大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成12年(ワ)20995号 判決 2002年10月29日

原告

A

原告

B

原告

C

原告

D

原告

E

原告

F

原告

G

原告

H

原告ら訴訟代理人弁護士

中野直樹

鷲見賢一郎

吉田健一

生駒巌

伊藤和子

一瀬晴雄

被告

アジアエレクトロニクス株式会社

同代表者代表取締役

甲野太郎

同訴訟代理人弁護士

大澤英雄

平越格

主文

1  被告は,原告Aに対し金993万2640円及びこれに対する,原告Bに対し金873万4560円及びこれに対する,原告Cに対し金660万1920円及びこれに対する,原告Dに対し金573万8400円及びこれに対する,原告Eに対し金553万0800円及びこれに対する,原告Fに対し金541万7520円及びこれに対する,原告Hに対し金513万7200円及びこれに対する,いずれも平成12年4月30日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。

2  原告Gの請求及びその余の原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

3  訴訟費用は,原告Gに生じたものと被告に生じたものの8分の1は同原告の負担とし,その余は被告の負担とする。

4  この判決は主文第1,3項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第1請求

被告は,原告Aに対し金993万2640円及びこれに対する,原告Bに対し金873万4560円及びこれに対する,原告Cに対し金660万1920円及びこれに対する,原告Dに対し金573万8400円及びこれに対する,原告Eに対し金553万0800円及びこれに対する,原告Fに対し金541万7520円及びこれに対する,原告Gに対し金513万2400円及びこれに対する,原告Hに対し金513万7200円及びこれに対する,いずれも平成12年4月1日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。

第2事案の概要

1  被告は,リストラのためテスタ部門を従業員共々他社に営業譲渡することにし,それに際し会社都合退職の退職金に特別加算金を加給する条件で希望退職者を募った。原告らは被告に勤務しその際退職したが,被告は特別加算金を加給しなかったので,原告らがその支払とこれに対する退職の日の翌日(平成12年4月1日)から支払済みまで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金の支払を求めたのが本件である。

2  争いのない事実等(末尾記載の証拠等により容易に認定できる事実を含む。)

(一)  当事者

(1) 被告は「エレクトロニクス機器,その装置,その他特殊電気器具機械の製造・修理・据付・販売」等を目的とする会社である。平成11年12月当時は,このうち半導体テストシステムの開発・設計・製造・販売の事業部門(以下「テスタ部門」という。)と電子計算機の周辺端末機等の電子機器の開発・設計・製造・据付・販売の事業部門(以下「電子機器部門」という。)の2つを柱とし,別紙のとおり全従業員484名のうち372名がテスタ部門,112名が電子機器部門に従事していた(<証拠略>)。また,当時本社は東京都世田谷区(以下略)にあったが,既に売却済みであり,この他東京都青梅市(電子機器部門)と神奈川県横浜市(テスタ部門)に事業所を有していた(<証拠略>)。もともと株式の半分を株式会社東芝(以下「東芝」という)が保有していたところ,その後東芝がすべての株式を取得した。

(2) 原告A(以下,原告らを姓で呼称する。)は,昭和46年3月被告に入社した。昭和62年に横浜事業所の装置製造,基板製造部門に配属となり,平成8,9年ころ外注管理に配置され,退職時は試験部第一試験課で外注管理を行なっていた。退職時の支給予定賃金額(月単位額)は41万3860円であった。

(3) 原告Bは,昭和55年4月,被告に入社した。昭和62年に横浜事業所のテスタ調整,開発部門に配属となり,退職時は技術部技術一課で,テスターの電源回りの回路設計を行なっていた。退職時の支給予定賃金額(月単位額)は36万3940円であった。

(4) 原告Cは,昭和59年4月,被告に入社した。昭和62年に横浜事業所のテスタ調整に配属となり,平成8,9年ころQC事務に配置され,退職時は試験部第一試験課で業務を行なっていた。退職時の支給予定賃金額(月単位額)は27万5080円であった。

(5) 原告Dは,平成8年4月,被告に入社した。横浜事業所の第一技術部システム技術課,開発部システム技術課,ソフトウェアー開発部第一システム技術課に配属となり半導体テスタの制御用CPUの環境作成,製造・保守部門への作業の移管・資料作成,廃止品対応などを担当した。退職時の支給予定賃金額(月単位額)は23万9100円であった。

(6) 原告Eは,平成7年4月,被告に入社した。横浜事業所に配属となり,第一システムエンジニアリング部応用技術課で,メモリー・テスタ・アプリケーション・エンジニアテストの業務を担当した。退職時の支給予定賃金額(月単位額)は23万0450円であった。

(7) 原告Fは,平成11年4月,被告に入社した。横浜事業所に配属となり要素技術部要素技術課の業務を担当した。退職時の支給予定賃金額(月単位額)は22万5730円であった。

(8) 原告Gは,平成11年4月,被告に入社した。横浜事業所に配属となりソフトウェア開発部第二システム技術課に配置され業務に従事した。退職時の支給予定賃金額(月単位額)は21万3850円であった。

(9) 原告Hは,平成11年4月被告に入社した。横浜事業所ソフトウェアー開発部第一システム技術課に配属となりテスタのバージョンアップの業務に従事した。退職時の支給予定賃金額(月単位額)は21万4050円であった。

(10) 原告らは,いずれも平成12年3月31日退職し,その時点で60歳定年まで24か月以上の期間があった。

(二)  希望退職による特別退職加算金(<証拠略>)

被告は,希望退職募集に際し,会社都合による規定退職金に加えて,60歳定年までの期間が24か月以上の者には月単位額(基本給+役付手当+家族手当+住宅手当)に24を乗じた額の特別退職加算金を支払う措置を講じた。また,その支払時期は退職後一か月以内とされた。

(三)  原告ら主張の特別退職加算金額

仮に,原告ら主張のとおり特別退職加算金を支払わなければならないとするとその金額は原告ら請求の額である。

(四)  本件の経過は次のとおりである。

(1) 平成11年12月24日

被告は,東芝と株式会社アドバンテスト(以下「アド社」という。)とともに記者会見をし,被告の「テスタ部門の事業譲渡」,すなわち半導体試験装置部門の資産をアド社の子会社株式会社アドバンテストテクノロジーズ(以下「ATC社」という。)に譲渡すること,同部門の関連従事者のうち225名を同社において承継するという内容で合意した旨発表した。なお,3社は同日営業譲渡に関する覚書を取り交わし,その4条でテスタ部門の従業員のうち当事者の合意する225名をATC社に転籍させる旨合意し,転籍を承諾しない者の代替として他従業員での(ママ)補充することの可否は別途協議することとした(<証拠略>)。

(2) 同日(<証拠略>)

被告は,労働組合である全日本金属情報機器労働組合東京地方本部アジアエレクトロニクス支部(以下「組合」という。)に対し,「会社生き残り施策実施の件」と題する文書を交付し,あわせて「希望退職募集に伴う人事勤労取扱」を交付した。これによると,別紙の表にまとめられたとおり,パート及び嘱託社員は全員雇い止め又は合意解約の上,正規社員について次のとおりの減員策を実施するとした。すなわち,<1>テスタ部門の311名のうち225名を「テスタ部門の事業譲渡」により減員し(移籍対象者をこれ以上特定する記載はない。),残りの86名を要対策人員として希望退職を募集する,<2>なお希望退職募集人員はテスタ部門86名のほか電子機器部門16名の合計102名とする(募集対象者をこれ以上特定する記載はない。),<3>募集期間は3月中旬までとする等であった(以下,テスタ部門の事業譲渡を含めた合理化策全体を「本件施策」という。)。

なお,原告らは全員組合に所属していた。

(3) 同日(<証拠略>)

被告は社員に対し,「事業再構築の実施について」と題する文書を配布した。その記載内容は,<1>テスタ部門の営業譲渡,<2>これに伴い225名の移籍(「注:基本的には,現在の横浜事業所組織の大半及び駐在組織部門が,移籍対象となり,本社部門についても一部移籍予定です。なお,移籍部門・人員の詳細は今後決定されます。」と記載してある。),なお,移籍部門,人員の詳細は今後決定すること,<3>移籍しないテスタ部門の従事者の雇用調整(「詳細は組合と協議後発表する。」と記載してある。),であった。

(4) 1月21日(<証拠略>。以下,平成12年中の日付は年の記載を省略することがある。)

被告は社員に対し,希望退職の補足説明と譲渡先受入条件を示した。そこには,希望退職について,募集人員を合計102名と募集期間を3月14日までとし,募集条件の制限の記載はなかったが,平成11年12月24日組合に提案した会社案であって,交渉如何で変更となる可能性があること,変更の場合は連絡することが囲み記事で注記されていた。

(5) 1月24日(<証拠略>)

被告は組合に対し,「回答書」と題する文書を交付し,<1>移籍は強制ではない,<2>「テスタ部門の事業譲渡」後の余剰人員は被告の責任で希望退職を募る<3>事業譲渡の凍結はないと回答した。

(6) 2月16日(<証拠略>)

被告は組合に対し,「回答書」と題する文書を交付し,<1>譲渡実施期日は4月1日,<2>提示した退職金加算が最大限のものである,<3>テスタ部門の譲渡後の事業再構築において,必要であれば被告の責任で希望退職等を実施し,最悪の場合整理解雇という事態も危惧される(2カ所),と回答した。

(7) 2月末頃(<証拠略>)

原告A,B,Eは被告総務部に希望退職による退職金額を問い合わせ,これに応じ被告は原告A,B,Eに対し,希望退職による退職金額を通知した。

(8) 2月29日(<証拠略>)

被告は譲渡先との労働条件を比較する文書を配布した。

(9) 3月2日(<証拠略>)

被告は社員に対し,「アンケート調査実施について(ご依頼)」と題する文書とアンケート用紙を配布した。アンケート用紙には「会社に残る」との選択肢が用意されていた。

(10) 3月6日(<証拠略>)

被告は社員に対し,「会社施策に対するアンケート調査の件」と題する文書を配布した。そこでは,アンケート調査実施の説明として<1>本件施策につき組合との交渉が予想外に難航して「テスタ部門の事業譲渡」実施までに合意が成立しない恐れがあるので,被告の責任において実施する,<2>希望退職は移籍対象者であるないに係わらず会社都合退職とする,<3>希望退職計画人員102名を大幅に上回る場合は被告の存続が危ぶまれることになり,結果を見た上で慰留をお願いすることがある,<4>改めて希望退職募集の案内をするが,現時点は当初計画の通り,募集期間は3月14日まで,としていた。

(11) 3月13日(<証拠略>)

被告は組合に対し,「会社生き残り施策実施の件」と題する文書を交付した。そこには,別紙と同様の表を掲げ,上記(1)の当初計画を変更したものであることを示す記載はないが,<1>希望退職募集は事業譲渡実行が前提であり(但し移籍対象者を別紙以上に特定する記載はない。),<2>募集期間は3月14日から3月21日まで,<3>希望退職の対象者・対象人員として,具体的な内容は一切記載がないまま「会社が認めた者」102名との記載があった。

(12) 3月14日(<証拠略>)

被告は社員に対し,移籍による身分等,移籍計画説明に関する文書を配布し説明した。

(13) 3月16日(<証拠略>)

組合は組合員に対し,会社案の内容が変わってきたとし,<1>施策は事業譲渡実行が前提<2>希望退職募集の対象者・対象人員として,会社が認めた者102名とする部分を含め相当か所をアンダーラインで指摘した組合ニュースを配布した。

(14) 3月22日(<証拠略>)

被告は社員に対し,本件施策に関する文書を配布し説明した。これは,別紙と同様の表を掲げた上,<1>225名の大多数の移籍が決まらないと事業譲渡が履行できず,そうなれば割増退職金も大幅減額になる,<2>移籍人員は,技術部門等については全員が移籍対象者であることを窺わせる記載はなく,単に「現行テスタ部門に携わるもののうち225名」とする,<3>移籍者には特別一時金50万円を支給する,<4>希望退職につき,移籍する者以外の正規従業員は原則として希望退職募集に協力されたいとし,希望退職の対象者を会社が認める者102名とするだけで,技術部門等については移籍しなくても希望退職なしなど計画内容自体に変更を窺わせる記載なく,<5>募集期間を3月28日まで,<6>面接につき,施策に対する質問,個別事情につき相談するよう求め,<7>応募要領につき,希望退職の応募申込書の用紙を添付して,正規従業員に対し必要事項を記入の上(所属部長宛)提出願います,とするものであった。

(15) 3月24日ころ

被告は,所属部課長による社員の個人面接を横浜事業所において行った。

(16) 3月23ないし30日(<証拠略>)

原告Gを除く原告らは各部門長に希望退職の応募申込書に所定事項を記入して提出して希望退職申込みの意思表示をしたところ,被告側は異議を述べずに受け取り,その後も希望退職扱いしないとの通知はしなかった。また,原告Gを除く原告らは被告側の指示により同日付け又はその後に通常の会社都合を理由とする退職願を提出した。原告Gは3月24日付けで一身上の都合を理由とする同日限り退職したい旨の退職願を提出したのみで,希望退職の応募申込書は提出しなかった。なお,被告は募集期間を3月30日まで延長した(<証拠略>)。

(17) 3月31日(<証拠略>)

被告とアド社は,225名のうちの何パーセントがATC社へ移籍することとするかを協議していたところ,同日,被告とATC社が3月30日時点で移籍に応じると表明している185名をATC社へ移籍させることに関する従業員移籍契約を締結した上,被告とアド社は,アド社の代金支払義務の停止条件として,移籍予定従業員の90パーセント以上が移籍に同意したことを付し,4月15日に譲渡が実行されなければ自動的に契約が失効する旨の約款付で資産譲渡契約を締結した。

(18) 移籍対象者への希望退職の適用(<証拠・人証略>)

これについては,(15)の個人面接において面接担当者が本人から移籍できない事情を聴取してY総務部長に報告し,同部長が最終的に諾否の判断を行うこととされ,その結果は特別加算金を含まない退職金を支払ったことによって原告らに判明した。

希望退職応募者は予定された人員102名に対し82名で,うち移籍予定者は28名で,うち14名は例外として希望退職とし(11名は当初から,3名は後日追加適用),原告らを含む14名は希望退職としなかった。結局,希望退職の適用者は68名に止まった。

(19) 本件施策の結果(<証拠・人証略>)

移籍者は移籍予定者225名に対し186名に止まったが,上記従業員移籍契約及び資産譲渡契約は履行された。被告の本社及び横浜事業所は閉鎖され,青梅事業所に集約された。

3  争点

(一)  主位的請求原因関係

被告から原告ら社員に対する12年1月21日付けの会社都合退職の退職金に特別加算金を加給する条件での労働契約解約(以下「希望退職」という。)申込み及び原告らの被告に対する希望退職応募による承諾

(1) 請求原因

(ア) 被告から原告ら社員に対する1月21日付け希望退職申込み(<証拠略>)

(原告の主張)

被告は,2000年1月21日,原告らを含む被告の全従業員(以下「原告ら全従業員」という)に対し,甲1の1「会社生き残り施策実施の件」,同2「希望退職募集に伴う人事勤労取扱」の文書とともに甲2「99/12/24付社長連絡文書『事業再構築の実施について』補足説明」の文書を交付して,正規従業員の希望退職募集条件を提示して,労働契約の解約申込みをした。

上記甲2の文書には,希望退職の募集日限として「3月14日〆切」としてあった。

(被告の反論)

1月21日付けの提案(甲2)は,組合への提案内容を全従業員に周知させる為の報告文書に過ぎず,しかも今後変更の可能性があると囲み記事で注記し,これが被告の最終的な希望退職募集条件ではなく今後変更もあり得ることが明示されていたものであって,これが労働契約解約申込の意思表示でないことは明らかである。また,申込みの誘引でもなく,途中経過の報告文書にすぎない。

従って,甲2をもって被告が労働契約の解約申込の意思表示をし,甲2に記載された内容で被告と原告らとの間に労働契約の合意解約が成立したとの原告らの主張は失当である。

(イ) 被告から原告らに対する労働契約解約申込みの延期

(原告の主張)

(a) 被告は,2000年3月13日の団体交渉で,労働組合に対し,乙5「会社生き残り施策実施の件」を交付した。

被告は,乙5の文書で,労働組合に対し,「正規従業員希望退職募集」の「募集期間:2000年3月14日から3月21日まで ただし,基板製造課・製造課については7月14日までとする。」と,甲2の「3月14日〆切」の募集日限を延期することを提案した。

なお,乙5の文書の内容は,被告と労働組合との間で合意にいたっておらず,原告ら全従業員には提示・告知されていない。

(b) 被告は,2000年3月22日,原告ら全従業員に対し,乙1「社員の皆様へ」を配付した。被告は,乙1の文書で,原告ら全従業員に対し,「募集期間:2000年3月22日から3月28日までとします。」と,甲2の「3月14日〆切」の募集日限を延期することを提示・告知した。

(c) 被告は,2000年3月28日以降,原告ら従業員に対し,希望退職募集の募集期間を2000年3月30日まで延期した。

(d) 以上の甲2,乙5,乙1の各文書で募集されている希望退職募集及び3月30日まで延期された希望退職募集は,同一の会社における,「会社生き残り施策実施」という同一の目的のもとの,同一の機会の,同一の従業員を対象にする希望退職募集である。

被告は,甲2の文書で募集した希望退職募集の期間を乙1の文書で3月28日まで延期し,その後3月30日まで延期したものである。

(被告の反論)否認。

(ウ) 原告らの被告に対する希望退職応募による承諾

(原告の主張)

原告ら従業員は,希望退職に応募するという形で,甲2の文書で提示され,乙1の文書で3月28日まで募集期間が延期され,その後3月30日まで募集期間が延期された被告の希望退職募集による労働契約解約申込みを承諾したものである。

なお,原告らが被告の希望退職募集に応募し,被告の解約申込みを承諾した日は,次のとおりである。原告A,原告B,原告C,原告Dは3月30日,原告Eは希望退職募集応募が3月23日,退職願の提出が3月24日,原告Fは希望退職募集に応募が3月27日,退職願の提出が3月29日,原告Hが3月29日,原告Gが3月24日である。原告Gは希望退職の応募申込書は提出していないが,3月24日に被告に対して希望退職応募の申出は明確にしている。

(被告の反論)

原告らから被告に対する希望退職応募による合意解約申込みである。

なお,原告Gについては,通常退職の申込みであって,希望退職応募よる合意解約申込みではない。

(2) 被告の仮定抗弁

(被告の主張)

承諾期間を延期する際,被告は希望退職申込みに「会社が認めた者」を条件とした(<証拠略>)。

(3) 原告の再抗弁

(原告の主張)

「会社が認めた者」という条件は,民法90条の公序良俗に違反し,また,民法1条2項の禁反言の原則と信義則に違反し,無効であり,無条件の申込みになる。

公序良俗・信義則違反で無効となる評価根拠事実は次のとおり

(ア) 被告は,2000年1月21日以来,正規従業員に対し,「会社が認める者」という条件なしで,「募集人員:102名」という人員枠のみで希望退職募集をおこなってきたものである。原告ら従業員は,3月22日の時点では,アド社の子会社に移籍する道を選ぶか,上記希望退職に応募するかの決断を余儀なくされていた。

この時期にわずか6日の募集期間で,希望退職の条件に被告の専断的で恣意的な選択を許す「会社が認める者」という条件を付け加えることは,労働者の地位を著しく不安定にし,希望退職募集についての労働者の権利を奪うものである。

(イ) 「会社が認める者」という条件は,被告の専断的・恣意的選別を許す条件であり,労働者の地位を著しく不安定にし,労働条件の不利益変更を多数含むアド社の子会社への移籍を強要する手段として条件設定された。

(被告の反論)

(ア) ATC社への移籍対象となった従業員には,<1>ATC社へ移籍する,<2>会社都合退職金を受領して退職する,<3>被告に残留する,の3つの選択肢が残されていたのであり(このことは乙4の2のアンケートにも明記されていた。),現に<3>の被告残留を選択し青梅事業所に転勤した従業員も存在するのである。しかも3月22日ではなく,遅くとも3月14日(第6回団交を傍聴していれば同月13日)の時点では,原告らは上記の3つの選択肢のあることを認識していたのである。以上のとおり,原告の上記主張は前提事実に誤りがありこの点のみを以ってしても明らかに失当である。

(イ)(ママ)希望退職の募集にあたり,被告の承諾を要件とすることは何ら公序良俗・信義則に反するものではないことは,次のとおり明らかである。

(a) 本件施策の実施が企業存続のために必要不可欠であったこと

被告において,アド社への資産譲渡の成否を問わず半導体テスタ部門からの撤退が不可避であり,当該資産譲渡の対価を以って希望退職者に対する割増退職金の原資に充てなければならないという事情に加え,ATC社へ移籍する従業員が一定の割合に満たないときは,アド社は当該資産譲渡契約自体を解約し得るものとされており,資産譲渡契約が解約されてしまうと,半導体テスタ部門の従業員についてもATC社への移籍ができず希望退職しか選択肢は無くなり希望退職者が激増する一方,希望退職者に対する割増退職金の原資である資産譲渡の対価を取得することができなくなるため,移籍対象者を含め希望退職の条件も大幅に切下げざるを得ないという事態に陥ることが明白であった。

他方アド社側は,同社の事業計画上の必要性から,資産譲渡を契約どおり予定日に実行することを強硬に求めており,その延期は極めて困難であった。

すなわち本件施策の実施は,被告が存続するため最善の策であり,「会社の認める者」との要件は,上記の事情に照らして必要不可欠のものだったのである。

要するに移籍対象者であるにも拘らずATC社への移籍を拒否し退職を選択した従業員は,被告にとって死活的に重大な施策に協力することを拒否して退職したのであるから,このような非協力的な従業員に対し被告が上乗せ金を支払わなければならない理由など一切無いことは明らかであるし,上記の事情については団体交渉の席上のみならず,組合が東京都地方労働委員会に申立てた不当労働行為救済申立事件の調査期日においても,被告側から説明を行なっているところである。

(b) 組合と誠実に団体交渉を行っていること

従業員に対して正式に希望退職条件を公表するのが平成13年3月22日になったのは,被告が組合との団体交渉を尊重し,組合の理解と協力を得るために誠実に団体交渉を重ねていたからであり,更にいえば被告側の再三にわたる説明・説得にも拘らず組合側が最後まで本件施策の白紙撤回に固執していたからである。

被告としては,組合との団体交渉を無視して平成12年1月の段階で従業員に対する希望調査を行い,退職条件を確定するという方策もあり得たが,会社の業容・組織を根本的に変更する本件施策の実行に当っては,組合及び従業員の理解と協力を得ることが望ましいと判断し,ギリギリまで交渉による解決を目指していたのである。

換言すれば,組合が本件施策に協力し,早期に従業員に対する希望調査を実施することが可能であれば,正式な希望退職条件の提示時期もより早くなった筈なのである。

このような被告の姿勢は,組合に対しては兎に角,大多数の従業員には理解されており,このことは組合が最後まで反対し続けたにも拘らず,移籍対象者のうち80パーセント以上が移籍に応じたことからも窺えるところである。

なお,被告において原告Bや原告Aに対して特別加算金の支給が認められた場合の試算を回答した事実があったとしても,甲3及び甲5の2枚目に記載されているとおり,被告は原告B自身が「参考に」したいとして要請したのに対し,「概算」額を回答したものに過ぎない。

しかも既述のとおり,平成12年1月21日に従業員に提案した希望退職条件案には,今後変更があり得ることが明示されており,また,同年3月6日に送付された「会社施策に対するアンケート実施の件」とする書面(<証拠略>)にも,「仮に,この計画人員を大幅に上回った場合は,アジア会社の存続が危ぶまれることになり,結果を見た上で慰留することをお願いすることがあります。」と明示されていたことから,原告らにおいて,アンケートの結果次第では既に提示された希望退職条件案が変更される可能性があり得ることは充分認識することは可能であった。

しかも原告らはいずれも組合員であり,前述のとおり2月29日の第5回団体交渉以降は直接傍聴することも可能であったのだから,上記団体交渉の経緯は充分に認識していたものである。

(c) 原告らには被告に残留する選択肢が存したこと

前述のとおり,移籍対象従業員は移籍できない特段の事情が存しない場合であっても被告に残留することを選択することが可能であった。この点,乙4の2のアンケート用紙に「会社に残る」という欄が存することからも明らかなとおり,原告らにおいてもこのことは充分認識していた。現に,被告は原告Fに対して強く慰留を試みており,逆に移籍を説得した対象者の中でも,移籍に応じず被告に残留した者も多数あり,現在も被告在籍中の者もいる。

被告は移籍対象者に対しては移籍を勧奨したが,これは本件施策が失敗すれば被告の存続そのものが危ぶまれるという状況にあり,しかも移籍者が予定数を大幅に下回ると本件施策の実現が不可能になることに鑑みれば,寧ろ当然のことである。

そして移籍に応じなかった原告らが,若し会社都合退職金のみを受給して退職することも拒否し被告に残留した場合には,青梅事業所へ配転されることになったと予想されるが,被告のテスタ事業からの撤退に伴い横浜事業所及び用賀の本社自体が閉鎖されたこと,及び前述のとおり被告の就業規則上転勤についての明文が存在し青梅事業所への異動は原告らと被告との雇用契約上当然予定されていること,の各事情に鑑みれば,同事業所への転勤は原告らに不当な不利益を強いるものではないし,まして「公序良俗」に反するものではないことは明らかであろう。

(d) 移籍できない特段の事情の存する場合には被告の承諾がなされたこと

更に,被告は平成12年3月14日及び同月22日の説明会において,「会社の認める者」という条件は,具体的には<1>原則としてATC社への移籍対象者については適用を認めないという趣旨であること,<2>但し,ATC社への移籍対象者であっても同居する親族の介護が必要である等移籍できない特段の事情が存する場合には適用を認めること,という趣旨であることを明確に説明し,且つ現実にこの方針に従って運用されていたのである。

従ってこれが「被告の専断的で恣意的な選択を許す」ものでも,「被告が選択権を振り回す」ものでもないことは明らかである。

(e) 小括

以上のとおり,「会社が認めた者」という要件は<1>被告の存続のために必要不可欠のもので会社の承諾という要件を設けることに合理的な理由がある一方,<2>原告らと被告の希望が合致しないため,割増退職金の支給を受けられないだけで雇用継続は確保され,しかも青梅事業所への転勤は当初の雇用契約上当然予定されているものなのであるから,原告らに甘受できないほどの一方的不利益を強いるものではなく,信義則にも公序良俗にも反するものではない。

(二)  予備的請求原因1関係

被告から原告らに対する3月22日付け希望退職募集による労働契約解約申込み及びその後3月30日まで延期した希望退職募集による労働契約解約申込みと原告らの被告に対する希望退職応募による労働契約解約申込みの承諾

(1) 請求原因

(ア) 被告から原告ら社員に対する3月22日付け希望退職申込み(<証拠略>)

(原告の主張)

予備的に,3月22日付け希望退職募集による労働契約解約申込み及びその後3月30日まで延期された希望退職募集による労働契約解約申込みを独立の解約申込みと主張する。

(被告の反論)

3月22日付け希望退職募集(<証拠略>)は,適用対象者を「会社が認めた者」とするとおり,あくまでも個々の従業員との労働契約を一定の条件をもって合意解約することについての申込みの誘引であり,被告からの労働契約の解約申込ではない。当該条件による退職を希望する従業員からの労働契約の解約申込に対し,被告がこれを承諾することによって,当該条件による労働契約の合意解約が成立し,特別退職加算金の請求権は,被告の承諾があって初めて発生する。被告は,原告らの本件希望退職条件(特別退職加算金を支払うとの条件)に基づく労働契約の解約申込について,いずれもこれを承諾しなかったから,特別退職加算金の請求権を取得したとする原告らの主張は理由がない。

(イ) 原告らの被告に対する希望退職応募による承諾

(原告の主張)

前記(一)(1)(ウ)のとおり

(2) 被告の仮定抗弁及び原告の再抗弁は前記(一)(2)及び(3)のとおり

(三)  予備的請求原因2関係

原告らから被告に対する希望退職応募による合意解約申込み及び被告が何の留保も付けずにこれを受領し,被告から原告らに対する希望退職拒否等の連絡をしないまま退職手続をとった経過による承諾

(1) 原告らから被告に対する希望退職申込み

(原告の主張)

仮に,被告が「2000年1月21日に甲2で提示・告知し,3月22日に(証拠略)で募集期間を延期し,その後3月30日まで延期した希望退職募集」若しくは「3月22日に(証拠略)で提示・告知し,その後3月30日まで延期した希望退職募集」が,退職優遇加算金付の労働契約解約申込みの誘引であった場合には,予備的に,原告らは,前記(一)(1)(ウ)のとおり希望退職応募即ち退職優遇加算金付の労働契約解約申込みをしたと主張する。

(2) 被告の原告らに対する承諾

(原告の主張)

原告らは,希望退職の応募申込書の提出などによる希望退職申込みとともに退職願を提出したが,それは被告があわせて退職願を提出するように指示したからにほかならず,原告らには,退職優遇加算金の付かない会社都合等の通常の退職を申し込む意思はまったくなかった。

被告は,「原告らの希望退職応募即ち退職優遇加算金付の労働契約解約申込みの意思」と「原告らに退職優遇加算金の付かない会社都合等の通常の退職を申し込む意思のまったくないこと」を十二分に知悉しながら,原告らから希望退職の応募申込書(原告Gからは希望退職応募の申出)と退職願を受領した。しかるに,被告は,原告らの希望退職応募を拒否する意思をまったく表示することなく希望退職の効力発生日である3月31日を経過したのであるから,被告は3月31日の経過をもって原告らの退職優遇加算金付の労働契約解約申込みを承諾したものである。控え目に見ても,被告が原告らの退職優遇加算金付の労働契約解約申込みを黙示で承諾したことは明確である。また,被告の3月31日にいたる言動は,原告らの希望退職応募即ち退職優遇加算金付の労働契約解約申込みの承諾そのものである。しかも,被告は,その後,原告らの社会保険の資格喪失などの退職手続を進めているのであるから,被告の上記承諾はより一層明確である。

なお,「会社が認める者」という条件については,第1に,これが有効で,被告には原告らの希望退職応募を拒否できる権限があったとしても,上記のとおり被告は原告らの希望退職応募の意思及び通常の退職を申し込む意思のないことを十二分に知悉しており,原告らを一方的に退職優遇加算金の付かない会社都合等の通常の退職扱いにできる権限はまったくなく,それにもかかわらず原告らの希望退職応募を拒否する意思をまったく表示することなく希望退職の効力発生日である2000年3月31日を経過し,就中原告らの社会保険の資格喪失などの退職手続を進めているのであるから,希望退職応募を拒否できる権限を行使せずこれを承諾した。第2に,前記のとおりこれは無効であるから,募集人員の102名に達するまでは,被告には,原告らの希望退職応募を拒否する権限もなかったことになる。そして,希望退職応募者が102名に達していなかったのであるから,被告は,原告らの希望退職応募即ち退職優遇加算金付の労働契約解約申込みを拒否できず上記のとおり承諾した。

(被告の反論)

被告は申込みを黙示でも承諾していない。

すなわち,特別加算には「会社が認めた者」すなわち,移籍対象者ではなく,又は,移籍できない特別な事情も存しないこととの制限があり,原告らは移籍対象者であり,特別な事情も存しないから,承諾していない。

このことは,乙5(3月13日)及び乙8(3月22日)の文書で,3月14日説明会で,特別加算には「会社が認めた者」すなわち,移籍対象者ではなく,又は,移籍できない特別な事情も存しないこととの制限があることを告知したから,原告らは全員移籍対象者であり,移籍できない特別な事情もないから,特別加算がないことを認識した。個別面接の際も移籍できない特別な事情の申告はなかった。

(ア) 移籍対象者について「移籍できない特段の事情」の存しない限り退職特別加算金を支払うことができなかったこと

被告の「会社生き残り施策」は,<1>テスタ部門の資産をアド社に譲渡するとともに,<2>同部門の関連従事者のうち225名をATC社において継承することが前提となっており,ATC社へ移籍する従業員がその90%に満たない場合には,当該資産譲渡契約自体が解消されるという状況にあった。

従って,被告には,ATC社への移籍対象者が本件希望退職条件にて大量に退職してしまい,その結果資産譲渡契約が解約されてしまうという事態を回避するために,特段の事情のない限り,ATC社への移籍対象者に対して特別退職加算金を支払わないこととする必要があったのである。

即ち,本件施策については,資産譲渡契約の成否を問わずテスタ部門からの撤退は不可避であったし,被告としては当該資産譲渡の対価を以って希望退職者に対する割増退職金の原資に充てることを検討していた為,移籍希望者が予定数を大幅に割り込み,資産譲渡契約が解約されてしまうと,半導体テスタ部門の従業員についてもATC社への移籍ができず希望退職しか選択肢は無くなり希望退職者が激増する一方,希望退職者に対する割増退職金の原資である資産譲渡の対価を取得することができなくなるという状況にあり,移籍対象者を含め希望退職の条件も大幅に切下げざるを得ないという事態に陥ることが明白であったのである。

そこで,被告としては,このような最悪の事態を回避するため,移籍の対象となっているにも拘らず移籍を拒否した従業員については,特段の事情のない限り希望退職条件の適用を認めないこと,すなわちATC社への移籍対象者に対しては特別退職加算金を支払わないこととしたものである。

そして,このことは,組合との団体交渉においても被告が繰り返し説明してきたところである。

(イ) 上記基準の説明・周知について

(a) 本件施策の最終内容は「社員の皆様へ」の別紙に記載されたとおりであり(<証拠略>),原告らが同文書を受領している以上,原告らは,被告が認めない限り希望退職条件の適用が受けられないということは十分認識していたものである。

(b) また,本件希望退職実施当時,原告らはいずれも組合に加入しており,かつ横浜事業所に勤務して半導体テスタ事業に従事していたところ,前述のとおり,ATC社への移籍対象者に対しては特段の事情のない限り希望退職条件の適用を認めないことについて,被告は団体交渉及び従業員向け説明会において繰り返し説明してきたものであるから,原告らにおいて被告の同説明を聞いていないことなどあり得ない。

(c) 被告は,組合との団体交渉の席上「会社が認めた者」という要件の必要性及びその内容について再三説明しているところ,原告らは組合からそのような説明を受けていないと主張することは次の点からいって信義則に反し失当というべきである。

ⅰ 組合に対する委任状の提出

原告らは,単に組合員であるというにとどまらず,本件施策に対する対応について組合に委任状を提出し,移籍・残留又は退職の何れを選択するかの交渉を組合に個別に委任していたものである。

ⅱ 組合に対する説明があれば,組合員に対し説明があったと同視し得ること

本件施策のうち退職特別加算金の支払いを受けられるのは「会社が認めた者」に限るという要件の必要性及びその内容について被告が再三団体交渉の席上組合に説明している以上,組合から個々の組合員にこの点について十分な説明がなされなかったとしても,それは組合の内部問題に過ぎず,被告に対してはそのような主張をすることは許されない。

その理由は,逆に組合員である原告らが組合内部における説明不足を使用者である被告に主張し得るとするならば,被告としては組合とは別個に更には組合を無視して個々の組合員に説明を行い且つ個別交渉を実施せざるを得なくなるところ,このような結論は組合の自治や統制権を制約することになりかねないのである。

また組合から十分な説明を受けていないという主張を認めるときは,原告らは一方で組合の組合員であるという立場を取り自主交渉ではなく組合に被告との交渉を委ねながら(しかも原告らは個別に委任状まで組合に提出しているのである),他方で組合と会社との団交内容については関知しないと主張することを意味するものであるが,このような主張が信義則に反することは明らかであろう。

以上のとおり,被告としては組合に対し説明を行った以上,組合員たる原告らに対しても説明を行ったのと同視されるのであり,逆に原告らが被告に対しその説明内容について聞かされていないと主張することが許されないことは明らかである。

(ウ) 原告らにおいて「移籍できない特段の事情」が存しないこと

原告らは,いずれもATC社への移籍対象者であり,移籍できない特段の事情も認められなかったことから,被告は,希望退職条件の適用を認めなかったのであり,原告らは,被告から同説明を受けた上で被告を退職したものである(なお,原告Gにおいては,希望退職条件の適用を申請せずに退職しているのであるから,そもそも特別加算金を支払う根拠を欠くものである。)。

(エ) 退職特別加算金を支払っていないこと

上記経緯に基づき,被告が原告らに対し,特別退職加算金を支払うことを承諾していなかったからこそ,現に,被告は,原告らに対し,特別退職加算金を支払っていないのである。

第3争点に対する判断

争点(一)及び(二)については,被告から原告らに対する申込みの意思表示の存否につき被告指摘の点のほか,当初から募集人員が102名と限定されていて調整を要する場合のあり得ること,同(一)においては,(証拠略)と体裁を比較しても具体的な手続が記載されていないこと,同(二)においては,3月22日の募集に際し所定の申込書を提出するべきものとし別紙として「私はこの度の希望退職募集の応募を申し込みます。」とする希望退職の応募申込書が添付され,社員から被告に希望退職の申込みをする趣旨が示されていることも考え併せると,上記意思表示が存したとは認められず,この点において既に理由がないから,以下,争点(三)(予備的請求原因2関係)について検討する。

1  原告らから被告に対する申込みの意思表示

原告Gを除くその余の原告らについては前記争いのない事実等のとおりこれを認めることができる。

しかし,原告Gについては,個別面接の際に面接担当者に口頭で希望退職に応募したいと申し出た(<人証略>)が,所定の希望退職の応募申込書を提出していないことに照らすと確定的な意思表示として申込みがなされたと認めるに至らない。他に,これを認めるに足りる証拠がない。よって,原告Gの請求はその余の点を判断するまでもなく理由がない。そこで,以下では同原告を除くその余の原告について判断する。

2  被告から原告らに対する承諾の意思表示

(一)  本件は,いわゆる早期退職優遇制度に関するものとは異なる。すなわち,早期退職優遇制度は会社の経営に別段支障を来していない状況で,将来的な観点からする人事政策上の判断により特段の期間制限を設けることなく募集し,したがって,社員は形式上も実質上も退職を迫られているわけではなく,当然に従前のとおり勤務を継続できる状況のもと,退職と勤務継続との利害得失を十分に検討し自由な意思で判断ができるものである。これに対し,本件においては,被告は,今後会社の存続が危ぶまれる深刻な事態に陥り,倒産を避けるためには,2事業部門のうちの主要部門であるテスタ部門を従業員とともに他に譲渡し,他の電子機器部門に特化するとともにこれについても大幅なリストラを行うことを予定し,これが成功しなければ倒産を免れず,整理解雇も予想されるという状況にあり(<証拠・人証略>),したがって,余剰人員とされる者にとっては事実上会社に残るという選択肢は乏しく,しかも,これら本件施策は平成11年末に発表されたものの,正式の希望退職の募集に至っては3月22日に発表され,退職日は31日,応募期間は28日までであるなど短期間に難しい選択を迫られることになった。

このような場合,余剰人員とされる者に対する希望退職の募集に承諾条件を設定するのであれば,第1に「会社の認める者」といった,無限定で会社による一方的な判断の可能な事由ではなく,各社員につき適用の有無が判明するような明確で具体的な承諾条件で,かつ,それが確たる根拠に裏付けされたものであることを要し,第2に会社は募集に際し,社員の決断の時機を逸することなく,これを明示すべきであり,少なくとも各社員がそれを明確に認識できるよう周知する手段を講じる必要がある。これらを欠いたまま会社が希望退職の募集をし,社員が希望退職の申込みをし,会社がこれを受理して不承諾の意思を告知することなく退職の手続をし,社員がそのまま退職に至った場合は,特段の事情がない限り会社はこれを承諾したものと推認するのが相当である。蓋し,上記の点が必要でないとすると,社員は自己に希望退職が適用されると期待したにもかかわらず,実はその適用の有無が会社に委ねられたまま退職することになり,その結果社員は割増退職金を受け取らずに退職するか,会社に残留するかの選択の余地も与えられないことになるのであって,労働者の地位を著しく不安定にし,労働者の権利を侵害して容認できない。このような点を考慮すると,上記の点を欠いた状況で希望退職の申込みを受理して承諾しない意思を示さずに退職手続を進め社員を退職させることは,これを承諾する意思であると解するのが公平であり当事者の通常の意思に合致するからである。

これに対し,被告は会社に残る選択肢があったとしてアンケート用紙を指摘するが,電子機器部門の社員については当然必要な項目であるし,そもそも本件施策において,テスタ部門はATC社に譲渡され,所属の社員は職場がなくなるわけであり,現に被告は当初から終始,テスタ部門全員が要対策人員で残存人員は零としており(争いのない事実等(四)の(2),(11),(14)),かつ,被告は原告ら従業員に対して,再三上記のとおりこの施策が実現しなければ被告は倒産の危機に瀕するなどと訴えてきたのであり(<証拠・人証略>),その実質を見れば会社残留の途があるとはいえない。

また,被告は,一部の原告について,個別面接に際し退職しても特別加算金が支給されないと通告されたことを認めている(<証拠略>)との指摘をするが,(証拠略)も結局は明確な回答はなかったというものであり,そもそも,個別面接は,移籍対象者に移籍を勧奨し移籍できないという場合はその理由を聴取するもので希望退職の申込みを受けて行われたものではなく(<証拠略>),これを受けて希望退職条件適用の諾否の判断はY総務部長が最終的に行うこととされていた以上,この時点で移籍対象者で退職しても加算金支給されないと通告するはずはない。

そこで,以下承諾条件の明確性等につき順次検討する。

(二)  承諾条件の内容について

(1) 承諾条件の明確性

(ア) まず,被告は希望退職の募集に際し文書では「会社の認めた者」との記載しかしていないが,これでは,何ら特定されていないことは上記のとおりである。

(イ) 次に,被告の意図としては,同条件は「原則として移籍対象者については希望退職条件の適用を認めないが,同居する親族の介護をする必要がある等移籍できない特段の事情が存する場合は希望退職条件の適用を認める。準ずる場合に該当するかどうかは,Y部長が個別に判断する。」というものであった(<証拠・人証略>)。

しかし,これでも,どこまでが「準ずる場合」になるかは,面接官を含めほかの者には分からないといわざるを得ない(<証拠・人証略>)。

結局は,移籍対象者は原則として希望退職条件の適用を認めないとはいうものの,例外を認めそれに該当するか否かは被告の判断にかかるわけで,この点において既に一義的に明確な基準とはいえない。

(ウ) さらに,被告は,希望退職の応募者が102名に満たない場合には,『準ずる場合』に該当しない人でも,ごくごく少数の2,3名の場合には希望退職条件の適用を認める可能性があったことを自認しており(<証拠・人証略>),これにより承諾条件は一層不明確になっている。

(エ) 以上の点に,原則として希望退職条件の適用を認めない移籍対象者から28名の希望退職の申込みがあり,その半数に適用を認めていることも併せると,社員にとって最終的には退職後退職金が振り込まれてみないと分からない状況で,承諾条件が明確であるとはいい難い。

(2) 承諾条件の根拠

前記のとおり,アド社へのテスタ部門の譲渡が実現しなければ本件施策は頓挫し被告の存続に大きな問題が生じるところ,被告は,アド社が移籍予定従業員225名の90パーセント以上が移籍に同意することが資産譲渡契約締結の条件であると強く要求しこれを下回れば契約を締結することが困難な状況にあったと主張し,証人Yの供述(<証拠略>)にはこれに副う部分がある。

しかし,資産譲渡契約では移籍予定従業員を従業員移籍契約で特定された従業員であると明記しており(乙20の1条3項),7条2項(7)の条項に照らしても,従業員移籍契約で特定された従業員185名(争いのない事実等(四)の(17))の90パーセント以上が移籍に同意することが資産譲渡契約実行の要件とされたと理解するしかなく,証人Yの供述はにわかに採用できず,他に被告主張のような趣旨の条項であることを認めるに足りる証拠はない。そうすると,遅くとも3月31日にはアド社へのテスタ部門の譲渡が実現することが確実になっていたもので,被告に原告らの希望退職を拒否する確たる根拠があったともいえない。

(三)  告知の有無等について

(1) 「会社の認めた者」との承諾制限について

これについては,争いのない事実等(四)(14)のとおり社員に告知されている。しかしながら,以下に述べるとおりそれを社員に認識させる方法として不適切で十分に周知されてはいない。

まず,被告は当初移籍よりも退職の方が不利であると認識し社員に希望退職応募を促すべく24か月という高額の特別加算金を設定した(<人証略>)。そして,被告は,会社存続のため本件施策の実行が欠かせないとして,テスタ部門の社員に対しては全員が営業譲渡による移籍か,「会社が認めた者」との条件を付することなく特別加算金を加給する条件での希望退職を求めるとしており,テスタ部門の社員はいずれかの途を選択しなければならない立場におかれた。そして,テスタ部門の社員は2月末ころまでには移籍か希望退職かを具体的に考えてきており,そのことは被告も認識していた(<人証略>)。そして,希望退職を前提として今後の人生設計を進めていた者にとって,退職の10日ほど前(<証拠略>により知ったとしても3月16日以降である。)になって「会社が認めた者」との記載が加えられた文書が配布されても既に時機を逸しており承諾条件など重大な変更が加えられたとは受け止めがたい。

また,平成12年1月21日囲み記事で注記していた点(争いのない事実等(四)の(4))については,会社提示の当初案から組合との交渉で条件が社員に有利に変更される可能性があることを示唆したと理解するのが自然で,組合との交渉で会社提示の当初案から社員に不利に変更になるとは普通は思わない(<人証略>)。また,変更なら変更か所を指摘してその旨通知すべきで,変更後の書面を出しただけ(争いのない事実等(四)の(11),(14))では不十分である。

さらに,3月6日「会社施策に対するアンケート調査の件」において,結果を見た上で慰留をお願いすることがあると附記した(争いのない事実等(四)の(10))点は,移籍者の不足を想定したものではなく,同表現や「改めて希望退職募集の案内をするが,現時点は当初計画の通り」と記載するなど当初の計画の変更を予定したものではない。

(2) 移籍対象者であること等,実質的な承諾条件について

原告A及び(証拠略)によると,3月24日ころから行われた個人面接のとき以前には,被告が社員に対し,移籍対象者であることや移籍対象者は原則として希望退職の対象とはならないことなど実質的な承諾条件の告知をしなかったものと認められる。同証拠は水掛け論になりがちな個人面接でのやりとりについて自己に不利な内容のものがあったことを率直に認めるものが大半であるなど概ね信用するに値するものである。これに反する証人Y及び被告提出の陳述書は採用しない。

個別面接においては,これらが告知された場合があった(<証拠略>)。しかし,前記(一)のとおりそれは確定したものとして告知されたものではなく,募集要項に全く記載がないだけでなく,その他文書での配布のないこと,既に希望退職の締め切りまで数日に迫っていることも考えると,告知の方法としてはなはだ不十分なものといわなければならない。

以下順次補足して説明する。

(ア) 平成11年12月24日の従業員むけ説明会での説明

争いのない事実等(四)(2),(3)のとおり同日配布された組合向けの文書(<証拠略>)にも社員向けの文書(<証拠略>)にも移籍対象者を具体的に特定した記載はない。これに対し,被告は(証拠略)と同様の内訳を全社員に対し告知したと主張しこれに副う証拠を提出する(<証拠 人証略>)。しかし,被告は組合や社員に対し多量の文書を配布しながら上記内訳を記載した文書は配布しておらず,そのことに特段の理由も存しない(<人証略>)。また,同日アド社と締結した覚書にはこのような内訳は記載されず,「当事者の合意する225名」として今後の合意によることを窺わせる記載となっている。これらの点に照らして被告の提出する証拠は採用できない。

(イ) 争いのない事実等(四)(3)<2>については,テスタ部門を譲渡するのであるから横浜事業所の組織の大半が移籍対象というのは当然のことで何ら特定したことにはならない。

(ウ) 平成12年3月14日の説明会

被告は,このときにOHPを使って(証拠略)の「移籍人員225名の部門内訳」を映写し説明をしたと主張し,これに副う証拠を提出する(<証拠・人証略>)。しかし,被告は3月22日に本件施策についての詳細な文書を社員に対し配布しながら上記内訳は記載しておらず,そのことに特段の理由も存しない(<人証略>)。(証拠略)も「移籍人員225名の内訳」と題し,「受け入れ部門」といった項目を挙げていることからすると,これに基づく説明は,原告Aが供述するとおり移籍できるという趣旨に止まったと解され,移籍が予定されていることや,ましてや移籍せずに希望退職に応募してもこれを承諾しないなどの説明がなされたとの裏付けにはならない。したがって被告の提出する証拠は採用できない。

なお,3月21日に開催された説明会についても同様である。

(エ) 3月13日組合むけ文書(<証拠略>)には移籍対象者であることと希望退職の要件とを関連づける記載はなく,これを受けて組合が組合員向けに配布した文書(<証拠略>)にもその関連性を認識できる記載はない。

(オ) 3月22日社員向け文書(<証拠略>)は,はじめて社員に対し事業譲渡と割増退職金の関係に言及し希望退職の対象者に会社が認めた者との条件を付したものであるが,移籍対象者を特定する記載はないこと,割増退職金の減額を示しており支給対象者の制限と結び付く記載はないこと,その他移籍対象者と支給対象者の制限が結び付く記載はないこと(なお,(14)<3>の記載は単に移籍しない者は希望退職に応じて欲しいという趣旨としか見られない。),等被告の意図を明示するものではない。

(カ) 結果として移籍対象者の80パーセント以上が移籍したことについては,当初原告は移籍の方が条件がよいと判断していたところであり,個別面接で移籍対象者に対してはその旨やさらには原則として希望退職の対象とはならないことが告知された場合があったことの結果とも考えられる。

(四)  信義則違反の主張について

被告は,希望退職条件の適用について組合に十分に説明したからそのことを組合員は知らなかったと主張することは信義則に反し許されないと主張するが,以下に述べるとおり採用できない。

(1) まず,希望退職の承諾条件について被告と組合との間には何らの合意も成立していないところ,組合員が組合に対し委任状を提出したことを考慮しても,被告と組合との間に合意が成立し,あるいは労働協約が締結されたのであれば格別,単に被告が組合に対し交渉過程において説明をしたというだけで,組合員が何らかの拘束を受けるとは解されない。この点に関する被告の主張は以下のとおり採用できない。すなわち,<1>労働者は,経済的利益を得ることを目的として組合に加入するだけで,義務を負わされることを通常想定していない。役員にならない限りは組合の行為の責任を負わされる関係にはない。<2>団交は使用者と組合代表者との交渉ではあるが,対決関係から合意を形成するもので,相手のために情報を伝達する便宜を図る状況にはない。<3>賃金交渉であれば,団交継続中に個別社員に対しこれと異なる条件を提示することは不当労働行為となる可能性があるが,本件のように,従業員の地位に関するものは最終的には個別に合意することにならざるを得ないのであって,個別交渉したというだけでは不当労働行為にならない。<4>労使協議制には,情報伝達の場という側面もあるが,特別の合意がなければ組合員に対し情報を伝達する義務があるとはいえない。それがある場合でも組合の責任を問いうるだけで,組合員の責任を問うことはできない。<5>本件で被告は,現に平成11年12月24日組合に説明するほか社員にも説明をし,1月21日にも文書を配布し,2月末以降個別原告の退職金額を回答し,アンケートを実施し,個別面談をし,原告らから退職届の提出を受けている。

(2) さらにいえば,被告は組合に対し,社員への告知(争いのない事実等(四)(14))に先立って希望退職の対象者に「会社が認めた者」との条件を付した文書を交付した事実はある(争いのない事実等(四)(11))が,これ以上に移籍対象者の範囲や「会社が認めた者」の具体的内容を確定的なものとして告知し,あるいは協議したとの事実を認めるに足りる証拠はない(証人Y17頁及び乙27の15頁は,この点につき3月13日第6回団体交渉において被告から言及したかのように述べるが,具体性に欠け採用できない。)。

(3) したがって,いずれにしても被告の主張は採用できない。

(五)  以上のとおり,被告は原告ら社員に対し,確たる根拠に裏付けされた各社員につき適用の有無が判明するような明確で具体的な承諾条件を設定してはおらず,かつ,被告は,承諾条件が存することの明示すら時機を逸しており,かつ,その内容たる予定した承諾条件に至ってはこれを募集に際し明示せず,また各社員がそれを明確に認識できるよう周知する手段を講じたこともないから,被告は,原告Gを除くその余の原告らからの希望退職の申込みを受理し,不承諾の意思を告知することなく退職の手続をし,同原告らをそのまま退職に至らせたことにより,これを承諾したものと推認するのが相当である。その他,被告が特別加算金を支払わなかったことが被告が承諾しない意思であったことを裏付けるなどの被告の指摘はいずれも上記認定を左右しない。

3  退職の日の翌日が支払期日であると認めるに足りる証拠はない。

第4結論

以上のとおりであるから,原告Gを除くその余の原告らの請求は各退職金及び所定の支払期限である退職の日の1か月後の日の翌日である平成12年4月30日から支払済みまで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は理由があるからそれぞれ認容し,原告Gの請求の全部とその余の原告らのその余の遅延損害金の支払を求める部分は失当としていずれも棄却する。

(裁判官 多見谷寿郎)

(別紙)

3. 人員計画

上記施策1.および2.実施に伴い,下表の人員計画のとおり総数176名の人員対策が必要である。

<省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例