東京地方裁判所 平成11年(ワ)18965号 判決 2002年5月20日
主文
1 被告は,原告Aに対し,660万円と,これに対する平成10年5月26日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告Aのそのほかの請求と,原告B及び原告Cの請求を,いずれも棄却する。
3 訴訟費用中,鑑定に要した費用は2分の1ずつを原告らと被告とのそれぞれの負担とし,そのほかの費用は20分の1を被告の負担,そのほかを原告らの負担とする。
事実及び理由
第1原告らの請求
被告は,原告Aに対し1億4452万1080円,原告B及び原告Cに対しそれぞれ287万5000円と,これらに対する平成10年5月26日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2事案の概要
原告Aは,被告が設置する病院で,帝王切開により,常位胎盤早期剥離による重症新生児仮死の状態で出生し,脳性麻痺等の重い後遺障害が生じた。
原告Aとその両親は,医師には常位胎盤早期剥離の診断が遅れて帝王切開の時機を失した過失があるなどと主張して,不法行為に基づき,医師の使用者である被告に対し,介護費用や逸失利益,慰謝料などの損害賠償を求めた。
1 争いのない事実
(1) 当事者
被告は,長野県松本市に信州大学医学部附属病院(以下「被告病院」という)を設置し,平成10年5月当時,産婦人科においてL医師,Q医師を任用していた。
原告Aは,平成10年5月26日午前8時45分,被告病院で帝王切開により出生した女児であり,原告Bと原告Cはその父母である。
(2) 出生の経過
原告Cは妊娠して,平成10年4月3日から,被告病院の産婦人科で受診をするようになった。通院中の4月17日に切迫早産と診断され,これ以降,その治療のために処方された子宮収縮抑制剤ウテメリン(塩酸リトドリン)錠剤を服用していた。
原告Aが出生した平成10年5月26日(妊娠35週5日)における原告Cの症状や医師の処置等の経緯は,次のとおりであった(時刻はすべて午前)。
・4時ころ 原告Cは,下腹部痛を感じて目覚めた。
・6時ころ 痛みが軽減しないので被告病院の産婦人科に1回目の電話をかけたところ,L医師からウテメリンを服用して安静を保つよう指示された。
・6時45分ころ ウテメリンを服用したが下腹部痛は治まらず,嘔吐したため,2回目の電話をかけ,来院を指示された。
・7時ころ 被告病院に到着した。
・7時10分ころ L医師は,助産婦とともに一般的診察を開始した。原告Cのバイタルサインは,血圧が146/100,脈拍が毎分60,体温が34.2度であった。次に産婦人科的診察をしたが,出血や子宮口の開大はなかった。
・7時20分ころ 胎児心拍数を計測するため,助産婦に対し分娩監視装置の装着を指示したが,うまく装着できなかった。
・7時25分ころ L医師は,自ら分娩監視装置の装着を試みたが,胎児の心臓の位置を確認することができず,超音波検査装置による計測に切り替えた。
・7時30分ころ 超音波検査により,胎児心拍数が毎分80であり,高度徐脈であることを確認した。
・7時40分ころ 再び超音波検査により胎児心拍数を計測したが,徐脈は回復しておらず,胎児仮死を疑った。
・7時45分ころ 原告Cに対しウテメリンの点滴投与を開始した。
・7時50分ころ 研究室にいたQ医師が診察室に到着した。ウテメリンの点滴量が増加され,酸素の供給が開始された。
・8時ころ Q医師は,常位胎盤早期剥離を強く疑い,緊急帝王切開術の施行を決断した。
・8時25分ころ ウテメリンの点滴投与を中止した。
・8時42分 帝王切開術を開始した。
・8時45分 原告Aが,重症新生児仮死の心停止状態で出生した。体重は1934グラムであり,出生1分後のアプガースコアは0であった。小児科医が蘇生措置を行い,出生5分後に心拍が再開した(アプガースコア1)。
(3) 出生後の状況
翌5月27日に病理検査に提出された胎盤の病理組織診断により,原告Cが常位胎盤早期剥離を発症していたことが確認された。原告Cは,DIC(播種性血管内凝固症候群)と診断されて,平成10年6月14日まで被告病院に入院した。
原告Aは,現在,脳性麻痺等の重い後遺障害により,摂食,排泄,体位交換などに全面的に介助を要する状態にある。
2 争点
(1) 医師の過失
ア 原告Cの来院後,速やかに分娩監視装置等により胎児心拍数の計測を行わなかったことに過失があるか。
イ 胎児の徐脈を確認した時点で,直ちに帝王切開術の施行を決断しなかったことに過失があるか。
ウ 原告Cに対しウテメリンを投与したことは,適切であったか。また,ウテメリンの投与により常位胎盤早期剥離を悪化させたか。
(2) 因果関係
医師の過失と原告Aの後遺障害との間に,因果関係が認められるか。
(3) 原告らの損害
3 当事者の主張
(1) 胎児心拍数の計測を行わなかった過失について
ア 原告らの主張
原告Cは,5月26日午前4時から腹痛を訴え,ウテメリン服用後には嘔吐し,2回目の電話は自らかけることができず,代わりに夫にかけてもらうような状態であった。また,受診時の原告Cの症状として,強度の持続性の下腹部痛や,そのために背中を丸めた姿勢,腹部の板状硬,顔面蒼白,著明な四肢冷感が見られた。これらはいずれも,常位胎盤早期剥離を強く疑わせる所見である。
したがって,L医師には,原告Cが被告病院に来院した7時の時点で直ちに,常位胎盤早期剥離とそれに起因する胎児仮死の可能性を疑い,胎児の状態(well-being)を把握するために,何よりもまず胎児心拍数を計測すべき義務があった。仮にその時点で原因を確定するのが無理であったとしても,何らかの理由で胎児仮死に陥っている疑いがあった。
ところが,L医師はこの義務を怠り,母体に対する一般的診察と産婦人科的診察を優先させ,胎児心拍数の計測を後回しにした。そして,7時20分になって初めて,助産婦に対し分娩監視装置の装着を指示したが,胎児の心音を確認することができず,結局7時30分ころ,ようやく超音波検査で胎児心拍数を計測した。そのため,胎児仮死や常位胎盤早期剥離の診断が遅れた。
イ 被告の主張
L医師が診察を開始した時点では,原告Cの腹部は通常の分娩前の子宮収縮でも見られる程度の硬さであり,顔色が白かったことも痛みによるものとも考えられ,常位胎盤早期剥離の臨床所見はなかった。
L医師は,原告Cが外来で切迫早産の診断を受けていたことを知っていたので(1回目の電話を受けた際,既に外来カルテを確認していた),母体の全身状態を把握するため,一般的診察と産婦人科的診察を優先させた。そして,ショック症状等がなく,子宮口の開大もないことを確かめた後に,胎児心拍数を記録する目的で助産婦に対し分娩監視装置の装着を指示した。原告Cが痛みのあまり仰臥位をとれなかったこともあって,その装着はできなかったものの,直ちに超音波検査に切り替え,7時30分には胎児心拍数の計測に成功した。
このように,L医師が行った診察の順序は円滑で理にかなっており,来院の30分後には胎児心拍数の計測に成功したのであるから,過失は認められない。なお,L医師は,原告Cの来院前から,ベテランのQ医師に電話で助言を求め,これを踏まえて診察に当たっていた。
(2) 直ちに帝王切開術の施行を決断しなかった過失について
ア 原告らの主張
L医師は,7時30分ころ,超音波検査により胎児心拍数が毎分80と高度徐脈の状態にあることを確認したのであるから,腹部板状硬などの諸症状と併せて,直ちに原告Cが常位胎盤早期剥離を発症していることを見極め,それに伴う胎児仮死の診断をして,帝王切開術の施行を決断すべき義務があった。
ところが,L医師は,高度徐脈を切迫早産によるものと軽信して,常位胎盤早期剥離が進行していることを見逃し,8時ころまで漫然と経過観察を続けた。そのため,帝王切開術施行の決断が遅れた。
イ 被告の主張
L医師は,7時30分ころ高度徐脈を認めた後,Q医師からそれが一過性のものか継続的なものかを確認することが必要と言われ,再度心拍数を計測した。7時40分にも徐脈が回復しなかったことから,胎児仮死の可能性があると考え,その基礎疾患として切迫早産,過強陣痛,常位胎盤早期剥離等を疑った。そして,正確な診断をするために,触診や超音波検査等により胎児の状態に注意を払いながら,Q医師の助言を参考にして,胎児心拍数の改善と胎児への酸素供給量の増加を目的として,原告Cに対しウテメリンと酸素を投与した。このころ,研究室にいたQ医師が診察室に到着したが,その後も子宮収縮や徐脈の回復が認められなかったので,Q医師は,常位胎盤早期剥離を強く疑い,8時ころ,帝王切開術の施行を決断した。
つまり,L医師は,Q医師の助言も得ながら,順を追って行うべき処置を尽くし,最終的に帝王切開術の施行に結びつけたのであり,決して漫然と経過観察をしていたのではない。
被告病院の医師は,原告Cが常位胎盤早期剥離を発症した時刻から4時間45分後には児を娩出した。これは,ゴールデンタイムといわれる時間の範囲内であるから,医療水準に照らして,L医師に過失はない。また,7時40分ころ,原告Cには,常位胎盤早期剥離の際よく見られる性器出血,内出血に起因するショック症状,母体の頻脈,血圧降下,子宮底の上昇などの症状は認められず,超音波検査でも胎盤後血腫,胎盤肥厚像は見られなかった。それにもかかわらず,この時点で常位胎盤早期剥離の診断をして直ちに帝王切開術に踏み切るべきだというのは,医師に無理を強いるものである。
(3) ウテメリンを投与した過失について
ア 原告らの主張
L医師は,ウテメリンが常位胎盤早期剥離に禁忌とされているにもかかわらず,7時45分ころその点滴投与を開始した。また,7時50分ころ診察室に到着したQ医師も,ウテメリンの投与を容認し,かえって投与量を増やす措置をとった。結局ウテメリンが40分間にわたり投与されたことにより,原告Cの常位胎盤早期剥離が悪化し,胎児に著しい悪影響を及ぼした。
イ 被告の主張
ウテメリンの点滴投与は,胎児心拍の改善や胎児への酸素供給量の増加を目的として行われたものである。投与を開始した後15分弱が経過しても徐脈の回復が見られなかったことから,Q医師は,8時前に常位胎盤早期剥離を強く疑い,帝王切開術の施行を決断した。子宮収縮を放置すると母胎から胎児への酸素供給や栄養物供給が阻害される危険があったため,その後もウテメリンを投与したが,これは一般に採用されている正当な医療行為である。
L医師やQ医師は,常位胎盤早期剥離の可能性も考慮に入れたうえで,明確な目的のもとにウテメリンを投与したのであり,その投与によって常位胎盤早期剥離や胎児の仮死状態が悪化することは考えられない。
(4) 過失と後遺障害との因果関係について
ア 原告らの主張
医師の過失がなければ胎児仮死の診断が早まり,これに伴って常位胎盤早期剥離の確定診断,帝王切開術の施行の決断も早まったはずである。そうすると,原告Aは,実際の経過より30分から40分程度早く出生し,脳性麻痺等の重い後遺障害を負うこともなかったと考えられる。
本件においては,分娩監視装置により記録される胎児心拍数図が残されていないため,出生時刻が早まった場合の原告Aの状態を予測したり,低酸素状態の程度を判断することが困難になっている。すなわち,L医師が分娩監視装置により胎児心拍数を計測する義務を怠った過失の結果として,原告らの因果関係の立証が困難になっているのであるから,それにもかかわらず,本件に通常の立証責任の分配法則を形式的に当てはめ,原告らに対し立証不十分であることの不利益を負わせるのは,正義衡平の理念に反し相当でない。
イ 被告の主張
帝王切開術の施行の際,胎便による羊水混濁が認められなかったことなどから,原告Cの常位胎盤早期剥離は,午前4時に発症した後,極めて急激に進行したものと考えられる。そうすると,仮に原告Cの来院直後に帝王切開術が施行されたとしても,原告Aの新生児仮死状態を回避することはできなかったというべきである。
(5) 原告らの損害について(原告らの主張)
ア 原告A
① 過去の介護費用 336万円
出生日(平成10年5月26日)から平成11年7月20日まで420日間。1日8000円。
② 将来の介護費用 5743万0560円
1日8000円,1年で292万円。平均余命は83.11年なので,これに対応するライプニッツ係数19.6680を乗じる。
③ 逸失利益 3987万9944円
労働能力100パーセント喪失。賃金センサスによる全労働者の平均年収額503万0900円。就労期間を18歳から67歳までとし,この期間に対応するライプニッツ係数7.9270を乗じる。
④ 慰謝料 2500万円
⑤ 弁護士費用 1885万0576円(①~④の15パーセント相当)
イ 原告B,原告C
① 慰謝料 各250万円
② 弁護士費用 各37万5000円(①の15パーセント相当)
第3争点に対する判断
1 出生に至る診療経過等
争いのない事実に,証拠(甲11,12,乙1,2,7,8,11,13~15,20,証人L,Q,原告C本人,鑑定)を総合すると,次の事実が認められる。
(1) 原告Aが出生した平成10年5月26日,被告病院の産婦人科の当直医は,L範彦医師(平成9年5月医師免許取得)と,産婦人科講師を務めていたQ利彦医師(昭和54年6月医師免許取得)であった。
(2) 原告C(昭和45年9月10日生まれ)は,平成9年10月ころ妊娠に気づき,長野市にある○○総合病院に通院していた。初めての妊娠であり,出産予定日は平成10年6月25日であった。篠ノ井総合病院では,血圧が上140から150台,下80から90台と高めであったため,栄養指導を受けていたが,胎児の発育は良好で,羊水量や胎盤等に異常はなかった。
原告Cは,長野市から松本市へ転居して,平成10年4月3日,被告病院の産婦人科で受診し,以後,4月17日,5月1日,5月15日と2週間ごとに通院した。通院中4月17日に,子宮収縮が認められて切迫早産と診断され,同日以降,その治療のために処方された子宮収縮抑制剤ウテメリン(塩酸リトドリン)錠剤を服用していた。この通院期間を通じて,原告CがL医師やQ医師の診察を受けたことはなかった。
(3) 原告Cは,平成10年5月26日(妊娠35週5日),午前4時ころ,下腹部の胎盤のある辺りに痛みを感じて目覚めた。何度かトイレに行き排便もしたが,痛みが軽減しないので心配になり,6時ころ,被告病院の産婦人科に1回目の電話をかけた。電話に出た助産婦がいったんは来院するよう告げたが,電話を替わった当直医のL医師は,原告Cからの説明でウテメリンを服用していることを聞き知り,「ウテメリンを1錠飲んで安静にして様子を見てください。もしそれでも痛ければ,すぐに電話をしてください」と指示した(この点につき,L医師は,この段階で既に原告Cの外来カルテを見て,切迫早産と診断されウテメリンを投与されていることを確認したと供述している。しかし,この電話の際に作成された被告病院のメモ書きには「ウテメリン2T分2でp.o.(経口服用)しているとのことで,とりあえずウテメリンp.o.して安静にしてもらう」との記載があり(乙2),この記載によれば,L医師はウテメリン服用の事実を電話で初めて聞き知ったものと認めるべきである)。
原告Cは,指示どおりウテメリンを服用したが,下腹部痛は治まらず,かえって気分が悪くなり嘔吐した。自分では電話をかけられない原告Cに代わって,夫の原告Bが6時45分ころ,被告病院の産婦人科に2回目の電話をかけた。電話に出た助産婦からすぐに来院するよう言われ,原告Cは,原告Bの運転する自動車で,7時ころ,被告病院に到着した。
(4) L医師は,原告Cの到着前に,原告Cの外来カルテに目を通すとともに,徒歩で5分ほど離れた場所にある研究室で仕事をしていたQ医師に電話をかけて,切迫早産の診断を受けた患者が腹痛を訴えて来院する予定であるという報告をした。これに対し,Q医師は,早産が進行していないかどうか産婦人科的診察をして確認することなど,診療方針について助言を与えていた。
原告Cは,被告病院に到着すると,原告Bに付き添われて車椅子で産婦人科病棟の診察室に入り,ベッドへは徒歩で移動したが,強い下腹部痛のため背中を丸めた姿勢を見せていた。
L医師は,7時10分ころ,助産婦とともに一般的診察を開始した。原告Cのバイタルサインは,血圧が146/100(やや高め),脈拍が毎分60(やや低め),体温が34.2度(明らかに低め)であった。腹部は非常に硬い状態であったが,L医師は,まだ常位胎盤早期剥離の症例を扱った経験がなく,切迫早産の子宮収縮による硬さであると考えた。原告Cは,下腹部の痛みが強く,腹部は膨満し,顔色は蒼白で,四肢冷感も著明であったが,意識は清明で,受け答えもはっきりしていた。
L医師は,次に内診台で産婦人科的診察をしようとしたが,痛みのため原告Cが内診台へ移動することが困難であったので,そのままベッドで診察をすることにした。原告Cに性器出血,破水は見られず,子宮口の開大もなかった。L医師は,この所見を電話でQ医師に報告した。
(5) L医師は,7時20分ころ,助産婦に対し分娩監視装置の装着を指示した。しかし,原告Cが痛みのあまり横向きの姿勢で全身を屈曲させていて,仰向きの姿勢をとれず,また,腹部が硬かったこともあって,助産婦は,トランスデューサで胎児の心臓の位置を捜し当てることができなかった。Q医師への報告を終えたL医師が交替して,何回か試みたが,やはり胎児の心臓の位置を確認することができなかった。そこで,次善の策として超音波検査装置による測定に切り替え(分娩監視装置のように心拍数を自動的継続的に記録することはできない),7時30分ころ,胎児心拍数が毎分80であることを確認した。胎児心拍数の正常値は毎分120から160であり,120を下回ると徐脈,100を下回ると高度徐脈と判定される。
7時35分ころ,Q医師は,L医師から胎児心拍数が毎分80で高度徐脈の状態にあるとの報告を受けたので,その徐脈が一過性のものか継続するものかに注意を払い,徐脈が続くときには母体に酸素を供給するとともに,子宮収縮を抑制するためにウテメリンを投与するよう指示した。
7時40分ころ,L医師は,再び超音波検査により胎児心拍数を計測したが,徐脈は回復していなかった。そこで,この時点で胎児仮死を疑い,助産婦に対しウテメリンの点滴と酸素の投与を指示し,7時45分ころ,ウテメリンの点滴が始まった。L医師は,超音波検査によって胎盤の肥厚を認めず,性器出血もないことなどから,徐脈の原因については,常位胎盤早期剥離というよりも,切迫早産の子宮収縮が少し過強的に起こっているためであると考え,胎児の体位変換により徐脈が回復することもあり得ると考えて,触診などをしながら経過を観察していた。
(6) 助産婦から,胎児の徐脈が続いているので来てほしいという電話連絡を受けて,7時50分ころ,Q医師が診察室に到着した。
Q医師は,原告Cの腹部を触診して,常位胎盤早期剥離を疑うことができる硬さであると判断した。超音波検査で胎児心拍数を計測すると,徐脈は悪化し,毎分60から70になっていた。L医師の設定した点滴の速度が通常の切迫早産用のゆっくりしたものであったため,Q医師は,徐脈対策用に点滴量を増やした。さらに,酸素の供給を継続し,子宮収縮抑制剤であるボルタレン座薬を投与した。しかし,これらの処置によっても徐脈が回復しなかったため,Q医師は,8時ころ,常位胎盤早期剥離を強く疑い,緊急帝王切開術の施行を決断した。このころまでに,原告Cにはショック症状やDIC(播種性血管内凝固症候群)の徴候は見られなかった。
帝王切開術の準備中の8時25分ころ,ヴィーンF(酢酸リンゲル液)の中にミラクリッド(急性循環不全緩和剤)を入れて点滴投与を開始し,一方,ウテメリンの点滴投与を中止した。
(7) 8時42分,L医師も助手として立ち会って帝王切開術が開始され,8時45分,原告Aが重症新生児仮死の心停止状態で出生した。体重は1934グラムで,ぐったりした様子(floppy)で啼泣もなく,出生1分後のアプガースコアは0であった。動脈血によるガス分析値はpHが6.571で,著しい代謝性アシドーシスになっていた。
小児科医が,ボスミンの静注や気管内挿管をするなどして蘇生措置を行い,出生5分後に心拍は再開したが,自発的呼吸努力や筋緊張などはなく,アプガースコアはようやく1であった。
(8) 原告Aの出生時,子宮は筋層内に出血が認められたが,血液や胎便による羊水混濁は見られなかった。胎盤は臍帯の牽引により容易に娩出され,500グラムの後出血が認められた。
胎盤娩出後,縫合した筋膜より上部にじわじわとした出血が見られ,止血困難となって,原告Cに対し輸血が開始された。しかし,外子宮口からも持続的な出血があり,原告CはDICと診断されて,新鮮血ヒト血漿とアンチトロンビンⅢが投与された。原告Cは,6月14日に被告病院から退院した。
出産翌日の5月27日に胎盤が病理検査に提出され,6月9日,その病理組織診断により,原告Cが常位胎盤早期剥離を発症していたことが確認された。
(9) 原告Aは,平成10年5月26日に出生した後,7月18日まで被告病院の小児科に入院して治療を受けた。退院時の診断は,低酸素性虚血性脳症等であった。
平成12年10月当時,原告Aは身長80センチメートル,体重7キログラムと小柄で,てんかん発作に対する投薬とリハビリのため,通院が欠かせなかった。平成13年6月11日には,重症新生児仮死後の低酸素性虚血性脳症,脳性麻痺(四肢),てんかん(ウエスト症候群),精神発達遅滞,皮質盲(後頭葉にある皮質視中枢が障害されて視覚を喪失している状態)との診断を受け,摂食,排泄,体位交換などに全面的に介助を要する状態にあった。この状態は,その後も改善されていない。
2 常位胎盤早期剥離についての医学的知見
証拠(甲1~3,5,7,8,乙3,4,20,鑑定)によって認められる医学的知見は,次のとおりである。
(1) 常位胎盤早期剥離とは,正常位置,すなわち子宮体部に付着している胎盤が,妊娠中又は分娩経過中の胎児娩出以前に,子宮壁から剥離することである。胎盤剥離面が30パーセントを超える常位胎盤早期剥離の診断は,胎盤血腫や胎盤肥厚などの典型的症状が現れることが多いため,比較的容易であるが,その場合の胎児の予後は悪く,母体のDICの危険性も高い。周産期医療において緊急処置の重要性が非常に高い疾患の1つである。
常位胎盤早期剥離において胎児の予後が不良にならず,母体のDICの危険性も低いと考えられるのは,発症から5時間ないし6時間までであり(いわゆるゴールデンタイム),早期診断が極めて重要である。早期診断の第一歩は,常位胎盤早期剥離を常に疑うことにある。その初発症状の特徴をしっかり把握し,患者の訴えと臨床症状に注意を払わなければならない。
(2) 常位胎盤早期剥離の初発症状は,下腹部痛又は性器出血である。下腹部痛は,子宮筋層への血液浸潤を示す徴候とされ,胎盤付着部に一致した軽度の局所的圧痛や間欠期のない持続性の腹部緊張で始まり,時間の経過とともに重症化するのが特徴である。悪心,嘔吐を伴うこともある。腹部子宮壁の板状硬,皮膚の蒼白なども特徴として挙げられる。また,発生要因として,重篤な症例では高血圧との間に統計上有意の相関関係が認められている。
性器出血,下腹部痛,強度の子宮収縮などの症状がすべて揃う症例は非常に少なく,臨床症状と病態の進行程度は一致しないので,これらの症状の1つでも認められれば,常位胎盤早期剥離を疑ってかかるべきである。
妊娠37週以前においては,切迫早産の症状と似ていることから,子宮収縮抑制剤が投与されて診断が遅れる危険性が高い。鑑別は容易でないが,下腹部痛が陣痛のように間欠的なものでなく,持続的なものであれば,常位胎盤早期剥離が疑われる。
(3) 常位胎盤早期剥離が発症すると,母胎から胎児への酸素の供給が阻害され,胎児の低酸素状態を招く。高度な酸素欠乏は,心筋代謝の抑制等を来し,徐脈となって現れる。
したがって,臨床症状から常位胎盤早期剥離の疑いがあれば,胎児心拍の確認のために,直ちに超音波検査や胎児心拍数モニタリングを行う必要がある。特に,胎盤血腫や胎盤肥厚などの所見が見られない初期の段階でも,胎児心拍数の監視を通じて低酸素症の所見が得られることから,胎児心拍数モニタリングが有用である。
(4) 常位胎盤早期剥離の診断がされた場合には,急速遂娩の適応となる。急速遂娩は,原則として帝王切開が選択される。経膣分娩は子宮口が全開大のときに限られる。
常位胎盤早期剥離による母体死亡の多くは,DICによるものである。母体にショック症状やDICが生じた症例では,これらに対する治療を行って母体の安全を確保してから,帝王切開に移行することとなる。胎児仮死で児の娩出を優先させなければならないときは,胎児が生存していることから推察して,DICがそれほど進行していないと判断されるから,直ちに帝王切開を施行してもよいとの見解も見られる。
3 医師の過失について
(1) 胎児心拍数の計測を行わなかった過失(争点(1)ア)について
ア 原告Cは高血圧の傾向にあり,平成10年5月26日は,午前4時ころから下腹部の胎盤のある辺りに痛みを感じ,ウテメリンを服用しても下腹部痛は治まらず,かえって気分が悪くなり嘔吐した。また,被告病院への来院時には,夫に付き添われて車椅子で診察室に入り,背中を丸めた姿勢で持続する強い下腹部痛を訴え,顔色は蒼白,四肢冷感も著明で,腹部は非常に硬い状態であった。
これらの所見は常位胎盤早期剥離の初発症状に合致するから,事前に電話で原告Cの症状を聞き,来院させて下腹部痛や腹部の硬さなどの症状を現に診察したL医師としては,診察開始の7時10分ころの時点で,常位胎盤早期剥離を念頭に置いて,胎児が低酸素状態に陥っていないかどうかを確認するために,直ちに胎児心拍数を計測すべき義務があった。
ところが,L医師は,バイタルサインの測定などの一般的診察や,内診などの産婦人科的診察を優先させ,7時20分ころ助産婦に分娩監視装置の装着を指示するまで,胎児心拍数の計測に着手しなかった。しかも,助産婦のみならずL医師も胎児の心臓の位置を捜し当てることができず,結局7時30分ころまで心拍数を計測することができなかった。L医師は助産婦とともに診察に当たっていたのであるから,助産婦と手分けして,一般的診察と並行して分娩監視装置の装着を試みることも可能であった。また,計測器にカウントドップラーを使用すれば,原告Cが仰向きの姿勢をとらなくても,胎児心拍数を計測できたと考えられる(鑑定)。
したがって,L医師には,原告Cに対する診察を開始した7時10分ころの時点で,諸症状から常位胎盤早期剥離を疑い,直ちに胎児心拍数を計測すべき義務を怠った過失があるというべきである。
イ 被告は,診察開始時点での腹部の硬さは,通常の分娩前の子宮収縮でも見られる程度の硬さであったと主張する。L医師も,この点につき,腹部触診により周期的に子宮が硬く収縮するのを認めたが,普通の子宮収縮であったと供述する。
しかし,原告Cの常位胎盤早期剥離は,下腹部に痛みを感じて目覚めた午前4時ころ,既に発症していたものと考えられ(乙20,鑑定),7時50分ころには,Q医師が原告Cの腹部を触診し,常位胎盤早期剥離を疑うことができる硬さだと判断している。そうであれば,7時10分ころの時点でも,原告Cの腹部は常位胎盤早期剥離を疑うことができる硬さであったとみるのが自然である。L医師自身も,カルテに「腹部が非常に硬い(very hard)」と記載しているし(乙2),分娩後の外来連絡票にも,「来院時腹部は板状硬」と明記されている(乙1)。L医師がいう周期的な子宮収縮が具体的にどのような状態を指すのかは明らかでないが,そのような子宮収縮があったとしても,原告Cは,それに合わせて周期的に痛みを訴えるのではなく,持続的な強い下腹部痛を訴えていたのである。そのことを考慮すれば,普通の子宮収縮であったということはできないものと考えられる。
被告は,また,原告Cの顔色が白かったのは痛みによるものとも考えられると主張するが,その原因を痛みのみと断定すべき根拠はない。なお,岡井崇医師の意見書(乙20)には,一般的診察と産婦人科的診察を経たうえで分娩監視装置の装着を試みたというL医師の診察の順序が適切であったという見解が示されている。まず母体の状態を的確に把握する必要があり,そのための診察をおろそかにしてはならないことは,一般論としては異論のないところである。しかし,一般的診察と分娩監視装置の装着やカウントドップラーの使用は,並行して行うことが可能である。また,L医師は,原告Cに常位胎盤早期剥離を疑わせる症状がいくつも見られたにもかかわらず,これを疑わなかったのであり,常位胎盤早期剥離を念頭に置いたうえで,母体の安全確保を第一に考えて一般的診察や産婦人科的診察を優先させたものではない。切迫早産の診断歴を重視するあまり,常位胎盤早期剥離に対する注意が甘くなったとも考えられるのであり,この岡井医師の見解は採用することができない。
(2) 直ちに帝王切開術の施行を決断しなかった過失(争点(1)イ)について
ア L医師は,7時30分ころ,超音波検査で胎児心拍数が毎分80の高度徐脈であることを確認し,Q医師から徐脈が一過性のものか継続するものかを確認するよう助言を受けた。そして,7時40分の超音波検査でも徐脈が回復していなかったため,胎児仮死を疑った。胎児仮死の発生時期は特定できないが,7時30分に高度徐脈であったこと,出生時には重症新生児仮死であり,動脈血によるガス分析値がpH6.571と著しい代謝性アシドーシスになっていたこと,ボスミンの静注や気管内挿管を実施してようやく蘇生したことなどを考慮すると,7時ころには既に胎児仮死の状態にあった可能性がある(鑑定)。
そうすると,7時10分ころから原告Cを診察しており,来院前後の強い持続性の下腹部痛,非常に硬い腹部,血圧がやや高めで体温が明らかに低いなどの諸症状を把握していたL医師としては,胎児仮死を疑った時点において,これらを総合判断して,常位胎盤早期剥離を強く疑うことが可能であり,かつ,疑うべきであった。そして,常位胎盤早期剥離を強く疑ったとすれば,胎児を一刻も早く娩出させるために,直ちに帝王切開術の施行を決断すべき義務があった。原告Cにおいて子宮口の開大はなかったから,急速遂娩のうち帝王切開術以外の手段の選択はあり得なかった。
ところが,L医師は,この段階においても,徐脈の原因について切迫早産の子宮収縮が少し過強的に起こっているためであると考えており,Q医師の助言に従ってウテメリンの点滴投与を開始するとともに,胎児の体位変換により徐脈が回復することもあり得ると考えて,触診などをしながら経過を観察していた。
したがって,L医師には,徐脈の回復がなく胎児仮死を疑った時点で,常位胎盤早期剥離を強く疑い,直ちに帝王切開術の施行を決断すべき義務を怠った過失があるというべきである。
イ これに対し,被告は,L医師は7時30分ころ胎児の高度徐脈を認めた後,それが一過性のものかどうか注意深く観察して,ウテメリンの投与を開始するなど順を追ってとるべき処置を尽くし,そのうえで8時にはQ医師が常位胎盤早期剥離を強く疑って帝王切開術の施行を決断し,常位胎盤早期剥離の発症から4時間45分後のゴールデンタイムの範囲内で児を娩出できたのであるから,医療水準に照らして過失はないと主張する。
しかし,高度徐脈が継続し胎児仮死が疑われるという,いわば一刻の猶予も許されない状況にありながら,胎児の体位変換により徐脈が回復することもあると考えて触診などを続けたという処置を,順を追ってとるべき処置を尽くしたものと評価することはできない。胎児仮死の疑いが生じた時点で直ちに常位胎盤早期剥離を強く疑うことが可能であったにもかかわらず,依然として切迫早産の子宮収縮が徐脈の原因であると考えていたというのでは,漫然と経過観察を続けたと批判されてもやむを得ない。
常位胎盤早期剥離は,それ自体切迫早産との鑑別が容易でなく,特に本件は,性器出血が見られないなど鑑別が困難な症例であったことは否定できない。しかし,性器出血が見られない症例も10パーセントから27パーセントあるとの報告があり(甲3,乙3),本件においても,最終的には,胎児心拍数の計測結果や母体の諸症状を総合して常位胎盤早期剥離の強い疑いがあると診断されている。常位胎盤早期剥離の早期診断の第一歩は常位胎盤早期剥離を常に疑うことにあり,性器出血,下腹部痛,強度の子宮収縮などの症状の1つでも認められれば常位胎盤早期剥離を疑ってかかるべきであるという認識が正しければ,性器出血が見られなかったことは,常位胎盤早期剥離の診断が遅れたことを正当化する理由にはならないというべきである。
常位胎盤早期剥離におけるゴールデンタイムは,一般的に発症から娩出までの時間をこの程度以内にすべきだとする一種の目標値(治療指針)であると考えられ,個々の症例における過失の有無の判断基準になるものではない。したがって,その時間内に娩出したことをもって直ちに過失がないということはできない。
(3) ウテメリンを投与した過失(争点(1)ウ)について
原告Cに対するウテメリンの投与について,L医師又はQ医師に過失があるものと認めるべき証拠はない。
ウテメリンは能書上,常位胎盤早期剥離に禁忌とされているが,これは子宮収縮抑制に伴い板状硬などの常位胎盤早期剥離特有の症状が発見しにくくなるため,漫然と長期間使用してはならないという意味であり,常位胎盤早期剥離による子宮内圧の著しい亢進を帝王切開術開始までの間に少しでも下降させようとする場合には,本件のような使用も許され,これによって常位胎盤早期剥離が悪化するということはない(甲4,鑑定)。
4 過失と後遺障害との因果関係(争点(2))について
(1) L医師には,診察を開始した7時10分ころ直ちに胎児心拍数の計測をしなかった過失と,胎児仮死を疑った時点で直ちに帝王切開術の施行を決断しなかった過失がある。
これらの過失がなく,7時10分ころ直ちに胎児心拍数の計測に着手していたとすれば,高度徐脈を確認し,それが回復しないことを確認して,遅くとも7時30分までには,胎児仮死の状態にあるという判断をすることができたと考えられる。母体の全身状態の安全を確認することも必要であるが,それは,その時までに並行して行うことができるし,帝王切開術の準備中にも行うことができる。したがって,7時30分までに胎児仮死の状態にあるという判断をしていれば,直ちに帝王切開術の施行を決断することによって,帝王切開術の開始や娩出の時刻も30分程度は早めることができたということができる。
しかし,娩出が30分早まって原告Aが8時15分ころに出生したと仮定しても,低酸素性虚血性脳症や脳性麻痺等の結果が回避されたかどうかは不明である(鑑定)。むしろ,出生時の代謝性アシドーシスが重症であったこと,帝王切開術において胎盤が容易に娩出されたことなどからすると,8時15分ころにおいても,胎盤の剥離は相当程度進行しており,その結果として,胎児の脳は既に常位胎盤早期剥離に伴う低酸素状態の影響を少なからず受けていたものと考えられる(前記のとおり,7時ころには既に胎児仮死の状態にあった可能性がある)。
したがって,L医師の過失と原告Aの後遺障害との間に因果関係があると認めることはできない。胎児心拍数の推移を継続的に記録した心拍数図が残っていたとしても,新生児仮死の重症度からして,この判断が覆る可能性は低いと考えられる。
(2) しかし,L医師に過失がなく,娩出の時刻が早まったとすれば,低酸素状態にさらされる時間もそれだけ短くなるのであるから,原告Aの出生時の新生児仮死の程度が本件の場合より軽くなり,ひいては後遺障害の程度も軽くなった可能性がある(鑑定)。
そうすると,これがどの程度軽くなったのかを判断することはできないとしても,L医師が母体の常位胎盤早期剥離に対する適切な治療を怠った過失と,原告Aにおいて新生児仮死の程度が少しでも軽い状態で出生する機会を奪われたという結果との間には,因果関係の存在が認められる。すなわち,原告Aは,L医師の過失によりこのような機会を奪われ,脳性麻痺のような重い後遺障害の程度が少しでも軽い状態で成長する可能性を侵害されたということができる(原告らの主張には,このような主張も含まれていると理解される)。
5 原告らの損害(争点(3))について
(1) L医師の過失と原告Aの後遺障害との間に因果関係があると認めることはできないから,被告に対し,その後遺障害の存在を基礎とする損害(介護費用,逸失利益,後遺障害慰謝料や両親の慰謝料)の賠償責任を負わせることはできない。
(2) しかし,原告Aは,L医師の過失により,新生児仮死の程度が少しでも軽い状態で出生する機会を奪われ,出生の当初から,脳性麻痺のような重い後遺障害の程度が少しでも軽い状態で成長する可能性を侵害されたのであるから,これによって大きな精神的苦痛を被ったものということができる。
原告Aは摂食,排泄,体位交換などに全面的に介助を要する状態にあって,この状態が改善に向かう見込みはなく,一方,L医師のとった処置は,国立大学病院の備えるべき医療水準に照らして十分とはいえないものであった。そのほか,本件の審理に現れた一切の事情を考慮すると,原告Aが被った精神的苦痛に対する慰謝料は,600万円が相当と認める。
また,本件事案の専門性や難易度を考慮すると,被告は,原告Aに対し,弁護士費用として,この1割に相当する60万円を支払うべきである。
第4結論
以上によれば,原告らの請求は,原告Aが慰謝料と弁護士費用の合計660万円と,不法行為の日である平成10年5月26日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。
原告Aのそのほかの請求と,原告B及び原告Cの請求は,いずれも理由がない。なお,仮執行の宣言は,必要がないので付さないこととする。
(裁判長裁判官 片山良広 裁判官 松田典浩 裁判官 釜田ゆり)