東京地方裁判所 平成11年(ワ)6330号 判決 2001年1月16日
原告
藁科善司
被告
河野正和
ほか一名
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告らは、原告に対し、連帯して、四八三六万三五三八円及び内金四七五〇万一四八四円に対する平成一〇年四月一五日から完済に至るまで年五パーセントの割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、以下に述べる交通事故につき、原告が、訴外亡藁科眞司(以下、「亡眞司」という。)の損害賠償請求権を相続したとして、被告河野正和(以下、「被告河野」という。)に対しては民法七〇九条に基づき、また、被告富士交通株式会社(以下、「被告会社」という。)に対しては自動車損害賠償保障法(以下、「自賠法」という)三条及び民法七一五条に基づき、損害賠償を求めている事案である。
一 争いのない事実及び証拠上明白な事実
1 本件交通事故(以下、「本件事故」という。)の発生
(一) 日時 平成一〇年四月一五日午後一一時五〇分ころ
(二) 場所 東京都千代田区皇居外苑二番のT字路交差点(二重橋交差点、以下「本件交差点」という。)
(三) 加害者 事業用普通乗用自動車(タクシー、練馬五六い・五四五、保有者は被告会社、以下、「加害車両」という。)を運転していた被告河野
(四) 被害者 自家用普通乗用自動車(品川三五ね・二〇七三、以下「被害車両」という。)を運転していた亡眞司
(五) 態様 被告河野運転の加害車両は、内堀通りを祝田橋方面から大手町方面に走行してきて本件交差点に至り、本件交差点を右折して馬場先門方面に進行しようとしたところ、内堀通りを大手町方面から祝田橋方面に直進してきた亡眞司運転の被害車両の右側側面後部に、加害車両の右側前部を衝突させ、そのため、被害車両はバランスを失って進行方向左側にそれ、その後右側に進行して中央分離帯上の街路灯に衝突して停止した。
(六) 結果 亡眞司は、昭和四二年七月三日生まれの男子であるが、本件交通事故により多発外傷の傷害を受け、救急車で搬入された日本医科大学病院で、右傷害により受傷後約一時間で死亡した。
2 被告らの責任
被告河野は、本件交差点を右折するに当たり、対向直進車の有無及びその安全を十分に確認せずに右折したために本件事故を惹起させたものであるから、民法七〇九条により本件事故による損害を賠償する責任があり、被告会社は、加害車両の保有者として自賠法三条により本件事故による人身損害を、また、被告河野の使用者として民法七一五条により本件事故による損害を賠償すべき責任がある。
3 相続
亡眞司には配偶者及び子はいないため、亡眞司の両親が亡眞司の相続人となるが、父である原告は、母である訴外高藤洋子との遺産分割協議により、亡眞司の死亡に関する同人の損害賠償請求権をすべて相続する旨合意した(甲第一五ないし第二二号証)。
二 争点
1 損害額特に逸失利益
原告は、訴外眞司が、大学を中退しているものの、自営によるモータージャーナリストとして、同年代の大卒男子労働者の平均給与額よりも相当以上に高額の収入を得ていたから、訴外眞司の逸失利益を算定するに当たっては、基礎収入を大卒男子労働者の全年齢平均賃金である年間六八七万七四〇〇円(平成九年賃金センサス)としているが、被告らはこれを争っているばかりか、学歴計の男子労働者の全年齢平均賃金である五七五万〇八〇〇円(平成九年賃金センサス)を基礎収入とすることも争っている。
2 過失相殺の有無及び割合
被告らは、亡眞司には次のような過失があり、その割合は七〇パーセントを下らないと主張している。
(一) 本件交差点は、別紙事故発生状況図(以下、「別紙図面」という。)記載の信号サイクル表のとおり、加害車両側の青信号の時間が長く(七五秒)、被害車両の青信号は短い(四〇秒)時差式交差点であるが、亡眞司はその進行方向の信号が黄色になったにもかかわらず進行し、本件交差点に進入した。
(二) 加害車両は、制限速度である時速六〇キロメートルを大幅に超過する速度(時速一〇〇キロメートルの一割か二割増しの速度)で走行していた。
(三) 訴外眞司は、本件事故当時、血液一ミリリットル中に〇・七ミリグラム(呼気一リットル中で換算すると、〇・三五ミリグラムになる。)のアルコールを保有していたもので(この点は当事者間に争いはない。)、右飲酒運転は刑事罰の対象になる程度のもので、運動失調、作業能率の低下、反応時間の倍化等の症状があらわれるから、過失相殺の事由になる。
これに対して、原告は次のように反論している。
(一) 亡眞司は、本件交差点を青色で通過したものである。かりに、亡眞司が本件交差点を通過する際にその従うべき信号が黄色だとしても、道路交通法施行令第二条一項ただし書の「黄色の灯火の信号が表示された時において当該停止位置に近接しているため安全に停止することができない場合を除く」に該当するから、本件交差点を通過したことが過失相殺事由になることはない。
(二) 亡眞司が被告ら主張のような高速で走行していたことはない。被告河野の説明をもとに計算すれば、被害車両の速度は時速六〇キロメートル以下か、せいぜい八〇キロメートル強に過ぎない。
(三) 飲酒の事実は認めるが、その程度は軽度の酩酊に過ぎず、本件事故発生の具体的原因には因果関係を有しないものであるから、過失相殺事由として評価されるべきではない。
(四) 被告会社が過失相殺の主張をすることは信義則上許されない。すなわち、被告会社は、被告河野から事故状況を聞きながら、被告河野の説明(訴外眞司側の信号は黄色に変わった)とは異なり、事故発生状況説明書(甲第三号証)には、「被告河野は停止線で一旦止まり、訴外眞司側の信号が黄色から赤に変わったので被告河野が出ようとしたところ、物凄いスピードで訴外眞司が突っ込んできた」と記載して自賠責保険会社に提出している。右説明書の記載では、自賠責保険でも重過失減額の対象、もしくは無責となる可能性があったのであり、交通事業に従事し、旅客を安全に運搬するタクシー事業を業とする会社でありながら、故意に被告河野の主張と異なる報告書を作成し、被告河野及びその使用者である被告会社に有利に自賠責保険会社に報告したことは到底許されないことである。
このような被告会社が、過失相殺を主張して損害の負担額の軽減を求めるのは公平の観点、また、信義則上の観点により許されない。
第三当裁判所の判断
一 争点1(損害額)について
原告らの主張する損害について、以下において当事者らの主張を必要な範囲で示しつつ検討することとする。なお、結論を明示するために、各損害ごとに裁判所の認定額を冒頭に記載し、併せて括弧内に原告らの請求額を記載する。なお、原告の請求は、原告の主張を前提にすれば一部請求であり、以下の原告の請求額の和は、原告が請求の趣旨で求めている金額とは異なる。
1 逸失利益 四八〇五万一三八四円(五七四六万四八〇三円)
原告は、前記のとおりの基礎収入を前提に、生活費控除率五〇パーセント、六七歳までの稼働年数三七年間のライプニッツ係数(年五パーセント)一六・七一一二を用いて、亡眞司の逸失利益を算定している。
しかしながら、亡眞司は、駒沢大学二部に入学したものの二年生の時に中退し(乙一七号証)、本件事故当時はフリーのモータージャーナリストであって、直ちに大卒男子の平均賃金を基礎収入とすることは相当ではない。
また、亡眞司は事故前年の所得について確定申告をしておらず(甲第二九号証)、それ以前の収入で確実と考えられるのは、訴外エデイトリアル・クリッパからの、平成七年分三八四万四三五六円(甲第二三号証の二)、平成八年分三九七万九九三六円(甲第二三号証の三)程度である。
確かに、自営となってからも仕事を続け、それなりの収入があったことは認められる(甲第二六ないし第二八号号証)が、これは自営業者としての売上金額を示すものであり、これを直ちに亡眞司の所得と評価することはできない。原告は、訴外眞司の仕事はほとんど経費のかからない仕事である旨主張するが、原告の主張する点を考慮しても、収入がすべて所得になるとは考えられない。
してみると、原告の基礎収入としては、平成七年及び平成八年の源泉徴収票上の金額を参考に、亡眞司の年齢、職種等をも総合勘案して、学歴計の男子労働者の全年齢平均賃金(平成九年賃金センサス)である年収五七五万〇八〇〇円を基礎収入として、生活費控除率は五〇パーセント(独身)、死亡時三〇歳であるから稼働期間三七年として、年五分の割合で中間利息を控除すれば(ライプニッツ係数による)、逸失利益は、次のとおり、四八〇五万一三八四円となる。
五七五万〇八〇〇円×(一-〇・五)×一六・七一一二=四八〇五万一三八四円
2 死亡慰謝料 二〇〇〇万円(二三〇〇万円)
亡眞司の家族関係等を考慮し、亡眞司の死亡したことによる慰謝料は二〇〇〇万円とするのが相当である。
3 葬儀費用 一二〇万円(二〇六万〇一〇〇円)
原告は、葬儀業者に要した二〇六万〇一〇〇円を請求しているが、亡眞司の葬儀費用として一二〇万円の賠償を求めることができるものと考えるのが相当である。
4 治療関係費 九二万七二七〇円
当事者間に争いはない。なお、これは被告側で支払っている。
5 入院雑費等 五二〇〇円
当事者間に争いはない。なお、これは、原告が被害者請求により自賠責保険会社から受領している。
6 合計 七〇一八万三八五四円
7 損害のてん補 三〇九三万二四七〇円
原告が、自賠責保険から二九〇〇万五二〇〇円、被告会社から一〇〇万円を受領し、治療関係費九二万七二七〇円を被告会社が支払ったことは、当事者間に争いはなく、合計額は三〇九三万二四七〇円となる。なお、被告会社が香典として二〇万円を支払ったことも当事者間に争いがないが、これは形式、金額からみて、葬儀費用の一部負担とみることはできず、損害のてん補として扱うことは不相当である。
二 争点2(過失相殺)について
1 証拠によれば、以下の事実を認めることができる。
(一) 加害車両の走行してきた内堀通りは、車道幅員二四・二メートル、祝田橋方面から大手町方面へは片側四車線、大手町方面から祝田橋方面へは片側三車線で、路面はアスファルト舗装され、平坦で本件事故当時は乾燥しており、車道中央部には高さ〇・二メートル幅二メートルの縁石で区分された中央分離帯が設けられ、その中には植え込みがある。平坦で見通しはよいが、加害車両の進行方向から右折しようとして対向車線を見た場合、中央車線(この車線を被害車両が走行してきた。)は中央分離帯の植栽等により見通しは不良である(以上乙第五号証、第二二号証)。原告は、加害車両側からも被害車両側に対する見通しが良いと主張しているが、事故直後の実況見分である乙第五号証には中央分離帯に植栽があることが明記され、乙第二二号証では、具体的に加害車両側から被害車両側の見通しが不良であることが記載されているのであって、時期的に半年以上経過して作成された乙第二〇号証により、加害車両側から被害車両側への見通しは良かったと認めることはできない。
(二) 被告河野は、本件事故以前から本件交差点をしばしば祝田橋方面から馬場先門方面に右折していたが、大手町方面から直進してくる車両、特に中央側を走行してくる車両が中央分離帯の植栽で隠れてしまうこともあって、別紙見取図A―(ロ)の信号をみて直進車の有無を判断する習慣がついていた。本件の信号は、前述のとおり、被害車両の進行方向に向けての青の時間が短く、加害車両の進行方向(右折)に向けての青は前記信号が黄色になってからも三五秒も青であるため、被告河野はA―(ロ)の信号が黄色になったことを確認して右折進行して(被告河野の信号は青のままである。)、直進してきた被害車両と衝突した(以上につき、被告河野本人、乙第五号証、第一〇号証等)。
原告は、亡眞司側の信号が黄色になっていたことを否定している。しかし、被告河野は、本件事故後の捜査機関による事情聴取の際(実況見分の指示説明時も含む)からこの点は一貫した供述をしており、原告の指摘する甲第三号証(黄色から赤に変わったとなっている。)は、被告河野が直接述べたものではなく、被告河野の供述の信用性を弾劾するには不十分である。
また、原告は、仮に亡眞司が本件交差点に進入した時点では信号が黄色になっていたとしても、青から黄色に変わった時点において、被害車両は停止位置に近接しているため安全に停止できなかったのであるから、亡眞司の走行は、青で走行したのと同じ評価を受けるべきであると主張している。
たしかに、被告河野は黄色を確認して加害車両を進行させたところ、被害車両と衝突していることから、被害車両が黄色に変わった時点において、停止位置に近接していた可能性は否定できない。しかしながら、次に述べるように、亡眞司は制限速度を大幅に超過して走行していたもので、このような著しい速度超過の場合には、仮に、当該速度を前提にした場合、黄色になった時点においてもはや停止位置で安全に停止することができなかったとしても、それは、自らの速度超過が招来した結果とみるべきであって、そのような走行に青信号で走行していたのと同等の評価を与えることはできないと言うべきである。本件の亡眞司の走行方法は、黄色であるにもかかわらず交差点に進入したものと評価されてもやむを得ないものである。
(三) 亡眞司は、被害車両を時速一〇〇キロメートルを超える高速で走行させていたもので、一方、被告河野は時速約七キロメートルで加害車両を走行させていた。
この点も原告は否定するが、原告の根拠とするところは、被告河野の説明を前提にして計算すると、そのような高速にはならないというものである。交通事故時の人間の観察及び記憶がときに正確性に欠けることがあり、特に距離や時間のような数量的なものについては多く、被告河野のこのような数量的な説明に全面的に依拠して事実認定をすることは慎重でなければならない。それに比べて、乙第二二号証は、警視庁の交通捜査課の警察官が、現場に残された痕跡等の客観的な資料を分析し、物理学的な手法で被害車両の速度を推計したものであり、加害車両の速度は、加害車両に装着されていたタコチャート紙から判断したものであって、いずれも客観性のある数字であると認められる。
(四) 以上の認定事実を総合すると、被告河野には、本件交差点を右折時、大手町方面から祝田橋方面への直進車の有無等を確認するに際し、直接これを確認するのではなく、直進車が従うべき信号が黄色になったということから直進車はないものと軽信して進行したという過失が認められる(ただし、中央分離帯が植栽により見通しが悪いということからすれば若干斟酌すべき点はある。)が、他面、亡眞司は、飲酒運転で(刑事罰の対象となる程度のものであり、本件の場合運転に影響が全くなかったとも言えないであろう。)、信号が黄色になっているにもかかわらず、制限速度(時速六〇キロメートル)を大幅に超過する速度(時速約一〇〇キロメートル強)で走行したという過失相殺事由が認められる。被告ら主張の右側通行(道路交通法二〇条一項違反)の点は、見通し状況の問題として考慮されるが、右側通行自体を過失相殺事由とするのは、本件事案においては不相当である。
以上の諸事情のほか、本件交差点の形状、時間帯等をも考慮すれば、本件における過失相殺の割合は七〇パーセントとするのが相当である。
なお、原告は、被告会社が過失相殺を主張するのは信義則に反するとも主張しているが、仮に被告会社が甲第三号証を作成する際に、被告河野の説明とは異なることを知っていたとしても、過失相殺の主張が信義則上許されなくなるとは到底考えがたい。原告は、自賠責保険から死亡保険金を全額受領しており、甲第三号証により現実的な損害が発生している訳ではないこと一つをとっても、原告の右主張は理由がない。
三 具体的賠償額
1 総損害額 七〇一八万三八五四円
2 過失相殺
前記のとおり七〇パーセントの過失相殺をする。
原告が被告らに賠償を求められる金額は二一〇五万五一五六円となる。
3 損害のてん補
原告が、既に給付を受けた金額は前記のとおりであり、これと賠償を受けられる金額を比較すると、既に全額填補済みとなって、これ以上賠償を受けることはできない。弁護士費用については、本訴において既にてん補済みになって認容額がない以上、これを認めることもできない。
四 結論
以上により、本件請求は理由がないので、棄却することとする。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判官 村山浩昭)
別紙 事故発生状況図
<省略>