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東京地方裁判所 平成10年(行ウ)44号 判決 2001年8月30日

第四四号事件原告兼第八二号事件被告補助参加人

朝日火災海上保険株式会社

代表者代表取締役

野口守彌

訴訟代理人弁護士

桑島浩

第八二号事件原告兼第四四号事件被告補助参加人

甲野太郎

外一八名

第八二号事件原告ら兼第四四号事件被告補助参加人ら訴訟代理人弁護士

前田茂

牛久保秀樹

宗藤泰而

上条貞夫

両事件被告

中央労働委員会

代表者会長

山口浩一郎

指定代理人

菅野和夫

外三名

主文

1  第四四号事件原告兼第八二号事件被告補助参加人の第四四号事件についての訴えのうち、同事件被告に対し、「同被告が中労委平成八年(不再)第六号事件及び同第七号事件について平成一〇年一月二一日付けで発した命令の主文第1項中①(第四四号事件原告に対し、第八二号事件原告兼第四四号事件被告補助参加人丙田三郎に対する昭和五八年四月一日付け三鷹営業所への配置転換命令がなかったものとして取り扱い、同人を本店東京営業本部の原職又は原職相当職に復帰させることを命じた部分)」の取消しを求める訴えを却下する。

2(1)  被告が中労委平成八年(不再)第六号事件及び同第七号事件について平成一〇年一月二一日付けで発した命令の主文第2項中、第八二号事件原告兼第四四号事件被告補助参加人東野十郎の賃金、賞与、職能資格格付け及び職位について措置することを命じた部分を取り消す。

(2)  上記命令の主文第5項中、第八二号事件原告ら兼第四四号事件被告補助参加人ら(ただし、第八二号事件原告兼第四四号事件被告補助参加人東野十郎を除く。)の昭和六三年四月以降平成三年度までの賃金及び昭和六三年六月以降平成三年度までの賞与について、各年の六月一日における職能資格格付け(職能給の等級を含む。)及び職位について同年同期入社者に遅れないように取り扱った上での是正の申立てを棄却した部分を取り消す。

(3)  第四四号事件原告及び第八二号事件原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

3  訴訟費用は、第四四号事件、第八二号事件を通じ、補助参加によって生じた訴訟費用を含め、これを一六分し、その三を第八二号事件原告ら兼第四四号事件被告補助参加人らの負担とし、その四を被告の負担とし、その余を第四四号事件原告兼第八二号事件被告補助参加人の負担とする。

事実及び理由

第1章  請求

(第四四号事件)

被告が中労委平成八年(不再)第六号事件及び同第七号事件について平成一〇年一月二一日付けで発した命令は、主文第5項で申立人らの申立てを棄却した部分を除き取り消す。

(第八二号事件)

被告が平成八年(不再)第六号事件及び同第七号事件について平成一〇年一月二一日付けで発した命令中、主文第2項、第4項及び第5項を取り消す。

第2章  事案の概要

第四四号事件原告兼第八二号事件被告補助参加人(以下、単に「原告会社」という。)の従業員である第八二号事件原告ら兼第四四号事件被告補助参加人ら(以下、単に「補助参加人ら」という。)が、原告会社が補助参加人らの組合活動に対して支配介入をし、また、配置転換、休暇取得について差別的取扱いをし、かつ、職能資格格付け等についても差別的取扱いをしたとして、東京都労働委員会(以下「都労委」という。)に対し救済の申立てをしたところ、都労委は申立てのうち一部を却下したほか救済命令を発した(以下「初審命令」という。)ため、原告会社及び補助参加人らがそれぞれこれを不服として被告に対して再審査の申立てをしたが、被告は都労委の発した命令をおおむね維持する再審査命令(以下「本件命令」という。)を発した。本件は、本件命令を不服として、原告会社及び補助参加人らがそれぞれその取消しを求める行政事件訴訟である。

第1  争いのない事実等(証拠によって認定した事実については、かっこ内に証拠番号を摘示する。)

1  当事者等

(1) 原告会社

原告会社は、肩書住所地に本店を置き、全国各地に二五箇所の支店と五三箇所の営業所等を有し、火災、運送、自動車、自賠責、傷害・貯蓄総合その他各種保険・再保険を業とする株式会社であり、その従業員数は平成四年三月三一日現在で六七〇人である。

(2) 補助参加人ら(社内歴、組合役員等の略歴等)

ア 補助参加人甲野太郎(以下「補助参加人甲野」という。)は、昭和三四年四月一日に原告会社に入社し、昭和四三年から運送保険部業務課主任、昭和四四年二月から同課長代理、昭和四七年から代理店業務部業務課課長代理、昭和四九年四月から同課長、昭和五〇年四月から代理店業務部部長主事、昭和五一年四月から専従休職、昭和五二年一〇月から海上運送部部長付主事、昭和五三年四月から自動車業務部部長付主事、昭和五八年一二月一日から木更津営業所主事(新市場開発担当)、平成三年一二月から米子営業所主事としてそれぞれ勤務し、さらに、平成四年七月六日からは成田営業所で勤務したが、平成九年二月に退職した。

補助参加人甲野は、この間、昭和四一年原告会社の従業員で組織する全日本損害保険労働組合(以下「全損保」という。)朝日火災支部(以下「朝日火災支部」という。)の副書記長兼全損保常任中央執行委員、昭和四二年同支部書記長兼全損保常任中央執行委員、昭和四三年及び昭和四四年同支部書記長兼全損保副書記長、昭和四五年同支部書記長兼全損保常任中央執行委員、昭和四六年から昭和五〇年まで同支部執行委員長兼全損保常任中央執行委員、昭和五一年及び昭和五二年同支部副委員長兼全損保書記長、昭和五三年から昭和五五年まで同支部執行委員長兼全損保常任中央執行委員、昭和五六年及び昭和五七年同支部副委員長兼全損保常任中央執行委員、以上の役職を歴任した。

なお、補助参加人甲野は、昭和五八年九月に開催された朝日火災支部の定例支部大会で副委員長選挙に落選し、また、昭和五九年から昭和六二年までは同支部委員長選挙に落選した。

イ 補助参加人丁川三郎(以下「補助参加人丁川」という。)は、昭和三七年四月一日に原告会社に入社し、昭和五四年四月一日から本店東京営業本部事務センター主事、昭和五七年四月一日から秋田営業所主事、平成二年六月一日から桐生営業所主事としてそれぞれ勤務したが、社員として定年退職した後特別社員として再雇用され、平成一一年一二月六日に退職した。

補助参加人丁川は、この間、昭和四四年朝日火災支部大阪分会委員長、昭和四五年から昭和四七年まで同分会書記長、昭和四八年及び昭和四九年同分会委員長、昭和五〇年同分会委員兼同支部執行委員、昭和五一年同支部副委員長兼同分会委員、昭和五二年同支部執行委員長兼全損保常任中央執行委員、昭和五三年から昭和五五年まで同支部書記長、以上の役職を歴任した。

なお、補助参加人丁川は、昭和五六年一一月に開催された朝日火災支部の定例支部大会で書記長選挙に落選した。

ウ 補助参加人東野十郎(以下「補助参加人東野」という。)は、昭和三八年四月一日原告会社に入社し、昭和五〇年四月一日から本店損害調査部審査課主任、昭和五六年四月一日から津田沼営業所所長代理、昭和六〇年三月一五日から成田営業所所長代理、平成一二年四月から千葉支店課長代理としてそれぞれ勤務した。

補助参加人東野は、この間、昭和四五年朝日火災支部執行委員兼同神戸分会書記長、昭和四六年及び昭和四七年同支部副書記長兼全損保中央執行委員、昭和四八年から昭和五一年まで同支部書記長、昭和五二年及び昭和五三年同支部副委員長兼全損保中央委員、昭和五四年東京分会委員長、昭和五五年同支部執行委員、昭和五六年東京分会副委員長、昭和五七年同分会副委員長兼全損保東京地方協議会(地方協議会を、以下「地協」という。)常任幹事、以上の役職を歴任した。

エ 補助参加人丙田三郎(以下「補助参加人丙田」という。)は、昭和三三年四月一日原告会社に入社し、昭和五三年九月から本店営業第二部第二課課長代理、昭和五八年四月一日から三鷹営業所所長代理(新市場開発担当)、平成二年一二月一日から城南営業所所長代理としてそれぞれ勤務したが、社員として定年退職した後特別社員として再雇用され、平成一二年三月一〇日に退職した。

補助参加人丙田は、この間、昭和四一年朝日火災支部大阪分会委員兼同支部闘争委員、昭和四二年同大阪分会委員、昭和四三年同分会副委員長、昭和四四年から昭和四七年まで同支部副書記長、昭和四八年から昭和五〇年まで同支部東京分会委員長、昭和五一年同分会委員長兼同支部闘争委員、昭和五二年同分会書記長、昭和五三年同分会書記長兼同支部闘争委員、昭和五四年同分会副委員長、昭和五五年同支部副委員長、昭和五六年から昭和五八年まで同支部執行委員、以上の役職を歴任した。

なお、補助参加人丙田は、昭和五八年九月に開催された朝日火災支部の定例支部大会で執行委員選挙に落選し、また、昭和五九年から昭和六二年までは副委員長選挙に落選した。

オ 補助参加人北川三助(以下「補助参加人北川」という。)は、昭和四九年四月一日原告会社に入社し、本店営業第一部第二課に配属され、昭和五七年八月二日から立川営業所主任、平成二年六月一日から秋田営業所主任、平成一一年五月から米子営業所主任として勤務した。

補助参加人北川は、この間、昭和五四年朝日火災支部東京分会委員、昭和五五年及び昭和五六年同支部執行委員を歴任した。

なお、補助参加人北川は、昭和五七年九月に開催された朝日火災支部の定例支部大会で執行委員選挙に落選し、また、昭和五九年から昭和六二年までは副書記長選挙に落選した。

カ 補助参加人南田二助(以下「補助参加人南田」という。)は、昭和四七年四月一日原告会社に入社して仙台支店に勤務し、昭和五五年四月から東京営業本部事務センター第一課主任、昭和五七年四月から同営業本部内務部内務課課長代理、昭和五七年一〇月二五日から城東営業所所長代理(新市場開発担当)、平成元年一二月一日から松阪営業所所長代理としてそれぞれ勤務した。

補助参加人南田は、この間、昭和四七年朝日火災支部仙台分会青年婦人部書記長、昭和四八年から昭和五〇年まで同分会書記長、昭和五一年同支部副書記長兼同分会委員、昭和五二年及び昭和五三年同支部副書記長、昭和五四年同支部副委員長兼全損保中央委員、昭和五五年同支部副委員長、昭和五六年同支部執行委員、昭和五七年同支部副書記長、以上の役職を歴任した。また、昭和五二年四月から昭和五五年三月まで同支部専従役員であった。

なお、補助参加人南田は、昭和五八年九月に開催された朝日火災支部の定例支部大会で副書記長選挙に落選し、また、昭和五九年から昭和六二年までは書記長等の選挙に落選した。

キ 補助参加人己山五郎(以下「補助参加人己山」という。)は、昭和三九年一月に興亜火災海上保険株式会社鉄道保険部(以下「鉄道保険部」という。)に入社したが、昭和四〇年二月一日、原告会社と鉄道保険部とが合体したことにより原告会社に入社し、昭和五〇年四月から長野営業所所長、昭和五三年四月から福知山営業所所長、昭和五三年九月から米子営業所所長、昭和五五年四月一日から平塚営業所所長、昭和五八年一二月一日から甲府営業所営業担当課長(新市場開発担当)、昭和六〇年九月一日から同営業所主事としてそれぞれ勤務し、平成三年一二月八日に定年退職となったが、同月九日特別社員として再雇用され、平成六年一二月八日に退職した(鉄道保険部への入社につき、丙33)。

補助参加人己山は、この間、昭和四一年朝日火災支部神戸分会委員、昭和四四年大阪分会委員、昭和五八年横浜分会副委員長を歴任した。

ク 補助参加人辛川七郎(以下「補助参加人辛川」という。)は、昭和三五年四月一日原告会社に入社し、昭和五二年四月から大阪支店損害調査センター堺サービスセンター所長、昭和五四年四月から同神戸サービスセンター所長、昭和五八年四月一日から金沢営業所営業担当課長、昭和六一年七月から同営業所主事、平成三年六月一日から京都支店営業課主事としてそれぞれ勤務した。

なお、補助参加人辛川は、昭和五八年六月、金沢営業所への配置転換の無効確認を求めて訴訟を提起し、神戸地方裁判所、大阪高等裁判所(以下「大阪高裁」という。)及び最高裁判所(以下「最高裁」という。)はいずれも同人側勝訴の判決を言い渡した(以上の一連の訴訟を総称して、以下「辛川裁判」という。)。同最高裁判決は平成五年二月一二日に確定したため、同人は京都支店営業課から神戸支店調査課に異動となった。

その後、補助参加人辛川は、平成一〇年一一月に定年退職となったが、同月特別社員として再雇用され、神戸サービスセンターに勤務した。

補助参加人辛川は、この間、昭和四五年朝日火災支部大阪分会副書記長、昭和四六年同分会委員兼全損保大阪地協副書記長、昭和四七年同分会副委員長兼全損保大阪地協幹事、昭和四八年同分会委員兼全損保大阪地協書記長、昭和五五年同支部神戸分会委員兼全損保神戸地協幹事、昭和五六年同分会委員長兼全損保神戸地協幹事、昭和五七年同分会委員長兼全損保神戸地協副書記長、以上の役職を歴任した。

なお、補助参加人辛川は、昭和五九年から昭和六二年までの間、朝日火災支部執行委員選挙に落選した。

ケ 補助参加人西山一助(以下「補助参加人西山」という。)は、昭和四一年四月一日原告会社に入社し、昭和五五年六月一日から守口営業所所長代理、昭和六〇年一一月二五日から福山営業所所長代理としてそれぞれ勤務した。

補助参加人西山は、この間、昭和五〇年朝日火災支部大阪分会副書記長、昭和五一年ないし昭和五五年同分会委員兼全損保大阪地協幹事、昭和五六年同分会副書記長、昭和五七年及び昭和五八年同分会副書記長兼全損保大阪地協幹事、昭和五九年同分会副委員長等を歴任した。

なお、補助参加人西山は、昭和五九年及び昭和六〇年、朝日火災支部執行委員選挙に落選した。

コ 補助参加人庚田六郎(以下「補助参加人庚田」という。)は、昭和三八年二月に鉄道保険部に入社したが、前記のとおり、昭和四〇年二月一日、原告会社と鉄道保険部とが合体したことにより原告会社に入社し、昭和五五年四月から京都支店営業第二課課長代理、平成三年六月一日から松山営業所所長代理としてそれぞれ勤務したが、社員として定年退職した後特別社員として再雇用され、平成七年一〇月三〇日に退職した(鉄道保険部への入社につき、丙33)。

補助参加人庚田は、この間、昭和四七年朝日火災支部大阪分会副書記長、昭和四八年及び昭和四九年同分会委員、昭和五一年から昭和五五年まで同分会委員、昭和五七年同支部京都分会書記長兼同支部闘争委員、昭和五八年同分会副書記長兼全損保京都地協幹事、昭和五九年同分会副書記長、以上の役職を歴任した。

なお、補助参加人庚田は、昭和五九年、朝日火災支部執行委員選挙に落選した。

サ 補助参加人壬野八郎(以下「補助参加人壬野」という。)は、昭和三六年四月一日原告会社に入社し、昭和五五年四月一日から大阪支店営業第一部第二課、昭和五八年四月一日から神戸支店営業課(課長代理。新市場開発担当)においてそれぞれ勤務し、平成一一年一月に定年退職となり、同月特別社員となり、滋賀営業所に勤務した。

補助参加人壬野は、この間、昭和四六年及び昭和四七年朝日火災支部大阪分会副書記長、昭和四八年から昭和五〇年まで同分会書記長、昭和五一年同分会副委員長、昭和五二年から昭和五五年まで同分会委員長、昭和五六年及び昭和五七年同分会委員長兼同支部闘争委員長、昭和五八年同分会副委員長、昭和五九年同支部神戸分会書記長、以上の役職を歴任した。

なお、補助参加人壬野は、昭和五九年から昭和六二年までの間、朝日火災支部副委員長などの選挙に落選した。

シ 補助参加人乙山一郎(以下「補助参加人乙山」という。)は、昭和三六年四月一日原告会社に入社し、昭和五二年四月から尼崎営業所所長、昭和五四年九月から高知営業所所長、昭和五六年四月から高松支店営業課営業担当課長、昭和五七年四月から高知営業所営業担当課長、昭和六一年九月から同営業所主事、平成三年六月一日から姫路支店営業課主事としてそれぞれ勤務したが、平成七年一月二日に定年退職した。

補助参加人乙山は、この間、昭和四二年及び昭和四三年朝日火災支部高松分会書記長、昭和四四年同分会委員長、昭和四五年同分会書記長、昭和四六年及び昭和四七年同分会書記長兼全損保四国地協議長、昭和四八年同分会委員長兼全損保四国地協議長、昭和四九年同分会委員長兼同支部闘争委員、昭和五〇年及び昭和五一年同分会委員長、昭和五二年同分会副書記長兼全損保四国地協幹事、昭和五三年及び昭和五四年大阪分会副委員長、昭和五七年及び昭和五八年同支部高松分会委員、以上の役職を歴任した。

ス 補助参加人冬川七助(以下「補助参加人冬川」という。)は、昭和五一年四月一日原告会社に入社し、昭和五四年五月一〇日から東京営業本部東京損害センター調査第三課、昭和五六年四月一日から東関東営業本部調査課、昭和五七年八月二日から長崎営業所においてそれぞれ勤務し、平成二年七月一日から同営業所主任として勤務した。

補助参加人冬川は、この間、昭和五四年朝日火災支部青年婦人部委員兼同支部東京分会青婦部書記長、昭和五五年及び昭和五六年同支部青年婦人部書記長を歴任した。

セ 補助参加人夏山五助(以下「補助参加人夏山」という。)は、昭和四九年四月一日原告会社に入社し、昭和五六年四月一日から大阪支店営業第二部第一課主任、昭和五八年八月五日から大分営業所主任、平成三年一二月一日から木更津営業所主任、その後釧路営業所主任としてそれぞれ勤務した。

補助参加人夏山は、この間、昭和五四年及び昭和五六年朝日火災支部大阪分会執行委員、昭和五七年同分会書記長を歴任した。

ソ 補助参加人戊野四郎(以下「補助参加人戊野」という。)は、昭和三八年四月一日原告会社に入社し、昭和五〇年四月一日から東京営業本部東京損害調査センター調査第二課課長代理、昭和五六年四月一日から宇都宮営業所所長代理(新市場開発担当)、昭和六三年一二月一日から函館営業所所長代理としてそれぞれ勤務したが、平成一一年に退職した。

補助参加人戊野は、この間、昭和三九年朝日火災支部京都分会委員、昭和四〇年及び昭和四一年同分会書記長、昭和四二年から昭和四五年まで同分会委員長、昭和四六年同分会委員、昭和四七年から昭和四九年まで同支部執行委員兼同支部仙台分会副委員長、昭和五〇年同支部執行副委員長、昭和五一年から昭和五三年まで同支部東京分会委員長、昭和五四年同支部執行委員等を歴任した。

なお、補助参加人戊野は、昭和五五年朝日火災支部執行委員長選挙に落選した。

タ 補助参加人秋田六助(以下「補助参加人秋田」という。)は、昭和五〇年四月一日原告会社に入社し、昭和五二年四月から東京損害調査センター調査第二課、昭和五六年四月一日から名古屋支店営業第二課(新市場開発担当)、昭和六二年一二月一日から福岡支店営業課においてそれぞれ勤務した。

補助参加人秋田は、この間、昭和五一年から昭和五六年まで朝日火災支部東京分会委員、昭和五三年から昭和五六年まで全損保東京地協常任幹事を歴任した。

チ 補助参加人癸山九郎(以下「補助参加人癸山」という。)は、昭和三七年四月一日原告会社に入社して京都支店に勤務し、昭和五三年四月一日から東京営業本部東京損害調査センター千葉サービスセンター所長、昭和五四年四月一日から千葉営業所所長代理、昭和五八年四月一日から釧路営業所(札幌支店営業第二課課長代理・釧路駐在。新市場開発担当)、平成三年六月一日高崎支店営業課課長代理としてそれぞれ勤務し、平成一二年一一月に定年退職となったが、同月特別社員となった。

補助参加人癸山は、この間、昭和四八年朝日火災支部京都分会書記長、昭和四九年ないし昭和五一年同分会委員長、昭和五六年及び昭和五七年同支部東京分会委員を歴任した。

ツ 補助参加人春野四郎(以下「補助参加人春野」という。)は、昭和四五年四月一日原告会社に入社し、大阪支店内務部に勤務した後、昭和五五年九月一日から和歌山営業所に勤務し、昭和六二年一二月一日には南大阪支店営業課主任となった。平成一二年四月からは姫路支店主任として勤務した。

補助参加人春野は、この間、昭和四五年から昭和五〇年まで朝日火災支部大阪分会青年婦人部書記長兼同分会闘争委員、昭和五二年及び昭和五三年同分会副書記長、昭和五四年から昭和五六年まで同分会副委員長、昭和五七年同分会執行委員、昭和五八年同分会副書記長を歴任した。

なお、補助参加人春野は、昭和五九年、朝日火災支部執行委員選挙に落選した。

テ 補助参加人寅野花子(以下「補助参加人寅野」という。)は、昭和四五年四月一日原告会社に入社し、昭和五二年八月一〇日から梅田営業所、昭和五七年四月一日から和歌山営業所においてそれぞれ勤務した。

補助参加人寅野は、この間、昭和四六年から昭和五一年まで朝日火災支部大阪分会青年婦人部委員、昭和五五年九月同分会執行委員、昭和六〇年及び昭和六一年同支部青年婦人部委員、以上の役職を歴任した。

(3) 労働組合

全損保は、全国の損害保険事業及びこれに関連する事業に従事する労働者によって昭和二四年に結成された労働組合であり、後記初審申立時の組合員数は約三万三〇〇〇人である。全損保には、下部の協議組織として各地方ごとに計一四の地協が、また、各地協の下に各地域ごとの地区協議会(以下「地区協」という。)が置かれている。

朝日火災支部は、原告会社の従業員によって昭和三〇年に結成された全損保の下部組織の労働組合であり、後記初審申立時の組合員数は約六二〇名である。同支部には、単独又は複数の支店、営業所を単位として一三の分会が置かれている。

2  命令の存在

(1) 補助参加入らは、都労委に対し、原告会社が労働組合法七条に違反したとして、これを被申立人として救済の申立てをした(都労委昭和五八年不第一〇三号、昭和五九年不第一八号、同年不第七〇号、昭和六〇年不第八一号、平成元年不第七六号、平成三年不第七二号各事件)。

前記救済申立ての概要は、原告会社が、(ア)朝日火災支部の定例支部大会に向けて行う出席代議員の選出等の組合活動に介入したこと、(イ)補助参加人らについて時間内組合活動休暇を承認せず、また、補助参加人寅野についてこれに伴い賃金をカットしたこと、(ウ)補助参加人甲野ら一七名について配置転換をしたこと、(エ)補助参加人甲野ら一九名について、昭和五六年から平成三年までの賃金、賞与、職能資格格付け及び職位について差別的取扱いをしたことが、それぞれ不当労働行為に該当するというものであった。

これに対し、都労委は、平成八年一月二三日付けで別紙1のとおりの命令を発した(初審命令)。

(2) 原告会社は、被告に対し、初審命令の救済部分について再審査の申立てをし(中労委平成八年(不再)第六号事件)、また、補助参加人らは、被告に対し、補助参加人寅野の職能資格格付けを除く初審命令の棄却ないし却下部分について再審査の申立てをした(中労委平成八年(不再)第七号事件)。被告は、平成一〇年一月二一日付けで別紙2のとおりの命令を発し(本件命令)、同命令の写しは同年二月一〇日原告会社及び補助参加人らに、それぞれ送達された。

第2  主たる争点

(第四四号事件)

1 原告会社が、昭和五五年九月から昭和五八年九月にかけて朝日火災支部内においてA派、B派の対立があること、補助参加人らがA派に属することを認識していたか。

2 昭和五八年九月に開催された朝日火災支部の定例支部大会当時の原告会社職制の言動は、同支部の運営に対する支配介入であって、不当労働行為に該当するか。

3 原告会社が、昭和五七年から昭和五八年にかけて、補助参加人甲野、同丙田、同南田、同辛川、同壬野、同夏山、同己山及び同癸山に対して行った配置転換は、朝日火災支部の運営に対する支配介入であって、不当労働行為に該当するか。

4 原告会社が補助参加人甲野、同壬野、同辛川、同西山及び同寅野に対して時間内組合活動休暇の取得を承認しなかったこと並びにこれに伴って補助参加人寅野の賃金をカットしたことは、同各補助参加人に対する不利益取扱いであるとともに、朝日火災支部の運営に対する支配介入であって、不当労働行為に該当するか。

5 補助参加人らの賃金、賞与、職能資格格付け、等級及び職位は、原告会社が不当労働行為意思をもって行った不当な人事考課の結果によるもので、補助参加人らに対する不利益取扱いであるとともに、朝日火災支部の運営に対する支配介入であって、不当労働行為に該当するか。

6 本件命令主文第二項が原告会社の人事権を侵害するものであるか。

(第八二号事件)

1 昭和六三年三月以前の賃金及び昭和六二年一二月以前の賞与並びに平成元年一二月の賞与に関する救済申立ては、労働組合法二七条二項の申立期間を徒過したものか。

2 補助参加人丁川、同東野、同北川、同冬川、同乙山、同戊野、同秋田、同春野及び同寅野の配置転換に関する救済申立ては、労働組合法二七条二項の申立期間を徒過したものか。

3 補助参加人らの賃金、賞与の是正に当たり、職能資格格付け(職能給の等級を含む。)及び職位についての格差により生じた分を含めて是正すべきか。

第3章  当事者の主張の要旨

第1  第四四号事件について

(原告会社の主張)

1 争点1(A派、B派問題)について

本件命令は、昭和五五年九月当時において補助参加人甲野が執行委員長であったそれまでの朝日火災支部執行部の「闘いを外に拡げる行動」を含む運動方針を支持していた者のグループを「A派」、「署名推進派」を中心としてこの運動方針に反対していた者のグループを「B派」と呼んだ上、原告会社がA派に属する補助参加人らの組合活動を妨害して組合運営に支配介入し、同人らに対して不利益な取扱いを行った旨認定する。

しかし、そもそも「A派」、「B派」なるものの存在及び補助参加人らが「A派」に属することは原告会社には不明であったから、本件命令の認定は誤りである。

(1) 原告会社には、組合員のだれがどのグループに属するかは分からなかったし、原告会社がいずれかのグループに加担したところで何ら益することはない。原告会社が労働組合の内部抗争に介入する余地はなく、またその意欲もなかった。

朝日火災支部内部で組合員の対立があったとしても、対立する勢力間には実は去就の定まらない多数の中間派が存在していたことは後記(2)のとおりであるから、組合員の中のだれがA派に属するかを識別することは、当事者の格別の意思表明がない限り不可能であった。また、たとえ組合員から自己の立場について態度表明がされたとしても、組合大会での賛否の意思表明のみから、中間派かそうでないかを見分けることもできない。

組合執行部は署名推進派と接触を試みたが、だれが同派に属するか分からないためかなわず、後に、同派の代表者から組合執行部に接触を図ったためはじめて同派と交渉ができている。このように、対立する組合員相互間においても、だれがいかなる思想、信条を有し、いかなる行動をしているのかは容易に探知し得ない状況にあったのであるから、人員規模の大きくない原告会社内であっても、対立当事者でない者や組合員でもない者には、なおさら個々の組合員のA派あるいはB派への所属状況を識別し得ない状況にあった。

なお、太田忠志が作成した全損保朝日火災支部役員名簿(乙275)中には、A派、B派の分類が記載されているが、これは、後記(4)のとおり、補助参加人らが、昭和六〇年三月、A派のメンバーと目される五〇名の者の氏名を記載したメモを各組合員あてに配布したことから、太田忠志は、その氏名をもとに補助参加人らが主張するような組合役員の当落の変遷があったかどうかの裏付けを行うため、A派、B派の分類を記載したものであるから、同名簿中の記載は、A派、B派の識別が可能であったことの根拠にはならない。

(2) また、被告の定義では、A派とは、朝日火災支部内において「外に出る闘い」等の当時の執行部の方針を支持したすべての組合員を指すものとなるが、このような定義の下では、A派が「派」とか「グループ」などと呼び得る実態を有するものか定かではないばかりか、そのメンバーを特定することすらほとんど不可能である。

すなわち、当時の組合執行部は補助参加人甲野を執行委員長とするものであるが、補助参加人甲野の行動は、昭和五六年一一月副委員長に選出された後は原告会社と協調する姿勢を示すなど時期によって変化しているし、執行部の方針も、昭和五三年九月に決定された「闘いを外に拡げる行動」方針がその後徐々に影を薄め、昭和五五年三月までには、原告会社と朝日火災支部との間に合理化に関する合意が成立した後は同方針は全く影をひそめるに至るなど、昭和五五年九月以前においてさえかなりの変動がみられ、その後にも大きく変動した。

また、昭和五四年初頭以降昭和五八年末に至る間に行われた朝日火災支部大会での全員投票においては、組合員の賛否が事案ごとに大きく変動しており、執行部の方針に対する組合員の動向も極めて流動的であった。このように執行部方針に対する組合員の賛否が変動したのは、組合員中に、経営の合理化あるいは闘争について固定的な観念を持たず、時と場合によって賛否を変える「中間派」が多数存在していたと考えなければならない。そして、この全員投票における賛否の変動状況に照らすと、当時中間派の数は、被告のいうA派とB派の合計数を大幅に上回っていたことになる。

したがって、仮にA派、B派が存在していたとしても、朝日火災支部の役員選挙では、これに中間派を加えた争いがあったのであり、組合員のだれがこれらに属するかは外部からは一層容易に判定できないものである。

(3) 昭和五六年八月の組合大会での、新人事制度協定締結と同年度の賃金交渉妥結に関する全員投票においては、その反対者がわずか五二名であったから、同時点におけるA派組合員の実数は多くとも五〇名程度であったことになる。このことに照らすと、A派を自称する補助参加人らが組合役員の選挙で落選したのは、原告会社の支配介入によるものではなく、同人らの支持母体であるA派がもともと極めてぜい弱なものであったからか、支持母体であるべきA派が同人らを支持しなくなったからか、そのいずれかである。

(4) A派なるグループの存在が補助参加人ら側から主張されるに至ったのは、昭和五九年一一月補助参加人辛川の配転の有効性が争われた神戸地方裁判所での訴訟においてであり、同グループに属するメンバーが明らかにされたのは、さらにその後の、全国各地に散在する補助参加人らを含めた同志五〇人の氏名が記載された昭和六〇年三月八日付けメモ(乙170)が組合員あてに配布された時であり、それ以前には同グループに属するメンバーは明らかでなかった。

ただし、補助参加人甲野については、原告会社の経営危機の前後にわたって朝日火災支部の委員長として組合を指導し、昭和五三年から昭和五四年にかけて原告会社と対決する姿勢を鮮明にしつつ、上部団体である全損保の支援の下に「闘いを大きく外へ拡げる行動」を展開していたから、同人は当時からだれの目にも先鋭的な組合活動家であると映っていたし、同人は、共産党の拠点であるとみられていた全損保の常任中央執行委員をも兼務していたため、共産党員ではないかと疑われていた。しかし、同人は、マスコミから共産党員であるかを問われても明確な回答をしなかったし、前記のとおり、昭和五六年の役員選挙においては、委員長に立候補せず太田忠生が委員長職を占めることを許し、自らは副委員長に就任して新執行部に協力する姿勢を示すなどして、昭和五八年九月に行われた朝日火災支部の定例支部大会で副委員長選挙に落選する以前は、必ずしも原告会社に対決する強硬姿勢を取り続けていたわけではなく、むしろ経営に対して協力的であるかの印象さえ持たれていたのである。

本件命令は、昭和五四年から昭和五八年にかけて生起した組合員の活動状況や組合役員の選挙結果について、当時A派ないしB派の識別が鮮明に行い得る状況にあったかのように認定するが、これは、後B(昭和六〇年三月)に公表されたメモ(乙170)の記載が当時のA派所属組合員を正しく表示しているとの想定に基づき、過去の事実を評価し判断を加えたものにすぎない。

(5) 以上のとおりであって、A派、B派問題に関する本件命令の認定は失当である。

2 争点2(職制の言動)について

本件命令は、昭和五五年九月の朝日火災支部第四三回定例支部大会前後に行われた非組合員D、Y、K三人の言動、昭和五八年九月の第四九回定例支部大会当時に名古屋分会、東京分会傘下の大宮支店、大阪分会傘下の守口営業所、神戸分会傘下の姫路支店の計四か所において、何人かの組合員たる課所長と一、二の非組合員によって行われた言動、原告会社の南関東営業本部長であった松本和久(以下「松本」という。)がこの両時期に行った言動、以上の言動をいずれも原告会社の意を体して行ったものであって、原告会社による支配介入に当たる旨認定する。

(1) しかし、これらの言動がされた事実はない。これらの言動を行ったとされる当事者のすべてがこれを否定しているし、これらの言動をしたとする関係者の証言は伝聞である上、言動を聞き取ったとする関係者の陳述書では、言動を行ったとされる者が普段使用することのない関西弁等でもって発言したかのごとく記載されているなど、証言内容の真実性は極めて疑わしい。

仮に本件命令の認定するとおりの言動があったとしても、これらは原告会社の地方の末端の部署の責任者ないし組合員の言動にすぎず、このような言動をもって、本店のほか全国各地に二五の支店と五三の営業所を有している原告会社が組織的な支配介入を行ったとするのは誤りである。

このことは、原告会社が昭和五五年九月九日付け及び同年一〇月一五日付け文書で「非組合員が原告会社による不当労働行為だと咎めたてられるような行為を一切行わないよう」社内に布告したことからも明らかであり、補助参加人らが組合役員を交代させられたのは、組合員の支持を失ったからにほかならず、労働組合内部の動勢によって起こったもので、外部からの支配介入によるものではない。

(2) 争議に際して労働組合が不当な言論を行った場合、これに対抗して使用者が組合批判をもって応ずることは、当然に許された正当な行為であり(労働組合法一条、労働関係調整法七条)、不当労働行為たる支配介入には当たらない。

「闘いを外に拡げる行動」は、原告会社の経営危機を世間に吹聴してその信用を失墜せしめ、原告会社の経営を破綻させる危険な行動であり、組合員であると非組合員であるとを問わず、このような危険な争議行為を行うことを決定した組合執行部を批判し、原告会社の将来を危ぶむ発言を行うのは当然のことであり、同人らが享有し得る言論の自由の範囲に属するものである。

組合員職制が自ら組合役員に立候補したり、自ら支持する候補者への投票を依頼したりした行為は、組合員として当然に行い得る行為を行ったにすぎず、民主的な労働組合内において行われるべきことが行われたにすぎない。

なお、原告会社の東関東営業本部長であった松本は、昭和五四年に「憂う」と題する文書(乙48)を執筆し、これを組合員に配布したが、同文書は、四〇〇字詰め原稿用紙六枚に同人が手書きし、役職名を付さず個人としての署名を付したものにすぎないし、同人は、歓談の場において、同人と労苦を共にしている営業所長七名に対し同文書のコピーを交付したにすぎない。同文書は松本の個人的所感を記したものにすぎず、原告会社が同人を通じて配布させた情宣文書であるとは到底いえない。同文書中の共産党の活動に対する警戒に触れた部分は、松本の家族が被った過去の経験に基づくものであり、同文書及びその後の「憂う」その3を理由に、同人の関心がすなわち会社経営者の関心であったかのような本件命令の判断は、牽強付会の議論である。

(3) 昭和五五年九月の朝日火災支部第四三回定例支部大会における選挙結果は、補助参加人甲野の委員長当選のほかA派に属するとされる者たちの圧勝に終わったのであるから、前記の同大会の前後に行われたとされる非組合員の言動が、原告会社の政策に同調する役員を選出させるための選挙への介入であったとすれば、かかる介入は功を奏しなかったことになる。ところが、その後昭和五八年九月の第四九回定例支部大会までの定例大会において役員選挙が行われ、補助参加人甲野は副委員長に就任したとはいえ、A派に属するとされる役員は少数派に転落しており、このことは、原告会社の支配介入とは全く無縁に、朝日火災支部内部において変動が起きたことを示している。昭和五八年に補助参加人らが落選したのは、当時の原告会社の経営危機を「作られた危機」として虚偽の宣伝をし、ストライキや対外宣伝活動を行う執行部の指導に組合員が反発し、離反したためである。

また、この経営危機以降は、朝日火災支部は労使問題につき組合員の全員投票によって決してきていたから、原告会社が定例支部大会の役員選挙に介入して原告会社の政策に賛同する役員の当選を図らなければならない事情は存在していなかった。昭和五八年九月の定例支部大会においては、原告会社の提案した就業時間延長問題が議案になっていたが、その直前に行われた退職金・定年制度改定問題に関する全員投票の結果から、就業時間延長問題は組合員の多数の賛成を得られると見込まれており、原告会社が支配介入を行って組合執行部を交代させなければならないとする動機は全く存在しない。

(4) 以上のほか、本件命令が認定する支配介入に係る言動は、昭和五五年九月以降昭和五八年九月に至るまで全く影をひそめたことにも照らすと、本件命令の認定は全くの誤りである。

3 争点3(配転問題)について

本件命令は、原告会社のした補助参加人らの配置転換(以下「配転」という。)が同人らの組合活動を嫌悪し、これを妨害するために行われたものであって、不当労働行為に該当する無効なものである旨認定し、補助参加人丙田ほか四人の現職復帰を命じている。

(1) しかし、補助参加人らのみの配転であれば見せしめのためとはいえても、原告会社においては、昭和五四年以降昭和五八年に至るまでの間、配転は一〇回にわたり総計九一五人について行われており、これには、転居を伴う配転が行われた者が五〇〇人、組合役員が一三五人含まれていて、補助参加人らのみが配転されたわけではない。また、補助参加人らの配転は、配転回数においても配転先においても、他の従業員の配転に比べて不利と目されるようなものではない。これらからすれば、補助参加人らの配転が見せしめや報復のための不当なものではなかったことは明らかである。

(2) 本件命令は、木更津営業所、三鷹営業所及び甲府営業所に新市場開発担当として補助参加人甲野、同丙田及び同己山をそれぞれ配転させたことにつき、「これらの営業所の所員がいずれも三人以下であり、昭和五六年に四人以上の営業所に新市場担当を置くと定めた原告会社の方針に反するものであって、同補助参加人らを新市場開発担当に任ずべき理由は見当たらない。また、新市場開発担当に任ぜられた補助参加人らの経歴や過去の業績評価からして、新市場開発担当者として不適である。」旨認定する。

しかし、原告会社が所員四人以上の営業所に一人の新市場開発担当を置くことを定めたのは、三人以下の所員から一人を新市場開発担当とすると人員が手薄となって営業所としての維持が困難になるからであって、そのような営業所に外部から要員を配転させて営業を強化する必要があることは、明らかである。原告会社の前記の方針は、三人以下の営業所へ他から新市場開発担当者を配転させることを妨げるものではないから、本件命令の認定は、原告会社の方針を正しく理解していないか、曲解するものである。

会社の収入は保険加入者を勧誘する新市場開発によってもたらされるのであって、原告会社の業績を上げるために新市場開発担当者を各地に配転することは極めて重要であり、人口の規模や地域の発展状況に照らし、木更津、三鷹及び甲府の三地区はいずれも新市場開発担当者を配転すべき主要な地域である。営業の経験のある者が新市場開発担当者として適任者であることに疑いはないが、同担当者は、単独で顧客獲得のための活動を行うのであり、多少の経験を積んでいればだれでもこれを担当することができるから、協調性の乏しい者や欠勤の多い者でもその適任者であるといえる。本件命令における前記認定は、経営判断の実態を理解していない。

(3) 本件命令は、補助参加人丙田、同南田及び同壬野の配転はこれによって同補助参加人らの組合活動を著しく困難にさせることを目的とした違法なものである旨認定する。

しかし、補助参加人丙田は本社から三鷹営業所へ、補助参加人南田は本社から城東営業所へ、補助参加人壬野は大阪支店から神戸支店への配転であり、いずれも交通至便な地域への配転であるから、各補助参加人らの居住地をも勘案すれば、同人らが従来行っていた組合活動を配転先において継続して行うことが著しく困難になることはあり得ない。仮に原告会社が補助参加人らの組合活動を妨害する意図で同人らを配転するのであれば、このような近距離ではなく、より遠隔の地域に同人らを配転したはずであり、原告会社が前記補助参加人らの配転において、格別同人らの組合活動を妨害する意向を有していなかったことは明らかである。

(4) なお、初審命令及び本件命令は、原告会社に対し、組合員中に対立する一方の立場を支持し、他方を批判するなどして不当労働行為を行ってはならないとしているが、A派に属する補助参加人らのみを都会地に永続的に勤務させて同人らの組合活動に特別の保護を与えようとするのは、すべての組合員を均等に取り扱うことを定めた労働組合法五条二項三号の趣旨に反するし、原告会社に対して組合員中の一方の立場を支持するなどして不当労働行為を行ってはならないとしたこの命令の趣旨にもそぐわない。

4 争点4(時間内組合活動休暇問題)について

本件命令は、補助参加人らが全損保の開催する会議に出席するに当たり、時間内組合活動休暇を認めないのは不当労働行為に当たる旨認定し、原告会社に対し同休暇の申請を承認するよう命じている。

全損保は朝日火災支部の上部団体にすぎず、同支部は全損保から独立した組織である。原告会社は朝日火災支部に対しては労働協約上の義務を遵守すべき立場にあるが、労働協約一〇条及び一二条は、朝日火災支部として参加することを決定した全損保の会議に、朝日火災支部の代表として選出された組合員が出席することについて時間内組合活動休暇を認めることを定めているにすぎず、同支部の代表として選出されていない者に対してまで時間内組合活動休暇を付与することを定めているわけではない。しかも、同協約一〇条二項は、「組合規約に定められた出席」という限定を付しているところ、組合規約には、全損保大会代議員として選出された者と規定されているから(同規約一九条)、同協約一〇条二項は、時間内組合活動休暇付与の対象を、組合員が朝日火災支部を代表して全損保の大会に出席したり、全損保の役員に就任してその活動に参加する場合のみであるとしていることは明らかである。したがって、朝日火災支部の役員でもない者が、同支部の意向とは関係なく全損保の役員選挙に立候補して選出されたと称し、全損保において活動を行う場合は、時間内組合活動休暇付与の対象とはならない。

本件命令が時間内組合活動休暇を承認するよう命じることは、逆に労働組合法七条三号(経費援助)所定の支配介入を行えと命じることであるし、同法二条二号所定の利益供与の禁止に触れる行為を強制するものである。そもそも、労働協約の前記の定めは、同法の前記各規定に触れる無効なものである。

A派の主張する「闘いを外に拡げる行動」は、社会革命ないし政治革命等の行動の展開か、朝日火災支部の上部団体である全損保内部の権力闘争であり、原告会社の労使関係とは無縁のものであるから、これらの活動を行う従業員に対し、時間内組合活動休暇を与えなければならない理由はない。A派所属の者が全損保に出席することを望み、そのために時間内組合活動休暇を求めるのは、同人らが共産党の活動の一環として全損保内における支配権を維持する活動に便宜を与えよということにほかならず、原告会社がこれを支援するいわれはない。

5 争点5(人事考課問題)について

本件命令は、原告会社が補助参加人らの組合活動を嫌悪して、同人らの人事考課において不当な差別を行ったと認定し、同人らに対していずれも昭和六三年四月以降平成三年までの賃金と賞与につき、人事考課査定の中間評価であるCとして再査定した上、既支給額との差額を支払うこと、また、平成三年六月一日における職能資格格付け及び職位を同年同期入社者に遅れないように取り扱うよう命じている。

(1) しかし、原告会社が昭和五六年に制定した人事考課制度及びこれを改定した昭和六一年の新人事制度は、いずれも従業員の評定ができるだけ公平に行われるよう工夫をこらしたものである。

また、同制度の下においては、職場の直属の上司を第一次評定者、その上の上司を第二次評定者として二段構えの評定を行い、本社人事部、取締役常務会の協議を経て最終の評定を行う仕組みになっている。

常務会における協議では、現場から上がってきた評価のゆがみを是正する作業が行われる。すなわち、人事考課を公正に行うためには、第一次及び第二次評定における評価項目に含まれていない個々人の勤怠の状況や、過去の実績等を含めた全社的な規模における各人間の比較を行う必要があるし、第一次及び第二次評定を行う者も人事評価の対象である従業員であり、直属の上司の個人的好悪や、いずれ判明する評価結果についての部下の思惑を配慮した、甘辛現象と呼ばれる不当評価がされることも多いため、第一次及び第二次評定の評定結果は単純にこれを最終評定に取り入れるわけにはいかず、本社中枢において丹念に見直す必要があるのである。そして、この最終評定においては、勤怠状況や業績面での多面的情報をもとにして、他の従業員と比較しながら行われることになる。

従業員の生涯賃金は、その生涯において挙げた功績に比例するものでなければ公平な人事とはいえないから、過去において長期にわたり職務に従事しなかった者の生涯賃金については、その者が欠勤による穴を埋め合わせる功績を挙げていない限り、他の者との較差を付けられるのは当然であり、最終評定において、従業員の過去の勤怠状況を勘案するのは、人事の公平を図る上で必須の事柄である。

そして、かかる最終評定に対し不満をもつ者は、苦情処理委員会における労使五名ずつ計一〇名の者による審査を求める道も開かれている。

したがって、同制度による人事考課は極めて透明性の高いものである。

なお、本件命令は、補助参加人らのうち数名の者について、その第一次及び第二次評定が高い割に最終評定が低いのは理解し難く、この点についての原告会社側証人の説明も十分ではない旨認定するが、前記のとおり、最終評定は多面的情報をもとにして行われるから、過去に行われた評定の内容を後日になって具体的に説明し、その根拠となった資料をすべて示すことは不可能に近く、本件命令が認定した事実があるからといって、評定が不当であるとはいえない。

(2) 初審命令及び本件命令は、現場責任者が選択した評価分類を、他の従業員の評価分類や他年次の評価分類と対比しつつ、C評価、あるいはD評価の数の多寡をもって最終的な人事考課の当否の論証を行っている。

しかし、職場を異にする従業員の評価は、職務内容や所属する従業員数の相違によって、同じ分類の評価であってもその実質は異なるし、同一従業員であっても、前記のような評価のゆがみがある以上、配転や上司の変動のあるたびに評価者の選択する分類が異なることになるから、初審命令及び本件命令のような方法で人事評価の当否を論証するのは誤りである。

(3) 補助参加人らの第一次及び第二次評定では、初審命令別添②の2以下のとおり、「意欲・努力とも不十分」、「同類からみて物足りない実績」など、勤務者としてふさわしくない人格的な欠陥が述べられている。このような欠陥は、補助参加人らの思想ないし人生観に根ざす根本的な人格態度の表れであるというべきであり、これが簡単に解消されたり、年次によって変化するという性質のものではない。したがって、現場責任者が補助参加人らの評価に際して選択した評価分類が高いものであったとしても、それは明らかに分類の選択に誤りがあるのであって、かかる人格的欠陥のない他の多くの従業員との対比において、極めて低い評価に落ち着くことになるのである。

また、従業員数が減少し、ほとんどの従業員が有給休暇を取ることさえ控えて忙しい業務に従事しているさなかに、補助参加人らは、有給休暇をすべて消化し、更に時間内組合活動休暇まで要求して、組合活動に熱中した。例えば、補助参加人らは例年のごとく二日間にわたって開催される全損保の定例大会にそろって出席したり、昭和五八年八月補助参加人辛川が提起した訴訟や、同年六月石堂正彦が提起した訴訟において、これを支援するためや証人として出廷するために、神戸、伊丹、大阪に赴いたり、本件初審審理期日や六七回にわたって開かれた同審問期日に毎回大挙して出頭した。補助参加人らは、このような活動のために時に構わず職場を空けていたのであって、もとよりそのような活動に従事せず業務に精勤する者に比べ、その業績が見劣りすることは避けられない。また、原告会社の従業員でありながら原告会社の方針に反対し、協力的でないことを自らも標ぼうする補助参加人らは、会社に貢献する姿勢が欠如ないし後退しているもので、原告会社の方針に従いこれを部下に実施させる立場の管理職に就かせることはできない。

(4) 以上のとおりであって、補助参加人らに対する評価が低く、補助参加人らが同年同期入社の者に比べて職位が低いのは、補助参加人らの前記のような勤務状況や、補助参加人らの職務に対する態度に起因するものであって、原告会社が補助参加人らを差別したことによるものではない。

(5) 人事考課においてある程度の基準はあるものの、その基準内においていかなる査定を行うかは経営者の裁量にゆだねられており、それが不当であると主張する者はそのことを立証すべきである。本件命令は、補助参加人らに対する査定が正しいことを原告会社が立証すべきであるとしているが、そのような判断は立証責任に関する法令の適用を誤るものである。

6 争点6(本件命令主文第2項)について

従業員をどの地位につけ、いかなる職務を果たさせるかについては、労働協約や雇用契約に格別の定めがない限り、使用者は人事権の行使として自由に行うことができ、従業員は特定の職位に付けることを使用者に要求する権利を有しないし、これを決めることは不当労働行為のなかった状態に復帰させる不当労働行為の救済の枠から外れるものである。また、不当労働行為救済制度は、労働者の団結権行使を容易ならしめるためのものであるから、組合員資格のある労働者に対して救済が認められるもので、補助参加人らを組合員資格のない管理職にすることはできない。

本件命令は、補助参加人らについて同年同期入社の者の中間値に当たるC査定を受けるべきとの判断を行っているが、その理由は明らかではなく、補助参加人らも、補助参加人らの功績が同年同期入社の者に匹敵することを示すに足りる立証を行っていない。本件命令主文第2項が「職能資格格付け及び職位について同年同期入社者に遅れないよう取扱うこと」を命じたのは、会社の人事権を冒すもので違法である。

(被告の主張)

1 本件命令に係る処分理由は、別紙1(初審命令)及び同2(本件命令)記載のとおりであり、被告の事実認定及び判断に誤りはない。

2 争点1(A派、B派問題)について

(1) 昭和五四年から昭和五八年にかけて、原告会社が朝日火災支部内に二つのグループが存在することを明白に認識していたことは、別紙1・一八ないし二〇頁及び同2・一〇頁記載のとおり、原告会社の部長、支店長らの職制が、朝日火災支部定例大会に代議員として出席する者に対し、同支部内における対立する一方の立場を支持し、他方に反対するよう示唆する言動を行ったり、原告会社の業務上の諸会議の際、同支部の組合員に対し、同支部内における対立する一方の立場を支持し、他方を暗に批判したこと、同支部内部に、「外に出る闘い」の当否をめぐって、従前の同支部の運営及び闘争方針を是とする補助参加人甲野らA派組合員と、これに反対するB派組合員との対立が生じ、両派は昭和五五年九月の定例支部大会以降同支部の支配をめぐって勢力争いを続けていたことなどから、明らかである。

(2) 原告会社は、少なくとも補助参加人甲野については、当時から他の組合員とは異なる特別の認識を持っていたことを自認しており、そうすると、同時期に朝日火災支部又は同支部の下部組織である分会内の主要な組合役職を占めていた他の補助参加人らに対しても、同様に特別な認識を持っていたことは明らかである。

3 争点2(職制の言動)について

(1) 朝日火災支部内のA派以外の組合員である課所長や非組合員である営業本部長らの言動は、本件命令で認定したとおりであり(別紙1・二二ないし二八頁)、関係証拠の検討によって十分認められるし、事実経過を全体としてみると、課所長の言動は、朝日火災支部大会代議員選挙に際し、原告会社の意を体して、同支部の中のA派以外の候補者に投票するよう働きかける一方、A派の活動を抑圧しようとしてされたものであること、営業本部長らの言動も、同支部の中のA派以外の者を支援する一方、A派の活動を抑圧するために行ったものであることが明らかであるから、これら原告会社職制の言動は原告会社に帰責される。

(2) 昭和五八年九月の朝日火災支部定例大会において、A派に属するとされる者のほとんどが落選したのは、原告会社が、A派に属する組合員が代議員として同支部大会に参加することを妨げるため、代議員選挙に対する干渉を行った結果によるものである。

4 争点3(配転問題)について

補助参加人丙田は朝日火災支部執行委員、補助参加人南田は同支部副書記長、補助参加人辛川は神戸分会委員長、補助参加人壬野は大阪分会副委員長、補助参加人夏山は大阪分会書記長、補助参加人癸山は東京分会委員、補助参加人己山は横浜分会副委員長と、それぞれ支部又は分会内の主要な役職を占めており、また、長年朝日火災支部執行委員長を務めた補助参加人甲野はこれらA派組合員の中心的存在であって、このような者らを、労働時間延長問題が焦点となっていた時期にそろってその活動拠点外に配転したことは、労使関係の経緯と本件配転の時期等を併せ考えると、同人らのA派としての組合活動を嫌い、これを事実上極めて困難にするためにしたものであることは明らかである。

そして、補助参加人甲野が配転された木更津営業所では、同人が赴任した昭和五八年一二月には新市場開発担当の業務は始められていないこと、補助参加人癸山の配転先である釧路駐在所は同人が異動した二年後にはわずか同人一名の最少人員の職場となったこと、他の者についても、配転に係る業務上の必要性及び人選の合理性が極めて薄弱であることなどを併せ考えれば、補助参加人らに対する配転が同人らの所属する朝日火災支部に対する支配介入であることは明らかである。

5 争点4(時間内組合活動休暇問題)について

原告会社と朝日火災支部との間で締結した労働協約一〇条ないし一二条には、組合員が「全損保全国大会」、「中央執行委員会」、「地方協議会委員会(定例)」等に出席する場合には、原告会社に届け出た上で時間内組合活動休暇を付与する旨明記されており、朝日火災支部から選出された組合員がこれらの大会等に出席する場合にのみ時間内組合活動休暇を付与するとの明文の規定はない。補助参加人甲野らが、労働組合の正式な機関である全損保中央執行委員会又は地区協から全損保常任中央執行委員、代議員等に選出されていることは別紙1・五二ないし五六頁記載のとおりであるから、本件命令が原告会社に対し補助参加人らの時間内組合活動休暇を承認するよう命じたことに違法はない。

原告会社が補助参加人らの時間内組合活動休暇の取得を認めなかったのは、本件命令の認定するとおり、A派の者が社外の上部団体の場で活動することを嫌い、かかる活動の機会を未然に防止することを意図し、同人らの有給休暇を必要以上に費消させたり、賃金カットを行うことにより同人らを不利益に取り扱い、事実上組合活動に参加することを困難な状態に至らしめたものといわざるを得ず、この点に関する本件命令の判断は正当である。

6 争点5(人事考課問題)について

(1) 原告会社は、原告会社の人事考課制度は従業員の評定ができるだけ公平に行われるよう工夫をこらしたものである旨主張するが、被告も本件命令において、原告会社の人事考課制度そのものが公正なものではないなどとしているわけではない。本件命令は、原告会社が、A派の活動を抑圧し弱体化する意図の下、朝日火災支部大会代議員選挙への介入、遠隔地への配転、時間内組合活動休暇の不承認等の支配介入を行った本件労使関係の経緯、これら格差の存在する合理的理由の欠如等を併せ考えて、補助参加人甲野らの賃金、賞与、職能資格格付け及び職位が他の社員に比べて低位に置かれていることは、公正な人事考課の結果生じたものではなく、組合活動を嫌悪し、これを抑圧しようとする意図の下にした人事考課の結果によるものであるとして、不当労働行為の成立を認めたものである。

(2) 新市場開発を担当した補助参加人らの勤務成績は、同人らの実績報告に必ずしも反映されていないし、補助参加人らの勤務成績が他の従業員に比して劣っているとの立証はごく限られたものである上、勤務成績の不良が熱心な組合活動に起因することを裏付ける立証はない。

(3) 不当労働行為の成否の審査において、労働委員会は、事案の内容と当事者間の衡平を考えて主張立証責任を適切に配分することができる。本件において、労働委員会は、補助参加人らが、昭和五六年度から平成三年度までの賃金及び賞与について、同人らと他の従業員との間の一般的な格差の存在を主張、立証したのを受けて、同人らの低査定の合理性については、査定の資料を有している原告会社がむしろ主張、立証すべきものとしたのであって、まさしく事案の内容と当事者間の衡平に即した措置である。

7 争点6(本件命令主文第2項)について

昇格が主として労働者の能力に応じた経済的処遇のための資格制度におけるものであり、基本的には賃金の上昇(手当の付与)をもたらすにすぎない場合や、指揮命令(管理)の系統としての役職制度の昇格(昇進)であっても、その役職のレベルや権限が上級役職者の補佐的なものにとどまる場合には、労働委員会は当該役職への昇進を命じることができる。

原告会社の昭和六一年の新人事制度では、職能資格ごとに対応する職位が定められ、一定の職能資格に格付けられるとそれに対応するいずれかの職位に就くこととなるのであるから、少なくとも組合員資格を有するライン外の役職者まで是正することができると考えられる。したがって、補助参加人各人の職能資格格付けを同人らの同年同期入社者に遅れないように取り扱うよう命じるとともに、各人の職位についても当該是正後の職能資格格付けに対応するよう、その是正を命じるのが相当であるとした本件命令には、何ら違法はない。

(補助参加人らの主張)

1 争点1(A派、B派問題)について

(1) 被告の主張2記載の事実に加え、昭和五五年九月の定例支部大会に向けて、原告会社の支配介入があったとして、同年一〇月、全損保及び朝日火災支部が都労委に対して不当労働行為救済申立てをしたのに対し、原告会社は、組合内部の意見対立と二つの立場(執行部支持派と批判派)について自ら主張していること、都労委は、昭和五六年九月二二日、全損保と朝日火災支部の申立てを認容する救済命令を発したことに照らせば、原告会社が「二つの対立するグループが存在することを知らなかった」とは到底いえない。そして、原告会社は、人員規模が大きくなく、全国に支店、営業所が点在していることもあって、各職場は少人数であるから、原告会社が二つのグループの存在を認識していれば、少なくともいずれか一方で積極的に活動している組合員がだれであるかは、原告会社においては周知の事実である。

(2) 補助参加人らは、A派に属するが故に差別されたなどという主張は一切行っていないし、本件命令もそのような認定は全くしていない。補助参加人辛川の神戸地方裁判所における配転無効の裁判において、補助参加人辛川側が、便宜、朝日火災支部内での意見の対立する一方の側をA派、他方の側をB派と称し、その後、補助参加人らも、都労委、被告中労委の審問においてもこの呼称を使用したにすぎず、補助参加人らは、A派、B派というグループが結成されたなどとの主張は全くしていない。

原告会社は、重要案件について会社内のだれの目から見ても明らかなほどの意見の対立が組合員間にあったこと、また、少なくない組合員がそのいずれの立場であるのかが明らかであったことといった事実を、「グループを結成したかどうか」などといった問題にすり替えて論難しているにすぎない。

昭和五三年ころまでは朝日火災支部内において組合員間で顕著な意見の対立はなく、投票で役員選挙をしなければならないようなことは全くなかったのに、同年六月、日本経済新聞(以下「日経新聞」という。)一面に原告会社の「経営危機」が報ぜられ、これを契機として原告会社による本格的な組合対策が開始された。そして、原告会社の組合に対する支配介入が繰り返される中で、原告会社の様々な施策に対する態度及び朝日火災支部の運動方針に関して、組合員内部で相異なる二つの意見の相違にすぎないものが相互の対立にまで昇華したのであって、原告会社が相対立する二つの立場の存在を認識していたことは事実である。

2 争点2(職制の言動)について

(1) 本件命令が認定しているとおり、職制の言動は、昭和五八年九月の朝日火災支部大会に際して、場所を異にして同時期にされたものであり、支配介入に係る言動をした職制の地位が従業員としては最高位のものであったこと、その言動は多数の職場でされていること等からして、それらを全体としてみれば、原告会社の意を体してされた支配介入である。

(2) 支配加入に関する本件命令の認定は、伝聞証拠に基づくものではない。認定されている事実はすべて、不当労働行為を直接体験した者の証言を基礎とし、かつ、不当労働行為事実を否定する原告会社側証人の証言が信用性に乏しいことも踏まえて認定しているのである。体験者が職制の言動を記した陳述書の表現が職制の言葉どおりのものでなかったからといって、不当労働行為事実を否定する根拠とはなり得ない。原告会社は、初審命令において認定されている(別紙1・一八ないし二八頁)ように、「使用者の言論の自由」の範ちゅうを超えて、役員選挙を中心に組合運営に直接介入する言動を繰り返し行ったもので、これらはいずれも不当労働行為である。

また、原告会社は、昭和五五年九月以降昭和五八年九月に至るまで支配介入に係る言動が全く影をひそめた旨主張するが、事実に反する。初審命令でいくつかの不当労働行為事実が認定されている(別紙1・二〇頁以下)が、原告会社の不当労働行為はこれに限らず一貫して続けられており、補助参加人らが立証上の問題から争点を絞ったにすぎず、それ以外の支配介入が一切みられなかったのではない。

(3) 原告会社は、「闘いを外へ拡げる行動」について、原告会社の経営を破綻させる危険な行動であるなどと主張するが、原告会社は具体的にどのようなビラ、どのような行動について問題としているのかさえ示さずにこれを問題視しているのであって、かえって、その主張自体そのような活動を行う組合員に対する嫌悪の情を如実に示している。

松本和久の「憂う」その3その言動は、内容的にも明らかに組合の運営に介入するものであり、非組合員である道家名古屋支店長が票読みに関与した事実もこれにより明らかとなっている。

3 争点3(配転問題)について

(1) 原告会社は、個人的事情、家庭事情から応ずることが不可能な人事異動や降格的人事異動を発令し、配転を人減らし政策の道具として使い、現に従業員数を減少させているのであって、このような業務上の必要性に基づかない配転を行った結果、配転の数が増えているという面があること、B派の執行委員であった者は本店勤務あるいは営業所長に配転されているのに、A派の執行委員であった者は出先営業所に配転され、所長に昇格した者はいない上、出先営業所で「塩漬け」にされるか、遠隔の出先営業所を転々とさせられるかのいずれかとされていること、これらの点に照らすと、単に他にも多くの配転がされているという一事をもって、補助参加人らに対する配転が見せしめ等ではないということにはならない。

(2) 原告会社の従業員が減員する中で、木更津、三鷹及び甲府の三営業所に一人を増員して新市場開発を担当させなければならない具体的事情について、原告会社は何ら明らかにしていない。

都労委において、原告会社側証人は、当初の四人以上の営業課所について一人の新市場開発担当者を置くという基準がその後変更になったかどうか、新市場開発担当者が全国で一七人しかいないときに、鳥取県に二人を配置した理由、埼玉県では県下最大の大宮営業所ではなく所沢営業所に配置した理由、その他極端な地域的偏在について、全く合理的な説明をすることができなかった。そして、既存の代理店を担当せずに保険を売り歩く、新市場開発担当のような職務を担当している損害保険会社は他にはないこと、新市場開発担当者は徐々に減り、最後まで残されたのはほとんどがA派組合員であったこと、所員四人以上の営業所に一人の新市場開発担当を置くという配置基準も、その後なし崩し的に、所員が四人以上の営業所であっても配置しなかったり、三人の営業所であっても配置したりして、有名無実化されたこと、さらには、原告会社自らが、協調性に乏しい者や欠勤の多い者が新市場開発担当の適任者であるなどと主張していることに照らせば、本件の配転が、いわば「属人的」に補助参加人らを新市場開発担当者として配置し、「いじめ抜く」ことに利用する「経営判断の実態」に基づくものであるということは明らかである。

4 争点4(時間内組合活動休暇問題)について

労働協約上、全損保各級機関の役員あるいは代議員として出席する場合には、時間内組合活動休暇を取得できる旨明記されているのに、原告会社はB派についてはこれを認め、A派についてはその承認を拒否したのであって、原告会社の真意が、原告会社内において事実上活動が困難になりつつあるA派が、なお社外での上部団体の場で活動し発言することを嫌い、かかる活動の機会を未然に防止しようとする点にあったことは明らかである。

時間内組合活動休暇に関する労働協約が労働組合法二条二号の経費援助に該当するものではないことは判例上も明らかである上、原告会社は、朝日火災支部選出の常任中央執行委員等については時間内組合活動休暇を付与しているのであるから、時間内組合活動休暇が労働組合法の利益供与禁止に触れる無効なものであるとはいえない。

5 争点5(人事考課問題)について

(1) 原告会社の人事考課制度は、評定項目の評価と総合評定との関係が不明であるなど考課基準が不明確であること、評定者訓練がされていないこと、人事考課の結果についての通知や説明がされないこと、人事考課に関する苦情処理委員会が形骸化していることなど、人事考課の公平性・客観性が保たれない制度上の欠陥を有している上、その運用も、評定の根拠や評定の調整の根拠が不明であること、原告会社が最終的な評定を行う機関であるとする常務会では、多数の従業員について短時間で評定の調整を行うことは不可能であることなど、恣意的・不公正に行われており、補助参加人らの第一次評定、第二次評定と最終評定の違いなどからすれば、補助参加人らの評定についての調整が意図的に同人らの評定を下げただけのものであることは明らかである。

原告会社の主張する「過去の実績」や「勤怠」をもとに人事考課を行うこと自体、第一次及び第二次評定における評価項目に含まれていない上、原告会社の人事考課制度ではそれについて本社中枢において評価を行うとは定められていないし、そもそも原告会社は人事考課制度において考課期間を定めているから、「過去の実績」を考慮することはこのことと明らかに矛盾する。また、勤怠状況は、当然業績に反映するから、業績の評価以外に勤怠を評価するのは二重評価となり、不当である。

(2) 原告会社の補助参加人らに対する嫌悪の強さと不当労働行為意思については、次の事実から明らかである。

補助参加人夏山、同北川、同春野、同秋田、同冬川は、二〇年近くにわたって主任格に据え置かれているが、同人らの入社後の昭和五八年入社者がほぼ例外なく課長格まで昇格しているのに、前記補助参加人らが昇格しないことには、何ら合理的な特別な事情もない。

また、昭和六一年からの新人事制度への移行時、補助参加人甲野、同丁川及び同己山の役職はいずれも主事であったところ、昭和五六年から実施されていた原告会社の人事制度の下においては、主事は課所長に準ずるものであったから、制度移行時にこの三名につき課長格としても何ら問題がないのに、原告会社はいずれも代理格とした。原告会社は、課長格であった補助参加人辛川及び同乙山につき、昭和六一年からの新人事制度移行からわずか半年後の同年九月一日、一般職である主事に役職変更して代理格としたが、仮にこれが降格処分でないのであれば、昭和六一年からの新人事制度の下で主事の役職にある者の職能給資格は課長格でも代理格でもよいことになるから、原告会社が両名を代理格としたのは、両名を管理職である課長格にしたくないという強い意思の表れである。

さらに、補助参加人夏山の平成二年度の昇給については、絶対考課制度の下で個別の評定項目はBが七、Cが一〇であるのに、最終評定はDとされた。

これらの事実は、制度上の根拠を欠く不当な差別であり、不当労働行為以外をもっては説明できない。

(3) 原告会社は、補助参加人らが、全損保大会や法廷傍聴に出席したこと等を問題視するが、これは憲法、労働基準法、世界人権宣言二四条に反する。業績評価は業務行動基準書に基づいてされるものであり、これには勤怠や有給休暇の取得が評価対象となるなどとは全く記載されていないのであって、これが業績評価の上でマイナス材料として扱われたとすれば、補助参加人らの組合活動を理由として低評価を行ったものにほかならない。

原告会社の不当労働行為を批判し、あるいは、労使問題で原告会社の提案に反対したり、従業員の権利を無視した様々な違法行為の問題を指摘することは、労働組合員としての正当な組合活動であるし、そもそも、補助参加人らが、日常業務や個々の営業方針に反対したり、勤務時間中協力的でなかった事実は全くない。補助参加人らが人事考課において低評価を受けたのは、原告会社が補助参加人らの活動や人格に対して嫌悪の情を抱き、その意思に基づいて経済的、社会的不利益を及ぼそうとしたためである。

(4) 補助参加人らは、労働委員会や本訴の審理を通じて、補助参加人らの業績及び能力が劣悪とはいえないこと、同人らの低査定が原告会社の嫌悪によるものであることを具体的に主張、立証し、この立証により原告会社の不当労働行為意思は極めて明白となった。このように、昇給、賞与の人事考課で低査定を受け、昇格しないことが不当労働行為であると主張する補助参加人らが、自らの勤務状況、勤務実績、能力が劣悪とはいえないことを具体的に立証したときは、原告会社からの具体的事実に基づく反証のない限り、そのように認定されるべきである。本件命令は、このような補助参加人らの主張、立証に対して、原告会社が格差の存在する合理的理由について何ら疎明できなかったとしたもので、立証責任の原則的立場から当然のことを述べているにすぎないから、立証責任に関する原告会社の主張は失当である。

第2  第八二号事件について

(補助参加人らの主張)

1 争点1(賃金等に関する救済申立期間)について

(1) 本件命令は、昭和六二年度分以前の補助参加人らに対する賃金差別について、いずれも各年の最後の賃金の支給日から一年以上経過しているので、救済できないとした。

(2) 労働組合法二七条二項が申立期間を一年と定めたのは、当該不当労働行為が行為の日から一年間以上取り上げられることなく、期間の経過により安定した労使関係が形成されている場合には、過去の出来事を取り上げないとするものである。

したがって、一年以上経過した使用者の行為について労使間に紛争が継続している場合は、安定した労使関係は存在せず、救済の実益も存在するから、この場合には「継続する行為」として当該不当労働行為の救済が認められるべきである。

また、原告会社における職務・職能給制度の下では、いったん査定された考課結果に基づく差別賃金はその後も何ら解消されることなく累積していく仕組みになっている。すなわち、人事考課査定による不利益取扱いが毎年継続して行われる場合、ある年度の人事考課に基づく職能賃金の格差はその年度以降の賃金支払行為の中でも継続し、翌年度の人事考課査定に基づく職能給賃金の格差と相まって、差別額は累積し、かつ拡大していくのである。このような制度の下において、「一体として一個の不当労働行為をなす」のは、一回の昇給査定とそれに基づく賃金支払行為に限定されるものではない。昇格・昇給差別は、人事考課査定、昇給、昇格決定、毎月、毎期の賃金や賞与支給等において反復継続して行われているのである。

他方、人事考課は使用者が秘密裡に行い、その内容が開示されないため、差別の発生当初は不当労働行為性が不明確であり、相当期間の継続により差別が累積してようやく不当労働行為であることが明確になる。労働組合法二七条二項の「継続する行為」の意義について、立法の実務責任者は、継続して行われる一括一個の不当労働行為をいい、複数の行為からなるものでもよく、また、申立時においても終了せず相当長期間にわたるものがあるとしていたが、累積した賃金・昇格差別は、その構造や特徴からして典型的な複合的、継続的な不当労働行為であり、このような立法趣旨に照らし、最も典型的な「継続する行為」に当たるというべきである。原告会社が補助参加人らに対し経済的制裁を加えるという特定した具体的目的をもって継続的に昇格・昇給差別を行ったこと、人事考課及びこれに基づく昇給、昇格、賃金及び賞与の支給行為は密接不可分に関連し、差別査定が繰り返し行われていることからすると、これらは全体として一個の不当労働行為に当たる。職能資格制度の下では、不当労働行為意思に基づく不利益取扱いであることが判明するには必ず一定年数を要するし、労働組合は、その後の労使間交渉が不調に終わった段階で不当労働行為救済申立てを検討するのであるが、本件命令のような解釈に立つと、不当労働行為であるかどうかの疑いがあれば直ちに不当労働行為救済申立てをしなければならないことになり、労働者に酷にすぎるもので、憲法及び労働組合法の趣旨に反する。

(3) 本件命令の立論は、平成三年六月四日最高裁第三小法廷判決(紅屋商事事件。民集四五巻五号九八四頁)の判示を反対解釈したものであるが、同判決は、査定に基づく賃金の最後の支払時から一年以内に救済申立てがされたときはその申立ては適法である旨判断したにとどまり、本件のように数年以上継続してされた昇給・昇格差別等について判断したものではなく、本件命令が同判決を反対解釈したことに何ら根拠はない。

(4) 補助参加人らは、都労委に対する昭和五八年一〇月の救済申立ての時点で不利益査定の事実を明らかにし、初審の第一回調査期日において、差別の具体的内容は後に明らかにする旨口頭で説明しており、都労委はこれを了解した。しかし、都労委は、その後一度として、補助参加人らに対し、差別の救済を求めるのであれば申立期間の規定との関係で不当労働行為救済申立書を提出するようにと指導することはなかった。これは、都労委が、申立期間については、直ちに救済申立書を提出しなくても、将来申立てがされれば救済できるとの立場に立っており、かつ、被告も同様の立場に立っていると判断していたからにほかならない。このような昭和五八年から昭和六三年ころの被告の当時の解釈を前提にして不当労働行為救済申立てが遅れた本件について、その不利益を補助参加人らに及ぼし、被告がこれを救済しないのは不当である。労働委員会は、被害者である労働組合あるいは労働者が手続上の問題で不利益を被らないようにすべき責任があるから、この点に関する被告の取扱いは誤りである。

(5) 本件命令は、補助参加人己山の昭和五八年度分の賃金差別を救済しなかったが、その理由は、補助参加人己山が原告会社の方針に異を唱える発言を公式の場でしたのは、昭和五七年度人事考課表が常務会に上がって処理決定された後の昭和五八年三月一七日であるから、昭和五八年昇給に関しては不当労働行為の成立する余地はないとするものである。

しかし、昭和五八年三月一七日以前に常務会で補助参加人己山の査定がE評定と処理決定されたとする証拠はなく、原告会社の従業員に評定結果が知らされるのは同年七月ころであるから、原告会社において、補助参加人己山の言動を踏まえて評定を変えることは十分可能であった。原告会社が人事考課制度を恣意的に運用していることは、初審命令も認定するとおりであるから、補助参加人己山の評定が突如としてC評定からE評定になった点についての合理的な説明が原告会社から格別の証拠をもってされない限り(実際に、原告会社はこの立証をすることができなかった。)、不当労働行為であると推認されるべきである。

2 争点2(配転に関する救済申立期間)について

本件命令は、補助参加人丁川、同東野、同北川、同冬川、同乙山、同戊野、同秋田、同春野及び同寅野の配転に関し、発令から救済申立てまで一年以上経過しているのでその是正については却下するとした初審命令を維持し、補助参加人らの再審査の申立てを棄却した。

しかし、不当労働行為が起きれば、一年以内に必ず申立てをしなければ救済されないというのは、万策尽きてはじめて申立てをすることを考える当事者側の実情に合わず、使用者の不当労働行為のやり得を許すものである。

3 争点3(賃金、賞与の是正内容)について

補助参加人らが本件について都労委に対して求めた救済命令の内容は、(1)昭和五六年度分以降の賃金、賞与について、職能等級(昭和五六年の制度)又は職能資格(昭和五九年の制度)を、同期同年齢の標準者の等級又は資格、職位とした上で、五段階の中間であるC評定に再評定した額と、実際に支払われた額との差額の支払、(2)職能等級(昭和五六年の制度)又は職能資格(昭和五九年の制度)並びに職位については、同期同年齢の過半数の者が昇類・昇格し、又はある職位に就いた時点において昇類・昇給し、当該職位に就いたものとすること、(3)配置転換前の職場に復帰させること、等であった。

これに対し、本件命令は、別紙2主文第2項のとおりの救済を命じた。

補助参加人らに対する賃金格差は、①人事考課の低査定に伴う賃金差別、②昇類・昇格差別に伴う賃金差別、③役職差別に伴う賃金差別の三つの要素に基づいており、補助参加人らに対する救済はこの三要素すべてについてされなければならないが、本件命令主文第2項は、賃金面での処遇と直結している職能資格格付け及び職位について、職能給(職能給の等級を含む。)及び職務手当の加算を、平成三年度についてしか認めていないため、昭和六三年度ないし平成二年度については、職能資格格付け(職能給の等級を含む。)及び職位の差別に基づく賃金差別は回復されない。本件命令主文第2項は、これらの年度についての職能資格格付け(職能給の等級を含む。)及び職位の差別に基づく賃金差別の是正を命じていない点で違法である。

(被告の主張)

1 争点1(賃金等に関する救済申立期間)について

(1) 労働組合法二七条二項の「継続する行為」の趣旨について

差別的な不利益査定とそれに基づく(当該年度の)毎月の賃金支払とは一体として一個の(継続する)不当労働行為をなすから、この査定に基づく賃金が支払われている限り不当労働行為は継続することになり、同査定に基づく賃金上の差別的取扱いの是正を求める救済申立てが、同査定に基づく(当該年度の)最後の賃金支払の時から一年以内にされたときは、申立期間内の申立てとして適法であると解すべきであり、この一連の行為は、次期昇給査定に基づく昇給が行われるまでの間の賃金支払の限度で、継続する行為と認めるべきである。

(2) 補助参加人らの主張について

賃金差別の場合に、年一回の昇給が不利益取扱いであるかどうかは、低査定が続くなど数年の経過を経て初めて明確になるからといって、補助参加人らが主張するように「継続する行為」の概念を拡大解釈することは、法が一年という申立期間を設けた趣旨(申立期間は、労働者側の不利益査定の主張に対し、使用者側がする査定の合理性に係る反証の対象期間でもあること)を無視するものである。

2 争点3(賃金、賞与の是正内容)について

本件命令主文第2項は、賃金差別の是正と「平成三年六月一日以降の職能資格格付け及び職位について、同日以降同年同期入社者に遅れないように取り扱うこと」を求めた補助参加人らの主張を前提として発せられたものであり、補助参加人らの申立てに対応したものであるから、賃金差別の是正において平成三年六月一日より前の職能資格格付け及び職位を考慮しなかったからといって違法となるものではない。

第4章  当裁判所の判断

第1  各争点の背景となる事実について

後掲各証拠によれば、次の事実を認めることができる(争いのない事実を含む。争いのない事実であっても参照の便宜上証拠を摘示するものもある。以下同じ。)。

1  いわゆる日経ショックとそれに対する朝日火災支部の対応

(1) 原告会社は、昭和二六年に野村證券株式会社、株式会社大和銀行などの出資によって損害保険業を営むことを目的として設立された会社であり、昭和四〇年二月一日に鉄道保険部を吸収する形でこれと合体したため、以後原告会社には、当初からの原告会社従業員と、鉄道保険部出身の従業員とが混在するようになった。前記の合体に当たり、合体後の鉄道保険部の従業員の身分、給与等は別途協議の上決定するとされ、また、鉄道保険部の就業規則等は、改定されるまでは当分の間原告会社が継承するなどとされたため、当初からの原告会社出身の従業員と鉄道保険部出身の従業員とでは、定年などの労働条件は必ずしも統一されていなかった。

(2) 原告会社は、戦後設立されて資本規模が小さいなど経営基盤がぜい弱であった上、人件費の占める割合が高く生産性が低いために慢性的な赤字体質にあったが、昭和五一年度から実施した「中期計画」による経営拡大策が高度成長期から低成長期へ移行していた経済環境の変化に適応しなかったため、経営状態は改善せず、昭和五二年一一月ころには、同年度決算(昭和五三年三月期決算)では約二〇億円の経常損失が見込まれ、株主に対する配当も前年の九パーセント配当から無配に転落することが必至の状態であった。

そのため、原告会社は、昭和五三年三月に朝日火災支部からされた同年度賃上げ要求に対し、同年四月一七日、原告会社の経営状態を説明して「ゼロ回答」をし、数次にわたる団体交渉でもこれを変えなかった。これに対し、朝日火災支部は、同年五月及び六月に連続して一五分から三〇分の早退ストライキを行って賃上げを迫っていた。

(3) このような折の昭和五三年六月二二日、日経新聞朝刊一面トップにおいて「朝日火災再建に乗り出す」、「前三月期大幅赤字、経営陣一新へ」との見出しで原告会社が深刻な経営危機にある旨が報じられ(乙44)、同旨の内容の記事は他の主要日刊紙でも取り上げられたため、原告会社の内外で、同社の経営状態についての大きな不安、動揺が生じた(以上の事態を、以下「日経ショック」という。)。

この日経新聞の記事に対し、補助参加人甲野を執行委員長とする朝日火災支部執行部は、直ちに朝日火災支部闘争委員会名で、「①今回の報道は、大蔵省及び大株主の同意の下にされたもので、原告会社がこの意図を受けて従業員、組合員の動揺を最大限に活用し、賃上げゼロと大合理化を一方的に押しつけようとしてくることは明らかである。②原告会社が昭和五二年度決算につき大幅な損失を計上することとなったのは、原告会社が内部留保されて保険金支払の担保となる責任準備金及び支払準備金を前年度に比して大幅に積み増したことによるもので、報道されているような経営内容の急激な悪化によるものではないから、朝日火災支部の従来の要求と方針を変更する必要はない。③合理化自体に反対するものではなく、必要な体質改善はすべきであるが、大蔵省、大株主及び経営者が一方的に経営再建合理化計画を強行することは許さず、徹底的に協議をし、納得のいく再建計画を求めていくとともに、従来の賃上げ要求を維持し、早期解決のために全力を挙げて闘う。」旨の「『日経報道』に関する朝日支部闘争委員会見解」を発表し、二度にわたって早退ストライキを実施した。また、全損保はその機関紙「全損保」一二一七号(昭和五三年六月二五日付け)において、全損保常任中央闘争委員会名義で、「日経紙『朝日問題』報道についての見解」との記事を載せ、「日経新聞の記事は一般の読者あるいは保険契約者、代理店などに事態の本質をゆがめて伝え、誤った認識を与えるものである。」とした上で、「朝日火災の経営実態は中小損保に共通する相対的な『劣勢』にあるとはいえ、今年急速に悪化した内容はなく、むしろ五二年度の元受増収率は全社平均を上回り、事業費率、人件費率も四九年度以降低下している」などとし、「単に原告会社一社の問題ではなく、中小損保全体に関わる経営側の合理化強化の意思の表れであり、全損保の組織を挙げて闘う。」旨、意思表明をした(乙45)。

(4) 原告会社は、昭和五三年六月二九日に朝日火災支部に対し、新規採用の抑制、欠員の不補充及び合理化により従業員数を逐次漸減させること等による人件費・物件費の圧縮、管理内務部門事務の合理化、組織改正等及び低効率営業所の整理縮小等による営業強化のための要員再配置を主な内容とする「合理化実行計画(案)」を提示し、合理化を推進しようとした。また、同年七月三一日の原告会社株主総会において、代表取締役(会長、社長、副社長)と筆頭常務の四名が同年三月決算での大幅欠損、無配転落などの責任を取って辞任し、野村證券株式会社の専務取締役であった田中迪之亮を代表取締役社長とする新経営陣が原告会社の再建に当たることとなった。原告会社の新経営陣は、旧経営陣と同様賃上げゼロ回答をし、前記合理化実行計画案に従って合理化を推進しようとしたため、朝日火災支部は、同年八月八日の第三六回臨時支部大会で、執行部提案どおり、有額回答を引き出すまで闘うこと、展望の持てる実行可能な再建計画を要求し、原告会社提案の合理化実行計画案については労働条件維持の観点から実質協議することで対処すること、要求実現のためにストライキ等の争議行為を行うこと等を決定した。

原告会社の新経営陣は、同年八月一日に開かれた新経営陣として初めての労使懇談会において、従前から行われていた団体交渉の方法(使用者側は社長以下在京常勤取締役全員が、労働者側は支部闘争委員全員が、それぞれ出席をする。また、交渉時間は特に制限しない。)では、経営再建に支障があるとして、人数制限や時間制限等その変更を求めた。これに対し、朝日火災支部は反発し、従前どおりの方法での団体交渉を求めたが、原告会社がこれに応ぜず、そのため実質的な団体交渉ができない状態となったため、朝日火災支部は、同月一〇日中央労働委員会にあっせんを申し入れた。同月二五日、中央労働委員会は、合理化実行計画案については労使各七名ずつの人数で団体交渉をし、その他の事項についても、今後労使間で話合いを進め、円満解決を図ることを内容とするあっせん案を提示し、原告会社及び朝日火災支部ともこれを受諾し、以後あっせん案で示された出席者による団体交渉がされ、その結果、合理化実行計画案については、原告会社が一部修正したため、朝日火災支部も同年九月一日からこれを実施することを了承した。

なお、朝日火災支部は、団体交渉ルールについての権利を留保するとした上、出席者を原告会社八名、朝日火災支部一三名とする団体交渉を了承し、以後同年九月からの原告会社と朝日火災支部の団体交渉は、ほぼこの出席者によって行われた。

朝日火災支部からの昭和五三年度賃上げ要求に対し、原告会社は依然としてゼロ回答を変えなかったため、朝日火災支部はこれを不満として、同年九月以降同年一二月までの間、東京本社への抗議団を数次にわたって派遣し、役員室前のフロアー座り込み、シュプレヒコールの繰り返し、各職場へのビラ貼りめぐらしなど、原告会社始まって以来の激しい抗議行動を繰り返した。さらに、朝日火災支部は、昭和五四年二月に開催された臨時支部大会で、執行部提案どおり、「賃上げゼロ回答を打破し、質・量にこだわらず賃上げを獲得し、三月臨給(昭和五四年三月臨時給与)実績3.595ヶ月を確保する」ことを目標として、ストライキ等あらゆる争議戦術を行使することを決定し、同年三月には半日ストライキをするなどしたが、原告会社はゼロ回答を変えず、ただ同年三月臨時給与については従来の回答に上積みする回答をした。

朝日火災支部は、やむなく闘争を収束することとし、同年三月二二日、原告会社の回答どおり、昭和五三年度の賃上げ要求はゼロのままで、昭和五四年三月の臨時給与要求については3.014か月とすることで妥結した。

(5) 原告会社は、昭和五四年二月一九日、朝日火災支部に対し、経営体質の抜本的な改善、黒字基調の回復等を目的とし、収入の増加を図るとともに経費節減をするための組織改正を提案し、同年四月一日からこれを実施し、これに伴い大幅な人事異動を実施した。

そして、原告会社は、経営基盤改善のため、①年功序列型賃金体系を脱却するための「人事諸制度の改定」(職能資格制度を導入し、職能給体系へ移行することを内容とするもの)、②「退職金制度の改定」(退職時本俸に一定係数を乗じて計算する方法を、資格別及び昇給時の合計点数に基準単価を乗じる方法へ改定しようとするもの)、③二本立て定年制の解消を目的とする「定年統一」(原告会社の当初からの従業員の定年は満五五歳、鉄道保険部出身の従業員は満六三歳で必要により二年延長とされていたのを、全従業員について満五七歳の誕生日に統一しようとするもの)を行うこととし、朝日火災支部の昭和五四年度賃上げ要求に対し、昭和五四年七月二六日、これらの三つの制度改定(以下「新人事諸制度」という。)の受け入れを条件として、七〇〇〇円の賃上げを行う旨の回答(いわゆる「セット提案」)をした。

これに対し、朝日火災支部は、賃上げ額が低額である上、制度改定は労働条件の改悪であって、セット提案は受け入れられないとし、賃上げ交渉と新人事諸制度交渉との切り離しを要求して、原告会社と対立した。そして、同年九月一七日及び同月一八日に開催された朝日火災支部の第四〇回定例支部大会において、執行部の提案した、「全損保の支援を受けながら、朝日火災支部に対して不当な攻撃を続ける田中経営陣、その背後にいる野村証券等の大株主や大蔵省に向けて、闘いを大きく外に拡げて抗議行動、要請行動を行い、原告会社の経営陣を孤立させて朝日火災支部の要求を貫徹する行動を行うこと(以下『闘いを外に拡げる行動』という。)」を方針として決議した(乙764)。

そして、朝日火災支部は、全損保の支援を受けて、「朝日経営、野村証券を社会的に包囲しよう」とのキャンペーンを掲げ、闘いを外に拡げる行動の第一次行動日である同年一〇月一七日には、街頭でのビラ配り、野村證券株式会社一四支店における要請行動、早退ストライキ等を行い、また、第二次行動日である同年一一月一六日には、野村證券株式会社本店及び支店における抗議行動、大蔵省への要請行動を全国規模で行うほか、早退ストライキ等を行った(乙52ないし56、58)。

((1)ないし(5)につき、前掲証拠を含め、乙29、44、45、47、50ないし56、58、240ないし243、246ないし253、367ないし369、371、383、420ないし425、428ないし441、456ないし458、482、489、511ないし528、532ないし534、540ないし548、764、775、894、992、1007、1015、1019)

2  組合の活動方針をめぐる対立

(1) 昭和五四年一一月中旬ころ、原告会社の東関東営業本部長であった松本は、「憂う」と題する文書(四〇〇字詰め原稿用紙六枚。乙48)を執筆し、東関東営業本部所長会議において出席した営業所長らに配布した。

その内容は、日経ショックに関連し、経営危機に対する原告会社の経営上の誤りを指摘した上、この点は経営陣の退陣という形で解決が図られたが、多数決民主主義と団結の名の下に会社を経営危機に陥れた労働組合の責任も重いから、この際組合委員長も責任を取って後進に道を譲るべきであること、また、全損保は朝日火災の労働組合闘争に介入しているが、朝日火災を助け育てようと本気で考えているのか疑問があること等とするもので、「今は唯再建のために耐えがたきを耐え忍びがたきを忍び、会社の方針を全てのみ、直ちに闘争を終結して役員以下全社員が一丸となって再建に全力を挙げる事が絶対に必要なのではなかろうか」などと記載され、さらに、同文書の最後には、週刊ダイヤモンド昭和五四年一一月一七日号に掲載された「“躍進共産党”の新・企業侵攻術」なる記事が引用されていた(乙48、641ないし643)。

これと前後して、前記闘いを外に拡げる行動の第二次行動日の前日である昭和五四年一一月一五日、朝日火災支部組合員である東京、名古屋地域の一部の課長、所長(原告会社と朝日火災支部との労働協約では、本店部長、支店長など一定範囲の役職者は非組合員とされていたが、特定の職位にある者を除く課長、所長、課所長代理などの役職者も組合員とされていた。)の中から、闘いを外に拡げる行動は、原告会社の信用等を失わせるなどの不利益があるだけで問題解決にはならないとして、これに反対する署名活動が起こった(この署名活動を推進する立場の組合員らを、以下「署名推進派」という。)。これに対し、朝日火災支部及び東京分会は、東京地区の署名推進派と話合いを持ったが、合意に至らず、同年一二月一〇日には、署名推進派は全国の職場で一斉に「闘いを外に拡げる行動」の中止を求める署名活動に入った。このため、朝日火災支部闘争委員会は、更に同月一二日署名推進派の代表との間で、混乱を収拾するための話合いを行い、同月一四日に予定していた第三次行動について、戦術を縮小し当日のストライキ等を中止した。

そして、原告会社と朝日火災支部は、昭和五五年二月二九日、昭和五四年度賃上げ等につき、人事諸制度改定及び退職金制度改定は昭和五五年七月末を目途に合意に努力し、定年統一は継続協議すること、同年度の賃上げ及び臨時給与については原告会社からの上積み回答によることで合意した。

この合意に基づき、原告会社と朝日火災支部は、まず主に新人事諸制度の改定についての団体交渉を続けながら、昭和五五年度賃上げ等についても団体交渉をし、朝日火災支部は、同賃上げ等については原告会社の回答を不満として、同年六月から同年八月にかけて数次にわたる早退ストライキを実施し、原告会社からの上積み回答を引き出して昭和五六年三月末日までに合意した。

なお、新人事諸制度の改定については、原告会社と朝日火災支部は、同年七月に大筋で合意したが、退職金制度改定及び定年統一については、具体的な進展はみられなかった。

(2) 昭和五五年六月、新人事諸制度問題を討議するための朝日火災支部臨時大会が予定されていたが、署名推進派はこの臨時大会に向けて、自らの主張に同調する代議員を送り込む運動を始めた。朝日火災支部大会は代議員制で運用され、代議員は、原則として原告会社の本支店に置かれた各分会ごとに分会総会で選出することとされており、従来その選出は各分会で話合いにより行われていたが、署名推進派による動きの影響で、話合いによる選出方法を採れない分会が生じ、例えば、東京分会においては、立候補者が多数出て選挙が行われ、代議員定数二〇名中署名推進派から九名が選出された。

また、同年九月に開催された朝日火災支部の第四三回定例支部大会の代議員選出に際しては、朝日火災支部傘下一三分会中七分会で選挙が行われた。このうち東京分会の総会においては、代議員定数二〇名中、執行部の運動方針に反対する者一二名が選出された。一方、分会役員の選挙では、委員長及び書記長の選挙で、執行部の運動方針に賛成する立場の二名(補助参加人東野を含む。)ともが落選した。

(3) このような経緯にあって、昭和五五年九月一七日及び同月一八日に開催された朝日火災支部の第四三回定例支部大会において、執行部(執行委員長は補助参加人甲野)が提案した「当面する諸問題をはじめとする重要な方針」のすべてにわたって、代議員の意見が二分されて激しい議論が行われた結果、代議員四四名中二四対二〇で前記運動方針が可決された。また、朝日火災支部の主要役員の選出についても選挙が実施され、執行委員長には補助参加人甲野が再選されたが、選出された執行部役員一五名中六名(副委員長、副書記長各一名、執行委員四名)は執行部の方針に反対する者であった。

(4)ア 朝日火災支部及び全損保は、昭和五五年一〇月七日、前記第四三回定例大会の前後を通じて原告会社の非組合員である職制の取った言動等が不当労働行為であるとして、都労委に対し救済の申立てをした(都労委昭和五五年不第九二号事件)。

都労委は、この申立事件につき、昭和五六年九月二二日付けで、「被申立人朝日火災海上保険株式会社は、被申立人会社の部長、支店長らの職制をして、申立人全日本損害保険労働組合朝日火災支部定例大会に代議員として出席する者に対し、同支部内における対立する一方の立場を支持し、他方に反対する旨示唆する言動を行ったり、被申立人会社の業務上の諸会議の際、同支部の組合員に対し、同支部内における対立する一方の立場を支持し、他方を暗に批判するなどして、同支部の組合運営に支配介入してはならない。」と命じた(乙70、676)。

イ これを受けて、原告会社と朝日火災支部は、労使関係正常化のための交渉を続けていたが、昭和五六年一一月一七日に開催された朝日火災支部の第四五回定例支部大会においては、執行部の提案した昭和五六年度賃上げについての闘争方針案が、ストライキ等の具体的な闘争方法に関する部分を削除した形で可決され、また選挙により太田忠志が執行委員長に選出され、執行部役員のポストも、従来の補助参加人甲野を執行委員長としていた執行部の方針に批判的な者が九名と多数を占めるに至った(なお、補助参加人甲野は、投票によらない方法で副執行委員長となった。以下、太田忠志を執行委員長とする執行部を「新執行部」という。)。

ウ 太田忠志は、昭和五一年から昭和五四年にかけて、朝日火災支部副委員長を務めたが、その際の執行委員長は補助参加人甲野であった。太田忠志は、朝日火災支部の第四五回定例支部大会が開催される前日の昭和五六年一一月一六日、補助参加人甲野を呼び出し、全損保本部書記局近くの居酒屋において約二時間にわたって話をした。その中で、太田忠志は、前記大会で支部役員に立候補すること、社長から直接ではないが、原告会社の指示あるいは締め付けがあり、辛い立場にあること、同大会の役員選挙については、原告会社による票読みが厳密に行われていることなどの話しをし、「今日は自分の気持ちを分かってほしかったので会ったが、他言しないでほしい。」と述べた。(乙309ないし311、712、896、1054、1073)

エ 以後、新執行部内では、昭和五六年三月臨時給与、昭和五七年度賃上げなどの闘争方針等をめぐって、労使の協調を重視し、早期妥結を図ろうとする立場の者(多数)と、これに反対し、交渉ないし闘争の継続を主張する立場の者(少数)が対立し、その状態は、昭和五八年九月に開催された第四九回定例支部大会まで続いた(昭和五七年九月の朝日火災支部第四七回定例支部大会では、前者の立場の者が一〇名執行部役員に選出された。)が、同大会での支部役員選挙の結果、補助参加人甲野を始めとする交渉ないし闘争の継続を主張する立場の者が落選し、支部役員全員が労使協調を重視する立場の者となった。なお、補助参加人甲野を始めとするこの立場の者は、これ以降も毎年支部役員に立候補したが、いずれも落選している。(乙275)

新執行部は、労使関係正常化のための交渉については、昭和五七年三月、原告会社が遺憾の意を表し、今後とも不当労働行為を疑われるような言動のないように注意すること等の内容で和解し(乙496)、退職金改定及び定年統一については、組合員の全員投票を踏まえるなどして、昭和五八年五月九日、代償条件(昭和五八年三月臨時給与は要求どおりに支払う。同年以降の三月臨時給与は実績を基礎に年初に協定する。)の下に、定年統一(定年年齢を満五七歳とする。)及び退職金制度の改定(退職金係数を三〇年勤続五一か月とし、経過措置を設ける。)について合意した。(乙498)

このように、原告会社が経営基盤改善のために重視していた人事諸制度の改定、退職金制度の改定及び定年統一の諸懸案はいずれも解決した。なお、原告会社の田中社長は、昭和五八年一〇月七日開催の営業本部長、部長合同会議の席上、「幸い労務問題も良い方向に行っている。」と発言し、労使関係が正常化しつつあるとの認識を示した。(乙85)

((1)ないし(4)につき、前掲証拠を含め、乙48、58ないし72、85、270、275、298ないし302、309ないし311、350、351、449、450、462ないし464、496、498、499、501、509、641ないし643、676、699、702ないし713、754ないし758、761、766、769、770、798、896、982、987、989、993、995、1011、1013、1054、1073、1118、1124、1125、1127、1128、)

第2  第四四号事件の争点1(A派、B派問題)について

1(1)  前記第1のとおり、原告会社においては、日経ショック以降経営陣が交代し、新経営陣の下、経営基盤改善のための合理化の推進が企図され、賃上げ要求に対する厳しい回答、合理化計画案の提示、新人事諸制度の提案等を行ったのに対し、朝日火災支部が強く反発したため、原告会社と朝日火災支部との間の対立が激化し、昭和五四年一〇月には、朝日火災支部が定例支部大会の決議の下、闘いを外に拡げる行動を採るなどといった事態となったこと、一方、同年一一月中旬ころ、非組合員である東関東営業本部長松本は、朝日火災支部の闘争方針を批判する内容の「憂う」を執筆し、これを東関東営業本部所長会議において営業所長らに配布したこと、これと前後して、闘いを外に拡げる行動の第二次行動日の前日である同年一一月一五日には、闘いを外に拡げる行動に反対する署名活動を行う動きをする組合員(署名推進派)が東京及び名古屋で出たこと、署名推進派と朝日火災支部との話合いが持たれたが実らず、署名推進派は、同年一二月一〇日、全国一斉に「闘いを外に拡げる行動」の中止を求める署名活動に入ったこと、昭和五五年に至り、朝日火災支部大会に向けての代議員の選出に当たり、署名推進派が自らの主張に同調する者を代議員として送り込む運動を始め、その影響で、同年九月に開催された朝日火災支部の第四三回定例支部大会においては、執行部(執行委員長は補助参加人甲野)が提案した「当面する諸問題をはじめとする重要な方針」のすべてにわたって、代議員の意見が二分され激しい議論がされたこと、以上の事実が認められる。

(2)  次に、証拠(乙275、754、1159)によれば、昭和五二年度、昭和五三年度に朝日火災支部副委員長、昭和五六年度に同支部委員長を務めた太田忠志は、昭和六三年二月一七日大阪高等裁判所において証人尋問を受けた当時、次のとおりの事実を認識・記憶していたことが認められ、証拠(乙712、1071、1073、1075、1156、1159)中、これに反する部分は採用できない。

ア 昭和五五年当時の朝日火災支部執行部の闘いを外に拡げる行動を基本とした活動方針に対し、同支部内に、企業の存続を考慮して同支部の活動方針を柔軟なものとするべきであるというグループが存在していた。

イ 昭和五五年九月一七日に開催された同支部の第四三回定例支部大会において、前年度までは無投票で決まっていた役員が選挙によって決められることになったが、これは、前記のグループに属する者が同支部役員選挙に立候補したためであった。前記の立候補者のうち、委員長に立候補した山崎、副委員長に立候補した杉原、書記長に立候補した望月、副書記長に立候補した筒井、執行委員に立候補した生田、吉川、富田、植竹、河合は、前記のグループに属する者であった。

ウ 昭和五六年一一月一七日に開催された同支部の第四五回定例支部大会において、太田忠志自身委員長に立候補したが、これは、同支部内の前記のグループの者から、委員長に立候補するよう頼まれたためであった。同大会においては、前年度同様いずれの役員についても選挙が行われたが、その立候補者のうち、委員長に立候補した太田忠志、副委員長に立候補した望月、書記長に立候補した杉原、副書記長に立候補した倉田、執行委員に立候補した小沢、左古、林、富田は、前記のグループに属する者であった。

(3)  前記第1の2(2)で認定した事実によれば、東京分会において行われた代議員あるいは分会役員選挙において、その立候補者が執行部の活動方針に賛成する立場なのか、反対する立場なのかについて明らかであったといえるし、このことからすれば、全国的にも、朝日火災支部内において、同支部組合員のうち、少なくとも、代議員あるいは分会役員選挙に立候補するなど積極的な活動を行っている者については、執行部の活動方針に対する賛否のグループのいずれに属するかについて明らかであったと推認することができる。

(4)  以上(1)ないし(3)を総合すると、前記朝日火災支部第四三回定例支部大会が開催された時点において、同支部内には、同支部の活動方針に関し、従来の執行部の方針を支持し、「闘いを外に拡げる行動」を支持して労働条件の維持向上のために原告会社に対し強い姿勢で臨むとする考え方の組合員が構成するグループと、これに反対し、労使協調を重視して柔軟に対応すべきであるとする考え方の組合員が構成するグループが存在しており、しかも、同支部役員選挙に立候補し、あるいは分会の代議員に立候補するという立場の組合員については、いずれのグループに属する者であるかは、同支部内において明らかであったというべきである。

2  次に、原告会社が前記のような対立するグループの存在等について認識していたかについて検討する。

前記のとおり、原告会社は、経営基盤の改善のため賃上げをゼロとするとともに合理化を図ろうとしていたのであるから、これに対する朝日火災支部の動向に多大の関心を寄せていたと考えられること、「憂う」を執筆、配布した松本は、東関東営業本部長という、原告会社における要職にあったこと、前記「憂う」の執筆、配布に時期を接して、組合員ではあるが同時に原告会社の役職である課長、所長による署名活動が起こり、その後それが全国一斉に広がったこと、その後朝日火災支部内に前記のようなグループ対立が生じたこと、朝日火災支部の代議員や役員選出方法も話合いないし無投票から投票に変わったが、本件の救済対象者である補助参加人らは、第四三回定例支部大会当時同支部役員選挙、分会代議員選挙、分会役員選挙等に立候補するなどの活動を行っていたこと(ただし、補助参加人己山については、自らの立場を明確にして組合内で公式に発言したのは、昭和五八年三月一七日になってからであることは、後記第4の1(2)キのとおりである。なお、補助参加人乙山は、前記の第四三回定例支部大会当時組合内の役員等の選挙に立候補するなどの活動はしていないが、証拠(乙174、175、951)によれば、昭和五三年から昭和五四年にかけて務めた大阪分会副委員長当時、原告会社の合理化施策等に反対する活動を行っていたものと認められるから、補助参加人乙山が従来の執行部の方針を支持するグループに属することは原告会社にとって明らかであったというべきである。)を併せ考えると、原告会社が、同支部内に前記のようなグループの対立があることを認識し、かつ、そのグループを構成する組合員の区別を、前記1(4)の限りで認識していたものと推認するのが相当である。

3(1)  これに対し、原告会社は、朝日火災支部の第四三回定例支部大会当時、A派、B派の区別について原告会社は認識していなかった旨主張する。

しかし、その具体的な主張の大部分は、その当時原告会社がA派、B派なる呼称を認識していなかったとするものであるところ、本件命令にいうA派、B派なる呼称は、前記の存在する対立グループを指す便宜上のものにすぎないし、当裁判所も、A派、B派なる呼称が、前記の当時既に原告会社内で通用していたとまで認定する趣旨ではないから、前記主張は採用の限りではない。以下、本件命令と同様、前記1(4)の従来の執行部の方針を支持し、原告会社に対し強い姿勢で臨むとする考え方の組合員で構成するグループをA派と、労使協調を重視して柔軟に対応すべきであるとする考え方の組合員で構成するグループをB派と便宜、呼称する。

(2)  原告会社は、朝日火災支部の第四三回定例支部大会の当時、同支部内には、A派、B派のいずれのグループにも属さない、いわゆる中間派が多数いた以上、A派、B派の区別は不可能であった旨主張する。

確かに、多数の朝日火災支部組合員の中には様々な考えの持ち主があるであろうから、同支部組合員の中には、前記の両グループのいずれにも属しない原告会社主張の中間派がいたことは考えられるが、前記のとおり、朝日火災支部役員選挙に立候補し、あるいは分会の代議員に立候補するという立場の組合員については、対立するいずれのグループに属する者であるかは、同支部内において明らかであったのであり、この限度において原告会社もこれらの者がいずれのグループに属するかは認識していたというべきであるから、中間派の存在があるからといって、前記の意味におけるA派、B派の区別が不可能であったとはいえない。

(3)  以上のほか、原告会社は、A派、B派の区別は、第四三回定例支部大会よりかなり後になって明らかになったものである旨主張するが、前記1の認定・判断に反し、採用することができない。

第3  第四四号事件の争点2(職制の言動)について

1  後掲各証拠及び弁論の全趣旨(争いのない事実を含む。)によれば、次の事実が認められる。

(1) 原告会社は、昭和五八年七月九日、朝日火災支部に対し、昭和五八年度賃上げと労働時間の変更をセットで提案した。

当時原告会社の就業時間は、平日は、夏は午前九時から午後四時三〇分まで、冬は午前九時三〇分から午後四時三〇分までであり、土曜日は休日ではなかったが、原告会社の提案は、第二土曜日を休日とする代わりに、年間を通じて平日を午前九時から午後五時まで、土曜日を午前九時から午前一二時までとするというものであった。

昭和五八年九月一九日及び同月二二日に開催される予定の朝日火災支部の第四九回定例支部大会においては、この原告会社の提案する労働時間変更の問題(朝日火災支部は、この問題を就業時間延長の問題ととらえていた。)が中心議題となることとなった。

(乙72、78、86、87、489、896、丙9)

(2) 第1の2(1)のとおり「憂う」を執筆、配布した松本は、原告会社が前記(1)のセット提案を行った翌日である昭和五八年七月一〇日付けで、「憂う」(その3)と題する文書(乙74)を署名入りで作成した(松本は当時中部営業本部長)。その内容は、「私一人位はどうってことないだろう。全損保に入っているのでいざという時は助けてくれるだろう等と思っていたら大変なことになる。」、「今も昔も変らず同じ主張をしている全損保に依存する限り、絶対に体力を回復することは出来ないであろう。今組合は全損保並に大義名分をたてているが、他社は他社朝日は朝日である。朝日が潰れても全損保は助けてくれない。自分の飯は自分で稼ぐしかないのである。全損保は自分らの主義主張及び自分らの組織を守るために朝日を防波堤としているのである。そのために朝日を応援するのである。」、「相変わらず昔取った既得権の上にアグラをかいている全損保に所属している限り、当社は前進出来ず他社の後じんを拝し、いつ迄たっても日の目を見ることはない。一日も早く全損保から脱退し当社独自で路を切り開いていくことである。就業時間一つとってみても、国内既存の損保の中で朝日だけは、世間並に九時から五時迄開店しておりますと朝日の親切さを売り込んでいかなければならない。他所のやらないことをやることが良い結果に結びつく時代なのである。」、「課所長よ、そしてそれに続く若人よ、目を覚まして君たち自身のために決起してもらいたい。」などとするものであった。四日市営業所においては、同文書の写しが取られ、営業所員らに配布された。

(乙74、298、641、642、643、906)

(3)ア 朝日火災支部名古屋分会(原告会社の名古屋支店、豊橋営業所、岐阜営業所、四日市営業所、松阪営業所、金沢営業所にそれぞれ所属する朝日火災支部組合員で構成される。)では、前記第四九回定例支部大会に向けて、昭和五八年九月一三日に分会総会が開かれた。その中心議題は、朝日火災支部大会の議案にある就業時間延長に係る討議と、同大会に出席する分会代議員三名の選出であった。

朝日火災支部組合員池田幹男は、昭和五八年九月、四日市サービスオフィス(原告会社の四日市営業所と同一社屋にある。)に勤務していたが、同月三日出勤した際、四日市営業所の小林正信所長(以下「小林所長」という。)から、「名古屋支店及び中部営業本部の課所長の会議が前日の同月二日に招集され、その際に、それぞれの課所長から各課所の組合員全員に対し、割り当てられた代議員候補者に投票するよう説得することが決まった。この内容は、名古屋支店の課長で、朝日火災支部組合員である丸(注・人名)が中心となって決めた。池田幹男の投票割当てとなる候補者は高萩である。」旨告げられた。高萩とは、名古屋支店営業一課に所属し、当時名古屋分会分会委員長であり、B派に属する者であった。

イ 同月九日、池田幹男は、金沢営業所の橋長所長(以下「橋長所長」という。)から「名古屋支店の道家支店長から電話がなかったか。」と電話で聞かれたため、「なかった。」旨答えたところ、同所長は、「前日(同月八日)の会合でそれぞれの組合員がだれに投票することになるか『丸、ばつ、三角』(○×△)を付けて検討したが、池田幹男の投票行動がどうなるか不明であったので、道家支店長が池田幹男に電話して、補助参加人辛川に投票しないように説得することになった。そのことを確認したかった。補助参加人辛川に投票しないでほしい。」旨池田幹男を説得した。

この際、池田幹男は、橋長所長から、分会代議員に立候補する予定のB派の者として、豊橋営業所の小川所長、高萩、名古屋支店内務課の吉川の名前を、また、A派の者としては、補助参加人辛川、名古屋支店の熊谷、豊橋支店の美濃屋の名前を聞いた。そして、橋長所長は、池田幹男に対し、「美濃屋が出ると他のB派の候補者が負ける可能性があるので、豊橋営業所から小川と美濃屋の二名が立候補するのは職場事情として具合が悪いという口実で、美濃屋を立候補させないように工作しているところである。」旨話した。

池田幹男が、橋長所長の説得に対し、「原告会社からの指示によって投票をするというのは避けたいが、同僚からの説得であるので、協力するとすれば白票とすることも考えられる。」旨答えたところ、橋長所長は、「その旨道家支店長に対して報告する。」と述べた。

ウ 名古屋分会総会の前日である同月一二日になって、同総会に欠席する予定であった四日市営業所の森田典子(以下「森田」という。)が、都合がついて急きょこれに出席することになった。森田は、時間延長に反対の立場であると見られていた。小林所長は、同日午後三時ころ、池田幹男に留守を頼んで森田と外出し、一時間ほどで帰ってきたが、その際、池田幹男に対し、「森田は欠席ということで報告していたが、急に出席することになって、今更変更することもできず困ったことになった。」などと述べた。

エ 名古屋分会総会の当日である同月一三日、池田幹男がその会場である名古屋支店に到着したところ、支店長席にいた道家支店長から手招きされ、小声で「指示どおり頼むよ。」と言われた。

同総会の投票結果は、小川一四票、高萩一二票、補助参加人辛川一一票、吉川一〇票、白票一票となり、上位三名(小川、高萩、補助参加人辛川)が当選した。

(乙101、906。これに反する乙306、672、673、692、693は採用しない。)

(証拠(乙304、692、693、806ないし825、1078)によれば、中部営業所及び名古屋支店の課所長会議が昭和五八年九月二日に開かれた事実はないことが認められるが、同証拠によれば、小林支店長がそのころ名古屋に赴いた事実自体は認められるから、課所長会議が開催されていないことは前記イの認定を覆すには足りない。なお、本件命令は、前記総会の翌日である同月一四日、中部営業本部長である松本は、四日市営業所所員全員の前で、「総会の結果は非常に残念である、会社の指示には全員が従ってもらわねばならない。」と述べ、さらに、「きのうの結果については不利益になることを承知しておいてほしい。」と述べた旨認定するが、反対証拠(乙641ないし646)もあり、これを認めるには至らない。)

(4)ア 朝日火災支部の東京分会は、同支部の第四九回定例支部大会に向けて、昭和五八年九月一七日に同分会総会を開いたが、その中心議題は、同支部大会の議案にある就業時間延長に係る討議と、同大会に出席する同分会の代議員の選出であった。

イ 前記東京分会総会の開催に当たり、同総会の代議員として(東京分会は分会員数が多いため、職場ごとに分会代議員を選出し、選出された分会代議員によって構成される分会総会で大会に出席する代議員を選出する仕組みになっていた。)、大宮支店から四名(同支店の組合員数は一一名)を選出する必要があり、同月一四日、大宮支店における分会代議員の選挙が行われた。当時の大宮支店長斉藤武美(以下「斉藤」という。)は朝日火災支部の組合員であったが、B派に属するといわれており、この代議員選挙には、斉藤を中心として、B派から、斉藤、大宮サービスセンター所長である熊沢弘国、課長である大河原勝及び主事である大野信夫が立候補した。なお、A派からは池田政史及び橘道子が立候補した。

ウ 大宮支店の渡部正和(以下「渡部」という。)は、同年七月ころから、斉藤から、B派が集めている就業時間延長受け入れ賛成の署名に応じるよう、同乗した車中などで迫られ、また、同年九月始めころから同月一三日(大宮支店における前記代議員選挙投票日の前日)にかけて、斉藤から、同選挙に関し、代議員はB派で独占したいので、B派の者に投票するよう何度も言われた。なお、渡部は、同年一一月に結婚式を行うことを予定しており、その仲人を斉藤に依頼していた。

エ 大宮支店における前記代議員選挙の結果は、斉藤五票、熊沢五票、大河原四票、池田政史三票、橘三票であり、上位三名と池田政史が代議員として選出された。

(乙99、100、628、629、908、909)

(本件命令は、渡部は、前記投票日の前日である同年九月一三日に、斉藤から、前記代議員選挙の投票に関して、斉藤の指示に従わなければ結婚式を壊しかねない趣旨のことを言われたと認定するが、反対証拠(乙628、629)もあり、これを認めるには至らない。また、本件命令は、同日、渡部が大宮支店を管轄する北関東営業本部長である富田恵一(非組合員)から電話を受け、同人から、「今後のためにならんぞ。だれに給料をもらっているんだ。」などと言われたことが代議員投票に関連するかのように認定するが、反対証拠(乙627、1041)もあり、関連性を認めるには至らない。)

(5) 昭和五八年八月一八日午前九時から、守口営業所で営業会議が開かれ、出席した南近畿営業本部長である惟住康三(以下「惟住」という。)は、約一〇分間、その前の週に行われた本部長会議の報告をした。その後、当時原告会社が朝日火災支部に対して提案していた労働時間変更問題に関して、「支部闘争ニュースなどで見ていると思うが、時間的にいって年間一七七〇時間だし、業界の平均を目指しているときに今の九時から四時半ではおかしい。」と言って、出席者の意見を聞いた。これに対し、補助参加人西山が、「この営業会議の場でこの問題を話されるのはおかしい、今労使で争点になっている問題ですし。」と言いかけたところ、惟住は、「会社が生き残るかどうかというときに、会社や組合と言っているときではないだろう、何がおかしいのか。不当労働行為というのか。君は意欲がないんだな、君のそういう意識が間違っている。」と言った。この当時、守口営業所は所長以下四名で、全員が朝日火災支部組合員であった。

(乙73、144、926、930、1037、1040。これに反する乙625、1037は採用できない。)

(6) 昭和五八年九月一四日、第四九回定例支部大会に向けて、朝日火災支部神戸分会の総会が開催された。その中心議題は、同支部大会の議案にある就業時間延長に係る討議と、同大会に出席する同分会の代議員の選出であった。分会総会の数日前から、原告会社姫路支店長の竹内(非組合員)(以下「竹内」という。)を中心として、姫路支店内の組合員に対し、分会の代議員選挙に当たり、B派の立候補者に投票するよう働きかける動きがあった。

同総会当日の午前中、組合員である長谷川泉(以下「長谷川」という。)は、竹内から、「神戸分会は原告会社上部からは目立つ存在であって、一生懸命働いてもその努力が評価されないから、今日の総会での選挙では協力してほしい。」旨説得され、同席していた同僚である井口からも、「姫路ではみんな頑張っているのに報われていない。自分が立候補して姫路のために頑張りたいから、協力してほしい。」旨言われたが、長谷川は、協力に応じるかどうかについて明確には答えなかった。

長谷川は、神戸市で開かれる同総会に出席するために新幹線に乗って移動する予定であったが、同日午後五時すぎ、姫路支店の支店長付営業課長である芦田清吾(以下「芦田」という。)から、「新幹線の中で読んでほしい。」と言われて茶封筒を渡された。封筒内には原告会社の用紙に書かれた書簡が入っており、その内容は、「さて、選挙だが、今まで神戸分会は赤だと言われのない会社からの攻撃を受けており、このまま壬野(注・補助参加人壬野)、井崎(注・当時神戸分会副委員長)、中村(注・当時朝日火災支部闘争委員)にやらせると、神戸・姫路に更に人減らしや犠牲的な異動が考えられ、本当をいうと中間派でいた人がやる方がよいと思っている。しかしもうそんな人も見つからない。せめて、神戸・姫路が『赤』だと思われる目立った存在にならないようにだけはしたい。」などと書かれ、芦田の署名があった。長谷川は、これを見て、同日午前に竹内及び井口からの説得に対して明確に答えなかったため、午後に竹内、井口及び芦田の三名で打ち合せて、芦田が前記書簡を作成したものと考えた。

なお、同年八月一八日、補助参加人壬野と芦田が面会した際、芦田は補助参加人壬野に対し、「本社の役員から、『神戸分会は赤で社内で目立った存在である。真っ白にせよ。』と言われ、対応に苦慮している。」旨の話をした。

(乙216、695、969、977。これに反する乙305、684、687、688は採用しない。)

(7) 朝日火災支部の第四九回定例支部大会では、一部の代議員から提出された「時間延長を受け入れる。」との修正案が二六対四(白票一)で可決された(乙78、759)。原告会社と朝日火災支部は、昭和五八年一二月一六日、就業時間に関する協定書を取り交わした(乙352、353)。

2(1)  以上認定の事実中、前記1(2)の事実は、中部営業本部長という要職にある松本が全損保を批判する文書を作成したもので、また、前記1(3)ないし(6)の事実は、いずれも、課所長あるいはB派に属する組合員が、A派に属する者を分会選出の代議員として選出されることを阻む言動をしたものであって、これらのことは、朝日火災支部内のA派なるグループの組合活動を阻害するものということができる(A派が全損保の方針を支持していることは前記第1の1(3)の事実から推認することができる。)。

(2)  次に、支店長、課所長あるいはB派に属する組合員による前記言動が原告会社の意を体してされたものであることが認められるかについて検討する。

前記1(3)の事実によれば、朝日火災支部の第四九回定例支部大会に出席する名古屋分会代議員の選挙に関し、名古屋支店の道家支店長は、池田幹男に対して、A派である補助参加人辛川に投票しないよう説得する予定であったこと、同選挙の行われた分会総会当日、道家支店長は、池田幹男に対して、補助参加人辛川に投票しないよう確認する趣旨の言動をしたことが認められ、また、前記1(5)の事実によれば、同認定のとおりの言動をした惟住は、南近畿営業本部長であったことが認められる。そして、証拠(乙366)及び弁論の全趣旨によれば、道家支店長、松本及び惟住は、いずれも労働協約上組合員資格のない、いわゆる管理職であることが認められる。

さらに、前記第1の2(3)及び(4)で認定したとおり、原告会社と朝日火災支部とが対立している状況の下、昭和五五年九月に開催された第四三回朝日火災支部定例総会の前後に、同総会で行われる役員選挙に関して、B派の組合員を多く当選させることを画策する動きがあったこと(このことは、都労委で原告会社の不当労働行為であると認定されている。)に引き続き、前記1(3)ないし(6)で認定したとおり、昭和五八年九月に開催された朝日火災支部の第四九回定例支部大会にあっても、課所長あるいはB派に属する組合員が、場所を異にしながらほぼ同時期に、同支部の役員選挙等に介入する言動をしている。これら一連の事実経過及びその言動内容に照らすと、前記の言動や松本による労働組合批判文書の作成を、単なる偶然とか、組合員が自らの意思で自然発生的に行ったものとは考え難く、原告会社内での統一された意思の下に行われたものとみるのが自然であり、これらの言動等は、組合員資格のないいわゆる管理職である支店長のそれのみならず、課所長あるいはB派に属する組合員によるそれについても、原告会社の経営者の意を体して行われたものと推認するのが相当である。

(3)  原告会社の主張について

ア 上記1で認定した限度で原告会社の職制の言動が認められる。

証拠(乙1089・別紙一及び別紙二)によれば、原告会社は昭和五五年九月九日付け及び同年一〇月一五日付け文書で「非組合員が原告会社による不当労働行為だと咎めたてられるような行為を一切行わないよう」社内に布告していることが認められるが、それにもかかわらず、前記(第1の2(1)及び第3の1(2))のように原告会社の要職にある松本でさえ、昭和五四年一一月時と同様に労働組合を批判する文書を作成し、これが四日市営業所員に配布されていることからすれば、原告会社のかかる布告に効果があったかどうかはすこぶる疑問であり、同布告の存在によって前記認定を左右するに足りないし、原告会社の職制等による前記の言動がその場所、態様からして、単なる一地方の末端の者によるものとも解し難い。

イ 使用者側にも言論の自由があるから、使用者側が労働組合の活動に対して一定の意見表明やそれに関する言動をしたからといって、そのことからそれが直ちに労働組合に対する支配介入となるとはいえないが、前記認定の職制等の言動等の内容、時期、機会等を総合すれば、これらの者の言動等は、使用者側に許された言論の自由の範囲を超えるものであり、支配介入に当たる行為と認めるのが相当である。

また、松本作成の「憂う」(その3)の配布が不当労働行為に当たることは前記認定のとおりである。

ウ 原告会社は、昭和五八年九月当時、原告会社が支配介入する動機はなく、昭和五五年九月以降昭和五八年九月に至るまで支配介入に係る言動もなかったから、原告会社が昭和五八年九月に開催された朝日火災支部の第四五回定例支部大会の組合役員選挙に関し、支配介入を行ったとするのは誤りであるとも主張する。

しかし、昭和五八年九月に開催された朝日火災支部の第四九回定例支部大会前は、朝日火災支部執行部の役員には、少数派とはいえA派の者も含まれており(前記第1の2(3))、また、同支部の各分会にもA派の者が少なからずいたと推認できる(前記第3の1(3))ところ、当時、原告会社と朝日火災支部との間では、労働時間の変更をめぐる労使問題があったのであり、これらA派の者が同大会の代議員に選出され、同問題に反対したり、朝日火災支部執行部の役員となることは、原告会社が、A派の方針からして原告会社にとって望ましくないと考えるのがむしろ自然であるから、原告会社に支配介入する動機がないとはいえないし、仮に昭和五五年九月から昭和五八年九月までの間に原告会社に支配介入に係る言動がなかったからといって、そのことも前記認定の事実関係(言動等の内容、時期、態様等)からして原告会社の支配介入を否定する根拠とはなり得ない。

エ 以上のとおり原告会社の主張はいずれも採用できない。

3 以上によれば、前記1(3)ないし(6)の課所長あるいはB派に属する組合員による言動は、A派の活動を抑圧するために行った支配介入であり、不当労働行為に該当するから、これを前提に、原告会社に対し、補助参加人らが朝日火災支部の定例支部大会に向けて行う各分会からの出席代議員の選出等の組合活動に関し支配介入をしてはならない旨命じた本件命令は正当であり、この命令部分の取消しを求める原告会社の請求は棄却を免れない。

第4  第四四号事件の争点3(配転問題)について

1  前記第2章第1の1(2)及び第4章第2の事実、後掲各証拠並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる(争いのない事実を含む。)。

(1) 新市場開発担当について

ア 原告会社は、昭和五三年から会社再建のための方策を執り始めた。具体的には次のとおりである。

(ア) 社費を徹底的に削減し、販売部門・営業部門を拡大し、非採算の営業店所を整理して効率化を図るなどの合理化実行計画を実施した。

(イ) 次のような組織改正を実施した。昭和五四年に行った組織改正は、従来の縦割り組織を廃止して、営業本部制を採用し、また、それとは別に、東京、大阪、名古屋に営業開発部(社長の直轄として、主として新規営業開拓に当たる。)を設けるというものであった。また、昭和五五年四月から実施した組織改正は、貯蓄総合保険を重点に置いて特化するなどのほか、官公庁の市場に進出するための開拓、その販売網の強化を実践するというものであった。

さらに、同年八月から実施した組織改正は、次のようなものであった。

a 東京営業開発部を二名増員し、うち一名を仙台に駐在させ、宮城県庁に対する市場開発を行う。

b 大阪営業開発部を二名増員し、うち一名を京都に駐在させ、大阪府庁、京都府庁等に対する市場開発を行う。

c 名古屋営業開発部に専任開発部長を置き、愛知県庁、名古屋市等に対する市場開発を行う。

d 東京営業本部長の直轄の営業課を新設し、同課は原則として新分野(具体的には貯蓄総合保険の営業)の開発のみに専念する。

イ 原告会社は、以上に引き続き、昭和五六年一月、全国的に新市場開発の徹底化を図るため、専任の新市場開発担当四七名を新たに配置した。これを配置する方法、基準等は、昭和五五年一一月一八日付け社長室長による指示文書によれば、次のとおりである。「新市場開発担当

① 課所(注・営業課及び営業所をいう。以下同じ。)において四人以上の営業社員で構成する課所は、課所長が代理店を担当する事により一名以上の新市場開発担当の捻出を行う。

② 新市場開発担当は原則として代理、主任層或いは課所の次席とする。

③ 開発担当は従来の代理店は一切担当せず、新市場開発と代理店の設置、育成に専念する。」

ウ 昭和五七年度の新市場開発担当に関する基本方針は、経営方針の徹底、積極的営業展開及び正常化の三点であり、積極的営業展開として、「官公庁、電力、私鉄、教職員、警察等、退職者市場の開発を行なう」、「貯蓄保険、自動車保険の推進者及び新市場開発担当者の任命により新しいマーケット開発を行なう」などが挙げられた。

(乙232、375、474ないし479、489、987、989、991、993、995、997、999、1001、1003、1005、1007、1009、1013、1015、1017、1019、1021、1023、1025、1027、1029、1031、1033)

(2) 原告会社による補助参加人甲野、同丙田、同南田、同辛川、同壬野、同夏山、同己山及び同癸山(以下、本項において「補助参加人ら八名」という。)の配転と、その前後の状況等

ア 補助参加人甲野

(ア) 原告会社は、補助参加人甲野を、昭和五八年一二月一日付けで本店自動車業務部から木更津営業所へ、新市場開発担当として配転した。同人の異動は同年一一月一五日の事務折衝で朝日火災支部に提示されたが、異動対象者は全体で七一名(うち組合員は組合役員一八名を含む六一名)であった。

(イ) 木更津営業所は、昭和五三年に新設された営業所であり、当初は千葉営業所内に同居する形であったが、昭和五八年四月に木更津市において独立店舗となった。同営業所の所員数は三名であったが、補助参加人甲野が赴任した結果四名の体制となった。

(ウ) 補助参加人甲野は、前記配転について、辛川裁判あるいは都労委に対する本件の申立てなどに関する活動に支障を来し、また、勤務時間の関係等から就業時間後の組合活動も困難になることを理由として、朝日火災支部を通じて原告会社に対して異議を申し立て、配転の撤回を求めたが、原告会社の容れられるところとならなかったため、同支部は、「やむなく異議を唱えて赴任する」として、事態を収拾させた。

(エ) 補助参加人甲野が赴任した昭和五八年一二月当時、木更津営業所では、私企業退職者に原告会社の主力商品である長期型の保険を売り込むことが課題とされていたが、人手が足りないことから、同所所長と補助参加人甲野の二名でこれを行うことになり、その結果、翌昭和五九年一月に契約の運びとなった。

ところで、新市場開発担当は、毎週文書で、週の活動状況と新規契約の実績を社長室に対して報告することになっており、これに従って、補助参加人甲野が、この契約の実績を社長室に報告する文書を作成したところ、木更津営業所長は、補助参加人甲野の実績によるものではないとして、実績の数字を零に書き直して同文書を社長室に提出し、その後も同様に扱った。

原告会社は、前記のとおり、前記配転当初は補助参加人甲野に既存の業務を行わせ、その後は新市場開発担当としての業務を行わせたが、同人は、木更津営業所管内の主要企業である新日本製鉄株式会社については担当させられることはなかった。

(乙134、232、359、760、898、1021、1025)

イ 補助参加人丙田

(ア) 原告会社は、補助参加人丙田を、昭和五八年四月一日付けで本店第二営業部から三鷹営業所へ、新市場開発担当として配転した。

(イ) 三鷹営業所は、従前は五人体制であったところ、昭和五六年、昭和五七年にそれぞれ一人ずつ減員されて所員が三名となり、補助参加人丙田が赴任した結果四名の体制となった。

補助参加人丙田は、東京第二営業所在勤当時も新市場開発担当であり、同所では営業目標やそのための資料等も与えられて業務に従事していたが、三鷹営業所においては、新市場開発担当としての具体的な目標は与えられず、営業のための資料等も与えられなかった。

(ウ) 補助参加人丙田は、前記異動当時朝日火災支部執行委員であり、組合活動に支障を来すことを理由として、同支部を通じて原告会社に対し異動について異議を申し立てたが、原告会社には容れられなかったため、同支部は、「やむなく異議を唱えて赴任する」として、事態を収拾させた。

(エ) なお、支部執行委員在任中に配転になった者として、この当時補助参加人東野(昭和五六年四月一日配転)、同北川(昭和五七年四月一日配転)及び後記ウの補助参加人南田がいたが、いずれも補助参加人丙田と同様、A派に属していた。

(乙124、134、232、350、760、927、932、1023)

ウ 補助参加人南田

(ア) 原告会社は、補助参加人南田を、昭和五七年一〇月二五日付けで本店営業内務部から城東営業所(新小岩)へ、新市場開発担当として配転した。

(イ) この異動当時、補助参加人南田は朝日火災支部四役である副書記長であったが、従前、現職の副書記長が本店外へ配転されたことはなかった。副書記長は、就業時間中等に他の役員とともに会議を行ったり、原告会社側との交渉窓口のメンバーであったため、補助参加人南田は、本店から離れている城東営業所に異動することによって、前記のような日常の組合活動に支障を生じることとなった。そこで、朝日火災支部は原告会社に対して、組織の運営上支障があるとして、「組合事情」を理由にその変更を求めたが、原告会社の容れるところとならず、同人は異議をとどめて赴任した。

(ウ) なお、補助参加人南田は、入社後五年間仙台支店において営業課に勤務し、次いで二年間の支部専従役員を経て東京本店営業内務部に所属し、その内務事務に二年半従事していた。

(乙134、135、232、760、916、1023)

エ 補助参加人辛川

(ア) 原告会社は、補助参加人辛川を、昭和五八年四月一日付けで神戸サービスセンターから金沢営業所へ、新市場開発担当として配転した。

(イ) 昭和五八年三月七日、原告会社は朝日火災支部に対し、同支部神戸分会委員長であった補助参加人辛川の異動について、労働協約に基づく事前通知を行った。同支部は、同月一四日の事務折衝で、原告会社に対し、補助参加人辛川について「組合事情」を理由に再検討を求めたが、折り合わなかった。同月一八日の事務折衝で、朝日火災支部は原告会社に対し、補助参加人辛川のほか、同支部執行委員であった補助参加人丙田、須佐美憲昭(以下「須佐美」という。京都市から旭川市への配転)、補助参加人癸山の各配転について、それぞれ再検討を求め、補助参加人辛川については新たに「個人事情」を追加した。この個人事情としては、補助参加人辛川の妻が大阪市内の他の同業会社に約二〇年間勤務し、退職の意思がないこと、同人の母親は体調が悪く、かつ生まれた土地である現住所から移転する意思がないこと、三名の小学生には就学上の問題があること、赴任により役職手当が減ることなどが挙げられた。これに対し、原告会社は、「組合事情」、「個人事情」とも異動発令を変更するような特別の事情ではないこと、全体の人員が減っている中で業務上の理由で異動を考える以上、組合役員にも異動対象者が出てしまうこと、同一地域の勤務が長いことなどの点を挙げて説明した。併せて、補助参加人丙田については再検討したが変わらないこと、補助参加人癸山については再検討できないこと、須佐美については業務ルートで話し合っているが朝日火災支部がいうほどの状況ではないことを回答した。

同月二二日、朝日火災支部は第四八回臨時支部大会を開催し、現在人事異動の再検討を要求している者で、生活条件の重大な支障のある者についてはできる限り守り、要求実現の努力をするため、具体的な方針が決定しない間に交渉時間切れで異動対象者らに対する解雇がされるのを避けるための緊急避難的争議権の確立を決定した。

同月二三日、朝日火災支部は、新たに、大阪分会副委員長である補助参加人壬野について、「組合事情」による再検討を求めたが、原告会社は再考できないと答えた。翌二四日の事務折衝でも、以上合計五名についての交渉が持たれたが、原告会社、朝日火災支部双方の主張は変わらなかった。

同月二五日、朝日火災支部は、補助参加人辛川及び須佐美の異動に関して中央労働委員会(被告)にあっせんを申請したが、不調に終わった。

同月二六日、朝日火災支部は原告会社に対し、補助参加人辛川に対し同月二九日からの指名ストライキを指令する旨通告した上、補助参加人丙田、同癸山及び同壬野の三名については、異議をとどめて赴任するが、同辛川及び須佐美については改めて再検討するよう主張した。原告会社は、補助参加人辛川について従来どおりの主張をするとともに、須佐美の個人事情については、母親の年齢からして須佐美本人がその面倒をみなければならないことはないこと、病気といっても、寝込んでいるわけではなく、重大な支障があるとは思えないこと、両親とも被扶養者ではないことなどを主張した。

同支部は、原告会社に対し、同月二八日、補助参加人辛川について同月二九日からの指名ストライキを通告し、さらに、同月二九日には、須佐美について同日からの指名ストライキを通告したが、須佐美が原告会社に退職願を提出したため、前記須佐美についての指名ストライキは解除された。

同支部は、これ以上闘うのは組織事情から困難であるとして、同月三一日の事務折衝において、原告会社に対し、補助参加人辛川は異議をとどめて赴任するが、赴任の準備期間を認めて同年四月四日の赴任を認めるように申し入れ、原告会社がこれを受け入れたため、前記補助参加人辛川についての指名ストライキは解除された。

(ウ) 金沢営業所は、昭和五三年六月ころ、営業効率が悪いことから減員計画の対象とされ、昭和五五年四月に、以前の一〇名から八名になり、昭和五八年四月当時も同数であった。補助参加人辛川は、同年三月二三日、同営業所の橋長所長に全損保本部事務所から電話をしたが、その際、同所長から、同所ではその時点で増員要求はしていない旨聞いた。

(エ) 昭和五八年四月四日、補助参加人辛川は金沢営業所に新市場開発担当(営業担当課長)として赴任し、単身赴任となった。

補助参加人辛川は、新市場開発担当の業務に関し、開発すべきルートやそのための援助等を受けることはなかった。

(オ) 補助参加人辛川は、昭和五六年度に朝日火災支部神戸分会委員、昭和五七年度及び昭和五八年度に同分会委員長を歴任し、同分会の中心的な人物であった上、昭和五五年九月の同支部定期大会以降昭和五八年三月の臨時の同支部大会まで、都合六回にわたって同支部大会に神戸分会選出の代議員として出席し、A派の立場で発言を行っていた。

(カ) なお、補助参加人辛川は、入社以来一貫して大阪・神戸という関西圏の大都市に勤務しており、転居を伴う異動や地方都市勤務の経験はなかった。また、同補助参加人は、営業を約六年、業務を九年、査定を八年経験しており、前記配転当時社内歴からは次席クラスであった。

(乙124、127、134、200、201、232、332、599、760、763、776、957、960、962、964、966、1015、1017、1021)

オ 補助参加人壬野

(ア) 原告会社は、補助参加人壬野を、昭和五八年四月一日付けで大阪支店営業部から神戸支店営業課へ配転した。

(イ) 補助参加人壬野は朝日火災支部大阪分会の副委員長であったところ、同支部は原告会社に対し、前記配転について「組合事情」として再検討を求めたが、原告会社がこれに応じなかったため、補助参加人壬野は異議をとどめて赴任した。なお、補助参加人壬野は、同人は了解していなかったが、同支部の杉原書記長から異議をとどめるということで同意した旨、同支部がその同意をした二日後になって電話で聞いた。

(ウ) 大阪分会は、東京分会とともに組合員を多く擁していたが、大阪分会役員にはA派が多く、昭和五五年九月の選挙ではB派の者一名が執行委員に当選し、昭和五六年一一月の選挙ではB派の者一名が副書記長に、二名が執行委員に当選したのみであった。しかし、昭和五七年九月の選挙では、A派が五名、B派が七名となった。昭和五八年四月に副委員長の補助参加人壬野が前記のとおり神戸支店に、同年七月にA派であった龍田が高松営業所に、同年八月に書記長であった補助参加人夏山が大分営業所に、それぞれ配転となり、さらに、昭和五八年九月に当選して副書記長であった補助参加人西山も、昭和六〇年一一月に福山営業所に配転となった結果、同分会の中枢からA派の者はほとんどいなくなった。

(エ) ところで、昭和五六年二月、「社業の発展をはかる」、「業務の研究により、知識の向上をはかる」ことを目的とする、二水会と称する大阪支店の課所長を中心とする会が結成され、毎月第二水曜日を定例会としていた。同会の会員には、分会の執行委員でB派の間嶋がいたが、A派の者はいなかった。同会は、昭和五六年二月から昭和五七年九月までの間に一八回開かれたが、そのうち、大阪分会の総会があった昭和五六年六月、同年一一月、昭和五七年三月及び同年九月は、その総会の直前の日(定例日以外の日)に一、二回開かれた。そして、昭和五七年九月を最後に自然に解散する形となったが、その後同会の発起人ら会の中心であった者の多くは、原告会社の支店長、本部長などに昇進しており、間嶋も副部長になっている。

(甲6の(1)ないし(9)、乙134、153、213ないし215、232、630(ただし、一部)、632(ただし、一部)、640、760、969、977、1023)

カ 補助参加人夏山

(ア) 原告会社は、補助参加人夏山を、昭和五八年八月五日付けで大阪支店営業部から大分営業所へ配転した。

(イ) 補助参加人夏山は、前記配転当時朝日火災支部大阪分会書記長であったが、同人が書記長に当選した役員選挙の際(昭和五七年九月)、他の役員立候補者は全員が無投票当選であったのに対し、書記長選挙は投票による選挙が行われ、同人は三九対三七の僅差で当選した。書記長選挙の対立候補は、原告会社大阪支店長をはじめとする役職者がその当選を期待する者(B派)であった。

(ウ) 大阪分会の書記長は、原告会社との事務折衝の窓口役であったが、原告会社は、補助参加人夏山が書記長に就任したころから、従前は事務折衝の対象とされていた労使問題等を、事務折衝に諮らずに一方的に実行するようになった。補助参加人夏山は、同分会執行委員会に問題提起をした上で、このことを原告会社に対して抗議したが、同分会の役員の中枢をB派が占めていたため、同執行委員会もこの問題への取組みは消極的であった。

(エ) ところで、昭和五八年七月九日、原告会社が、昭和五八年度賃上げ回答を就業時間の延長とセットで回答してきたことにつき、朝日火災支部闘争委員会は、就業時間延長の提案を外し、賃上げの上積みを求めるとの方針を示し、各分会に対し、この方針に対する各分会闘争委員会の意見集約を求めた。そして、これを持ち寄るため、同月一一日及び同月一二日東京において全国支部闘争委員会が開催された。大阪分会闘争委員会の意見集約の内容は、同支部闘争委員会の方針を全面的に支持し、スト権に基づき同月一八日以降毎週水曜日及び金曜日に反復定時退社を行う、というものであり、補助参加人夏山が前記全国支部闘争委員会に出席して、この意見集約の内容を報告した。

同月一二日夕刻、補助参加人夏山が全国支部闘争委員会から大阪支店に戻ったところ、上司である松永課長から、「東京に行ってどんなことを話してきたのか。」と聞かれ、補助参加人夏山が「どういうことですか。」と尋ねると、松永課長は、「全国支部闘争委員会において、大阪分会が、どんどんストライキをやれと発言したという連絡が入っている。今は会社からも組合からも情報が入ってくる。」旨述べた。

(オ) 補助参加人夏山は、昭和五八年七月二一日、大阪支店営業部副部長の松島から、「夏山君、首を洗ろとや。」と言われたため、松島に対し、「明日人事異動が出るのですか。」と尋ねたところ、「知らん、だけど、大阪の抗議文(注・朝日火災支部から各分会に対し、前記セット回答について抗議文を作成して全国支部闘争委員会に持ち寄るよう指示されたことを受けて作成されたもの)のことがいろいろ言われているらしいで。君は全国支部闘でもだいぶ発言したらしいな。」と述べた。

(カ) 補助参加人夏山の前記配転の内示は、同月二二日(金曜日)松永課長から口頭で行われた。

補助参加人夏山は、同月二五日(月曜日)朝、松永課長に対し、「今年中に結婚するつもりであるが、結婚相手が大阪で自分の仕事を継続したいとしているので、異動を再検討してほしい。」旨頼んだ。これに対し松永課長は、そのような理由は通用しない旨述べた。

その後、転入転出者のあいさつが始まったが、補助参加人夏山は、原告会社に対して再検討を頼んでいるとして、転出のあいさつを行わなかったところ、片野取締役に呼ばれ、「大分に行かないのならすぐに会社を辞めろ。」と言われ、また、松永課長からも、「会社があって組合があるのだろう。」などと言われた。しかし、補助参加人夏山は、なお原告会社側に異動の再検討を求めた。

補助参加人夏山は、同月二二日、大阪分会に対しても再検討要求を出すように求めたが、同分会は、書記長の穴は残った者でカバーするとして補助参加人夏山の要望を取り上げなかった。一方、朝日火災支部としては、補助参加人甲野(当時支部副委員長)らの発言をもとに、補助参加人夏山の配転について再検討要求を行うこととはしたが、補助参加人夏山は結局異議をとどめて赴任することとなった。

(キ) 補助参加人夏山は、昭和四九年四月に入社以来、大阪府にある守口営業所に七年、大阪支店営業部に二年四か月勤務しており、転居を伴う異動経験がなかった。

(乙134、153、164、232、385、648(ただし、一部)、760、944、1025)

キ 補助参加人己山

(ア) 原告会社は、補助参加人己山を、昭和五八年一二月一日付けで平塚営業所から甲府営業所へ新市場開発担当として配転した。甲府営業所の所員は三名であったが、補助参加人己山が赴任した結果四名の体制となった。

(イ) 補助参加人己山の組合歴は、前記のとおり、昭和四一年朝日火災支部神戸分会委員、昭和四四年同大阪分会委員を歴任した程度であったが、昭和五八年九月同横浜分会副委員長に立候補して当選した。同補助参加人は、A派の立場から同副委員長選挙に立候補し、併せて同分会総会において、朝日火災支部大会の代議員選挙にも立候補して、当選した。

補助参加人己山が昭和五八年になって組合役員として立候補することとしたのは、次の理由による。すなわち、昭和五八年五月九日、原告会社は、朝日火災支部との間で、従前鉄道保険部の労使間で協定されていた定年退職金制度を改定して、原告会社全体の制度を一本化することで合意し、同年七月一一日に新協定を締結したが、この新協定によれば、鉄道保険部出身の者は、従前の定年年齢が六三歳から五七歳に、また、退職金の算定基準月数が最高で三〇年勤続七一か月から五一か月になるなど、条件が低減されることになった。補助参加人己山は、鉄道保険部を経て原告会社に入社したものであり、この退職条件の低減の不利益を被ることから、自ら組合の場で発言していきたいとして、前記のとおり立候補したものであった。

なお、補助参加人己山は、この定年退職金問題について、昭和五八年三月一七日、朝日火災支部が主催する旧鉄道保険部の社員の集まりにおいて、自らA派の立場を明確にして初めて公式の場で発言をした。

この定年退職金改定問題については、朝日火災支部は同年四月に全員投票を行い、四二一票対二一六票で収拾案を可決していた。

(ウ) 補助参加人己山は、昭和五八年五月の定年退職金制度の改定合意に伴って支給されることになった代償金(同人の場合手取り約二〇万円)の受領を拒否した。村上人事部長及び木村営業本部長は、同年五月から六月にかけて数回にわたって平塚営業所に赴き、補助参加人己山に対しこれを受領するよう説得したが、同人はなお受領しなかった。なお、前記代償金を受領しなかった者は、補助参加人己山以外に三名いた。

(エ) 昭和五八年一二月の定期異動に関して、原告会社が示した基本方針は、(a)人員減の中で営業強化策を進める、(b)適正配置により活性化を図る、(c)同一部課所に長年勤務する社員を対象とする、(d)退職による減員補充を考える、(e)支店二課制を一課制とし統合を図る、以上の五点であった。

(乙71、134、157、158、232、359、760、936、940、1025)

ク 補助参加人癸山

(ア) 原告会社は、補助参加人癸山を、昭和五八年四月一日付けで千葉営業所から釧路駐在所へ、新市場開発担当として配転した。

(イ) 釧路駐在所は、昭和五七年四月当時は営業所であったが、営業効率が悪いという理由で駐在所となった。同所には、補助参加人癸山が赴任した当時、同人を含めて四名の所員がいたが、その一年後には、社員一名が退職し、その半年後には担当課長が転勤したが、いずれも人員補充がされず、さらにその半年後も高齢嘱託社員が退職したため、補助参加人癸山が異動した二年後の時点で同所の社員は補助参加人癸山一名のみとなった。

(ウ) 補助参加人癸山は、闘いを外に拡げる行動においては、原告会社社長宅近辺のビラ配布や丙田證券株式会社本社に対する抗議行動に参加した。また、補助参加人癸山は、昭和五五年九月の東京分会代議員選挙において、これに立候補して当選したが、その直前に松永千葉営業所長から、「君はよく分会総会なんかにも出ているようだから、今回は他の人に行ってもらった方がいいんじゃないか。」などと言われたことがあった。

(エ) 前記(ア)の配転の内示があった当時、補助参加人癸山は東京分会の分会委員であり、千葉営業所から週一回程度東京分会委員会の会議に出席していた。同人は、分会役員の任期途中であって分会活動が不可能になること、昭和五七年九月当時の東京分会委員は、計一四名中A派が五名、A派以外の者が九名で構成されていた上、同年一〇月にはA派の望月が盛岡営業所に配転となっていたため、更に補助参加人癸山が配転となれば、A派は三名となって活動に支障を来すこと、以上の点を理由として、前記配転は組合事情で応じられないとし、さらには、釧路を増員すること自体にも疑問があるとして、同分会、朝日火災支部を通じてその再検討を申し入れた。しかし、原告会社には容れられなかったため、補助参加人癸山は異議をとどめて釧路駐在所に赴任した。

(オ) 補助参加人癸山が釧路駐在所において新市場開発担当として業務を行うに当たり、退職者の名簿を渡されたが、同駐在所の管轄する範囲は、東西約三〇〇キロメートルであり、そのため、釧路市以外の地域において営業活動を行う場合、一箇所の営業を行うにも移動に長時間を要するなど、営業効率の悪いものであった。

(カ) 補助参加人癸山は、釧路赴任後、札幌分会の所属となったが、札幌まで急行列車で約五時間を要するという地理的状況から、他の組合員との接触も少なくなり、従前のような組合活動はできなくなった。

(キ) なお、補助参加人癸山は昭和三七年入社以来京都支店に一六年間、千葉営業所に五年間勤務しており、地方営業所勤務の経験はなかった。

(甲6の(8)、乙124、134、172、173、232、648、760、947、1023)

(3) 補助参加人ら八名の組合活動歴及び補助参加人己山を除く七名がA派に属していることは、前記第2章第1の1(2)ア、エ、カないしク、サ、セ及びチ並びに第4章第2のとおりであり、補助参加人己山がA派に属していることは前記(1)キのとおりである。

2  判断

(1) まず、新市場開発担当として配転された補助参加人甲野、同丙田、同南田、同辛川、同己山及び同癸山の各配転に関し検討する。

前記1(1)の事実によれば、原告会社は、原告会社における合理化計画及びそのための組織改正の一環として新市場開発担当者を配置することとしたもので、同担当者の配置は、原告会社が当面する課題である経営合理化のための重要な一施策であり、同担当者は、主として官公庁の退職者に対する営業活動を行うものとされていたということができる。しかし、具体的な新市場開発担当者の人選については、原告会社の人事関係者の間でも、相当な力量のあるベテランを配置したとする者(乙989)や、適材適所で重要な位置付けにふさわしい者を配置したとする者(乙1005)がある一方で、評価の悪い者が人選されているが、担当を代わることにより有効活用を図ったとする者(証人木村政博)もあり、原告会社に明確な方針があったのか大いに疑問が残る。他方、補助参加人甲野は、配転された木更津営業所において、配転当初は新市場開発担当としての仕事を与えられなかったこと、補助参加人丙田は、`配転された三鷹営業所において、新市場開発担当としての営業目標やそのための資料等は与えられなかったこと、補助参加人辛川は、配転された金沢営業所において、新市場開発担当として、開発すべきルートやそのための援助等を受けることはなかったこと、補助参加人癸山が配転された釧路駐在所において、新市場開発担当としての業務は効率の悪いものであったこと、以上の事実が認められ(前記1(2)ア、イ、エ及びク)、これらの事実は、原告会社が、新市場開発担当として配転した前記補助参加人らについて、それぞれの営業所における新市場の開発を重視するための特段の対応を示していないことをうかがわせるものである。また、木更津、三鷹、甲府の各営業所の人員は、補助参加人甲野、同丙田及び同己山の配転の結果三名から四名に増員されたことになるが、これらの各営業所に新市場開発担当者を増員してまで配置する必要性もうかがえない(甲3、乙991、1005、1023、1025、1031、証人木村政博によっても、その必要性について十分な根拠があるとは認め難い。)。これらを総合すれば、新市場開発担当者を配置して営業を強化するという原告会社の経営方針及び必要性は一般的には理解できるとしても、これに対する原告会社の対応は不十分なものというほかなく、補助参加人甲野、同丙田、同南田、同辛川、同己山及び同癸山に対するこれらの配転は新市場の開発を図ること以外の他の何らかの目的に基づいて行ったものであるとの疑いを抱かざるを得ない。

なお、この点に関して、本件命令は、原告会社は新市場開発担当を四人以上の営業社員で構成する課所に配置するとの基準を示していたにもかかわらず、補助参加人甲野、同丙田及び同己山の前記各配転当時、配転先はいずれもその人員数三名であり、同各配転はこの基準に合致しないとし、このことをもって同各配転が不当労働行為に該当することを基礎付ける一事情となるとする。しかし、原告会社が新市場開発担当に関し、本件命令の認定する前記の基準を示していたことを認めるに足りる証拠はなく、かえって、前記1(2)イの事実及び証拠(乙1035)によれば、新市場開発担当の配置に関する基準として、原告会社は、現に所属する人員の中から新市場開発担当者を指定する課所としては、人員数四人以上の課所に限るとの基準を示しているにすぎず、ある課所に他の課所から異動してくる者が新市場開発担当となる場合についての当該課所の人員数については、特に基準を示してはいないことが認められるから、この点に関する本件命令の判断は採用することができない。

(2) 前記1で認定した事実及び前記第1及び第2の事実に、前記(1)の検討を併せ考えれば、補助参加人ら八名に対する前記各配転が朝日火災支部の運営に対する支配介入に当たるかについては、次のとおり判断するのが相当である。

ア 補助参加人甲野について

補助参加人甲野は、朝日火災支部内で、闘いを外に拡げる行動を始めとするA派の中心人物であり、辛川裁判においても強くこれを支援する活動を行っていた者であること、補助参加人甲野の配転先である木更津と本店のある東京都千代田区との距離、移動に要する時間にかんがみると、補助参加人甲野は、木更津市に転居あるいは異動することによって、本店勤務当時行っていた組合活動等に事実上一定の制約が生じたものと推認されること、前記配転後、木更津営業所長は、補助参加人甲野の営業実績が挙がっていないかのような工作を行ったこと、新市場開発担当としての配転としては、それについての原告会社の補助参加人甲野に対する指示、対応が不十分であり、現実にも補助参加人甲野は、配転当初は新市場開発担当の業務を担当させられることはなく、管内主要企業の新日本製鉄株式会社を担当させられることもなかったこと、補助参加人甲野に対する配転は、昭和五八年一二月一日付けで行われたが、ちょうどこのころ、原告会社はA派の組合活動を嫌い、前記第3のような支配介入行為を行っていること、以上のことからすれば、補助参加人甲野に対する配転は、原告会社が、補助参加人甲野のA派としての組合活動、裁判支援闘争等を嫌い、これを事実上極めて困難にするために行ったものというべきであり、したがって、この配転は朝日火災支部の運営に対する支配介入であると認めるのが相当である。

イ 補助参加人丙田について

補助参加人丙田は、朝日火災支部内で、闘いを外に拡げる行動を始めとするA派の活動を活発に行ってきた者であること、補助参加人丙田の前記配転先である三鷹と本店のある東京都千代田区との距離、移動に要する時間は、本件で配転について問題となっている他の補助参加人らに比べると大きいものとまではいえないものの、同人が朝日火災支部執行委員として適時に従前と同様の活動を行うことについては、やはり事実上一定の制約が生じたものと推認されること、三鷹営業所に新市場開発担当を配置する十分な必要性もうかがえず、新市場開発担当としての配転としては、それについての原告会社の補助参加人丙田に対する指示、対応が不十分であること、補助参加人丙田に対する配転は、昭和五八年四月一日付けで行われたが、ちょうどこのころ、原告会社は、A派の組合活動を嫌い、前記第3のような支配介入行為を行っていること、支部執行委員在任中に配転になった者は、当時いずれもA派に属する者であったこと、以上のことからすれば、補助参加人丙田に対する配転は、原告会社が、補助参加人丙田のA派としての組合活動等を嫌い、これを事実上極めて困難にするために行ったものというべきであり、したがって、この配転は朝日火災支部の運営に対する支配介入であると認めるのが相当である。

ウ 補助参加人南田について

補助参加人南田は、朝日火災支部内で、闘いを外に拡げる行動を始めとするA派の活動に与し、同人の配転当時朝日火災支部の副書記長として活動を行っていた者であること、補助参加人南田の配転先である城東営業所(新小岩)と本店のある東京都千代田区との距離、移動に要する時間は、本件で配転について問題となっている他の補助参加人らに比べると大きいものとまではいえないものの、補助参加人南田は、城東営業所に転居あるいは異動することによって、本店勤務当時行っていた組合活動等、殊に、副書記長として、原告会社との間で営業時間中を含めて随時行っていた事務折衝等の日常的活動に事実上一定の制約が生じたものと推認されること、しかも、現職の同支部副書記長がその任期途中で出先に配転となった前例はないこと、補助参加人南田に対する配転は、昭和五七年一〇月二五日付けで行われたが、ちょうどこのころ、原告会社は、A派の組合活動を嫌い、前記第3のような支配介入行為を行っていること、以上のことからすれば、補助参加人南田に対する配転は、補助参加人南田が営業マンとして一定の経験があることを考慮しても、原告会社が、補助参加人南田のA派としての組合活動等を嫌い、これを事実上極めて困難にするために行ったものというべきであり、したがって、この配転は朝日火災支部の運営に対する支配介入であると認めるのが相当である。

エ 補助参加人辛川について

補助参加人辛川は、朝日火災支部内で、闘いを外に拡げる行動を始めとするA派の活動に与した者であること、同人は、昭和五七年度及び昭和五八年度(配転当時)朝日火災支部神戸分会委員長として活動を行い、その活動の中心的な人物であった上、同支部大会において、同分会選出の代議員として、A派の立場から発言を行ったこと、前記第3の1(6)のとおり、昭和五八年九月当時原告会社は神戸分会の動向に注目していたことに照らすと、補助参加人辛川の配転当時も同様であったと推認されること、補助参加人辛川の配転先である金沢営業所と神戸との距離、移動に要する時間(電車を利用して四時間弱。乙960)にかんがみると、神戸分会において盛んに組合活動等を行っていた補助参加人辛川にとって、同配転後の組合活動等は極めて困難な状況に陥ったものと推認されること、この配転は、金沢営業所としては増員要求をしていないのに行われたものであること、新市場開発担当としての配転としては原告会社の補助参加人辛川に対する指示、対応が不十分であること、補助参加人辛川に対する配転は昭和五八年四月一日付けで行われたが、ちょうどこのころ、原告会社は、A派の組合活動を嫌い、前記第3のような支配介入行為を行っていること、以上のことからすれば、補助参加人辛川の経歴や異動歴を考慮しても、補助参加人辛川に対する配転は、原告会社が、補助参加人辛川のA派としての組合活動等を嫌い、これを事実上極めて困難にするために行ったものというべきであり、したがって、この配転は朝日火災支部の運営に対する支配介入であると認めるのが相当である。

オ 補助参加人壬野について

補助参加人壬野は、闘いを外に拡げる行動を始めとするA派の活動に与し、殊にA派の組合員の多い朝日火災支部大阪分会において、副委員長として活発に活動するなどしたこと、大阪支店には、昭和五七年九月ころまで、二水会と称する課所長を中心とする会が存在し、同会の構成員は大阪分会の動向に注目していたとみられること、補助参加人壬野の配転先である神戸支店と大阪支店との距離、移動に要する時間は、本件で配転について問題となっている他の補助参加人らに比べると大きいものとまではいえないものの、この配転によって、補助参加人壬野の大阪分会副委員長としての活動はできなくなったものと推認され、かつ、その後他の者の配転と相まって、大阪分会の中枢から一定勢力を有していたA派の者がほとんどいなくなる結果となったこと、補助参加人壬野に対する配転は昭和五八年四月一日付けで行われたが、ちょうどこのころ、原告会社は、A派の組合活動を嫌い、前記第3のような支配介入行為を行っていること、以上のことからすれば、補助参加人壬野に対する配転は、原告会社が、補助参加人壬野のA派としての組合活動等を嫌い、これを事実上極めて困難にするために行ったものというべきであり、したがって、この配転は朝日火災支部の運営に対する支配介入であると認めるのが相当である。

カ 補助参加人夏山について

補助参加人夏山は、闘いを外に拡げる行動を始めとするA派の活動に与し、殊にB派が中枢を占めていた朝日火災支部大阪分会において、A派に属する書記長として活発に活動するなどしたこと、大阪支店には、昭和五七年九月ころまで、二水会と称する課所長を中心とする会が存在し、同会の構成員は大阪分会の動向に注目していたとみられること、特に、昭和五八年七月に行われた全国闘争委員会における補助参加人夏山の発言等について、その上司である課長あるいは大阪支店営業部副部長がこれに注目し、あるいは、補助参加人夏山に対し、暗にその発言等を問題視する発言をし、その直後に補助参加人夏山の配転が行われていること、補助参加人夏山の配転先である大分営業所と大阪支店との距離、移動に要する時間に照らせば、補助参加人夏山は、大分に転居あるいは異動することによって、従前行っていた組合活動等を行うことが事実上困難になったものと推認されること、補助参加人夏山に対する配転は昭和五八年八月五日付けで行われたが、ちょうどこのころ、原告会社は、A派の組合活動を嫌って、前記第3のような支配介入行為を行っていること、以上のことからすれば、補助参加人夏山の社内歴や異動歴を考慮しても、補助参加人夏山に対する配転は、原告会社が、補助参加人夏山のA派としての組合活動等を嫌い、これを事実上極めて困難にするために行ったものというべきであり、したがって、この配転は朝日火災支部の運営に対する支配介入であると認めるのが相当である。

キ 補助参加人己山について

補助参加人己山は、前記退職金問題が発生したことを契機として、昭和五八年九月より、朝日火災支部内でA派としての活動を活発に始めた者であること、同人に対する配転は同年一二月一日付けであり、同人がこのように自らの立場を明らかにした直後に行われたこと、この配転が昭和五八年一二月の定期異動について原告会杜が示した方針(前記1(2)キ(エ))のいずれによるものであるかは必ずしも明らかではないこと、補助参加人己山の配転先である甲府と平塚との距離、移動に要する時間に照らすと、この配転によって同人には従前と同様の組合活動等を行うことに事実上一定の制約が生じたものと推認されること、補助参加人己山に対する配転時期のころ、原告会社は、A派の組合活動を嫌い、前記第3のような支配介入行為を行っていること、以上のことからすれば、補助参加人己山に対する配転は、原告会社が、補助参加人己山のA派としての組合活動等を嫌い、これを事実上極めて困難にするために行ったものというべきであり、したがって、この配転は朝日火災支部の運営に対する支配介入であると認めるのが相当である。

ク 補助参加人癸山について

補助参加人癸山は、闘いを外に拡げる行動に参加したり、A派として朝日火災支部東京分会の役員となるなど、朝日火災支部内でA派としての活動を活発に行っていた者である上、松永千葉営業所長の発言(前記1(2)ク(ウ))から明らかなとおり、原告会社は補助参加人癸山の活動に注目していたものと認められること、補助参加人癸山の前記配転先である釧路の立地、殊に、補助参加人癸山は釧路赴任後に同支部札幌分会の所属となったとはいえ、釧路と札幌との距離、移動に要する時間からして、従前と同様の組合活動を行うことができなくなったこと、新市場開発担当としての配転としては、釧路営業所の規模やその後の減員状況からして十分な合理性があるとは言い難いこと、補助参加人癸山に対する配転は、昭和五八年四月一日付けで行われたが、ちょうどこのころ、原告会社は、A派の組合活動を嫌い、前記第3のような支配介入行為を行っていること、以上のことからすれば、補助参加人癸山の社内歴や異動歴を考慮しても、補助参加人癸山に対する配転は、原告会社が、補助参加人癸山のA派としての組合活動等を嫌い、これを事実上極めて困難にするために行ったものというべきであり、したがって、この配転は朝日火災支部の運営に対する支配介入であると認めるのが相当である。

3  原告会社の主張について

(1) 原告会社は、補助参加人ら八名に対する各配転は、配転回数においても配転先においても、他の従業員の配転に比べて不利と目されるようなものではなく、同各配転が見せしめや報復のためのものではないことは明らかである旨主張する。

原告会社は、毎年多数の従業員を対象として人事異動を行っており(乙600)、保険会社として全国に多数の支店、営業所を抱える原告会社が、全国的規模で人事異動(配転)を行う必要があること、その場合に配転回数や従前の勤務地及び今後の配転先を考慮する必要があることは容易に首肯できるところである。しかし、前記2の判断のとおり、当裁判所は、これらを考慮してもなお、原告会社の前記各配転が組合活動等を嫌い、これを事実上困難にするためのもので、朝日火災支部の運営に対する支配介入であると判断したものであって、それ以上に、同各配転が前記各補助参加人らの組合活動に対する見せしめや報復であり、それ故に支配介入の不当労働行為が成立するとするものではないから、原告会社の主張は当を得ないものであるといわざるを得ない。

前記2のとおり、同各配転は、前記補助参加人らの当時置かれていた個々具体的な状況に照らして、原告会社がその組合活動を事実上困難にするために行ったものと判断できるのであって、他の従業員がいかなる配転を受けたかについては、原告会社の不当労働行為の成否の判断に必ずしも影響を及ぼすものではないというべきである。

原告会社の主張は採用できない。

(2) 原告会社は、補助参加人甲野、同丙田及び同己山の新市場開発担当としての配転に関し、木更津、三鷹及び甲府の三地区はいずれも新市場開発担当を配転すべき主要な地域である、多少の経験を積んでいればだれでも担当することができる職種であるなどとして、前記各補助参加人が新市場開発担当として不適任であるということはできない旨主張する。

しかし、前記2の判断のとおり、補助参加人甲野は、木更津営業所管内の主要企業である新日本製鉄株式会社の担当をさせられることはなかったのであり、補助参加人丙田の配転先である三鷹営業所、補助参加人己山の配転先である甲府営業所について、所員を増員してまで新市場開発担当者を置く十分な必要性もうかがえないのであるから、前記各補助参加人が新市場開発担当として不適任であるか否かに関わりなく、同各補助参加人の各配転に関する不当労働行為が認められるというべきである。原告会社の主張は採用の限りではない。

(3) 原告会社は、補助参加人丙田、同南田及び同壬野に対する前記各配転により、従来行っていた組合活動を継続して行うことが困難になることはあり得ない旨主張するが、これが困難になったものと認められることは前記2のとおりであり、原告会社の主張は採用できない。

(4) 原告会社は、本件命令のこの点に関する救済主文は、A派に属する補助参加人らのみを都会地に永続的に勤務させ、同人らの組合活動に特別の保護を与えることになり、すべての組合員を均等に取り扱うことを定めた労働組合法五条二項三号の趣旨に反するなどと主張する。

本件命令は、原告会社に対し、補助参加人丙田及び同南田についてはそれぞれ本店東京営業本部の、同壬野及び同夏山についてはそれぞれ大阪支店の、同癸山については千葉営業所の、いずれも原職又は原職相当職に復帰させることを命じている。

前記各補助参加人の各配転が支配介入の不当労働行為に当たることを前提にすれば、労働委員会がその救済措置として、原職又は原職相当職への復帰を命ずることは、その裁量権の範囲内であり、裁量権を逸脱ないし濫用したともいえないから、これが労働組合法五条二項三号の趣旨に反するということにはならないし、これらの者について将来の配転の必要が生ずれば、もとより配転を行うことは可能であるから、この救済措置によって、同各補助参加人のみを都会地に永続的に勤務させることになるともいえない。原告会社の主張は採用できない。

4  結論

(1)  以上のとおりであって、補助参加人ら八名に対する前記各配転について不当労働行為の成立を認め、原告会社に対し、補助参加人南田、同壬野、同夏山及び同癸山について原職又は原職相当職に復帰させることを命じ、かつ、補助参加人ら八名の各配転に関してポストノーティスを命じた本件命令は正当である。

(2)  ところで、原告会社は、本件命令において、補助参加人丙田を原職又は原職相当職に復帰させることを命じられているが、同人は、本件命令発出後の平成一二年三月一〇日に原告会社を退職したのであるから(前記第2章第1の1(2)エ)、同人がもはや原職又は原職相当職に復帰することは客観的に不可能であり、原告会社にこの復帰の措置を執ることを命じた本件命令主文第1項①はその基礎を失い、原告会社は同命令に従う義務がなくなったものというべきである。したがって、原告会社の前記命令部分の取消しを求める訴え中、同人についての本件命令主文第1項①の取消しを求める部分は訴えの利益を欠くことになるから却下を免れず、その余の請求は理由がないから棄却を免れない。

なお、補助参加人壬野は、平成一〇年一一月にいったん定年退職した後同月特別社員となっているところ(前記第2章第1の1(2)(サ))、証拠(乙92、498)によれば、特別社員とは、原告会社を五七歳で定年退職した後引き続き再雇用され、六〇歳を限度として一年ごとに雇用期間が更新される原告会社の従業員をいうから、特別社員である補助参加人壬野が原職又は原職相当職に復帰することが客観的に不可能であるとはいえず、原告会社が補助参加人壬野に対しこの復帰の措置を執ることを命じた主文第1項③がその基礎を失ったとはいえないから、同じく原告会社の訴え中、補助参加人壬野についての主文第1項③の取消しを求める部分の訴えの利益がないとはいえない。

第5  第四四号事件の争点4(時間内組合活動休暇問題)について

1  後掲証拠によれば、次の事実が認められる(争いのない事実を含む。)。

(1) 時間内組合活動休暇に関する労働協約

原告会社と朝日火災支部との間の労働協約には、就業時間中の組合活動について次のとおりの定めがある(乙84、366)。

「第一〇条 組合は、原則として労働時間中には組合活動を行わない。但し、下記の各号の1に該当する場合は、この限りでない。

一 (略)

二 組合規約に定められた下記の会議に出席する場合

イ 全損保全国大会、支部大会、地方協議会大会(定例)

ロ 中央委員会、支部常任委員会、地方協議会委員会(定例)

ハ 中央執行委員会、支部執行委員会、地方協議会幹事会

三 (略)

四 その他特に会社の承認を得た場合

(略)

第一二条 会社は、原則として組合員が組合活動のため会社業務につかなかった労働時間に対しては欠勤の取扱をなし、これに対応する賃金を支払わない。但し、会社は、その組合員の組合活動が下記の各号の1に該当する場合に限り欠勤の取扱をなさず、その労働時間に対応する賃金を支払う。

一 組合員が第一〇条第一項但書第一号の規定による組合活動に従事した場合

二 組合員が第一〇条第一項但書第二号から第四号までの規定による組合活動に従事し、かつ、その組合活動に従事した時間が一日以上にわたらない場合

(略)」

(2) 補助参加人甲野に関する問題

ア 昭和五七年九月二四日及び同月二五日に開催された全損保全国大会において、朝日火災支部から選出される全損保常任中央執行委員(任期一年)として、太田忠志(当時同支部執行委員長)及び補助参加人甲野(同支部副執行委員長)の二名が選出された。太田忠志は朝日火災支部からの選出、補助参加人甲野は全損保中央執行委員会の推せん(いわゆる「その他」)による選出であった。従来朝日火災支部から全損保中央執行委員への選出は一名のみであり、同支部から二名が選出されたのは、このときが初めてであった。補助参加人甲野の前記選出については、事前に全損保本部から朝日火災支部に対して、朝日火災支部として同人を推せんしてほしい旨非公式の打診があったが、同支部は、全損保本部に対し、常任執行委員が二名になることについて組織討議が必要であるが、支部大会が終わったばかりであり、かつ、全損保全国大会が開催される直前であるため、結論を出すことは困難であるなどと回答した。

前年度までは、この常任中央執行委員会は、就業時間内に開催される例が多かったところ、原告会社は、太田忠志の常任中央執行委員会の出席に関しては時間内組合活動休暇を承認したが、補助参加人甲野についてはこれを承認せず、届出書すら受け取らなかった。なお、補助参加人甲野は、和昭四一年から昭和五六年までの延べ一二年にわたり、全損保常任中央執行委員を歴任してきたが、その際には、いずれも原告会社から時間内組合活動休暇の承認を得てきた。

イ 補助参加人甲野についての時間内組合活動休暇の問題に関し、原告会社と朝日火災支部との間で交渉が行われたが、この交渉において同支部は、従前から原告会社は常任中央執行委員に対しては時間内組合活動を認めてきたこと、これまで、同支部の代表にのみ時間内組合活動休暇を付与するとか、一名のみに同休暇を付与するといった話はなく、ましてやその合意もないこと、同支部から選出された常任中央執行委員のみに同休暇を与えるということに合理性がないこと、原告会社が太田忠志及び補助参加人甲野のうちどちらかを選別することは許されないこと、常任中央執行委員については一名のみ同休暇を認めるというのであれば、労働協約の改定交渉を行うべきであること、以上の点などを主張した。一方、原告会社は、常任中央執行委員に対する時間内組合活動休暇の付与は、労働協約上明記されていない事項であり、労働協約一〇条一項四号の「その他特に会社の承認を得た場合」に関する事項であること、したがって、従来慣行として一名について同休暇を認めてきたにすぎず、しかも、慣行上認めてきた一名は朝日火災支部代表であったから、同支部代表である太田忠志にしか同休暇を認めることはできないこと、個人名で云々するのではなく、同支部大会で選出された常任中央執行委員ならば同休暇の付与を認めること、以上の点などを回答した。

昭和五八年一月に常任中央執行委員会が予定されており、補助参加人甲野に対する時間内組合活動休暇付与の問題の取扱いをめぐって、全損保本部は組合内での意見調整を図ったが、結局決着せず、この問題をめぐる取扱いは同本部一任となった。同本部は、二名とも時間内組合活動として常任中央執行委員会に参加することが基本であるが、その方法としては、二名とも強行参加する方法、二名とも有給休暇を取得して参加する方法、一名が時間内組合活動参加で他の一名が有給休暇参加とする方法等があり、その都度同本部が選択することにより具体的に対処することとされた。

同年一月七日の朝日火災支部執行委員会は、全損保本部の見解を承認し、同月の常任中央執行委員会に向けて、二名の時間内組合活動休暇付与の届出を原告会社に対して提出した。原告会社は、太田忠志が常任中央執行委員会に出席することについては時間内組合活動休暇を承認したが、補助参加人甲野については承認せず、届出書を受け取らなかった。同支部は、原告会社との交渉において、二名の参加について承認するよう求めたが認められず、補助参加人甲野については有給休暇による参加となった。

この間題は、補助参加人甲野が常任中央執行委員任期中には解決を見なかった。

(乙82、360、537、898、904、1073)

(3) 補助参加人壬野、同辛川及び同西山に関する問題

ア 原告会社は、昭和五八年九月二六日及び同月二七日に開催される全損保全国大会に出席する代議員に対して、朝日火災支部選出の代議員三名と中央委員一名については時間内組合活動休暇を承認したが、地区協選出の代議員として出席する補助参加人壬野(神戸地区協)、同辛川(金沢地区協)及び同西山(大阪地区協)(以上三名を併せて、以下この項では「補助参加人壬野ら」という。)についてはこれを承認しなかった。

イ 朝日火災支部は、労働協約一〇条に「全損保全国大会」への出席が明記されていること、この出席は、すべての同支部組合員に認められるもので、代議員の選出過程の相違による区別は許されないこと、地区協選出の場合でも時間内組合活動休暇が認められた前例もあること、以上の点を主張した。

一方、原告会社は、時間内組合活動休暇を定めている労働協約は、原告会社と同支部との間のものであり、同支部の活動を認めたものにすぎず、同支部外の活動(地区協選出の代議員として全国大会に参加することなど)に適用することはできないこと、労働協約の該当条項の趣旨あるいは協定時の精神は、地区協選出の代議員まで認めるといったものではなかったこと、地区協関係を認めると数の上で歯止めがなくなること、前例があったとしても、それは同支部選出という受け止め方を前提として処理したことであること、以上の主張をし、その上で、補助参加人壬野らについては、無断欠勤扱いとはせず欠勤扱いとし、賃金カットを行うが、有給休暇への振替えは可能である旨回答した。

全損保本部は、昭和五八年一〇月五日から同月七日まで開催された常任中央執行委員会でこの不承認問題を討議し、全損保全体に与える影響が大きく、当該地区協にとっても問題であるとして、明確な不当労働行為、労働協約違反であるとしたが、その後の原告会社と同支部との間の交渉は進展しなかった。

なお、補助参加人壬野らに対する賃金カットは、結局行われなかった。

ウ 補助参加人壬野は、昭和六〇年四月の有給休暇切替えの際に、前年からの繰越日数が二日分少ないことに気がつき、矢野支店長に質したところ、同支店長は、「昭和五九年九月二一日及び同月二二日に開催された全損保全国大会に出席した二日間を欠勤扱いとした。有給休暇が二日減っているのはその分である。」と回答した。補助参加人壬野は同支店長に訂正を申し入れたが、らちがあかず、また、朝日火災支部にも連絡したが交渉中とのことで進展がなかった。

そこで、補助参加人壬野は、原告会社の田中迪之亮社長あてに、「有給休暇が二日減っているが、これは社長が時間内組合活動休暇を認めなかったためである。労働協約一〇条に明記されていることであるから、その二日分も繰り越されたものと確認する。」との趣旨の書面を送り、併せて、太田忠志支部委員長に対しても、原告会社が不当に時間内組合活動休暇を認めず一方的に年次有給休暇に振り替えたとして、その撤回と有給休暇日数の確認を要請する書簡を送った。

これらの文書について、同支部からは何らの返答もなかったが、原告会社人事部からは、同年六月二〇日、矢野支店長あてに電話があり、欠勤扱いは変わらないこと、この問題に関しては同支部との間で折衝中であること、ただし、有給休暇の二日分は戻すこと、以上の内容の連絡が入り、補助参加人壬野の前記二日分不足した有給休暇の回復が図られた。

補助参加人壬野は、昭和六〇年九月に開催された同支部大会で発言し、労働協約違反について同支部執行部が撤回要求をしていないことを追及したが、同支部執行部は謝るのみであった。また、補助参加人甲野及び同辛川についても有給休暇日数が減らされていたが、この両名についてはこの時点で回復措置が図られていなかったため、A派の中でも差別があるとして、このことでも同大会は紛糾した。

(乙83、219、220、316、898、904、969、丙10、11)

(4) 補助参加人寅野に関する問題

ア 原告会社は、昭和五九年三月一六日に開催された全損保大阪地協の定例大会に、和歌山地区協選出の代表として出席した補助参加人寅野に対し、時間内組合活動休暇を承認せず、同年五月分の賃金から二七六円をカットした。

イ 昭和五九年五月二日、原告会社の人事部副部長から補助参加人寅野に対して電話があり、補助参加人寅野は、同副部長から、同年三月一六日の大阪地協の定例委員会への出席について、欠勤か有給休暇かを質された。補助参加人寅野は、これ以前に、労働協約上の時間内組合活動休暇である旨主張していたが、それに対して人事部から前記のような応答があったことから、欠勤扱いされるおそれを感じ、朝日火災支部大阪分会に対して組合としての対処を依頼した。同分会は、既に当該定例委員会の開催前に提出した補助参加人寅野の時間内組合活動休暇届について、原告会社から、「朝日火災支部外の活動であり、時間内組合活動休暇として認めることはできない。」と言われ、分会で交渉したが解決していないといった経緯があることから、この問題について朝日火災支部に対応を求めた。

朝日火災支部は、原告会社との交渉の中で、この問題は前年度にあった全損保全国大会の地区協選出代議員問題と同じものであるとして、「今回の地区協選出の組合員の時間内組合活動休暇問題は、全損保全国大会地区協選出代議員の問題と同じく協約に定められているもので、これを認めないのはおかしい。労働協約二条(「会社は、組合が全日本損害保険労働組合の統制のもとにある支部であることを確認する。」)からも全損保組織を前提としての定めであり、選出過程での区別はされていないし、過去の前例もあるではないか。本人への処置(欠勤扱い、賃金カット)を撤回せよ。前回の三名(注・補助参加人壬野ら)についても時間内組合活動として認めよ。」と主張した。

しかし、原告会社は、前年の全損保全国大会の地区協選出代議員問題の場合とほぼ同様の主張(前記(3)イ)をし、「前回、支部外の活動は関係ない旨はっきり申し上げている。また、会社は五月初旬の段階で本人にも連絡している。組合活動そのものは否定していない。したがって、本人に対しても有給休暇か否かわざわざ確認しているし、休んだからといって無断欠勤扱いとしてはいない。十分配慮している。」と主張し、交渉は物別れに終わった。

なお、カットされた賃金分二七六円は、同支部が補助参加人寅野に立て替えた形で処理されている。

(乙207ないし210、362、959)

2  検討・判断

(1) 補助参加人甲野に関する問題について

ア 原告会社が、補助参加人甲野に対して時間内組合活動休暇を付与しなかった理由として挙げた点が、従前全損保常任中央執行委員に対して時間内組合活動休暇を付与していたのは、労働協約一〇条一項二号に基づくのではなく、慣行によるものにすぎず、しかも、朝日火災支部の代表一名を認めてきたのがその慣行であったこと、補助参加人甲野が支部代表ではなく、他方で支部代表の常任中央執行委員がいる以上、補助参加人甲野には同休暇を付与することはできないこと、概略以上の点にあったことは前記認定のとおりである。

そこで検討するに、時間内組合活動休暇付与に関する労働協約一〇条一項二号では、「組合規約に定められた下記の会議に出席する場合」として「全損保全国大会」(同号イ)が明記されていることは、前記認定のとおりであり、組合規約(乙1140)をみても、「全損保全国大会」の出席者に関する特段の規定は存在しないから、同号の解釈としては、朝日火災支部組合員が全損保全国大会に出席する場合には時間内組合活動休暇付与の対象となるものとみるのが自然であり、原告会社が従前全損保常任中央執行委員に対して時間内組合活動休暇を付与していたのは、労働協約一〇条一項二号に基づくものではなく、同項四号によるものであるとの原告会社の前記理由付けは、同項二号の解釈として客観的に合理性があるとはいい難い。原告会社は、組合規約一九条で「朝日火災支部大会において全損保大会代議員として選出された者」と規定されているとして、労働協約一〇条一項二号所定の時間内組合活動休暇付与の対象は、朝日火災支部を代表して全損保の大会に出席したり、全損保の役員に就任してその活動に参加する場合のみであることは明らかである旨主張する。しかし、組合規約一九条に前記のような規定がされているとは認められないから(同条は「支部大会は次の事項を行う」とし、その八項で、「中央執行委員、中央委員及び全損保全国大会代議員の選出方法を決定する。」旨規定しているが、この規定は、全損保全国大会代議員の選出方法に関するものにとどまるから、労働協約一〇条一項二号所定の「組合規約に定められた」との留保に関係するものであると解することは困難である。)、原告会社の主張はその前提を欠き採用できない。そして、原告会社が、朝日火災支部の代表のみに同休暇を付与するなどの見解を表明したことは、この件より前にはなかったこと(前記1(2)イ)をも併せ考えると、補助参加人甲野に対して時間内組合活動休暇を付与しなかった理由として原告会社が挙げた点は、合理的なものではなかったといわざるを得ない。

原告会社は、補助参加人甲野は全損保の選出手続によって選出された者であるところ、原告会社と朝日火災支部との間の労働協約は、一〇条及び一二条において、朝日火災支部として参加することを決定した全損保の会議に、同支部の代表として選出された組合員が出席する場合に時間内組合活動休暇を認めるべく定めているにすぎず、同支部の代表として選出されていない者にまで時間内組合活動休暇を付与することを定めているわけではないなどと主張するが、前記のとおり、労働協約一〇条、一二条が朝日火災支部組合員が全損保の会議に出席する場合の選出過程如何で取扱いを異にするものとは解し難いから、採用できない。

イ 前記1(1)及び(2)の事実、アの判断並びに前記第3及び第4の事実を併せ考えると、昭和五八年九月開催の第四九回定例支部大会当時、原告会社は、前記第3のような支配介入行為を行い、前記第4のとおりA派に属する補助参加人らについて差別的な配転をするなどしたが、このころに近接して、原告会社が、前記のとおり従前は問題なく認められていた時間内組合活動休暇について、A派に属する補助参加人甲野についてこれを認めないこととしており、他方で、原告会社は、A派に属する者ではない太田忠志には時間内組合活動休暇を付与したこと、しかも、補助参加人甲野に対して時間内組合活動休暇を付与しなかった理由として原告会社が挙げた点は合理的なものとは考え難い上、原告会社はこの点に関する朝日火災支部側からの要求にも譲歩を示すことなく対応したこと、補助参加人甲野が時間内組合活動休暇の承認を得られないまま全損保の常任中央執行委員会に出席しようとすれば、有給休暇を費消せざるを得ず、それにより必要以上の有給休暇の費消を余儀なくされ、同委員会への出席についての制約となり得ることからすれば、原告会社は、A派に属する補助参加人甲野の活動を抑圧することを企図して、補助参加人甲野に対して時間内組合活動休暇を付与しなかったものと認めることができ、これは、補助参加人甲野に対する組合活動上の不利益取扱いであるとともに、朝日火災支部に対する支配介入として、不当労働行為に当たると解するのが相当である。

(2) 補助参加人壬野らに関する問題について

前記1(3)イで認定した事実によれば、原告会社は、補助参加人壬野らに対する時間内組合活動休暇の付与の問題が生ずる前には、地区協選出の場合でも時間内組合活動休暇を付与したことがあるのに、原告会社がこの時期になって、地区協選出の場合の時間内組合活動休暇の付与を問題視し始めた合理的な理由もうかがえないところ、このことと、前記(1)で判断した労働協約一〇条の規定の解釈に照らし、原告会社が補助参加人壬野らに対する時間内組合活動休暇の付与を認めない理由として挙げた点(前記1(3)イ)には、合理性がないものというほかない。

そして、原告会社は、前記第3のような支配介入行為を行い、前記第4のとおりA派に属する補助参加人らについて差別的な配転をするなどしたが、このころに近接して、かつ、補助参加人甲野に対して時間内組合活動休暇を付与しないことに引き続いて、A派に属する補助参加人壬野らに対して時間内組合活動休暇の付与を認めないこととしたこと、原告会社が補助参加人壬野らに対する時間内組合活動休暇の付与を認めなかったことに関する朝日火災支部側からの要求にも譲歩を示すことなく対応したこと(前記1(1)及び(3)、前記(1)イ)、補助参加人甲野について述べたところと同様、補助参加人壬野らは時間内組合活動休暇の不承認により必要以上の有給休暇の費消を余儀なくされることを併せ考えれば、原告会社は、A派に属する補助参加人壬野らの活動を抑圧することを企図して、補助参加人壬野らに対して時間内組合活動休暇を付与しなかったことものと認めることができ、これは、補助参加人壬野らに対する組合活動上の不利益取扱いであるとともに、朝日火災支部に対する支配介入として、不当労働行為に当たると解するのが相当である。

(3) 補助参加人寅野に関する問題について

原告会社は、前記第3のような支配介入行為を行い、前記第4のとおりA派に属する補助参加人らについて差別的な配転をするなどしたが、このころに近接して、かつ、補助参加人甲野及び同壬野らに対して時間内組合活動休暇を付与しないことに引き続いて、A派に属する補助参加人寅野に対して時間内組合活動休暇の付与を認めないこととしたこと、前記(2)のとおり、原告会社が補助参加人寅野に対する時間内組合活動休暇の付与を認めなかったことに合理的な理由は考え難いのに、原告会社はこの点に関する朝日火災支部側からの要求にも譲歩を示すことなく対応したこと(前記1(1)及び(4)、前記(1)イ及び(2))が認められ、これらの事実に、補助参加人甲野について述べたところと同様、補助参加人寅野は時間内組合活動休暇の不承認により必要以上の有給休暇の費消を余儀なくされることを併せ考えれば、原告会社は、A派に属する補助参加人寅野の活動を抑圧することを企図して、補助参加人寅野に対して時間内組合活動休暇を付与せず、かつ、賃金カットを行ったものと認めることができ、これは、補助参加人寅野に対する組合活動上の不利益取扱いであるとともに、朝日火災支部に対する支配介入として、不当労働行為に当たると解するのが相当である。

3  原告会社のその余の主張について

原告会社は、本件命令が原告会社に対し時間内組合活動休暇の付与を承認するよう命ずることは、かえって労働組合法七条三号所定の支配介入を行うことを命ずることに当たり、かつ、同法二条二号所定の利益供与の禁止に触れる行為を強制するものである旨主張する。

しかし、前記各補助参加人に対して時間内組合活動休暇を付与しないことが不当労働行為に当たることを前提にすれば、労働委員会がその救済措置として、これを付与するよう命ずることは、その裁量権の範囲内であり、これを逸脱ないし濫用したともいえないから、これが労働組合法七条三号あるいは同法二条二号の趣旨に反するということにはならないというべきである。原告会社の主張は採用できない。

原告会社は、労働協約一〇条一項二号の定めは、労働組合法二条二号及び七条三号に触れる無効なものであるとも主張するが、この定めが労働組合の組合活動に対する便宜供与の一種であるとしても、それが労働協約上の制度として明示的に規定されている上、これによって労働組合である朝日火災支部の自主性が阻害されるとは考え難いから、この定めが労働組合法のこれら各条項に違反するということはできず、また、原告会社が、前記各補助参加人ら以外の者には時間内組合活動休暇を付与していることにも照らすと、この主張も採用の限りではない。

4  結論

以上のとおりであって、原告会社が前記各補助参加人に対してそれぞれ時間内組合活動休暇を承認しなかったことについて不当労働行為の成立を認めた上、原告会社に対し、補助参加人らの同休暇を承認しないことによって、朝日火災支部の組合活動に関し支配介入をしてはならないこと、補助参加人寅野に関する前記賃金カット分の金員の支払を命じたこと及びこれらの点に関するポストノーティスを命じた本件命令は正当であり、この命令部分の取消しを求める原告会社の請求は棄却を免れない。

第6  第四四号事件の争点5(人事考課問題)について

1  後掲証拠によれば次の事実が認められる(争いのない事実を含む。)。

(1) 昭和五五年度までの人事考課制度の概略

原告会社の昭和四三年度以前の給与体系は、入社年度別、役職別給与体系であり、入社年度別の標準年齢が決められ、これと役職別給与が組み合わされて各社員の給与が決まる年功序列型であった。

原告会社は、昭和四三年度の賃金改定交渉において、これまでなかった人事考課制度の導入を提案し、中央労働委員会のあっせん手続を経て労使間で合意し、昭和四四年四月一日からこれを実施した(以下「昭和四四年制度」という。)。

昭和四四年制度も、基本的には従前の年功序列型であったが、その内容の概略は次のとおりである。

ア 給与体系

学歴別、入社年度別によって標準年齢を設定し、一般事務職テーブル表の本人の属する「類」の標準年齢に対応する本俸額を適用する。

イ 社員資格基準

社員資格基準として、職務遂行能力等に応じて一類から七類までの「類」区分を設定し、また、次のとおり類と役職とを対応させた。

(ア) 部長相当職―六及び七類

(イ) 次長相当職―五、六及び七類

(ウ) 課長相当職―四、五及び六類

(エ) 代理相当職―三及び四類

(オ) 主任職―三及び四類

なお、一般社員は一及び二類に、営業所長は三ないし六類に位置付けられ、六類までは自動昇類制が存続された。

ウ 人事考課制度

人事考課制度は、A、B、Cのランク評定とし、昇給、昇格、異動及び教育等の判断材料とする。分布制限は、一ないし五類について、A及びCの各評定がそれぞれ一〇パーセント、B評定が八〇パーセント、六及び七類について、A評定が一〇パーセント、B及びC評定合わせて九〇パーセントであり、この人事考課は次年度に累積しない方式である。

エ 資格区分と最低滞留年数

昇類の選考は、次の最低滞留年数を満たした者の中から行う。

(ア) 二類―高校卒四年以上八年

(イ) 三類―二類六年以上一〇年

(ウ) 四類―三類三年以上一〇年

(エ) 五類―四類三年以上

(オ) 六類―五類四年以上

(カ) 七類―定めず

この人事考課制度の実際の運用は、一〇パーセント以内の者がA評定とされるほか、C評定は懲戒処分者や長期欠勤者など極めて少数の者が対象とされるのみで、その他のほとんどの者はB評定とする取扱いとなっていた。

(乙443、503ないし508、730ないし732、734ないし736、1013、1017、1065)

(2) 昭和五六年度からの人事給与制度

原告会社の昭和五六年度からの人事給与制度(以下「昭和五六年制度」という。)は、原告会社と朝日火災支部との間で、昭和五四年度の賃金改定交渉の際に協議が開始され、昭和五七年二月二六日に妥結調印され、その結果昭和五六年四月一日にさかのぼって実施された。

この制度においては、新たに職務遂行能力の段階を類別、職種別に明示し、その段階に応じて序列を決めていくという、職能資格制度を導入した。この制度は、役職と関係なく職務遂行能力が向上すれば上位類に昇類させる制度であり、ポスト不足による昇類ストップ者が出ないように組み立てられたものである。また、給与体系に職能給を導入し、人事考課制度を改定した。

その概要は次のとおりである。

ア 職能資格制度

職務遂行能力による職能資格としての「類」を設定し、従前の類区分の七段階を九段階の区分に改定した。類の移行(自動移行)、滞留年数、役職の対応関係、昇類決定の基準となる資料等は次のとおりである。

(ア) 自動移行

旧七類は新八類に、旧六類は新七類に、旧五類は新六類に、旧四類は新五類に、旧三類は新四類に、旧二類は、滞留三年未満は新二類、滞留三年以上は新三類に、旧一類は新一類に、それぞれ移行する。

(イ) 各類の滞留年数

別表1のとおり

(ウ) 類と役職の対応関係

別表2のとおり

(エ) 昇類の決定方法

昇類は、毎年三月三一日現在で、別表3のとおりの基準資料により決定される。例えば、三類から四類への昇進は、滞留年数と人事考課及び昇類推薦書によって決定される。

九、八、七及び六類に昇類する場合には、人事部長が申請者となり、役員会が調整者となって、社長が決定する。五、四、三及び二類に昇類する場合には、人事課長が申請者となり、人事部長が決定する。

(オ) 一類から四類までの昇類基準(滞留年数と人事考課との関係)

a 一類から二類への昇類

滞留年数四年で、四年間D評定なしの場合に昇類

滞留年数五年で、選抜により昇類

滞留年数六年で、自動昇類

b 二類から三類への昇類

滞留年数三年で、三年間D評定なしの場合に昇類

滞留年数四年又は五年で、選抜により昇類

滞留年数六年で、自動昇類

c 三類から四類への昇類

滞留年数三年で、三年間D評定なしの場合で、選抜により昇類

滞留年数四年で、四年間D評定なしの場合に昇類

滞留年数五年で、選抜により昇類

滞留年数六年で、自動昇類

(カ) 給与体系

年齢別の本人給テーブルと職能給テーブルに分け、本人給七〇パーセント、職能給三〇パーセントの配分とされた。この職能給は従前の類手当といった部分であり、働きと努力に応じて支給するねらいを持つものとされた。

(キ) 定期昇給

本人給は、本人給テーブルの年齢間差額(年齢一歳上のランク)に上がる。

職能給は、毎年一回定期的に実施する人事考課の評定に応じて、次のとおり職能給テーブルの号俸が上がる。

A評定 五号俸昇号

B評定 四号俸昇号

C評定 三号俸昇号

D評定 二号俸昇号

E評定 一号俸昇号

(ク) 昇類昇給

昇類により昇給する。

(ケ) 昇格昇給

新しい役職昇格により昇給する。

イ 人事考課制度

評定種類を、業績評定、能力評定、執務態度評定の三種類とし、業務行動基準書、能力評定基準書、執務態度評定基準書により、評定基準を設定し、評定者、評定期間、対象を明らかにした。

人事考課の評定ランクを、A、B、C、D、Eの五ランクとし、別表4のとおりの分布制限を設定した。

人事考課の評定者・被評定者の区分は、別表5のとおりである。

評定期間、評定領域、評定結果の反映については、次のとおりである。

(ア) 一月一日から一二月三一日までの期間に業績評定を行い、三月賞与に反映させるとともに、前記業績評定のほか、能力評定、執務態度評定を行い、定期昇給(昇類、昇格を含む。)に反映させる。

(イ) 四月一日から九月三〇日までの期間に業績評定を行い、一二月賞与に反映させる。

(ウ) 一〇月一日から三月三一日までの期間に業績評定を行い、六月賞与に反映させる。

(乙224、349、415、592ないし594、689、720、721、737ないし739、1017、1025、1065、1067)

(3) 昭和六一年度からの人事給与制度

原告会社は、朝日火災支部に対し、昭和六〇年一〇月一日、新たな人事給与制度(以下「昭和六一年制度」という。)を提案し、昭和六一年五月三〇日に労使間で合意され、同年四月一日から実施された。

新制度では、従来の類制度を廃止して、新たに職能資格区分を基礎にした新職能資格制度が設けられた。

昭和六一年制度の概要は次のとおりである。

ア 新職能資格制度

(ア) 新職能資格区分とその主な応当職は、別表6のとおりである。

(イ) 職能資格の昇格、滞留年数は、別表7のとおりであるが、管理職については滞留年数はないとされた。

イ 類資格から新職能資格への移行

原則として、移行時点での役職区分でもって新職能資格区分に移行することとされ、具体的な対応関係は別表8のとおりとされたが、複数の対応職がある場合にどの資格に決められるのかについての基準等は明らかではない。

ただし、労使間では、定年時までには代理格に昇格させるとの合意があった。

ウ 新職能給体系

一般職と管理職に分け、管理職は本人給(年齢給)を廃止して職能給のみとなった。一般職は、本人給(従来より年齢間差額は小さいもの)と職能給で構成する。職能給の区分は、新職能資格区分のとおりであり、一般職は五区分、管理職は四区分であった。

エ 定期昇給

定期昇給として、毎年四月に、本人給については、本人給テーブルの一歳上のランクに上がり、職能給については、毎年一回の人事考課の評定結果に基づき職能給テーブルの号俸が上がる。

評定ランクと昇号俸数の関係は、次のとおりである。

(ア) 一般職について

前記(2)ア(キ)と同様。

(イ) 管理職について

A評定 六号俸昇号

B評定 五号俸昇号

C評定 四号俸昇号

D評定 三号俸昇号

E評定 二号俸昇号

オ 昇格、昇進による昇給

従来どおりである。

カ 昇格の決定方法

昇格は、それぞれの職能資格ごとに、職能資格基準、人事考課、滞留年数、昇格推薦書等を総合的に勘案して決定する。

理事格の者の昇格については、人事担当役員が申請者となり、役員会が調整者となって、社長が決定する。部長格、副部長格、課長格、代理・主任格、一般一級・二級・三級の者の昇格については、それぞれ、人事部長が申請者となり、役員会が調整者となって、社長が決定する。

キ 新人事考課制度

(ア) 評定種類及び評定基準については、前記(2)イのとおりで昭和五六年制度と同様であるが、評定の分布制限を廃止した上、評定期間、評定領域及び評定結果の反映については次のとおりに変更した。

a 前年四月一日から当年三月三一日までの期間について業績評定、能力評定、執務態度評定を行い、定期昇給(昇格を含む。)に反映させる。

b 当年四月一日から当年九月三〇日までの期間について業績評定を行い、一二月賞与に反映させる。

c 前年一〇月一日から当年三月三一日までの期間について業績評定を行い、六月賞与に反映させる。

d なお、定期昇給については、本人給と職能給のうち職能給にのみ前記評定の結果が波及し、賞与については、一律分以外の部分(いわゆるメリット部分)に査定の結果が波及する。

前記のとおり評定期間が変更されたこととの関連で、昇格及び昇進の時期が七月一日とされた。

(イ) 人事考課の評定者、被評定者の区分は、別表9のとおりである。

第一次評定者は、人事考課に関する各評定基準書(業績評定、能力評定、執務態度評定)に基づき、絶対評定を行い、第二次評定者に提出する。第二次評定者は、第一次評定者に準じて評定を行い、評定結果が第一次評定者のそれと異なる場合には、第一次評定者の意見を聴取して評定する。調整者は、第二次評定者の評定結果について管轄部門内での調整を行う。

(乙205、225、416、494、615ないし620、740ないし742、1035、1067、1069、1082)

(4) 苦情処理委員会

原告会社と朝日火災支部とは、昭和四三年一一月二九日賃金問題の苦情処理に関し協定を締結し、昭和四四年四月一日からこれを実施した。同協定の概要は、原告会社が社員に対して行った昇給、昇類、人事考課の評定結果に関し、社員が苦情を申し立てるため、「賃金問題に関する苦情処理委員会」(以下「苦情処理委員会」という。)を設置すること、同委員会は、原告会社より選出される委員及び朝日火災支部より選出される委員各五名をもって構成されること等である。

(乙597、730、1017)

(5) 補助参加人らの資格格付け、役職、賃金及び一時金の状況と経緯

ア 補助参加人らの平成四年七月一八日現在までの職能資格格付け及び役職の推移は、別表10のとおりであり(賃金は、本人給と職能給からなっていることから、同表の「類・号」、「資格」欄の数字が、職能給給与の基礎的数字を表している。)、補助参加人らのうち、補助参加人乙山、同己山、同辛川は、昭和六一年制度改正前は管理職に格付けされていたことがあるが、昭和六一年制度以降はいずれも主事とされており、昭和六一年制度以降補助参加人らの中に役職上の管理職は一人もいない。また、補助参加人らの中で「類・号」等が昇ったのは、昭和五八年に補助参加人北川、同春野、同夏山が四類から五類に昇ったのみであり、「役職」については、昭和五七年に補助参加人南田が主任から課長代理に、平成二年に補助参加人冬川が主任に、それぞれ昇格したのみである。

(乙329、1094)

イ 昭和五六年度から平成三年度にかけての補助参加人らの賃金及び一時金に係る人事考課を一覧すると、別表11のとおりであり、補助参加人ら各人の格付け並びに賃金及び一時金に係る人事考課の具体的内容は、別表12の1ないし19のとおりである。

(乙598、830ないし882)

ウ 補助参加人らの職能資格格付け及び職位と、同年同期入社者のそれとの対比(平成四年七月一八日現在)は次のとおりである。

(ア) 補助参加人甲野は代理格の主事であるが、昭和三四年入社者一四名中、同人及び他の二名以外は全員課長格以上である。また、主事は同人を含め五名、調査役等の専門職が二名、ライン管理職が七名である。

(イ) 補助参加人乙山は課長格の主事であるが、昭和三六年入社者二一名中、同人より下位の者は代理格の者が一名いるのみで、他の一九名は全員課長格以上のライン管理職である。

(ウ) 補助参加人丁川は代理格の主事、補助参加人丙田は代理格の所長代理であるが、昭和三七年入社者一七名中、この両名及び主事である他の一名以外は全員課長格以上のライン管理職である。

(エ) 補助参加人己山は代理格の主事、補助参加人庚田及び補助参加人戊野は代理格の所長代理であるが、昭和三八年入社者一七名中、この三名及び担当課長である他の一名以外は全員課長格以上のライン管理職である。

(オ) 補助参加人辛川は課長格の主事であるが、昭和三九年入社者二一名中、同人より下位の者は代理格が二名いるのみで、他の一八名は全員課長格以上のライン管理職である。

(カ) 補助参加人壬野は他の二名とともに代理格の課長代理であるが、昭四〇年入社者二一名中、この三名以外は全員課長格以上のライン管理職である。

(キ) 補助参加人癸山は代理格の課長代理であるが、昭和四一年入社者二二名中、同人以外は全員課長格以上のライン管理職である。

(ク) 補助参加人東野は代理格の所長代理であるが、昭和四二年入社者一四名中、同人及び主事である他の一名以外は全員課長格以上のライン管理職である。

(ケ) 補助参加人西山は代理格の所長代理であるが、昭和四五年入社者一二名中、同人以外は全員課長格以上のライン管理職である。

(コ) 補助参加人南田は代理格の所長代理であるが、昭和四七年入社者二五名中、一三名が課長格以上のライン管理職であり、同人より下位の者は主任格である一名である。

(サ) 補助参加人北川、同夏山及び同春野は他の一名とともに主任であるが、昭和四九年入社者三三名中、この四名以外は全員代理格以上のライン管理職である。

(シ) 補助参加人秋田は主任格であるが、昭和五〇年入社者三六名の全員が主任格以上となっている中で、同人以外は全員ライン管理職であるのに対し、同人のみいまだ主任又は主事以外の役職には就いていない。

(ス) 補助参加人冬川は他の三名とともに主任格の主任であるが、昭和五一年入社者一七名中、この四名以外は全員代理格以上のライン管理職である。

(乙279、282、328、329)

2  検討・判断

(1)  人事考課に基づく職能資格制度下での昇格昇給差別による不当労働行為の成否の判断に当たっては、当該人事給与制度の内容の把握が不可欠である。同期入社者の間で格付けや賃金に関する号俸等について差が生ずるのは、人事考課に基づく職能資格制度を導入し、それに従った制度の運用がされる限り、当然の帰結であるということができる。しかし、人事考課に基づく職能資格制度を導入しているといっても、それが名目的なものにすぎず、制度の具体的内容が実質的には年功的であるとか、運用の実態が年功的であると認められれば、前記のような差が生じていること、殊に、当該社員が他の社員に比して低位に位置付けられていることは、特段の合理的事情が認められない限り、人事考課に名を借りた差別であると推認されるというべきである。また、職能資格制度が制度それ自体としては一定程度整備されているとしても、その制度が実は別の目的で運用されているとか、制度の具体的運用において評定者の恣意的な運用が可能であると認められれば、当該社員が他の社員に比して低位に位置付けられていることは、使用者が当該社員をねらって差別を行う動機や企図があるなどの事情と相まって、同様に、特段の合理的事情が認められない限り、人事考課に名を借りた差別であると推認されるというべきである。

これに対し、当該人事給与制度において人事考課に基づく職能資格制度が一定程度整備されていると認められ、かつ、その運用も制度どおり行われていると認められれば、原則として、当該社員が他の社員に比して低位に位置付けられていることも人事考課の結果であると推認されることになる。しかし、その場合であっても、当該社員が実際には他の社員に比して能力が高く、あるいは業績を挙げているなどの事実が認められるにもかかわらず低い人事考課がされているとすれば、その人事考課には合理的な理由がなく、人事考課が恣意的に行われたといわざるを得ないから、前記の他の事情と相まって不当労働行為の成立が認められる場合があり得ることになる。

(2) そこで、まず、原告会社における人事給与制度が職能資格制度として一定程度整備されたものであるかどうかについて検討することとする。

ア 昭和五六年制度について

(ア) 昭和五六年制度においては、給与体系は、給与の七〇パーセントを占める本人給と、同じく三〇パーセントを占める職能給とで構成され、定期昇給については、本人給部分は年功的に昇給し、職能給部分は評定に応じて五段階の昇号となることとされた。これ以前の制度においては、人事考課制度の実際の運用は、一〇パーセント以内の者がA評定とされるほか、C評定は懲戒処分者や長期欠勤者など極めて少数の者が対象とされるのみで、その他のほとんどの者はB評定とする取扱いとなっていたが、昭和五六年制度においてはこのような運用は廃止された(この運用の廃止の事実は、弁論の全趣旨により認める。)。さらに、昭和五六年制度においては、人事考課の評定者・被評定者の区分並びに評定期間、評定領域及び評定結果の反映について明確にされるに至った。

職能資格である類の上昇(昇類)については、基準資料に基づき、それぞれの類に対応する申請者、調整者の意見をもとに社長(二ないし五類については人事部長)が決定するものとされた。

さらに、賃金問題に関する苦情の申立てを受け付ける苦情処理委員会が存する。

(イ) 一方で、昇類については、一ないし五類においては最短滞留年数及び最長滞留年数が定められ、六ないし八類についても最短滞留年数が定められていること、人事考課の評定ランクについて分布制限が付されていること、前記のとおり職能給部分の割合が本人給部分に比して小さいことに照らせば、昭和五六年制度は、年功的要素がいまだ色濃く残存しているものの、前記(ア)記載の限りにおいては、人事考課に基づく職能資格制度としての実質を有するものと認めるのが相当である。

イ 昭和六一年制度について

昭和六一年制度は、管理職については本人給を廃止して職能給一本の給与体系とし、一般職についても、本人給は残存するもののその年齢間差額を小さくし、職能給の持つウエイトを高くしたこと、滞留年数は、管理職及び一般職の代理格についてはこれを廃止したこと、人事考課における評定の分布制限を廃止したこと等、より職能的要素を加味しており、かつ、苦情処理委員会は従来どおり存続していることからすると、昭和五六年制度をより推し進めた形での人事考課に基づく職能資格制度として整備したものと認めるのが相当である。

(3) 次に、昭和五六年制度及び昭和六一年制度の運用の実態について検討する。

前記1(2)、(3)及び(5)の事実に、証拠(甲3、4(ただし、いずれも後記認定に反する部分を除く。)、乙286ないし288、830ないし890、1069、1080、1082、証人木村政博、同生田敦男(ただし、両証人の証言中、後記認定に反する部分を除く。))及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

ア 昭和五六年及び昭和六一年の各制度においては、いずれも、定期昇給のための人事考課は、業績評定、能力評定及び執務態度評定によって評定され、第一次評定者、第二次評定者がそれぞれの評定を行った上で、調整者がこれを調整する。

このうち、業績評定については、第一次及び第二次の各評定者は、業務行動基準書に即して、被評定者の仕事の種類ごとにその仕事量をパーセントで表わし(全体で一〇〇パーセント)、その仕事の種類ごとに評定(AないしE)をした上、A評定は五を、B評定は四を、C評定は三を、D評定は二を、E評定は一を、前記仕事量のパーセントの数値に乗じてその値を点数化し、これを総合評定とする(仕事の種類すべてについてA評定となれば五〇〇点、すべてについてE評定となれば一〇〇点となる。)。

一方、能力評定については、第一次及び第二次の各評定者は、能力評定基準書に即して能力要素を五つに分けて検討し、AないしEの各評定を決し、総合評定として更にAないしEの評定を行う。また、執務態度評定については、執務態度評定基準書に即して執務態度要素五つに関しAないしEの評定を行った上で、総合評定として更にAないしEの評定を行う。

調整者である営業本部長、担当役員あるいは社長は、以上の評定結果が記載された人事考課表(乙883)について調整を行う。

そして、これに人事部が意見を付して、常務会によって最終的な評定(AないしE)が決定される。

しかし、最終的な評定を行うに当たり、第一次及び第二次の各評定をどの程度斟酌するか、また、業績評定、能力評定及び執務態度評定という三種の評定結果をどの程度の割合で考慮して判断すべきか、これらの点については、格別の基準が存在しない。

なお、原告会社における評定者への評定の仕方についての訓練は、制度発足時に新しく評定者になった者について、一度行う程度であった。

イ 賞与のための人事考課においては、業績評定のみが行われるが、第一次及び第二次の各評定者の評定方法は、ここでも前記アの業績評定についてのそれと同じであり、調整者がこれを調整した上で、人事部が意見を付して常務会によって最終評定が決定される。しかし、第一次及び第二次の各評定における合計数値の多寡と最終評定との関係についての格別の基準は存在しない。

ウ 常務会は、年二回、それぞれ二日間にわたって最終評定決定のための会議を開催するが、これに要する時間は二日間併せて六時間程度であり、この間に四〇〇名程度の社員に関する評定を行っている。したがって、社員一名の最終評定決定に費やされる時間は平均一分弱程度である。

エ(ア) 補助参加人甲野の平成元年六月、同年一二月、平成二年六月、同年一二月、平成三年六月の賞与に関し、いずれも、第一次評定(業績評定)においては四項目についてC、五項目についてDであるところ、最終評定結果においてはいずれもEとされた(別表12の1)。

(イ)a 補助参加人甲野の平成三年度の定期昇給に関しては、第一次評定において次のとおり評定された。

(a) 業績評定においては、四項目についてC、五項目についてDとの評定がされた。

(b) 能力評定においては、四項目についてC、一項目についてDとされ、能力向上度合について「能力向上のあとが若干あった」との評定がされ、総合評定としてC(「同格の能力基準程度である」)との評定がされた。

(c) 執務態度評定においては、五項目すべてについてCとされ、執務態度はだいたい満足していると評定された。

b これに対し、最終評定結果はEとされた(別表12の1)。

(ウ) 補助参加人乙山の昭和五六年一二月の賞与に関し、第一次評定(業績評定)においては五項目すべてについてCであり、総合評定欄において「同類からみて期待通りの業績であった」との評定がされたのに、最終評定結果においてはEとされた(別表12の2)。

(エ) 補助参加人乙山の昭和六三年一二月の賞与に関し、第二次評定(業績評定)においては、三項目についてC、二項目についてDとされ、総合評定においては「同格からみて期待通りの業績であった」との評定がされたのに、最終評定結果においてはEとされた(別表12の2)。

(オ)a 補助参加人夏山の平成二年度の定期昇給に関しては、第一次評定において次のとおり評定された。

(a) 業績評定においては、二項目についてB、五項目についてCとされ、評定者所見として「代理店設置及び業績拡大に努力の跡が顕著であった」との記載がされた。

(b) 能力評定においては、三項目についてB、二項目についてCとされ、評定者所見として「業務全般について十分な知識を有し、営業面での折衝等の判断も十分であった」との記載がされ、能力の向上度合について「能力向上のあとが顕著であった」との評定がされ、能力基準は、「同格をやや上回る」と評定された。

(c) 執務態度評定においては、二項目についてB、三項目についてCとされ、評定者所見として「規律を十分に守り積極的に仕事に取り組み、職場内での協調性も十分であった」との記載がされ、総合評定において「十分満足している」との評定がされた。

b これに対し、最終評定結果はDとされた(別表12の16)。

(カ) 補助参加人秋田の平成二年一二月の賞与に関し、第一次評定(業績評定)においては三項目についてC、二項目についてDとされたのに、最終評定結果においてはEとされた(別表12の17)。

オ 以上のほか、定期昇給及び賞与の人事考課において、第一次評定あるいは第二次評定においてはCあるいはDしかないのに、最終評定結果がEとなっているのは、全評定回数三二回のうち、補助参加人甲野(別表12の1)については一〇回、補助参加人乙山(別表12の2)については一一回、補助参加人丁川(別表12の4)については一〇回、補助参加人秋田(別表12の17)については一二回に及んでいる。

(4)  前記(3)ア、イで認定した事実によれば、昭和五六年及び昭和六一年の各制度における原告会社の人事考課制度は、第一次評定及び第二次評定を行った上で、調整者が最終的な評定を決するという三段階の評定を経由するというものであるものの、第一次評定及び第二次評定の結果が最終的な評定にどのように反映されるかについての基準は存在しない。もとより、当該社員の業績、能力、執務態度についての人事考課評定は、それらの要素を多面的・総合的に検討して行われるものであるし、評定者による第一次、第二次の評定も、当該社員に直接ないし近接して接し、その仕事振りを把握している上司が行うとはいえ、評定者の主観が入り込む余地があることは否定できないし、他の社員との比較も行う必要があるから、評定の調整を行う必要があることは理解できる。しかし、これらのことは、反面調整者による評定にもその主観が入り込む余地を否定できないことを示すものということができる。原告会社の人事考課制度においては、業績評定、能力評定及び執務態度評定という三種の評定結果をどの程度の割合で考慮して判断すべきかの基準も存在しておらず、このことからすれば、一層前記の調整者の主観の入り込む余地があり得るものということができる。そして、前記(3)エ、オで認定した事実によれば、補助参加人らの評定の中には、第一次及び第二次の各評定と調整者が行った最終的な評定との間に容易には説明のつかない乖離が存するのであって、この乖離についての合理的な説明はうかがえない(これらにつき、最終評定は、第一次及び第二次評定間の甘辛現象や評定者の寛大化傾向等を調整したもので合理的な理由があるとする乙1146、1162は、その理由が抽象的にすぎる上、後記(7)に照らし、にわかに採用できない。)。以上の事情に、最終評定決定に費やされる時間(前記(3)ウ)(最終評定決定に当たっては、調整を必要とする者について調整の要否及びその程度が問題となると考えられるから、当該対象者に割かれる時間は平均時間より多くなるといえるが、それにしても、評定の対象となる社員数、評定に費やした総時間数からして十分な議論がされたとは考え難い。)をも併せ考えると、そもそも、最終的な評定を決するに当たり、第一次評定者及び第二次評定者の記載した人事考課表をどの程度参考にしたかについても疑問が残るところである。

これらの点を考慮すると、原告会社における人事考課の方法は、公平性、透明性を高めるべく一定の工夫がされたものとはいえるが、なお、最終評定決定段階において最終評定決定者の主観ないし恣意が相当程度入り込む余地のある制度であるとみるのが相当である。

原告会社の人事給与制度を外形的にみれば、職能資格制度として一定程度整備されたものであるというべきであることは、前記(2)のとおりである。しかし、その前提となる原告会社における人事考課制度は、定期昇給、賞与についてはその金額に直接影響があり、かつ、昇類又は昇格の判定に当たって参考とされるもので、原告会社の人事給与制度のいわば根幹をなす制度であるところ、この人事考課制度は、前記のとおり最終評定決定者の主観ないし恣意の入り込む余地が相当程度あるものであるから、原告会社の職能資格制度は、制度の具体的運用において評定者の恣意的運用を阻む程度にまで確立されたものとはいえないと判断するのが相当である。

なお、前記のとおり原告会社においては苦情処理委員会が整備されており、証拠(甲3、乙393ないし396、612、698、証人木村政博)によれば、苦情処理委員会の判定において、最終評定が不当であると判定されたことはないことが認められるが、苦情処理委員会委員の構成及び割合(前記1(4))からして、そのことから直ちに、原告会社の職能資格制度が制度の恣意的運用を阻む程度にまで確立されたものであるとまではいえない。

(5)  次に、補助参加人らの人事考課の実態について検討する。

ア  前記(3)エ、オで認定した事実によれば、次のとおりいうことができる。

原告会社の人事考課は、一定の評価期間における業績、能力、執務態度を評定し、その結果を賃金等に反映することとされ、賞与についてはこのうち業績評定のみが適用される。そして、業績評定においては各人の仕事量を決定することが評定の前提となるものである。しかるに、補助参加人らに対する仕事量の決定がどのようにされたかは本件全証拠によっても必ずしも明らかではない。

補助参加人らの評定の中には、例えば補助参加人乙山につき、昭和五六年一二月賞与の場合、第一次評定はすべてC、また、昭和六三年一二月賞与の場合、第二次評定(業績評定)は、三項目についてC、二項目についてDであるのに、最終評定はいずれもEとされているが、このように評価が二段階も下がることについてその合理的な理由はうかがえない。補助参加人甲野についても、平成元年六月、同年一二月、平成二年六月、同年一二月、平成三年六月賞与の場合、業績評定の項目についてはC又はDの評価とされているのに、最終評定はEとなっており、平成三年の昇給についても、業績評定、能力評定、執務態度評定の各項目はC又はDであるのに最終評定はEとされている(なお、補助参加人甲野の属する木更津営業所の平成元年、平成二年各三月末の賞与成績は前期に比べ向上している。乙289、290、337ないし341)。

その余の補助参加人らについても、別表12のとおり、評定の個別項目の評定ではC以上又はD以上のみであるのに、最終評定でD又はEとされているものが相当数あるが、これらについても、そのように評価が下がることについての合理的な理由はうかがえない。

イ  補助参加人乙山は、昭和六一年制度移行時には担当課長であったが、昭和六一年七月には主事となったこと、補助参加人己山は、昭和五八年一二月担当課長として管理職となったが、昭和六〇年九月に主事となったこと、補助参加人辛川は、昭和六一年制度移行時には担当課長であったが、昭和六一年七月に主事となったことが認められるところ(前記1(5)ア)、このように、前記補助参加人らは、一度は管理職に昇進したのに一般職に格下げとなる取扱いを受けているが、人事考課制度が改定されたとはいえ、これらの補助参加人らに対してこのような取扱いをすることの合理性を見出すことも困難である(乙1029、1031、1035によっても合理性を認めるに足りない。)といわざるを得ない。

ウ  前記ア、イに、前記(4)の判断や、補助参加人らに対する支部大会代議員選挙に関する職制の言動、配転、時間内組合活動休暇の不承認について原告会社の不当労働行為があったこと(前記第3ないし第5)、補助参加人らについての最終評定決定者が常務会であって、これらの不当労働行為をした原告会社の重要な意思決定機関であること、補助参加人らのA派としての活動状況、配転先での業務内容を併せ考えると、補助参加人らに対する人事考課は第一次評定及び第二次評定そのものの正確性に疑問が残る上、少なくともその調整をした上でされた最終評定決定は、補助参加人らの活動を嫌悪し、その活動を弱体化させることを企図してされた恣意的な判断の下に同人らを殊更に低く評価したものといわざるを得ず、この低評価に基づき補助参加人ら(ただし、補助参加人東野を除く。)の賃金、賞与、職能資格格付け及び職位が他の社員に比べ低位に置かれているのであるから、このことは同補助参加人らに対する不利益取扱いであり、かつ、朝日火災支部の運営に対する支配介入に当たると推認することができる。

このように、社員である補助参加人らに対する低評定が、他の事情と相まって、使用者の不当労働行為と推認されるときは、使用者である原告会社はこの推認を覆すために、補助参加人らに対する低評定がその者の業績、能力、執務態度に照らし相当であることを具体的に立証する必要があるというべきであるところ、これをいう証拠(甲4、乙891、1017、1035、1146、1162、証人木村政博、同生田敦男)は、反対証拠(乙335、丙14ないし32、原告甲野本人)に照らし、補助参加人ら(ただし、補助参加人東野を除く。)の業績、能力、執務態度が劣り、低評価が相当であると認めるには十分とはいえない。

もっとも、証拠(甲4)によれば、補助参加人東野は、昭和六二年度から平成三年度にかけて出勤すべき日数一二六一日について有給休暇を合計六〇日取得し、また、病気で五九〇日欠勤している(病気欠勤日数の内訳は、昭和六二年度一二九日、昭和六三年度一一〇日、平成元年度一六五日、平成二年度四九日、平成三年度一三七日)ことが認められるところ、同補助参加人はこれらの欠勤日には業務に従事していないのであるから、これら各年度の評定に際しては、当然この出勤すべき日数の半数近くに及ぶ欠勤の実態を考慮してその業績、能力、執務態度を評定すべきものと考えられる。そして、欠勤により勤務実績が乏しい以上その評価が低くなることはやむを得ないと考えられるから、少なくとも昭和六三年度から平成三年度にかけての同補助参加人の低評価(最終評定)が同補助参加人の活動を嫌悪し、その活動を弱体化させることを企図してされた恣意的な判断によるものと認めることは困難であり、この低評価に基づきされた同補助参加人の賃金、賞与、職能資格格付け及び職位の位置付けが同補助参加人に対する不利益取扱いであり、朝日火災支部に対する支配介入に当たるとはいえない。

(6) 原告会社の主張について

ア 原告会社の昭和五六年及び昭和六一年の各制度における人事考課制度についての当裁判所の判断は、前記(4)のとおりである。

原告会社は、最終評定はいわゆる甘辛調整を目的として行われるものがあり、その結果第一次及び第二次評定者の評定結果とは異なる評定となることはあり得る旨主張する。確かに、前記のとおり評定には主観の入り込む余地があるから、一般論としては原告会社の主張は理解できるが、補助参加人らに対する人事考課について原告の主張が妥当するかについては、第二次評定の結果を最終評定の段階で変更し、しかも評定を低める方向で調整するという事態が、補助参加人らについて前記のように多数みられるのであって、そのことに合理的な説明もうかがえない上、第一次評定者と第二次評定者とは異なっており、このように評定者を異にしているのは本来これにより評定の歪みを是正しようとするものであること、常務会が最終評定決定に費やす時間が短時間であることを併せ考えると、前記の原告会社の主張から補助参加人らに対する評価に理由があるとすることはできない。

原告会社は、最終評定は多面的な情報をもとにして行われるのであり、最終評定の結果を後日具体的に説明することは不可能である旨主張するが、最終評定が多面的な情報をもとに行われるからといって、その結果の後日の説明が不可能であるとは必ずしもいえないし、第一次及び第二次評定と最終評定との乖離についての説明不能の不利益を被評定者に負わせるのが相当とはいえないから、この主張も採用できない。

原告会社は、C評価、D評価の数の多寡で人事評価の当否を論証する本件命令の方法は誤りである旨主張するが、第一次評定及び第二次評定では、評定項目ごとにしたAないしEの評定を踏まえて総合評定をAないしEとするのであるから(前記(3)ア、イ)、評定項目におけるC、D評価の数の多寡が総合評定ひいて最終評定につながるもので、その多寡と最終評定との不整合を指摘し、人事考課の当否を論ずることが誤りとはいえない。

イ(ア) 原告会社は、①人事考課においては過去の業績や勤怠状況も考慮される、②補助参加人らの第一次及び第二次の各評定において、勤務者としてふさわしくない人格的な欠陥が述べられており、これは簡単に解消されたり、年次によって変化するという性質のものではなく、現場責任者が補助参加人らの評価に際して選択した評価分類が高いものであったとしても、それは明らかに分類の選択に誤りがあるのであって、補助参加人らは、かかる人格的欠陥のない他の多くの従業員との対比において、極めて低い評価に落ち着くことになる、③補助参加人らは、有給休暇をすべて消化し、更に時間内組合活動休暇まで要求して、組合活動に熱中するなどしていたのであって、もとよりそのような活動に従事せず業務に精勤する者に比べ、その業績が見劣りすることは避けられない、などと主張する。

(イ) そこで検討するに、原告会社の人事考課において評定期間が定められていることは前記のとおりであるから、人事考課は評定期間ごとに行われるべきものであり、過去の業績や勤怠状況を当該評定期間の人事考課において考慮することは、本来予定されていないものというべきである。したがって、人事考課において過去の業績や勤怠状況も考慮されるとする原告会社の主張は採用できない(原告会社の主張のように、過去の業績や勤怠状況も考慮されるとすれば、一度これらについて低評価を受けた者は、評定期間を異にする時期に業績を上げ、勤怠状況が良好であった場合でも低評価を受けることになるが、そのような評価をすることは、人事考課に評定期間を設けた趣旨に反するというべきである。)。

(ウ)a 人事考課における第一次及び第二次の各評定が、業績評定、能力評定、執務態度評定について行われることは前記のとおりであるが、証拠(乙689、883ないし890、1080、1082)によれば、それぞれ各評定における考慮要素は次のとおりであることが認められる。

(a) 業績評定

業績評定は業務行動基準書に即して行われる。

業務行動基準書に記載されている事項は、仕事の種類、それに対応する類別遂行基準である。同基準書では、仕事の種類として、代理店設置・改廃、代理店指導督励、契約業務一般、損害事件の受付処理に関する事項、来客の応対等が挙げられており、さらに、例えば「損害事件の受付処理に関する事項」については、「具体的な仕事」として、①事故受付及び処理、②保険金支払に関する調査、査定及び折衝が挙げられ、前者の類別遂行基準として、「事故受付及び処理は正確に対処できていた。」(一類)、「事故受付及び処理については機会をとらえ、下位者に適切な助言、指導を行っていた。」(五類)、後者の類別遂行基準として、「保険金支払に関する調査、査定及び折衝は正確にできていた。」(二類)などが挙げられている。

(b) 能力評定

能力評定は能力評定基準書に即して行われる。

能力評定基準書では、一ないし九類各別に記載がされている。

五類については、考慮要素として、情報関連知識、判断力、指導統率力、企画力、折衝力が挙げられ、このうち「情報関連知識」については、「C程度の能力水準例」として、「営業政策にのっとり、新規代理店の獲得、従来の代理店の取引拡大等について、その人その企業の将来性、人的つながりを十分考慮に入れて整備、拡充できる程度の情報関連知識」などが挙げられ、「評定段階」として、AないしEの各評定の基準につき、A評定は「同類としての情報・関連知識は申し分ない。」、B評定は「担当業務を遂行するに当たって関連的に必要な経済情勢・地域の動向、業界動向などの情報関連知識は十分保有している。」、E評定は「同類としての情報・関連知識は不足している。」などとされている。

また、七類については、考慮要素として、決断力、組織化能力、問題解決力、管理企画力、説得力が挙げられ、例えば、「説得力」については、「C程度の能力水準例」として、「部門方針に従い担当が異部門との調整折衝をうまく行い、円滑な業務運営ができる程度の説得力」などが挙げられ、「評定段階」として、A評定は「同類としては極めて優れた説得力を持ち申し分ない。」、B評定は「内外の利害が関係するような複雑困難な折衝に際しても、信頼関係を保ちながら優れた説得力をもって、ほとんどの場合は必要な目的を円滑に達成することができる。」、E評定は「同類としては説得力が不足している」などとされている。

(c) 執務態度評定

執務態度評定は執務態度評定基準書に即して行われる。

執務態度評定基準書では、考慮要素として、責任感、積極性、協調性、規律、節約観念が挙げられ、このうち「責任感」については、「着眼点」として、①障害や困難があっても自己の職責を最後までやりぬく姿勢をもっていたか、②責任の回避、転嫁はなかったか、③陰日向のある行動はなかったか、が挙げられ、「評定段階」として、AないしEの各評定の基準につき、A評定は「相当困難な障害に直面しても、最善の努力をつくし自己の任務を貫徹しようとしていた。」、B評定は「ある程度困難があっても、自己の任務を最後までやりぬこうと努力していた。」、E評定は「仕事に取り組む姿勢に陰日向があり、自分に不利になると責任を回避したり、他に転嫁することがあった。」などとされている。

また、「規律」については、「着眼点」として、①上司の指示命令に従っていたか、②諸規則等は守られていたか、③職場秩序の維持向上につとめていたか、が挙げられ、「評定段階」として、A評定は「ルールや指示の内容を良く理解し、自ら定められたとおり守っているとともに、他への良い模範となっていた。」、B評定は「ルールや指示は自ら定められたとおり守っており、他の者にある程度良い影響があった。」、E評定は「ルールや指示に反する行為がみられ、注意しても繰り返すことがあった。」などとされている。

なお、前記各基準書は、いずれも昭和五六年制度におけるものであるが、昭和六一年制度においても同様の取扱いがされていた。

b 補助参加人らの第一次評定及び第二次評定における所見には別表12のとおり原告会社の主張に沿うかのごとき記載がある。しかし、これらの記載には抽象的な内容のものが多く、また、所見が記載されていない場合もある上、評定者が所見欄の記載と評定項目のいずれを重視したのかも明らかではない。また、証人生田敦男は、補助参加人らは休暇を取得することが多く、休暇が多いことは当然業績が上がっていないことを意味する旨証言するところ、証拠(甲10)によれば、補助参加人らの中には組合活動等のため多くの休暇(有給休暇及び時間内組合活動休暇)を取得している者がいることがうかがわれるが、これらの休暇が多いことが具体的にどのように業績の不向上に直結したかは、同証言によっても明らかではない。さらに、前記a認定の事実によれば、原告会社の人事考課において考慮される要素は、日常業務の遂行に際して表れた業績、能力、執務態度といったものに限られており、勤務者としてふさわしくない人格的な欠陥の有無などといった側面は考慮要素として挙げられていないこと、同様に、勤務日数の多寡もこれに挙げられていないことが認められる。

これらのことを併せ考えると、補助参加人らの低評価等は、その勤務状況や職務に対する態度に起因する旨の原告会社の主張は、採用できない。

ウ 原告会社は、人事考課の不当性は、これを主張する者が立証すべきであり、査定が正しいことを原告会社に立証させることは誤りであるとも主張するが、従業員に対する低評定が他の事情と相まって不当労働行為と推認されるときは、使用者において低評定が相当であることを具体的に立証する必要があると解するのが相当であるから(前記(6)ウ)、この点に関する原告会社の主張も採用できない。

3  賃金、賞与、職能資格格付け、職位に関する本件命令の救済措置について

(1) 賃金、賞与に関する救済措置について

本件命令は、補助参加人らに対し、いずれも昭和六三年四月以降平成三年までの賃金と賞与について、人事考課査定の中間評価であるCとして再査定して昇給させ既支給額との差額を支払うこと、また、補助参加人ら(補助参加人寅野を除く。)の職能資格格付け及び職位を同年同期入社者に遅れないように取り扱うように命じている。

この点につき、原告会杜は、本件命令では、補助参加人らについてC査定を受けるべきとした判断を基礎付ける理由が明らかではない旨主張する。

一般に、賃金・賞与に関する差別が不当労働行為であるとされる場合、労働委員会が採り得る救済措置としては、使用者に対して再査定を命じた上旧査定との差額の支払を命じる方法と、是正すべき賃金・賞与額の支払を具体的に命じる方法とが考えられる。このうち、前者の方法に関しては、使用者の査定権(裁量権)や人事権との関係が問題となるが、次のとおり、使用者が人事考課において当該労働者を殊更に低く評価している事実が疎明(訴訟段階では立証。以下同じ)され、他の具体的事実とを併せて考えると、そのことが使用者の当該労働者に対する不当労働行為意思に基づくものと推認できるときには、当該労働者についての評定に関し、比較の対象となる同年同期入社者の業績等が明らかにされない限り、労働委員会が裁量により再査定を人事考課査定の中間評価とするよう命ずることも適法であると解するのが相当である。

すなわち、労働組合法が、労働委員会の発令する救済命令という方法で不当労働行為によって生じた状態を是正することとした趣旨は、正常な集団的労使関係秩序の迅速な回復、確保を図るとともに、使用者の多様な不当労働行為に対してあらかじめその是正措置の内容を具体的に特定しておくことが困難かつ不適当であるため、労使関係について専門的知識経験を有する労働委員会に対し、その裁量により、個々の事案に応じた適切な是正措置を決定し、これを命じる権限をゆだねることにあるものと解される。また、労働組合法七条一号は、「その労働者を解雇し、その他これに対して不利益な取扱をすること」と規定し、文言上損害の発生等が要件となる旨を規定しておらず、したがって、同号違反を肯定するには、使用者が不当労働行為意思をもって不利益な取扱いをした事実が認められれば足り、同号所定の不利益な取扱いによって生じた実害の具体的な内容・程度は、同号の不当労働行為の成立要件そのものではないと解される。このような労働委員会による救済命令発令の趣旨、労働組合法七条一号の解釈に徴して考えると、労働委員会は、使用者が不当労働行為意思をもって不利益な取扱いをした事実を認定することができれば、合理的な是正措置を決定するために必要な事実を職権で調査し、不当労働行為に関する事実とともにその事実を総合考慮し、裁量により、個々の事案に応じた適切な是正措置を決定することができると解するのが相当である。

したがって、使用者が救済対象者と同年同期入社者の業績等を疎明して救済対象者の業績等が相当劣っていることを示す等、評定内容に関する具体的事情を疎明し、社内における処遇のバランス等に留意することが相当であると判明したのに、労働委員会がこれを参酌せずに是正措置を決定すれば、裁量権行使の範囲を逸脱したものとして違法となることがあり得るが、使用者がそのような具体的事情を疎明せず、労働委員会には使用者の指摘するような実態があるのか否かが分からない場合には、労働委員会は、判明しているそれ以外の事情を検討して救済措置の内容を決定することができるものと解するのが相当である。もっとも、この場合であっても、労働委員会の発した救済命令の取消訴訟において、使用者がこのような具体的事情を立証した場合には、救済命令は、これらの事情を参酌して命令を発しなかった点で裁量権の範囲を逸脱したものとして違法となり得るけれども、原告会社からそのような立証があったとはいえないことは前記2(5)のとおりである。

以上によれば、本件命令が、原告会社に対し、補助参加人ら(ただし、補助参加人東野に関する部分を除く。)の賃金及び賞与について、人事考課査定の中間評価であるCとして再査定して昇給させ、既支給額との差額を支払うことを命じたことは、労働委員会の裁量権の範囲内であると解するのが相当である。

(2) 職能資格格付け、職位に関する救済措置について

ア 本件命令は、補助参加人ら(補助参加人寅野を除く。)の職能資格格付けの是正に関し、平成三年六月一日における職能資格格付けについて同年同期入社者に遅れないように取り扱うことを命じている。昇格や昇進については、使用者は、人事権に基づき、それにふさわしい者のみを昇格、昇進させることができるもので、使用者には一定の裁量があるから、労働委員会が使用者に不当労働行為がある場合の救済方法を検討するに当たっても、使用者の有するこの人事権に配慮すべきであり、労働委員会の採った救済方法が使用者の人事権を著しく不当に制限するものであるときは、労働委員会にゆだねられた救済方法に関する裁量権を逸脱ないし濫用したものとして違法となると解すべきである。

イ  ところで、昇格に関して不当労働行為を行った使用者が、救済対象者の比較対象となる同年同期入社者の業績、能力等を開示せず、そのため是正に必要な資料が得られない場合、労働委員会は、救済措置の内容につき、例えば最も遅く昇格した者の待遇を基準にしなければならないというような制約を受けるものではないというべきである。なぜなら、仮に前記制約を受けるとすると、不当労働行為を行った使用者が是正に必要な資料を開示しないことにより、労働委員会は、救済対象者が昇格にふさわしい者かどうかが不明であるとして救済内容を最低限に抑えざるを得ない結果となるが、これでは、不当労働行為によって生じた状態を是正し、正常な集団的労使関係秩序の迅速な回復を図るべき立場にある労働委員会が採る救済方法として十分でないことがあるからである。したがって、このような場合、原告会社では、昇格は職能資格ごとに決定されること(前記1(3)カ)を考慮すると、労働委員会が、最も遅く昇格した者の待遇を基準とせず、原告会社における昇格格差の是正のため、職能資格格付けについて本件命令のような取扱いをすることも、その裁量権の範囲内として許されるもので(ただし、補助参加人東野に関する部分を除く。)、これが使用者の人事権を著しく不当に制約するものではないと解するのが相当である。

ウ  また、本件命令が、補助参加人ら(補助参加人寅野を除く。)に対し、平成三年六月一日における職位について、同年同期入社者に遅れないように取り扱うことを命じた点は、原告会社の昭和六一年制度の下では職能資格と職位が応当しており(前記1(3))、一定の職能資格に格付けられるとそれに対応するいずれかの職位に就くことになること、原告会社が比較対象となる同年同期入社者の業績、能力等を開示するなどして一定の職位に昇進するための条件を明らかにせず、そのため職位に昇進する条件が職能資格格付けとの対応関係以外に明らかではないこと、本件命令は、補助参加人ら(補助参加人寅野を除く。)の職位について具体的な職位に就けることを命じているわけではなく、同年同期入社者に遅れないように取り扱うことを命じているもので、その範囲においては原告会社の人事権に基づく裁量を認めていること、本件命令のような取扱いを命じても、原告会社が補助参加人ら(補助参加人寅野を除く。)を組合員資格を有するライン外の役職にすることは可能であること(乙366の労働協約第七条、乙1096ないし1099)からすれば、本件命令が命じた救済方法が、原告会社の人事権を著しく不当に制限し、労働委員会にゆだねられた裁量権の範囲を逸脱ないし濫用したものとまではいえない(ただし、補助参加人東野に関する部分を除く。)。これに反する原告会社の主張は採用できない。

4  結論

以上のとおりであって、補助参加人らの賃金、賞与、職能資格格付け、職位における差別について不当労働行為の成立を認め、原告会社に対し前記のとおりその是正を命じた本件命令中、補助参加人東野に関する部分は失当であるから同部分は取消しを免れないが、その余の部分は適法であるから、同命令部分の取消しを求める原告会社の請求は棄却を免れない。

第7  第八二号事件の争点1(賃金等に関する救済申立期間)について

1  前記第6の1(2)の事実及び弁論の全趣旨によれば、原告会社の昭和五六年制度では、賃金については、前年一月一日から一二月三一日までの人事考課の評定結果に基づき、当該年四月に昇給額(ただし、評定結果が波及するのは、職能給部分のみである。)が決定され、その昇給額に応じて当該年度の賃金が同年四月から翌年三月まで支給されること、また、賞与については、当該年度の賃金を基礎として、一二月賞与は当該年四月一日から同年九月三〇日までの、六月賞与は前年一〇月一日から当該年三月三一日までの、それぞれその業績評定結果に基づきその額が決定されて支給されることが認められる。

また、前記第6の1(3)のとおり、原告会社の昭和六一年制度では、賃金については、前年四月一日から当該年三月三一日までの人事考課の評定結果に基づき、同年四月に昇給額(ただし、評定結果が波及するのは職能給部分のみである。)が決定され、その昇給額に応じて当該年度の賃金が同年四月から翌年三月まで支給される(賞与については昭和五六年制度と同様である。ただし、評定結果はいわゆるメリット部分に波及する。)。

2  そこで、まず賃金について検討する。

(1)  原告会杜においては、人事考課の評定結果に基づき当該年四月に昇給額が決定されることにより、その時点で向後一年間における毎月の賃金額が決定され、それに基づき毎月の賃金が支給されるのであるから、人事考課の評定とこれに基づく毎月の賃金の支払とは全体として一個の継続する行為であるとみるのが相当であるが、次年度においては改めて人事考課がされ、その評定結果に基づき昇給額が決定し直されるのであるから、当該年度における人事考課の評定結果及びこれに基づく毎月の賃金の支払と、次年度におけるそれとは別個の行為であるといわざるを得ず、したがって、人事考課の評定結果及びこれに基づく毎月の賃金の支払は、年度ごとに異なる行為であり、かつ、次の発令時期までの一年間に限り継続するものであると解するのが相当である。

(2) これに対し、補助参加人らは、原告会社における職能給制度の下では、ある年度にいったん査定された人事考課の評定結果に基づく差別賃金は、その後も累積する仕組みになっており、賃金の格差は当該年度以降の賃金支払行為の中でも継続するから、継続して行われる一括一個の不当労働行為として、労働組合法二七条二項の「継続する行為」に当たるもので、このように解しないと、不当労働行為であるかどうかが不明確であるのにその疑いがあれば直ちに救済申立てをしなければならず、酷にすぎる旨主張する。

しかし、不当労働行為救済の申立期間を一年内と定めた労働組合法二七条二項の立法趣旨は、不当労働行為として申し立てられる事件が行為後一年以上経過している場合には、これについて命令を出すことはかえって労使関係の安定を阻害するおそれがあることやその実益に疑問がある場合があることのほか、労働委員会の調査審問に当たって証拠収集、実情把握が困難となること等を考慮したものと解されるところ、補助参加人らのように解するとすれば、いったん不当労働行為に当たる人事考課の評定及びこれに基づく賃金の支払がされれば前記の一年の期間を大幅に超えても常に申立てが許されることになり、申立期間を短期に制限した同条の趣旨が没却されることになる。他方、人事考課に基づく評定結果とこれに基づく毎月の賃金の支払とを当該年度に限り一体として継続する行為であると解した場合でも、人事考課に基づく評定結果により昇給額が決定されれば、そのことは組合員に明らかになるから、その後当該組合員や労働組合がそれが不当労働行為であるか否かを検討することは可能であるといえ、このような解釈が必ずしも酷とはいえない。

これらのことからすれば、労働組合法二七条二項の「継続する行為」の解釈としては、前記(1)のとおり解するのが相当であり、補助参加人らの主張は採用できない。

補助参加人らは、都労委の指導がなかったことや申立期間についての当時の被告の解釈をも問題とするが、都労委の指導の有無は、申立期間の解釈について直接関わることではないし、申立期間について補助参加人ら主張のように被告が解釈していたことを認めるに足りる証拠はないから、この点に関する補助参加人らの主張も採用できない。

(3) 本件では、昭和六三年度及び平成元年度の賃金差別に係る救済申立ては平成元年一二月二五日にされた(乙7。都労委平成元年不第七六号事件)ところ、昭和六三年四月に決定された昇給額に基づく賃金(昭和六三年度分)の最終支払時期は平成元年三月であるから、同年度分の賃金についての救済の申立てはそれから一年の申立期間内にされたということができ、また、平成元年四月に決定された昇給額に基づく賃金(平成元年度分)については、その賃金支払の継続中に救済命令の申立てがされたことになる。したがって、昭和六三年度分及び平成元年度分の賃金についての救済命令の申立ては適法である。

次に、平成二年度及び平成三年度の賃金差別に係る補助参加人らの救済申立ては平成三年一二月二四日にされた(乙8。都労委平成三年不第七二号事件)ところ、平成二年四月に決定された昇給額に基づく賃金(平成二年度分)の最終支払時期は平成三年三月であるから、同年度分についての救済申立てはそれから一年の申立期間内にされたということができ、また、平成三年四月に決定された昇給額に基づく賃金(平成三年度分)の最終支払時期は平成四年三月であるから、その賃金支払の継続中に救済命令の申立てがされたことになる。したがって、平成二年度分及び平成三年度分の賃金についての救済命令の申立ても適法である。

これに対し、昭和五六年から昭和六二年までの各四月に決定された昇給額に基づく賃金の最終支払時期は昭和六三年三月以前であるところ、これらの年度の賃金差別に係る救済申立ては平成元年一二月二五日にされた(乙7。都労委平成元年不第七六号事件)から、前記部分の賃金についての救済命令の申立ては一年の期間を徒過してされたものであって不適法である。

(4) よって、昭和六三年三月以前の賃金に関する救済申立てを却下した本件命令は正当であり、その取消しを求める補助参加入らの請求は棄却を免れない。

3  次に、賞与について検討する。

労働組合法二七条二項の申立期間の解釈については、業績評定結果及び人事考課評定に基づく賃金を基礎とする賞与についても前記2と同様であり、賞与が支給された後一年内に救済申立てをすべきものと解するのが相当である。

昭和六二年一二月以前の各賞与の差別に係る救済申立ては平成元年一二月二五日にされているから(乙7。都労委平成元年不第七六号事件)、これらの申立ては一年の申立期間(昭和六二年一二月賞与についていえば、昭和六三年一二月まで)を徒過してされたものであって不適法であり、同各賞与に関する申立てを却下した本件命令は正当である。また、平成元年一二月の賞与の差別に係る救済申立ては平成三年一二月二四日にされ(乙8。都労委平成三年不第七二号事件)、その査定部分(メリット部分)については、一年の申立期間(平成二年一二月まで)を徒過してされたものであって不適法であるから、同賞与の査定部分に関する申立てを却下した本件命令は正当である。

これに反する補助参加人らの主張は、前記2の説示に照らし、採用できない。

したがって、本件命令中、前記の各賞与に関する救済申立てを却下した部分の取消しを求める補助参加人らの請求は棄却を免れない。

4  なお、補助参加人己山は、同人の昭和五八年度分の賃金に関する不当労働行為の成立を認めるべきである旨主張する。しかし、本件命令は、補助参加人己山の昭和五八年度分の賃金に係る申立ては、他の補助参加人らに関するものと同様、労働組合法二七条二項所定の一年の申立期間を徒過してされたものであることを理由にこれを却下したのであり、この点に関する本件命令の判断が正当であることは、前記のとおりであるから、労働委員会としてその不当労働行為性を問題にすることはできず、補助参加人己山の主張は理由がない。

第8  第八二号事件の争点2(配転に関する救済申立期間)について

1  補助参加人らは、初審申立てに当たり、補助参加人丁川、同東野、同北川、同冬川、同乙川、同戊野、同秋田、同春野及び同寅野に係る次の配転が不当労働行為に当たるとして、その救済を求めた(乙1、2、3、5)。

(1) 補助参加人丁川

昭和五七年四月一日付け本店営業内務部から秋田営業所への配転

(2) 補助参加人東野

昭和五六年四月一日付け本店損害調査部から津田沼営業所への配転

(3) 補助参加人北川

昭和五七年八月二日付け本店第一営業部から立川営業所への配転

(4) 補助参加人冬川

昭和五七年八月二日付け東関東営業本部調査課から長崎営業所への配転

(5) 補助参加人乙山

昭和五四年九月一日付け尼崎営業所から高知営業所への配転

(6) 補助参加人戊野

昭和五六年四月一日付け東京第三営業部から宇都宮営業所への配転

(7) 補助参加人秋田

昭和五六年四月一日付け東京損調センターから名古屋支店への配転

(8) 補助参加人春野

昭和五五年八月一四日付け大阪支店内務部から和歌山営業所への配転

(9) 補助参加人寅野

昭和五七年四月一日付け大阪支店営業所から和歌山営業所への配転

2  補助参加人丁川、同東野、同北川、同冬川及び同乙川の前記各配転に係る救済申立ては昭和五八年一〇月二五日にされ(乙1。都労委昭和五八不第一〇三号事件)、補助参加人戊野、同秋田、同春野及び同寅野の前記各配転に係る救済申立ては昭和五九年四月一一日にされた(乙3。都労委昭和五九不第一八号事件)。

ところで、配転命令はそれ自体一個の独立した行為であり、そこに労働組合法二七条二項の「継続する行為」なるものを措定することはできないから、前記各配転に係る救済申立ては、その配転の時期に照らし、いずれも同法二七条二項所定の一年の申立期間を徒過してされたものであって不適法である。

補助参加人らは、命令発出や解決までに何年かかるか分からない申立てを、一年以内に必ずしなければならないというのは、申立てをする当事者の実情に合わないなどと主張するが、労働組合法二七条二項の明文を無視するもので、採用できない。

3  以上によれば、前記各補助参加人の配転に係る救済申立てを却下した本件命令は正当であり、この命令部分の取消しを求める補助参加人らの請求は棄却を免れない。

第9  第八二号事件の争点3(賃金、賞与の是正内容)について

第8のとおり、補助参加人らの賃金、賞与の是正を求める救済申立ては、昭和六三年度分から平成三年度までの是正を求める限度で申立期間を遵守したものというべきであるが、証拠(乙7、8、11、12、1090、1094)によれば、補助参加人らが求めるこれらの期間における賃金、賞与の是正は、補助参加人らの職能資格格付け(職能給の等級を含む。以下同じ)及び職位を同年同期入社者に遅れないよう取り扱った上でのものであることは明らかである。しかるに、本件命令は、これら補助参加人らが是正されるべきであるとする職能資格格付け及び職位を考慮しないものとして、賃金、賞与の是正をすることとし、補助参加人らの賃金、賞与の是正について主文第2項の限度で救済し、それを超える救済申立てを棄却している。

しかし、補助参加人ら(ただし、補助参加人東野を除く。)の賃金、賞与について原告会社が補助参加人らを不利益に取り扱い、朝日火災支部の運営に介入した不当労働行為の事実が認められることからすれば、被告が不当労働行為によって生じた状態の原状回復を図るためにする救済方法としては、特段の合理的理由のない限り、これら職能資格格付け及び職位を考慮した上での是正をすべきである(これを考慮しない是正をすることについての合理的な理由は、被告の主張及び本件命令の判断によってもうかがえないし、本件全証拠によってもうかがえない。)。

しかるに、本件命令は、補助参加人らの求める賃金、賞与の是正について主文第2項のとおり命じるのみで、前記職能資格格付け及び職位を考慮した上での是正を求める部分の救済申立てを棄却しているのであるから、本件命令主文第5項中、この部分を棄却した部分については、被告にゆだねられた裁量権を逸脱ないし濫用したものとして、取消しを免れない。

第10  結論

1  第四四号事件に係る原告会社の訴えのうち、本件命令主文第1項①の取消しを求める部分は、訴えを却下すべきである。その余の原告会社の請求は、本件命令の主文第2項中、補助参加人東野の賃金、賞与、職能資格格付け及び職位に関する部分の取消しを求める限度で理由があるからこれを認容すべきであるが、その余は理由がないから棄却すべきである。

2  第八二号事件に係る補助参加人らの請求は、本件命令の主文第5項中、補助参加人ら(ただし、補助参加人東野を除く。)の賃金、賞与の是正について、職能資格格付け及び職位について同年同期入社者に遅れないように取り扱った上での是正申立てを棄却した部分の取消しを求める限度で理由があるからこれを認容すべきであるが、その余は理由がないから棄却すべきである。

3  よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官・山口幸雄、裁判官・吉崎佳弥、裁判官・伊藤由紀子)

別表1ないし9、12の1ないし19<省略>

別紙1 命令書<抄>

主文

1 被申立人朝日火災海上保険株式会社は、申立人らが申立外全日本損害保険労働組合朝日火災支部の定例大会にむけて行う各分会からの出席代議員の選出等の同支部の組合活動に関し、支配介入してはならない。

2 被申立人会社は、申立人らの時間内組合活動休暇を承認しないことによって、同支部の組合活動に関し、支配介入してはならない。

また、被申立人会社は、寅野花子に対する昭和五九年三月一六日の全損保大阪地方協議会定例委員会出席に関する時間内組合活動休暇を承認しなかったことに伴う、同年五月分賃金からカットした金二七六円を同人に支払わなければならない。

3 被申立人会社は、申立人らの配置転換について、次のとおり措置しなければならない。

① 甲野太郎を昭和五八年一二月一日付で、本店自動車業務部の原職または原職相当職に復帰させること。

② 丙田二郎を昭和五八年四月一日付で、本店東京営業本部の原職または原職相当職に復帰させること。

③ 南田二助を昭和五七年一〇月二五日付で、本店東京営業本部の原職または原職相当職に復帰させること。

④ 壬野八郎を昭和五八年四月一日付で、大阪支店の原職または原職相当職に復帰させること。

⑤ 夏山五助を昭和五八年八月五日付で、大阪支店の原職または原職相当職に復帰させること。

⑥ 癸山九郎を昭和五八年四月一日付で、千葉営業所の原職または原職相当職に復帰させること。

4 被申立人会社は、申立人らの賃金・賞与・昇格の差別を是正するために、次の措置を行うこと。

① 昭和五八年一〇月以降平成三年度までの賃金について、人事考課査定がD査定以下のものを、査定の中間評価であるCとして再査定して昇給させ、既支給分との差額を支払うこと。

ただし、己山五郎の五八年を除く。

② 昭和五八年一二月再以降平成三年度までの賞与について、人事考課査定がD査定以下のものの査定部分を、査定の中間評価であるCとして再査定し、既支給分との差額を支払うこと(基礎となる賃金は①で是正した金額を基準とする)。

③ 昇格については各人(寅野花子を除く)の職能資格格付けを、平成三年六月一日以降、申立人ら各人の同年同期入社者に遅れないように取り扱うこと。

5 被申立人会社は、本命令書受領の日から一週間以内に、五五センチメートル×八〇センチメートル(新聞紙二頁大)の大きさの白紙に下記の内容のとおり楷書にて明瞭に黒色で書き、本社の正面入口付近の従業員の見やすい場所に一〇日間掲示しなければならない。

平成  年月日

(申立人全員の氏名を掲記)殿

朝日火災海上保険株式会

代表取締役 野口守弥

当社が、貴殿らの、全日本損害保険労働組合朝日火災支部の定例大会にむけて行う出席代議員の選出等の組合活動に介入したこと、時間内組合活動休暇を承認しなかったこと、寅野花子氏に対して全損保大阪地方協議会定例委員会出席に関する時間内組合活動休暇を承認せず賃金をカットしたこと、甲野太郎氏・丙田二郎氏・南田二助氏・辛川七郎氏・壬野八郎氏・夏山五助氏・癸山九郎氏・己山五郎氏を配置転換したこと、そして、賃金・賞与・昇格の差別をしたことは、不当労働行為であると東京都地方労働委員会において認定されました。

今後このような行為を繰り返さないよう留意します。

(年月日は掲示の日を記載すること。)

6 第2項後段、第3項、第4項および第5項を履行したときは、すみやかに当委員会に文書で報告しなければならない。

7 申立人らの配置転換に関するその余の申立、昭和五六年から昭和五八年九月分までの昇給にかかる賃金および昭和五八年六月期以前の賞与に関する申立てを却下する。

8 申立人らのその余の申立を棄却する。

別紙2 命令書<抄>

主文

1 初審命令主文第3項を次のとおり変更する。

3 被申立人会社は、申立人らの配置転換について、次のとおり措置しなければならない。なお、同人らの原職又は原職相当職への復帰に当たっては、主文第4項の③で命じる各人の職能資格格付け及び職位の是正を考慮するものとする。

① 丙田二郎に対する昭和五八年四月一日付け三鷹営業所への配置転換命令がなかったものとして取り扱い、同人を本店東京営業本部の原職又は原職相当職に復帰させること。

② 南田二助に対する昭和五七年一〇月二五日付け城東営業所への配置転換命令がなかったものとして取り扱い、同人を本店東京営業本部の原職又は原職相当職に復帰させること。

③ 壬野八郎に対する昭和五八年四月一日付け神戸支店への配置転換命令がなかったものとして取り扱い、同人を大阪支店の原職又は原職相当職に復帰させること。

④ 夏山五助に対する昭和五八年八月五日付け大分営業所への配置転換命令がなかったものとして取り扱い、同人を大阪支店の原職又は原職相当職に復帰させること。

⑤ 癸山九郎に対する昭和五八年四月一日付け釧路駐在所への配置転換命令がなかったものとして取り扱い、同人を千葉営業所の原職又は原職相当職に復帰させること。

2 初審命令主文第4項を次のとおり変更する。

4 被申立人会社は、申立人らの賃金、賞与、職能資格格付け及び職位について、次のとおり措置しなければならない。

① 昭和六三年四月以降平成三年度までの賃金について、人事考課査定がD査定以下のものを査定の中間評価であるCとして再査定して昇給させ、既支給額との差額を支払うこと。

② 昭和六三年六月以降平成三年度までの賞与について、基礎となる賃金は①で是正した金額を基準として、また、査定部分(平成元年十二月を除く。)については人事考課査定がD査定以下のものを査定の中間評価であるCとして再査定して金額を算定し、既支給額との差額を支払うこと。

③ 各人(寅野花子を除く。)の平成三年六月一日における職能資格格付け及び職位について、同年同期入社者に遅れないように取り扱うこと。

3 初審命令主文第5項の記中「昇格」を「職能資格格付け及び職位」に改める。

4 初審命令主文第7項中「五八年九月分」を「六三年三月分」に、「五八年六月期」を「六二年一二月期」に改める。

5 その余の各再審査申立てを棄却する。

別表10

年度

氏名

甲野

乙山

丙田

丁川

戊野

己山

庚田

辛川

壬野

癸山

東野

西山

南田

北川

春野

夏山

秋田

冬川

寅野

56

類・号

7=29

7=23

7=23

7=23

6=32

7=19

6=32

6=31

6=25

6=25

6=23

5=35

5=30

4=21

4=21

4=24

4=16

3=37

3=44

役職

主事

担課

課代

主事

所代

所長

課代

s所

課代

所代

所代

所代

主任

主任

主任

主任

57

類・号

7=34

7=27

7=27

7=27

6=35

7=24

6=36

6=36

6=28

6=29

6=27

5=39

5=35

4=25

4=25

4=29

4=19

4=25

3=54

役職

主事

担課

課代

主事

所代

所長

課代

s所

課代

所代

所代

所代

課代

主任

主任

主任

58

類・号

7=38

7=31

7=31

7=30

6=38

7=26

6=39

6=39

6=31

6=33

6=32

5=44

5=40

5=31

5=31

5=35

4=23

4=29

3=58

役職

主事

担課

所代

主事

所代

所長

課代

担課

課代

課代

所代

所代

所代

主任

主任

主任

59

類・号

7=43

7=34

7=34

7=33

6=41

7=29

6=42

6=42

6=34

6=36

6=36

5=47

5=44

5=35

5=35

5=39

4=27

4=33

3=62

役職

主事

担課

所代

主事

所代

担課

課代

担課

課代

課代

所代

所代

所代

主任

主任

主任

60

類・号

7=46

7=37

7=37

7=36

6=44

7=32

6=45

6=46

6=38

6=40

6=41

5=50

5=48

5=39

5=39

5=42

4=31

4=36

3=66

役職

主事

担課

所代

主事

所代

主事

課代

担課

課代

課代

所代

所代

所代

主任

主任

主任

61

資格

代理

課長

代理

代理

代理

代理

代理

課長

代理

代理

代理

代理

代理

主任

主任

主任

主任

主任

主任

=58

=41

=52

=50

=33

=46

=34

=28

=28

=29

=31

=10

=9

=21

=21

=22

=4

=6

=6

役職

主事

主事

所代

主事

所代

主事

課代

主事

課代

課代

所代

所代

所代

主任

主任

主任

62

資格

代理

課長

代理

代理

代理

代理

代理

課長

代理

代理

代理

代理

代理

主任

主任

主任

主任

主任

主任

=59

=43

=53

=51

=34

=47

=35

=30

=29

=30

=34

=12

=11

=23

=22

=24

=5

=9

=8

役職

主事

主事

所代

主事

所代

主事

課代

主事

課代

課代

所代

所代

所代

主任

主任

主任

63

資格

代理

課長

代理

代理

代理

代理

代理

課長

代理

代理

代理

代理

代理

主任

主任

主任

主任

主任

主任

=60

=47

=54

=53

=36

=49

=36

=32

=31

=32

=35

=15

=13

=25

=24

=26

=6

=12

=10

役職

主事

主事

所代

主事

所代

主事

課代

主事

課代

課代

所代

所代

所代

主任

主任

主任

平成元

資格

代理

課長

代理

代理

代理

代理

代理

課長

代理

代理

代理

代理

代理

主任

主任

主任

主任

主任

主任

=61

=49

=55

=55

=38

=50

=37

=34

=33

=34

=36

=17

=15

=27

=26

=28

=7

=15

=11

役職

主事

主事

所代

主事

所代

主事

課代

主事

課代

課代

所代

所代

所代

主任

主任

主任

〃2

資格

代理

課長

代理

代理

代理

代理

代理

課長

代理

代理

代理

代理

代理

主任

主任

主任

主任

主任

主任

=62

=49

=56

=56

=39

=51

=38

=36

=35

=35

=37

=19

=18

=29

=28

=30

=8

=18

=12

役職

主事

主事

所代

主事

所代

主事

課代

主事

課代

課代

所代

所代

所代

主任

主任

主任

主任

〃3

資格

代理

課長

代理

代理

代理

代理

代理

課長

代理

代理

代理

代理

代理

主任

主任

主任

主任

主任

主任

=63

=51

=57

=57

=40

=52

=40

=38

=37

=36

=40

=21

=21

=31

=30

=33

=9

=21

=13

役職

主事

主事

所代

主事

所代

主事

所代

主事

課代

課代

所代

所代

所代

主任

主任

主任

主任

別表11

年度

支給月

甲野

乙山

丙田

丁川

戊野

己山

庚田

辛川

壬野

癸山

東野

西山

南田

北川

春野

夏山

秋田

冬川

寅野

昭和56

賃金

D

D

D

D

E

C

E

C

D

D

C

C

C

C

C

C

E

D

C

賞与6

D

E

D

D

E

C

E

C

D

E

C

〃12

D

E

D

D

E

C

D

C

D

E

D

〃3

D

E

D

D

E

C

D

C

E

D

D

D

C

D

D

C

E

D

C

57

賃金

D

E

D

D

E

C

D

C

E

D

D

D

C

D

D

C

E

D

C

賞与6

D

D

D

D

E

C

E

D

E

D

C

〃12

D

E

D

D

E

C

E

D

E

E

D

〃3

D

D

D

E

E

E

E

E

E

D

C

C

C

D

D

C

D

D

D

58

賃金

D

D

D

E

E

E

E

E

E

D

C

C

C

D

D

C

D

D

D

賞与6

D

D

D

E

E

D

E

E

D

E

C

〃12

D

E

D

E

E

D

E

E

E

D

C

〃3

D

E

E

E

E

E

E

E

E

E

C

E

D

D

D

D

D

D

D

59

賃金

D

E

E

E

E

E

E

E

E

E

C

E

D

D

D

D

D

D

D

賞与6

D

E

E

E

E

E

E

E

E

E

C

〃12

E

D

E

E

E

E

D

E

E

D

C

60

賃金

E

E

E

E

E

E

E

D

D

D

C

E

D

D

D

E

D

E

D

賞与6

E

E

E

D

E

E

E

E

D

D

D

D

C

E

E

D

〃12

E

D

D

D

E

E

E

E

D

D

D

E

C

E

D

E

D

E

昭和61

賃金

E

D

C

D

D

D

D

E

D

D

C

C

C

D

E

E

D

D

D

賞与6

E

D

D

D

D

E

D

E

D

D

C

D

D

E

E

E

D

E

〃12

E

D

D

E

E

D

E

E

D

D

C

D

D

E

D

D

E

C

D

62

賃金

E

E

E

E

E

E

E

E

E

E

C

D

D

D

D

D

E

C

D

賞与6

E

D

E

E

E

E

E

E

E

E

C

C

D

D

D

C

E

C

D

〃12

E

D

E

D

D

D

E

E

D

D

E

C

E

E

D

C

E

C

D

63

賃金

E

E

E

D

D

E

E

E

D

D

E

C

D

D

D

D

E

C

D

賞与6

E

E

D

D

E

E

E

E

D

D

E

C

E

D

D

C

D

C

D

〃12

D

E

E

E

E

D

E

E

D

D

E

D

D

D

D

D

E

C

D

平成元

賃金

E

E

E

D

D

E

E

E

D

D

E

D

D

D

D

D

E

C

E

賞与6

E

E

E

E

E

E

E

E

D

D

E

C

C

E

D

D

E

C

E

〃12

E

E

E

E

E

E

E

E

D

E

E

D

E

E

D

E

C

E

2

賃金

E

E

E

E

E

E

D

E

D

E

E

D

C

D

D

D

E

C

E

賞与6

E

E

E

E

E

E

E

E

D

E

E

C

B

E

E

C

E

C

E

〃12

E

E

E

E

E

E

E

E

D

E

E

C

B

D

E

C

E

C

E

3

賃金

E

E

E

E

E

E

D

E

D

E

E

D

C

D

D

C

E

C

E

賞与6

E

E

E

E

E

E

E

E

D

E

E

C

B

D

E

C

E

C

E

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