東京地方裁判所 平成12年(ワ)16604号 判決 2004年9月16日
第一・第二事件原告
A野花子
他2名
上記三名訴訟代理人弁護士
川人博
同
山下敏雅
第一事件被告
関西保温工業株式会社
同代表者代表取締役
森健
同訴訟代理人弁護士
山﨑勇
第二事件被告
株式会社 井上冷熱
同代表者代表取締役
井上良昭
同訴訟代理人弁護士
四ツ田昭夫
主文
一 第一事件被告は、第一・第二事件原告A野花子に対し、一八七三万四九三〇円及びこれに対する平成八年八月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 第一事件被告は、第一・第二事件原告A野一郎に対し、一八九八万四一二六円及びこれに対する平成八年八月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 第一事件被告は、第一・第二事件原告A野一江に対し、一八九八万四一二六円及びこれに対する平成八年八月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
四 第一・第二事件原告らの第一事件被告に対するその余の請求をいずれも棄却する。
五 第一・第二事件原告らの第二事件被告に対する請求をいずれも棄却する。
六 訴訟費用は、第一・第二事件原告と第一事件被告の間においてはこれを三分し、その一を第一・第二事件原告らの、その余を第一事件被告の負担とし、第一・第二事件原告らと第二事件被告の間においては、第一・第二事件原告らの負担とする。
七 この判決は、一ないし三項に限り仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
一 第一事件
(1) 第一事件被告は、第一・第二事件原告A野花子に対し、四四〇〇万円及びこれに対する平成八年八月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(2) 第一事件被告は、第一・第二事件原告A野一郎に対し、二二〇〇万円及びこれに対する平成八年八月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(3) 第一事件被告は、第一・第二事件原告A野一江に対し、二二〇〇万円及びこれに対する平成八年八月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 第二事件
(1) 第二事件被告は、第一・第二事件原告A野花子に対し、一六五〇万円及びこれに対する平成八年八月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(2) 第二事件被告は、第一・第二事件原告A野一郎に対し、八二五万円及びこれに対する平成八年八月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(3) 第二事件被告は、第一・第二事件原告A野一江に対し、八二五万円及びこれに対する平成八年八月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、第一事件被告(以下「被告関西保温工業」という。)に昭和三八年に就職して勤務し、昭和五九年に同社を退職して、第二事件被告(以下「被告井上冷熱」という。)に就職して勤務した後、平成八年八月一一日に悪性中皮腫により死亡した亡A野太郎(以下「亡太郎」という。)の妻子である第一・第二事件原告(以下「原告」という。)らが、被告らに対し、亡太郎は被告らに勤務中に、石油コンビナートの加熱炉の補修、保温工事等の現場において、石綿(アスベスト)粉じんを吸入したため、悪性中皮腫に罹患して死亡したところ、被告らには、労働者が石綿粉じんを吸入した場合にはその生命・健康を害する危険性を予見することができたにもかかわらず、十分な安全教育を行い、防じんマスクを支給してそれを装着させるなどの措置を講じないまま、亡太郎を石綿粉じんを吸入する危険性のある業務に従事させた点において安全配慮義務違反があるとして、被告らに対し、債務不履行又は不法行為に基づき損害賠償を求めた事案である。
一 前提事実(証拠により認定した事実は括弧内に証拠を記載した。)
(1) 当事者等
ア 原告A野花子(以下「原告花子」という。)は、亡太郎(昭和一九年一〇月一六日生)の妻であり、原告A野一郎(以下「原告一郎」という。)及び原告A野一江(以下「原告一江」という。)は、亡太郎と原告花子の子である。亡太郎は、平成八年八月一一日死亡し、原告花子が二分の一、原告一郎及び原告一江が各四分の一の割合で、亡太郎の権利義務を相続した。
イ 被告関西保温工業は、保温・保冷工事、耐火工事、耐酸・耐蝕工事、焼却炉工事等の新規・補修・定期修理工事を業務内容とする資本金四八三〇万円の株式会社である。
ウ 被告井上冷熱は、各種船舶の冷凍艙、冷蔵庫及びタンクの保冷工事の設計・施工、陸上冷蔵倉庫・定温倉庫の保冷工事、食品低温流通分野での冷凍設備の設計・施工、各種プラント機器類の保温保冷・耐火工事、各種機品類の防振・防音工事等を業務内容とする資本金一億八〇〇〇万円の株式会社である。
(2) 亡太郎の被告らにおける勤務
ア 亡太郎は、昭和三八年三月、東京都内の高等学校を卒業し、同年四月、被告関西保温工業に入社し、東京支店勤務となった。その後、亡太郎は、昭和四〇年六月一日付けで川崎出張所勤務を、昭和四五年九月一一日付けで東京支店設計課勤務を、昭和五五年一〇月一五日付けで千葉支店千葉出張所勤務を、昭和五七年四月一日付けで同支店南千葉出張所勤務をそれぞれ命じられ、昭和五九年四月、被告関西保温工業を退職した。
イ 亡太郎は、被告関西保温工業を退職した昭和五九年四月ころ、被告井上冷熱に入社し、東京支社プラント事業部及び千葉出張所で勤務したが、平成八年八月一一日死亡退職となった。
(3) 亡太郎の発症から死亡に至る経過
ア 亡太郎は、平成七年一一月ころから、胸痛、咳、微熱等の症状が出て痩せ始めたことから、同年一二月、近医で受診したところ、胸膜炎と診断された。
イ 亡太郎は、平成八年一月、松戸市立病院で受診した後、同月二四日から同年四月一八日まで松戸市立福祉医療センター東松戸病院に精査目的で入院し、胸部レントゲン写真より結核に罹患していることが疑われたが、確認できないまま同病院を退院した。しかし、亡太郎は、同年五月、同病院でCT検査を受けたところ、中皮腫に罹患している疑いがあったため、同年六月五日、同病院で胸膜生検を受け、その組織標本につき国立がんセンター東病院(以下「がんセンター」という。)により、悪性胸膜中皮腫に罹患していると診断された。
ウ 亡太郎は、平成八年六月一一日、がんセンターに転院し、同月一九日から同年七月四日まで入院して同日退院したが、その後病状が急速に進行し、同年八月一日、胸痛悪化、呼吸困難のため、再度がんセンターに入院し、同月一一日、悪性胸膜中皮腫により死亡した。
(4) 労働者災害補償保険法に基づく給付金の支給決定
中央労働基準監督署長は、原告花子の請求に基づき、平成一一年一一月五日、亡太郎の死亡は業務上の死亡であると認定し、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づき、遺族補償年金、遺族特別年金等を支給する旨の決定をした。
二 争点及び当事者の主張
(1) 争点(1)(亡太郎の石綿ばく露の有無及び時期)について
ア 被告関西保温工業関係
【原告ら】
(ア) 被告関西保温工業は、塔槽類、タンク、配管の新設・増設・定期修理(撤去と復旧)等の保温工事を、発注者又は元請業者から請け負い、亡太郎が被告関西保温工業に勤務していた昭和三八年から昭和五九年四月までの間、保温工事に使用する保温材や補助材等として、石綿を含有するシリカライトカバー(保温材)、シリカライトボード(保温材)、耐熱コンバウンド(目地材)、クイックラブ(外装材)、シリカライト塗材(補助材)、ハードセッティングセメント(外装材)、H・I・マスチック(外装材)、フォームシール(目地材)を使用していた。亡太郎は、現場監督として、下請職人のそばで施工計画書又は要領書に基づいて仕事が仕上がるよう監督していたため、石綿を含有する保温材の加工や撤去作業の際に発生した石綿粉じんを吸入した。
(イ) また、被告関西保温工業は、加熱炉の定期修理を請け負っていたところ、亡太郎が被告関西保温工業に勤務していた当時、加熱炉内のキャスタブルパネルの熱伸縮緩衝部位や加熱管端部に、石綿を含有する製品であるアスベストヤーンロープやアスベストテープを使用していた。アスベストヤーンロープは、キャスタブルパネルの熱伸縮緩衝部位及び加熱管の端部に目地材として使用され、アスベストテープは、キャスタブルパネルの鉄板をボルトに接続する部位にシール材として挟み込まれていた。
加熱炉内での定期修理の過程で、熱履歴で劣化し、粉じん化しやすくなっているアスベストヤーンロープやアスベストテープが粉じんとなり、加熱炉内に立ちこめるため、亡太郎は、加熱炉内に入った際に、石綿粉じんを吸入した。
【被告関西保温工業】
(ア) 原告らが主張する製品のうち、被告関西保温工業が保温工事に使用していた製品は、シリカライトカバー、シリカライトボード、ハードセッティングセメント、H・I・マスチックである。これらの製品に石綿が含まれているといっても、その含有量(重量割合)は二ないし三%程度である。しかも、これらはメーカーの工場でわずかの石綿が配合されて成型プレスされ、比重〇・二の成型保温カバー又はボードとして製品化されるところ、被告関西保温工業はこれらを保温材として購入するが、工事現場で取り付けるのは工事職人(下請業者)である上、工事現場は例外なく屋外であり、通気性・拡散性も良好であるから、石綿粉じんが飛散する可能性は非常に低く、仮に飛散したとしても前記のように微量であることから、吸入の可能性はほとんどない。
また、保温材の加工にのこぎりのような手工具を用いることもあるが、手工具による加工においては、粉じんの飛散が極めて少ないことも一般によく知られた事実である。
さらに、前記の製品のうち、補助材であるハードセッティングセメント及びH・I・マスチックは、保温外装がやりにくい箇所の外表の塗材として使用するものであるところ、ハードセッティングセメントはセメント袋に入っており、現場で開封後、水を加えてコテで塗るものであり、H・I・マスチックは一斗缶に入った粘土状のものでコテで塗るものであるが、これらも前記のとおり石綿含有量は二ないし三%程度である上、水分が介在しているため、粉じんが飛散する可能性は極めて低く、仮に粉じんの飛散があったとしても屋外であり、拡散性も良い。このような塗り作業は、保温工事全体の中では、その割合は極めて少なく、保温工事全体を一〇〇とすれば一以下の量である。
(イ) また、原告らは、亡太郎が、加熱炉の定期修理において石綿を吸入したと主張する。しかし、加熱炉は、石油等を加熱する設備であり、炉内温度は八〇〇度ないし一〇〇〇度と高温になることから、加熱炉の天井及び側壁には耐火性及び炉壁よりの熱放散を抑える性質を有する断熱キャスタブルが使用されているところ、同キャスタブルに石綿は一切含まれていない。また、キャスタブルの吹付け工程では、継ぎ目は生じない。部分的に生じるパネル等の継ぎ目にも石綿が使用されることは皆無である。したがって、そのような工程で、石綿粉じんが発生することはあり得ない。
確かに、加熱炉の貫通部には、加熱炉パイプを安定させ、外気の流入を防止するためにアスベストヤーンロープが使用され、また、加熱炉入口ドアには、石綿を含有するアスベストテープが使用されているが、これらはいずれも加熱炉外である。そして、アスベストヤーンロープは、メーカーで成型加工されたロープ状のものであり、保温工事現場で加工することは一切なく、一度挿入されたものは定期修理時にも全く触れられることはないから、石綿粉じんの発生はあり得ない。したがって、定期修理時にアスベストヤーンロープが粉じん化することはない。また、アスベストテープは、加熱炉のアクセスドア(入口ドア)部分のボルト止めがされている箇所のシールパッキンとして使用されているところ、アクセスドアは、定期修理時に取り外した後、保管場所に保管され、定期修理後に再び取り付けられるのみであり、アスベストテープはアクセスドアに貼り付いた状態のままであるから、石綿粉じんが発生することはあり得ない。加えて、定期修理時におけるアクセスドアの取外し及び取付けは、被告関西保温工業の作業ではなく、鉄工業者の作業である。
(ウ) さらに、工事の仕上がり具合の点検等は、棒心と呼ばれるまとめ役が行っていた。すなわち、下請職人は、通常四ないし五人程度の組に分かれており、その組のまとめ役として棒心が存在する。棒心が亡太郎から当日の作業の指示を受け、各種工事について発注者からクレームがつかない仕上がりにするよう現場作業を進めていくものである。そのため、亡太郎は工事現場に赴いて下請職人に密着する必要はなかった。
(エ) 以上の事情からして、亡太郎が被告関西保温工業に在職中に、保温工事又は加熱炉の定期修理時等に、石綿粉じんを吸入して悪性中皮腫を発症したとは考えられない。
イ 被告井上冷熱関係
【原告ら】
亡太郎は、被告井上冷熱では、主としてプラントの積算業務を担当し、見積書の作成等に従事したが、工事現場の監督業務も行った。被告井上冷熱は、大手石油会社からタンクやタワーの断熱工事を下請けとして受注したところ、亡太郎の工事現場での仕事は、補修工事と新設工事であり、これらの工事は屋外での作業であったが、工事の過程で石綿粉じんを吸入することがあった。
亡太郎の悪性中皮腫は、亡太郎の労働実態及び悪性中皮腫の潜伏期間を考慮すると、主として被告関西保温工業に勤務時代の石綿粉じんの吸入が原因であると考えられる。しかし、被告井上冷熱に勤務していた時代にも、石綿粉じんの吸入の機会があったこと、また、悪性中皮腫が微量の石綿粉じん吸入によっても発症することを考慮すると、被告井上冷熱に勤務する時代の石綿粉じんの吸入も、亡太郎が悪性中皮腫を発症した原因の一つであるというべきである。
【被告井上冷熱】
(ア) 被告井上冷熱は、石綿を含有する製品を使用したことはない。ただし、被告井上冷熱が使用していたケイ酸カルシウム保温材には微量(法定許容量内)の石綿が含有されるとされているが、被告井上冷熱が使用していた当時、ノンアスベスト製品として一般に使用されていた。
(イ) 亡太郎は、昭和五九年、被告井上冷熱に入社したが、入社の際、亡太郎が設計積算業務を強く希望していたことから、設計積算業務に従事させ、現場に赴いても仮設事務所内で打合せをする程度で、現場作業に従事することはなかったし、その必要もなかった。したがって、亡太郎は、被告井上冷熱に勤務中は、石綿粉じんが飛散する場所に居合わせることがなかったのであるから、石綿を吸入する可能性はなかった。
(2) 争点(2)(亡太郎の死亡と石綿ばく露との因果関係)について
【原告ら】
亡太郎の死亡原因について、がんセンターの北條史彦医師は、悪性胸膜中皮腫と診断しているところ、悪性中皮腫は石綿ばく露を受ける作業者が発症することが多い。前記(1)の原告らの主張のとおり、亡太郎は、被告関西保温工業に勤務していた当時、石綿粉じんを吸入していたのであるから、亡太郎の石綿ばく露と悪性胸膜中皮腫の罹患及び死亡との間には、相当因果関係があるというべきである。
【被告関西保温工業】
前記(1)の被告関西保温工業の主張のとおり、被告関西保温工業の工事現場においては、亡太郎が悪性中皮腫に罹患するような要因は全く存在しなかった。被告関西保温工業には、亡太郎が被告関西保温工業に勤務していた昭和三九年四月から昭和五九年三月までと同時期に定期修理等の工事監督に従事した者が数十人いるところ、現在これらの者の中に亡太郎と同じく悪性中皮腫を発症した者はいないし、当時の下請作業員にも発症の事実はない。したがって、亡太郎は、被告関西保温工業の業務とは関係のない要因により悪性中皮腫を発症したと考えるのが自然である。
(3) 争点(3)(予見可能性、安全配慮義務違反)について
【原告ら】
ア 予見可能性について
(ア) 危険性の認識の程度
労働者の健康・安全を確保するとの観点から、安全配慮義務の存否を論じる場合、使用者の注意義務の前提となる予見可能性は、具体的な障害まで見通すことの可能性ではなく、労働者の健康・安全を害する結果を招来することを予見することができる可能性というべきである。福岡高裁平成元年三月三一日長崎じん肺訴訟判決(判例時報一三一一号四五頁)は、「安全配慮義務の前提として第一審被告が認識すべき予見義務の内容は、生命、健康という被害法益の重大性に鑑み、安全性に疑念を抱かせる程度の抽象的な危惧であれば足り、必ずしも生命、健康に対する障害の性質、程度や発症頻度まで具体的に認識する必要はないというべきである。」と判示している。
したがって、本件で被告らの安全配慮義務の存否を判断する前提としては、被告らにおいて、石綿粉じんが人の生命・健康に悪影響を与えることを予見することが可能であったか否かを判断すれば足り、悪性中皮腫という具体的疾病を発症することを予見できたか否かまで検討する必要はない。
そして、被告らは、後記(イ)のとおり、遅くとも昭和四八年以降、悪性中皮腫という具体的疾病が発症することを十分に予見できたのであるが、それ以前においても、石綿粉じん吸入により、生命・健康に重大な障害が生ずることを認識することが十分可能であった。
(イ) 石綿と健康に関して、昭和三九年以降数多くの国際会議が開催され、石綿ばく露がじん肺の罹患を始め、人体に各種の影響を及ぼすことが世界的にも広く認知されていたこと、石綿によるじん肺(石綿肺)の発症に関する知見は、一九〇七年(明治四〇年)イギリスで医師が職業補償委員会で証言したことに始まるとされ、わが国でも、昭和一二年から昭和一五年にかけて内務省が石綿工場における石綿肺の発生状況を調査・報告し、石綿がじん肺を起こす物質であることが戦前から認識され、戦後間もない昭和二二年に石綿肺は「粉じんを飛散する場所における業務によるじん肺症及びこれに伴う肺結核」として業務疾病とされ、昭和三五年に石綿についても規定する旧じん肺法が成立したこと、昭和四六年には、特定化学物質等障害予防規則(昭和四六年労働省告示第一一号)が有害な粉じんの吸入を規制する措置を規定し、昭和五〇年の同規則の改正で石綿吹付け作業が禁止されたこと、石綿によりがんが発症することに関しても、海外では一九三五年(昭和一〇年)に石綿肺に合併した肺がんが最初に報告され、一九五二年(昭和二七年)にクリソタイル鉱山労働者四〇〇〇人の中から約一〇年間に六例の肺がんと二例の胸膜中皮腫を経験したという報告があり、わが国でも昭和三五年に石綿労働者の石綿肺に合併した肺がんが報告され、昭和四八年、昭和四九年に石綿肺に合併した腹膜中皮腫、胸膜中皮腫の例が報告されていることなどからすると、被告らは、遅くとも昭和四八年以降、石綿粉じんの吸入により、悪性中皮腫という具体的疾病が発症することを十分に予見でき、それ以前においても、健康・安全に重大な障害が生じることを認識することが十分に可能であったというべきである。
したがって、被告らには、亡太郎が在職中、少なくとも石綿粉じんが人の健康・安全に悪影響を与えることの予見可能性があった。
イ 安全配慮義務違反について
石綿は、その粉じんを吸入した場合には人体に致命的な障害・死亡をもたらす危険性の高い物質であるところ、被告らは、このような危険性を予見することができたときから、石綿粉じんを飛散させる危険性のある製品を一切使用すべきではなかった。それにもかかわらず、被告らは、断熱、耐火、保温の性能が良く、安価であるという実用性・利便性から、石綿を含有する製品を使用し続けた。
仮に、石綿製品の使用中止や代替製品への切替えが直ちにできないために、または、過去に石綿製品を使用しているために保温工事や補修等の際に、石綿粉じんを吸入する危険性が生じることが避けられないのであれば、被告らは、石綿の人体への危険性について社内で安全教育を徹底し、当時の最高水準の防じんマスクを支給してその使用を義務付け、石綿粉じんを吸入することがないように万全の措置を講じるべきであったにもかかわらず、これを怠った。
また、被告らは、補修工事の対象となる建造物について、石綿等が使用されている箇所及び使用状況を事前に把握し、その危険性を亡太郎らに周知徹底すべきであったにもかかわらず、これを怠った。
さらに、被告らは、石綿製品の粉砕等を行う場合には、当該箇所及びその周囲の湿潤化のために十分な散水ができるように設備を設け、散水を行うべきであったのに、これを怠った。
したがって、被告らには、債務不履行又は不法行為を構成する安全配慮義務違反があるから、原告らに対し損害賠償責任を負う。
なお、被告関西保温工業は、当時、特定化学物質等障害予防規則に従い、石綿の含有量五%以下の石綿製品を使用していたことをもって、安全配慮義務を尽くしていたかのように主張するが、一般に、行政法令上の安全基準や衛生基準は、使用者が労働者に対する関係で当然に負担すべき安全配慮義務のうち、労働災害発生の防止の見地から特に重要な部分を公権力をもって強制するために明文化したにすぎない。したがって、これらの行政法規の基準を遵守したからといって、安全配慮義務を尽くしたということはできない。
【被告関西保温工業】
ア 予見可能性について
(ア) 原告らが証拠として提出する文献において石綿によるじん肺、肺がん、中皮腫の発症例として挙げられているものは、いずれも船内、室内等、密閉空間における石綿自体のときほぐし、吹付け、切断、研磨等の作業における事例である。被告関西保温工業は、石綿製品の製造は一切行っておらず、石綿の含有量五%以下の成型され、国が定めたJIS規格製品を購入して、屋外で使用していた単なる工事施工会社である。しかも、石綿の含有量五%以下の石綿製品を保温材として使用していたのは昭和五四年ころまでであり、それ以降は石綿が含まれない製品(ノンアスベスト製品)を使用していた。
(イ) 亡太郎は、平成七年ころ悪性中皮腫を発症したと考えられるところ、石綿吸入から悪性中皮腫を発症するまで、通常二〇年以上の経過が必要であることから、亡太郎が石綿を吸入したのは、平成七年から二〇年遡る昭和五〇年以前になる。昭和五三年にようやく「石綿による健康被害に関する専門家会議」の報告書が提出されたのであり、昭和五三年以前には、一部の外国文献に石綿被害に関する報告が掲載されていることが、ごく一部のいわゆる研究者の専門書に紹介されていたにとどまる。被告関西保温工業は、石綿をわずかに含む製品を扱う工事施工業者にすぎないのであるから、このようなごく一部のいわゆる研究者の専門書に紹介されていた石綿被害に関する情報等をもって、被告関西保温工業に対し、結果を予見し、回避すべきことを求めるのは、不可能を強いるものである。
イ 安全配慮義務違反について
(ア) 石綿を全く含有しない製品ができるまで、保温材として石綿を含有する製品を使用したことが、安全配慮義務違反に当たるというのであれば、被告関西保温工業に廃業せよというのと同じである。
また、被告関西保温工業は、取引先から、その基本仕様書により配管保温材として石綿を含有するケイ酸カルシウム保温筒(成形保温筒)を使用することを義務付けられていた。被告関西保温工業は、使用材料の規格を決定することはできず、基本仕様書に従って施工するほかはなかった。
また、特定化学物質等障害予防規則により石綿も規制の対象品目とされているが、石綿の含有量が五%を超えるものが規制対象とされていたところ(その後平成七年に改正され含有量が一%を超えるものとされている。)、前記のように被告関西保温工業が使用していた保温材の石綿の含有量は二ないし三%であって法的規制の対象外であった。しかも、昭和五四年ころ以降は、石綿が一切含有されていない保温材を使用していた。
したがって、被告関西保温工業に安全配慮義務違反はない。
(イ) 成形保温材の一部のエルボー部を加工する際、手動のこぎりで加工するためほとんど粉じんは飛散しないし、また、すべて屋外で加工するため拡散性も高いが、被告関西保温工業は、念のため工事職人には保護具として石綿用防じんマスクを使用させていた。しかし、亡太郎を含む現場監督が実際に工事現場に行く機会は多くはなく、粉じんを吸入する機会もないため、現場監督に防じんマスクを使用させることはしなかったのであるから、防じんマスクの不支給や安全教育の不徹底をもって安全配慮義務違反に問われることはない。
【被告井上冷熱】
被告井上冷熱は、そもそも石綿製品を使用していなかった。
また、被告井上冷熱は、現場の安全に配慮して、社員には防じんマスク、ヘルメット、安全ベルト等防護類を着用させ、また、防具類等の着用のための安全教育を実施していた。
(4) 争点(4)(原告らの損害)について
【原告ら】
ア 被告関西保温工業関係
(ア) 死亡逸失利益 五〇〇〇万〇〇〇〇円
① 亡太郎は、死亡することがなかったならば、六七歳までの一五年間、年間七〇〇万円以上の収入を得ていたはずである。亡太郎は、原告ら三名を扶養していたので、生活費控除率は三〇%として、一五年間のライプニッツ係数(中間利息二%)一二・八四九二六四により中間利息を控除すると、亡太郎の死亡逸失利益は、次のとおり六二九六万一三九三円となるが、うち五〇〇〇万円を請求する。
700万円×0.7×12.849264=6296万1393円
② 日本におけるいわゆるバブルの崩壊後、政府による低金利政策が続くようになってから、各種金利は極めて低い水準が続き、一年ものの定期預金の金利は、大型定期でも年〇・一五%前後にすぎない。このような金融情勢や、公定歩合は下がり、亡太郎死亡当時も本件訴訟の提起時も〇・五%にすぎないことなどからすれば、中間利息は、二%のライプニッツ係数を用いて控除すべきである。
(イ) 死亡慰謝料 三〇〇〇万〇〇〇〇円
亡太郎の死亡慰謝料は三〇〇〇万円を下らない。
(ウ) 弁護士費用 八〇〇万〇〇〇〇円
本件事故と相当因果関係のある弁護士費用は八〇〇万円を下らない。
(エ) まとめ
以上により、前記(ア)ないし(ウ)の合計八八〇〇万円につき、法定相続分に従い、原告花子は二分の一の四四〇〇万円、原告一郎及び原告一江は各四分の一の各二二〇〇万円並びにこれらに対する平成八年八月一一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
イ 被告井上冷熱関係
亡太郎の死亡により、前記ア(ア)及び(イ)のとおり、死亡逸失利益六二九六万一三九三円、死亡慰謝料三〇〇〇万円の損害が発生したところ、被告井上冷熱に対しては、死亡逸失利益のうち二〇〇〇万円、死亡慰謝料のうち一〇〇〇万円の合計三〇〇〇万円と、弁護士費用三〇〇万円の合計三三〇〇万円について、法定相続分に従い、原告花子は二分の一の一六五〇万円、原告一郎及び原告一江は各四分の一の各八二五万円並びにこれらに対する平成八年八月一一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
【被告関西保温工業】
原告らが主張する損害はいずれも否認ないし争う。
ア 原告らは、亡太郎の死亡時の年収が七〇〇万円であり、これが六七歳まで続くことを前提に逸失利益を算出するが、昨今の高齢者の雇用状況を考慮すると、六七歳まで年収七〇〇万円の収入が得られる可能性は極めて低い。また、中間利息は年五%の利率で控除されるべきである。
イ 原告らが主張する慰謝料額は、亡太郎が被告関西保温工業に在職していた当時の石綿に対する国を含めた全体の認知度、その取締法規、石綿を微量に含有するにすぎない製品を用いての施工業者にすぎない被告関西保温工業の立場を考慮すると、あまりにも多額である。
ウ 弁護士費用も多額である。
【被告井上冷熱】
原告らが主張する損害はいずれも否認ないし争う。
【被告ら】
仮に、被告らに損害賠償責任があるとしても、原告らは、労災保険法に基づき、遺族補償年金として、平成一五年九月までに一五五三万九四八七円、遺族特別年金として三八〇万四一二二円の支給を受け、さらに、遺族補償年金として平成一五年一〇月から平成一六年八月まで月額三二万二三〇六円(合計一九三万三八三六円)の支給が確定している。
したがって、これらの合計二一二七万七四四五円を損益相殺として、死亡逸失利益から控除すべきである。
第三当裁判所の判断
一 争点(1)(亡太郎の石綿ばく露の有無及び時期)について
(1) 認定事実
前記前提事実(第二、一)、《証拠省略》によれば、亡太郎の石綿ばく露の有無及び時期に関する事実として、以下の事実を認めることができる(主な証拠を括弧内に記載した。)。
ア 亡太郎の勤務場所、業務の内容等
(ア) 亡太郎は、昭和三八年四月、被告関西保温工業に入社し、東京支店で勤務した後、昭和四〇年六月一日から川崎出張所で勤務したが、同出張所で勤務している間、主に千葉県内の石油精製会社の石油コンビナートで現場監督の業務に従事した。
(イ) 亡太郎は、昭和四五年九月一一日から東京支店設計課勤務を命じられ、図面の作成、積算の業務に従事したが、時々、工事現場にも出かけていた。また、出光興産株式会社に勤務していた合志が昭和四八年か昭和四九年ころ同社のコンビナートの現場で働いていた際、亡太郎も当該コンビナートで現場監督の仕事をしていた。その後も、亡太郎は、一年の半分位は現場監督をし、昭和五一年三月、原告花子と結婚した当時も、一年のうち四月から一〇月までの半年は、千葉県市原市内のアパートに夫婦で居住し、同市姉ヶ崎にある出光興産株式会社等のコンビナートの工事現場で現場監督に従事し、残りの期間は東京支店へ出勤していたが、そのような勤務形態は、後記(ウ)のとおり亡太郎が千葉支店千葉出張所勤務となるまで続いた。
(ウ) 亡太郎は、昭和五五年一〇月一五日付けで千葉支店千葉出張所勤務を、昭和五七年四月一日付けで同支店南千葉出張所勤務をそれぞれ命じられ、その後昭和五九年四月に退社するまで同出張所で勤務したが、前記各出張所で勤務した当時は、いずれも現場監督の業務に従事した。
(エ) 亡太郎は、昭和五九年四月に被告関西保温工業を退職し、被告井上冷熱に入社して、同社の東京支社及び千葉出張所で勤務した。主に設計・積算の業務に従事したが、たまに現場に赴くことがあった。
イ 被告関西保温工業の工事内容、亡太郎の現場監督の業務内容等
(ア) 亡太郎が被告関西保温工業に在職中に従事した現場監督の業務は、主に、作業範囲の確認、予算の検討、資材・器材の選定、工程表の作成、職人選び、元請けとの打ち合わせ連絡、進行管理、部下・職人の指導等であった。これらの業務のため、現場監督は、通常、一日平均五時間程度現場に出ていた。亡太郎が従事した現場監督は、下記(イ)及び(ウ)のような工事に関するものであった。
(イ) 被告関西保温工業は、大手石油会社等から、石油コンビナートの加熱炉、産業廃棄物焼却設備等の新規・補修・定期点検整備工事を請け負っていた。
加熱炉は、石油を温める設備であり、温められた石油を炉外へ出すために通す加熱炉パイプの貫通部に、パイプを安定させ、外気の流入を防止するため、メーカーで成型加工されたロープ状のアスベストヤーンロープが建設時にパイプと貫通部のガイドプレートの間に挿入される。例えば、甲二九で図示されている加熱炉では、そのような箇所が一四箇所あり、同図で使用が予定されている直径二二mmのアスベストヤーンロープを前提とすると、一炉当たり約六七mものアスベストヤーンロープが使用されることになる。また、加熱炉の入口ドア(アクセスドア)には、ボルト止めがされている箇所のシールパッキンとして石綿を含有するアスベストテープが使用されている。また、焼却設備は、冷却塔、集塵設備、タンク、配管等の種々の機器から構成され、ロータリーキルン炉尻部のシール材としてアスベストヤーンロープを巻き込んであるアスベストクロス、H・I・マスチック等の石綿製品が使用されていた。
そして、定期点検整備工事は、基本的には年一回、コンビナートの稼働を止めて、約二か月かけて行われ、コンビナートのタワー、タンク、マンホール、配管、加熱炉等の検査のため、各部が解体され、点検、清掃、必要な補修等が終了した後、元に戻される。補修工事は、コンビナートが詰まったり、壊れるなどのトラブルが発生したときに行うもので、作業内容は、定期点検整備工事とほぼ同様である。補修の際には、前記のアスベストヤーンロープやアスベストテープ等がはがされることがあった。これらの解体、材料の取り替え、補修時には、粉じんが発生するため、作業を行う職人は、マスク及びゴーグルを装着していた。
(ウ) また、被告関西保温工業は、定期点検整備工事に付随して、加熱炉外の配管保温材の点検、交換や、保温工事も行ったが、この場合、保温材を取り外し、新しい保温材を取り付けるにあたっては、適切な寸法にするため、現場で保温材の切断が行われる。保温材の取外しや切断の作業時には、粉じんが発生するため、作業を行う職人は、マスク及びゴーグルを装着していた。
被告関西保温工業が配管等の保温工事に使用していた保温材・補助材(副資材)は、日本アスベスト株式会社(昭和五六年一〇月にニチアス株式会社に商号を変更)の製品で、主にシリカライトカバー、シリカライトボード、ハードセッティングセメント、H・I・マスチックであった。シリカライトカバー及びシリカライトボードについては昭和四八年以降、ハードセッティングセメントについては昭和五四年九月以降、H・I・マスチックについては昭和六二年七月以降、それぞれ石綿を含有しないアスベストフリー製品の製造が開始されたものの、シリカライトカバーについては昭和五三年一二月まで、シリカライトボードについては昭和六二年二月まで(昭和五三年から昭和五八年六月まで一時中止)、ハードセッティングセメントについては昭和六二年四月まで、H・I・マスチックについては昭和六二年七月まで、いずれも石綿含有量が五%以下の製品が引き続き製造されていた。被告関西保温工業は、昭和五四年ころまでは、配管等の保温工事に石綿を含有するこれらの保温材・補助材を使用していた。
(エ) 前記(イ)及び(ウ)のような工事につき、亡太郎ら現場監督は、現場に出て、職人のそばで工事の進行管理、指示等を行ったが、通常、マスクを装着することなく、タオルを口に当てる程度であった。
(2) 被告関西保温工業に在職中の石綿ばく露についての検討
ア(ア) 前記(1)のとおり、亡太郎は、主に昭和四〇年から昭和四五年まで及び昭和四九年から昭和五九年までの間、石油コンビナートの加熱炉、産業廃棄物焼却設備等の新規工事、補修工事、定期点検整備工事、保温工事等の現場監督の業務に従事していた(昭和四六年から昭和四八年までの間も、そのような現場に時々出ていた。)。
そして、被告関西保温工業に勤務していた前記期間に亡太郎が行った現場監督のうち、コンビナートの加熱炉の修理工事及び定期点検整備工事においては、補修等に際し、加熱炉の貫通部や入口ドアに使用されていた石綿を含有するアスベストヤーンロープやアスベストテープがはがされることがあった。また、配管の保温工事については、使用されている保温材を交換する際の撤去作業や、新たに取り付ける保温材の切断等の加工作業があった。これらの作業は、職人が行うものであるが、現場監督である亡太郎も、これらの作業が行われるそばで、工事の進行管理や指示等を行った。
(イ) また、前記(1)のとおり、被告関西保温工業は昭和五四年ころまでは石綿を含有する保温材・補助材であるシリカライトカバー、シリカライトボード、ハードセッティングセメント及びH・I・マスチック等を使用していたことから、亡太郎が主に現場監督に従事した昭和四〇年から昭和四五年まで及び昭和四九年から昭和五九年までの間のうち、昭和五四年ころまでに施工された加熱炉、焼却炉の定期点検整備工事や保温工事においては、交換のために撤去される古い保温材等は石綿を含有する製品であり、また、交換のため新たに取り付けられる保温材等にも石綿を含有する製品が使用されていたし、それ以降も、交換のために撤去される古い保温材等の多くは石綿を含有する製品であったと推認される。なお、石綿を含有するアスベストヤーンロープやアスベストテープが新たに加熱炉等に使用されたのがいつまでであるかは判然としないが、《証拠省略》によれば、被告関西保温工業は、昭和五九年の時点でも加熱炉にアスベストヤーンロープを使用していたことが窺われるし、また、仮に亡太郎が勤務中のいずれかの時期に新規にアルベストヤーンロープやアスベストテープが使用されることがほとんどなくなったとしても、補修工事等において老朽化したアスベストヤーンロープやアスベストテープがはがされることはあったと考えられる。
そして、前記各工事において、アスベストヤーンロープやアスベストテープがはがされ、あるいは、保温材が交換される際に古い保温材が撤去され、または、石綿を含有する保温材を新たに取り付けられるときの加工の際には、炉内又は炉外の作業現場付近で、石綿粉じんが発生したものと推認することができる。なお、甲六四(「石綿・ゼオライトのすべて」環境庁大気保全・局監修)は、温水冷水用パイプ、ボイラー、高温炉、タービン、その他の機械の熱を遮断するため、石綿布や石綿板あるいはパッキング材などを現場で設備する作業者の石綿ばく露の機会は多く、現場で石綿テープを巻いたり、ボードやパイプに穴を開けたり、すき間やわれ目を石綿パッキンで塞いだりと作業は様々であるが、いずれも石綿を含む粉じんが発生する作業になる旨を指摘し、また、甲五〇(石綿ばく露労働者に発生した疾病の認定基準に関する検討会報告書)も、石綿製品を用いて炉等の種々の施設への断熱・保温材の取扱い作業や配管、その補修作業で石綿ばく露を受け、数十年後に胸膜プラークや肺がん、中皮腫が発症することが知られていると報告し、また、同報告書の添付資料「ドイツにおける石綿利用ばく露状況とその職業」)の中でも、「特別な石綿使用場所における石綿ばく露」の例として、炉への石綿含有耐火材の埋め込み・取り付け・修理・剥離や石綿をこねて継ぎ目を修理する、古い石綿ひもの除去と新しい石綿ひもの裁断や取り付け等の際の石綿接触等が挙げられている。これらによっても、被告関西保温工業の前記各工事の作業の際に、石綿粉じんが発生することが裏付けられる。
(ウ) ところが、被告関西保温工業は、作業を行う職人に対してはマスク及びゴーグルを支給し、職人はこれらを使用していたものの、現場監督に対してはこれらを支給せず、現場監督はせいぜいタオルを口に当てる程度で、マスク及びゴーグルを使用することはなかった(証人長谷は、現場監督はせいぜいタオルを口に当てる程度であった旨証言するが、タオルを口に当てること自体、現場監督がいる場所で粉じんが発生していたことを推認させる。)。
(エ) さらに、被告関西保温工業に対し加熱炉の建設や補修工事等を発注していた出光興産株式会社に勤務し、工事現場で発注者側の監督をし、現場で亡太郎とも一緒になったことのある証人合志は、昭和四九年、千葉精油所にロータリーキルン方式による産業廃棄物処理のプラント建設を発注者側責任者として実施したが、この焼却設備は、二次室や冷却塔、集塵設備、タンク、煙道、配管等、種々の機器から構成され、いたる所で石綿を含有する材料が使用されており、このロータリーキルンを中心とした焼却設備においても、試運転やその結果の手直し、定期補修工事等で解体、取り替え、補修工事が行われ、狭い炉内や塔内で粉じんが立ちこめている中で、作業や監督指示が行われ、亡太郎が石綿粉じんを吸入する中で仕事を行っていたことは間違いない旨証言している。また、被告関西保温工業に勤務している証人長谷は、甲二〇の一ないし五(千葉労働基準監督署事務官作成の聴取署)において、亡太郎は、補修、定期修理の現場監督が多かったので、石綿との接点が多かったと思う、補修や定期修理においては、材料をはがして新しい材料にするが、はがすときに石綿を含んだほこりがすごく出て、ほこりがまってキラキラ光り、むせ返るような時が結構あった旨述べ、また、証人尋問においても、亡太郎は、現場監督として、補修や定期修理の解体の際に石綿との接点があった、ばさっとはがして、ほこりがわっとでるとき、監督はちょっと離れたところから見てるというのが現実である旨証言している。さらに、国立がんセンター東病院のカルテ等によれば、亡太郎は、同病院において、職業は、断熱工事の設計・積算で、昭和三八年からはたまに現場に出る程度であったが、昭和四〇年から昭和四五年まで及び昭和四九年から昭和五九年まで現場で働き、石綿ばく露歴が約一五年ある旨説明したことが認められる。
(オ) 前記(ア)ないし(ウ)の各事実に加え、前記(エ)の証言ないし事実を総合すると、亡太郎は、主に昭和四〇年から昭和四五年まで及び昭和四九年から昭和五九年までの間、石油コンビナートの加熱炉、産業廃棄物焼却設備等の新規工事、補修、定期点検整備工事、保温工事等において、老朽化したアスベストヤーンロープやアスベストテープがはがされ、または、老朽化した保温材が撤去され、あるいは新たな保温材が取り付けられる場合の加工の際に、石綿粉じんが発生する炉内又は炉外(屋外)の作業現場において、工事の進行状況を管理し、職人に対して指示をするなどの現場監督の業務に従事したため、反復して、石綿粉じんを吸入したものと推認することができる。
イ 被告関西保温工業は、保温工事に使用していた石綿製品は、石綿含有量が二ないし三%程度であり、その取付け等は工事職人(下請業者)が行うから、亡太郎が石綿粉じんを吸入した可能性はほとんどないと主張する。なるほど、被告関西保温工業が昭和五四年ころまで使用していた保温材・補助材の石綿の含有量は五%以下であったが(ただし、それが被告関西保温工業が主張するように二ないし三%程度であると認めるに足りる証拠はないし、アスベストヤーンロープやアスベストテープの石綿の含有量は保温剤等のそれを相当に上回るものと考えられる。)、前記のとおり、職人が前記各作業をする際には石綿の粉じんが発生したと認められるところ、亡太郎は、現場監督として、職人のそばで工事の進行管理、指示等を行っていたのであるから、保温材・補助材の石綿の含有量が五%以下であることをもってしても、吸入した石綿の濃度が低かったことは考えられるものの、前記認定が左右されるものではない。
また、被告関西保温工業は、加熱炉内においては石綿は一切使用されておらず、また、アスベストヤーンロープやアスベストテープは定期修理時に触れられたりすることはないと主張する。しかしながら、《証拠省略》によれば、アスベストヤーンロープは炉内にも使用され、また、加熱炉の修理工事及び定期点期点検整備工事の際に、アスベストヤーンロープやアスベストテープがはがされることがあるなどの前記事実が認められるから、被告関西保温工業の前記主張は採用することができない。
さらに、被告関西保温工業は、工事の仕上がり具合の点検等は、棒心と呼ばれるまとめ役が行い、棒心が現場監督から当日の作業の指示を受け、各種工事について発注者からクレームがつかない仕上がりにするよう現場作業を進めていくから、亡太郎が工事現場に赴いて下請職人に密着する必要はなかったと主張する。しかしながら、現場監督は一日平均五時間程度現場に出ていた、現場監督は、現場で進行管理や職人に対する指示を行っていた旨の前記認定に沿う《証拠省略》に照らし、被告関西保温工業の前記主張は採用することができない。
他に前記認定を左右するに足りる証拠はない。
(3) 被告井上冷熱に在職中の石綿ばく露についての検討
他方、亡太郎は、被告井上冷熱に就職した後は、主に東京支社及び千葉出張所での設計・積算業務に従事していたが、たまに現場に出かけたことがあったことは認められる。
しかしながら、本件全証拠をもってしても、亡太郎が現場に出かけた際に、その現場において石綿粉じんが発生していたことを認めるには足りない。したがって、亡太郎が被告井上冷熱に在職中に石綿にばく露したことを認めることはできない。
そうすると、亡太郎が被告井上冷熱に在職中に石綿にばく露したことを前提に、被告井上冷熱に労働契約上の安全配慮義務違反又は不法行為上の注意義務違反に基づき損害賠償を求める原告らの請求は、その余の点を検討するまでもなくいずれも理由がない。
二 争点(2)(亡太郎の死亡と石綿ばく露との因果関係)について
(1) 認定事実
《証拠省略》によれば、次の事実を認めることができる。
ア 亡太郎の診断結果等
(ア) 中央労働基準監督署長は、労災給付の申請を審査するため、がんセンター病院長に対し意見書の提出を求め、がんセンターの北條史彦医師(以下「北條医師」という。)は、同監督署長に対し、概ね次の内容の平成九年一月二〇日付け意見書を提出した。
診断名 悪性胸膜中皮腫
エックス線所見 左胸水貯留及び胸膜肥厚
右側にも胸水貯留
CTでは縦隔への浸潤file_5.jpg
生検・剖検実施の有無 有
胸膜生検 東松戸病院にてH八・六・五日
当院 組織No. P九六―二六四五 悪性胸膜中皮腫
病理学的所見等 上記生検より 悪性胸膜中皮腫の診断
(イ) 労災手続において、地方じん肺産業医は、平成一一年九月二四日付け意見書(甲五八の三)において、亡太郎について、「一九九六年一月二九日付け胸部XPから一九九六年六月六日の胸部XPの経過をみると、病初のXP左下葉の胸膜所見が、アスベストによる変化と考えられる。一九九六年六月二四日の生検の結果が、悪性胸膜中皮腫と診断された。病初の胸部XPでアスベスト肺1/1と診断できる。」としている。
イ 石綿ばく露と悪性中皮腫について
(ア) 石綿ばく露と悪性中皮腫に関する知見等
a 石綿
石綿(アスベスト)は、自然起源の繊維状の珪酸塩鉱物で、クリソタイル(温石綿・白石綿)、クロシドライト(青石綿)、アモサイト等がある。耐熱性、耐圧性、抗張性、電気絶縁性に優れ、かつ化学安定性に富む特性があることから、広く工業原料として用いられてきた。
石綿を吸引すると、胸膜に胸膜炎・胸膜肥厚斑等が生じ、胸膜の癒着や肺機能の低下をもたらし、また、石綿肺が起こって強い肺機能障害が発生し、死亡に至るほか、肺がんや悪性中皮腫の原因となる。
悪性中皮腫は、胸膜、腹膜、心膜等の体腔漿膜腔を覆う中皮表面又はその下層の組織から発生する腫瘍である。
b 石綿ばく露と悪性中皮腫
悪性中皮腫は、ごく短期間又は少量の石綿ばく露でも発生するとされ、また、石綿作業者が衣服や身体につけて運んだ石綿を吸うことによって、家族にも悪性中皮腫が発生することがあり、さらに、石綿工場や鉱山の近くに居住することにより悪性中皮腫が発生することもあるとされる。
甲二三(労働衛生vol.20、No.7、一九七九年(昭和五四年))では、「石綿は曝露開始から中皮腫発生までの期間は長く、通常二〇年以上の経過が必要とされており、曝露期間は一〇年以上の場合が多いが五年未満の例もあり、肺ガンを発生するに必要な曝露量よりも少量で発症する可能性があり、石綿肺がなくても発生する。なお中皮腫については喫煙との関係は認められない。Bohligらは…、石綿粉じん曝露量が多いほど、石綿肺と肺ガンになりやすく、粉じん量が少ないほど胸膜斑および悪性中皮腫が発生しやすいと説明している。胸膜中皮腫は腹膜中皮腫より比較的多く、年齢分布は石綿合併肺ガンより発症年齢が若い方に分布し、予後は不良で、ことに悪性中皮腫は生存期間が短い。」としている。
また、甲五二(「職業性石綿ばく露と石綿関連疾患」森永謙二編)は、概ね次のとおり述べている。横須賀共済病院で一九七二年(昭和四七年)から二〇〇〇年(平成一二年)までに診断された悪性胸膜中皮腫は五四例であるが、その九六%に何らかの石綿ばく露がみられ、女性では、造船所や建造物解体現場の清掃員、造船所に勤める夫の作業衣を自宅で洗濯していた人等がみられる。小児期に母親の働く耐火レンガ工場で遊んでいた環境ばく露例もある。発症時の年齢は三〇歳ないし八八歳、平均六四・六歳であった。潜伏期間(最初の石綿ばく露から発症又は死亡まで)はばく露量が多い人ほど短くなるが、ばく露が多い人は中皮腫を発症する前に高度のじん肺や肺がんに罹患する率が高い。したがって、悪性中皮腫の平均潜伏期間は、通常、肺がんより長い。また、肺がんとは異なり、年数を経るほど発生頻度が高くなる。すなわち、石綿の体内沈着量がさほど多くなくても、沈着した期間が長くなればなるほど悪性中皮腫の危険性は大きくなる。
甲五三(「現代労働衛生ハンドブック」三浦豊彦ほか編)は、中皮腫は、低濃度のばく露によっても生じることは特に有名で、直接石綿を取り扱わない人でも石綿を使用している現場で一緒に働いたことがあれば、石綿粉じんを吸入しているわけであり、中皮腫の発症は十分あり得るとしている。
甲六四(「石綿・ゼオライトのすべて」環境庁大気保全局監修)は、直接石綿や石綿製品の製造あるいは石綿製品の使用にたずさわらないが、比較的石綿製品を頻繁に使用している環境で働いている種々の労働者も知らずに石綿ばく露を受けている例が報告されているとしている。
(イ) 労災の認定基準
a 「石綿による疾病の認定基準について」(厚生労働省労働基準局長通達平成一五年九月一九日付け基発第〇九一九〇〇一号。以下「一五年認定基準」という。甲四〇)は、石綿との関連が明らかな疾病には、①石綿肺、②肺がん、③胸膜、腹膜、心膜又は精巣鞘膜の中皮腫、④良性石綿胸水、⑤びまん性胸膜肥厚があるとし、石綿ばく露作業には、次のものがあるとしている。
a) 石綿鉱山又はその附属施設において行う石綿を含有する鉱石又は岩石の採掘、搬出又は粉砕その他石綿の精製に関連する作業
b) 倉庫内等における石綿原料等の袋詰め又は運搬作業
c) 次のⅰからⅴまでに掲げる石綿製品の製造工程における作業
ⅰ 石綿糸、石綿布等の石綿紡織製品
ⅱ 石綿セメント又はこれを原料として製造される石綿スレート、石綿高圧管、石綿円筒等のセメント製品
ⅲ ボイラーの被覆、船舶用隔壁のライニング、内燃機関のジョイントシーリング、ガスケット(パッキング)等に用いられる耐熱性石綿製品
ⅳ 自動車、捲揚機等のブレーキライニング等の耐摩耗性石綿製品
ⅴ 電気絶縁性、保温性、耐酸性等の性質を有する石綿紙、石綿フェルト等の石綿製品(電綿絶縁紙、保温材、耐酸建材等に用いられる。)又は電解隔膜、タイル、プラスター等の充填剤、塗料等の石綿を含有する製品
d) 石綿の吹付け作業
e) 耐熱性の石綿製品を用いて行う断熱若しくは保温のための被覆又はその補修作業
f) 石綿製品の切断等の加工作業
g) 石綿製品が被覆材又は建材として用いられている建物、その附属施設等の補修又は解体作業
h) 石綿製品が用いられている船舶又は車両の補修又は解体作業
i) 石綿を不純物として含有する鉱物(タルク(滑石)、バーミキュライト(蛭石)、繊維状ブルサイト(水滑石)等の取扱い作業
j) 上記a)からi)の石綿又は石綿製品を直接取扱う作業の周辺等において、間接的なばく露を受ける可能性のある作業
b 一五年認定基準は、それ以前の基準(昭和五三年一〇月二三日付け「石綿ばく露作業従事労働者に発症した疾病の業務上外の認定について」。以下「五三年認定基準」という。)を改訂したものであるが、主な改訂点は、①石綿との関連が明らかな疾病として、五三年認定基準には「胸膜又は肋膜の中皮腫」が示されていたが、これに「心膜又は精巣鞘膜の中皮腫」を追加したこと、②石綿との関連が明らかな疾病として、「良性石綿胸水」及び「びまん性胸膜肥厚」を新たに例示したこと、③石綿ばく露作業については、過去の労災認定事例等を踏まえて、「倉庫内等における石綿原料等の袋詰め又は運搬作業」、「石綿製品が用いられている車両の補修又は解体作業」、「石綿又は石綿製品を直接取扱う作業の周辺等において、間接的なばく露を受ける可能性のある作業」を追加したこと、④中皮腫に係る認定要件のうち、石綿ばく露作業への従事期間を「五年以上」から「一年以上」に短縮したことなどである。これは、中皮腫に係る医学的知見が進歩したこと、中皮腫に係る労災認定件数が、平成一一年度二五件、平成一二年度三五件、平成一三年度三三件と増加傾向にあることなどから、石綿による中皮腫の労災請求件数が、今後さらに増加することも予想され、そのような事態への的確な対応及び迅速・適正な労災認定のために、認定基準が最新の医学的知見により見直されたことによる。
c また、厚生労働省労働基準局労災補償部補償課長平成一五年九月一九日付け「石綿による疾病の認定基準の運用上の留意点について」(甲五一)は、一五年認定基準中の間接ばく露に関して、次のように指摘している。
「中皮腫は、肺がんに比べ、低濃度の石綿ばく露によっても発症することがある。
特に、石綿を不純物として含有する鉱物等の取扱い作業及び間接的なばく露を受けていた可能性のある作業については、労働者等が、石綿にばく露していたことを認識していない場合があることに留意の上、職業ばく露歴の調査に当たること。このような作業に係る労災認定事例として、次のものがある。
① 被災労働者は、石筆を削り、その削った石筆を用いたけがき(鉄板に切断のための線を引く)作業に約二五年間従事し、その後、「心膜中皮腫」を発症したものである。石筆の原料である当時のタルク(滑石)には、石綿が不純物として含有されており、この石筆を削る作業及びけがき作業において、石綿のばく露を受けたものである。
② 被災労働者は、玉掛け工として約一二年間従事し、その後、「胸膜中皮腫」を発症したものである。被災労働者は直接石綿を取り扱っていなかったが、玉掛け作業に従事していた造船所内の建造船ドッグ、溶接工場等には石綿を取り扱っている現場があったため、そこで間接ばく露を受けたものである。」
d なお、亡太郎に係る労災認定は、一五年認定基準が出される以前になされたものである。
(ウ) 石綿ばく露と悪性中皮腫発症までの期間等の統計等
石綿ばく露労働者に発生した疾病の認定基準に関する検討会が平成一五年八月二六日付けでまとめた「石綿ばく露労働者に発生した疾病の認定基準に関する検討会報告書」(甲五〇。以下「検討会報告書」という。)によれば、平成一一年度から平成一三年度までの間、石綿による中皮腫として労災認定がされたのは九三件、うち胸膜中皮腫として認定されたのは七〇件で、ばく露期間は最も短い症例で二・三年、最も長い症例で四二・七年、平均一九・八年、中央値一七・四年、症状確認時の年齢は最も低い年齢で三〇歳、最も高い年齢で九五歳、平均値、中央値ともに六〇歳、ばく露開始から症状確認日までの期間(潜伏期間)は、最も短い症例で一一・五年、最も長い症例で五四・二年、平均三六・九年、中央値三八・六年であった。
また、同報告書においては、ノルウェーの国民保険協会に届出されている中皮腫発症例二一例を分析すると、ばく露開始年齢は平均二七・一(標準偏差一〇・三)、死亡年齢は平均六二・〇(標準偏差九・六)、ばく露期間(年)は平均二一・四(標準偏差一一・七)、ばく露開始から死亡までの潜伏期間(年)は平均三五・四(標準偏差一〇・八)、ばく露終了から死亡までの潜伏期間(年)は平均一四・一(標準偏差一二・九)という統計結果が紹介されている。
(2) 検討
ア 訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、事実と結果との間に高度の蓋然性があることを証明することであり、その判定は、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とし、かつ、それで足りると解されるところ、以下、この立場から、亡太郎の石綿ばく露と悪性中皮腫との間の因果関係を検討する。
前記一(争点(1))のとおり、亡太郎は、主に昭和四〇年から昭和四五年まで及び昭和四九年から昭和五九年までの間、石油コンビナートの加熱炉、産業廃棄物焼却設備等の新規工事、補修、定期点検整備工事、保温工事等において、老朽化したアスベストヤーンロープやアスベストテープがはがされ、または、老朽化した保温材が撤去され、あるいは新たな保温材が取り付けられる場合の加工の際に、石綿粉じんが発生する現場において現場監督に従事したため、反復して、石綿粉じんを吸入したものと認められる(前記の労災の一五年認定基準によっても、亡太郎が従事した作業は、石綿又は石綿製品を直接取扱う作業の周辺等において、間接的なばく露を受ける可能性のある作業に該当する。)。
また、悪性中皮腫が石綿ばく露によって生じることについては、既に各国における疫学的研究、動物吸入実験によって明らかにされ、悪性中皮腫は石綿ばく露との因果関係が極めて濃厚であるとされており、前記のとおり、わが国の労働行政においても、石綿ばく露による悪性中皮腫は労災と位置付けられ、五三年認定基準及び一五年認定基準により労災手続における認定基準が明らかにされてきた。そして、がんセンターの北條医師は、亡太郎に対する生検等の結果から、亡太郎が悪性胸膜中皮腫に罹患していた旨診断したところ、同医師の診断を疑わせる証拠は存在しない(被告関西保温工業も、亡太郎が悪性胸膜中皮腫を発症し、死亡したことについては、これを積極的に否定する主張はしていない。)。そして、同医師も、亡太郎の悪性胸膜中皮腫は石綿ばく露を原因として発症したと判断していたものと推認され、また、労災手続において地方じん肺産業医も、亡太郎のX線所見及び生検の結果等から、病初の胸部XPでアスベスト肺と診断できるとしている(上記(1)ア(イ))。亡太郎は、一日に一〇本程度喫煙をしていたが(甲一九の一・二)、喫煙が悪性中皮腫の要因になるとの知見はなく、あるいは、喫煙の影響はないとされている。なお、亡太郎の被告関西保温工業における石綿ばく露は、炉内でのばく露もあったが、炉外(屋外)でのばく露の方が多かったと考えられ、また、保温材等の石綿含有量は高くないことから、反復して長期間にわたってばく露を受けたものの、ばく露の濃度は低かったと考えられるが、悪性中皮腫は低濃度のばく露の場合にも発生し得ることが明らかになっている(前記(1)イ(ア)、同(イ)c)。
さらに、前記のとおり、検討会報告書によれば、わが国での労災認定事例におけるばく露開始から症状確認日までの期間(潜伏期間)は、最も短い症例で一一・五年、最も長い症例で五四・二年、平均三六・九年、中央値三八・六年である旨の統計結果があり、ノルウェーの国民保険協会に届出されている中皮腫発症例について、ばく露開始から死亡までの潜伏期間(年)は平均三五・四(標準偏差一〇・八)、ばく露終了から死亡までの潜伏期間(年)は平均一四・一(標準偏差一二・九)という統計結果がある。亡太郎の場合、悪性中皮腫の症状が出始めたのが平成七年一一月(前記前提事実一(3)ア)であるから、ここから、労災認定事例におけるばく露開始から症状確認日までの期間(潜伏期間)の平均三六・九年を遡ると昭和三四年ころばく露開始となるし、亡太郎の死亡時である平成八年八月から、ノルウェー国民保険協会に届出されている中皮腫発症例におけるばく露開始から死亡までの潜伏期間(年)の平均三五・四年を遡ると昭和三六年ころばく露開始、ばく露終了から死亡までの潜伏期間(年)の平均一四・一年を遡ると昭和五八年ころばく露終了となる。一方、前記認定(一(2))のとおり、亡太郎は、被告関西保温工業に在職中の昭和四〇年から昭和四五年まで及び昭和四九年から昭和五九年までの間に石綿粉じんを吸入したものと認められる。したがって、亡太郎が被告関西保温工業に在職中の石綿ばく露開始時期及び終了時期と発症及び死亡時期は、統計上の平均値とも概ね整合するということができる。
イ 以上を要するに、亡太郎は、被告関西保温工業に在職中の昭和四〇年から昭和四五年まで及び昭和四九年から昭和五九年までの間、現場監督業務に従事した際に、反復して石綿の粉じんを吸入したことが認められるところ、がんセンターの医師は、生検により亡太郎を悪性中皮腫と診断し、また、地方じん肺産業医も、亡太郎のX線所見及び生検の結果等から、病初の胸部XPでアスベスト肺と診断できるとしている。そして、悪性中皮腫は石綿ばく露との因果関係が極めて濃厚であるとされており、また、低濃度のばく露であっても悪性中皮腫を発生することが知られている。さらに、亡太郎の石綿ばく露開始時期及び終了時期と発症及び死亡時期は、統計上の平均値とも概ね整合する。これらを総合すると、亡太郎が、被告関西保温工業の在職中の前記期間に石綿粉じんを吸入したことにより、悪性中皮腫を発症して死亡したことについては、高度の蓋然性が認められるというべきである。
したがって、亡太郎が、悪性中皮腫に罹患して死亡したことと、被告関西保温工業に勤務中に現場監督業務に従事した際、石綿にばく露したことの間には、因果関係があると認めることができる。
ウ 被告関西保温工業は、亡太郎が被告関西保温工業に勤務し、現場監督業務に従事していたと同時期に、亡太郎と同様に現場監督業務に従事していた者が数十人いるところ、現在、これらの者の中に亡太郎と同様に悪性中皮腫を発症した者はいないし、当時の下請作業員の中も発症した者はいないとして、前記因果関係を否認する。しかしながら、被告関西保温工業は、下請作業員には防じんマスクを着用させていたのであるし、そもそも、悪性中皮腫は、石綿粉じんを吸入すれば必ず発症するというものではなく、発症するか否かは当然に個体差があると考えられることからすると、被告関西保温工業の主張は採用することができない(なお、当時、現場監督に従事した者及び下請作業員に、亡太郎と同様、悪性中皮腫を発症した者がいないことについても立証がなされているわけではない上、ばく露開始から症状確認日までの期間(潜伏期間)が長いことからすれば、悪性中皮腫を発症する前に他の疾病等により死亡した可能性や、悪性中皮腫の診断には専門的知識が必要であり、悪性中皮腫を発症し、死亡したにもかかわらず、他の疾病と診断された可能性も考えられる(亡太郎も、前記前提事実一(3)イのとおり、松戸市立福祉医療センターに精査目的で入院し、結核に罹患していることが疑われながら、確認できないまま同医療センターを退院している。))。
三 争点(3)(予見可能性、安全配慮義務違反)について
(1) 予見可能性について
ア 認定事実
《証拠省略》によれば、石綿粉じんが人の生命・健康に及ぼす影響に関する知見とその時期等について、以下の事実を認めることができる。
(ア) 海外における知見等
a 一九六五年(昭和四〇年)以前
一八九〇年代の近代石綿産業の急速な発展とともに、石綿紡織従事者にるいそう(やせ)と呼吸器障害がみられることが知られるようになったが、一九〇七年(明治四〇年)、イギリスの職業病に関する補償審議委員会で、ミュレイ医師が、一〇年間石綿紡織工場の粗紡部門で働いていた三三歳の男性従業員の解剖例を報告したことで、石綿肺が初めて公に明らかにされた。
一九三五年(昭和一〇年)、リンチとスミスにより、二二年間石綿紡織工として働いていた五七歳の白人男性の石綿肺に合併した肺癌が報告された。これ以降、石綿肺に合併した肺がん症例が世界各国から報告されるようになり、一九五二年(昭和二七年)には、ポール・カルティエ博士が一〇年間に四〇〇〇人のクリソタイル鉱山労働者の中から六例の肺癌とともに二例の胸膜中皮腫を経験したことを報告し、一九五三年(昭和二八年)には、アーノルド・バイスが、一九四七年(昭和二二年)にドイツで三一例の石綿肺の症例と、その中の二例の胸膜中皮腫症例を報告し、胸膜中皮腫も石綿労働者の職業がんの特別のパターンと推測できる、本症例における証明は、患者達自身が存命中に職業病に対する賠償を得るためにも非常に価値があるものであるとし、一九五四年(昭和二九年)には、レイハーが石綿肺に合併した腹膜中皮腫症例を報告した(甲二三、五三)。そして、一九五五年(昭和三〇年)にドルにより行われた疫学調査により、石綿ばく露と肺がんの関係が確立されたとされている。また、一九六〇年(昭和三五年)、ワグナーが、クロシドライト鉱山労働者やその家族、近隣住民に、胸膜中皮腫患者が発生していることを報告した。
一方、一九六四年(昭和三九年)、ニューヨーク科学アカデミーが主催する「石綿の生物学的影響」と題する国際会議において、石綿の発がん性について各国から報告され、また、同年、国際対がん連合(UICC)が主催する「石綿とがん」と題する国際会議が開催された。
b 一九六六年(昭和四一年)以降
一九七二年(昭和四七年)、国際がん研究機関(IARC)が主催する「石綿の生物学的影響」、一九七三年(昭和四八年)、アメリカ国立環境衛生科学研究所(NIEHS)・環境保護庁(EPA)が主催する「摂取した石綿の生物学的影響」、一九七五年(昭和五〇年)、ルアンがんセンターが主催する「石綿の病理」、同年から一九七六年(昭和五一年)にかけて欧州共同体(CEC)が主催する「石綿ばく露による大衆の健康に対する危険」、同年、国際がん研究機関(IARC)が主催する「ヒトに対する化学物質のがん発生危険の評価:石綿」、一九七八年(昭和五三年)、ニューヨーク科学アカデミーが主催する「石綿ばく露による健康に対する危険」、一九七九年(昭和五四年)、国際がん研究機関(IARC)が主催する「鉱物繊維の生物学的影響」、一九八二年(昭和五七年)、カナダ政府・ケベック州・欧州共同体(CEC)が主催する「世界石綿シンポジウム」、一九八四年(昭和五九年)、北大西洋条約機構(NATO)が主催する「ヒト肺組織からの鉱物繊維の評価」及び「鉱物粉じんの試験管内実験」とそれぞれ題する各国際会議が開催され、研究成果が発表された。
(イ) わが国における知見等
a 昭和四〇年以前
わが国では、石綿肺については、昭和一二年から昭和一五年にかけて、保険院社会保険局健康保険相談所の助川浩らによって、大阪泉南地方の石綿加工工場群について調査が実施され、X線撮影した二五一名中六五名に石綿肺が発見された。また、昭和二七年には、奈良の石綿工場において実施された検診により、二〇三名中一〇名に石綿肺の者が見出され、昭和三〇年には、国内で初めて剖検例が得られた。また、昭和三一年から、労働省労働衛生試験研究として「石綿肺の診断基準に関する研究」課題が要望され、共同研究班が組織された。その調査結果では、石綿工場での作業従事者に有意な石綿肺所見率が認められた。
昭和二二年には、石綿肺は、労働基準法施行規則により、粉じんを飛散する場所における業務によるじん肺症及びこれに伴う肺結核として、業務上疾病に指定され、労災補償の対象とされた。
昭和三〇年には「けい肺及び外傷性せき髄障害に関する特別保護法」が制定されたが、同法は、石綿による石綿肺は対象としていなかった。しかし、同法の改正を審議するけい肺審議会は、適用対象をけい肺にとどまらず、医学的に実体が明らかにされてきた石綿肺等も鉱物性粉じんの吸入によって起こるじん肺のすべてに拡大することなどを答申し、昭和三五年三月三一日、じん肺法(旧じん肺法)が制定、公布され、同年四月一日、全面的に施行された。同法は、その保護範囲をけい肺だけでなく、じん肺一般に拡大し、同法が適用される「粉じん作業」について、「石綿をとぎほぐし、合剤し、紡績し、紡織し、吹き付けし、積み込み、若しくは積み卸し、又は石綿製品を積層し、縫い合わせ、切断し、研まし、仕上げし、若しくは包装する場所における作業」と定めた(じん肺法施行規則別表第一の二三号)。
b 昭和四一年以降
昭和四六年四月二八日、石綿を有害化学物質とした特定化学物質等障害予防規則(労働省令第一一号)が制定、公布され、同年五月一日より一部施行、昭和四七年五月一日より全面施行された。同規則は、石綿を「通常の作業時における継続的又は繰り返しの暴露による慢性的な障害を起こし、又は起こす恐れの大きいもの」である第二類物質に分類していた。また、昭和四七年六月八日、労働安全衛生法(法律第五七号)が制定、公布された。同法五七条は、労働者に健康障害を生ずるおそれのあるものを容器に入れ、又は包装して、譲渡し、又は提供する者は、その容器又は包装に名称等を表示しなければならないとし、石綿もその規制の対象とされていた。そして、昭和四七年九月三〇日、新しい特定化学物質等障害予防規則(労働省令第三九号)が制定、公布されたが、石綿に関しては、石綿の粉じんが発散する屋内作業場については、当該発散源に局所排気装置を設けなければならないが、それが著しく困難な場合などには、全体換気装置を設けるか石綿を湿潤な状態にするなど労働者の健康障害を予防するために必要な措置を講ずべきこと、石綿等を取り扱う作業場には、関係者以外の者が立ち入ることを禁止することなどが規定された。さらに、同規則は、昭和五〇年九月三〇日改正され、石綿に関しては、石綿等の切断の作業、石綿等を張り付けた物の解体等の作業、粉状の石綿等を混合する作業等に労働者を従事させるときは、石綿等を湿潤な状態のものとしなければならないことなどが規定された。
昭和四八年七月一〇日発行の日本内科學會雑誌第六二巻第七号(甲五九)において、小泉岳夫らにより「Asbestosisを伴った腹膜中皮腫の一例」と題する論文が発表された。同論文は、腹膜中皮腫の発症例として、石綿加工業に約四〇年間従事し、石綿粉じんを吸入していた六三歳男性の例を紹介し、また、「日本における一九六〇年以降の中皮腫報告例は合計六六例だが、外国での成績をみるとわが国でも本症が増加する可能性が予想される。」、「アスベストーシス症例に中皮腫が発生することは、一九六〇年Wagnerらによって指摘されたが、それ以後も両者の関連を強調する論文が少なくない。」、「スコットランド、ロンドン、カナダなどの成績から中皮腫の原因として石綿粉じん吸入の重要性を否定できない。」などと述べている。
昭和四九年八月二五日発行の日本胸部疾患学会雑誌一二巻八号(甲六〇)において、姜健栄らの「石綿肺に合併した胸膜中皮腫の一例」と題する論文が発表された。同論文は、石綿肺に合併した胸膜中皮腫の発症例として、石綿製品の販売及び保温断熱工事の経営者であり、加工にも従事した六五歳男性の例を紹介し、また、「石綿肺と胸膜中皮腫の合併に関する問題は南阿のWagnerら(一九六〇年)によってとりあげられ、以来欧米諸国では、直接作業に従事する石綿労働者だけでなく、その周辺の住民まで中皮腫の発生がみられるという。」、「石綿粉じん吸入より胸部疾患発生までの潜伏期間につき、Bohligらは吸入粉じん量が多ければ短期間内に石綿肺または気管支炎に罹患し、吸入粉じん量が少なく長期生存した場合、悪性中皮腫が発生してくると説明している。」などと指摘している。
その後、昭和五〇年には立野育郎らにより、第二次大戦中石綿作業に従事した六五歳男性が胸膜中皮腫を、昭和五一年には松田泰生らにより、石綿と接触があった四五歳男性が胸腹膜に中皮腫を、昭和五二年には宮田義彦らにより、造船所で塗装工・修理工として就労していた六八歳男性が胸膜中皮腫を、山村弟一らにより蒸気機関車整備士であった六九歳男性が胸膜中皮腫を、滝島任らにより石綿入り耐火レンガ細工に従事していた五八歳男性が胸膜中皮腫を、昭和五三年には州崎剛らにより、石綿製造工場勤務であった四三歳男性が腹膜中皮腫を、昭和五四年には森田喜代らにより保温配管関係に従事していた六一歳男性が胸膜中皮腫を、それぞれ発症している事例が学会誌等で発表された。
一方、昭和五一年には「石綿粉じんによる健康障害予防対策の推進について」(昭和五一年五月二二日付け基発第四〇八号通達)が出されたが、これには、石綿は、可能な限り有害性の少ない他の物質に代替させること、石綿により汚染した作業衣からの二次汚染等を防止するため、作業衣の洗濯、作業衣の持ち出しの禁止等清潔の保持の徹底を図ることなどが規定されていた。そして、昭和五三年三月の労働基準法施行規則改正時には、石綿ばく露作業従事者に発症する疾病について、「石綿にさらされる業務による肺がん又は中皮腫」が例示され、同年「石綿ばく露作業従事労働者に発生した疾病の業務上外の認定について」(昭和五三年一〇月二三日付け基発第五八四号通達)が出された。
イ 予見可能性の判断
安全配慮義務の前提として、使用者が認識すべき予見義務の内容は、生命・健康という被害法益の重大性に鑑み、安全性に疑念を抱かせる程度の抽象的な危惧であれば足り、必ずしも生命・健康に対する障害の性質、程度や発症頻度まで具体的に認識する必要はないというべきである(福岡高裁平成元年三月三一日判決・判例時報一三一一号四五頁参照)。
これを本件についてみると、前記アのとおり、海外においては、昭和四〇年以前に、既に石綿の人体に対する危険性のみならず、胸膜中皮腫が石綿労働者の職業がんであることが推測されるなどと指摘する文献もあり、また、わが国においても、昭和一二年以降、石綿肺の調査等が実施されて、昭和三一年には、労働省労働衛生試験研究として、石綿肺の診断基準に関する研究が開始され、昭和二二年には、労働基準法施行規則により、石綿肺は粉じんを飛散する場所における業務によるじん肺症及びこれに伴う肺結核として、業務上疾病に指定されて労災補償の対象とされ、さらに、昭和三五年三月に制定されたじん肺法は、石綿に係る一定の作業について、同法が適用される「粉じん作業」と定めたなどの法令の整備状況等に照らせば、遅くとも昭和四〇年ころまでには、少なくとも、石綿粉じんが、人の生命・健康に重大な影響を及ぼすことについては、医学界のみならず石綿を取り扱う業界にも知見が確立していたものと推認される。
そうすると、被告関西保温工業は、亡太郎が昭和四〇年から昭和四五年まで及び昭和四九年から昭和五九年までの間に現場監督の業務に従事した際、石綿粉じんの吸入によって、その生命・健康を害する影響を受けることについて予見可能性があったものと認めることができる(ちなみに、被告関西保温工業は、職人には、保護具として石綿用防じんマスクを使用させていた旨主張するところ、仮に、職人に対して支給していた防じんマスクがその主張のとおり石綿用であったとすれば、被告関西保温工業は、実際にも石綿粉じんを吸入することが生命・健康を害する危険性を認識していたことになる。)。なお、前記ア(イ)bのとおり、わが国においても、昭和四六年には、石綿を「通常の作業時における継続的又は繰り返しの暴露による慢性的な障害を起こし、又は起こす恐れの大きいもの」である有害化学物質とした特定化学物質等障害予防規則が制定、施行され、昭和四七年六月には、石綿を規制対象とする労働安全衛生法(法律第五七号)が制定、公布されたことなどからすれば、亡太郎が石綿粉じんを吸入した昭和四〇年から昭和四五年まで及び昭和四九年から昭和五九年までの合計約一五年間のうち、後の期間の始期である昭和四九年ころまでには、石綿粉じんが人の生命・健康に重大な影響を及ぼすことについての知見はより確たるものになっていたと推認できる。
また、仮に、石綿ばく露により具体的疾患である悪性中皮腫を発症する危険性の観点からみたとしても、被告関西保温工業は、その業務内容からして古くから石綿製品を取り扱い、石綿と密接に関わっていたところ(《証拠省略》によれば、被告関西保温工業は、単に日本アスベスト株式会社から石綿製品を購入して使用していたのみならず、石綿を使用することを前提とした製品(カンポエスタロン)を製造し、取引先に宣伝していたことも認められる。)、前記のような石綿による人の生命・健康に対する重大な影響を予見できた以上、労働者の生命・健康に対する配慮から、さらに石綿の危険性等について調査すべきところ、そのような調査をすれば、昭和四〇年ころにも、海外の文献等により、石綿ばく露が悪性中皮腫を発生させる危険性があることを予見することは可能であったし、遅くとも昭和四九年ころまでには、わが国の文献によっても、その予見をすることは可能であったと認められる(前記ア(ア)a、(イ)b)。そして、亡太郎が石綿粉じんを吸入した前記合計約一五年の期間のうちの昭和四九年から昭和五九年までの期間の始期である昭和四九年ころまでには、そのような予見可能性があったと認められる以上、悪性中皮腫を発症する危険性の観点からみたとしても、亡太郎が被告関西保温工業に勤務中に石綿にばく露した期間の大半について被告関西保温工業に安全配慮義務の前提としての予見可能性があったということになる。
(2) 被告関西保温工業の安全配慮義務違反について
石綿の粉じんは、これを人が吸入した場合には、悪性中皮腫等を発症せしめて人の生命・健康を害する危険性があるところ、被告関西保温工業は、前記のとおり、少なくとも石綿の吸入が人の生命・健康に重大な影響を及ぼすことについての危険性を予見することが可能であったのであるから、まず、石綿の粉じんが発生する石綿製品については代替品を使用するなどして、可能な限り、その労働者が石綿粉じんを吸入する機会を抑えるようにすべき注意義務があったというべきである。もっとも、前記認定のとおり、被告関西保温工業が保温材・補助材等の石綿製品を購入していた日本アスベスト株式会社が、石綿を含有しない石綿フリー製品を製造販売したのは、最も早いシリカライトカバーで昭和四八年であり、最も遅いH・I・マスチックでは昭和六二年であったところ、被告関西保温工業は昭和五四年ころまで保温材・補助材に石綿製品を使用していたことは認められるものの、これらの代替品の使用が可能となった以後も石綿を含有する製品を使用し続けたものとまでは認定できないから、前記注意義務を怠ったものとはいえない。
しかしながら、石綿の使用の取止めや代替品への切り替えが直ちにできなかった場合、あるいは、過去に石綿製品を使用していた現場で補修等を行う場合には、労働者が石綿粉じんを吸入する危険性があることから、使用者である被告関西保温工業は、可能な限り、労働者が石綿の粉じんを吸入しないようにするために万全の措置を講ずべき注意義務を負担していたというべきである。具体的には、被告関西保温工業は、現場監督である亡太郎に対し、石綿の人の生命・健康に対する危険性について教育の徹底を図るとともに、亡太郎に対しても防じんマスクを支給し、マスク着用の必要性について十分な安全教育を行うとともに、石綿粉じんの発生する現場で工事の進行管理、職人に対する指示等を行う場合にはマスクの着用を義務付けるなどの注意義務があったというべきである。また、被告関西保温工業は、補修工事等の対象となる建造物について、石綿が使用されている箇所及び使用状況をできる限り調査して把握し、亡太郎ら現場監督に周知すべき注意義務があったというべきである。
しかるに、被告関西保温工業は、職人に対しては、防じんマスクを支給していたものの、同じ作業場で工事の進行管理、職人に対する指示等を行うため、職人と同程度あるいはそれに近い程度に粉じんを吸入する可能性もある亡太郎ら現場監督に対し、マスクを支給せず、また、そもそも、石綿の人の健康・生命に対する危険性についての教育や、マスク着用のための安全教育を全く実施せず、さらに、補修工事の対象となる建造物について、石綿等が使用されている箇所及び使用状況を事前に把握するなどの措置を全く講じていなかった(なお、証人長谷は、石綿が原因で悪性中皮腫になることを知ったのは最近であるとも証言しており、これは、端的に、被告関西保温工業の従業員に対する安全教育の欠如を示すものといわざるを得ない。)。また、石綿粉じんが発生する現場には、散水も防じん対策として有効と考えられるが、被告関西保温工業は、そのような対策も講じていなかった。
そうすると、被告関西保温工業には、労働契約上の安全配慮義務違反があったものといわざるを得ない(なお、被告関西保温工業の前記の各安全配慮義務違反は、亡太郎が被告関西保温工業で石綿にばく露した全期間にわたって認められる。)。また、使用者は、労働者の健康をそこなわないように配慮すべき不法行為上の注意義務を負うというべきところ、同義務も以上に検討してきた安全配慮義務と同内容のものというべきであるから、被告関西保温工業には、不法行為上の注意義務違反も認められる。そして、前記一及び二に検討したところも総合すると、被告関西保温工業の前記各注意義務違反(過失)と亡太郎の死亡との間には、相当因果関係があるものと認められる。したがって、被告関西保温工業は、亡太郎の死亡について、債務不履行(民法四一五条)及び不法行為(民法七〇九条)に基づき、損害賠償責任を負うといわざるを得ない。
なお、仮に、石綿が人の生命・健康に対し重大な影響を及ぼすことについての知見がより確たるものとなった、あるいは、内外の文献等により石綿が悪性中皮腫を発症する危険性が明らかになった昭和四九年ころ(前記(1)イ)を予見可能性が生じた始期と考えたとしても、被告関西保温工業は、亡太郎が石綿にばく露した期間の大半(約一五年のうちの約一〇年)について安全配慮義務違反ないし不法行為上の注意義務違反があったことになり、これらのばく露期間内のばく露と残りの期間(約五年)内のばく露が相まって亡太郎の悪性中皮腫が発生したものと推認されるから、そのことによって前記の相当因果関係が左右されるものではない。
(3) 被告関西保温工業の主張について
被告関西保温工業は、同社が石綿をわずかに含む国が定めたJIS規格製品を購入して扱っていた施工業者にすぎず、ごく一部のいわゆる研究者の専門書に紹介されていた石綿被害に関する情報等をもって、結果を予見し、回避すべきことを求めるのは、無理を強いるものであると主張する。
しかしながら、被告関西保温工業が、JIS規格製品を購入し、それを使用して工事を行っていた施工業者であることのみをもって、前記各注意義務違反の前提となる予見可能性を直ちに否定することはできない。また、昭和二二年には、労働基準法施行規則により、石綿肺は粉じんを飛散する場所における業務によるじん肺症及びこれに伴う肺結核として、業務上疾病に指定されて労災補償の対象とされ、さらに、昭和三五年三月に制定されたじん肺法は、石綿に係る一定の作業について、同法が適用される「粉じん作業」と定めたなどの法令の整備状況等に照らせば、石綿粉じんが人の生命・健康に及ぼす影響について、ごく一部のいわゆる研究者の専門書に紹介されていたにすぎないものとはいえないから、被告関西保温工業の主張は、その前提においても採用することができない。
また、被告関西保温工業は、特定化学物質等障害予防規則に従い、石綿の含有量五%以下の石綿製品を使用していたとして、安全配慮義務違反を否定する。しかしながら、一般に、行政法令上の安全基準や衛生基準は、使用者が労働者に対する関係で当然に負担すべき注意義務のうち、労働災害の発生を防止する見地から特に重要な部分にして最低の基準を公権力をもって強制するために明文化したものにすぎないから、これらの基準を遵守したからといって、被告関西保温工業が前記認定の各注意義務を免れるものと解することはできない。したがって、被告関西保温工業の前記主張は採用することができない。
四 争点(4)(原告らの損害)について
(1) 死亡逸失利益 四六〇一万六五〇七円
ア 亡太郎は、死亡当時五一歳であり、その前年(平成七年)の給与収入は六八九万二二〇〇円であったと認められる。
原告らは、死亡逸失利益の算定に当たって、死亡時から就労終期である六七歳まで死亡当時の年収(ただし、主張は七〇〇万円。)を基礎に亡太郎の逸失利益を算定するが、平成七年当時、亡太郎は五〇歳であり、統計上、生涯で収入が最も多い時期であって、その後六七歳まで前記年収を維持できる可能性は高くはないと考えられること、原告らは亡太郎の退職金を算定しないことも考慮し、六七歳まで前記年収を基礎に亡太郎の逸失利益を算定したとも考えられるが、亡太郎は昭和五九年に被告関西保温工業を退職して被告井上冷熱に就職しており、同社における六〇歳の定年まで勤務したとしても、被告井上冷熱における退職金の算定の基礎となる期間が比較的短かいため、定年退職時に得ることのできたであろう退職金の額から中間利息を控除すると死亡時点の退職金の額と大差はないと考えられることなどを総合すると、亡太郎の死亡逸失利益の算定に当たっては、死亡時の五一歳から定年の六〇歳までは前記年収を基礎収入とし、その後六七歳までは平成八年賃金センサス男性労働者・高卒・六〇歳から六四歳までの平均年収である四四九万〇六〇〇円を基礎収入として、亡太郎の死亡逸失利益を算定するのが相当である。
そして、亡太郎は、原告ら三名を扶養していたので、生活費控除率は三〇%とし、年五%の割合で中間利息を控除して、亡太郎の死亡逸失利益を算定すると、次の(ア)及び(イ)の合計四六〇一万六五〇七円となる。
(ア) 689万2200円×(1-0.3)×7.1078(9年のライプニッツ係数)=3429万1865円
(イ) 449万0600円×(1-0.3)×3.7299(16年のライプニッツ係数10.8377-9年のライプニッツ係数7.1078)=1172万4642円
イ 中間利息控除の利率について
なお、原告らは、中間利息の控除は年二%の利率によるべきである旨主張するが、年五%の利率によるのが相当であり(東京高裁平成一二年九月一三日判決・金融商事一一〇一号五四頁、東京高裁平成一二年一一月八日判決判例時報一七五八号三一頁参照)、その主張は採用することができない。
(2) 死亡慰謝料 二三〇〇万〇〇〇〇円
亡太郎の死亡時の年齢、家族構成、被告関西保温工業の安全配慮義務違反の内容に加え、被告関西保温工業に石綿の人の生命・健康に対する危険性について予見可能性があったと認めるべきことは前記のとおりであるが、他方で、その予見可能性に従って安全教育等を施し、前記の各注意義務を尽くすことは、当時の石綿に対する企業の認識等からすれば必ずしも容易でなかった面もあると考えられることなどを総合すると、亡太郎の死亡慰謝料は二三〇〇万円を認めるのが相当である。
(3) 相続
亡太郎に生じた損害は、前記(1)及び(2)のとおり、合計六九〇一万六五〇七円(死亡逸失利益四六〇一万六五〇七円、死亡慰謝料二三〇〇万円)であるところ、原告花子は二分の一、原告一郎及び原告一江は各四分の一の割合で相続したから、原告花子につき三四五〇万八二五三円(死亡逸失利益二三〇〇万八二五三円、死亡慰謝料一一五〇万円、一円未満切り捨て、以下同様。)、原告一郎及び原告一江につき各一七二五万四一二六円(死亡逸失利益一一五〇万四一二六円、死亡慰謝料五七五万円)となる。
(4) 損害の填補
被告関西保温工業は、原告らは、労災保険法に基づき、遺族補償年金として平成一五年九月までに一五五三万九四八七円、遺族特別年金として三八〇万四一二二円の支給を受け、さらに、遺族補償年金として平成一五年一〇月から平成一六年八月まで月額三二万二三〇六円(合計一九三万三八三六円)の支給が確定しているから、これらの合計二一二七万七四四五円を損益相殺として、死亡逸失利益から控除すべきであると主張する。
そして、《証拠省略》によれば、原告花子は、亡太郎の死亡後、労災保険から、遺族補償年金として一五五三万九四八七円、遺族特別年金として三八〇万四一二二円、遺族特別支給金として三〇〇万円の支給を受け、また、遺族補償年金として、平成一五年一〇月から平成一六年八月まで各偶数月に各三二万二三〇六円の支給を受けることが確定していることが認められる。
これら支給金のうち、既に支給された遺族補償年金及び支給が確定している遺族補償年金合計一七四七万三三二三円(1553万9487円+32万2306円×6回)のみが、原告花子の損害のうち死亡逸失利益分に対する填補となる。被告関西保温工業は、既に支給された遺族特別年金三八〇万四一二二円も死亡逸失利益から控除すべきであると主張するが、遺族特別年金(遺族特別支給金も同様である。)の支給は、労災保険法二三条に規定する労働福祉事業の一環として行われるものであり(労働者災害補償保険特別支給金支給規則)、これが損害填補の性質を有するものと解することはできないから、その主張は採用することができない(なお、原告一江が一八歳未満であった当時は、同原告も受給資格者ではあったが、受給権者(最優先順位の受給資格者)は原告花子のみであり、実際に支給を受けた者も原告花子であるから、前記支給額は、原告花子の損害に対する填補として扱うことになる。)。
そして、原告花子の損害額は、前記(3)のとおり、三四五〇万八二五三円(死亡逸失利益二三〇〇万八二五三円、死亡慰謝料一一五〇万円)であるところ、死亡逸失利益についての損害の填補額は前記のとおり一七四七万三三二三円であるから、損害残額は一七〇三万四九三〇円(死亡逸失利益五五三万四九三〇円、死亡慰謝料一一五〇万円)となる。
(5) 弁護士費用
原告花子 一七〇万〇〇〇〇円
原告一郎及び同一江 各一七三万〇〇〇〇円
本件事案の内容及び原告らの各損害残額等に鑑みると、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用は、原告花子につき一七〇万円、原告一郎及び同一江につき各一七三万円と認めるのが相当である。
(6) まとめ
以上により、原告らの各損害額は、原告花子につき一八七三万四九三〇円、原告一郎及び同一江につき各一八九八万四一二六円となる。
第四結論
以上の次第で、原告らの被告関西保温工業に対する各請求は、原告花子が一八七三万四九三〇円及びこれに対する平成八年八月一一日(不法行為後の日)から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を、原告一郎及び原告一江が各一八九八万四一二六円及びこれに対する同日から同割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める限度で理由があるからこれを認容し、原告らの被告関西保温工業に対するその余の請求及び被告井上冷熱に対する請求はいずれも理由がないから棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 松本利幸 裁判官 瀬戸啓子 蛭川明彦)