東京地方裁判所 平成11年(ワ)24998号 判決 2001年9月20日
原告(反訴被告)
福田和彦
同訴訟代理人弁護士
島田修一
同
石井麦生
被告(反訴原告)
株式会社櫻桃書房
代表者代表取締役
長嶋正巳
被告(反訴原告)
株式会社人類文化社
代表者代表取締役
麻生定夫
上記被告ら訴訟代理人弁護士
井上章夫
被告
福田周叶
主文
1 本訴被告らは、本訴原告に対し、連帯して一〇〇万円及びこれに対する平成一一年一一月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 本訴原告のその余の請求を棄却する。
3 反訴原告らの反訴請求を棄却する。
4 訴訟費用は、本訴について生じた費用のうち三分の一を本訴原告の負担とし、その余を本訴被告らの連帯負担とし、反訴について生じた費用を反訴原告らの連帯負担とする。
5 この判決は、1項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第1 請求
(本訴)
1 被告らは、原告に対し、連帯して二〇〇万円及びこれに対する平成一一年一一月一二日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行宣言
(反訴)
1 反訴被告は、反訴原告ら各自に対し、それぞれ一三〇九万八五五〇円及びこれに対する平成一二年七月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は反訴被告の負担とする。
3 仮執行宣言
第2 事案の概要
本件本訴請求は、原告(反訴被告。以下、単に「原告」という。)が、自己が著作権を有する「浮世絵春画一千年史」(以下「本件著作物」という。)につき、被告(反訴原告。以下、単に「被告」という。)株式会社櫻桃書房及び被告(前同)株式会社人類文化社(以下、この二社をいうときは、「被告両会社」という。)と出版契約を結び、被告福田周叶(以下「被告周叶」という。)に収録写真のデジタルワーク処理を担当させたところ、被告ら三名が無断で本件著作物を改変し、著者として原告のほかに被告周叶を表示して出版したと主張して、著作者人格権(同一性保持権及び氏名表示権)に基づき、上記被告らに対し、損害賠償を求めている事案であり、本件反訴請求は、被告櫻桃書房及び同人類文化社が、原告に対し、本件著作物の出版に際し、原告の作業の遅れにより増加した費用、出版が遅れたことなどによる慰謝料等の損害賠償を求めるとともに、本件著作物の出版に際してのフォトCDの作成費用等の立替金の償還及び企画段階で出版取り止めとなった書籍について前払いした印税の返還等を求めている事案である。
1 争いのない事実等(以下、いずれも原告と被告両会社の間で争いがない。)
(1) 当事者
ア 原告は、数多くの著作を著している写真家、美術史家、日本庭園史家、映画評論家、性風俗の研究家であり、本件著作物の少なくとも著作者の一人である。
イ 被告櫻桃書房及び被告人類文化社は、いずれも書籍・雑誌の出版及び販売等を目的とする株式会社である。被告櫻桃書房と被告人類文化社は、前者が親会社、後者が子会社の関係にある。本件著作物は、被告人類文化社が発行し、被告櫻桃書房が発売することとなっていた。
ウ 被告周叶はコンピュータ・グラフィックの技術者で、本件著作物に収録された浮世絵写真につき、デジタルワークを担当した。デジタルワークとは、デジタル情報として保存された浮世絵画像の色彩を調整したり、傷や汚れを消去するなどの作業である。
(2) 出版契約の締結
ア 平成一〇年八月末、原告は、被告人類文化社代表者麻生定夫(以下「麻生」という。)から、浮世絵の出版企画についての説明を受け、同人に対し、春画浮世絵の歴史の集大成を提案した。
イ 本件著作物の出版企画がまとまり、題名を「浮世絵春画一千年史」とし、日本の春画浮世絵の歴史を時系列に沿って振り返る内容とすることとなった。そのほか、原告と被告両会社の間で、当初、①刊行を平成一〇年一一月末、②頁数一六〇ないし一八〇頁、③収録口絵点数二〇〇点、④定価四八〇〇円+消費税(予価)と予定された。実際には、上記①ないし④について、①平成一一年四月、②二四八頁、③三〇〇余点、④五八〇〇円+消費税と変更された。
ウ 本件著作物の制作に当たっては、フォトCDが作成された。被告両会社は、同フォトCD作成代金として、訴外ラボインクス株式会社へ一七八万七五六二円を支払った。
エ その後、本件著作物は被告人類文化社により出版され(以下、現実に出版された物を「本件出版物」という。)、本件出版物は、被告櫻桃書房により、遅くとも平成一一年四月ころまでに店頭販売された。同時に通信販売の手配もされた。
オ 本件訴訟提起に至るまで、被告両会社は、本件出版物の発行・販売を継続している。
(3) 被告両会社は、平成一〇年八月二四日付けで、原告に、一〇〇万円を支払った。
2 争点
(本訴請求について)
(1) 原告と被告両会社の間の契約の内容。殊に、被告両会社との関係で原告と被告周叶が印刷前までの全工程を責任を持って行うことになっていたか。
(2) 原告は、被告周叶に、本件著作物に収録される浮世絵写真のデジタルワーク処理のみにとどまらず、編集一切を任せたか。
(反訴請求について)
(1) 原告が、平成一〇年八月二四日付けで受領した一〇〇万円の金員の趣旨及びこの金員の返還義務
(2) 収録口絵点数、頁数、定価、刊行予定日の変更(前記争いのない事実記載)は、原告と被告両会社との間の合意の上でなされたか。
(3) フォトCDの作成費用、被告周叶のデジタルワーク処理作業に対する報酬は、原告が負担すべきものか。
3 争点に関する当事者の主張
(本訴請求について)
(1) 原告の主張
ア 当事者
(ア) 原告は、本件著作物の単独の著作者である。
(イ) 被告周叶は、本件著作物に収録された浮世絵写真のデジタルワーク処理のみを担当した。被告周叶は、写真の色、傷、しみ等を除去するデジタルワーク作業という創作的要素を伴わない機械的作業を行ったにすぎないから、本件著作物につき著作権を有しない。
イ 出版契約の締結
(ア) 被告人類文化社からの申入れ
原告が、被告人類文化社の麻生から申入れを受けた内容は、「デジタル印刷による大型出版をしたい。浮世絵でよい企画はないか。」というものであった。そこで原告は、同人に対しかねてから温めていた春画浮世絵の歴史の集大成を提案した。
(イ) 契約内容の決定
その後、原告は担当者である被告人類文化社従業員福永武司(以下「福永」という。)と打合せを繰り返し、以下の内容で、出版契約を締結することとした。平成一一年三月二〇日、原告が被告櫻桃書房との間で取り交わした出版契約書では、本件著作物につき、原告が被告櫻桃書房に対して出版権を設定し、他方、被告櫻桃書房が自己の計算において複製・頒布する義務を負うことなどを内容としている。
a 浮世絵を掲載する際はデジタル製版で行う。浮世絵のネガは原告が提供し、そのデジタルワークは被告周叶に依頼する。
b 判型、収録口絵点数、頁数、定価、刊行予定日は争いのない事実記載のとおり予定され、合意の上で変更された。
c 原告における作業の締切りは平成一〇年一二月中である。
ウ 解説原稿及びペーパーレイアウトの作成
原告は、本件出版契約に基づき、著作を進めた。本件著作物が出版されるまでの作業は以下のとおりである。
① 掲載する春画浮世絵のフィルムの選別
② ペーパーレイアウト(解説文や浮世絵の割り付け、頁配分などをデッサンしたもの)の作成
③ 解説文の執筆
④ フィルムをデジタル処理してフォトCDに変換(フィルムをデジタル情報として保存)
⑤ ペーパーレイアウトにフィルムを貼付
⑥ デジタルワーク(デジタル情報を画像としてアウトプットした際の色彩を調整したり、傷や汚れを消去する。)
⑦ 印刷作業のために、デジタルワークによる処理を施した画像処理をCD―Rに収録
⑧ 校正
⑨ 出版
上記作業のうち、①②③⑤⑧は原告が、④は訴外株式会社サカタインクスが、⑥⑦は被告周叶が、⑨は被告櫻桃書房が担当することになっていた。
エ 本件著作物の完成と校正の不実施
原告は、①②③⑤を終了させ、④の過程を経て、完成した解説原稿とペーパーレイアウトを前記担当者福永に手渡した。その後、同人に対し、⑧の校正をするために⑥⑦の結果を送るよう再三求めたが、同人はこれに応じなかった。
原告が色校正及び最終校正をしないまま、本件出版物は店頭販売された。
オ 著作権侵害行為
同年四月二四日、被告人類文化社より原告の許に、本件出版物が送付されてきた。ところが、本件出版物は、原告の了解を得ることなく、本件著作物(具体的には、原告が福永に交付したペーパーレイアウトに記載された浮世絵及び解説文の配列)に改変を加えられたものであった。その改変箇所は別紙改変目録記載のとおりである。
そのうち、16(二四六頁)については、本件著作物は、原告が選択した浮世絵写真に解説を加えることによって構成されているものであるから、著作権が文章(Text)のみに限定されるものではない。通常、著作者が出版社を通して出版する際には、ただ単にfile_3.jpgとのみ記載する。したがって、Textfile_4.jpg1999 by Kazuhiko Fukudaとの記載は、被告らの勝手な改変である。
また、18(二四八頁)については、被告周叶の経歴紹介がされているが、通常、デジタルワークを担当した者が経歴紹介をすることはない。原告が編著者としてデジタルワーク担当者の経歴紹介掲載を許可したこともない。さらに被告周叶が画像著作権者であるとの記載があり、全体としては、本件出版物が原告と被告周叶との共同著作物であるかのような体裁となっている。
被告両会社は、このような改変を行った本件出版物の発行・販売を継続している。
カ 被告らの不法行為責任
(ア) 本件著作物の著作物性
本件著作物は、平安時代から大正時代までの約一〇〇〇年間に世に出た春画浮世絵のうち、美術史的観点から主要な浮世絵作品を選別し、時系列に沿って掲載した浮世絵に順次解説を加え、その浮世絵が発表された時代の史論を付すことを内容とする美術史書である。掲載される浮世絵の写真は、いずれも原告が大英博物館を始めとする世界各地を訪問・取材して入手したものであり(原告の所有する写真のコレクションは質・量とも日本屈指のものである。)、原告自身の美術史観に基づき選別され、その浮世絵に付された解説及び史論は原告の長年の研究創作活動の成果である。したがって、本件著作物は、写真及び解説文等を組み合わせた編集著作物であり、原告が全体として著作権を有する。原告と被告櫻桃書房との間の出版契約書の一一条は、「(著作者人格権の尊重)乙が出版に適するよう本著作物の内容・表現またはその書名・題号に変更を加える場合には、あらかじめ著作者の承諾を必要とする」と規定し、これを担保するために同九条で「(校正の責任)本著作物の校正に関しては甲の責任とする。」と規定している(なお、甲は原告、乙は被告櫻桃書房を指す。)。
(イ) 同一性保持権の侵害
本件著作物は、写真と解説文を組み合わせた編集著作物である。本件著作物に掲載される春画浮世絵は、前記(ア)のような編集方針に従い、原告が世界各地で撮影した膨大な写真の中から、素材を取捨選択した上、ペーパーレイアウトとして配列したものである。また、配列した写真の解説文(史論を含む。)は、原告の長年に及ぶ学識、知見に基づく研究活動の成果である。ペーパーレイアウトの基本は構成力にある。図版の比例、左右対称性を基本とする構成方法である。原告は、本件著作物のペーパーレイアウトにおいて、前記写真と解説文を、春画の歴史的体系、時代別に構成したが、作成者に構成力がなければそれは作成できないものである。すなわち、その構成法、比例感覚に創作性があるのである。本件著作物における写真と解説文は画文一致の創作性があり、ペーパーレイアウトは、これらを一定のスペースに配列構成したものである。これは単なるスペースの割り付けだけではなく、二〇〇点を超える写真とそれに対する解説文を組み合わせるに当たり、写真の特質を生かしながら全体的な効果をも相乗させることを目的としたものである。
したがって、被告両会社出版社の義務は、著作者のイメージどおりに著作物を刊行することである。しかるに、被告らは、掲載予定のない不必要な写真の挿入、写真の拡大(重要でない春画が強調されてしまう。)、写真の配列の変更、余事記載等、随所にペーパーレイアウトを改変した内容となっている。また、あたかも本件著作物が被告周叶との共同著作であるかのようにも改変している。このように、被告らは、本件著作物に原告の了解もなく改変を加え、出版・販売したものであり、原告の著作者人格権(同一性保持権)を侵害し、原告は、これまで培ってきた名誉・声望が棄損され、多大な精神的苦痛を被った。
(ウ) 氏名表示権の侵害
本件出版物は、その七頁の本文末尾に、被告周叶の名義で「なお、本書に掲載した修復・調整済みの全画像には小生に著作権があり、『著作者に無断での複写・複製・転用・転載を禁じる』。」との文章が掲載されている。また、奥付にも、file_5.jpgの標章と共に被告周叶の氏名が(すなわち同被告が著作者であることが)表示されている。このように、本件出版物は、あたかも原告と同被告の共同著作物であるかのように表示されて出版されたが、同書は原告の単独著作物であり、同被告に著作権がないことは前記のとおりである。そして、被告両会社も、そのことを知ったうえで出版したものである。上記のとおり、被告らは、原告の単独著作物である本件著作物に、原告の承諾なく、被告周叶との共同著作物との表示を付して出版したものであるから、この行為は、著作物全部につき単独で著作権を有する単独著作権者として氏名を表示されるべき原告の権利を侵害したものであり、氏名表示権を侵害したものというべきである。
(エ) したがって、被告らは原告に対し、民法七〇九条、同七一九条に基づき、これによって原告が被った精神的損害を連帯して賠償する義務を負う。この慰謝料としては二〇〇万円が相当である。
(2) 被告両会社の主張
ア 原告は、デジタル製版で本件著作物を出版することにこだわり、被告周叶を連れてきて、「我々は福田ブラザースで仕事をしているので、今回の出版は編集から出版完了まで被告周叶に任せてもらいたい。そういう条件でなければ出版契約しない。」と述べた。被告両会社はこれに応じざるを得なかった。
本件出版物の出版に際しては、具体的には次の手順で作業が進んだ。
① 掲載フィルムの選別=原告が行った。
② ラフレイアウト(ペーパーレイアウト)用紙作成=原告が行った。
③ フォトCDの作成=原告が指定した株式会社サカタインクスに発注。発注は原告が行い、代金は被告櫻桃書房が支払った。
④ ペーパーレイアウト用紙にフィルム貼付け=原告が行った。
⑤ デジタル製版=原告の連れてきた被告周叶が行った。
(以上、編集、割付、製版まで)
⑥ CD―Rに原版を収録=被告周叶が行った。
⑦ 校正=原告及び被告周叶が行った(ただし、解説原稿の写植は被告両会社が行い、原告の責任校了を経ている。)。
⑧ 印刷=被告両会社が行った。
⑨ 製本=被告両会社が行った。
上記⑦までを、原告のいう「福田ブラザース」が責任を持って行うことになっていた。このように、本件出版物は、原告の当初の指示に基づき、被告周叶のデジタル製版作業により編集制作されたもので、被告両会社は、原告及び被告周叶の著作したものをそのまま出版したにすぎない。
イ 本件著作権に関する紛争は、原告が申し立てた東京地裁平成一一年(ヨ)第二二〇四七号仮処分申立事件(以下「先行仮処分事件」という。)における和解によって解決済みである。
(3) 被告周叶の主張
ア 被告周叶は、本件出版物の制作に当たり、担当者である被告人類文化社従業員福永から、被告周叶も共同著作者となる旨の条件を聞かされていた。被告周叶は、装丁のデザインやレイアウトも含め、映像作家である同被告に一任してもらえるなら引き受ける旨を述べたところ、これに応じた原告及び被告両会社の強い要望で、この仕事を引き受けた。原告は、被告周叶に対して「君に一切を任せる。」と再三述べ、被告両会社に対しても「被告周叶に任せておけばよいものができる。」と言っていた。本件出版物は、MOOK形態の娯楽本であり、「驚異のデジタル・ワークにより、色鮮やかに生まれ変わる艶麗な枕絵の世界」というキャッチフレーズからもわかるように、このデジタル技術が売りものであり、被告周叶の感性と技術なくしては完成しなかった。
イ 本件著作物のレイアウトや、被告周叶が執筆した文書の追加については、被告周叶は、前記アのように一切を任されているし、福永が承認したことであり、被告周叶に責任はない。
ウ 本件著作物につき、原告が提供した浮世絵図版は写真複写したものであり、刷り版ではない。被告周叶は、傷ついたり色あせたり汚れたりした素材をデジタル処理でリメイクするという作業を行ったが、リメイクした新規の図版の著作権は、これを担当した被告周叶及びその費用を負担した被告人類文化社に帰属するもので、原告に帰属しない。
また、原告の仕事は、素材の提供と解説文を執筆することであって、装丁やレイアウトに関しては、何らの権限はない。
(反訴請求について)
(1) 「浮世絵名宝撰」(仮題)の出版につき前払いされた印税の内金一〇〇万円の返還請求
ア 被告両会社の主張
被告両会社は、平成一〇年八月二四日付けで、原告に対し一〇〇万円を支払った。原告はこれを「浮世絵名宝撰」の印税の内金として受領しているが、この企画は立ち消えになった。被告両会社は、同書を出版するべく努力し、原告に働きかけもしてきた。先行仮処分事件の審尋においては、被告櫻桃書房代表者が、「浮世絵名宝撰」がどうなっているか尋ねたところ、同席していた原告の妻が、今やっている旨答えたので、被告両会社はこの企画の実行がなされつつあるものと思い、それ以上督促しなかった。平成一一年九月以降、被告人類文化社の麻生と担当社員が数回督促したが、明確な返事はなく、のらりくらりと過ごされてしまった。そこで被告両会社としては、この企画は立ち消えとなったと判断せざるを得なかった。
被告両会社は、原告に、上記金員を、本件著作物の著作料に振り替えてほしい旨再三申し入れたが、原告は了解せず、現在も返還されていない。なお、本件著作物の著作料は別途支払済みである。上記のような事実の経過からすると、原告は、出版企画を実行する意思がないのに、あたかもその意思があるように装って、上記の時期に一〇〇万円を支払わせ、その後一年以上経過し、立ち消えとなったと判断せざるを得ない状況に至らせたものであって、原告の行為は詐欺的行為である。したがって、被告らは原告に対し、不当利得返還又は不法行為に基づく損害賠償として一〇〇万円の支払を請求する。
イ 原告の主張
原告は、「浮世絵名宝撰」について、上記内金受領後、カタログ制作の作業に入り、多くの時間と労力を費やしてカタログを完成させた。ところが、作業を進めていた平成一〇年一〇月ころ、麻生が訪ねてきて、「会社の都合により企画を中止したい。まことに申し訳ない。」というばかりであったので、原告はやむなく作業を中止した。このように、原告が同書の作業を進めなかったのは、被告両会社が、一方的に出版を中止したからにほかならない。したがって、被告両会社が、原告の仕事の完成前に出版契約を解除したものであるから、民法六四一条あるいは同条の類推適用により、原告は一〇〇万円の返還をすべき義務を負わない。
また、麻生が訪ねてきて中止を申し入れた時、原告はやむなく承諾したので、その時に合意解除が成立した。原告は、「浮世絵名宝撰」の出版を期待していたのに、被告両会社の一方的な事情で突然中止とされたのであるから、被告両会社は、本来原告に対して債務不履行として印税の全額を支払うべき義務を負うところ、原告との間で被告両会社が一〇〇万円の返還を求めないということで解決する旨の黙示の合意が成立したものといえる。麻生はその場で一〇〇万円の返還を求めず、被告両会社からは、その後も長期間この金員の返還請求がされていないものであり、先行仮処分事件の手続の時に至って、初めて返還請求がされたことはこのことを裏付ける。
したがって、原告は、出版契約の原告による一方的な解除又は合意解除の成立を選択的に主張する。
(2) 出版契約書一〇条二項による差額の損害賠償請求
ア 被告両会社の主張
本件出版物については、原告と被告両会社の間で、前記争いのない事実記載のとおり、刊行予定日、頁数、収録口絵点数について合意され、進行することになっていた。このような合意の確認ができたため、遡った平成一〇年八月二四日付けで被告両会社は印税の内金として一〇〇万円を原告に支払った。
ところが、実際に本件出版物が刊行されたのは、平成一一年四月であり、その内容も、頁数二四八頁、収録口絵点数三〇〇余点というものであった。平成一〇年一〇月二七日付け図書印刷株式会社の見積りは四五五万五九五〇円で、被告両会社は当初この予算で進行することになっていたが、前記のような出版の遅れと内容の変更の結果、被告両会社の図書印刷抹式会社への最終的な支払は、六六四万六五〇〇円となった。これは出版契約書一〇条二項「甲(原告)の指示する修正増減によって、通常の費用を超えた場合には、その超過額は甲の負担とする。」に該当する。被告両会社は、何とか前記の見積もりに抑えたかったが、原告の独断専行によりこのように増大することになった。したがって、被告両会社は原告に対し、その差額である二〇九万〇五五〇円の超過額の支払を請求する。
イ 原告の主張
頁数及び口絵数の増加は、原告から申し入れたが、これは、一千年史という長大な体系本を作成するには、図版枚数を増加しなければ中途半端となり、春画一千年史という本件出版物の趣旨が達成されないためである。このことを被告両会社の代表者らは承諾している。そのゆえ、平成一一年三月二〇日に出版契約書を作成した際、被告両会社は原告に対して費用負担を請求しなかったものである。このように、合意の上で変更したことなので、原告は返還義務を負わない。
(3) 予約募集の新聞広告代
ア 被告両会社の主張
本件出版物は、前述のように平成一一年四月にならないと発売できなかった。当初原告が平成一〇年一一月刊行を前提として作業を行う旨を約束したため、被告両会社は予約募集の広告展開を開始した。その広告費用は一七二万円となっている。本件出版物の刊行の遅れにより、予約者から、詐欺ではないのかなどの厳しい問い合わせが被告両会社に多く寄せられ、また、この事実によって、TOHANや日販など大手取次に対する被告両会社の信用は著しく失墜し、委託数も大幅に滅少してしまうという最悪の結果となってしまった。被告両会社は、前記のような原告の約束が実行されることを信じた結果、時宜に合わない広告をしてしまったのであるから、この広告費用も債務不履行又は不法行為による損害である。したがって、被告両会社は、原告に対し、上記一七二万円の損害賠償を請求する。
イ 原告の主張
本件出版物の刊行が遅れた原因は、原告にあるのではなく、被告周叶による収録写真のデジタルワーク処理作業が遅延したからである。また、被告両会社と合意の上で刊行の時期を変更したものである。したがって、原告に責任はない。
(4) フォトCD作成費用の立替金
ア 被告両会社の主張
本件では、フォトCDが作成されたが、このフォトCDは、印刷に入る前に被告周叶が行った作業で作成されたので、本件契約書一〇条にいう、「著作に要する費用」として原告が負担すべきものである。被告両会社が、フォトCD作成の費用として訴外ラボインクス株式会社へ支払った金額は一七八万七五六二円となっており、これは、被告両会社が原告が支払うべきものを立て替えたものであった(このフォトCDは、原告の強い要望により、原告に交付され、原告において保有している。)。同金額は、原告から被告両会社へ償還されるべきである。
イ 原告の主張
原告にフォトCDが交付され、原告がこれを保有しているのは事実だが、その作成費用は、本件出版物の製作原価に含まれるから、出版会社である被告両会社が負担すべきものである。
(五) 被告両会社が被告周叶に支払った立替金二五〇万円について
ア 被告両会社の主張
原告作成の報告書(甲15)の「一 出版依頼 2」に、「解説や評論は、私の研究活動の成果である情報や知識などに基づいて創作し、編集も私が行うというもので……」とあるように、編集の一切の段取りは原告本人が行ったものであり、デジタル製版にしたのも、原告の強い意向によるものである。原告は被告周叶を紹介し、責任持って製版段階までは原告側で仕上げるので、被告両会社は刷版にすぐかかることが可能であると述べていた。
また、原告は、被告周叶と「福田ブラザーズ」というコンビを組んで仕事をすると言うので、編集プロダクションであると被告両会社は理解していた。すなわち、編集の一切の段取りを原告が行い、それに基づいたデジタル化を被告周叶が進行する、というのが本件出版物の制作過程であったもので、この時点で被告両会社の介入する余地はなかった。上記のような経過において、被告両会社がデジタルワーク処理費用として被告周叶へ支払った二五〇万円は、本来原告が支払うべきものであるから、償還請求として二五〇万円の支払を請求する。また、原告は、被告両会社や被告周叶との間で著作権侵害の紛争をする意思を秘して、被告両会社に上記立替金を支払わせたのであるから、不法行為による損害賠償として、同額の支払を請求する。
イ 原告の主張
被告周叶は、原告が被告両会社に紹介した者だが、同人に支払った代金も、上記(4)と同じ性格の経費であり、被告両会社が負担すべきものである。したがって、原告に償還義務はない。
(6) 慰謝料について
ア 被告両会社の主張
前述のように、本件出版物の刊行の大幅な遅れのため、一般購読者、大手取次等に対し、被告両会社は著しくその信用を失墜し、金銭では償えない損失を被った。そのうえ、原告は、偏見と独断によって、著作権侵害を主張して、先行仮処分事件及び本件訴訟を提起したから、被告両会社は精神的、時間的苦痛や損失を被った。したがって、被告両会社は、原告に対し、連帯債権として、四〇〇万円の慰謝料を請求する。
イ 原告の主張
争う。
(7) 反訴請求のまとめ
被告櫻桃書房及び同人類文化社は、原告に対し、連帯債権として、上記(1)から(6)までの合計一三〇九万八五五〇円及びこれに対する平成一二年七月八日(反訴状送達の日の翌日)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を請求する。
第3 当裁判所の判断
1 本件における事実関係等
前記争いのない事実に証拠(甲1、4、5の1ないし16、甲7ないし12、13の1ないし5、甲14ないし17、20、乙1ないし6、7、11ないし16、19の1ないし11、乙22の1ないし8、乙24、26の1及び2、乙27の1ないし3、乙28、30、32ないし34、丙1ないし8、証人福永武司、原告本人、被告人類文化社代表者麻生定夫、被告福田周叶本人)及び弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められる。
(1) 原告は、写真家、美術史家、日本庭園史家、映画評論家、性風俗の研究家として、数多くの著作を有する者である。被告櫻桃書房及び被告人類文化社は、いずれも書籍・雑誌の出版及び販売等を目的とする株式会社であり、前者が親会社、後者が子会社の関係にあって、被告櫻桃書房が編集制作を、被告人類文化社が出版・販売を担当している。被告周叶は、コンピュータ・グラフィックの技術者で、デザイナーとしての仕事も行っている。
(2) 平成一〇年八月末ころ、原告は、被告人類文化社代表者の麻生から、浮世絵に関する出版企画を持ち込まれた。それより少し前、原告と被告両会社との間には、「浮世絵名宝撰」(仮題。カタログには、「名宝大和絵春宮画撰」とある。)の企画が進行中であった。同書は、浮世絵の豪華本で、原告が図版を提供し、それを被告周叶がデジタルワークで修正する予定であった。「浮世絵名宝撰」の出版に関し、被告櫻桃書房から、原告に一〇〇万円、被告周叶に五〇万円が支払われた。出版に向けて、原告及び被告周叶は、同書のカタログを制作したが、被告両会社は、市場調査をした結果、同書を出版・販売しても採算がとれないとの結果を得たので、この企画を取り止めることにした。そして、麻生の提案で、別の形で同様な浮世絵の出版をすることになり、それが本件出版物の企画となった。
(3) 原告と被告両会社との間で、本件出版物の出版企画がまとまり、題名を「浮世絵春画一千年史」とし、日本の春画浮世絵の歴史を、平安時代から明治時代ころまで、時系列に沿って網羅する内容とすることとなった。出版企画を練り上げる際、原告は、被告人類文化社の代表者麻生及び担当者である従業員福永に対し、本件出版物をデジタル編集で制作することを強く勧めた。原告は、一連の作業の流れを説明するために、自ら描いた図(乙6)を示しながら説明を行った。原告の説明は、原告が対象となる浮世絵を、自ら所有する撮影フィルムから選別し、フォトCDに収録し、被告周叶が、これを原告の制作するペーパーレイアウトに従って、コンピューターグラフィック技術を用いたデジタルワーク作業により、画像の傷の修正や色調の補正を行い、その作業を行った結果をCD―Rに収録し、これからカラーの色校をプリントすること、しかる後に、印刷会社において、このCD―Rを使用して印刷、製本を行うこと、従来の方式だと、画像をフィルムからスキャニングするから非常に費用と時間がかかるが、デジタル編集だとその手間がなくなるから、費用が低額ですみ、しかも作業が速い、というものであった。また、原告と被告周叶の両名が制作に携わるが、両名が血縁関係はないにもかかわらず姓が福田で同じだから、両名は「福田ブラザース」だ、と冗談で言った。
これに対し、麻生らは、デジタル編集にはなじみがないことから、躊躇し、従来の方式によることを主張したが、フィルムをフォトCD化してその劣化を食い止めたい原告の強い意向に従わざるを得ず、デジタル編集により作業を行うことに決定した。制作の期限、本件出版物の頁数、価格等については、この時、①原告の側が同年九月中に作業を進行させ、一〇月二〇日前後に完成させて、刊行を平成一〇年一一月末とすること、②頁数一六〇ないし一八〇頁、③収録口絵点数二〇〇点、④定価四八〇〇円+消費税(予価)と予定された。
(4) 原告と被告周叶は、本件出版物以前にも、デジタル編集による浮世絵画集「明治日本のエロス」を河出書房新社から刊行したことがあった。同書においては、被告周叶は、デジタルワークのみを担当し、同書の著者としては、原告が単独で表紙等に表示されている。被告周叶については、その裏表紙に「全画像調整デジタルワーク福田周叶」と記載されている。同書のデジタルワークを担当するに当たっては、同被告は、原告から後記(5)と同様のペーパーレイアウトを受け取って、原則的にこれに従って紙面を作成し、原告との間に本件のような問題が生じたことはなかった。
(5) 本件出版物の出版の準備として、デジタル編集を用いて行われた作業の内容は、次のとおりである。
① 掲載する春画浮世絵のフィルムの選別
② ペーパーレイアウト(浮世絵や解説文の割り付け、頁配分などをデッサンしたもの)の作成
③ 解説文の執筆
④ フィルムをデジタル処理してフォトCDに収録(フィルムをデジタル情報として保存)
⑤ ペーパーレイアウトにフィルムを貼付
⑥ デジタルワーク処理(デジタル情報を画像としてアウトプットした際の色彩を調整したり、傷や汚れを消去する。)
⑦ 印刷作業のために、デジタルワーク処理を施した画像処理をCD―Rに収録
⑧ 校正
⑨ 出版
原告は、浮世絵を撮影したフィルムを選別し、本件出版物の完成時における紙面構成をペーパーレイアウトとして作成した。ペーパーレイアウトは、本の紙面見開き一枚(二頁)ごとに、頁数(書籍全体における頁の順序。歴史的な時間の経過に沿った順序になっている。)、掲載する浮世絵の位置、大きさや、それについての解説文の行数、位置などを指定したものである。原告は、掲載する浮世絵は、すべて自分で選別し、その配置等についても、かつて大学でグラフィックデザインを教えていた経験を生かし、続き物の数枚の絵の人物の顔を全て頁の中心へ向けるなどの工夫をし、頁全体のデザインを勘案して決定した。また、浮世絵写真のうち、年月の経過のため退色したり、傷があったりするものは、すべてデジタルワークにより修正したものを掲載し、未修整の絵は掲載しないという意図であった。このペーパーレイアウトは、原告による作業の終わった頁の分から福永によって被告周叶のもとに届けられた。
本件出版物のうち、解説文の校正は、被告人類文化社において行った。同被告において、原告の執筆した解説文の原稿を活字化し(テキスト文)、それをファクシミリで原告方に送信して校正してもらい、校正を経た原稿には、原告が「著者校了」とサインして、同被告方に返信するという方法をとった。本件出版物の原稿で、このサインがあるのは、テキスト文のみである。
(6) 本件出版物の頁数、価格、発行日等の予定は、前記(3)のとおりであるが、原告が作業を進めるにつれ、大正時代まで取り入れた歴史的な体系書にするのが相当であるという考えなどから、当初の予定より大幅に頁数を追加することとなり、全体で二四八頁、収録点数が三〇〇余点となることになった。原告はこの件を麻生に申し入れたところ、同人はなかなかこれを了承しなかったが、最終的には被告櫻桃書房の了承を得て、増頁が決定された。この頁の追加に原告及び被告周叶の作業の遅れも加わった結果、発行予定日が平成一一年四月にずれ込み、価格も五八〇〇円+消費税に変更された。原告による作業が終了し、本件著作物が完成したのは、平成一一年一月に入ってからであった。
(7) 被告周叶は、本件著作物のデジタルワークを担当するに当たり、被告人類文化社との間で請負契約を締結し、その報酬を二五〇万円と取り決めた。しかし、上記(6)のように頁数、収録点数が大幅に増加し、作業量も大幅に増えたため、被告周叶は、平成一〇年の暮れころ、担当者である福永に対し報酬の増額を要求し、要求が容れられないなら自分はこの仕事を降りる旨を述べた。福永は、既に刊行も予定より相当遅れていることであり、ここで被告周叶にやめられては、本件出版物の刊行が不可能になると考え、「何とかこの報酬でやっていただきたい。レイアウトもご自由にやっていただいて結構です。一切お任せします。」との旨を述べ、被告周叶をなだめた。麻生もこのことを了承した。
また、被告周叶は、原告に対しても、被告人類文化社に報酬の増額をさせるように求めたが、原告からは、「頼む、ここはひとつこの本を出すために泣いてくれ。」と懇請され、しかたなく従前の報酬額で作業を続けることとした。被告周叶と原告との間のやりとりの際には、本件出版物のレイアウトに同被告が関与するという話は一切出なかった。
(8) 被告周叶は、報酬の増額が実現しなかったことに加えて、福永から自由にやってもらってよいといわれたことから、本件出版物の制作作業において、原告の手になる本件著作物に自己の考えにより改変を加えることを思い至った。そして、本件著作物に別紙改変目録記載のとおりの改変を加え、本件著作物を原告と同被告との共同著作物のような体裁として出版することにし、巻末に同被告自身によるあとがきを掲載したり(同目録17)、奥付に原告の経歴と並べて同被告の経歴を掲載したり(同目録18)、空きスペースを作って、随所にデジタルワークによる修正前の写真を入れて、それを修正するに当たって苦労した点を書いた文章をその下に入れる(同目録2、4ないし6、8ないし13、15)などした。もともと同被告は、原則的にはペーパーレイアウトに従って紙面を作成したものの、これは原告の紙面作成についての希望といったものにすぎないと考えていたので、自己の考えでいくつかの箇所に改変を加えた(同目録7等)。原告の提供したフィルムがデジタル情報化されてフォトCDに収録されたものに、デジタルワークにより修正等を加え、これにさらに文字情報等を加えて紙面の形にしたものを、CD―Rに収録するという過程は、すべて被告周叶の下で行われたので、本件出版物において原告の作成したペーパーレイアウト及び原告執筆の解説文より成る本件著作物と異なっている箇所は、すべて同被告により改変されたものである。被告周叶は、本件著作物にこのような改変を加えたことを、福永と麻生には告げたものの、原告に対しては一切告げなかった。
ただし、同目録14に記載の写真については、原告のペーパーレイアウト作成上の手違いで本件出版物に収録することができなくなったもので、被告周叶は、この写真を収録できなくなったことを原告に告げて、その了解を得ている。
(9) 平成一三年三月上旬になって、画像とテキスト文を入れて構成したCD―Rが被告周叶の下で完成した。これを同被告の事務所で、市販のプリンターにかけて印刷したカラーカンプ(本件出版物の紙面の大体の感じを伝える見本だが、色合いは正確でない。)を作成し、被告周叶、福永及び麻生は、同所でこれを見た。福永と麻生は、カラーカンプが原告作成のペーパーレイアウトどおりでなく、被告周叶が自分の判断で改変した部分があることを、遅くともこの時までに知ったが、特に原告にこのことを告げず、また原告方を訪れてカラーカンプを見せることもしなかった。同月中旬ころ、静岡県沼津市所在の印刷工場において、印刷の立ち会いをすることになり、福永はCD―Rとカラーカンプを持参して同工場に出張した。この時、同人は原告に電話をかけ、原告の指示どおりできている旨を伝えた。
同月二〇日ころ、原告と被告櫻桃書房は本件出版物についての出版契約書を取り交わした。同契約書においては、著作権者として原告のみを表示し、印税を二六一万円と定め、うち二〇〇万円は支払済みであるので、残金は六一万円と確認された。
(10) 本件出版物が刊行されたのは、同年四月中旬であった。その前に、被告両会社が、原告方に見本を送付したところ、原告は、本件出版物が自己の指示と大幅に違うことを発見し、激怒した。そして、麻生と福永を呼びつけ、出版差止めの手続を取る、と怒鳴りつけた。これを聞いた両名は、ようやく刊行にこぎ着けるところまで来た本件出版物が出版差止めとされてはかなわないと考え、原告に謝罪し、不本意ながら、原告の言い分に従い、「お詫び訂正」と題する被告人類文化社名義の一文を記載した紙片を本件出版物に挟み込むことにした。同書面には、改変目録2記載の「本書に掲載した修復・調整済みの全画像には小生に著作権があり」等の被告周叶作成の文中の著作権は無効であること、同目録17記載の「デジタルワークあとがき」を「著者福田和彦氏の諒承のないまま掲載しましたことも当社の過失であ」ることなどが記載されている。被告人類文化社は、被告周叶に告げることのないまま、この書面を作成し、本件出版物に挟み込んだ。本件出版物は、定価五八〇〇円で約五〇〇〇部発行された。
(11) 同年四月初めに、原告は、被告両会社を相手方として、東京地方裁判所に本件出版物の発行差止めを求める先行仮処分事件を申し立てた。同年六月二九日、同事件の手続において和解が成立し、被告両会社が原告に対し、著作物使用料(印税)残金六一万円を支払うこと、原告と被告両会社は、次の書物「浮世絵元禄百花繚乱」の出版契約を結ぶことなどが取り決められたが、清算条項は入れられず、損害賠償問題については、解決されなかった。被告周叶は、上記事件では当事者とならなかったが、債務者らから依頼されて、原告の申立てに対して反論する内容の陳述書を提出した。しかし、この間の同年六月二〇日、原告に、勝手に本件出版物を共同著作のような体裁としたことを詫び、今後は原告の承諾なくこのようことをしない旨の詫び状を送付した。
2 本件著作物の著作物性及び著作者
(1) 上記1認定の事実及び証拠(甲1)によれば、本件著作物は、各頁における画像、解説文等の配列、掲載場所等が表された原告作成のペーパーレイアウトと解説文等の文章部分より成るものであるが、画像部分は、原告が、春画浮世絵の分野における自らの学識・造詣に基づいて原告の有する膨大な春画浮世絵コレクションのフィルムの中から、美術的価値のあるものなどを選別して配列したものであり、解説文等の文章部分は、これらの画像につき原告が解説を加えたものである。
本件著作物のうち、解説文等の文章部分は春画浮世絵の分野における原告の学識・造詣を発揮して作成したもので、創作性を有する著作物であることはいうまでもない。
また、文章以外の部分、すなわち春画浮世絵の画像を選別し、これを配列したものに題字等を付した部分も、前記のとおり、春画浮世絵の分野における原告の学識・造詣を発揮して選別し、歴史的順序やデザイン上の観点からの考慮に従って配列したものであるから、原告の精神活動の成果としての創作性を有するものであって、「編集物でその素材の選択又はその配列に創作性を有するもの」(著作権法一二条一項)、すなわち編集著作物に該当するものということができる。
(2) 被告周叶は、原告の仕事は、素材の提供と解説文を執筆することであって、装丁やレイアウトに関しては、何らの権限はないこと、デジタルワークによりリメイクした図版の著作権は、これを担当した被告周叶及び費用を負担した被告人類文化社に帰属し、原告に帰属しないことなどを主張する。
しかしながら、上記のとおり、本件出版物の制作における原告の分担は素材の提供と解説文の執筆にとどまるものではない。かつ、上記1(3)、(5)等の認定によれば、本件出版物は、原告の単独著作物として企画され、原告が作成したペーパーレイアウトに基づき構成されるものであって、その配列等につき被告周叶が改変を加えることは全く予定されていない。そして、上記1認定の事実に照らしても、本件出版物の制作作業の過程において、原告が本件出版物を被告周叶との共同著作物と表示して出版することを了承したとの事実を認めることはできない。デジタルワーク処理作業は、浮世絵画像から年月の経過による損傷や汚れを除去することにより浮世絵の作成当時における色彩を忠実に復元するというものであるから、専門的な技術及び経験を必要とする作業であり、作業者の技術、経験により出来映えに巧拙の差が生ずるものではあるが、そこには作業者自身の創作的要素が介在するものではないから、処理された結果としての画像に作業者が著作権を取得するものではない(なお、仮に、被告周叶がデジタルワーク処理において、浮世絵の画像に作成当時の色彩を再現するという範囲を超えた何らかの創作的な加工を施しているとしても、それにより被告周叶が処理済みの画像に加工修正の限度で著作権を取得するかどうかという点は、編集著作物としての本件著作物につき原告が単独で著作権を有し、これを被告周叶が改変することを原告が許諾していないという前記の認定判断に影響するものではない。)。したがって、被告周叶の主張は、採用することができない。
3 本訴請求について
(1) 上記認定によれば、被告周叶が、ペーパーレイアウトにより示された構成を原告に無断で改変した行為は、原告による承諾のないことを知りながら行ったものであるから、故意に、本件著作物について原告の有する同一性保持権を侵害したものというべきである。また、原告の単独の著作物である本件著作物につき、被告周叶との共同著作物であるかのような表示を付して本件出版物として出版した行為は、原告の氏名表示権を侵害したものというべきである。上記認定によれば、原告は、このような本件著作物の性格を大きく変える変更につき、承諾を与えていなかったものであり、原告はこれによって精神的苦痛を被ったものというべきであるから、被告周叶は、原告の被った精神的苦痛に対し、損害賠償の責任を負う。
(2) 被告両会社は、被告周叶が原告に無断で本件著作物の改変を行ったことにつき、当初において同被告が改変を行うことに無権限で承諾を与え、改変後においても改変の事実をあえて原告に知らせることのないまま本件出版物を刊行したのであるから、被告周叶と共に共同不法行為者として、上記侵害行為により原告の被った精神的苦痛につき、責任を負うものというべきである。
この点に関し、被告両会社は、原告との間の合意によれば、本件出版物については印刷前の工程までのすべて(上記1(5)記載の作業手順の⑧まで)を、原告のいう「福田ブラザース」(原告及び被告周叶)が責任を持って行うことになっていたもので、本件出版物は、原告との間の上記合意に基づき、被告周叶のデジタル製版作業により編集制作されたものをそのまま出版したものであるから、被告両会社に責任はないと主張する。
しかしながら、本件出版物は、原告の単独著作物として企画され、上記1(9)認定のように、出版直前の平成一一年三月になった段階でも、原告の単独著作物として出版契約書が取り交わされているのであり、被告両会社は、当然に同書が原告の単独著作物となるべきことを認識していた。そして、被告周叶が本件出版物を共同著作物のような体裁にしたい旨を言い出したのが、報酬の増額の件で紛争を生じた平成一〇年の一二月ころからである(前記1(8)参照)ことも被告両会社は認識していたのであるから、被告両会社は、遅くともカラーカンプを見た時点で、本件出版物が原告の作成したペーパーレイアウトの内容と異なっていることを認識していたものというべきである。したがって、このことを原告に確認することは、出版社としての職務というべきである。さらに、印刷に入る前に、その段階の版と、元の原稿に相違がないかどうかを確認すべきことは、出版社として当然のことであり、このことはどのような編集技術を用いるかにかかわらない。実際、本件においても、被告人類文化社は、文章部分の校正を行っているし、被告周叶の作業が終わってからは、被告人類文化社においてペーパーレイアウトを保管しているもので、かつ、被告周叶の下で刷り上がったカラーカンプを見ており、これとペーパーレイアウトを対照して、相違のある点を認識していたのであるから、単に被告周叶の下ででき上がったものを印刷すればよいのではなく、出版社として原稿と版の点検をすべきことは当然の責務として認識していたものと認められる。したがって、上記主張は単に責任逃れのためにする弁解といわざるを得ず、採用することができない。
また、先行仮処分事件の和解において、著作者人格権侵害に基づく損害賠償の件が解決されなかったことは、前記1(11)認定のとおりであり、これを解決済みとする主張も採用できない。
(3) 上記精神的苦痛に対する慰謝料の額については、侵害行為の内容及びその量、本件出版物の発行部数及び定価、被告両会社が原告に謝罪し、詫び文を本件出版物に挟み込んでいること、被告周叶も原告に詫び状を送付していること、先行仮処分事件の和解では、本件出版物の発行自体は差し止めない内容となっていること、証拠(甲14、証人福永)によれば、別紙改変目録記載の点を除き、原告も本件出版物の書籍としての出来映えには満足していると認められることなど、本件における一切の事情を考慮すれば、一〇〇万円をもって相当と認める。
4 反訴請求について
(1) 「浮世絵名宝撰」(仮題)の出版につき前払いされた印税内金一〇〇万円の返還請求について
被告両会社が、平成一〇年八月二四日付けで、原告に、一〇〇万円を支払ったことは当事者間に争いがない。証拠(甲17、乙7、原告本人、被告人類文化者代表者麻生定夫)及び弁論の全趣旨によれば、同金員は、「浮世絵名宝撰」(仮題)の出版につき印税内金として前払いされたものであるが、上記内金受領後、原告は、「浮世絵名宝撰」について、作業にとりかかり、カタログを完成させるなどしていたところ、平成一〇年一〇月ころに至って、被告両会社の営業上の判断により一方的に同書の出版が中止されたこと、その際、原告から一方的な中止について金銭的な補償を求めたり、被告両会社において前払いした印税内金の返還を求めたりすることのないまま、長期間が経過したことが認められるのであって、このような経緯からすれば、そのころ、原告と被告両会社との間で、同書の出版につき、被告両会社において一〇〇万円の返還を求めず、原告においてそれ以上出版中止についての金銭補償を求めない旨の内容を含む黙示の合意解除が成立したものと認めるのが相当である。
したがって、反訴請求のうち、前払金一〇〇万円の返還を求める請求は理由がない。
(2) 出版契約書一〇条二項による差額の損害賠償請求について
反訴請求中の当該請求部分は、原告と被告両会社との間において、当初予定した頁数、収録口絵点数よりも、頁数、収録口絵点数が増加し、その結果本件出版物の刊行が予定より遅れたことによる、費用の増加分の支払を求めるものである。
上記1(6)で認定したように、頁数、収録口絵点数、刊行予定日の変更は、被告両会社においては当初これを渋ったものの、最終的にはこれを了承して、原告と被告両会社の合意の上でされたのであるから、これに伴う費用を被告両会社において負担することにも同意したものというべきである。したがって、これに伴って増加した費用は、被告両会社の主張する出版契約書一〇条二項の場合に該当せず、出版に当然要する費用として、出版社である被告両会社の負担すべきものである。したがって、この点についての請求も理由がないというべきである。
(3) 予約募集の新聞広告代について
上記(2)認定のように、頁数、収録口絵点数の追加、刊行予定日の延伸は、原告と被告両会社の合意の上でされたのであるから、これに伴う費用の増加は、被告両会社において負担すべきものである。さらに、証拠(乙19の1ないし11、乙20、被告人類文化社代表者麻生定夫)によれば、被告両会社は、本件出版物の刊行時期が迫ってから、そのためにわざわざ新聞等の広告スペースを確保したりしたのではなく、常に一定期間ごとにあらかじめ新聞等の広告スペースを予約していること、広告の都度、適当な同社の出版物の広告でこのスペースを埋めていること、特に刊行時期が確実でない段階でも本件出版物の広告をしていること、の各事実が認められる。そうであれば、本件出版物の刊行予定日が変更されたことによって、そもそも広告費が増加したり無駄になったりした事実自体が認められないというべきである。したがって、この請求も理由がない。
(4) フォトCD作成の立替金及び被告両会社の被告周叶への立替金二五〇万円について
前記争いのない事実、前記1認定の事実及び証拠(乙22の1ないし8、原告本人、被告人類文化社代表者麻生定夫)並びに弁論の全趣旨によれば、本件出版物の出版において、出版及び販売に関する費用を除けば、フォトCDの作成費用及びデジタルワークに要する費用(すなわち被告周叶の報酬)が、最も経費のかかる部分であり、原告及び被告両会社は、いずれもこのことを認識していたものと認められる。被告両会社は、このことを認識していたからこそ、訴外ラボインクス株式会社に、一七八万七五六二円にも及ぶフォトCDの作成費用を支払い、かつ被告周叶の報酬二五〇万円を支払ったものと考えられる。被告両会社が、本件反訴の提起に至るまで一度も原告にその支払を求めていないことも、これに沿うものということができる。他方、甲4及び被告人類文化社代表者麻生定夫によれば、本件出版物における原告の印税二六一万円は、売上げ(一冊当たり五八〇〇円の約五〇〇〇部で二九〇〇万円)の約一〇%として定められており、「浮世絵名宝撰」(仮題)においても、被告両会社は同様に考えていたことが認められる。ところが、被告両会社の主張のように、フォトCDの作成費用及び被告周叶の報酬を原告に負担させるというのは、原告の印税を売上げの一〇%とするということと全く整合しない。仮にこの被告両会社の主張のとおりとすれば、原告の取り分を売上げの半分程度としなければ、その負担に見合わないことになるというべきであるし、逆に、出版社は、手間及び資金の両面において、全く労せずに、やすやすと出版物を手に入れ得ることになり、あまりにも都合のいい話といわなければならない。このような主張は、到底採用することができない。
したがって、これら費用はいずれも、被告両会社が負担するというのが当事者の認識であったというべきであり、原告にその償還を求める請求は理由がない。
(5) 慰謝料について
反訴請求中の当該請求部分は、本件出版物の刊行の遅れ並びに先行仮処分事件及び本訴請求を原告が提起したことを理由とするものであるところ、上記判示のとおり、本件出版物の刊行が遅延したことについては、原告と被告両会社との間での合意によるものである。また、そもそも、訴えの提起は、提訴者が当該訴訟において主張した権利又は法律関係が事実的、法律的根拠を欠くものである上、同人がそのことを知りながら又は通常人であれば容易にそのことを知り得たのにあえて提起したなど、裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く場合に限り、相手方に対する違法な行為となるところ(昭和六〇年(オ)第一二二号同六三年一月二六日第三小法廷判決・民集四二巻一号一頁参照)、本件においては、上記に説示したとおり、原告の本訴請求には理由があるのであるから(ただし、損害賠償の金額の点を除く)、原告の本訴請求及びこれに先立つ本件仮処分手続をもって、不当提訴ということはできない。したがって、慰謝料の請求は理由がない。
(6) 小括
以上によれば、被告両会社の反訴請求はいずれも理由がなく、棄却すべきものである。
5 結論
上記判示のとおり、本件本訴請求は主文1項記載の金額の限度で理由があるから、その限度でこれを認容し、本件反訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官・三村量一、裁判官・村越啓悦、裁判官・青木孝之)
別紙改変目録
以下の頁数の記載はいずれも本件出版物(甲1)のそれを指す。
1 一頁
(原告の指定)一頁を見開き、その右側頁に「全画像調整3Dデジタルワーク―福田周叶」と記載する(甲5の1)。
(実際の出版物)一頁記載の著者「福田和彦」名の隣に、「全画像調整(修復・色彩・接合・合成)デジタルワーク―福田周叶」と記載されている。
2 七頁
(原告の指定)二頁以降一行あたり三三字で上下二段組にする(甲5の2)。
(実際の出版物)二頁以降三八字で上下二段組になり、七頁に原告の指定していない被告周叶の原稿が挿入されている。また、同頁には、原告の指定していない写真二葉が掲載され、同被告に画像著作権があるとの記載(英字)がされている。
3 九頁
(原告の指定)掲載した浮世絵のネームとして、源氏物語・若菜の巻・大錦判・六枚つづき・歌川国貞画・天保期(一八三〇―四一)刊と記載する(甲5の3)。
(実際の出版物)同頁内に指定したネーム以外に表紙カバー前面及び背面のネームが入れられ、しかも指定したネームに「……修復・接合・合成。」と書き加えられている。
4 一一頁
(原告の指定)一〇頁以降、三〇字上下二段組にする(甲5の4)。
(実際の出版物)一〇頁以降三八字上下二段組になり、一一頁に原告の指定していない写真一葉が掲載されている。また、同写真には、原告の指定していない説明文が付されている。
5〜15 <省略>
16 二四六頁
(実際の出版物)本来、表紙カバー袖に掲載されるべき原告の顔写真が、合意と異なった位置に掲載され、その脇にTextfile_6.jpg1999 by Kazuhiko Fukudaと記載されている。
17 二四七頁
(原告の指定)口絵図版解説の後は、奥付とする。
(実際の出版物)デジタル・ワークを担当した被告周叶の「あとがき」と題する文章が挿入されている。
18 二四八頁
(実際の出版物)被告周叶の経歴が紹介されている。
19 裏カバー
(原告の指定)喜多川歌麿画「櫛を持てる女」大錦判版画を掲載する。
(実際の出版物)同浮世絵の背景が、白から紫に変更されている。