東京地方裁判所 平成11年(刑わ)2306号 判決 2002年3月15日
主文
被告人三名はいずれも無罪。
理由
一 本件公訴事実の要旨
本件公訴事実の要旨は、次のとおりである。
被告人三名は、共謀の上、社会福祉法人の経営権の譲渡契約に関し、知人のDから依頼されて右経営権の譲渡契約名義上の譲受人となったE(当四九年)及び同契約の仲介人であるF(当四九年)から同契約の違約金名下に金員を喝取しようと企て、平成一一年八月五日午後一一時ころから同月六日午前一時三〇分ころまでの間、東京都中央区日本橋人形町一丁目所在のA野ビル一階割烹「B山」(以下「B山」という。)において、こもごも、「てめえ、ふざけたことを言ってるとぶっ殺すぞ。」、「てめぇがこのことを警察やヤクザに泣きついてもそんなことは握り潰してやる。」、「てめぇはおとなしく二、六〇〇万円払えばいいんじゃ。」、「明日の昼までに親戚中かけずり回って、できるだけ金を用意しろ。」、「昼の一二時にいくら集まったか連絡して、二時までに東麻布の事務所に持ってこい。」、「Dは台湾マフィアを使って消しますから。」、「私が持っているルートを使うか、A会長のルートを使うか後でご相談しましょう。」、「日本人を使うと後で足がつきますから。」などと語気鋭く申し向けて金員を要求し、もしこの要求に応じなければ、E及びFの身体等にいかなる危害を加えるかもしれない気勢を示して同人らを畏怖させたが、同人らが警察に届けたため、その目的を遂げなかったものである。
二 本件の争点及び証拠構造
本件においては、本件当日(便宜上、平成一一年八月五日から犯行終了時とされる翌六日午前一時三〇分ころまでをこのようにいう。以下同じ。)、B山において、被告人三名、被害者とされるE及びF並びにGが同席し、福島県所在の社会福祉法人「C川会」(以下「C川会」という。)の経営権の譲渡をめぐる問題の処理に関する話がなされたことは関係証拠上明らかである上、その際に被告人らがEの責任を追及し、Eが翌朝から金策をするよう強く求めたほか、Fにも責任があると迫ったことは関係者らの供述がおおむね合致しているところ、そこにおいて公訴事実記載のような脅迫を手段とする金員の要求があったかどうかについては、これら関係者の供述が激しく対立している。そこで、以下では、本件争点を認定する前提となる背景的な事実関係の概要をみた上、争点に係る関係者の供述の信用性について検討することとする。
三 本件の背景たる事実関係の概要
関係各証拠によれば、本件の背景たる事実関係の概要は、次のとおりであると認められる。
1 社会福祉法人「C川会」は、老人保健施設「D原」の設置運営等を目的として、平成八年七月三〇日に設立されたが、当初から建築工事代金の不払いのため完成した建物の引渡しを受けられないなどのトラブルがあり、施設開設の目処が立たない状態の中、平成一一年三月ころ、Hがその理事長に就任していた。
2 被告人A及びその知人のGらは、同年四月ないし五月ころから、C川会の経営権の有償譲渡(以下、単に「C川会の売買」などの要領でいうことがある。)の話を耳にしていたが、同年七月ころ、Gは、その買受けに興味を示している者がいるとの話を聞いてAにこれを伝えた。Aは、旧知のHにその話を持ち込み、Hは、当時自身の事務所でC川会関係の事務等を行っていた被告人Bを、今後の売買交渉の窓口役に当たらせることとした(以下、平成一一年の年号は省略して月日のみを記載する。)。
3 「医療経営総合研究協会理事」等の肩書で活動していたFと政治団体の事務局長の肩書で活動していたDは、本件以前にも他の社会福祉法人を共同で買い受けることを検討していた間柄であったが、七月ころ、C川会の売買の話を聞いた。Dは、自身がC川会を買い受けたいとして、株式会社E田及び有限会社A田(以下「本件会社」という。)の代表者として病院給食の受託業務等を営んでいた知人のEに、買主側として本件会社の名義を借り受ける承諾を得、Fは、以下のとおり買主側の仲介者として交渉に関わるようになった。
4 Fは、七月二八日、Hの事務所において、H、G、A、Bらと話し合い、買主側の詳細は明らかにしないまま、三億一〇〇〇万円でC川会の経営権を譲り受ける旨の提案をした。その後、FとBは譲渡に関する条件を詰めていったが、この際、被告人Cが、Bの依頼により契約書案等をワープロで作成するなどして関与した。なお、Cは、「B野東京」という名称の下、個人でアロマテラピー関係の商品販売を東麻布の事務所(以下「B野」という。)で営んでいたもので、Hの紹介により知り合ったBが、その仕事を手伝っているという関係にあった。
5 その後のBとのやり取りを経て、Fは、七月三〇日、買主側がC川会の債務を引き継ぎ、合計一億三〇〇〇万円を売主側に支払うなどという内容の「最終試案」と題する書面(甲三二―検察官申請証拠番号の趣旨。以下同じ)を持ってB野のB及びCを訪れ、その書面にCが提案した違約金条項が盛り込まれて、協定書(甲三〇。以下「本件協定書」という。)が作成された。同日後刻には、Fから、Bらに、買主側オーナーに本日の打ち合わせ内容を報告したこと、買主は本件会社であることなどがファクシミリで連絡された。
6 Dは、Fから本件協定書の内容を聞くとともに八月一日にこれに調印してほしい旨を求められて、Eに連絡をとり、同日、E及びDがHの事務所を訪れ、Fらが立ち会う中、本件協定書にEが「特記事項」と題する条項を手書きで加えた後、H及びEがこれに押印した。同協定書は、C川会がその施設及び許認可のすべてを含む法人経営権を本件会社に譲渡するに当たり双方が履行すべき事項等を列挙したもので、本件会社がC川会に総額一億三〇〇〇万円を支払うこと、八月四日に内金三〇〇〇万円を支払うこと、各当事者が協定書に定められた義務を遂行できない場合には取引総額の二〇パーセントに相当する金額を違約金として相手方に支払うことなどが定められていた。
7 Bは、八月一日ころまでに、同月四日に福島でC川会の評議員会を開催する旨の通知を作成し、現地の理事に送付するなどしたが、同理事は、準備が整わないことから開催は不可能であるとBに連絡し、会場の手配もなされなかった。もっとも、BからEやDらにこうした事情が伝えられることはなく、BはDに手付金三〇〇〇万円を持って福島に来てほしいと求めていたが、Dは福島には行かない旨をBに連絡し、結局、EとDが現地に赴くことはなかった。
8 本件当日(八月五日)、E及びFは、午後二時ないし三時ころB野においてA、B及びCの三名と会い、いったん退去した後、午後八時半ころ再び同所に戻り、B及びCと会った。そして、同日午後一一時ころ、四名は揃ってB山に赴き、既に同店にいたA及びGと顔を合わせた。
本件公訴事実では、このB山において、恐喝行為があったとされている。
9 B山を出たEは、Dに電話連絡した後同人宅を訪れ、翌六日午前八時ころ、Dとともに麻布警察署に出頭し、AとBを犯人として恐喝の被害届を提出した。さらに、麻布警察署においてEからFに電話連絡がされて、Fも同警察署に出頭し、同様の被害届を提出した。
四 E証言の要旨
本件当日の事実関係に関するEの証言(公判手続更新前の供述を含め、このようにいう。以下同じ。)の要旨は、おおむね以下のようなものであった。
1 B山へ行く前の状況
Bから電話でB野に来て欲しいと頼まれ、午後二時ころ行くと、C、F及びIがいた。Aが来たかどうかは記憶にない。Bから、Dに連絡が取れない、DもEも八月四日に福島に行かなかったので大変なことになっているという趣旨のことを言われた。その後、お金や理事のことなどについてD及びJに聞いてくるように言われて同所を出た。なお、「J」は当日初めて聞いた名前であり、新たにC川会を経営していくメンバーであるとのことであった。
Dに電話をすると、同人は、C川会の施設には水道が引かれていないなどと述べ、契約できない旨話した。その後、Bから電話があったので、Dが話した内容を告げると、再度B野へ来るように言われた。
午後八時半ころ、B野に着くと、そこにはB、C及びFがいた。B及びCから、「署名捺印したのはEであるから、違約金の二六〇〇万円を払え、親兄弟から借りてでも返せ。」などと言われた。Cからは、「会社売っ払ってて、売掛金があるだろう、病院いくつくらいやっているんだい。」、「その会社つぶして、その売掛金で払え、もし会社をそのまま存続さしてほしいなら、働きながら返せ。」などと言われた上、取引先や不動産の有無を尋ねられた。自分は、払えないと答えていた。その後、Bから、会長が待っているので一緒に行ってもらいたい旨頼まれ、B、C及びFと共にB山へ行った。その間、Cは、Fにも連帯責任があるという趣旨の発言をしていた。
2 B山での状況
B山では、当初、Aはカウンター席に座っており、自分、F、B、C及びGは座敷席に上がった。そこで、まず、自分に対して、C及びBが、「親兄弟のところに行って、とにかくいくらでもいいから金を明日作ってこい。」という話をした。また、Fに対しても、C及びGが、連帯責任若しくは保証をするよう求めていた。
それから、Cは、自分に、DとJを明日電話で呼び出すよう命じ、「Dたちだけは絶対に許せないから、おれが知っている横浜の台湾マフィアで消す。」と話した。Bは、「明日いくら金を作れるか。」と激高した様子で自分に尋ねてきた。
入店後、一〇分ないし一五分経って、Aが座敷席に入ってきた。Cは、Aに対して、「Eは不動産も何もないし、サラ金屋で金を借りさせようとしたんですけども、目一杯借りててそれも無理です。」、「とにかく、明日、親戚とかかけずり回して、いくら集められるか分かりませんけど、させますから。」、「Dは明日Eに喫茶店なりに呼び出して、台湾マフィアを使ってやりますけど、会長のほうのルートでもいいんですよ。」と報告した。すると、Aは、「Eさんよ、あんた、金もねえのに、これ買おうと思ったんかい、ふざけんのもええかげんにしろ、殺されたいのか。」と、大きくはないがドスの利いた声で言ってきた。また、Aは、「おれは警察ややくざのところにおまえが泣きついても、そんなものはもみ消せるんだよ、そんなことやっても無駄だからな。」と言った。Fも、G、C及びAから責任を追及されていた。その後、明日中に金を集めて午前一二時までにいくら集まったかを連絡し、午後二時までに金を持ってくるように言われた。これは、被告人全員から言われたが、最終的に誰から言われたかは覚えていない。なお、「ぶっ殺すぞ。」という言葉については、Aから一番言われた記憶があるが、Aが入ってくる前からも再三出ており、Cからも一回か二回程度言われた。
五 F証言の要旨
本件当日の事実関係に関するFの証言の要旨は、おおむね以下のようなものであった。
1 B山へ行く前の状況
Bから呼ばれて午後二時半か三時くらいにB野へ行くと、Cと事務員がおり、その後、B、E及びAも来た。Aが怒った様子で、「おまえがEか、ふざけるな。」などと言うと、Eは顔面蒼白になって立ち上がり、謝罪していた。その後、B及びCが、福島へ来なかった理由を追及し、C川会を買わないのならば違約条項が効力を発生する旨述べた。これに対して、Eは、C川会のオーナーになろうとしているD及びJに会わないと確答できないので、両名に会ってくる旨告げて外出した。自分は、A、B及びCに、なるべく穏便に済ませてくれるように話してから帰宅した。
午後六時ころ、Bから電話で頼まれて再度B野に行った。その後、Dから電話が来て、Bと口論をしていた様子であった。Bに代わって自分が電話に出ると、Dは、上下水道が完備していないなどと説明し、C川会の売買は止める旨話していた。その後、Bは激怒した様子で、Cの携帯に電話を掛け、「すぐ横浜の連中を手配してもらいたいんで、事務所にすぐ戻ってくれ。」というメッセージを留守電に入れ、「Dは消してしまう。」、「日本人を使うと足が付くので、自分たちのルートで台湾マフィアを使う。」などと言っていた。
数分後にCが戻り、すぐ後にEも戻ってきた。それから、CとBは、Eに対して、「給食会社の売掛金を差し押さえされて、会社がつぶれるのを選ぶのか、違約金二六〇〇万円を払う方がいいのか。」などと責め立てた。さらに、CとBは、Eに対して、借用証を書いて翌日B野の近くにあるプリンスホテルにJを呼び出すように命じ、Jに連帯保証人として借用証に署名してもらう、その後、E及びJを連れて商工ファンド等のサラ金を回らせて金を作らせる、Jが連帯保証人への署名捺印を拒否して帰ろうとしたら、ホテルを出た段階で車で拉致するという趣旨のことを言っていた。拉致については、Bの方から、台湾のマフィアを使う話が出ていたが、Cは、それは会長の方のルートと自分たちの横浜のマフィアのルートもあるのでどちらを使うかは後で会長に相談するという趣旨のことを話していた。なお、Eが来た後も、Dを消すという話は出ていた。その後、BかCがAに電話して、「Eさんが来ました、方向が決まったので今からそちらに連れていきます。」と言っていた。Eの車で出かけたが、車内でCから、連帯保証人になるよう言われ、難しいと思う旨答えた。
2 B山での状況
自分、E、B、C、G及びAは座敷席に入った。最初、Aは、取引が成立しないとH理事長に顔が立たない、という趣旨の話をし、「きちっとけじめをつけろ。」と言った。具体的な金額はAの口からは出なかったが、C及びBから、ペナルティーの売上金の二六〇〇万円ということで言われていた。その工面の方法として、「朝から親戚、友人を駆け回って、作れるだけ作ってこい。」、「昼に一度、B野東京へいくら作れたか電話をしろ。」、「集められた金を持ってB野東京へ来い。」と言われた。この工面の方法は、ほとんどBが言ったものである。
Aは、座ったまま、二、三回くらいこぶしでテーブルを叩きながら、「相手が何者だろうと、わしは一切一歩も引かん。」、「Jによく言っておけ。」と言っていた。
「ぶっ殺すぞ」と言うのはAから一回言われた記憶があるが、それ以外の人からも言われたかどうかについては記憶がない。Cは、発言はほとんどしておらず、Aがしゃべっている最中にBが口を挟もうとするのを制していた。
最後に、Cから、Aに対して、「会長、方針が決まりましたので」、「まず、午前中、Eさんが朝から金策に回って、現金を作ってくる。」、「昼にB野東京にいくらできたか電話を入れて、午後一番に持って来させます。」、「プリンスホテルで、JにEさんの方から連絡を取って、Jに来てもらう。その場で借用証を書かせて、Jは連帯保証人にします。」、「もし、Jさんが拒否してホテルを出るようであれば、出た時点でJさんを拉致します。」、「拉致するのをどちらのルートでやるかは、会長、後で相談しましょう。」と報告していた。
その後、Gが「Fさんも連帯責任にしましょう。」と言ったところ、AやBもうなずいていた。また、Aの会話の中で、「Fさん、あんたも一緒じゃ。」と言われた。
六 各恐喝文言に係るE・F証言の信用性の検討
E及びFの証言は、内容がいずれも相当に詳細なものである上、両名が本件の翌日には警察に被害を届け出ているという供述の経緯等を考えると、その信用性を肯定すべき要素が存在しないわけではない。しかし、両名の証言からも明らかであるように、Eは、本件当日、被告人らから、協定書を背景として金員の支払を求められ、その対応に苦慮していたのであるから、恐喝の被害を受けたという事実を虚構することによって、その金員の請求ないし支払を免れる利益を享受し得る立場にあるといえる。したがって、E及びFの証言については、そのような見地から虚偽が含まれていないか慎重に吟味する必要があるところ、以下で指摘するように、その信用性には少なからぬ問題が存する。
まず、恐喝罪の成立を認めるのに不可欠と考えられる脅迫文言を中心にみても、次のような点が指摘できる。
1 「台湾マフィア」に関する脅迫文言について
第一に、本件公訴事実の恐喝文言中、「Dは台湾マフィアを使って消しますから。」、「私が持っているルートを使うか、A会長のルートを使うか後でご相談しましょう。」、「日本人を使うと後で足がつきますから。」という部分(冒頭陳述によれば、これはB山においてCがAに向かって述べた言葉であるとされている。)は、犯罪組織を使って罪証を隠滅しながら殺人を犯すという強烈な内容のものであり、脅された者の記憶に鮮明な印象を残してしかるべきものと思われるが、この「台湾マフィア」に関するE及びFの各証言の信用性には大きな疑問を指摘せざるを得ない。
Eの証言は、B山に入店した直後のAが座敷に来る前の時点において、Cが、DとJを明日電話で呼び出すよう自分に命じ、「Dたちだけは絶対に許せないから、俺が知っている横浜の台湾マフィアで消す」と言っていた(五六丁―記録中の証人尋問調書の丁数の趣旨。以下同じ)、その後Aが座敷に来ると、CがAに対して、「(明日)DをEに呼び出させて台湾マフィアを使ってやりますけど、会長のルートでもいいんですよ。」と説明していた(五八丁)などというものであった。
これに対し、Fの証言における「台湾マフィア」に関する話は、相当に込み入ったものとなっている。すなわち、Fは、主尋問においては、①BがB野でDからの電話を受けて激怒し、Cの携帯電話の留守電に、「横浜の連中を手配してもらいたいんで、事務所にすぐ戻ってくれ。」とのメッセージを入れ、「Dは消してしまう。日本人を使うと足が付くので、自分たちのルートで台湾マフィアを使う。Dだけは許さない。」と言っていた(二一六丁)、②CがB野に戻った後、BとCが、Eに対し、翌日Jを呼び出すよう命じ、二人にサラ金を回らせてお金を作らせ、仮にJが連帯保証人の署名捺印を拒否して帰ろうとしたときは、ホテルを出た段階で同人を車で拉致する旨を述べた上、拉致の方法について、Bが台湾マフィアを使おうと言ったのに対し、Cが、会長(A)のルートもあるので、どちらを使うかは後でこっちで相談しようと言っていた(二一九ないし二二〇丁)、③Eが到着した後は「Dは台湾マフィアを使って消す」という話をEの前でもしていた(二二一丁)、④B山では、最後の場面で、CからAに対し、Eから連絡してJを明日呼び出し、借用証を書かせて連帯保証人にし、拒否すればJを拉致し、拉致をどちらのルートでやるかは後で相談しましょうという話があったほか、Dについては、B山に行く前から、もう消してしまうからいいんだという結論が出てしまった感じであった(二三六丁)などと供述したものであり、こうした供述を承けて、検察官から、CからAに対してDを台湾マフィアを使って消すという報告がされたのではないかという誘導尋問がされたのに対しても、記憶が定かでない旨を答えた(二三七丁)。ところが、弁護人の反対尋問(二六九ないし二七〇丁)を経た検察官の再主尋問において、B山でも、CがAに対し報告する形式で、Dを拉致して殺すという話があったのは間違いない旨の供述がなされた(三一五丁)ものである。
すなわち、Fの証言では、「B山において、CからAに対し、台湾マフィアを使ってDを消す旨の報告があった」という、公訴事実や冒頭陳述に沿う話は、主尋問においては誘導されても明確にならなかったのに対し、①B野におけるCの留守電へのBの伝言やBとCの会話において、「台湾マフィアを使ってDを消す」という話があったこと、②Jが連帯保証人の署名を拒否すれば「台湾マフィアを使ってJを拉致する」という話が、B野でもB山でも出ていたこと、③「台湾マフィアを使うかAのルートを使うかを相談する」という話は、Cが、「Jを拉致する方法」として、B野においてBに対し、B山においてAに対し、繰り返し発言していたこと、④「日本人を使うと後で足がつく」という話は、FとBの二人だけがB野にいるときに、Bから出た発言であることなど、公訴事実や冒頭陳述とは「似て非なる」エピソードが詳細に語られている。しかしながら、こうした話は、Eが同席していたとされる場面のものも含めて、Eの証言には現れておらず、また、F自身が本件捜査段階において供述していた形跡もないのであって、いかにも奇妙なことであるといわざるを得ない。
また、Eの捜査段階の供述を見ると、八月六日付け被害届(甲一)においては、AとBから脅された旨が記載され、Cについては何ら言及されていないし、同日付け警察官調書(甲三一)では、B野にBのほかに「初めて見る男」がいたことや、B山において、Aに対し、Eは資産もなく借金だらけの男であるという報告があったこと(調書上は、CではなくGに相当するB山にいた「ブローカー風の男」の発言であるようにも読めるが、その内容は、Eの証言《五八丁》等の関係証拠によれば、Cの発言であるとされたものに近いものである。)が供述されているのに、「台湾マフィア」に関する供述は見当たらない。その後の同月二四日付け警察官調書(甲四一)に至り、Cが、B山において、EやFに対して「Dは消さなければならない。横浜の台湾マフィヤを使いましょう。日本人では足が付くから。」と言った旨の供述が現れるのであるが、その内容に照らせば、被害直後に作成された被害届や警察官調書にこうした記載が存せず、Cが共犯者として位置付けられていないことは誠に不自然である。この点につき、Eの事情聴取に当たった警察官(江本幸資)は、本件公判において、八月六日のEからの事情聴取でもこうした話は聞いていたが、Eが現金を要求されているという緊迫した状況下にあったので、人定が確認できた者について逮捕状を請求するため、Cの言動を書かずに早急に調書を作成したのであるとの趣旨の説明をしているが、同日付け警察官調書に前記のとおりA、B以外の者の存在や発言も記載されていること、台湾マフィアに関する発言が本件における脅迫文言の中でも最も強烈なものであったことなどの事情に照らし、到底納得し得る説明とはいえない。
さらに、E証言によれば、B、C、E及びFの四名が、Cの事務所であり一種の密室ともいえるB野において長時間にわたり話し合った後で、より開放された空間であるとみられる街の割烹料理店に場を移した直後、四名の話にAが加わるなどの状況の変化があったわけでもないのに、Cが唐突に「台湾マフィアを使ってDを消す」話を始めたということになるが、事態の展開として、いささか不自然の感を禁じ得ない。のみならず、E自身が、その証言の他の箇所においては、一番最初に自分が脅かされたと思うのは、B山でAが座敷に来て、BとCから、Eには資産はなく借入れも目一杯しているので取るものはないとの説明を受けた後のAの発言であった(一一五丁ないし一一九丁)、被害届を提出した八月六日当時、自分を脅した人間はAとBで、それを裏で指示しているのがCだと考えていた(一四六丁)などと供述しているのであり、これらの供述部分に照らしても、B山においてAが発言を始める前に、Cから「台湾マフィアを使ってDを消す。」などという発言が真実あったのかについては、疑問を抱かざるを得ない。
他方において、Fの捜査段階の供述をみると、八月六日付け被害届(甲二)ではCについて言及されていないものの、同日付け警察官調書(甲四〇)には、Cが、B野で、Jを呼び出して連絡保証人にすればいいと言っていたこと、B山で、「Dは消さなければならないでしょう。横浜の台湾マフィヤを使いましょう。日本人では足が付くから。」などとAと話していたことが供述されている。しかし、これらの内容は、F自身の証言には符合しない(むしろ、Eの証言に近いが、Aの発言との時間的前後関係は異なるように読める。)ものであって、逆に、F自身の証言に現れた「Jの拉致に台湾マフィアを使う」などの話が全く現れていないことも、理解に苦しむものである。
そもそも、Fの供述には、例えば、真実は料金不払いのために自身の携帯電話の通話が止められていたことを、本件があったために連絡をとって停止してもらったと説明したり(二四五丁以下、三〇六丁)、本件の後、Aが二〇人体制の編成チームを作って車四台に分けてそれぞれの家の前の道路で見張りをしているという電話連絡がBから入ったなどと、捜査段階の供述を更に膨らませたものと疑われる供述をしたりする(二五六、三〇八丁)などの点が見られ、当時の自身の地位等に関する説明も実態に沿わないなど、全体に事実を誇張ないし脚色して供述する傾向があるといわざるを得ない。こうした傾向に照らすと、「Jの拉致に台湾マフィアを使う」という話も、Fが公判段階に至って新たに創作した話ではないのかという疑念を抱かざるを得ないとともに、本件直後になされたFの「台湾マフィア」に関する供述もまた、Fが本件被害を強調するために自ら創作したものであり、それをその後Eがなぞる形で供述するようになったために、現在のような理解に苦しむ証拠関係が現れることになったのではないのかという疑念を払拭し難い。
確かに、「台湾マフィア」という発言は特異なものであるから、被告人らが実際に「台湾マフィア」について発言したことはあると考えられるものの、先に指摘した事情等に照らすと、何らかの機会になされた被告人らの発言(例えば、B山に向かう車の中でCが話した内容)を脚色するなどしたのではないかとの疑いがあり、B山において公訴事実記載のような「台湾マフィア」に関する脅迫が行われたとは認め難い。
結局、この「台湾マフィア」に関するE及びFの供述の信用性は乏しいというほかはない。
2 「ぶっ殺すぞ」等の脅迫文言について
次に、本件公訴事実には「てめぇ、ふざけたことを言ってるとぶっ殺すぞ。」という脅迫文言が記載されており、冒頭陳述においては、これはAがEに対して発したものとされ、Bも「分かってんのか、こら。ぶっ殺すぞ。」などとE及びFを脅したとされていた。しかし、そもそもこうした「ぶっ殺すぞ」などという文言は、脅迫文言として最もありふれたもので、脅されたと主張する側において容易に創作が可能なものともいえるから、以上に検討してきたような本件証拠関係の問題性に照らせば、その信用性の検討には慎重な配慮を要するというべきである。
そこで、Eの証言を見ると、検察官の主尋問においてB山でBから怒鳴られるようなことはなかったかと問われたのに対して、Eは、「どうしてくれるんだということだけ」であった旨を答え、捜査段階ではBが(Aが来る前に)「分かってんのか、こら、ぶっ殺すぞ。」などと言った旨を供述していることを具体的に指摘されて初めて、それはAが座敷に来る前も後も再三言われた、一番言われたのはAからである、Cからも一回か二回程度言われた、何回かは分からないなどと供述したものである(五七丁)。しかし、前記のとおり、Eは、その証言の他の箇所においては、一番最初に自分が脅かされたと思うのは、B山でAが座敷に来て、BとCから説明を受けた後のAの発言であった(一一五丁ないし一一九丁)、被害届を提出した当時、自分を脅した人間はAとBで、それを裏で指示しているのがCだと考えていた(一四六丁)などと供述しているのであるから、Aが座敷に来る前にもBから「ぶっ殺すぞ」と言われ、Cからも言われたというE証言には、やはり疑問を抱かざるを得ない。
これに対し、Fは、検察官の主尋問において、殺すとかいう話は出ていたかと問われて、Aの発言として、「ぶっ殺すぞというような会話の流れの中で出た記憶は一回ある。」旨を述べ、右記公訴事実の文言を誘導されて「それらしきことを言われた。」と答え、口調は怒鳴らず、非常に低い声であった旨を供述し(二三三丁)、A以外の者から言われたかは覚えていない旨を供述した(三一五丁)ものであって、この点についてもまた、その証言内容はEと相当に異なっている。のみならず、Fは、本件直後の八月六日付け警察官調書(甲四〇)では、B山において、Aから大声で「ぶっ殺すぞ、わかってんのか」と何度も怒鳴られた、Bも何度も「わかってんのか、こら」等と怒鳴りつけ、自分もEも恐ろしくてしょうがなかった旨を供述していたものであって、上記証言との間には変遷が存するといわざるを得ない。
このように見てくると、「ぶっ殺すぞ」という脅迫文言に係るE及びFの供述もまた、その信用性には相当の疑問を抱かざるを得ず、例えば、「Aが、B山において、そうした趣旨のことを一回言ったことがある」という範囲では供述が一致しているから、その限度では信用できるなどと単純に考えることは相当でない。
3 その他の文言等について
本件公訴事実記載の「てめぇがこのことを警察やヤクザに泣きついてもそんなことは握り潰してやる。」という文言につき、Eは、警察とかいうせりふはなかったかという検察官の質問に対し、Aから「俺は警察ややくざのところにお前が泣きついても、そんなものはもみ消せるんだよ、そんなことやっても無駄だからな」というふうに言われた旨を供述している(五九丁)が、Fは、検察官から誘導されて、Aが「西のC山組だろうと、どこだろうと、わしは一歩も引かん。」と言っていた旨を答え、検察官から、捜査段階の調書に「C山組」などという固有名詞が出ていない理由を問われて、固有名詞はあまり出したくなかったからであると説明し、さらに、検察官から「警察に泣きついても握りつぶしてやる」とは言われなかったか、と再度の誘導を受けても、「どこが相手でもわしは構わん」ということを言っていた旨を供述するにとどまっている(二三二丁)。
ここでも、「C山組」という言葉を捜査段階で話していなかった理由に関するFの説明は、公判における供述の出方に照らしても説得的なものとはいい難いし、Aが「一歩も引かない」と言ったのは、EあるいはFの側から、Jという人物の素性に関する話題が出たことにからんだものであったとみられる(F証言二三一丁、A供述三三三・三三七・三八〇丁、G証言七四〇丁以下等)のであって、F証言はE証言を裏付けるものとはなっていない。
以上のほか、本件公訴事実には、「てめぇはおとなしく二六〇〇万円払えばいいんじゃ。」、「明日の昼までに親戚中かけずり回って、できるだけ金を用意しろ。」、「昼の一二時にいくら集まったか連絡して、二時までに東麻布の事務所に持ってこい。」という文言が摘示されている。これらの文言は、その語調や表現により、又は他の事情と相まって、恐喝行為の一部を構成することはあり得るが、協定書(その効力には争いがあり得るものの、外形的には体裁が整っており、当然無効のものとはいい難い。)に基づいて、違約金の支払を要求することあるいは生じた損害を賠償せよと要求すること自体は、直ちに恐喝行為と評価されるものではない。B山において、被告人らがEの本件に係る責任を追及し、Eが翌朝から金策をするという話になって散会したこと、Fについても責任がある旨の話が出ていたことは、B山で同席した関係者の供述がおおむね一致しているところであるが、本件における問題は、その際に被告人らに恐喝と評価されるべき行為が存在したかどうかである。
Eの責任に関して、E自身は、八月一日の本件協定書の調印に同席した時点で、自分は名義を貸すだけで今回の一連のことは分からないと明確に言っていたなどと証言している(二三丁)が、契約締結の時点で契約当事者として表示される者がそのようなことを述べること自体が一般的には不自然といわざるを得ない上、Eが本件会社の取締役というDの名刺を作成して同人に交付していたり、本件協定書に自ら手書きで条項を書き加えたりしていたこと(七六丁等)、本件当日に責任を追及された際、Eが、自分は協定書調印の時点で名前を貸すだけで責任は負わない旨を明言したではないかなどといった反論をしたような形跡は、被告人らの公判供述はもとよりFの証言によっても全くうかがわれないこと(F証言二六五丁等参照)などに照らしても、Eの右証言部分はにわかに採用し難い。そして、関係証拠によれば、本件当日のEは、自分には損害賠償に応ずるような資力はないと述べていたこと(E一〇六丁、F二七七丁等)、Dに対する不満を述べる趣旨の発言もあったこと(E一三一丁等)、被告人らに会社まで取立てに来られたり会社の売掛金の回収のために取引先を回られたりすることを強く恐れたため、B野からB山に移動する際にも自ら帰ろうとしたりはしなかったこと(E証言一〇六、一一〇、一一三丁等)などの事情が認められる。その他、Dには、医療施設がらみの詐欺事件で有罪判決を受けたことのある人物との関係などに不明瞭な点があり、これまでに自身で社会福祉法人の運営に現実に従事したことはない等の事情が、Fにも、もともと本件譲渡交渉において買主側として前面に立って話を進めていたのは同人であり、Dとの関係等に不明瞭な点があるほか、Aらに対して三九〇万円の仲介手数料を支払う旨の約定書(弁八)を書いていたことなどの事情がそれぞれ認められる。要するに、本件においては、被害者とされる側にもいささか理解に苦しむ事情が存することがうかがわれるのであって、これを無視することはできない。
検察官は、C川会に法人組織としての実体がなかったことを指摘し、また、本件協定書が無効なものであるとして種々論難しているが、以上のような本件の事実関係に照らせば、本件協定書の存在が関係者の間で一定の意味を持つものとして受け止められていたことは否定し難く、Eらにとって、本件のC川会の譲渡話の頓挫による責任の追及をかわすという、虚偽の恐喝被害を届け出る動機が存したという弁護人らの主張も、これを一概に排斥することはできない。
4 小括
以上のとおり、本件におけるE及びFの証言には、その信用性に疑問を抱かざるを得ない点が多々見受けられるのであって、両名が場所を変えながら長時間にわたり繰り返し同じような内容の文言を言われ続けたことから、細部にわたる記憶が混乱するのはやむを得ない旨の検察官の主張や、両名が直ちに警察に被害届をしていることなどを考慮しても、その信用性はやはり低いといわざるを得ない。
七 被告人らの供述の信用性等
他方において、恐喝行為の存在を否定する被告人三名の供述及びGの供述についても、これを仔細に検討すると、供述者間における齟齬や、捜査段階と公判段階における供述の変遷、内容的に不自然な点の存在などが指摘できることは、検察官も指摘するとおりである。とりわけ、本件当日のB山において、八月四日の福島における評議員会について、実際には準備不足のため開催されなかったのに、あたかもEらが来なかったために少なからぬ損害が生じたかのように述べてEらの責任を追及する材料としていること、Bは、当日現地に赴いたかどうかという記憶違いが生ずることが考え難い事実について、公判中にその供述内容を変遷させていること、B山における話し合いの状況として被告人らが供述する内容は、EやFがなお本件売買の交渉継続を望んでいたとする等、Eらが現実に直後に本件被害を届け出ているという関係証拠上明らかな事実を説明し難い点が存すること等は軽視し難い問題点であり、B山における話し合いにおいて、被告人らの側が、(それぞれがどこまでC川会にまつわる問題点を認識した上で本件に関わっていたのかはともかくとして、)根拠に疑問のある損害金の支払に応じさせることを目論んでいたのではないかと疑われるところである。
このような場合に権利行使の方法として相当といえるためには、請求の根拠となる権利の確実性、相手方の態度の誠実性、請求する際の言動の相当性などの事情を総合的に考慮する必要があるものと解される。本件においては、既に詳述したとおり、恐喝行為を構成する脅迫文言に係るE及びFの供述の信用性に少なからぬ疑問があり、被告人らがそれ自体で脅迫と評されるような発言をしたとまでは認め難いこと、被告人らが請求の根拠とした協定書が当然無効のものとはいい難いこと、E、F、Dらの側にも、通常の契約における健全な買主とは同視し難い事情がうかがわれることなどの事情があり、こうした事情に照らすと、被告人らの請求が権利行使の相当性を欠く恐喝行為に当たると解するのは困難である。
以上のとおり、被告人らの供述に現れた疑問点や問題点を考慮しても、公訴事実記載のような恐喝行為がなされたと認めるには、やはり合理的な疑いが残るといわざるを得ない。
八 結論
以上に検討したとおり、結局本件公訴事実については犯罪の証明がないことに帰するから、刑事訴訟法三三六条により各被告人に対し無罪の言渡しをする。
(裁判長裁判官 池田修 裁判官 上田哲 鈴木わかな)