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東京地方裁判所 平成10年(行ウ)186号 判決 2001年1月25日

原告 B山一郎

右法定代理人親権者母 B山花子

右訴訟代理人弁護士 水口洋介

同 小林譲二

同 柴田五郎

同 米倉勉

被告 新宿労働基準監督署長 宇都博司

右指定代理人 田中芳樹

他4名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告が平成元年八月二八日原告に対してした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償費の支給をしないとの決定を取り消す。

第二事案の概要

本件は、映画撮影技師(カメラマン)であるA野太郎(以下「亡A野」という。)が映画撮影に従事中、宿泊していた旅館で脳梗塞を発症して死亡したことについて、その子である原告が、亡A野の死亡は業務に起因したものであるとして、被告に対し、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づいて遺族補償費の給付を請求したところ、亡A野は労働基準法(以下「労基法」という。)九条に規定する「労働者」ではないとの理由で不支給処分を受けたため、その取消しを求める事案である。

一  争いのない事実

1  亡A野(大正一五年八月二八日生)は、映画撮影技師であり、昭和六〇年一〇月一五日、株式会社青銅プロダクション(以下「青銅プロ」という。)との間で、映画・仮題「古代東北の仏達」(なお、完成後は「北の仏」と題されている。以下「本件映画」という。)を撮影するための撮影技師として撮影業務に従事する契約(以下「本件契約」という。)を締結した。本件映画の撮影期間は昭和六〇年一〇月から昭和六一年五月までの間であり、その間に東北地方のロケーション(以下、単に「ロケ」ともいう。)三回、延べ五〇日間が予定されており、本件契約における亡A野の報酬(以下「本件報酬」という。)は一二〇万円であった(なお、右が労働日数に応じて支払われる賃金であるかどうかについては争いがある。)。

亡A野は、本件映画撮影のため、東北地方の寺院でのロケーションの期間中である昭和六一年二月一九日早朝、宿泊していた秋田県湯沢市所在の旅館「由利館」で倒れ、同市内の雄勝中央病院に入院して治療を受けたが、同月二三日、脳梗塞(以下「本件疾病」という。)により死亡した。

2  原告は、昭和六〇年一月二四日、亡A野と親権者母B山花子との間に生まれた子であり、亡A野は、同年二月二〇日、原告を認知した。したがって、原告は、亡A野の相続人である。

3(一)  原告は、昭和六三年二月一七日、亡A野の本件疾病による死亡は業務に起因したものであるとして、飯田橋労働基準監督署長(なお、平成元年四月一日、同基準監督署長の管轄区域であった青銅プロの事業所所在地である東京都新宿区は、被告の管轄区域に統合され、以後被告がその事務を承継した。)に対し、労災保険法に基づいて遺族補償給付の請求をしたが、被告は、平成元年八月二八日、亡A野は労基法九条に規定する「労働者」とは認められないとして、これを支給しない旨の決定(以下「本件処分」という。)をした。

(二) 原告は、本件処分を不服とし、平成元年一〇月二六日、東京労働者災害補償保険審査官に対し、審査請求をしたが、同審査官は、平成六年一一月二四日、右審査請求を棄却する旨の決定をした。

(三) 原告は、さらに右(二)の決定を不服とし、平成七年一月二〇日、労働保険審査会に対し、再審査請求をしたが、同審査会は、平成一〇年六月一七日、右再審査請求を棄却する旨の裁決をし、同月二六日、同裁決書の謄本は原告に送達された。

二  労基法にいう労働者の定義及び労基法研究会報告について

1  労災保険法上、「労働者」の定義規定は置かれていないが、労基法は「労働者」の定義として、「この法律で『労働者』とは、職業の種類を問わず、事業又は事務所(以下『事業』という。)に使用される者で、賃金を支払われる者」と規定している(同法九条)。

なお、労基法上「賃金」とは、「賃金、給料、手当、賞与その他名称の如何を問わず、労働の対償として使用者が労働者に支払うすべてのもの」をいう(同法一一条)。

2(一)  労働大臣の私的諮問機関である労基法研究会は、昭和六〇年一二月一九日付けで「労働基準法の『労働者』の判断基準について」と題する報告を行い(以下「昭和六〇年労基研報告」という。)、右の判断基準について、従来の裁判例及び解釈例規に現われた事例をもとに次のように整理している。

「1 『使用従属性』に関する判断基準

(1) 『指揮監督下の労働』に関する判断基準

イ 仕事の依頼、業務従事の指示等に対する諾否の自由の有無

『使用者』の具体的な仕事の依頼、業務従事の指示に対して諾否の自由を有していれば、指揮監督関係を否定する重要な要素となる。

これを拒否する自由を有しない場合は、一応指揮監督関係を推認させる重要な要素となる。ただし、その場合には、事実関係だけでなく、契約内容等も勘案する必要がある。

ロ 業務遂行上の指揮監督の有無

(イ) 業務の内容及び遂行方法に対する指揮命令の有無

業務の内容及び遂行方法について『使用者』の具体的な指揮命令を受けていることは、指揮監督関係の基本的かつ重要な要素である。しかし、通常注文者が行う程度の指示等にとどまる場合には、指揮監督を受けているとはいえない。

(ロ) その他

『使用者』の命令、依頼等により通常予定されている業務以外の業務に従事することがある場合には、『使用者』の一般的な指揮監督を受けているとの判断を補強する重要な要素となる。

ハ 拘束性の有無

勤務場所及び勤務時間が指定され、管理されていることは、一般的には、指揮監督関係の基本的な要素である。しかし、業務の性質、安全を確保する必要等から必然的に勤務場所及び勤務時間が指定される場合があり、当該指定が業務の性質等によるものか、業務の遂行を指揮命令する必要によるものか見極める必要がある。

ニ 代替性の有無―指揮監督関係の判断を補強する要素―

本人に代わって他の者が労務を提供することが認められていること、また、本人が自らの判断によって補助者を使うことが認められていることなど、労務提供の代替性が認められている場合には、指揮監督関係を否定する要素のひとつとなる。

(2) 報酬の労務対償性に関する判断基準

報酬が『賃金』であるか否かによって、『使用従属性』を判断することはできないが、報酬が時間給を基礎として計算される等労働の結果による較差が少ない、欠勤した場合には応分の報酬が控除され、いわゆる残業をした場合には通常の報酬とは別の手当が支給される等報酬の性格が使用者の指揮監督のもとに一定時間労務を提供していることに対する対価と判断される場合には、『使用従属性』を補強することとなる。

2 『労働者性』の判断を補強する要素

(1) 事業者性の有無

イ 機械、器具の負担関係

本人が所有する機械、器具が著しく高価な場合には自らの計算と危険負担に基づいて事業経営を行う『事業者』としての性格が強く、『労働者性』を弱める要素となる。

ロ 報酬の額

報酬の額が当該企業において同様の業務に従事している正規従業員に比して著しく高額である場合には、当該報酬は、自らの計算と危険負担に基づいて事業経営を行う『事業者』に対する代金の支払いと認められ、その結果、『労働者性』を弱める要素となる。

ハ その他

裁判例においては、業務遂行上の損害に対する責任を負う、独自の商号使用が認められている等の点を『事業者』としての性格を補強する要素としているものがある。

(2) 専属性の程度

イ 他社の業務に従事することが制度上制約され、また、時間的余裕がなく事実上困難である場合には、専属性の程度が高く、いわゆる経済的に当該企業に属していると考えられ、『労働者性』を補強する必要のひとつと考えて差し支えない。

ロ 報酬に固定部分がある、業務の配分等により事実上固定給となっている、その額も生計を維持し得る程度のものである等報酬に生活保障的な要素が強いと認められる場合には、『労働者性』を補強するものと考えて差し支えない。

(3) その他

裁判例においては、①採用、委託等の際の選考過程が正規従業員の採用の場合とほとんど同様であること、②報酬について給与所得としての源泉徴収を行っていること、③労働保険の適用対象としていること、④服務規律を適用していること、⑤退職金制度、福利厚生を適用していること等『使用者』がその者を自らの労働者と認識していると推認される点を『労働者性』を肯定する判断の補強事由とするものがある。」

(二) また、労基法研究会労働契約等法制部会労働者性検討専門部会は、平成八年三月、俳優及び技術スタッフ(撮影、照明、録音等)について、映画やテレビ番組の製作会社との関係において労働者に該当するか否かの判断基準を次のとおり示している(以下「平成八年専門部会報告」という。)。

「1 使用従属性に関する判断基準

(1) 指揮監督下の労働

イ 仕事の依頼、業務に従事すべき旨の指示等に関する諾否の自由の有無

例えば、特定の日時、場所を指定したロケ撮影参加の依頼のような、『使用者』の具体的な仕事の依頼、業務に従事すべき旨の指示等に対して諾否の自由を有していることは、指揮監督関係の存在を否定する重要な要素となる。

他方、このような諾否の自由がないことは、一応、指揮監督関係を肯定する一要素となる。ただし、当事者間の契約によっては、一定の包括的な仕事の依頼を受託した以上、当該包括的な仕事の内容をなす個々具体的な仕事の依頼については拒否する自由が当然制限される場合がある。また、専属下請のように事実上、仕事の依頼を拒否することができないという場合もある。このような諾否の自由の制約は直ちに指揮監督関係を肯定する要素とはならず、契約内容や仕事の依頼を拒否する自由が制限される程度等を勘案する必要がある。

ロ 業務遂行上の指揮監督の有無

(イ) 業務の内容及び遂行方法に対する指揮命令の有無

俳優やスタッフが実際に演技・作業を行うに当たり、演技・作業の細部に至るまで指示がある場合には、指揮監督関係の存在を肯定する重要な要素となる。

他方、俳優やスタッフなど、芸術的・創造的な業務に従事する者については、業務の性質上、その遂行方法についてある程度本人の裁量に委ねざるを得ないことから、必ずしも演技・作業の細部に至るまでの指示を行わず、大まかな指示にとどまる場合があるが、このことは直ちに指揮監督関係を否定する要素となるものではない。

(ロ) その他

『使用者』の命令、依頼等により通常予定されている業務以外の業務に従事することを拒否できない場合には、『使用者』の一般的な指揮監督を受けているとの判断を補強する重要な要素となる。例えば、スタッフが本来自分の担当するパートのほか、監督の命令、依頼等により他のパートの業務に従事することを拒否できない場合には、一般的な指揮監督を受けているとの判断を補強する重要な要素となる。

ハ 拘束性の有無

勤務場所がスタジオ、ロケーション現場に指定されていることは、業務の性格上当然であるので、このことは直ちに指揮監督関係を肯定する要素とはならない。

映画やテレビ番組の撮影に当たっては、勤務時間が指定・管理されていることが通常である。この場合であっても、例えば場面設定との関係上、特定の時間にしか撮影ができないなどの事業の特殊性によるものである場合には、かかる指定は指揮監督関係を肯定する要素とはいえない。他方、『使用者』が業務の遂行を指揮命令する必要によるものであれば、指揮監督関係を肯定する一要素と考えられる。例えば、一日の撮影の中で、監督等が行う具体的な撮影時間、休憩、移動時間等の決定や指示に従わなければならないこと、監督の指示によって一旦決まっていた撮影の時間帯が変動した場合に、これに応じなければならないことは、指揮監督関係を肯定する要素の一つとなる。

ニ 代替性の有無

『使用者』の了解を得ずに自らの判断によって他の者に労務を提供させ、あるいは、補助者を使うことが認められている等労務提供に代替性が認められている場合には、指揮監督関係を否定する要素の一つとなる。

(2) 報酬の労務対償性に関する判断基準

映画やテレビ番組の撮影についての労務提供に関する契約においては、撮影に要する予定日数を考慮に入れながら作品一本あたりいくらと報酬が決められているのが一般的であるが、拘束時間、日数が当初の予定よりも延びた場合に、報酬がそれに応じて増える場合には、使用従属性を補強する要素となる。

2 労働者性の判断を補強する要素

(1) 事業者性の有無

イ 機械、器具、衣裳等の負担関係

例えば、俳優が自ら所有する衣裳を用いて演技を行う場合、それが安価な場合には問題とならないが、著しく高価な場合には、事業者としての性格が強く、労働者性を弱める要素となる。

ロ 報酬の額

報酬の額が当該企業において同様の業務に従事している正規従業員に比して著しく高額である場合には、一般的には、事業者に対する代金の支払と認められ、労働者性を弱める要素となるが、俳優やスタッフの場合には、比較すべき正規従業員がほとんどいないので、労働者性の判断の要素とはなりにくい。ただし、同種の業務に従事する他の者と比べて報酬の額が著しく高額である場合、例えば、ノーランクといわれるような著しく報酬の高い俳優の場合には、事業者としての性格が強く、労働者性を弱める要素となる。

ハ その他

俳優やスタッフが業務を行うについて第三者に損害を与えた場合に、当該俳優やスタッフが専ら責任を負うべきときは、事業者性を補強する要素となる。

(2) 専属性の程度

特定の企業に対する専属性の有無は、直接に使用従属性の有無を左右するものではなく、特に専属性がないことをもって労働者性を弱めることとはならないが、労働者性の有無に関する判断を補強する要素の一つと考えられる。

具体的には、他社の業務に従事することが契約上制約され、または、時間的余裕がない等事実上困難である場合には、専属性の程度が高く、経済的に当該企業に従属していると考えられ、労働者性を補強する要素の一つと考えられる。

(3) その他

報酬について給与所得としての源泉徴収を行っていることは、労働者性を補強する要素の一つとなる。」

三  主たる争点

亡A野は労基法九条に規定する「労働者」かどうか、ひいて、労災保険法上の「労働者」であるかどうか。

1  原告の主張

(一) 労災保険法上の労働者は、労基法上の労働者と同一概念である。労基法九条は、労働者を「事業に使用される者で、賃金を支払われる者」と定め、また、改正前の労基法八条一〇号は、同法の適用事業の一つとして、「映画の製作又は映写、演劇その他の興行の事業」を定めており、映画の制作事業に使用される者で賃金を支払われる者は労基法の適用対象者に他ならない。そして、「使用される者」とは、使用者の指揮命令に服して労務を提供する者を意味するから、労働者とは、使用従属関係の下におかれている者である(「従属労働」の法理)。したがって、契約の形式如何によらず、実質的に使用従属関係にあれば労働者であることになるが、右の使用従属性は、労働者が使用者の指揮命令に対して拘束されるという、労務遂行過程における従属性(人的従属性)と、契約締結に際して契約内容が使用者によって一方的に決定されるという従属性(経済的従属性)を総合的に検討して判断されなければならない。

現在では、労働者は工場労働者だけではなく、産業の発展と現代社会の高度化に伴い、サービス業、専門的知識や技術を要するホワイトカラー労働者が激増している実態があり、これらホワイトカラー労働者においては、過去の工場労働者のように生産ラインで画一的・定型的な業務を反復するという労働には従事しておらず、多かれ少なかれ裁量性を有した業務に従事している。また、現代社会では、労働の中にも様々な強弱の使用従属関係が存在し、使用従属関係の有無を分ける境界は単純なものではなくなっている。さらに近年、使用者は、経営の合理化の一環として、人件費の節約や使用者の責任を回避するため、業務の外注化や下請化によるスリム化、フリー化を図っている。そのために従来の労働者を「非労働者化」する労務政策を強めており、このような傾向はあらゆる分野の産業、業種に導入されつつある。

そこで、使用従属関係にあるかどうかは、こうした現実を踏まえ、法制度の目的を考慮し、特に労災保険法の労働者性を判断する際には、右使用従属関係の有無を基本に置きつつ、労働過程において被災した者の救済という法の目的を踏まえた解釈をしなければならない。

(二) 昭和六〇年労基研報告は、使用従属関係にあるかどうかのメルクマールを整理したものにすぎないし、平成八年専門部会報告も、俳優やスタッフの労働の提供の仕方は一様でなく、その労働実態を十分に調査しているとはいえないから、これらを形式的に当てはめて労働者性を機械的に判断するのは誤りであり、従属労働を保護しようとする労働者保護法の目的と理念を尊重し、指揮命令の下で労働している実態があるかどうかを重要な基準とし、使用従属関係の徴表と考えられる諸点、すなわち、①仕事の依頼、業務従事に対する諾否の自由の有無、②時間的場所的拘束性の有無―勤務時間(始業終業の定め)、勤務場所の指定、③業務内容が使用者において定められ、業務遂行過程における使用者の一般的な指揮監督関係の有無、服務規律の適用、④労務提供の代替性、⑤業務用器具の負担関係、⑥報酬が労働自体の対償的性格を有するか否か―生活保障給的要素、労働の質に対する較差、欠勤控除、超勤手当等の有無、付随的に給与所得税等の源泉徴収の有無、さらに退職金制度の存否等を総合的に判断して使用従属関係の有無を判断すべきである。

(三) 撮影技師(カメラマン)であった亡A野が労働者性を有していたかどうかは、現実に同人が従事していた本件映画製作における労働実態を下に判断すべきであるが、その前提として、映画は様々な職種や職能の技術者の集面的・組織的作業を必要不可欠とする産業であるという特質を踏まえる必要がある。

映画の製作・流通全体の流れは、①企画、②製作、③配給、④興行の四つの段階に分けられ、さらに②の映画製作の工程は、製作準備、(イ)撮影、(ウ)編集・仕上げの三段階に区分される。映画製作に関与するスタッフは、通常、プロデューサー(企画者)、監督、助監督、制作進行、撮影技師、照明技師、記録(スクリプター)、編集、美術等の職種に分かれる。映画は、映画製作者の意図を体現したプロデューサー(映画製作会社において、映画全体の製作管理運営上の責任者であり、企画立案や脚本家・監督などの人選、キャスティングなどの交渉・決定、予算案の作成など映画全体を統括する。)の指揮監督の下、創作面では、監督(映画の企画決定の段階から、演出、撮影、編集などに至るすべての段階で必要な指示を行う映画創作面の統括責任者である。)の全体的な指揮監督の下で、多数の映画製作スタッフが協力協働して製作される。このように、映画製作とは、映画製作者の意図を実現する制作進行過程、すなわちプロデューサーを統括者とする業務遂行上の指揮命令の流れと、映画の内容面についての創作過程、すなわち監督を統括者とする芸術的・創造的な業務遂行上の指揮命令の流れが渾然一体となっているのである。

(四) こうした流れを本件映画について具体的にみると、概ね以下に述べるようなものであった。

昭和六〇年九月ころ、青銅プロは、東北映画制作株式会社から本件映画を受注し、青銅プロの代表取締役である小島義史(以下「小島社長」という。)がプロデューサーとなり、本件映画の監督と脚本を青銅プロの非常勤取締役でもある片桐直樹(以下「片桐監督」という。)に依頼した。小島社長と片桐監督は企画を検討して、昭和六〇年一〇月八日に企画書を完成させた。その後、片桐監督は、同月二九日に仕上げた脚本(第一稿)を順次手直しして、昭和六一年二月三日、一人で脚本(決定稿)を完成させた。この間昭和六〇年一一月一八日の本検討、昭和六一年一月三一日のシナリオ検討会に、亡A野が参加したこともあったが、それは撮影する際の技術的な問題に関する話し合いと問題提起のためであり、シナリオ自体の検討のためではなかった。

本件映画の予算決定及びその管理は、小島社長の指示を受けた制作進行係(兼務助監督)の佐々木宏(以下「佐々木」という。)が行っており、亡A野の報酬は、青銅プロの場合、撮影技師の日当が二万三〇〇〇円であることから、それに撮影延べ日数五〇日を乗じ、これに二日間の打ち合わせを考慮して一二〇万円と決定したもので、報酬額決定の基礎となるのは日当であった。

また、スタッフを決定する権限はプロデューサーにあり、片桐監督は、本件映画の撮影技師として小島社長に亡A野を推薦はしたが、採用を決定し、契約をしたのは小島社長であった。同様に亡A野は撮影助手と照明技師を推薦したが、その決定をしたのは小島社長であり、これら撮影助手及び照明技師は青銅プロと契約している。

本件映画の撮影スケジュールについては、撮影対象である寺社寺院の祭りの日時が決まっているため、小島社長と片桐監督が、それに合わせて、昭和六〇年一〇月初め、六ないし七割方のロケの時期・日程の大枠を決め、亡A野を含めたスタッフが従事すべき期間、日数を決定し、具体的なスケジュールは、佐々木が予算などを勘案して同年一〇月中旬に決定した。佐々木は、決定したロケやロケーションハンティング(ロケ地決定やロケの下見のための準備作業をいう。以下「ロケハン」という。)の詳細を予定表として作成してスタッフに配布し、同月三一日にロケ及びロケハンが開始されたが、その開始にあたっては、映画製作においては各スタッフが協力協働することが必要不可欠であることから、現地で集合するのではなく、全員が青銅プロに集合して出発し、以後ロケ及びロケハンが終了するまで、佐々木が決定したスケジュールに従って集団行動しており、原則として、亡A野を含め、スタッフの都合で予定が変更されることはなかった。

亡A野は、映画撮影において高度な専門的力量を有するカメラマンとして、カメラアングルやカメラワークで創造的な技能を発揮し、確かにそこには裁量性があるが、亡A野が従事する撮影業務は、亡A野独自の判断で行われるものではなく、脚本、監督の演出や意図の枠内での裁量である。映画は、カメラマンが撮影したフィルムを単純につなぎあわせるものではなく、カメラマンは、監督の創作的・芸術的な指揮監督の下で撮影作業を行うのである。

(五) 亡A野は、次の諸点からして労働者である。

(1) 仕事の依頼等に対しての諾否の自由について

平成八年専門部会報告が指摘するとおり、「仕事の依頼等の諾否の自由」とは、映画の撮影という仕事それ自体に関する諾否ではなく、一たんその仕事を承諾した上で個々の具体的なロケ撮影等への参加依頼に対する諾否の自由を有しているかどうかという問題なのである。前記(三)で述べたとおり、亡A野は、本件映画の撮影を引き受けた以上、プロデューサーである小島社長の指示に基づいて制作進行の佐々木が決定したスケジュールに従わなければならなかったのであり、仕事の諾否の自由など有していなかった。

(2) 業務遂行上の指揮監督について

前記(四)で述べたとおり、撮影作業について、カメラマンは、その高度な技術的専門性と芸術性により一定の裁量を有しているが、それは監督の指示から独立して発揮されるものではなく、監督の指示と違う撮影をすることは許されない。これは「通常注文主が行う指示」にとどまらない業務遂行上の指揮命令に従っているものであり、平成八年専門部会報告も、「芸術的・創造的な業務に従事する者が有する裁量性が指揮監督関係を否定する要素となるものではない。」と指摘している。また、カメラマンが撮影したフィルムは、編集作業を経て作品となるが、この編集作業にカメラマンは全く関与しておらず、この点からもカメラマンが撮影業務について監督の指示を受けていることは明らかである。

なお、前記(四)で述べたとおり、亡A野はシナリオ検討会に参加しているが、それは撮影のための技術的な打ち合わせ等であり、脚本は片桐監督が一人で完成させたのであり、亡A野は一切関与していない。

(3) 拘束性について

前記(四)で述べたとおり、映画の撮影は集団的かつ組織的に行われ、ロケ及びロケハンの際には、出発から終了まで制作進行係に管理され、拘束されており、亡A野は本件映画の撮影作業に従事している間時間的場所的に拘束され、組織的な業務遂行に組み込まれていた。平成八年専門部会報告のように「業務の性格上当然」とすることは実態にそぐわないし、同報告も、「使用者が業務の遂行を指揮命令する必要によるものであれば、指揮監督関係を肯定する一要素と考えられる。例えば、一日の撮影の中で、監督等が行う具体的な撮影時間、休憩、移動時間等の決定や指示に従わなければならないこと、監督の指示によって一旦決まっていた撮影の時間帯が変動した場合に、これに応じなければならないことは指揮監督関係を肯定する一つとなる。」としているから、亡A野に対する指揮監督関係は肯定されるべきである。

(4) 代替性について

前記(四)で述べたとおり、亡A野は、撮影助手を小島社長に推薦したにとどまり、実際に採用を決定したのは青銅プロの小島社長なのであって、亡A野には、小島社長に代わって助手等を採用する権限もなく、また、小島社長に無断で自分の代わりに誰かを撮影業務に従事させることもできない立場であった。

代替性の有無に関する平成八年専門部会報告からしても、亡A野が指揮命令関係を受けていたことは肯定される。

(5) 報酬の労務対償性について

本件報酬は、前記(四)に述べたとおり、日当を基礎に算定されているから、労務の提供に対する対価である。本件映画は後に追加撮影が行われているが、その際、昭和六一年五月までの間本件映画の撮影に参加し、報酬を一本九〇万円とされていた照明技師の海野義雄に対し、撮影日数に応じた追加報酬が支払われていることからも、そのことは明らかである。本件映画の追加撮影は、青銅プロが撮影した映画「北の仏」に一部を追加する形で行われ、注文主も同じであり、作品としては同一性を有しているし、青銅プロが、本件映画は未だ完成せず、注文主の要望に応じて手直しすべきと決定している以上、同一映画の契約の延長に他ならない。

亡A野は、本件映画の撮影期間(約八か月間、延べ五〇日間)は他の映画撮影に従事することは事実上不可能であったし、亡A野の昭和六〇年の所得をみると、本件報酬を加算しても約六二六万円でしかないから、本件報酬額一二〇万円は決して高収入ではない。佐々木の月額賃金一四万円は低額にすぎる上、佐々木は助監督兼務制作進行係であり、撮影技師の亡A野と比較するのは適切ではないし、青銅プロには専属の社員カメラマンがいない以上、亡A野の報酬額は労働者性を否定する根拠とはならない。

(6) 機械、器具等の負担関係について

本件映画の撮影機材や車両などはすべて青銅プロが準備しており、スタッフの持込みではない。本件映画の撮影は青銅プロのカメラで行うことになっており、亡A野は、例外的に中尊寺金色堂の撮影についてのみ、自己の所有するカメラを使用したにすぎない。

(7) 専属性について

本件映画の撮影のように、撮影期間が長期でその間にロケ及びロケハンが入っている場合には、実際には他の仕事はほとんどできず、亡A野は事実上他の仕事をすることに大きな制約を受けていた。

(8) 所得の申告方法について

本件報酬は、給与所得ではなく事業所得として確定申告されている。青銅プロは、亡A野の本件報酬について、所得税法二〇四条一項五号の「映画、演劇その他政令で定める芸能又はラジオ放送若しくはテレビジョン放送に係る出演若しくは演出又は企画の報酬又は料金その他政令で定める芸能人の役務の提供を内容とする事業に係る当該役務の提供に関する報酬又は料金」として源泉徴収している(以下「芸能人報酬に関する源泉徴収」という。)。

「給与所得に係る源泉徴収」(所得税法一八三条以下)をするか「芸能人報酬に関する源泉徴収」をするか否かは、使用者の一方的な決定によって決められており、芸能労働者側には選択の自由はなく、まさに従属的地位にいる。使用者が「芸能人報酬に関する源泉徴収」をした場合には、労働者側は、所得税の確定申告にあたって、当該報酬が給与所得に該当するとして申告しようとしても制度上はそのような申告は不可能であり、事業所得として申告するしかないのである。したがって、亡A野の報酬が事業所得として申告されていることや、給与所得として源泉徴収されていないことを労働者性の否定の根拠とはできないというべきであり、平成八年専門部会報告も報酬について給与所得として源泉徴収を行っていないことを労働者性を否定する根拠とはしていない。

(9) 労災保険料の支払について

青銅プロは、昭和六〇年四月から昭和六一年三月まで、社員労働者だけでなく、その期間中に報酬・賃金を支払ったフリーの労働者をも労災保険に加入させて労災保険料を支払っており、亡A野に関しても労災保険料を支払っている。

このことは、亡A野が労働者であったことを示すものであるが、そうでないとしても、被告は右労災保険料を異議なく収受していたのであるから、禁反言の法理により無条件で労災補償を支給すべきである。

(六) 右のとおり、亡A野は、プロデューサー及び監督の指揮命令下で本件映画の撮影作業に従事し、ほぼ撮影日数に応じた報酬を支給され、労災保険にも加入していたものであり、労災保険法上の労働者に該当するのであって、これを否定した本件処分には、事実の認定、法令の解釈・適用を誤った違法がある。

2  被告の主張

(一) 労災保険法の保険給付の対象となる労働者は、労基法九条の「労働者」と同一のものと解されるから、労働者であるかどうかは「使用される者」であるか否か、その対償として「賃金」が支払われるか否かによって判断される。

しかし、現実には、指揮監督の程度及び態様の多様性、報酬の性格の不明確さ等からこの判断が困難な場合があり、その場合には、労働者性の判断に当たっては、労務提供の形態や報酬の労務対償性及びこれらに関連する諸要素をも勘案して総合的に判断することになる。そして、その具体的判断基準を示したものが昭和六〇年労基研報告及び平成八年専門部会報告であるから、亡A野の労働者性についてもこれらを踏まえて総合的に判断すべきである。

(二) 亡A野は、次の諸点からして、労働者に当たらない。

(1) 仕事の依頼等に対する諾否の自由について

亡A野は、スケジュールのやりくりができさえすれば、青銅プロが依頼した仕事を引き受けており、本件映画の撮影の仕事についても諾否の自由を有していた。また、製作スケジュールの編成に当たっては、寺院側の事情を最優先に決めるものの、青銅プロの方で亡A野のスケジュールに合わせることもあった。さらに、本件映画の追加撮影に関して、亡A野は存命していればこれを拒否していたことが推認できるのであって、亡A野は青銅プロからの仕事の依頼に対する諾否の事由を有していたというべきである。

(2) 業務遂行上の指揮監督について

亡A野は、本件映画の撮影に当たり、従来の仏像撮影のパターンを打ち破り、撮影技術の集大成ともいえる表現を目指し、脚本づくりの段階から積極的に参加し、撮影設計をたて、その表現のためにロケ先では深夜まで討論が続いた。そして、片桐監督と亡A野の関係は、片桐監督がカメラのポジションや対象の撮り方など基本的なイメージを亡A野に伝え、亡A野はそれを表現するため、何十種類もあるレンズの中から一〇種類位のレンズを選択し、それを組み合わせ、ライティング(照明の照らし方)を決定して映像を作ったり、亡A野がカメラのポジション、サイズ、アングル、被写体の写り方及び撮影方法等について工夫して片桐監督に提案するというもので、亡A野は知識・経験があったことから、監督と撮影技師という仕事の違いはあるものの、芸術性を追求する点では同格であったし、撮影に関する指示も片桐監督と亡A野が同等でしていた。

また、一般的にも監督と撮影技師との関係は、監督が演出意図に基づく映像イメージを撮影技師に伝え、それを受けた撮影技師が自らの芸術的創造性とレンズやフィルターの選択、組み合わせ等の撮影技術を駆使して監督の求めるイメージに沿った映像を作り上げ、それを監督に提供するというものである。そして、この撮影技師の仕事は監督から独立したもので、その提供された映像の採否の決定権は監督にあるものの、撮影技師の仕事自体に対しては、監督は細部に至るまでの指示ができる立場にはないものである。

映画製作という事業目的を遂行するため、プロデューサー等から映画製作に従事するスタッフに対して映画製作上の指示がなされることは当然であり、それが通常注文者が行う程度の指示にとどまる場合には、これを業務遂行上の指揮監督に当たると解することはできないから、右指示の存在の故に直ちに業務遂行上の指揮監督を肯定することはできない。業務遂行上の指揮監督に当たるというためには少なくともプロデューサー等から作業の細部に至るまで指示がなされていたことが必要である。

また、撮影された映像の編集作業等についての最終的責任と権限を有するのは監督又はプロデューサーであるから、撮影されたフィルム・映像の採否を決定するのが監督又はプロデューサーであることは、映画製作という業務の性質又は映画製作における各スタッフの役割から来る当然の帰結であり、これをもって撮影技師に対する業務遂行上の指揮監督関係があるということにもならない。

このように、亡A野は、本件映画撮影の仕事において、シナリオ作成から現場での撮影作業に至るまで、片桐監督と同等ないしはこれに近い立場で作業に従事し、その撮影業務には極めて広い裁量が認められていたもので、亡A野に対する業務遂行上の指揮監督があったということはできない。

さらに、亡A野は、本件契約上、本件映画製作に関し撮影技師以外の仕事に従事させられることはないという約定であったから、青銅プロの一般的な指揮監督を受けていたということもできない。

(3) 拘束性について

亡A野には、青銅プロの従業員に適用される就業規則は適用されず、始業時刻、終業時刻、休憩時間、休日等の基本的労働条件の定めもなく、青銅プロは、製作日報によりこれら従業員以外のスタッフの状況を把握するだけで、時間的管理は行っていなかった。

なお、本件映画の撮影に当たって撮影時間、撮影場所が特定されているが、これは、場面設定と撮影場所である寺院側の都合によるもので、業務の性格上やむを得ないものである。また、映画の撮影は、監督、撮影技師、照明技師等のスタッフが一体となって行わなければならないという業務の特殊性に照らし、場所的・時間的拘束は、労働者でなくとも当該仕事に従事する者であれば、当然受けるものということができるから、これをもって業務遂行上の指揮監督関係を肯定する要素とはならない。

(4) 報酬の労務対償性について

亡A野の本件映画の撮影に対する報酬は一本一二〇万円と高額である上、いわゆる一本契約として本件映画の撮影・製作に対して支払うというもので、撮影期間に多少の変更があっても報酬額は変わりがないものであった。そして、亡A野に対し三回にわたって支払われた報酬の額も、本件映画の撮影の仕事に従事した日数にそれぞれ対応していない上、その支払日も、青銅プロの従業員の賃金支給日である毎月二五日とは異なっていた。

したがって、右の報酬は亡A野の提供した労務の対償ではなく、本件映画の撮影・製作という仕事に対して支払われたものである。

なお、本件映画の追加撮影は、本件映画の撮影に係る契約とは別途締結された新たな契約に基づくものにすぎないから、追加撮影に対する報酬の支払をもって労務対償性の根拠とすることはできない。

(5) 機械・器具の負担関係について

映画製作においては、プロダクション所有の撮影機材を使用するのが一般であるところ、金色堂の撮影一回のみではあるが、亡A野は自ら持参したカメラを使用している。このことは、亡A野が労働者性を有しないことを基礎づける一要素となるものである。

(6) 専属性について

亡A野は、フリーのカメラマンで、青銅プロの仕事も本件映画の撮影以前に一回あっただけである。本件映画の撮影作業に従事していた状況にしても、契約期間である昭和六〇年一〇月から昭和六一年五月までの七か月間のうちの延べ五〇日間にすぎず、右契約期間中、青銅プロと亡A野との間では、本件映画の撮影作業のスケジュール以外の日に亡A野が他の仕事をするのは自由であり、青銅プロの承諾も必要ではなく、実際にも、亡A野は別の仕事も行っていた可能性がある。また、亡A野は、国民健康保険に加入していた。

これらのことからみても、亡A野が青銅プロに専属していたということはできない。

(7) 所得の申告方法について

亡A野の報酬につき、青銅プロは「給与所得に係る源泉徴収」ではなく、「芸能人報酬に関する源泉徴収」を行っており、亡A野も、昭和六一年四月七日、給与所得ではなく事業所得として確定申告している。

原告は、青銅プロが「芸能人報酬に関する源泉徴収」を行った以上、亡A野が給与所得として申告することは不可能であると主張する。しかし、確定申告は、納税者の一方的意思表示に基づいてされるもので、事業報酬として源泉徴収された所得を、受領者において給与所得として申告することは法律上可能であり、ただ、支払者の所得税法の申告内容と受領者のそれとが齟齬することから、申告を受けた税務署において、実態を検討して更正等を行うにすぎないから、亡A野が給与所得として申告することが不可能であったとはいえない。

(8) 労災保険料の支払について

本件報酬が本件映画の撮影という仕事に対して支払われたものであることや、青銅プロが「芸能人報酬に関する源泉徴収」を行っていること、原告も事業所得として申告していることからすれば、青銅プロが支払った労災保険料の算定基礎に亡A野に対する本件報酬が含まれているからといって、当該報酬が労務対償性を有するということはできない。

労災保険料の申告・納付段階では、青銅プロが支払った報酬・賃金の内訳、すなわち右報酬・賃金を支払った労働者の氏名等の添付は要求されておらず、亡A野に対する本件報酬がその算定基礎に含まれているか否かは被告には判明しないものであること、労災保険の給付は労基法九条の「労働者」に対してなされるものであって、右要件を充足しない限り、たとえ労災保険料が納付されていたとしても、給付はできないことからすれば、本件処分が原告主張の禁反言の法理に反したものとはいえない。

(三) 前記(二)の諸事実に鑑みれば、結局亡A野は労基法九条の労働者には該当しないというべきであるから、亡A野が労基法九条に規定する労働者とは認められないことを理由としてなされた本件処分は適法である。

第三当裁判所の判断

一  第二の一1の事実及び《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

1  亡A野の撮影技師(カメラマン)としての経歴について

亡A野(大正一五年八月二八日生)は、昭和二五年郷里の岩手県から上京し、昭和二六年からカメラマン助手として映画製作に従事するようになり、昭和三〇年カメラマンとして独立し、以後、フリーのカメラマンとして、劇映画、記録映画、企業のPR映画及びテレビ・コマーシャル等の多くの撮影に従事した。亡A野は、この間昭和三七年に映画「おとし穴」(監督・勅使河原宏)で、それまではニュース撮影などでやむを得ない場合を除いてはタブーとされていた手持撮影を大胆に創造表現に持ち込むことによって日本映画界に衝撃を与え、昭和三九年には、カンヌ映画祭審査員特別賞(グランプリ)を受賞した映画「砂の女」(監督・勅使河原宏)の撮影を担当した。また、亡A野は、昭和五〇年ころから、その新しい映像感覚が多くのコマーシャルフィルム演出家によって注目され、数多くのコマーシャルフィルムを撮影したほか、昭和六〇年度日本映画技術賞の審査委員を務め、昭和六一年には、映画テレビ技術協会の記録映画部門の審査委員にも選ばれている。

2  亡A野と青銅プロとの契約内容等について

青銅プロは、東北電力株式会社がスポンサーとなっている「東北の人と文化シリーズ」の作品の一つとして、昭和六〇年九月ころ、東北映画制作株式会社から本件映画を受注した。青銅プロは、本件映画を企画、製作し、青銅プロの小島社長がプロデューサー、非常勤取締役の片桐監督が監督及び脚本作成を担当した。片桐監督は、亡A野と旧知の間柄であること、亡A野の撮影技術が高い評価を得ていること、亡A野が東北出身でもあり、かねてから「何か東北でやろうよ。」と話していたことから、小島社長に本件映画の撮影技師として亡A野を推薦した。

そして、亡A野は、昭和六〇年一〇月一五日、青銅プロとの間で、本件映画の撮影技師として、昭和六〇年一〇月から昭和六一年五月まで(この間に東北地方のロケ三回、延べ五〇日間)撮影業務に従事する契約(本件契約)を締結した。報酬は、一本すなわち本件映画撮影業務について一二〇万円で、月末又はロケの後に支払うという約定になっていた。

本件契約は、亡A野と小島社長の間で口頭でなされた。亡A野の報酬は、青銅プロにおける撮影技師の日当が二万三〇〇〇円とされており、撮影延べ日数が五〇日であることから、これを乗じた一一五万円に、出発前の打ち合わせ、撮影終了後の出社を考慮して五万円を加算し、右のとおり一二〇万円と決定された。また、青銅プロの従業員に対する賃金支給日は毎月二五日であったが、本件報酬の支払方法が右のとおりとされたのは、亡A野の要望によるものであった。しかし、契約締結の際に定められた期間はおおよそのもので、映画の掲影期間は、通常、予定した期間より延びることはあっても、それより早期に終了することはほとんどないが、期間に多少の変動があっても、報酬額は変更されないものとされた。亡A野は、ロケの期間中であった昭和六一年二月一九日朝に倒れ、同月二三日に脳梗塞で死亡したため、途中まで本件映画の撮影に従事したことになるが、本件映画の撮影の約三分の二を消化したということで、八四万円(昭和六〇年一二月九日に三〇万円、同月二六日に二〇万円、亡A野の死亡後の昭和六一年三月二五日に三四万円)が支払われた。

また、本件契約においては、亡A野は、本件映画の撮影について撮影技師以外の仕事に従事させられることはないし、本件映画の撮影期間中であってもスケジュールが入っていないときに他の仕事をするのは全くの自由とされ、亡A野が他の仕事をするについて小島社長の承諾を得る必要もなかった。ただ、本件映画の撮影期間中、亡A野が他の映画の撮影に参加するといったまとまった仕事を並行して行うことは、時間的な余裕がなく、できないことであった。なお、原告の母であるB山花子は、亡A野は本件映画の撮影期間中、「旧知の勅使河原さんの依頼でお花の展示会の撮影を二日か三日していたかもしれない。」と述べている。

青銅プロは従業員に適用される就業規則を備えており、それには就業時間、休憩時間、休日、服務規律等が規定されているが、亡A野には右の就業規則は適用されなかった。

亡A野は、青銅プロの仕事には過去二〇年間に五、六回従事した程度で、昭和六〇年も勅使河原プロダクションでの仕事に最も多く従事し、収入は合計八社の仕事から約六〇〇万円を得ており、これらの収入について事業所得として確定申告をしていた。青銅プロでは、スタッフの報酬については「芸能人報酬に関する源泉徴収」行っていたが、同プロが昭和六〇年四月から昭和六一年三月まで所轄労働基準局に支払った労災保険料の算定基礎には亡A野に対する報酬も含めていた。しかし、労災保険料の納付段階では、対象労働者の氏名やその者に対する報酬・賃金額といった内訳を添付することは義務づけられていないことから、青銅プロが支払った労災保険料の算定基礎に亡A野に対する報酬が含まれていることは被告には分からなかった。また、亡A野は、社会保険として東京芸能人国民健康保険に加入していた。

3  映画製作一般について

映画の製作・流通全体の流れは、企画、製作、配給、興行の四つの段階に分けられ、このうち映画製作の工程は、①製作準備、②撮影、③編集・仕上げの三段階に分けられる。

まず、企画の段階では、社内で映画の内容等が検討され、映画化が決定されると製作予算が組まれ、プロデューサーと監督が決められ、プロデューサーは、脚本の依頼、現地調査、主演俳優の出演交渉などを行う。製作準備に入ると、脚本の第一稿をもとにプロデューサーや監督などが検討を行う「本読み」と呼ばれる作業を行い、検討の結果決定稿が完成すると、プロデューサーは、監督と相談しながら、撮影技師(カメラマン)、照明、録音、美術、編集などの各技師と助監督、制作進行主任等を決定する。そして、具体的プランがまとまった段階で、ロケがある場合には、プロデューサー、監督、カメラマンなどがロケハンを行う。

撮影を開始するに当たっては、撮影期間や予算に応じてスケジュールを決定することになるが、この作業は助監督や制作進行主任が行う。撮影スケジュールは、ロケの場合には、出発時の集合場所、時刻、宿泊場所、撮影機材の管理やバスの手配など詳細にわたるもので、スケジュールの管理も製作進行主任が行う。

実際に撮影が行われ、それが終了すると、編集係が撮影した各カットをつなぎ合わせ、俳優が台詞を入れるアフレコを行う。編集技師が粗編集したものを監督が見て、必要な指示をし、不必要な場面をカットしたり、撮り増しを決定したりするが、この段階ではプロデューサーの意向も反映される。なお、記録映画の場合、編集の際、実際に撮影したフィルムのうち、作品として使用されるのは一五ないし二五パーセント程度である。

その後、台詞、効果音、音楽などの音をミックスする作業(フィルムダビング)を経て、完成に至る。

映画は、撮影、録音、演出、俳優の演技力等々色々な技術が集合したものであり、各スタッフにはそれぞれ独立した職能があって、専門的に分かれているため、各スタッフが契約以外の仕事をするということはあり得ない。映画製作は、こうした各スタッフがそれぞれの職能に応じて協力協働して行うものであり、その関係の密接さから、当該映画製作に関わるスタッフらを、監督の名前を冠して「○○組」と呼称することがある。

4  本件映画製作

(一) 青銅プロが本件映画を受注した後、小島社長が本件映画のプロデューサーとなり、本件映画の監督と脚本を片桐監督に依頼した。小島社長と片桐監督は企画を検討して、昭和六〇年一〇月八日に企画書を完成させた。小島社長と片桐監督は、シナリオハンティング(脚本を書く前に現地に下見調査に行くこと)のために東北各地の仏像を見て回り、片桐監督は、同月二九日に脚本の第一稿にあたる「『みちのくの仏は語る』構成案」を完成させた。この時点では、亡A野は本件映画の製作に関与していない。

片桐監督は、同月三一日から同年一一月六日に中尊寺藤原祭のロケを実施した後、同月一二日から一六日までに第二稿となる「みちのくの古代仏」を、さらにこれに手を加えて同月二一日に第三稿をそれぞれ書き上げ、昭和六一年二月三日に第四稿として決定稿を完成させた。本件映画の脚本はすべて片桐監督が一人で書き上げたものである。

この間、昭和六〇年一一月一八日に「本検討」と呼ばれる脚本の第二稿の検討が行われており、小島社長、片桐監督、亡A野、撮影助手として本件映画の撮影に参加することになった宮武嘉昭(以下「宮武」という。)が参加した。また、昭和六一年一月三一日には打ち合わせも行われており、小島社長、片桐監督、亡A野、照明技師の海野義雄(以下「海野」という。)などが参加した。これらの本検討や打ち合わせに撮影技師の亡A野や撮影助手、照明技師が参加するのは、脚本の具体的な内容を検討するというよりも、実際の撮影に関する技術的な打ち合わせを行うためであった。

(二) 小島社長は、昭和六〇年一〇月初めころ、青銅プロの従業員であった佐々木に本件映画の助監督と制作進行を担当するよう指示した。また、プロデューサーである小島社長はスタッフの決定を行った。撮影技師については、前記のとおり片桐監督が小島社長に亡A野を推薦して同人に決定された。亡A野は、撮影助手として宮武(チーフ)及び瀬川龍(セカンド)を、照明技師として海野を、それぞれ小島社長に推薦し、右三名は青銅プロと契約した。映画撮影の際、撮影技師のほか撮影助手をつけるのが通常であり、亡A野が推薦した撮影助手は、亡A野が常に仕事を一緒にしている、いわゆるA野一家の一員であり、本件映画の撮影においても、亡A野の指示の下に作業に従事していた。

また、プロデューサーは、予算の作成、決定も行うが、本件映画の作成に関しては小島社長から指示を受けた佐々木が予算の作成をした。スタッフの人件費は、撮影技師の亡A野、照明技師の海野、撮影助手でも一本立ちをしている宮武については、青銅プロで決まっている日当と予定撮影日数を基礎として算定した額に打ち合わせへの参加等を考慮して決めていたが、撮影日数が予定より多少長くなっても追加報酬はないとされた。その他の撮影助手、照明助手については、日当一万五〇〇〇円として日数に応じて報酬が支払われていた。なお、報酬額は、本件映画のスタッフの中では片桐監督の一五〇万円が最高であるが、亡A野の一二〇万円はそれに次ぎ、それに続く海野は延べ四〇日間の作業従事で九〇万円であった(なお、海野の報酬は予算作成時点では七〇万円であった。)。

(三) また、小島社長は、昭和六〇年一〇月ころ、佐々木に本件映画の実行予算の策定を指示し、佐々木は実行予算を一六〇〇万円として、その範囲でロケ日数を五〇日と算出してスケジュールを立てた。同年一〇月初めの時点で、小島社長と片桐監督は、本件映画の撮影に関し、昭和六〇年一一月一日に中尊寺(岩手県平泉市)の藤原祭、同月三〇日から同年一二月二日まで中尊寺、昭和六一年二月一五日から同月一六日に黒石寺(岩手県水沢市)蘇民祭、同年五月一日に船形山神社(宮城県大和町)の例祭という日程の大枠を決めていたが、佐々木は、これを前提として昭和六〇年一〇月中旬ころ、映画撮影の具体的なスケジュールを組み、同年一〇月三一日からのロケとロケハンの具体的日程を決定した。佐々木は、ロケ出発の二、三日前にロケ及びロケハンの詳細を予定表に作成してスタッフに配布した。それ以降は、原則として予定表に従って本件映画の撮影等は進行し、このスケジュールの管理は佐々木が行っていた。

ロケ及びロケハンに当たって、本件映画のスタッフ全員が青銅プロに集合した上、ロケ及びロケハンの現場に出発し、撮影の期間中も終了するまで、宿泊、食事等同一で常に集団で行動していた。

(四) 本件映画のロケ及びロケハンは、昭和六〇年一〇月三一日から同年一一月五日まで、同月二二日から同年一二月五日まで、昭和六一年二月一〇日から同月二六日まで、同年四月一五日及び一六日、同月二一日から二六日、同月三〇日から同年五月一三日まで、同月二五日から同月二七日までの間それぞれ行われ、その時点で撮影は一度終了して本件映画は完成したが、スポンサーである東北電力株式会社の要望で昭和六一年八月七日から同月一一日まで対象寺院を追加して五日間追加撮影が行われた。この追加撮影に関して、片桐監督は、本件映画は作品として完成しており、これをスポンサーの都合で変更することは理不尽であると考えて追加撮影を断ったが、小島社長が承諾してこれを実施した。したがって、片桐監督は追加撮影に一切関与していないが、小島社長のほか、当初の撮影に参加した宮武、海野、撮影助手の瀬川龍、照明助手の井上愉斗志は、追加撮影にも参加した。スタッフに対する追加撮影の報酬は、青銅プロで決められている日当にロケ日数を乗じて算定し、別途各スタッフに支払われた。

なお、追加撮影は亡A野の死亡後に実施されたものであるが、片桐監督は、亡A野も自分と同様の考えで追加撮影への参加を断ったであろうと考えている。

(五) 亡A野が本件映画の撮影に従事した状況は、次のとおりである。

昭和六〇年一〇月三〇日全体会議、同年一〇月三一日から同年一一月五日まで岩手ロケ及び東北各地ロケハン、同年一一月七日ラッシュ(撮影したフィルムを見て撮影状況を確認する作業)、同月一八日本検討会、同月二二日から同年一二月五日まで新潟ロケハン及び岩手ロケ、昭和六一年一月三一日打ち合わせ、同年二月一〇日から同月一八日まで宮城、山形、岩手、秋田ロケであり、同月一九日朝、亡A野は宿泊先の旅館「由利館」で倒れ、同月二三日脳梗塞で死亡した。

撮影技師としての亡A野が本件映画の撮影で行う仕事は、片桐監督が伝えるカメラのポジションや対象の撮り方などの基本的なイメージを忠実に表現することであった。撮影技師は、監督のイメージを把握して、自己の技量や感性に基づき、映像に具象化するのが仕事であって、監督は、その仕事の細部に至るまでの指示ができる立場にはない。映画製作に関して最終決定はプロデューサーを除き監督が行うものであるが、芸術性を追求する点では監督と撮影技師は同格であり、両者は意見を出し合って議論をしながら撮影を進めていくものである。

亡A野の仕事は、具体的には、何十種類もあるレンズの中から一〇種類くらいのレンズを選択し、それを組み合わせ、ライティングを決定して、映像を作ったり、亡A野自身カメラのポジション、サイズ、アングル、被写体の写り方及び撮影方法等について工夫して片桐監督に提案するというものであった。例えば、本件映画において、亡A野は、岩手県の成島毘沙門堂にある全長四メートル超の「兜file_2.jpg毘沙門天」の撮影に関し、そのスケールの大きさを出すため、移動車を使ってカメラを縦に約四メートルの高所まで上げて上方から撮影する方法を考案するなどし、片桐監督はこの方法を容れて実際に撮影した。また、亡A野が設定したファインダーを片桐監督が確認した上、撮影を行うこともあるが、移動して撮影する場合はそのようなことはできないので、亡A野が撮影したものを片桐監督が取捨選択することになる。

亡A野は、本件映画の撮影に際し、これまでの仏像撮影のパターンを打ち破りたいと考えており、数種のフィルターの組み合わせ、余り使われなくなっていた紗の使用を試みたほか、ライティングも慎重をきわめ、照明技師である海野と綿密な打ち合わせを行ったり、宿泊先で深夜まで撮影の仕方や脚本に関し討論する中で、撮影技師としての立場から意見を述べるなどし、実際の撮影においても、個々の撮影に関するポジションの決定等は亡A野も指示し、その意見は相当に尊重されていた。

なお、本件映画の撮影では実際には行われなかったが、一般論としては、監督と撮影技師の意見が異なった場合には、撮影技師の考え方でも撮影した上最終的にラッシュを見て採否を決定するということもある。最終的な決定権は監督にあるにせよ、ラッシュ時は映画の撮影に関与した全スタッフが参加し、互いに自由に意見を述べるのが通例であるが、本件映画では、亡A野が撮影途中で死亡したため、最終段階のラッシュを亡A野が見る段階にまではいかず、片桐監督は、最終段階では、亡A野が独自で考え撮影したものは採用しなかった。

本件映画のロケ及びロケハンの期間中である昭和六一年二月一一日から一三日までの間、片桐監督の義母が急逝して、片桐監督が帰郷したため、実景撮り、すなわち風景の撮影が行われたことがあった。その際、片桐監督は「厳しい自然」というイメージを亡A野や助監督の佐々木に伝え、亡A野と佐々木が意見交換を行いながら撮影場所を決定して撮影を行ったことがあったが、佐々木としては、撮影場所に関してはできるだけ亡A野の意向を尊重するようにしていた。

なお、亡A野は、本件映画の撮影には原則として青銅プロの撮影機材(カメラ、露出計等)を使用しており、一般的にもこのような方法は採られていたが、中尊寺の金色堂の撮影には、特にきれいに撮るため、スタッフの意向も受けて自ら持参した三五ミリカメラを使用した。

二  亡A野の労働者性について

1  労災保険法の保険給付の対象となる労働者の意義については、同法にこれを定義した規定はないが、同法が労基法第八章「災害補償」に定める各規定の使用者の労災補償義務に関わる使用者全額負担の責任保険として制定されたものであることにかんがみると、労災保険法上の「労働者」は、労基法上の「労働者」と同一のものであると解するのが相当である。そして、労基法九条は、「労働者」とは、職業の種類を問わず、同法八条所定の「事業又は事務所に使用される者で、賃金を支払われる者」をいうと規定しているところ、これは要するに、使用者との使用従属関係の下に労務を提供し、その対価として使用者から賃金の支払を受ける者をいうと解されるから、「労働者」に当たるか否かは、雇用、請負といった法形式のいかんにかかわらず、その実態が使用従属関係の下における労務の提供と評価するにふさわしいものであるかどうかによって判断すべきものである。

もっとも、実際には種々様々な契約の形態があり、使用従属関係といってもその程度は一様ではないから、使用従属関係の有無は、使用者とされる者と労働者とされる者との間における具体的な仕事の依頼、業務指示等に対する諾否の自由の有無、業務遂行上の指揮監督関係の存否・内容、時間的及び場所的拘束性の有無・程度、労務提供の代替性の有無、支払われる報酬の性格・額、業務用機材等機械・器具の負担関係、専属性の程度、使用者の服務規律の適用の有無、公租などの公的負担関係、その他諸般の事情を総合的に考慮して判断されなければならない。

この意味で昭和六〇年労基研報告及び平成八年専門部会報告の示す判断基準は参考となるものといえるが、もとより、使用従属関係の有無は、個別具体的な事案に応じ、その事実関係を踏まえて判断すべきものであるから、これらの報告の判断基準を絶対視すべきではないことも当然である。

2  前記1を踏まえて亡A野の労働者性について検討する。

(一) 仕事の依頼等に対する諾否の自由について

本件映画の撮影について、亡A野には、これを引き受けるかどうか、言い換えれば契約を締結するかどうかの自由があったことは明らかであるが、一度、契約を締結すると、亡A野は、製作進行係兼務助監督である佐々木がプロデューサーである小島社長の指示の下に作成した予定表に従って行動しなければならなくなり(前記一2、4(三))、また、撮影技師として本件映画についての片桐監督のイメージを把握してそれを映像に具象化する立場にあったのであるから(前記一4(五))、本件映画の撮影に関し、亡A野が具体的な個々の仕事についてこれを拒否する自由は制約されていたということができる。

しかし、こうした制約は、主として映画製作の性質ないしは特殊性を理由とするもので、「使用者」の指揮命令を理由とするものとは言い難い。

亡A野が本件映画の撮影という仕事を引き受けた以上、本件映画の撮影では、撮影対象となる祭りの日程、寺院側の事情が最優先され、それにより撮影スケジュール、撮影場所は事実上決定されてしまうのであり、また、映画製作は、撮影、録音、演出等職能に応じて独立した専門的なスタッフが多数参加し、協力協働して行われること(前記一3)からすれば、本件映画の撮影に当たり、スタッフの一員である亡A野が他のスタッフとともに予定表に従って行動することは、ロケ及びロケハンの効率や便宜から考えた場合、映画撮影の仕事上必要なことということができる。また、監督のイメージを映像に具象化することは撮影技師の本来の役割である。したがって、亡A野の受けるこれらの制約は、「使用者」の指揮命令とは直接には関係しないものというべきである。

(二) 業務遂行上の指揮監督関係について

撮影技師の仕事が、監督のイメージを把握して、自己の技量や感性に基づき、映像に具体化するものであるということ(前記一4(五))からすれば、亡A野が全く自由に撮影をすることが許されていたわけではないことは明らかである。

しかし、亡A野の仕事は、具体的には、何十種類もあるレンズの中から一〇種類くらいのレンズを選択し、それを組み合わせ、ライティングを決定して映像を作ったり、カメラのポジション、サイズ、アングル、被写体の写り方及び撮影方法等について工夫して片桐監督に提案することなどであり、実際にも亡A野の提案に従って撮影が行われた部分もある(前記一4(五))。また、片桐監督がロケ及びロケハンの現場を離れていた期間中、亡A野と助監督の佐々木は、片桐監督の示した「厳しい自然」という極めて漠然としたイメージを映像化する実景撮りを行うについて、場所の選定から行ったが、場所の選定に関し佐々木は亡A野の意見を尊重した(前記一4(五))。さらに、亡A野は、本件映画の撮影中、片桐監督の考えとは異なっており、最終的には採用されなかったが、自分の考えで撮影したものもあった(前記一4(五))。そして、片桐監督は、亡A野の仕事に対しては、技術面のみならず、その専門性からも、その細部について指示をすることはできなかったのである(前記一4(五))。

右の事実に加え、亡A野の経歴(前記一1)からいえば、亡A野は高度な技術と芸術性を有しており、これを片桐監督も高く評価していたこと(前記一2)、亡A野は本件映画の撮影に際し、これまでの仏像撮影のパターンを打ち破ろうと考え、積極的に意見を述べるだけでなく、個々の撮影に関するポジションの決定等も指示していたこと(前記一4(五))なども考慮すれば、亡A野の仕事には、片桐監督のイメージに反することはできないという制約があったにせよ、相当程度の裁量があったというべきである。もっとも、本件映画に関し最終的に責任を持つのは片桐監督であり、亡A野が撮影したフィルム(カットの積み重ね)の中からのカットの採否やフィルムの編集を最終的に決定するのは片桐監督であるが、芸術性を追求するという立場では片桐監督も亡A野も同等の立場であること、カットの採否のためにラッシュを見るのはスタッフ全員であって、各スタッフが自由に意見を述べ合うこと(前記一4(五))などからすると、これらの最終的な決定権限が片桐監督にあるのは、監督と撮影技師との職能ないしは業務分担の問題であって、「使用者」の指揮命令とみるのは相当ではない。このことは、そもそも映画製作は、撮影、録音、演出等色々な専門的技術が集合したものであり、各スタッフには、それぞれ独立した職能があり、専門的に分かれている自己の職能以外の仕事をするようなことは考えられず、その職能に応じて高度に専門的な技術等を発揮しながら協力協働して行っていくもので(前記一3。亡A野は撮影技師として本件映画の撮影に参加し、それ以外の仕事に従事させられることがなかったことは前記一2のとおりである。)、言い換えると「使用者」あるいはその指示を受けた上長等の一方的な指示の下で作業を行うものではないということからも裏付けられる。

これらのことからすると、亡A野が従事していた作業の実態からみて指揮監督関係を認めることは困難であるといわなければならない。

なお、亡A野が、本件映画製作の企画段階、脚本作成、実質的内容にわたるシナリオの検討に関与していないことは前記一4(一)のとおりであるが、映画製作においては、それぞれ独立した職能があって、専門的に分かれているという性格(前記一3)からすれば、右事実をもって直ちに労働者性を認めることはできない。

(三) 時間的・場所的拘束性について

亡A野は、本件映画の撮影に従事することにより佐々木の作成した予定表に従って集団で行動し、就労場所もロケ及びロケハンの現場と指定されているものであるから、時間的・場所的拘束性は高いものということができる。

しかし、右の拘束も前記(一)で述べたとおり、映画製作の性質ないし特殊性による面が大きく、「使用者」の指揮命令の必要からそのような拘束がされているとは直ちに言い難い。

(四) 労務提供の代替性について

亡A野は、いわゆるA野一家の中から撮影助手を推薦し、撮影と密接な関係を有する照明技師も推薦している(前記一4(二))。これらの者は、亡A野が採用するわけではないが、場合によっては青銅プロは採用しないこともあるという程度で、亡A野の推薦は相当程度に尊重されていたと考えられる。しかし、前記一3のとおり、撮影技師には高い専門性があるというべきであるから、その補助者である撮影助手等について亡A野の推薦が尊重されていたからといって、撮影技師である亡A野の仕事そのものについて代替性が認められていたということはできない。

(五) 報酬の性格・額について

本件報酬は本件映画一本の撮影作業に対するものとして一二〇万円とされており、撮影日数に多少の変動があっても報酬の変更はないものとされていたことからすれば(前記一2、4(二))、その報酬は一定の時間の労務提供に対する対価というよりは、作品一本の撮影に対する対価というべきであり、仕事の請負に対する報酬であるとみるのが相当であって、これを直ちに賃金であると認めるのは困難である。

なお、撮影技師である亡A野の本件映画撮影の報酬額一二〇万円が高額であるか否かは、青銅プロには従業員である撮影技師がおらず比較すべき対象を欠くから、一概にはいえない。

原告は、報酬の算定基礎が日当であること(前記一2)、追加撮影に従事した者に対して追加報酬が支払われていること(前記一4(四))を根拠に亡A野の報酬が賃金であった旨主張する。亡A野の報酬は、日当を算定基礎に打ち合わせを考慮して決定されたものであるが、厳密な日当計算になっておらず、一本立ちしていないセカンドの撮影助手、照明助手が純粋な日当制で当初の予定に拘束されず、稼働日数に応じて報酬が支払われていたこと(前記一4(二))とは明らかに状況を異にする。また、亡A野は合計三三日間本件映画の撮影等に従事してその途中で死亡しているところ(前記一4(五))、これを青銅プロで決められている撮影技師の日当二万三〇〇〇円を基礎に算定すれば、その報酬は七六万円弱となるべきであるのに、実際には八四万円が支払われているが、その理由は撮影の三分の二を消化したからというものであり(前記一2)、このことは亡A野の報酬に出来高的な要素が強かったことを窺わせる。

追加撮影に従事した者に対しては追加報酬が支払われているところ、追加撮影は、当初の撮影に対する追加という意味では、当初の契約の延長とみる余地もなくはない。しかし、追加撮影は、本件映画が一たん完成した後スポンサーの要望で行われたもので、当初の予定にはなく、当初の撮影が終了してから二か月以上も後に行われていること、片桐監督は、当初の撮影が終了した時点で本件映画は作品として完成したものであるとし、それを理由に追加撮影への参加を拒否していること(前記一4(四))からすれば、追加撮影分は、青銅プロと注文者との関係では、当初撮影分に加えて追加撮影を行ったという意味で当初撮影の延長という面があったとしても、青銅プロと撮影スタッフとの間の映画撮影に関する契約という面からいえば、当初撮影の契約とは別の契約であると評価すべきである。

したがって、亡A野に支払われた報酬の性格からすれば、その賃金性は弱いものといわざるをえない。

(六) 機械・器具の負担関係について

亡A野が本件映画の撮影に使用した撮影機材は、中尊寺金色堂の撮影について自己のカメラを使用したほか、他はすべて青銅プロのものであり、このことは、亡A野の労働者性を窺わせる要素ということができる。

(七) 専属性の程度について

亡A野は、青銅プロとの間では本件映画撮影に従事するまでの二〇年間に五、六本程度映画撮影に従事したにすぎないこと(前記一2)、本件映画の撮影期間中、他の映画撮影などのまとまった仕事に従事するのは事実上困難であったにせよ、この期間中でも他の仕事をするのは契約上自由であったこと、実際亡A野は、本件映画の撮影期間中、勅使河原宏の依頼で花の展示会の撮影を二、三日行っていた可能性があるし、昭和六〇年を通じてみても、勅使河原プロの仕事が最も多いこと(前記一2)からすれば、亡A野が経済的に青銅プロの仕事に依存していたということはできず、亡A野の青銅プロへの専属性の程度は低いというべきである。

(八) 服務規律の適用について

亡A野には、従業員の就業時間、休憩時間、休日及び服務規律等を定めた青銅プロの就業規則は適用されていない(前記一2)。なお、亡A野の報酬の支払時期も、青銅プロの従業員と異なる時期とされた(前記一2)。

(九) 公租などの公的負担関係について

(1) 亡A野の本件報酬に関しては、「芸能人報酬に関する源泉徴収」がされており、亡A野は本件報酬を事業所得として確定申告をしている(前記一2)。原告は、使用者が「芸能人報酬に関する源泉徴収」をした場合には、労働者側はその報酬を給与所得として申告することは制度上不可能であると主張するが、被告の主張するとおり、その場合でも制度上は給与所得として申告することは可能であるから、この点に関する原告の主張は採用できない。もっとも、報酬の所得申告形式のみを捉えて使用従属関係を否定することは不相当であるが、右の源泉徴収の仕方、亡A野の所得申告形式は、(五)で検討した本件における亡A野の報酬の実態にも合致しているということができる。

(2) 青銅プロが昭和六〇年四月から昭和六一年三月まで労災保険料の算定基礎に亡A野に対する本件報酬を含めていたこと(前記一2)は、亡A野の労働者性を肯定する要素である。しかし、亡A野分を含めた労災保険料の納付に関しては青銅プロの判断にすぎず、被告の労働者性の判断に基づいて行われているわけではないから、そのことから直ちに亡A野が「労働者」であったということはできない。

なお、原告は、青銅プロが亡A野分を含めて労災保険料を支払い、被告がこれを収受していたことから、禁反言の法理により、被告は労災補償を支給すべきであると主張する。しかし、労災保険法に基づく保険給付は、その要件を充足しているかどうかを法律の定めるところに従って判断して行われるべきものであり、被災者が労基法九条の「労働者」に該当しない場合は、要件を充足しないから、たとえ労災保険料が納付されていたとしても、労災保険の給付を行うことはできない上、労災保険料の算定基礎に亡A野の報酬が含まれていたかどうかは、納付段階ではその内訳を添付しなければならないものではないことから、被告に判明しない(前記一2)というのであるから、原告の禁反言の法理の主張を採用することはできない。要は、亡A野が労基法九条の「労働者」に該当するか否か等労災保険給付の要件を充足しているかどうかにより、その支給の可否を決定すべきものである。

3  右2で検討したところによれば、亡A野の本件映画撮影業務については、個々の仕事についての諾否の自由が制約されていること、時間的・場所的拘束性が高いこと、労務提供の代替性が低いこと、撮影機材は青銅プロのものであること、青銅プロが亡A野の本件報酬を労災保険料の算定基礎としていることといった労働者性を窺わせる事情はあるが、これらのうち、個々の仕事の諾否の自由の制約や、時間的・場所的拘束性の高さは、使用従属関係の徴表とみるよりは映画の製作・撮影という仕事の性質ないし特殊性に伴う当然の制約であって、亡A野の撮影業務遂行上、同人には相当程度の裁量があり、使用者による指揮監督があったとは認め難いこと、亡A野の本件報酬は仕事の請負に対する報酬とみられるし、所得申告上も事業所得として申告され、青銅プロも事業報酬である芸能人報酬として源泉徴収を行っていること、亡A野の青銅プロへの専属性は低く、青銅プロの就業規則も適用されていないこと等を総合して考えれば、亡A野は自己の危険と計算で本件映画の撮影業務に従事していたものと認めるのが相当であり、使用者との使用従属関係の下に労務を提供していたとはいえないから、労基法九条にいう「労働者」に当たらないといわざるを得ない。

4  右のとおり、亡A野は労基法九条の「労働者」であるということはできず、労災保険法上の「労働者」にも該当しないから、亡A野が労基法九条の「労働者」、ひいては労災保険法における「労働者」ではないことを理由とする本件処分は適法である。

三  以上の次第で、原告の請求は理由がないから棄却し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 山口幸雄 裁判官 松井千鶴子 鈴木拓児)

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