東京地方裁判所 平成12年(ワ)27582号 判決 2001年10月26日
原告
若杉敏子
被告
蔡尚正
ほか一名
主文
一 被告らは、原告に対し、連帯して、金三二九万〇六八六円及びこれに対する平成一一年二月三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用はこれを五分し、その二を被告らの、その余を原告の負担とする。
四 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
被告らは、原告に対し、連帯して、金七九〇万〇七五七円及びこれに対する平成一一年二月三日(本件事故日)から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
一 争いのない事実及び容易に認定し得る事実
(一) 事故の発生(甲一から三、乙三の二、乙四、五)
ア 日時 平成一一年二月三日午前七時四〇分ころ
イ 場所 東京都板橋区仲宿四六番一二号先交差点(以下「本件交差点」という。)内
ウ 被告車 被告蔡尚正(以下「被告蔡」という。)が運転し、被告第三松竹タクシー株式会社(以下「被告会社」という。)が保有する普通乗用自動車(タクシー)
エ 原告車 原告(昭和一七年一〇月一九日生)の運転する足踏み式自転車
オ 事故態様 被告車が巣鴨方面(南方向)から環七通り方面(北方向)に向かう道路(以下「本件道路」という。)を走行中、本件交差点から東方向に向かって分岐する道路(以下「本件交差道路」という。)から本件道路に進入して左折しようとした原告車と衝突した(以下「本件事故」という。)。
(二) 原告の受傷及び治療経過並びに後遺障害
原告は、本件事故により、左鎖骨骨折、頸椎捻挫の傷害を受け、帝京大学医学部附属病院(平成一一年二月三日から同月八日までの六日間の入院、同月一〇日から平成一二年四月三日までの間の通院。通院実日数不明。甲六。なお、平成一一年五月一〇日までの実日数は四四日である。乙二)、木下整形・形成外科(平成一一年五月一一日から同年八月二五日までの間に実日数四四日間の通院。甲五)において治療を受け、平成一二年四月三日に症状固定した(甲六)。
原告は、自賠責認定手続において、左鎖骨骨折に伴う左鎖骨変形につき、後遺障害等級一二級五号の認定を受けた(甲七)。
(三) 原告に生じた損害及び既払金
原告には、少なくとも、治療費七三万六五九九円(原告負担額一万五七五〇円と、地方公務員災害補償基金(以下「本件基金」という。)の東京都支部(以下、「本件基金支部」という。)からの療養補償給付七二万〇八四九円との合計額である。)、治療用具七五七〇円(カラーキーパー(L)三〇九〇円、クラビクルバンド(L)四一二〇円、三角巾三六〇円。いずれも医師の指示によって購入したものである。)、通院交通費一万八四八〇円、入院雑費七八〇〇円、休業損害一三二万二三六二円、後遺障害慰謝料二七〇万円、合計額四七九万二八一一円の損害が生じている。
他方、原告は、自賠責保険金二七三万三九〇〇円を受領している。
(四) 本件基金支部が原告に対して支払った給付金等
原告は、本件基金支部から、療養補償給付として七二万〇八四九円(なお、原告が前記各病院で治療(療養給付)を受け、同額の診療報酬が前記病院に直接支払われた。)、休業補償給付金として七八万四三二五円、合計一五〇万五一七四円を受領している。
二 争点
(一) 被告蔡と原告との過失責任の割合
ア 被告らの主張
本件事故は、本件交差点手前の進行方向右側に駐車中のトラックの陰から、被告車の前方に飛び出してきたことによって生じた出会い頭の衝突事故であり、原告には、本件道路に進入するに当たって安全確認等の義務を怠った過失がある。
したがって、原告の損害に対して相当程度の過失相殺をすべきである。
イ 原告の主張
本件事故は、本件道路の両脇が商店街であり、歩行者や自転車が多いにもかかわらず、被告蔡が不適切に速い速度で、かつ、前方を十分注視することなく、被告車を運転していたことに主として起因するのであるから、大幅な過失相殺を行うべきではない。
(二) 原告の損害額の算定
ア 原告の主張(前記争いのない損害額を除く)
(ア) 逸失利益(請求額 九五六万四九五二円)
原告の本件事故当時の年収は七七〇万八五七四円であり、前示後遺障害による労働能力喪失率は一四パーセント、労働能力喪失期間は一二年(ライプニッツ係数八・八六三)であるから、逸失利益は以下のとおりとなる。
七七〇万八五七四円×〇・一四×八・八六三=九五六万四九五二円
(イ) 傷害慰謝料(請求額 一二〇万円)
(ウ) 弁護士費用(請求額 七〇万円)
(エ) 損害の填補について
被告らの主張は争う。
イ 被告らの主張
(ア) いずれも争う。
(イ) 逸失利益について
a 原告の後遺障害は左肩鎖骨の変形にすぎず、一般に労働能力喪失をもたらすものではない。
b 原告は区立小学校に勤務して給食調理を担当する者であり、本件事故前と同じ給与を受けている以上、逸失利益は存しない。
c 逸失利益を算定するとしても、定年である六〇歳以降における基礎収入について現在の年収額を基礎とするのは相当ではなく、六〇歳の主婦を前提とする算定をすべきである。
(ウ) 損害の填補について
a 本件基金支部から受領した前記の療養補償給付及び休業補償給付金の合計額である一五〇万五一七四円の全額を過失相殺後の損害額から控除すべきである。
b 前記給付金合計額の填補される対象となる費目については、治療関係費、休業損害に限定することなく、他の費目に係る損害全般を填補の対象とすべきである。
第三当裁判所の判断
一 争点(一)(被告蔡と原告との過失責任の割合)について
(一) 本件事故現場周辺の状況及び本件事故に至るまでの経過
甲二、三、乙一、三の二、乙四、原告、被告蔡の各本人尋問の結果、弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
ア 本件事故現場周辺は別紙図面のとおりである。本件道路の両側は商店街である。本件事故当時は未だ開店又は開店準備している店はなかったが、通勤又は通学等の歩行者の往来が見受けられる状況であった。そして、別紙図面の位置に四トントラックのロングボディ車(以下「本件駐車車両」という。乙四の写真<2>、<3>のトラックよりも車体が大きい。)が駐車されていた。
イ 本件事故当時、被告蔡は、乗客を乗せて本件道路を巣鴨方面から環七通り方面に向かって本件事故現場から数軒先のスーパーライフに向かう途中であった。被告蔡は、本件道路を時速約三〇キロ程度の速度で走行していたが、本件駐車車両の手前で時速二五キロ程度の速度(乙一)に減速してその左側を通過しようとしたところ、本件駐車車両の向こう側、被告車の進行方向右側から、原告車が本件交差点に進入してきたため、別紙図面<×>地点において、被告車の右側面前部バンパー角と原告車の前輪とが衝突した。
ウ 原告は、本件事故当時、本件交差道路から本件交差点を左折して巣鴨方面にある板橋区役所前駅に向かうために、本件交差点に進入したところ、巣鴨方面から走行してきた被告車と出会い頭に衝突するに至った。
前示衝突態様からすると、原告は本件交差点に進入する際、及び、本件駐車車両の位置から更に前に出る際に、十分な左方の安全確認を尽くさなかったと認められる。
エ 原告は、本件事故が、本件交差点での左折を完了した後、本件駐車車両の側方を通過している際に発生した旨供述するが、この衝突態様であれば、原告車及び被告車の右側面同士の衝突となるから被告車の前示バンパーに原告車の右ペダル又は金属部位との明確な擦過痕が残るはずであるし(乙四の写真<6>からはそのような痕跡は認められない。)、また、衝突位置が被告車と本件駐車車両との狭あいな空間となるために本件駐車車両との二次的な衝突等があり得るはずだが、その痕跡がうかがえない点を考慮すると、本件事故態様の認定に当たっては、被告蔡の供述を基礎とするのがより合理性が高いと考えられる。
(二) 被告蔡と原告との過失責任の割合
以上の事故態様によれば、被告蔡は、人通りのある商店街内の本件道路を通行するに際して、本件駐車車両によって右前方の視界が完全に遮られているのであるから、あらかじめ十分に減速した上で徐行し、かつ、その右前方を注視しながら本件駐車車両の左側方を通過すべきであったにもかかわらず、十分に減速をしないまま漫然と走行した点で、安全運転上の義務を怠った過失があるというべきである。これに対し、原告は、本件交差道路から、明らかにそれよりも幅員が広く、かつ、本件交差点内にも路側帯の道路標示がなされている(乙四の写真<1>、<2>)本件道路との本件交差点に進入するに当たっては、車両の運転者として左右の安全を確認しなければならず、本件では、本件駐車車両の存在ゆえになおさら左方に対しては十分な注意を払う必要があったにもかかわらず、これを尽くしていなかった点で、安全確認義務を怠った過失がある。そして、双方の注意義務違反の内容及び程度を考慮すると、被告蔡と原告との過失責任の割合は、被告蔡が六〇、原告が四〇とするのが相当である。
二 争点(二)(原告の損害額の算定)について
(一) 治療費(争いがない) 七三万六五九九円
(二) 治療用具(同) 七五七〇円
(三) 入院雑費(同) 七八〇〇円
(四) 通院交通費(同) 一万八四八〇円
(五) 休業損害(同) 一三二万二三六二円
(六) 逸失利益 五四三万二八七七円
ア 基礎収入
(ア) 当初の三年間(原告が六〇歳になるまで)
原告が定年退職するまでの三年間(ライプニッツ係数二・七二三)については、原告の本件事故時の年収である七七〇万八五七四円をもって逸失利益を算定するための基礎収入とするのが相当である(甲八、九、弁論の全趣旨)。
(イ) その後の九年間(原告が六九歳になるまで)
原告が区立小学校の給食担当職員を六〇歳(三年後)で定年退職する見込みであること、その後は新任雇用又は再雇用となって勤務を継続するもののその給与額は定年前のそれに比べて減額となるのが確実であること(原告本人)、後述する稼働可能期間全般にわたって基礎収入を前示の七七〇万八五七四円として算定するのが合理的かつ相当であることを基礎付ける事情が認められないこと、を考慮すると、原告が定年退職する六〇歳以降における原告の逸失利益を算定するに当たっては、六〇歳から六四歳の全女子労働者平均賃金(平成一一年)である二九〇万一六〇〇円をもって基礎収入とするのが合理的である。
イ 労働能力喪失率
原告の身体には前示のとおり左鎖骨変形の後遺障害が残存し、そのため、左肩の痛みや動きの制約、それを補うことによる右腕、右肩の負担、原告の仕事が給食調理作業であり重い物を持つ等少なからぬ負担を強いられること、を考慮すると、健全な身体状態で稼働する場合に比べて相当程度稼働を制約する状態を生じさせていることが認められるのであって、原告はこれを克服するために、現に、原告は従前通りの仕事をこなしていくために早朝出勤したり、運搬作業の回数を増やしたりするなどの努力をして職務を遂行していること(甲一二、原告本人)を考慮すると、その制約状態を労働能力の喪失状態ととらえるのが相当であり、労働能力喪失率については、前示後遺障害が一二級相当であることに照らし、一四パーセントとするのが相当である。
ウ 稼働可能期間
原告は前示症状固定時において五七歳であり、原告と同年代の女性の平均余命が二九年(平成一一年の簡易生命表による。)であることに照らすと、原告主張に係る一二年(ライプニッツ係数八・八六三)の稼働可能期間は、この平均余命の半分を超えない数値であるから相当である。
エ 計算式
七七〇万八五七四円×〇・一四×二・七二三=二九三万八六六二円
二九〇万一六〇〇円×〇・一四×(八・八六三-二・七二三)=二九〇万一六〇〇円×〇・一四×六・一四=二四九万四二一五円
二九三万八六六二円+二四九万四二一五円=五四三万二八七七円
(七) 傷害慰謝料 一二〇万円
原告の負傷の内容、程度、治療経過等のほか、治療期間中の就業上の苦労等の諸事情を考慮した。
(八) 後遺障害慰謝料(争いがない) 二七〇万円
(九) 小計 一一四二万五六八八円
(一〇) 過失相殺(四〇パーセント) 六八五万五四一二円
(一一) 既払金(自賠責保険金。争いがない) 二七三万三九〇〇円
(一二) 既払金(本件基金支部からの給付) 一二三万〇八二六円
ア 本件基金支部からの給付金総額が一五〇万五一七四円(療養補償給付七二万〇八四九円、休業補償給付金七八万四三二五円の合計額)であることは前示のとおりである。
イ 療養補償給付の控除の対象となる損害費目と控除額
(ア) 補償と損害賠償とが同一の事由の関係にあること
第三者の行為に起因する災害によって被災した職員が取得する損害賠償請求権のうち、補償と同一の事由による損害については、補償を受けた場合、その価額の限度で損害が填補されたものとして損害賠償請求権は減縮するが、それは、被災職員の損害賠償請求権がその価額の限度で本件基金に移転するからであり(地方公務員災害補償法(以下、単に「法」という。)五九条一項)、移転の前提として、補償と民法上の損害賠償とが同一の事由によるものであるといえるためには、当該補償の趣旨目的と民法上の損害賠償の趣旨目的が一致すること、すなわち、その補償の対象となった損害と民法上の損害賠償の対象となる損害とが同じ性質であり、民法上の損害賠償が認めることになると補償によって填補しようとした損害が二重に填補されるような関係にあることが必要であると解される。
そこで、療養補償給付について検討すると、民事上の損害費目としての治療関係費は、治療費のほか、装具費、入院雑費、通院交通費、家族付添費等種々の費目があるが、療養補償が、被災職員に生じた治療関係費に係る損害のうち、填補しようとする対象を法二七条各号記載のもの、すなわち、治療費のほか、医学的な観点から見て治療上必要不可欠なものに限定する趣旨であることに照らすと、補償と同一の事由の関係にある民法上の損害賠償に係る損害とは、単に治療に関連した損害であるというのでは足りず、更に限定された同条各号記載の項目に係る損害であると理解するのが合理的かつ相当である。
そうすると、本件においては、原告の主張に係る損害費目のうち、治療費と治療用具(前示の各用具はいずれも法二七条二号の治療材料に該当する。)に係る費用が療養補償給付と同一の事由の関係にあると解される一方、入院生活に必要な日用品に係る出費を定型化した入院雑費や通院のための交通費は、前示のとおり、療養補償が填補しようとする対象ではないから、療養補償給付と同一の事由の関係にはないものといわなければならない(それゆえ、加害者から入院雑費や通院交通費について損害賠償を受けたとしても、補償とは同一の事由の関係にはない以上、補償が受けられなくなることはない。)。
(イ) 結論
原告は、本件基金支部から、療養補償給付として七二万〇八四九円を受領しているが、控除の対象となる損害額は、前示争いがない治療費(七三万六五九九円)及び治療用具(七五七〇円)の合計額七四万四一六九円の前示過失相殺後の金額四四万六五〇一円の限度となる。
療養補償給付の全額を損害額全体から控除すべきであるとの被告らの主張は採用しない。
ウ 休業補償給付金の控除額
休業補償給付金(七八万四三二五円)は、前示争いがない休業損害(一三二万二三六二円)の前示過失相殺後の金額七九万三四一七円を下回っているので、前示給付金額が控除金額となる。
エ 控除の合計額
補償による控除の合計額は一二三万〇八二六円となる。
なお、前示各補償によって原告の損害賠償請求権を一部取得した本件基金支部は七〇万六一〇〇円を自賠責保険会社から回収することによって求償手続を終了しているが(甲一三)、原告に代位した本件基金支部による独自の判断結果にすぎず、このことが前示控除額に影響するものではない。
(一三) 小計 二八九万〇六八六円
(一四) 弁護士費用 四〇万円
本件事案の難易度や前項の認容額など諸般の事情を考慮した。
(一五) 合計 三二九万〇六八六円
三 結論
よって、原告の請求は、被告らに対し、連帯して、三二九万〇六八六円及びこれに対する平成一一年二月三日(本件事故日)から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容する。
(裁判官 渡邉和義)