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東京地方裁判所 平成11年(行ウ)4号 判決 1999年8月09日

原告

甲野一郎

右訴訟代理人弁護士

千田實

被告

立川労働基準監督署長天野純

右指定代理人

加藤裕

廣戸芳彦

岡澤龍一郎

越野達郎

海老根雄司

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告が原告に対して平成六年三月二日付けでした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償一時金及び葬祭料を支給しない旨の決定を取り消す。

第二事案の概要

一  本件は、事業主の命令により、発電所用制御盤の現地試験調整のため、長期出張中であった甲野太郎(以下「太郎」という。)が、同じ現場で働いていた者の送別会に出席し飲酒して宿舎に帰った後行方不明となり、四日後に近くの川で溺死しているのが発見されたことにつき、同人の父である原告が、太郎の死亡は業務に起因するものであると主張して、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づき、被告に対して遺族補償一時金及び葬祭料の支給を請求したが、平成六年三月二日付けでこれを支給しない旨の処分(以下「本件処分」という。)を受けたため、その取消しを求めた事案である。

二  前提となる事実(証拠により認定した事実については証拠を掲げた。その余は、当事者間に争いがない。)

1  太郎(昭和四四年八月五日生)は、平成二年一〇月一日、東芝エンジニアリング株式会社(以下「会社」という。)に雇用され(<証拠略>)、ボイラー、タービン、発電機の制御盤の改造及び試験等の業務に従事していた。

2  太郎は、会社から、平成三年一〇月三一日付け業務出張指示書に基づき、福島県双葉郡広野町<以下略>所在の東京電力株式会社広野火力発電所(以下「広野発電所」という。)の四号機のタービン、ボイラー、発電機の制御盤の現地試験調整のため、平成三年一一月四日から平成四年四月一五日までの予定で出張を命じられ、同年一一月四日現地に着任し、会社の従業員である斉藤行秀(以下「斉藤」という。)が既に宿泊先としていた同町<以下略>所在のドライブイン旅館慶州の一室を食事付きで宿舎として借り(以下「宿舎」という。)、そこから広野発電所に通勤していた(<証拠略>)。

3  太郎は、平成四年三月一九日、同じ現場で働いていた納入業者の作業員が現地から引き揚げるため、同日午後六時三〇分ころから飲食店「喰いしん坊」で開かれた送別会(以下「本件会合」という。)に出席した。

本件会合は、午後一〇時三〇分ころ終了し、太郎は、斉藤に送られて午後一一時までには宿舎に帰り、宿舎入口で同人と別れたが、その後午後一一時過ぎより行方不明となった。

4  同月二三日午後二時三四分、手分けをして太郎を探していた同僚らが、宿舎から一五〇メートル離れた福島県双葉郡広野町大字上北迫字松葉地内の北迫川の中に太郎が全裸で倒れて死亡しているのを発見して届け出た(<証拠略>)。

司法解剖の結果、太郎の死因は、溺水による窒息死であり、解剖時の血中アルコール濃度は、一ミリリットル中二・二ミリグラムであった。

太郎は、当時二二歳で、会社が実施した平成三年六月四日の健康診断では異常は認められなかった。

5  原告は、太郎の実父であり、その遺族となり、葬祭を行った者である。

原告は、平成四年八月二七日、被告に対し、太郎の溺水による窒息死(以下「本件災害」という。)は、業務に起因したものであるとして、労災保険法に基づく遺族補償一時金及び葬祭料の支給を請求したが、被告は、平成六年三月二日付けで、本件災害は、業務上の災害とは認められないとの理由で本件処分をした。原告は、本件処分を不服として、平成六年四月二二日、東京労働者災害補償保険審査官に対し審査請求をしたが(<証拠略>)、同審査官は、平成八年一一月二五日、審査請求を棄却する旨の決定をした。原告は、さらに右決定を不服として、平成九年一月一八日、労働保険審査会へ再審査請求をしたが、同審査会は、平成一〇年九月二八日、再審査請求を棄却する旨の裁決をし、同年一〇月一七日に裁決書の謄本が原告に送達された。

三  争点

本件災害の業務起因性の有無

四  争点に関する当事者の主張

1  原告

本件災害は、次のとおり、業務に起因するものである。

(一) 太郎は会社の命令により長期出張中で、太郎の主張先における行為は、その過程全般が事業主の支配下にある上、本件会合も同じ現場で働いていた者の送別会で太郎の上司等全員が参加していたものであるから、私的な送別会ではなく、業務行為と見られるものであり、これに参加したことも会社の指示命令に従ったものである。したがって、本件災害の発生は業務に起因したものといえる。

(二) 平成四年三月一九日深夜から二〇日早朝にかけての太郎の行動は、正常な精神状態の者の行動とは考えられず、太郎は精神的に異常を来していたものである。

太郎の精神状態に異常をもたらす原因としては、本件会合における飲酒による影響が考えられるが、解剖結果における血中アルコール濃度は、一ミリリットル中二・二ミリグラムであり、酒酔いの状態としては、第二度(軽度)にすぎないのであり、酒酔いが原因とは考えられない。その程度の飲酒であれば、未だ雪の残る寒冷な時期に、深夜全裸で徘徊すれば一瞬のうちに酔いが醒め、正気に戻ることは経験則上極めて明白であり、しかも、海岸で育ち、商船高等学校を卒業した太郎が、深さ三八センチメートルの川で溺死することはあり得ない。

一方、太郎は、会社入社後、平成三年一〇月まで実習教育を受け、同月二日から姉ヶ崎火力発電所で業務に従事し、同年一一月四日から広野発電所での業務に従事したもので、実務に就いてから行方不明になるまでは五か月半に過ぎず、平成四年一月から行方不明となった同年三月一九日までの間の労働時間数は別紙一覧表<1>記載のとおりで、そのうち同年三月の作業時間は別紙一覧表<2>記載のとおりであって、午前七時一五分に宿舎を出発し、八時より作業開始となり、業務が終了するのは、概ね午後一〇時三〇分から午後一一時三〇分という過重なものであった。右作業時間に、宿舎と作業現場への往復時間並びに洗面、入浴、食事及び用便等の時間を加えれば、太郎の睡眠時間は平均五時間前後となるが、その作業内容は電気試験で精神的集中力を要求されるものであったため、精神的疲労が睡眠不足のせいで十分に解消されないまま蓄積されていったものである。

したがって、太郎が前記のような精神的に異常と思える行動に及んだ原因は、会社が太郎に前記内容の過重労働を強いたため、精神異常を来し、又は太郎において極度の疲労が蓄積されていた状況で飲酒したことにより病的酩酊を起こし、本件災害に至ったものであり、本件災害は、業務災害に該当する。

2  被告

(一) 太郎は、広野発電所における勤務終了後、有志主催の本件会合に出席して飲酒し、宿舎に帰った後、入浴中に何らかの理由で全裸のまま屋外に出て、その後溺死しているのが発見されたというもので、本件災害は太郎の勤務中に発生したものではない。また、本件災害は太郎の出張中に生じたものであるが、太郎は、平成三年一一月四日から行方不明となる同四年三月一九日まで約四か月半の長期にわたり継続して宿舎で起居し日常生活を送っており、宿舎は居所としての性格を有していたといえるから、太郎の出張の全過程につき業務遂行性を認めることはできず、太郎の広野発電所での行為以外の行為には業務遂行性が失われているというのが相当である。

仮に、太郎の宿舎に居所としての性格が認められないとしても、本件災害に至る太郎の行動は、宿舎で入浴後、そのまま全裸で外出し、本件災害に至ったというもので、その経過に犯罪に巻き込まれた形跡等もなく、太郎の行動は全くの私的行為であって、業務遂行性は認められない。

(二) 原告は、太郎が精神的に異常を来していたと主張するが、精神異常といっても様々な種類があり、太郎が医学的に見て精神異常を来していた事実はない。太郎が意識障害を起こしていたとすれば、その原因は、太郎の血中及び尿中からエタノールが検出されていること、また、他に意識障害を生じさせる原因が認められないことから、本件会合における飲酒によるものと推定するのが合理的であり、太郎の異常行動は、アルコールによる意識障害であって、過重労働が原因でないことは明らかである。

そして、本件会合における飲酒により、太郎が酩酊して異常な行動をとったとしても、本件会合は有志主催の会費制で参加も任意であり、業務と密接に関連する行事ともいえず、私的な行為であったというべきである。また、本件会合に業務性があったとしても、太郎は、他者から飲酒を強要されたものではなく、本来、会合においてどの程度の飲酒をするかは個人の判断と責任において決すべき事柄であるといえるから飲酒自体は私的な行為であって、太郎が本件会合における飲酒により精神的に異常を来し、その結果本件災害に至ったとしても本件災害の発生に業務起因性を認めることはできない。

第三争点に対する判断

一  証拠によれば、以下の各事実が認められる。

1  太郎が、会社から広野発電所への出張を命じられ、同年一一月四日に現地に着任した当時の作業の進行状況は、ボイラー据付け、タービン据付けが完了し、電気関係については発電機の据付けが終了し、各種機器間の配線が終わり、ループ試験及び各装置の組合せ試験を開始する時期であった(<証拠略>)。

会社は、ボイラー等各機器の試験調整の仕事を完成させるため、斉藤を電気関係取りまとめ責任者とし、その下に一〇名の担当者を配置していたが、太郎は、ボイラー関係のグループヘッド武山京司(以下「武山」という。)の下で、ボイラー関係試験の試験員(補助)の業務に従事していた(<証拠略>)。

2  会社従業員の広野発電所における業務は、午前八時から発電所敷地内にある東芝作業所で朝礼、グループミーティング、体操等を行った後、午前八時四五分から発電所作業現場でさらにツールボックスミーティングを行い、午前九時から試験業務を開始し、午前一〇時から一五分、一二時から午後一時まで一時間、午後三時から一五分、その後午後八時まで適宜一〇分間程度の休憩を取り、午後八時以降、東芝作業所に戻り、当日の試験結果のまとめと、翌日の作業のチェックをして一日の作業が終了するのが原則であった(<証拠略>)。

3  太郎の平成四年三月の作業時間は、別紙一覧表<2>記載のとおりであり(<証拠略>)、一般業務と比較すると長時間にわたっているが、業務内容は、中央制御室からの指令に基づきリレー盤とコントロールセンター並びにボイラー建屋内設置の電動弁等が正常に作動するか否かの検査を行うもので担当部署以外の試験中は待機となり、朝から晩まで働きづめということではなかった(<証拠略>)。

太郎の直属の上司の武山は、広野発電所での業務は、楽な方ではなく、仕事の内容は配線に誤りがないかどうかチェックすることで神経を使うものであったが、給与支給額など良い面もあり、仕事もやりがいがあると認識していた状況であった(<証拠略>)。

4  太郎は、宿舎において普段朝食はとらず、朝はぎりぎりまで寝ており、週に半分程度は斉藤が声をかけて起床させていたが、昼休みには、キャッチボールやバトミントンを積極的に行っており、体調が悪いと訴えたこともなかった(<証拠略>)。

5  太郎は、平成四年三月一九日、通常どおり、午前七時半に発電所の東芝作業所に出勤し、午後五時まで作業に従事した(<証拠略>)。

6  本件会合は、会社従業員と一緒に仕事をしていた株式会社高岳製作所の従業員が現地から引き揚げることとなったため、会社従業員の高木弘志が幹事となって実施することになり、回覧を回して参加者を募った。参加は任意で、斉藤から会社従業員に対し会合を呼びかけたり参加を指示したことはなく、会社従業員のうち角鹿豊幸が欠席した他は参加し、高岳製作所からは三名が出席した。会費は、一人当たり五〇〇〇円を参加者から徴収して行われ、会社からの補助はなかった。(<証拠略>)

7  本件会合は、午後六時三〇分ころに参加者全員が揃い、高木が開会の挨拶をして始まった。「喰いしん坊」には、座敷とカウンター席があり、本件会合は座敷を利用して行っていたが、カウンター席に移動する者もいた。

太郎は、会合の途中からカウンター席に移動し、その右隣には高岳製作所の従業員の佐藤が座り、カウンターの内側に武山が立っていたところ、太郎と佐藤が口論を始めたため、武山が仲裁に入り、いったんは収まったものの、再びけんかとなり、佐藤が太郎に殴りかかりそうになったため、武山が間に入りけんかを止めた。その際、太郎は、コップを手で払って割り、手にけがをして出血していたため、武山と調理場で傷を洗い絆創膏を貼ったが、太郎が悔し泣きをしたので、武山が慰めたところ、数分後に収まった。また、太郎は、本件会合では日本酒を飲んでいた。(<証拠略>)

8  本件会合は、午後一〇時三〇分ころ、閉会の挨拶なしに流れ解散で終了したが、太郎は、慶州まで斉藤に送られて帰り、慶州の旧館の手前で斉藤と別れた。その後斉藤が慶州の風呂に行ったところ、脱衣箱に太郎の作業服や血のついた下着が入れてあり、太郎の姿は見当たらなかったため、斉藤は、太郎がパジャマに着替えて脱いだ衣類を忘れていったものと考え、太郎の衣類を洗濯機に入れ就寝した。(<証拠略>)

9  翌日に斉藤が太郎の部屋に行ったところ太郎の姿が見当たらず、広野発電所内の作業所にも出勤していないため、同僚らで探し、三月二三日に、太郎を探していた同僚らが、太郎が死亡しているのを発見した(<証拠略>)。

司法解剖の結果、遺体発見当時、太郎は、死後経過約四日から五日位であると推定された。また、解剖時、左心血中には一ミリリットル中二・二ミリグラム、右心血中には一ミリリットル中二・〇ミリグラム、尿中には一ミリリットル中三・三ミリグラムのエタノールの含有が認められた(<証拠略>)。

富岡警察署の捜査結果によれば、宿舎の太郎の室内には異常は認められず、宿舎風呂場の脱衣箱内には、太郎の飲酒当時の衣類や下着が入っており、太郎は入浴したことが認められ、風呂場内外には血痕の付着が認められるものの、争った形跡は認められなかった。また、太郎は、一九日から二〇日の深夜にかけて国道六号線西側部分の歩行者用植込みのところに全裸姿でいるのを目撃された。また、遺体発見現場の川幅は、一二・七メートルで、両岸ともコンクリートの堰であり、太郎は、水深三八センチメートルの場所に、仰向けの状態で発見されたが、発見現場の上流四七・六〇メートル地点で南側の堆積土砂の川と接する部分が川の中にずり落ちていた箇所が発見された外は、周辺に不審な物や、争ったような形跡は認められなかった。(<証拠略>)

二  以上認定した事実及び前記前提となる事実により、本件災害の業務起因性につき以下に検討する。

1  労働者が出張中の場合には、特別の事情のない限り出張過程全般について使用者の支配下にあるものとして業務遂行性が認められるといえるが、本件においても、太郎は、会社の業務出張指示書に基づき出張を命ぜられて出張先で業務に従事していたものであるから、約四か月半継続して出張中の宿泊先として借りたドライブイン旅館の一室で起居していたからといって、広野発電所での行為以外の太郎の行為に業務遂行性が失われているということはできないというべきである。

ただし、出張中の行為であっても、積極的な私的行為等が行われた場合には、事業主の支配関係から脱したものとして業務遂行性は失われるといえる。

そこで、まず、本件会合への参加に業務遂行性が認められるかについてみるに、本件会合は、前記認定のとおり一緒に仕事をした他社の従業員を送別する趣旨で会社従業員の有志が企画し、回覧を回して任意で参加者を募り、広野発電所での勤務終了後に会費制で行われ、幹事が開会の挨拶をし、閉会も挨拶なしの流れ解散であったもので、このような本件会合の趣旨及び開催の経緯からすれば、本件会合への参加に業務遂行性があるとは認められない。

一方、本件災害時の太郎の血中アルコール濃度は、少なくとも解剖時の一ミリリットル中二・二ミリグラムはあったと認められるが、血中アルコール濃度が一ミリリットル当たり一・五ないし二・五ミリグラムの場合、酩酊度の分類では「中等度酩酊」に該当し、その症状としては、精神抑制がとれて、陽気、多弁となり、判断は鈍り、麻痺症状、運動失調による千鳥足、言語不明瞭、知覚鈍麻及び複視などが見られるとされている(<証拠略>、弁論の全趣旨)。

そして、太郎は、本件災害時の血中アルコール濃度が右のとおりであること及び本件会合でも他社従業員との口論の後悔し泣きするなど精神的抑制がとれて感情が昂進していた事実が認められることからすれば、本件会合での飲酒により中等度の酩酊状態となっていたものと認められ、その後入浴したことにより酔いが増幅され、自らの意思に基づき全裸のまま外出し、知覚鈍麻の状態で宿舎付近を徘徊するうちに、体勢を崩すなどして、川に滑り落ち、運動失調の状態からそのまま溺死するに至ったものと認められる。

したがって、本件災害は、太郎の業務とは関連のない、自己の意思に基づく私的行為により、自ら招来した事故によるものであって、業務起因性は否定されるというべきである。

2  原告は、太郎が過重な労働により、精神異常を来していたものであり、本件災害と業務との間に相当因果関係が存在する旨主張するが、本件全証拠によるも、太郎が精神障害を生じていた事実を認めることはできず、他に本件記録上、太郎が過重業務により精神疾患に罹患して本件災害に至った事実を認めるに足りる証拠はない。

また、原告は、太郎が過重な業務により、極度の疲労が蓄積された状態にあったため、業務行為としての本件会合に出席して飲酒したことにより病的酩酊となって異常な行動に及び、本件災害に至ったので本件災害の業務起因性が認められると主張する。

しかし、本件会合への参加が業務行為と認められないことは前記のとおりであり、また、原告主張の、疲労が蓄積した状態で飲酒したことにより、病的酩酊状態となって本件災害が発生したとの事実については、これを認めるに足りる証拠はない。

3  したがって、本件災害は、太郎の私的な飲酒行為による酩酊状態の下で、太郎自らの行為により発生したものというほかなく、業務起因性を認めることはできず、業務上の事由による死亡に該当しないとして被告がした本件処分は適法である。

三  以上によれば、原告の請求は理由がないから、主文のとおり判決する。

(裁判官 矢尾和子)

(別紙) 一覧表<1>

<省略>

(別紙) 一覧表<2>

<省略>

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