東京地方裁判所 平成12年(ワ)15518号 判決 2004年2月26日
原告
X
被告
Y
主文
一 被告は、原告に対し、三〇七万五二三八円及びこれに対する平成八年九月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを三〇分し、その二九を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。
四 この判決の一項は仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
被告は、原告に対し、一億〇九三八万二六八六円及びこれに対する平成八年九月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、原告が、後記一(1)の交通事故(以下「本件事故」という。)により負傷し、後遺障害が残ったとして、加害車両の保有者兼運転者である被告に対し、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条及び民法七〇九条に基づき損害賠償を請求した事案である。
本件の主要な争点は、本件事故による原告の後遺障害の有無・程度及び原告の損害額である。
一 争いのない事実等(証拠により認定した事実は、括弧内に証拠を掲記した。)
(1) 本件事故の発生
ア 日時 平成八年九月二〇日午後三時三〇分ころ
イ 場所 茨城県龍ヶ崎市<以下省略>先路上(以下「本件事故現場」という。)
ウ 加害車両 自家用普通乗用自動車(<番号省略>)
同運転者 被告
エ 被害車両 自家用普通乗用自動車(<番号省略>)
同運転者 原告(昭和○年○月○日生、本件事故当時四八歳)
オ 事故態様 本件事故現場の信号機により交通整理の行われていない丁字路交差点(以下「本件交差点」という。)に、加害車両が右折進入した際、加害車両の前部と進入先道路の被害車両の前部が衝突した。
(2) 責任原因
被告は、加害車両を所有し、かつ自己のために運転の用に供していたものであるから、自賠法三条に基づき、また、被告には本件交差点に右折進入する際に進行方向の安全の確認を怠った過失があるから、民法七〇九条に基づき、原告に生じた損害を賠償する責任がある。
(3) 原告の入通院経過
原告は、本件事故後、症状固定の診断を受けるまでの間、以下のとおり入通院した。
ア 医療法人社団真拓会内田病院(元・内田胃腸科外科病院。以下「内田病院」という。)
平成八年九月二一日から平成九年二月六日まで通院(実通院日数一〇六日)
診断病名:頸椎捻挫、腰椎挫傷(甲二の一ないし五、乙四)
イ 矢吹整形外科クリニック(以下「矢吹整形外科」という。)
平成九年二月七日から同年三月一二日まで通院(実通院日数六日)
平成九年五月七日から平成一一年六月八日まで通院(実通院日数六〇日)
診断病名:頸椎捻挫、頸髄不全損傷、腰椎捻挫、頸部脊柱管狭窄症、頸椎症性脊椎症、不眠症、右股関節部腱周囲炎、変形性腰椎症、不整脈、更年期障害、甲状腺機能亢進症(疑)(甲二の六・一〇、乙五)
ウ 宗仁会第一病院(以下「宗仁会病院」という。)
平成九年二月一二日通院
診断病名:頸椎捻挫(甲二の七、乙六)
エ 医療法人慶友会守谷慶友病院(以下「守谷慶友病院」という。)
平成九年二月二七日、同年三月一二日通院(実通院日数二日)
診断病名:貧血、頸椎症脊髄症、外傷性頸髄損傷、外傷性腰部神経根症、外傷性腰椎椎間板ヘルニア(甲二の八・九、乙七)
同月一七日から同年五月三日まで入院(四八日間)
診断病名:外傷性頸髄損傷、外傷性腰部神経根症、外傷性腰椎椎間板ヘルニア(甲三、乙七)
なお、同年四月一二日にC三ないしC七椎弓拡大形成術及びL4/5椎弓部分切除術(以下「本件手術」という。)を受けた(乙七)。
(4) 症状固定の診断及び自動車保険料率算定会(現・損害保険料率算出機構。以下「自算会」という。)による後遺障害の認定
原告は、平成一一年六月八日、矢吹整形外科の医師A(以下「A医師」という。)により、同日に症状が固定した旨の診断を受けた(甲四)。
そして、同年八月二五日、自算会により、次のとおり、自賠法施行令二条別表(平成一三年政令第四一九号による改正前のもの)の後遺障害別等級表(以下、単に「後遺障害等級」という。)九級一〇号(神経系統の機能又は精神に障害を残し、服することができる労務が相当な程度に制限されるもの)、同一一級七号(脊柱に奇形を残すもの)に該当するとして、同併合八級の認定を受けた(乙一、二〇、弁論の全趣旨)。
ア 頸椎部の運動障害については、可動域が正常可動範囲のほぼ二分の一程度以下に制限されていないため、自賠責保険上の後遺障害には該当しない。
イ 頸髄不全損傷に伴い、第三ないし第七頸椎の五椎体について椎弓拡大形成術が施行されていることから、脊柱に変形を残すものとして後遺障害等級一一級七号に該当する。
ウ 前記イの椎弓拡大形成術が施行され、手術後においても上下肢の明白な知覚障害、階段や坂道等での軽度の歩行障害、後頸部痛及び背部痛等を残していることから、服することのできる労務が相当な程度に制限されているものとして後遺障害等級九級一〇号に該当する。
二 争点及び当事者の主張
(1) 本件事故による原告の後遺障害の有無・程度
(原告の主張)
原告は、本件事故により外傷性頸髄損傷、外傷性腰部神経根症、外傷性腰部椎間板ヘルニアの傷害を受けた。その後、原告は、平成一一年六月八日に症状が固定し、その旨の診断を受けたが、頸椎の運動制限、後頭部痛、背部痛、腰痛、両上肢・下肢の痛みやしびれ、握力の低下、両上肢の痛覚脱失等の後遺障害が残り、現在も、洋服等の着替え、用便、飲食は一人で行うことができず、第三者による介護を必要とする状態にある。しかも、これらの症状については緩解の見込みなしと診断されており、生涯にわたって障害が残ることが予想される。また、今後治療を続けなくては症状が悪化することが予想され、現状を維持するためには今後も通院治療が必要である。
原告のこのような症状にかんがみると、原告の後遺障害の程度は、後遺障害等級二級三号(神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し、随時介護を要するもの)に該当するというべきである。
原告の前記症状は、いずれも本件事故前には全く発現しておらず、本件事故によって傷害を被った部位に関するものであるから、本件事故との間に相当因果関係があることは明らかである。
(被告の主張)
症状固定とは、傷病に対して行われる医学上一般に承認された治療方法をもってしてもその効果が期待し得ない状態であって、かつ残存する症状が自然的経過によって到達すると認められる最終の状態に達したときをいうところ、ここにいう医学上一般に承認された治療方法とは、その手技自体のみならずその手技によった場合にもたらされる治療効果が当該症状にとって一般的に有効適切であることが必要とされる。一方において、手術治療がどのような場合にも必要とされるわけではなく、かえって、肉体的侵襲が激しく患者に重い負担をかけるという手術治療の性質からすれば、手術治療が合理的であるとされるためには、手術を行うことによる具体的な治療効果が相当な蓋然性をもって見込めるような場合であることが必要であり、そのような場合でなければ医学上一般に承認された治療手段には当たらないというべきである。
脊髄症の手術治療の場合、その治療効果が見込めるか否かの重要な判定基準として脊髄症治療成績判断基準案がある。これは、個別の医師の主観を排して客観的な判断を確保するものであるところ、A医師はこのような客観的な基準との照合を怠り、経過観察を行って慎重に判断することもなく初診時にいきなり手術を決定している。そして、A医師の判断の結果行われた本件手術には有意な効果が認められなかった。
したがって、本件手術は無益であったから、その前に原告の症状は固定していたというべきであり、その時期は、平成九年三月末日と判断するのが妥当である。仮にA医師による本件手術が治療として正しかったとしても、原告は平成九年五月にしびれは変わらない旨訴え、その後も従前と変わらない症状を繰り返し訴えていることからすると、遅くとも本件手術から六か月以上経過した同年一一月末日には原告の症状は固定していたというべきである。
原告の後遺障害の程度については、脊柱の変形は本来不要であった本件手術によって生じたものであるから、本件事故による後遺障害とはいえないし、階段や坂道等での軽度の歩行障害は上下肢の明らかな知覚障害がなければ服することのできる労務が制限されるほどの後遺障害にはならなかったはずであるところ、上下肢の明らかな知覚障害は本件手術前には見られなかったものであるから、結局、局部の頑固な神経症状として後遺障害等級一二級一二号が相当である。また、原告には介護の必要性はない。
仮に、自算会における後遺障害の認定を前提にするとしても、原告の後遺障害は脊椎の変形(後遺障害等級一一級七号)と神経機能障害による相当程度の労務制限(同九級一〇号)の併合八級にすぎないところ、脊椎の変形は労働能力喪失の程度に影響しないというべきであるから、後遺障害等級九級相当とすべきである。また、原告には脊柱管狭窄、後縦靭帯骨化などの素因があり、それが原告の症状の発症に寄与しているというべきであるから、少なくとも五割の素因減額を行うべきであるし、原告の現在の症状が本件手術後も平行線をたどるか又は悪化しているというのであれば、それはまさに原告本人の特異な心因反応の結果と見るべきであるから、心因性減額として三割の過失相殺を行うべきである。
(2) 原告の損害額
(原告の主張)
ア 入院治療費 三一八万二五二八円
原告は、本件事故により、守谷慶友病院に入院し、その治療費として三一八万二五二八円を要した。
イ 通院治療費 一一九万八八三〇円
原告は、本件事故により、通院治療費として次のとおり一一九万八八三〇円を要した。
(ア) 内田病院 八七万一二五〇円
(イ) 矢吹整形外科 一八万三五二〇円
(ウ) 宗仁会病院 六万一七二〇円
(エ) 守谷慶友病院 八万二三四〇円
ウ 診断書料 一万〇八五〇円
エ コルセット代 二万三〇七二円
オ 薬代 九万五一〇〇円
カ 入院雑費 六万二四〇〇円
原告は、本件事故により前記のとおり守谷慶友病院に四八日間入院したところ、入院雑費は一日一三〇〇円が相当であるから、合計六万二四〇〇円となる。
キ 付添看護費 五〇〇万三〇〇〇円
原告は、前記の後遺障害により、洋服等の着替え、用便、飲食については一人で行うことができず、第三者の看護を必要とする状態にあった。そのため、原告の夫が本件事故日から症状固定日までの間、入院期間はもちろん、自宅療養期間についても、原告の付添看護に当たってきた。付添看護費は、入院期間中は一日六〇〇〇円が、自宅療養期間中は一日五〇〇〇円がそれぞれ相当であるから、入院期間四八日間と症状固定日までの自宅療養期間九四三日間の付添看護費の合計は五〇〇万三〇〇〇円となる。
ク 症状固定後の治療費 二二六万九六二四円
原告は、前記のように、今後も治療を続けなければ症状が悪化するおそれがあり、症状固定以降も治療の必要性が認められるべきである。
原告は、症状固定後から平成一一年一二月末日までの間に治療費として合計七万〇九一〇円を支払った。そのうち、同年七月から同年一二月までの半年間に支払った治療費は合計六万七一四〇円であり、一か月平均一万一一九〇円であることからすると、一年分は一三万四二八〇円となり、平成一二年から五一歳の平均余命期間である三五年間の治療費としては二一九万八七一四円が相当である。
したがって、既払の七万〇九一〇円と平成一二年以降の治療費二一九万八七一四円の合計は二二六万九六二四円となる。
ケ 症状固定後の介護費 二九八八万二七三三円
原告は、前記のとおり生涯にわたり原告の夫による介護が必要である。介護費は一日五〇〇〇円、一年一八二万五〇〇〇円が相当であるから、平均余命期間である三五年間の症状固定後の介護費は、合計二九八八万二七三三円となる。
コ 休業損害 九八七万六六〇五円
原告は、キリシマデリカ株式会社に勤務していたところ、本件事故により、本件事故日から症状固定日までの九九一日間休業を余儀なくされた。原告の休業損害を算定するに当たっての基礎収入は、少なくとも平成九年賃金センサス第一巻第一表の産業計・企業規模計・学歴計の女性労働者五〇歳から五四歳までの平均年収である三六三万七七〇〇円によるべきであるから、前記休業期間の休業損害は九八七万六六〇五円となる。
サ 傷害慰謝料 四〇〇万〇〇〇〇円
シ 後遺障害逸失利益 四一〇一万一四三〇円
前記のように、原告の後遺障害は後遺障害等級二級三号に該当し、労働能力を一〇〇%喪失したものであるところ、基礎収入は前記コの休業損害と同様であるから、症状固定日から六七歳までの一七年間の後遺障害逸失利益は、四一〇一万一四三〇円となる。
ス 後遺障害慰謝料 二六〇〇万〇〇〇〇円
セ アないしスの小計 一億二二六一万六一七二円
ソ 損害の填補後の残額 九九三八万二六八六円
被告から 一五〇四万三四八六円
被告の自賠責保険会社から 八一九万〇〇〇〇円
タ 弁護士費用 一〇〇〇万〇〇〇〇円
チ 合計 一億〇九三八万二六八六円
(被告の認否・主張等)
ア 前記ア(入院治療費)・イ(通院治療費)の額は認めるが、本件事故との相当因果関係は争う。
イ 前記エ(コルセット代)は、認める。
ウ 前記カ(入院雑費)は、額を争う。
エ 前記キ(付添看護費)は、必要性を争う。原告の入通院した病院は基準看護の病院であり、看護師以外に第三者の付添いが要請されることは原則としてないところ、原告の症状はせいぜい後遺障害等級一二級一二号に該当する軽度の神経症状にすぎない上、カルテ上家族の付添いを医師が要請したとか実際に家族が付添看護をしていたとも認められない。
オ 前記ク(症状固定後の治療費)及びケ(症状固定後の介護費)は、必要性を争う。
カ 前記コ(休業損害)は、基礎収入及び期間を争う。基礎収入は賃金センサスの全年齢平均賃金とすべきである。
キ 前記サ(傷害慰謝料)は、額を争う。
ク 前記シ(後遺障害逸失利益)は、本件事故との相当因果関係、基礎収入及び労働能力喪失率を争う。前記のとおり、原告の後遺障害の程度はせいぜい後遺障害等級一二級一二号(労働能力喪失率一四%)にとどまる。
なお、基礎収入は賃金センサスの全年齢平均賃金とすべきである。
ケ 前記ス(後遺障害慰謝料)は、必要性及び額を争う。
コ 損害の填補額については、被告からの既払額は一六二四万三四八六円であり、自賠責保険会社からの八一九万円を含む既払額の合計は二四四三万三四八六円となる。
サ 前記タ(弁護士費用)は額を争う。
第三争点に対する判断
一 認定事実
(1) 本件事故の態様等
前記争いのない事実等、証拠(甲一六ないし一八、二二、二五、三二、乙三、証人B、原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、本件事故の態様等について、以下の事実が認められる。
ア 本件事故現場は、取手市方面と土浦市方面とを南北に結ぶ片側一車線の国道六号線(以下、単に「国道」という。)に、茎崎町方面(西)に向かう市道(以下、単に「市道」という。)が接続した丁字路交差点(以下「本件交差点」という。)である。国道は一車線の幅員が三・五m、西側の歩道の幅員が一・三m、東側の路側帯の幅員が一・〇mで、全体の幅員が九・三mである。市道は、本件交差点の手前では橋上を通り、橋上の幅員は六・〇mであるが、橋の東端から国道に接続する本件交差点部分は市道が扇状に拡幅しており、橋から国道に向けて緩い下り坂となっている(甲一六の交通事故現場見取図、甲一八の各写真)。橋の東端(本件交差点の手前)には、一時停止の標識と停止線が設けられている。
イ 被告は、加害車両を運転し、国道を取手市方面(南)に向かう車線を時速約八〇kmで走行していた。被告は、本件交差点の手前に差し掛かり、本件交差点を右折して市道に進入しようと考えたが、同車線が渋滞していたため、反対車線(土浦市方面〔北〕に向かう車線)に進入して走行した上、時速約五〇kmないし六〇kmの速度で本件交差点に右折進入した。
他方、原告は、被害車両を運転して、市道を茎崎町方面(西)から本件交差点に向けて走行し、橋の東端の停止線の手前で停止した。
前記のとおり本件交差点に右折進入した加害車両は、停止している被害車両の右前下部に同車両の下方から入力するような状態で衝突した。なお、原告は、衝突まで加害車両に気付がなかった。
ウ 衝突の際、原告は、被害車両が下から持ち上げられた直後、落ちるような感じがした。衝突の直後、原告は被害車両から降りたが、その場に長く立っていることができなかった。
エ 本件事故により、被害車両のフロントバンパーの一部が大きく変形したほか、右フロントサイドメンバー先端、クーラーコンデンサの下部も変形した。被害車両の修理費用は一五万七三五三円(消費税相当額を含む。)であった。
(2) 原告の治療経過等
前記争いのない事実等、証拠(甲二の一ないし一〇、三、四、二二、二五、三一、三二、乙四ないし七、一〇、一四、証人B、証人C、原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、原告の治療経過等について、以下の事実が認められる(主な証拠は括弧内に掲記した。)。
ア 内田病院での治療経過等(甲三一、三二、乙四、二二、原告本人)
(ア) 原告は、本件事故直後、何かふわふわした感じがすると思っていたが、Bの運転する車両に乗って警察署まで行き、警察署における事情聴取が終わったのが午後六時ころだったこともあって、その日は病院には行かなかった。しかし、翌日の平成八年九月二一日になっても頭がふらふらしていたため、Bに連れられて内田病院を受診し、D医師に対し、右僧帽筋の痛み、頭重感(頭痛はない)、右下肢全体のしびれを訴えた。頸椎の運動制限と頸椎棘突起全体に圧痛があり、ジャクソンテスト・スパーリングテストを行うことはできなかった。上肢腱反射は正常であったが左側はやや亢進していた。腰椎の運動制限が少しあり、腸腰筋の緊張があった。下肢伸展挙上テスト・坐骨神経伸展テストは陰性で、膝蓋腱及びアキレス腱の反射はいずれも正常ないしは低下していた。頸椎の四方向及び腰椎の四方向からX線検査を行ったところ、正面からは側彎、側面からは後彎があり、椎体全体に変形が認められた。原告は、弾性包帯による頸部の固定、湿布、腰椎用ベルト、痛み止め等の薬を処方されたほか、点滴(痛み止め等。以下同様)を受けた。同月二二日、同月二三日にも通院し、点滴を受けた。
(イ) 原告は、平成八年九月二四日、通院して、両下肢の重圧感を訴え、上殿筋に軽度の緊張が認められた。原告は、頸椎・腰椎牽引及び低周波治療等の理学療法を受け、同月二六日、同月二七日、同月二九日ないし同年一〇月一日、同月三日、同月四日にも通院して、理学療法と点滴を受けた。
(ウ) 原告は、平成八年一〇月五日、起床してトイレに行こうとしたところ、下半身の感覚がなく自力では立ち上がれず腰も伸ばせなかった。同日通院し、腰痛、腰椎の運動制限、運動時痛が強くあったため、理学療法・点滴のほかに、硬膜外ブロック注射を受け、痛みはあるが歩けるようになったものの、平衡感覚がおかしく、真っ直ぐに歩けなかった。原告は、同月六日ないし八日、同月一一日ないし一五日、同月一七日にも通院し、理学療法と点滴を受けた。
(エ) 原告は、平成八年一〇月一八日、腰痛のほか、頸部痛の軽度の悪化、左鎖骨上神経筋痛、左後頭神経痛があり、理学療法と点滴のほか、肩甲上神経ブロック注射・硬膜外ブロック注射を受けた。その後同月一九日から平成九年一月一〇日までの間に六六日通院し、理学療法と点滴を受けたほか、平成八年一〇月二五日には肩甲上神経ブロック注射・硬膜外ブロック注射、同年一二月一六日には肩甲上神経ブロック注射、同年一一月一〇日、同月一八日、同月二五日、同年一二月二日、同月九日、同月一三日、同月二七日及び同月二九日には硬膜外ブロック注射も受けた。
この間の原告の症状は、頸部痛が増強し、頸部の運動制限及び僧帽筋緊張がある、頸椎棘突起の圧痛はない(同年一二月二日)、腰痛、腰椎運動時痛、後屈の際の疼痛、左下肢の重圧感及び腸腰筋の圧痛がある(同月九日)、頸部痛は軽快し、僧帽筋は全体に柔らかである、後頭神経に圧痛がある(同月一三日)、僧帽筋痛及び僧帽筋の緊張がある(同月一六日)、掃除の際頸部痛があった、左手指にしびれ及び痙性がある(同月二七日)などというもので、日により程度の差はあるものの、硬膜外ブロック注射等を受けて少し症状が軽減してはまた悪化し同注射等を受けるという状態であった。
(オ) 原告は、平成九年一月一一日通院し、頸部痛は軽快傾向にあったものの、頸部の運動痛があり、理学療法と点滴のほか、頸部硬膜外ブロック注射を受けた。原告が内田病院においてブロック注射と点滴を受けたのは、これが最後であった。なお、内田病院の診療録(乙四)の前日(同月一〇日)の欄には、「保険会社来院」との記載がある。
その後、原告は、同月一二日から同年二月六日までの間に一七日通院し、理学療法を受けた。
このころ、D医師は、原告に設備等が整っている病院で診察を受けさせた方がよいと考え、原告に対し、東京医大霞ヶ浦病院か美保中央病院への転医を勧めた。原告は、自宅からの距離等から両病院への転医には消極的で、評判が良いと聞いていた矢吹整形外科に転医することにした。
(カ) 原告は、後記のとおり矢吹整形外科を受診した後である平成九年二月二八日、内田病院を訪れ、D医師に対して、矢吹整形外科に転医し、同外科から手術を勧められた旨説明した(なお、乙二二には、同日、被告の付保先である保険会社が依頼した調査会社の担当者が、D医師に面談し、同医師から、内田医院では転医を勧めていないなどと聞いた旨の記載があるが、前記(オ)の認定に沿うD医師作成の陳述書〔甲三一〕に照らし、採用することができない。)。
イ 矢吹整形外科での治療経過等(本件手術前。甲二の六、乙五、六、一〇)
(ア) 原告は、平成九年二月七日、矢吹整形外科を受診し、本件事故後、当初は腰が痛く、後頸部痛もあった、本件事故から一〇日くらいしたら歩くのもつらくなった、内田病院に通院し、頸・腰に六回ずつブロック注射を打った旨説明した。同日の原告の症状は、後頸部から後頭部にかけての痛み、右肩から肘にかけての痛み、左上肢全体の痛み・しびれ、腰痛があり、頸部の可動域はほぼ十分であったが、伸展・斜伸展は不十分で、スパーリングテスト・ジャクソンテストはいずれも陰性であった。腰椎は硬直があり、伸展・斜伸展は不十分で、屈曲は三分の二、下肢伸展の挙上は自由であった。上肢の知覚は正常で、徒手筋力テスト(左・橈骨手骨伸筋以下)の結果は三であった。反射は、二頭筋反射が左右とも亢進、橈骨反射が左右とも亢進、三頭筋反射が左右とも低下、ワルテンベルク徴候・トレムナー徴候・ホフマン徴候はいずれも左右ともなし、膝蓋腱反射は左右とも亢進、アキレス腱反射は左右とも軽度の亢進、アキレス腱クローヌスは左右とも二回ずつあった。
X線撮影の結果は、頸椎の脊椎管径は一三mmであり、C四に後縦靭帯骨化症が、C3/4に角形成があり、腰椎には脊椎症が認められた。
A医師は、原告に対して、頸椎椎弓拡大形成術を行うことにした。
(イ) 原告は、平成九年二月一二日、宗仁会病院においてMRI撮影を行った結果、明確な脊柱管狭窄が認められた。
(ウ) A医師作成の平成九年三月一七日を診断日とする診断書(同年七月九日付け。甲二の六)は、傷病名を頸椎捻挫・頸髄不全損傷・腰椎捻挫とし、「症状の経過・治療の内容および今後の見通し」を「当院初診時、後頸部痛、後頭部痛、左上肢(右上肢の誤記と考えられる。)の痛み、左上肢の痛み・しびれ、腰痛があり、四肢腱反射亢進、左C六~C八領域の筋力低下(MMT〔三〕)が認められ、X―Pで頸部脊柱管狭窄、C3/4角状後彎があり、神経症状改善のため手術適応ありと認めた」とし、後遺障害の有無は、未定としている。
ウ 守谷慶友病院での治療経過等(乙七、原告本人)
(ア) 原告は、手術を受ける目的でA医師から守谷慶友病院の紹介を受け、平成九年二月二七日、同病院を受診した。同月二八日の診断では、両肩痛、両前腕痛・しびれ、腰痛、左母趾・第二趾しびれがあり、外傷性頸髄損傷・外傷性腰部神経根症と診断され、同年三月一七日入院、同月二九日手術予定とされた。
(イ) 原告は、平成九年三月一七日、守谷慶友病院に入院した。当時、原告は、一人で歩くことはできたが、何歩か歩くとふらっとして壁につかまるような状態であった。その後同月二〇日までの原告の症状がうかがわれる看護記録の記載は、頸部痛、腰痛、左手背のしびれ、左肘関節痛があり、ものをつかむのができない(同日)、左肘関節痛は同様、頸・腰痛、しびれがある(同月一八日)、左肘・頸・腰痛がある(同月一九日)、左肘から下にかけてのしびれあり、握力は左が弱い、頸部・腰部の痛み変わらず、左上肢のしびれと右肩のしびれがあり、腰痛もある、下肢のしびれはなく、動きはOK(同月二〇日)などというものである。
(ウ) 平成九年三月二一日の診察では、ミエログラフィ(脊髄造影)の結果、頸椎については、全体に同等の脊柱管狭窄、後縦靭帯骨化、腰椎については、L4/5に左傍正中膨出があり、椎間板ヘルニアと診断された。主訴は、両肩痛、左前腕痛・しびれ、右前腕痛・しびれ(右前腕よりも左前腕の痛み・しびれの方が強い。)、腰痛、左第二趾のしびれであった。
肩こり、屈曲制限があり、ジャクソンテスト・スパーリングテストはいずれも両側とも陰性、ホフマン徴候・トレムナー徴候・ワルテンベルク徴候はいずれも陰性、三角筋反射は右が正常、左が消失、二頭筋反射は右が正常、左がやや亢進、腕橈骨反射は両側ともやや亢進、三頭筋反射は両側とも正常、膝蓋腱反射は両側ともやや減弱、アキレス腱反射は両側ともやや減弱、足クローヌスは両側ともなかった。
上肢については、手首のMMTが、伸展が右五・左四、屈曲が右五・左四、左C五~C七領域の痛覚が低下しているが触覚は正常であった。
腰椎については、硬直があり、指床間距離は一〇cm、運動時痛があり、指鼻テストはいずれも陰性、ヴァレー圧痛点は左が陽性、下肢伸展挙上テストは、内転が左右とも八〇度+、外転と中間位が左右とも九〇度-、MMTが五、左L五/S一領域の痛覚、触覚がともに低下していた。
手術は、頸椎椎弓拡大形成術及び腰椎椎弓部分切除術が予定された。
(エ) その後本件手術前までの原告の症状がうかがわれる看護記録の記載は、腰・頸・肘の痛みは変わらない、左肘から手先にかけてのしびれ・痛みがあり、左下肢のしびれはかなり低下、首・腰の痛みはあるが自制内、歩行時にくらくらするような感じがある、頭重感はない、しびれは同様(平成九年三月二二日)、ふらつきはない、左肘から手先にかけてのしびれ、頸・腰の痛みは変わらずある(同月二三日)、首・腰・左上肢の痛みは変わらず(同月二四日、同月二五日)、頸部痛は自制内、左上肢にしびれはあるが増強はしていない(同月二九日)、頸部痛、左上肢痛かなり増強(同月三〇日)、頸・腰・左肘痛が相変わらず(同月三一日)、頸・腰・両肘痛があるが歩行はOK(同年四月一日)、頸・腰・両肘の痛み、左上肢のしびれがある(同月二日)、頸・腰・肘痛は自制内、頸部痛があり、頭重感はかなり増強(同月三日)、頸部に重い感じあり(同月四日)、頸部から頭部にかけての痛みは変わらず(同月五日)、左上肢に痛みがあるが自制内、しびれはなし(同月八日)、頸部・腰部・肘の痛みが相変わらず(同月一〇日)などというものであり、多少の症状の軽減・増悪はあるものの、基本的に腰・頸・両肘の痛み、左上肢の痛み等は持続していたといえる。
なお、原告が風邪を引いたために、同年三月二九日に予定されていた手術は延期となった。
(オ) 原告は、平成九年四月一二日、本件手術(C三ないしC七椎弓拡大形成術及びL四/五椎弓部分切除術)を受けた。手術記録には次の記載がある。
a 術後診断:腰椎椎間板ヘルニア(L4/5左)・頸椎症性脊髄症
b 術式:ラブ法(L4/5左)については、左ラブ法、左傍正中タイプの突出ヘルニア全核切開術施行、術中トラブルなし。頸椎椎弓拡大形成術(C三~C七)については、後方正中切開にて、頸椎二弓を展開、C三ないしC七棘突起を切り離し、椎弓を正中で切開、幅二五mmの溝を削り椎弓を拡大、硬膜のうの圧排認められ、拡大操作にて膨隆を認めた。棘突起を椎弓間に挟み込み、矢吹式椎弓形成術とした。
(カ) その後退院までの原告の症状がうかがわれる看護記録の記載は、両上肢のしびれはない、左上肢の重い感じはあるがしびれはない、四肢のしびれはなく、動きもOK、左上肢の重い感じも消失した(平成九年四月一三日)、しびれはない、痛みはあるが自制内、術前の左手が離れなかったのが離れるようになった(同月一四日)、しびれはない、両肩に張り感がある、腰・頸部の創痛は自制内、左肘の痛みがなくなった(同月一五日)、両肩に張り感がある、腰痛もあり、左肘の痛みは手術前にあったものが手術後はない(同月一六日)、背部から両肩の張り感があり、しびれの出現はなく、時々眩暈がある、ふらつきはない、両肩の張り感はやや軽減するが腰痛は変わらず、手術前より左第三趾のしびれが続いている(同月一七日)、左第一趾のみしびれがある、動きはOK、背部から両肩の張り感があり、しびれの出現はなく、時々眩暈があり、ふらつきはない(同月一九日)、左第一趾のしびれ変わらず(同月二〇日)、左第二趾のしびれがあるが増強なし(同月二二日)、左第二趾のしびれは持続、左肘部痛軽減、左第一趾のしびれがあることは変わらず(同月二三日)、痛みなし、左第二趾のしびれは変わらず(同月二五日)、左第二趾のしびれは変わらず(同月二六日ないし同月三〇日)、手術前は左前腕の尺側、鎖骨、頭の痛みがあったが、鎖骨部の痛みがとれた、しびれは変わらない(同年五月二日)などというものである。
(キ) 原告は、平成九年五月三日退院し、矢吹整形外科へ後療法のため転院した。
エ 矢吹整形外科での治療経過等(本件手術後。甲二の一〇、乙五)
(ア) 原告は、平成九年五月七日、同月一四日、同月二一日、同年六月四日及び同月一八日に通院し、痛み止め・筋弛緩薬等が処方された(以下の通院日も同様。)。
(イ) 平成九年六月三〇日を診断日とするA医師作成の診断書(同年七月九日付け。甲二の一〇)は、傷病名を頸椎捻挫・頸髄不全損傷・腰椎捻挫とし、「症状の経過・治療の内容および今後の見通し」を、同年「四月一七日慶友病院で手術、退院後、五月七日より当院で後療法、両上肢の痛み・しびれ、左手の脱力ともに改善している」としている。
なお、同年七月二日のX線撮影の結果は、配列良であった。
(ウ) 原告は、その後、平成九年七月一六日から平成一一年六月七日までの間に、五三日通院した。その間の原告の症状に関する診療録(乙五)の主な記載は、頸部痛が軽減した(平成九年七月三〇日)、後頸部痛、後頭部痛がある(同年八月一一日)、右手がふるえる(同月二七日)、(項部痛に)変化はない(同年九月一〇日、同年一〇月八日、同月二二日)、左下肢のしびれに変化はなく、項部痛は軽減した(同年一一月五日)、しびれ、痛みとも軽減したが、右股に関節痛がある(同月一九日)、項部痛は軽減したが、両側の肘に痛みがある(平成一〇年一月七日)、頸部痛がある(同月二一日)、しびれに軽度の増強と軽減があり、左後頭部痛がある(同年二月四日)、後頭部痛、両側肘痛、左股関節の外側痛、腰痛がある(同月一八日)、左肘痛がある(同年三月四日)、項部痛、肘痛、左足のしびれがある(同年四月一六日)、左下肢痛がある(同月三〇日)、同年五月五日から一週間頭痛が強く、左足の痛みもある(同月一四日)、症状に変化は見られない(同月二八日)、項部痛が軽減した(同年六月一一日)、項部痛が軽減し、両前腕から手にかけてしびれが強く、両肘痛がある(同月二五日)、両上肢のしびれに変化はなく、腰痛、左足(第五腰椎領域)のしびれ、両肘痛がある(同年九月三日)、強い知覚異常がある(同年一〇月一六日)、ロンベルク徴候が陽性で、よろめくことがあった(同年一二月一一日)、症状に変化は見られない(同月二四日)、ロンベルク徴候が陽性である(平成一一年一月七日)、症状に変化は見られず、左手の知覚異常・痛みがある(同月二一日)、症状に著変は見られない(同年二月四日)、強い知覚異常がある(同月一八日)、後頭部痛がある(同年三月四日)、症状に変化は見られない(同月一八日)、知覚異常に変化はない(同年四月一五日)、左肘痛があり、知覚異常に変化はない(同月二八日)、知覚異常性の痛みがあり、両下肢に冷感がある(同年五月一三日)、症状に著変は見られない(同月二七日、同年六月七日)などというものである。
なお、原告は、平成一一年春ころ、呂律が回らなくなるなど、言語障害が見られるようになった。
(エ) A医師は、平成一一年六月八日、原告の症状が固定したと判断した。同日付け後遺障害診断書(甲四)の記載は、次のとおりである。
a 傷病名:頸椎捻挫・頸髄不全損傷・腰椎捻挫
b 自覚症状:後頸部痛、後頭部痛、背部痛、腰痛、両上肢の痛み・しびれ、両下肢の痛み・しびれ・冷感
c 精神・神経の障害、他覚症状及び検査結果:頸椎運動制限・運動痛あり、両上肢C八領域にほぼ痛覚脱失あり、両上肢筋力低下(C七、八支配領域、MMT〔三〕)、握力右一一kg、左一六kg、四肢腱反射軽度亢進
d 脊柱の障害:C三~C七椎弓拡大形成術施行
e 頸椎部の運動障害:前屈四〇度、後屈三〇度、右屈三〇度、左屈三〇度、右回旋六〇度、左回旋六〇度
f 緩解の見込み:なし
(オ) 原告は、その後、平成一一年六月二一日から平成一二年一一月二二日までの間に三四日通院したが、その間の症状は、ストレスがあると胸部に圧迫感があり、肩と背中のこりがひどい上に更年期障害がある(平成一一年六月一九日)、ワルテンベルク徴候が陽性であり、アキレス腱のクローヌスがそれぞれ二回ずつあった(同月二一日)、症状に変化は見られない(同年八月二日、同月一七日、同月三〇日、同年九月一六日、同月三〇日)、症状に著変は見られないが、指先の知覚異常がある(同年一一月一一日)、腰痛、筋痛があるほかは、症状に変化は見られない(同月二七日、同年一二月一〇日)、両手の痛み、知覚異常がある(同月二四日)などというもので、症状に特段の変化はなかった。
(3) 自算会からの照会に対するA医師の平成一一年七月二一日付け回答書(乙一〇)
A医師は、自算会からの照会に対し、次のとおり回答している。
ア 転院時及び椎弓拡大形成術直前の状況について
(ア) 具体的症状:後頸部から後頭部にかけての痛み、両上肢の痛み・しびれ・筋力低下、腰痛
(イ) 神経学的検査所見:四肢腱反射亢進、病的反射なし、両手C八領域の知覚鈍麻、左C六ないしC八支配領域のMMT〔三〕
(ウ) 画像所見:頸椎部脊柱管狭窄あり、C3/4角状後彎あり
イ 症状固定時の状況について
(ア) 脊髄症状の具体的程度
上肢運動機能・四(正常)
下肢運動機能・二(平地では杖又は支持を必要としないが階段ではこれらを要する)
知覚・上下肢とも〇(明白な知覚障害がある)、躯幹は一(軽度の知覚障害又はしびれ感がある)
膀胱・三(正常)
合計点は一〇点
(イ) 日常動作の具体的程度
歩行は一本杖で可能である。
立体保持、椅子から立ち上がる、床上から立ち上がる、物を持って歩く(二kg)、坂道の上り下り、床上の物を拾い上げる、しゃがんだ姿勢から立ち上がる、バス・自動車の乗降、ズボン・手袋・靴下・靴の着脱、スナップ・ボタンのかけはずし、水道栓の開閉、手ぬぐいを絞る、日本式便器の使用、浴槽への出入り、運筆、手紙を折りたたみ封筒に入れる、紙を切る、金槌で釘を打つ等の行為は、時間をかければ可能である。
手すりにつかまらない階段の昇降、自転車の乗降、紐の結びほどき、針に糸を通す等の行為は不可能である。
(4) 原告の現症状について
ア 東京厚生年金病院整形外科医師E(以下「E医師」という。)作成の二〇〇二(平成一四)年二月一六日付け報告書(甲一一)には、同時点の原告の症状等について次の記載がある。
(ア) 自覚症状
眩暈症状が頻発しており、特に眼球運動時に失神発作様の眩暈がある。不安定で長距離歩行ができず、転倒恐怖を覚える。なめらかに話すことができない。ただし、これは時間的な揺れがある(時には流ちょう、時には非常にしゃべりにくい。)。
(イ) 日常生活動作(ADL)
更衣・食事・排泄・風呂については、時間がかかるが自立である。起立は上肢の補助を要する。直立継続時間は五分以内と短時間である。歩行は失調様でバランスが悪く、大きく側方に揺れる。階段昇降は手すりを用いて何とか昇降している。
(ウ) 脳・神経
嗅神経は、左側嗅覚は消失、左側はほとんど消失(これらの「左側」のいずれかが「右側」の誤記と考えられる。)している。視神経は、視野は左側で狭小、視力の低下があり眼鏡を要する。動眼、滑車、三叉、外転、顔面、舌咽、迷走、副、舌下の各神経は異常なし、聴神経は聴覚低下なし。四肢腱反射については、上肢は正常範囲、下肢はやや低下している。病的反射については、上下肢ともに認めず。クローヌスについては、膝蓋・アキレス腱ともに認めず。
(エ) 感覚
a 表在覚
触覚:上肢は左手はやや過敏、下肢は右側では膝以下、左側では大腿下1/3以下に鈍麻を認める。
痛覚:上下肢ともほぼ正常である。
b 深部覚
振動覚は、両側下肢で著明な低下を認める。
(オ) 筋力(MMT)
僧帽筋は、右四、左4-、三角筋は、右4、左4-、上腕二頭筋は、両側とも4+、握力は、右一一・五kg、左五・五kg
腸腰筋、大腿四頭筋、前脛骨筋のいずれも両側とも四
(カ) 失調を見るテスト
鼻指鼻試験、踵膝試験のいずれも稚拙である。Stewart-Holmes Phenomenonは陰性である。ロンベルク徴候は、閉眼時に直立姿勢の揺らぎが強まり陽性と判断した。開眼単脚直立(いわゆる片足立ち)は、左右ともに持続が一秒以下でほとんど不能であった。継ぎ足歩行は、両足を縦列しての起立も不能であった。
(キ) 診察所見のまとめ
a 移動・歩行障害
両足をそろえて直立起立姿勢を保つことは短時間のみ(五分以内)しかできず、片脚直立動作や継ぎ足歩行動作はほとんど不能である。水平床面上の通常歩行時においても身体の直立保持が困難で、歩容は失調様であり左右への揺れが大きく不安定である。階段は手すりを用いて何とか昇降している。すなわち、失調症状と高度のバランス障害を認め、移動時には転倒する危険性を常に伴っている。診察所見上、下肢深部知覚と触覚の鈍麻が明らかであり、これは脊髄障害のためと考えられ、失調様歩行とバランス障害の主因である可能性が高い。
筋力は上下肢ともに左右差、近遠位差の別なく全般に低下し、身体保持における不安定性に寄与している。頸髄の障害に基づく筋萎縮、及び活動性低下による廃用性筋萎縮が要因と考えられる。
b その他の症状
嗅覚低下や眩暈の症状については耳鼻科領域の精査を要すると考えられる。
イ 証拠(甲二五、三二、証人B、原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、原告の現症状は、次のとおりであると認められる。
両腕は肘から手の先にかけてしびれがあり、左の肘の辺りの部位についてはしびれよりも痛みが強い。
手に力が入らない。水道の蛇口をきちんと閉めることができない、ぞうきんを絞ることができない、本件事故前は両手でキーボードを見ない状態でタイピングができていたものが人差し指と中指のみで入力するようになった、定規で真っ直ぐに線を引くことができない、電気器具のスイッチを入れることができないことがある、針に糸を通すことができない、水を入れたコップを盆に載せて運ぶことはできるときとできないときがある、ブラジャーのホックの着脱ができない、紐を結ぶことができない、ペットボトルのふたを開けることができず、つかんでも意識しないうちに落としてしまう、等。
両手の指が、人差し指と中指、薬指と小指とがそれぞれくっつき、中指と薬指とが広く開いてしまっているような状態であることがある。
両足がしびれているが左足の方がしびれが強い。真っ直ぐ歩けず、右に行ってしまう。
しゃがんだ状態から自力で立ち上がることができない(何かにつかまればできる。)。ズボンの着脱は、立ったままではできず、座ったままで時間を掛けないとできない。
二 本件事故による原告の後遺障害の有無・程度(争点(1))について
(1) 原告は、本件事故により、外傷性脊髄損傷、外傷性腰部神経根症、外傷性腰部椎間板ヘルニアの傷害を負ったことを前提に、原告の後遺障害が後遺障害等級二級三号(神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し、随時介護を要するもの)に該当すると主張し、被告は、原告が本件事故により受けた傷害は、頸椎捻挫及び腰椎捻挫にすぎず、本件手術の適応はなく、本件手術前に原告の症状は固定していたもので、後遺障害等級はせいぜい一二級一二号(局部に頑固な神経症状を残すもの)であると主張する。
なお、原告が、自算会により、後遺障害等級九級一〇号(神経系統の機能又は精神に障害を残し、服することができる労務が相当な程度に制限されるもの)、同一一級七号(脊柱に奇形を残すもの)に該当するとして、同併合八級の認定を受けていることは、前記争いのない事実等(4)のとおりである。
(2) 原告の治療経過等は、前記一(2)の認定のとおりである。
すなわち、原告は、内田病院において、当初、右僧帽筋の痛み、頭重感、右下肢全体のしびれを訴え、頸椎の運動制限がかなりあり、頸椎棘突起全体に圧痛があった。その後も両下肢の重圧感、頸部痛、腰痛等を訴え、初診日である平成八年九月二一日から平成九年一月一一日までの間に八九日通院し、その間痛み止めを目的とする点滴をほぼ毎日ないし一日おきの頻度で受けたほか、一三日にわたってブロック注射を受けた。
原告は、同年二月六日まで内田病院に通院した後、矢吹整形外科に転院し、後頸部から後頭部にかけての痛み、右肩から肘にかけての痛み、左上肢全体の痛み・しびれ、腰痛を訴え、四肢腱反射亢進、左C六ないしC八領域の筋力低下(MMT三)が認められ、X線撮影の結果では、頸部に脊柱管狭窄、後縦靭帯骨化、C3/4に角状後彎があった。ミエログラフィの結果でも、頸椎について脊柱管狭窄、後縦靭帯骨化が、L4/5に左傍正中膨出、椎間板ヘルニアが認められた。原告は、守谷慶友病院に入院し、頸部痛、腰痛、左手背のしびれ、左肘の痛みを訴え、その後も頸部、腰部、左肘の痛み、両上肢のしびれ等が本件手術に至るまで継続した。本件手術においては、頸椎について硬膜のうの圧排、拡大操作にて膨隆が認められ、L4/5には椎間板ヘルニアが認められた。本件手術の直後は、左肘の痛み、両上肢のしびれはなくなったが腰痛は変わらずあり、ほかに背部から両肩に掛けての張り感があった。また、左足の第一趾ないし第三趾のしびれを訴えている。
そして、原告は、矢吹整形外科に後療法のため転院後、後頭部痛、左肘痛、股関節痛、腰痛、左下肢の痛み・しびれなどを訴え、その症状は増強と軽減を繰り返しながら推移していた。本件手術から一年くらい後、原告は、リハビリテーションのため歩行訓練を開始し、調子の良いときには一日に何kmも散歩をすることができるようになったが(甲三二)、平成一〇年一二月にロンベルク徴候が陽性となり、平成一一年春ころに言語障害の徴候が出始め、同年六月八日に症状固定の診断を受けるに至った。
(3)ア そこで、原告の後遺障害の有無・程度について検討するに、A医師は、原告について、前記のとおり、頸椎捻挫、腰椎捻挫のほか、頸髄不全損傷(前記一(2)イ(ウ)、エ(イ))、頸椎症性脊髄症、腰椎椎間板ヘルニア(前記一(2)ウ(オ))と診断し、E医師も、原告の下肢深部知覚と触覚の鈍麻について、脊髄障害のためと考えられ、失調様歩行とバランス障害の主因である可能性が高いと判断している(前記一(4)ア(キ))。
しかしながら、原告に脊髄損傷が発生したことを示す画像上の所見は認められない。そして、医師C(以下「C医師」という。)が、意見書(乙八の一)及び証人尋問において指摘するように、原告に脊髄損傷が生じたとみるには次のような疑問がある。
まず、原告は、第五頸髄髄節に由来する上腕二頭筋反射と第六頸髄髄節に由来する腕橈骨筋反射が左右とも亢進しているが、第七頸髄髄節に由来する上腕三頭筋反射は左右とも低下している(前記一(2)イ(ア))。しかしながら、一般に受傷後ある程度経過した脊髄損傷では、損傷した脊髄由来の反射は消失するが、損傷髄節以下に由来する反射は亢進し、病的反射の出現を認めるものであるところ、原告のように、上位随節由来の反射(上腕二頭筋反射、腕橈骨筋反射)が亢進しながら、下位の第七頸髄髄節由来の反射(上腕三頭筋反射)が亢進せずに低下しているのは、神経学的に合理的ではないといわざるを得ない(乙八の一、一二、証人C)。
そして、守谷慶友病院においては、原告の反射は、上腕二頭筋反射が右正常、左軽度亢進、腕橈骨筋反射が左右とも亢進、三頭筋反射が左右とも正常とされ(前記一(2)ウ(ウ))、前記の矢吹整形外科における反射とも異なっているところ、脊髄損傷は軽度の浮腫を除けば不可逆的なものであるから、原告の反射の所見はこの点においても合理的な説明が困難である(乙八の一、弁論の全趣旨)。
また、原告には、手指の病的反射が認められない。下肢の反射については、本件手術前に矢吹整形外科において足クローヌスが二回認められているものの(前記二(2)イ(ア))、二回程度であれば、脊髄損傷がない(器質的に錐体路の障害がない)場合にも出現するときがあり、他方、脊髄損傷がある場合に、一度出た足クローヌスがなくなるということは考えにくいが、本件手術前の守谷慶友病院においても、E医師の診察においても、原告に足クローヌスは認められていない(前記二(2)ウ(ウ)、(4)ア(ウ)、乙八の一、証人C)。
さらに、原告は、徒手筋力テスト(左橈骨筋手骨伸筋以下)が三であったが(前記一(2)イ(ア))、守谷慶友病院の看護記録(乙七)の平成九年三月一七日(入院当日)の欄には、「左肘関節の痛みがあり、ものをつかむのができないという」とあり、神経麻痺による筋力低下というよりは、痛みを誘発させないための防御行動である可能性が高いと考えられる(乙八の一)。
また、原告には、脊髄損傷患者に通常見られる(ただし、損傷の範囲や程度にもよる。証人C)膀胱直腸の障害をうかがわせるような症状も一切ない。
以上によれば、原告には脊髄損傷の他覚的所見が乏しいといわざるを得ず、本件事故により原告に脊髄損傷が生じたものと認定することはできず、他にこれを認定するに足りる証拠はない。したがって、前記のA医師の診断及びE医師の所見は、直ちに採用することができない。
イ しかしながら、原告には、本件事故前は、本件事故後に生じたような症状は全くなかったが(甲三二、原告本人)、本件事故後に、頸・腰・上肢の痛み・しびれ、左趾のしびれ等の症状が生じ、しかもそれが長期間継続し、現在も残存している。原告には、本件手術前に加齢性の変化によると考えられる頸椎の脊柱管狭窄、後縦靭帯骨化が認められたが、本件事故前にはそれによる具体的な症状はなかった。しかし、無症状であった加齢性の変性が、交通事故等の衝撃により発症することは十分考えられるところ(甲一四、弁論の全趣旨)、前記一(1)認定のとおり、本件事故は、加害車両が時速約五〇kmないし六〇kmの速度で本件交差点に右折進入し、停止している被害車両の右前下部に同車両の下方から入力するような(いわば下から突き上げるような)状態で衝突したものであり、加害車両の速度と衝突の状況を考慮すれば、被害車両の損傷の程度が比較的軽微であるとはいえ、原告に対する衝撃が軽微なものであったとはいえない。そして、C医師も、頸椎外傷があっても脊椎症が存在しなければこのように長期に及ぶ症状を発生しなかった可能性が高く、本件手術による明らかな効果が記録されていないのも、脊柱管狭窄の存在によって発生した症状が主体であったと考えれば、極めて理解しやすい旨指摘している(乙八の一)。また、腰椎については、本件手術前に椎間板ヘルニアが認められたところ、これも無症状であった加齢性の変性が、交通事故等の衝撃により悪化し、あるいは具体的症状を発生させた可能性が高いと考えられる。
以上を総合すると、本件事故による衝撃と原告の前記の加齢性の変性があいまって、原告の頸・腰・両上肢の痛み・しびれ、左趾のしびれ等を発症させたものと認めるのが相当である。
そして、前記二(2)認定の原告の治療経過等によれば、本件手術後の原告の前記の症状は(後記の言語障害等の症状を除く。)、平成九年一〇月ないし一一月ころ以降は、若干の増強と軽減はあるものの概ね変化はないといえるから、本件手術後に守谷慶友病院を退院してから約六か月を経過した同年一一月末日までには、症状の改善が見込めない症状固定の状態になったものと認めるのが相当である。
なお、原告には、そのほかに言語障害、右股関節痛、嗅覚の消失等の症状が認められるが、これらの症状は、本件手術から早くとも半年以上の期間が経過してから発症していることや、言語障害は脳や自律神経の障害による可能性が高いこと(証人C。なお、本件事故により原告が脳や自律神経の障害を負ったと認めるに足りる証拠はない。)などを考慮すると、本件事故と相当因果関係を有する症状であると認めることはできない。
ウ 次に、原告の後遺障害の程度について判断するに、原告の現症状は前記のとおりであるが、原告の症状が脊髄損傷によるものとは認められないことや、原告には、本件事故後相当期間が経過してから言語障害、嗅覚消失等の、脳や自立神経の障害あるいは他の何らかの原因によると考えられる新たな症状も出現していることなどを総合すると、本件事故と相当因果関係を有する原告の後遺障害としては、前記イの症状について、局部に頑固な神経症状を残すものとして後遺障害等級一二級一〇号の限度で認めた上、C三ないしC七椎弓拡大形成術による脊柱の変形は、脊柱に奇形を残すものとして同等級一一級七号に該当するから、これと前記の神経症状と併せて併合一〇級相当と認めるのが相当である。そして、同等級及び原告の後遺障害の内容等に照らせば、原告は症状固定時から就労可能終期である六七歳まで、労働能力を二七%喪失したものと認めるのが相当である。
(4)ア 原告は、原告の後遺障害が後遺障害等級二級三号(神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し、随時介護を要するもの)に該当すると主張するが、原告に前記認定の後遺障害等級を超える本件事故と相当因果関係のある後遺障害が生じたことを認めるに足りる証拠はない。
イ 他方、被告は、本件手術はそもそも必要性がなく、本件手術前に原告の症状は固定していたというべきであり、その時期は平成九年三月末日と判断するのが妥当であると主張する。そして、C医師は、意見書(乙八の一)において、原告の症状は、注射や薬剤療法と理学療法によって病状の増強・軽減を繰り返しながらも平成八年一一月二五日の時点では頸部痛も軽快し、平成九年一月一〇日以降はさらに軽快して、注射なども中止されるようになってきた旨指摘し、また、手術の前後で頸部脊椎症治療成績判定基準案といった客観的な基準による判断がなされていないので、手術適応の有無が判断できないなど手術適応があったのか疑わしいところ、本件事故による症状は、手術前の平成九年三月末日をもって固定したものと判断するのが合理的であるとしている。
しかしながら、内田医院における原告の治療経過、症状等は前記認定のとおりであり、原告が継続してブロック注射や点滴を受けていたことなどからして、初診時から平成九年一月まで相当程度強い痛みが継続していたものと推認され、同月上旬ころにそのような原告の症状が治まっていたものとは考えにくい。かえって、D医師は、そのころ、設備等が整っている病院で診察を受けた方がよいと判断し、原告に対し、転院を勧めており(甲三一)、さらに治療が継続されることが予定されていたのであるから、このことは、原告の症状が固定した状態になかったことをうかがわせる。そして、原告は、ブロック注射と点滴が中止された同月一二日以降も同年二月六日に至るまでほぼ一日おきに理学療法を受けており、また、原告が同月七日に矢吹整形外科を初めて受診した際には、後頸部から後頭部にかけての痛み、右肩から肘にかけての痛み、左上肢全体の痛み・しびれ、腰痛を訴えている。これらの事情を総合すれば、原告の症状が本件手術前に固定していたとはいえない。
また、C医師は、手術適応の有無の判断に前記基準案が用いられておらず、その判断ができないとするが(乙八の一)、A医師等が同基準案を用いていなかったことから、直ちに本件手術の適応がなかったことになるわけではない。
さらに、被告は、手術治療は肉体的侵襲が激しく患者に重い負担を強いるものであるから、極めて慎重な利益衡量により、手術を行うことによる具体的な治療効果が相当な蓋然性をもって見込めるような場合でなければ行われるべきではないなどと主張する。なるほど、手術適応についての判断が慎重であるべきことは医師の指針としてはそのとおりであると考えられる。しかしながら、前記のとおり、原告の症状は、本件事故による衝撃と加齢性の変性があいまって発症したものと認められるところ(A医師が診断した脊髄損傷が結果として認められないとしても)、本件事故によって発症した脊柱管狭窄や椎間板ヘルニアの具体的症状を除去・軽減するためになした本件手術の適応が否定されるわけではない。そして、原告は、本件手術直後には左肘の痛み、両上肢のしびれはなくなっており、左上肢痛、左肘のしびれが出現しているものの、矢吹整形外科の診療録(乙五)の平成九年六月四日の欄には「楽になってきた」との記載もあり、両上肢のしびれ・痛みについてはある程度改善していることがうかがわれる。また、頸部脊柱管狭窄症については、保存療法は一般的に無効であり、早期手術が望ましく、現在は椎弓形成による脊柱管拡大術が広く行われており、頸部脊髄症と診断されれば、軽症例でも手術適応となり得るとの医学的知見も見られる(甲一三)。そうすると、原告に対する本件手術の必要性・合理性自体は認められるというべきである。
よって、被告の前記主張は採用することができない。
ウ また、被告は、脊柱の変形自体は労働能力の喪失を伴わないと主張する。しかし、脊椎の変形は、その器質的異常により脊柱の支持機能・保持機能に影響を与える蓋然性が高いところ、本件手術は頸椎五椎弓(C三~C七)に及んでいることや、原告の年齢等を総合すれば、脊柱の変形について後遺障害等級一一級七号(脊柱に奇形を残すもの)に該当するとし、これと同一二級一〇号(局部に頑固な神経症状を残すもの)の後遺障害と併合した同一〇級相当の二七%の労働能力喪失率は、本件で原告に残存した本件事故と相当因果関係を有する後遺障害を全体としてみた場合の労働能力喪失率として相当というべきである。
よって、被告の前記主張は採用することができない。
エ 他に前記の認定判断を左右するに足りる証拠はない。
三 原告の損害額(争点(2))について
(1) 入院治療費等 三一八万二五二八円
原告は守谷慶友病院に入院し本件手術を受けたところ、前記のとおり、本件手術は本件事故と相当因果関係があると認められる。したがって、同病院の入院治療費等三一八万二五二八円(額については当事者間に争いがない。文書料も含まれる。)は、本件事故と相当因果関係がある損害と認められる。
(2) 通院治療費等 一一二万七一二〇円
前記二(3)イのとおり、原告の症状固定時期は平成九年一一月末日であると認めるのが相当であるから、同日までの治療費は、本件事故と相当因果関係が認められる。そうすると、症状固定日前の通院治療費である内田病院分八七万一二五〇円、宗仁会病院分六万一七二〇円、守谷慶友病院分八万二三四〇円と(いずれも額については当事者間に争いがない。)、矢吹整形外科の治療費一八万三五二〇円(当事者間に争いがない。)のうち、平成九年一〇月八日までの一〇万八三七〇円(甲五)に同月二二日から同年一一月一九日までの三四四〇円(乙三〇)を加えた一一万一八一〇円、以上合計一一二万七一二〇円(文書料も含まれる。)が本件事故と相当因果関係のある通院治療費等となる。なお、矢吹整形外科の診断病名には、不整脈、更年期障害及び甲状腺機能亢進症(疑)が含まれているが(前記争いのない事実等(3)イ)、これらの病名にかかる診療開始日はいずれも症状固定日後の平成一一年六月七日であり(乙五)、これらに係る治療費は前記治療費等には含まれていない。
(3) 診断書料 〇円
前記(1)、(2)の治療費等には診断書料も含まれているところ(甲二の一ないし一〇、三)、そのほかに原告が診断書料を支出したと認めるに足りる証拠はない。
(4) コルセット代 二万三〇七二円
当事者間に争いがない。
(5) 薬代 四万七一五〇円
証拠(甲五、乙二九、三〇)及び弁論の全趣旨によれば、症状固定日までの薬代は、今川薬局分九五五〇円、けやき台調剤薬局分三万七六〇〇円、合計四万七一五〇円であると認められるから、これを本件事故と相当因果関係のある薬代と認める。
(6) 入院雑費 六万二四〇〇円
前記争いのない事実等(3)エのとおり、守谷慶友病院への入院期間は四八日間であるところ、入院雑費は一日あたり一三〇〇円が相当であるから、入院雑費は六万二四〇〇円(一三〇〇円×四八日)となる。
(7) 付添看護費 〇円
前記認定の原告の治療経過等に照らせば、原告が入院中に看護師による看護以外に付添看護を必要としたものと認めることはできない。
(8) 症状固定後の治療費 〇円
前記(1)、(2)で認定した治療費を超えて、症状固定後の治療費を本件事故と相当因果関係のある損害とすべき事情は認められない。
(9) 症状固定後の介護費 〇円
前記二(3)で認定した原告の後遺障害の内容、程度に照らせば、原告が症状固定後に介護を要する状態にあると認めることはできない。
(10) 休業損害 四三五万五二七三円
証拠(甲二五ないし三〇、三二)及び弁論の全趣旨によれば、原告は、本件事故当時、夫と同居して家事労働に従事していたほか、夫の経営する不動産会社である株式会社平成土地建物の仕事を手伝い、同社からの給与は年間三一三万四二〇〇円であったこと、また、夕方からはキリシマデリカ株式会社で働いていたが、本件事故直前の三か月間の給与は合計四二万八三三五円であったこと(年収に換算すると一七一万三三四〇円)、そのほか株式会社キンレイから平成七年に六九万四五七五円、平成八年に五三万五六八五円の収入を得ていたこと(同収入は前記キリシマデリカ株式会社に勤務する以前の収入であったと考えられる。)が認められる。
以上のような事情を総合すると、原告は、本件事故がなければ、少なくとも原告が主張する平成九年賃金センサス第一巻第一表の産業計・企業規模計・学歴計の女性労働者五〇歳ないし五四歳の平均年収である三六三万七七〇〇円を得ることができたものと認め、これを基礎収入として休業損害を算定するのが相当である。
したがって、本件事故日から症状固定日である平成九年一一月三〇日までの四三七日間についての休業損害は、次の計算式のとおり、四三五万五二七三円となる。
363万7700円÷365×437=435万5273円
(11) 傷害慰謝料 一八五万〇〇〇〇円
原告の受傷内容、入通院期間等に照らせば、傷害慰謝料の額は一八五万円と認めるのが相当である。
なお、原告は、本件訴訟前の被告の訴訟代理人の対応等が慰謝料の増額事由に該当すると主張するが、慰謝料を増額すべき事情を認めるに足りる証拠はない。
(12) 後遺障害逸失利益 一一四八万一一八一円
前記二(3)のとおり、原告の後遺障害は、後遺障害等級併合一〇級に相当し、原告は症状固定時の四九歳から六七歳までの一八年間にわたって労働能力を二七%喪失したものと認めるのが相当である。
そこで、前記(10)と同様に年間三六三万七七〇〇円を基礎収入とし、ライプニッツ方式により中間利息を控除し、原告の逸失利益を算定すると、次の計算式のとおり一一四八万一一八一円となる。
363万7700円×0.27×11.6895(18年のライプニッツ係数)=1148万1181円
(13) 後遺障害慰謝料 五一〇万〇〇〇〇円
原告の後遺障害の程度、労働能力喪失率等を考慮すると、後遺障害慰謝料は五一〇万円と認めるのが相当である。
(14) 小計 二七二二万八七二四円
(15) 心因性・素因減額について
被告は、原告の現症状について仮に本件事故と相当因果関係があるとしても、原告の素因が発症に起因しており、また、原告本人の特異な心因反応の結果であるとして、素因減額及び心因性減額を主張する。
なるほど、原告には加齢性による脊柱管狭窄、後縦靭帯骨化等があり、それと本件事故による衝撃があいまって、原告の症状が出現したものと認められることは前記のとおりである。しかしながら、前記の原告の加齢性の変性が通常の加齢に伴う程度を超えるものであったことを認めるに足りる証拠はない(かえって、C医師の意見書〔乙八の一〕によっても、原告の脊柱管狭窄の程度は年齢相応の変化であったとされている。)。そうすると、本件事故の加害者である被告に、被害者である原告の損害の全部を賠償させることが公平を失するとまではいえないから、本件において民法七二二条二項の過失相殺の規定を類推適用して、素因減額をするのは相当ではない。
また、本件事故日から症状固定日である平成九年一一月末日までの間に、原告に、症状を悪化させ、あるいは症状固定を遷延させるような心因性の要因があったと認めるに足りる証拠はない。
したがって、被告の前記主張はいずれも理由がない。
(16) 損害填補後の残額 二七九万五二三八円
以上の損害額の合計は二七二二万八七二四円であるところ、損害の填補額は二四四三万三四八六円であるから(乙二、弁論の全趣旨)、これを控除した損害残額は、二七九万五二三八円となる。
(17) 弁護士費用 二八万〇〇〇〇円
本件の事案の内容、審理の経過、前記損害残額等にかんがみると、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用は、二八万円と認めるのが相当である。
(18) 合計 三〇七万五二三八円
第四結論
以上の次第で、原告の本件請求は、被告に対し、三〇七万五二三八円及びこれに対する本件事故日である平成八年九月二〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し、その余は理由がないから棄却することとして、主文のとおり判決する。
(裁判官 松本利幸 瀬戸啓子 石田憲一)