東京地方裁判所 平成12年(合わ)199号の2 判決 2001年8月30日
主文
被告人は無罪。
理由
第一公訴事実の要旨と弁護人の主張
本件公訴事実の要旨は、「被告人は、東京都衛生局病院事業部副参事として、都立病院の管理運営、医療苦情処理並びに都立病院の事務の改善及び指導等の職務に従事していたものであるが、東京都渋谷区《番地省略》所在の東京都立A野病院において、入院患者のD子の主治医である同病院整形外科医師Cが、平成一一年二月一一日午前一〇時四四分ころ、D子の死体を検案した際、容態が急変したD子の応急措置に当たった同病院整形外科医師Hから看護婦がヘパリンナトリウム生理食塩水とヒビテングルコネート液を取り違えて投与した旨の報告を受け、かつ、同死体の右腕の血管部分が顕著に変色するなどの異状を認めたのに、被告人は、右C医師、同病院院長であるB、同病院副院長であるK、同Q及び同病院事務局長であるJらと共謀の上、右異状を認めたときから二四時間以内に所轄の警視庁渋谷警察署にその旨を届け出なかったものである。」というのである。
弁護人は、本件は誤薬投与による医療事故が発生し、これを警察署に届け出なかったとして、被告人が医師法二一条違反の罪に問われているが、同条違反は、その主体を死体を検案した医師に限定している身分犯であり、医師という特別の身分がない被告人を同条違反の共犯と評価するには、単に届出懈怠の過程に関与したというだけでは十分ではなく、身分者たる医師の判断を左右しうる程度の重大な関与が必要であるが、被告人は本件医療事故について具体的な情報を与えられていない状況のもとで、「今からそちらに行くから、それまで待っていて下さい。」という趣旨のことを述べただけであって、重大な関与をしたとは到底評価することはできず、また、医師法二一条違反に関する具体的な事実を認識していないから、故意がなく、無罪である旨主張する。
第二認定事実
そこで検討するに、関係各証拠によれば、次の事実が認められる。
1 D子(以下「D子」という。)は、平成一一年二月八日、慢性関節リウマチ治療の手術を受けるため、東京都渋谷区《番地省略》所在の東京都立A野病院(以下「A野病院」ともいう。)に入院し、二月一〇日(以下、月日のみの表記は平成一一年である。)、主治医となった同病院整形外科医師C(以下、「C医師」という。)の執刀により、左手中指の滑膜を切除する手術を受け、手術は無事に終了し、術後の経過は良好であった。
ところが、翌日の二月一一日午前八時三〇分ころから、看護婦らが、C医師の指示により、D子に対し、点滴器具を使用して抗生剤を静脈注射した後、患者に刺した留置針の周辺で血液が凝固するのを防止するため、引き続き血液凝固防止剤であるヘパリンナトリウム生理食塩水(以下、「ヘパ生」ともいう。)を点滴器具に注入して管内に滞留させ、注入口をロックする措置(以下、「ヘパロック」という。)を行うに際し、看護婦E子(以下、「E子看護婦」という。)は、事前の準備において、D子に対して使用するヘパリンナトリウム生理食塩水と、他の入院患者F子に対して使用する消毒液ヒビテングルコネート液(以下、「ヒビグル」ともいう。)を取り違えて準備し、D子に対し、点滴器具を使用して抗生剤の静脈注射を開始するとともに、消毒液ヒビテングルコネート液入りの注射器をD子の床頭台の上に置き、それから他の患者の世話をするためその場を離れた。同日午前九時ころ、抗生剤の点滴が終了したため、D子はナースコールをし、それに応じて看護婦G子(以下、「G子看護婦」という。)がD子の病室に赴き、床頭台におかれていた消毒液ヒビテングルコネート液入りの注射器を、ヘパリンナトリウム生理食塩水入りのものと思い込み、これを用いてD子の右腕にヘパロックし、病室を出た。その後、E子看護婦は抗生剤の点滴が終わかったかどうかを確認するためにD子の病室に戻ったところ、既に抗生剤の点滴は終わっており、ヘパロックがされていた。そしてまもなく、D子はE子看護婦に対し、「これをしたら胸が苦しくなってきた。苦しい感じがする。なにかかっかする。熱い感じがする。」などと苦痛を訴え始めたので、E子看護婦は抗生剤の影響かなと思って、昨夜の点滴のことを尋ねると「苦しくなかった。」と答えたので、原因が分からず、当直医師のH(以下、「H医師」という。)に連絡した。H医師はD子に「どうされました。」と尋ねると、「胸が苦しい。両手がしびれる。」などと息苦しそうに答えた。その間、E子看護婦はH医師に対して、「昨夜の点滴のときは問題ありませんでした。心疾患の既往はありません。」と伝えた。H医師の指示により、同日午前九時一五分ころ、血管確保のための維持液の静脈への点滴が開始されたが、維持液に先立ち、点滴器具内に滞留していた消毒液ヒビテングルコネート液を全量D子の体内に注入させることになった。その直後から、D子は、両肩を上げ下げして呼吸するようになり、一段と具合悪くなった。E子看護婦は、抗生剤の点滴終了直後にD子が不調を訴えたことから、何か点滴に問題があったのではないかなどと考えながらも、原因が分からずにいたが、D子への応急措置が続けられている最中、処置室に立ち寄った際に、ヘパリンナトリウム生理食塩水入りを示す「ヘパ生」と黒色マジックで書かれた注射器が置いてあるのを見つけ、それに自らが書いた「6、F子様洗浄用ヒビグル」というメモが貼ってあるのを発見した。ここで、E子看護婦はヘパリンナトリウム生理食塩水ではなく、消毒液ヒビテングルコネート液がD子に注入されたことに気づき、D子の病室に戻り、室内のH医師を手招きして呼び出し、出て来たH医師に「ヘパ生とヒビグルを間違えたかも知れません。」と告げた。H医師はそれを聞くと下を向いて、フゥーッとため息をつき、何も言わなかった。その時、病室の看護婦がH医師を呼んだので、E子看護婦とH医師が病室に戻ると、D子は、「苦しい。意識がなくなりそう。もうだめ。」とあえぐように言った途端、意識を失い、同日午前九時三〇分ころ、心肺停止状態になった。H医師と、もう一人の当直医であったM医師が心臓マッサージと人工呼吸を行い、またD子をベッドごと処置室に移した。同日午前一〇時二五分ころ、連絡を受けた主治医のC医師が駆けつけ、D子に対し心臓マッサージを行ったが、その際に、H医師からD子が抗生剤の点滴を終え、看護婦がヘパロックした直後、容態が急変した状況の説明を受けるとともに、「看護婦がヘパロックする際にヘパ生と消毒液のヒビグルを間違えて注入したかもしれないと言っている。」と聞かされた。C医師は主治医としてD子について病状が急変するような疾患等の心当たりが全くなかったので、信じたくはなかったが、薬物を間違えて注入したことによりD子の病状が急変したのではないかとも思った。また、C医師は心臓マッサージの最中、D子の右腕には色素沈着のような状態があることに気付いていた。C医師は、心臓マッサージを数分間行ったが、その後、蘇生の気配がなかったため、M医師と心臓マッサージを代わり、D子の親族が待機していた病棟カンファレンスルームに行き、親族らに現在の状況を説明するとともに処置室に連れて行き、親族の意向も聞いて、人工呼吸等の救命措置を止め、同日午前一〇時四四分にD子の死亡を確認し、その死体を検案した。C医師は、親族に対して、死亡原因が不明であるとして、その解明のために病理解剖の了承を求め、親族からは、D子の急変の原因として誤薬投与の可能性について質問があったが、C医師は分からないと答え、看護婦による誤薬投与の可能性を伝えないまま、親族から病理解剖の了承を得た。
2 その日のうちに、A野病院院長である分離前相被告人B(以下、「B院長」ともいう。)は、D子の急死を知らされ、同病院のP看護部長から、「D子さんを担当していた看護婦が、二〇パーセントヒビグルとヘパリン生食と間違えて準備し、その結果、ヒビグルの方がD子さんの体に入った可能性があります。担当の看護婦は、日勤のため既に帰ってしまったので、まだ不明な点が多いのですが、主治医のC医師の指示で、明日午前九時から病理解剖を行う予定となり、そのことについてD子さんの遺族の承諾が取れています。ただ、遺族には事故の可能性があることは伝えていません。」等の説明があった。B院長は「これが事実とすれば大変なことで、事実関係の調査と今後の対応が必要なので、明日の朝、対策会議を開きましょう。」とP看護部長に伝えた。
3 翌日の二月一二日午前八時三〇分ころから、A野病院二階の小会議室で、D子の死亡についての対策会議が開かれた。出席者は、B院長のほか、K副院長、Q副院長、J事務局長、P看護部長、L医事課長、N庶務課長、R看護科長、O看護副科長の九名であった。L医事課長が司会進行役を務め、簡単に事件の概要と検討事項が記載され、「極秘」と記された「D子氏の死亡について」と題する書面を配布し、簡単な経過説明をした後、O看護副科長から、「D子様 急死の経過」と題する書面の配布もあり、その書面に基づき、事実関係の報告が行われた。その書面には、E子看護婦が、抗生剤とヘパリンナトリウム生理食塩水の入った注射器を持参してD子の病室に行き、まず、抗生剤の点滴を始め、その終了後に使用するヘパリンナトリウム生理食塩水入りの注射器を床頭台の上に置いた後、病室を出、その後、抗生剤の点滴終了を知らせるナースコールがあって、G子看護婦が病室に行き、床頭台の上に置いてあったヘパリンナトリウム生理食塩水を使用してヘパロックをした後、病室を出たが、その直後、E子看護婦がD子の病室に行くと、D子は「気分が悪い。胸が熱い感じがする」と異常を訴えたので、当直医のH医師が呼ばれ、対応措置が取られたが、D子は眼球が上転し、右上下肢・顔面が茶褐色に変色して行ったこと、この間、E子看護婦が注射器を準備した処置室に行ったところ、処置室の流し台の上にあるはずのない「ヘパリン生食」と書いた注射器があるのを発見し、D子の病室の前の廊下で、H医師に「もしかしたら、ヒビグルとヘパ生を間違えて床頭台に置いたかもしれない」と打ち明けたことなどが記載されていた。O看護副科長の報告を聞いているうち、会議は重苦しい雰囲気になってきた。O看護副科長の報告が終わった後、過誤を犯したという当事者から話を聞く必要があるということで、E子看護婦が呼ばれた。E子看護婦は、O看護副科長が説明したと同じ様な事実経過を涙声になりながらも説明し、改めて、「ヒビグルとヘパ生を間違えたかも知れない。それしか考えられない。」ということを言っており、現場で回収した点滴チューブや注射器等を使いながら、薬物取り違えを起こしたときの状況を説明した。その後、D子の主治医であるC医師が呼ばれた。C医師は「E子看護婦がヘパ生とヒビグルを間違えたかも知れないとH先生に報告したことは、私もH先生から聞きましたが、所見としては心筋梗塞の疑いがあります。病理解剖の承諾を既に遺族から貰っています。」などと口頭で説明した。K副院長も、心電図は心筋梗塞と矛盾しないといった意見を述べた。その後、今後の対応について、前記のB院長以下九名が協議した。J事務局長は、「ミスは明確ですし、警察に届け出るべきでしょう。」と言い、L医事課長もJ事務局長の意見に同調していた。B院長は、迷いに迷っており、「でも、C先生は、心筋梗塞の疑いがあると言っているし」などと言って、優柔不断であったが、K副院長も「医師法の規定からしても、事故の疑いがあるのなら、届け出るべきでしょう。」と言った。B院長は、なお、「警察に届け出るということは、大変なことだよ。」というふうに言っていたが、K副院長、J事務局長、L医事課長ばかりでなく、他の出席者も「やはり、仕方がないですね。警察に届けましょう。」と口々に言い出したので、B院長も出席者全員に「警察に届出をしましょう。」と言って決断し、A野病院としては、D子の事故の件について、警察に届け出ることに決定した。C医師は、対策会議に常時いたのではなく、出たり入ったりしていたが、警察に届け出るか否かについては、K副院長が医師法の話をしていたのを聞いており、本件が看護婦の絡んだ医療過誤であるので、個人的に届け出ようとは思わず、A野病院としての対処、すなわち対策会議での病院長であるB院長以下の幹部による決定に委ねていた。
4 A野病院としては、警察に届け出ることに決定したので、B院長はそのことを監督官庁である東京都の衛生局病院事業部(以下、「病院事業部」という。)に電話連絡するように指示した。同日午前九時ころ、L医事課長は病院事業部のS主事に電話をかけ、「昨日、A野病院でリウマチで入院していた患者さんが亡くなった。その原因が、どうも消毒液を取り違えて点滴した可能性が高い。遺族から病理解剖の承諾も取ってある。警察に届けますので、よろしいですね。」という趣旨のことを話した。S主事は、A野病院で医療事故が起きたのかも知れないと思って、大変驚き、警察に届け出るかどうかを判断できる立場になかったので、副参事の被告人にL医事課長から聞いた話を伝えて対応してもらおうと思い、被告人に話を伝えてから被告人からそちらに電話をかけるようにする旨、L医事課長に話した。S主事は直ぐに被告人のところに行き、L医事課長の話として「昨日、A野病院に入院中の患者さんが亡くなりました。原因については不明で調査中です。薬を間違って注射した可能性もあるようです。遺族から病理解剖の承諾も取ってあるそうです。警察に届け出るかどうか訊いてきました。」というように電話の内容を伝えた。被告人は詳しい事情を確認するため、A野病院のL医事課長に電話をかけたが、同人は居らず、電話を取った医事課の職員では話の内容が分からなかったので、電話を切った。そして、S主事と一緒に、上司であるT病院事業部長のところに相談に行き、「A野病院から、薬を取り違えた可能性のある、入院している女性の患者が死亡したという連絡がありました。遺族から病理解剖の承諾は取ってあるそうです。病院からは警察に届け出るべきかどうかの相談が来ています。どうしましょうか。」と報告し、指示を仰いだ。T病院事業部長は「判断しろって言っても、これだけの事情しか分からないのに、判断のしようがない。」と言いながら、これまでに入院患者が亡くなった場合に都立病院から警察に届け出たことはあるのかと質問したので、S主事が「私の知っている限りでは、入院中の患者さんが死亡した場合、病院側から自発的に届け出た例はありません」と答えた。そして、T病院事業部長、被告人、S主事の三人で、どのような場合に警察に届け出るのだろう、という話になって、S主事が自席から東京都衛生局病院事業部作成の「医療事故・医事紛争予防マニュアル」を持参して、その関連個所である一一三頁の「なお、過失が極めて明白な場合は、最終的な判断は別として、事故の事実が業務上過失致死罪に該当することになります。従って、事故の当事者である病院が病理解剖を行うと証拠湮滅と解されるおそれがあるので、病理解剖は行いません。解剖が必要と思われる場合、病院は警察に連絡しますが、司法解剖を行うか否かは警察が判断します。」との部分を読み上げた。被告人らは、過失が明白な場合については病院は警察に届けなければいけないということであると理解した。その後、A野病院の件について警察に届け出るべきかどうかに話が移り、T病院事業部長は、「本部に判断しろと言われても困るよな。病院が判断してくれなくちゃ。」と言い、そして、被告人に対し、「病院側も困って相談してきたんだから、Aさん、病院に行って、アドバイスしてやってくれよ。状況も把握してきてくれよ。」、また、「病理解剖の承諾が取れているなら、遺族に全てを話して了解が得られれば、それでいったらいいじゃないか。」と指示した。そこで、被告人は、同日午前九時半前ころ、A野病院に電話をかけ、電話に出たN庶務課長に、取りあえず、「Nちゃん、警察に届け出るのは待ってくれる。俺が今から行くから。」などと伝え、これからA野病院に向かう旨連絡した。被告人からの連絡を受け、N庶務課長は、待ってないとしょうがないですねとJ事務局長に伝え、J事務局長も「そうだね、とりあえずそれまで待ちましょう。」と答えた。そして、同日午前九時四〇分ころ、対策会議が再開され、B院長など前記九名の出席者に被告人の電話の内容が伝えられたので、B院長を始めとする出席者は、最終結論は、病院事業部の職員がA野病院に来てから直接その話を聞いて決めることとし、それまで警察への届出を保留することに決定したので、医師法二一条にいう、「医師は、死体……を検案して異状があると認めたときは、二四時間以内に所轄警察署に届け出なければならない」旨規定する二四時間以内、すなわちC医師がD子の急死を確認して死体を検案した二月一一日午前一〇時四四分から二四時間以内である二月一二日午前一〇時四四分が経過してしまった。被告人がA野病院に到着したのは、同日午前一一時過ぎころであった。
5 被告人はA野病院に到着した後、案内されて二階小会議室に入った。そこには、B院長はじめ対策会議の出席者九名がそろっており、被告人はB院長の隣に座った。病院側からは、被告人に資料は渡されず、電話連絡の内容以上の事情説明はなかった。L医事課長から、「どんな場合に警察に届け出るんですか。これまではどうだったですか。」との質問があり、被告人は、「過失が明白な場合に届けなければいけない。今まで都立病院自ら警察に届けた例はありません。」と答えた。L医事課長の外に質問する者はいなかったので、被告人は隣に座っているB院長に、「遺族から病理解剖の承諾を貰っているということですけれども、薬の取り違いの可能性もあるんなら、包み隠さず遺族にお話ししないといけませんね。遺族がA野病院を信用できないと言うなら、警察に連絡して監察医務院で解剖する方法もあるということも説明して下さい。それでも遺族がA野病院での病理解剖を望まれるなら、それでいいじゃないですか。もし遺族が警察に届け出るというならそれはそれで仕方ないですね。」という趣旨の話をした。B院長は「じゃ、それで行きましょうか。」と言い、遺族を連れて来るように指示して、院長室に戻り、対策会議は散会になった。同日午前一一時五〇分ころ、院長室において、B院長は、K副院長、Q副院長、P看護部長、L医事課長同席のもと、D子の夫のI、D子の息子のA1ら遺族に対し、「実はこれまで病死としてお話ししてきたのですが、看護婦が薬を間違えて投与した事故の可能性があります。」と説明し、このとき初めて薬物取り違えの可能性を知らされて驚いた遺族が、「間違いの可能性は高いのですか。」と尋ねると、「今は調査中としか言えません。」という趣旨のことを答え、さらに「A野病院が信用できないというのであれば、監察医務院や他の病院で解剖してもらうという方法もありますが。どうしますか。」と聞いてきた。このとき、Iは、決定的な確証はまだないのに、遺族に薬剤取り違えの可能性を伝えてくれたものと思って、ある意味ではフェアな対応であると受け止め、「A野病院を信用できないか」と言われて、「信用できない」というまでの気持はなかったので、A野病院で病理解剖することを承諾した。B院長は、被告人を院長室に呼び、「改めて遺族に薬の取り違えの可能性を伝えた上で、A野病院で病理解剖をすることの承諾をいただきました。」と伝え、被告人はこれを聞いた後、東京都庁に戻った。同日午後、A野病院において、D子の病理解剖が行われた。
第三検討
本件公訴事実は、被告人が医師法二一条の届出義務に違反するという不作為犯罪をC医師、B院長らと共謀したということで、被告人に共謀共同正犯の責任を問うものであるが、医師法二一条は「医師は、死体……を検案して異状があると認めたときは、二四時間以内に所轄警察署に届け出なければならない」旨規定しており、同条違反の罪は、死体を検案して異状があると認めた医師に二四時間以内の警察への届出を義務づけている真正身分犯と解すべきものであるところ、本件でその身分がある医師は、D子の死体を検案したC医師である。
そして、前記認定事実によれば、D子が急死した翌日の二月一二日の午前八時三〇分ころから、B院長、K副院長、Q副院長ら九名の病院幹部が出席し、A野病院としてD子の死亡の件について対処するため対策会議を開いたが、C医師の方も本件が看護婦の絡んだ医療過誤であるので、個人的に警察に届け出ようとは思わず、届け出るか否かはA野病院としての対処、すなわち対策会議でのB院長以下の病院幹部による決定に委ねており、B院長もこの点については、対策会議を招集して協議し、A野病院として対処することにしており、そして、対策会議では、医師法の規定を意識した上で警察に届け出るとの意見が大勢を占め、A野病院としては警察に届け出ることに決定し、B院長の指示により、病院事業部に電話で連絡することになったが、病院事業部からは被告人がA野病院へ行くから、警察への届出は待つようにとの指示があり、これを受けて、対策会議において、最終結論は、病院事業部の職員が来てから直接その話を聞いて決めることにし、それまで警察への届出を保留することに決定することによって、医師法二一条にいう二四時間以内に警察に届出をしなかったのであり、B院長らは警察への届出義務を有するC医師と共謀して、医師法二一条違反の罪を犯したものと認めることが出来る。
しかしながら、被告人との関わりについて検討すると、前記認定事実によれば、①A野病院から電話を受けた病院事業部のS主事が被告人に知らせた内容は、「昨日、A野病院に入院中の患者さんが亡くなりました。原因については不明で調査中です。薬を間違って注射した可能性もあるようです。警察に届け出るかどうか訊いてきました。」という趣旨のものであって、「死体の検案」、「検案した医師の名前」、「死体の異状」、二四時間の起算時点となる「検案した時刻」など医師法二一条違反に関わる重要な事実は含まれていない上、被告人は、赴いたA野病院の対策会議の場においても電話連絡の内容以上の説明を聞いておらず、②A野病院からの連絡を検討した病院事業部のT病院事業部長、被告人及びS主事はいずれも事務職員であって医師ではなく、被告人らが警察に届け出る場合としてマニュアルで検討したのは、過失の有無や業務上過失致死罪を意識し、病院における医療事故、医療紛争予防の観点から、病院としての警察への届出を検討したものであって、死体を検案して異状を認めた医師個人の届出義務を意識していたものではなく、③被告人は上司のT病院事業部長から、「病院側も困って相談してきたんだから、Aさん、病院に行って、アドバイスしてやってくれよ。状況も把握してきてくれよ。」、「病理解剖の承諾が取れているなら、遺族に全てを話して了解が得られれば、それでいったらいいじゃないか。」などと指示されたので、この指示を受けて、取りあえず、A野病院に電話をかけ、N庶務課長に、「Nちゃん、警察に届け出るのは待ってくれる。俺が今から行くから。」などとの電話連絡をしたのみであり、そして、④C医師が遺族に薬の取り違えの可能性を告げないで病理解剖の承諾を得ていたのに対し、被告人は、薬の取り違えの可能性を包み隠さず遺族に話した上で病理解剖の承諾を得るべきであり、もし遺族が警察に届け出るというならそれはそれで仕方がない旨、遺族自らの警察への届出にも言及して、B院長に話していることなどが認められ、右各事実を総合勘案すると、被告人のいうところの警察への届出とは、A野病院における誤薬投与の医療過誤(業務上過失致死罪)の刑事訴訟法二三九条の告発を意識したものと認められるものの、医師法二一条にいう死体を検案して異状を認めた医師の二四時間以内の警察への届出を意識したものとは認められないから、被告人が医師法二一条違反という身分犯罪を共謀する認識を有していたと認めるには合理的な疑いを容れる余地があるというべきである。
したがって、本件公訴事実については犯罪の証明がないことになるから、刑事訴訟法三三六条により、無罪の言渡しをする。
(裁判長裁判官 小倉正三 裁判官 森本加奈 野澤晃一)