東京地方裁判所 平成11年(ワ)20185号 判決 2002年1月29日
原告
A野太郎
同訴訟代理人弁護士
藤森勝平
被告
B山株式会社
同代表者代表取締役
C川松夫
他1名
上記二名訴訟代理人弁護士
内田成宣
主文
一 被告らは、原告に対し、連帯して、金一二八五万一四五五円及びこれに対する平成七年一二月一七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、これを九分し、その一を被告らの、その余を原告の負担とする。
四 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
被告らは、原告に対し、連帯して、金一億〇九五三万七五五二円及びこれに対する平成七年一二月一七日(本件事故日)から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、原告が、被告らに対し、本件事故による負傷のために身体に後遺障害が残存したことを理由に、後遺障害による損害(将来治療費、逸失利益、後遺障害慰謝料、弁護士費用)について、連帯して賠償することを求めた事案である(傷害に係る損害(治療費等、入院雑費、その他の雑費、休業損害、入通院慰謝料及びそれらに関連する弁護士費用)については、当庁平成九年(ワ)第二〇四一二号損害賠償請求事件で審理され、既に判決が確定している《証拠省略》)。
一 争いのない事実
(1) 事故の発生
ア 日時 平成七年一二月一七日午前八時四五分ころ
イ 場所 東京都杉並区高円寺南四丁目七番先の交差点(以下「本件交差点」という。)内
ウ 原告車 原告(昭和三八年七月二八日生)が運転していた普通乗用自動車
エ 被告車 被告C川松夫(以下「被告C川」という。)が運転していた被告B山株式会社(以下「被告会社」という。)保有の普通乗用自動車
オ 事故態様 本件交差点を直進進行しようとした原告車と、対向車線から本件交差点を右折進行しようとした被告車とが、本件交差点内で衝突した(以下「本件事故」という。)。
(2) 治療経過
原告は、頸椎捻挫、腰椎捻挫の傷害を受け、河北総合病院整形外科(以下「河北病院」という。)等で治療を受け、平成九年五月二二日に症状が固定した。
原告は、後頭部痛、項部痛、腰痛、左下肢知覚鈍麻、時々めまい、耳鳴り(左に著明)等の後遺障害が身体に残存した旨訴えており、自賠責保険の後遺障害認定手続において、左坐骨神経痛(坐骨神経は、大腿部後面を膝側に少し下がったところで脛骨神経と総腓骨神経に分かれ、大腿の屈筋と大内転筋を支配しており、坐骨神経痛は下肢を伸ばしたり、神経の真上から圧迫したりすると、腰部、臀部、大腿部に圧迫感や痛みを感じるとされる。)等の症状につき、局部の神経症状として後遺障害等級一四級一〇号の認定を受けた。
(3) 被告らの責任
被告C川には被告車の運転上の注意義務違反があり、また、被告会社は被告車の保有者であるから、被告らは、原告に対し、連帯して、損害賠償責任を負う。
(4) 原告の損害に対する過失相殺率
本件事故発生に対しては、原告にも運転上の注意義務違反があるので、原告の損害に対しては、一五パーセントの過失相殺をする。
二 争点
本件の争点は、後遺障害による損害額の算定である。
(1) 原告の主張
ア 将来治療費 (請求額 一八八三万六九六四円)
原告は、症状固定日後もなお、治療を継続せざるを得ない状況であり、平成九年九月二二日から平成一一年八月一三日までの治療費の年平均額は四二万一九七五円である(平成一三年八月一六日付け準備書面で治療関係費として年額六六万七九五〇円、予備的に同五二万〇八五五円を主張するが、将来治療費の金額及び総請求額が明示されていない。)。
原告の症状固定時の年齢は三三歳(平均余命四四・六四年)だから、生涯にわたって必要となる治療費は、上記金額となる。
計算式
42万1975円×44.64=1883万6964円
イ 逸失利益 (請求額 八三一三万四八六二円)
原告には、後頭部痛、項部痛、腰痛、左下肢知覚鈍麻、視力及び聴力低下等の後遺障害が残存しており、
(ア) 後頭部・頸部から手足までの神経症状につき後遺障害等級七級
(イ) 腰椎障害につき同七級
(ウ) 視力障害につき同四級
(エ) 聴力障害につき同七級
(オ) 左膝の神経症状につき同九級
と評価すべきであるから、少なくとも、後遺障害等級三級相当と評価して算定すべきである。
本件事故時の年収である五一三万四〇〇〇円を基礎収入とし、労働能力喪失率を一〇〇パーセント、稼働可能期間を六七歳までの三四年間(ライプニッツ係数一六・一九三)とすると、上記金額となる。
計算式
513万4000円×100%×16.193=8313万4862円
ウ 後遺障害慰謝料 (請求額 二二一九万円)
後遺障害等級三級相当の慰謝料は上記金額である。
エ 弁護士費用(請求額 四〇〇万円)
(2) 被告らの主張
ア いずれも否認する。
イ 原告の後遺障害に係る主張に対する反論
(ア) 後頭部・頸部から手足までの神経症状について
頸椎捻挫に基づく神経症状は自覚症状にすぎず、他覚所見はなく、後遺障害等級七級の主張は失当である。
(イ) 腰椎障害について
腰椎の神経症状は交通事故によって発生した他覚所見のある症状ではないから、後遺障害等級一四級が相当であり、同七級の主張は失当である。
(ウ) 視力障害について
原告の眼部には本件事故による直接の受傷はなく、その後の治療経過を見ると、眼の症状の発現をうかがわせる所見や医学的な原因を示す所見もなく、また、これに対する治療等もない。
したがって、視力障害の事実を否認し、仮にこれがあったとしても、本件事故との因果関係を否認する。
(エ) 聴力障害について
聴力障害の事実は明確ではないし、仮にこれがあったとしても本件事故との因果関係を否認する。
また、難聴を伴う耳鳴りが本件事故に起因するものであったとしても、平均純音聴力レベル三〇デシベル以上の難聴でない以上、後遺障害等級認定はなされない。
(オ) 左膝の障害について
腰椎の神経症状に伴って自覚症状として神経症状が生じているにすぎず、これを別個の後遺障害として認定すべきではない。
ウ 逸失利益の算定について
原告が中国人であり、日本国に永住する資格を有していない。したがって、原告主張に係る稼働収入を稼働可能期間全般にわたって基礎収入とするのは不当である。
第三当裁判所の判断
一 原告の後遺障害について
(1) 腰部から左下肢までの身体部位に関する神経症状
ア 自覚症状と担当医の所見
原告は、腰部から左下肢までの身体部位に関する神経症状として、腰痛、左坐骨神経痛、左下肢の知覚・運動障害による脱力感、左下肢冷感、左下肢振戦(しんせん。身体の一定部分の拮抗筋群の交代性収縮によって起こる一つの平面内での律動的な不随意運動である。)があり、痛み等の症状は歩行時に著明である旨訴えており、原告の治療を長期にわたって担当する河北病院の湯川佳宣医師(以下「湯川医師」という。)は、左旁腰筋群圧痛、左ラセグー症状(ラセグー症状とは、大腿を屈曲し、膝関節で下腿を伸展させると坐骨神経が引き伸ばされるために痛みを訴える症状であり、坐骨神経痛の診断に用いられるものである。)、左大腿四頭筋の筋力低下、左下肢知覚鈍麻、左足第一指から第五指の伸展低下等を診断している。
イ 本件事故前の原告の身体状態
原告は、東京学芸大学修士課程(保健体育専攻)で柔道を学び、自らは太極拳を行う等かなり高い身体能力を有していたものであり、就職したD原株式会社(以下「訴外会社」という。)での仕事に従事する一方で太極拳講師としても活動していたのであるから、本件事故に遭遇するまでは、原告の身体には、前示のような原告の愁訴に係る神経症状は存しなかったと認められる。
ウ 原告の前示神経症状の存在
原告は、本件事故前には存在しなかった前示の神経症状を訴えており、訴外会社での仕事の遂行にも少なからぬ支障が生じていること、長期間にわたって治療を担当する湯川医師が、担当医として、圧痛や知覚鈍麻、筋力低下を確認するために問診や触診等の診察を行ったと考えられ、その結果、左ラセグー症状を確認する等しており、これらの診察を踏まえた湯川医師による前示神経症状の存在に係る診断は信用性が高いということができる。
エ 前示神経症状の原因と考えられる腰椎の異常の存在
原告の腰椎には、本件事故以前から、顕著な経年変化があったと認められ(なお、詳細は不明であるが、加齢による変形性脊椎症、例えば、椎間板膨隆、骨棘形成等が生じ、脊髄神経の神経根が圧迫される等の危険性のある状態であったことが考えられる。)、原告の腰椎の異常状態は、腰椎捻挫をもたらした腰部又はその付近に加えられた本件事故の衝撃によって更に悪化したと考えられる。そして、前示のように認められる神経症状は、その結果として、脊髄神経の神経根の圧迫状態がもたらされて発現したと考えるのが、原告の前示神経症状の原因として、最も合理的であると考えられる(なお、自賠責保険における後遺障害認定手続では、坐骨神経痛等についてのみ局部の神経症状(後遺障害等級一四級一〇号)に該当するとされ、その余の神経症状は等級認定されなかった。)。
オ 前示神経症状の評価
以上によれば、原告の腰部から左下肢までの身体部位の前示の神経症状については、腰椎に存した変形性脊椎症が本件事故による衝撃により悪化して脊髄神経の神経根を圧迫する状態を引き起こし、その結果、腰部痛や左下肢部の知覚障害等の前示神経症状が生じたものと考えられ(坐骨神経は第四、第五腰神経に連関しており、坐骨神経痛はこのような神経根圧迫による神経症状の一つとして顕著に発症したと考えられる。)、この神経症状については、原告の稼働能力を含む身体能力に対する制約状態が小さくないことをも考慮すると、腰部、臀部、大腿部付近に関する局部の頑固な神経症状として、後遺障害等級一二級一二号に該当するものと解するのが相当である。
(2) 後頭部・頸部から上腕部までの身体部位に関する神経症状
ア 自覚症状と担当医の所見
原告は、後頭部・頸部から上腕部までの身体部位に関する神経症状として、後頭部痛、項部痛、両側頸部痛、両前腕から両手の尺側のしびれ感、両手第一指、第四指、第五指のしびれ感、両手指振戦を訴えており、湯川医師は、前示と同様、的確な診察方法を用いて、頸椎後屈又は両側屈時に疼痛の存在と、両旁頸椎筋群圧痛、両僧帽筋圧痛等を診断したと考えられ、前示認定に係る原告の本件事故前の身体状態をも考慮すると、少なくとも、前示の頸部に関する神経症状については、その存在を認めることができる。
イ 頸部に関する神経症状の評価
前示の頸部に関する神経症状は、本件事故による頸椎捻挫によってもたらされたものであると医学的に説明することが可能であり、局部の神経症状として、後遺障害等級一四級一〇号に該当するものと解するのが相当である。
(3) 視力障害
ア 症状と担当医の所見
原告の裸眼視力は、平成一一年八月一三日時点で、左右それぞれ〇・〇四であり、原告は、本件事故前の視力(右〇・四、左〇・三)が著しく低下した旨訴える。
しかし、原告の視力は、平成一二年一〇月七日時点で左右それぞれが〇・八にまで回復しており、それは、特にバレリュー症状を持っている頸椎捻挫、外傷性頸部症候群の患者には通常の症状の変化であること(平成一二年一一月二七日付け河北病院からの回答書(湯川医師作成。以下「湯川回答書」という。))が認められる。
イ 原告主張に係る視力障害の評価
原告主張に係る前記の本件事故前の視力を認めるに足りる証拠が足りないし、また、悪化したとされる視力障害の事実が現存しない以上、視力障害に係る原告の主張は失当である。
(4) 聴力障害
ア 自覚症状と担当医の所見
原告は、両耳鳴り(左に著明)を訴え、平成一一年八月一三日時点では、平均純音聴力レベルが右二二・五デシベル、左二〇・八デシベルであり、左耳の感音性難聴との診断を受けているが、湯川医師は、原告が耳鳴りを強く訴えているため、原告の耳の障害があることはどうも間違いなさそうだとの推測を有しているが、耳鼻咽喉科の専門医でないことから、医学的に確認することができるかどうかは不明であるし、後遺障害として将来にわたって残存するかどうかについても不明と診断している(湯川回答書)。
イ 原告主張に係る聴力障害の評価
原告の本件事故前の聴力がどの程度であったかは不明であり、前記の診断に係る感音性難聴が本件事故に起因することを認めるに足りる証拠はない上、これを他覚的に検証することもできない現状においては、聴力障害に係る原告の主張には理由がない。
(5) まとめ
原告の後遺障害のうち、腰部から臀部、大腿部付近までの痛み等については、局部の頑固な神経症状として後遺障害等級一二級一二号、頸部に関する痛み等については、局部の神経症状として後遺障害等級一四級一〇号に該当するものとして評価する。
二 損害額の算定
(1) 将来治療費 認めない
原告の身体に後遺障害が残存していることは前示認定のとおりであるが、症状固定後に受けた治療については、例えば、医療機関において適切な処置を受けなければ悪化する等の具体的で合理的な診療の必要性が必要であるところ、本件では、そのような事情を認めるに足りる合理的な証拠がない以上、将来治療費の費目として損害として計上することはできない(一時的な症状の緩解を得るための方法と思われるが、自費によってでも診療を受けたい程度の痛み等であるとの観点から、これを慰謝料の斟酌事情の一つとして評価する。)。
(2) 逸失利益 八八八万六九二〇円
ア 基礎収入
原告は、本件事故当時、訴外会社で勤務しながら(勤務開始は平成七年三月二一日である。)、太極拳講師としても活動していたのであり、その収入は、訴外会社からの給与が二九一万一九二九円(平成七年三月二一日から本件事故前日の同年一二月一六日までの二七一日間の収入である。年換算すると、三九二万一九七〇円である。)、太極拳講師としての報酬が三三万七九二〇円(平成七年九月から一一月までの九一日間の収入である。年換算すると、一三五万五三九三円である。)である。
したがって、原告の逸失利益を算定するための基礎収入は、少なくとも、これらの年収額を合計した年額五二七万七三六三円となる。
イ 労働能力喪失率
原告の身体には、前示のとおり、腰部から臀部、大腿部付近までの神経痛等及び頸部の神経痛等の後遺障害が残存し、前者は後遺障害等級一二級一二号相当、後者は後遺障害等級一四級一〇号相当と評価できること、身体の離れた異なる部位の各神経症状が併存して競合する状態となっており、後遺障害等級一二級一二号の後遺障害が一つだけ残存する事例とは異なり、原告の稼働能力が著しく制約される可能性が高いこと、からすると、前示各後遺障害が併合によっても等級が変動せずに一二級のままとなるとしても、当裁判所は、原告の後遺障害による労働能力喪失率については、これを二〇パーセントとして評価するのが相当であると判断する。
ウ 労働能力喪失期間(後遺障害の残存期間)
原告は現在太極拳体操の講師の仕事に従事しており、それが原告の後遺障害に対する有益なリハビリとなっていること、湯川医師は原告の症状が改善しないものとは診ておらず、かえって全体的には緩解していく様子であると診ていること(湯川回答書)、を考慮すると、前示後遺障害が原告の稼働能力を制約する状況は長期間にわたって継続するとまでは認め難く、労働能力喪失期間については、今後少なくとも概ね七年間(症状固定時から一二年間、ライプニッツ係数八・八六三)継続すると認めるのが相当である。
エ 計算式
527万7363円×0.2×8.863=935万4653円
オ 原告が中国籍を有していることについて
原告は日本国に永住する資格を有していないが、これまで「技能」の在留資格で継続的に日本国内に居住しており、その「技能」とは太極拳であること、在留更新を二回受けていること、を考慮すると、原告の逸失利益を算定するに当たって、前示の後遺障害の残存期間として認定した少なくとも今後七年間という期間について原告が日本に居住することを前提にしたとしても特段不合理ではない。
(3) 後遺障害慰謝料 四〇〇万円
原告の身体に残存した前示の後遺障害の内容、程度(症状固定後もなお診療を受けていることをも含む)のほか、前示後遺障害のハンディを背負いながら、現在の太極拳に関する仕事に従事して日本での生活の基礎を作っていくことは、日本人の場合に比べてかなり負担が重いとかんがえられること、などを総合的に考慮した。
(4) 小計 一三三五万四六五三円
(5) 過失相殺(一五%控除)後の金額 一一三五万一四五五円
(6) 弁護士費用 一五〇万円
弁護士費用については、本件事案の難易度、訴訟経過全般を総合的に考慮して前記金額が相当であると判断する。
(7) 合計 一二八五万一四五五円
三 結論
よって、原告の請求は、被告らに対し、連帯して、金一二八五万一四五五円及びこれに対する平成七年一二月一七日(本件事故日)から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。
(裁判官 渡邉和義)