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東京地方裁判所 平成12年(ワ)5969号 判決 2001年2月23日

原告

堀哲三

原告

寺川惠二郎

原告ら訴訟代理人弁護士

和田裕

被告

株式会社日興エンジニアリング

代表者代表取締役

神谷克郎

訴訟代理人弁護士

中島章智

主文

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は、原告らの負担とする。

事実及び理由

第1請求

被告は、原告堀哲三(以下「原告堀」という)に対し金一六〇五万五〇〇〇円、原告寺川惠二郎(以下「原告寺川」という)に対し一四二三万五〇〇〇円及びこれらに対する平成一一年四月三日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

第2事案の概要

本件は、被告の常務取締役であった原告らが従業員兼務取締役であったとして、被告に対し、雇用契約に基づく退職金の支払を求める事案である。

1  争いのない事実及び証拠によって認定した事実

(1)ア  株式会社日興エンジニアリンググループ(以下「日興グループ」という)は、平成九年一一月四日、不動産仲介を主たる目的として昭和三二年四月二六日に設立された日興商事株式会社(以下「日興商事」という)と理化学工業機械の開発、製造販売を目的として昭和四四年七月一日に設立された株式会社日興エンジニアリング(実質的には争いがあるが、少なくとも形式的には、被告とは別法人である。以下「旧日興エンジ」という)が合併して設立された株式会社であり、代表取締役には、日興商事及び旧日興エンジの代表取締役であった星野榮志(以下「星野」という)が就任した。その後、日興グループは、平成一一年一一月三〇日、手形の不渡りを出して、事実上倒産した。

イ  被告は、平成一〇年一〇月六日、星野らが株式を保有していた休眠会社である株式会社ニック(翻訳、通訳の請負等を目的とする株式会社である。以下「ニック」という)の商号を被告、目的を理化学工業機械の開発・製造及び販売等に変更されたもので、同日神谷克郎(以下「神谷」という)が代表取締役に就任した。

(2)ア  原告堀は昭和五五年八月一日、原告寺川は昭和五八年四月一日、それぞれ旧日興エンジに入社し、いずれも平成一一年四月二日、合併後の日興グループを会社都合により退職した(書証略)。

イ  この間、原告らは、いずれも平成七年七月一日から平成一一年四月二日まで日興グループの取締役であり、平成一〇年一一月一日から平成一一年四月二日までは被告の取締役を兼務していた(ただし、常務取締役であったかどうかについては争いがある。書証略)。

2  争点

原告らの被告に対する退職金請求権の有無

(1)  被告と日興グループとの法的同一性の有無

ア 原告らの主張

被告は、もともと債務超過であった日興グループの債務の免脱を目的として設立されたものであり、目的、取締役をほぼ同一にするものである。そして、被告は、それまで日興グループで受注していた契約を被告名義で受注し、それを受注した代金額を九割の金額で日興グループに下請に出すという形式で一割分の利益を吸い上げるためだけに存在しているものであり、被告を設立しなければならない営業上の必要その他の合理的な理由は全くなかったのである。実際にも、被告には従業員がおらず、日興グループの従業員が、従来どおり営業活動を行い、受注した契約の名義を被告としていただけであり、給与も日興グループから支給されていた。

このような被告は、日興グループの利益の一割分を吸い上げる以外の実態が全くないものであり、会社制度の濫用であるから、日興グループと別の法人格であることを主張できないというべきである。

イ 被告の主張

被告と日興グループとは全く別の法人である。

被告の目的には、日興グループの目的の一つである「不動産の仲介及び斡旋業務」が含まれてはないし、両会社の取締役は、神谷がニックの株式を星野から譲受する以前の平成一〇年一〇月一五日時点では、当然ながら共通の取締役も複数存在したが、神谷が星野から株式の譲渡を受けた平成一一年四月一一日以降は、役員構成も全く異なっている。

日興グループは、多額の負債を抱えていた日興商事と旧日興エンジが合併したため、債務超過状態であり、旧日興エンジの顧客が取引を打ち切ろうとしたことから、被告を設立することになったものであり、被告設立後は、被告名義で直接受注するようになったのは当然であるが、日興グループの経営状況が良くないために、援助の意味で、被告設立後一年を目処に日興グループに下請をさせることによって、代金の九割を取得させることにしたのである。そして、実際には、被告は日興グループにそれ以上の資金援助を行っていたのである。

(2)  原告らの従業員性の有無及び退職金額

ア 原告らの主張

日興グループでの勤続年数は、原告堀が一八年八か月、同寺川が一六年であり、同期間には原告らが取締役であった期間も含まれているが、原告らは従業員兼務取締役であったから、全勤続年数が退職金算定の基礎になるところ、日興グループの給与規程第五章功労金の規定に従って算定すると、退職金額は、原告堀が一六〇五万五〇〇〇円、同寺川が一四二三万五〇〇〇円となる。

イ 被告の主張

原告らの主張は争う。

第3争点に対する判断

1  前記争いのない事実、証拠(略)並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

(1)  日興グループは、平成九年一一月四日、いずれも星野が代表取締役であった日興商事と旧日興エンジが合併した会社であった。日興商事は、不動産取引を業としており、旧日興エンジは、昭和五五年ころから神谷が開発した技術をもとに理化学工業機械の開発及び製造販売を業としていた。星野は、両会社の合併後、日興グループの代表取締役に就任した。神谷は、星野の妻の実弟であり、日興グループの取締役にも就任していた。しかし、両会社が合併した当時、日興商事は債務超過の状態であったため、キャノングループなどを含む旧日興エンジの顧客から信用に不安があるとして取引を打ち切りたいとの通告が相次ぎ、このままでは、営業の継続が困難になることが予想されたことから、神谷は、星野と善後策について協議した。その結果、星野は、自らが株式を保有するニック(翻訳、通訳の請負等を目的とする会社で、星野の息子夫婦らも名義上株主となっているが、実質的な株主は星野一人であった)が休眠会社となっていたことから、同社の商号を被告、目的を理科学工業機械の開発・製造及び販売等に変更し、神谷がその代表取締役に就任し、平成一〇年一一月一日から業務を開始した。そして、平成一一年四月一一日、被告の全株式は星野から神谷に譲渡された。

被告の役員は、ニックから被告へ商号変更の登記がされた平成一〇年一〇月一五日時点では、星野、神谷、瀬川典義(以下「瀬川」という)、原告らであり、日興グループの役員と同一であったが、星野から神谷に株式が譲渡された後である平成一一年四月以降の役員は、神谷、瀬川、丸山悟となった一方、日興グループの役員は、星野、鍋洲五郎、星野浩三となっている。

(2)  ところで、星野から被告の全株式が神谷への譲渡に関しては、有価証券取引書(書証略)、代金支払に関する領収書(書証略)が作成されているものの、実際に金銭の授受は行われていない。

また、被告と日興グループとの間では、日興グループが賃借していた建物を貸主の承諾(書証略)を得て被告に賃貸する合意書(書証略)、その後は平成一一年四月二八日付けで貸主と被告との直接契約となり、その契約書(書証略)が作成されている。また、直接契約を締結するに際し、敷金譲渡契約書(書証略)が作成されている。さらに、日興グループから被告に対し、製品、備品を譲渡する契約(書証略)が作成されている。こうした被告と日興グループ間の書類に関しては、神谷と星野が相談した上、ほとんどが神谷によって作成されて行ってきたものである。前記合意書(書証略)には、例えば、賃料に関し、被告が建物の貸主に直接賃借料を支払う旨記載されていたが、被告が日興グループに支払い、日興グループの従業員が貸主に支払っていた。また、敷金譲渡、什器備品の譲渡に関しても、被告から日興グループ間で金銭の授受はなかった。

しかし、被告は、営業を開始してから、顧客から受注した契約を、その代金額の九割の金額で日興グループに下請けさせ、実際には、それ以上の金額を日興グループに送金しており、平成一一年八月二五日から同年一〇月二五日までの二か月間に二六〇〇万円を送金している。

なお、被告の営業は、上記のとおり、日興グループが賃借していた建物で行っており、被告には従業員はおらず、営業活動や経理事務等は、神谷のほか、日興グループの従業員が行っており、平成一一年四月になってから、日付けを平成一〇年一〇月二〇日に遡らせて出向契約書(書証略)が作成されている。そして、日興グループの従業員は、直接的には同社から給与の支給を受けていた。神谷も、日興グループから役員報酬を得ていたものの、被告からは報酬を得ていなかった。

(3)  日興グループは、平成一一年一一月三〇日、手形の不渡りを出して事実上倒産し、債権者集会が開催され、その後日興グループの代理人であった畑口紘弁護士(以下「畑口弁護士」という)が平成一二年二月一日付けで報告書(書証略)を作成しているところ、同報告書には、被告が日興グループと同様の営業を行っていること、神谷が星野の義弟であることから偽装倒産との疑問が出されたことも理解できるが、営業の必要上被告が設立されたもので偽装倒産ではない旨記載されているほか、債権者の中に被告が記載される一方、前記譲渡敷金の代金を被告から回収する必要がある旨記載されている。また、畑口弁護士は、被告に対し、日興エンジの代理人として売掛金の支払を請求したことがあった。さらに、その後も、譲渡敷金、製品及び備品代金の問題は解決しておらず、被告と畑口弁護士とで話し合うことが予定されている。

2  被告と日興グループとの法的同一性について

(1)  前記1(1)、(2)によれば、被告は、日興グループが行っていた営業の一部と同様の営業を行い、従来日興グループが顧客から得ていた契約代金の一割を被告が取得するようになったことや、被告と日興グループの間で実態を伴わない契約書等が神谷によって作成されたりしていること、また、日興グループの従業員が被告のため業務を行っていたことなど、両会社の関係に不明瞭な部分があることは否定できず、日興グループが事実上倒産した際、偽装倒産ではないかとの疑問が債権者から出された(前記1(3))のもうなずけるところである。

(2)  しかし、被告が設立(法形式的には、ニックが商号及び目的を変更したものである)されたのは、旧日興エンジの顧客から、多額の債務を抱える日興商事と合併した日興グループとの契約の打ち切りを通告されたことがきっかけであること(前記1(1))からすると、結果として日興グループが倒産するに至ったとしても、偽装倒産ということはできない。この点、畑口弁護士も、被告の設立には業務上の必要があったとしている(前記1(3))。このような被告設立のきっかけや、被告設立後、日興グループに対し、下請をさせる形式で、売上の九割を得させていただけでなく、それ以上の送金をしていたことなどからすると、むしろ、日興商事との合併によって日興グループが債務超過に陥り、信用不安から旧日興エンジの顧客との取引継続が困難になったことから、日興グループは、いわば、その生き残りをかけて、日興グループから、理化学工業機械の開発、製造販売部門(旧日興エンジということもできる)を再度独立させて、被告が利益を上げて、日興グループへ援助し(特に、被告は、日興グループに対し、同社が事実上倒産する前三か月間で合計二六〇〇万円も送金している)、両会社の継続を図ろうとしたものと推認することができるのであって、直ちに日興グループが偽装倒産したものであるということはできない。

(3)  こうしたことからすると、被告は、実質的には、日興グループの中の一部門が独立したものであるということはできるが、そのことは、被告が日興グループと法的同一性を有することを意味するものでないことは明らかである。

すなわち、日興グループは、被告の設立によっても目的を変更せず、下請という形式で理化学工業機械の製造販売を引き続き行っていたものの、実質的にはこの部分の業務を被告が行い、日興グループには不動産取引業務が残るだけになったのであり、両会社の業務は実質的に異なることになり、経理上の処理でも両者は区別され(原告堀)、被告の全株式が星野から神谷に譲渡された後は、役員構成も異なるに至ったことからすれば(前記1(1))、被告は、その設立によって、名実ともに日興グループとは別会社になったというべきである。そして、旧日興エンジや被告の営業が神谷の開発した技術によっていたこと(前記1(1))から、日興グループとしては、神谷が抜ければ、旧日興エンジの業務を継続していくことが困難であったものと推認することができることからしても、被告の設立は、文字通り、日興グループと被告が別会社であることを意味するものであることが裏付けられる。

したがって、被告と日興グループとの法的同一性を認めることはできないから、日興グループの従業員であった原告らが被告に対し、退職金の支払を求めることはできないものといわざるをえない。

3  以上の次第で、その余の点について判断するまでもなく、原告らの請求は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法六一条、六五条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 松井千鶴子)

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