東京地方裁判所 平成12年(ワ)10922号 判決 2001年11月30日
原告
深谷英明
ほか二名
被告
山口義一
主文
一 被告は、原告深谷英明に対し金一四七七万六六九一円、原告深谷光正に対し金一四七七万六六九一円、原告深谷浩司に対し金一四七七万六六九一円及びこれらの各金員に対する平成一一年五月一九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、これを一〇分し、その七を被告の、その余を原告らの負担とする。
四 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
被告は、原告深谷英明に対し金二〇七一万四六二三円、原告深谷光正に対し金二〇七一万四六二三円、原告深谷浩司に対し金二〇七一万四六二三円及びこれらの各金員に対する平成一一年五月一九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
一 争いのない事実及び容易に認定し得る事実
(一) 事故の発生(甲二、弁論の全趣旨)
ア 日時 平成一一年五月一七日午後一〇時二五分ころ
イ 場所 東京都板橋区志村三丁目二五番一二号先道路(以下「本件道路」という。)上
ウ 被告車 被告が保有し、運転していた普通貨物自動車
エ 事故態様 深谷武士(昭和一〇年一〇月六日生。当時六三歳。以下「武士」という。)が本件道路上に設置された横断歩道上を青信号に従って横断していたところ、本件道路上を走行してきた被告車が武士に衝突した(以下「本件事故」という。)。
(二) 本件事故の結果
武士は、本件事故によって平成一一年五月一八日に死亡した(甲一)。
(三) 原告らと武士の関係
深谷惠美(以下「惠美」という。)は武士の妻であり、武士が死亡した後である平成一二年一二月一日に死亡した(甲二九)。原告深谷英明(以下「原告英明」という。)、原告深谷光正(以下「原告光正」という。)及び原告深谷浩司(以下「原告浩司」という。)はいずれも武士と惠美の子である(甲二九)。
(四) 損害の填補
武士の治療費三五万五九九〇円は既に被告が支払っている。
惠美は遺族厚生年金二三八万三九四七円を受給している(乙一二の一、二、乙一六の一から五)。
二 争点
本件の争点は治療費を除く損害額の算定である。
(一) 原告らの主張
ア 武士の損害
(ア) 葬儀費用(請求額 一二〇万円)
(イ) 逸失利益(請求額 二四八九万一〇六九円)
武士の逸失利益は、以下のとおり、稼働に係る逸失利益と年金受給に係る逸失利益の合計額となる。
(稼働に係る逸失利益)
武士は本件事故当時無職であったが、池袋公共職業安定所で求職者登録をしており、生活費、マンション購入によるローンの返済のために収入を得る必要があったこと、武士が健康で勤労意欲があり、手取一二万円程度得られるならばどこでもいいと述べていたこと、二七七万円余の預金しか有していなかったこと、などからすると、武士が再就職により賃金を得られる蓋然性は高かったというべきである。
東京都の地域別最低賃金である日額五五五九円、一月当たり二三日稼働するとして算定した一五三万四二八四円(五五五九円×二三(日)×一二(月))を基礎収入とし、生活費控除率を四〇パーセント、稼働可能期間を九年(平均余命の半分。ライプニッツ係数七・一〇七八)とすると、以下のとおりとなる。
一五三万四二八四円×(一-〇・四)×七・一〇七八=六五四万三二三〇円
(年金受給権に係る逸失利益)
武士の受給していた老齢厚生年金が年額二六一万六〇〇〇円であり、生活費控除率を四〇パーセント、武士の同年齢の男子の平均余命が一八年(ライプニッツ係数一一・六八九五)であることからすると、以下のとおりである。
二六一万六〇〇〇円×(一-〇・四)×一一・六八九五=一八三四万七八三九円
(ウ) 慰謝料(請求額 三〇〇〇万円)
(エ) 合計 五六〇九万一〇六九円
イ 惠美の損害賠償請求額
(ア) 武士からの相続分 二八〇四万五五三四円
(イ) 惠美の固有の慰謝料 (請求額 二〇〇万円)
(ウ) 合計 三〇〇四万五五三四円
ウ 原告ら各自の損害賠償請求額
(ア) 武士からの相続分 各九三四万八五一一円
(イ) 惠美からの相続分 各一〇〇一万五一七八円
(ウ) 原告ら固有の慰謝料 (請求額 各一〇〇万円)
(エ) 小計 各二〇三六万三六八九円
(オ) 弁護士費用 (請求額 各三五万〇九三四円。合計額一〇五万二八〇二円となる。)
(カ) 合計 各二〇七一万四六二三円
(二) 被告の主張
ア 原告らの主張する損害額はいずれも否認する。
イ 武士の逸失利益について
(ア) 本件事故当時無職であった武士には就労しようという積極的意思も就労し得たであろう客観的な可能性も認められない以上、本件事故日以降に再び就労し又は就労し得たであろう蓋然性はほとんどないというべきであるから、武士には稼働に係る逸失利益は認められない。
仮に再就職による逸失利益を認めるとしても生活費控除率は六〇パーセントを下回らない。
(イ) 老齢厚生年金の受給権には逸失利益性は認められない。
仮に老齢厚生年金について逸失利益性を肯定するとしても、それは、武士の老齢厚生年金の基本額(二三六万五九〇〇円)にのみ当てはまるのであって、惠美の加給年金額(二六万五五〇〇円)には逸失利益性は認められない。
また、惠美が受給した遺族厚生年金二三八万三九四七円は惠美の相続する損害賠償請求額から控除されるべきである。
ウ 慰謝料について
武士の慰謝料としては二〇〇〇万円が相当である。
惠美及び原告らの固有の慰謝料は認められない。
第三当裁判所の判断
一 葬儀費用 一二〇万円
武士の葬儀に要した費用のうち、原告の請求に係る一二〇万円は本件事故と相当因果関係がある損害と認められる。
二 逸失利益 二〇四六万四〇二〇円
(一) 稼働に係る逸失利益
ア 無職者に稼働に係る逸失利益が認められる場合
稼働に係る逸失利益は、被害者が事故に遭遇したために死亡し、又は、身体に後遺障害が残存した場合、事故に遭遇しなければ被害者が稼働能力を発揮し、その対価として得られたはずである稼働収入を意味し、被害者が事故に遭遇したときに無職者である場合であっても、被害者が将来稼働の機会を得る蓋然性が認められる場合には当然に算定されるべき損害賠償費目であるということができる。
無職者である被害者が将来稼働する機会を得る蓋然性があるか否かについては、被害者の主観的な就労の意思のみならず、被害者の年齢、健康状態、経歴、前職を離職した経緯、無職の期間の長短、無職の理由、資格や特技、資産、家計の収支内容、家族構成や他の家族構成員の収入の有無等の諸事情を総合的に考慮して認定していくことになる。
イ 武士に稼働に係る逸失利益を認めることができるか
(ア) 本件事故当時の武士について
前示認定事実、甲八、一一、一三、一四、二七、二八、三〇、三三の一、二、甲三五の一から三、乙一四の一、二、乙一五の一から五、乙一九、原告英明本人尋問の結果、弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
a 武士の健康状態
本件事故当時における武士(当時六三歳)の健康状態には、特に異常があったとは認められない。
b 武士の職歴
武士は、平成七年一〇月三一日に富士ダイカスト工業株式会社を定年退職し、その後同社の嘱託社員として三年二月間勤務し、平成一〇年一二月二八日退職した。本件事故当時無職であったが、離職してから本件事故に遭遇するまで未だ半年も経過していない。
在職中は機械の鋳型に関連するオペレーターとして稼働していたようであるが、その詳細は不明である。
c 武士の家族
武士の家族は妻惠美と原告ら三名であるが、同居家族は惠美、原告英明、同光正であった。原告英明及び同光正はいずれも社会人として収入を得ている。
武士の住居は、平成一〇年五月一〇日に原告英明と共同して購入した、原告英明の肩書住所地のマンション(共有持分は原告英明が一〇分の九、武士が一〇分の一)である。
d 武士の家計の収支状況
武士の家族の家計は原告英明からの支払われる毎月三万円の生活費の他は、武士の収入、すなわち、池袋公共職業安定所に失業認定申告をして得られる求職者給付である基本手当(日額六三一〇円)、老齢厚生年金(平成一一年四月から基本額二三六万五九〇〇円、配偶者である惠美分の加給年金額二六万五五〇〇円、年額合計二六三万一四〇〇円)によって賄われていた。
同家計からの支出は、家族の食費等の生活費、公共料金の支払のほか、マンション購入のために原告英明と連帯して借り入れた購入資金(総額三五九〇万円)の毎月のローン返済額のうちの自己負担分七万円(その余の金額は原告英明が負担)、腹壁腫瘍を患う惠美の入通院治療費、諸経費等の治療関係費などであった。
e 武士の資産
武士の資産は、前示のマンションの共有持分の他は二七七万〇〇九四円の預金債権のみであった。
f 武士の就労の意思
武士は、原告英明に、手取りで月額一二万円程度の収入のある会社に就職したいと漏らしていたことがある。
(イ) 当裁判所の判断
a 稼働に係る逸失利益を認めることの合理性
武士は本件事故当時無職であった。しかし、武士が前職を離職してから本件事故に遭遇するまでの期間が前示のとおり半年に満たず、公共職業安定所に就労の意思を示した上で得られる求職者給付たる基本手当の受給期間中であったこと、原告英明、同光正が独立した収入を得ていたとしても武士はそれらを家計への収入として期待していなかったことのほか、前示の家計収支の状況や前示の預金額に照らすと、同受給期間を経過して基本手当が得られなくなった場合、武士が再就職して収入を得なければならない緊要性は高かったと考えられ、本件事故当時無職であるからといって将来も就労の意思を有せず、基本手当の受給期間(平成一一年一月一九日から三〇〇日間。乙一五の二、乙一八の一から四、乙一九)が経過してもなお無職であり続けるであろうと考えるのは相当ではない。むしろ、武士が就業を開始せず基本手当を受給する無職の状態にあったのは、武士は前示のとおり就労に対する意欲を有し、同手当額を上回る好条件の再就職先を求めていたものの、その機会に恵まれなかったからであると考えるのが自然であり、前示基本手当の受給期間が経過した後には、たとえ、同手当額を下回る収入額であったとしても、前示の就労の緊要性から、東京都立高年齢者技術専門校等の公的施設で再就職に必要な技術、技能を修得したり(甲二〇)、パート就職も含めた多様な働き方を選択肢の一つとしたりする(甲二三、二四)などして、比較的早い時期に何らかの稼働の機会を得て就業を開始したであろうと考えるのが実情に沿っており、武士が本件事故に遭遇しなければ、武士は将来何らかの稼働の機会を得て収入を得る蓋然性が高いと考えるのが合理的である。
b 基礎収入と稼働可能期間
以上によれば、武士の稼働に係る逸失利益を算定するための基礎収入を設定するに当たっては、基本手当に満たない合理的な金額として、原告らの主張に係る東京都の地域別最低賃金である日額五五五九円(甲三二)をもって算定するのが相当であり、一月当たりの稼働日数としては、年金収入を補完する位置づけとなると予想されること、武士が高齢者であり、パート労働の可能性もあることも考慮すると、二〇日とするのが相当である。すると、基礎収入は年額一三三万四一六〇円(五五五九円×二〇×一二)となる。
また、稼働可能期間の始期については、武士には再就職の緊要性があるものの、武士が前示の預金額を保持していたこと、基本手当受給期間終了後もなお職業訓練や職業情報収集を経るなどして、再就職先での採用に至るまでに一定程度の猶予期間を要するであろうことを考慮し、本件事故時から一年程度の期間を経過した時(武士の年齢は六四歳)をもって稼働可能期間の始期とするのが相当である。
また、稼働可能期間の終期については、東京都立労働研究所が六〇歳台の再就職希望者を対象として行った稼働終了時期に係る希望年齢の調査結果である平均年齢六九・六歳に近い七〇歳とするのが相当である(甲二三)。
(二) 年金受給権に係る逸失利益
武士は、本件事故当時老齢厚生年金(基本額(二三六万五九〇〇円)に惠美の加給年金額(二六万五五〇〇円)を加えた金額である。乙一四の一、二)を受給しており、このうち、基本額部分については、その逸失利益性が認められるから、これをもとに武士の逸失利益を算定することとする。
また、生活費控除率は、同年金額が比較的高額であることを考慮し、稼働に係る逸失利益の算定期間中も含めて四〇パーセントとし、算定期間は平均余命である一八年間(八一歳まで)として算定する。
(三) まとめ(逸失利益の算定式)
ア 六四歳までの一年間(一年のライプニッツ係数〇・九五二)
二三六万五九〇〇円×(一-〇・四)×〇・九五二=一三五万一四〇二円
イ 六四歳から七〇歳までの六年間(七年のライプニッツ係数五・七八六)(一三三万四一六〇円十二三六万五九〇〇円)×(一-〇・四)×(五・七八六-〇・九五二)=三七〇万〇〇六〇円×〇・六×四・八三四=一〇七三万一六五四円
ウ 七〇歳から八一歳までの一一年間(一八年のライプニッツ係数一一・六九)
二三六万五九〇〇円×(一-〇・四)×(一一・六九-五・七八六)=二三六万五九〇〇円×〇・六×五・九〇四=八三八万〇九六四円
エ 合計額 二〇四六万四〇二〇円
三 慰謝料 二四〇〇万〇〇〇〇円
武士の年齢、家族構成のほか、本件事故に何らの落ち度のない武士が深刻な病状にある妻を残して突然死亡したこと等を総合的に斟酌した。
四 小計(武士固有の損害) 四五六六万四〇二〇円
五 惠美の相続分 二二八三万二〇一〇円
六 惠美の遺族厚生年金既受領分(二三八万三九四七円)控除後の金額 二〇四四万八〇六三円
七 惠美の固有の慰謝料 認めない
病身の惠美が伴侶の武士を突然失ったことで深い心痛を受けたことは想像に難くないが、この点は武士自身の慰謝料の斟酌事情として考慮した。
八 小計(惠美固有の損害) 二〇四四万八〇六三円
九 武士からの相続分 各七六一万〇六七〇円
一〇 惠美からの相続分 各六八一万六〇二一円
一一 原告ら固有の慰謝料 認めない
惠美と同様の理由による。
一二 小計(原告ら固有の損害) 各一四四二万六六九一円
一三 弁護士費用 各三五万〇〇〇〇円
本件訴訟の難易度や被告代理人の訴訟追行に対応した的確な訴訟活動、前示の損害賠償認容額を考慮すると、原告らの請求に係る弁護士費用(一万円未満は切り捨て)は相当な損害として認められる。
一四 合計(弁護士費用を含む原告ら固有の損害) 各一四七七万六六九一円
一五 結論
よって、原告らの請求は、被告に対し、それぞれ金一四七七万六六九一円及びこれらの各金員に対する平成一一年五月一九日(本件事故日)から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容する(仮執行免脱宣言の申立ては相当でないので認めない。)。
(裁判官 渡邉和義)