東京地方裁判所 平成11年(ワ)6048号 判決
原告 近藤政次
右訴訟代理人弁護士 鎌田勇夫
被告 医療法人社団大成会
右代表者理事長 長汐達也
被告 天満祐子
右両名訴訟代理人弁護士 柴崎晃一
主文
原告の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一原告の請求
被告らは、原告に対し、連帯して金九一七万二一二五円及びこれに対する平成一一年四月二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
一 本件は、被告医療法人社団大成会(以下「被告大成会」という。)が経営するクリニックにおいて、医師である被告天満祐子(以下「被告天満」という。)による大腸ポリープ切除手術を受けた原告が、術後に大腸穿孔、限局性腹膜炎を発症し、手術、入院等を余儀なくされたのは、右大腸ポリープ切除手術の際の被告天満の切除器具操作の過誤が原因だとして、診療契約の債務不履行ないし不法行為に基づき損害賠償を請求した事件である。
二 前提事実
当事者間に争いのない事実等の争点の前提となる事実は、次のとおりである。
1 原告は、コンピューターサービスを主たる業務とする株式会社ティ・シー・エスの代表取締役として会社経営を行っている者である(甲一二)。
被告大成会は、病院、クリニックを経営している医療法人であり、東京都中央区日本橋浜町所在の浜町センタービルクリニック(以下「浜町クリニック」という。)を開設経営しており、被告天満は、浜町クリニックに勤務する医師である(争いがない。)。
2 原告は、平成一〇年二月九日、東京都千代田区有楽町所在の有楽町電気ビルクリニックにおいて、いわゆる人間ドックに入り、その結果二次検査(直腸肛門診、注腸X線検査)が必要であるとの診断を受けたため、同年一〇月七日、同クリニックにおいて二次検査を受け、その結果、大腸(下行結腸)にポリープが発見され、担当医から安全のために切除した方がよいとのアドバイスを受けた(甲一、一二)。
そのため、原告は、同年一〇月二六日浜町クリニックにて同クリニック所長である羽生富士夫医師(以下「羽生医師」という。)の診察を受けた(争いがない。)。その際、原告は、有楽町電気ビルクリニックにて撮影したレントゲンフィルムを持参し、羽生医師に見せた(甲一二、原告本人)。右診察の結果、同年一一月一六日に大腸ポリープの切除手術を行うことが決定された(争いがない。)。
3 原告は、同年一一月一六日、被告天満の執刀により、内視鏡を用いた大腸ポリープ切除手術(以下「本件切除手術」という。)を受けた。本件切除手術は、ファイバースコープ(内視鏡)にて患者の大腸内部及び大腸粘膜に発生したポリープの状態を観察した上で、ファイバースコープ内にスネアワイヤーを挿入し、その先端を開いてポリープの頭部にかけて絞りながら、右スネアワイヤーに数回に分けて電流を流してポリープを焼灼、凝固壊死させて切除するという、大腸ポリペクトミーと呼ばれる方法にて行われ、原告の大腸ポリープは切除された。その後、原告は、点滴を受けて休息した後帰宅した(争いがない。なお、乙一ないし三、七、八、一五。)。
4 原告は、同月一七日ころから腹部の痛みが増すようになり、同日午後四時から四時三〇分ころ、浜町クリニックに腹痛を訴える電話をかけた。そして、同月一八日、浜町クリニックにて診察を受けたところ、急性腹膜炎であるとの診断を受け、同日午後、東京都江東区亀戸所在の城東社会保険病院にて羽生医師の執刀により緊急開腹手術を受けた(争いがない。なお、甲八の1及び2)。
5 原告は、右手術後、同年一二月二九日まで右病院に入院した(争いがない。)。
三 争点及び争点に関する当事者の主張
1 争点1
本件切除手術の際、被告天満に、ポリープ及びその付近腸壁を深く焼灼しすぎるなどの切除器具の操作を誤った過失はあるか。
(一) 原告の主張
被告天満は、本件切除手術において、原告の大腸の下行結腸部分にできたポリープを内視鏡を用いて切除する際、切除器具によって腸壁に穿孔を生じさせないように注意すべき義務があるにもかかわらず、これを怠り、切除器具の操作を誤って、深く焼灼しすぎるなどして切除対象のポリープ付近の腸壁に穿孔を生じさせ、もって原告に急性腹膜炎を生じさせた。
また、原告は、本件切除手術後、水以外には何ら飲食を行っておらず、自宅で安静を保っていたのであり、穿孔の原因は被告天満の手術の際の過失にある。
(二) 被告らの主張
ポリープ切除術に際しては、スネアワイヤーを無理にかけたり、長時間の焼灼を行ったりすると穿孔を発生させるおそれがあるが、被告天満はそのようなことのないように十分な注意を払って本件切除手術を施行し、ポリープは適切に切除され、当然ながら術中及び直後に穿孔が開いたこともない。また、被告天満は、切除後の創部をモニターで確認した上、出血、穿孔予防のためクリッピングも行っており、術後の措置も万全であるし、本件切除手術後、原告に対して点滴を行い、一時間程様子を観察したが、原告から腹痛等の訴えもなかった。
穿孔の原因については、原告が摂取した飲食物が、ポリープ切除手術によって損傷を受けた大腸壁を刺激したためであると考えられる。
右のとおり、被告天満には何らの過失もない。
2 争点2
損害の発生の有無及びその額
(一) 原告の主張
被告らの右行為により、原告には次のとおり合計九一七万二一二五円の損害が発生した。
(1) 医療関係費 合計六二万二一二五円
ア 治療費 二七万六一二五円
原告は、本件医療事故による腹膜炎の治療のため、浜町クリニックに対し二万〇七四五円を、城東社会保険病院に対し、二五万五三八〇円をそれぞれ支払った。
イ 入院付添費 二四万六〇〇〇円
原告が入院していた四一日間、家族が原告に付き添った。その費用は、一日当たり六〇〇〇円とすると、合計二四万六〇〇〇円となる。
ウ 交通費 一〇万円
二週間の通院期間中に、原告が通院のために支出した交通費は、一〇万円以上である。
(2) 逸失利益 四四〇万円
原告は、株式会社ティー・シー・エスの代表取締役として、月額一七〇万円の給与を得ているが、本件医療事故によって二か月間欠勤を余儀なくされ、賞与等と合わせ合計四四〇万円の収入を失った。
(3) 慰謝料 三〇〇万円
原告は、本件医療事故による激しい腹痛のため、一時は生命の危険を感ずる程の恐怖を味わった。また、一一月から年末年始という最も多忙な時期に入院、通院を余儀なくされ、会社経営者として決算処理、商談等をすることもできず、会社経営に大きな影響を被った。さらに、腹膜炎の開腹手術それ自体も大きな恐怖であったが、右手術の結果腹部に約二〇センチメートルもの大きな手術痕が残った。
以上の原告の精神的苦痛に対する慰謝料は、三〇〇万円を下回るものではない。
(4) 弁護士費用 一一五万円
(二) 被告らの主張
原告主張の事実は知らない。
第三争点に対する判断
一 前記前提事実に、証拠(甲一、二、八の1及び2、九ないし一二、乙一、三、五、七、八、一〇、一一、一四、一五、原告本人、被告天満)及び弁論の全趣旨を総合すると、以下のとおりの事実が認められる。
1 原告は、平成一〇年一〇月二六日、浜町クリニックで診察を受けた際、浜町クリニックから「大腸内視鏡検査を受けられる方へ」と題する書面を受け取った。右書面には、手術の当日及び翌日は安静を保ち、運動、飲酒を避けるよう記載されていた(甲二、原告本人、被告天満)。
2 本件切除手術のされた同年一一月一六日、被告天満は、本件切除手術に先立ち、原告に対し、手術当日及び翌日は自宅で安静を保つこと等の注意をし、本件切除手術中にも、大腸壁は薄いため、手術後出血や穿孔を起こすことがあるため、飲酒は控えるよう注意をした。ところが、原告が本当は飲酒をしても大丈夫なのではないかとの発言をしたため、被告天満は、飲酒をして出血を起こした過去の症例を話し、原告に注意を促した(乙一四、被告天満)。
3 大腸粘膜に発生するポリープ(腺腫)には、有茎性、広基性、扁平性などがあるが、原告のポリープは有茎性であったため、被告天満は、ポリープの茎部にスネアワイヤーをかけ、それを絞りながら数回に分けて通電してポリープを焼灼し、切除した。このような焼灼によりポリープ切除痕付近が凝固壊死して白く変色した。ポリープ切除後、被告天満は、切除部分の出血、穿孔を予防し、大腸粘膜の修復を促進するため、二か所にクリッピングを施した(乙一、三、五、七、八、一四、一五、被告天満)。
本件切除手術時の原告の大腸内の様子を撮影した写真には、穿孔、出血等の異常は写っていない。なお、ポリープ切除痕付近が白く変色しているのは、焼灼により凝固壊死したためであり、異常ではない(乙三、被告天満)。
4 被告天満は、本件切除手術終了後、原告に対し、切除したポリープを見せ、無事切除された旨説明した。その後の病理検査の結果、原告のポリープは前癌病変であること及び切除したポリープの断面には筋層は含まれないことが判明した(乙一、一六の2、原告本人、被告天満)。
5 被告天満は、その後、原告に一時間ほどの仮眠をとらせ、点滴を施して容態を観察したが(乙一四)、その間、原告から特に腹痛等の訴えもなかったため、流動食を渡して帰宅させた(争いがない。)。また、被告天満は、本件切除手術後、原告に対し、「大腸ポリープ切除手術を受けられた方へ」と題する書面を手渡し、激しい運動、飲酒、固形物、刺激物の摂取等を控えるよう説明すると共に、翌日の朝九時に浜町クリニックに電話を入れて、体調を説明するよう指示をした(乙一〇、一一、一四、被告天満)。
6 原告は、翌日である同月一七日、被告天満から指示されていた朝九時の体調説明の電話を同被告にしなかった。原告は、同日午後四時過ぎころ、浜町クリニックに腹痛を訴える電話をした。電話を受けた浜町クリニックの山名泰男医師(以下「山名医師」という。)は、原告の自宅が埼玉県草加市であり浜町クリニックへ来院するのは原告に負担がかかること、浜町クリニックの診療時間が午後五時までであり、来院してもらっても人員を確保できないこと等を考慮し、自宅近くの病院へ行き診察を受けるよう指示をした(乙一、原告本人、被告天満、弁論の全趣旨)。しかし、原告は、自宅近くの医院が休診していたため医師による診察を受けず、薬局で買い求めたブスコパン錠を服用したが腹痛は治らなかった(甲九、一一、原告本人)。
7 原告は、同月一八日、浜町クリニックにて山名医師の診察を受けたところ、急性腹膜炎であるとの診断を受け、城東社会保険病院に入院した。同日午後五時ころ、羽生医師は、原告の緊急開腹手術を行い、原告が大腸穿孔、限局性腹膜炎を発症していたため、本件切除手術の際のクリップを除去、下行結腸の穿孔部を切除、縫合し、腹腔内を洗浄した(甲八の1及び2、乙一)。原告は、右入院に際して、城東社会保険病院の看護婦に対し、排便について一日二、三回あり、最終排便は同日である旨を述べた(甲八の2、乙一三)。
8 羽生医師は、右手術後、原告に付き添っていた女性に対し、大腸模式図を示し、大腸に小さな孔があり、限局性腹膜炎も起こしていたこと、本件切除手術において電気メスを使用してポリープを焼いた際、粘膜欠損が深くなったのであろう旨を説明した(甲四、八の2、被告天満)。
被告天満は、同月一九日、城東社会保険病院に入院中であった原告を見舞った(甲一二、乙一四、原告本人、被告天満)。
9 原告は、右手術後、同年一二月二九日まで右病院に入院した(争いがない。)。羽生医師は、同月六日、原告に対し、今回の経過を説明し、医療過誤ではなく偶発症であるが、治療費は病院側が負担する旨申し出たが、原告はこれを断った(甲八の2、一二)。
二 争点1について
1 原告は、本件切除手術の際、被告天満が切除器具によって深く焼灼しすぎる等の過失により原告の大腸に穿孔を生じさせた旨主張する。
しかしながら、前記認定事実のとおり、本件切除手術時の原告の大腸内を撮影した乙第三号証の<2>及び<3>の写真によれば、切除直後には、切除部位には穿孔、出血等の異常は認められないこと(切除痕付近が白色に変色しているが、これは切除の際にスネアワイヤーに通電し、ポリープを焼灼した結果、凝固壊死したためであり、異常な状態ではない。)、病理検査の結果、切除したポリープの断面には粘膜の外側にある筋層は含まれておらず、これによるとポリープ切除による損傷は粘膜及び粘膜下組織にとどまっており筋層には及んでいないと認められること、本件切除手術の際に穿孔が開いたのであるならば本件切除手術の直後から顕著な腹痛等が発生するはずであるところ、原告は、手術の翌日午前九時に浜町クリニックに電話して体調を報告するよう指示を受けていたにもかかわらず、その日の午後四時ころまで浜町クリニックに腹痛を訴えたことはなかったこと、被告天満の本人尋問の結果によれば、わずか一ミリメートル程度の厚さの筋層が損傷されていれば、本件切除手術のために注入された空気の圧力により穿孔が開いて腹腔内が見えることもあるのに、乙第三号証の<2>及び<3>の写真からはそのような事実は認められないこと等の事実によれば、被告天満に原告主張のような過失があったとは認められない。
2 原告は、本件切除手術後の痛みについて、手術直後から時々ちくちくと痛み、本件切除手術の当日である平成一〇年一一月一六日の深夜には激痛になり、翌一七日には耐え難くなった旨主張し、甲第一二号証及び原告本人尋問中にも概ねこれに沿う供述記載部分ないし供述部分があるが、仮に同月一六日の深夜から激痛になったのならば、その時点で浜町クリニックないし自宅近くの病院に連絡をとる等の対策を講ずるか、少なくとも本件切除手術後に被告天満から指示されたとおり、翌一七日の午前九時に浜町クリニックの診療が開始され次第早急に連絡するのが通常であると考えられるところ、原告は、同日午後四時になるまで何ら対策を講じていないことに鑑みれば、右供述記載部分ないし供述を措信することはできない。
3 本件切除手術後、遅くとも原告が痛みを訴えた同月一七日午後四時ころには、原告の大腸に穿孔が生じていたことが推測されるが、証拠(甲二、乙二、一〇、一一、被告天満)によれば、大腸ポリペクトミー手術によって多少なりとも損傷を受けた大腸壁が患者の運動、飲食その他の要因により穿孔を生じる可能性も十分にあると認められるところ、前記認定事実によれば、原告についても、同人の飲食等の要因により穿孔が生じた可能性があると考えられ、被告天満の本件切除手術に過失があったと認めることはできない。
この点について、原告は、痛みにより本件切除手術後飲食していない旨主張し、甲第一二号証及び原告本人尋問中にも概ねこれに沿う供述記載部分ないし供述部分がある。しかしながら、痛みについては右2のとおりであるし、また原告は、本件切除手術前に、被告天満から手術後の飲酒を控えるように注意されながら、本当は飲酒しても大丈夫なのではないか旨の発言をしていること、同月一八日、急性腹膜炎であるとの診断を受けて城東社会保険病院に入院した際、同病院の看護婦に対し、最終排便は同日である旨を述べていること等に照らして、原告の右供述記載部分ないし供述部分はにわかに措信し難い。
仮に、原告主張のとおり、本件切除手術後、城東社会保険病院に入院するまでの間、原告が飲食をしていないとしても、運動等その他の原因により穿孔を生じた可能性もあり、原告に腸壁に生じた穿孔が原告主張のような被告天満の過失によるものと認めることはできない。
三 以上のとおり、原告の請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六一条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 一宮和夫 裁判官 菊池則明 裁判官 北條桃子)