程度が通常の忘却の範囲を超えたもの)の傾向が顕著である。
したがって、原告の供述内容が客観的事実と異なるからといって、虚偽事実を認識しつつ申告した悪質な不法滞在者であると判断することは誤りである。
5 以上のとおり、在留特別許可を認めなかった本件裁決は、極めて非人道的なもので、社会通念に照らして著しく妥当性を欠くものであるから、被告法務大臣が、裁量権の範囲を逸脱し、又は濫用したものとして、違法である。
そして、本件裁決に基づく本件処分も違法である。
(被告らの主張)
1 在留特別許可に関する被告法務大臣の裁量権について
(一) 憲法上、外国人は、本邦に入国する自由はもちろん、在留の権利ないし引き続き本邦に在留することを要求する権利を保障されているものでもないから、法五〇条一項所定の在留特別許可を与えるか否かは被告法務大臣の自由裁量にゆだねられているものと解され、また、在留特別許可は、外国人の出入国に関する処分であり、その判断に当たって、当該外国人の個人的事情のみならず、その時々の国内の政治・経済・社会等の諸事情、外交政策、当該外国人の本国との外交関係等の諸般の事情を総合的に考慮すべきものであることから、同許可に係る裁量の範囲は極めて広範なものである。
しかも、在留特別許可は、退去強制事由に該当することが明らかで当然に本邦からの退去を強制されるべき者に対し、特に在留を認める処分であって、他の一般の行政処分と異なり、その性質は、恩恵的なものであるところ、右在留特別許可の付与についての裁量権の範囲を、在留期間の更新許可の付与の場合と比較すると、在留期間の更新が、適法に在留する外国人を対象として行われるものであり、その申請権も認められているのに対し、在留特別許可の許否は、法二四条各号所定の退去強制事由に該当する容疑者を対象として判断されるものであって、それらの者には、在留特別許可の申請権も認められておらず、また、法文上も在留期間の更新について定めた法二一条三項では、「在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由があるとき」に許可することができるとされているのに対し、在留特別許可について定めた法五〇条一項三号では、単に「特別に在留を許可すべき事情があると認めるとき」に許可することができると規定されており、在留特別許可を付与すべき要件は何ら具体的に規定されていないのである。
したがって、被告法務大臣の在留特別許可の付与についての裁量権の範囲は、在留期間の更新の場合の法務大臣の裁量権よりも更に格段に広範なものであり、右裁量権の行使が裁量権の範囲を越え又はその濫用があったものとして違法であるとの評価をするには、被告法務大臣がその付与された権限の趣旨に明らかに背いて裁量権を行使したものと認め得るような特別の事情がある場合等極めて例外的な場合に限られるものといわなければならない。
(二) なお、一般的意見は、B規約の有権的解釈を示すものでもなければ、法的拘束力を有するものでもないし、B規約は、外国人に対する入国の自由や在留する権利を保障するものではない。
(三) また、出入国管理基本計画については、被告法務大臣はこれを最大限に尊重した行政運営に努めなければならないものであるが、それ自体法的拘束力を有するものではないから、出入国管理基本計画をもって、直ちに本件裁決の違法性を根拠づけることはできない。
2 本件裁決の適法性
(一) 被告法務大臣は、次の事情等を総合的に考慮して、原告について特別に在留を許可すべき事情があるとは認められないと判断し、本件裁決をしたものであるから、裁量権の逸脱又は濫用を認める余地はない。
(1) 原告は、本邦に入国するまで、本邦とは何らかかわりのなかった者であり、在留期限が経過してから約七年半の間、本邦に不法に残留していた者であって、退去強制事由に該当する以上、退去強制され、本来、国籍国の保護を受けるべきものであること
(2) 母馮について退去強制令書が発付され、母馮は、原告と一緒に中国への帰国を希望していたこと
(3) 母馮の供述によれば、母馮は、一時、稼働を目的として名古屋に行ったものの、その後、すぐに東京に戻ってきて、原告が生活した西青桐荘からほど近い所で生活してきたもので、原告が主張するような遺棄されたという情況にはなく、逆に、原告との中国又はボリヴィアでの生活を望んでいたこと
(4) 仮に、原告をボリヴィアに送還したとしても、母馮は、これまでに中国に八〇〇万円の送金をしており、これらの蓄財により、母馮がボリヴィアへ行くことは不可能ではなく、また、ボリヴィアには、母馮の兄である袁有三が居住しており、同人の援助を期待できること
(二) 原告の申立てにおける虚偽の事実とその意義
(1) 原告は、平成八年八月二三日に違反調査を受けた際から、昭和五六年(一九八一年)一一月一一日にボリヴィアで出生し、名前はリー・フェン・アンドレアである旨虚偽の主張しているが、原告が中国を出国したのは一一歳のときであって、中国で生活したことを全く失念するはずはなく、原告は、虚偽と知りつつ右主張をしているものである。
また、両親から養育を放棄され、又は遺棄された旨の原告の主張は、前記(一)(3)のとおり母馮の供述から認めることはできないし、母馮は、同人なりに原告の将来を考えていたものである。そして、父奚の証言によれば、父奚は、原告が家を離れ小山児童学園に入園したことを知り、母馮とともに同学園の門のところで会ったことがあり、同学園を退園したことや、石神井服飾専門学校に入学したものの退学したことも原告から聞いていたことがあるのであるから、原告は、本訴提起後も父奚と連絡を取り合っていたことになり、前記の原告の主張は虚偽ないし潤色されたものというべきである。
(2) 右のとおり、原告は、自らの国籍の変更、生年月日、名前を偽った上、両親に遺棄されて身寄りがなく、本邦に在留しなければならないかのような虚構の事実を申告して、被告法務大臣に誤った判断をさせ、本邦における在留資格を得ようとしたものである。違法行為により法律上当然に退去強制されるべき外国人について恩恵的に与え得るものにすぎない在留特別許可の判断に際して、申立て事項中に、右のような基本的な事項につき虚偽事実を申告してもよいとするならば、入国管理行政が著しく阻害されることとなる。
また、原告は、両親から遺棄されたとの虚偽の事実を、養護施設への入所等の公的扶助を受ける手段として利用しているのである。
このように、原告の不法残留中の行状は芳しいものとはいえず、不法残留者の行状の観点から見ても看過できない態度といわざるを得ない。
(三) ボリヴィアへの送還について
(1) 送還先がどこであるかということは、在留特別許可の判断に基本的には影響しない事柄である。そして、原告に関しては、本邦からの送還先がボリヴィアというだけであって、原告が、そのままボリヴィアにとどまらなければならないことはないのであって、その後、例えば、他国に出国するなどの行動は、原告の自由である。仮に、退去強制の対象となった外国人が、国籍国の言語を話せない際に、当該外国人を国籍国に送還できないとすれば、原告のようにあくまで本邦への在留を望んでいる場合には退去強制できない結果となるのであって、不合理であることはいうまでもない。そもそも、原告の国籍はボリヴィアであり、他国への送還を原告が希望しない以上、ボリヴィア以外に送還先を決定することはできないのであって(法五三条一項、二項)、本件処分は、法に従った処分であって、送還先につき違法のそしりを受けることは何もない。
(2) また、原告が本邦入国前に居住していたボリヴィアのサンタ・クルス市とその周辺には、日本人移住者や日系人が多数居住しており、その中には日本語を解する者も多数いるほか、これら日本人移住者や日系人は、日本語学校や診療所の運営を始めとして、各種日本文化を継承する活動も積極的に行っているのであるから、原告が帰国後も引き続いて日本文化の習得をしたいのであれば十分可能であるのはもちろんのこと、サンタ・クルス市とその周辺の日本人移住地の医療施設の中には、日本から国際協力事業団を通じて派遣された日本人や、本邦への留学歴を有する日本語も通用する日系人等の医師、歯科医師を始めとした日本語も解する医療技術者も多数従事しているほか、日本からの進出企業等もあること、日本語が通じ、日本食品も扱っているスーパーマーケット、各種商店や飲食店及び事業所等もあることなどにかんがみれば、仮に原告がスペイン語を解せないとしても、日本で自活していたという原告が本国においても日本語だけで自活することも十分可能であり、さほど生活に不自由することはない。
さらに、サンタ・クルス市には、日本の青年海外協力隊員やカトリック団体から日本人職員の派遣を受けている孤児院もあり、原告が右のようなところに入所し、規則正しい生活の下、スペイン語等を習得することも可能である。
そして、原告は、中国語も多少話せる旨述べているが、サンタ・クルス市には、母馮の以前の勤務先の社長である袁有道もいるほか、約二〇〇〇名の中国人が居住しており、中国大陸出身者で構成されている居住区もある。
加えて、原告は、母馮の送還後も電話や手紙で連絡を取り合っているところ、母馮は、現在スペインに在住して稼働していると思料され、一方、父奚は本邦において稼働して得た多額の金員を送金しており、原告がボリヴィアで生活するに際しては、両親からの援助も十分に考えられるところである。
したがって、原告がボリヴィアへ送還されたとしても、原告が主張するように直ちに乞食すらできず性的奴隷となる現実的危険性が高いとはいえない。
3 本件処分の適法性
退去強制手続において、被告法務大臣から、異議の申出は理由がないとの裁決をした旨の通知を受けた場合、被告主任審査官は、全く裁量の余地はなく退去強制令書を発付しなければならない。
したがって、前記のとおり本件裁決に違法があるといえない以上、本件処分が違法となることはない。
三 争点
以上によれば、本件の争点は、本件裁決に被告法務大臣の裁量権の範囲の逸脱又は濫用の違法があるか否かである。
第三争点に対する判断
一 在留特別許可に関する被告法務大臣の裁量権について
1 国際慣習法上、国家は外国人を受け入れる義務を負うものではなく、特別の条約がない限り、外国人を自国内に受け入れるかどうか、また、これを受け入れる場合にいかなる条件を付するかは、専ら当該国家の立法政策にゆだねられているところであって、当該国家が自由に決定することができるものとされている。我が国の憲法上も、外国人に対し、我が国に入国する自由又は在留する権利ないしは引き続き在留することを要求し得る権利を保障したり、我が国が入国又は在留を許容すべきことを義務付けている規定は存在しない。
ところで、法五〇条一項は、被告法務大臣が、法四九条一項に基づく異議の申出が理由があるかどうかを裁決をするに当たって、当該容疑者に法二四条各号に規定する退去強制事由が認められ、異議の申出が理由がないと認める場合においても、当該容疑者が、<1>永住許可を受けているとき、<2>かつて日本国民として本邦に本籍を有したことがあるとき、<3>特別に在留を許可すべき事情があると認めるときには、その者の在留を特別に許可することができるとしており、法五〇条三項は、右の許可をもって異議の申出が理由がある旨の裁決とみなすと定めている。
しかし、法には、その許否の判断に当たって必ず考慮しなければならない事項など右の判断を羈束するような定めは何ら規定されておらず、このことと、右の判断の対象となる容疑者は、既に法二四条各号の規定する退去強制事由に該当し、本来的には我が国から退去を強制されるべき地位にあること、外国人の出入国管理は、国内の治安と善良の風俗の維持、保健・衛生の確保、労働市場の安定などの国益の保持を目的として行われるものであって、右のような国益の保護の判断については、広く情報を収集し、その分析の上に立って、時宜に応じた的確な判断を行うことが必要であり、ときに高度な政治的な判断を要求される場合もあり得ることを併せて勘案すれば、右在留特別許可をすべきか否かの判断は、被告法務大臣の極めて広範な裁量にゆだねられているものであって、被告法務大臣は、我が国の国益を保持し出入国管理の公正な管理を図る観点から、当該外国人の在留状況、特別に在留を求める理由の当否のみならず、国内の政治・経済・社会等の諸事情、国際情勢、外交関係、国際礼譲などの諸般の事情を総合的に勘案してその許否を判断する裁量権を与えられているというべきである。
したがって、これらの点からすれば、在留特別許可を付与するか否かに係る被告法務大臣の判断が違法となるのは、右の判断が全く事実の基礎を欠き又は社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかであるなど、被告に与えられた裁量権の範囲を逸脱し又は濫用した場合に限られるというべきである。
そして、前記のとおり、被告法務大臣が右の判断を行うに当たって特に何らの基準が設けられていないこと及び右の在留特別許可は法二四条各号の規定する退去強制事由に該当して本来的には我が国から退去を強制されるべき地位にある者を対象としてされるものであり、当該容疑者に申請権が認められているものでもないことからすれば、右の裁量の範囲は、在留期間更新の場合と比べて、より広範なものであるというべきである。
2 なお、原告は、B規約の有権的解釈である一般的意見一五において、外国人がB規約の保護を受ける場合があり得ることを規定していると主張するが、B規約には、外国人に対する入国の自由や在留する権利を保障する規定はなく、原告がその主張の根拠として挙げる一般的意見は、B規約の有権的解釈を示すものでもなければ、我が国における条約の解釈を拘束するものでもないというべきである。
また、被告法務大臣は、出入国の公正な管理を図るため、関係行政機関の長と協議のうえ、外国人の入国及び在留の管理に関する施策の基本となるべき計画(出入国管理基本計画)を定め、遅滞なく、その概要を公表するものとされているが(法六一条の九第一項)、法六一条の一〇において、法務大臣は、出入国管理基本計画に基づいて、外国人の出入国を公正に管理するよう努めなければならないと訓示的に規定していることからすると、出入国管理基本計画には法的拘束力はなく、これによって、被告法務大臣の前記の裁量権の範囲が制約されるものではないというべきである。
二1 そこで、前記のとおり原告には在留を特別に許可すべき事情は認められないとした被告法務大臣の判断が、全く事実の基礎を欠き又は社会通念に照らして著しく妥当性を欠くことが明らかであるか否かについて検討する。
2 <証拠略>によれば、原告が一時保護を受けるに至った経緯について次の事実が認められる。
(一) 原告が通学していた豊島区立千早中学校の担任教諭である関裕幸(以下「関教諭」という。)は、中学進学前の生徒についての情報交換の場において、同区立千早小学校の教諭から、原告の両親は夜遅くまで働いているが、原告を通じて両親と連絡が取れる旨申し送りを受けたものの、原告の不法残留の事実については申し送りを受けていなかった。(<証拠略>)
(二) 関教諭は、原告が中学一年生のときの平成六年一二月に、母馮と親子面談をしたことがあり、また、原告が中学二年生のときの平成七年の二学期に、原告を通じて母馮を学校に呼び出して、原告の髪について指導をしたことがあった。(<証拠略>)
(三) 関教諭は、平成八年七月に、母馮と原告の進路について相談するため、原告を通じて母馮を学校に呼び出したが、原告から母馮が相談に行けなくなった旨の連絡を受けた。(<証拠略>)
(四) そのころ、原告は、豊島区福祉事務所に、不法残留中であるが日本の高等学校への進学が可能かどうかの相談に行っており、関教諭は、豊島区福祉事務所から、右相談があった旨の連絡を受けた。そして、関教諭が、原告に生活ぶりを問いただしたところ、原告は、両親は金をときどき置いていくほかはほとんど不在であり、食事はカップラーメンなどを食べている旨答えた。(<証拠略>)
(五) 原告は、平成八年八月一日、関教諭と共に東京都児童相談センターに相談に赴き、畑下美由紀児童福祉司に対し、「小学校六年生のときに父が家を出て行方不明となり、父の家出後、母が夜の仕事を始めたころから家に戻らなくなり、そういった生活を続け、今般進路のことで母と言い争いになり、母も行方不明となってしまった。」旨を申し立てた。そして、畑下児童福祉司は、西青桐荘二〇三号室に赴き、物が乱雑においてあるなど大人が常に住んでいるとは思えない状況であることを確認した。また、関教諭は、両親不在の西青桐荘二〇三号室に、原告の連絡先を置き手紙にして残してきた。(<証拠略>)
3 また、<証拠略>によれば、父奚及び母馮の生活状況等について次の事実が認められる。
(一) 父奚は、日本入国後、午前一〇時から午後三時まで、新大久保駅前のホテルで清掃の仕事に従事するようになり、また、政治団体等との交流のため関係者宅を泊まり歩き、家を数箇月にわたって留守にする生活が続くようになったが、原告の生活費については、母馮に任せていた。(<証拠略>)
(二) 母馮は、平成三年から、新橋の中華料理店で、午前一〇時から午後三時まで及び午後六時から午後一〇時三〇分まで勤務し、そのため、午前七、八時ごろに家を出て、午後一一時三〇分から午前零時ころに帰宅する生活が続いた。そして、母馮は、家を二、三日ほど留守にして友人宅に泊まっては、また、二、三日ほど家に戻るという生活を送るようになり、このような生活は、西青桐荘二〇三号室に転居した後も続いた。(<証拠略>)
(三) 右のとおり母馮が家を留守がちにするようになってからは、原告は、母馮が二日分ほどの食事代として置いていった一〇〇〇円ないし二〇〇〇円を使ったり、あるいは、母馮から預けられた通帳等を使って、月に二万円ほど引き出して不足する生活費に充てたりするようになった。(<証拠略>)
(四) 母馮は、平成八年五月ころ、勤務先の新橋の中華料理店が閉店したため、友人を頼って名古屋へ行き、総菜を作る仕事に従事し始めたが、その間、父奚も家を留守にしており、母馮は、近所に住む中国人に、時々原告の様子を見に西青桐荘へ行ってもらうように依頼していた。(<証拠略>)
(五) また、母馮は、不法残留の事実が発覚することをおそれて、原告が中学校卒業後に高等学校へ進学することに強く反対していた。(<証拠略>)
4 なお、<証拠略>には、父奚は原告が小学校五年生のころに家出をし、それ以来会ったことはない旨の記載があり、原告は、東京入管入国警備官の取調べ(<証拠略>)、東京入管入国審査官の審査(<証拠略>)及び東京入管特別審理官の口頭審理(<証拠略>)においても同旨の供述をしているが、平成八年二月一九日、同年三月一〇日及び同年五月六日に西青桐荘二〇三号室で撮影した写真(<証拠略>)に父奚が写っていることからすると、前記原告の各供述は採用できない。
他方、証人奚は、原告が、小山児童学園に入所したことを知っており、小山児童学園の門のところにのぞきに行ったり、原告と会ったりしたことがあり、母馮の送還後においても原告と電話連絡を取って会っていた旨証言するものの、同証人は、右入所の理由の詳細を承知しておらず、右入所の事実も母馮の友人を通じて初めて知ったものであり、入所当初は、原告の所在を把握していなかった旨、及び入所後に原告と連絡を取り合う頻度も多くなかった旨を証言していることからすると、小山児童学園に入所後の原告と父奚との交流がそれほど密なものであったとは認め難いというべきである。
また、<証拠略>によれば、母馮は、小山児童学園に入所中の原告に平成八年一〇月二〇日付けで契約を申し込んだポケットベル(料金は李清波名義の預金口座から引き落とし)を渡したことがあったことが認められるが、本件全証拠によっても、原告の両親がそれ以上に入所後の原告の養育に積極的にかかわったものとは認められない。
5 以上の事実によれば、原告の両親は、平成八年八月以前においては不在がちであったが、同月以降は、自らの不法滞在の事実の発覚をおそれて、原告と表立って接触することを避け、その養育にかかわることをやめたものということができる。
6 ところで、原告に対する退去強制令書において送還先とされているのは、法五三条一項の規定により、原告の国籍の属する国のボリヴィアであるが、原告は、前記のとおり、父奚が不正に入手した出生証明書を使用することによってボリヴィア国籍を取得したものであり、本件裁決の七年半前に約二箇月間滞在したことがある以上にボリヴィアとの結び付きはなく、<証拠略>によれば、原告はボリヴィアの主要言語であるスペイン語を全く理解できないことが認められる。
そして、母馮は、東京入管入国警備官に対し、ボリヴィアに、母馮の実兄である袁有三が居住する旨供述する(<証拠略>)のに対し、父奚は、東京入管入国審査官に対し、サンタ・クルス市在住の台湾人実業家の袁有道が経営するパン工場で、母馮が勤務したことがあり、右袁を通じて李清波名義旅券及びリー・フェン・アンドレア名義に係る出生証明書及び身分証明書を入手した旨供述するが、袁有三なる人物について触れていない(<証拠略>)ことからすると、母馮の実兄である袁有三が実在する旨の母馮の供述はにわかに信用できず、また、袁有道なる人物がボリヴィアにいるとしても、前記程度の関係から原告に対する援助を期待できるか疑わしいというべきである。
また、ボリヴィアには、在留邦人約二六〇〇人及び日系人約五七〇〇人が居住し(<証拠略>)、平成一一年一二月の時点で、国際協力事業団青年海外協力隊員五二名が日本から派遣され、そのうち一三名が職業指導員、看護婦、技術者等として孤児院に派遣されており(<証拠略>)、国際協力事業団を通じて日本人移住地の医療施設に派遣された日本人や、本邦への留学歴を有する日本語も通用する日系人の医師、歯科医師もいること(<証拠略>)、及び平成一一年一二月の時点でサンタ・クルス市に約二〇〇〇人の中国人が居住していること(<証拠略>)を考慮しても、原告がこれらの関係者の援助等を受けることができる保障がないことからすれば、ボリヴィアに親族、知己、友人もおらず、スペイン語を全く理解しない未成年の女子が、ボリヴィアで生計を立てることは、ストリート・チルドレン又は乞食でもしない限り極めて困難であるとする、在東京ボリヴィア共和国名誉領事館事務局長佐藤正信及び社団法人日本ボリヴィア協会事務局長山下登司郎(昭和五七年九月一日から昭和六二年一一月五日までサンタ・クルス出張駐在官事務所で一等書記官兼領事としての勤務経験を有する。<証拠略>)の意見(<証拠略>)は、傾聴すべきものであり、これをあながち誇張に過ぎるとは認め難い。
さらに、原告の両親は、日本滞在中に中国に送金しているものの(<証拠略>)、証人奚は、原告の両親は原告の面倒をみる経済的能力はない旨証言していること、弁論の全趣旨によれば、原告の両親が送還後に原告に対して経済的な援助をしていないと認められること、及び、原告の両親が、前記のとおり、自らの不法滞在の事実の発覚しないよう自己の都合を優先させて、原告の養育にかかわることをやめた経緯に照らせば、ボリヴィア送還後の原告に対し、原告の両親から十分な経済的援助が期待できるかどうかは疑わしいというべきである。
これに対し、被告らは、ボリヴィア送還後に他国に出国することは、原告の自由であると主張するが、そのために要する費用などを原告が負担できるか否かなど原告の現実的な能力の有無に係る点はしばらく措くとしても、そもそもこれらの国は原告を受け入れるべき義務を有しないものであり、現実に原告が他国における在留資格等を取得して出国することができる裏付けはないというべきである。
そうすると、原告に対して在留特別許可を認めないことは、法五三条一項により、原告をボリヴィアに送還することとなるところ、原告がボリヴィアで生計を立てていくことは極めて困難であり、場合によっては、人間としての最低限の人格的尊厳の保持や生存さえも危殆に瀕する事態が予想されないわけでもないというべきであり、このような事態は、甚だ人道に反するものというほかない。
また、仮に、このような事態をもって、法五三条二項所定の「国籍又は市民権の属する国に送還することができないとき」に該当すると解することができるとしても、ボリヴィア以外の国において、原告を受け入れる可能性があり、かつ、右の事態を回避することができる国があるとは認め難いというべきである。
7 これに対し、被告らは、原告が虚偽の事実を申告したことを芳しくない行状として斟酌すべきであると主張する。
しかし、日本入国当時一一歳の原告において、両親から教え込まれ続けることによって、名前、生年月日や国籍の変更について、真実と異なる記憶が形成されることは、あり得ないことではないというべきである。
また、原告が、両親から遺棄されたと供述していた点については、前記4のとおり、父奚と家出以来会ったことはない旨の供述部分は真実に反するものであるが、原告が一時保護を受けた際に、両親が不在であることは、畑下児童福祉司及び関教諭が西青桐荘二〇三号室において確認しているところであり、その後、両親が不法滞在の事実の発覚をおそれて、原告と表立って接触することを避けるようになったのであるから、原告の前記供述をもって我が国の児童福祉行政をゆがめたものと評価するのは相当ではなく、さらに、原告の年齢をも考慮すると、被告法務大臣が在留特別許可の判断に当たり、これを看過し難い行状として過度に斟酌することは、ボリヴィアに原告を送還した場合の反人道性に照らし、著しく妥当性を欠くというべきである。
8 以上によれば、本件裁決は、甚だ人道に反し、社会通念に照らして著しく妥当性を欠くことが明らかであるから、被告法務大臣の裁量権の範囲が極めて広範であることを十分に考慮しても、なお、右裁量権の範囲を逸脱又は濫用した違法があるというべきであり、本件裁決に基づいてなされた本件処分も、また違法であるというべきである。
三 よって、原告の請求はいずれも理由があるから、主文のとおり判決する。
(裁判官 市村陽典 阪本勝 村松秀樹)