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東京地方裁判所 平成11年(ワ)26482号 判決 2001年2月09日

原告

福江利雄

訴訟代理人弁護士

宮里邦雄

古田典子

被告

練馬交通株式會社

右代表者代表取締役

永山倫久

訴訟代理人弁護士

猪瀬敏明

主文

1  被告は、原告に対し、金七一万九七四六円及びこれに対する平成一一年一一月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  原告のその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用は、これを一〇分し、その三を原告、その余を被告の負担とする。

4  この判決は、第1項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第1請求

被告は、原告に対し、金一〇六万九三四五円及びこれに対する平成一一年一一月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第2事案の概要

本件は、被告がそのタクシー乗務員として勤務する原告に対し、乗務停止処分を行ったところ、原告がその効力を争い、被告に対し、その間に減額された賃金の支払を求めるとともに、被告の違法かつ無効な処分によって精神的苦痛を被ったとして、不法行為に基づく慰謝料の支払を求める事案である。

1  争いのない事実及び証拠によって認定した事実

(1)  当事者

ア 被告は、一般乗用旅客自動車運送事業(タクシー業)を主たる目的とする株式会社であり、肩書地に本社及び営業所を設置し、業務用車両八八台、乗務員約二四〇名を要している。

イ 原告は、平成六年五月二一日、被告と期限の定めのない雇用契約を締結し、タクシー乗務員として勤務している。

ウ 被告には、従来から親睦団体が組織改編してできた組合員約一〇〇名を要する練馬交通労働組合(以下「練馬交通労組」という)があり、原告もその組合員であったが、原告は、平成一〇年四月一日、全自交・東京地連練馬交通ユニオン(以下「練馬交通ユニオン」という)を結成し(書証略)、執行委員長に就任した。

(2)  本件事故

原告は、平成一一年六月七日午後一時一〇分ころ、東京都文京区小石川四丁目一四番先路上において、タクシー(以下「加害車両」という)に乗務して千川通りを北西方向に進行中、赤信号に従って停止していた林秀行(以下「林」という)運転のベンツのワゴン車(以下「被害車両」という)に追突した(以下「本件事故」という)が、この時点で原告及び林は本件事故を所轄警察署に届出をしなかった。

なお、加害車両には乗客が、被害車両には林の子供が同乗していた。また、被害車両は、リアバンパーが損傷したため、修理され、それに要した七万六七三四円は、被告が負担した(書証略)。

(3)  本件処分

被告は、原告に対し、平成一一年七月一六日、期限を定めることなく「就業規則に基づき業務命令として内勤を命ずる」との「告示」(書証略)を交付し、営業所にも掲示した上、原告に乗務を停止する処分(以下「本件処分」という)を行った。

本件処分理由として、「告示」には次のとおり記載されている。

「事故に対する義務不履行行為

1  所轄警察署への届出の義務を怠った

(尚、会社の指示によって一〇日後に申告した)

2  事故処理について会社の指示に従わず、自己の判断にて決めてしまった

3  被害車両の方より預かっていた見積書及び写真を会社に提出しなかった

4  相手方の車両には子供さん及び当方の車両には乗客が乗っており、人身事故が予測できるものであり、人命尊重の主旨にも反するものである」

原告が命じられた内勤は、祭日を除く毎週月曜日から金曜日まで実働五時間で、賃金は一日当たり五〇〇〇円で、交通費の支給はしないというものであった(なお、時給制か日給制かについては争いがある)。

(4) 仮処分命令の申立て

原告は、平成一一年九月二九日、当庁に対し、原告を債権者、被告を債務者として、本件処分の効力を仮に停止することを求める仮処分命令の申立てをしたところ、被告は、申立書の送達を受けた後である同年一〇月八日、原告に対し、同月一一日から乗務してもよい旨通告した(書証略)。

(5) 原告の事故歴等(書証略)

原告は、本件事故以前の平成一〇年三月二〇日、居眠り運転が原因で停車中の車両に追突する事故を惹き起し、被告から注意・指導を受けるとともに、「自認書」(書証略)を提出し、反省の態度を示した。

その他、原告は、平成一一年四月二〇日、五月一五日、平成九年四月二二日の三回にわたり、乗客から受領した高速道路の通行料金を被告に納付しなかったことを理由に始末書を作成している。

(6) 就業規則(書証略)

(異動・配置転換)

第一一条1項 会社は業務の都合により従業員に対して職場もしくは職務の変更・転勤・転属及びその他人事上の異動を命ずることがある。

2項 前項の人事異動を命ぜられた者は、正当な理由なくこれを拒むことはできない。

3項 第1項の人事異動を命ぜられた者は、指定された日まで赴任しなければならない。

(懲戒及び懲戒の種類)

第七九条 従業員が次の各号の一に該当するときは懲戒する。懲戒は次の各号とし、その一又は二以上を併科する。

但し反則が軽微な者又は平素精励で改悛の情が顕著な者に対しては訓戒に止めることがある。

(1ないし3号省略)

4号 始末書をとり一定期間乗務を停止し再教育を受けさせ、或いは指示した他の業務に従事させる。

(5号以下省略)

(7) 賃金

原告の賃金は、本件処分前三か月の手取の平均月額賃金で二二万四七九四円であり、毎月一〇日締め、同月二五日払いである(書証略)。

また、本件処分後、原告が毎月二〇日勤務したとすると、その賃金は、額面で月額一〇万円となり、そこから健康保険料一万〇五六〇円、厚生年金保険料二万〇八二〇円、雇用保険料四〇八円が控除され、手取月額は六万八二一二円となる。

2 争点

(1) 本件処分の効力

ア 原告の主張

本件処分は、次のとおり違法かつ無効である。

(ア) 被告は、その従業員に対し、就業規則を周知させておらず、また、本件処分の際も原告に対し、就業規則上の根拠ないし説明を一切行っていないから、このような就業規則を原告に適用することはできない。

仮に、就業規則七九条1項4号を原告に適用するとしても、同号は、乗務停止に関し「一定期間」と定めていることからすれば、期間の定めのない本件処分は同号にも反する。

(イ) 被告が本件処分の理由とする事実は、そのような事実がなかったか、あったとしても、実際は軽微なものでおよそ懲戒事由には該当しない事実であって本件処分は理由がない。

原告は、本件事故直後警察への届出を行わなかったが、それは林と確認したところ、被害車両にも損傷がなかったためであり、まして、負傷者もいなかったからであり、本件事故は、そもそも道路交通法七二条による所轄警察署への届出義務のないものであった。また、原告は、その後、被告の指示に従い、本件事故の二日後に警察署への届出も行い、被告への報告もしている。なお、原告は、本件事故現場で、林に対し、修理費用の支払を約束したことなどない。

(ウ) 原告は、本件処分までタクシー乗務員として勤務しており、賃金は歩合給制であったのが、本件処分に従って内勤に従事することによって月額一五万円以上も賃金の減額となったもので、本件事故が軽微なものであったことに照らせば、本件処分は重きに失し、懲戒権の濫用である。

なお、原告が内勤に従事した際、被告から支給される賃金は日額五〇〇〇円であるが、同金額は東京都の平成一一年最低賃金日額五五一四円を下回っており、最低賃金法違反である。

(エ) 本件処分は、原告を退職に追い込み、原告が執行委員長を務める練馬交通ユニオンを解散・弱体化させることを目的として行われたものであり、労働組合の執行委員長を務める原告に対する不利益取扱いであり、かつ、労働組合に対する支配介入であるので、労働組合法七条一号、三号に該当する不当労働行為である。

イ 被告の主張

(ア) 就業規則を従業員に周知させていないとの原告の主張は否認する。原告も就業規則を熟知していたものである。

(イ) 被告は、そのタクシー乗務員に対し、道路交通法七二条に従って、どんな軽微な交通事故でもすべて警察へ届出をするよう指示し、後日暴力団が介入したり、怪我がないのに人身事故になったり、色々な問題を生じることもあるので、負傷者の有無にかかわらず、乗務員は必ず(負傷者がある場合は、まず負傷者の救護をして)警察への届出と被告への報告を現場から素早く必ずするよう厳重に指導教育している。原告は、それにもかかわらず、本件事故を直ちに警察に届け出ず、被告にも報告せず、林から預かった見積書や写真を被告に提出せず、また、自己の判断で林に対する修理費用の支払を約束するなどしたもので、原告の行為は、職業運転者としての安全運行に対する基本を守らないという重大な非違行為であった上、原告は、本件事故後、反省するどころか、かえって被告を非難したり、団体交渉にも出頭しないなどの態度を示していたため、事故の再発を防止し安全運行を確保する上で本件処分はやむを得ないものであったのであり、何ら違法、懲戒権の濫用はなく、有効である。

(ウ) 内勤に従事した場合の原告の賃金は、日額五〇〇〇円ではなく、時給一〇〇〇円としたものであり、地域別最低賃金法が定める時給六九二円を上回っているから、違法ではない。

(エ) 原告が主張するような不当労働行為の事実はない。

(2) 損害賠償請求権の有無

ア 原告の主張

被告は、練馬交通ユニオンの弱体化を意図してその執行委員長である原告について、虚偽の事実を記載した「告示」を提示して、原告の社会的評価を傷つけ、経済的苦境を作出し、さらに原告に現金五〇万円を提示して退職を迫るなどの悪質な不当労働行為をした。原告は、被告のこうした行為により多大な精神的苦痛を被ったもので、その慰謝料は五〇万円を下らず、また、その訴訟代理人に対し、弁護士報酬基準に基づく弁護士費用の支払を約したが、上記不法行為と相当因果関係を有する弁護士費用は一〇万円を下らない。

イ 被告の主張

被告が、不当労働行為を行ったり、金銭を提示して原告に退職を迫った事実はない。また、「告示」に記載したのはすべて真実であって、虚偽の事実ではない。したがって、被告には、原告に対する損害賠償義務はない。

第3争点に対する判断

1  前記争いのない事実、証拠(略)並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

(1)  本件事故は、原告が、乗車させていた乗客を降車させるために加害車両を停車させ、乗車料金を受け取ろうとしていたとき、右足で踏んでいたブレーキが緩み、オートマチック車であった加害車両が一ないし二メートル進行して、赤信号に従って停止中であった被害車両に追突してしまったというものであり、原告と林は本件事故直後、接触箇所を双方で点検してみたが、にわかには損傷を発見できなかった。そこで、林は、原告に対し、被告車両は、本件事故の二日後である平成一一年六月九日に定期点検に出す予定であるので、その際調べる旨告げたところ、原告は、その連絡先、被告の名前及び連絡先を告げたので、林は、その場で被告に携帯電話を使用して連絡したが、被告の渉外係の杉本とは連絡が取れず、そのまま、本件事故を所轄警察署に届けることなく別れた。原告と林が本件事故を所轄警察署に届けなかったのは、一見したところ、被害車両に損傷が発見できなかったことや、小雨模様の天気でその場に長居はしたくないという気持ちからであった。

(2)  原告は、平成一一年六月八日未明、勤務終了後、帰社して口頭で事故係の宮田に対し、本件事故の報告をし、宮田の指示に従い、同月八日付けで事故報告書(書証略)、自認書(書証略)の各文書を被告に提出した(なお、被告は、これらの文書は、被告が再三督促したにもかかわらず、原告は一向に提出しようとせず、渉外係の杉本が受領したのは同月一二日である旨、証人杉本慎二は証言するが、これを裏付けるような証拠はなく、日付の訂正を求めたような痕跡もないことなどからすると、同証人のこの点に関する証言は採用することができず、むしろ、文書に記載された日付け及び原告本人尋問の結果によれば、これら文書は同月八日に作成されたものと認められる)。自認書には、被告からの指導内容、原告の反省点とともに「今後はよりいっそう注意して、交通事故防止に努力いたします」と記載されている。

林は、本件事故の当日、再度被告に電話で連絡して宮田と今後のことについて話し、さらにその翌日である平成一一年六月八日、宮田と電話で話した。その際、林は、被害車両のリアバンパーに損傷があることが判明していたので、宮田に対して、定期点検に伴って修理をしたい旨告げたところ、宮田から修理代金は支払う旨の回答を得られたので、同月九日、安心して被害車両を株式会社ヤナセ東京支店(以下「ヤナセ」という)に修理に出した。また、林は、同月八日、本富士警察署に赴いたが、一方当事者の届出だけでは事故証明書は発行できないと言われた。その後、林は、定期点検及び修理を終了した被害車両を同月一五日、ヤナセから受け取り、修理費用七万六七三四円を支払ったが、修理費用に関しては、宮田との間で、既に林が一時立て替えて支払い、被告から林に対して支払う旨の話ができていた。

原告は、同月九日、事故係の宮田から警察署に本件事故を届け出るように言われたので、本富士警察署へ一人で出かけたが、やはり事故証明書の発行は受けられなかったので、林に連絡し、所轄警察署に同行してくれるよう依頼したところ、林は、被害車両を引き取った後の方が良いだろうと考え、同月一七日、原告と待ち合わせて所轄の富坂警察署に赴いて事故証明書発行のための手続を終了した。また、原告は、平成一一年七月八日、被告の小原吉三郎相談役(以下「小原相談役」という)から始末書を作成するようにとの助言を受け、本件事故は原告の過失によるものと考えていたので、それに従って始末書を作成した。

被告は、平成一一年六月一七日、林から所轄警察署への届出が終了したこと、被害車両の修理が終了したこと及びその修理費用の連絡を受けたので、請求書を郵送するよう依頼した。そして、被告は、同月二三日、請求書を受領したが、被害車両の写真及び修理費用の見積書が添付されていなかったことから、ヤナセから見積書(書証略)をファクス送信してもらい、内容を確認して、同月二四日、林に対し修理費用を支払った。

(3)  被告は、平成一一年七月一三日、本件事故に関し、原告の処分を検討するため、事故審議会を開催した。事故審議会は、就業規則に定めがあるものではなく、練馬交通労組と協定に基づいて開催されるものであるが、同日開催された事故審議会には、被告側、練馬交通労組側のみならず、練馬交通ユニオンからも原告と書記長が出席した。そこでは、被告の判断として、原告には反省の態度がないなどとして、退職を勧告する旨明らかにされたが、練馬交通ユニオンとしては内容に不満であったため、執行委員長である原告及び書記長は議事録に押捺しなかった。そして、被告は、同月一六日、「告示」(書証略)として本件処分を掲示するとともに、原告にもこれを交付した。

2  本件処分の効力について

(1)  被告の就業規則は、練馬交通労組の意見書を添付して平成八年二月九日に池袋労働基準監督署に提出され、同年五月一一日から実施されているところ、通常被告の常務取締役が保管しており、従業員が必ずしも見やすい状況にはなかったが、練馬交通ユニオンは、被告の就業規則を所持していた(人証略、弁論の全趣旨)。そのことからすると、一応就業規則は閲覧しうる状況にあり、従業員にも周知されていたというべきであり、就業規則の適用を受けないとする原告の主張は採用できない。

(2)  本件事故は、原告が、乗車させていた乗客を降車させるために加害車両を停車させ、乗車料金を受け取ろうとしていたとき、右足で踏んでいたブレーキが緩み、オートマチック車であった加害車両が一ないし二メートル進行して、赤信号に従って停止中であった加害車両に追突してしまったものであり(前記1(1))、原告の一方的な過失によって惹起されたものであることは明らかである。また、その場で、確認した際、双方の車両に損傷が発見できず、既に負傷者が発生していたという状況ではなかった(前記1(1))にせよ、原告の所轄警察署へ届け出なかったという対応が適切でなかったことは否定できない。実際、後に被害車両のリアバンパーの一部が損傷し、加害車両についてもバンパーが内側に弓なりにへこんでいたことが判明したこと(前記1(2))からも明らかなとおり、その場の判断が必ずしも正確であるとはいえないため、その場で所轄警察署への届出を行わずに後に紛争が生じることも少なからずあり、また、負傷についても後に痛みなどの症状が出て傷害が判明するようなこともあり、それがもとで紛争に発展することもないではない。このようなことからすれば、事故が発生した場合、後の紛争の発生あるいはその拡大の危険を回避し、被告に迅速かつ的確な対応を可能にするため、車両の損傷及び負傷者の有無が明確に確認できないような一見極めて軽微な事故と思われる場合でも、所轄警察署に届出は行うべきであり、事故が発生した場合、直ちに所轄警察署に届け出るとともに被告に報告するようにとの被告の指導(人証略)は当然であって、これに反した原告の行為は、何らかの懲戒処分の対象とされてもやむを得ないといわなければならない。

しかし、前記1(1)のとおり、本件事故は、結果として、被害車両の損傷は、その修理費用が約七万円程度のものであり、負傷者もなかったなど、軽微なものであったということができるし、被害車両の所有者である林にしても、加害者である原告及びその使用者である被告の対応に特別不満も抱いておらず、原告に対しても、被告に対しても、誠意ある対応を示されたと認識している(書証略)ことからして、被告の信用失墜を招いたということもできない。

(3)  ところで、被告は、原告が、所轄警察署へ届出を行ったのは、本件事故の一〇日後であり、林から預かった見積書及び被害車両の写真を会社に提出しなかった、被害車両に同乗者がいたことを報告しなかった等主張する。

しかし、所轄警察署への届出については、林も原告も被告の事故係の宮田の指示に従って、それぞれ一人で本富士警察署に赴いたが(林は平成一一年六月八日、原告は同月九日)、事故の当事者双方が出頭しないと事故証明は出せないと言われたために、原告と林は、同月一七日、二人で所轄の富坂警察署に赴いて事故証明を発行してもらう手続を終了したというのであり(前記1(2))、事前に所轄警察署を調べ、問い合わせを行うなどして速やかに事故証明書を発行してもらう手続を行わなかった原告にも落ち度はないとはいえないが、故意に事故証明書発行の手続を取ろうとしなかったといった悪質な態様であったということもできない。なお、被告は、一人で出頭しても警察署は受理するはずであると主張し、(人証略)には右主張に沿う部分もあるが、本件事故に関し、同証人は本富士警察署に事実を確認したわけではない上、(人証略)も受付ということで受理はするとのみ証言し、事故証明書の発行手続については言及していないことや、本件事故の被害者である(人証略)に照らしても、被告の主張は採用できない。

また、原告が、林から預かった見積書及び被害車両の写真を会社に提出しなかったことは前記1(2)のとおりであるが、これも原告は被告からの督促がなかったために提出を失念していた(書証略)というのであり、被告がヤナセから直接入手したために結果的には不要となったこと(前記1(2))からすれば、原告に落ち度がなかったとはいえないとしても悪質であるということはできない(なお、被告として、その乗務員が事故を発生させた場合、その対応を迅速に行うべきは、被告の信用を維持する上で不可欠であり、被告から督促がないからといって、原告に見積書や写真を提出しなくて良いということにはならず、原告にも落ち度がないとはいえない)。

さらに、原告が被害車両に林の子供が同乗していたことを被告に報告しなかった点であるが、確かに、被告が事故処理に当たる上では、負傷者の有無の把握は不可欠であり、乗務員としては同乗者の有無についても報告すべきということはできるが、本件事故は結果として軽微なものであったことや、被告が事故発生にかかわった乗務員に対し提出を義務付けている事故報告書(書証略)の様式には同乗者の有無を記載する欄がないため、本件事故のような軽微な事故の場合、報告を失念してしまうことも充分考えられるところであり、原告が不注意であったにせよ、原告が被害車両に負傷者が発生したことを知りつつこれを故意に隠蔽したなどの事情も見受けられず、悪質であるとまではいえない。

なお、被告は、原告が自己の判断で、林に対して、修理費用の支払約束をした旨主張するが、原告はこれを否認している上、林は、本件事故直後、その現場から、被告に対し、本件事故の発生を携帯電話を使用して連絡し、さらに同日午後被告に電話して事故係の宮田と話し、更に翌日である平成一一年六月八日も事故係の宮田に電話で連絡し、その後被害車両を修理に出したという経過、また、本件事故当日、渉外係の杉本は、林からの電話を直接受けなかったが、被告の事務員からは、林が修理をどうするかと述べていた旨伝えられていたこと(前記1(2))などからすれば、原告が林に対して修理費用の支払約束をしていたと考えるのは困難である。もし、原告が林に対して修理費用の支払約束をしていたとすれば、林としては、被告に相談したり、連絡することなく被害車両を修理に出すのが自然であって、林が本件事故後度々被告に連絡をしたのは、むしろ、被害車両の修理費用等の問題に関して原告との間で何ら合意していなかったからであると推認することができる。

(4)  前記のとおり、原告が本件事故直後、直ちに所轄警察署に本件事故を届け出なかったことは責任を問われてもやむを得ないものであり、被害車両の写真や修理費用の見積書を被告に提出しなかったこと、被害車両に林の子供が同乗していたことを報告しなかったことも適切な業務遂行であったとは言い難いが、結果として、重大な事故ではなく、被告の信用失墜を招く結果にもならず、被害車両の写真や修理費用の見積書の不提出、被害車両の同乗者の有無を報告しなかたっことについても、本件事故及び被告の本件事故処理の経過に照らせば、悪質なものとはいえない。

これに対し、本件処分は、タクシー乗務員として勤務してきた原告を内勤に従事させ、賃金を一五万円以上も減額して約六万円とし、しかも期限を定めないなど、原告が被る不利益は極めて重大である。特に賃金の減額は甚だしく、期限の定めがないことからすると、原告としては内勤に従事する期間が長期化すれば、生活の維持さえ困難となる状況であったということができるのであって、原告は、本件事故が二度目の事故であったこと、高速道路の通行料金不納付の件を考慮してもなお、本件処分は、原告の行為に照らし、重きに失するもので、懲戒権の濫用に当たるというほかない(なお、高速道路の通行料金不納付の件については、伝票(書証略)には記載したことからすれば、故意に行ったものとはいえず、原告に不注意な点があったことは否定できないとしても、被告においては、毎月三〇件から七〇件も発生しており(人証略)、乗務員がこのようなミスを犯すことは珍しくないといえることなどから、悪質とまではいえない)。

なお、被告は、原告が、反省の態度を示さず、被告を批判したり、話し合いの機会に出頭しようとせず、本件処分の長期化を招くようなことをしていたとも主張するようであるが、いずれも、本件処分が原告に通告された後のこと(原告が被告を批判した文書(書証略)は平成一一年八月二二日付けで作成されている。また、原告が出頭しなかった、本件処分に関する団体交渉は、同年九月一〇日に予定されていた)であり、本件処分以前、原告は、自認書(平成一一年六月八日付け)、始末書(同年七月八日付け)を作成するなど、反省の態度を示していたこと(前記1(2))、本件処分時に乗務停止の期限を定めなかったことがそもそも問題であることから、その後の原告の行為は、本件処分の効力に影響を与えるものではない。

(5)  上記によれば、その余の点について判断するまでもなく、本件処分は懲戒権の濫用に当たり、無効であるというべきである。

また、被告は、就業規則一一条に基づき人事権の行使として、原告に対し内勤を命じたとの主張もするが、「告示」(書証略)がもっぱら本件事故のことを指摘しており、本件処分はこれに対する制裁措置と解されることからすれば、本件処分を人事権の行使とみるのは困難であるが、仮に人事権の行使であるとしても、その必要性(本件で予想されるのは、原告に対し反省を促し、安全に関する教育指導を行うことなどである)に比して、原告の被る不利益が極めて重大であるというべきであることからすれば、権利の濫用に当たり、やはり無効であるといわざるをえない。

したがって、被告は、原告に対し、雇用契約に基づいて、本件処分(平成一一年七月一六日から同年一〇月一〇日まで三か月間の乗務停止)がなかったら得られた賃金と、本件処分により内勤に従事した場合に得られる賃金の差額賃金の支払義務があり、その額は、次のとおり四六万九七四六円となる。

(二二万四七九四-六万八二一二)×三=四六万九七四六

3  損害賠償請求権について

原告は、本件処分は不当労働行為であると主張する。そして、(証拠略)によれば、被告の従業員である中川良一は被告の脱退干渉により平成一〇年五月一八日練馬交通ユニオンを脱退したこと、練馬交通ユニオンに所属していた井ノ上行男は定年退職後被告から再雇用されなかったこと、原告以前に、事故を理由に、「告示」が出されたり、乗務停止の処分が行われたことはないこと、平成一一年に小原吉三郎が労務関係を担当するということで被告の相談役に就任していることなど、被告が練馬交通ユニオンを嫌悪していたものといえなくもない事実が認められる一方、前記各証拠によれば、井ノ上行男には事故歴があったこと、小原は、加納邦男常務(以下「加納常務」という)が被告に入社した昭和五七年には、二、三か月に一度は被告に出入りしていたこと、加納常務は、被告から練馬交通ユニオン所属の組合員に対し脱退干渉を指示されたこともなければ、実行したこともないこと、本件処分後、被告は練馬交通ユニオン、その上部団体である全自交・地連書記次長らとの団体交渉にも応じる姿勢であったことなども認められる。こうしたことに、本件処分が重きに失して無効であるにせよ、既に述べたように原告の行為が何らかの懲戒処分の対象となってもやむを得ないものであったことも併せ考慮すれば、本件処分が不当労働行為であるとまで認めることはできない(なお、人証略は被告の代表者やその息子の事故を警察署に届け出なかったことがある旨証言しているところ、仮にこのような事実があったとしても、それは、代表者等であることを理由に、本来許されてはならない、いわば特別扱いをしたと言い得るにとどまり、そのことから、本件処分が不当労働行為であることを根拠付けることはできない)。

また、原告は、虚偽の事実を記載した「告示」を営業所に提示して原告の名誉を傷つけた旨主張するが、既に述べてきたとおり、「告示」に記載された事故に対する義務不履行行為は、評価の問題はあるにしろ(すなわち、悪質かどうかということである)、虚偽の事実とはいえないし、営業所内での掲示であれば、乗務員らに事故後の対応について周知させる意味もないとはいえず、直ちに原告の名誉を傷つけるものであるということはできない。

なお、原告は、小原相談役が被告の意を受けて、原告に五〇万円を提示して退職を迫った旨主張するところ、たとえこのような事実があったとしても、練馬交通労組の組合員であった嶋岡国光も被告から一〇〇万円近い額の金銭を受け取って被告を退職したというのであるから(人証略)、同事実をもって被告の不当労働行為の根拠とすることはできない。

しかし、既に述べたとおり、本件処分は懲戒権の濫用に当たり無効であるというべきであり、しかも、その内容は、期限を定めないで原告を内勤に従事させ、原告の賃金を大幅に減額するという苛酷ともいうべきものであり、それによって、原告が、経済的不利益のみならず、将来に対する不安等多大の精神的苦痛を被ったことは想像に難くなく、また、仮処分命令の申立てを余儀なくされたことなども考慮すれば、慰謝料として二〇万円、本件訴訟の経緯に鑑みれば、弁護士費用として五万円をそれぞれ認めるのが相当である。

4  以上の次第で、原告の請求は、被告に対し、差額賃金四六万九七四六円並びに慰謝料及び弁護士費用二五万円の合計七一万九七四六円及びこれに対する不法行為の日であり、原告の差額賃金の支給日の後である平成一一年一一月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し、訴訟費用の負担について民事訴訟法六一条、六四条、仮執行宣言について同法二五九条一項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 松井千鶴子)

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