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東京地方裁判所 平成11年(ワ)25486号 判決

原告 鈴木良夫

右訴訟代理人弁護士 高橋達朗

同 多良博明

同 井上康知

被告 株式会社東海銀行

右代表者代表取締役 徳光彰二

右訴訟代理人弁護士 小沢征行

同 山崎篤士

右訴訟復代理人弁護士 徳田琢

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

一  被告は、原告に対し、金五四〇万円及びこれに対する平成一一年六月二九日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え

二  訴訟費用は、被告の負担とする。

三  仮執行宣言。

第二事案の概要

一  (争いのない事実等)

以下の事実は、当事者間に争いがなく、または、証拠及び弁論の全趣旨により明らかに認められる。

1  原告は、被告日本橋支店との間で、昭和四三年当時から預金等の取引を行う総合口座取引を開設し(以下「本件口座」という。)、平成一一年六月一〇日、後述の払戻がされるまで、本件口座に預金残高五五六万四五七一円を有していた。

2  原告は、同年六月四日ころ、本件口座にかかる通帳を何者かに窃取された。ただし、本件通帳の届出の印章については原告が所持していたため、盗難を免れた。

3  平成一一年六月一〇日午前一一時四〇分ころ、被告深川支店に原告の預金の払い戻しを請求する男性(以下「払戻請求者」という。)が来店し、同五五分ころ、普通預金の払戻窓口において、被告担当者今田敦子に対し、原告名義の預金通帳及び所定の払戻請求書を提出して、現金九〇万円の払戻を請求した。今田敦子は自身で払戻請求書の記載に不備がないか確認するとともに、通帳に押印された届出印の印影である副印鑑と払戻請求書の印影とを、机上で並べて比べるいわゆる平面照合の方法によって照合し、相違ないものと認めた。その後、今田敦子は本件預金の取扱店が深川支店ではなかったことから再度の印鑑照合を行うため、後方で預金事務を行っている好井たえ子に通帳及び払戻請求書を渡した。好井たえ子も今田敦子と同様の方法によって印鑑照合を行い、相違ないものと認めたので、今田敦子にその旨告げた。今田敦子はこれを受けて、同日午前一一時五五分ころ、通帳及び払戻請求書に所定の方法で払戻の印字をした上で、その内容を確認し、払戻請求者に対して、通帳とともに九〇万円を手渡して払戻手続を完了した(払戻後の残高四六六万四五七一円)。

4  平成一一年六月一〇日午後一二時二七分ころ、被告日本橋支店に払戻請求者が来店し、窓口担当者春日朋夏に対し、現行名義の預金通帳及び所定の払戻請求書を提出して、現金四五〇万円の払戻を請求した。春日朋夏は払戻請求者に対して、待合い席で待ってもらうよう告げた後、右払戻請求書の記載に不備がないか確認するとともに、通帳に押印された副印鑑と払戻請求書の印影とを、平面照合の方法によって照合し、相違ないものと認めた。その後回金表を作成して出納係に現金の準備を依頼し、現金の準備ができた後、同日午後一二時三二分ころに通帳と払戻請求書に所定の印字を施し、その内容を確認した後、払戻請求者を呼び出し、通帳とともに現金四五〇万円を手渡し、払戻手続を完了した(払戻後の残高一六万四五七一円)。

5  右3、4記載の各払戻手続(以下「本件各払戻手続」などという。)は、いずれも本件通帳の届出印と異なる印章を使用して行われたものであった。

6  原告は平成一一年六月二三日午後二時三〇分ころ、被告越谷支店に来店し、預金通帳の紛失届をした。

7  原告と被告とは、本件口座を開くに当たり、以下の約定をした(東海総合口座約定。以下、「本件約定」という。)。

(一) 原告は、通帳所定欄に押印された印影と届け出の印鑑との照合手続を受けた場合には、被告の国内のどの店舗でも払戻ができる(本件約定二条一項)。

(二) 原告が通帳や届出印を失ったときは、直ちに書面によって、被告日本橋支店へ届出をする。右届出前に生じた損害については、被告は責任を負わない。この取引において、払戻請求書に使用された印影と予め届け出た印影とを被告が相当の注意をもつて照合し、相違ないものと認めて取り扱ったときは、右請求書に偽造その他の事故があっても、そのため生じた損害について被告は責任を負わない(本件約定一三条一項)。

(三) 被告が、払戻請求書に押印された印影と届出印の印影とを相当の注意を持って照合し、相違ないものと認めて払戻をした場合は、払戻請求書について偽造、変造その他の事故があっても被告は責任を負わない(本件約定一四条)。

二  (争点)

本件の争点は、本件各払戻手続きが、債権の準占有者に対する弁済と認められるか、あるいは、これと同趣旨の本件約定による免責を得られるかであり、原告及び被告は以下のとおり主張する。

1  原告の主張

(一) 印鑑照合の過失

本件各払戻請求書に押印された印影と届出印の印影を比較対照した場合、次のような相異点が認められる。

<1> 払戻請求書の印影では、「鈴」の文字の上の枠の部分が薄くつながり欠けていないのに対し、届出印では「鈴」の文字のうち、「金」の上の枠の部分が一部はっきりと欠けている。

<2> 字体において、払戻請求書の印影は、本件届出印と異なり、「鈴」の文字の偏と旁の部分の間隔にかなり開きがある。

<3> 「鈴」の文字のうち旁の部分の「令」の字について、払戻請求書の印影は四画目の書き出し部分が左に突き出ていないのに対し、届出印では突き出ている。

<4> さらに、「令」の字の一画目の長さが払戻請求書の印影では短い。

<5> また、払戻請求書の印影は、「令」の字の三画目の書き出し部分と五画目の縦棒部分とが上下揃っているのに対し、届出印では揃っていない。

以上の相違は一見して明らかであり、右相違は同一印章によりながら使用条件の変化などによって生じたとは到底認め難く、右相違は、印鑑照合事務に習熟している銀行員が社会通念上、一般に期待される相当の注意をもって熟視するならば、容易に肉眼をもって発見し得るものであった。

(二) 受領権限を疑うべき事情

本件各払戻手続は、同じ日に被告深川支店から預金九〇万円が、次に被告日本橋支店から預金四五〇万円が払戻されたというものであり、右各払戻は、三七分間という極めて接近した時間内に二か所の支店で相次いで行われ、ほぼ預金残高全額といえる合計五四〇万円もの高額の金額が現金で払い戻されている。

以上の事情からすれば、銀行員としては、正当な受領権限を有するものであるかどうかを疑うべき相当な理由があったのであるから、印鑑照合以上の手続を取る必要があったことが明らかである。したがって、被告の払戻窓口担当者としては、より慎重な印鑑照合を行うことが要求されたと共に、再度の押印を求めたり、預金者の同一性確認においても本人か代理人かの確認あるいは住所や電話番号を確認するなどの慎重な対応が要求され、それらの簡単な確認行為を行うことにより、真正な払戻手続でないことは直ちに確認できた。

(三) 内部取決め違反による支払

日本橋支店では、本来、内部の取決めで払戻金額が二〇〇万円を超える場合、事前に上司の承認を要することになっていた。ところが、本件では四五〇万円というより高額の金額が、上司の事前の承認もなく、窓口担当者の権限を逸脱して出金されたものであり、内部取決めに違反していた。一般に窓口担当者が払戻請求者と面識がないことから、預金者の保護を図るため、二重のチェックを行うことが銀行に要求された一般的な注意義務であり、顧客の預金を預かるという業務を行う銀行にはこのような高度の注意義務が課せられ、これを被告も承知の上でマニアル化したものと考えられる。したがって、二〇〇万円を超える出金に際して、マニアルに違反して上司の二重のチェックを受けず、窓口担当者が権限外の出金をした場合には、これは当然に注意義務違反として法的責任が問われるべきものである。

2  被告の主張

(一) 印鑑照合の過失について

本件払戻請求書に押印された印影と届出印の印影を比較対照すると、以下のとおり、その印影は同一の印章により作出されたと判断できる。

<1> 印影の形状は双方とも正円であり、その大きさも同じである。

<2> 外枠と「鈴木」の文字の外側全てが接触している。

<3> 「木」の四画目が、文字全体から離れている。

<4> 「鈴」の金偏の六画目、七画目の点々が偏全体と離れている。

<5> 文字の大きさ、配置が一致している。

以上の点で同じ形状であり、全体としても一見したところ相違点は見あたらない。

そして、同一の印章によって押印された印影であっても、印鑑の押し方、印鑑が欠けたりする可能性、さらには、朱肉の付き方、印鑑を保管したときのほこりなどにより、印影は異なることを考慮すると、右のような特徴的部分が一致することからすれば、両者の印影は同一の印章によるものと判断できる。

(二) 受領権限を疑うべき事情について

以下のとおり、払戻請求者の受領権限を疑うべき不自然な点はない。

(1)  普通預金の払戻が当日中に二回行われることは何ら不自然なものではない。仮にこれが不自然であるとしても、預金通帳の記帳内容からは払戻の時間は明らかにならない。

(2)  個人の預金口座において残高が一〇万円以上もある払戻手続であれば、ほぼ全額に近い払戻ということができない。

(3)  日本橋、深川といった都心の支店において、四五〇万円、九〇万円という金額はそれほど高額の払戻手続とはいえない。

(三) 内部取決め違反による支払について

本件の日本橋支店の払戻については上司(支店長代理)の払戻の承認が事後的に行われているが、これは本件に限ったことではなく当時の日本橋支店の通常の取扱である。また、この取決めは出金についての承認であって本人確認手続とは無関係である。しかも、仮に本件において事前の承認を求めたとしても、払戻に応じなかったとはいえない。

したがって、本件の払戻手続における過失と判断することはできない。

第三争点に対する判断

一  印鑑照合の過失について

1  本件各払戻手続に際して提出された払戻請求書(甲第一号証の一及び二、乙第八号証、甲第二号証の一及び二、乙第九号証)に押印された印影と、原告が所持する届出印の印影(甲第三号証の一及び二、乙第五号証、乙第六号証、乙第七号証)を対比すると、原告の主張する相異点(前記第二の二の1の(一)の<2>から<5>まで)及び被告の主張する類似点(前記第二の二の2の(一)の<1>から<5>まで)がそれぞれ認められる。

なお、原告は、払戻請求書の印影では「鈴」の文字の上の枠の部分が薄くつながり欠けていないのに対し、届出印の印影(甲第三号証の一及び二)では「鈴」の文字のうち、「金」の上の枠の部分が一部はっきりと欠けていると主張する(前記第二の二の1の(一)の<1>)が、同じ届出印の印影でも、乙第五号証、乙第六号証及び乙第七号証の印影は原告指摘の欠落は認められない。そして、通帳に押印された副印鑑は乙第五号証の印影と同時期に押印されたものと認められるから、副印鑑には乙第五号証の印影と同様の印影が押捺されていたものと推定される。したがって、右の相異点が認められるとする原告の主張は採用できない。

2  原告の指摘する相異点(前記第二の二の1の(一)の<2>から<5>まで)のうち、「鈴」の文字の「令」の部分の四画目の書き出し部分が左に突き出ているか否かの点(<4>)をのぞくと、いずれも、指摘を受ければ明らかとなる点ではあるものの、他の字画の位置と対照してはじめて認識しうるもので、一見して明らかであるとは認められない。また、同一の印章によって押印された印影であっても、印鑑の押し方、印鑑が摩耗したり欠けたりする可能性、さらには、朱肉の付き方、印鑑の印面に付着したゴミなどにより印影が異なる場合があることは経験則上明らかであるところ、原告の指摘する右各相異点(前記第二の二の1の(一)の<2>から<5>まで)は、いずれも、印鑑の押し方、印鑑の摩耗や欠け、朱肉の付き方によって生じたと解しうる相異点であるにとどまる。

一方、被告の指摘する各類似点は、一見して明らかな類似点と認められる。

これらの事情に照らすと、相当な注意を尽くしても、原告指摘の相異点を発見し、本件各払戻請求書の印影が、届出印と同一の印章によって押印された印影でないことを認識することは困難であったと認められる。

3  そして、証人春日朋夏及び証人今田敦子は、いずれも、通常、印鑑照合に際しては通帳の副印鑑と払戻請求書を並べて平面照合し、印影の形・大きさ、枠と字の接点、はらい、はねの形などの各点を検討し、本件各払戻手続においても同様の方法により照合した結果、届出印と同一の印鑑により押印された印影であると認めた旨供述している。

4  以上に照らすと、被告窓口担当者が、本件各払戻請求書の印影が届出印と同一の印鑑により押印された印影であると認めた点に過失はないと認められる。

二  受領権限を疑うべき事情について

1  本件各払戻は、三七分間という極めて接近した時間内に二か所の支店で相次いで行われ、ほぼ預金残高全額といえる合計五四〇万円が現金で払い戻されていることは原告指摘のとおりである。

しかし、普通預金の払戻が当日中に二回行われることは何ら不自然なものではない。また、個人の預金口座において残高が一〇万円以上ある払戻手続であれば、ほぼ全額に近い払戻であるとして不審に思うべきものとは認められない。日本橋、深川といった都心の支店において、四五〇万円、九〇万円という金額はそれほど高額の払戻手続とはいえない(以上について、証人春日朋夏及び証人今田敦子の証人尋問の結果及び弁論の全趣旨により認める)。

2  以上によれば、払戻請求者にその受領権限を疑うべき事情は認められないから、原告の主張は採用できない。

三  内部取決め違反による支払について

証人春日朋夏の証人尋問の結果によれば、被告日本橋支店では、本来、内部の取決めで払戻金額が二〇〇万円を超える場合、事前に上司の承認を要することになっていたこと、本件では四五〇万円の払戻請求であるにもかかわらず上司の事前の承認がないまま出金されたことが認められる。

しかし、他方、証人春日朋夏の証人尋問の結果によれば、被告日本橋支店では、右のような内部の取決めがあったにもかかわらず、事前の承認ではなく、事後の承認を受ければよいものとして運用されていたことが認められ、このような運用と、上司の承認を要する場合であっても窓口担当者の尽くすべき注意の程度が異なるものでないことに照らすと、右内部取り決めは、上司の部下に対する監督や万一窓口担当者が必要な注意を怠った場合に被告の受ける損害を回避するために設けられた規定と解される。したがって、窓口担当者が必要な注意を尽くしている限り、このような内部の取決めに違反したとしても、そのことから直ちに原告に対する関係で注意義務に違反し、過失があったものと認めることはできない。

四  結語

以上のとおりであるから、本件請求には理由がない。

(裁判官 伊東顕)

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