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東京地方裁判所 平成11年(ワ)17199号 判決 2003年3月27日

原告

X1

ほか一名

被告

Y1

ほか一名

主文

一  被告Y1は、原告X1に対し一一八二万一二四二円、原告X2に対し一一八二万一二四二円、及びこれらに対する平成九年一一月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告株式会社損害保険ジャパンは、原告らの被告Y1に対する判決が確定したときは、原告X1に対し一一八二万一二四二円、原告X2に対し一一八二万一二四二円、及びこれらに対する平成九年一一月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、これを三分し、その一を被告らの、その余を原告らの負担とする。

五  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

一  被告Y1は、原告X1に対し三五六九万九三七五円、原告X2に対し三五六九万九三七五円、及びこれらに対する平成九年一一月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告株式会社損害保険ジャパンは、原告らの被告Y1に対する判決が確定したときは、原告X1に対し三五六九万九三七五円、原告X2に対し三五六九万九三七五円、及びこれらに対する平成九年一一月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、押しボタン式歩行者用信号機及びこれに対応する車両用信号機が設置された交差点において、普通乗用自動車(以下「被告車両」という。)との衝突事故により死亡したAの両親である原告X1及び同X2が、被告車両の運転者である被告Y1に対しては民法七〇九条、被告株式会社損害保険ジャパン(以下「被告会社」という。)に対しては自動車保険契約に基づき、損害賠償を請求した事案である。

一  争いのない事実等(括弧内に証拠を掲げた事実以外は、当事者間に争いがない。)

1  本件事故の発生(ただし、正確な事故発生時刻及び事故態様については争いがある。)

(一) 日時 平成九年一一月一五日午後五時五分ころ

(二) 場所 埼玉県北足立郡吹上町大字鎌塚三七二番地先交差点(以下「本件交差点」という。)

(三) 加害車両 被告車両

同運転者 被告Y1

(四) 被害者 亡A

(五) 態様 衝突事故

(六) 結果 亡Aは、本件事故に基づく外傷性脳挫傷により、即死した。

2  相続

原告らは、亡Aの両親であり、亡Aの死亡により、その損害賠償請求権を二分の一ずつ相続した(甲一)。

3  責任原因

(一) 被告Y1は、民法七〇九条に基づき、原告らに対して損害賠償責任を負う。

(二) 日産火災海上保険株式会社は、被告車両について、被告Y1との間で自動車保険契約を締結していたが、平成一四年七月一日、被告会社に吸収合併された。よって、被告会社は、原告らの被告Y1に対する判決が確定したときは、同自動車保険契約に基づき、原告らに対して損害賠償責任を負う。

二  争点

1  本件事故態様(過失相殺)

(被告らの主張)

本件事故は、被告Y1が被告車両を運転し、本件交差点に設置された車両用信号機の青色表示に従って本件交差点内に進入したところ、亡Aが歩行者用信号機の赤色表示を無視し、かつ、横断歩道外を西方から東方へと横断して本件交差点内に進入してきたために発生したものであって、相当な割合での過失相殺がなされるべきである。

(原告らの主張)

本件事故は、亡Aが、歩行者用信号機の押しボタンを押し、同信号機が青色表示となってから横断歩道上を東方から西方へと横断していたところ、被告車両が、車両用信号機の赤色表示を無視して本件交差点内に進入し、横断歩道上の亡Aに衝突して発生したものであるから、亡Aには斟酌されるべき過失は存しない。

2  損害額

(原告らの主張)

(一) 逸失利益 三九七〇万八七五〇円

亡Aは、本件事故当時九歳であり、本件事故に遭わなければ、一八歳から六七歳までの四九年間就労し、その間、平成六年賃金センサス第一巻第一表の産業計・企業規模計による全労働者の全年齢平均年収四八四万三六〇〇円を得ることができたから、生活費控除率を三〇%として年五%のライプニッツ方式により中間利息を控除すると、亡Aの逸失利益は、次の計算式のとおり、三九七〇万八七五〇円となる(一〇円未満切捨て)。

計算式:484万3600円×(1-0.3)×(18.8195-7.1078)=3970万8750円

(二) 葬儀費用(原告ら固有の損害) 各六〇万〇〇〇〇円

(三) 死亡慰謝料(原告ら固有の慰謝料) 各一二〇〇万〇〇〇〇円

慰謝料の算定に当たっては、本件事故が被告Y1の著しい前方不注視等の一方的かつ重大な過失によって発生したものであることが考慮されるべきである。

(四) 弁護士費用(原告ら固有の損害) 各三二四万五〇〇〇円

(五) 合計 各三五六九万九三七五円

原告らは、その固有の損害として、それぞれ(二)、(三)及び(四)の損害賠償請求権を有するとともに、亡Aの被告らに対する(一)の損害賠償請求権を二分の一ずつ相続した。

(被告らの主張)

亡Aの逸失利益については、亡Aが女子であり、亡Aが就労を開始する時点において男女間の賃金格差が解消するという蓋然性が認められない以上、基礎収入として全労働者平均賃金を採用することに合理性はない。また、慰謝料については、本件の事故態様を前提にした場合、通常認められるべき範囲を超えてこれを増額すべき特段の事由は存在しない。

第三当裁判所の判断

一  争点1(本件事故態様〔過失相殺〕)について

1  前提となる事実

前記第二の一1の事実、証拠(甲二、三の一ないし三の一五、四、五の一ないし五の六、八ないし一二、一三の一・二、一五、一六、一八の一・二、一九、二〇の一・二、二七、四二、乙一の一ないし一の三、一の七、一の九、一の一〇、一の一五ないし一の一八、一の二三ないし一の二八、一の三〇、一の三一、一の三三ないし一の三九、四、七、証人B、証人C、被告Y1本人)及び弁論の全趣旨によれば、本件事故現場及び本件事故発生前後の状況等について、以下の各事実が認められる。

(一) 本件交差点は、行田市方面(北方向)から吉見町方面(南方向)へと通じる片側一車線の道路(以下「本件道路」という。)と、鴻巣市方面(東方向)から熊谷市方面(西方向)へと通じる片側一車線の道路(以下「交差道路」という。)とが交わる十字路交差点である。本件交差点の北側、東側及び西側には横断歩道が設けられ、そのうち北側の横断歩道(以下「本件横断歩道」という。)にのみ、押しボタン式の歩行者用信号機(以下単に「歩行者用信号機」という。)が設置され、これに対応する車両用信号機が本件交差点北西角及び南東角の本件道路側に設置されている。また、本件交差点の南西角、北西角、北東角はすべて畑で、南東角が空き地となっていた。

本件道路の両側には、幅員約二・二mの歩道及び幅員約〇・六mの路側帯が設置されており、その車道幅員は片側車線で約二・九mである。本件道路は、アスファルト舖装された平坦な道路であり、本件事故当時乾燥していて、最高速度が時速四〇kmに制限されていた。

交差道路は、本件交差点東側では全体の車道幅員約六・九m、本件交差点西側では全体の車道幅員約七mとなっており、本件交差点手前の東側と、西側にそれぞれ一時停止の標示と標識が設置されている(以下、交差道路のうち本件交差点より東側の部分を「東側交差道路」、西側の部分を「西側交差道路」という。)。

本件事故当時の天候は曇りであった。本件道路の行田市方面から本件交差点内への見通しを妨げるものはなく、夜間でも、本件交差点の北東角及び南西角に設置された街灯の照明により、本件交差点内は明るい状態であった。ただし、本件交差点付近の歩道上は、本件事故当時約一・六ルクスと、人が動いていることは分かるが、誰であるかの判別はできない程度の明るさであった。

(二) 被告Y1は、鴻巣市の実家に向かうため、被告車両を運転して、平成九年一一月一五日午後五時前ころ(以下、本件事故当日については、日付を記載せず時刻のみを記載することとする。)に肩書住所地を出発し、本件交差点の南側約二〇〇m先の交差点を左折すべく、本件道路の東側車線を行田市方面から吉見町方面へと、速度は時速約四〇kmで、前照灯は下向きのままで走行して本件交差点に至った。被告Y1が本件道路を走行するのは、本件事故当日が二回目であった。

(三) 亡Aは、当時、○○町立a小学校に通う小学三年生の女子であり、午後三時三〇分ころから同級生であるDと遊んでいた。亡Aは、Dとa小学校のグランドで遊んだ後、同人と共に埼玉県北足立郡○○町<以下省略>所在のD宅北側の丁字路交差点付近(東側交差道路上の本件交差点から約二八四m離れた地点。甲五の三・四及び乙一の二八添付の住宅地図参照。以下同交差点を「D宅付近交差点」という。)に至った所で、○○町内において毎日午後五時ころに放送される「ふるさとのメロディ」の音楽が流れてきたため、「ママにしかられるから早く帰らなくちや。」と言い、同地点でDと別れ、東側交差道路の歩道を本件交差点のある西側に向かって走っていった。

そして、亡Aは、同町<以下省略>所在のE宅北側の十字路交差点付近(東側交差道路上の本件交差点から約九七m離れた地点。甲五の五・六及び乙一の二八添付の住宅地図参照。以下同交差点を「E宅付近交差点」という。)においていったん立ち止まり、東側のD宅の方を向いて「Dさん、Dさん」と何度か呼んでいたところ、勤務先から自転車に乗って帰宅途中であったEから、「Dさんちを探しているの。うちがここでDさんちはすぐそこよ。」と声を掛けられたが、これに対しては返事をせず、再び、東側交差道路の歩道を小走りで西側の本件交差点へと向かった(亡Aは、前記認定のとおり、D宅を向いていたものであるが、Eは、E宅の南隣がF宅であったため、亡AがF宅を探しているものと考え、これを亡Aに教えようとした。)。

なお、亡Aの自宅住所は、同町<以下省略>であり、これは本件交差点の南西方向に当たる(乙一の二八添付の○○町区分図参照)。

(四) 本件事故発生前後における本件事故の目撃者等の動静は、以下のとおりである。

ア Bは、勤務先から普通乗用自動車(白色のマークⅡ、以下「B車両」という。)を運転し、D宅付近交差点から一つ東側の交差点を右折して東側交差道路へと至り、D宅付近交差点及びE宅付近交差点を通過して、時速約三〇kmで本件交差点付近へと至った(走行経路については甲一八の二参照)。

そして、Bが本件交差点の東側横断歩道付近で一時停止し左方向を確認中に、本件事故が発生した。ただし、Bは、被告車両に衝突前の亡Aの動向及び衝突の瞬間は目撃していない。

Bは、本件事故発生後、本件交差点の北西方向で、本件道路の西側車線に面したG宅(埼玉県北足立郡○○町<以下省略>所在。乙一の二八添付の住宅地図参照)に駆け込み、H(五九歳)及びI(三〇歳)に一一九番通報を依頼したところ、Iが午後五時七分に一一九番通報を行った。なお、G宅には、Bにやや遅れて被告Y1も通報のために訪れている。

イ Jは、ヤマト運輸株式会社鴻巣営業所に集配運転手として勤務していたところ、集配業務のための車両(以下「J車両」という。)を運転し、西側交差道路を熊谷市方面から鴻巣市方面へ向けて走行して、午後五時過ぎころに本件交差点へと至った。

そして、Jが、本件交差点手前で一時停止した後に左折し、本件道路の西側車線を行田市方面へと一〇mないし二〇m走行した所で、本件事故が発生した。ただし、Jは、本件事故の衝突音を聞いたのみであり、本件事故状況そのものは目撃していない。

Jは、衝突音を聞いた後も、停止することなくそのまま走行を続け、本件道路の東側車線に面した太洋社印刷株式会社吹上工場(以下「吹上工場」という。)前で右折して、吹上工場敷地内で停止し、集荷作業を行った。

ウ Cは、原告らと姓を同じくするものの、本件事故発生前には、原告らと面識はなかった。

Cは、午後六時に川越プリンスホテルにおいて人と会う約束をしていたため、普通乗用自動車(左ハンドルのベンツ、以下「C車両」という。)を運転して、埼玉県行田市<以下省略>所在の自宅を午後五時前に出発し(なお、自宅から川越プリンスホテルまでは、四五分ないし一時間を要する。)、本件道路の東側車線を行田市方面から吉見町方面へ向かって走行し、本件交差点に至った。

Cが本件交差点に至ったのは本件事故後であり、同人は、本件事故状況を直接目撃しておらず、また、衝突音等も聞いていない。

エ Kは、午後五時ころ、本件道路の東側車線に面した埼玉県北足立郡○○町<以下省略>所在の自宅(乙の一の二八添付の住宅地図の「吉野木材工業(有)」参照)外の東側(本件交差点の南東方向)において作業をしていたところ、本件交差点の方で、小学生くらいの女の子の声を聞いた後、衝突音ないしブレーキ音がしたのを聞いた。

そして、Kは、東側交差道路を通って本件交差点に至ったところ、亡Aが本件交差点の南東角に倒れていたのを見た。Kは、本件交差点付近において、前記アのとおり、一一九番通報の依頼後にG宅から現場に戻ってきたB及び被告Y1と、亡Aがどこから本件交差点内に進入したのかという点について話をした。その際、Bが「宅急便車両(J車両)の陰から出てきたのではないか。」と言ったのに対し、被告Y1は、「どこから来たのか分からない。」旨の返答をしていた。

なお、Kのほか、前記(三)のEがE宅において、前記アのH及びIがG宅内において、それぞれ衝突音ないしブレーキ音を聞いている。

(五) 亡Aは、本件事故後搬送された行田中央病院のL医師により、外傷性脳挫傷を死因として即死したことが確認された。同医師が見分した亡Aの死体の状況及び所見は、以下のとおりであった。

ア 身体左側部分の損傷状況

(ア) 左前頭部に、ほぼ上から下方向にかけて、黒色を呈した長さ五・〇cm及び長さ三・〇cmの二本の棒状の挫傷が、〇・五cmの間隔を置いて存する(甲一三の二鑑定資料チ写真<5>参照)。

(イ) 左耳介部から上方六・〇cmの側頭部に、一・〇cm大のほぼ円形の挫傷が存する(甲一三の二鑑定資料リ写真<1>参照)。

(ウ) 左頬骨部及び左上唇部に、棒状ないし小豆大の挫傷が存する(甲一三の二鑑定資料チ写真<3>、<5>参照)。

(エ) 左肩峰部に、一・五cm×一・五cmの挫傷が、その下方一四・〇cmの左肘部外側に、長さ三・〇cm、幅一・〇cmないし一・五cmの淡紫赤色を呈した皮膚変色(甲一三の二鑑定資料チ写真<7>参照)が存する。

(オ) 左外側大腿部の全体に、暗紫赤色を呈した皮膚変色が存する(甲一三の二鑑定資料チ写真<2>、<9>参照)。

イ 身体右側部分の損傷状況

(ア) 右上眼瞼部に、棒状ないし小豆大の挫傷が存する(甲一三の二鑑定資料チ写真<3>、<4>参照)。

(イ) 右示指の背側部に、一・〇cmの棒状の挫傷が存する(甲一三の二鑑定資料チ写真<8>参照)。

ウ ア、イ以外の部分の損傷状況

(ア) 前頭上部に、六・〇cm×三・五cmの挫傷が存する(甲一三の二鑑定資料チ写真<3>、<4>参照)。

(イ) おとがい部(下顎部)に、挫傷が存する(甲一三の二鑑定資料チ写真<3>参照)。

(ウ) 頸部に、頸椎骨折が認められる。

(エ) 背部の左寛骨部に、二・五cm×二・〇cmのほぼ円形の挫傷が存する(甲一三の二鑑定資料リ写真<2>のb、同<3>のb参照)。

(オ) 前記(エ)の挫傷の上方六・〇cmで後正中線から二・五cm右腰部に、長さ八・〇cm、幅一・五cmのほぼ上下に走る棒状の挫傷が存する(甲一三の二鑑定資料リ写真<2>のa参照)。

エ 受傷原因に関する所見等

前記ア(ア)の左前頭部の黒色の傷は車体衝突時に、前記ウ(ア)の前頭上部の挫傷は転倒時に付いたものと判断される。

(六) 被告車両は、車種は日産テラノ、車体の色は濃紺色であり、車体前面にオプションパーツとして銀色のフロントガード及びアンダーガードが装着されている。

そして、本件事故による被告車両の損傷は、以下のとおり左前角部分に生じている。

ア 左前角上縁(地上高約九〇cm)に、凹損が生じている(甲一三の二鑑定資料ニ六丁目の写真、同資料ホ写真<1>、<2>、<5>参照)。

イ 左フェンダーミラーが、基部から前方に向けて左側に傾斜している(甲一三の二鑑定資料ホ写真<1>、<2>、<5>、<7>ないし<13>参照)。

ウ 左前端ボンネット及び左前フェンダー上面(地上高約九七cm、前記アの凹損から車体後部へ約二〇cm)に、凹損が生じている(甲一三の二鑑定資料ニ六丁目の写真、同資料ホ写真<12>、<13>参照)。

なお、被告車両の左前角部分において最も車体の前部となるのは、アンダーガードとフロントバンパーであり、同部位は地上高約四〇cmから約六〇cmの位置にある。これらの次に車体の前部となるのは、前記アの損傷が存する左前角上縁であり、前記イ、ウの順に車体の前方から車体の後方に位置する。また、それぞれの地上高は、前記アが約九〇cm、前記ウが約九七cmであり、前記ア、イ、ウの順に地上高が高くなる。

(七) 本件事故当時における車両用信号機及び歩行者用信号機の信号サイクルは、以下のとおりである。

ア 車両用信号機

(ア) 歩行者用信号機の押しボタンを押さない限り、常時青色表示である。

(イ) 歩行者用信号機の押しボタンを押すと、瞬時に黄色表示に変わり、黄色表示が四秒間続いた後、赤色表示に変わり、赤色表示が二四秒間続いた後、再び青色表示に変わる。

イ 歩行者用信号機

(ア) 歩行者用信号機の押しボタンを押さない限り、常時赤色表示である。

(イ) 歩行者用信号機の押しボタンを押すと、六秒後に青色表示に変わる(押しボタンが押されてから四秒間は、歩行者用信号機が赤色表示、車両用信号機が黄色表示であり、その後の二秒間は両信号機ともに赤色表示である。)。

(ウ) 青色表示が一五秒間続いた後、青色点滅表示に変わり、青色点滅表示が五秒間続いた後、再び赤色表示に変わる。

2  本件事故状況に関する関係者の供述内容

本件事故状況については、前記第二の二1のとおり、<1>本件交差点に設置された歩行者用信号機と、これに対応する車両用信号機がそれぞれ何色を表示していたのか、<2>衝突地点は横断歩道外の交差点中央付近なのか横断歩道上なのか、<3>亡Aは本件交差点を西方から東方へ(被告車両から見て右から左へ)と横断したのか、東方から西方へ(被告車両から見て左から右へ)と横断したのかについて争いがあるところ、前記1認定のとおり、本件において、亡Aが被告車両と衝突した状況を直接目撃した第三者は存在しない。他方で、Jは本件事故発生直前の事実(前記1(四)イ)、Bは本件事故発生直前直後の事実(前記1(四)ア)、Cは本件事故発生後の事実(前記1(四)ウ)をそれぞれ認識しているので、以下においては、まず、これら三名の本件事故状況に関する供述と被告らの主張に沿う供述をする被告Y1の供述とを概観した上で、<1>信号機の表示、<2>衝突地点、<3>亡Aの進行方向という各争点等に関連するそれぞれの供述の信用性を検討することとする。

(一) Jの供述内容

平成九年一一月二八日付け司法警察員作成の「業務上過失致死被疑事件の捜査について」と題する書面(乙一の三八)によれば、平成九年一一月二七日、二八日におけるJの本件事故状況に関する供述内容は、要旨、以下のとおりであったと認められる(なお、Jに関しては、供述調書は作成されていない。)。

ア 本件交差点を左折しようとした時点では、既に暗くなっており、交通量は少なめで、交差点付近に歩行者等はいなかった。

イ 本件交差点手前で一時停止して左折したが、その時の歩行者用信号機は赤色表示であった。

ウ 左折して一〇mないし二〇mくらい進行した所で後方でドカンという衝突音がしたので、すぐにサイドミラーで見たところ、何も見えなかった。その場で停止することなく、先の右側にある吹上工場に入り、集荷したが、その時の対向車には気付かなかった。

エ その後、吹上工場から事故現場を通ったが、その時、本件交差点を過ぎた所の本件道路左側にはハザードランプをつけた被告車両が停止しており、本件交差点角の歩道に男が座り込んでいるのが見え、近所の人と思われる者が数名いた。

(二) Bの供述内容

ア 当裁判所の証人尋問におけるBの供述内容は、要旨、以下のとおりである。

(ア) 東側交差道路を走行してE宅付近交差点を通過する際、同所付近で子供や婦人の姿を見掛けたことはなく、同所から本件交差点に至るまでの間に、前後に車両や歩行者の姿を見掛けたこともない。

(イ) 本件交差点手前に至り、平成九年一二月二〇日付け実況見分調書添付の交通事故現場見取図(乙一の三四、以下「B現場見取図」という。)<目>1地点で一時停止した。その際、交差点内に人はおらず、同見取図地点に対向車両(J車両)が左折していくのが見えた。

(ウ) 本件交差点を熊谷市方面へと直進する予定であったので、B現場見取図<目>1地点手前辺りから<目>1地点で一時停止するまで、本件交差点北西角に設置された歩行者用信号機の表示を見ていたところ、その際の同信号機の表示は赤色であった。

(エ) B現場見取図<目>1地点から、左右の確認をしながら同見取図<目>2地点まで進行したが、その際にも、本件横断歩道付近を含め、本件交差点周辺に歩行者はいなかった。

(オ) B現場見取図<目>2地点辺りで右方の安全確認をした時、被告車両のライトが見えた。その際、本件横断歩道の東側歩道上付近に人の姿は見えなかった。

それから、左方の安全確認をしようとしたところで、ドンという衝突音がして、亡Aが目の前を右から左へと飛んできた。その際、ブレーキ音は聞いていないと思う。

(カ) 右方の安全確認をしていた時間と、左方の安全確認をしてから亡Aが飛んでくるまでの時間について、正確なところはよく分からないが(二、三秒又は五、六秒)、右方を確認していた時間の方が長かったと思う。右方から左方へと視線を移した際の被告車両との距離についても、正確なところはよく分からないが、大体二〇mないし三〇mくらいではないかと思う。

(キ) 衝突音を聞いた際の歩行者用信号機の表示については、覚えていない。また、亡Aが飛ばされていった後は、歩行者用信号機の表示は、確認していない。

本件事故発生の前後の車両用信号機の表示は確認していない。歩行者用信号機が赤色表示ならば車両用信号機は青色表示であり、歩行者用信号機の押しボタンが押されればすぐに車両用信号機が赤色表示に変わるものと思っていた。

(ク) B現場見取図<目>2地点でそのままB車両のサイドブレーキを引き、降車して、同見取図<ア>地点でうつ伏せに倒れている亡Aのもとへ行った。その時、同見取図<1>地点に被告車両が停止していた。被告Y1が衝突後被告車両を<1>地点まで移動させたかどうかは、分からない。<1>地点の被告車両の所へ行くと、被告Y1がハンドルを持ったまま下を向いていたので、助手席の窓ガラスを叩き、被告Y1を促して車外に出し、<ア>地点の被害者の所へ連れて行き、それからG宅に行って一一九番通報をしてもらった。その後、被告Y1がG宅に来た。

(ケ) B車両から降りてB現場見取図<ア>地点まで行く間、又は同見取図<1>地点まで行く間に、行田市方面から来た車両が本件交差点を通過していったか否かについては、記憶がない。

イ 甲一五及び証人Bによれば、Bが、平成九年一二月二八日に原告らに対し供述した内容は、要旨、以下のとおりであったと認められる。

(ア) いったん止まってからそろそろと進んだ所で右を見たら、ライトをつけた車両が走ってきた。左をぐっと見たと同時にドンと音がして、目の前を横から物が飛んできたように感じた。その際、ブレーキの音は聞いていない。

(イ) すぐにサイドブレーキを掛けて車両を降りると、子供が倒れていて動かなかったので、慌てて被告Y1の所へ行った。被告Y1は運転席でハンドルを持ったまま動かなかったので、左後部のドアガラスを叩いて被告Y1を降ろした。

(ウ) そろそろと進んでいったのだから、車両用信号機が青色表示で、歩行者用信号機が赤色表示であったのは確かであると思う。

ウ また、平成九年一二月一六日付け司法警察員に対する供述調書(乙一の三五)の内容は、要旨、以下のとおりである。

(ア) B現場見取図<目>1地点で一時停止した時、同見取図地点に対向車両(J車両)が左折していくのが見えた。

(イ) 少し前進してB現場見取図<目>2地点で右方道路を見たところライトが見えたので、走ってくるなと思いながら首を左に向けた瞬間、目の前を右から左へと跳ね飛んでいく子供の姿が目に入った。その時、ドスンというようなぶつかる音がしたと思ったが、ブレーキ音には気付かなかった。

(ウ) 子供は、B現場見取図<ア>地点にうつ伏せに倒れ、被告車両は同見取図<1>地点に停止した。

(エ) 目前でこの事故を目撃し、びっくりしてB車両をその場に止めたまま、すぐに降車して倒れている子供の所に行った。その子供は、全く動く様子がなかった。

(オ) 被告車両の助手席の方からドアガラスを叩くと、運転席で被告Y1がハンドルを握ったまま少しうつむいていた。被告Y1は、すぐに被告車両から降りてきた。

(カ) 車両用信号機は青色表示で、歩行者用信号機は赤色表示であった。本件交差点に接近した時及び本件事故後も信号機はずっとこの状態で、途中で信号機の表示が変わるようなこともなかった。

(キ) 本件交差点付近には誰もおらず、本件交差点付近に至るまでに人がいることに気付くこともなかった。

(三) Cの供述内容

ア 当裁判所の証人尋問におけるCの供述内容は、要旨、以下のとおりである。

(ア) 本件道路は、本件事故発生の約三年前にできたものである。C宅は、本件交差点から自動車で渋滞がない場合約五、六分の所にあり、本件道路は、仕事及び私用でよく通行していた。

(イ) M宅の門の前(甲二参照。甲二上で測定すると、M宅は、本件横断歩道北端から北方に約一七六mないし約一五八mの本件道路の東側車線沿いに存する。)で、時速約六〇kmから時速約五〇kmに減速したが、この辺りで、初めて車両用信号機が見えた。その時の信号表示は、赤色であった。その後も走行を続け、カーブミラー(甲二参照。甲二上で測定すると、カーブミラーは、本件横断歩道北端から北方に約一一二mの本件道路の東側車線沿いに存する。)の辺りで、車両用信号機の表示が赤色から青色に変わったのを目撃した。

(ウ) 先行車両は白色・旧型のサニーであり、C車両と先行車両との距離は、M宅前では約一五〇mであったが、本件交差点の中心から約四〇m手前の地点付近で先行車両に追い付いた。

(エ) その後、先行車両は減速し、本件横断歩道手前の停止線上に停止して、本件交差点中央部に停止している車両(被告車両)に対して「パッパッ」と二回クラクションを鳴らした。すると、被告車両は中央部から左端に移動した。

先行車両がクラクションを鳴らしたのは、既に停止した先行車両の後方にC車両が停止している時である。C車両が先行車両の後方に停止していた時間は、約一分間であった。

(オ) 被告車両が左端に移動すると、先行車両はその右側を通過していったので、C車両も、それに追従して被告車両の右側を通過した。

被告車両の右横を通過する際、運転手が車内で伏せた状態なのを見た。その際、本件交差点付近に他の車両は見ていない。

亡Aは仰向けの状態で、その付近には人はいなかった。本件事故現場を通り過ぎた後、ルームミラーで、被告車両が左側に停止しておりその運転手が運転席に座っているのを見た。

(カ) 警察での取調べの際、「私が通り掛かる前、信号は一回くらい変わっているかもしれません。」と供述したのは、本件事故当時、車両用信号機は集中制御されている信号機であると思っていたからである(歩行者用信号機に対応しているとは知らなかった。)。

(キ) 車両用信号機を初めて見たのがカーブを曲がったところであり、その手前では同信号機は見えないので、同信号機の表示が黄色であった瞬間は、見ていない。

(ク) M宅前から本件交差点付近に至るまでの間に、J車両その他の対向車両とはすれ違っていない。

(ケ) 本件交差点に至るまでの間、ラジオを聞いていた。急ブレーキ音や衝突音は聞いていない。

イ また、平成九年一一月一七日付け司法警察員に対する供述調書(乙一の二五)の内容は、要旨、以下のとおりである。

(ア) 先行車両に続いて時速約五〇kmで走行していたが、事故を起こした車両の姿は見ていない。

(イ) 事故車両の運転手がまだ車内にいたことや、事故に遭った子供が、進路左側の本件交差点角の縁石の所を頭にして、首を横に向け仰向けの状態で眠るように倒れていたことから、事故直後であると思った。

(ウ) 事故車両は、センターラインに掛かるようにして停止していた。事故車両の後方に先行車両と共に停止した後、事故車両は停止した所から左端に移動した。

(エ) 信号機については、本件交差点に差し掛かる前、一回くらい変わっているかもしれない。

(オ) 信号機の手前二〇〇mくらいの地点で初めて信号機を見たところ、赤色表示であった。手前一〇〇mくらいの地点で青色表示に変わったので、そのまま進行した。

(カ) 本件交差点の手前二〇mから三〇mくらいになり、先行車両が減速するので、青信号になっているのに何だろうと思いながら進行したところ、前記(イ)、(ウ)のような状況であった。

(四) 被告Y1の供述内容

ア 当裁判所の本人尋問における被告Y1の供述内容は、要旨、以下のとおりである。

(ア) 平成九年一一月一五日付け実況見分調書添付の交通事故現場見取図(乙一の七、以下「Y1現場見取図」という。)の<1>及び<2>地点で、車両用信号機の表示が青色なのを確認した。

(イ) 信号機の表示は、Y1現場見取図の<2>地点を走行している時から衝突時までの間、青色のまま変わっていない。

(ウ) 本件交差点に進入する際には、信号機の表示、歩行者の有無、交差道路の車両の有無を確認した。その際、歩行者の姿はなかった。

(エ) 本件道路の東側車線沿いの民家(甲二のN宅)の壁がとぎれた辺りで、〇・五秒ないし一秒くらい左方の安全確認をした。左側には、はっきりとはしないが白い車があったように思う。検察庁で「左方道路に気を取られた」とだけ供述したのは、白い車についての記憶がはっきりしていなかったからである。また、その停止車両(白い車)の運転者が本件事故後に声を掛けてきた男性(B)であると知ったのは、平成九年一二月か平成一〇年一月ころであって、本件事故直後の時点では、停止車両の運転者がBとは分からなかった。

(オ) J車両の存在については、はっきりとは覚えていないが、言われてみるとあったように思う。本件事故直後は、ショックでJ車両の存在が頭の中から消えていた。今思うと、亡Aの発見が遅れたのは、同人がJ車両の死角に入ってしまっていたからで、同車両が本件横断歩道を少し過ぎた辺りを走行している時に被告車両とすれ違ったと思う。

(カ) 最初に発見した時の亡Aの位置は、Y1現場見取図<ア>地点より一mないし一・五mほど対向車線寄りの地点である。その際の亡Aの様子は、鴻巣市側に向かい、同方向のみを見て、徒競走か何かのような走り方で被告車両の前を右から左へと横切っていった。走り方は、全力疾走に近かったと思う。被告車両の方は全く見ておらず、被告車両に気付いた様子もなかった。

(キ) 亡Aを発見すると同時に、急ブレーキを踏みハンドルを右に切った。ハンドルを左でなく右に切った理由は、亡Aが被告車両の前を駆け足で右から左へ横切っていく様子を見て、ハンドルを左に切るとかえって追い掛けるような感じになると思ったからである。

(ク) Y1現場見取図<×>地点で、被告車両の左前角が亡Aの左脇腹に最初にぶつかり、フェンダー上部がおでこにぶつかったと思う。

(ケ) 衝突後、被告車両はY1現場見取図<4>地点で停止した。しかし、そのままでは交通の邪魔になると思い、約五秒間停止した後、すぐにフットブレーキを外して、吉見町側の車両用信号機の下に被告車両をアイドリング状態で停止させた。後続車が来てクラクションを鳴らされたために<4>地点から被告車両を移動させたわけではない。また、移動させる際、バックミラーで確認したが、後ろから車両は来なかった。

(コ) 車両用信号機の下に被告車両を停止させてから、すぐにサイドブレーキを引き、エンジンを掛けたまま亡Aの所へ行った。ガラスを叩いて降車するよう促された記憶はない。停止してから右側を通過していく車両もなかった。

(サ) 被告車両を降りてから亡Aの所へ行く途中で、再度、吉見町側の車両用信号機を見たところ、青色表示であった。

(シ) 亡Aは、Y1現場見取図<イ>地点に、頭部を歩道側、顔を行田市方面に向けて、横向きの状態で倒れていた。亡Aのそばで立ちすくんでいるところを、四五歳ないし五〇歳くらいの男性(B)に声を掛けられた。

(ス) Bが先に立って、本件交差点付近の民家に救急車を呼びに行った。その際、本件交差点を斜めに横断した。また、その際、本件交差点内に進入してくる車両も、本件交差点付近に停止している車両もなかった。警察の取調べでは、一緒に行った男性のことにも触れたはずだが、自分も救急車を呼んだという意識が強かったので、警察が聞き落とし、調書上は、自分だけが救急車を呼びに行ったことになっているのではないかと思う。

(セ) 民家からはBと一緒に現場に引き返し、本件横断歩道を渡った。すんなり渡れたので、歩行者用信号機の表示は青色であったのではないかと思う。その際、本件交差点付近に停止している車両はなかった。亡Aの付近まで来た時、本件交差点の北東角に白い車と原付があったと思う。

(ソ) 救急車を待っている間、Bに亡Aはどこから来たのかと聞かれた。右から来たのは分かったが、その前に吉見町方面から来たのか、熊谷市方面から来たのかは、はっきり分からないと答えた。

(タ) 被告車両から降りた時にはハザードランプをつけていなかったが、戻ってきたらハザードランプがついていた。誰かにハザードランプをつけたと言われた。また、民家から戻った後、メモを取ろうとして被告車両の中に入ったこともあった。

イ 乙一の一、一の四、一の七、一の一〇、一の二三及び一の二七によれば、捜査段階における被告Y1の供述のうち、前記アの当裁判所における供述と異なる部分は、要旨、以下のとおりであり、B及びB車両の存在並びに対向車両であるJ車両の存在については、一切言及されていない(その他については、概ね当裁判所における供述と一致している。)。

(ア) Y1現場見取図<1>地点で、車両用信号機が青色表示であることを確認し、同見取図<2>地点で最後に青色表示を確認した(平成九年一一月一五日付け実況見分調書〔乙一の七〕、同月一六日付け司法警察員に対する供述調書〔乙一の一〇〕、同月二一日付け検察官に対する供述調書〔乙一の二七〕)。

(イ) Y1現場見取図<3>地点の時に、同見取図<ア>地点に、走って右から左へと横断してきた亡Aの姿を認めた(平成九年一一月一五日付け実況見分調書〔乙一の七〕、同月一六日付け司法警察員に対する供述調書〔乙一の一〇〕、同月二一日付け検察官に対する供述調書〔乙一の二七〕)。

(ウ) Y1現場見取図<×>で被告車両の左前部が亡Aの体にぶつかり、亡Aは同見取図<イ>地点に倒れ、被告車両は<4>地点に停止した。びっくりして被告車両を前進させ、道路左側に寄せて、すぐ車から降りた(平成九年一一月一六日付け司法警察員に対する供述調書〔乙一の一〇〕)。

(エ) 亡Aは、歩道の縁石の方に頭を向けて、うつ伏せで全く動く様子がなかった(平成九年一一月一六日付け司法警察員に対する供述調書〔乙一の一〇〕)。

(オ) 事故後は、自分が民家に駆け込んで救急車の手配をお願いした(平成九年一一月一六日付け司法警察員に対する供述調書〔乙一の一〇〕)。

(カ) 亡Aの発見が遅れたのは、本件事故当時、交通量も少なく、歩行者や自転車の姿も見当たらなかったので、飛び出してくる者はいないと思って遠方の状況を見ながら走ってしまったからである(平成九年一一月一六日付け司法警察員に対する供述調書〔乙一の一〇〕)。

(キ) Y1現場見取図<2>地点から同見取図<3>地点までの間、亡Aに全く気付かなかったのは、なぜだかよく分からないが左方道路に気を取られていたからである(平成九年一一月二一日付け検察官に対する供述調書〔乙一の二七〕)。

3  信号機の表示について

(一) 前記2(三)ア(イ)、同イ(オ)のとおり、Cは、本件交差点手前で車両用信号機が赤色表示から青色表示に変わるのを見たと述べているところ、前記1(七)認定のとおり、車両用信号機は歩行者用信号機の押しボタンが押されない限り青色を表示しており、押しボタンが押されてから二八秒後に赤色表示から再び青色表示となるのであるから、Cの供述どおりであるとすれば、Cが車両用信号機が赤色表示から青色表示に変化するのを見た時点から二八秒前に、何者かが歩行者用信号機の押しボタンを押したことになる。

そして、その押しボタンを押したのが亡Aであり、亡Aが歩行者用信号機が青色表示となるのを待ってから本件横断歩道の横断を開始したのであるとすれば、前記1(七)認定のとおり、歩行者用信号機の表示が赤色から青色に変わるのは押しボタンを押してから六秒後のことなので、亡Aが横断開始後間もなく被告車両と衝突したと仮定すると、本件事故が発生したのは、Cが車両用信号機が赤色表示から青色表示になるのを認めた時点から約二二秒前という計算になる。さらに、前記2(三)ア(イ)のとおり、Cは、信号表示が変わるのを認めた地点を本件道路の東側車線沿いのカーブミラーのある地点(本件横断歩道北端から約一一二m北方の地点)であるとし、その際のC車両の速度は時速約五〇km(秒速約一三・九m)であったと述べるので、本件交差点前における減速等を考慮しない場合、同地点から本件交差点付近に至るには少なくとも八秒を要することになる。したがって、Cの目撃した車両用信号機の赤色表示が、亡Aが歩行者用信号機の押しボダンを押したことによるものであるとすれば、計算上、Cが本件交差点に到着したのは、本件事故発生後約三〇秒が経過した時点ということになる。

(二) 一方、Cが本件交差点付近に到着したのが本件事故直後であることを裏付ける事実として挙げるのは、前記2(三)ア(エ)、(オ)、同イ(イ)、(ウ)のとおり、C車両が本件交差点付近に到着した時点では、まだ被告車両が本件交差点中央部に停止しており、C車両の先行車両である白色のサニーがクラクションを鳴らして初めて被告車両が左端に移動したこと、及びC車両が移動して停止した被告車両の右横を通過する際、被告車両には運転手が車内で伏せた状態であったことであるので、この点に関するC供述の信用性について検討する。

この点、本件事故発生の直前直後の事実を目撃しているのはBであり、同人の供述内容は、前記2(二)アないしウのとおり、当裁判所の証人尋問における供述内容が細部においてややあいまいとなっている点を除けば、刑事事件における捜査段階からほとんど変遷がなく、信用性が高いものと認められる。そして、同人の供述によれば、B現場見取図<目>2の地点で左方の確認をしている際に本件事故が発生し、すぐに降車して同見取図<ア>地点の亡Aを確認してから同見取図<1>の地点の被告車両の所へ行って被告Y1を同車両から降ろしたというのであり(前記2(二)ア(ク)、同イ(イ)、同ウ(エ)、(オ))、本件事故発生からこの間に要した時間は、仮にBが降車するまでに一三秒を要したとしても、せいぜい一七秒ないし三二秒程度であり(乙四、四一頁ないし四三頁添付の写真<5>ないし<12>参照。本件事故を再現した前記写真左下の時間の表示によれば、Bが本件事故発生から約一三秒後にB車両から降りたことになる。)、Cが本件交差点付近に到着した時点では、既に被告車両は本件交差点中央部付近からは移動していたはずである。しかも、Cの供述によれば、C車両が本件交差点手前で停止していた時間は約一分間というのであり(前記2(三)ア(エ))、C車両が被告車両の右横を通過する際には、亡Aの付近に人はおらず、被告車両には運転手が座っていたというのであるから(前記2(三)ア(オ))、同人の供述とBの供述をあえて整合的に捉えようとすれば、被告Y1はもとより、Bも、本件事故発生から一分三〇秒近くもの間、車内にとどまっていたと考えるほかはない(前記(一)のとおり、Cが本件事故発生から約三〇秒後に本件交差点付近に到着していたものとする。)。

しかし、事故発生を目撃した第三者は、事故発生に気付けば直ちに降車して事故現場に駆け付けるのが通常であると考えられる上、Bは、降車して亡Aのそばに行くまでは、人ではなく物が飛んできたように感じていたのであり(前記2(二)イ(ア))、本件事故を起こした当事者でもないBが、事故のショックで茫然とし車内に数十秒もの間とどまるという事態はおよそ考え難いといわなければならない。Bの記憶には多少の欠落があるが(路上のブレーキ痕からして、被告車両がいったん本件交差点の中央付近に停止し、その後道路左端に移動したことが明らかであるが、Bはこの事実を記憶していない。)、このことは、以上の判断を左右するものではない。かえって、Bは、本件事故発生の約一か月後である平成九年一二月一六日には司法警察員に対し(前記2(二)ウ(エ))、約一か月半後である同月二八日には原告らに対し(前記2(二)イ(イ))、「すぐに降車して亡Aのもとに行った」旨の供述をしているのであるから、本件事故が発生してからBが降車するまでの間に一〇秒以上を要したとは到底考えられない。さらに、前記(一)のとおり、C供述が、仮にその供述の信用性が認められるとしても本件事故発生から約三〇秒も経過した後の状況を述べているにすぎないのに対し、B供述は、まさに本件事故発生の直前直後の状況を供述している点において、両供述の信用性にはおのずから差があるというべきである。

そうすると、本件事故から二日後に警察に名乗り出て目撃した事実を申告したCが積極的に虚偽の事実を述べているとは考えられず、また、その供述内容もそれなりに具体的ではあるけれども、以上のとおり、これをB供述と整合的に理解することは困難であって、C供述には、思い違いや見間違いに基づく部分があると判断せざるを得ない。したがって、C供述は容易に採用し難く、C車両が本件交差点付近を通過したのが本件事故直後(本件事故発生から約三〇秒後)とは認められない。したがって、C供述から亡Aが歩行者用信号機の押しボタンを押したものと推認することもできない。

なお、原告らは、(a)前記1(三)、(四)エ記載のEが、E宅内で、衝突音ないしブレーキ音を聞いた後に、本件交差点内にトラックみたいな車が停止しているのを目撃したとしていること(甲一九)、(b)前記1(四)ア、エ記載のIが、BがG宅に一一九番通報を依頼する前に、玄関の磨りガラス越しに本件交差点内にハザードランプを点滅させて停止している車両が存在するのを見たと述べていること(原告X1本人)から、被告車両は本件交差点中央部分にしばらく停止していた、と主張するようである。

しかし、これらはいずれも前記B供述に反する上、(a)については、そもそも、Eの言う「トラックみたいな車」が被告車両を指すのか否かについて疑問がある上、甲二七及び乙一の一九によれば、本件事故当日の日没は午後四時三五分であり、それから約三〇分経過した午後五時五分の時点での地上照度は約一・六ルクス(大ざっぱな戸外の農作業ができる限界の明るさで、近くで人が働いていたとしても、人が動いていることは分かるが、誰であるかの判別はできない程度)であったことが認められるので、本件交差点から約九七m離れたE宅前(前記1(三))からの目撃状況には信用性がない。また、(b)については、Gの供述は、原告X1による伝聞であり、しかも、磨りガラス越しに見た状況なので、これも正確性に疑問が残る。

したがって、前記原告らの主張は採用することができない。

(三) 他方、本件事故発生直前の歩行者用信号機の表示については、Jが、J車両が左折する時点では赤色表示であったと述べるとともに(前記2(一)イ)、Bも、B現場見取図<目>1の地点で一時停止した時点では赤色表示であったと述べているのであるから(前記2(二)ア(ウ))、少なくとも、同人らが確認した時点での歩行者用信号機の表示は赤色であったものと認められる。

そして、Jは、左折して一〇mないし二〇m走行した所で、自己の後方で衝突音を聞いたとしているところ(前記2(一)ウ)、甲九、一〇及び三一によれば、J車両が左折してから一〇mないし二〇m走行するまでには六秒ないし九秒程度しか要しないと認められるから、この間に信号表示が変わっていた可能性は極めて低い。

また、Bにしても、乙一の三四によれば、一時停止後歩行者用信号機の赤色表示を認めたとするB現場見取図<目>1の地点から右方及び左方の安全を確認した同見取図<目>2の地点までは、わずか四mしかないことが認められる上、<目>2の地点で右方及び左方の安全確認をしていた時間については、当裁判所の証人尋問におけるB供述では、やや判然としない面が存するものの、右方の安全確認の時間の方が左方のそれよりも長かったとし(前記2(二)ア(カ))、司法警察員に対しては、首を左方に向けた瞬間跳ね飛んでくる子供の姿が目に入った旨(前記2(二)ウ(イ))、原告らに対しては、左をぐっと見たと同時にドンと音がした旨(前記2(二)イ(ア))、それぞれ供述しているのであるから、右方及び左方の安全確認にそれほどの時間を要したとも考えられない。したがって、Bが歩行者用信号機の赤色表示を認めた時点から衝突時点までの間に信号表示が変わっていた可能性も、また、極めて低いものと考えられる。

(四) さらに、当裁判所の本人尋問における被告Y1の供述は前記2(四)アのとおりであるところ、同供述は、前記2(四)イで掲げた限度で捜査段階から変遷しており、特に、(a)Y1現場見取図<2>地点以降も車両用信号機の表示は青色であり、被告車両を降車した後にも車両用信号機の青色表示を確認したとしている点(前記2(四)ア(イ)、(サ))、(b)左方道路に白色の乗用車が停止していたとしている点(前記2(四)ア(エ))、(c)本件横断歩道付近でJ車両とすれ違ったしている点(前記2(四)ア(オ))、(d)亡Aを最初に発見した位置が、Y1現場見取図<ア>地点より一mないし一・五m対向車線寄りであったとしている点(前記2(四)ア(カ))については、捜査段階でかかる供述がなされたことは一度もなく、本件事故発生から約三年九か月経過してから初めてなされたものであるので、その信用性は低いものというべきである。しかし、他方で、被告Y1の供述は、車両用信号機の青色表示を少なくとも同見取図<2>までは確認していたという点においては変遷はなく一貫しており、また、信用性の低い前記(a)ないし(d)の供述部分は、いずれも被告車両が同見取図<2>地点以降を走行している際の被告Y1の認識であるから、そのために、それ以前の状況に関する被告Y1の供述すべての信用性が否定されるとまではいえない。

そして、乙一の七によれば、<2>地点から亡Aを発見したという同見取図<3>地点までの距離は約二四・五m、<3>地点から被告車両のブレーキ痕開始地点までの距離は約八mと認められるところ(なお、<3>地点からブレーキ痕開始地点までの距離は、Y1現場見取図上で測定した。)、被告車両は時速約四〇km(秒速約一一・一m)で走行していたのであるから(前記1(二))、<2>地点から<3>地点までは約二・二秒を要した程度であって、<2>地点で前方の車両用信号機が青色表示であることを確認していたとすれば、その後、前方を十分注視していなかったとしてもそれほど不自然ではなく、<3>地点でブレーキを踏んだとすれば、ブレーキ痕開始地点までの所要時間は約〇・七秒であるから、空走時間としては平均的な数字である(甲一三の一、二四ないし二五頁参照)。

そうすると、<2>地点において車両用信号機の青色表示を確認したという被告Y1の供述は、その限度においては捜査段階から何ら変遷もなく、他の認識地点(<3>地点)及び客観的証拠である現場のブレーキ痕開始地点との関係にも何ら不自然な点が認められない上、J及びBが確認した時点での歩行者用信号機は赤色表示であり、本件事故発生時までにその表示が変わっていた可能性は極めて低いという前記(三)の事実とも整合する。以上のほか、前記(一)、(二)で検討したとおり、C供述から亡Aが歩行者用信号機の押しボタンを押したと推認することはできないこと、他にこの推認を覆すに足りる的確な証拠がないことを勘案すれば、<2>地点において車両用信号機の青色表示を確認したという被告Y1の供述は信用できるものというべきである。

(五) 以上検討してきたところによれば、被告車両がY1現場見取図<2>地点を走行している際、車両用信号機は青色表示であったと認められる。そうすると、前記(四)のとおり、被告車両は、<2>地点を通過してから本件横断歩道北端付近である<3>地点に約二・二秒で到達することからすれば、仮に、被告車両が<2>地点を通過した以降に亡Aが歩行者用信号機の押しボタンを押したとしても、被告車両が<3>地点を通過する際には、いまだ歩行者用信号機の表示は赤色であったことになるから(前記1(七)認定のとおり、歩行者用信号機は押しボタンを押してから六秒間は赤色表示のままである。)、被告車両が亡Aに衝突した時点における歩行者用信号機は赤色表示であったと認めるのが相当である。

また、歩行者が押しボタンを押したとすれば、横断歩道の直近に車両が走行していない状態であればともかく、車両が迫っている状態で、赤色表示のうちに横断を開始するとはおよそ考えられない。そして、被告車両が亡Aに衝突した時は、歩行者用信号機が赤色表示であったのであるから、亡Aは押しボタンを押すことなく横断を開始したものと認められる。したがって、歩行者用信号機の押しボタンが押されていない以上、被告車両が亡Aに衝突した時点における車両用信号機は黄色表示とはなり得ず、車両用信号機は青色表示であったと認めるのが相当である。

4  衝突地点について

(一) Y1現場見取図<×>地点で亡Aと衝突した旨の被告Y1の供述については、変遷もなく(前記2(四)ア(ク)、同イ(ウ))、同地点は乙一の七によればブレーキ痕の開始地点から約二・八m走行したブレーキ痕上にあることが認められるので(ブレーキ痕開始地点から<×>地点までの距離は、Y1現場見取図上を測定した。)、現場の客観的状況とも矛盾はない。この点、被告Y1はY1現場見取図<3>地点で同見取図<ア>地点に亡Aを発見したと供述しているところ(前記2(四)イ(イ)。<ア>地点より一mないし一・五mほど対向車線寄りで亡Aを発見したとする供述が信用できないことは、前記(3(四)記載のとおりである。)、乙一の七によれば、<ア>地点から<×>地点までの距離は約一・六m、<3>地点から<×>地点までの距離は約一一・一mと認められるので、この間被告車両が時速約四〇km(秒速約一一・一m)で走行したとすれば、被告車両が同区間を移動するために必要な時間は約一秒であるから、計算上、亡Aは秒速約一・六mの速さで<ア>地点から<×>地点まで移動したこととなる。これは、八歳女子の小走りの状態での速さが秒速二・五一三mとされていること(乙五参照)と比較するとやや遅い速度であるが、このことにより直ちにY1供述全体の信用性が否定されるということにはならない。

一方、Bは、本件事故直後の状況について、B現場見取図<目>2の地点で左方を向いた時、衝突音と同時に亡Aが目の前を右から左へと飛んできた旨一貫して供述しているところ(前記2(二)ア(オ)、同イ(ア)、同ウ(イ))、亡Aが<×>地点で被告車両に跳ね飛ばされY1現場見取図<イ>地点で停止したとすれば、<目>2の地点で左方を向いているBにとっては、まさに亡Aが目の前を右から左へと飛んでいくように見えるものと考えられることから、衝突地点を<×>地点とする前記被告Y1の供述は、Bが目撃した状況と極めて整合的であるといえる。

したがって、<×>地点で亡Aと衝突した旨の被告Y1の供述は信用でき、被告車両は<×>地点で亡Aと衝突したものと認められる。

(二) 原告らは、O作成の鑑定書(甲一三の一・二、二五、四四)を提出し、同鑑定書により計算される<×>地点からの亡Aの飛翔距離は三・七三m、路面滑走距離は八・二二mで合計約一二mとなり、乙一の七により認められる亡Aの転倒地点<イ>地点と<×>地点との間の距離が約九・三mであることと矛盾する旨主張する。

この点につき、同鑑定書の飛翔距離及び路面滑走距離の計算は、亡Aの上半身がボンネットの上に倒れることなく、身長一三七cmの亡Aの重心位置である約六九cmの高さで亡Aが被告車両と衝突し、その地点から仰角〇度で前方に投げ出されたことを前提としている(甲一三の一、一七頁ないし二四頁)。

しかし、前記1(五)に認定したとおり、亡Aの損傷は、右側面においては、右上眼瞼部と右示指の背側部、背部においては、左寛骨部とその上方六・〇cmで後正中線から二・五cmの右腰部、その他、前頭上部、おとがい部及び頸椎骨折が認められるほかは、左前頭部、左耳介部から上方六・〇cmの側頭部、左頬骨部及び左上唇部、左肩峰部及びその下方一四・〇cmの左肘部外側部及び左外側大腿部と、左側面に集中している。一般に、人と車両とが衝突する場合、人も車両も、第一次的に衝突した部位が最も損傷の程度が激しいものと考えられるところ、亡Aの場合、その損傷は前記のとおり左側面に集中し、また、前記1(六)アないしウ認定のとおり、被告車両の損傷は左前角部からその後方にかけて生じているのであるから、衝突の態様としては、まず亡Aの身体の左側面が被告車両の左前部に衝突したものと推認するのが相当である。そして、前記1(六)認定のとおり、被告車両の左前角部分において最も車体の前部となるのは、アンダーガードとフロントバンパーであり、同部位は地上高約四〇cmから約六〇cmの位置にあり、これらの次に車体の前部となるのは地上高約九〇cmの左前角上縁であるところ、前記亡Aの左側面の損傷のうち、前者の部位に対応する損傷が左外側大腿部の損傷であり、後者の部位に対応する損傷が左肩峰部及びその下方約一四・〇cmの左肘部外側部の損傷であると推認するのが合理的である。

また、前記1(五)ア(ア)の左前頭部に〇・五cm間隔で存する、ほぼ上から下方向にかけての黒色を呈した長さ五・〇cm及び長さ三・〇cmの二本の棒状の挫傷は、車体衝突時に付いたものとされ(前記1(五)エ)、その損傷の状態(甲一三の二鑑定資料チ写真<5>参照)は、前記1(六)ウで認定した被告車両の左前端ボンネット及び左前フェンダー上面の凹損部位のフェンダーとボンネットの間付近の形状(甲一三の二鑑定資料ニ六丁目の写真、同資料ホ写真<12>、<13>参照)と整合的である。そうすると、亡Aは、被告車両の左前部に左外側大腿部、左肩峰部及びその下方約一四・〇cmの左肘部外側部等を衝突させた後に、その左前頭部を前記凹損部位(地上高約九七cm、被告車両左前角上部から車体後部へ約二〇cmの地点)に衝突させたものと認められる。

この点、原告らは、前記亡Aの背部の損傷がいずれも重心位置付近であり、布目痕も認められることから、亡Aは左背面から重心位置において被告車両に衝突され跳ね飛ばされた旨主張し、甲一三の一にも同主張に沿う記載がある。しかし、亡Aがまず左背面から被告車両に衝突されたのだとすれば、その後どのような態様で亡Aの身体の左側面部(特に左大腿部と、被告車両のフェンダーとボンネットの間付近に衝突した左前頭部)が衝突したのかを、合理的に説明することができない。

これに対し、前記のとおり、亡Aが左側面をまず衝突させた後に、衝突の勢いによって、亡Aの身体が回転して亡Aの背部が被告車両の左前角部に衝突して前方に投げ出され、うつ伏せの状態でY1現場見取図<イ>の地点で停止し、その際に前頭上部、おとがい部等の損傷を負ったものとすれば、亡A及び被告車両の本件事故による損傷を最も合理的に説明できるものと考える。

以上検討してきたところによると、亡Aの上半身がボンネットの上に倒れることなく、重心位置である約六九cmの高さで亡Aが被告車両と衝突し、そこから仰角〇度で前方に投げ出されたという同鑑定書の前提自体が、必ずしも合理的な根拠を有するものではないことになる。また、仮にその前提及び理論的に計算された数値が正しかったとしても、亡Aの最終的な停止位置は、必ずしも路面との摩擦力の減少のみによって決まるのではなく、停止位置付近の道路状況等も影響するものと考えられるところ、乙一の七・一六によれば、亡Aの最終停止位置であるY1現場見取図<イ>地点付近には歩道の縁石が存在していたと認められるから、亡Aの身体の一部が歩道の縁石に衝突することによって路面滑走距離が短縮された可能性も十分に肯認し得る。

また、同鑑定書による衝突地点(本件横断歩道南端から一・五m、同北端から二・五m、同東端から約一・四m)を前提とした飛翔距離(四・五五m)及び路面滑走距離(一二・一八m)によれば、衝突時においてB現場見取図<目>2の地点で左方を向いているBにとっては、目の前の路上を滑走していく亡Aの姿しか目に入らないことになるが(甲四九添付図面参照)、これは、衝突音と同時に亡Aが目の前を右から左へと飛んできた旨のBの前記供述と明らかに異なり、不合理である。

したがって、O作成の鑑定書に基づく原告らの前記主張は、採用することができない。

(三) また、原告らは、Bがブレーキ音を聞いていないこと、K、H及びIが衝突音の後にブレーキ音を聞いていること、Eは、「ガチャ」という音を聞いたが、ブレーキ音についての記憶は曖昧であることを指摘し、これらの事実からすれば、被告車両はブレーキを踏み込む前に亡Aに衝突したことになる旨主張する。

しかし、Kは、平成九年一一月二三日には、聞き込みにきた警察官に対し、ブレーキ音を聞いたが衝突音は聞こえなかったと供述し(乙一の二八)、同じころ、原告らに対し、ドーンという衝突音の後にキキーというブレーキ音を聞いたと話し(原告X1本人)、さらに、平成一三年八月二四日には、被告会社から依頼された調査員に対し、「ドン」という衝突音を聞いたと供述しており(乙四)、事故発生時に同人が認識した音の内容は明確であるとはいい難い。また、Eにしても、平成九年一一月二八日には、取調べにおいて「キキー」というブレーキ音を聞いたと供述し(乙一の三九)、平成一〇年七月二五日には、原告らに対し、警察に話した時の方が記憶が鮮明で正しいと思うとしつつ、「ガチャ」という音が聞こえたような気がするがそれがブレーキ音かどうか分からない旨話し(甲一九)、平成一三年七月二四日には、被告会社から依頼された調査員に対し、「キキー」というブレーキ音を聞いたのは確かである旨供述しており(乙四)、同人の音に対する認識及び供述内容も明確であるとはいい難い。Gらに至っては、原告X1による伝聞供述しか存しないので、そもそもその内容の正確性、信用性に疑問がある。いずれにしても、本件事故現場にまさに居合わせたB自体がブレーキ音を認識していないことが端的に示すように、音に関する人の認識の在り方は必ずしも客観的なものとはいえないので、衝突音とブレーキ音の先後関係から被告車両がブレーキを踏み込む前に亡Aに衝突したと推認することは失当であり、原告らの前記主張は採用することができない。

5  亡Aの進行方向について

(一) 亡Aを最初に発見した位置に関する被告Y1の当裁判所の本人尋問における供述が信用できないことは、前記3(四)で述べたとおりであるが、亡Aが被告車両の前を右から左へ(西方から東方へ)と横切っていったのでハンドルを右に切ってこれを避けようとしたという供述は、被告Y1が現行犯逮捕された当初から一貫して行っている(乙一の四参照)。

そして、前記4(二)で述べたように、亡Aの損傷及び被告車両の損傷状況から合理的に推認される衝突の態様は、まず亡Aの身体の左側面が被告車両の左前角に衝突し、亡Aの身体が回転して亡Aの背部が被告車両の左前角部に衝突して前方に投げ出されるというものであり、これは亡Aの進行方向に関する被告Y1の供述と整合するので、被告Y1の同供述は信用に値するというべきである。

したがって、亡Aは本件交差点を西方から東方へ(被告車両から見て右から左へ)と横断したものと認められる。

(二) なお、原告らは、被告Y1が、事故直後は亡Aがどこから来たのか分からない旨供述していたこと、亡Aが被告車両の前を右から左へと横切っていったのにハンドルを右に切るのは不合理であることを指摘して、被告Y1の前記供述は信用できない旨主張する。

前記1(四)エ認定のとおり、被告Y1が本件事故直後Bに対し、亡Aが「どこから来たのか分からない。」旨話していたのは事実であるが、前記3(四)で検討したところによれば、被告Y1は、被告車両がY1現場見取図<2>地点を通過してから同見取図<3>地点で亡Aを発見するまでの間、前方を十分に注視していなかったことが認められ、また、前記4で認定したとおり、被告車両はブレーキ痕が印象された後に亡Aに衝突しているのであるから、被告Y1のBに対する前記発言は、最初に亡Aを発見する前の亡Aの挙動については分からないという趣旨であると理解するのが自然であり、被告Y1も当裁判所の本人尋問において同様の趣旨を供述している(前記2(四)ア(ソ))。

また、被告Y1がハンドルを右に切った点については、その説明自体が不合理なものとは認められず、衝突態様とも整合することは前記(一)認定のとおりである。

したがって、原告ら指摘の事実は、いずれも被告Y1の前記供述の信用性を否定するに足りるものではないので、原告らの前記主張は採用することができない。

(三) さらに、原告らは、亡Aが本件交差点を西方から東方へと横断したとすると、亡Aは、本件事故発生前に、本件交差点の北東角歩道から同北西角、あるいは南西角に渡ってから、本件交差点内へと引き返す形となるところ、亡Aの本件事故前の行動の経緯からしてそのような時間的余裕はない旨主張する。

この点、亡Aの本件事故前の行動は前記1(三)で認定したとおりであるが、甲二〇の一・二及び乙七によれば、○○町内において午後五時ころに放送される「ふるさとのメロディ」は、三八秒間続き、午後五時ちょうどに放送されるのではなく、一分前後の誤差が日によって生じていたことが認められるので、「ふるさとのメロディ」を基準にして亡Aの本件事故前の行動時間を特定することは困難である。

そこで、本件事故前において、最終的に亡Aの姿が確認されているE宅付近交差点から、亡Aが本件交差点付近に至るまでに要する時間と本件事故発生時との関係を中心に検討する。

甲二、三の二、五の一ないし五の六によれば、E宅付近交差点から本件交差点北東角(甲三の二の消火栓付近の電柱を基点とする。)までは、約九七・一m、同地点から本件交差点北西角の歩道上までは、本件横断歩道を経由しない直線距離で、約一四mであると認められる。乙五によれば、亡Aとほぼ同年代である八歳女子の小走りの状態での速さは秒速二・五一三mと認められるので、この速さを前提とした場合、E宅付近交差点前から本件交差点北東角に至るまでは約三九秒弱、そこから本件交差点北西角の歩道上まではさらに約六秒弱を要し、合計で約四四秒強を要することになる。

ところで、乙一の三九、四によれば、Eは、E宅付近交差点で亡Aに声を掛けた後、E宅前の玄関に入る際、東側交差道路を白色の乗用車が走行していくのを目撃していることが認められる。仮にこの白い乗用車がB車両であったとすると、同車両は時速約三〇km(秒速約八・三三m)で東側交差道路を走行し本件交差点付近へと至ったのであるから(前記1(四)ア)、B車両がEに目撃されてから本件交差点付近に至るまでの所要時間は約一二秒弱である。

したがって、Eが亡Aと別れてからB車両を目撃するまでの所要時間が約三二秒以上であれば、計算上、B車両が本件交差点に至る前に亡Aが本件交差点北西角の歩道上まで到達することが可能となる。そして、乙四の一八ないし二一頁、五一頁添付写真<7>ないし<11>によれば、この所要時間は約三三秒ないし約四四秒と認められるので、仮にEの目撃した白い乗用車がB車両であったとしても、亡Aが、B車両が本件交差点付近に到達する前に本件交差点北東角に至り、さらに本件交差点北西角まで横断することは可能であったものと考えられる。

なお、Eの目撃した車両がB車両であるという前提に立った場合、亡Aが本件事故発生以前に本件交差点付近にとどまっていた時間はほとんどなかったということになるが、これは、かえって、本件事故発生当時、JもBも亡Aの姿を本件交差点付近に認めていなかった事実と整合するものといえる。

以上のとおり、亡Aが本件交差点を西方から東方へと横断したことは、本件事故前の亡Aの行動を前提とした時間的観点からも合理的に説明が可能であるので、原告らの前記主張は採用することができない。

6  本件事故態様と過失割合

(一) 前記3ないし5で検討してきたところによれば、本件事故態様は、被告Y1が、被告車両を運転し時速約四〇kmで本件交差点に進入しようとしたところ、交通量が少なく、歩行者や自転車の姿が見当たらなかったことや、Y1現場見取図<2>地点で車両用信号機が青色を表示していたことに気を許し、進路前方の安全を十分確認しないまま走行した過失により、同見取図<3>地点において、本件交差点内を西方から東方へと横断してきた亡Aの姿を同見取図<ア>地点に初めて発見し、急ブレーキをかけるとともにハンドルを右に切ったが間に合わず、被告車両を亡Aに衝突させたというものである。

(二) そうすると、本件事故発生について、被告Y1には前記(一)の内容の前方不注視の過失が存するが、他方、亡Aにも、前記3ないし5のとおり、歩行者用信号機の赤色表示に従わず、かつ、横断歩道外を横断して本件交差点内へと進入した過失が認められるので、亡Aが本件事故当時九歳(甲一)の児童であったことを考慮しても、本件事故発生についての亡Aの過失は六割と認めるのが相当である。

二  争点2(損害額)について

1  逸失利益 三二四〇万六二一五円

亡Aは、本件事故当時九歳であり、本件事故に遭わなければ、一八歳から六七歳まで四九年間就労し、その間、平成九年賃金センサス第一巻第一表の産業計・企業規模計による全労働者の全年齢平均年収五〇三万〇九〇〇円を得ることができたものと認めるのが相当である(東京地裁平成一三年三月八日判決・判例時報一七三九号二一頁、東京高裁平成一三年八月二〇日判決・判例時報一七五七号三八頁参照)。

そして、基礎収入を年収五〇三万〇九〇〇円、生活費控除率を四五%として、年五%のライプニッツ方式により中間利息を控除すると、亡Aの逸失利益は、次の計算式のとおり、三二四〇万六二一五円となる(円未満切捨て、以下同じ。)。

計算式:503万0900円×(1-0.45)×(18.8195-7.1078)=3240万6215円

2  葬儀費用(原告ら固有の損害) 各六〇万〇〇〇〇円

葬儀費用は、各六〇万円ずつ、合計一二〇万円と認めるのが相当である。

3  死亡慰謝料(原告ら固有の慰謝料) 各一〇〇〇万〇〇〇〇円

本件事故の態様、亡Aの年齢、生活状況その他本件記録に現れた諸般の事情を考慮すると、本件事故による原告ら固有の慰謝料は各一〇〇〇万円、合計二〇〇〇万円が相当と認める。

4  小計 各二六八〇万三一〇七円

1の二分の一(原告らの相続分)、2及び3を合計すると、過失相殺前の原告らの損害額は、各二六八〇万三一〇七円となる。

5  過失相殺後の残額 各一〇七二万一二四二円

前記一6(二)の過失割合に従い、過失相殺として4の金額からそれぞれ六割を減額すると、残額は各一〇七二万一二四二円となる。

6  弁護士費用 各一一〇万〇〇〇〇円

本件事案の内容、本件訴訟の審理経過、本件の認容額等を勘案すると、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用の額は、各一一〇万円と認めるのが相当である。

7  合計 各一一八二万一二四二円

第四結論

以上によれば、原告らの本訴請求は、被告Y1に対しては、各原告について一一八二万一二四二円及びこれらに対する本件事故の日である平成九年一一月一五日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で、被告会社に対しては、原告らの被告Y1に対する判決が確定したときは、同額の支払を求める限度で、それぞれ理由があるから認容し、その余は理由がないから棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判官 河邉義典 来司直美 石田憲一)

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