東京地方裁判所 平成12年(ワ)6927号 判決
原告 柏谷道正
右訴訟代理人弁護士 後藤邦春
被告 株式会社整理回収機構
右代表者代表取締役 鬼追明夫
右訴訟代理人弁護士 板澤幸雄
同 藤田嗣潔
同 野辺博
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告は、原告に対し、金四三二万二〇〇〇円及びこれに対する平成一二年四月一三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、競売物件について買受けの申出をしたが代金を納付しなかった原告が、右買受けの申出は錯誤により無効であるなどと主張して、原告が提供した保証につき売却代金(民事執行法八六条一項三号)として配当を受けた被告に対し、不当利得返還請求権に基づき、右保証相当額の返還を求める事案である。
一 争いのない事実並びに証拠及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実
1(一) 原告は、公認会計士であり、会計事務所を経営している。
(二) 被告は、破綻金融機関との合併により承継し、又は破綻金融機関から譲り受けた営業の整理を行い、並びに破綻金融機関から買い取った資産の管理、回収及び処分を行うこと等を目的とする会社である。
2 株式会社北海道拓殖銀行(以下「拓殖銀行」という。)は、東京地方裁判所に対し、債務者を株式会社銀座ジョルジュとして平成元年九月二九日付けで設定登記された根抵当権に基づき、株式会社サルーテ・ジャパン(旧商号株式会社東京アイボリー)が所有する別紙物件目録一及び二記載の各不動産(以下「本件不動産」という。)について、競売を申し立てた(当庁平成七年(ケ)第一四三号事件。以下「本件競売事件」という。)ところ、同裁判所は、平成七年一月二三日、競売開始決定を発し、同日、差押登記がされた。(甲一、二)
3(一) 執行官作成に係る平成七年四月二八日付け現況調査報告書及び評価人作成に係る平成八年六月一四日付け評価書には、本件不動産は所有者が占有し、空室同然である旨記載されている。(甲九、一〇)
(二) 執行裁判所作成に係る平成八年六月二一日付け物件明細書には、本件所有者は引渡命令の対象になる、差押後本件不動産の占有を始めた者に対しては、引渡命令を発令するのが原則である旨記載されている。(甲一一)
4 執行裁判所は、平成八年九月九日、本件不動産について、最低売却価額を二一六一万円、買受申出保証額を四三二万二〇〇〇円として期間入札に付す旨の公告をした。(甲五)
そこで、原告は、同年一〇月三日、本件不動産について、入札価額を二五〇一万三三四五円とする買受けの申出(以下「本件買受申出」という。)をし、保証として四三五万円を提供したところ、同月二一日、最高価買受申出人として売却許可決定を受けた。(甲五ないし八)
5 執行裁判所は、本件不動産の代金納付期限を平成九年二月二七日と定めたが、原告は、右期限までに残代金を納付しなかった。(甲六)
なお、原告は、執行裁判所から、平成一〇年八月二一日、前記買受申出保証額を超えて保証として提供した二万八〇〇〇円の還付を受けた。(甲一五)
6 執行裁判所は、本件不動産を再度売却に付したところ、川本勝一がこれを買い受け、平成一〇年八月六日付けで所有権移転登記が経由された。
7 拓殖銀行は、本件競売事件において、原告が保証として提供した残金四三二万二〇〇〇円(以下「本件保証」という。)について、売却代金として配当を受けた。
8 拓殖銀行は、平成一一年三月三一日に解散し、被告が、拓殖銀行から買い取った資産の管理、回収及び処理並びにこれに附帯する一切の業務を行うこととなった。
二 争点
本件の争点は、被告が法律上の原因に基づかずに本件保証を取得したか否かであり、この点に関する当事者双方の主張は、次のとおりである。
(原告の主張)
被告は、法律上の原因に基づかずに本件保証を取得したものであるから、原告に対し、本件保証を返還すべきである。その理由は、次のとおりである。
1 民事執行法八〇条一項、八六条一項三号は、競売物件の買受人が代金納付期限までに代金を納付しないときは、売却許可決定は効力を失い、この場合、買受人は提供した保証の返還を請求することはできず、右保証は売却代金として配当される旨定めているが、右各規定は、買受人の代金納付義務の履行の懈怠に対する制裁のため、一種の違約金として、保証を売却代金に組み入れる旨定めたものと解される。
しかしながら、原告は、後記のとおり錯誤により本件買受申出をしたのであり、売買契約による義務の履行を懈怠したものではないから、原告に対し、右の制裁を科すべきではない。
2 本件競売事件の現況調査報告書及び評価書には、本件不動産は空家同然である旨記載され、物件明細書にも、本件不動産には賃借権が存在しない旨記載されていたことなどから、原告は、本件不動産には占有者が存在しないと判断して、本件買受申出をしたものである。しかるに、現実には、本件不動産には、広域暴力団の現役構成員松尾俊一(以下「松尾」という。)が代表取締役であり、暴力団のフロント企業である有限会社ユタカ工務店(以下「ユタカ工務店」という。)が、占有している。
したがって、本件買受申出は、錯誤に基づくもので無効というべきであるから、公平の原則に照らし、原告の被告に対する本件保証の返還請求を認めるべきである。
3 最高裁平成八年一月二六日第二小法廷判決・民集五〇巻一号一五五頁及び東京地裁平成一〇年九月二四日判決・判例時報一六九八号一〇八頁は、いずれも買受人の配当受領債権者に対する配当金返還請求を認めたものであるところ、右各判決との均衡を図るためにも、原告の被告に対する本件保証の返還請求を認めるべきである。
(被告の反論)
被告は、法律上の原因に基づき本件保証を取得したものである。その理由は、次のとおりである。
1 被告は、民事執行法八〇条一項、八六条一項三号に基づき、本件保証につき売却代金として配当を受けたものである。
同法八〇条一項後段の例外として、買受人の代金不納付の場合に保証の返還請求が認められる場合については、次順位買受申出人がなく、その後競売手続が取り下げられたとき、又は競売手続の取消決定が確定したときなど、限定的に解されている。
しかるに、原告は、引渡命令によって本件不動産の占有者を排除することができたにもかかわらず、何ら法的措置を講ぜず、漫然と代金納付を怠ったにすぎないから、右の保証の返還請求が認められる場合には当たらないものというべきである。
2 原告には、表示上の効果意思と内心的効果意思との不一致は存在しないから、本件買受申出に錯誤はない。
また、民事執行法が引渡命令等の措置を設けて買受人の保護を図っている趣旨に照らすと、競売物件について不法占有者が出現したことをもって、買受けの申出に要素の錯誤があるものとはいえない。
しかも、競売物件の買受けの申出について、当該競売手続外の別訴で無効を主張して争うことは、民法五六八条、五六六条により救済を求められる特別の場合を除き許されない(最高裁昭和四三年二月九日第二小法廷判決・民集二二巻二号一〇八頁参照)ものであるところ、本件においては、次のとおり、右各条には該当しない。
すなわち、本件不動産の賃借権は、濫用的短期賃借権であると解されるから、原告は、占有者に対する引渡命令を求めることができるのであって、被告に対し、担保責任(同法五六八条一項、五六六条二項)を追及することはできないし、仮に右賃借権が濫用的短期賃借権に当たらないとしても、原告の被告に対する担保責任の追及権は、除斥期間(同法五六八条一項、五六六条三項)により消滅している。
3 原告が引用する各判決は、いずれも本件とは事案を異にするものである。
第三争点に対する判断
一 民事執行手続において、不動産の買受けの申出をしようとする者は、執行裁判所が定める額及び方法による保証を提供し(民事執行法六六条)、売却許可決定が確定したときは、買受人は、執行裁判所の定める期限までに代金を執行裁判所に納付しなければならない(同法七八条一項)ところ、買受人が代金を納付しないときは、売却許可決定は効力を失い、この場合においては、買受人は提供した保証の返還を請求することはできず(同法八〇条一項)、右の保証は、売却代金として配当される(同法八六条一項三号)旨定められている。
このように、代金を納付しない買受人に対する保証の返還が認められないのは、代金不納付という民事執行手続の確実かつ迅速な進行を阻害する要因を作出した買受人に対して制裁を与えるとともに、買受人に代金不納付による不利益を予告することにより、代金の納付を間接的に強制し、もって、再度の売却による民事執行手続の遅延を防ごうとする目的によるものと解される。
そうすると、同法八〇条一項の例外として保証を返還する場合については、競売の申立ての取下げ又は競売手続を取り消す旨の決定が確定したことにより、配当等の手続に至らずに競売事件が終了し、執行裁判所が売却代金の一部として保証を保管する理由がなくなるような場合に、限定して解するのが相当である。
したがって、本件においては右のような事情は認められないから、原告は、被告に対し、本件保証の返還を求めることはできないものというべきである。
二 これに対し、原告は、本件買受申出は錯誤により無効であるから、被告は本件保証を返還すべきである旨主張する。
そこで検討すると、競売による買受けの申出に要素の錯誤がある場合であっても、民事執行手続の安定性を図るためには、当該競売の効力については、民事執行法の定める不服申立ての方法によって争うべきものであり、民法五六八条、五六六条により救済を求められる特別の場合を除き、競売手続及び売却許可決定の違法無効を別訴で主張して争うことは許されないものと解するのが相当である(民事執行法施行前のものとして、前掲最高裁昭和四三年二月九日第二小法廷判決、最高裁昭和四九年三月二八日第一小法廷判決・金融法務事情七二三号二七頁参照)。
そうすると、原告は、本件買受申出の効力については、売却許可決定に対する執行抗告等の不服申立ての方法によって争うべきであったものであり、本件訴訟において、錯誤を主張することはできないものというべきである。
したがって、原告の右主張は、採用することができない。
三 原告は、前掲最高裁平成八年一月二六日第二小法廷判決及び東京地裁平成一〇年九月二四日判決との均衡を図るためにも、原告の被告に対する本件保証の返還請求を認めるべきである旨主張する。
しかしながら、右各判決は、いずれも、建物に対する強制競売において、借地権の存在を前提として売却が実施されたことが明らかであるにもかかわらず、代金納付の時点において借地権が存在しなかった場合、買受人は、そのために建物買受けの目的を達することができず、かつ、債務者が無資力であるときは、民法五六八条一項、二項及び五六六条一項、二項の類推適用により、強制競売による建物の売買契約の解除ないし代金減額請求をした上、売却代金の配当を受けた債権者に対し、右代金の全部ないし一部の返還を請求することができる旨判示したものであり、単に錯誤による買受けの申出の無効を主張する本件とは、事案を異にするものである。
なお、原告が、本件不動産に占有者がいることをもって、担保責任(同法五六八条一項、五六六条一項、二項)を主張するものと解したとしても、右主張を採用することはできない。その理由は、次のとおりである。
すなわち、執行官作成に係る現況調査報告書(甲九)によれば、現況調査の時点において、本件不動産は空家同然の状態で、一階出入口部分には所有者名義の表札が掲げられていたことが認められるから、ユタカ工務店の本件不動産に対する占有は、本件競売事件による差押後に開始されたものと推認することができる。また、仮に、ユタカ工務店が差押前から賃借権に基づき本件不動産を占有していたとしても、松尾は原告に対し本件不動産を津島昭司(以下「津島」という。)から転借した旨供述した(原告本人尋問の結果)ものであるところ、所有者と津島との間の賃貸借契約書(甲一四)は、差押直前の平成七年一月一日付けで作成されていること、右契約書の内容は、賃料が一〇万円であるのに対し、敷金が一五〇万円と高額であり、賃借人の転貸を認めるなど不自然なものであること、その他原告本人尋問の結果により認められる松尾の言動等を合わせ考えると、津島の賃借権は、およそ民事執行手続で保護される正常な短期賃借権とは解し難く、これに基礎を置く松尾の転借権もまた、保護されないものというべきである。このように、差押後の占有者や濫用的短期賃借権者に対しては、引渡命令によって簡易迅速に占有の排除を求めることができるのであるから、本件不動産について権利の瑕疵があるものとは認め難い。
また、原告は、本件不動産のみならず、隣接する七〇三号室から七〇五号室も暴力団関係会社の事務所として使用されているから、本件不動産を会計士事務所として使用することはできない旨主張するが、右の事情は本件不動産の権利の瑕疵に当たるものとは解されないし、競売による売買契約においては物の瑕疵に対する担保責任を追及することもできない(民法五七〇条ただし書)から、原告の右主張は理由がない。
四 よって、原告の本訴請求は理由がないから、主文のとおり判決する。
(裁判官 森田浩美)
物件目録
一 一棟の建物の表示
所在 新宿区西新宿七丁目七三七番地五
建物番号 新宿ダイカンプラザA館
専有部分の建物の表示
家屋番号 西新宿七丁目七三七番五の一〇一
建物番号 七〇一
種類 居宅
構造 鉄骨鉄筋コンクリート造一階建
床面積 七階部分 二五・二六平方メートル
敷地権の目的たる土地の表示
符号 1
所在及び地番 新宿区西新宿七丁目七三七番五
地目 宅地
地積 九二二・五四平方メートル
敷地権の表示
符号 1
敷地権の種類 所有権
敷地権の割合 一〇〇〇〇分の四七
二 一棟の建物の表示
所在 新宿区西新宿七丁目七三七番地五
建物番号 新宿ダイカンプラザA館
専有部分の建物の表示
家屋番号 西新宿七丁目七三七番五の一〇二
建物番号 七〇二
種類 居宅
構造 鉄骨鉄筋コンクリート造一階建
床面積 七階部分 一七・七九平方メートル
敷地権の目的たる土地の表示
符号 1
所在及び地番 新宿区西新宿七丁目七三七番五
地目 宅地
地積 九二二・五四平方メートル
敷地権の表示
符号 1
敷地権の種類 所有権
敷地権の割合 一〇〇〇〇分の三三