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東京地方裁判所 平成11年(ワ)12347号 判決 2002年9月03日

原告

甲野花子

原告

乙山一郎

原告ら訴訟代理人弁護士

菅沼友子

金久保茂

被告

エスエイピー・ジャパン株式会社

同代表者代表取締役

丙川二郎

被告

丁原三郎

被告ら訴訟代理人弁護士

三木茂

井口加奈子

吉田正夫

主文

1  原告らの懲戒解雇無効確認の訴えをいずれも却下する。

2  被告エスエイピー・ジャパン株式会社は,原告乙山一郎に対し,118万4094円及び内金50万1094円に対する平成11年2月25日から支払済みまで年14.6パーセントの割合による金員,内金68万3000円に対する同年4月28日から支払済みまで年6パーセントの割合による金員を支払え。

3  被告らは,連帯して,原告甲野花子に対し55万円及びこれに対する平成11年6月19日から支払済みまで年5パーセントの割合による金員,原告乙山一郎に対し55万円及びこれに対する平成11年6月19日から支払済みまで年5パーセントの割合による金員を支払え。

4  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

5  訴訟費用は,これを20分し,その2を被告エスエイピー・ジャパン株式会社の,その1を被告丁原三郎の,その2を原告乙山一郎の,その余を原告甲野花子の負担とする。

6  この判決は第2及び3項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第1請求

1  被告エスエイピー・ジャパン株式会社(以下「被告会社」という。)が平成11年5月11日付けの書面をもって原告らに対してなした懲戒解雇が無効であることを確認する。

2  被告会社は,原告甲野花子(以下「原告甲野」という。)に対し,70万0587円及びこれに対する平成11年2月25日から支払済みまで年14.6パーセントの割合による金員を,原告乙山一郎(以下「原告乙山」という。)に対し,129万3855円及び内金61万0855円に対する同年2月25日から支払済みまで年14.6パーセントの割合による金員,内金68万3000円に対する同年3月8日から支払済みまで年6パーセントの割合による金員を支払え。

3  被告らは,連帯して,原告甲野に対し,2400万円及び内金400万円に対する平成11年6月19日から支払済みまで,内金2000万円に対する平成13年9月8日から支払済みまで,各年5パーセントの割合による金員,原告乙山に対し,400万円及びこれに対する平成11年6月19日から支払済みまで年5パーセントの割合による金員を支払え。

4  被告らは,「原告らを懲戒解雇した。原告らが不正行為をした。」等,原告らの名誉・信用を毀損する文言を用いた文書のファクシミリ送信,電子メール送信,電話その他原告らの名誉・信用を毀損する一切の行為をしてはならない。

5  被告らは,原告らに対し,別紙記載の謝罪文を,被告会社のインターネット上のホームページに1か月間掲載せよ。

6  訴訟費用は被告らの負担とする

7  第2項,第3項及び第6項について仮執行の宣言

第2事案の概要

1  本件は,被告会社の従業員であった原告らが,被告会社の平成11年5月11日付け書面による同年4月30日付け懲戒解雇の意思表示は無効であると主張して,被告らの関係でその確認を求め,これに対し被告らが確認の利益なしとして却下を申立て,被告会社に対し,原告甲野が未払賃金70万0587円及びこれに対する平成11年2月25日から支払済みまで賃確法による年14.6パーセントの遅延損害金,原告乙山が未払賃金61万0855円及びこれに対する平成11年2月25日から支払済みまで賃確法による年14.6パーセントの遅延損害金と退職金68万3000円及びこれに対する同年3月8日から支払済みまで年6パーセントの割合による遅延損害金,被告らに対し,共同の不法行為による損害賠償として,連帯して,原告甲野が2400万円(慰謝料400万円,逸失利益2000万円)及び内金400万円に対する平成11年6月19日(不法行為後の日)から支払済みまで,内金2000万円に対する平成13年9月8日(不法行為後の日)から支払済みまで,各年5パーセントの割合による遅延損害金,原告乙山に対し,慰謝料400万円及びこれに対する平成11年6月19日(不法行為後の日)から支払済みまで年5パーセントの割合による遅延損害金の支払,今後の名誉信用毀損行為の差し止め,謝罪広告を求め,被告らが,後に原告らが請求を拡張した原告両名の慰謝料のうち100万円と原告甲野の逸失利益2000万円,謝罪広告につき訴え変更要件がないとして却下を申立てた事案である。

2  争いのない事実等(末尾記載の証拠等により容易に認定できる事実を含む。)

(1)  被告らの地位

被告会社は,コンピュータソフトウェ(ママ)アの開発,販売並びに保守等を目的とする株式会社であり,被告丁原は,平成5年ころから平成11年10月1日まで被告会社の代表取締役であった。同被告は同月代表取締役及び取締役を辞任した。(<証拠略>,弁論の全趣旨)

(2)  原告らの地位

原告甲野は,平成9年7月に被告会社に入社し,マーケティング本部長の地位にあった。原告乙山は,平成6年10月1日に被告会社に入社し,ソリューション・マーケティング担当ラインマネージャーの地位にあった。

(3)  原告らによる退職の意思表示

原告甲野は,平成11年2月9日付け同月12日到達で被告に退職届を提出し,原告乙山は,平成11年2月12日付け,13日到達で被告に退職届を提出した。

(4)  被告会社による懲戒解雇の意思表示

被告会社は原告らに対し,平成11年5月11日付け内容証明郵便で,被告の「EXPENSE CLAIM GUIDELINES」等に違反して水増し請求等の不正な経理処理を行い,会社に損害を与えたとして,就業規則第64条6号に基づき,4月30日付けで懲戒解雇する旨の通知をし,原告甲野には5月18日に,原告乙山には同月12日にそれぞれ到達した。

(5)  年次有給休暇中の賃金請求

原告らが退職届を提出した時点で,原告甲野は28日,原告乙山は30日の有給休暇が未消化となっていた。

被告会社は,原告らに対し,2月分賃金(当月末日締めの当月24日支払)の内原告ら主張の有給休暇分に相当する部分を支払っていない。その金額は以下のとおりである。

原告甲野については,基本給月額110万円であったところ,2月分賃金として支給されたのは金39万9413円であるから,金70万0587円が未払いである。原告乙山については,基本給月額91万8000円であったところ,2月分として支給されたのは金30万7145円であるから,金61万0855円が未払いである。

(6)  原告乙山の退職金請求について

被告会社の退職金規程によると,原告乙山は(3)の退職により68万3000円の退職金請求権を取得する。

被告会社退職金規程(<証拠略>)7条は「懲戒解雇の場合は退職金を支給しません。けれど,諭旨解雇の場合は退職金を減額して支給することがあります。」と定めている。

原告乙山は被告会社に対し,平成11年2月26日付け内容証明郵便で,退職金請求をし,同年3月1日に到達した。しかし,被告会社は,右郵便到達後7日間経過した同年3月8日後も,原告乙山が被告会社に支払う必要のない金員の支出を行わせしめ,被告会社に金641万3159円の損害を生じさせ,また被告会社と取引関係にある会社との関係を悪化させたのであり,これらは,原告乙山の長年の勤続の功を抹消してしまう程の重大な背信行為であるなどとして,この支払を拒んでおり,現在に至っている。

(7)  加害行為について(以下「争いのない加害行為」という。)

(ア) 被告会社は原告らに対し,「不正な経理処理があった」として退職を認めない態度を取り,雇用保険上の離職票及び健康保険の脱退証明の交付をせず,また5月中旬まで年金手帳の返還をしなかった。

(イ) 被告丁原は,平成11年4月中旬頃に被告会社内で行われた50人規模のミーティングにおいて,「甲野が不正行為を行った。何百万円かの金額を私用に供した。」と公言した。

(ウ) また,被告会社は,原告らに懲戒解雇通知を行った5月11日,被告会社内の電子メールにおいて,原告らを懲戒解雇した旨のメールを社員約1100名(<証拠略>)全員に送信した(<証拠略>)。

3  争点

(本案前の主張について)

(1) 懲戒解雇無効確認(請求の趣旨1項)の利益の存否

(2) 訴えの追加的変更の可否

原告らの慰謝料の内各100万円と原告甲野の2000万円の逸失利益(請求の趣旨3項)及び謝罪広告(請求の趣旨5項)は,従来の請求を基礎付ける事実とは別個の新たな事実である後記(本案の主張について)(3)(ア)ⅰ,(イ)ⅱの事実に基づく請求であり,請求の基礎の同一性を欠くから変更の不許を求める。また,現時点でこれらの審理をすることは訴訟手続を著しく遅滞させるから変更は許されない。

(本案の主張について)

(1) 未払賃金について

(ア) 有給休暇取得の意思表示の有無

(原告の主張)

原告らは,被告会社に退職届を提出するにあたり,残っている有給休暇を取得する旨の意思表示をした。

(被告の反論)

原告乙山からは有給休暇届出書(<証拠略>)が提出されているが,同時に,退職届日をもって退職する旨の退職届(<証拠略>)を提出しているため,有給休暇取得の意思表示がなされたものとは認められない。

(イ) 賃金額の計算方法(原告の主張)

平成11年2月は,所定労働時間全部について就労ないし有給休暇を取得したから,1か月分賃金全額を請求できる。

(2) 原告乙山の退職金請求について

(ア) 被告会社退職金規程(<証拠略>)7条所定の「懲戒解雇の場合」が,「懲戒解雇手続が取られた場合」なのか(原告の主張),「懲戒解雇事由が存在する場合」なのか(被告の主張)。なお,就業規則第62条(<証拠略>)にも同趣旨の規程がある。

(イ) 懲戒解雇事由の存否

後記(3)(エ)のⅰ(懲戒解雇事由の存在)のとおり

(ウ) 退職金請求が権利濫用か。

(被告の主張)

上記(イ)の行為は,原告乙山の長年の勤続の功を抹消してしまう程の重大な背信行為であるから,退職金請求は権利濫用である。

(原告の主張)

後記(3)(エ)ⅰ(懲戒解雇事由の不存在)のとおり。

(3) 不法行為の成否

(ア) 加害行為の存否

ⅰ 原告甲野は,平成13年1月15日,米国ボストンに本社のあるF社に日本法人のマネージング・ディレクター(代表取締役社長)として採用されることが決まっていたところ,被告らは,F社やヘッドハンターの原告甲野に関する問い合わせに対し懲戒解雇となっていること等を述べた(以下「F社等への告知行為」という。)(原告甲野の主張)。

ⅱ 被告らは,平成11年5月17日R社からの原告甲野に関する照会に対し,懲戒解雇した旨告知した(<証拠略>)(以下「R社への告知行為」という。また,上記ⅰと合わせて「F社等及びR社への各告知行為」という。)(原告甲野の主張)。

ⅲ 争いのない加害行為(ア)ないし(ウ)は被告らが共同して行った(加害行為全体を単に「被告らの加害行為」という。)(原告らの主張)。

(イ) 結果の発生及び因果関係(原告らの主張)

ⅰ 慰謝料関係

被告らの加害行為により,原告らは名誉信用を毀損され,又は,退職手続が取られるまで2か月以上に亘って転職先での正式な業務開始を阻まれ,転職先での業務を著しく阻害されたり,転職の機会が奪われるなど,転職を妨害された。具体的には,最初の転職先であるO社内での原告らの業務が著しく阻害され,及び原告甲野についてF社への転職ができなかったことなど転職の機会が奪われた。

ⅱ 原告甲野の逸失利益関係

被告らの加害行為により,原告甲野は,平成13年2月8日F社から契約見直しの申し入れ及び雇用は非常に困難である旨の通告をうけ,結局前記就職の機会を断念せざるをえないこととなった。同社の年俸はボーナスを除いて2000万円であった。当時の勤務先については,以前から被告らの加害行為によって勤務しづらい状況が続いていたうえ,F社への就職を前提に既に退職を願い出ていたため,同年7月31日をもって退職せざるをえなくなったが,その後も別の会社で同様にいったん決まった就職が解約されるなどし,未だに就職ができないでいる。

(ウ) 被告らの故意又は過失等(原告らの主張)

被告らは各加害行為をなす際にその行為によって原告らの転職を妨害し,長期にわたりその名誉信用を毀損することを認識し,それを意図して一連の加害行為を行った。これらの加害行為は,当時被告らのかかえていた粉飾決算,架空計上等の実情が原告らによって競業会社等に知られることをおそれ,それを抑(ママ)え込もうという動機に基づくものであり,そのために原告らの転職先での立場を悪化させ,さらに名誉信用を毀損して社会的に葬り去ろうして,一連の行為を行っているものである。よって,これらは全体として一個の不法行為を構成する。

(エ) 加害行為の適法性等

(被告らの主張)

ⅰ 懲戒解雇事由の存在

<1> 原告らは,平成10年7月10日にホテルN(以下「ホテル」という。)で開催された被告会社のジェネラル・ミーティングに関して,ホテルの営業担当者A(以下「A」という。)に対して,マーケティング本部の従業員の今後の宿泊利用分にあてるとして,被告会社に対する上記ミーティングにかかる請求に対して金46万7760円を水増し請求させ,被告会社に右金額を支出させ,被告会社の管理を受けない金員を作出し,自らの管理下においた。

<2> 原告らは,平成10年11月20日にホテルで開催された被告会社のバンキング及びプロセスセミナー及び同月27日に同所で開催された被告会社のデベロッパーズ・カンファレンスに関して,Aにそれぞれ金100万円及び金280万円の水増し請求を強要し,被告会社に右金額を支出させ,被告会社の管理を受けない金員を作出し,自らの管理下においた。

<3> 原告らは,平成10年10月13日にホテルで開催されたI社とのパートナーシップ・フォーラムに関して,被告会社よりホテルに対して支払われた代金の半額金214万5399円について,ホテルに対して,預り金処理とすることを強要し,よって,被告会社の管理を受けない金員を作出し,自らの管理下においた。

<4> 原告らは被告会社に対し,<1>ないし<3>の違法行為により合計641万3159円もの損害を与え,また,取引先を違法行為に巻き込む重大な犯罪行為であり被告会社の信用を著しく損なったから,原告らの行為は就業規則64条6号「故意で会社に重大な損害を与える行為」に該当する。

<5> 被告会社のガイドラインでは,従業員が業務上ホテルに宿泊する場合には,副社長もしくはそれより上位者の事前承認がある場合を除き,各自で負担し,事後に被告会社に請求して精算することとなっているところ,原告らは,これらの手続きを経ることなく,ホテルに預り金処理された上記金員のうち少なくとも金123万9113円を,別表<略>記載のとおり費消し,不正に被告会社の金品を使用したから就業規則64条5号及び12号に該当する。

ⅱ 原告らの辞職と懲戒解雇処分の関係

<1> 懲戒解雇までの経過

被告会社は,上記事実関係を調査,確認のうえ,原告らの聴聞手続を経た上で,懲戒解雇処分を行う予定でいた。ところが,原告らはこのような被告会社の動きを察知して,退職届を郵送して退職の効力発生まで行方を眩まし,被告会社から連絡が取れなくした(<証拠略>)。その後原告らとは代理人を通じて連絡が取れるようになったが,上記事実関係について説明をしなかった。そのためやむを得ず,被告会社は,平成11年4月30日付けで原告らを懲戒解雇処分とすることとし,平成11年5月11日社内メールにてその旨社内で告知した。懲戒解雇処分が社内的に決定された後は,被告会社は,速やかに年金手帳を原告らに返還し,平成11年6月16日には,原告らの雇用保険被保険者資格喪失確認手続を終了している。

<2> 被告会社の退職手続とその判断

被告会社の退職手続に関する規定は就業規則44条ないし46条のとおりであり,被告会社は,これらの規定に基づいて,上記経過の本件の場合には辞職の効力は生じず,有効に懲戒解雇処分ができると判断した。

ⅲ 争いのない加害行為(ア)の責任阻却事由

ⅱのとおり被告会社は辞職の効力は生じず,被告会社社員の地位を有していると判断したため手続をしなかったもので,転職妨害等の目的はなく,仮に辞職の効力が生じたと判断される場合でも,被告会社がそのように判断したことに過失はない。

ⅳ 争いのない加害行為(イ),(ウ),R社への告知行為の必要性,相当性

原告らには,前述したように懲戒処分事由があり,これを業務上必要な範囲で告知等する行為は違法性を有しない。仮に,懲戒解雇処分が違法であったとしても,上記のとおり被告会社がこれを有効と信じ,そのことに相当の理由があるから,責任が阻却される。個別行為の必要性及び告知範囲・方法等の相当性は以下のとおりである。

<1> 社内メールについては,被告会社において,原告らに対する懲戒解雇処分が決定され,これを社内において通知する必要があったからである。社内メールによる通知は,社内人事を通知する方法として被告会社が採用している方法であり,通知内容も懲戒解雇の理由を何ら示すものでもなく,社会的相当性を有するといえ,社内メールにて懲戒解雇処分を通知すること自体何ら違法性はない。また,被告会社が,社外に転送されることを意図して当該メールを送信して,原告らの転職妨害を行ったことはない。

<2> 社内ミーティングでの被告丁原の発言については,原告らの不正行為の処理を協議するための発言であり正当な業務行為である。

<3> R社からの照会に対する回答については,原告らが同社に対し,被告会社が業務上横領があったとして懲戒解雇の社内メールを出すなどした旨のクレームを行ったことから,同社が被告会社に問い合わせをしてきたことに答えたものである。

(原告らの反論)

ⅰ 懲戒解雇事由の不存在

上記<1>ないし<3>によって作られた預り金は,全て被告会社の経理部に報告されているもので,「不正」ではない。仮に経理部が「預り金」として計上していなかったとしても,原告らは経理部がそのような扱いをしているのを知らなかった。実際,いずれの場合も処理は,すべて原告甲野から上司であるマーケティング部担当のバイスプレジデントに申請され,バイスプレジデントによって予算に対する相当性の確認がなされた後,バイスプレジデントから経理部に申請され,経理仕訳と支払手続に必要な書式に関する確認がなされている。また,「預り金」の用途も残業宿泊,業務上の施設利用費等の業務目的に限られ,その利用の方法も,その都度上司の承諾を得るといった通常のガイドラインどおりの手続がなされており,適正に管理されていた。

ⅱ 相当な理由の不存在

被告らは,平成11年2月初旬には既に代理人弁護士らに本件に関する相談を行っており,辞職の効力発生後は懲戒解雇処分ができないこと,及び退職手続の遅延が労働基準法に違反する違法な行為であることを十分認識していた。また,在職期間中に全ての調査を完了していた。

ⅲ 被告らの適法性等の主張全体に対する原告らの反論

被告らの本件加害行為は,原告らの競業他社での業務を阻害しようというにとどまらず,当時被告らの抱えていた粉飾決算・架空計上等の実情を原告らが熟知していたため,原告らからその情報が広がることを恐れ,圧力をかけ,原告らの転職先での立場を悪化させ,さらに名誉信用毀損を行って社会的に葬り去ろうというものであって,その動機は極めて悪質である。また,加害行為の態様も被告会社で経理部の了承のもとで行われていた経理処理を「不正経理」として問題をねつ造し,既に雇用関係が終了している原告らを「懲戒解雇処分」に処したとしてその情報を広げ,犯罪者扱いする,というもので悪質極まりない。

(4) 損害額

(ア) 慰謝料額

(イ) 原告甲野の逸失利益の存否と金額

(5) 名誉信用毀損行為の禁止等の必要性

(ア) 反復継続の可能性

被告らは,社員に対して原告らが懲戒解雇されたという虚偽の情報を流すことによって,原告らに重大な不祥事があったのではないかとの疑念を社員に抱かせ,社員の中での原告らの評価や信用を失墜させ,さらに社員を通して社外の業界関係者に原告らの悪評が伝播することを意図した。これは,粉飾決算や架空計上という被告らの不祥事の情報隠蔽のため,それらを熟知している原告らの名誉や信用を長期にわたって毀損し,同人らを社会的に葬り去ろうという動機に基づくものである。

(イ) 回復不可能な損害の恐れ

被告らの原告らに対する名誉毀損・信用毀損の行為が続くならば,原告らが業界内での評価を著しく傷付けられ,取引先の信頼を失い,事実上仕事を続けることができなくなり,回復不可能な損害を被る恐れが高い。

(ウ) 謝罪広告の必要性

原告らが使い込み等の不正を行い被告会社を懲戒解雇となったこと,及びそれが刑事問題にまでなっているとの情報は,既に業界内に相当程度広く知れわたっている。また,被告らはその後も原告らの転職予定先会社やヘッドハンターなどの問い合わせに対し,原告らを懲戒解雇したこと等を述べたり,業界関係者に公言するなどしている。これらによって,原告らの名誉・信用は大きく毀損されており,今後も前記情報が一人歩きし,さらに伝搬(ママ)していくことが容易に予想される。このような被害を回覆(ママ)するためには謝罪広告が是非とも必要である。特に,本件懲戒解雇が被告会社の社内メールを使って伝播した可能性が高いこと,名誉毀損情報が広がっているのがIT業界であることを考えると,その謝罪文掲示の方法としては被告会社のインターネット上のホームページに掲載することが最も適切である。

第3当裁判所の判断

1  原告らの懲戒解雇無効確認の訴えの適法性(確認の利益)

確認の訴えの対象は,原則として現在の権利又は法律関係の存否であり,例外として,過去の基本的な法律関係により生じた法律効果について現在の紛争が存在し,その直接的抜本的な解決のためには過去の基本的な法律関係を確認することが最も適切かつ必要であると認められる場合は,確認の利益を認めることができる。

ところで,本件懲戒解雇処分は過去の法律関係であるところ,本件において,原告らはいずれも被告会社を既に退職しており,原告ら・被告会社間の雇用契約に基づく権利又は法律関係というものは本訴で請求されているものを除き基本的に終了しているから,その無効であることの確認につき上記のような関係の存在を認めることはできない。

この点原告らは,被告の懲戒解雇メールその他の誹謗中傷によりその内容が真実なものとして業界内に影響していること,被告が現在でも本件懲戒解雇処分を有効なものとして扱い,これを第三者に告知していることから,原告らは現在も不正をして懲戒解雇されたといわれて就職等において不利益を被っており,このような事態を抜本的に解決するには本件懲戒解雇処分の無効を確認する必要があると主張する。しかし,これらは本件懲戒解雇処分ないしその後の被告の行動から事実上生じた社会生活上の不利益にすぎず本件懲戒解雇処分の無効を確認することによって当然に解決されるというものではないから,やはり上記のような関係の存在を認めることはできない。

したがって,原告らの懲戒解雇無効確認の訴えには確認の利益がなく不適法であるから,これを却下すべきである。

2  未払賃金について

(証拠略)によれば,原告乙山が被告会社に対し有給休暇取得の意思表示をしたことが認められる。被告会社は,同原告が同時に直ちに退職する旨の退職届を提出していることを指摘するが,(証拠略)によれば被告会社は同原告が有給休暇取得の意思表示を行い,平成11年2月15日まではこれを有効に取得したことを自認していること,被告会社が原告らの即時退社を承諾した事実はなく,14日経過後に退職の効力が発生することに照らして,原告乙山の合理的意思を解釈すれば,退職の効力が発生する14日後までは有給休暇を取得する旨の意思表示であると解することができる。被告会社の反論は採用できない。

他方,原告甲野は,有給休暇届出書を提出することなく,即日退職とする退職届を提出している(<証拠略>)。その他,原告甲野から被告会社に同意思表示がなされたことを認めるに足りる証拠はない(<証拠略>)。

賃金額については,原告らは所定労働時間労働した場合に支払われる通常の賃金を請求するが,使用者は平均賃金を支払うことで足りるのであるから,原告乙山の2月分賃金の未払額は下記のとおりの金額となる。

91万8000円(基本給)×3÷92×27日(退職日までの日数)-30万7145円(既払額)=50万1094円

3  原告乙山の退職金請求について

(一)  被告会社退職金規程所定の「懲戒解雇の場合」とは,その文言上「懲戒解雇手続が取られた場合」を意味すると解するのが相当である。これを覆すだけの証拠はない。

(二)  後記4(二)エ(1)のとおり,同原告には懲戒解雇事由が存し,かつ,被告会社は,同原告に対し,平成11年2月16日,不適切な経理処理について調査中であるため,その終了まで自己都合退職は認められない旨通告していること(<証拠略>)が認められるが,後記4(二)エ(4)の事情に鑑みると,未だ本件退職金請求が権利濫用となるとは認められない。

(三)  よって,原告乙山の退職金請求は理由がある。ただし,遅延損害金の起算日については,被告会社退職金規程(<証拠略>)8条により退職日から2か月後であるから,平成11年4月28日となる。

4  不法行為について

(一)  本案前の主張について

追加された請求に関する請求原因は新たな事実ではあるが,その抗弁等に関する主張は従前の請求と同一のものであり,全体として見れば,一連の共通の事実関係に基づくものということができ,従前の主張と同時に審理・判決することが相当であるから,請求の基礎の同一性を欠くものではない。また,その審理によって訴訟手続を著しく遅滞させることもない。よって,同訴えの変更は適法である。

(二)  本案について

ア 加害行為の存否

(1) F社等への告知行為

ⅰ この点に関する経過として次の事実が認められる(前記争いのない事実等,<証拠略>)。

原告甲野は平成13年1月15日同社から採用通知を受け,同年2月15日から勤務を開始することになっていた,原告は採用通知のころ原告乙山を同社に採用するよう求めた。通知後原告甲野は,同社の日本における営業スタッフとのミーティング・スケジュールを調整しようとしたが,拒否ないし空き時間にしか応じられないとの回答であった。同原告がそのことなどを同社のバイスプレジデントであるBに連絡したところ,1月24日同人から相互に学習と妥協が必要であるとの趣旨の回答があった。その後2月初旬に同社の担当者から同原告に対し,日本のIT関連の会社2社の役員から,同原告が被告会社在職中に金銭上の不正を行って懲戒解雇され,その件で刑事事件になっていると聞いたとして,事実関係の照会をし,原告は事実を否定したが,担当者は2社は信頼のできるクライアントであり,真相はともかく噂が広がっていることが問題だと述べた。その後間もなく,ヘッドハンターから同社との契約見直しの申し出があり,結局雇用契約を解約することになった。原告はヘッドハンターに見直しの理由を尋ねたがあいまいな回答をしていた。被告丁原は既に平成11年10月で被告会社代表取締役及び取締役を辞任している。被告会社は平成13年5月時点でF社等への告知行為を否定している。

ⅱ そして,原告甲野は,ヘッドハンター及び知人から被告らがF社ないしヘッドハンターに懲戒解雇にした事実などを告知したと聞いたと述べている(<証拠略>,原告本人)。しかし,それはいずれも又聞きであり,しかも同原告がそのような話を聞いた状況,原供述がなされた状況も必ずしも具体的に明らかになされておらず,直ちに採用できないものといわざるを得ない。かつ,上記認定の事実からしても,必ずしも同原告の主張を裏付けるものとはいい難い。よって,この点に関する同原告の主張は採用しない。

(2) R社への告知行為

ⅰ この点の経過は次のとおりである(<証拠略>及び弁論の全趣旨)。

原告甲野は,R社の求人情報トラブルホットラインに対し,平成11年5月17日,被告会社から横領背任だと言いふらされ,懲戒解雇と社内メールで流されるなどしたと主張して,被告会社に対する事実関係の確認を要請した。これに応えて同社は被告会社人事担当ディレクターC(以下「C」という。)に対し,同原告から上記主張があったことを伝え,事実関係を確認した。これに対しCは,同原告が不正行為を働き懲戒解雇したことは事実である,現在弁護士を立てて話し合い中であると述べた。

ⅱ このような場合,R社は既に被告会社が上記主張をしていると認識し,被告会社がそれが事実であると主張するであろうと予想するのが通常であり,また,それが事実であるかどうかについては同原告からの依頼により同原告は事実ではないと主張していることを認識しているのであるから,被告会社の回答により,R社の原告に対する社会的評価を新たに低下させたとはいえない。よって,この点に関する同原告の主張は採用しない。

(3) 争いのない加害行為(ア)ないし(ウ)への被告らの共同について

当時被告丁原は被告会社の代表取締役であったところ,原告らの地位及び不正経理を原因とする懲戒解雇処分という事案の重大性に照らしてその処遇については同被告が直接指示を行ったと見るのが自然であり,現に(イ)は被告丁原自身が行っているのであるから,これらの行為について被告らは共同して行ったと推認することができる。

イ 結果の発生及び因果関係

(1) 慰謝料関係

原告らは平成11年3月にはO社に就職していたものの(弁論の全趣旨),被告らの争いのない加害行為(ア)ないし(ウ)により,名誉信用を毀損され,又は,退職手続が取られるまで2か月以上に亘って転職先で不安定な立場におかれ,また,同社から他社に転職するについて何らかの不利益を被るおそれのある不安な状態におかれている(両原告本人)。

しかし,原告甲野がF社への転職ができなかったこととの間の因果関係については,前記の事実から被告らの争いのない加害行為(イ),(ウ)が何らかの影響を与えた可能性はあると考えられるが,これらがなければF社への転職ができたであろうと認めるべき的確な証拠はない。また,その他原告らがこれらによって具体的に転職の機会が奪われたことを認めるに足りる証拠はない。

(2) 原告甲野の逸失利益関係

以上述べたとおり,同損害と争いのない加害行為(ア)ないし(ウ)との間には,因果関係が認められず,その他の主張については名誉毀損の不法行為の成立が認められない。

ウ 被告らの故意又は過失等

(1) 本件懲戒解雇に至る経緯として次の事実が認められる。

(ア) 被告会社における売上げの架空計上

IT業界では業績の好調な会社が見込みによる売上げの架空計上をすることは常識に属するが,平成10年ころ,被告会社では今後の売上げの伸びでカバーしうる額を大幅に超える多額の売上げの架空計上があり,そのことやそれによる被告丁原ら経営陣の責任問題が業界関係者の間で取り沙汰されていたところ,同年11月1日,そのことを具体的に指摘した怪文書が被告会社の取引先に送付される事態となり,翌2日原告甲野は同怪文書に関する対応を行うよう指示された。また,被告会社は会計基準の変更もあり平成10年度末において架空売上げの計上を是正しなければならなくなり,同年度は売上げが著しく低迷した。しかし,翌年度には業績を回復するものと期待されていた。

(<証拠略>,弁論の全趣旨)

(イ) 原告らの処遇

原告甲野に対しては,平成10年末ころ,マーケティング本部長から営業推進管理への異動が打診され,またD取締役から営業統括副本部長という話もあったが,原告甲野はこれを断った。そして,平成11年1月20日には,同日Cから同原告に対し,概ね,同原告の従来の成果が評価できないものであること,具体的には他とのコミュニケーションに問題があることから,被告会社の決定としてマーケティング本部長から人事部付きに異動させることになった,11年1月1日付けでマーケティング本部担当バイスプレジデントに就任したE(以下「E」という。)に対し同月中に業務の引継をすること,その後の仕事についてはCが相談に乗るが,同人の判断としては被告会社において同原告にふさわしい別の仕事を探すことは難しい,今後の進路について検討して欲しいと告げた(<証拠略>)。

原告らは2月16日付けでマーケティング本部における役職が解かれ人事部付きに異動となった(<証拠略>)。

(ウ) 原告らの不正経理問題の発覚

マーケティング本部内の経理担当をしていたFは,平成11年1月末ころホテル関係の書類をEに提出し,同人はC及び最高財務責任者のGに報告し,三木弁護士と相談の上,調査を進め,2月上旬から中旬にかけて関係者の供述書を作成し,これに関与したのが原告らであると判断するに至った。2月10日には三木弁護士が原告乙山にホテルへの宿泊について説明を求めたところ,同原告は休み明けの12日に退職届の写しをEに持参し翌日から出社せず,原告甲野も2月9日まで出社したがその後は出社しなかった。被告会社は原告らに対し,2月16日付けで,不正経理問題の調査終了まで自己都合退職は認めないこと,2月19日に面接を行うので出頭すべきことを通知した。これに対し原告甲野は家庭の事情で大阪にいるので22日以降でないと出頭できない旨などの連絡があり,乙山からは連絡がなかった。被告会社は2月26日,事情聴取の上で処分を決定したいとして出社可能日を連絡するように求める通知をした。結局原告らは出頭しなかった。(<証拠略>)

(エ) 原告乙山の機密漏洩疑惑

原告乙山は,マーケティング本部の作成する月次報告書において業務として売上げ実績のデータ集計と分析を担当していたところ,平成11年1月中旬ころ前年度売上げの最終集計を行い,これにより前年12月末に異常に多額の損金を計上していることが判明した。その後,被告会社において,同原告がそのデータをMO(電子記憶媒体)に保存して所持していたことが問題とされ,2月4日同原告は被告会社法務担当のHから事情聴取を受けたが,同原告が業務の必要により行ったことであると説明し,機密情報の取り扱いに注意しこれをオフィス外に持ち出さないと約束したことにより,その後この点が問題とされることはなかった。(<証拠略>)

(オ) 原告らの転職

原告甲野は2月9日付けで,原告乙山は同月12日付けで,それぞれO社と入社予定日を3月1日とする雇用契約書を作成した。これに先立って原告甲野は2月4日に,原告乙山は2月9日ころに同社の面接を受けた。(<証拠略>)。

同社は,被告会社と企業向け業務ソフトウェ(ママ)ア(ERP)分野で競合しており,被告会社が業界一位,同社が二位であるが,平成9年から11年にかけて同社が被告会社を追い上げる状況であった(<証拠略>)。

原告乙山は,3月8日付けで被告会社に対し退職手続を取り厚生年金手帳・雇用保険被保険者証等を送付することを求める書面を送付した(<証拠略>)。

被告らは遅くとも4月には原告らが同社に就職したことを知った(<証拠略>)。

(カ) なお,企業向け業務ソフトウエアの業界は,100名程度の幹部クラスの人間が複数の会社を異動しているという特殊な狭い社会であり,その中で原告らは,それまでの実績から高い知名度を有していた(<証拠略>)。

以上の事実が認められる。

これに対し,原告らは,上記(ウ)の発覚経緯について,証人Iの証言がEの陳述書の記載と矛盾することを指摘するが,証人Iは職務上原告らと密接な関係にあり不正経理問題に連座して懲戒処分を受けかねない立場にあるから,その供述内容は直ちに信用できない。また,Fの原告乙山に対する手紙は,上記認定と矛盾する内容が記載されているわけではない。その他上記認定を左右するだけの証拠はない。

(2) 原告らは,被告らが粉飾決算,架空計上等の実情が競業会社等に漏洩されることをおそれ,これを熟知する原告らを社会的に葬り去ろうとして懲戒解雇等の加害行為を行ったと主張し,原告らはこれを裏付ける事情があるとの趣旨の供述をする(陳述書及び本人尋問)。

確かに,機密情報を知りうる立場の幹部社員が競合会社に移籍することは好ましいことではないと判断されるであろうし,被告会社の売上げの架空計上は多額に上ることが窺える。しかし,架空売上げの問題は,金額の点を別とすれば業界の常識に属すること,被告会社の売上げの架空計上の実体は既に業界関係者に知られていたこと,架空売上げの問題は業績が好調であればある程度取り繕うことができるところ,平成11年度の被告会社の業績は回復するものと期待されていたことからすると,原告らが主張するほど被告らが重大な危機感をもっていたとは断定しがたい。また,漏洩の危険性という面からみても,原告らが移籍した競合会社に機密情報を漏洩し競合会社においてそれに基づいて何らかの具体的な行動に出れば,原告らが違法な漏洩行為を行ったことが明らかとなり,上記(カ)のとおり特殊な狭い業界においてはそのこと自体問題とされるであろうことから,退職勧奨に応じて退職し競合会社に就職する限りはそれほど機密情報の漏洩を危倶する必要はないと考えられること,任意退職し競合会社に就職した原告らを懲戒解雇すればかえって報復として機密情報漏洩のおそれがあること,これに対し仮に原告らが社会的に葬り去られたとしても,原告らが被告会社において幹部社員として勤務し機密情報を入手しうる立場であったことには変わりがないから,それによって機密情報漏洩による損害のおそれが減少することにはならないこと,その他,上記(カ)のとおりの状況で(イ)のとおり降格ないし事実上の退職勧奨を行えば,(オ)のとおりの結果となることは被告らにおいても容易に予想されるはずであり,それが現実のものとなったからといって一転して退職・移籍を阻止しようとすることは行動に一貫性がなく不自然であること,(エ)の問題については調査の結果特に問題がないとして処理されたこと,後記のとおり原告らに経理処理上不適切な行為があったこと,幹部社員の退職間際の時期に,同人の社内への影響力の消滅や身辺整理が引き金となって不正問題が急に発覚することは決して不自然なことではないこと,などに鑑みると,原告らの主張は採用できない。

したがって,被告らは争いのない加害行為を行うことによって原告らの名誉信用が毀損されたり,退職手続が遅れることに伴い転職上不便を生じることを認識し認識しうべきであったという限度では故意又は過失が認められるものの,それ以上に積極的な意図があったとは認められない。

エ 加害行為の適法性等

(1) 懲戒解雇事由の存在

証拠(<証拠・人証略>)及び弁論の全趣旨によれば次の事実が認められる。

(ア) 原告乙山は,Aに対して,平成10年7月9日,マーケティング本部の従業員の今後の宿泊利用分にあてる,ただし原告らを経由した予約によるとして,シングル一室の税,サービス料金込みで1万5592円の30室分合計46万7760円をデポジット(預り金)としたい旨,翌10日,当日ホテルで開催された被告会社のジェネラル・ミーティングの代金の請求に際し,利用明細書の宴会室料に上記預り金分を上乗せしこれを水増して欲しいとの趣旨の依頼をした。同人は上司のJ販売部部長(以下「J部長」という。),K経理部長と相談の上,ホテルの会計処理の基礎資料となる利用明細書に,売上げではない預り金を売上げである室料に水増し計上することは経理上できないことであるとして断った。そして,最終的には,営業担当者が顧客の利用後に利用実額を計上して後日日付を遡らせて作成する見積書(精算見積り)の宴会室料に上記預り金分を上乗せしこれを水増した(ママ)もの,これとは異なり宴会室料は水増しがなく上記預り金分は「室料ご予約金」として計上した利用明細書及び合計金額のみを記載した請求書を原告ら側に交付することで,双方合意した。ホテル側は,その方法であれば,ホテルの経理処理上は売上げではない預り金は預り金として計上し,売上げである室料に水増し計上することにはならないことから,ホテルとしては問題が小さく,被告会社に対する関係では正しい内容の利用明細書を添付することによって最終の利用内容としては正しい説明をすることになるとの判断から了解した。ホテルは上記合意のとおりの請求書等を原告乙山に交付し,原告甲野は,利用明細書をマーケティング本部に残し請求書及び精算見積書のみを添付して被告会社の経理部に提出し,被告会社は同金額を支出した。(<証拠略>)

(イ) 原告らは,Aに対し,同年11月20日にホテルで開催された被告会社のバンキング及びプロセスセミナー,同月27日に同所で開催された被告会社のデベロッパーズ・カンファレンスに関して,今年度の予算が余っているとして(ア)と同様の依頼をし,Aは前者につき100万円を,後者につき原告甲野からの可能な限り大きな金額をとの指示でJ部長と相談の上ホテルの基本宴会室料の限度額の280万円をそれぞれ預り金とし,その旨記載された利用明細書を付して,預り金分を各種料金に上乗せした精算見積書と合計金額のみを記載した請求書を原告らに交付した。原告甲野は,利用明細書をマーケティング本部に残し請求書及び精算見積書のみを添付して被告会社の経理部に提出し,被告会社は同金額を支出した。(<証拠略>)

(ウ) 原告らは,平成10年10月13日にホテルで開催されたI社とのパートナーシップ・フォーラムに関して,当初は全額を被告会社が負担するものとして支払の手続を進行させた。その後,12月15日に被告会社よりホテルに対して代金全額の460万2238円が支払われた。原告甲野は,Aに対し,12月初め,上記手続は進行させた上,I社側のE社と代金を2等分して請求しE社から代金が入金された場合はそれを被告会社からの預り金として預かって欲しいと依頼した。AはJと相談の上,被告会社に対する最初の請求を取り消した上であれば格別,これを残したままであれば,(ア),(イ)と同様の問題や二重請求という問題が生じることから断った。その後,原告甲野がAに対しホテルの利用を見直すかのような発言をしたことから,ホテルは,被告会社に対する最初の請求書を後日回収することを条件としてその依頼に応じて,被告会社の関係で代金の約半額245万6839円を宴席代金として,214万5399円を室料お預り金として処理することにし,12月28日,これに副った合計460万2238円を請求する請求書を発行するとともに,E社に対し約半金の214万5399円の請求書を送付した。(<証拠略>)

(エ) 原告らは,上記預り金での支払の許否を決定し,預り金残高は適宜ホテルから原告らに連絡されていた。また,預り金での支払に関する利用明細書はホテルの経理部に留め置く処理をし,また利用結果についていちいち被告会社の経理部に報告することはなかったため,その利用状況が被告会社には明らかにならなかった。(<証拠・人証略>)。

(オ) 被告会社のガイドラインでは,従業員が業務上ホテルに宿泊する場合には,副社長もしくはそれより上位者の事前承認がある場合を除き,各自で負担し,事後に被告会社に請求して精算することとなっているところ,原告らは,これらの手続を経ることなく,ホテルに預り金処理された上記金員のうち少なくとも金123万9113円を,別表記載のとおり費消した(<証拠・人証略>)。

以上の事実が認められる。

上記認定にかかる証人Jの証言等は,精算見積書,当初発行した利用明細書,再発行した利用明細書の記載とよく合致し,かつ十分に具体的で不自然な点はないこと,その証言内容の重大さ,特に不適正な経理処理に協力してしまったという点で証人ら自身道義的な責任を問われかねないにもかかわらず証言内容・証言態度に揺るぎがないことから信用できる。

これに対し,原告らは概ね次のように供述する。

すなわち,当初の陳述書(<証拠略>)では,マーケティング関係予算が98年度に余剰を生じるのに対し,99年度は大幅に削減される見込みであったことから,99年度において充実した活動をするため,98年度予算の余剰金をマーケティング事業部内に留保する方法を上司のLと相談の上,仕掛け中のものを先払いしたり,事後の値引き交渉などにより返還を受けるべき清算金が生じた場合に払戻を受けずに預り金としたり,ないしは,一部経費を取引先に先払いしたりすることを決定し,上記(ア)ないし(ウ)は原告甲野がその一環として指示したとする。また,原告甲野は本人尋問で,「上記(ア)ないし(ウ)は,98年度予算の余剰金をマーケティング事業部内に留保する方法として意識的に行ったのではない。上司のLには,予算が削減される99年度のプランを相談する際にホテルに預り金があると話したところ,そんなの焼け石に水だよなどといわれた。財務担当責任者のGの指示で,(ア),(イ)につき,飲食を伴うパーティ形式のものは接待と取られかねないので飲食を隠して会議形式にするように指示を受け,これに従ったところ,ホテルの料金体系から,飲食をした場合の飲食代を含めた金額よりもさらに室料が高くなってしまったことから,結果的に差額を生じたためこれを預り金とした。(ウ)はホテル側が入金が終わっているので返金は経理上できないといわれて,半金を預り金にしてもらうことにした。見積書,請求書,利用明細書は必ず財務に提出しなければならない書類であり,提出した。」と述べている。なお,ホテルが作成した上記書類の作成経緯についての明確な説明はないものの,被告会社側の依頼者が誰であるかは別として上記認定を否定しているわけではない(原告乙山23,53頁)。

しかし,上記認定のとおり後日実額を記載した精算見積書が作成されているところ,これと利用明細書とは明らかに矛盾し,これらを経理部門に一括提出することはあり得ないこと,このように明らかに矛盾する書類を利用者側の依頼なしにホテルが勝手に作成交付するはずもないこと,したがって,これらは原告両名その他マーケティング事業部のイベント担当者が被告会社経理部門を欺いてこれに知られない隠し金としての預り金を作出する手段として行った行為であることは明らかである。その他原告らの供述は,当初はマーケティング関係予算の関係上Lと協議して積極的に預り金を作出したという意味合いであったのが,原告甲野の本人尋問ではこれを否定してしまっていること,(ア)及び(イ)につき,財務担当責任者のGがかえって経費が増大する方法を取るように指示したことになり不自然であるところ,その様な指示をしなければならない理由が明確でないこと(平成13年6月25日22ないし23頁),飲食をした場合に室料が安くなることはあり得るであろうが,飲食を伴わない場合が飲食をした場合の飲食代を含めた金額より280万円も高くなるということは考えにくいところ,この点の供述があいまいであること(平成13年6月25日25頁,7月30日36頁),(ウ)につき,預り金にできるものを返金できないという理屈は考えられないところ,その理由が明確でないこと(平成13年6月25日24ないし25頁,7月30日37,38頁),その他全体に供述内容があいまいであることからして,原告らの供述は採用することができない。

その他,原告らは,懲戒解雇事由が存在しないとして種々主張するが,それらは,あるいは主張の前提たる本件につき正常に預り金処理がなされたことや,被告会社の経理処理方法が利用明細書の添付を不可欠としていること自体が採用できず,あるいは一方的な見方や些細な点を取り上げての主張でありいずれも採用できない。また,その使用につきガイドラインに従った適正な管理が行われていたことを裏付ける証拠はない(原告乙山20,53,54頁)。

なお,前記(オ)の使用目的が業務上必要なものであるか,個人的な目的による使用かについては,原告ら以外の者の利用もあり業務上必要がないとは断定できないものの,1月25日ないし2月2日の利用はその内容自体から不適切なものであるといわざるを得ないし(<証拠略>),そもそも仮に業務に関連する利用であるとしても,正規の手続を踏むことなく,原告らの判断で預り金を利用して宿泊や飲食等をし,又は他人にさせること(特に原告乙山は早い時間のチェックインや飲食の利用が目立つ。)は不適切な利用である(<証拠略>の記載のうちこれらの点について弁解する部分は,同原告本人27,29,37ないし39,43ないし48,55,56頁で記憶があいまいであることを自認するなどしていることに照らし信用できない。この点に関する原告甲野の供述も採用できない。)。

以上によれば,上記(ア)及び(イ)の行為は,被告会社に多額の不必要な支出をさせ((ウ)の行為は当初から被告会社の負担が半額で足りたものを,全額支出させたとは認められないから直ちに被告会社に不必要な支出をさせたとはいえない。),かつ,(ア)ないし(ウ)の行為は,取引先であるホテルの担当者に不適正な書類の発行等を求めることにより被告会社の信用を害するものであるから,就業規則64条6号「故意で会社に重大な損害を与える行為」に該当する。なお,被告会社が後日ホテルから預り金を回収したことは損害を回復したにすぎず,ホテルが被告会社からの預り金の名目で保有していても,被告会社の経理部門が把握せず,原告らの判断で自由に使用できる状況に置いたことにより被告会社に損害が発生したということができる。

よって,原告らには懲戒解雇事由が存する。

(2) 原告らの辞職との関係について

被告会社の就業規則は自己都合退職の場合,一か月前に所定の退職届を所属長に提出し,退職の日まで指示された仕事をすべきこと(45条),退職の場合指定された日までに業務の引継をしその結果を報告すること(46条)を定めているが,同時に退職願を提出して14日間が過ぎたときはその日を退職の日として社員ではなくなる旨(44条)も定めており(<証拠略>),44条が原則規程で,45,46条の違反は退職の効力に影響しないと解するのが相当である。したがって,原告甲野は平成11年2月26日,原告乙山は同月27日限り,いずれも被告会社を有効に退職した。また,懲戒解雇時には既に原告らの辞職の効力が発生し,原告らに懲戒解雇事由が存しても,もはや懲戒解雇することはできないから,同懲戒解雇の意思表示はいずれも無効である。

(3) 争いのない加害行為(ア)について

上記のとおり原告らが有効に退職したにもかかわらず退職手続を怠った争いのない加害行為(ア)は違法である。

(4) 同(イ),(ウ)について

(2)のとおり原告らには懲戒解雇事由が存するが,もはや懲戒解雇することはできず,被告らはそれにもかかわらず原告らを懲戒解雇をしたとして,それに関する事実を公表するなどしたものであるから,原則として違法というべきである。

しかし,その場合でも従業員に重大な秩序違反行為があり,そのことが社内に広く知られており,当該従業員を懲戒解雇しなければ企業秩序がどうしても保持できないという場合には,辞職の効力発生後に懲戒解雇するなどしたことを直ちに違法とはいえないこともありうる。なお,原告らが主張するように被告らに他の意図から原告らを社会的に葬り去ろうという意図があったとすれば,それをもって既に違法であることは明らかであるが,被告らにそのような意図があったとは認められないことは既に述べたとおりである。

そこで検討するに,原告らの懲戒解雇事由はそれ自体としては非常に重大な行為であり,また,原告らが事情聴取に応じなかったために事案の正確な把握に支障を来したことはあろうが,Iがイベント担当のマネージャで(ママ)あり,上記(1)(ウ)のイベント担当者でもありホテルとの交渉も担当したこと,Iは預り金を利用してホテルに宿泊し,ガイドラインによらない精算をしたこと(<証拠略>),Fはホテルから送付された書類の内容から本件預り金作出の経緯を承知していたこと(<証拠略>),からすると,原告らはマーケティング本部内では本件預り金の存在を隠してはおらず,Iは預り金作出への関与の有無,程度はともかくその存在及び経緯を承知していると推認されること,このような状況からするとLらマーケティング本部担当バイスプレジデントも預り金の存在を認識しながら黙認していた可能性があること,IT業界では,取引先に預り金を作っておくこと自体は珍しいことではないこと(<証拠略>),被告会社では営業部においても取引先に費用を前払いしてプールすることがあったこと(<証拠略>),原告らも業務と無関係に使用する意図で預り金を作出し使用したとまでは認められないことからすると,原告らの辞職の効力発生後に社内の綱紀粛正を図るだけでは足りず,原告らを懲戒解雇した上,そのことを広く社員に通知しなければならない必要があったとまでは認められず,したがって,争いのない加害行為(イ)は違法である。同(ウ)はその発言内容が正確な事実であるとはいえず,同様に違法である。

従って,これらの行為は原告らに対する不法行為を構成し,被告らには原告らの精神的苦痛に対する慰謝料その他の損害賠償を連帯して支払うべき義務がある。

オ 損害額

被告らが約1100名の全社員に懲戒解雇の事実を通知したこと,数十名の社員に不正確な事実を告げたこと,企業向け業務用ソフトウエアの業界が特殊で狭い業界であり,原告らがその中で名の知られた存在であることからすると,原告らの被った精神的苦痛は大であるということができる。しかし,その原因が原告ら自身にあり,それが重大な内容のものであることからするとその責任の大半は原告らにおいて負担せざるを得ないものである。その他,原告らの被告会社における地位,勤務期間,本件の経緯,原告らが懲戒解雇前に再就職をしていたこと,原告らが本件を弁護士に委任して訴訟の提起追行を行ったことなど,一切の事情を考慮すると,本件不法行為による原告らの精神的苦痛に対する慰謝料の額はそれぞれ55万円が相当である。

カ 名誉信用毀損行為の禁止及び謝罪広告について

名誉信用毀損行為の禁止については,被告らが今後も原告らの名誉信用を毀損する行為を行う危険があると認めるに足りる証拠はない。

謝罪広告については,原告らの懲戒解雇事由は存在することから原告らが求める内容の謝罪広告を命じることはできず,本件の事案に即した内容の謝罪広告では原告らの名誉を回復するに適切とはいえない。

よって,この点に関する原告らの請求は理由がない。

第4結論

以上のとおりであるから,主文のとおり判決する。

(裁判官 多見谷寿郎)

(別紙) 謝罪文

当社が,貴殿らに対して,平成11年5月11日付けの書面をもってなした懲戒解雇処分は無効なものであり,その理由とされた両名による不正行為も存在しなかったことが裁判所によって判断されました。また,当社及び当社前代表取締役丁原三郎が前記懲戒解雇や不正行為について社内メールで流したり,社外に言及したことは貴殿らに対する転職妨害であり,かつ,名誉毀損に該当するとされました。

よって,当社らは貴殿ら同氏らに対し,多大のご迷惑をおかけしましたことを,ここに深く謝罪いたします。

エスエイピー・ジャパン株式会社

代表取締役 丙川二郎

丁原三郎

(同社 前代表取締役)

甲野花子殿

乙山一郎殿

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