東京地方裁判所 平成11年(ワ)13114号 判決 2000年9月26日
原告
甲野太郎
右訴訟代理人弁護士
小野薫
同
木幡尊
被告
関東礦油株式会社
右代表者代表取締役
藤間健彦
右訴訟代理人弁護士
薄金孝太郎
同
有住淑子
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一 請求
一 被告は、原告に対し、一二〇〇万円及びこれに対する平成一一年六月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
三 仮執行宣言
第二 事案の概要
一 事案の要旨
本件は、被告経営のガソリンスタンドのアルバイト従業員が、右ガソリンスタンドにおいて原告所有の乗用自動車を保管中、右車両を引き取りに来たと称する者に、原告の意思を確認せずに要求されるまま鍵を渡した過失によって、右車両を盗まれたと主張する原告が、被告に対し、商事寄託契約または民法上の寄託契約の債務不履行あるいは不法行為若しくは事務管理に基づく損害賠償として、右車両の現在価格六〇〇万円、右車両に保管していたメガネ、指輪、時計、ゴルフ道具一式等の動産の現在価格六〇〇万円の合計一二〇〇万円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日である平成一一年六月一八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。
二 争いのない事実等
1 被告は、石油、石油液化瓦斯及び石油化学製品の売買等を業とする株式会社であり、東京都新宿区新宿<番地略>所在のガソリンスタンド「関東礦油株式会社サービスショップ新宿(以下「本件スタンド」という。)を経営している。なお、本件スタンドでは、本件の前に複数回にわたり預かり車両の盗難事件があった。
原告は、本件スタンドの近くに事務所を構える暴力団の幹部であり、平成三年ころから本件スタンドを給油、洗車等で利用していた(原告が暴力団幹部であることは当事者間に争いがない。したがって、以下、原告が暴力団幹部であり、配下の組員が云々と判示するところがあるが、本件は民事訴訟事件であり、当裁判所は、原告がそのような者であるからといって、そのこと自体をマイナスにみることは全くしていない。当然のことではあるが、あえて付言しておく。)。
2 原告配下の暴力団組員である乙川次郎(以下「乙川」という。)は、平成一一年三月八日、原告所有の乗用自動車(車種・メルセデスベンツ五〇〇SELロリンザー仕様車、登録番号<省略>。以下、「本件車両」という。)を本件スタンド内に鍵をつけたまま停車し、そのまま立ち去った。
3 本件スタンドの従業員は、同日、本件車両を本件スタンド内の事務所脇のスペースに移動し、本件車両の鍵を事務所内に保管した。
4 翌九日未明、本件スタンドの事務所で一人で勤務していたアルバイト従業員小野寺正(以下「小野寺」という。)は、原告から本件車両を引き取るよう頼まれたという二人組の男の求めに応じて、本件車両の鍵を交付し、右二人組は本件車両を運転して立ち去った(証人小野寺正の証言、乙七)。
5 原告は、同月三一日、新宿警察署に本件車両、鍵及び自動車検査証を被害品として盗難の被害届を提出した(乙一四の一)。
三 争点
1 原告、被告間の本件車両についての寄託契約の成否
(一) 原告の主張
(1) 本件スタンドでは、常連客に対しては、給油、洗車等を注文する場合の他、何も注文しないときでも車両の一時保管サービスをしており、預かる際は、従業員が本件スタンド内の駐車スペースに顧客の車両を移動させ、鍵を事務所内に保管していた。原告は、本件盗難以前から、本件スタンドの近くにあるゴルフ練習場を利用するときなどに、本件スタンドで本件車両の保管を依頼していたから、本件スタンドの従業員は、本件車両が原告所有のものであり、乙川が原告の配下の暴力団組員であり、本件車両の運転手であることを熟知していた。
(2) 原告は、平成一一年三月八日午前、北海道に向けて出発する前に、乙川に対し、本件車両を本件スタンドで保管してもらうよう指示した。乙川は、右指示に従って、本件車両を本件スタンド内に駐車したが、その際、本件スタンドの店長守屋忠(以下「守屋店長」という。)が「ガソリンを入れますか、洗車はしますか、時間はどのくらいですか。何時間ですか。」などと尋ねた。これに対し、乙川は、「後にしてくれ。」と答え、鍵をつけたまま本件車両の保管を依頼した。
守屋店長は、本件車両の保管を拒絶することなく、保管時間を尋ねていることから、明らかに、原告のために本件車両を保管する意思を有していた。
(3) 被告は、本件スタンドにおいて、顧客の車両の一時保管サービスとして行っていたのであり、たとえ給油、洗車等の注文がなかったとしても、被告の営業活動に有益または便宜なものとして行っていたのであるから、被告の営業の範囲内における業務として寄託を受けたものである。よって、商事寄託契約が成立し、被告は善良なる管理者の注意義務を負う(商法五九三条)。
仮に営業の範囲内における業務といえないとしても、民法上の無償の寄託契約が成立し、被告は自己の財産におけるのと同一の注意義務を負う。
(二) 被告の反論
(1) 被告が顧客から車両を一時預かるのは、洗車、ワックス掛け、タイヤ交換、バッテリー充電及び車検手続の取次ぎ等を受任した場合に限られ、この場合も一時的に預かるのであって、長時間保管するものではない。
被告は、本件盗難事件当時、顧客から車両を一時預かる場合も、「引渡し票」を作成して顧客に交付し、これと引換えに車両を返還することとしていた。
なお、本件スタンドの近所には、多数の暴力団組事務所が存在し、原告ら暴力団関係者は、被告の従業員らが恐れていることに乗じて、本件スタンドに勝手に車両を放置し、ひどいときには数日間も無断駐車して不正に利用していたことがあったが、平成八年八月、本件スタンドで暴力団組員同士の殺人事件が発生したことをきっかけに、被告は、警察の指導を受けて、暴力団関係者との関係を断つこととし、不正な駐車車両の一掃を従業員に指示し、暴力団関係者に対しては、駐車を断る旨の文書を配布してきた。
そのようなわけで、被告は、単なる給油の場合に一時車両を預かることや、何も注文しないのに都合に合わせて常連客の車両を一時保管することを業務として、あるいはサービスの一環として行ったことはない。
(2) 原告は、被告従業員に対し、洗車の出来上がりが遅いと因縁をつけたり、前店長や守屋店長を脅して長期間にわたり洗車の代金を支払わなかったり、本件スタンドの商品を無償で持ち去ったり、一般客や従業員の面前で大声を上げたり、土下座して謝る配下の暴力団組員を蹴りつける等の暴行を加えたりすることから、被告の従業員らにとりわけ恐れられていたもので、被告は、原告を顧客としては受け止めていなかった。しかし、原告ら一部の者は、被告の前記(1)の取組後も、被告従業員の要請を無視して、無断駐車を続けていた。
また、原被告間の取引関係は、給油、洗車等その都度代金の支払いがなされて完結する一回性のものばかりであって、継続的な契約関係にあったのではない。
(3) 本件車両が本件スタンド内に放置された際の状況は、乙川が、本件スタンドに本件車両で乗り付けるや、給油、洗車等の注文をすることもなく、「何もしなくていいから、置いといてくれ。」と言い残して、本件スタンド中央付近に鍵をつけたまま停車させ、そのまま放置して立ち去ったものである。守屋店長は、本件車両が営業の妨げになるため、一旦本件スタンドの隅の方に移動し、鍵をつけたままにしておいたところ、最終的には他の従業員が、事務所脇に移動し、鍵を外して事務所内に置いたものである。
(4) このように、原告は、本件スタンド内に本件車両を停車させたまま放置したに過ぎないものであって、原被告間に本件車両について商法ないし民法上の寄託契約は成立していない。
2 被告による事務管理の成否
(一) 原告の主張
被告は、本件スタンド内に移動させただけでなく、本件車両の鍵を外して事務所内に保管し、被告の排他的支配管理下に置いたものであるから、その段階で、義務なくして他人のためにする意思をもって他人の事務の管理を開始したものであり、本件車両の保管につき事務管理が成立している。よって、被告は善良なる管理者として注意義務(以下「善管注意義務」という。)を負う。
(二) 被告の反論
原告が、本件車両を本件スタンド内に放置したことは、被告の営業を妨害する不法行為であり、これを被告において適宜移動させる行為は、社会的に相当な範囲内の自力救済として許容されるべきものであって、これに付随して本件車両の鍵を外して便宜的に本件スタンド事務所内に置いたとしても、事務管理といった法律関係が発生することはない。
また、仮に鍵を事務所内に置いたことによって事務管理が成立するとしても、右のような不法行為により事務管理の原因を作出した原告が、善意の被告に対して事務管理を主張して損害賠償を請求するのは権利の濫用である。
3 被告の注意義務違反(過失)の有無
(一) 原告の主張
原告は、平成三年ころから本件スタンドを利用しており、本件に至るまで、一時的に本件車両を預けることもあったが、本件車両の保管を依頼し、返還を受けるのは、原告と乙川の二名だけであり、そのことを小野寺も含めて本件スタンドの従業員は知っていたのであるから、面識のない第三者が引き取りに来た場合は、原告本人の意思確認をすべきである。
ところが、本件盗難の状況は、小野寺が、本件スタンドを訪れた二人組に本件車両の返還を求められ、初めはこれを断ったところ、右二人組は、一旦立ち去って、その後五分ないし一〇分して再び現れ、小野寺に対し、通話中の携帯電話に出るよう求め、小野寺がこれに応じて電話に出たところ、電話の相手の男が原告を名乗って、右二人組に本件車両の鍵を渡すよう指示したため、これに従って鍵を渡したというのである。したがって、小野寺は、二人組によって架電された携帯電話の相手と応対しただけであるから、小野寺がその相手と話したことをもって原告本人であることを確認したとはいえない。また、真に原告から依頼されているのであれば、最初、小野寺に返還を断られたときに、その場で原告に電話をかけるなどして返還交渉を継続するのが通常であって、一旦立ち去った右二人組の対応は極めて不自然であったから、小野寺は、右二人組が正当に返還を受けるべき者か否かに疑問をもち、原告の運転手の氏名や連絡先の電話番号を尋ねるか、原告が所属する事務所や原告の携帯電話に電話をかけて確認するなどすれば、右二人組が真に原告に依頼されて来ているのか容易に確認することがでたはずであるし、右二人組が怖かったというなら、右二人組をしばらく待たせている間に警察に通報することもできたはずである。
ところが、小野寺は、右二人組に不審を抱きつつも、具体的な脅迫、暴力行為を受けたわけでもないのに、内心怖いという理由で漫然と本件車両の鍵を渡したのである。さらに、本件スタンドでは、過去数回同種の車両の窃盗事件が起きていたのに、被告は、面識のない者については預かり証等を持参した者にのみ車両を返還する方法を採るなど、盗難を回避する措置を何ら講じていないのであって、商事寄託や事務管理に適用される善管注意義務はおろか、無償寄託の場合の軽減された注意義務を基準に考えても、被告に注意義務違反があることは明らかである。
(二) 被告の反論
(1) 本件車両が持ち出された際の状況は、次のとおりである。すなわち、①平成一一年三月九日未明、小野寺が事務所で一人で勤務していると、暴力団組員風の二人組の男が車種を特定した上で本件車両の引渡しを求めたので、小野寺が、「持ち主からの連絡がないと渡せない」と答えたところ、右二人組は一旦立ち去った。②五分ないし一〇分後、右二人組は戻ってきたので、小野寺が応対すると、右二人組のうち一人が携帯電話で通話しており、その途中、「兄貴が電話に出ているから話してくれ」と言って、小野寺に右電話に出るように求めた。③小野寺が右電話に出ると、相手の男が原告を名乗り、小野寺を知っているような口振りで、本件車両を右二人組に渡すよう強く指示し、一方的に電話を切った。④小野寺は、これ以上細かく追及すると、右二人組を怒らせ、暴力を振るわれるという恐怖心もあり、本件車両の鍵を渡したところ、右二人組は本件車両に乗って立ち去った。
(2) 原告は、本件車両を鍵をつけたまま本件スタンド内に勝手に放置していったのであるから、原告の意思としては、第三者が本件車両を持ち出すことを許容していたものというべきであって、このような原告の不法放置が原因で、やむなく被告が鍵を事務所内に置いた場合には、仮に被告が注意義務を負うとしても、本件車両を引き取りに来る者があるまで鍵を保管しておけば十分であり、本件車両を引き取りに来た者が、正当な権利を有しているか否かを確認すべき義務はない。
(3) 本件盗難の当時、本件スタンドの事務所脇には、本件車両を含めて三台の車両が駐車していたところ、本件車両が本件スタンドに放置されていることを知っているのは原告と被告の従業員に限られていたはずであるのに、深夜の時間帯に暴力団風の二人組の男が来て、三台の駐車車両のうち本件車両の車種を特定し、原告の名前を明示して鍵の引き渡しを求めたのであるから、原告を暴力団幹部と認識している小野寺が、右二人組を原告の若衆と信じるのは無理のないことである。
そして、①小野寺に返還を断られて一旦引き下がっても、原告に怒られて再び訪れることは暴力団組織ではあり得ることで、不自然とはいえないこと、②当時、小野寺は、原告の連絡先を把握しておらず、仮に知っていても深夜で暴力団の組事務所に電話をかけられるような時間帯ではないし、そもそも原告は当時北海道に出かけていて、組事務所にはいなかったのであるから、客観的に直接原告に連絡することは不可能であったこと、③警察に通報するような犯罪行為は発生していなかったこと、④二人組の携帯電話に出て相手の男に原告の名前を確認していること等からすると、小野寺としては、暴力団員に対する恐怖心を抱きながらも、必要かつ合理的な対応したものであって、それ以上の確認をする義務はない。よって、善管注意義務を怠ったとはいえない。
4 原告の損害額
(一) 原告の主張
本件車両の価格は、本体九〇〇万円、部品等を含めて合計一二七四万一九八〇円であり、現在価格は六〇〇万円を下らない。さらに、本件車両内には、眼鏡、指輪、時計、ゴルフ道具等の動産があり、これらの動産の現在価格は少なくとも六〇〇万円を下らない。
(二) 被告の認否
不知である。なお、本件車両内にあったという動産類のうち本件盗難の直前に質屋から受け戻したというロレックスの時計二点を除く動産は、原告が所有していたということ自体疑わしく、右時計についても、近いうちに再度質入れするというのに、わざわざ受け戻して本件車両のトランク内に保管していたという原告の主張は不合理である。しかも、本件盗難の直後に原告が被告に対して被害弁償を要求した際には、動産類には全く触れていなかったし、原告が警察に提出した被害届の被害品は、本件車両と鍵と自動車検査証であって、動産類は右時計を含めて全く届けられていない。よって、動産類についての原告の主張は極めて疑わしい。
第三 当裁判所の判断
一 争点1、2について
1 乙第三ないし第九号証、証人守屋忠、同浦部一成、同小野寺正の各証言及び弁論の全趣旨によれば、次の各事実を認めることができ、2で述べる点を除き、これを左右するに足りる証拠はない。
(一) 本件スタンドは、暴力団組事務所が多く存在する地域にあることから、暴力団関係者の来店も多く、本件スタンドを駐車場代わりとして長時間利用する者も少なからずいた。
本件スタンドでは、顧客から洗車やワックス掛け等の業務に付随して車両を一時預かるような場合には、従業員は作業受付票、引渡し票を作成し、引渡し票を右顧客に交付し、右引渡し票と引き換えに車両を返還するというシステムをとっており、給油だけの客や、何も注文しない客の駐車は認めていなかった。特に、平成八年八月に本件スタンドで殺人事件が発生したあとは、警察の指導を受けたこともあり、暴力団関係者に毅然とした対応をとる方針をとったが、本件スタンドに車両を不当に駐車しようとする暴力団組関係者にチラシを手渡して駐車を断っても、チラシの受領を拒んだり、受領してもすぐに破り捨ててしまう等して、被告の駐車拒否の態度を無視し、さらには大声を張り上げて脅す等して車両を放置していく悪質な者には強く拒絶することができないまま、放置されてしまうという状況にあった。
(二) その中で、原告や乙川は、右事件後も本件スタンドに本件車両を頻繁に放置しており、その際は、本件スタンドの従業員が、営業の妨げにならないよう事務所脇のスペースに本件車両を移動し、鍵を事務所内に保管していた。本件スタンドの従業員は、このようなことから、本件車両が原告のものであることや、乙川が原告配下の暴力団組員であることを認識していた。
(三) 平成一一年三月八日午後、乙川が一人で本件車両を運転して本件スタンドに乗りつけて、作業中の守屋店長に対し、「何もしなくていいから、置いといてくれ。」と声をかけ、鍵をつけたまま本件車両を本件スタンド中央付近に停車させて立ち去ったが、その際、守屋店長は、これを明確に拒絶する態度をとらなかった。
その後、守屋店長は、業務の支障になることから、本件車両を本件スタンドの隅に移動させ、その後、別の従業員が最終的に事務所脇に移動して、鍵を事務所内に保管した。
2 これらの点について、原告本人尋問及び甲第一二号証においてあ、「本件スタンドでは、顧客に対するサービスとして、給油や洗車等の注文をしないときでも車両の保管をしており、原告も、本件車両が盗難に遭うまで、週に一、二度の割合で本件スタンドの駐車サービスを受けていたところ、本件でも、守屋店長は、本件車両を本件スタンドに駐車させた乙川に対して、『時間はどのくらいですか。』と尋ねたと乙川から聞いている。」旨の供述及び記載部分(甲一二)がある。
しかし、本件スタンドのようなガソリンスタンドにおいては、スタンド内の限られたスペースの中で、いつまで保管することになるかわからない車両を預かることは通常の業務の妨げになることからは明らかであるから、給油、洗車等の注文がないのに、ただ顧客の車両を預かるサービスを行うことは経験則上一般的とは思われない。さらに、被告は、放置駐車を一掃することを従業員に指導し、顧客に対しても駐車を断る文書を作成していたところ(乙三ないし五)、原告は、その本人尋問において、右文書の交付を受けたことがあり、本件スタンドに車両を駐車させないことが被告の方針であることを認識したにもかかわらず、その後も相変わらず車両を本件スタンドに駐車させていたのであるし、代金の二重払のトラブルが一度あり、それ以来洗車は無料であると認識していた旨供述するところであり、原告は、物事を一方的に自己に都合の良いように解釈する傾向にあることがうかがうことができ、証人守屋忠は反対趣旨の証言をしていることも併せ考えると、右原告の供述ないし陳述部分を採用することはできない。
3 原被告間に寄託契約(商事又は民事)が成立しているか、被告の事務管理によって本件が規律されるべきかという争点1、2は、被告の注意義務の有無及び程度に関わるものである。
右認定事実を前提にすれば、従前、原告が、時には給油、洗車等の注文をすることなく、本件スタンドに車両を駐車したまま放置することがあったとしても、原告が放置した車両を被告が保管する意思のもとにその管理をしたとは認めることができないから、その都度本件車両を預かる旨の特別の合意がない限り、原告、被告間に寄託契約が成立することはないというべきである。
そうすると、本件においても、乙川は、「置いといてくれ。」というだけで、給油、洗車等本件スタンドのサービスを何ら注文することなく、取りに戻る時間も告げず、守屋店長の返事も聞かずに本件車両を放置して立ち去ったのであるから、原告、被告間に本件車両を預かる旨の合意は存在せず、本件車両につき寄託契約の成立を認めることはできない。
4 次に、事務管理の成否につき検討する。事務管理とは、法律上の義務はないのに他人のためにその事務を処理することをいうところ、前記のとおり、本件車両の保管については、寄託契約その他の契約関係が何ら存在しないにもかかわらず、これを原告の所有物と認識しながら、鍵を外して事務所内に保管したことにより、本件車両を被告の排他的配下におき、原告のために保管を開始したということができるから、その時点で事務管理が成立するということができる。
被告は、原告が本件車両を無断で放置していること及びそのことが被告の営業の妨げになっていたなどの事情を主張するが、右事情からは、本件車両を移動することは正当化されるとしても、鍵を外して保管することはそれらの事情から当然のこととして導かれるものとはいえないから、結局、右事情は事務管理の成否に影響を及ぼすものではない。また、右事情をもって直ちに原告の請求が権利の濫用になるということもできない。
二 争点3について
1 事務管理の管理者は、善管注意義務を負うから、本件において、被告は、本件車両の所有者または正当な権限を有する者に引き渡すまで、本件車両の鍵を適切に保管する義務を負うと解される。
この点について、被告は、本件は原告が不法に本件車両を放置したことが原因であるから、善管注意義務は軽減されるとして、本件車両を引き取りに来たものが誰であっても鍵を渡せば足りると主張する。しかし、右のような事情があったとしても、本件スタンドの従業員は、本件車両の所有者が原告であることを知っており、鍵を事務所内に保管して被告の排他的支配下に置いたことにより、原告は自由に本件車両を持ち出すことができなくなったのであるから、被告は、原告以外の者が本件車両を引き渡すよう求めた場合には、正当な権限を有するか否かを調査・確認し、確認できないときは引渡しを拒否すべき注意義務を負うというべきである。
2 そこで、本件で被告が注意義務を尽くしたか否かにつき検討する。
乙第七号証、証人小野寺の証言及び弁論の全趣旨によれば、次の各事実を認めることができ、これに反する証拠はない。
(一) 小野寺は、平成一一年三月八日午後一〇時に本件スタンドにおける勤務を開始したが、その時点で、事務所脇に本件車両を含む三台の車両が駐車されていることを認識していた。なお、右三台は、当時頻繁に本件スタンドに駐車してあったもので、小野寺はそれぞれの所有者を認識していた。また、小野寺は、原告が暴力団幹部であることも認識していた。
(二) 三月九日未明、本件スタンドの事務所で小野寺が一人で勤務していると、二人組の男が訪れ、「兄貴の車を取りに来た。一番向こうにあるベンツだ。鍵を渡せ。」と告げ、右三台の車両のうち本件車両を指して引き渡すよう求めた。これに対し、小野寺は、右二人組が面識がなかったことから、「持ち主からの連絡をもらわないと渡せません。」と引渡しを断った。
(三) 右二人組は、一旦事務所を退出し、五分ないし一〇分後に戻って来た。その際、右二人組の一人が携帯電話で通話しており、他の客の接客を終えた小野寺に、「兄貴が(電話に)出ているから替わってくれ。」と電話に出るように求めた。そして、小野寺が電話に出ると、相手の男は、「甲野だ。」と名乗り、「うちの若いのが車取りに来てるだろう。渡してやってくれ。」と指示した。小野寺は、原告と話したことがあり、右電話の男の声が原告の声と思い、これ以上確認をする方法もないのに断ると、右二人組を怒らせることになるという気持ちもあって、右二人組に本件車両の鍵を交付した。
3 右認定事実を前提として、被告に善管注意義務違反が認められるか否か、すなわち、被告従業員である小野寺が、面識のない二人組の男に対し、右認定事実の経緯によって、本件車両の鍵を交付したことの適否について検討を加える。
(一) 右事実関係の下においては、小野寺としては、本件車両が本件スタンドにあることは、本件スタンドの従業員を除けば、原告の関係者しか知らないと考えること、原告本人や乙川以外に配下の組員が原告の指示を受けて本件車両を引き取りにくることが十分あり得ると考えることは、自然かつ合理的なものということができる。
(二) 小野寺は、二人組の暴力団員風の男が本件車両を特定し、原告の名前を挙げて本件車両を引き渡すよう求めたのに対し、右二人組に面識がなかったことから、一旦は引渡しを断っているのである。これは、本件車両を原告以外の者が引き渡すよう求めたのに対し、小野寺としては、右(一)のように考えていたにもかかわらず、相手方に正当な権限を有するか否かを調査・確認した上で行った適切な行為と評価することかができる。
(三) そして、小野寺は、本件スタンドに再度やって来た右二人組に指示されて、携帯電話の相手と対応したところ、その相手は原告の名前を名乗って引渡しを指示したのである。小野寺に返還を断られた二人組の男が一旦引き下がっても、原告に再度命じられて本件車両を引き取りに来ることは格別不自然なこととはいえないから、小野寺としては、二人組の男は、原告の命を受けて動いている配下の者であると思うことはやむを得ないところである。さらに、小野寺としては、携帯電話で原告と名乗る相手にその引渡しを指示されれば、これを信用するのは無理からぬところであって、このような事情があるのに二人組の男に対し本件車両の引渡しを拒み続けることを期待することはできないというべきである。すなわち、小野寺が、本件事情の下において、第三者が原告の名をかたって携帯電話をかけ、本件車両を盗むことを企図していることまで思いつかなかったとしても、そのことを責めることはできないと解される。
(四) この点について、原告は、本件スタンドは過去に複数回に及ぶ車両の盗難があったのであるし、事務管理が一回的ではなく、何度も成立する可能性がある状況であったから、被告としては、本人以外の者が車両を引き取りに来た場合に本人の意思を確認する必要に備えて、予めその連絡先を聞いておくなど、盗難を回避する措置を講ずべきであると主張する。しかし、被告においては、右一・1・(一)に判示したとおりのシステムを採用しており、その限りでは盗難防止の措置をとっていたのであるし、そもそも洗車やワックス掛け等を求める顧客以外からは車両を預かっていないのである。本件ではそのような形態の保管ではないところ、一般的に事務管理が成立した場合に対応するために予め何らかの措置をとることが被告に義務づけられると解することはできず、原告の右主張は失当である。
さらに、原告は、小野寺としては、かかってきた電話ではなく、自ら原告に電話をかけて確認をすべきであったと主張するが、当時、小野寺は原告の連絡先を知らず、このことについて落ち度はないということができるし、また、時間帯からしても、電話をかけることが求められていたとすることはできないものというべきである。
(五) 以上を要するに、本件事実関係の下においては、小野寺としては、可能な限り右二人組が原告本人の指示により本件車両を引き取りに来ていることを調査・確認する注意義務を尽くしたものと評価することができる。なお、本件当時、小野寺は深夜から未明にかけて一人で業務に当たっていたものであるところ、二人組の暴力団員風の男に対し、恐いという気持ちがあったとしても不思議ではないが、そうであるとしても、小野寺に要求される注意義務は前記のとおり尽くしているといわなければならないのである。
4 したがって、本件について被告に善管注意義務違反は認められないものというほかない。
三 結論
以上のように、被告には注意義務違反が認められないのであるから、その存在を前提に損害賠償を求める原告の本訴請求は、その余の判断をするまでもなく理由がないことが明らかである。よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官加藤新太郎 裁判官片山憲一 裁判官澤田久文)