東京地方裁判所 平成11年(ワ)6202号 判決 2001年1月18日
別紙当事者目録記載のとおり
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告らは連帯して東京都港区東新橋一丁目一番一九号株式会社ヤクルト本社に対して一〇五七億円及びこれに対する平成一〇年三月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、株式会社ヤクルト本社の取締役副社長であった熊谷直樹がデリバティブ(金融派生商品)取引に失敗して会社に一〇五七億円の損害を与えたとして、この損害につき、ヤクルト本社の株主である原告が同社の取締役又は監査役であった被告らの責任を追及する株主代表訴訟である。
第三当事者の主張及び本件訴訟の経過
原告は、平成一一年三月一九日、本件訴えを提起し、別紙1「請求の原因」のとおり主張した。被告らの責任に関する主張の要旨は、次のとおりである。
「被告らは、平成五年から平成一〇年三月二〇日までの期間中にヤクルト本社の取締役又は監査役であったことがある。ヤクルト本社の専務取締役多菊善和、同吉田陽一及び同麻生健治の三名は、平成一〇年三月二〇日東京証券取引所において記者会見を行い、平成五年頃から当日までの間に元取締役副社長熊谷直樹らが独断で極めて投機性の高い株価指数などに基づく金融派生商品(デリバティブ)の取引を繰り返し、予測の賭けに失敗して損失を膨らませ、総額一〇五七億円に上ったと発表した。これらの損害は、ヤクルト本社の資産規模をわきまえて、極めて投機性が高い株価指数などに基づく金融派生商品(デリバティブ)の取引が、適正規模を超えてなされることを防止するための適切な行為に及ばず、剰え、事態を把握した後も、直ちにその取引を停止しなければならないのに、漫然放置し、だらだらと右取引を継続させ、損失を拡大させたことによるものである。代表取締役等の業務執行取締役については、商法二五四条三項により取締役が会社に対して負担する善管注意義務に違反し、また他の平取締役にあっては、商法二六〇条二項所定の業務監視義務に違反している。監査役としては、商法二七四条、二七五条ノ二所定の権限を行使して、前記の取締役らの行為を防止すべき義務があるのにこれを漫然怠った。よって、被告らは連帯してヤクルト本社に対して一〇五七億円を賠償する責任がある。」なお、「被告らの在任期間は後に提出する別紙就任期間一覧表のとおりである。」と主張しているが、その一覧表は提出されていない。
被告らは、別紙2~8の各「答弁書」及び「準備書面」記載のとおりの主張及び求釈明をし、一部の被告から、当裁判所の文書送付嘱託によって送付されたヤクルト本社の「デリバティブ取引に関する調査報告書」(乙一)及び「スワップおよびオプション取扱規程」(乙二)が平成一二年三月九日の第三回口頭弁論期日において証拠として提出された。
当裁判所は、平成一二年三月九日の第三回口頭弁論期日において、被告らから求められている釈明に対して回答することを原告に対して求め、平成一二年七月一三日の第五回口頭弁論期日において、各被告らの責任の根拠について次回期日までに明らかにすることを原告に対して求めた。その間、原告の申立てに基づき当裁判所が平成一二年五月二四日に発した文書提出命令に基づきヤクルト本社から文書が提出された。しかし、平成一二年九月二八日の第六回口頭弁論期日においても原告は主張立証を補充しなかったため、当裁判所は、各被告の関与、責任の根拠、被告らからの求釈明に対する回答を次回期日までに明らかにすることを原告に求めた。
原告は、平成一二年一一月三〇日の第七回口頭弁論期日において、被告らの責任の原因となる事実について別紙9「第一準備書面」のとおり主張し、被告人熊谷直樹にかかる刑事訴訟事件の記録の提示の申立てをした。被告らの責任に対する原告の主張の要旨は、「商法二六〇条の文言から、会社の業務執行及び監督は個々の取締役ではなく、取締役会が行うこととされていることを根拠に、第一次的には取締役会が民事責任を負うべきものであって、取締役会の構成員でありさえすれば、一番末席の取締役であっても、代表取締役社長と同等の監視義務を負うと考えるべきであり、等しく内部統制システムの構築をすべき義務を負っていると考えるべきである。本件デリバティブ(金融派生商品)取引の失敗による巨額損失についても、熊谷直樹元取締役副社長と桑原潤元取締役社長の二人だけが勝手にやっていたのだから、その二人だけが責任を取るべきで、その余の取締役及び監査役は知らなかったのだから、民事賠償責任はないというような考え方は、到底高度に発達した現代日本の資本主義経済体制になじまないものと言わなければならない。」と主張した。
当裁判所は、平成一二年一一月三〇日、同一の損害を原因とし他の株主を原告とする先行する株主代表訴訟(平成一〇年(ワ)一七九九六号損害賠償請求事件、原告の請求の原因第四参照)の被告とされている者に対する口頭弁論を分離して、本判決の被告らに対する口頭弁論を終結した。その後、別件株式代表訴訟の原告らが本件訴訟に共同訴訟参加し、当裁判所は、参加の被告とされた者に関する口頭弁論を再開した。本判決は、別件株主代表訴訟又は前記共同訴訟参加の被告とされていない者を被告としてされた原告の請求に関するものである。
第四当裁判所の判断
一 ヤクルト本社のデリバティブ取引による損失の発生
ヤクルト本社の損害の発生に関する原告の主張の趣旨は、デリバティブ取引によりヤクルト本社が一〇五七億円の特別損失を計上したというものであると解されるが、これを裏付ける証拠は提出されていない。一方、ヤクルト本社の運用調査チームによる平成一一年六月二五日付けの「デリバティブ取引に関する調査報告書」(乙一)によれば、ヤクルト本社がいわゆるデリバティブ取引により、平成一〇年三月期末において、整理損一九六億円、引当金四八七億円、合計六八三億円の特別損失を計上した事実を認めることはできる。
また、前記乙第一号証によれば、ヤクルト本社がデリバティブ取引によって損失を発生させた次のような経緯が認められる。
1 昭和五九年一月期以降の特定金銭信託による余裕資金の運用
ヤクルト本社は、昭和五九年一月期以降、特定金銭信託(以下、「特金」という。)による余裕資金の運用を始めた。余裕資金とは、借入金のような金利のつく資金でなく、かつ本業の資金繰り(運転資金、設備投資資金等を含む。)に使う必要のない資金であり、業績の向上、ファイナンス(転換社債、ワラント債の発行)の成功、資金運用の成功等により、この時期、ヤクルト本社の余裕資金は急速に多くなっていた。
当初は、投資顧問会社への運用委託による特金が中心であった。その成績が良好だったこと等もあり、特金の期末元本残高は、昭和五九年一月期には一九億円だったが、九事業年度後の平成三年三月期には七一九億円に上った。余裕資金の枠内での運用という方針に基づいていたため、このピーク時でも、すべて余裕資金での運用であった。ただこの間、例外的に何回か短期の借入資金を使ったことがあったがすぐ返済されている。
この特金は、会社の業務執行として熊谷直樹管理本部長(平成元年六月二九日以降。それ以前は担当常務ないし担当専務として。以下「熊谷管理本部長」という。)の決裁ないし判断により、運用された。社内組織上は、経理部内の資金運用チーム(統括部長一人、担当男性社員二ないし三名、女性社員一名)が、同本部長直轄で本業務に従事していた。運用の具体的な内容については、専門的知識及び判断が必要であること、機動的対処が必要なこと、熊谷管理本部長が後述のように非常によい成績をあげていたこと等から、当時の社長(被告松園直巳社長および桑原潤社長)の信任の下で、熊谷管理本部長に全面的に任されていた。
熊谷管理本部長は、自分自身で経済講演会出席、エコノミストとの面談、専門家との情報交換、出版物閲読等々、相場判断涵養等のための活動を精力的に行うとともに、投資顧問会社及びそのファンドマネージャーの選別・成績による管理等も重視して行っていた。資金運用チーム所属社員も研究を重ね、熊谷管理本部長のサポートをしていた。
この特金を含む資金運用の結果(実現損益)については、月次損益計算書にて、毎月、経営政策審議会(専務以上の取締役、常勤監査役及び社長が指名する者で構成される、原則週一回開催の、重要政策を審議する会議体)に報告され、四半期・中間・期末には各損益計算書により、その都度、取締役会に報告され、それぞれ承認されていた。
この昭和五九年一月期以降の特金を中心とする余裕資金の運用は、平成二年三月期までは、非常によい成績をあげた。同期までの八事業年度(決算期変更があったので七年と二か月)で、特金の実現益合計は二〇四億円に上り、金融債・外国債による運用を含めた金融収益の合計でも二三六億円に上った。対外的にも「財テク上手」で知られるヤクルト本社などと評価され、熊谷管理本部長の資金運用手腕に対する社内外からの評価は非常に高くなった。
この実績等を踏まえて、熊谷管理本部長は平成元年六月に、資金運用チームを含む経理部を管掌する管理本部の最高責任者である管理本部長(副社長)に指名され、就任した。
2 平成二年年頭以降の株価暴落と特金の含み損発生
日経平均株価は、平成元年末に三万八九〇〇円超というピークに達した後、平成二年年頭以降同年秋までに、約一万八〇〇〇円も大暴落した。下げ幅五〇%弱という、未曾有の暴落であった。
これにより、ヤクルト本社の特金等の運用資産にも含み損が生じ、その額は、平成二年九月中間期末で一七二億円(特金の元本残高六一八億円)、平成三年三月期末で九三億円(同七一九億円)に上った。
さらに日経平均株価は、平成三年秋から平成四年夏にかけてまた約九〇〇〇円暴落し、ヤクルト本社の特金等の運用資産の含み損も、平成四年三月期末で二三二億円(特金の元本残高六四五億円)、平成四年九月中間期末で三一九億円(特金の元本残高六三九億円)に上った。
しかし、前述したように余裕資金による運用であったため、計算上の含み損が多額に上っても、会社の資金繰りに直接の影響を与えることはなかった。
この事態を受けて、平成二年から三年にかけて、ヤクルト本社の経営政策審議会では、資産運用に対する批判的な議論が、強く出された。メンバーから、資金運用は止めるべきではないか、運用するにしても株式投資の比率をもっと下げるべきである、資産運用額も減らすべきである、借入金での資金運用は厳禁である等厳しい意見及び注文が出された。
これに対し熊谷管理本部長が、反論及び意見を述べ、このころ、以下のような目標で対処することが桑原社長(当時)の下で了承された。
従来のパターンよりは大幅に遅れるかもしれないが、株式の価格は、ある程度までは戻るとの判断、及び余裕資金での運用なので資金が固定化しても本業に直ちには影響がないとの判断の下に、直ちに損切りをするのでなく、また評価損を徐々に出していくという手法でもなく、毎期、運用余裕資金の調達コストと計算される金額である一〇億円をあげながら、さらにそれを超える運用益があればその運用益と土地売却益などの特別利益の範囲内で特金を徐々に整理・縮小していく。拡大はしない。借入金による資産運用は行わない。その責任者は従来どおり、熊谷管理本部長とする。
3 平成三年一〇月以降のスワップション等取引
ヤクルト本社は、熊谷管理本部長の判断により、平成三年一〇月一日に、いわゆるデリバティブ取引の一種である金利スワップション取引三本(想定元本合計六五〇億円)を約定した。これは平成四年九月に相手方のオプション非行使により、前受けオプション料七億四五〇〇万円のもらいきりで、取引が終了し、成功であった。
さらにヤクルト本社は、熊谷管理本部長の判断により、平成四年四月に金利スワップション等取引(単なるスワップ取引も含む。以下同じ。)を三本(その後の解約で約三〇〇万円の益)、同年五月に株価指数スワップション等取引(単なるスワップ取引を含む。以下同じ。)を二本、同年七月にも株価指数スワップション等取引を二本、約定した。これらも極めて良好な成績であった。
これらの取引は、前述の「運用益等で特金を徐々に整理・縮小していく」目標のためになされた。
ヤクルト本社は、これまでにも、デリバティブ概念に含まれる、日経平均先物、TOPIX先物、日経平均オプション(コール、プット両方)、債券先物、金融先物(ユーロ円金利三か月物)、債券先物オプション等の取引を、特金勘定及び自社勘定で行っており、前記スワップション等取引は、これらの延長線上の取引であった。しかし上記の取引に当たっては、内外の複数の証券会社から綿密な説明を受け、持ち込まれた商品について熊谷管理本部長自身及び資金運用チームで十分検討し、さらに経済専門家、ファンドマネージャーからの意見も十分聞いた上で、前述のようにまずテスト的に始めた。
前記のようにテスト的運用が成功したので、熊谷管理本部長は、スワップション等取引を順次拡大し、平成五年には主として金利スワップション等取引(金利低下を見込んだ取引が中心)、平成六年には主として株価指数スワップション等取引(株価上昇を見込んだ取引が中心)を約定した。いずれも、熊谷管理本部長が、自身の研究及び資金運用チーム、外部専門家との議論等を踏まえて、ヤクルト本社の利益になると判断しての約定であった。このスワップション等取引は最終的には相場判断で決断する取引であるため、資金運用チーム所属社員と協議、議論はするものの、最終的にはすべて決裁権者である熊谷管理本部長の個別具体的判断で決定された。この判断につき、権限委譲はなかった。
この平成六年の株価指数スワップション等取引は、資金運用のために支出できる資金がなかったこと、「オプションの買い」はかなり大きく相場が動かないとペイしないため年に何回しかチャンスがなかったこと等から、前受けオプション料の収入が約定時にまずある「オプションの売り」が大部分であった。またこの当時株価高を予測していたので「プットオプションの売り」が大部分であった。
これらの取引により、平成五年三月期と平成六年三月期には、金利スワップション等取引で合計三七億円の実現収益があがり、平成六年三月期と平成七年三月期には、株価指数スワップション等取引(上場もの含む。以下同じ。)で合計五一億円の実現収益があがった。その反面、平成六年前半に金利が上昇局面に入ったので、平成七年三月期には金利スワップション等取引で三二億円の実現損が出た。この三事業年度(平成五年三月期から平成七年三月期まで)の両スワップション等取引の合計通算実現益は、五八億円となった。金利スワップション等取引では収支相半ばし、株価指数スワップション取引では利益が出た。
これらのスワップション等取引は、会社の業務執行としてなされたもので、そのすべてにつき監査法人による監査が実施されている。秘匿された取引はない。
監査法人は、これらスワップション等取引につき、かなり早い時期に、その実現損益を独立の勘定科目で区分表示するのが妥当であるとの意見を述べ、ヤクルト本社(熊谷管理本部長)もこれを直ちに受け入れ、平成四年九月の月次決算から、独立の勘定科目(当初受取オプション料、平成五年四月以降オプションスワップ等運用損益)で実現損益を表示した。事業会社で、オプション料を独自の勘定科目で区分表示したのは、初めてであり、画期的な措置であった。なお監査法人は、本件スワップション等取引すべてを監査した上で、上記意見の他には、平成七年三月まで特段の意見を述べていない。なおマーケットリスクのある有価証券について低価法を採用すべきであるとの意見は、従前に引き続き述べていた。
前述のとおりスワップション等取引の実現損益は、平成四年九月以降、独立の勘定科目にて月次損益計算書に明記されるようになったため、その数字は、同月以降、毎月経営政策審議会に報告され了承を受けた。さらには、有価証券報告書、半期報告書、株主総会添付資料等により、半期末又は期末に、投資家及び株主にも開示された。この開示された数字は会計上正確であった。
熊谷管理本部長は、本件スワップション等取引につき、経営政策審議会等で他の取締役に対し、本取引は金利又は株価指数の動きにより損益が変動する商品であること、オフバランス取引であること、株価指数スワップション等取引は、信用と担保があれば期間延長を含め相当自由に商品設計できるので、その信用と担保のあるヤクルト本社であれば機動的に対処することにより、着実に利益をあげることができ、特金を整理・縮小していけること、株価が仮に下がっても一時的であり何年か内には戻ると判断されること、加えてヤクルト本社が現在運用している資金は借り入れ資金ではなく余裕資金なので、時間をかけて処理でき、損失は出さずに切り抜けられること、想定元本合計額がヤクルト本社の規模に照らし過大にならないよう管理していること等を説明していた。
4 平成六年後半以降の株価下落とスワップション等取引の含み損発生
日経平均株価は、平成六年六月末から平成七年六月にかけて、一年間で、約七〇〇〇円大幅に下落した。特に平成七年になってから、阪神大震災、地下鉄サリン事件、ベアリングス証券の倒産等をも原因として、急激に下落した。この下落により、ヤクルト本社が約定していた株価指数スワップション等取引につき、多額の含み損が発生した。
ヤクルト本社は、熊谷管理本部長の判断により、平成六年六月に一七本の株価指数スワップション等取引(株価上昇を見込んだ取引が中心)を約定しており、これが前記含み損の主たる原因となったが、その取引の時点では、平成六年六月の三重野日銀総裁(当時)の「景気回復に向けて動き始めた」旨の発言及び景気回復の予兆とみうる金利上昇が見られていたこと等の相応の根拠に基づいて、株価上昇を見込んでおり、前記のような株価の大幅な下落は予想していなかった。
この多額の含み損発生を受けて、監査法人は、平成七年一月以降、株価指数スワップション等取引の含み損の調査、検討を開始した。そして、ヤクルト本社が保有する各株価指数スワップション等取引につき、この日経平均株価でスワップ期間満了日を迎えるといくらの損失が生じるかというシミュレーション計算をした(その時点で中途解約したらいくらの損失が生じるかという計算ではなく、厳密な意味での含み損計算ではない。以下「計算上の含み損」という。)。それによれば、日経平均株価が一万六〇〇〇円まで下落すれば五九四億円の含み損が発生する、二万一五〇〇円程度に戻れば計算上の含み損は発生しない、というものであった。
監査法人は、当時の日経平均株価の動き(平成七年四月上旬に一万六〇〇〇円まで下落し、その後一万七〇〇〇円位に戻したが、また下落し、七月上旬まで下落し続けていた。)から、この時点で、本件スワップション等取引のリスクを指摘する必要性を認識し、上記計算結果を、平成七年三月から四月にかけて、熊谷管理本部長、本田光一常勤監査役等に報告した。監査法人はさらに桑原社長(当時)にも面談し、運用資産の中には株価に影響されるものがあり、リスクが比較的高いので管理に十分注意してほしい旨述べた。
5 平成七年五月以降のスワップション等取引の管理体制
前述の監査法人から報告等を受けて、ヤクルト本社は、平成七年五月以降、株価指数及び金利スワップション等取引につき、監査法人による監査に加えて、次の要領にて個別報告書によるチェックを始めた。このチェックは、平成一〇年三月のデリバティブ完全撤退決定まで行われた。
① 個別契約締結(解約、条件変更等した場合も含む。)後、資金運用チームにて、個別契約毎に、取引の種類、想定元本、プレミアム等の額、相手方、取引の目的、行使価格、オプション満期日、スワップの条件、運用損益等を記載した「スワップ等取引報告書」(以下「個別報告書」という。)を作成し、それに契約書のコピーを添付して、熊谷管理本部長の承認を得た上で、遅滞なく(遅くとも一か月以内に)、監査室に提出し、そのチェックを受ける。
② 平成七年六月の佐下橋一夫取締役(経理及び情報システム担当)就任後は、まず同取締役に提出しその閲覧後、熊谷管理本部長へ回す。
③ 個別報告書の提出を受けた監査室は、異常な取引がないか(取引額・想定元本額の増加、取引先の変更、新商品の取引等)を中心に調査検討し(資金運用チームに対する問い合わせ等も行う。)、資料作成の上、本田常勤監査役に、一か月毎に報告する。
④ 本田常勤監査役は、定期的に桑原社長に報告する。
監査法人は、個別報告書によるチェックが始まったこと、スワップション等取引のリスクに関する熊谷管理本部長の説明(株価指数スワップション等取引は信用と担保があれば期間延長を含め相当自由に商品設計できるので、その信用と担保のあるヤクルト本社であれば機動的に対処することにより、着実に利益をあげることができ、特金を整理・縮小していけること、株価が仮に下がっても一時的であり何年か内には戻ると判断されること、加えてヤクルト本社が現在運用している資金は借り入れ資金ではなく余裕資金なので、時間をかけて処理でき、損失は出さずに切り抜けられること、想定元本合計額がヤクルト本社の規模に照らし過大にならないよう管理していること等)が基本的に了承できるものであったことに加え、ヤクルト本社(熊谷管理本部長)が、監査法人からの申し入れに基づき、スワップション等取引は次の制約の下で行うことを了承したこと等から、ヤクルト本社のスワップション等取引についてはしばらく様子を見ることにした。
ア 想定元本を増額しない。
イ 単純な期日延長は行わない(含み損の単純な先送りであり、会計慣行として認められない。)
ウ リスク切り抜けのための契約条件の変更(ポジションの変更、株価指数スワップション等取引から金利スワップション等取引への変更等を含む。)は認められるが、リスクを増大させない方法で行う。
なお平成七年五月一八日付けのヤクルト本社から監査法人宛のいわゆる経営者確認書には、本件に関し「スワップション契約に関しては、株価回復を予想しておりますので多額な資金負担が生じることはないと考えております。なお、スワップション契約にかかわる損失が実現する見通しとなった場合には、速やかに貴監査法人に報告するとともに、ディスクロージャーの方法について検討いたします。」と記載されている(平成八年三月期の確認書にも同様の記載あり。)。
なお平成七年一〇月四日付けの日経金融新聞にヤクルト「デリバティブ失敗」説と題した記事が掲載され、熊谷管理本部長が前述のような管理体制を取っている旨釈明した。
前記新聞記事のこともあり、監査法人は、平成七年一一月一七日付け書面で、ヤクルト本社に対し、想定元本に関し、「スワップション取引の売建想定元本合計額は、概ね平成七年九月三〇日時点の金額一二六八億円を上限とし、今後この取引を上回らないように留意する」との指摘を重ねてした。
その後レバレッジのあるものが増えてきて計算が複雑になるが、それを考慮しても、株価指数スワップション等取引の実質想定元本合計額、及び同取引と金利スワップション等取引との合算実質想定元本合計額は、各中間期末及び決算期末ベースで、平成七年九月三〇日時点の金額を上回っていない。
平成七年三月及び四月の監査法人の指摘以降、ヤクルト本社(熊谷管理本部長)のスワップション等取引は、前述のように管理体制(個別報告書による監査室のチェック、想定元本増額禁止等の内容的制約、監査法人監査等)の下で行われるようになった。
6 平成七年六月以降の株価上昇と、そのときの取引
日経平均株価は、平成七年六月に瞬間的に一万五〇〇〇円割れした後、一転して上昇を始め、平成八年六月に二万二〇〇〇円を超えるまでに至った。
平成八年九月三〇日現在(日経平均株価二万一五五六円)の株価指数スワップション等取引の計算上の含み損は四〇億円にまで減った。なおこのときの試算では日経平均株価が二万三〇〇〇円になれば、株価指数スワップション等取引から計算上の含み益が出るとの計算であった。
この株価の暴落後の早期大幅持ち直しは、熊谷管理本部長のかねてよりの主張を裏付けるものであった。熊谷管理本部長の本件スワップション等取引に関する説明がより強い説得力を持つこととなった。
この株価上昇中に、本件特別損失の最大の要因となった取引(整理損及び引当金合計で約二三五億円)につながる個別取引六件がなされた。
この六件は、前年(平成七年)九月一三日に約定したスイス銀行三〇三五に対するヘッジ目的の取引である。スイス銀行三〇三五とは、日経平均株価が二万三五〇一円四〇銭以上になれば損失を生じる可能性が高い取引であるところ(約定時である平成七年九月時点ではこんなに早くここまで株価が戻ることはないと判断していた。)、当時、株価が大幅に戻しており(六月末には二万二五〇〇円程度にまで戻った。)、熊谷管理本部長は、日経平均株価はさらに上昇し、スイス銀行三〇三五で損失が生じるおそれが高いと判断した。そこでそうなっても損失が発生しないように、逆方向(日経平均株価が上がれば利益が出る取引)の株価指数スワップション等取引である本件六件を約定した。なおこれらの取引は前述の平成七年五月以降の管理体制(個別報告書による監査室のチェック、想定元本増額禁止等の内容的制約、監査法人監査等)の下でなされている。
当時の新聞の経済記事には、景気回復すそ野広がる(五月の日銀短観)、設備投資五年ぶり高い伸び、全産業で七・五%増、一~三月実質GDP年率一二・七%の高成長、二三年ぶり、個人消費が寄与、企業金利上昇対策急ぐ、悪材料減り年内二万七〇〇〇円も等の株価高を予想するものが多々見られた。
この六件の取引の大部分については、前述の個別報告書を見た経理担当取締役から、資金運用チーム及び熊谷管理本部長に対し、今なぜこのような大きな取引をするのかとの質問及び意見具申があった。しかし、熊谷管理本部長は、株価はより上昇する、スイス銀行三〇三五で損を出す訳にはいかない等のその時点での判断理由を説明し、正当性を主張した。このような議論はあったが、最終的には、決裁権者であり上司(副社長)でもある熊谷管理本部長の判断が優先した。
なお経理担当取締役、常勤監査役、監査法人は、平成七年五月以降、何回か、熊谷管理本部長に対し、本件スワップション等取引からもっと早く撤退できないか、一〇億以上もの金融収益を無理してあげることはない等意見具申をしていた。熊谷管理本部長も早く撤退したいとは考えていたが、無傷で切り抜けたい、また切り抜けることができるとの考えから、前述のような説明及び主張を繰り返し、方針を変えなかった。そして現にこのころ、そのとおり株価が反転上昇していたので、熊谷管理本部長の説明には説得力があり、社内の議論はそれ以上深まらなかった。
なお後述するが、日経平均株価は、平成八年七月また反転し、年末にかけて、五〇〇〇円ほど急落した(二万二五〇〇円から一万七五〇〇円まで)ため、結果として、前記スイス銀行三〇三五は、損失を出すことなく、前受けオプション料貰いきりで利益を出して終了した。しかし、株価が下落したため、スイス銀行三〇三五のヘッジ目的で約定したところの前記六件の株価指数スワップション等取引は含み損を抱えることとなった。
株価上昇中に期末を迎えた平成八年三月期に、ヤクルト本社(熊谷管理本部長)は、株価指数スワップション等取引の解約、満期終了等により、六七億円の実現損を出し、それを、金利スワップション等取引の実現益、ファンド運用の利益、DDI株式の売却益等で埋め合わせ、差引約六億円の資金運用収益を計上した。またこれとは別に、宝塚の土地売却による特別利益で、特金評価損三〇億円を消した。ただ財務諸表上は、株価指数スワップション等取引と金利スワップション等取引による実現損益だけが通算されて、「オプション・スワップ等運用損」四五億四四〇〇万円が区分計上され、これが対外的に公開された。
7 平成八年六月末の桑原社長から堀社長への交代
日経平均株価の大幅値戻しの最中の平成八年六月に、桑原社長から堀澄也社長への交代がなされた。桑原社長は、契約残高はあるものの、日経平均株価の大幅値戻しにより、株価指数スワップション等取引の含み損問題は解消していると判断しており、その前提で引き継ぎもなされた。
堀新社長は、従前より一貫して、ヤクルト本社は財テクはやるべきでないと強く主張しており、就任後も一貫して同様の主張であった。
前述のとおり、ヤクルト本社は平成八年三月期に、オプション・スワップ等運用損として四五億円強を区分計上して公開したため、この点が平成八年九月から一一月に、若干の新聞・雑誌に取り上げられた。
これなどを受けて、平成八年一〇月の経営政策審議会、同一一月の常務会で、本件スワップション等取引について激しい議論が交わされた。
従前から特金等株式関連の資金運用に反対してきた取締役からは、批判、消極説が強く出された。
これに対し、熊谷管理本部長からは、平成八年三月期も従前の方針どおり処理しただけである、金融収支全体では約六億円の利益を出した、資金運用は収益獲得のために積極的に行っているわけではない、含み損を処理するためのトータルの運用の中の一部としてやっているだけである、相場が五〇〇〇円も下がればどんな名人がやっても損は出てしまう、今までこの方針でやってきてもう少しで回復するというときに、闇雲に損を出して即時撤退する必要はないのではないか、そんなに早く回復するとは思わないがこういう中で持ちこたえていけば、トータルでは迷惑をかけずに切り抜けられると考えている、含み損の金額については計算が難しいことと秘密が保てないおそれが強いことから、必要最小限のことだけ言ってきた、万が一のことがあったら困る、しかしあったときには辞任する覚悟はある等の主張が強くなされた。
これらを踏まえて、堀社長は、次のようにまとめて、条件付きで、熊谷管理本部長の進めている解決方法を認めた。
金転がしで金儲けをしようという気は毛頭ない。新しくこういった資金運用に手を出すつもりは一切ない。また私の下ではやらせない。出来るだけ早く縮小されたい。この際即時撤退して一切合切膿を出してしまおうかとも考えた。その方が楽かもしれない。しかし今まで稼ぎながら消してきたし今も消し続けている。二、三年以内には何とか元に戻ると熊谷管理本部長が述べているから、そのとおりなら、そういう意味では今の解決方法が間違っているとは思わない。現段階では今の解決方法でいくしかないだろう。しかし、泥沼に入るようなことすなわちこれが駄目だったので何か他のものに手を出す、これは失敗したなということでまた他のものに手を出す、このようなやり方は絶対やめてもらいたい。また一定の枠を定めてその範囲内で行うというチェック及び管理ができる規程を作られたい。熊谷管理本部長が他の仕事の面でも一生懸命やっていることは理解できるので、その条件の下で、今までの解決方法の継続を認める。
前記議論がなされた平成八年一〇月及び一一月の時点では日経平均株価は二万円を超えており、計算上の含み損は大きくはなかった。
その後引き続き堀社長は、熊谷管理本部長に対し、デリバティブを含む資金運用については今後二年間で清算していくこと、具体的には新規の本取引は行わないこと、現時点のものは収束の方向で進めること等を指示し、熊谷管理本部長もこれを了承し、資金運用の整理縮小の方向が従前以上に明確化された。
8 平成九年三月の「スワップおよびオプション取扱規程」の制定
堀社長からスワップション等取引について規程を作るよう指示があったこと、及び財務諸表等規則の改正により平成九年三月期決算よりデリバティブ取引に関するディスクロージャーが強化されること(同取引にかかるリスク管理体制、想定元本等の開示が義務づけられた)を受けて、ヤクルト本社でも「スワップおよびオプション取扱規程」を作成した。
その当時集めた資料によれば、スワップおよびオプション取引の執行については、「財務担当役員決裁による執行実行」が最も多く(内規による執行、部長決裁による執行がそれに続く。)、ポジション状況・信用リスクに関する報告・管理も財務担当役員への報告によるものが最も多かった(財務担当上席者への報告、役員会への報告がそれに続く。)。
この資料等を基に、次のような内容の規程を制定した。
決裁権者及び主管部署は、従前どおり管理本部長及び管理部財務課とされた。報告制度については、主管部署は、取引のつど担当役員及び常勤監査役に報告する、また取引残高を月々把握し必要事項を同じく担当役員及び常勤監査役に報告すると規定された。これも従前からなされていることを追認したものである。リスク管理については、「担当役員は、社長の承認を得て、スワップおよびオプション取引に関する想定元本限度枠および時価評価の限度枠を設定する」(第三条)と定められた。
本規程は、平成九年三月の経営政策審議会及び常務会にて審議の上、正式決定され、平成九年三月二五日から施行された。その審議の際、堀社長は、重ねて、デリバティブ取引は今後二年間で清算する、今後は新規の本取引はしない、現時点のものは収束の方向で処理するとの指示をした。前記規程第三条の想定元本限度枠及び時価評価の限度枠に関し、社長から「今後、新規の本取引はしない、現時点のものを今後二年間で収束させるべく処理していく」と、より強い指示がなされたものである。
なお、このスワップ及びオプション取扱規程と平行して、決裁規程の見直し作業も行われ、これも常務会にて審議の上、平成九年六月一日に正式に改正施行された。
この改正により、決裁規程の「資金運用のためにする有価証券の取得および処分」の項目につき「デリバティブ取引については別の定めによる」との注が付けられた。この「別の定め」が前記スワップおよびオプション取扱規程である。
この決裁規程改正の際も堀社長は、これは財テクを目的とした決裁項目ではない、今後財テクは一切行わないことを再三にわたって明言している、この項目は、現在既に運用されているものを収束していくために行う取引だけを指すと重ねて指示している。
なお平成九年四月一日付けで、資金運用チームから男性社員二名が他部署に転出し、主管部署が縮小された。
9 平成九年三月二五日以降の株価指数スワップション等取引
日経平均株価は、平成八年一二月以降急落し、同九年三月末にかけては一万七〇〇〇円台から八〇〇〇円台で低迷していた。その後同九年四月から株価は持ち直し、平成九年七月中旬ごろまでは、再び二万円を超えていた。同株価が二万円を超えている場合、本件株価指数スワップション等取引の計算上の含み損は大きくない。
ヤクルト本社(熊谷管理本部長)は、株価指数スワップション等取引につき、株価が急落し始めた平成八年一二月以降は、既存取引の契約条件変更取引、乗り換え取引、解約取引等しかしていないが、その後の相場変動、株価持ち直し時期(平成九年五月から七月)における判断等の要因により、結果として逆の結果になったもの、思ったほどの効果がでなかったものなどもあり結果はさまざまであった。
この時期の契約条件変更等の取引には次のようなものがあった。
・想定元本の増額はせず、行使価格上昇等と引き換えに期日延長したもの。
・想定元本を増額する代わりに、行使価格を引き下げて期日延長したもの。
・金利スワップション等取引を株価指数スワップション等取引に切り換えたもの。
・株価指数スワップション等取引に金利スワップション等取引を組み込んだもの。
・スワップ満期日の日経平均株価が上下一定の範囲におさまることを予測する取引に変更したもの。
行使価格が二万二〇〇〇円台の株価指数スワップション等取引の何本かが、平成九年五月から七月の株価持ち直し時期(二万円を超えていたが二万二〇〇〇円台にはなっていなかった。)に、スワップ期間満期日を迎えたが、熊谷管理本部長は、この時点で満期解約する(損失が確定・実現する。)より、条件変更(行使価格の若干の上昇または行使価格引き下げプラス想定元本増額等)により期日延長をした方が会社の利益になると判断した。延長後の満期日までには日経平均株価が、新しい行使価格まで上昇している蓋然性が高いと判断したからである。
またヤクルト本社(熊谷管理本部長)は、この株価持ち直し時期に、日経平均株価が約定日より二〇〇円程度小幅上昇しさえすれば、利益が確定する取引を七件行っている。うち五件については合計約二億三〇〇〇万円の利益を出して終了したが、残りの二件については平成九年八月以降の株価暴落により損失が生じた(平成一〇年三月に約四四億円特別損失を計上)。また、その後、株価が上昇すればいつでも解約できる特別な手当をつけた取引(株価上昇すれば直ちに撤退できるようにしたもの)、コールオプションの購入取引(損失が一取引最大四〇〇〇万円に確定されている取引。結果としては二〇〇万円強の損失に止まった。)なども行った。
なおこれらの株価指数スワップション等取引は、前述のスワップおよびオプション取扱規程等により強化された管理体制(監査法人監査、個別報告書による監査室のチェック、想定元本増額禁止等の内容的制約、新規程と社長指示による新規の本取引の禁止)の下で、正規の業務執行として行われている。
10 平成九年三月二五日以降の金利スワップション等取引
金利スワップション等取引については、平成六年の金利上昇局面で約定した固定金利支払い・変動金利受取りのポジションの取引(当時約定していた金利上昇で損がでる取引に対するヘッジ目的)が、その後の金利低下によって、大きな負担となっていた。
また、平成八年前半の一時的な金利上昇局面でも、金利上昇を想定した固定金利支払い・変動金利受取りのポジションの取引を何件か行い、これがその後の金利低下で残ってしまい、これも負担となっていた。
平成九年三月二五日以降、熊谷管理本部長は、金利スワップション等取引についても、既存取引の契約条件変更取引、乗り換え取引、解約取引を中心に行っていた。
そのような契約条件変更等の取引以外には、前述のように会社にとって負担となっていた固定金利支払いのポジション(金利低下局面では損失が拡大する。)の損失拡大を防ぐための、逆のポジションの取引(固定金利受取り・変動金利支払い)を行っていた。またこのポジションの取引が大きくなることに関連して、その逆の取引もバランス上行っていた。
また、通貨スワップション等取引における金利交換部分の反対取引として、多数の取引をしていたが、これらは金利スワップション等取引としてはリスクゼロである。
なおこれらの金利スワップション等取引も、前述の強化された管理体制(監査法人監査、個別報告書による監査室のチェック、想定元本増額禁止等の内容的制約、新規程と社長指示による新規の本取引の禁止)の下で、正規の業務執行として行われている。
11 平成九年三月二五日以降の通貨スワップション等取引
ヤクルト本社(熊谷管理本部長)は、平成九年五月一二日以降、通貨スワップション等取引を頻繁に行った。同本部長としては、既存のスワップション等取引の損失をカバーするための取引であり、収束の一環であるとの認識を有していた(後述のとおり現に利益が出ている。)。しかし、これは従来やっていなかった種類のデリバティブ取引であり、堀社長の指示で禁止された「新規の本取引」といわざるをえない。
しかし、熊谷管理本部長は本取引により、平成九年五月一二日以降、平成一〇年一月三〇日に至るまで、一貫して利益を出し続けた。平成九年八月以降の株価暴落時にも、損失を出した取引は一本もなく、約三〇億円の利益を獲得した。この取引は極めて短期間に決着のつくものが多く、約定したその日の内に確定する取引もかなり多くあった。
しかし平成一〇年一月三〇日以降、四本の取引で合計約三三億円強の損失が出て、通貨スワップション等取引八三本全体を通算すると、結果的には約九億円の利益となった。
平成一〇年三月期末決算では、特別損失として、通貨スワップション等取引で一三億三〇〇〇万円計上しているが、上述のとおり、通貨スワップション等取引全体を通算すると約九億円の利益である。
これらの通貨スワップション等取引も、前述の強化された管理体制(監査法人監査、個別報告書による監査室のチェック、想定元本増額禁止等の内容的制約、新規程と社長指示による新規の本取引の禁止)の下で業務執行として行われたが、上述のように、堀社長の指示に違反して、熊谷管理本部長が決裁実行した取引と言わざるを得ない。しかし、通貨スワップション等取引全体を通してみれば、ヤクルト本社に損失は生じていない。
12 平成九年八月以降の株価暴落と堀社長の危機感
日経平均株価は、平成八年一二月以降急落し、同九年三月末にかけては一万七〇〇〇円台から八〇〇〇円台で低迷していたが、その後同年四月から持ち直して、平成九年七月中旬ごろまでは、また二万円を超えていた。
堀社長は、就任後は半期毎に、スワップション等取引の計算上の含み損の金額を、監査室から報告させていた(なお個別報告書に基づく常勤監査役からの報告は、社長交代後は、桑原会長宛にすることとされた。)。平成八年九月末時点では計算上の含み損の金額は大きくなかったが(株価指数スワップション等取引の計算上の含み損の金額で約四〇億円)、平成九年三月期末の金額は、株価指数と金利合わせて約四〇八億円という巨額なものとなった。しかしその集計ができてきた同年五月一〇日時点では、株価の戻しにより、株価指数スワップション等取引の計算上の含み損は半減していた(二〇八億円から九八億円に)。しかしこれ以降、堀社長は、計算上の含み損の金額を、適宜、監査室から報告させることとした。
同年七月ころまでは、日経平均株価も二万円を超えており、計算上の含み損の金額も落ち着いていたが、同年八月以降、ゼネコンの倒産、証券会社の倒産、北海道拓殖銀行の倒産等により、日経平均株価は暴落した。年末には一万五〇〇〇円割れ直前まで下がった。この株価暴落により、ヤクルト本社のスワップション等取引の計算上の含み損は一挙に拡大していった。
この株価低迷を受けて、経理担当取締役は、平成九年九月以降、熊谷管理本部長に対し、今後の株価急落の会社に与える影響は大きい、即刻資金運用について社長と相談し完全撤退を含む抜本的対策を講じて欲しい、しかも平成一〇年三月期からはデリバティブの時価表示もしなければいけないのでこのままではいけないと、繰り返し強く進言した。
熊谷管理本部長は、具体的な対策も合わせて進言しないと意味のある打ち合わせができない、闇雲に即時撤退しても損失が大きくなるだけである、具体的対策を考えるためには平成一〇年三月期末の株価がある程度見通せなければならない、それには今しばらく時間が必要であると考え、報告の時期を見計らっていた。
他方、堀社長は、前述のように、独自に監査室から計算上の含み損の金額を報告させており、八月以降の株価暴落とそれに伴う計算上の含み損の急拡大に、危機感を募らせた。このこともあり、熊谷管理本部長に対し、平成九年一一月五日のヤクルト全国経営者協議会において資金運用の実態を報告するよう指示し、同本部長も一定の情報を開示して説明した。
なお平成九年一〇月以降、この含み損の拡大を受けて、スワップション等取引の相手方銀行からの担保提供要請が強くなり、平成九年一〇月以降は、譲渡性預金を担保に出さざるを得なくなり、かつその額は急激に増加した。担保預金の月末残高は、一〇月末現在五七億円、一一月末現在一一四億三〇〇〇万円、一二月末現在一四九億三〇〇〇万円となった。熊谷管理本部長は、この担保提供は、スワップション等取引に伴うものなので、前述の決裁規程により、管理本部長の決裁権限の範囲内と理解し、同本部長の決裁で執行した。
この担保提供により、ヤクルト本社の資金繰りに現実の支障が生じるに至った。これまでは、ヤクルト本社の信用を基に、基本的には無担保でスワップション等取引を行ってきていたので、このようなことはなかった。
この平成九年八月以降の株価暴落、計算上の含み損の拡大、そして特に資金繰りに現実に支障が生じてきたことを受けて、平成九年一〇月以降、堀社長は、従来の方針、すなわち前述のような厳しい条件の下で熊谷管理本部長に収束に向けての処理を委ねること、を変更しなければならないと判断した。
13 資金運用からの完全撤退の決定
前記事態を受けて、堀社長は、具体的な対処方針の検討を始めた。ヤクルト本社の有するスワップション等取引の詳細はどうなっているのか、直ちに全部解約できる契約なのか、満期日まで待って解約する方が会社に与える損失は少なくてすむのか、中途解約の場合どのような計算で解約金を請求されるのか、それは避けられないものか、満期日まで待って解約する場合どのような支払となるのか、それら以外に適切な処理方法はないのか、その各場合において損失金額はどれくらいになるのか、処理を発表した場合の影響はどのようなものになるのか、本業にどのように影響を与えるのか、営々と築いてきたヤクルトグループの信用と結束にどのような影響を与えるのか、そういうことをしなくとも持ちこたえられるのではないか、その方が会社にとっていいのではないか等々、検討すべきことは極めて多く、また極めて専門的な内容を含むもので、相応の時間が必要であった。
そして平成九年年末までに、堀社長は、日経平均株価の現状からすれば、当分の間回復の見込みはなく、むしろさらに下がるリスクがある、現時点で完全撤退するのであれば自己資本(積立金)の範囲内で処理できる、このまま契約を続ければこの範囲を超えるリスクに会社を晒すことになり、会社にとっての危険が大きすぎる、今が決断の時であると判断した。
そこで堀社長は、平成一〇年一月早々、監査室を中心に特別チームを作り、再度、短期間に徹底的な調査を命じて、報告させ、事実関係を確認し、その上で監査法人と相談した。監査法人も完全撤退の方針に賛成した。そこで堀社長は、社内の上級取締役、弁護士、さらには顧問、相談役等と協議、相談を重ね、完全撤退の方向を具体化していった。
そして、平成一〇年三月二〇日の取締役会にて、堀社長は、最終的に、スワップション等取引の現状と完全撤退方針を提案し、出席取締役全員の賛成により、完全撤退方針が機関決定された。
これに伴い、熊谷管理本部長と桑原会長が、平成一〇年三月二〇日付けで、取締役を辞任した。
14 平成一〇年三月期末の特別損失の計上
前述のスワップション等取引からの完全撤退という機関決定を受けて、平成一〇年三月期決算においては、スワップション等取引のうち容易に処理できるものは平成一〇年三月期末までに処理して実現損を出す、今処理しようとすると巨額の費用がかかるものはとりあえずそのままにして、期間満了までにできるだけよい条件で処理する、その分については損失の見積額にて引当金を計上する、今後はこの既存取引の清算のための取引しかしない、との方針で処理することを決めた。
この方針に基づき、スワップション等取引について、次の特別損失を計上した。
株価指数スワップション等取引
実現損 一八〇億三六〇〇万円
引当金 四二八億七六〇〇円
金利スワップション等取引
実現損 二億七三〇〇万円
引当金 五八億二八〇〇万円
通貨スワップション等取引
実現損 一三億三〇〇〇万円
引当金 七〇〇万円
実現損合計 一九六億三九〇〇万円
引当金合計 四八七億一一〇〇万円
15 平成一一年三月末の状況
平成一一年三月末日時点で、前記引当金四八七億一一〇〇万円のうち、一七六億五五〇〇万円部分は未確定であるが、その余の三一〇億五六〇〇万円部分は、二八五億六八〇〇万円の実現損失で確定している。
株価指数スワップション等取引の引当金四二八億七六〇〇万円
うち三〇六億二五〇〇万円部分は、二八三億八四〇〇万円の損失で確定。
うち一二二億五一〇〇万円部分は未確定。
金利スワップション等取引の引当金五八億二八〇〇万円
うち四億二四〇〇万円部分は、一億七七〇〇万円の損失で確定。
うち五四億四〇〇万円部分は未確定。
通貨スワップション等取引の引当金七〇〇万円
七〇〇万円の損失で確定。
二 被告らの責任
被告らの責任に関する原告の主張の趣旨は、代表取締役等の業務執行取締役については商法二五四条三項に基づく善管注意義務に違反したこと、他の取締役については商法二六〇条二項所定の業務監視義務に違反したこと、監査役については商法二七四条、二七五条ノ二所定の権限を行使して取締役の行為を防止する義務を怠ったことを主張するものである。
しかし、前記認定の事実によっても、ヤクルト本社のデリバティブ取引に関する業務の執行に被告のうち取締役であった者が具体的に業務の執行に関与した事実を認めることはできず、他にこれを認めるべき証拠はない。
そこで、取締役の業務監視義務の違反があったかどうかについて検討する。
まず、本件デリバティブ取引による損失は、六八三億円という巨額なものであり、平成四年三月期以降毎年約一五〇億円の経常利益を計上し(平成九年及び平成一〇年三月期は約一二〇億円)、平成一〇年三月期末の任意積立金は九九三億円に上っていたというヤクルト本社の事業規模・財務内容を考慮しても(乙一の二四頁)、このデリバティブ取引が極めて大きな危険があり、このような取引の性質にかんがみれば、その取引関始の当否についてはもちろんのこと、取引開始後のリスク管理、取引経過・損益状況の監視等、企業の財務に過大な負担が生じないよう取引に対する慎重な意思決定並びに監視・監督が必要であるということはできる。
しかし、他方で、前記認定の事実によれば、本件デリバティブ取引は、平成五年から六年にかけて、当初熊谷管理本部長の決裁により他の取締役との協議もなく開始されたものの、平成六年後半以降の含み損発生に応じて、平成七年五月以降、想定元本増額禁止等の内容的制約を設けた上で、監査法人による監査のほかに個別報告書によるチェックを行う管理体制をとり、さらに平成八年三月期決算で本件デリバティブ取引による損失を公開してからは、経営政策審議会、常務会の議論を経た上で、平成九年三月二五日に「スワップおよびオプション取扱規程」を制定し、その審議の際には、堀社長から「今後は新規の取引はしない。現時点のものは収束の方向で処理する。」との指示がされ、さらに平成九年八月以降の株価暴落を受けて平成一〇年三月二〇日の取締役会にて、堀社長が最終的に本件デリバティブ取引の現状と完全撤退方針を提案し、出席取締役全員の賛成により、完全撤退方針が機関決定されたという経過を認めることができる。
このような事実経過からすると、ヤクルト本社においては、デリバティブ取引の状況や損失の発生に応じて一応の管理体制をとってきたことが認められるのであるから、前記のような巨額損失発生の事実とこのことから伺われる本件デリバティブ取引の危険性といった事実のみから、デリバティブ取引による損失の発生を結果的に防止できなかったからといって、このことだけから、これを取締役会を構成する各取締役がその業務監視義務に違反したことを裏付ける事実であると評価することはできないし、他方で、このような会社の管理体制に委ねるだけでは不十分であるなど、被告らの責任原因を基礎づける具体的な事実関係については、原告は何ら主張立証していない以上、取締役である被告らにつき、業務監視義務に違反する責任があるとは認められないというべきである。
また、監査役である被告らに対する責任についても、前記の一応の管理体制がとられていたことを前提とすれば、本件デリバティブ取引の危険性から、直ちに会社における具体的な管理体制に直接携わっていなかった監査役についても取締役の行為を積極的に防止すべき義務があったということはできないし、他方で、原告は被告らの責任原因を基礎づける具体的な事実関係を何ら主張立証していない以上、監査役である被告らについても、取締役の行為を防止すべき義務に違反した責任があるとは認められない。
三 結論
よって、原告の被告らに対する本訴請求はいずれも理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六一条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 小林久起 裁判官 河本晶子 松山昇平)
<以下省略>