東京地方裁判所 平成11年(ワ)29440号 判決 2001年6月11日
原告
江部吉夫
同訴訟代理人弁護士
栄枝明典
同
中西紀子
被告
株式会社東陽社製作所
同代表者代表取締役
和田奉己
同訴訟代理人弁護士
坂本誠一
主文
1 原告が被告に対して労働契約上の権利を有する地位にあることを確認する。
2 被告が原告に対し行ったとする平成九年六月九日付訓告の懲戒処分が不存在であることを確認する。
3 被告が原告に対し行った平成九年一一月七日付の七日間の出勤停止処分が無効であることを確認する。
4 被告は、原告に対し、一八一五万五五六三円及び平成一三年六月末日限り、一五万三九六七円を支払え。
5 原告のその余の金銭請求を棄却する。
6 訴訟費用はこれを四分し、その一を原告の、その余を被告の各負担とする。
7 この判決は主文第4項に限り仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
1 主文第1項と同旨
2(主位的請求の趣旨)
主文第2項と同旨
(予備的請求の趣旨)
被告が原告に対し行った平成九年六月九日付訓告の懲戒処分が無効であることを確認する。
3 主文第3項と同旨
4 被告は、原告に対し、六五六万八三二二円及び平成一〇年一一月から第一審判決言い渡しまで、毎月末日限り、四四万〇九〇五円を支払え。
5 被告は、原告に対し、平成一〇年一二月から第一審判決言い渡しまで、毎年七月末日及び一二月末日限り、七一万四〇〇〇円を支払え。
第二事案の概要
1 本件は、職務命令違反等を理由に被告から懲戒解雇等された原告が被告に対し、<1>被告が原告に対し行ったとする平成九年六月九日付訓告の懲戒処分の主位的に不存在及び予備的に無効の各確認、<2>同年一一月七日付出勤停止処分の無効確認、<3>平成一〇年一〇月六日付懲戒解雇の無効を前提とする労働契約上の地位の確認、<4><2>の処分に伴う賃金不払い分六万〇四〇〇円の支払、<5>懲戒解雇後の賃金月四四万〇九〇五円(ただし、平成一〇年一〇月分賃金は不払い分の一五万二三二二円)及び賞与七一万四〇〇〇円の年二回の支払い、<6><1>ないし<2>の処分後の平成九年七月分、一二月分、一〇年七月分の各賞与を減額されたことに対しこれらの処分を理由としてしたものであるなどとして減額部分合計三五万五六〇〇円の支払、<7><1>ないし<3>の処分を受け又は処分したとされた不法行為による慰謝料六〇〇万円の支払いを求めた事案である。
2 争いのない事実等
(一) 当事者
(1) 被告は、自動車及び二輪車の部品製造等を業とする株式会社であり、本田技研工業株式会社がその取引高の九割を占めている。
(2) 原告は、昭和五三年八月被告に雇用され、主に上記部品の技術開発や設計を担当し、昭和六〇年一一月からは、技術開発設計部の課長の地位にあった。また、平成九年五月に設立された被告労働組合の中央執行委員を経て平成一〇年九月一九日執行委員長となった。
(二) 被告の就業規則
被告には、以下の条項を有する就業規則が存在する(書証略)。
第三一条 服務の基本原則
従業員は、この規則に定めるものの他、業務上の指揮命令に従い自己の業務に専念し、作業能率の向上に努めるとともに(たがいに協力して職場の秩序を維持しなければならない。
第三二条 服務心得
従業員は、常に次の事項を守り服務に精励しなければならない。
2 自己の職務上の権限を越えて専断的なことをおこなわないこと。
3 常に品位を保ち、会社の名誉を害し信用を傷つけるようなことをしないこと。
11 勤務時間中はみだりに職場をはなれないこと。
第三七条 制裁
従業員が次の各号の1に該当するときは、次条の規定により制裁を行う。
2 本規則にしばしば違反するとき。
4 故意に業務の能率を阻害し、または業務の遂行を妨げたとき。
8 会社の名誉信用を傷つけたとき。
11 業務上の指揮命令に違反したとき。
第三八条 制裁の種類程度
制裁は、その情状により次の区分により行う。
1 訓戒 始末書をとり将来を戒める。
3 出勤停止 七日以内出勤を停止し、その期間中の賃金は支払わない。
4 懲戒解雇 予告期間をもうける事なく即時解雇する。この場合において所轄労働基準監督署長の認定を受けたときは、予告手当の三〇日分を支給しない。
(三) 懲戒処分の存在等
(1) 被告は、原告に対し、平成九年六月九日付けで訓告の懲戒処分(以下「本件訓告」という)を行ったと主張している。原告は、この際始末書を提出していない。
(2) 被告は、原告に対し、その上司である菅井千恵子に対する平成九年一〇月八日及び同月二七日の会社朝礼並びにその前後における侮辱行為について、就業規則三一条の服務規律違反、職場秩序を維持する義務違反、三二条2項の越権専断行為、同条8項の職場の秩序の紊乱行為に該当するとして同年一一月七日付で同月一一日から一七日まで出勤停止とする旨の懲戒処分を行った(三七条2号、三八条3号。書証略。以下「本件出勤停止」という)。
(3) 被告は、原告に対し、<1>設計業務並びに進行経過についての報告を怠った業務上の指揮命令違反(三一条、三七条2号、三七条11号)、<2>独断で顧客との出張予定を変更した指揮命令違反、信用毀損行為(三七条11号、三一条、三二条3号、三七条2号)、職場離脱行為(三二条11号、三七条2号)、<3>弁明の機会に提出した書簡において暴力団並の悪質な恫喝脅迫行為を行った業務妨害(三七条4号)、信用毀損行為(三七条8号)、<4>弁明書において反省の態度がないこと、<5>過去に本件訓告や本件出勤停止を受けていることを理由として平成一〇年一〇月六日付で懲戒解雇(以下「本件解雇」という)した(書証略)。
(四) 賃金不払い及び賞与の減額等について
(1) 賃金不払い
本件出勤停止に伴い六万〇四〇〇円の賃金がカットされた。なお、懲戒解雇に伴い平成一〇年一〇月分の賃金は一五万二三二二円がカットされた。
(2) 賞与の減額
原告の賞与は、平成九年七月分は七万円(九・八パーセント)、同年一二月分及び翌一〇年七月分はいずれも一四万二八〇〇円(二〇パーセント)が減額された。
(3) 原告に支払われるべき賃金及び賞与の額
原告の本件解雇前の賃金総支給額は、平成一〇年七月分四三万八〇四五円、同年八月分四四万三一八五円、同年九月分四四万〇九〇五円であるが、これらには通勤交通費二万〇八〇〇円が含まれており(書証略)、現在はこれに対応する支出がないから、原告に支払うべき解雇期間中の賃金の額はこれを除いた平均賃金(四一万九九一一円)である。なお、請求の趣旨は同年九月分の賃金総支給額四四万〇九〇五円によっている。
原告の賞与は特段の減額事由がない限り毎年七月及び一二月に各七一万四〇〇〇円が支給されることになっていた。
3 争点
(一) 本件訓告について(存否及び効力)
(1) 被告の主張
原告は、平成七年一二月から同八年春ころまで被告代表者や役員に対する非難中傷を反復継続し、そのころから同年夏ころまで所管以外の事項について多数回にわたり介入し、平成九年四月ころ労災保険申請等、所管以外の事項について不当に介入し、干渉したところ、被告は取締役会決議においてこれらの行為が就業規則三二条2号の越権専断行為に当たるとして同三八条1号により原告を訓告の懲戒処分とすることを決定し、池田は原告に対し正式な懲戒処分としてその旨告知して本件訓告を行った。
(2) 原告の主張
当時被告取締役であった池田が、就業規則のいずれかに当たるというものではなく今後もペナルティの一つとしてカウントされないこと、即ち、懲戒処分ではなく単なる口頭注意であることを確認したうえで、原告に言葉遣いに注意するようにと告げたことはあったが、懲戒処分としての本件訓告は存在しない。仮にこれが懲戒処分であったとするならば、懲戒処分の対象とした行為も、それが就業規則のいずれに該当するかも特定せず、しかも原告に弁明の機会を与えないという手続の瑕疵があり、また、始末書を要求しない訓告処分は就業規則に規定がないことからも、無効である。
(二) 本件出勤停止について(その効力)
(1) 被告の主張
原告は、平成九年一〇月八日及び同月二七日の会社朝礼並びにその前後において、被告総務部長である菅井千恵子に対し、同人を侮辱し、被告の指揮・命令・秩序を混乱させる目的で、他の従業員の面前で「菅井さん、随分張り切っているけど何か心境に変化でもあったんじゃないの」「総務部長になったら給料上がったんじゃないの」などと、菅井が厚生年金等の手続について説明する際に「何を言っているのかさっぱり分からないよ」等と悪ふざけと悪意に満ちた態度で発言した。これらの事実は前記2(三)(2)記載の就業規則の各条項に該当する。また、原告は従来から同種行為を反復し、今回は特に女性蔑視の態度が顕著であるため、本件出勤停止を行った。
(2) 原告の主張
ア 懲戒事由の不存在
菅井は当時被告総務部長ではなかったか、少なくとも社内には公表されなかったため、原告ら従業員はそのことを知らなかった。また、非違行為とされた発言等は何ら不自然なものではなく、女性蔑視などの態度もなかった。
イ 手続違反
池田による処分告知の時を含め、原告には一切弁解の機会が与えられないまま一方的に処分が決定された。また、処分理由の説明がなかった(書証略)。
(三) 本件解雇について
(懲戒解雇事由の存否)
(1) 被告の主張
ア 職務命令違反行為(以下「本件懲戒解雇事由(1)」という)
被告代表者は、平成一〇年五月一五日、原告に対し、汎用性キャップ(燃料タンク用)の設計を八月末日までに行い提出するよう指示した。しかるに、原告は、この職務命令に反して、同年九月二二日までの間同設計業務を行わず、途中経過報告はもとより、期限を徒過しているにもかかわらず、このことについての弁明や報告も怠った。
これは、職務命令違反行為(就業規則三一条、三七条11号)である。
イ 信用毀損行為等(以下「本件懲戒解雇事由(2)」という)
被告代表者が本件懲戒解雇事由(1)について弁明を求めたところ、原告は、平成一〇年九月二四日、弁明書の作成は、本来の業務でなく勤務時間外においてこれを作成すべきであるにもかかわらず、被告の顧客である本田技研浜松工場への不具合対策報告業務のための出張予定を、弁明書作成のためと称して、独断で変更した。
これは、指揮命令違反行為(就業規則三一条、三七条11号)であり、かつ信用毀損行為(就業規則三二条3号)、職場離脱行為(同条11号)に相当する。
ウ 業務妨害行為等(以下「本件懲戒解雇事由(3)」という)
原告は、本件懲戒解雇事由(1)の事実について弁明の機会を与えられ、書簡(証拠略)と「弁明書」と題する書面(証拠略)を提出したが、前者においては、自己の非行についての反省は全くなく、組合活動に籍口して懲戒処分を行えば顧客である本田技研との関係を悪化させることになるなどと、暴力団なみの悪質な恫喝・脅迫行為を行った。
これは、業務妨害(就業規則三七条4号)、信用毀損行為(同条8号)の行為を行わんとするものであった。
また、後者においては、報告がなされなくても当然とばかりの意見を述べ、職務命令軽視の態度が露骨であり、また本題の汎用性キャップの開発についての弁明は、遅れたことの形式的な謝罪があるのみで開発行為の遅延について何らの合理的・具体的事実の記載もなく、そもそも開発行為自体に全く着手していなかったものと認定せざるを得なかった。その他、被告の元役員に対する非難や中傷並びに菅井部長に対する侮辱行為についての懲戒処分についての不満を羅列したものであった。
(2) 原告の主張
ア 本件懲戒解雇事由(1)について
原告が、被告主張の職務命令違反行為をした事実はない。
汎用性キャップに関する被告代表者の指示は、仕様もはっきりしない漠然とした口頭の指示であり、汎用性キャップの開発を話題にしたという程度のことで懲戒処分の理由となるような職務命令ではなかった。また、厳密に期間を定めて提出を指示したものではなく、その後に打ち合わせの指示もなかった。
しかし、原告はこれに従って実際に作業を進めていた。
また、経過報告はしていなかったが、それが職務命令違反行為になるとはいえない。
イ 本件懲戒解雇事由(2)について
原告は、出張予定の変更と勤務時間中に弁明書を作成することの許可を被告代表者から事前に得た。また、被告代表者が、原告の代わりに小林主査に出張させることにし、小林主査が出張日程を変更したのであって、原告がしたことではない。さらに、小林主査は、出張先担当者と連絡を取り了解を得た上で変更したから、変更により被告の信用は毀損されていない。
したがって、原告が、被告主張の信用毀損行為等をした事実はない。
ウ 本件懲戒解雇事由(3)について
原告作成の書簡(証拠略)中に「懲戒処分を行えば顧客である本田技研との関係を悪化させることになる」との記載はなく、その他原告が暴力団なみの悪質な恫喝・脅迫行為を行った事実はない。
したがって、原告が、被告主張の業務妨害行為等をした事実はない。
弁明書と題する書面(証拠略)では、報告をしなかったことなどを真摯に謝罪しているほか、事実関係をありのままに説明したものである。また、過去の懲戒処分が違法無効であることは必要な記載内容で正当なものである。
(解雇権濫用の有無)
(1) 原告の主張
ア 懲戒処分の不相当
懲戒解雇事由についての被告の主張を前提としても、懲戒解雇は重すぎる処分であり、解雇権の濫用である。
また、被告は、代表者に対して文書で経営から手を引くよう求めたなどと主張するが、そのような事実はない。また、本件訓告は不存在又は無効であり、本件出勤停止は無効である。このように、懲戒解雇が相当であることの根拠として被告が主張する事実は存在せず、被告の主張は失当である。
イ 不当労働行為意思の存在
本件解雇は不当労働行為であって無効である。
被告代表者は、代表者就任後かなり早い段階から原告を被告から放逐しようと計画していたが、原告には懲戒事由がないため苦心していた。そんなときに原告が中心となって東陽社製作所労働組合が結成されたことからなりふり構わず、存在しないことを作り上げるなどして本件解雇に及んだものである。
被告代表者に不当労働行為意思があったことは、平成九年五月二三日の労働組合結成及び被告への通知の直後の同年六月九日に原告に対する本件訓告が行われ、同年一〇月二四日に労働組合が組合員名簿を被告に開示した直後の同年一一月七日に原告に対する本件出勤停止が行われ、平成一〇年九月一九日に原告が執行委員長に就任し、同月三〇日に新役員が被告に通知された直後に本件解雇が行われたことからも明らかである。
(2) 被告の主張
ア 懲戒解雇の相当性
原告は、平成七年九月六日ころ、現代表者への代表者交替等に伴う被告の変動期に乗じて代表者に対して文書で経営から手を引くよう求めるなど、会社経営権を委譲せよと迫る乗っ取り工作を画策し越権専断の行為を行った。同年一二月ないし八年春ころまで、代表者や池田取締役に対する非難・中傷を続け、平成八年春ないし夏には所管外の事項についての介入行動が多発した。平成九年四月には労災保険申請等所管外の事項についての不当介入、干渉行為がなされた。これに対し本件訓告を行ったが、原告の態度は改善されなかった。さらに本件出勤停止の対象事実が存し同処分を行った。原告は、それにもかかわらず、本件懲戒解雇事由(1)ないし(3)に該当する各行為を行ったのであるから、本件解雇はやむを得ないものである。
イ 不当労働行為意思の不存在
本件解雇は、それまでの原告の被告を敵視する姿勢の現れとしての上司に対する反抗的態度の究極として、被告代表者からの業務命令に違反した原告の行為につき、これまでの非行と改善可能性の存しないことからやむを得ず、被告の存立と経営を保持するためなした処分であって、原告の労働組合活動とは全く無縁のものである。
(手続違反)
本件解雇は、いきなり懲戒処分を前提とした上で弁明書を三日以内という短期に提出することを命じた内容証明郵便(書証略)を送付したものであるなど適性手続の保障がない。
(四) 賞与の減額事由について
(1) 被告の主張
被告の賞与は、被告の業績と従業員に対する人事考課に基づいて査定し支給するものであるが、原告は平成七年下半期ころから本来の開発設計業務などを行わなくなり、設計開発課長としての職責を放棄していたため、人事考課のうえ賞与を減額支給した。懲戒処分を直接の原因とするものではない。
(2) 原告の主張
原告の勤務状況には、人事考課上マイナスとすべき点はなく、賞与の減額は本件訓告ないし本件出勤停止を理由としてしたものであるか、被告代表者による嫌がらせである。
(五) 不法行為の成否及び慰謝料額
第三争点に対する判断
1 争点(一)(本件訓告について)
まず、その存否について判断する。
本件訓告の存在を窺わせる証拠としては、(書証略)(役員会議事録)と(書証略)(「江部」に対する口頭注意の件と題する池田取締役作成の書面)が存する。また、被告代表者は取締役会において(書証略)記載のとおり決定し、池田からそのとおり懲戒処分として本件訓告を行ったとの報告を受けていると述べている(書証略)。
しかし、これに対し原告は池田取締役からは就業規則のいずれかに当たるというものではないが、言葉遣いに注意するようにと口頭で注意されただけで、始末書の提出も求められなかったと述べている(書証略)。また、訓告処分は始末書を取る(訓戒)と定められているのにその提出がなく、しかも、(書証略)には、役員の署名捺印はもちうん月日の記入や出席者の記載すらなく、かつ始末書を提出しない場合は原告を懲戒解雇するとの記載があり、始末書が提出されないのに、そのような措置は取られず、(書証略)も口頭注意の件との表題で内容を見ても懲戒処分たる訓告処分を行ったことを明らかにする記載はない。さらには、被告代表者はこれらの点について、十分な説明をしていない(書証略)。
以上の点に照らして、被告代表者の上記供述は信用できず、(書証略)から訓告処分の存在を認定することもできない。また、他に本件訓告の存在を認めるに足りる証拠はない。
2 争点(二)(本件出勤停止について)
まず、懲戒事由の存否について判断する。
被告の主張に副う証拠としては、(書証略)(菅井千恵子作成の報告書)(書証略)(被告代表者の陳述書)、(書証略)(菅井の審問調書)が存する。
ところで、菅井とのやりとりについて、原告は次のとおり供述している(書証略)。
「菅井とはもともと気安く話のできる間柄であり、また、当時は菅井が総務部長に就任したことを確認しておらず、平課員と認識していた。「菅井さん、随分張り切っているけど何か心境に変化でもあったんじゃないの」とは言ったが、設計室の隣で掃除をしている菅井に対してこの一言だけを言ったもので、その場に他の者は居なかった。またその直後菅井は上機嫌であった。別の機会に「菅井さんが総務部長になったという噂があるけど、本当なら会社に早くオープンにしてもらい、目一杯仕事のできる環境を作ってもらった方がいいんじゃない」と言ったところ、菅井が「答える必要はない、池田さんに言ってください」と言ったので、さらに「総務部長になったら手当も付いて給料上がったでしょう。そうなら、池田さんに言ってくださいではなく、責任ある仕事をしてもらいたい」などと言った。一〇月二七日に、再度菅井に総務部長になったのか確認したが、菅井は前同様の回答の他、正式発表があるまでは総務部長として接する必要はないとのことであった。同日の朝礼で菅井が社会保険料の徴収について説明したが、当初「一〇月期の給料から算定基準が変わり、人によっては変化が出てくる」という程度の全く不十分な説明であったため、原告は「分からないよ」という趣旨のことを言ったが、悪ふざけと悪意に満ちた態度ではなかったし、それに応じて菅井は具体的な説明などをした。赤羽工場での全体朝礼は三〇人足らずの人数で行われ、従来から、会社側の説明がわからない者はその場で質問しており、そのときも何ら違和感はなかった」
以上のとおり述べている。
そして、以下の点を考慮すると、原告のこの供述は信用でき、この間の経過は原告の供述のとおりであると認められる。
すなわち、菅井もこのようなやり取りの経過であったことを基本的に認め(書証略)、同人自身、やり取り自体というよりも、朝礼において総務部長の説明に対しての発言であることを問題と感じ、本人でなければ分からない精神的苦痛を受けたものであると供述している(書証略)。原告の供述を裏付ける朝礼出席者の陳述書も存する。また、菅井は平成九年七月一〇日総務課の平課員から労働組合の対応も担当する総務部長に昇進したが、そのことは当時社内では公表されなかったし、菅井自身原告から再三総務部長に就任したのか確認されたが回答せず、被告がそのことを従業員に対して発表したのは、朝礼の翌日の二八日役職者を集めての会議の席で池田取締役がしたのが最初であり、全従業員に対しては一一月三日の全体朝礼の時である(書証略)ところ、この経過は原告の上記供述内容に副うものである。さらに、本件出勤停止においては、被告は菅井からの報告以外に事実関係の調査をすることなく、被告代表者自身どのような点に問題があるのか明確な認識もなく(書証略)、池田による処分告知の時を含め、原告には一切弁解の機会を与えないまま一方的に処分を決定し、処分告知の時にも処分理由の説明をせず、質問も受けつけなかった(書証略)。
そこで、上記認定事実に基づいて検討するに、まず、総務部長就任が従業員に公表されず、原告においてそのことを明確に認識していない以上、菅井を上位の役職者として応接しなかったことをもって服務規律違反、職場の秩序の紊乱行為等に該当するとして懲戒処分を行うことはできない(書証略)。また、前認定の経過によれば、設計課長である原告が総務課の平課員である菅井に対してした発言としては、何ら服務規律違反、職場秩序の紊乱行為等に該当するものではない。また、設計課と総務課では業務分掌が異なることを考慮しても(書証略)、懲戒事由としての越権専断行為に該当するとは認められない。また、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
よって、被告の原告に対する本件出勤停止は懲戒事由がないにもかかわらず行われた無効なものである。
3 争点(三)(本件解雇について)
まず、懲戒解雇事由の存否について判断する。
(一) 証拠(書証略。ただし、被告代表者の供述についてはその一部)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。
(1) 被告代表者は、平成一〇年四月一七日本田技研浜松工場(「本田浜松製作所」とも呼ばれている)で行われた汎用事業説明会後の懇談会の席上、本田東研究所の常務取締役から、「最近誰も来ていないのではないの。新しい開発は何かしているの」と言われた。
(2) 同年五月一五日、原告が被告の有する特許権の更新の件で被告代表者に電話をした際、被告代表者は、原告に対し、「本田浜松製作所では、東陽社以外の汎用キャップも使用している。他社キャップを取り寄せ、汎用新キャップを開発してください」と指示し、原告は「わかりました」と答えた。そして、被告代表者が「いつまで」と尋ねたのに対し、原告は、「二か月くらいあれば、新しいキャップができるかどうかは別として、ある方向性は出るでしょう」と答えた。
なお、被告において、「汎用(性)キャップ」という用語は、ガソリンタンクの蓋としての機能のみを持つキャップと、タンク内のガソリン残量を示す機能を同時に持ったメーター付きキャップの二種類を意味するものとして用いられているところ、被告代表者は、そのいずれを開発するかを始め、どのような汎用キャップを開発するのか、その仕様については全く指示しなかった。したがって、メーター付きキャップの開発も汎用キャップの開発に他ならない。
(3) 原告はその後、他社のキャップを取り寄せることはしなかったが、本田技研の汎用エンジンを組み立てている澤藤電機株式会社の担当者と他の用件で会った際に、他社のキャップを入手し、また、他の用件で本田技研朝霞研究所を訪れた際に、他社のカタログを入手した。
(4) 原告は、平成六年九月に蓋としての機能のみのキャップを図面化したことがあり、これをさらに低コストのものにしようと考え構想に着手し、部品の切削加工なしで部品点数を三点とするものを開発しようとしたが、途中で澤藤電機株式会社から注文を前提としてメーター付きキャップの開発依頼があったため、こちらを優先して開発し、平成一〇年八月六日に完成させた。
(5) 被告代表者は、同年九月二二日、次の内容を含む「通知書」を、内容証明郵便にして原告の自宅宛発送した。
「被告代表者が汎用性キャップの設計を八月末日までに行い提出するよう指示したにもかかわらず、当日までの間、途中経過報告はもとより、期限を徒過しているにもかかわらず、弁明や報告もしていないことが職務命令違反に当たる。原告にはそれ以前にも懲戒処分歴がある。今回の命令違反は極めて重大な秩序侵害行為である。弁明があれば、三日以内に弁明書を提出されたい。被告は、これを検討した上で懲戒処分の内容を決定する」
なお、「通知書」発送前に、原告が被告代表者に対し、途中経過等を報告したことはなかったが、被告代表者においても、原告に対し、汎用性キャップ開発の進行状況を尋ねたり、遅延を指摘して進行を促したことはなかった。
(6) 上記通知書は、同月二三日一旦原告方に配達されたが、不在であり、結局、原告は、同月二四日(木曜日)午前八時五〇分ころ「通知書」を受け取った。原告は、当日は、本田技研浜松工場に出張する予定であったが、弁明書の提出期限が限られていることから、出張を取りやめて弁明書を作成しなければならないと考えた。
原告は、午前九時ころ、被告羽生工場にいる被告代表者に電話をして、「通知書」を受けとったこと、弁明書を三日以内に提出するなら出張を取りやめ、会社において弁明書を作成しなければならないことを伝えた。被告代表者は、出張について「誰かに行ってもらってください」「小林さんに行ってもらってください」と述べ、原告が出社して弁明書を作成することを承諾した。
原告は、続いて小林主査に電話をし、上記経過を話して代わりに出張に行ってくれるよう頼んだ。小林主査は「自分も特急の仕事を抱えているので、そう言われても困る。しかし、事情も分かったので浜松製作所の担当者に連絡をとり、日程をずらすなりの調整をしてもらうことにする」と答えた。
その後、小林主査は、浜松製作所の担当者に連絡をとり日程変更の承諾を得た。同主査は、被告代表者にも経過を報告した。
原告は、出社し、同日から翌二五日(金曜日)にかけて、弁明書等を作成した。
(7) 原告は、同月二八日(月曜日)、被告代表者に対し、表題のない書簡(書証略)と「弁明書」(書証略)を提出した。このうち前者の書簡には、次のような記載がある。
「最後に、私は第二回東陽社製作所労働組合定期大会において、新執行委員長として承認を得ました。前期は信頼関係の上に立った活動が十分にできたとは言い難い結果となり、今期こそ組合規約にあるように、組合活動を理解していただき、組合も「会社の発展に寄与していきたい」と考えておりました。しかし、前述したような前回の「懲戒処分通知書の件」「汎用性キャップの設計命令違反の件の通知書」では、どう考えても、東陽社製作所労働組合の執行委員である私に、的をしぼった攻撃としか思えなくなります。また、前期においての、会社側の組合に関する対応は「不当労働行為」に相当する対応でした。すでに組合員からは、地方労働委員会に申し立てをする方向で賛否は確認してあります。結果は、執行部に一任を含め全員賛成となりました。今回また前述したような内容で処分があるようでしたら、組合を守る上からも、地方労働委員会に申し立てを実施せざるを得なくなります。そのような事態に至れば、本田技研様に与える東陽社の印象は最悪のものになるのは必定です。本田技研様と全本田労連は労使関係の悪化を極端に嫌うところです。常に協調関係を目指しているところです。東陽社労働組合も同様な考え方をしています。そのような事態に至らないよう、ご配慮の程よろしくお願いいたします」
なお、本件組合の上部団体である全国本田労働組合連合会は現に労使協調路線を取り、本件組合に対しても地方労働委員会への申し立てをせずに、話し合いによって解決するよう指導しており、原告は法的手続を取ることにより本田技研との関係が悪化することを懸念していた。
また、後者の弁明書には「報告が遅れ、また中間報告もなさなかったことは事実であり、私の不徳の致す所です。大いに反省しております。申し訳ありませんでした。今後、このような事のないよう十分注意をし職務にあたります。遅れましたが汎用新キャップ開発の件につき報告いたします。汎用新キャップ開発に関しては引き続き開発を続けています。ようやく形が見え、お客様からは引き合いもいただいている状況です」としたうえで、前記(3)、(4)の経過を記載している。その他、懲戒処分歴と指摘されたことについて反論を加えるなどしているが、殊更侮辱的な表現を用いるなどはしておらず、処分を受ける立場の者として見た場合特段問題とすべき内容は含まれていない。
(8) 原告は、平成一〇年一〇月五日、蓋としての機能のみのキャップのレイアウトをまとめた「汎用新キャップ開発に関して」と題する書面をファクシミリで被告代表者に送信した。これは、被告代表者が指示当時に想定していた構想図的なスケッチ程度のものよりも詳細で完成度の高いものであった。
(二) 以上の認定事実に基づき、懲戒解雇事由の存否について検討する。
(1) 本件懲戒解雇事由(1)について
ア 認定事実によれば、被告代表者が、平成一〇年五月一五日、原告に対し、新しい汎用性キャップを開発するよう指示したことは認められるものの、その際に期限を八月末日と明確に定め指示した旨の被告代表者の供述は信用できず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
即ち、被告代表者は、(一)(1)の本田東研究所の常務取締役の発言について、新製品開発の努力が不足しているとの叱責であると受け止め、非常に危機感を持った、このような重要案件であったから期間を区切って明確な業務命令として指示したと述べている(書証略)。しかし、原告は同(2)以上の発言はないと反対の趣旨の供述をしている上、そのような重要案件であるとするには不自然な事実として、原告に指示したのは同発言の約一か月後であること、平成七年後半以降仕事らしい仕事をしておらず、その成否に不安を感じる原告に指示したというのに(書証略)、電話での指示だけであること、その後九月二二日に内容証明郵便で弁明書の提出を命じるまで、他の要件で原告と話し合いをしたこともある(書証略)というのに開発経過の聴取や催促もしていないこと、原告を懲戒解雇した後他の者に開発を命じたこともないこと(書証略)が存し、被告代表者はこれらにつき首肯しうる説明をしていない。また、被告代表者は期間を八月末としたことについて手帳に記録したとも供述するが(書証略)、以上の点及び被告は早い時期から原告を解雇することを計画していたこと(書証略)に照らして、仮にそのような記載があったとしても、原告に対しその旨の明確な指示がなされたと認定することはできない。
イ 原告が、被告代表者の指示があった後汎用性キャップの開発に着手したことは、前記(一)(3)及び(4)のとおりであり、このことは、被告代表者からの「通知書」を受領してからあまり期間を置かずにレイアウトをまとめた書面を提出していること(前記(一)(8))からも窺うことができる。
ウ 原告が被告代表者に対し途中経過等を報告したことはなかったことは前記(一)(5)のとおりである。
しかし、一般に、上司からの開発設計作業の職務命令に具体的な仕様や期間の明確な指示がない場合、当然にはその命令に従業員に対し途中経過等を報告せよとの業務命令が含まれていると解することはできず、ましてやその違反が懲戒処分の対象となるような業務命令であるとは到底認められない。また、被告において、特にそのような取扱いが定められていることや、被告代表者が特に報告を指示したことを認めるに足りる証拠はないから、原告が途中経過等を報告しなかったことが直ちに職務命令に違反する行為に該当すると認めることはできない。
エ そうすると、原告に本件懲戒解雇事由(1)に該当する事由があったとは認められない。
(2) 本件懲戒解雇事由(2)について
ア 原告が出張を取りやめたことは前記(一)(6)のとおりであるが、独断で日程を変更したものでないことも、同所で認定したところから明らかである。
イ また、事前に出張先の承諾を得ており、日程変更により被告の信用が毀損されたとの事実も存しない(書証略)。
ウ よって、本件懲戒解雇事由(2)に関する被告の主張は理由がない。
(3) 本件懲戒解雇事由(3)について
原告が懲戒解雇事由に該当すると主張するのは、前記(一)(7)で認定した記載部分であると解されるが、右記載部分が恫喝・脅迫に当たるということはできず、業務妨害、信用毀損行為があったものとは認められない。また、弁明書にも懲戒事由に該当するような記載は存しない。したがって、本件懲戒解雇事由(3)に関する被告の主張は理由がない。
(4) 以上の次第であるから、原告に懲戒解雇事由があるとは認められない。
(二) 懲戒解雇事由が存在しないことは前記(一)のとおりであるから、その余の点について判断するまでもなく、本件解雇は無効である。
4 争点(四)(賞与の減額事由について)
まず、平成九年七月分賞与の減額事由について判断する。
被告の主張に副う証拠としては、平成九年七月一四日付池田取締役作成の人事考課表(書証略)が存する。また、被告代表者は原告に権限外の言動が多く、職場でのエチケットやマナーの評価が低いとの上記考課表に基づいて平成九年七月分賞与の査定を決定したと述べている(書証略)。
しかし、これらの証拠には、次のような不審な点がある。すなわち、(書証略)については、平成八年冬の人事考課は原告の直接の上司である阿部営業部長が行うべきであるのに、池田取締役が行っている(書証略)ところ、被告代表者はこれについて、十分な説明をしていない(書証略)。また、被告代表者は原告の賞与を減額し始めた時期を取り違えたうえ、本件訓告にもかかわらず原告の態度が改善しなかったことから賞与をカットしたと述べている(書証略)。
また、次のような被告の主張と矛盾するか不自然な事実が存する。すなわち、被告代表者は菅井総務部長に対し原告の平成九年七月分賞与を減額するように指示した際、その理由は本件訓告であると述べた。欠勤が多かったという理由以外でこのような賞与の減額は例がないにもかかわらず、被告においては予め原告に対しては減額の理由を具体的に説明しないこととし、実際にも説明しなかった(書証略)。
これらの点に照らして、被告代表者の供述は信用できず、(書証略)からも原告に対する平成九年七月分賞与の減額が恣意的なものではなく何らかの適正な手続に基づくものであると認定することはできない。また、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
また、その後の賞与の減額についても恣意的なものではなく何らかの適正な手続に基づくものであると認めるに足りる証拠はない(書証略)。
5 不法行為の成否及び慰謝料額
以上によれば、被告は以前から原告を解雇することを意図し、些細なことを取り上げて懲戒処分を加え又は加えようとし、ついには到底懲戒解雇事由には該当しないことの明らかなことを理由として本件解雇をするに至ったものであり、これらの行為は原告に対する故意又は重過失による不法行為を構成し、これによる慰謝料額は被告の行為の態様及び時期、原告の立場、その他本件に現われた一切の事情を考慮すると一〇〇万円が相当である。
6 結論
以上のとおりであるから、原告の請求は<1>本件訓告の不存在確認<2>本件出勤停止の無効確認、<3>労働契約上の地位の確認、<4>本件出勤停止に伴う賃金不払い分六万〇四〇〇円の支払、<5>本件解雇後の賃金のうち月四一万九九一一円の部分(ただし、平成一〇年一〇月分賃金は不払い分の一五万二三二二円であり、平成一三年六月分は同月一一日までの日割り計算による一五万三九六七円である)及び賞与の支払、<6>賞与減額部分合計三五万五六〇〇円の支払、<7>不法行為による慰謝料のうち一〇〇万円の支払を求める部分は理由があるから認容し、その余は失当として棄却する。
(裁判官 多見谷寿郎)