東京地方裁判所 平成12年(ワ)4116号 判決 2002年2月12日
原告
西与吏郎
同訴訟代理人弁護士
中西一裕
被告
双美交通株式会社
同代表者代表取締役
望月榮次
同訴訟代理人弁護士
高見之雄
主文
1 被告は、原告に対し、金二三二万一九八七円及びこれに対する平成一二年三月九日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
2 原告のその余の請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は、これを六分し、その五を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。
4 この判決は、第1項について、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一原告の請求
1 被告は、原告に対し、金二七六万四九四六円及びこれに対する平成一二年三月九日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
2(主位的請求)
被告は、原告に対し、金一四二三万八〇〇〇円及びこれに対する平成一二年三月九日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
(予備的請求)
被告は、原告に対し、金一四二三万八〇〇〇円及びこれに対する平成一二年三月九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、被告の取締役を退任した原告が、その在任中に従業員を兼務していたとして、被告に対し、<1>従業員の退職金及び<2>取締役の退職慰労金(主位的請求)または退職慰労金相当額の損害賠償金(予備的請求)の支払をそれぞれ求めた事案である。
1 争いのない事実
(1) 被告は、一般乗用旅客自動車運送事業などを業とする株式会社である。
(2) 原告(昭和八年七月一〇日生)は、遅くとも昭和三二年一月一五日、被告に経理担当の従業員として入社した。
(3) 原告は、昭和三五年一一月一四日、被告の取締役に就任し、平成一一年三月二〇日、取締役を退任した。
(4) 被告の就業規則には、タクシー乗務員でない従業員の退職金は、退職前三か月間(ただし、当該退職月は含まない)の乗務員の平均営業収入(税引き)の一パーセントの一・七倍に勤続月数を乗じた金額に、慰労金を副えて退職後三か月以内に支払うと規定されている。
2 争点
(1) 原告が取締役在任中、従業員を兼務していたか否か
(原告の主張)
ア 原告は、経理担当の従業員として被告に入社し、その後取締役になったが、従前どおり従業員としての業務を行っていた。原告は、毎日午前八時前から午後四時以降まで勤務していた。タクシーの運行は毎日行われるので、原告は、売上金の管理のため土曜日や日曜日に出勤することも多かった。
原告の業務内容は、経理が中心であったが、被告は乗務員が約一二〇名、事務職員が約一〇名の小規模な会社であり、経理以外の事務職員の業務は、労務管理関係が中心であったので、原告は、事実上、総務関係や営業関係の業務にも従事していた。
イ 原告は、取締役就任後も、従業員として雇用保険に加入していた。
ウ 原告は、取締役就任後も、従業員として中小企業退職金共済に加入していた。
エ 給与台帳上、原告が被告から支給される報酬は、従業員の給料の部分と取締役の役員報酬の部分が明確に区別されていた。
オ 原告は、代表権のない平取締役であり、被告の株式も所有していなかった。被告は、代表者が発行済み株式総数の過半数を保有する同族会社であり、株主総会や取締役会は形骸化しており、社長と会長の意向で会社の経営方針が決められていた。
カ したがって、原告は、取締役在任中も従業員を兼務していた。
(被告の主張)
ア 原告は、平成三年七月、常務取締役になり、平成一〇年一月、専務取締役に昇格し、社長に次ぐ地位にあった。
イ 原告は、業務執行権を持ち、会社の経理業務を統括していた。その職務の内容は、会社の経理と財務全般にわたり、売上金の管理や帳簿・出納帳の記帳、取引銀行の入出金、従業員の賃金や役員報酬の計算、諸経費の支払などはもとより、会社の資金調達や支払経費の決済も、自らの判断と責任で行っていた。とりわけ、資金調達については、原告は、会社の資金繰りを企画・立案し、その調達や返済についても自ら取引銀行と折衝して実行していた。
ウ 原告は、一時期、株式を保有していたことがあった。
エ 被告の就業時間は、午前七時から午後四時までのところ、原告は、始業時間に出社したことはほとんどなく、おおむね午前一〇時ころ出社しており、また、特に決まった時間に退社することもなかった。そして、原告がこのことで非難を受けたこともなかった。原告は、時間的な拘束を受けることなく、自らの判断で勤務しており、土曜日や日曜日の出勤も同様であった。
オ 給与台帳の記帳は、社長や原告の分も含めて、原告が自らの判断で行っていた。原告は、雇用保険や中小企業退職金共済に加入する便宜のため、自らの役員報酬の一部を給与に振り分けて記帳していたが、社長の望月榮次も、実害があるわけではなかったので、黙認していた。
カ したがって、原告は、取締役に就任した後は、従業員の地位を失った。仮に取締役就任後も従業員の地位を有していたとしても、常務取締役に昇格した平成三年七月以降は、従業員の地位を失ったというべきである。
キ 仮に、原告が取締役に就任した後も従業員の地位を有していたとしても、就業規則の定める満六二歳の定年に達した平成七年七月一〇日以降は、嘱託雇用契約を締結するなど特段の手続はとられていないから、従業員の地位を失ったというべきである。
(2) 従業員退職金の金額
(原告の主張)
ア 原告は、昭和三一年一一月一日に入社し、平成一一年三月二〇日に退職した(勤続月数は五〇八・六月)。退職前三か月間(ただし、当該退職月は含まない)の乗務員の平均営業収入(税引き)の一パーセントは、六二万七五四九円である。したがって、原告に支払われるべき退職金は、五四二万五九一四円である。
(計算式)
627,549×1/100×1.7×508.6=5,425,914
イ よって、原告は、被告に対し、従業員退職金の残金二七六万四九四六円(退職金五四二万五九一四円から既払金二六六万〇九四五円を控除した残額の内金)及びこれに対する弁済期の経過後である平成一二年三月九日(訴状送達日の翌日)から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。
(被告の主張)
ア 原告の入社日は、昭和三二年一月一五日である。
イ 平成一〇年一二月から平成一一年二月までの三か月間の乗務員の平均営業収入は、五七万九二七六円である。
(3) 退職慰労金の請求権の有無
(原告の主張)
ア 被告は、平成三年一一月二七日の株主総会において、取締役の退職慰労金は、退任前の三年間の平均月額役員報酬に勤続年数を乗じた金額に功労金を加算した金額を支払うことを決議した。
イ 原告の退任前三年間の平均月額役員報酬は、三三万九〇〇〇円(平成八年四月から平成一〇年一二月までは三四万二〇〇〇円、平成一一年一月から同年三月までは三〇万六〇〇〇円)であった。原告の勤続年数は四二年であるから、原告に支払われるべき退職慰労金は、一四二三万八〇〇〇円である。
ウ 原告の退職慰労金は、原告のような従業員兼取締役に支払われるべき報酬の後払いの性質を有する。原告は、被告の設立後間もない時期に入社し、当時の社長から全幅の信頼を得て、四二年以上の長期間にわたり誠実に勤務していた。被告は、代表者が発行済み株式総数の過半数を保有する同族会社であり、株主総会は代表者の意向によって決まる形式的なものにすぎないから、お手盛りによって株主の利益を害するおそれはない。過去においては、退任した取締役に対しては、例外なく退職慰労金が支給されていた。明確な支給基準があるにもかかわらず、株主総会決議がないことを理由に退職慰労金の支払を拒否することは、信義を欠き、公序良俗に反する。
エ よって、原告は、被告に対し、退職慰労金一四二三万八〇〇〇円及びこれに対する訴状送達日の翌日である平成一二年三月九日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。
(被告の主張)
被告には、原告の主張するような退職慰労金の支給規程(内規を含む)は存在しないし、退職慰労金の支給が行われた慣行もない。過去に、被告は、退任した数名の取締役に株主総会決議を経て退職慰労金を支払ったことがあるが、その計算方法は一様ではなかった。
原告に退職慰労金を支給する旨の株主総会決議は存在しないから、原告の主張は法律上の根拠を欠く。
(4) 不法行為の成否
(原告の主張)
ア 前記(3)の事実があるから、被告が原告に退職慰労金を支給する株主総会決議をしないのは、原告と被告の間の有償委任契約及び退職慰労金支給の合意に基づく請求権を違法に侵害するものであり、債権侵害の不法行為を構成する。その結果、原告は、得べかりし退職慰労金と同額である一四二三万八〇〇〇円の損害を被った。
イ よって、原告は、被告に対し、不法行為に基づく損害賠償として一四二三万八〇〇〇円及びこれに対する不法行為の後である平成一二年三月九日(訴状送達日の翌日)であるから支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
(被告の主張)
前記(3)のとおりであるから、原告の主張は、その前提を欠く。
第三争点に対する判断
1 原告が取締役在任中、従業員を兼務していたか否か(争点(1))について
(1) 証拠(後掲のもの)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。
ア 被告は、昭和三一年九月三日に設立されたタクシー会社であり、平成一一年当時、乗務員は約一二〇名、事務職員は約一〇名であり、被告代表者が発行済み株式総数二万〇一〇〇株のうち過半数の一万一三〇八株を保有し、被告の取引先である三ツ矢物産株式会社が残り八七九二株を保有していた(証拠略)。
イ 原告は、遅くとも昭和三二年一月五日、経理担当の従業員として入社した。原告は、昭和三五年一一月一四日、取締役に就任したが、業務内容に大きな変化はなく、引き続き主に経理事務を担当していた。事務職員のうち、経理を担当する者は、原告と女子従業員一名の合計二名であり、経理以外の事務職員の業務は、労務管理関係が中心であったので、原告は、事実上、総務関係や営業関係の業務にも従事していた。原告は、出社すると、夜勤明けの分を含む一日分の売上金を受領し、伝票の管理、帳簿及び出納帳の記載、集計作業を行ったうえで、売上金を銀行預金口座に入金し、その後は、従業員(主に事務管理部門)の給料や役員報酬の計算、諸経費の支払管理などの経理事務に従事した。
この他に、原告は、資金繰りについての企画・立案、融資に関する金融機関との間の折衝も行った。もっとも、原告は、金融機関から融資を受ける際には、社長や会長の決裁を受けていた。
さらに、原告は、ハイヤータクシー協会などの業界の会合に出席したり、ハイヤー契約の取引先を拡大するための営業活動も行っていた。
(証拠略)
ウ 原告は、平成三年七月、常務取締役になり、平成一〇年一月、専務取締役に昇格し、組織構成上、社長に次ぐ地位となり、社長に次ぐ金額の報酬の支給を受けるようになったが、業務の内容に大きな変化はなく、主に経理業務に従事していた。原告は、被告の主要な業務の一つである労務管理や交通事故対策の業務は行っておらず、会社全体の業務を統括するような立場にはなかった。原告は、常務取締役になった後は、出勤簿による出勤及び退勤の管理を受けなくなったが、平日はほとんど毎日、午前八時ころから午後四時ころまで勤務していた。タクシーの運行は毎日行われるので、原告は、売上金の管理のため、土曜日や日曜日に出勤することもあった(証拠略)。
エ 被告の給与台帳上、原告が被告から支給される報酬は、従業員の給料の部分と取締役の役員報酬の部分が区別されていた。平成八年五月支給分以降についてみると、給料は一貫して月額四五万円であった。役員報酬は、月額三四万二〇〇〇円であり、平成一〇年一月分からは月額三六万円に増額したが、平成一一年一月分からは、被告がリストラを実施したことに伴い月額三〇万六〇〇〇円に減額された(証拠略)。
オ 原告は、取締役に就任した後、退任するまでの間、雇用保険及び中小企業退職金共済に加入していた(書証略)。
カ 原告は、平成一一年三月二四日、離職理由を本人の都合による退職とする離職票の交付を受けた(書証略)。
キ 被告の就業規則には、従業員は満六二歳の定年に達したときに退職すると規定されている。被告は、通常、定年で退職した従業員を再雇用する場合、改めて期間の定めのある嘱託雇用契約を締結している。原告は、平成七年七月一〇日に満六二歳となった後も被告に在籍していたが、嘱託雇用の手続をしたことはなかった。もっとも、原告は、この時点を含め、過去に正式な退職の手続をしたり、従業員退職金の支給を受けたことはなかった(証拠略)。
(2) 前記の認定事実によれば、原告は、入社後、主に経理を担当していたが、取締役に就任した後も、業務内容に大きな変化はなく、引き続き経理業務に従事しており、これは、常務取締役となり、さらに専務取締役に昇格した後も同様であった。原告は、定型的な経理業務の他に、資金繰りについての企画・立案をしたり、融資について金融機関との間で折衝を行うなど、被告の経営に深く関与していたが、社長や会長の決裁を受けたうえでこれらの業務を行っていたのであるから、このような重要な業務に従事していたことが指揮監督関係の存在を否定する根拠とはならない。原告は、常務取締役になった後は、勤怠の管理を受けなくなったが、ほとんど毎日会社に出社し、一般の従業員と同様に仕事をしていた。被告から原告に支払われる報酬は、一貫して役員報酬と給料が明確に区別されており、原告は、雇用保険や中小企業退職金共済にも加入していた。
これらの事実によれば、原告は、取締役に就任した後、退任するまでの間も、雇用契約に基づく従業員の地位を保有していたと認められる。
(3) 被告は、<1>仮に原告が取締役に就任した後も従業員の地位を有していたとしても、常務取締役に昇格した平成三年七月以降は従業員の地位を失った、<2>満六二歳の定年になった平成七年七月一〇日以降は従業員の地位を失ったと主張する。
しかし、原告の業務内容や、原告に対する報酬の支給の態様が前記のとおりであること、原告は継続して雇用保険や中小企業退職金共済に加入していたこと、常務取締役になったことによる顕著な待遇の違いは見いだせないこと、原告は過去に正式な退職の手続をしたことはなく、従業員退職金の支給を受けたこともなかったことからすると、原告が常務取締役に昇格したこと、原告が満六二歳の定年に達した際に再雇用の手続をしなかったことは、原告が従業員の地位を失ったことの根拠になるとは認められない。
2 退職金額(争点(2))について
(1) 勤続期間
原告本人は、昭和三一年一一月一日に入社し、試用期間を経て昭和三二年一月一五日に正式採用されたと供述し、陳述書(書証略)にも同旨の記載があるが、客観的裏付けがないから採用することができない。そして、原告が、被告の自認する昭和三二年一月一五日よりも以前に被告に入社した事実を認めるに足りる証拠はない。
原告は、平成一一年三月二〇日に退職したから、勤続期間は、四二年二か月(五〇六か月)となる。
(2) 基礎となる金額
被告における平成一〇年一二月から平成一一年二月までの三か月間の乗務員の平均営業収入が、被告の自認する五七万九二七六円を超える金額であることを認めるに足りる証拠はない。
(3) 退職金額
原告に支払われるべき退職金は、四九八万二九三二円となる。
579,276×506×1.7/100=4,982,932
原告は、二六六万〇九四五円の支払を受けたから、残金は、二三二万一九八七円となる。
3 退職慰労金の請求権の有無(争点(3))について
(1) 退任した取締役に対する退職慰労金は、商法二六九条の報酬であり、定款に定めのない場合、株主総会の決議をもって取締役に対する支給額を決定して、初めて支給が可能となるから、株主総会決議は、退職慰労金請求権の発生要件となる。
ところが、取締役を退任した原告に対し退職慰労金を支給する旨の被告の株主総会決議が存在しないことは、当事者間に争いがないから、原告の退職慰労金請求権は発生していないというほかない。
(2) 原告は、平成三年一一月二七日開催の被告の株主総会において、被告の取締役を退任した者に対し、一定の基準に従って算定された退職慰労金を支払う旨の決議があったと主張する。
平成三年一一月二七日開催の被告の株主総会において、平成三年一〇月一日付けで取締役を退任した小林弘利に対し、退職慰労金を支給する旨の決議がなされたところ(書証略)、原告本人は原告の主張に沿う供述をし、原告が所持する「退職給与計算表」には、計算式とともに、小林に退職慰労金二〇〇〇万円を支給する旨の記載があり、その下部の欄外に、「今後の役員の退職金は、以上を例として支払する」との記載がある(書証略)。
しかし、この欄外の記載は、原告が手書きで書き込んだものであるところ、平成三年一一月二七日開催の株主総会の議事録の原本には、同じ「退職給与計算表」が添付されているが、その下部の欄外には、特段の記載はない(証拠略)。
退職慰労金の支給基準のような重要な決議事項が何ら議事録に記載されないのは不自然であるから、この書き込みは、原告が事後的にしたものと疑わざるを得ない。そうすると、「退職給与計算書」(書証略)及び原告本人の供述によっては、原告の主張する株主総会決議が存在する事実を認めることはできないし、その他に、このような事実を認めるに足りる証拠はない。
(3) 仮に、平成三年一一月二七日開催の株主総会に被告において一定の支給基準に基づいて退職慰労金を支給する決議がなされたとしても、被告が改めて被告代表者以外の株主の意向を問うことなく原告に退職慰労金を支給することは、法律上許されないから、原告の主張するような事情があったからといって、直ちに退職慰労金の支給についての株主総会の決議が不要になるとはいえない。
(4) したがって、退職慰労金の請求は理由がない。
4 不法行為の成否(争点(4))について
原告の被告に対する退職慰労金の請求権は未だ発生しておらず、被告が原告に対し退職慰労金を支給する義務はないから、被告が原告に退職慰労金を支給する株主総会決議をしないことが債権侵害の不法行為に当たるとは認められない。
5 結論
以上によれば、原告の請求は、従業員退職金二三二万一九八七円及びこれに対する弁済期の経過後である平成一二年三月九日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し、その余の請求はいずれも理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法六一条、六四条を、仮執行の宣言につき同法二五九条一項を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 龍見昇)